琴の音に耳を澄ませて 作:緑雨
どうも、ラインクラフトです! 今は、新潟のパドックに来ています! えっと、どういうことかわかりづらいですよね…
「…楽しんできなさい」
「はいっ!」
これから、新潟ジュニアステークスを走るんです。うぅ、緊張しちゃいます。だって、G3ですよ! 憧れのトリプルティアラはG1で、まだ2つ上の階級ですけど… ここを勝てば、わたしは重賞ウィナーの仲間入りを果たすんです! 重賞を勝てるウマ娘は、ほんの一握りと言われる世界で、走るところまでこぎつけたんですから… なんとしても、ここを勝って、桜花賞まで辿り着いてみせます!
そのためにも、トレーナーさんに言われた作戦を思い出しておきましょう。今年の新潟ジュニアステークスは10人立てで、わたしは8枠9番ゲートに入ります。メイクデビューから直行のウマ娘が多くて、実力関係がわかりづらいジュニア重賞なので、誰かをマークはせずに、自分の走りに集中するようにと、トレーナーさんからは言われました。
それでも、作戦はちゃんとあります! スタートからコーナーまでの距離が長いので、先ずはしっかりとポジションを取りに行きます。内に入るのは難しいので、先行集団の外目が目標です! 確か2番、3番、5番、10番のウマ娘が先行集団… に、なるらしいです! ですので、その外か… 場合によっては、その前を取りに行きます。
コーナーは普通に回って、4コーナーから少し外に出ます。バ場の真ん中のあたりが目標ですね。トレーナーさんによると、直近のレース傾向的に真ん中あたりまで行けば楽に走れる、らしいです。走りづらければ、外に少し斜めに走ります。 …もちろん、他のウマ娘の邪魔にならないように!
これは前回も言われたことなんですが、後ろのウマ娘は気にせずに走ります! 気にしても、何かできるわけでもないですし… 誰を気にすればいいのかも、わからないので。トレーナーさん達は誰を警戒すればいいのかわかってると思いますが、言われなかったということは、わたしが気にする必要はない、はずです!
あ、もうすぐ本バ場入場ですね。アヤベさんに言われたように、楽しんで走る… のは、難しいかもしれませんが、楽しもうと思って走りに行きます。レースになると、必死なので… 楽しむ余裕はまだないです。でも、楽しんでやるっていう、気概が大切なんだと思います! きっと、おそらく。
…緊張してきました。初めての重賞だからなのか、自分でもわからないですけど… でも、何度走っても、緊張しちゃう気がします。緊張に負けないように… 頑張ろう。慣れるくらい… たくさん走れたら、嬉しいですね。
…もう、ゲート前です。奇数番なので、先に入って… スタートまで後少し。
……………今!
少し出遅れた? いや、わたしの横が速かっただけで、問題はないはず。10番に前に入られたけど、このまま前に行って… 逃げた6番は放置して、10番の外に行きましょう。10番の内にいるのは、2番と3番、みたいですね。 …外はだめですね、コーナーで膨らみすぎます。前か後ろか、どっちから内に切り込みましょうか…
前にしましょう! コーナーまで後少し、1度速度を上げて内に入って、6番の真後ろを取りに行きます! リスクは覚悟で、一か八か…!
10番が、競り合ってきた… 内に入りたいのに、入らせてくれないなら… 更に、前から、無理矢理にでも入りに行く! 視界の端で、2番が前に行ったのが見えた! …2番が見えたということは、3番は前に行ってないってことです! なので… 10番さえかわせば、内に切り込める!
きっとアヤベさんが隣にいたら、『仕掛ける時は一気に行くのよ』って言ってくれるはずなので… コーナーだろうと、わたしは仕掛けます! コーナー直前で外から捲るのは嫌ですが… やらないと、いけない賭けです!
「塞がれたって… わたしは、わたしの道を切り拓く!」
なんとか、少し、前にっ! 10番は… コーナーで、下がってくれた、みたいです。今は多分、3コーナー。2番が見えないので、6番の後ろに入りに行きます! 一応、後ろを見て… 入れ、ます!
ふぅ、はぁ… 無茶だったかな… いや、まだレースは終わってないんです。反省は後にして… 少し、落ち着いて、息入れて…
もう4コーナー、前は6番だけ。ペースは… 多分、遅めです。おかげで、呼吸が整ってきました。後ろはわからないですけど、すぐ後ろに誰もいないことだけはわかります。なので… 予定通り、バ場の真ん中目指してコーナーを大きく回ります!
「…行きます、行けます」
…声はもう、何も聞こえません。最終直線はすぐそこで、スタンドも見えるので盛り上がっていることは分かりますけど、何を言っているのかは全く。でも… 心の中のアヤベさんが、『今!』って言ってくれたので… コーナーから、一気に外に出て… 行きます。
脚が軽い… このラインまで来れば大丈夫ですね。 …全然真ん中よりも手前ですけど、ここから前を捕らえる… ここからは… 作戦なしの、根性勝負! トレーナーの思いに、アヤベさんの思いに応えるために! アヤベさんの、あの流星の末脚… わたしに、力を貸してください!
『頑張って』
「誰もが輝く流星群、みんなの思いを背負い流れる… わたしの願いは1つだけ! この走りで、夢を目指して!」
声が出てないのはわかってます! でも、思いを言葉にして… 声に出す、そんな思いで、駆けるんです! 内で、6番が耐えているのはわかってます! だから、だから、だから…! わたしは、意地で、まだ走るんです! 息苦して、脚も重くなってきましたけど…! ティアラまで、わたしは止まれないんです!
「届けー!」
…届いた、かな? わからないや… 電光掲示板…
1着は、9… よかった、届いたんだ…
…は、あぁ。勝った、勝てたけど… 6番の娘、凄いな。直線入った時には、すぐ横だったのに、全然抜かせなかった… 内で、粘られた… 黄色の混ざった髪色… 後で、トレーナーさんに聞いてみよう。 …ティアラのライバルかな、クラシック三冠に向かうのかな。ティアラ路線だとしたら… 気をつけないと。楽に逃がしちゃうと… 今度は、逃げ切られる。
…後のことは、後でトレーナーさんに聞こう。今は…
「応援、ありがとうございました!」
スタンドからの大きな歓声が、全てわたしに向けられているんですよね… 嬉しさと、少しの恥ずかしさと、感謝と… 色んな思いが重なって、夢見心地、というやつだと思います! …そうだ、手を振らないと。大切ですから!
「おかえり、お疲れ様。ウイニングライブに備えて、しっかりと休憩しましょう」
「わかりました、振り付けも1回確認しないと…」
「不安なら、何度でも確認するといいわ。時間はまだ先だから」
「お疲れ様、楽しかった?」
「はいっ! あの、トレーナーさんは、見ていて… 楽しかったですか?」
「もちろんだよ。最高に… 楽しくて、嬉しくて、喜ばしいよ」
この後は、ウイニングライブ… レースに出走したウマ娘が、応援してくれたファンに感謝を示すライブです。昔、観客として見ていたライブに、主役として登場する… メイクデビューの時もウイニングライブはありましたが、あの時とは少し空気が違います。だって、重賞ですから!
