オーク「早く人間になりたい」   作:ボボッキュ

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サングリア

 

 

 例の一件を境に、私と遭遇した人間達が皆一様に逃げるようになった。これまでは襲ってくる者も居たが、今では誰もが背を向ける。有り難い事ではあるのだが、それがどこか寂しくもあった。

 

 そうして私達は南下を続け、今度は森林地帯に辿り着いた。この森林は同族や人間の領域ではなく、肉食植物の領域のようだ。猛獣や猛禽の類いは殆ど生息しておらず、通常の植物の中に紛れ込んだ一部の品種が草食動物達に下克上をして自ら肥料を作成している。最初は擬態した動物かとも思ったが、間違いなく植物である。私が産まれてしまった森で一度だけ見掛けた動く巨大樹は、ここにルーツを持っているのかもしれない。

 

 この肉食植物達は、機敏に動ける程のしなやかさと鹿の腹を貫通できる程の強度を両立している。丁度、愛弓を修繕しながら使うのにも限界が訪れていたのだ。良質な木材が溢れるこの森林に来れたのは幸運だ。

 

「あんま美味しくないんだよな、ここの鹿」

「にゃあ……」

 

 巨大肉食植物達の餌、それはつまり三大肥料を豊富に有している種ということだ。地球の食虫植物だって、その多くが地中に不足しているリンかカリウムを補う為に進化した結果。そうでなければ、あんな化物植物が跋扈できる筈がない。窒素は自ら作っていると仮定して、凄まじい量のカリウムやリンがこの鹿には含まれていると推測できる。

 

 過剰摂取による健康被害があってはならない。ということで、ヴォートカには肉食植物が無視している動物を中心に食べさせている。この肉体の種族は植物をアミノ酸に分解できる微生物と共生していると思われる為、私は植物だけでも生きていけるが……猫にとってはそうはいかない。

 

「できれば普通の動物だけを食べたいが、変に狩りすぎて絶滅させる訳にはいかない。絶滅するべきは同族だけだ」

 

 さて、コレを食べたら矢の新調に取り掛かろう。ヴォートカに良く食べさせている、発電器官を持った山鳥の羽根も余っているしな。

 

 新しい弓はもう作り終えている。今回は、身体や筋肉の成長に合わせてより太く長くしている。並大抵の火器よりも高い威力が期待できる。

 

 ……尤も、その程度で竜を討てるとは思んが。

 

 奴は、''本物''だ。

 

 

 

 

 

 

 

 南下を続けている中で、途端に肉食植物を見掛けなくなった。居るには居るのだが、鈍い個体が僅かに居るだけ。気になって土を食べ比べてみたのだが、明らかに向こうの方が苦かった。大学時代、飲み会特有の悪ノリで舐め合った安息香酸デナトニウム溶液を思い出した程だ。

 

 あの森の下には、大量のマグネシウムが埋まっているのだろう。マグネシウムはカリウムの吸収を抑制させる効果があり、それ故にあのような希少な生態系が形成されたと思われる。

 

「みゃー」

「ん? どうした?」

「んにゃあぁー」

「お腹が空いている……訳でもない? 向こうに気掛かりなモノでもあったか?」

 

 ヴォートカは突如として歩みを止め、北を向いて鳴き続ける。……よし、ここは南下を止めて北に戻ってみるか。最近、あまり美味しいモノを腹一杯食べさせてやれていなかったしな。

 

「案内してくれ」

「みゃっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二時間の全力疾走の末に、私達は森林を抜け平野へと戻った。疲れ果てたヴォートカを抱えて案内を受けながら走っていると、何だか物々しい雰囲気を感じ取った。

 

「……随分と多いな。武装が随分粗末だが、徴兵した農民の行軍訓練とかか?」

 

 ヴォートカは、彼等の進行方向の逆へと走るよう催促してくる。鷲を凌駕する視力を活かして顔を覗き込めば、疲労以上に不安と恐怖を浮かべているのが見て取れる。

 

「なるほど……訓練というよりかは、避難か」

「みゃっ」

 

 

 

 

 

 

 見付からないよう迂回して更に進み、やがて海岸沿いの都市を見下ろす高い丘へと到着した。今まで見てきた中では最大の規模であり、人口六桁に達しているかもしれない。

 

「……なるほど。これで私を連れてきたのか」

「にゃ」

「良くやった、素晴らしい嗅覚だ」

 

 

 誇らかに、衛星が胸を張っている。しかし、しかしだ。数百m先の人間の表情を読み取れる私がだ。この距離、この煌めく月光の下でだ。

 

 アレが大きな街である事は分かる、港近くに聳え立つ巨城も分かる。だが、酩酊中かのように認識が上手く出来ない。こんな感覚は初めてだ。不快で、そして不安になる。

 

