琴の音に耳を澄ませて 作:緑雨
皆様、はじめまして。クロノジェネシスと申します。今日はチームリラの戦略担当として、初めてのレースを迎えます。チームとして担当しているラインクラフトさんは、既にジュニア重賞を制した、紛うことなきティアラ戦線の主役。そんなウマ娘に戦略面で携われることは、二度とあるかわからないほど光栄なことです。ですので… 緊張と不安で、普段通りにレースを見ることはできなさそうです。
「あまり気負いすぎないで、責任者は私だから、笑って見てていいんだよ」
「まるで責任者は真面目に見てるような言い方だけど、あなたの方が楽しげにレースを見ていないかしら?」
「それはそうだけど… 神妙な顔してるよりはいいでしょ?」
「それは… そうね。走る前くらいは、元気に笑ってるほうがいいわ」
「レースが終わっても笑えるのが1番だけどね」
「そうね… そうなると、信じましょう」
話に交じる余地がありません… それなら、静かにレースを見ましょう。 大丈夫、大丈夫… 予想が正しかったのか、今の私にはわかりません。ですが、もうじきにわかってしまいます。普段なら自分を信じて、楽しみに見れるのですが… 今は、答えが知りたくないとさえ思ってしまいます。不思議なものですね…
「お〜い、大丈夫?」
「…あっ、私ですか? だ、大丈夫ですよ」
「不安なのはわかるわ。でも、目は逸らさないで。クラフトさんを信じましょう」
「はい、信じます」
「もうゲート入りだよ、クラフトさんは… 大丈夫、落ち着いてるね」
「さぁ… はじまりね」
自分を落ち着かせるためにも… 頭の中で実況しながら、レースを見ましょう。レースのことで頭を埋めて、不安を押し潰すんです。それでは… G2、桜花賞トライアル競走、フィリーズレビュー発走です。
8番のクラフトさんはまずまずのスタート… ですが、外から14番のヒスイキセキさんが前に出ていきます。続いたのは11番と12番、更に6番のデアリングハートさんも続いていきます。人気上位勢、エアメサイアさんもその後ろ。結果的に… クラフトさんが、人気勢の中で1番後ろ…!?
「これは…」
「…行かせたね。プラン… C? D?」
「そんな作戦があったのね…」
「行かせたくはなかったけど、無理に前で行っても自分の首を絞めることになる。だから… 全員が前を選んだなら、自分は下がる…」
「でも、これだと… いえ、信じましょう」
エアメサイアさんよりも後ろに控えて、最終直線で全員を差す… この作戦は、クラフトさんの普段の走り捨てる、ハイリスクな作戦。ですが、この展開になった以上は作戦としては成功です。現在第3コーナーの手前、前は位置取り争いが激しく消耗戦の様相を呈してきました。こうなれば、普段よりも後ろで楽に走っている分、クラフトさんに利が出てきます。問題は… 阪神内回りの最終直線で、届くのかどうか…
「コーナーになっても、前はまだ競り合ってる… これなら、行ける!」
「理想的ね… 私が走っていたら、心の中で笑っていたかもしれないわ」
「コーナーは本当に上手く回りますね… 先頭との差も、確かに詰まってきました」
第4コーナー、問題なく回って行きます。ここから先は、小細工無しの末脚勝負! クラフトさんは普段が先行策のため、勘違いされがちですが… 強みは、前で押し切るスタミナではなく、最終直線で伸びるその切れ味! コーナーから速度に乗って、そこから先頭を捕らえ、後続を突き放す… その末脚を、今回は後ろから使うんです。頼みます、クラフトさん… お願いします…
「きたきた… 一気に、伸びてきた!」
「私譲りの末脚… まだ、行って!」
「行けます! 届きます! これなら、きっと…!」
「差せる、差して!」
「届く… 届い、た!」
「す、すごい…!」
「迎えに行ってくる!」
「私も行くわ」
凄い… クラフトさんの末脚は、私の思った以上に速く、切れて、全てを置き去りにしていきました。前を往くデアリングハートさんも、エアメサイアさんも、遅かったわけじゃありません。なのに… クラフトさんが、全てを飲み込んでいった…
