【完結】 おれ会社辞めて忍者になるわ   作:hige2902

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第二話 はじまり

「はあ? うちの管理している土地が、なんだって?」 と彼、部下に聞き返す。

「爆発、というか、急速に荒れたというか」 言いにくそうに、部下。

 

「何言ってんだおまえ」

「いやその、わたしもよくわかりませんがとにかくそのような報告が入っていまして。一応お伝えしておこうかと」

 

 ふうん、と彼。ようやくPCのキーを叩くのを止めた。 「じゃあ見てくるわ、一区切りついたし」

「いやめちゃくちゃやり掛けじゃないですか」 部下はモニタをのぞき込んで言った。 「文章の最後のところなんかrで止まってますよ、母音を入力してくださいよ。ねえ場所知ってるんですか、車でもかなりかかるんですけど、いつ帰ってくるつもりなんですか? 目の下の隈がやばいですけど、運転できるんですか! タクシー使ってくださいね!」

 

 彼はビジネスバッグ片手に会社を出ると、日差しの眩しさに目を細めた。ぶっちゃけピクニック気分だった。こんなことをしたら、ひょっとすると会社を辞める羽目になるかもしれない。ま、それならそれでいい。タクシーの車窓に反射するこけた頬の顔を見て、彼は思った。

 

 その出会いは偶然の産物だった。妖魔討伐に赴いた善忍たちの貼った忍び結界は、忍びの血を持つという条件がパスに設定され、キーを持つ者しか侵入とその領域内を視認できず、侵入があれば領域内の全員に感覚させるという一般的な機能があった。しかし術者の死亡と、結界を揺さぶる妖魔の力によって瞬きの時間で揺らめいた。

 その狭間に、山中で繰り広げられていた惨劇は大多数とは言えないが目撃された。流石と言うべきか、術者による結界は今際の際にあって全ての天命と引き換えに昇華され、より強固なものと変質した。

 人里離れた場所であり、瞼を擦れば数瞬前と変わらぬ自然が広がっている。気のせいですまされる問題だった。

 

 どんな些細な情報も報告しろ。という彼に、だから部下はツイッタで得た情報を伝えた。――サボる口実が欲しいだけだろ、と思いながら――

 部下はサボってツイッタを見ていた訳ではない。会社に関するネット上のキーワードをリアルタイムで検索抽出してポップアップさせるクライアントをモニタの隅に常駐させていた。――実際は末端構成員がボトムアップ的に選別して上層部へと送られた情報―― ネガティブな単語を含むものは青字で、危険な単語を含むものは赤字で表示される。

 滅多にない赤字のツイートが視覚の端で連続ポップアップしたので、少しログを遡って見て伝えるべきだと判断した結果だった。爆発、山肌が露出していた、死人? プラス、管理していた土地名。剣呑。

 

 十中八九はガセだろう。だが、どうしてそのようなガセが発生したのかは知っておく必要がある。ネットの波は暴力的で制御が利かない、さざ波に留めるすべは手にしておくべきだ。

 

 という建前を胸一杯に、彼は問題の山の麓にやってきた。空気がおいしい、バケツ三杯はおかわりできる、などとほざいてみる。

 山を見上げた、やはり変化はない。しかし火のない所に煙は立たないのだ。革靴なのが辛いが、少し登ってみようかな、というところで、何かが道なき道で横たわっているのに気が付いた。心臓が凍てついた手で鷲掴みにされたように怯える。丸めた布団? 衣類の不法投棄?

 

 そうであってくれと慌てて駆け寄ると、口元を布で隠した如何にもな忍者装束の女性だった。息はしているが、前腕からは白い骨が覗いていた。じっとりとした脂汗を浮かべ、苦しそうに呼吸している。口元の布をはぎ取ってやる。

 

「おい、しっかりしろ!」 携帯を取り出す。幸いに圏内だ、救急に連絡し、適切な処置を求める。

 しかし特に力にはなれそうにもなかった。骨折は添え木の必要性がないほど重度の物だし、太もものあたりは出血しているのか、衣類の色とは別の赤黒い液体に濡れている。足の付け根からネクタイで止血した。

 

 なんてことだ、普段はソースはツイッタとバカにしていたが、まさか事実だったとは。

 女性が乾いた唇を動かした。

 

「うん? なに? 水とかいる? 眠眠打破とゼナしか持ってないけど、あとカロリーメイト」

 