「ヒョー、ヒョー」

「っ、何奴!」

 

 すぐ近く。どこか悲しげな、鳥の声。耳元なんて話ではなく、もはや『鳴き声がした』という情報を無理矢理脳に書き込まれ、記憶の改竄でもされたかのようだ。

 

 剣へ手を伸ばし、腰を落として周囲を見渡す。黒い煙が這い回り、私達の周囲で蠢く。そして、今ならよく分かる。街を全て包み込み、かの巨城にて渦巻く黒煙が。

 

「あの群衆は、煙を恐れた街の者か」

 

 あぁ、私はこの世の理を知らないさ。煙の発生の経緯も知らん。けれど、けれどね。見て見ぬフリは二度としないと誓ったのだ。

 

 これは試練だ。ヴォートカが巡り会わせてくれた、私への試練だ。

 

「我が名は中院通義。御市が天災若しくは非人道的都市無差別攻撃に晒されていると判断し、義によって助太刀致す」

 

 まずは調査だ。かの煙の正体と悪影響を突き止めない以上は手の出しようが無い。おそらく、アレは不完全燃焼による普通の黒煙ではない。数多の怪物と牙を交えた、一人の戦士としての直感である。

 

「ヒョー、ヒョー」

「……また、この奇妙な鳴き声。煙の発生や移動に伴う音かナニカか?」

「ヒョー、ヒョー」

「煙に変化は無し。であれば…………ほう」

 

 この煙の中でのみ聞こえる音。そう思った私は、地面を力強く蹴り飛ばし跳躍。煙の中から瞬間的に抜け出すも、餌を見付けたオニヤンマの群れかのような猛追を受ける。そしてまた、鳥の鳴き声が響き渡る。

 

「ヴォートカ、気分は大丈夫か」

「みゃっ」

「このような惨状、一秒でも早く終わるべきだ。解決を急ぐぞ」

 

 街から逃げていた市民達、彼等は既に煙に覆われていたのだ。この鳴き声は、従軍や実戦を経験していない者にとっては酷く厳しいことであろう。ノイローゼを患うことは半ば確定事項であり、鳥や笛に対するPTSDまで有り得る。

 

「撃たないでくれよ。ヒグマよりも、よっぽど恐ろしく見えるのだろうが」

 

 丘から飛び降り、五点接地。最高速度で街へと突っ走り、ガラ空きの門から侵入する。街の内部は一段と煙が濃く、鳴き声の頻度も大きさも高まっている。

 

「っ……!」

 

 なんだ、今のは。今度は聴覚だけでなく、視覚にも訴えかけてくるのか。キメラ、とでも呼ぼうか。複数の動物を外科手術で継ぎ合わせたかのような、不自然の塊。そんなシルエットが、一瞬私の視界に写り込んだ。

 

「煙が一番濃いのは、あの巨城か」

 

 

 

 

 城内もまた、市内と同じくもぬけの殻であった。煙の中では私の気配を探る力も鳴りを潜め、別の世界に迷い込んだかのような気分だ。城の外で待機させているヴォートカは無事だろうか。

 

 そうしている内に幻覚は更に激しくなり、頭痛までするようになった。腹の奥底に押し込んだ筈の種族的な本能が、表層まで浮き上がってきている。不快感は苛立ちへと変わり、明らかに冷静を欠いている。一般人規格の建築物に対する閉塞感の影響もあるのだろう。

 

「……こんな時こそ、気を休めねばな」

 

 現状、解決の為のヒントが少なすぎる。この悪夢がいつ終わるのかなんて、分かったものではない。であれば、一度休息を挟むべきだ。

 

「確か、向こうに厨房があったよな」

 

 朧気な記憶を頼りに、来た道を引き返す。止まぬ幻覚に暴言が出そうになるのを喉元で飲み込み、何とか厨房へと辿り着いた。

 

「拝借する」

 

 水瓶からケトルに水を分け、火を焚く。背嚢の奥底にある賞味期限間近の抹茶モドキを使い切り、拵える。丁度、茶筅を抜いたタイミング。廊下と繋がる扉から、物音がした。

 

「───!?」

「……人、か」

 

 視線の先には、一組の男女……いや、男二名か。どこか見覚えのある剣士と、彼の腕に抱えられた小柄な長髪の美少年。どちらも大変豪奢な衣装を自然に着こなしており、やんごとなき身分である事は想像に難くない。

 

「─────」

「敵意は無い。此度の異変を鎮める為、馳せ参じた」

「──────」

 