…本当に、このチームの戦略担当になれて、幸せです。誇りです。ですから… もっと先に、進みたい。辿り着ける、はずです。クラフトさんなら… この、チームなら。
「桜花賞、なんとしても… 私が、導かないと…!」
『がんばろうね』
「はいっ! …あれ?」
今、アヤベさんの声がしたような… 気の所為、ですかね。
「戻りました!」
「おめでとうございます! クラフトさん!」
「さっきも言ったけど、おめでとう! そして、ありがとう」
「何度言ったっていいものね… おめでとう、クラフトさん」
「ありがとうございます、皆さんのお陰です! これからも… 頑張ります!」
少し経って、クラフトさんが帰ってきました。滴る汗と乱れた息が、つい先ほどまでのレースの激しさを示しています。トレーニングの後とは明確に違う、魂を焦がす本気の走りの代償、そして人々を惹きつける美しさの象徴なのだと思います。
トレーナーさん達が控え室を出て、クラフトさんを迎えに行っている間に、レース結果は確定しました。2着は前で粘ったデアリングハートさんで、その差は1バ身。クラフトさんが並ぶことなく、そのまま抜き去ったような形でした。着差以上に強かった、と言われるような勝ち方です。
「話足りないけど、記念撮影に行くわよ。新潟ジュニアの時は時間がなくて出来なかったもの、準備して」
「記念撮影なんてあったんだ…」
「…確かに、あの時は撮ってなかったです! 忘れてましたね…」
重賞レースの後は、勝ったウマ娘とトレーナー、場合によってはサブトレーナーやその他のスタッフによる記念撮影があります。クラフトさんは昨夏に新潟ジュニアステークスを制していますが、私もその時の写真を見た覚えはありません… ウマ娘の状態を考えて行いことも多々あるので、気にしていませんでした。ですが… レースを語る上で、記念撮影は大切です。レースを勝った瞬間の写真は険しい表情の時も多いですから… 記事などでは、基本的に記念撮影の写真が使われます。満面の笑みを浮かべた誇らしげな表情は、レースを象徴する1枚となります。
「クロノちゃん、ぼーっとしてるけど行くよ」
「え、わ、私もですか?」
「はい! クロノちゃんがいないと、チームリラじゃないですから!」
「そんな、私は大したことは…」
「謙虚なのは良いことだけど、自信がないのは問題ね… クロノさん、あなたがいなければ今日の結果は全く違うものになっていたわ。だから… あなたがいないと、写真は完成しないの。 ……行くわよ」
「は、はいっ!」「お〜!」
「…ふふっ」
「どうかした?」
「いや… 良いチームだなって」
「…当然でしょ」
それでは、撮影に行ってきます。主役はクラフトさんですから、目立たないように… 服も整えて、行ってまいります。
「次走は桜花賞、いいね?」
「もちろんです! 必ず、最初のティアラを射止めて見せます!」
「それじゃあ、今後の予定を。クラフトさんは短期の休養の後に、桜花賞に向けてウッドチップコースで調整。アヤベさんは併走をお願い。クロノさんは桜花賞出走予定のウマ娘の現状分析で。大変だと思うけど… 私がデータは取ってくるから、お願い」
「頑張ります!」「お任せください!」
「…初めてトレーナーが指揮を執ってるのを見たわ」
「初めてじゃないよ… ね?」
火曜日、トレセン学園に帰ってきました。そして、桜花賞に向けての作戦会議。私の役目は、トレーナーさんから受け取ったデータの分析、だそうですが… トレーナーさんは他にも仕事が多いでしょうから、私も収集に向かいましょう。
「…話すことは終わりなら、私から1つ。今週末、星を見に行かないかしら? いつものメンバーだけど、クロノさんもどう?」
「車、全員乗れるかな」
「乗れるらしいわよ。トランクに、3列目の座席があるんだって」
「ご迷惑でなければ… よろしくお願いします」
「わたしも行きます、大丈夫ですよね?」
「来る前提で考えてるから、問題ないわ」
…3列目、ですか。レースなら3人いれば3列になることもありえますが、車でそんなことはないですよね。1列目に運転席と助手席、2列目にも2つか3つは座席があるはずです。ですので、3列というと5人以上…? チームリラは4人、他の方もいるのでしょうか。私が知ってる限りだと、ナリタトップロードさんがチームリラの作戦会議に参加していたはずです。他は… 浮かびませんね。楽しみにしておきましょう。