 女性は憔悴しているようだったので、ゼナの蓋を取ってひび割れた唇に添えてやる。口から血が零れているが、吐血によるものではない。半分ほど飲み込むと、言葉を零した。逃げろ、と。

 

「そうは言ってもこの山、うちが管理してるから。事件に巻き込まれたのかなんなのか知らないけど、というから逃げるって何から? 一応、警察にも連絡したけど」

「妖魔から」 という言葉が返ってきたのは背後からだった。彼が振り返ると、やはり忍び装束の集団。リーダー格らしい、白銀の髪をなびかせた男が続ける。 「後はわれわれが継ぐ」

 

「は、忍者」 と彼。女性のいでたちもそれだったが、こうも大人数で現れると圧巻ではある。

 そうだ、という男の言霊で彼の思考は制御された。男は彼に興味を無くしたように、部下の手当てを受ける善忍に質問を投げかけた。妖魔の特徴、攻撃射程、有効無効な攻撃方法。最後に、名を聞く。後始末で所属する組織に書類を作成しなければならないからだ。

 

 凛、と負傷していた忍びは言った。

 彼は、ビジネスバッグにゼナや放り出していた携帯なんかをしまうと、背を向けて歩き出す。

 

 

 

 気づけば彼はタクシーの中にいた。あれ、おれどこに向かってたんだっけ? 運転手に尋ねると、行先は会社だった。

 しかしタクシーに乗った記憶がない。つい先ほどまでデスクワークに埋葬されていたはず。夢遊病に近い症状なのだろうか、まずい気がする。

 バッグからゼナを取り出し、キャップを捻った。その感触はすでに一度封を切ったようで、つまり飲みかけだった。たった50mlの栄養ドリンクを一度に飲みきれないとは、どれほど胃が弱っていたのか。嫌になりながらも口をつける。

 

 心なしか、()()()()()()

 

 

 

 その後、彼が介抱した女性は鈴音と名乗り、救出した蛇女子学園の学園長の願いで教鞭を取った。妖魔討伐に失敗した善忍部隊の中で一人生き残り、のこのこと戻ることが躊躇われたのかもしれない。

 あるいは善忍の戦いで損耗していたとはいえ妖魔を討伐せしめる悪忍の力に道を見出したのか。

 

「助かったよ、教員になってくれて」 と学長室で学園長が言った。彼に記憶操作術を掛けた、現役最強の忍びとされる人物だ。

 まだ痛痛しい包帯の残る姿で無感動に鈴音。 「もう戻る場所はありません。ご厚意に感謝します」

 

「そうかな、善悪の彼岸なしに言うが、半蔵学園はそれほどに冷酷というわけでもあるまい。むしろ妖魔と戦って生き残ったというのは、忍びとして至高の経験だ。妖魔の殲滅は善忍悪忍の共通の存在理由だ」

「仲間を見捨てて」

 

「最上の判断だよ。戦闘続行が不可なら離脱すべきだ、そうして後続に情報を渡すのがセオリーだ。きみから妖魔の情報を聞けたからこそ、われわれは対処できた。きみは少しナイーブ過ぎるな。もしきみが、仲間の仇と情緒的感傷を背に負って立ち向かっていれば、それこそきみの仲間の死は無為に消える。厳しいようだが、事実はそれだけだ」

 

 沈黙する鈴音に続けて言った。

 

「いいんだな、本当に。善忍の凛は死んだと、遺体も残らず妖魔に食われたと半蔵学院に報告書を作成するが。ここにいるのは、わたしの目の前にいるのは悪忍の鈴音でいいのだな。きみの記憶を操作し、善忍時代に関わった事柄を封印してくれという望みを実行しても」

 

 忍びの教育機関の間での虚偽報告は重大な規則違反であり、厳罰は免れない。そのリスクを負ってでも学園長は手駒が欲しかった。とりわけ善忍で、時間を掛ければ光る原石であろう才覚の持ち主ならば尚の事。

 水面下で不穏な動きを見せる、学園の出資者を名乗る道元なる人物に対して、将来においての切り札になりえる存在は是が非でも。この身はいつ妖魔の餌食となるとも知れないのだから。

 頷き、退室しようとする鈴音の背に学園長は投げかけた。

 

「結界外できみを最初に発見して介抱した者についてだが」

 

 鈴音は足を止めた。振り向かずに耳を傾ける。

 