 意思が通じたのだろうか。剣士は緊張を緩和させ、苦しそうに眠る少年を椅子に座らせる。彼は私の拳の射程圏内まで近付き、使っていたケトルに水を足す。三人分の茶器を食器棚から取り出し、烏龍茶のような乾燥した葉と共にティーポットへ湯を注ぐ。

 

「─────────」

「うぅむ……やはり、数学書の翻訳だけでは足りんな。音と文字が一致していないのが致命的だ。筆談も難しい。あぁ、どうも」

 

 剣士に渡されたカップをつまみ、舌に数滴乗せる。……毒では無さそうだな。青リンゴや梨のような、華やかで爽やかな香りだ。味は……パイムータンが近いか? 仄かな甘さと渋さのバランスが心地よい。

 

「こんな良い茶の後で恥ずかしいのだが、私の抹茶はどうかね」

 

 剣士は警戒しながらも差し出した茶碗を受け取り、そっと飲む。中々気に入ったのか、二口で飲み干して小さな笑みを溢した。

 

「─────────」

「……ごちそうさまでした、みたいな意味なのだろうか。確か、いつぞやの麗しい女性に食事を振る舞った後も似たような音を発していた」

 

 剣士は少年の分の茶を水で冷ましながら薄め、口移し。きっと、幻覚で酷く心を病んでいるのだろう。

 

「大変、良い茶であった。感謝する。えぇと……クトー ボルゥフェン マルィサ……で、良いのかな。こっちの方は、西より巻き舌なアクセントなんだな」

「────」

 

 少し驚いたような顔をして、剣士は私に手を差し出す。傷付けないように気を付けながら握れば、彼もまた握り返してくれる。異形の尾が視界の端で蠢く中、彼の瞳の奥を覗き込む。

 

「私の名は中院通義。日本国の真なる都、京で生まれ育った。今も喚き続ける異形の討伐に、ご助力願う」

「──────────────……ッ!」

 

 突如、私達の間を遮るようにナニカが窓を破って飛来してきた。それは、硬質な純白の羽根であった。剣士は少年を抱え、抜刀。背を低くし、周囲を警戒する。

 

「幻覚で見えるシルエットには、翼が生えている。となると……幻覚の効き目が薄い私達に痺れを切らし、直接攻撃に乗り出したといった所か」

「─────!」

 

 再度羽根が飛ばされ、今度は少年へと迫る。剣士が強者である事は見て取れるが、少年を抱えている以上は満足に動けないだろう。私は剣士を庇うように横っ飛び、羽根を叩き落とす。

 

「っ……素手での接触は迂闊だったか」

 

 あの羽根自体は、さほど強くない。それこそ、以前人間から撃たれた矢と同程度。しかし、羽軸の内部には液体がパンパンに詰まっていた。

 

「この臭い、アオコだな。大学時代、悪ノリで散々嗅がせ合ったんだ……忘れなんかしない。そして、飛沫が接触した唇の麻痺……サキシトキシン辺りか?」

 

 有毒渦鞭毛藻が作る毒物の一種で、こいつを食った貝が中腸腺に毒を蓄積させ、更にその貝を捕食する事によってフグが毒化したりもする。オマケに無味無臭無色透明、中性下では加熱分解非対応と、厄介な物質だ。

 

 

 まぁ簡単に言えば、私ですら10gも摂取すれば呼吸麻痺で死ぬ。確実に。

 

 

 麻痺の原因を考えている内に、窓から次の羽根が飛んでくる。給食センターでしか見ないサイズの寸胴の蓋を握り締め、盾にする。羽根から漏れる推定サキシトキシンに嫌な予感がするのか、剣士は液体を的確に避け続ける。

 

「動きにくい……こんな前屈みでないと立てない場所では、自前の武器なんて使えない」

 

 

 

 ……まぁ、緊急避難か。

 

 

 

 羽根は全て同じ方向から飛んで来ている。ならば、きっと攻撃を行っている存在───怪異の元凶がそちらに居る筈。単純かつ短絡的な発想だが、他にヒントも無いのだ。早期解決の為には、やるしか無い。

 

「この城の主を務める誰かへ……この度は、大変申し訳ございません」

 

 膝を大きく曲げ、床を蹴り付けるように立ち上がる。厨房の設備、床、壁、天井……様々な器物と、下手な鉄よりも頑丈そうな素晴らしいレンガ達をタックルで粉砕しながら城を飛び出す。

 

「───」

 

 幻覚が急激に悪化する。和太鼓も斯くやという轟音が、耳鳴りのように絶えず私の聴覚を犯す。同族を産んだ直後の女性のような悪臭に包まれ、あの時舐めた安息香酸デナトニウムすら凌駕する人生最悪の食味が味蕾にへばり付き、例えるのであればヘドロに生きたまま捕食されているような痛みと不快感が筋肉を震わせ、過去の苦い記憶をフラッシュバックする。