「はじめまして… チームリラのデータ担当をしております、クロノジェネシスと申します」
「アヤベさんのルームメイトの、カレンチャンでーす♪ よろしくね」
「よろしくお願いします」
「よしっ、全員揃ったね。車まで案内するよー」
「持ち主じゃなくてあなたが案内するのね…」
「えへへ…」
「…照れるところかしら?」
メンバーは6人でした。チームリラの4人と、ナリタトップロードさん、そしてカレンチャンさん。 …カレンさんと呼ぶことにします。カレンさんは誰もが知っているウマスタグラマー、カワイイの求道者です。カワイイを追い求め、カワイイを知り、カワイイになろうとする… そんな方です。
「ここを倒して… お〜、私の椅子…!」
「私が助手席を貰うわね。後ろは好きに座ってちょうだい」
「私は1番後ろで大丈夫です。皆さん、座りやすい席にどうぞ」
「それなら、残ったカレンとトップロードさんが真ん中ですね♪」
「ですね!」
それでは、どこに向かうのかも知りませんが… みんなで、遊んできます。私の予想では、天体観測までの時間は動物園や水族館といったレジャー施設だと思います。答え合わせに… 参ります!
「…難しいわね」
「立体的に見るんだよ、空間把握。得意でしょ?」
「少なくともあなたよりは… でも、そもそも操作に慣れないわ」
「わたし、向こうの何かやってきますね」
「カレンも行く〜♪」
辿り着いたのは、ショッピングモールの中のゲームセンターでした。レジャー施設というカテゴリーでは予想は的中といえますが… 1番人気の複勝が当たった程度の、広く置きにいっての的中ですので、誇れませんね… そもそも、このような予想に意味はないのですから、気にすることでもないのですが。
「あの、片方が横側から案内すればよいのでは?」
「…確かに」
「2人… というか、4人いるんだから使うべきね。トレーナー、前後は任せたわよ」
「わかった、こっちのボタンは任せて」
「…私は応援してます!」
「えっと… それなら、私は斜めから確認しますね」
今私達が向き合っているのはクレーンゲームです。アヤベさんが正面から左右軸を、トレーナーさんが側面から前後軸を担当しています。私はトレーナーさんの反対側の斜めから位置を見ていますが… あまり良くわかりません。難しいですよね…
「…良さそうね」
「掴め、掴め… よしっ、掴んだ…」
「っあぁ〜…」
「…やめましょう、私達にクレーンゲームは無理よ」
「諦められないから私はやるよ」
「…それなら、私もやるわ。2人はカレンさん達の方に行ったほうが楽しいと思うわよ」
「私は残りますよ、応援します!」
「4人だとお邪魔になりそうなので… 向こうに行ってきますね」
カレンさん達は、筐体ゲームの並んでいる方向に歩いて行ったはずです。カレンさんの好みはわかりませんが… 怪しいのは音楽ゲームですね。格闘ゲーム… の可能性もないとはいえませんが、クラフトさんにそのイメージがありません。2人でやるとしたら… 音楽ゲームでしょう!
「あの… くろのじぇねしすさん、ですか?」
「はいっ!? は、はい、そうですが…」
突然話しかけられたので声が裏返ってしまいました… それで、話しかけてきたのは… 小さなウマ娘、ですね。子供… なんだと思います。少し涙ぐんでいるようにも見えます、迷子でしょうか…? ですが、私の名前を知ってましたよね。それなら、チームリラのファンの方でしょうか。 …私の名前を覚えてくれているとは、驚きですが。現役のクラフトさんやアヤベさんはまだしも、裏方の私を…? 嬉しい限りですが、今は喜んでいる場合ではありません。この子の保護者を探さないと…
「迷子… ですか?」
「うん… えっと…」
「えーっと、それなら… どうしたら…」
「うぅ…」
どうすれば… 走って保護者を探す… のは、無茶ですよね。この子の親は、どこにいるんでしょうか… と、とりあえず、迷子センター? でも、迷子センターの場所がわかりません!