「…そうだ、あの、トレーナーさん。今日のレースで、気になったことがあるんですが…」
「クラフトちゃん、今後のことはライブの後に話すから、今は何も考えずに、ライブを楽しんできな。 …多分、クラフトちゃんと同じ感想は、私達も持ってるから」
「わかりました、ライブの後、ですね」
「少し、外に出てくるわ。 …トップロードさんからの電話が煩いから」
「ん、いってらっしゃい」
今は、ウイニングライブに集中しましょう。 …あまり言いたくないですが、もう1度できるかわかりませんから。それだけ、重賞を勝つって凄いことなんです! …できるなら、桜花賞、オークス、秋華賞と、まだまだ沢山ウイニングライブをしたいですね。
「クラフトちゃん、ちょっとは休まった?」
「バッチリです! あの、ダンスの確認がしたいので、見てもらえませんか?」
「任せて、振り付けを印刷してきたから… あった、これ見ながらちゃんとチェックするよ」
「お願いします!」
しっかり確認して、本番も踊りきってみせます!
「戻りましたー! ちゃんと、踊れてましたよね?」
「上手だったよ」「良かったと思うわよ」
ウイニングライブ、踊りきってきました! 自分では、上手くできた自信があります! わたしが見てきた、憧れたティアラ路線の凄いウマ娘達は、みんな踊りも上手だったので… わたしも、練習を頑張って良かったです。
「とりあえず、トレセン学園に帰ろうか。レースの振り返りは… その後にしよう」
「そうね… それぞれ、思うことはあると思うけど、頭の中で整理してから… 話すとしましょう」
「わ、わかりました!」
トレーナーさんとアヤベさん、それぞれ何か考えてるみたいですね… わたしは、内で最後まで粘っていたあの6番のウマ娘のことが気になってます。でも、その話なら今しても問題ないと思うので… ん〜、何を考えてるのか気になります! 難しい話だったらどうしよう…
「早めにレース場を出るよ、チケットの時間がそんなに余裕なくてね…」
「私は大丈夫。クラフトさんは… 準備、できてそうね?」
「忘れ物はないはずです、いつでもいけます!」
「じゃあ行こう、先ずはホテルに荷物取りに行くよ」
新幹線、楽しんできます!
「…私から、話していいかしら?」
後日、トレーナー室に呼ばれました。レースの後に言っていた、振り返りだと思います。 …少し、空気が重いですけど。トレーナーさんは椅子に座って何か資料を見ていますし、アヤベさんは壁にもたれかかって本… レーシングカレンダーを見ています。
「次走に、アイビーステークスを提案するわ」
「アイビーステークス… すいません、どんなレースですか? 詳しくなくて…」
「東京芝1800mの、リステッド競走。 …格はG3より下でも、将来中距離路線を目指す有力なウマ娘が集まるレースよ」
「オークスに向けて、ですね」
「……えぇ」
アイビーステークス… 後で、調べておかないと。予想ですが、10月後半から11月前半のレースだと思います。 …トレーナーさんとアヤベさんが、わたしのスタミナを気にしていたのは知っていますから。距離延長なら、1ヶ月は間を空けると思っています。
「私も近い話だから話させてもらうけど、前に話したファンタジーステークス*1の出走は無しにしたい。今の時点でも阪神JF*2は出走できるから、それよりも… アヤベさんの言うアイビーのような、マイルよりも長い距離を試したい」
「わかりました! アイビーステークス、頑張ります!」
「まだ確定ではないけれど… 前に話題に上がった、芙蓉ステークス*3や紫菊賞*4の選択肢もあるわよ」
「一気に伸ばすのはやめよう。今は… 200mだけで、確かめよう」
「…そうね」
「少しずつ伸ばして、いつかは2400m、オークス*5ですね!」
「………そうね」「……だね」
…少し、反応が悪いような?
…アドマイヤベガよ。クラフトさんの次走について、話し合っているところ。 …私はオークスに向けての挑戦として、アイビーステークスを提案したわ。 …挑戦というよりも、最終判断と言った方がいいかもしれないわね。トレーナーも、意図を分かってくれたようだけど… アイビーステークスの結果次第では、今後のトレーニングを変えないといけない。 …オークスを、目指すというのなら。
クラフトさんは、ここから少しずつ距離を伸ばしていけば、オークスも大丈夫だと思っているようだけど… そんな悠長なことをしてられるほどの余裕は、今の私達にはないの。現時点では、絶望的なほど… スタミナが足りていないのよ。アイビーステークスの1800mでさえ、走りきれる確証はないわ。
前走の新潟ジュニアステークス、勝つことはできたわ。だけど… それ以上に、弱点が露呈したレースだったと思うの。結果だけ見れば、逃げ粘ったウマ娘を最後差し切って、3着以下を突き放した快勝よ。 …結果だけを見れば、ね。
タイムを見るとよくわかるわ。1ハロンごとに、12.5-11.6-11.8-12.2-11.6-11.1-11.4-11.8よ。 …最終直線に限ると、11.1-11.4-11.8になるわ。新潟の直線が長いことを加味しても、直線の半ばから失速しているのよ。中山のような直線が短いコースであったとしても、マイルより長い距離を走りきれるとは今の私には思えない。だからこそ… アイビーステークスで、その不安を払拭してほしいと思うの。ここを勝って、私の不安が杞憂だったと… 示してほしい。
はたから見れば、アイビーステークスはただのリステッド競走よ。きっとクラフトさんも、特別な思いはないでしょうね。それでも、私達にとって重い重い意味を待つレースになる。オークスを走るためにも… 距離が伸びても戦える姿を、見せてくれると信じて… アイビーステークスに、送り出す。
…正直な話をするなら、クラフトさんがオークスを走れるとは思っていないわ。2400mを走りきれるビジョンが、私には見えないの。それでも、クラフトさんのトリプルティアラへの思いは知っているから… 走らせてあげたいのよ。勝ちに拘るなら、オークスは選択肢にすらならない… なのに、走らせたいと思ってしまう。難儀なものね…
「私の言いたいことは終わりよ。トレーナー… は言ったわね、クラフトさんはどうかしら?」
「あ、はい! 1つ聞きたいことがあったんです。新潟ジュニアステークスの、6番のウマ娘… とても強くて、今後も戦うと思うんです。それで、名前が気になって…」
「デアリングハートさん、よね? どんな子なの? …データ、少なかったけど」
「海外から来たらしくて、同期ってことに気づいたのが新潟ジュニアの出走表が出てからで… データを殆ど集めてなかったんだ。ごめん、完全に失念してたよ。で、クラフトさんもわかってると思うけど… とてつもなく、強い相手だよ。何度も戦うことになると思うけど、次に戦う時までにデータは揃えるから」
「…一度、今年デビューしたウマ娘を確認するべきね。もしかしたら… 他にも、見逃しているかもしれないわよ」
「…そうだね。ちゃんと確認する」
…クラフトさんの話も、終わったようね。これ以上話すことはないでしょうから… 解散ね。今日は…部屋で勉強でもしようかしら。他にすることもないもの。
「それじゃあ、来週の土曜日ですよ♪」
「ええ… 忘れてなければね」
「毎日、寝る前に言いますから!」
「そう… 好きにしなさい」