「処置は未熟だったが、彼がいなければきみは危うかった、かもしれない。情報をわれわれに伝達することも難しかっただろう。われわれにとっても、きみにとっても恩人という訳だ。部下に素性を調べさせた、会いたければ会うがいい」

 

 鈴音が振り返ると、学園長は一枚の封筒をデスクの上に置いた。彼女はゆらりと近づき、骨折していない方の手で器用に灰皿へ破り捨てる。もう、鈴音だ。凜ではないから。

 それでいい、学園長は心中で鈴音の評価を一段階上げた。

 

 しかしその後、意外な場所で鈴音は彼と邂逅を果たすことになる。

 鳳凰と大狼が主催する社交界で、互いが養子にした忍びを紹介するらしい、という報が蛇女に入って来たので、鈴音が潜入し、偵察した際に彼と出会った。もっとも、彼は鈴音を覚えてなどいないし、変装しているのでわかるはずもないが。

 

 鳳凰は斑鳩、大狼は、()()()()()()()という少女。そこで給仕に偽装して働いているところ、彼に声を掛けられたのが切っ掛けだった。その時の彼の服装はまわりに比べて相対的に貧相で浮いていた。話の輪に入ることもなくつまらなそうに飲んでいところ、鈴音が通りかかったので少し相手でもしてもらおうとしたのだ。

 

 出会いなどは、その程度のよくある話だった。その後、凛として彼と接触はせず、あくまで鈴音として彼に接し、タイミングのよいところで教師に転職すると告げると同時に同棲を始めたのだ。

 

 

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 バタバタと二階から階段を降りてくる音が近づく。彼は反射的に鎖鎌をソファの下に隠した。

 

「どうかした? すごい音がした、けど」 と夜明け前の空のような髪色をした妙齢の女性。ボタンが留まらないのか胸元が大きく開いた白いパジャマに身を包んでいた。黒いレースの下着が薄らと透けて見える。テレビの残骸を見て、ずり落ちた赤ブチのメガネを掛けなおす。

 

「いや、これはその、ソニータイマーかな?」 火花を散らすテレビを見て、彼。とりあえずコンセントを抜いておく。 「ごめん鈴音、起こした?」

「パナソニックだったと思うけど」 と鈴音と呼ばれた女性。

 

「じゃあパナソニックタイマーだろうな」 両社に詫びながら、彼は鈴音の鋭い視線に耐え兼ねて口を開く。実は、自分でもわからないがニシダ局長を見た瞬間にカクカクシカジカで。

 

「違うんだ、おれは超上級ホモになった訳じゃないんだ」 と、勃起を隠すことすら忘れ、必死になって説明する彼を見て、鈴音はそれがなんだか滑稽に思えて少し笑った。

 

「わたしが久しぶりに帰って来たから、かも」

「いや確実にナイトスクープ見てからだった、おんなにはわからないよ。ひょっとしたら、道ですれ違うおっさんにすら欲情してしまうかもしれないという恐怖は」

 ある日突然公園のベンチに腰掛けた青年にやらないかと声を掛けられたどうしよう。断り切れるのだろうか。心底沈んだ口調で彼は言ったが、身体はどうしてだか鈴音を抱き寄せて、薄手の肌触りのよい寝間着の上から、たっぷりとした尻を鷲掴みにしていた。シャンプーのいい匂いが髪から漂ってくる。

 

「じゃあわたしには欲情しない?」 メガネの奥で、挑発的に彼を見やって鈴音。見せつけるように両手で余る胸を押し付けた。谷間から除くホクロがエロチックだった。

 

「……バイなのかも」 彼は泣きそうな口調で言った。

「疲れてたのよ、きっと」

「だといいけど」

「試してみる? わたしとシて、まだ男に反応するのかどうか」 言って彼女は彼の首筋に唇を這わせた。Tシャツを脱がせ、鎖骨を舐める。

 

「いや、おれシャワー軽く浴びただけだから」

「じゃあこの手は何?」 パジャマに手をやり下着越しに秘部をまさぐる腕を内腿で締め付ける。

 

 

 

 情事を終え、一息つくと鈴音が何の気なしにナイトテーブルのリモコンを操作し、テレビ画面に録画してあったナイトスクープが再生された。軽快なオープニング曲が流れる。

 

「どう?」 と鈴音。彼の肩に頭を預けて言った。

「局長を見ても興奮はしない。よかった、たまたまだったみたい」 と心底安心したように、鈴音の華奢な肩を抱き寄せた。

 

