琴の音に耳を澄ませて 作:緑雨
…頭の中ではわかっていた。何度も、見たことがあったから。初めて見た時はわからなかった、でも大人になってわかるようになった。だけど、この世界ならと… 藁にすがるように、願っていた。みんなの走りを、戦績を見て… 薄々と、気がついていたのに。
「…距離の壁、か」
「今は… 限界ね」
アイビーステークス、クラフトちゃんは敗れた。2着惜敗なら、前向きになれたかもしれない。だけど、結果は前と離されての3着。それも、逃げ先行のウマ娘が止まらない展開で、伸びを欠いた。それでも3着を取ったのは、クラフトちゃんの強さだと思う。
「迎えに行きましょう。敗れはしたけど… 3着に健闘したのよ。万雷の拍手、とはいかないけど…
「…そうだね。クラフトちゃんは、何も悪くないから。全ての力を振り絞って、走りきってくれたから…」
「…あなたも、自分を責めないで。誰が悪いとか、そんな話ではないわ」
「…そう、だといいな」
…クラフトちゃんに非はない。もちろん、アヤベさんにも。それに、勝負の世界なんだから負けるのは普通のこと。今回のアイビーステークスだって、勝てるのは1人だけで、他の6人は負ける。負けは、仕方ないことでもあるんだけど… だけど、今回は、私が悪いと… 思ってしまうんだよ。アイビーステークスは、マイラーの為のレースじゃなくて、クラシックディスタンスを得意とするウマ娘の為のレースだって… わかっていたんだから。
「…本当に、誰も悪くないのよ」
「……」
「負けちゃいました… もう少しで、勝てたかもしれないのに…」
「お疲れ様、よく頑張ったわね。いい走りだったわ」
「…ありがとうございます。まだまだ、ティアラは遠いんだなって… 感じました。でも、諦めたくないので… 次は、必ず勝ちます!」
「ええ。鍛えなおして、次こそは… 1着を取りに行きましょう」
「…うん。これを、糧にして。また… 頑張ろう」
「はいっ!」
…私も、引きずってばかりはいられない、か。クラフトちゃんの、太陽のような笑顔を見ると、そう思わされるよ。ずっと下を見ても、過去を嘆いても、明日は来てしまう。今日の負けを、絶対に活かさないといけない。 …私が、忘れてはならない。いつまでも、胸に刻んで…
「…トレーナー。後で… 次走の話をしましょう」
「…そうだね」
…進もう。ずっと止まっていては、クラフトちゃんのためにもならない。進んで、進み続けて… 今日の負けに、価値をつけよう。価値のない負けには、絶対にしないように…
「アヤベさん、このあたりで、冬に星がよく見える場所ってあるかな」
「冬に… とっておきの場所があるわよ。教えるから、メモしてもらえる?」
「あー、それなら、この地図に書いてほしいな」
「わかった、何箇所か印を付けておくわね」
「ありがとう」
「…たいしたことはしてないわ」
今はアイビーステークスの2日後、翌週の頭ってところだよ。アヤベさんに聞きたかったことも済んだし、少し出かけてくるよ。
「失礼しますっ!」
「クラフトちゃん?」「どうかしたのかしら」
「トレーニングの話で… あの、私… もっと、強くなりたいです! どんなトレーニングでも、やりますから… もっと厳しく、沢山、お願いします!」
…担当にこんなことを言われるなんて、不甲斐ないよ。でも、クラフトちゃんの思いはわかった。 …だけど、今私が言わないといけないのは、そういうことじゃないね。
「ただ量を増やすだけじゃ意味ないよ。だから… もっと良いトレーニング、考えてみるよ」
「そうね… クラフトさんは今までどおりに、トレーニングを受けてくれればいいわ。私達が… 必ず、その思いに応えるから」
「…はいっ! 必死に、頑張るので… よろしくお願いします! …あ、用事があるので失礼します」
「私も出かけてくる。アヤベさん、また今度」
「また後で」
アイビーステークスの後、3人で話し合って次走は決めた。12月、冬の阪神で開催される
それと、確定ではないけど… 阪神JFは、フルゲートになる。世代のトップを決める戦いだから、フルゲートにならないと困るんだけどさ。これまで開催された重賞や
コースの説明は… 後でいいか。走ったことのあるコースだし、枠順が決まってからまた考えよう。今は、やらないといけないことを終わらせよう。 …仕事ってわけじゃない、プライベートなことなんだけどね。まぁ、行ってくるよ。話はまた後でね。
「ただいま、まだいたんだ」
「あなたに確認してもらう書類があるから、待ってたのよ。はい、これ」
「はーい、確認させてもらうね」
軽い買い物を済ませて、自分の部屋に置いてきたよ。で、書類は… 勝負服の関係か。前にも話した気がするけど、レースで着る服は2種類あるんだ。1つは、普段クラフトちゃんも使っている体操服。多少種類はあるけど、基本はみんな同じ。メイクデビューから重賞まで幅広く使われるよ。
そしてもう1つが、ウマ娘ごとに異なる勝負服。G1に出走が決まったら、トレセン学園に申請して、作ってもらう特注品。自前で作るのも可能なのかもしれないけど、クラフトちゃんは普通に申請してあるよ。勝負服の見た目を決めて、それで申請すれば、職人さんが作ってくれるんだ。確か、話し合いながら絵を描いて提出したはず。ピンクを基調に、赤と白で飾って、アクセントに緑を使った記憶がある。 …私の記憶の中にいるラインクラフトの勝負服に近い色だけど、色は私じゃなくてクラフトちゃんの方から提案されたんだよ。そういうところも… 運命なのかもね。
「確認終わり。アヤベさん、この後は暇?」
「暇だけど… もう日が暮れてきたのに、出かけるつもり?」
「流石に出かけないよ。ただ、聞いてみたいことがあって」
「…何かしら?」
「星を見る時って、どんなおやつを持ってけばいいかな」
「……知らない。わかってるでしょうけど、ゴミは持ち帰りなさい」
「それくらいはね」
アヤベさん、お菓子食べるイメージないもんなぁ。星みたいだし、金平糖にしようかな。今度見に行く時までに買っておこうっと。
「そろそろ帰るわね。また明日」
「ん、また明日。私も帰ろっと」
トレーニングを再開するのは来週だから、今のうちに何か良いトレーニングを考えないと… 部屋に帰って、資料探してみよう。
「で、何か浮かんだのね?」
「そう! 今後どこを走るにしても、スタミナをつけるのが
「それで? 何をするつもりなのかしら。呼んだってことは… 今までとは違うことをするのよね?」
「今まではトレセン学園内で強く短く走るトレーニングをしてきたから、逆に弱く長いトレーニングをしようと思ってる。いわゆる、持続走ってやつ」
「…トレッドミルでやっていたこととは違うのね?」
「あくまでアレは強く負荷をかけることが目的だったでしょ? 今回は負荷をかけるよりも、長く続けることに重きを置くつもり。トレッドミルでもいいんだけど… 景色が変わった方がいいと思って」
「…トレッドミル愛好家のあなたが、そんなことを言うとは思わなかったわ」
「…そんなにかなぁ?」
…そんなにかな? 否定はしないけどね。で、だよ。アヤベさんに言った通り、明日からのトレーニングは持続走。11月の前半、ずっと続けるのはしんどいかもだけど… やり通さないとね。少なくとも、ある程度のペースで2400mを走りきれるようにならないと。本番はスローペースの切れ味勝負になるとは思うけど、スローペースだからってスタミナを使わないなんてことはないからね。
1ハロン12秒で5ハロン走るのと、1ハロン13秒で6ハロン走るのだったら、13秒で6ハロンの方がスタミナがいる… と、私は思ってる。何が言いたいのかっていうと… ペースが遅くなる影響よりも、距離が伸びた影響のほうが大きいってこと。だから、本番よりも遅くてもいいから、2400mを走りきれないと。そうじゃないと、オークスは走りきれない。
「…話の流れからして、私も併走するのね? どれだけの距離を走るつもり?」
「うんと遠くまで。2人の体力が尽きるまで、私も自転車で同行するよ」
「車じゃないのね」
「持ってないからね」
「…そうだったわね」
私も少し… 体、動かせるようにしないと。今から鍛えるのは無理だし、痛めちゃうけどさ。
「話は終わり! アヤベさん、今日の予定は?」
「トップロードさんと出かけるけど… 来る?」