夜、カレンさんと遊びの約束をしたわ。 …私から誘ったわけじゃないわよ、興味もないもの。カレンさんに、『絶対に楽しめますから!』って力説されて… 断るのも悪いから、約束しただけよ。用事もないもの、断る理由もないから。
「で… 3人なのね」
「せっかくなので♪」「楽しみです!」
「それはいいけど… どこに行くの?」
「カレンがプランを作って、ドライバーの人に伝えたので… 車に行きましょう♪ そこでわかりますよ」
「…トレーナー、また足として使われるのね」
約束の日よ。今週はクラフトさんも疲れが溜まっていたから休ませてるわ。どこで何をしてるのか、私は全く知らないけど… 趣味の日向ぼっこでもしてるんじゃないかしら。暇な時はいつもそうやって休んでいるらしいわ。 …太陽の力を蓄えるらしいわ。私とは縁遠い話ね…
「あの車です! アヤベさんカラーの車を頂いたんです!」
「…前のはどうしたの?」
「チームで行動する時に使ってます。好きだったんですけど、私が持っていても使えないので… 琴葉さんに運転してもらう時ようの1台を残して、全てチームと学園に寄付しました」
…少し前に、トップロードさんのチームがこんな声明を出していたわ。『ファンレターや贈り物は感謝して全て拝見しておりますが、車等大きな物はご遠慮ください』って。 …今の話し方的に、数台は贈られたんでしょうね。あまり… 掘り下げないようにしましょう。私にはなかったから…
「…左ハンドルなのね。窓からトレーナーが見えるわ」
「カレン達は後ろに座って、仲良く話しましょうね?」
「先に行ってドア開けてきますね!」
「先に行くほどの距離はないわよ。はぁ… 私は端に座るから、カレンさんが真ん中に入りなさい」
「は〜いっ♪」
「準備できました?」
「…クラフトさん? いたの?」
「カレンが誘いました♪」
助手席から突然クラフトさんの声と、あの流星が飛び出してきたわ。 …わかりやすいわね、あの流星。形も特徴的だと思っていたけど、そもそも上に跳ね出てるから目立つわ。 …もしかしたら、レースでも影響があるかもしれないわね。あれだけ目立つなら、走りながらでも見えるから… 追込のウマ娘に目安にされかねないわ。 …切るわけにもいかないから、どうもできないけど。凄く… 気に入っていそうだもの。間違っても、流星がない方がいいかもしれないなんて言えないわ。
「行くよ、シートベルトは外さないでね」
「あなたのことを言ってるのよ、カレンさん」
「え、カレンですか? も〜、ちゃんとしますよ!」
…他に誰か言われる人、いるかしら。クラフトさんはトレーナーの横、私は外すことなんてないし、トップロードさんが外すとは思えないわ。外すとしたら… カレンさんだけでしょう? …カレンさんも、外すとは思ってないわよ、消去法ってだけ。
「クラフトちゃん、案内よろしく」
「ここ右折して、ここは直進です。 …ここも直進です」
「カーナビを使ったら?」
「…使い方わからなくて、諦めた」
「…そう。トップロードさんも知らないの?」
「私はわかりません!」
「…今度、試しておくわ。使いづらいものでもないでしょうから」
カーナビはいいとして… クラフトさん、体は休まったのかしら? レースからおよそ2週間は経っているけれど、疲労は完全に抜けたのかしら。 …もしも2週間で完全に回復できるなら、トレーナーというのは簡単な仕事ね。できないから、マネジメントするわけだもの。
別に、部屋に閉じこもって休んでいろと言いたいわけじゃないわ。そんなことをしたら体は休まっても心は休まらないもの。心身の休養には、外で遊ぶことも大切よ。 …こういうことには、詳しいから。何が言いたいのかって言うと… 外で遊べるくらいには体が回復したのね、ってこと。 …来週からトレーニングも出来るってことね。夏合宿からレースまで休みがなかったから少し心配はしていたのよ、燃え尽きていないか。だけど… 元気そうでよかった。
「アーヤーべーさん! どこ見てるんですか?」
「別に、外の景色を見ていただけよ」
「住宅街よりもカレンの方を見て、お話しましょうよー」
「はぁ… で、何の話をするの?」
「アヤベさんの好きに話してください!」
「私の好きに? …………」
「話さないのはなしですー!」
「あぁ! そういう…」「ふふ、アヤベさんらしい…」
…面倒だから、目的地に着くまで外を眺めているわ。適当な話だけしながら…
「一口どうですか?」
「ん… ありがとう、美味しいわ」
「えへへ…あ、これもどうぞ」
「…自分で食べなさい。バイキングなんだから、私だって自分で食べたいものを取ってくるわよ」
「そ、そうですよね…」
「……交換ならいいわよ、美味しかったらまた取りに行くだけだもの」
「! それなら、一口どうぞ~!」
「自分で食べられるから!」
「…偏ってるわね」
「あ、アヤベさん!? あの、これは、その…」
「…別に、だめと言いに来たわけじゃないわよ。ただ… デザートばかり食べていたら、その分動かないと太るわよ」
「うぅ…」
「…トレーニングが始まったら、気にならなくなるわ。今は好きに食べなさい」
「で、ですよね!」
「アヤベさーん、上手く盛り付けられたので、写真お願いしまーす♪」
「私は食べてるのだけど… 自分で撮りなさい」
「カレンも写りたいんです、だめ… ですか?」
「自分でやりなさい」
「ちぇーっ、琴葉さんにお願いしてこよー」
「…疲れた」
「バイキングで? 争奪戦でもしたの? それか歩き疲れた?」
「騒がしい人が多いからよ…」
やっと一息つけるわね… 今は、みんなでバイキングに来たの。トレーナーが言う通り、歩き疲れるほど広い会場で。 …トップロードさんのトレーナーが、チームのメンバーとその友人、それと知り合いのトレーナーを集めてパーティーを開いているのよ… 知り合いだけで食べながら騒ぐための集まりね。だから、変装せずに好きに食べれるのだけど… 会場は広いのに、人が集まってくるから休めないわ…
それと、してやられたわ。カレンさんに誘われて遊びに行くと思っていたのに、まさかトップロードさんが中心のパーティーとはね。私以外は全員知ってたそうよ。 …私だけ、会場の大きな扉を開けるまで言われなかったのに。本当のことを言ったら、逃げるとでも思われていたのかしら。 …よく考えれば、怪しいことばかりだったわね。
シートベルトを外すなって言うのも、カーナビを使わないのも、外の景色を見ないでっていうのも… 行き先を隠して、私を逃さないためね。まったく… 別に、ちゃんと言われていても行くっていうのに。あの子達は私のことをなんだと思っているのかしら。
「ここは端だから、静かに食べられるよ。ふらっと人が来ることはないから。 …誰か会いに来るかもしれないけど」
「誰も、わざわざここまでは来ないわよ。 知り合いとは… 話し終えてきたから、探しに来ないはずよ」
「そう? それなら、ここでのんびりしていようか」
このパーティー、主催したのはトップロードさんのトレーナーだから見知った相手なのだけど… 正直、他の人は知らない人ばかりね。夏合宿のお疲れ会とか、秋に向けての決起会とか、色んな意味がこのパーティーには含まれているそうで… 色んな人がいるわ。決起会なのに、ライバルのトレーナーだって平然といるもの。 …秋のG1が始まると気軽に遊べないから、ね。適当な理由をつけて、今のうちに騒ごうっていう魂胆はよくわかるわ。 …私は騒ぎたいとは思わないけど。知らない人と話すだけでも疲れるもの…
「…知り合いとは話した?」
