【完結】 おれ会社辞めて忍者になるわ   作:hige2902

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R18は新規予約投稿できなかったのでそちらは同時投稿ではなく可能な限り早く投稿する事にしました。


第八話 本当の勘違い

 道元は恐怖を乗り切ろうとした。ばかばかしい、何を恐れる事がある。しかし無意識的に右手は右太ももへ、左手は腹へとあてがわれていた。

 それに気づき、内心で舌打ちした。振り切るように案内係を無視して応接室のドアノブへと自ら手を伸ばす。ここで、踵を返して帰るなど冗談ではない。築き上げた組織、地下人脈。蛇女は手放してもいいが、必要なものは守らなければならない。そのためにも彼は邪魔だ。守るために、前進する。障害物はここで取り除く。

 

 意を決して自らドアを開け、入室する。室内には彼がいた。

 

 

 

 彼の瞳が道元を捉える。

 

 

 

 ビジネスライクな笑みを浮かべて挨拶する彼を見て道元は絶叫した。腹の底から叫び声を挙げた。その程度で、畏怖と忍び寄る死を退けようと懸命に抗うように。つまり、無駄な抵抗だと理解していても本能的な反射行動だった。

 全身から脂汗と冷汗が噴き出てスーツまでをも台無しにした。眼球は充血し、心臓は飛び跳ね、膝はそんなザマをせせら笑うように震える。

 ――勘違いしていた――

 道元の意識はその事柄のみに占有された。同時に、何もかもが奪われたのだと無意識する奇妙な虚脱感を覚える。終わりだ、何もかも。

 

 瞬きの瞬間に、道元は案内係によって応接室の前に再び立ち尽くしている。案内係がドアノブに手を伸ばすのを、ちょっと待ってくれと止めた。

 先ほどの光景はなんだったのか。道元はじっとりとした額の脂汗をハンカチで拭う。怪訝な顔を向ける案内係など眼中にない。

 幻術? だが周囲に忍びの気配はなかった。白昼夢とでも言うべきか。嫌な予感がする。帰るべきか数瞬悩んだ。が、今度は案内係にドアを開けてもらう事にして彼と邂逅した。彼は数秒前に道元が覚えた幻しと同じように、ビジネスライクな笑みで迎えていた。

 

 応接室にはなんの変哲もない黒いソファがテーブルを挟んで並べられている。それとどこにでもあるような観葉植物。

 道元は精神制御術を実行して傀儡化を試みる。が、上手くいかない。やはり完成に近い精神制御術者らしい。諦めて殺すことにする。スーツの袖から、背より伸ばした触手を亜音速で突き出した。狙いは彼の首。

 

「すでに気付いた。一手、というか十手くらい先に王手を宣告するほど、戦略面でわたしはすでに勝っていたみたいだけど」

 

 触手は空を貫いていた。道元は声のした方へ視線を向ける。彼がソファに座ってくつろいでいた。

 自然と口から疑念が零れる。

 

「おまえは、いったい……」

「忍びだよ。今、完全に理解した。わたしはわたしの記憶を操作してたんだな。そうして一般人を装い、おまえに近づくように画策したんだ。それに、気付いた。おまえの腕ではわたしを傀儡化することはできないようだな」

 

 一泊置き、常人なら精神的嫌悪感から吐き気を催す触手を眺めて彼は続ける。触手の先端は人間の指によく似ている。

 

「わたしが大狼当主に、わたしを分家の身だと信じ込ませ、将来的に鳳凰本家の人間とお見合いの話を持ち掛けるように傀儡化した。両財閥の関係が修復されれば、貧困街の抱える問題の処理に目途が立つ。だがそうなると困るのはおまえだ、貧困ビジネスで得た資金を元手に蛇女のパトロンをやっているおまえは、困る」

「きさま」 忌忌しげに彼をねめつけて、道元。震える声で言った。 「きさまは、あの時の……あの時の……」

「複数の個人と組織で継続的な資金援助をする一派を飼っているらしいが、その戸籍は貧困街の人間のものだろうというのは予測がつく。出資とはいえ契約だし、社会的に反故にするため破産なり行方不明なり、死亡で片が付けやすいから。そして貧困街に両財閥が直接介入すれば、貧困ビジネスから生まれるシノギは減る。故にお見合いの話が出れば、貧困街を維持しつつ両財閥の弱味を握るためにわたしを狙うだろうとは考えていた。鳳凰が出すのは本家の人間だし、護衛も付いているだろうから、疎まれている分家という立場のわたしを標的にするだろう事は想像に容易い。そうだよ、()()()おまえに逃げられた。今度は逃さなかったが」

 

 道元は悟られぬように深呼吸し、静かに彼を見据えて言った。

 

「それはどうかな? 二度あることは三度あると言うしな。それに、わたしを傀儡化しても無駄だ。一派の学園に対する資金援助は、たしかに複数の個人と組織からなる。しかし、わたしが直接命令を下しているわけではない。部下に代行させ、それぞれに教えられた特定の現象が社会に生じたのをトリガーに、その現象の強度を参照して資金を絞るよう、更なる下位に属した精神制御術者に命令してある。一派に教えられた特定の現象、トリガーはだから、わたしは知らない。知っている部下は始末した」

「例えば、地震が起きるだとか、四日連続で雨が降るとか、美味い酒を見つけたとかをトリガーに、資金援助額は絞られるわけか。なるほど、そこそこ精神制御術に通じているだけあって傀儡化対策はしてある。カオス系を把握しないかぎり、トリガーを知ることはできない。最終的な資金援助額はおまえがパトロンとしての立場で操作するのか」

「蛇女はわたしのもの、ということだ」

「貧困街はどうする、稼ぎがなければパトロンはできまい」

 

「やはりそれも、わたしのものだ。両財閥の力はたしかに凄まじいが」

「蛇女を使うのか」

「両財閥がバックについている月閃と半蔵を消耗させる。数の上では不利だが、資金源を守るためだ、戦争になっても構わんさ。手段は何でもいい、学炎祭なり何なり」

「決闘祭だな。学校同士を戦わせ、負ければ廃校になるという恐ろしく古風なカグラ養成手段だ。まあ、むしろその方がおまえにとって都合がいいか、なにせ妖魔なのだから。わたしを殺そうとしたくらいだ、どうせ犯人は蛇女の人間に仕立て上げるつもりだったんだろうな」