「あの、えっと… さ、探しに行きましょう!」
「待って待って、クロノちゃん」
トレーナーさん! アヤベさんとクレーンゲームをしていたはずなのに、助けに来てくれたのですね! ありがたいです… 本当に、助かりました。ふぅ… 私も、焦りすぎましたね。落ち着かないと…
「とれぇなぁさん…」
「私のこと、知ってるの? …そうだよ〜、トレーナーさんだよ〜。ここには誰と来たの?」
「おかあさんと…」
「それじゃあ、お母さんに会いに行こうか。今から、迷子センターっていう場所に向かうよ。そこの人が、お母さんに合わせてくれるから、ね? 歩ける?」
「うん! ついてく…」
「場所、調べてきます!」
「大丈夫、わかってるから」
「凄い…」
なんと… 普段は迷子センターに行く理由なんてないでしょうに、場所を把握しているとは… 流石、トレーナーさんです。こんなこともあろうかと、事前に調べていたんですね! 私も、まだまだです… トレーナーさんのように、もしもを想定して動けるようになりたいです…!
「行くぞ〜!」
「お〜!」
私は必要ないかもしれませんが… ついていきましょう。乗りかかった船です、最後までやり通しましょう。それに、この子は私を頼ってくれたんです。上手くできなかったとはいえ、投げ出すわけにはいきません。
「お母さんが来るまで、私はここにいるよ。クロノちゃんは、アヤベさん達に伝えてきてほしいな」
「わかりました。 …ありがとうございます、私だけではここまで来れませんでした」
「でも、クロノちゃんがいなかったら私はこの子に会えなかったよ。だから、自信持って。少なくとも、この子にとっては救いだったと思うから」
「ありがとう、くろのさん」
「…はい。それでは、行ってきます」
迷子センターに着いて、そこで別れました。急いで、ゲームセンターに戻らないと…
「相も変わらず… 星は綺麗なままね」
「星は私達より長生きだからね。私達が1年で色々変わっても、星からしたら短い時間の小さな変化だよ」
「確かにそうね。思いを馳せるのもバカらしいほど… 規模が違うわ」
ゲームセンターで長く遊んだ後、近くの丘に天体観測にやってきました。あの迷子の子の保護者は、すぐに見つかったそうです。あの子がどんな子なのか、どうして私の名前を知っていたのか、そもそもあの子の名前すらもわかりませんが… 不思議と、また会えるような気がします。チームリラのファンなのだとしたら、きっと最初期からの古参ファンとしてずっと応援してくれるでしょうから… また、会えるはずです。私達が、これからもっと頑張れば、ですが。
それで、ゲームセンターを出てからの車の中で、アヤベさんに星の説明をされました。全てを覚えることはできませんでしたが… 星々の名前、歴史と物語、そして煌めきや特徴など、多岐にわたる話をしてくださいました。星の歴史… 少しだけ、興味はあります。私の生まれるよりも遥か昔を知る、唯一と言える生き証人ですから。話せるものなら、話してみたいです。
「今年も写真撮りますよ〜♪」
「ここに集まってくださ〜い」
「トレーナーが真ん中に行きなさい。私は端で」
「カメラのタイマー押した後にカレンが走って行くので、アヤベさんの場所中心でお願いします♪」
「どうして…?」
「クロノさんも、前どうぞ」
「いえ、トップロードさんこそ、前に」
「じゃ、私がそこに失礼しようかな」
「…本当に包囲されてるんだけど」
「カレンの入る場所も開けてくださいね?」
街の光のない丘の上で、満天の星空を背に撮る写真… 写真では背景の星は見えないと思いますが、それでも良い思い出になりそうです。それに、だからこそ… 今、この瞬間に星々を眺めて、その遠く、か弱くも美しいその景色を胸に刻んで、みんなで見たこの瞬間だけの景色を楽しみましょう。またいつか、星を見に来ることはあると思いますが… その時に見る景色は、今見たこの星空とは違うはずですので。忘れないように… 目に焼き付けましょう。