「話してないかな。みんな、話したいことがあるだろうから。端っこで、楽しそうに笑ってるみんなを見るほうが私の性に合ってるよ」
「そう… それがいいわね」
この喧騒とミスマッチなほどに、しっかりとした会場と料理があるんだもの。 …私は壇上には立ちたくないの、ショーは下から見る方が落ち着いていいわ。 …いつ無理矢理に引き上げられるかわからないから、少しでも休める時に休みたいとも言えるわね。
全てが壇上と言える今は、トレーナーの側を離れない方がいいわね。この人は… 典型的な内弁慶だもの。猫を被る、とは違うわ。知らない人と話すときの、静かで落ち着いている姿が本性で、私やクラフトさんに対して笑いながらタメ口でふざけた話をしている時が猫ね。 …突飛なことをするのは素の性格でしょうけど。
「…失礼なこと考えてない?」
「…考えていたわ」
「正直に言われても困るんだけど…」
「…そうね」
…のんびりと休みながら、解散まで過ごしましょうか。帰ろうにも道がわからないから…
「あ、ちょっと話してくる」
「いってらっしゃい… というのもおかしいわね」
「ふふ、いってきます」
「お、お水ください…」
「はい、飲みな」
「私も貰うわね。流石に… 坂路は堪えるわ」
「上から見ても凄い傾斜だもんね…」
「…あなたも走ってみたら?」
「遠慮するよ」
9月3週の水曜日よ。トレーニングは坂路、トレッドミルは使わないでひたすらに坂路よ。アイビーステークスまで後1ヶ月しかないから、一気に負荷をかけて体を作るわ。 …レース感覚が最近は詰まっているから、十分にトレーニングを積めていない気がするわね。怪我は絶対に避けないといけないけれど… もう少し休みを減らすのは考えた方がいい気もするわ。それか、レースを減らすのも選択肢ね… 逆に、レースをトレーニングの代わりにするのも選択肢になるのかしら。 …やめましょう、得策とは思えないわ。
「もう1本、行く?」
「行きます!」
「はーい、いってらっしゃい。また良さそうな時に旗上げるから」
「次は色、間違えないように」
「2度も同じ過ちを犯すほど愚かじゃないよ」
「昨日まで出来ていたことを間違えたのは愚かではないのかしら?」
「切れ味よく刺してくるじゃん…」
旗は今回から使い始めたの。白い旗を上げたらスタートの準備をして、赤い旗を上げたらスタートよ。トレーナーが坂路の上にいる都合ね。横から見ている時は、私達のスタートに合わせてタイムを測ればいいけど、上から見ているとスタートがわかりづらいのよ。それに、トレーナーが声で合図を出すのも横からに比べて大変よ。純粋に、遠いから。
「準備… できてるわね。スタートに備え──
「…最悪のタイミングね」
出遅れたわ。レースなら出遅れなんて気にしないけど… 今は絶対避けないといけなかったわね。併走トレーニングなのに、クラフトさんが単走になってしまうもの。無理してでも、並びに行きましょう。 …流石に、まだスピードで負けることはないわ。トレーニングレベルなら尚更ね。私は… レース仕様の、本気の走りをすれば並べるわ。
ふぅ… 出遅れても、なんとか… っ、流石に堪えるわね… でも… 何の問題もないわ…!
「……!!」
「…あの子も、この空を見上げているのかしら」
「急にどうしました?」
「アヤベさんはよくそうなるので、放っておけば大丈夫ですよ」
「…帰りなさい、3人共」
「私は何も言ってないですぅ!」「カレンの部屋はここですっ!」
…夜、私の部屋よ。トレーニングでは… クラフトさんにも、トレーナーにも、迷惑をかけてしまったわ。あの1本は走りきったのだけど、トレーナーに心配されて… 保健室まで連れてかれたわ。少し脚を痛めただけで、大した問題ではないのだけど… トレーニングはそこで終わりになってしまった。もう少し… 無茶は控えないといけないわね。
クラフトさんもトレーナーも、保健室で私の側を離れてくれなくてね… 痛みが引いて帰ろうとしたら、担いで帰ると言い出した時は困ったものよ。振り切って帰ったら、寮の前でカレンさんとトップロードさんに待ち伏せまでされて… それで、部屋で話していたの。追いかけてきたクラフトさんも加えて、4人で。 …こうなるなら、尚更気をつけないといけないわね。後を引くわけでもない、ちょっとした痛みでもここまで囲まれるのよ? この調子だと、転んだりしたら1日見張りがつくんじゃないかしら。 …今も、3人に見張られているような状況だけど。
念の為言っておくけど、本当に痛みはないわ。軽く検査してもらったけど、そこも問題はなかった。だから、本当に大したことじゃないわよ。これじゃあ、星を見にふらっと外に出ることさえできないわ。 …別に、ただ話しているだけかもしれないわね。言うだけ言ってみましょうか。
「…外に星を見てくるわ」
「ダーメーでーすーっ!」
「そうです! 脚が痛い時は安静にしないと…」
「アヤベさんは逃がすとどこで怪我してくるかわかりませんから!」
「………はぁ」
…余計なことをしても、更に心配をかけて… 私の自由が減るだけね。今日は… もう、眠る準備をするわ。これ以上起きていても… 何もできないもの。
「お疲れ様、これ飲んで。それと、タイムはこうよ」
「読み、あげて… もらえると… 助かり、ます」
「…そうね。1ハロン目から16.6-15.0-13.7-13.1-12.4よ」
「えっと… いいん、ですか?」
「…いいと思うわよ」
時間の流れは早いもので、9月の最終金曜日よ。つまり、坂路トレーニングの最終日。負荷の高い坂路、単走でこの時計は悪くないと思うわ。 …トレーナーがいれば、もっと掘り下げて考えられたのかもしれないけど。
トレーナーは新しいトレーニングを学びに行ったわ。坂路トレーニングは私だけでもてきるから、問題はないけれど… どこで何をしているのか、詳しくは知らないわ。 …何か良い物を見つけてきてくれるといいけど。
「ふ、あ〜! 疲れたー!」
「…でしょうね。でも、もう少し動くわよ。トレーナー室に戻れば好きに休んでいいから」
「はい… もう少し、頑張るぞ〜」
「意気込むほどではないと思うけど…」
…歩きながら、今後の予定を説明するわね。アイビーステークスは10月後半だけど、今年は3週目の開催よ。 …いつも3週目だった気がするわ。それで… レースに向けての調整はその数週前から行うから、10月前半がその期間にあたるわ。だから… 10月後半というけど、実質的には前半のレースよ。日付的にも、10月の中旬にあるレースだもの。逆に考えれば、10月後半はレースがあるけどフリーということよ。 …休養に使うことになるでしょうけど。
…トレーナーが、前半後半でトレーニングを変えるのが良いと言ったから今の考え方だけど、レースによって開催日が違うのだから、前後半に分けて考えるより1週単位で考えたほうがいい気がするわ。別に… やることは変わらないのだから、どっちでもいいのだけど。
アイビーステークスについては… 後で、しっかりと説明するわ。 …トレーナーが。
「…トレーナーさん、いませんね」
「よくいなくなるから、放っておけば大丈夫よ」
「ふふ、ですね」
「…何か面白いことでも?」
「い、いえ! ただ、少し… この前、カレンさんが同じようなこと言っていたなぁ、と思った、だけです!」
「…あぁ、私がよく変なことを言うけど、放っておけばいいって言っていたわね。 …同じ扱いはやめて」
「はいっ、すいません…」
「…謝らなくていいわよ。同じ扱いをされても… 気にしないから」