 彼はどこからともなくウィスキーとグラスを取り出して勝手に一杯やっている。

 

 なぜ、これほどまでにこの男は余裕なのだろうか。道元は訝しんだが、その質問をすること自体が不利だと認めているようなものなので飲み込んだ。それに、後手でも幻術を起動して逃亡できる確信がある。

 というのは彼も知るところであるはずだ、なのになぜ。

 

「それは、既にわたしの絶・秘伝忍法が起動しているからだ」 道元の心を読んだかのように彼が抑揚のない口調で告げる。 「おまえが蛇女の生徒に使っていた手と似ている。()()()()()()()()()()()す鍵()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。パトロンやってるくらいだから知っているだろうが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()よ」

 なんとなく、村雨を思い出す。村雨はやけに感嘆していたようだが、大したことは言っていない気がする。

 

「嘘だな」 吐き捨てるように言った。脳裏に臓腑を凍てついた手で鷲掴みにされるような光景がフラッシュバックする。猪と、陽炎の女神摩利支天を背後にする忍びが。 「だとしたらなぜわたしは生きている」

「これはシミュレーションに過ぎない。わたしが傀儡化したおまえの思考の中での現象だよ、覚えてないのか? おまえ、わたしを見て泣き叫んでたよ。もう人間に見せる幻術をシミュレートする必要もないだろう」

 

 気付けば道元の姿は妖魔のそれになっていた。虎のような体躯の、頭は蛆虫のような、不自然に昆虫と人間の口がついている。顔の皮を振るわせ、妖魔が言った。

 

「わたしを殺しても一派との関係性は探れない。だが見逃すというのなら、わたしは蛇女からは手を引く、一派はカオス系に基づいて段階的に資金援助を断つだろうが、わたしのパトロンとしての立場からの資金援助は契約通りに代行者に続けさせよう」

 

 その言葉に、彼は小さく笑った。グラスを片手にしたその密やかな冷笑に、妖魔はたじろぐ。本能的な危機を感じた。

 

「ばかを言え。悪は殺すものではない。コントロールするものだ」

 彼の姿が一瞬で道元の姿に変わり、再び戻る。

「おまえの記憶は読んだ。おまえに成り代わって貧困街中心部へ干渉しつつ、非合法組織を内部から弱体化させる。おまえはわたしに殺されたが、社会的に死ぬのはずっと先さ。どんな死に様がいい? 個人的には豆腐の角に頭をぶつけるという死因がインパクトがあっていいと思う。後世に語り継がれるぞ。ザク豆腐とかいうアニメロボットの頭を模したやつがあるらしいんだけど、どう? たぶんあれ丸いから角はないけど、だから面白そうじゃない?」

「下等な人間風情が」

「その下等な人間が生殖機能を持つばかりに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から()()()()()()()()()()()()()使()()()()()。できていればわたしも、もう少し苦労しただろうな。ま、わたしの苦労と言っても、子供だましの忍者グッズの通販カタログを製本して、忍びになるように暗示を転写し、将来の自分に郵便物を送る適当な非営利組織に依頼するくらいのものだったが。あと練習用の鎖鎌とか、おかげで発泡酒の日日だった。でもまあ、両財閥を通して徐徐に忍びの世界に首を突っ込むわけだから、ある程度は感覚を取り戻しておかないとな」

 

「殺してやる」

「殺したかった。だろ、言葉は正確に使えよ。試してみるか?」

 

 彼が通販で買った練習用の棒手裏剣を取り出した。

 妖魔は背の触手群を亜音速で突き出すと同時に、彼に対して幻術を実行した。しかし当たってもバスケットボール程度の痛み、という触れ文句の棒手裏剣は幻影の妖魔を無視して実体へと極超音速で飛来する。与えられた過剰なほどの運動エネルギーが妖魔を半壊させた。それでようやく妖魔もこれがシミュレーションなのだと理解した、せざるを得なかった。青い体液を撒き散らした自身の肉体はまったく痛みを生じさせなかったので。

 

 その事実を受け入れると、妖魔はとても悲しくなった。せっかく生きてきたのに、人間が抱える闇の部分を助長させ、コントロールして欲を満たしてきたというのに。もう少しで三つの忍びの教育機関を著しく消耗させ、忍び学科生徒を自ら手を下すことなく大量に殺せるかもしれなかったのに。

 彼が憎い。煮えたぎるような臓腑があった、あるはずだった。しかしそれすらも彼から言わせればシミュレートした結果なのだ。怒りすらも、殺意すらも偽りなのだ。それが途方もなく虚しい事を実感させる、いや仮感させる。

 

「運が良かっただけだ」 妖魔は唸るように言った。捨て台詞すらも、彼からすれば仮なのだ。 「わたしがたまたま、おまえを一般人だと勘違いしただけだ」

「笑わせるな。おまえはわたしに合う前に、応接室のドアの前で本能的に危機を感じ取ったはずだ。記憶を読めばわかる。だがそれを信じなかった。万全を期すための撤退を決意しなかった。後退して再び状況を探ればよかったんだ。なのにおまえは愚直にわたしの視界に映りに来た、守るべきものがあったからだ。地位、人脈。だがわたしがおまえなら決してそうしなかった、少しでも不安や猜疑があればステータスごときは捨てて身を守る。明日には無一文でも構わない。くだらん俗欲くらい制御しろ。その点で精神制御術者としてわたしが一枚上手だ。おまえが未熟だったから死んだ。断じて運の問題ではない、わたしがおまえより優秀な精神制御術者だったから、おまえは負けた。運命だ、道元。おまえの劣った精神制御を呪うがいい、わたしが仕組んだ作為の運命で死ね」

 

 もしも道元が地位と金に固執しなければ、道元は生きていたというのはおそらく事実だった。仮に貧困ビジネスではなく正攻法で資金を集めていたとしても、両財閥が支援する彼に市場を喰われる。狙い撃ちするかのような荒しに尻尾を向けて逃げ出して細細と人間を喰っていれば、彼は道元を捉える事はできなかったはずだ。