 

「なんだと……! これがっ、奴の真の実力……ゥォ゛ッ……ァ゛ク゛ォ……、ッ゛……」

 

 私が今までに経験したことのある、全ての体調不良が一斉に飛び込んでくる。胃から込み上げて来たソレを喉元で抑え、膝を突かぬように弓を杖代わりにする。

 

 恐ろしい。こんなにも、一度やると決めた事を投げ出したくなった瞬間は無い。剣を抜いて、自らの腹を割ってしまいたい。腹を割る苦痛なんぞ、幻覚に比べればマッサージに等しい。

 

 脱力。手が滑り、弓を手放す。膝を突くどころか、地に伏したまま身体は動かない。

 

「──────!」

「───」

「─────────!?」

 

 

 あぁ

 

 

 そうだ

 

 

 そうだな

 

 

 

 

 死のう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にゃあっ!」

 

 

 

「……ハハッ」

 

 

 まったく、私はまだまだ未熟者だな。

 

 

 

「我が名は中院通義! 人間である!!!」

 

 この中院通義が歩むに相応しい道はただ一つ、人間讃歌の花道のみ。人類七百万年の歴史の中で育まれ、父祖より受け継ぎし勇気と知恵。誉を胸に、最良の未来へと突き進むのみ。

 

「誓った筈だ。同族に犯される女性達を見殺しにしたあの蒸し暑い日の、永く短い夜に。怪物共の理不尽な暴力から、人々を守ると」

 

 幻覚がどうした。結局の所、私の精神に悪戯をしているだけではないか。四肢が捥げるような苦しみも、実際に捥げている訳じゃあない。苦しいだけで、何一つとして問題なく自由に動くのだ。

 

「理想とは、想像を超える試練を乗り越えた先にある」

 

 私の下へとやって来たヴォートカの腹を一つたぷたぷし、空を睨む。酷い幻視に隠れながらも、今ならよく見える。街を包んでいた全ての黒煙が綺麗サッパリ消えてなくなり、私だけに取り憑いている様が。

 

「そして、黒煙という隠れ家を失った貴様の生身の姿が!」

 

 六対の翼、ツグミの顔、雄獅子の鬣、ヤモリの前肢、亀の背、眼球が浮かぶ肥えた人間の腹、鹿の後肢、ヤツメウナギの尾。世界で最も醜悪で、何故か神々しさを放つ異形の鵺。

 

 

 間違いない。

 

 

「貴様が怪異の元凶だな!」

 

 

 私が弓を構えると同時に、鵺は毒羽根の弾幕を張る。しかし剣士殿は巧みな剣捌きで全てを斬り落とし、内部から放たれる毒液の飛沫の方向も鵺側のみ。正しく、神業。

 

 そこら辺の槍よりも大きな尖り矢をつがえ、新品の巨弓をキリキリと目一杯引き絞る。

 

 バン。

 

 銃声のような破裂音と共に矢は真っ直ぐ青空を駆け、風を切る音は矢の動きよりも少し遅れて耳に届く。ソニックブームの衝撃が、私の毛を靡かせる。

 

 今になって漸く恐れをなし、鵺は必死に羽ばたき逃走する。

 

「貴様が相手にしているのは、音速を越えた先に立つ男だ。要するに……今更後悔しても、もう遅い」

 

 全身全霊の一矢は、鵺の大きな甲羅へと的確に命中。赤い薔薇が、空に咲いた。

 

 鵺は飛行能力を失い、自由落下。300m分のエネルギーを抱え、城を覆う石の胸壁へと激突。弓を投げ捨て、崩れる瓦礫へと全力疾走。再び逃げようとする傷だらけの鵺を背後から取り押さえ、地面に顔面を叩き付ける。

 

 不愉快な幻覚が、パタリと消えてなくなる。そして、今度は謎の多幸感に包まれる。ポジティブな幻覚を見せるという、鵺なりの命乞いなのだろう。

 

「私は非捕食対象の殺害を忌む。そして、貴様のような謎多き有毒生物は捕食の対象ではない」

 

 私は、自らを比較的善良かつ穏やかな人間であると捉えている。例え命を奪われそうになったとしても、大抵は許してやろうと思っている。

 

 

「だが……貴様は、やり過ぎた」

 

 

 更正の見込みも考えられぬ……巨悪。

 

 

「この中院通義が、成敗致す!」

 

 

 剣を抜き、構える。

 

 太陽の光を反射し、刃は玉のように輝く。

 

 鵺の身体は、縦に真っ二つとなった。

 

 

 

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