「え? ど、どっち… ですか…?」
「面倒なこと言ってるだけなので気にしないで、放っておけば大丈夫ですよ♪」
「……やっぱり、
…トレーナーを探してくるわね。どこに居るのか、聞いてはいないけれど… ここに居たって何も起こらないもの。クラフトさんと話したいこともないし、トレーナーが居そうな… 屋上に行ってみるわ。
「…見つけた。何してるの?」
「アヤベさん、いいところに。あれポリトラックだよね? 今度、使ってみない?」
「それはいいけど… 早く帰るわよ、クラフトさんが待ってるわ」
「あー、ごめん。戻ろう」
屋上で見つけたわ。ポリトラックコースを見ていたようね。 …ポリトラック、使った記憶はないわ。確か、天候に左右されづらく、軽い力で速いタイムが出せる… そんなコースだったはずよ。排水性とか、滑りにくいとか、そういう詳しいことは… トレーナーに聞いて。
「クラフトさんに、アイビーステークスの説明をお願いできるかしら。特徴とか、早めに知っておけばイメージしやすいでしょ?」
「わかった、少し癖のあるコースだから… 知っておいたほうがいいね」
「…そうなのね」
詳しい話は… クラフトさんと一緒に、聞かせてもらうとしましょう。
「アイビーステークスは東京の芝1800m戦。左回りで直線が長いのは新潟と同じで、最大の特徴はスタートの位置だよ。2コーナーに重なるように斜めに伸びた直線がスタートで、2コーナーを突っ切って向こう正面に入っていく形。少しだけ曲がるけど気になるほどじゃないから、最初のコーナーは3コーナーだと思っていいんだけど… そう考えると、最初の直線が約750mある感覚になるんだよね」
「長いですね…」
「うん、凄い長い。最終直線も約525mと長いから、新潟ジュニアと同じか、それ以上に小細工の通じない力勝負のコースだね」
「…話を聞いても、構成は新潟に近いわね。違いは… 最後の坂、かしら?」
「そう。長くて坂のある最終直線が最大の難所。クラフトちゃんにとって1800mはただでさえ未知の距離なのに、不安はあると思う。だけど、このコースはクラフトちゃんにとってプラスもある。新潟と同じで、このコースもスローペースになることが多いんだよ。最初からハイペースの消耗戦にならないのは、スタミナに不安のあるクラフトちゃんにとって良いこと、でしょ?」
「ですねっ! マイル戦よりペースが遅いなら… いけると、思います!」
…苦しいレースになるでしょうね。東京の最終直線の苦しさは、よく知っているわ。確かに、スタミナが物を言う消耗戦になることは少ない。最終直線で切れ味勝負の瞬発戦になることが多いのは、クラフトさんにとっては向いていると思うわ。
それでも… 阪神、新潟と直線の長いコースを使い続けて、露呈し続けた最後の失速という弱点。ただでさえ距離延長という問題があるのに、あの長い試練の坂は疲れた脚を見逃してはくれないわ。 …小細工で何とかすることはできないのよ、この試練を。200mの距離延長をクラフトさんが乗り越えられるのか… 最後の坂が、全てを教えてくれるわ。あの坂を越えて走り切れるなら、更にその先に… トリプルティアラの夢が、見えてくるはずよ。
…桜花賞からオークスという、トリプルティアラのローテーション。クラフトさんが望んでいて、私も走らせたいティアラの道。トレーナーだって、その思いは同じよ。 …ティアラを夢見る全てのウマ娘に立ち塞がる、オークスの2400mという距離の壁。アイビーステークスの1800mでさえ、小さく感じてしまうほどの大きすぎる壁。オークスに夢を見るためには… ここで、負けるわけにはいかないのよ。
「…クラフトさんなら、きっと勝てるわ」
「頑張りますからっ!」
言っておくけど、ここで負けたからってオークスを諦めるつもりはないわ。どれだけ小さくても、可能性があるのなら… それに賭けるつもりよ。クラフトさんの夢を… 私は、応援したいから。
「…さぁ、説明会は終わりにしようか。学食でも食べに行かない?」
「行きます! …何にします?」
「カレンも行きまーす」
「…カレンさん、いたのね」
「いましたよー、静かに聞いてました。アイビーステークス、頑張ってくださいね♪」
「カレンちゃんもティアラ路線、でしたよね。ティアラの話、しませんか?」
「もちろんっ♪」
…ついていくけど、面倒なことになりそうね。
「──なのが、桜花賞の魅力なんです!」
…食事は終わったのに、帰れそうもないわ。30分は経ったけど、ティアラの話が終わらないのよ。 …適当に切り上げて、先に帰ろうかしら。
「琴葉さんも、桜花賞が大好きですよねっ♪ 詳しく聞いてなかったと思うんですけど、どうして桜花賞が好きなんですか?」
「初めて見たレースだから、かな」
「それだけじゃないですよね? そんな顔をしてますよ〜?」
「あはは… でも、初めて見たのが桜花賞で、そこからレースが好きになったのは本当だよ。他に、私が桜花賞に惹かれた理由があるとしたら… 距離かな、マイル戦が好きなんだよね。短くもなく、長くもなく、最初から最後まで速いタイムを刻み続ける。それが… 子供の頃の私には輝いて見えたんだと思うんだ」
…帰るつもりだったけど、トレーナーのマイルへの思いは知りたいわね。少し… 気になっていたことだから。クラフトさんをスカウトした時から… マイルが好きなイメージはあるもの。
「…それなら、NHKマイルC*6も近い時期のマイル戦だけど… 好きなの?」
「桜花賞ほどじゃないけど、好きだね。オークスとかダービーよりも、レース的には好きな条件かも。盛り上がるのはオークスとかダービーなんだけどね」
「確かに、中距離のG1に比べて盛り上がるイメージはないわね。でも… いつか、勝てるといいわね」
「ふふ、そうだね。桜花賞はクラフトちゃんにお願いしようかな?」
「ま、まかせてくださいっ!」
…聞きたいことは聞けたから、帰るわ。これ以上ここにいたら、本当に帰れなくなってしまう気がするもの。
…オークスやダービーよりも、NHKマイルCが好き、ね… 変な人よね、本当に。だけど… いつかは目指したいわね。チームは今後大きくなるでしょうから、そうすれば挑む機会も来るはずよ。 …ただ、本当に勝ちたいレースって、簡単には勝てないものなのよね。皆がダービートレーナーの肩書に憧れる中、1人だけマイルのトップを目指してるのよ? …案外、そういう人の方が楽にダービーを勝てるのかもしれないわね。クラフトさんがダービーを走ることはないでしょうけど。
……今は、余計なことを考えるのはやめましょう。
「…で、ポリトラックじゃないのね」
「レース直前の調整で、使ったことないコース使うのは怖くてね… ここは水中トレッドミルさんでいくよ」
「レースに支障がないように、脚に疲労が残らない程度で、よね。久しぶりだけど、上手く使えるかしら…」
「私がやるから、アヤベさんは休んでて。夏に練習したから」
「着替えてきましたー! トレーナーさん、よろしくお願いします!」
「…急に暇にされても困るのだけど」
10月最初の月曜日なのだけど、暇にされると本当に困るわ。自分がレースを走るなら1人ですることは幾らでもあるのだけど、クラフトさんのレースのために私に何ができるかしら。データはトレーナーの専門だし、何も考えていなかったわ。レースに向けた調整に直接関わるつもりだったもの。
「わ、ワーカーホリック…」
「違う。クラフトさんの為に何かできることがないか聞いているの」