「…やめておくよ。2人で楽しんできな」
「そう… 行ってくるわね」
「楽しんできな」
…私も、昼寝してこよー。
「ふぅ… 苦し… くない、です!」
「…私は苦しいわよ」
「私も… 5分休んだら、またスタートしよう」
「はいっ!」
「…私も自転車にしようかしら」
「アヤベさんは併走してください!」
「…トレーナーは走らせなくて良いの?」
「えっ、無理だよ」
「トレーナーは、その… 多分、怪我しちゃうので」
「…そうね、私もそう思うわ」
…不名誉だけど、仕方ない。年齢を言い訳にできる歳じゃないし、忙しくて疲れてるって言い訳もできない、ただ単純に運動不足なだけだから… でも、凄いと思わない? 1時間自転車漕ぎ続けたんだよ? 持続走だから2人の走りは遅めとはいっても、大変だからね? 11月だけど着込まなくて正解だったよ、暑い。
あ、今は11月最初の月曜日だよ。阪神JFに向けての調整、それと今後に向けてのトレーニング。内容は持続走、同じ速度で長い間走り続けるっていうやつだね。イメージとしては、マラソンかな? …そんなにやったら私の体が壊れちゃうけど。
「…そろそろ行くわよ」
「いけますっ!」「オーケー…」
私の仕事は、自転車に乗って併走してる2人の少し前に居続けること。私のペースに合わせて2人が走るから、とてもとても重要な役割なんだけど、本当に大変… この1年、クラフトちゃんの担当になってから少しは体を鍛えてるんだけどね。もっと鍛えないとなのかな… 日頃から。
「トレーナー、ここからどこに向かうつもり?」
「向こうの橋を渡って、そこから折り返そうかな。今まで走ってきた川沿いの道を、対岸で逆走する感じで」
「つまり… 橋まで行って、やっと半分ってことね」
「そういうこと!」
嘆いていても仕方ない、頑張ろう。
「失礼しまーす、トレーナーさんいますか?」
「いるよー、どうかした?」
週末、トレーナー室で脚を癒してるところ。お店で見つけた電動のマッサージ機でガーってやってるの。意味があるのか知らないけどね。安いやつだし、効果すら見ないで買っちゃった。まぁ… 無意味ってことはないでしょ。右手で脚にマッサージ機使いながら、左手でお菓子を食べる。なんか… 自堕落な生活してるみたい。そんなことないけど。
「用事はないんですけど、少しお話したいと思って…」
「いいねぇ、お菓子食べる? 美味しいよ」
「そうですね、お菓子… あ、そうだ。ハロウィンの時、どこにいたんですか? お菓子を貰おうと思ったのに見つからなくて…」
「休日だったから、部屋で休んでたよ。今週は疲れるのわかってたから、休んどこうと思って。一応、お菓子買ってたんだけどね。今食べてるこれもそうだけど」
ハロウィンってことはわかってたんだけど、私の方からお菓子を配りに行くのもおかしくない? ハロウィンって、子供が仮装して大人に会いに行ってお菓子を貰う、そんなイメージでさ。大人がお菓子持って子供を探してたら、ちょっとダメな感じがするし。なんか… ハロウィンでも許されなさそう。
「寮にいたんですね… う〜、トレーナー寮に入れたら貰えたのに…」
「入れないもんね。アヤベさんは朝早くに来たけど」
「アヤベさん、勝手に入ったんですか…?」
「そうだろうね、入り方も知ってるだろうし。それで、お菓子入れたカゴ3つ持ってかれたよ。6個しか用意してなかったのに3つも持ってったんだよ、酷くない?」
「…もしかして、そのカゴってキャンディーが15本刺さってるやつですか?」
「…そうだよ、琴葉だから赤いキャンディー5本と青いキャンディー10本。好きなお菓子詰めたら見た目悪かったから入れたんだ」
…私、クラフトちゃんに見せた覚えないんだけど、なんで知ってるんだろうね。偶然ってことはないと思うんだよ、だってハロウィンのお菓子としてキャンディケインを15本も入れるのなんて私だけでしょ。あれね、杖みたいな形のやつ。クリスマス前後しか見ない謎のやつ。 …まぁ、クラフトちゃんがどこで見たのか心当たりはあるんだけど。
「…アヤベさんに貰いました、ソレ」
「あぁ、横流し…」
「でも、美味しかったです、ありがとうございました」
「それなら、いる? まだ40本残ってるんだよね、キャンディ。流石に沢山食べると甘ったるくて」
「遠慮しておきます… わたしもまだ、キャンディだけ残ってるんです」
「…買いすぎたなぁ」
アヤベさんが横流ししてたのは、まぁ… カゴ3つも持ってかれたから、なんとなくはわかってたよ。1人で食べ切るには多いから、配るんだろうなって。 …私、配らないでよかった。私とアヤベさん、渡す相手って同じだろうし…
「…持続走の途中に食べてもいいかも、糖分の塊みたいな味だし」
「溶けませんか?」
「大丈夫じゃないかな? 夏ほど暑くもないし、すぐ溶けちゃうならもう溶けてるよ」
「…確かに、そうですね」
持っていってみよう。できるだけ身軽になりたいけど… ショルダーバッグくらいなら、自転車漕ぐ邪魔にならない、はず。 …肩痛めたらどうしよ。溶けても困るけど、個包装だから最悪の事態にはならない、はず。
「ん、美味しいね」
「ですね!」
「…甘すぎるわね」
「…それは、そうかも」
月曜日、途中で食べてる。味は甘すぎるかなって感じるけど、糖分摂取には良さそうだし、今度も持っていこう。 …わざわざキャンディケインじゃなくてもいい気はするけど、見た目面白いし、余ってるし…
「食べたら再開するわよ、今日は向こうまで行きましょう」
「はーい」
「わかりましたー!」
…今気づいたんだけど、キャンディケインを食べる時に包装をとって、そこら辺に捨てるわけにもいかないからバッグに入れたんだけど… これ、私のバッグ大変なことになってない? 甘くなったりしてない? 他に何も入れてないけど、バッグは洗わないとかなぁ…
「…行くわよ」
「はいっ、前行きまーす」
とりあえず、問題は後に置いておくとして… 自転車、漕いできます。
…11月3週、トレーニングの内容は変わらず持続走。阪神JFも近づいてきたから、脚に疲労を残さないように座学も考えたんだけど… アヤベさんとの会議の結果、持続走をすることにした。ペースはウマ娘にとっては遅いくらいだし、脚にかかる負担も軽い、って判断だね。
「休憩終わり、そろそろ行くわよ」
「はーい…」
「い、いくぞー!」
「…頑張って」
「キャンディ美味しい…」
「好きね… 糖分を摂るのは良いことだけど、毎日食べて飽きないの?」
「美味しいので、案外飽きないです」
「そう… 食べ終わったら、また走るわよ」
「頑張ろー!」
「おー!」
「…あなた達といると、飴と鞭の重要性を良く感じるわ」
「お疲れ様。水、飲みなさい」
「…アヤベさんがトレーナーみたいだね」
「ですね!」
「ふざけたことを言う余裕があるなら、もう少し走る?」
「遠慮させていただきます」「無理です…」
…日に日に、距離が伸びてる気がする。良いことなんだけど、私の体がついていけてない。自転車を漕いでるだけなんだから、2人に比べたら余程楽なはずなのにね… ウマ娘と人間の身体能力の差なのか、私の運動不足か… でも、結構頑張ってると思うんだよね。1年間トレーナーをしてきたからなのか、休みを挟んで2時間なら自転車を漕げる。 …この程度で誇ってる時点で、運動不足だってことなのかもしれないけど。
後、毎日走ってるから仕事が溜まってきた。普段はアヤベさんにトレーニングを見てもらってる間に書類を片したり、予定を組んだり、偵察したり… 色々できたんだけど、持続走の最中には無理だからね。それに、疲れちゃって少し支障がね… 後回しにできる書類は暇な時に回して、持続走には参加するんだけどさ。スタミナがないから鍛えたいのは、私もクラフトちゃんと同じだから…
「アヤベさんはよく元気だね…」
「…あなたよりは、動いているもの。それに、ピークを過ぎたとはいえ現役に近いウマ娘よ? まだまだ走れるわ」
「わたしも、アヤベさんみたいに、スタミナをつけないと…」
「…スタミナとは少し違うわね。レースの距離ならまだしも、最近走っているのは文字通り桁が違う距離よ。スプリンターかステイヤーか、なんて些細な差に感じる距離だもの。もちろんスタミナ、つまり心肺機能や脚の体力の差もあるわよ。でも、それよりも… 体の使い方の差ね。普段と同じ走り方では、持続走は苦しくなるわよ」