「違うでしょ。久しぶりにわたしとの時間ができたら。でしょ?」

 

「そうだった。ところでこのベッドのマットって洗えるやつだっけ」

「たぶん。このままでもいいけど?」

「鈴音は学校の寮があるからいいだろうけど、おれはどうなるんだよ。そういえば、今日は出勤しなくていいの?」

「昼からでいいから、一眠りして身体を洗う時間くらいはあるわ。ねえ、最近変わった事とかあった?」

 

「あったよ、それがもうびっくり」

 

 彼は、自慢するように語った。暴漢から逃げるために少女とラブホに入り、つい状況に流されて ――としか彼には思えない。 ―― 押し倒してしまった。が、われに返ると暴漢がカメラ片手に、いつのまにか部屋にいたので撃退した事を。

 

「で、その少女とは?」

「抱きかかえて指で愛撫した。それで押し倒した事は許すと言われたから。すまない。おれにも責任は、あると思った」

 

「責めようとは思ってない、謝らないで。女の匂いがしたから、今日、わたしに声を掛けなかったのはひょっとして。って考えちゃっただけ。その子、可愛かった?」

「疲れてると思って。可愛かったよ、中身も真面目だった。今時珍しいと思った。というか、臭いする?」

 

「女にしかわからないかも」 発情した女の香りは、と省略して続けた。 「他には?」

「あるけど、まだ言わない」

 

 そう。と鈴音は瞳を閉じた。彼は冗談以外で嘘をつかなった。これは経験上の問題で絶対にとは言い切れないが、小説の地の文レベルの信頼を置いていた。

 同棲相手に、少女とラブホテルに行ってきたなどと平気で言う。理知的に邪な行為ではないと確信し、相手も理解してくれると考えているからだ。

 だからといって赤裸裸ではなく、教えたくないことは言いたくないで終わらせる。鈴音にはこれで十分過ぎるほどだった。逆に彼は深く彼女に立ち入らない。今は高校の教師をやっている、という情報以上を求めようとしない。どこの学校だとか、何を教えているだとか。

 

 優しさなのかもしれない。だが同時にこれ以上に親密になれない理由でもあった。鈴音には、彼に教えられない秘密がありすぎた。だというのに彼を拘束しようとするのは自分勝手に過ぎると思っていた。だから愛撫はもとより、他の誰と唇を重ねようと身体をまぐわせようと口を出す権利はない、とも。

 

 ねえ、と鈴音。 「もうすぐ誕生日だけど」

「無理に休みを取らなくていいよ。個人的な意見だけど、記念日とかって好きじゃない」

「いくつになるんだっけ?」

「だから誕生日を祝うのは年末でもいいと思う。再来年でもいいな」

 

 ばか。鈴音はくすりと笑って眠りについた。

 

 生命は年を重ねるごとに寿命へと近づいていくわけだから、誕生日などというのは死に近づいた記念日のようなものだ。とりわけ十の倍数の年は最悪だ。

 と、そこまで考えて彼も眠りにつくことにした。そろそろ鎖鎌大会も近い。デビュー戦なのでコンディションはしっかりと整えておきたかった。

 

 

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 翌日の夜の風呂上がり。斑鳩は寮内自室の扉を開けようとし、脳裏を駆け巡る危機感から思考を高速化した。戦闘態勢に心身を切り替え、勢いよく扉をあけ放った。嫌な予感がする。義兄が、村雨が宝刀飛燕を ――盗む、という言葉は躊躇われる―― 心中でかぶりを振って否定する。

 予感は、半分的中していた。部屋には村雨がいた。外れた半分は、飛燕を手にしておらず、鎖鎌を両腕に巻き付けたまま腕を組み、瞳を閉じて壁を背にしていたことだ。

 

「おにいさま?」 と怪訝に斑鳩。いつもならば、嫌味の一つでも投げかけてくるはずだった。

 たっぷりと時間をおいて、村雨は口を開く。 「けりを着けよう」

「……どうされたのですか」

 斑鳩は慎重になった。なにかおかしい。

 

「いや、着けさせてくれ、と言うべきか」 ゆっくりと壁から背を離し、だらりと腕を下げる。鎖が物物しく音を鳴らした。 「賭けてくれ、飛燕を」

 