 妖魔の精神で処理されるシミュレーションの彼が、グラスに残った酒を一口でやると、冷ややかに笑って口を開く。

 

「そろそろ、その醜悪なツラも見飽きたな」

「待て」

「待ってもしょうがない、仮想なんだ。おまえの死にゆく肉体の中で生じさせた精神制御術なんだよ。わたしがおまえを視認した瞬間に、おまえに転写された暗示によってわたしはわたしの正体に気付く。絶・秘伝忍法の発現性質を利用した理論上の最速起動だ。目視で、死は忍び寄っていた。じゃあな。おまえが長い時間をかけて築き上げてきた組織と資金は丸ごとわたしが管理し、いずれ霧散させてやるから。あとおまえの記憶にある仲間の妖魔も」

 

 

 

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 その後、貧困街中心部の非合法組織は緩やかな足の引っ張り合いを見せ、やがては泥沼状態に陥り、機能は完全に麻痺した。それによって外周部は安定の兆しを見せる。

 両財閥による干渉は外周部の公共インフラは格段に向上させた。あとは住人しだいだ。中心部の複雑に入り組んだ建築物については、抜け忍の反応を見てからだ。

 彼はというと、一先ず自分が大狼の者でないことを当主に告白した。妖魔を殺すためという忍びの本質を盾に謝罪した。怒られたら、逃げるつもりだったが。

 

「かくかくしかじかで、まあわたしは大狼とは縁もゆかりもない」

 ふうむ、と書斎で大狼当主。デスクの上で指を組み、思案した後に言った。 「ま、()()()()()()()()()()()()()()()。今になってみれば、鳳凰とのお見合いの件も。()()()()()()()()こそが正しかったわけかね?」

「さあ、どうでしょうね」

「まさか身近に手練れの忍びがいたとはな。それで、おまえの戯言にわたしはいつまで付き合えばいいのだ」

「もう終わりです」

 

「ならもう二度と、わたしを傀儡化させ、おまえを分家の身だと信じ込ませたなどと言う、たわごとを抜かすな」

「嘘ではない、あなたはわたしの精神制御術の影響下にあった」

「おまえは大義名分でわたしを傀儡化したと言ったな。仮にそうであるなら、わたしは許す。なにせ忍び本来の目的は妖魔討伐にあるからだ。しかし、それ以外の私的な目的のために精神制御を行うことは、忍びの倫理に反する。それでは道元と名乗った妖魔と同じだ、違うか?」

「そのとおりだと思います」

 

「なら、わたしや他の者に、実はおまえは分家の身ではなかった、と信じ込ませる精神制御術は行わないわけだ」

 

 彼は大狼当主の目論見を理解した。分家の身としてごり押す気だ。

 

「おまえは妖魔ではないよな」 いい笑顔で、大狼当主。にこにこ。 「だからわたしに、私的な理由で精神制御はしない。この事は鳳凰にも伝えてはおくが。いいな、おまえは分家、大狼の者。わかったら、退室」

 

 有無を言わさぬ物言いに、彼は従った。大狼当主は精神制御が解かれた今、彼が大狼の者でもなんでもないという事を認識したはずだ。その上で、建前では認めず、彼を身内に置こうとしているのだ。流石、といったところ。

 

 

 

 後始末をひと段落させた彼は鈴音と、四季と、雅緋と忌夢、斑鳩と村雨を集めて夕食を囲むことにした。場所は、高級ホテルの最上階のレストラン。貸し切った。

 ついに、来るべき時が来てしまったのだ。彼が、実は忍びであり、善忍悪忍のどちらかに属せばパワーバランスが崩れるという理由で身を隠し、先天性の精神制御術者で、しかも大狼の者ではない事を告白する時が。

 

 彼を上座に、全員がテーブルにつく。どうせ他人の目などないのだから普段着でいいと言っておいた。が、誰もがドレスコードに抵触しないような服装だった。ラフな姿は彼だけで、完全に浮いている。

 いや村雨くんは、どうだろうな。彼は、どのような服装でもシャツのボタンを留めない村雨のファッションに誰かが突っ込んでくれることを期待したが無駄だった。もう諦めて自分の感性が時代に遅れているのだと決めつける。試しにシャツのボタンを外してみると、鈴音に怒られた。もう思考を放り投げる。あれは村雨と葛城だけに許された服装なのだと。

 食事の内容はフランス料理のフルコースで、前菜が運ばれてくるまでに簡単に自己紹介は済ませる。

 

 彼が沈痛な面持ちで口を開く。

「実は、みんなには隠していたことがある。ひょっとしたら裏切られたという気持ちになるかもしれないが、聞いてくれ。謝罪する、本当に申し訳ないと思っている」

 

 給仕には一旦、外してもらった。ガラリとしたフロアには彼を含めて七人だけだ。しかし外の夜景の煌びやかさとは対照的な物悲しさはない。人工的な明かりの粒が幾千と夜に浮かんだところで、自然の産んだ美しいおんなの造形には敵わない。

 

「鈴音。隠していてすまない、実はわたしは……おれは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 え、ええ。ああそう。と戸惑った表情の鈴音。あれ? と彼は心中で小首を傾げるが、まず嫌な事は一気に終わらせてしまおうと四季を見やる。

 

「四季くん。隠していてすまない、実はわたしは、手前味噌だが自分の持つ力が特定の組織に属することで、他の組織間とのバランスが崩れるのを恐れて()()()()()()()()()()()()んだ。ていうか忍びとか言われても訳わかんないだろうけど」

 

 え、えーと、うん。と戸惑った表情の四季。なんか、あれだなあと、彼。とりあえず雅緋を見やる。

 

「雅緋くん。隠していてすまない、実はわたしは、しかも()()()()()()()()()()でもあったんだ」

 

 う、うむ。と戸惑った表情の雅緋。しかも()()()()()()()()()()()()んだ、と忌夢に言ってみるも似たようなリアクション。政略結婚について謝罪した方が反応豊かだった。すがるように斑鳩に言う。

 

「斑鳩くん、隠していてすまない、実はわたしは、ええと、前述の通りの()()()()()を持っていて。それから……実は大狼一族とは縁もゆかりもなくて……あー、ブロッコリーが苦手で、えー、好きな寿司のネタはタコで」