「そこは、レースとも同じだね。スプリンターの走り方では長距離は走れないし、ステイヤーの走り方では短距離は走れない。走り方を変えるのはリスクが大きいから、自然とウマ娘には得意な距離が生まれる… だよね?」
「…そうね。ただ、レースと違って持続走のペースは遅いわ。速度に乗る必要は薄いんだから… 走り方を変えてもリスクはないわ。 …それで元の走り方を忘れることもないでしょう?」
「ですね… 次から、意識してみます」
走り方に関しては、覚えておこう。クラフトちゃんがオークスに挑む時、距離適性の壁を越えるための選択肢になるかもしれない。 …できるなら、走り方を変えるのは嫌だけどね。一か八かの攻めをしないといけない状況なら、わかりやすい解決策になる。
春まで忘れないように、メモは取っておくとして… 今は仕事に戻ろう。今週のトレーニング… 気合い入れて、やっていくよ。
「はーい、車、出しまーす」
「案内しますね」
「…お願いします」
「…カーナビ、取り消してまでするのね」
「カーナビよりトップロードさんの方がわかりやすいからね」
「えっへん!」
「…見え透いた世辞でしょうに」
週末、今日はトップロードさんに誘われて買い物。クラフトちゃんも誘ってたんだけど、友達と過去のエリザベス女王杯*1のビデオを観るんだって。カレンちゃんは誘ってすらいないよ、アヤベさんが誘わなくていいって言ってたから。
そうだ、トップロードさんの近況を話しておこう。今年はまだ負けてないよ、以上。今日は息抜きかな? 負けずに戦うって、プレッシャーも凄いだろうし。 …頑張ってほしいね。
「…トップロードさん、来週はジャパンカップでしょう? 買い物なんて誰かに頼めばいいのに、どうして自分で?」
「んー、アヤベさんと話したかったので! もちろん、琴葉さんとも!」
「別に、学園でも話せるでしょうに。 …人に任せられないものでも買うつもり?」
「…どこのでもいいんですけど、来月のG1予想を読みたくて」
「あぁ… 有マ記念? 自分が載っているものを下手に読むと、走りに影響が出るわよ。 …だから、頼むと断られるのね」
私も、クラフトちゃんに気にしないようにって言ったことがあった気がする。予想とか展望って、走る側にとって都合の良いことが書いてあるとは限らない、というかマイナスなことの方が多いだろうからね。私自身が展開を予想する為に、他のチームにどう思われてるのか気になって読むけど、本人が読むのは良くないって思うもん。厳しいコメントも多いし。 …愛もあるんだけどね、一見すると厳しいってだけで。
「はい、見ない方がいいって言われて… でも、クラフトちゃんも走るって聞いたので、それが気になって…」
「…クラフトさんのことを気にかけてくれて、いつも助かってるわ。だけど、自分の走りに支障はないように。 …クラフトさんのことが気になるなら、そのページだけを切って渡すこともできるから」
「…お願いします、自分の記事は読まないようにしたいので」
「それがいいわ。ショッピングモールに着いたら私が買ってくるから、どこか別のお店で楽しんでなさい」
「アヤベさん、ありがとうございます。それじゃあ、スポーツ用品を見てます!」
「私もトップロードさんについてくよ、買いたい物もあるし」
「着いたらそこで解散ね… トレーナー、変な物を買わないように」
「買わないよ!」
…トップロードさんから全然ナビが来ない。何度も行ってるから無くても行けるけど… まさか、最初の交差点すら教えてもらえないとはね。ずっと地図見て案内してくれたクラフトちゃんって偉かったんだなって、そう思うよ。トップロードさんが話に夢中になって忘れてるのは仕方ないから、責めたりはしないよ。
「…今、なんで右に曲がったのかしら」
「え、ここで曲がるんじゃなかったっけ」
「もう1本奥よ。そこでも行けないことはないけど、道が狭いから気をつけなさい」
「…はっ! 私の仕事を忘れてました!」
「…カーナビつけるね」
「すいません…」
さ、楽しくドライブと行こう。
…アドマイヤベガよ。今は書店で雑誌を選んでいるわ。トゥインクル・シリーズを取り上げる雑誌の中でも、レース予想に重きを置いている幾つかの雑誌を手にとって… 雰囲気だけ流し見て、どれを買うか悩んでいるの。 …迷ったら全部買うのが間違いないかしら。雑誌程度ならそこまで高くもないのだから、買ってから考えましょうか。どうせ… 買わなかったら、後で気になるもの。
…どの雑誌も、12月号の表紙は有マ記念なのね。ファン投票で出走ウマ娘が決まる、1年の最後を飾るお祭りだから当然なのかもしれないけれど… 去年の有マ記念の写真が使われていると、少し取りづらいわ。ゴール写真の端に、自分が写っているのよ? 有マ記念の掲示板に入ったのだから、誇れることなのだけど… 負けは負けよ。その瞬間を何度も見せられているわけだから… 良い気はしないわね。
冬の星座特集… これも買っておきましょう。前年の特集も買っているし、毎週のように星空を眺めているけれど… 星の世界は果てがなくて、どれだけ問うても答えの返ってこない世界。すぐ近くで、遥かに遠い星々を知るには… 科学的根拠で
…本は車に仕舞ってきましょうか。お店の人に袋に入れて貰ったのだけど、トップロードさんの目に入らないように、隠しに行きましょう。存在する可能性を1つずつ潰していく… 星を調べるのと同じように、私もトップロードさんの目に入る可能性を潰していくわ。 …目を潰すとか、そういう話ではないわよ。
ただ、車の鍵はないから… トレーナーにメールして開けてもらう必要があるわね。 …いや、私が鍵を受け取ってから車に向かう方が早いわね。場所も聞いて… ケーキを食べているのね。スポーツ用品を買うとか言っていたのはどうしたのかしら? 甘いわね… 全てが。
「鍵、受け取りに来たわ」
「はい、これ。後でアヤベさんもケーキ食べる?」
「そうね… そうさせてもらうわ」
鍵も受け取ったから、車に向かっているのだけど… 買い忘れたものを思い出したから、また本屋に寄っていくわ。あまり来る機会も多くないのだから、トレーニングに関する本を買うのよ。トレーニングに関しては並の人よりは知識があると自負しているけど、科学的な知識はないもの。私達は… 研究者の論文を元にトレーニングを組み立てるのが仕事なのよ。 …難しい論文は読まないけど。理論を理解するのも大切だけど… 全てを読む時間はないわ。だから、わかりやすく纏められた本を読むの。
コースの負荷についての本と、上半身トレーニングに関する本… 後は、持続走に関する本も買っていきましょう。一応、トレセン学園の図書室にもあるのだけど… 好きな時に読めるように、自前で用意しておいたほうが確実よ。一度読んで全てがわかると勘違いするほど私は愚かでも無知でもないわ。だから、買っておくの。何度でも読めるように…
…本は買った、車に積むのも済ませた。さぁ… 甘味に溺れた愚かな2人組を現実に引き戻しに行くわよ。 …別に、ケーキを食べるなとか、甘いものを食べるなって言いたいわけじゃないわ。スポーツ用品を見に行くと言っていたのにウィンドウショッピングすらしていないのよ? 自分達が言ったことくらいは守ってもらわないと、でしょう? …私が頼まれた本を買いに行っている間、ずっとケーキを食べてたのよ。少しくらい怒っても許されるはずよね。
「アヤベさーん、これ美味しいですよ」
「…トップに立つ人間は、下の苦労など忘れてしまうのね」
「え、あ、アヤベさん…?」
「呑気なものね、人に買い物を頼んで自分はケーキ三昧だなんて。直に革命を起こされるわよ」
「うっ、すみません! あの… ごめんなさい!」
「…冗談よ。全く怒っていないといえば嘘になるけど。他に買うもの、あるんじゃないの?」
「はいっ! 行きます!」
…トレーナーはどこに行ったのかしら? ケーキを食べていると思っていたのだけど、いないのよね。何か、先に買いに行ったのかしら。 …探すのも面倒ね。私達は2人で買い物に行きましょう。スポーツ用品店で何を買うのか知らないけど。靴を変えるとは思えないし、備品ならチーム単位で用意しているはずだけど… 何か買うものがあるのかしら?