「…それなら、書類を頼んでもいい? 普段、私がやってるやつ」
「…わかったわ」
…何度か手伝ったことはあるから、やり方はわかるわ。私がこれを代わりに進めれば、トレーナーの自由時間も増えるはず。 …トレーナーのことだから、暇が増えたらレース展開の予想でもするでしょうから… トレーナーの時間を作るのも、クラフトさんのレースに繋がるはずよ。少なくとも、暇を持て余して眠るよりはよほど価値があるわ。
「…トレーナーって、こんな書類も確認するのね」「いちに、いちに」
「何か気になるのあった?」「さんし、さんし」
「クラフトさんの身体測定」「えっ?」
「それか、申請したら貰えるんだよ。何かしないといけないやつじゃないから、放っといて。アヤベさんのもあるけど、それも放置で」「そう、なんですね」
「…私のは必要ないでしょうに」「わたしのだって、いらなくないですか?」
…私とトレーナーが話すならわかるけど、クラフトさんが1番声を出してないかしら。余裕があるのは良いことだけど… 余裕がありすぎるのは良くないわよ。レースに向けて、ある程度は負荷をかけないといけないもの。
身体測定の紙は、クラフトさんの分は端に置いておいたわ。私のは… 持って帰る。見られて困ることはないけど、見られて嬉しいこともないわ。それに、私の体を知る必要はないはずよ。身長や体重、スリーサイズまで書かれているんだから… 紛失しても困るもの。必要ないのなら、回収させてもらうわ。
「…他に妙な書類はなさそうね」
「できそう?」
「任せなさい。軽く… 片付けてしまうわ」
「アーヤーべーさん、何か手伝いましょうか?」
「…ホットココアを貰えるかしら」
「はーいっ、作ってきますねー♪」
…慣れないことをするものじゃないわね。夜になっても、書類仕事が終わらないわ。でも… 後少しだけよ。 …今後も、できる範囲で手伝いましょうか。大変なのはよくわかったもの、トレーナーに任せきるのは悪いわ。 …一応、私はサブトレーナーだもの。トレーニング以外の部分でも… チームのために、やれることはするつもりよ。
「はいっ、持ってきましたよ♪」
「ありがとう… ねぇ、カレンさん。最近は何か、楽しいことでもあったかしら?」
「急にどうしました?」
「らしくない、とでも思ったかしら」
「うっ、少しだけ」
「…私は時代の流れに疎いから、置いてかれないようにカレンさんを頼っているの。あなたは… 流行の中心にいるでしょう?」
「ええ〜? それなら〜、どんなことが聞きたいですか?」
「…面倒だから、やっぱりいいわ」
「そんなぁ!」
やることは終わったわ。少しだけ、カレンさんとお話しましょうか。 …面倒になったら寝るわ。今はまだいいけど… 脱線の果てに、私を連れ出そうとしてくることがあるから。そうなる前に切り上げるわよ。
「今日、冬に着るカワイイ服を探しに行ったんですけど、アヤベさんに合いそうな水着があったんですよ♪」
「…この時期に水着を売っているの?」
「来年の夏に向けて、早めに売るお店もあるんです。そうだ!「おやすみ」
「流石に判断が早すぎますよ! お誘いじゃないので、話を聞いてください!」
「…じゃあ、何の話なのかしら?」
「カレンが借りてくるので、試着してみませんか? っていう話です!」
「…おやすみ」
「うぅ… カレンのお願い、聞いてもらえませんか?」
…泣き落としをされてもその願いだけは聞けないわ。冬服ならまだしも、水着は… ちゃんと伝えましょうか。寝てるところを揺すられても困るもの、理由を言えばわかってもらえるでしょうから。 …カレンさん、実はしっかり者だから。言えばわかってくれるわ。
「…何を言われても水着は要らないわ。今年から新調したもの、毎年変えるつもりはないわ」
「えっ!? カレン、アヤベさんの水着見てません!」
「合宿で着ただけだもの。今年はもう着ないわ」
「ぐぅ… 来年、見せてくださいね♪」
「来年も合宿だけよ。誘われてもプールにも海にも行かないと、事前に言っておくわね」
「そんなぁ… どうしても、ですか?」
「…そうね。トレーナーに頼まれるならまだしも、カレンさんに見せる理由はないもの」
「琴葉さんに頼まれたら着るんですか!?」
「…水着は、トレーナーに貰ったものだから。トレーナーに見たいと言われたら、1度は着るわよ。 …このこと、言うんじゃないわよ」
「は、は〜い、言いませんよ〜?」
…絶対に言うわね。余計なことを言ってしまったかしら? …トレーナーに頼まれたら見せるのは本当よ、水着の件に関しては… トレーナーが
「…おやすみ」
「まだ話しましょうよ〜? …アヤベさ〜ん? 寝たフリですよね〜?」
…おやすみ。レースまで… 一気に行くわよ。
「ここが、東京レース場…」
「私はパドックを見てくるよ。2人はコースの視察、頑張って」
「…あなたも来るべきじゃないかしら?」
「当日までにちゃんと見るから… 最初はパドック!」
「…クラフトさん、行くわよ」
「はいっ、わかりましたぁ!」
…今はレース2日前の木曜日。アイビーステークスは今週の土曜日よ。 トレセン学園から近いから、当日の朝に来てもよかったのだけど… 早めに行って損はないと思ったから、2日前から近くのホテルに泊まることにしたの。代金は経費で落としておくわ。 …落ちるのか知らないけど。
「アヤベさんとクラフトちゃん、待ってましたよ!」
「トップロードさん! あの、どうしてここに?」
「そうよ、授業は?」
「事前に今日の授業内容は済ませて、今日出される課題も終わらせて提出済みです!」
「…それなら、いいのかもしれないけど… 学級委員長が頻繁に欠席してもいいの?」
「そこを突かれると… でも、学級委員の仕事も全部済ませてあるので、大丈夫なはずです。クラスのみんな、いい子ですから!」
「…そう。なら、何も言わないわ」
スタンドにトップロードさんが居たのは想定外… でもないわね。良くないことだけど、慣れてしまったわ。クラフトさんの応援によく来てくれるから、今回も来るものだと思っていたもの。 …忙しいのに、どうしてここまで気にかけてくれるのかしらね。今度、聞いてみるのもいいかもしれないわね。
「明日には京都に行かないといけないので、今日だけですけど… 今のうちに、一杯、応援しますからね」
「京都、秋華賞ですね。現地に見に行くんですか?」
「秋華賞と菊花賞のイベントに出るので、2週連続で京都に行くんです。レース前からレース後までずっと忙しいので、クラフトちゃんのレースは見れないんですよ…」
「…大変ね。でも、あなたの人気故の仕事よ。頑張りなさい、応援してるわ」
「アヤベさんも、来週はどうですか? 飛び入りもいけますよ!」
「行かない。菊花賞の宣伝に私が行ってどうするのよ」
トップロードさんの今後はいいとして、レースに向けて準備を進めましょう。東京レース場の形はクラフトさんもよくわかってるでしょうけど、1800m戦に関しては私もよくわかっていないわ。 …不思議なものよね。見慣れたコースなのに、距離が少し変わるだけで全く違うものになるなんて。スタートからゴールまで、歩きながら確かめましょう。許可は取っているわ。当然のことだけど…
「…そういえば、変装はどうしたの?」
「今日はカメラがないらしいので… 来る時はサングラスつけてましたけど、外しちゃいました!」
「そう… 好きにしなさい」