 正気、だろうか義兄は。油断なくその立ち振る舞いを観察し、飛燕を安置してある櫃へと手を伸ばす。ひょっとしたら既に飛燕はなく、櫃には罠が仕掛けられているのかもしれない。暗器での制圧を試みる。素手では危険だと本能が告げる。

 

「ここで、ですか?」

「忍びは場所を選んで戦えるほど上等だったか。飛燕を取れ、使わんのならおれが使う」

 

 言って村雨はぞんざいに櫃を開け、鞘を握って宝刀を手にした。罠は、なかった。

 村雨の抜刀よりも早く斑鳩が瞬動して飛燕の柄を握り、鞘走らせた。同時に空間をひしめく鎖を切断する。斑鳩に確信はない、だが加減してはこちらが危ういかもしれないという不気味な蛇が心中で首をもたげた。

 

 空中で鎖から切り離された鎌と分銅は、一秒もせずに床に落ちるだろう。脅威は退けた。が、村雨は飛燕の鞘を上段から振り下ろしていた。宝刀の鞘を受け太刀はできない。最悪、切断してしまうかもしれない。故に峰で受ける。斑鳩が柄を反転させる動作の間に村雨は鞘を手放した。切られる恐れはない、なぜなら今向けられているのは峰だろうから。

 結局のところ村雨が最終的に実行したのは、そのまま上体をかがめ、原始的な体当たりを鳩尾に試みる事だった。それはしかし失敗に終わった。顎に膝を貰って意識を飛ばした、と教えられたのは、布団の上で介抱されていることに気が付いてからだ。

 

 村雨は、すぐ隣で団扇を扇ぐ斑鳩に言った。 「おれは、そうか……負けたのか」

「おにいさま、いきなりどうして」 困惑している。

 

「単に決着が欲しかった、合切の幻想に」 ゆっくりと上体を起こして、口どもりながらも続けた。 「悪かったな、今まで。おまえを、その、邪険に扱って」

 

 さっと斑鳩の顔に驚愕の色が走った。両手で口元を覆う。まさか、あの義兄からこのような言葉を聞くとは思わなかった。

 

「おれは、わかったんだ。忍びに憧れていたのでも、才能を持つおまえにでもない。代代受け継がれていたあれに」 と傍らに納刀されていた宝刀へ視線をやって。 「憧れていたんだ。くだらないよ、あれは極論、ただの物に過ぎないのに」

「それは、違います」 と真っ向から否定しもよいものか。斑鳩は迷った。この否定は、自身に対する義兄の謝罪の言葉すら消滅させてしまうのではないかと恐れもしたが。 「飛燕は大切なものです」

 

「そうかな」

「そうです」

「おまえの命よりも?」 試すような視線が向ける。

「だと、思います」 耐えきれずに、目を逸らした。

 

「やっぱりな、おまえも、一歩間違えればおれのようになっていたかもしれん」 くしゃりと破顔して村雨は笑った。斑鳩はそんな顔を見たことがなかった。 「()()()()()()()()()()()()よ。そこに内包する魂とでも表現するしかない、それをなによりも優先すべきなんだ。そう()()()()

 

 言葉を躊躇う斑鳩に、続けて言った。

 

「事実、おまえは飛燕を大事に思うあまり命を落としかけた。あの時、鞘を傷つけることを恐れずに受け太刀すべきだった。もしもおれのような三下ではなく、手練れならどうなっていたと思う?」

 

「おにいさまは、その」 と遠慮がちに斑鳩。 「何か変です」

「かもしれない……そうだな、おまえにもあの人の事を話しておこう」

 

 村雨は心なしか自慢するように、かの人物について語り始めた。

 

 

 

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 彼は近所の公園へやってきた。予想よりも大人数で少し気後れしたが、まあ大丈夫だろうと参加者を見て楽観する。

 適当に準備体操をしていると、町内会長がスピーカーを通して言った。

 

『それではこれより、町内鎖鎌大会を始めたいと思います。参加者の皆様は受付を済ませて所定の……』

 

 熱い一日が、幕を開けようとしていた。

 

 彼はバッグから愛用の鎖鎌を取り出した。といっても、先端の鎌の部分は競技用の専用ゴム製。重心はおよそ実物と変わらないが、最悪バスケットボールが当たったくらいの威力で済む素材だ。