「天皇賞の後、グッズが出たんです! 私モデルのシューズとか、タオルとか、水筒とか! それを見に行きましょう!」
「そうなのね… 私も、靴を買ってみようかしら? 少し… 気になるもの」
「! それなら、私が持ってるのを渡しますよ!」
「買うからいいわ」
「はい…」
トップロードさんの靴… サイズが同じということはないはずよね。厚さとか、細かな形とか、蹄鉄の打ち方… トップロードさん仕様なのはそのあたりかしら? 正直、現役のウマ娘が履くことはないでしょうから、トップロードさんに憧れた子供向けよね。現役中に靴を変えるのは… 成績不振に陥った時はあり得るのかしら。あまり好き好んでしたくはないわね。クラフトさんも… 慣れ親しんだ、今の靴が1番でしょうから。
「あそこに売っていそうね。トップロードさんの旗が立ってるわ」
「…少し照れちゃいますね」
「…そうね。よく見るウィナーズサークルでの写真だけど… それが並んでいると、不思議な感覚ね」
「ですね…」
流石トップロードさんね、専用のコーナーが大きく作られてるわ。 …コーナーが作られたことよりも、作れるだけの物があることが凄いわね。私だって、ダービーを勝った後は記念グッズのコーナーを見たことはあるわよ。でもそれはスポーツ用品店じゃなくて、普段からウマ娘のグッズを売ってるお店での話。 …本当に、雲の上の存在になってしまったわね。物理的な距離以上に、遠く遠くへ…
「えっと、シューズは… これです!」
「サイズが違うから自分で探すわ。 …にしても、殆ど残ってないわね。また補充するんでしょうけど、無くなってるサイズもあるじゃない」
「ですね… 嬉しいです、こんなに買ってもらえて。私のファンの方が、この近くにそれだけいるってことですよね」
「そうね… 数で言うなら、売れた数の比ではないでしょうね」
「10倍くらい、この近くにいますかね!」
「…低く見積もっても、1000倍はいるでしょう」
「せ、せんばい!」
…何個売れてるのかも、そもそも何人近くに住んでるのかも、近くの範囲がどこまでなのかもわからないけど… それくらい、多いでしょうね。トップロードさんは… 誰もが憧れて、みんなに愛される太陽だもの。もはや、そこにいるのがあたりまえの存在なのよ。
「アヤベさんだったら、もう売り切れてたんですかね」
「私にそこまでの集客力はないわ。あなたと同じ数作ったら、山積みになってしまうわよ」
「そ、そんなことないです! 私は買います!」
「…慰めてくれてるのかもしれないけど、気にしてないわよ。星は太陽を羨みはしないもの」
「…? よくわからないですけど、私は思ったことを言ってるだけです!」
「そう… そういう性格も、この人気の所以なのでしょうね」
「あ、ありがとうございます?」
あまり長く店内で話していても迷惑でしょうから、買って車に戻って… それから、トレーナーを探してケーキ屋に向かったわ。 …このお店、前にも来たのだけど、バイキングなのよね。それも、一度お金を払えば1日中食べ放題。途中退室も可能。それでいて、特別高いわけでもない。 …潰れないといいわね。私達は無限に食べるわけじゃないから、そこまでだけど… よく食べる人が集まるようになったら、保たないわよ。時間制限がないのだから… そんな人なら、それこそ無限に食べれてしまうもの。
…お店の心配はもういいわね。関係ない話だもの、潰れたら別のお店を探すだけだわ。それに、そういうことも考えてやってるでしょうから。
「トレーナー、それ好きね」
「私みたいな色でいいでしょ? 昔っから好きなんだよね。口に透き通るようなミントの風味に乗って、甘いチョコが流れていく… 爽やかなのに、深みがあるんだよ」
「なんか、食べたくなってきました!」
「…私は遠慮しておくわ」
この2人は何個食べたのかしらね。今度はお店の心配じゃなくて、2人の体を心配しているのよ。トレーナーがどれだけ肥えても気にしないけど、トップロードさんは確か来週にジャパンカップを走るはずだもの。 …自分で考えてると思うけど、不安になってくるわね。
「…チョコミントケーキがあなたの色だというのなら、黒はどこなのかしら。心?」
「いやいやいや、違うよ、そんなことないよ」
「知ってるわよ。 …暇なの、もう食べるつもりはないから」
「食べるの遅くてすいません…」
「好きに食べなさい、私も適当に歩いてくるわ」
「いってらっしゃい、ここで待ってるよ」
…適当に、お菓子でも買っておこうかしら。買っておけばクラフトさんが食べるでしょうし、余っても私が食べればいいわ。 …行ってくるわね。
「…本当に、よく飽きないわね」
「美味しいよ、食べる?」
「要らない」
「行けます! 行きましょう!」
「元気だねー、私も行けるよ」
「それじゃあ… 私についてきなさい」
11月の第4週金曜日、恐らく今年で最後のトレーニングよ。来週はレースに向けた調整、再来週は阪神JF、その後は年末までの休養… 私も、年末は休みになりそうね。帰省でもしようかしら。 …そんなことを考える前に、阪神JFに向けて進めないといけないわね。
「アヤベさん、明日は暇?」
「…あなたは自転車だから楽でしょうけど、私は走ってるのよ。暇だけど、話は後にして」
「はーい、ごめんね」
…話は後にしましょう。
「で、何の話?」
「アヤベさんに服を買ってほしくて、明日、お願いしてもいいかな」
「…私よりもカレンさんに頼んだほうがいいわよ」
「アヤベさんにお願いしたいんだ。カレンちゃんじゃなくて、アヤベさんに。私のこと、よく知ってるでしょ?」
「…わかったわ。どうなってもいいのなら、選んであげる」
「…背格好、殆ど同じなのね」
「そうだよ? 身長、体重、スリーサイズ、殆ど同じ」
「ダウト、体重は知らないけど、スリーサイズは違う」
「…全部私の方が小さいって?」
「…そうね。華奢だもの、あなた」
私が太いとか、そういう話をしているわけじゃないわ。そもそも、トレーナーは中々異質な見た目なのよ。髪の色に気を取られて最初は気づかなかったけど、細すぎるの。トレーナーはそこまで動くわけじゃないのだから、痩せていても太っていても大差はないのだけど… 純粋に、心配になるわ。ちゃんと食べているのかしら?
「だから、アヤベさんが着るような感覚で選んで欲しいな」
「服を決める時は瞳の色を見るといいとカレンさんに聞いたわ。 …瞳の色も、私と同じような色なのね」
「コンタクトじゃないよ、普通に赤っぽいの」
「…瞳の色を見るように言われたけど、そこからどうすればいいのか聞いてこなかったのよね。 …関係なく、適当に選ぶわね」
「お、おう…」
服を選ぶポイントとして、性格も教えてもらったわ。私とトレーナー、見た目は似ていても性格は違うもの。似ているところもあるわよ、静かで慎重で悲観的で考えすぎなところとか。でも、明確な違いが1つだけあるわ。私は自分を隠さない、皮肉めいたことは言うけど嘘もつかない。昔は人を突っぱねたこともあったけど、自分を隠すためじゃなかった。逆に… 自分が本来の自分であるためだった。 …私の話は必要じゃないわね。
トレーナーは、真意が読めない。嘘をつくわけでも、寡黙というわけでもない。なのに、何を考えているのかわからないの。話していれば、本当のことしか言っていないのはわかるわ。だけど… 私には理解できないところで、言葉を選んでいる。それが不快というわけでもないのだから、文句はないけど… 何か隠しているとわかるからもどかしいのよ。
…で、これを服選びに活かすにはどうすればいいのかしら? 明るい人には明るい色とか、情熱的な人には情熱的な色とか、そんな単純なことはわかっているわ。だけど… よくわからない人は何色になるの? それなら… 冷静で慎重ってところから、青色を選ぶわよ。 …私と同じ色になってしまうわ。
でも、服は色だけじゃない。材質、柄、そして種類。シャツとかパーカーとか、色んな種類があるわ。 …細かすぎて私にはわからない分類も含めたら、数え切れないほどあるんじゃないかしら。 …そこに、トレーナーのミステリアスな側面を混ぜるなら… 定石がわからないけど、まともな服にはならなさそうね。
他には、今着てる服から連想するって作戦もあるわよね。今トレーナーが着てるのは、ダボッとした白色のパーカーと… その下、何着てるのかしら。肩の少し下が開いていて、素肌が出てるあたり、半袖のシャツよね。 …パーカーだけで考えるのってどうすればいいのかしら?