「撮れたみたいだね? アヤベさん、あの星ってリゲルだっけ」
「青白い星のことなら、そうよ。 …好きなの?」
「何も知らないけど、ただ綺麗だなって。私みたいで」
「…聞くだけ無駄だったわね」
「アヤベさん、わたしみたいな星ってありますか?」
「咄嗟に考えろと言われても無茶よ。後1年は考えさせて」
「それ、答えないやつじゃないですよね?」
「………今度トレーナー室に本を持って行くから、暇な時に考えましょう」
「すごい… 間がありました」
それでは、まだ知らない星々を知るために… アヤベさんの話に耳を澄ませて、楽しんできますね。
「そうだ、これお願いできる?」
「ありがとうございます、明日までにまとめておきますね」
「急がなくて大丈夫だよ、来週の土曜までで」
「トレーナーはこの書類の確認を頼むわね」
「は〜い、わかった」
「それじゃあ、私はお先に失礼するわ。やることは済んだし、部屋で待ってる人がいるから」
「お疲れ様」「お疲れ様です」
今は3月3週の土曜日です。今年は桜花賞が4月1週ですので、再来週になります。トレーナーから新鮮なデータをいただいたので、私の仕事ができました。仕事というより、趣味ですね。データを基に予想を立てて、レースでその答え合わせを、そしてそこで紡がれる歴史を知る… 私の、趣味です。
そもそもとして、今日はチームとしての活動として集まっていたわけじゃありません。私は自前で集めたデータと予想を持って、トレーナーさんとテレビでレース観戦をしようとトレーナー室に来ただけですので。丁度暇で書類を片しに来ていたアヤベさんも入れて、3人で見ていました。それが終わって、今になります。アヤベさんは書類を終わらせ、私とトレーナーさんはレース観戦を終えたわけです。
あ、いただいたデータは寮の自室に戻ったらすぐに確認します。来週の土曜まで… つまり、次の作戦会議までと言われましたが、私の趣味ですので。それに、桜花賞の予想をするわけですから… 早めに取りかかって損はありません。チームリラとして、クラフトさんの為にも大切な物になりますから… 呑気にしてられません。
「因みになんですが、データはどうやって集めているんですか?」
「どうって、普通に人力だよ。高いところで双眼鏡覗きながらストップウォッチ持って測ってる」
「あの、今度ご一緒してもいいですか?」
「いいよ〜、明日とかやる?」
「そうですね、お願いします。待ち合わせは何時何処にしますか?」
「私はずっとトレーナー寮の5階にいるから、暇な時に来てよ。明日は予定だと良いメンバーが見れそうだし、早めでも遅めでも楽しいと思うよ」
「トレーナー寮、ですか? 入れませんよ?」
「あ〜、屋外階段があるからそこから来て。他に人もいないから、すんなり来れるよ」
「わ、わかりました…」
少し不安ですが… 私も、データ収集に良いスポットは探していたので、使わせてもらいましょう。 …ただ、いつ使うのかという問題はあります。元々、データ収集はしたくてもする機会がなくてですね。有力なウマ娘のトレーニングが盛んなのは土日ですが、土日はいつもレース場に行くので見れません。平日の放課後にもトレーニングを行うチームは多いのですが、忙しいことも多くて… ですが、知識は武器です。ふとした時に使えるように、場所だけでも覚えておきましょう。
「ようこそ、私の階へ」
「トレーナーさんの物ではないと思いますが…」
「…別に、そういっても
「そう… ですか」
日曜日、キチンと帽子で耳を隠してトレーナー寮に来ました。バレないように変装に、と思ってしてきたのですが… アヤベさんは普通に変装せずにいましたし、本当に誰とも会いませんでした。 …平然といますが、アヤベさんはどうしたんでしょうか?
「あの… アヤベさんは何をしに?」
「私も手伝おうと思っただけよ」
「それじゃあ、初めていこうか。そこの道具を好きに使ってね」
「詳しくは私が教えるから、こっちよ」
「はいっ!」
それでは、調査してきます!