 参加者は総勢七名で、どうしてこれで年に四回の頻度で開催されているのかは謎だった。彼以外は驚くべきことに小学生が大多数 ――五名!―― で実際に一位争いをしそうなのは、シャツのボタンを全開にし、白いジャケットを羽織っている男だった。なんだこの変態は。

 

 こいつにだけは絶対に負けたくない。つまり必然的に一位を目指してイメージトレーニングをしていると声が掛けられた。

 

「よお、あんたが最近になって鎖鎌に手を出したやつか」 と卑屈な笑みで変態。

「そうだが」 と拒絶するように彼。

「その年でか」

「年齢は関係ないだろ」

 

「その年で絶望を味わうなんてな。哀れだと思ってさ」 変態はくつくつと喉を鳴らして笑った。

「おまえはここの常連なのか?」

「いや、小学生のころはちょいとばかし有名だったよ」

「へえ、いまでも?」

 

「辞めたよ。もう来る気はなかった。ただ、中年にもなって鎖鎌の世界に足を踏み入れたやつがいるって情報が入ったんで、ちょっと揉んでやろうかと、ね」

「中年?」

 

 彼は中年という言葉に異様なまでの敵意とも呪詛とも似た口調で返した。変態は思わず後ずさる。後ずさってから、それが無意識の内だと気が付き、歯がゆそうに 「せいぜい頑張るんだな」 と吐き捨ててその場を去る。

 後にエントリーネームから、その変態は村雨というらしいことはわかった。彼は()()()()()()()()()()()()()()()が、それはつまり変態と友好関係があった可能性を示唆し、だから考えるのをやめた。

 

 第一部が始まった。台の上に載せられた空き缶を落とすといった基本的な内容であるが、彼はこれに関しては絶大な自信を持っていた。結果もそれに追随し、十の目標を最速タイムで落とした。十点満点。

 村雨が忌忌しそうに顔を歪めた。そして五点といういまいちパッとしない成績。

 

 勝ったな、と彼は優越感から小さく笑った。が、第二部の内容に愕然とする。

 

「う、動く目標なんて聞いてないぞ」 と、彼。驚愕の無得点だった。静止している目標ならば、絶対に命中させる自信があっただけにそのショックは計り知れない。木の枝に吊られて振り子運動するバイキンぐマンの目標に茫然と膝をついた。

 

 鼻で笑って、村雨が彼の肩に手をかけた。 「ひっこんでな、おっさん」 言って、両腕に巻き付けた鎖を一瞬で解き、合図とともに揺らめかせた。

 

「五点じゃねーか」 と彼。半目に腕を組み、乾いた声。

「あんたはゼロだろーが」

「第一部では満点だからいいんだよ!」

「的なんて動いてねーじゃねーか!」

「う、うるせえな、満点は満点だろうが!」

 

 町内会長に止められるまで、その言い合いは続いた。ルール上、彼と村雨は同順位だったが、そんな結果で満足などできるわけはなかった。

 二人は視線を交わすと、無言で近所の河川敷へ向かい、相対した。

 一目見た瞬間から、この決着のつけ方は予感していた。何が何でも解決しなければならない命題だ。でなければ自分が自分でなくなる。アイデンティティさえ危うい。

 

 一陣の風が鋭く吹く。それが合図だった。

 いい大人が二人して青春よろしく、殴り合った。だって鎖鎌だと怪我するから。殴っても怪我するけど。

 

 

 

 その日、鳳凰財閥の当主、村雨の父が帰宅すると、珍しく息子の笑い声が聞こえた。わーっはっはと、実に上機嫌だ。珍しいこともあるものだ。斑鳩を養子に、飛燕を継がせてからあのように笑うことはなかった。

 

「なにか、あったのかね」 とメイドに尋ねる。

「なにやら気の合うご友人を見つけられたそうです」

 

「ほう、あの塞ぎこんでいた村雨をここまで愉快に笑わせるほどとは。そういった人間は得難い、恵まれているな」

 

 当主はそのまま疲れを癒すために浴室に向かった。村雨には商才がある。その方向へと歩み、大狼に現れた強敵の対抗戦力になってくれればいいがと、僅かな期待を胸に。

 そんな父の心配を知ってか知らずか、村雨の自室では上等なスコッチがすでに一本開けられていた。顔中青アザだらけの男二人が高笑いで乾杯している。つまり、青春なのだ。クロスカウンターからのダブルノックアウトで、温かい夕暮れを見上げて互いを認め合うのだ。年齢は関係ないのだ。

 