 

「それはお義父さまから聞きましたけど……ブロッコリー以下の事は初耳ですわ」

 

 そうじゃないだろ! と彼は額の汗を拭い、グラスの水を一息で干して思った。そうじゃなくて、もっと適切なリアクションがあるだろ、と。しかし、こちらからそれを強要するのはいかにも恥ずかしい。けど、このもやもやとした気持ちは何だろう。むなしい。

 

「ちょっと待って。あのさ、みんなはさ、さっきのわたしの告白を聞いて驚かないってことは、ひょっとして既知の事柄なの?」

 

 おんな達は互いに視線を交わし、ええ、まあ、と返す。それで、隠していた事とは? と、彼の告白を待った。

 彼は、なんだか何もかもが嫌になった。おかしい、わたしほどの忍びが存在を隠していながら、なぜ彼女たちは知っているのか。茫然とする彼だったが、ようやく事態を飲み込んだ村雨が顔を青くして、歯をカチカチと震わせながら驚愕の表情で叫んだ。

 

「嘘、でしょ……まさか先輩が、昔からの忍びで、善忍悪忍のどちらかに属せばパワーバランスが崩れるという理由で存在を隠匿し、しかも先天性の精神制御術者で、さらに大狼の者じゃなかったんですかあーぁあッ!」

「そういうわざとらしい慰めが一番傷つくんだよ!」

 

 いかなる身のこなしか、彼は瞬時に席を立って村雨を殴り飛ばして叫んだ。

 

「騙していたという罪悪感があって、それでも勇気を出して言ったのに、みんな知ってるとかどういうことだよ! もういい! この記憶も消す! わたしの欺瞞が見破られるなんて屈辱だ。何が特定の組織に属せば、だ。恥ずかしすぎる」

 

 とめろ、と口走った鈴音の声を皮切りに、忌夢と昏倒する村雨を除く全員が彼に掴みかかった。

 

「離せーいやだー生き恥すぎる」

 

 羽交い絞めにしつつ、彼を対象にとって対精神制御術を行いながら鈴音。 「だいたい、記憶を消すって言ったって先天性の精神制御術者なんだから、術にはかからないんじゃないの」

「だから記憶操作に関する術は受け付けるように、先天性の対精神制御能力を超える術を使って忍耐力を削ってから、記憶操作した」

「ちょっと待て。なら、鈴音先生の正体に関しては知らない?」 ナプキンで彼に目隠しをして雅緋。 「本当に父上の精神制御術の影響下にあった、ということになる」

 

 その言葉に、鈴音は固まる。

 

「まあ、記憶操作だけは受け付けるようにしておかないと、道元を目視した時に自分の正体の記憶を呼び戻せない。ていうか鈴音って忍びだったの!?」 と彼。

「お義兄さまを除いて、全員そうですわ」

「てことは四季くんや雅緋くんもそうなの? 斑鳩くんは察せたけど……嘘だろぜんぜん気が付かなかった、信じられない。わたしっていったい……」 がっくりと力なくうなだれる。 「ひどい、みんな、黙ってたなんて。ショックだ……ぶつぶつぶつ」

 

 その後、少し休憩を取ってから折角なので夕食を取ることにした。

 

「目隠しのナプキン、取らないのですか?」

 と斑鳩。視界を奪われたまま、何事もなく食事を取る彼に言った。

「うん、ちょっと」

「たぶん、泣いた跡を見られたくないのよ」

 と鈴音。

「泣いて、ない」

 スンと鼻をすすって彼。

 はあ、と曖昧に相槌を打って、代弁した鈴音をちらと見やる。心なしか得意げな表情でワイングラスを傾けていた。少し、もやっとする。

 なんだかんだで場は和んだ。会話の内容は雅緋が尋ねた事をきっかけに、彼が討伐した妖魔の話題で持ち切りだった。

 

「道元ですって!?」 と、話の途中で斑鳩が軽く声を荒げた。何を隠そう、道元が引き起こした蛇女と半蔵のいざこざの当事者の一人だったからである。 「生きていたなんて」

「あれは幻術に長けた妖魔だったから、戦闘態勢にあるうちは、並の攻撃速度で間に合わない。だから、一般人相手と油断させた状態で絶・秘伝忍法を理論上の最高速度で起動させる必要があった。てか道元を知ってたの?」

「ええ、まあ」

「ということは、抜け忍となった蛇女の生徒も知っているのか」 と雅緋。

 

「行方は存じませんけれど、彼女たちは道元に利用されていただけで」

「たち、ということは複数人いるんだ」

 と四季。雅緋たち悪忍を冷ややかな視線で見やる。

「えっ、いやそれは……」

 つい情報を零してしまったことに口をまごつかせる。

 

「なんだ? なにか言いたそうだが」

 雅緋が四季の挑戦的な眼を見て言った。

 

「べつにぃ」 ステーキを器用に切り分ける。 「まさか悪忍と同席するなんて、と思ってさ」

「古典的な善忍だな。なら帰ればいい。誰も止めはしない、彼がわたしたちを呼んだのは、隠してきた――と、彼が勘違いしていた事柄を告げるためだ。目的は達したのだから問題はない。わたしは、居る」

「おじさんはさ、どう思ってるの、悪忍のこと」

 皿に視線を落として、物憂げに。

「別に、なにも。理念上、善忍と対立している組織としか。だからきみが個人的な理由で悪忍を憎んでいても、言う事はない」

 

「悪徳政治家や闇企業の非合法な依頼を受けている事に嫌悪しても?」

「社会悪に対しては徹底抗戦するより、集めてコントロールした方が効率的だ。悪忍はそういった依頼を通して、社会悪をコントロールしている。わたしは道元に成り代わり、貧困街中心部を根城とする非合法、反社会的組織を飼い慣らし、縄張り争いをタネに新芽を摘み取らせながら疲弊させている。それを組織化すれば悪忍と呼ばれる集団になる。きみがわたしを憎んでも、わたしはきみを憎まないし、軽蔑もしない」