「お疲れ、お菓子食べる?」
「いただきます… もう終わりなんですか?」
「桜花賞で戦う相手は確認し終わったからね。続けたかったら幾らでもここは使って大丈夫だけど、私は終わるよ」
「珍しいわね、いつもは夜までやってるのに」
「予定が入っててね。入ってるというか、入れたんだけど」
「…珍しいわね。あなたが人を誘うのなんて、今から買い物でも行くの?」
「まぁ、そうかも?」
アヤベさんはトレーナーさんのことをどれだけ知ってるんでしょうか…? あの、当たり前のように話してましたけど、いつも夜までとか、人を誘うのが珍しいとか、どうして知っているんでしょうか… 触れるのは… 藪蛇だと思うので、やめておきます。
「ま、そんな時もあるってことで」
「…別に深入りする気もないし、好きにして構わないけど… 問題は起こさないでよ」
「よく心配されるけど… 何も起こしてないでしょ?」
「それはそうだけど… あなたの場合、
「自分でも言い返せないのが苦しいんだよね… だって、自分でもそう思ってるから。私って普通に真面目な人なのに、突飛なことするなぁって思うもん」
あ、自分で思ってるんですね。
「自覚してるなら直してもらえないかしら…?」
「でも、アヤベさんもこっち側だよ」
「は…? それはないわ、私はクロノさんの側よ」
「私は逆側なんですね。 …私の側には他に誰がいるんでしょうか」
「誰もいないよ」「私だけじゃないかしら?」
「えぇ…」
…チームリラって、そんなに変人の集まりなんでしょうか? 私は、みんな優しくて、真面目で、凄い良いチームで、良い人達だと思ってます。プライベートは… と思いましたが、そもそもプライベートは知りませんね。私が知らないところでは、はっちゃけているのでしょうか… 少し、怖くなってきました。信じられるのはアヤベさんだけ… いえ、アヤベさんも裏では…?
…気にするのはやめましょう。知らないことを考えても、良い結論には辿り着けません。考えないのが吉です。
「っと、そろそろ行くね。後はお好きに!」
「…やる?」
「私は続けようと思います。こんな機会、そうないですので」
「それなら、私が記録係をするわ。トランシーバーで伝えてくれれば、トレーナーの代わりに記録するから」
「ありがとうございます」
ラジオでレースの実況を聞きながら、双眼鏡でトレーニングを観察し、壁の向こうのアヤベさんに伝える… これが私の天職だったのかもしれないと思うほど、楽しいんです。土日にこうしてデータを集め、平日に予想をし、次の土日にラジオで答え合わせをしながらデータを集める… そして、積み重ねられた歴史の生き証人となる…! これこそが私の、目指すべき姿なのかもしれません。
『次は誰かしら?』
「えー、芝コースの… トップロードさんです!」
『見に行くわ』
「わかりまし「来たわ」
「扉開けたらすぐですもんね…」
ここから見ていると、よく知ったウマ娘の走りを見ることも多いです。今はトップロードさんですが、他にもG1競走を制し歴史に名を刻んだウマ娘の姿を見れます。現役のウマ娘はみんなトレーニングをするのですから、当然ではあるのですが… やはり、トレーニングでもその格を感じます。あの風格、空気を支配する力はどこから生み出されるのでしょうか…
「…流石ね。戻るけど、タイムは?」
「あっ!? ボタン押してませんでした…」
「…そう」
ううっ、アヤベさんの冷たい目線が刺さります… 時折、見入ってしまうんですよね。その目に走りを焼き付けたい思いは抑えて、しっかりと測るべきだとはわかっているのですが… 目が離せないんです! この親指でタイマーを起動する癖をつけなくては…
「え〜、次はダートコースです──
「す、すいません。うぅ…」
「…策を練る必要があるわね」
「でも、もう今週末ですよ… トレーナーさん、どうしたら…」
「…考えよう、まだ時間はある」
4月1週、月曜日。今週末の桜花賞に向けてアヤベさんとクラフトさんで併走を行ったのですが、動きがおかしいんです。時計が悪いのはバ場によりますから問題外としても、少し緩めたアヤベさんについていくのでも精一杯で… ですが、体に異常をきたしている部分は確認できませんでした。ですから…