「わーはっはっは」 と彼。

「わーはっはっは」 と村雨。

 

 もう幾度目かわからない乾杯をやっていた。強いアルコールが口内の切り傷を焼いた。だがそれでいいのだ、それがいいのだ。蒸留酒に鉄の味でいいのだ。

 

「いやー村雨くんが大学の後輩だったとはね」 と彼。嬉しそう。

「ペンを持つのは得意なんですよ」 と村雨。嬉しそう。

 

「えー、でも鎖鎌も得意だったんでしょ?」

「昔はそれなりに自信があったんですけどね。あの町内大会も、じぶんがガキのころは結構な規模だったんですよ」 無意識の内に棚に置いてある楯を見やる。町内鎖鎌大会、六位。と彫ってあった。

 

「へえ、じゃあなんで離れたの?」

「あー、そこ聞きます、聞いちゃいますかー」 口調とは裏腹に、後ろめたさを隠して言った。 「昔は忍びに憧れてたんですよね、じぶん。でもまあ才能の限界というか、それに気づいたときにはもう進路を決めなきゃって時で」

 

「いいじゃん。おれなんて先月くらいに脱サラして忍者目指したよ」

 

 あっけらかんと口にした言葉に、村雨は開いた口が塞がらなかった。ややあって金魚のように口を開けては閉じて言葉を紡ぐ。 「へ、仕事やりながらじゃ、なくて? ですか」

 

「うーん、まあそれも考えたけど、やっぱやるからにはどこかで振り切らないとなーって思ってさ。半端な気持ちで忍者やりたくないし」

「あの、失礼ですけど、ご家族とかには……」

 

「結婚してないけど、同棲してる女性はいるね」 なんとなしに彼はメル友 ――死語!―― の四季を思い出した。明確に同棲相手と契っている訳ではないが、だけど不貞を働くわけにはいなかった。善人だから。

 

 村雨は並並と入っていたグラスを床に落とした。

 

「うわっ勿体ない。おれの酒じゃなくても高い酒が無下になるのは気が引けるんだよね」

 

 はははと笑って酒を一口やる彼に、村雨はどういった感情を向けていいかわからないでいた。 「その、女性は忍びになる事に関しては、なんと」 かろうじて喉を鳴らした。

 

「うーん、実はまだ打ち明けてない。そろそろおれの誕生日だし、その時でいいかなーって」

 

 不覚にも村雨の視界が滲んだ。耐えきれずにソファを立ち、床に脛と掌をつける。そして叫んだ。すみませんでした。と。

 

「え、なになに村雨くん。どしたの急に」

「軽い気持ちで先輩が大会に出ているものだと思って、忍びかぶれのおじさんが手を出しても、結局は才能の壁にぶち当たって砕けるくらいなら早い段階で折った方がって思って。そう思って小学生ぶりに大会にエントリーしたんです!」

 

「あ、へー。そうなの」

「でも、本当は心のどこかで自分に重ねてたのかもしれません。才能の壁を前にしても、愚直におじさんの年齢まで忍びの憧れを捨てない人間がいたらって、もしかしたら、それはもしもの自分の将来なんじゃないかって」

 

 村正の独白は慟哭へと変貌していった。気づけば涙が止まらなかった。嗚咽交じりの過去を、ただただ吐露していった。積りと積もった毒を吐き出すように。じぶんに忍びの才能がないために鳳凰財閥は養子を迎えた事、そして代代受け継がれていた宝刀はその養子の手に渡ったこと。

 やるせなくて、惨めで。その養子がじぶんを気遣うのが堪らなく屈辱的で。

 

「だって。だって子どもの頃から憧れたんだ、忍びの親父に。親父が見せてくれたあの飛燕……」 前腕で鼻水を拭って続けた。 「父さんは、誇らしげに、これはおまえが継ぐんだって。でもおれにはそんな才能はなくて、それを知った時の父さんの顔が忘れられなくてそれで」

 

「まあ落ち着けよ」 彼は床に転がるグラスを拾い上げて、ボトルからではなく自分のグラスのスコッチを半分注いでやった。 「おれはおまえに、適切な言葉をかけてやることはできない。しようとも思わない。仮にできたとしても、そんなものは如何にも表層的で安っぽく、薄氷に過ぎると思うから」

 

 説教は嫌いなんだ、ダサいから、と小さく笑って続けて言った。 「しかし、才能を持つ養子か。ひょっとしたらいつか、おれがおまえの義兄になるかもな」

 