「わたしの事じゃないけど、両親を悪忍に殺された善忍もいる」

「その憎しみを理由に悪忍を憎悪することは法的に許されているが、憎しみだけを理由に殺す事は罪だ。善忍とか一般人とか関係なく、殺人者になっても構わないという復讐心を消せとは言わない。誰にだって理由はある。大切なのは自分の意思だと思う」

 

「わかってる。忍びになっておいて、殺される事に文句を言うのはお門違いだって。一般人には理解されない観念が忍びにあるって事くらい」 少し涙ぐんだ苦笑で続けた。 「まいるなあ、おじさんと話してると、どうしても自分がこどもだってこと、意識しちゃう」

「十五だろ、それでいいんじゃないの。いま決断する必要はないと思うし、悩めば?」

「……うん」

 

 照れ笑いで恥じらう四季と彼のほわわんとした雰囲気を、斑鳩が咳払いでかき消した。 「ところで、四季さんとはどういう関係ですか」

「友達……」 答えて、四季がスマホを胸ポケットからちらつかせていることに気付く。やっぱり写メなんて撮らせるんじゃなかった。 「……以上、恋人未満」

「うん? 妻未満じゃなくて?」 意味深に肉汁したたる和牛を一口。女性が肉を食す様は、艶めかしさすらあった。

 

「そこの所をはっきりさせておく必要があるな」 雅緋がフォークを置き、口元をナプキンで拭って言った。 「悪いが村雨とやら、席を外してくれないか。デリケートな話があるんだ」

 

 村雨は野菜を刺したフォークを口に持っていく姿勢のまま固まり、口を開けたまま彼を見やった。雅緋の気配があまりにも剣呑なのだ。連動して四季や斑鳩、忌夢も空気に緊張を走らせる。

 彼は、行くな。と目隠しを取って目で訴えた。あとさっき殴ってごめん。

 

『いやでも雅緋さん、めっちゃ怖いんですけど』 同じようにアイコンタクトで返す。 『殴ったことは水に流すんで、退室していいですか』

『さんってなんだよ、たぶんきみと同い年だぞ』

『殺気がやばいんですけど、斑鳩もなんかピリピリしてるし。鈴音って人はさっきからフリーズしちゃってるし、異様ですよ』

『へえ、きみはそんな危険な雰囲気だと理解していながら、わたしを置いていくんだ』

 

『じゃあ一緒に席を外しましょうよ』

『相手ができないことを盾に、自己を正当化するなよ』

『それ、若干ブーメランですよ』

『こわい、助けて』

 

『うわ本音なさけねえ、そんな先輩知りたくなかった』

『なんとでも、見ろ。一生のお願い』

 

 聞こえなかったのか? という眉をひそめた雅緋の言葉で、村雨は自分の皿を持って室を出た。文字通り彼を見捨てた。

 

 ドアの閉まる音が、断頭台の処断音に似ていた。

 言いようのない沈黙の後、咳払いで雅緋が口を開く。

 

「まず、彼がわたしの婚約者であることに異存はないと思うが」

「ありまくりです!」 斑鳩が声を荒げる。 「委細はともかく、彼が処理しなければならない問題を解決できたのかどうかを知る権利が、わたくしにはあります」

 

 彼は雅緋に視線を送って、話してもよいかと問いかける。頷かれたので、蛇女の抱えていた問題のすべてを語った。

 

「まあ、道元を倒したし、わたしが成り代わってパトロンは続けている。現状では増改築計画に支障はない。区切りのいいところで様子見の為に切り上げる必要はあるが大した問題ではない。なのに、どうして雅緋くんは、その」 伺うように忌夢を見やる、猛犬が威嚇するように睨んでいた。 「婚約するだなんて」

「約束だからな、道元、一派、を排除できなければ婚約するという」 優雅にワインを一口やる。

「一派は、無理だ。複数の出資者に精神制御をかけて出資金を絞る術者がわからない。術者を選んだ道元の部下は始末されたからだ」

 

「つまり、そういう事だ。契約は履行すべきだと思うが?」

「でも雅緋」

 忌夢が抗議の声をあげるがしかし、雅緋がそっと頬を撫でてあやす様に言った。

「心配するな、忌夢。両手に花がわたしの好みだ」

「雅緋くん、なに言ってんの?」

 

「あなたと忌夢を嫁にする」

「おかしいおかしい」

 

 ちらと忌夢を見やる。案の定、視線を落として肩をわな付かせている。雅緋、と声を震わせる。ほら見た事かという彼の心境を裏切るように忌夢が言った

 

「……男らしい、かっこいい、素敵」

「ねえ忌夢くん、突っ込みどころがあるよね。あとわたしは男性なので、嫁という表現はおかしいよね」

「いい。考えてみれば、複数の嫁をはべらせるなんて甲斐性が無いと無理だし。ボクのほかに愛人がいても、それはそれでいい。これからよろしく」

 

 恍惚の表情で雅緋を見つめる忌夢に、彼は強く目頭を揉んだ。頭痛もする。眩暈も。

 

「ま、わたしとしてはそういう訳だ。あとは勝手にやってくれ」

「勝手って、まだ話は終わっていませんわ!」

「わたしは完結している。おまえたちのような半人前の忍びだけに、彼の種子が預けられるようなことさえなければいいんだ。斑鳩、おまえには言ったはずだ、多重婚になっても構わないとな。つまり、わたし以外の女性だけを選ぶ、という選択を彼がしない限り、わたしは問題ない」

 顔を真っ赤にして斑鳩。 「しゅ、種子……不潔ですわ!」

 

「その小奇麗な貞操観念ごときで、彼の忍びとしての優秀な遺伝子を、おまえたちだけに預けるということが我慢ならない」 高圧的に脚と腕を組む。 「よもや忍び本来の宿命を忘れたとは言うまい。妖魔に対抗する為にも、現状ではわたしが彼の子を孕むというのがベターだ」

「子を、なんだと思っているのですか。生命を軽んじてます」

「いいや、違う。この場の誰よりも生命の尊さを理解している。妖魔は強力だ。残酷で、人間のみならず地球に住まうすべての種の天敵でもあることは事実だ。それを理解したうえで、妖魔という種の迫る脅威に、人間という種を滅ぼされたくないという本能から、強いオスと交配したいと願うのは生命の持つ生存本能そのものだ。くだらない個人的な建前と感情で生命の本質を軽んじているのは、おまえの方だ」

