オーク「早く人間になりたい」 作:ボボッキュ
「お手」
「にゃー」
「おすわり」
「にゃ」
「ちんちん」
「みゃっ」
「良い子だ」
ヴォートカは賢い子だ。体格だけでなく脳も大きい種族なのか、そこら辺の小学生ぐらいの知能はありそうだ。鏡像認知にも問題は無く、水面に落ちた鳥を木の棒で引き寄せるなんて事も見せてくれた。上下関係や私に従う事のメリットも理解してくれたようで、大人しくペットとしての役割を全うしてくれている。
「さて、そろそろ行こうか」
ヴォートカの躾は終えた。彼に装備させ荷物を持たせる為のポーチも完成した。出発の準備は万端だ。憂いは何も無い。
◇
平野へ出てから、約一ヶ月。この辺りでは巨大なアオサギがしばしば見られ、鹿等に加えて鳥を食べる機会も増えた。
同族は滅多に見ていない。先週と二日前に、小さな群れと遭遇しただけだ。喜ばしい事である。あのような種族、一分一秒でも繁栄してはならない。
「おや」
アレは……村か? 丸太の壁に覆われ、バリスタを備えた櫓が聳え立っている。本当なら是非とも交流しに行きたい所だが、今の私が近付いても歓迎をされる未来は微塵も見えない。
「仕方ない、進路を変えよう。西か、東か」
まぁでも、私は西側で生まれ育った人間だから……。ふと、天を仰ぐ。雲一つ無い、澄み切った美しい夕焼け。その鮮やかな赤に、私の目は吸い込まれていった。
東に行く事を決めた私が足をそちらに向けると同時に、捕食者ながら発達している耳が遠方より微かな音を拾う。その甲高い音は、まるで人間の悲鳴のようにも聞こえた。
「急ぐぞ」
「みゃお」
走ること約十分、私は一つの鞄を発見した。豚面らしく発達している鼻を近づける。大きな革の鞄には、人間の臭いが鮮明に残っていた。私はそれを辿り、更に移動。やがて、私は一人の少女が倒れている姿を発見した。
「妙だな」
私は少女に近付き、沸き上がる性欲を抑え付けながら服を脱がす。診察を開始するが、外傷の類いは見られない。強いて言うなら真新しい擦り傷が膝にある程度で、これも気絶の際の転倒かナニカで付いた傷だろう。
「脈はある。寝ている様子にも見えない。難病を患っているような顔でもない。何故、意識を失っている」
「にゃ」
ヴォートカは足元の花を手折り、私に差し出す。これは……もしや、この花が原因だとでも言っているのか?
花をよく観察する。チューリップに似た形状の、鮮やかな黄色の花。いまいち見覚えは無く、種は分からない。指ですり潰し、舌の上に乗せてみる。
「……この地域の生態系は、醜すぎる」
なるほど、これが危険ドラッグとやらか。この花は、日本なら間違いなく厳しく規制される薬物だ。おそらく、この花粉が悪さをしている。色と形状から見るに、この花は虫媒花だろう。実際、道すがらに蝶がこの花の蜜を吸っている姿を見た。しかし、その蝶に薬物と思わしき症状は見受けられなかった。昔から存在し生態系に組み込まれ、その蝶だけに特別な耐性があるのだろう。
「クソッ……なんて強さだ。アーノルド・シュワルツェネッガーを遥かに凌駕する体格な上、内臓も強靭なこの私が……少量、ほんの少量を舌に乗せただけだぞ」
深酒でもしているかのような気分だ。自制心の低下が肌で感じ取れる。触れてもいないのに下着の中はグショグショになり、呼吸は酷く荒くなる。
「……花を摂取した痕跡は無い。おそらく、風で僅かに立ち上った花粉の吸引による中毒作用。先程の悲鳴は、幻覚作用かナニカか」
不味い、ただでさえ少なかった呼吸量が更に減ってきた。これでは回復なんぞ起こり得ない。待ち受ける未来は暗雲の中だ。私は少女を抱え、花から5m以上離れた場所へ移動させる。
「すまない」
人工呼吸を開始する。少女の鼻をつまみ、胸が動くまで息を吹き込む。二回目を行うと、彼女自身の呼吸も少しずつ安定してきたように思える。勝手に込み上げて来やがった白濁を服が汚れないように野外にぶっ放してから、水筒とお手製のハンカチを使い彼女の口を拭く。
「まったく、この種族の醜さたるや。種に引っ張られ、種を漏らすとは……穴があったら入りたい。私の精神がもう少し未成熟であれば、救助をしていた筈の彼女を孕み殺していたかもしれない。後は……何をすれば良いのだろうか」