…スタートからゴールまで歩くと言ったけど、スタートがどこか、それが問題ね。スタンドから見ているのならまだわかるわ、形は地図を見たから知っているもの。だけど、ターフに降りてみると… とりあえず1コーナーから歩いて探しましょう、途中で斜めな直線と交差したら、そこが1800mのコースのはずよ。
「…ここから右ね。あそこよ」
「奥のコーナーですか?」
「…奥は2000mのコースね。2000mのコースの手前、この直線の先あたりが1800mのスタートよ」
「…行ってからもう一度お願いします」
「そうね… スタートまで歩きましょう」
「走り慣れているのに、わからなくなってきますね」
本番はゲートまで案内してもらえるから迷うことはないでしょうけど、少しだけ不安になるわね。レース中にコースアウトすることも、ないとは思うけど… 1800mのコースに迷い込むことはあっても、1800mのコースからどこかに入ってしまうことはないはずよ。スタートの位置が珍しいだけで、コース自体は普通だもの。形だけで言うなら… もっと複雑なコースだって知ってるわ。中山とか。
「ここがスタート、短い直線の先に第2コーナーが少しあって、向こう正面に繋がるわ」
「…第2コーナーはないようなものって聞いてましたけど、しっかり曲がってるんですね」
「そうね… ただ、角度は緩やかよ。あの程度なら、減速する必要も殆どないでしょう? 直線と、たいして変わらないわ」
「元々、東京レース場のコーナーは緩やかですからね。とても走りやすいと思いますよ」
「ですね! アヤベさん、コーナーも見に行きましょう!」
「そうね… 2コーナーも、歩いて確認しましょう」
スタートから2コーナーまではすぐね。そこから向こう正面に。 …最初はトレーナーが少し話を盛っているのかと思っていたのだけど、本当に第2コーナーはないようなものね。角度もそうだけど、スタートから近すぎるのよ。コーナーに向けて位置取り争いが起こる
第3コーナーまで、およそ750m… これだけ長ければ、コーナーまでに狙った位置に入りやすいでしょうね。 …言い方を変えれば、逃げウマ娘による位置取り争いは起こりづらいと言えるわ。そうなると、ペースは自然と遅くなる… トレーナーに教えてもらった、このコースの特徴、少しずつわかってきたわ。
「向こう正面は殆ど坂よ。2コーナーから下り坂で入って、ここから登り。少し平坦な部分があって、その後は3コーナーにかけてまた下るわ」
「坂が続くなら、ペースが変化しやすい、ですね?」
「…そこまでペースは変わらないわね。一貫してスローペースになるコースだから、坂が原因でペースが大きく動くことはないわ。 …全く変わらない、とまでは言わないけど」
坂の基本は、上りで減速して下りで加速する。東京1800mも、その点で類を漏れることはないわ。ただし、そもそものペースが遅ければ、減速は殆ど起こらない。それに、スローペースにしようと逃げウマ娘が考えているとしたら、下りでの加速も小さくなるわ。東京レース場の最終直線に待ち構える坂を考えると、逃げウマ娘は意図的にスローペースに作りにくる。結果的に、向こう正面の坂達はレースにおける異議を失うわ。 …多分。
「ここが坂の頂点、少しだけの平坦な地点よ。この後の下り坂でもスローペースのまま、第3コーナーに入ることが多いわ」
「第3コーナーの後、第4コーナーは緩やかな上り坂です。上り坂ですけど、そこから少しずつペースが上がります!」
「それで、コーナーの後は末脚勝負、ですよね? ハードなコースですね…」
「えぇ… 東京レース場はそういうコースよ。1800m戦に限らず、どの距離でも近い展開になるわ。坂とコーナーで上手くスタミナを残して、長い最終直線の坂に全てをぶつける。それが… 東京レース場よ」
歩きながら、第3コーナーまで来たわ。傾斜は殆どなくて、幅が広くて緩やかなコーナー。曲がりやすくて、速度も維持できて、直前に下り坂がある… こう言うとペースが速くなりそうだけれど、ならないでしょうね。まだゴールまで距離があるもの、ここからロングスパートを仕掛けたら、最後に垂れてしまうわ。 …このコースは、最後に垂れて残れるコースではないわ。
「ここが4コーナー。 …特にいうことはないけど、少しだけ上向きの坂になっているわ」
「…最終直線まで特に何も起こらないですね」
「…それだけ、最終直線を皆が意識するということよ。最終直線を意識すると、それ以外の場所で仕掛けたくはないでしょう?」
「時々、4コーナーからペースが動くこともありますよね。今回はどうなんですか?」
「4コーナーから仕掛けると、ゴールまで600m以上という距離に加えて厳しい上り坂をハイペースで走り切ることになるわ。 …ジュニア級のウマ娘にとって、それは不可能と言い切ってしまっても構わないわ」
「なるほど、そこも関係するんですね…」
アイビーステークスはジュニア級の競走の中では長い部類に入るわ。1800mという距離で考えると、中距離というには少し短い距離だけど、ジュニア級のウマ娘にとっては長い距離よ。シニア級のウマ娘とはスタミナが違うもの。今の時点で1800mを走りきれるウマ娘なら、将来は中距離を主戦場とすることが多いわ。 …それだけ、1800mという距離は長いのよ。
よく言われることだけど、距離が伸びるほどスローペースになり、最終直線の末脚比べになるわ。極端な話、短距離なら最初からハイペースで走っても走り切れるけど、長距離で最初からハイペースだと走り切ることはできないわ。これは、絶対的な距離ではなく、走るウマ娘にとっての相対的な距離の話よ。私やトップロードさんにとっては、1800mは短すぎると言っていい距離だけど… 今回走るウマ娘の中に、1800mを短いと思うウマ娘はいないでしょうね。全員が長いと思っているはずよ。もう一度、極端な話をするけど… クラフトさんにとってのアイビーステークスは、私達にとっての菊花賞*7と思えばいいわ。 …何もかもが違うけど。
「ここから最終直線、およそ525m… だったはずよ。距離は違えど… オークスの舞台で、樫の女王を決める勝負の直線よ」
「…テレビで見ても、想像できなかったんですが、凄い坂ですね。これが、府中の坂…」
「…実は、傾斜に関しては坂のあるレース場の中では低い値よ。阪神レース場の方がよほど急坂ね。この坂の特徴は、坂が長いことと、坂を越えても直線が長く続くことね」
「阪神とか中山は、坂を越えたらすぐにゴールなので、そこが違いですね」
「ふむふむ、勉強になります!」
「傾斜はゆるやかでも、高さ2mという数字は阪神レース場を上回るわ。楽とは思わないほうがいいわよ」
「き、肝に銘じておきます!」
さて、コース1周の散歩もこれで終わり。この後は… トレーナーに指示を仰いでくるわ。コースを感覚で理解した後は、トレーナーのデータで知識として理解しましょう。感覚と知識、どちらか片方でも勝てないわけではないけど… 両方あって損はないわ。
「…トレーナー、探してくるわね。勝手に走らないように」
「大丈夫です!」
「私が見てます!」
…この後は、トレーナーを呼んでコースの確認をもう一度したわ。 直線の長さとか、コーナーの幅とか、傾斜の度合いとか… 他のレース場と比較して、理解深めた、といったところね。これから数日は本番までの調整だけど… 負荷はかけず、軽く
「最後に、もう一回確認するよ」
「そうしましょう。レース直前… 最後の作戦会議といきましょう」
「はいっ!」