 

 ビシリ、と擬音が付きそうな雰囲気で雅緋に指差されて宣告されると、斑鳩は次の言葉が見つからなかった。現在の社会構造に隠された生存本能からくる生殖行為はまったくもって正論で、原始的かつシンプル故に反論の糸口がない。

 

 勝った。と雅緋は勝利の美酒を手酌しようとすると、忌夢が注いでくれた。味は、たぶん美味しいと思う。ほぼ一人勝ちだ。

 

「雅緋くん、結構な勢いで飲んでるけど大丈夫なの?」

「問題ない」 わははと竹を割ったように笑った。 「では行くか」 忌夢の手を取って席を立ち、千鳥足で彼の手も取る。

「行くって、どこに。あと絶対酔ってるよね」

「さあ? 酒を飲んだのは初めてだから、よくわからん。とにかく部屋だ、取ってあるんだろう? よもやここで性行する訳にもいくまい。善は急げだ」 また、大笑。

「み、雅緋。ぼく、まだ心の準備が」 顔を赤くして、自分の身体を抱きしめて忌夢が呟く。

「なあに、赤信号、みんなで渡ればなんとやらだ」

 

 このままでは大事故になる。盛大な玉突き事故だ。というところで鈴音がようやく再起動した。立ち上がり、雅緋の肩を掴んで氷の声色で言った。

 

「あなたの論法が正しければ、彼の相手はわたしで事足りる。妖魔討伐部隊に編入されていたという経験上、少なくとも客観的な忍びの評価ではあなたよりも上なのだから」 言い捨てて、打って変わって柔和な笑みで彼に視線をやって続ける。 「久しぶりね、元気にしてた? ずいぶんと、手を付けているようだけど」 テーブルにつく、四季と斑鳩を見やる。

「誤解だ、とは言えないな。どんな理由であれ、婚約の話を受けたのは事実だから。というか、きみまで何言ってんの? あとなんか笑顔がこわい」

「ま、あなたに縁談を受けるように勧めたわたしが言えた事ではないわ。それじゃあ部屋、行きましょう」

 

 鈴音にとっての彼に対する、鈴音が善忍であったことを告白するのを待っていたのではないか、という負い目がなくなった今、彼女を縛るものは何もなかった。むしろ、反動からより深い情感となっている。世の男が見れば、たちどころに固唾をのむほどの妖艶なほほ笑みを浮かべている。

 

「きみまで、いったいどうした。変だぞ」

「よりを戻しましょう、と言ったの」

 

 このままではまずい。危機感を強く覚えたのは雅緋だった。自論を逆手に取られて彼を独占される。 「だが母体は多いに越したことはない」

「あなた、三年生でしょ。入院中の単位を取らなければならないし、いま性行して妊娠すれば、卒業試験に挑むことができない。それに、本当に彼の種子が目当てだと言うのなら、精子だけ渡す、という事でも不満はないわけよね? セックスにこだわる理由はない。それに彼は、もともとわたしの」

 

 鈴音は雅緋の頭を撫でながら、物覚えの悪い生徒に諭すように言った。言いつつ、性行などの単語を口にしたせいか、身体がうずいた。シたい。はたまた嫉妬か。四季や斑鳩と彼は寝たのだろうか? そう考えると、食事は後回しでもよかった。彼との再会を熱い夜で祝福したい。鼓動が早まる。部屋まで持つだろうか、お手洗いの個室でもいいから一旦、発散したい。

 

「ていうかさあ」 雅緋の沈黙を援護するように、頬杖をついて四季が言った。 「おじさんは同棲相手の人とは完全に吹っ切れたって言ってたから、よりを戻すなんてことはできないんじゃないの?」

 

 たしかに、と雅緋が跡を継ぐ。 「わたしも、聞いた。未練はないそうですよ、鈴音先生。復縁する縁そのものをバッサリやったんじゃないですか。実に超高度精神制御術者らしいドライさで」

 

 ほんとに? と鈴音は視線で問いかける。彼が頷いた。がっくしとメガネがずれる。たしかに、彼はそういう男だ。それは自分が一番よく理解している。だから、雅緋との縁談を勧めたのだ。

 

「じゃあもうわたしは、赤の他人?」

「他人というほど冷たい関係じゃないけど、あらためて第三者に指摘されると目的のために無意識下できみに対する好意を制御した気もする。わたしに便宜上の表現するところの主体は存在しない。客体的にそうする必要があると認められれば、自身の精神をそのように制御すると思う」

「わたしがあなたと寝たいと言ったら?」

 

 彼が一泊置いて口を開きかけたのを見て、やっぱり答えなくていいと制し、溜息を吐いて着席する。

 再び、沈黙。雅緋にじゃれつく忌夢だけ幸せそう。

 

「それでおじさんはどうするの? 正体が戻った今、ひょっとしたらわたしたちも知らない本命のおんなの人とか思い出してない?」

「いや、いないな。正直いって、個人的には蛇女の問題には片が付いたと思っているから、雅緋くんの言い分は詭弁に感じる。だからやっぱり斑鳩くんとの縁談を進める。正当性があるし。それが一段落したらまた姿を消すと思う」

 

 斑鳩は彼の言動の途中までは、ほっとした表所を見せていたが、最後でぎょっとする。

 

「なぜですか」

「道元のような人間社会に潜り込んだ妖魔を処理するのに、両財閥がバックについた今の会社の肩書を持ったままだと柔軟に対応できないから。管理者の座を空ける場合は後釜を用意しなくちゃいけないし、必要に応じて、その時時に使えそうな権力者を傀儡化させて身分を作り上げた方が都合がいい。だから婚約生活は長くは続かない。たぶんわたしは表向きは病死なり事故なりで消えて、きみは未亡人になる。この場合、両当主にも文句は言わせない」

 

 斑鳩はその乾いた思考に抗議の声をあげる事はできなかった。斑鳩は忍びで、彼もまたそうだからである。忍びの至上の使命が妖魔討伐にある以上、自己の利を犠牲にすることに疑念や倫理はいらないからである。