私は医学部卒ではない。急性薬毒物中毒用の治療方法なんて知らん。……素人の思い付きだが、取りあえず水を飲ませよう。急性薬毒物中毒ということは、おそらく急性アルコール中毒と同じく血中の薬毒物濃度が急増しているのがいけないのだ。あぁ、それと脱がせた服をまた着させて……。
「よし。後は、後は……」
まぁ、流石にこんなものか。この少女がどのような立場なのかは知らんが、人里でゆっくりと治療を受けるべきである事は確かだ。
「ヴォートカ、よく原因を特定してくれたな。もしや知っていたのか? まぁ何れにせよ、お手柄だ。褒めてやる」
私はヴォートカの顎を一つ撫で、少女を抱える。揺れによる彼女への負担を最大限避けつつ、先程見掛けた丸太の壁へと急いだ。
高い丸太の壁が、すぐ目の前に見える。私はヴォートカに少女を預け、クライミング。壁の上から、内部が文明的な人里である事を念のため確認。
「失礼」
今まで、私は騒ぎを起こさぬように櫓の上の見張り番から身を隠していた。今度は敢えて姿を晒し、ヴォートカの背の上で意識を失っている少女にも気付かせる。
「─────!?」
「うーむ、相変わらず皆目見当も付かない言語。彼が驚いている事しか分からん」
私は以前にも人間と接触した事があり、その時は平和的かつ互いに意識を有しての交流だった。お陰で幾つかの単語の理解は出来たが、幼稚園児の英語にも劣るレベルだ。それと、V2語順である事と声調が有るっぽい……というような気もしている。あまり自信は無いがね。
「驚かせて申し訳ない。この少女のこと、何卒よろしくお願いします」
「────! ────────!」
見張り番が乱暴に鐘を打ち付ける。その顔には動揺と恐怖が渦巻いていた。必死にバリスタを動かし私へ矢を向けようとするが、角度的に不可能。暫くして彼はそれに気付き、錯乱したままに剣を鞘ごと投げ付けてくる。
当然の対応、しかしそれを飲み込むのは容易ではなかった。分かってはいた、分かってはいた筈なのだ。人に襲われた事も、初めてではない。だがそれでも、受けたショックは決して小さなモノではなかった。腹の奥底が重く淀んでいくような不快感が、私の脳を蝕んで行く。自らが人類の敵として生まれ変わった事を、再認識させられた。
「……私が関わった事で、少女が冷遇されないと良いのだが」
私は村に背を向け、ヴォートカと共に東へ去った。風切り音を掻き鳴らす飛翔体が、すぐ近くに勢い良く落ちてきた。
◇
「おぉ」
ひたすら東へ進み続けた私は、ほんの数日前に亜寒帯と思わしき生態系の山に暫く居座ることを決めた。蛮族の個体数は平野と比べれば格段に多く、実に根絶し甲斐がある。
その中で、私は針葉樹の木材で作られた小屋を見掛けた。その小屋に金属や石の類いは使われておらず、まるで熟練の宮大工が手掛けたかのような建築であった。
「失礼します」
人の気がまるでしない小屋の扉に手を掛ける。中は酷く質素で、座卓と毛布と本棚が一つずつ。これで全てだ。誰かが引っ越した後なのだろうか。それとも、宗教かナニカの修行の場なのだろうか。
靴を脱ぎ、腰を曲げ小さな扉を通る。中の本棚には幾つかの本が残されており、何れも同一のマークが記されていた。
「薔薇と蛇、か。宗教的なシンボルか、筆者の家紋か、それとも本の分類としての記号か。このマークは覚えておこう」
大学は言語系にでも行くべきであったか。そうであれば、この本から言語学習が出来たかもしれなかったのだがな。
埃を払い、革の表紙を捲る。本に使われていた文字には一切見覚えが無く、強いて似ているモノを挙げるとすれば……キリル文字辺りだろうか。似ていると言っても、明らかに別物だが。
「……空に浮かぶあの恒星も、私がよく知る太陽とは似て非なるものなのだろうな」
いや何、分かってはいたさ。起こり得る筈の無い状況、存在し得ない筈の生物、ここが地球でないなんて事は明白だ。だがしかし、二度と故郷の土を踏めぬというのは……寂しいな。
「待たせて悪かったな、ヴォートカ。さぁ、行こうか」
「にゃー」