…面倒になってきたわ。色々と考えるのも良いけど、全部忘れることにしましょう。考えたって答えがない問題なのだから、直感で行くわ。 …カレンさんではなく私に頼んだこと、後悔させたくはないけど、どうなるでしょうね?
「これ、試着してきなさい」
「結構悩んでたね。ありがとう、試してくるよ」
「…どうかな?」
「いいんじゃない? 少なくとも、私は似合ってると思うわよ」
私が渡した服は、上がロイヤルブルーのニットでその上に短い黒のコート。下はブルーグレーのスラックス。 …1つだけだとあれだから、もう一組渡したわ。そっちはスカイブルーのニットとネイビーのミニスカートにタイツ、寒い時用に合いそうなターコイズブルーのカーディガン。今着ているのは前者のニットとスラックスにカーディガンね。 …最初から、私が考えていない組み合わせで来たわ。本人に選んでもらった方が良かった気がするわね。
「また着替えるね」
「決まるまで好きにしなさい」
「はーい」
「…よしっ! 決まったから買いに行こう」
「そう… どれが気に入った?」
「全部買うよ」
「試着して買うものを絞ったわけじゃないのね」
「うん、アヤベさんが選んでくれたものは全部買うつもりだったから、確認してただけ」
「…そう」
…真面目に選んでよかったわ。面倒だからって目を閉じて適当に選ばなくてよかった… 本当にそれをしたら、迷走したロックバンドのような格好になるところだったわ。ふわふわなニットだから冬も暖かいでしょうし、無難なものにして正解だった、と思うわ。 …無難、よね?
「…そういえば、どうして服を買いに来たの? 流行を気にしているようには見えないけど…」
「私、ちゃんとした冬服がなくてね」
「…今年の頭に着ていた服は? 今着てる服だって、優しい白色のパーカー、似合ってるわよ」
「あ、ありがとう。 …貰い物だからあまり悪く言っちゃいけないんだけど、ちょっと… サイズが合ってなくて。このパーカーはオーバーサイズを意識してるんだと思うけど、ほら、私って細いでしょ?」
「…気にしてなかったわ」
「私も服とか気にしないタイプなんだけど、流石にサイズくらい合わせようと思ってね。 …アヤベさんも似合ってるよ、アヤベさんらしい色のふわっとしたニット」
「話の流れで言われても何も感じないわね」
「だよね、私も」
…トレーナーの私服、全く思い出せないけど、大きかったと言われると大きかった気がしてきたわ。こんなこと、言わないほうがいいんでしょうけど… 服に興味なんてあまりないの。ふわふわしていて、邪魔にならなければどんな服でも着るわよ。 …カレンさんやトップロードさんはおしゃれだった気もするけど、それすら思い出せないわ。今後は… もうちょっと、ちゃんと見てみようかしら?
「私の用事は終わったし、この後はアヤベさんに付き合うよ」
「…行きたい場所もないから、解散で」
「おぉ… わ、わかった」
買い物は終わり、トレーナーと遊んでもよかったんだけど… 明日はトップロードさんのジャパンカップの日なの。今からレース場に向かえば、メインレースくらい見れるかしら? 明日に向けて、今のバ場を知っておこうと思ってね。
…トレーナーに会うのは、また来週ね。さよなら。
服は買った、ケーキは予約した、手紙も書いた。 …よし、これで準備は終わった。後は… 阪神JFを乗り越えるだけ。雑念払って、頑張ろう…
「おめでとう、トップロードさん」
「ありがとうございます、アヤベさんの応援のおかげですっ!」
「何もしてないわ、あなたの単純な強さよ」
「次も、勝ちますから、見ててくださいね!」
「えぇ、見るわよ。現地には行けないけど… 必ず見て、応援するわ」
「これないんですか!?」
「有マの入場券なんてそう簡単には取れないもの。トレーナーと2人で、寮で見る予定よ」
「そうですか… 残念ですけど、頑張ります!」
12月、最初の月曜日。阪神JFに向けた調整の話をする前に、トップロードさんの話をするわね。昨日、ジャパンカップが行われたの。そして、最終コーナーから仕掛けたトップロードさんが後続を突き放して1着。 …長く語るほどのことすら見当たらないほど、ケチのつけようのない快勝だったわ。
今年の初めに乙名史記者のインタビューで答えた、トップロードさんのローテーション、覚えているかしら。 …今のところ、全勝でその道を駆け抜けている。正直、隣に立つのが怖くなってくきたわ。 …トップロードさんに離れてと言われない限り、ここを退くつもりはないけど。
トップロードさんが手にした冠は、7つ。皐月賞、ダービー、菊花賞、天皇賞・春、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンカップ。まるでおとぎ話を見ているとしか思えないわね。でも… これが現実で、これが史実として後の世に語られるの。 …もしかしたら、私の名前も脇役として残るのかしらね。 …考えたって仕方ないわね、遠すぎる未来なんて。
クラフトさんの話に戻るわ。来週末に控えた阪神JFに向けて、芝コースを使っての併走を行うわ。これは調整ね、走って状態を確認しつつ、併走で実戦感覚を思い出す。そして、瞬間的なレースの流れについていけるように、心身を連動させる。
並行して鍛える意味合いでのトレーニングも行うわ。レースに影響が出てはいけないから、高負荷のトレーニング… 坂路や持続走は使えないわ。坂路は調整としてもよく使われるけど、芝と同時に使うと負荷が大きすぎる。芝を使うと決めた以上は、坂路は使えないの。だから… 今回は柔軟トレーニングを行うわ。
体が硬いというわけではないわ。生活する上では支障はないほど柔らかいのだけど、脚の可動域を高める為にはもっと柔らかくても良いの。ケガを考えても、柔らかいに越したことはないわ。腰から足を中心に、色んなトレーニングを試して、柔軟性を高める挑戦を行うの。 …挑戦よ。正直、どんなトレーニングをすれば上手くいくのかわからないの。だから挑戦するのよ。
「…トレーナーもどうかしら? ずっと座ってるし、硬くなってないかしら?」
「楽しいですよ!」
「若い子はいいねぇ、体が柔らかくて」
「あなたも若いでしょうに」
「む… やるよ、やりたくなった」
ストレッチをしてから芝コースで併走、その後に柔軟トレーニングね。私もトレーナーも、ケガしない程度に参加するわ。私達がどこか痛めてもレースに支障はないけど… 痛いのは嫌だから、無理はしないわ。
「クラフトさん、状態は?」
「悪くはない、と思います!」
「痛みはないのね?」
「はい!」
「私は痛いけど!」
「…背中押してあげるわね」
「やめて…ください…」
「…冗談よ」
トレーナーは今後もずっとストレッチさせる必要があるわね。先週の持続走、個人的に凄く高く評価しているの。 …感覚的なものだから、根拠を欠いてはいるのだけど。でも、その結果が阪神JFで出てくれるはずよ。
ウマ娘によって、適したトレーニングが異なるの。能力が違うのだから当然ではあるのだけど、クラフトさんには持続走が適している… と、私は思う。弱点のスタミナを補いつつ、相手に合わせて控えて走る感覚も掴める。 …トレーナーには悪いことをしたと思うけど、私は何度も速度を変えたわ。それにすぐ合わせてくれた。レースと絶対的な速度の差はあるとはいえ、いい経験よ。