レース当日の昼間、アイビーステークスまではもう2時間程度しか時間がないわ。 …時間はないけど、やることもない、といったところね。作戦会議、本当は少し前に終わったの。それから食事も済ませて、体を動かしてレースの準備を済ませたわ。 …それなのに、時間が余ってしまったから、もう一度話し合うことにしたの。レース当日に暇を持て余すのはよくないもの、これ以上何も話すことはないのだけど… 同じことの繰り返しだとしても、クラフトさんを独りにしないためにも、話し続けましょう。レース前に独りになると、余計なことを考えてパフォーマンスを落としてしまうわ。 …よくあることよ、だからこそ避けないといけないの。
「今年のアイビーステークスは7人、人数は少ないけど侮っちゃいけないよ。ジュニア級のリステッド競走は、そもそも辿り着けるウマ娘がそう多くない。クラシック級に比べて未勝利戦を突破したウマ娘が少ないのはもちろん、体が完成していない段階で負荷をかけるのを嫌って極力出走数を減らそうとするからね。つまり、わざわざリステッド競走を走るのは、ある程度勝てる自信があるから。 …もちろん、それは私達もね」
「ですね!」
「出走メンバーの話の流れで、それぞれの脚質も話すわね。 …わからない、以上」
「わからないんですか!?」
「…これ、さっきもやったわよね? 台本があるわけじゃないんだから、やらなくていいわよ。 …で、本題に戻るけど、誰が逃げて誰が追い込むのか、本当にわからないわ。メイクデビューを勝ち上がってきたウマ娘ばかりだけど、前走と作戦を変えてくるウマ娘も多いはずよ。 …だけど、全くわからないでは私達も作戦を立てられない。だから、トレーナーの予想を私が話すわ」
「アヤベさんの予想じゃないんですか!?」
…このツッコミも2回目だから、無視して進めるわね。
「最内と大外、1番と7番が逃げるわ。次点に4番のクラフトさんと6番。その後ろに3番で、最後方が2番と5番。特に気をつけたいのは7番の位置取りよ。東京1800mはスタートの直後にコーナーがあるわ。ペースには影響がないほどの小さなコーナーだけど、7番は逃げるためにコーナーで外から切り込んでくる可能性が高いわ。進路に気をつけなさい。危険な斜行はしてこないでしょうけど、下手な位置に入ると押し出される形で逃げさせられたり、逆に内で包まれて進路を失う可能性があるわ」
「なので、1番と7番の間の後ろ、ですよね」
「そうよ。横軸は1番と7番の間で、縦軸は少し後ろ。スタートからすぐに1番の横に入って、コーナーで7番が詰めてきたら、1番の斜め後ろに入るの。そうすれば、煽りを受けることも、進路を失うことも回避できるわ」
クラフトさんは既に話し合った後だからわかっているでしょうけど、一応、頭の中で再確認しておきましょうか。問題になっているのは7番、逃げウマ娘が大外にいるのよ。コーナーに向けて位置取りを考える中で、先行や差しのウマ娘は空いている場所に入ればいいけど、逃げはそうはいかないわ。先頭か番手で、尚且つ内に入るには、他のウマ娘よりもスピードを出して内に切り込むしかないわ。
…そうなると、クラフトさんにとっては目の前を横切られることになるわ。前の動きに惑わされたり、その煽りで体勢を崩したりしてはいけない。けれど、クラフトさんが前に行ってしまうと、7番に後ろから寄せられて前に押し出されたり、横から詰められて1番と7番に挟まれる形でペースを乱される可能性がある。それを回避する作戦が、1番の横から下がる、よ。
7番が来るまでは1番の横に待機する。そうすれば他のウマ娘の煽りを受けることもなく、自分のペースで走れるわ。そして7番が来たら、寄せられる前に下がる。予想では6番が先行するから、7番は1度前に出て6番を抜いてから、内に入ってくるはず。その場合、7番が内に入る直前、クラフトさんとは距離ができる。その時に下がれば楽に1番の後ろに入れるはずよ。
6番と7番が一緒に内に入ってきた場合はクラフトさんのすぐ後ろから仕掛けられるけど、そうなった時は6番がクラフトさんの後ろにいるはず。7番がクラフトさんを抜く時、真後ろから仕掛けることは不可能に近いわ。7番が斜め後ろから内に入りつつ前に出てきた場合、クラフトさんは前に押し出されてしまうのだけど、その場合は6番が7番にぶつかられていることになるから、まずありえないわ。
6番が1番のすぐ後ろ、つまり内ラチ沿いの2番手に入るのを待ってから、7番が動いた時が1番危険ね。7番はクラフトさんの真後ろから仕掛けられるの。こうなると、内から抜かれる可能性が出てくるわ。真後ろから、1番とクラフトさんの間を狙われた時、クラフトさんはどうなると思う? 後ろと内は7番に塞がれているわ。だから、前に出るか、外に回るかになってしまう。 …直線なら外に回ればいいけど、今話しているのは最初のコーナーの攻防。外に回るのも前に出るのも、嫌よ。だから… 1番のすぐ横につけておくの。そうすれば、7番は間を狙うことができないわ。 …無理矢理間を突破したら、危険だもの。そんな進路を取ってくることはないと信じているわ。
…以上が、少し前に作戦会議で話し合った作戦よ。私が話したけど、トレーナーと2人で考えた作戦。クラフトさんも納得してくれたから、この作戦で行くわ。 …7番に対して、上手く立ち回ってくれると信じているわ。他のウマ娘に関しては… こちらからは何もできないわ。進路を塞ぎに行くのも、リスクの方が大きいもの。それに、力関係もわからないのに誰かを狙い撃ちしてもね… 7人立てのレースでは、後方勢に対して何もできないわよ。相手が下手を打たない限り、詰まることはないもの。勝手に進路を失ってくれたらラッキー、程度に思っておくわ。
「…私からは以上よ。トレーナーからは何かあるかしら?」
「作戦も全部言ってもらったし、雑談してもいい?」
「お願いします!」
「…好きにしなさい」
「じゃあ、これは昨日見てない夢の話なんだけど…」
…何の話?
「──でね、その妖精が、なんと…」
「なんと…?」
「豆の「レースの時間だから準備して」
「えぇ!? もうそんな時間なんですか… いいところだったのに…」
「続きはまた今度にしよう。いってらっしゃい、楽しんできて」
「いってきます!」
「…笑って、走りきりなさい」
…どこが面白くて、何が良いところなのか、そもそも何の話なのか… 訳がわからなかったわ。 …昨日見てない夢の話ってどういうことだったのかしら。ずっとそこが引っかかって、最初から話が入ってこなかったのよ。正直… 真面目に聞いても大した話ではなかったと思うけど。
「…アヤベさんは行かないの?」
「今日はここに残るわ。スタッフに任せたからクラフトさんはちゃんとパドックに辿り着けるはずよ。 …それに、既に重賞を勝ってるのよ。私が側にいなくても、緊張で潰れることはないでしょう? …後、あなたと話しながらレースを見たこと、なかったから」
「…そうだね。今日は、ここから… 2人で応援しよう」
…頑張りなさい、クラフトさん。来年のオークスに繋がる、そんな走りで… 勝って。
「さっきのシンギュラリティの話の続き、してもいい?」
「レースの話ならいいわ。 …待って、さっきの話のどこにシンギュラリティの要素があったの?」
「もうパドックだし、やっぱり後で話すよ。 …クラフトちゃん、大丈夫かな」
「…私は、あなたのことが心配よ」
…落ち着きましょう。もうアイビーステークスは始まるもの。愉快な話は忘れて、応援に集中しましょう。トリプルティアラに向けた、中距離への挑戦を… 見届けましょう!
〜10月後半