「……む」
冷たい感覚が額を伝う。手を伸ばせば、水滴が掌の上で跳ねる。雨の到来である。それと同時に私の腹はけたたましく鳴り、空腹を自覚する。
「拠点に戻るか」
「みゃみゃっ」
あの小屋とは比較するのも烏滸がましい簡易的な扉を抜け、私達は拠点へと帰還した。ここは地盤がしっかりしている場所を私が掘って作った人工洞窟である。この身体の種族の爪は穴掘り用であり、私の掘削能力は重機にも匹敵する。
また、日常的に全裸でこんな事をしている奴等だが、病気と思わしき個体は未発見。免疫力が極めて強い種族なのだろうな。その優秀な肉体スペックが憎たらしいが、医者に頼るという概念が存在しない私にとっては有り難いことだ。
「傷口から入り込んだ嫌気性細菌で感染症になれば良いのに」
基本的に私は嫌いな相手だろうと生涯の幸福を願うタイプの人間だが、奴等に関しては話が変わってくる。あのような種族は、罪を犯す前に天に召されるべきだ。私の同族ヘイトスピーチに自重なんてものは無い。
「おっ、意外と酸っぱくない」
今朝、山で見付けた林檎と思わしき果実。確かに国産の上等な林檎と比べれば酸味は強いし食味も落ちるが、中々悪くないぞ。シードルでも作ってみるか。
「こっちも良い頃合いだな」
壺を開けると、アルコールの香りが立ち上る。これは森林で見付けた謎穀物を発酵させ、炭で澄ませた酒だ。いやぁ、種麹作りは苦労したなぁ。
「勿論、故郷の酒には劣るが……悪くない。素人にしては良い出来映えだ」
ヴォートカに生肉を与えた私は、すぐに調理に取り掛かる。私は俗に言うキッチンドリンカー、酒を飲みながら食事を拵えるのが好きなんだ。
「今日は……さっき見付けたコレを使うか」
この山の中、私はとある植物を見付けた。その姿と強い香気から考えるに、ネギ属だろう。ネギ、おぉネギ。ヴォートカはあまり好きでないようだが……私にとっては、この植物の発見は大きな意味を有している。
ニンニク、タマネギ、長ネギ、ニラ、ラッキョウ……これ等の植物が無い食生活の寂しさが分かるか? 野菜嫌いで普段肉しか食べない者でも、ネギ属禁止生活は苦しい筈だ。
流水で洗い、硬い皮を剥く。白っぽい内部を小さく切り分け、生のまま咀嚼。
「ふむ……香りはニンニクに近いが、味は完全にタマネギだな。これは良い食材だ。何に合わせても美味いだろう」
焚き火を付け、石の鍋を温める。偶蹄目と思わしき謎草食動物のバラ肉を切り分け、下味を付けて鍋へ投入。肉は自身から滲み出た脂によって揚げ焼きとなる。肉を器にあけ、脂を少し捨てる。そこにスライス謎ネギを加え、少量の塩で甘味を引き立てながら焼き目を付ける。火が通ると同時に肉を鍋に戻し、炒め合わせる。
「あぁ……良い香りだ」
「ぅにゅぁ……」
拠点の隅に逃げるヴォートカを尻目に、謎肉と謎ネギの炒め物に箸を伸ばす。良くも悪くも強く濃厚な脂から伝わる甘味と、塩による脱水と加熱によるメイラード反応によって極限まで高められた謎ネギの甘味。キリリと強い塩気も合わさり、この上無く酒が進む。
「ふぅ……」
過去も未来も、この第二の人生の運命は全てが虐殺で形作られている。同族の根絶、それだけの人生。しかし……たまには、こうやって寛ぐのも悪くないな。
「シメはどうしようか。まだまだほろ酔いですらないが、酒を飲んだ後は炭水化物を食べたいよな。あぁでも、私は湯豆腐でシメたりも結構好きだったりするんだよなぁ。どこかに大豆と昆布でも転がっていたりしないものか」
お腹いっぱいになって眠り出したヴォートカのたぷたぷ腹を一つ揉み、外に出る。ちょっとした通り雨だったようで、綺麗な夕日が見える。
背嚢を漁り、底の方から謎穀物の繊維で編んだ敷物を引っ張り出す。自然と一体化するように、穏やかな気持ちで正座する。
きっと、私はもう人の姿を取り戻せない。この異形の化物の姿にも、慣れ切ってしまった。だからこそ、私は人一倍の努力と自制をせねばならない。例え、その道が凍てつく川のように厳しくても。
「秋の野に 虫の音すなり 夕暮れの 寂しさそふる 露の光……なんてな」
どうやら、少し酔いが回ってきたようだ。そういう事にしておこう。