だからこそ、トレーナーにはもっと体力をつけて、体を動ける状態にしてもらわないといけないの。流石に私と同じように走れとは言わないけど、今後持続走の距離を伸ばしたり、速度を上げる為にね。 …トレーナーを置いていく選択肢もあるのだけど、置いていくとクラフトさんを見る人がいなくなってしまう。走り方を指導したり、休憩タイミングを決めるためにも、前後に1人ずつは必要なのよ。私が前で、トレーナーが後ろ。最初は逆だったのだけどね… ペースを弄くるために前に行かせてもらったわ。
「…肩、凝ってるの?」
「少し凝ってるかも?」
「…今日の仕事は私がやるから、この後は休みなさい」
「ありがと… 急にどうしたの?」
「…それは、親切なことを言うイメージがないってこと?」
「違う違う! どうしてわかったのかなぁって」
「見てればわかるわよ、ずっと肩を気にしていたじゃない」
「すごいなぁ」「気づけなかったです… アヤベさんは流石です」
「おだてても何も出ないわよ」
まったく… でも、こんな話をしながらのトレーニングもいいわね。トレーニングに関係ない、私的な話をしながら… よく考えたら元からね。真面目な話をしながら走った記憶はないわ。話す余裕がなかったとも言えるけど… 息詰まる空気で走るより、気楽にふざけながら笑って走るほうがいいじゃない? …少なくとも、私はそう思うわ。
「私から渡せるもの、1つあったわ」
「お菓子ですか!?」
「次のトレーニング。さ、まだまだやるわよ」
「お菓子…」「はい…」
…やるわよ。
「久しぶりだね、阪神レース場。懐かし… くはないか」
「あの時とは違う、私の姿をお見せします!」
「早く行くわよ、前と同じホテルに」
「…私、1人部屋か」
「寂しい?」「遊びに行きますよ!」
「寂しくはないよ、慣れてるから。寮では1人だからね、2人部屋の方が慣れないよ」
「…そうね、そういえばそうだったわ」
第2週の月曜、阪神JFのある週の最初ね。午前中に新幹線で移動して、午後は休み。今後は阪神レース場で調整することになるわ。芝の併走でレース感覚を掴んで、ホテルに戻って柔軟。
さぁ… レースまで時間を進めていきましょう。
「ついに、この日がやってまいりました。新世代の女王の座を目指す少女達に待ち受ける、最初の試練、G1阪神ジュベナイルフィリーズ。トリプルティアラの夢に向け、世代最初のG1ウィナーの勲章目指し、長い1600mの死闘が今、はじまります!」
…阪神JF当日、レース控室。クラフトさんはもうパドックから本バ場に向かっているはずよ。控室にいるのは私とトレーナーの2人だけ。 …緊張か、不安か、空気は重苦しいわね。無理はないけど。だって、G1よ。生涯で1つ勝つことすら難しく、1つ勝つだけで名誉も、名声も、全てを手に入れることができる。 …歴史にその名が刻まれて、未来まで語り継がれる存在になる。ウマ娘にとって、人生をかけて挑む夢舞台なのよ。
トレーナーにとっても夢舞台ということに変わりはないわ。トップチームのトレーナーは幾つも勝てるのでしょうけど、G1を勝てず引退するトレーナーだって山程いる。私達のような小さなチームにとっては、G1に挑む機会はそう多くないかもしれない。そう考えると… 勝ってほしいと、心から願ってしまう。G1トレーナーという勲章に夢を見てしまう。それだけ… G1は、格が違う。
「緊張してる?」
「してないよ。だって、もう私達には何もできないでしょ?」
「それはそうだけど…」
「もちろん、不安はあるよ。でも、信じてるから。 …クラフトちゃんなら、やってくれるって」
「…そうね。信じましょう」
今更かもしれないけど、作戦の確認をしておくわ。まずレースはフルゲート18人で、クラフトさんは2枠3番。トレーナーは嫌な枠と言っていたけど、好位を取りやすいよさもあるわ。バ群に埋もれやすかったり、外から被されて不利を
ゲートさえ出られれば、自然と逃げウマ娘の背後に入ることができる。今回逃げるのは、候補が3人いるわ。8枠14番のデアリングハートもその候補ね。他にもいるけど、全員を気にしていたらきりがない。だから、有力なウマ娘を軸に作戦を作ったわ。
手元の予想誌によると人気を集めているのはクラフトさんの他に2人。14番のデアリングハートが前で行くのに対して、8枠17番のウマ娘が後方ね。この子は母親がG1で複数回2着に入った有名なウマ娘で、期待されているそうよ。栗毛で目立つから、目印にできたら良いのだけど… 後ろに回られる以上、それは厳しいわね。将来はバーを開いてブランデーを振る舞うのが夢だそうよ。 …雑誌に載っていたの、他は知らないわ。名前は… ヘネシーと読むのかしら? 雑誌は
…話を戻すわよ。
作戦として考えるのは、デアリングハートの方ね。逃げるウマ娘は他に2人いるけど、その2人が逃げ切れるとは思えない。8番と18番の2人ね、楽に逃げると思うわよ。正直、デアリングハートも逃げてその2人と潰し合いをしてくれれば楽ね。だけど、相手もそれはしたくない。だから、デアリングハートは先行すると思われるわ。位置としては、クラフトさんと同じラインで、外ね。
内外は枠的にどうしようもないわ。だから、この枠の差を活かさないといけない。 …といっても、考えることは少ないわ。外枠を活かすなら作戦が重要だけど、内枠は枠順だけで距離の有利が取れる。力が拮抗しているなら、その利だけで着順が決するわ。 …さっきも言った通り、展開の不利も受けやすいのだけど。
逆に、外枠のデアリングハートは自分から展開を動かせる。スローペースだと思ったら逃げウマ娘を早めに抜いてもいいし、ハイペースなら控えてもいい。内枠のクラフトさんには、それは少し難しい。スタートで逃げる2人の後ろに入ると、コーナーの終わりまではその2人を抜けない。コーナーで内を突くのは… オススメできないわ。 …外から仕掛けるのも良いとは言えないけど、イン突きよりはマシよ。
「…勝負服、似合ってるね」
「そうね… クラフトさんらしくて、魅力的ね」
…まとめるわね。クラフトさんの位置取りは、逃げウマ娘の背後。内枠の利を活かしてコーナーを回り、最終直線に入るまで待機。最終直線に入ったら進路を見つけてそこから仕掛ける。最内を突くか、逃げた2人の間を突くか、少し外に回すか。どれでもいいわ。
「…勝てるといいな」
「そうね… ここまで来たら、力の差は大してないわ。大事なのは… 時の運」
「…そうだね。出走している、全てのウマ娘にチャンスがある。 …もうレースが始まっちゃうね。さぁ… 見守ろう」
「えぇ… クラフトさんの挑戦を見届けましょう」
控室のモニターを、2人で見つめる。スタンドが揺れているのは、画面越しでもよくわかるわ。 …私も、このG1の空気はよく知ってる。何度も走ったもの、この歓声を一身に浴びたこともあるわ。 …楽に、走りなさい。笑って、帰ってきなさい。それが… あなたにはよく似合うから。
『今、ゲートが開きました! 激しい先行争い!』
「展開は予想通り…」
「出遅れなし、かといって飛び抜けたスタートもなし。ここからね」
クラフトさんは5番手か6番手…? 前で行ったウマ娘が思ったよりも多い、こうなると最後の進路が不安ね。だけど、悪い位置じゃないわ。抜け出すことができれば、勝機はある!
『逃げたのは18番と8番、その後ろに1番、4番、6番の3人です。その後ろに3番──
3番がクラフトさん、つまり6番手ね。これからコーナー、前の人数が多いのは嫌だけど、その分後方のウマ娘は仕掛けづらいわ。前が固まれば固まるほど、横に並べば並ぶほどコーナーで仕掛けるロスが大きくなるもの。クラフトさんの、内枠の利も大きくなる! 元々コーナーで仕掛ける選択肢は私達にはなかった、だから最終直線までに進路が開いてさえくれれば…!