 第一、社交界の時に当主達が彼に、斑鳩は一生姿を見せなくなってしまう事もあるだろう、と釘を刺していた事に関してなんら疑問を抱かなかった。彼の言動の否定は、忍びの否定だ。言葉と情感を飲み込むしかない。

 

「という事をすると斑鳩くんの経歴にも傷が付くだろうから、もう一つの方法を取るという手もある」

「経歴に傷を付けないということは、斑鳩ちんと結婚せずに貧困街を処理する方法があるの?」 と四季。

 

「なくはない。中心部で用心棒として雇われていた多くの抜け忍を見てて思ったんだけど、善忍悪忍の忍び養成機関があるんだから抜け忍が運営する忍び養成機関があってもいいかなあって。追われてきた身というのもあって隠密や潜伏を命懸けで体得しただけの実力はあるし、そういった技術を培って諜報を専門として収益事業をおこす案がある。妖魔などの情報を調査して対妖魔の忍び本部組織に売ってもいい。本拠地を中心部にすれば、インフラは一般人の生活水準に合わせる必要もないので単純に再生するより維持費も節約できる」

 

「だが、抜け忍は善忍悪忍の両方から追われる立場にあるぞ」 と、雅緋。

「だから、中心部の入り組んだ地形は便利だと思う」

「違う、あなた自身が追われかねないという事だ。いくらあなたでも……」

「表の企業じゃないんだ。トップはわからない構造にするさ。前述の案なら、鳳凰と大狼はお見合いをした、という事実だけでも貧困街の問題を処理するのに対して時間はかからない」

 

「つまり、貧困街の為に必ずしも斑鳩ちんと婚約する必要はないわけだ」

「そういう選択肢もある」

「あなた自身は」 と斑鳩。 「どう思っているのですか」

 

「こんなにモテるとは思わなかった、うれしい。けど逃げたい。だけどたぶん、今までの会話からして、誰よりも正当性のある決定権を持っているのはきみじゃないかな」

「ずいぶんと情けない言葉を口にされるのですね」 呆れたように、斑鳩。

「本心だ」

「誰かに決められない?」 と四季。

「決めても、姿を消すことに変わりはない。悲しませるだけだ」

 雅緋が間に入る。

「だがそれは今の会社の管理者の座に収まっている場合だろう? トップが誰かわからない抜け忍の忍び養成機関を運営すれば、事実上は姿を消している事になるんじゃないのか。あなたは、誰が好きなんだ? 誰に対してなら、好かれたいと思う?」

「わたしが嘘を言わないという事を念頭に置いて欲しいが、全員を好きになるかもしれないし、全員に好かれたいと思う。ハーレムは男の夢だよ。だけど理性がある。だからそんな願望は切って捨てる。逆にきみはわたしが好きなのか? そこがまったくの疑問なんだ、わたしが同年代に見えるのか?」

 

 ちらと斑鳩を見やってから、疲れたように答える。

「……言われると、苦しいな。白状すると、わたしはあなたを愛してはいない。これから好きになるかも、という期待しかない。それが、わたしの本心だ。そんな子供じみた言い分で誰かの恋慕を阻害している」

 

 それを聞いて斑鳩は固く口を結んだ。

 

「わたしはおじさんのこと好きだよ」 とあっけらかんに四季。 「ただ、それだけ。まあ雅緋ちんの気持ちもわかる。好きかどうかわからないって時に、誰かとの縁談の話が出ると焦るって気持ちは」

 切なく微笑を浮かべて雅緋。 「そう言ってもらえると助かるよ。それで、おまえはどうやってその気持ちを整理したんだ」

 

 よせ、と彼が心中で念じた。四季と視線だけが合う、その血のように赤い瞳が笑っていた。口元のほくろが可愛い。

 

「えっちしたら好きだってわかったよ」

 

 凍結した空気を無視して続ける。

 

「だから責任を取れとは言はない。取れないっておじさんが言ったのを承知でわたしが望んだことだし、婚約に関する計画を完遂するとも聞いた上でシた。単純におじさんの忍びの実力に憧れてたのか、生存本能なのか、じぶんの性欲なのか。なにに惹かれているかわからないけど、後戯したいと思ったから、たぶん好きなんじゃないかなって思っただけだけど」

 

 後戯? と、雅緋は鈴音に疑問の視線を向ける。ピロートークのようなもの、と返されるが、ピロートーク? と疑念は解消されない。

 

「まーいいんじゃないの。好き、という感情の定義なんて人それぞれなわけだから、客観的な基準があったとして、それを満たさなければ一緒に居ちゃだめってことにはならない」 挑発的な上目づかいで続ける。 「大事なのは自分でしょ、おじさん。逃げてみる? わたしを連れてもいいよ」

「それやると誘拐」

「駆け落ちと言って、甘美な響き。とにかくわたしは雅緋ちんみたく生存本能的な確信はないけど、複数人と関係は持っていいと思うな。わたし自身、時間がないことを理由に抜け駆けしたっていう負い目もあるし」

「正気ですか」 斑鳩は理解できないという表情で言った。

 

「忍びには一般人に理解できない観念から行動しているっていうのは事実だし、ありきたりな貞操観念に囚われなくてもいいと思う。一人占めする気にはならない。忍びとしては雅緋ちんの意見を肯定しなければならないから。ただ断っておくと、もちろん恋愛感情があっての事だから、わたしはそれを理由におじさん以外の人と関係は持たないよ。安心した?」

「わたしの、モラルはどうなる。複数の女性と公然に関係を持つなんて、不義理だ」

「ハーレムだよ? ていうかわたしとヤったじゃん」

「責任は取れないと伝えた。わたしはそういう男だ、幻滅してくれてもいい。わたしが個人的な欲望によって選択をすることはない、あの時はきみの意思を酌んだ。手前味噌だが精神制御術者なんだ」

 

「なら、理による選択をするというわけだ」 雅緋が口を挟む。 「わたしの言い分にも正当性がある。生存本能から関係を持ちたいと思う事は。人間という種のオスとしての義務は、あなたが掲げる倫理的モラルより劣っているのか?」

「それは……きみたちのご両親になんて言えばいいかわかんないし」

「そのまま伝えればいいと思うが?」

「抱きたかったので関係を持ちました。しかも複数人と? わたしに娘がいたとして、そんな事を言ってくる男がいたらたぶん、精神を弄ってホモにする」

 