 いや町内鎖鎌大会でおれと同順位とか斑鳩の足元にも及ばんと思うが。と村雨は反射的に思考した。 「無理ですよ、そんなの」

「ふうん、そんなにその養子はすごいの?」

「そりゃあ、ええ。斑鳩っていうんですけど、とにかく剣技が凄くて、頭もいいし」

「村雨くんとどっちが頭いいの」

「まあ、勉学に関しては、おれ、ですけど」 ぽりぽりと頬を掻いて、村雨。

「おれの母校の後輩だしな。なんか弱点とかないの、その斑鳩くんは」

 

「それが器量が良くてまじめで。日本茶が好きで点てるのが上手で、それと日本料理の腕は抜群で、あでもそれ以外の料理は……」 と村雨は無意識に彼に注がれたグラスを口にした。強いアルコールが唇の傷にしみる。痛かった。肉体的な痛みはしかし、精神的な苦痛にとって鎮痛剤のようにも感じられた。

 

「勝ち目ないわ。飛燕は諦めよう」

「そりゃないですよ」 自棄になってか、それとも何年振りかの号泣で心なしか気持ちを落ち着かせて笑って言った。この人は、ひょっとしたら自分と同じタイプなのかもしれない。どこか自信家だが、実力は伴っていない。違いは腐らないところだ。

 

 村雨は自身の鏡を見るようでしかし、他人の欠点を眺めているような気がした。自己の短所を客観し、初めて手に触れる。

 

「まそれはそれとして、なんで村雨くんは忍者になろうと思ったの」

「なんでって、カッコいいじゃないですか」

 

「うん、おれもそう思う。でも飛燕を手にできないイコール忍者になれないって訳じゃないじゃん。こんなこと言っちゃあ失礼かもだけど、斑鳩くん以下の腕前の忍者っているんじゃないの? そんなに彼女が完璧ならさ。ところできみ、飛燕が欲しいの? お父さんに認められたいの? 忍者になりたいの?」

 

 緩んだ空気から鋭角に投擲された言葉に、村雨はたじろいだ。自己のもっとも根源的なものは。心の底で渇望していたものは。逡巡し、ためらいがちに口を開く。

 認めてほしかった。

 それは飛燕からではなく、父親からだった。

 

 

 

「だから、飛燕はいらない。それは一族の意思の象徴に過ぎない。おれはおれのやり方で一族の表を、財閥を継ぐ」 と、村雨は語った。 「おまえがそれを継ぐなら継げばいいと、おれは思う。でももしも、おまえが、その……鳳凰の一族として継いだのなら、じぶんの命よりも飛燕を優先することはない、とも思う。おまえが死ねば、それで鳳凰の忍びはいなくなる。一族の裏を、忍びを継ぐ者はいなくなってしまうから」

 

 そっぽを向いて恥ずかしそうに言った村雨の言葉は斑鳩の心を打つに十分だった。認めたのだ、斑鳩を家族として。

 

「いままで、悪かった。酷い態度をとってしまって。許してくれ……斑鳩」

 斑鳩は自身の名を呼ばれて、目じりを拭った。 「いいのです、わたしにはそれで、十分満たされましたから」

 

 それから義兄妹は、麦茶を片手にしばらくの間、近況を伝え合った。

 

「で、時間があったらでいいんだけど。稽古をつけてくれないか」 どこか照れ臭そうに、村雨。

「それは、構いませんけれど」

 

「なんだよ、いいだろ? 大学生がもう一度夢見ても」

「ええ、ただ、わたくし、やるからにはスパルタでいきますから」 斑鳩は笑って言った。

 

「ところで斑鳩、彼氏とかいる?」

「ふぇあっ!」 と麦茶を手から落としかけて。顔を赤くして答えた。 「いき、いきなりなんですか!?」

 

「いや、例の先輩なんだけどさ」 村雨は余計な事かもしれないがと考えていた。脱サラして忍びになったなんて同棲相手に告白したら、普通どうなるかを。 「なあ斑鳩、彼氏とか気になる人がいないのなら、会ってみないか。ちょっと歳は離れているかもしれないけど、だらしない体型のおじさんじゃないし」

 

 誰にとは言わずに村雨。真剣な表情で。だから斑鳩は、とりあえず今は忍びになるための修行が忙しいからと逃げることにした。

 

 

 

 

 


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