『前半600mの通過タイムは35秒2です、このペースは少し早いか』
「前が苦しいペース、でもクラフトちゃんには無理なペースじゃない。垂れた先頭を直線の入り口でかわせれば…」
「…埋もれるのだけが心配ね。前が早めにバテてしまうと、減速せざるを得なくなるわよ。それまでに、進路を見つけないと」
「道は必ずある… 頼む、クラフトちゃん!」
逃げ有利のペースではないことは確かよ。だけど、逃げ切れないペースでもないわ。 …良くも悪くも、何が起こってもおかしくないのよ。前が止まらないか、後ろから差し切るか… 4コーナー、最終直線が近づいてきたわね…
「コーナーで一気に広がった… 横並びでのスパート勝負か」
「外に回ったわね、コーナーで外に出るのはロスがあるけど、進路は開いたわ」
逃げ先行勢が横並びでコーナーを抜けて、最終直線の爆発力勝負。こうなれば有利も不利も何もないわ。先頭までは1バ身か2バ身程度、射程圏内ではあるはず… 前で並んだのは7人かしら、こっからは純粋に誰が速いかの勝負。クラフトさんなら…
「いける… いける! 頑張って、クラフトさん…!」
「伸びない、けどそれは全員同じ! 先頭は見えてる、後ちょっと…」
「少しずつ、伸びてきた…! もう少し、いって!」
「間から誰か伸びてきた!? ちょっと遅れたけど、まだ届く! 併せて飛んでけ…!」
「頑張れ… 頑張れ…!」
「届け、届け、届け…」
「戻りました。トレーナーさん、アヤベさん、ありがとうございました」
「お疲れ様、よく頑張ったわ」
「本当に、よくやったよ。ゆっくり休んで」
「はい…」
…悔しい、悔しい悔しい悔しい! 後少しだった、もう目と鼻の先だった。コーナーでもう少し内を攻めたら、最後に外じゃなくて内を突いてたら、後数秒仕掛けるのが早かったら、結果は違ったかもしれない。悔しい、あとちょっとだったのに…
「…アヤベ、さん?」
「…何も言わなくていいわよ」
アヤベさんが、抱きしめてくれました… …アヤベさんの胸の中で、泣かさせて、もらいます。だって、だって… もう、ほんの少しだったんですよ? G1が、あと、もう… 一歩だったんだよ! 後一歩、もう一歩前に行けたら、勝てたんだ…
「あ、あやべ、ざ ぁ ぁ ぁ゛ん」
「…好きなだけ」
「…うん、幾らでも泣いていい」
G1で、3着。嬉しいですし、誇れるってわかってます! でも、1着だって見えてたから… どうして後1メートルもない差が、詰められなかったんだ… どうして、どうして… わたし、どうしたらよかったんですか? わかんないよ…
「う っ゛、あ ぁ っ う あ゛ぁ…」
「…ずっと、こうしてあげるから」
「私も… 側にいるよ」
わたしは、それから… 時間もわからないほど、泣き続けた。
「すいません… わたしの為に」
「気にしないで、私が食べたかったから」
「そうですよ〜、気にせず食べてくださいっ♪」
次の日のことです。朝に重い荷物を背負って新幹線に乗り込んで、お昼頃にトレセン学園に帰ってきました。お父さんやお母さん、それにカレンちゃんやトップロードさんから励ましの言葉をいただいて、少しは… 元気にも、なってきました。昨日の、タイム差なしで3着に敗れた瞬間を忘れることはできませんが… これからに向けて、踏み出していきます。
ちゃんと笑顔で踊れたか不安だったので、部屋でウイニングライブの映像を確認していた時に、アヤベさんが部屋に来たんです。授業やトレーニングでみんなが出払って静かな寮で、わたしを心配してくれて… アヤベさんに誘われて少し街に出たんです。美味しいケーキでも食べたら、気も楽になるだろうって。アヤベさんが行きつけらしい、甘くてふわふわなケーキのお店に行きました。
体調とか、気分とか、アヤベさんには凄く心配してもらって… 申し訳ないくらいです。レースことには触れないで、2人で話している時にカレンちゃんもやってきて、3人に。すぐにトップロードさん、更にトレーナーさんも来て、今は5人です。 …何度も、わたしを励ましてくれて、慰めてくれて… ちゃんと笑えるように、なってきました。
「少し買うものあるから行ってくる、先に帰らないでね」
「わかってる… お金を払って貰わないといけないもの」
「えぇ… そんな理由で?」
「冗談よ、そんなこと思うわけないでしょ?」
わたし、自分のことで手一杯で、周りを見れていなかったのですが… トレーナーさんも、アヤベさんも、前ほど元気はなくて… 自分だって苦しいのに、泣きたいのに、わたしの為に耐えてくれたと思うと… 嬉しいような、申し訳ないような、複雑な気持ちです。これが… 大人の強さ、なんでしょうか。
「そうだ、年末年始って予定ありますか? カレン、みんなでパーティーしたいなぁって♪」
「今年は暇ね、帰省する予定もないわ」
「同じく、行くところもないからフリーだよ」
「わたしも大丈夫です」
「…すごい予定が入っているので、すごく忙しいです」
トップロードさんは有マ記念も走りますし、テレビにも引っ張りだこでしょうから… でも、できるならみんなで集まりたいです。来年はティアラを掴むために、頑張らないといけませんから。たくさん走って、たくさん鍛えないとなので、休みは減りますから、年末年始くらいみんなで遊びたいです。 …でも、無理は言えません。トップロードさんはもっと大変で、もっと頑張ってますから。
…来年は、トリプルティアラを走るのかぁ。勝てる、かな。届く、かな。今のままじゃ、無理だよね。だからこそ… 頑張って 、頑張って、頑張って… それでいて、運も掴まないと。 …休み終わったら、トレーニングしないと。もう… 負けたくないから。
「う〜ん、それなら… カレンが1日中パーティーするので、来れる時だけでも、無理… ですか?」
「もちろん、行きます! 年越しの時は居ませんけど… でも、みんなで遊びましょう!」
「…そうね。年越しも、テレビ越しに一緒で」
「! そうです、テレビ越し! それなら、一緒に…」
「…テレビ越しで話しかけてこないでよ」
…これから、しないといけないこと、考えないといけないことは山程あります。でも、今だけは… ちゃんと休んで、ちゃんと笑えるようになります。今はまだ… 万全とは言えませんから。
「いやぁ、トレーナー室で食べるミカンは美味しいですねぇ」
「この
「気をつけないとですねぇ…」
時が流れるのは早いもので、もう年末です… こたつが気持ちよくて、動けないですよぉ… 最初は、みんなが来る前に年越しパーティーの準備をしようと思って、トレーナー室に来たんですよ? なのに、トレーナーさんがこたつに入ってミカンを食べてて… そしたら、わたしもぬくぬくしちゃいますよね…
「テレビ点けてトップロードさん見ないとなのに、炬燵から出れない…」
「運び込まないとなんですよね… あぁ、アヤベさんが持ってきてくれないかなぁ…」
「だね、申請はしてあるし倉庫から持ってきてもらおう…」
「………」
「ですねぇ、アヤベさんにお願いしましょう」
「電話… かけるね」
「ここにいるけど? 眠くて横すら見れないのかしら」
「もういた!?」「気づきませんでした…」
トレーナーさんと向き合ってミカン食べてたので、扉の方を見てませんでした… 声がしてから右を向いたら、アヤベさんが目の前にいてびっくりです。しかも、わたし達が求めていたテレビを抱えて… 流石アヤベさんです!
「…寒いから、私も入っていい?」
「どうぞー」「はいっ!」
「テレビは置いとくから… あぁ、暖かいわね」
「2時間は温めてるからね」
「…朝早くからずっと?」
「ですよ~」
「…だからさっきからふわふわしているのね」
「クラフトちゃんは炬燵で溶けてるからね…」
「とけ〜…」
仕方ないですよね… だって、こたつがあったんですから… 今日は1日、ずっとこたつ生活ですよ…
「ずっとぬくぬくしてたいけど、買い物も行かないとか… 誰か来る? 買い物袋取ってくるから、5分後に正門前に集合で」
「…来たばかりだけど、私も行こうかしら」
「…えっ?」
「寒いです… こたつが恋しい…」
「カレンが温めてあげますよ♪ ぎゅ〜」
「…安いな、これ買おうかな…」
「…中学生もいるのに、その前でお酒を買うつもり?」
「…やめとく」
ショッピングモールに来ました。正門前で待ってる時にカレンちゃんとも合流して、4人です。 …トレーナー室でのんびりしてようかとも思ったんですけど、1人だけだと寂しいので… だって、年末ですよ? アヤベさんともトレーナーさんとも、一緒にいたいじゃないですか。もちろん、カレンちゃんとも!