「ふうん、抱きたいんだ?」 と四季。

「わたしだって男だ、みんな抱きたい。だが理性がある。嘘は、言わない。都合のよい事ばかり言っていては、精神制御術者であるわたしの主張の受信相手はすべて、精神制御されているのではないかという猜疑心に悩まされる。それを軽減するための枷だ」

「頑固な男だ」 雅緋は諦め半分に笑って言った。 「少し父上に似ている。わたしはともかく、この場にいる女性に誘われれば誰でも飛びつくような気がするがな」

 

 沈黙が降りた。

 彼の理の牙城を突き崩すことなど誰もできないという空気が満ちる。だがそこに惹かれるものがあるのは事実だ。徹底した自己管理。

 斑鳩は、どうしてよいのかわからない。最終的な決定権があるのは間違いなさそうだったが、それだけに口は重くなる。彼を自分のものにするのは簡単だがしかし、それでよいのかという疑問が生じる。少なくとも、四季や鈴音は、じぶんと雅緋以上には彼に好意を持っているに違いない。それを、プライドと排他的な独占欲で一蹴してしまってよいのだろうか。

 

 が、そこに楔を打ち込んだのは鈴音だった。そっと物を置くような静かな口調で朗朗と。

 

「忍びの本質は妖魔討伐にある。その点に関して異論はないはず。また、忍びの才能から言ってあなたの遺伝子を残すことも、人間の種としては正しい行動なのも。だというのに、後者は翻って妖魔に対する種としての対抗手段であるにも関わらず、実行しないのは矛盾している。理性によって拒否しているみたいだけど、仮に斑鳩と婚約したとしても、後に行方をくらます理由が妖魔対策であるのに、性行という潜在的な妖魔対策を拒絶するのは、なぜ? 妖魔討伐よりも自己のモラルという理性を優先していることは明らかじゃないの? 忍びでありながら、その本質を蔑ろにしている」

 

 あ。と、誰もが彼の理論の隙に気付く。どうなのだ、と彼に視線をやる。彼は答えられない。客観的に鈴音の言い分は正論だった。忍びであるなら、複数の女性と関係を持つことが妖魔対策であるのなら利己を捨てて行動すべきだ。

 

 正直なところ、雅緋が重婚でも構わないと言ったのは生存本能という理屈を通すための建前だった。おいおい好きかどうかはわかるだろうという。が、斑鳩の一存で決まるくらいならと鈴音の理論を支援した。第一、雅緋からすれば忌夢と彼の両方と関係を結ぶのだから、彼にもその権利があってもよさそうなものだ。忌夢は、雅緋がいればそれでいいらしい。

 四季は大らかに事態を眺めている。どうあっても構わないといった感じ。

 

 鈴音はというと、元同棲相手という見積もっていたアドバンテージが消えた事から、正面から対抗しても勝ち目は薄そうと算段した。というより、独占を諦める。もとより一度は生徒に託した彼だ。それがほんの少しでも帰ってくると考えれば悪くない。

 

 斑鳩は深く溜息を吐いた。誰の言い分にも根拠があり、考慮する価値がある。すべてを飲む案は、彼が中心部で抜け忍を集めて忍びの養成機関を設立する事だ。誰もが譲歩する中、ひとり我を通す訳にもいかず、諦観の念で口を開いた。

 

 

 

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「あ、終わったんですか?」 と呼びに行った彼と共に、空になった皿を片手に村雨。 「で、何がどうなったんですか」

「わたしは斑鳩くんと結婚した後に、一段落したら表向きは自然死で退く。たぶん村雨くんが後を継ぐ。その後は水面下で推し進める事になっている抜け忍の組織を運営する。という予定」

「なんか斑鳩、機嫌悪くないですか?」

「うん。ま、斑鳩くんがわたしに愛想をつかしたらそもそも村雨くんの義理の兄にならないし、先の事はわからんね」

「いや、機嫌悪いの何とかしてくださいよ。たぶん八つ当たりされる」

「さっきわたしを見捨てたよね」

「二人死ぬより、一人が死んだ方が合理的だと思いませんか?」

「その言葉、そっくりそのまま返すよ」

 

 しばらくして宴もたけなわも過ぎる。そろそろお開きというところ。

 学生は寮に帰るかと思ったら、ホテルに泊まっていくらしい。チェックインしていないが、融通の利くオーナーだったので空いている部屋を個別にとった。

 酔いつぶれた雅緋を肩を貸してやりながら、忌夢があてがわれた部屋に消える。斑鳩は規則正しい生活習慣のせいか眠そうに目をこすりながら、村雨はへべれけになってボトルを一本持って室を出た。

 残ったのは四季と鈴音だったが、四季が肩をすくめると鈴音に耳元で囁いて、じゃあね、と部屋へ向かう。

 

「よかったの?」 と鈴音。最後にレストランを後にして彼と並んで廊下を歩いた。

「客観的に整合性があり、理路整然と合目的的な事柄に私情は挟まず決定する。精神制御によってそういう思考になっている。確かめようがないから、たぶんだけど」

「若い子を抱けてうれしい?」

「言いたくないなあ」

 

「それ、答えているようなものよ。わたしは、あなたに抱かれればうれしい」 とろけるような口調で言った。

「ひっかかったな、わたしから見ればみんな若い……言ってて悲しくなった。ま、自信を無くしかけてるおれにはありがたい言葉だ。ねえ、鈴音って本当に忍びなの?」

「調べてみればいいじゃない、からだの隅隅まで」

 

 彼は部屋のドアノブを捻って。溜息を吐いた。

 

「勘違いしていたよ、優れた忍びだという自負があったんだけどな、気付かないなんて抜けてた」

「あなた、少し天然なところがあるもの」

「嘘だ、ありえない。認めないぞ、主体客体化の体現者とまで言われたことがあるんだ……ねえなんで部屋に四季くんがいるの? さっききみの耳元で何を囁いた? あとなんで部屋の鍵閉めさせようとしないの? こんな深夜に来客なんてあるわけないよね?」

 




おれ会社辞めて忍者やるわ 完

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