「じゃ、私は色々お菓子買ってくるね」
「それなら、私が小道具ね。二人一組に分かれるわよ」
「アヤベさんと行きまーす♪」
「わたしがトレーナーさんと、ですね」
早くトレーナー室に帰るためにも、ちゃちゃっと買い出しは済ませちゃいましょう! わたし達の担当はお菓子ですけど… トレーナーさん、お菓子売り場じゃない方向に向かってませんか? ついていきますけど、どこ向かってるんでしょうか。
「…店員さん、予約の琴葉葵です」
「──確認取れました、こちらになります」
「ホールケーキ…! 美味しそうです…」
「予約してたんだ、アヤベさん達には内緒だよ?」
「はいっ!」
ケーキ、崩さないように気をつけないと… 寒くて震えちゃいますけど、ケーキ振ったら潰れちゃいますよね。トレーナーさんから託されたこのケーキ、守り抜いてみせます! もちろん、アヤベさんから隠した上で…!
「お菓子、何買う?」
「…ケーキがあるので、しょっぱいお菓子はどうですか?」
「いいね、そうしよう。私は他に買うものあるから、先に選んどいて。すぐにお菓子コーナーに行くから」
「わかりました、待ってますっ!」
…何買いに行ったんでしょう? 気になるので、後で聞いてみましょう! …っと、それはいいとして、お菓子を買わないとですね。買い物カゴ取ってきたので、ガンガン入れていきますよぉ!
ふんふ〜ん、これも美味しそう… あっ! これ、沢山食べたキャンディ! しょっぱいお菓子じゃない、というかケーキより甘いかもですけど… これも買っちゃいましょう! 年末年始はお菓子も多くていいですよね、安くもなってますし沢山食べちゃいます。 …太るのは気にしません、来年は沢山トレーニングするので痩せますから、蓄えてるんです!
「ただいま、結構入れたね。会計行く?」
「ですね。 …トレーナーさんは何を買ってたんですか?」
「…秘密、大人だけのね」
「むぅ…」
トレーナーさんの買った物だけ気になりますけど、わからないのでお菓子買ってアヤベさん達を探しに行きましょう。カレンちゃんと2人で小道具を買いに行ってるんですよね? 小道具… クラッカーとかですかね。 …どこに売ってるんですかね?
「こっちだよ、さっきアヤベさんの耳が見えたんだ」
「耳、大きいですもんね」
「ね。最初に会ったのがアヤベさんだったから、最初はみんなあれくらいなのかと思ってたよ」
「わたしはそこまでですもんね…」
「私にはわからないんだけど、レースにも影響ってあるの?」
「耳が大きくなったことはないので、わからないです」
「…確かに、比較しようがないか」
さ、アヤベさん達と合流して、こたつに帰りましょう!
「アヤベさーん、ミカン剥いてくださーい」
「自分でやりなさい…」
「はい、クラフトちゃん。カレンちゃんもどうぞ」
「ありがとうございます」「わーい♪」
「…あまり甘やかさないように」
4人でトランプをしたり、ボードゲームで遊んでいたら、もう日も暮れて星が見えるようになってきました。懐かしいなぁ、今年の始めの頃にみんなで星を見に行きましたよね。あれから1年、早かったですね…
「ちょっと離席するね、用事があって」
「…そう、いってらっしゃい」
「それなら、ご飯はトレーナーさんが帰ってきたら、ですね」
「カレン達で準備しておきまーす♪」
「お願い、30分以内には帰ってくるよ」
私も動かないと… みんなでキッチンに乗り込みましょう! ちゃんと届けは出してあるので使えるはずです、外泊届も出してますよ。 …学園内で寝るのに外泊かは微妙ですが。
「…私も行ってくる」
「どこにです?」「アヤベさんも?」
…アドマイヤベガよ。楽しく騒がしいパーティーを抜けて、トレーナーはどこに向かっているのかしら? トレーナーが何をしていようと勝手だけど、なぜだか… 追いかけないといけないような、そんな気がしたの。何事もなければ、すぐに帰るつもりだけど… この道、星を見に行こうとしているのかしら。前に… この先の丘を教えた覚えがあるわ。
ここまでは足音を頼りに追いかけてきたわ。ウマ娘は耳が良いのよ、足音だってよく聞けるわ。 …普段は聞こうともしないけど、トレーナーを追いかけるなら足音に頼らざるを得ないのよ。本当は目でちゃんと見たいけど、曲がり角から覗こうにも耳が飛び出してしまうの。 …そんなことしたら、トレーナーなら気づくわ。ある種の信頼ね。
「足音、聞こえてるよ」
…ほらね、凄いトレーナーでしょう? 走ったわけじゃないわ、足音を立てないようにゆっくり歩いたわよ。それでもバレてしまうのね…
「ごめんなさい、尾行なんてして。どこに向かっているの? 何か、袋を持っているようだけど」
「…帰ってくれると嬉しいな。アヤベさんには見られたくないんだ」
「…わかったわ、勝手に詮索して悪かったわね。だけど、これだけは約束して。危険なことや人に迷惑のかかることはしないって」
「約束するよ。 …子供の約束みたいだけど」
「…そうね」
…バレた以上は、大人しく帰るわよ。見られたくないことの1つや2つ、誰だってあるもの。帰れと言われた以上は、帰るべきよ。 …星を見ながら何をする気なのかは甚だ疑問だけど。問題を起こさないなら、私に何か兎や角言う権利などないわ。何をするのか、気になって仕方がないけど。
帰りながら考えたのだけど、きっとトレーナーは最初から気づいていたのでしょうね。なにせ、目的地の直前で気づくなんて都合が良すぎるもの。 …何の意味があったのかはわからないけど、私に丘を目指していると暗に教えてくれた… と、思っておくわ。これ以上探るのは無しね、いつか話してくれるまで待ちましょう。
「戻ったわよ、進んでるかしら?」
「進んでますよ、クラフトちゃんが頑張ってくれてます♪」
「…あなたは?」
「もちろん、カレンも頑張ってますよ?」
「そう… 私も手伝うわ」
何もなかったかのように、パーティーを楽しみましょう。 …本当に何をしていたのか、知りたいけど。 …切り替えましょう。楽しいパーティーなんだから、笑っていかないとね。
「後10分で変わっちゃいますね…」
「みんなでジャンプしませんか? 思い出になりますよ」
「そうね… 私が撮るから、3人で跳びなさい」
「タイマーで撮りますから、アヤベさんも跳べますよ♪」
「クラフトちゃん、これ持ちなよ。ちょっと重いけど」
「新潟ジュニアのトロフィーですね! …来年はもっと良いのを持てるように、頑張ります!」
「そうだね、頑張ろう!」
…こうなる気はしてたけど、最後は跳ぶのね。私も跳ぶわよ、1人だけ気取って跳ばないなんて、空気の読めないことはしないわ。トレーナーだって、さっきはどこで何をしてたのか知らないけど、今は輪に混ざって笑ってるもの。私が混ざらなければ、輪が乱れてしまうでしょう?
トレーナー、クラフトさん、カレンさん、トップロードさん… 今年1年、お疲れ様。そして、ありがとう。また来年も、よろしく… こういうことは、声に出したほうがいいわね。
「跳びますよー」
「…ありがとう、琴葉トレーナー」
「うえっ!?」
…跳び損ねたわね、トレーナー。でも… それもそれで、面白い写真が撮れたかしら。
「今年1年、頑張りましょうね!」
「カレンもカワイイを磨いちゃいますよ〜♪」
「休暇ムードは今日で終わりね」
「ふぅ… トリプルティアラ目指して、駆け抜けようか」
…勝負の2年目、勝ちに行くわよ。
「1年目、忙しいけど楽しかったわ」
「来年はもっと楽しみましょう!」
「だね、楽しんで、笑って、それでいて勝つ!」
「頑張るぞ〜!」「おー!」
「お、おー!」