「クラフトちゃん、先ずは落ち着こう。さっきの併走、気にするなって言っても難しいかもしれないけど、結果は関係ないんだよ。だから、息吸って、吐いて… 最近のこと、話さない?」
「…そうね。こんな時は、他愛もない話をしましょう。私も、よく愉快な人達にそうされたわ」
「わ、わかり… ました」
問題は、私達にわからない部分。目に見えない異常というと、病気的なものもありますが… 可能性としては低いです。それに、何より… 私が見てもわかるほど、動揺しています。焦りなのか、不安なのか、原因はわかりかねますが… そのメンタル面の不調が、走りへ悪影響を及ぼしている、と仮定できます。 …どうすればいいのかは、わかりません。ですが… 落ち着かせて、安心させてあげることが第一、ということはわかります。今… トレーナーさんが何とか、そうしようとしています。
「ルームメイトとはどう? 前は、仲いいって聞いたけど」
「私は言うまでもないわね、クラフトさんは?」
「シーザリオとは仲良しです、よく遊びますし、毎日寝る前に話します。一緒に、ティアラを…」
「…桜花賞で戦うもんね。勝てないかもって思う?」
「…はい。シーザリオは、強くて… わたしより、ずっと」
…わかります。私も、よくそんなことを思うんです。私よりもあの人のほうが凄い、戦ったって勝ち目がないんじゃないか、なんてことを。トゥインクル・シリーズの歴史においても、ずっと自信を持って戦い抜いたウマ娘など片手で数えられるほどもいないと思います。ですから、不安を持つのは… 当然のことといえます。そんな時に、不安を抱えたウマ娘を安心させるのがトレーナーの最大の仕事だと言う人もいます。
「確かに、シーザリオさんは強いね。クラフトちゃんより強いかも」
「です…よね…」
トレーナーさん…? あの、不安を駆り立てるようなことは言わないほうが…
「そうね… あの末脚、そして持続力は世代屈指のものがあるわ。私も戦いたいとは思えないほどね」
「はい…」
アヤベさんまで…
「でもさ…」「だけど…」
「「勝負ってそれだけじゃないでしょ?」」
「強さって絶対的な数字じゃないし、強ければ勝てるものでもない。それに、強さなんて条件ですぐに変わる。〝桜花賞〟というルールで強いのは…」
「シーザリオさんの強さは末脚と持続力、どちらも中距離戦… 特に、直線も長いオークス向き。クラフトさんと比較して、桜花賞に向いているのは…」
「クラフトちゃんじゃないかな」「クラフトさんだと思うの」
「……そう、なんですか…?」
「そ、そうです! 桜花賞の条件、特にマイルという距離において、クラフトさんは抜群です!」
お二人の考えが今になってわかりました。クラフトさんの、シーザリオさんが強いという意見に肯定したうえで、クラフトさんの強さを主張し、気持ちを持って行く… やっぱり、お二人は流石です。ですがきっと、そんなことを考えて言ったんじゃなくて、素の気持ちで、純粋な心で言ってるんです。
「…頑張らないとって、わかってるんです。勝てる勝てるって言われても、自分でもう、怖くて… 阪神JFの時も、だめでした。もう負けないってあの時誓ったはずなのに、怖くて、脚が重くて、苦しくて…」
「自分を、信じよう。クラフトちゃんの強さは、私が1番よく知ってるから」
「でも! 自分で、信じられないんです! 前は、ただティアラの夢を見てたのに、もう目の前に見えて、だけど遥かに遠く見えて、走ってしまうのが、怖くて…」
「自分を信じられないなら、私を信じて。私はあなたを信じるわ」
「信じて、もらっても… できるか、わかりませんよ? だめかもしれません、それでも… 信じられますか?」
「もちろん。だって、信じてるから。 …これじゃ答えになってないか」
「わ、私も、信じてます! 結果はわからなくても、信じることはできます! わからないからこそ、信じてるんです!」
「心に嘘をつかないで。ティアラを… あなたのこれまでを信じて、私達のこれまでを信じて」
「…わかり、ました。信じます… 信じます、頑張ります…」
…信じましょう。私には、何もわかりません。どうすればいいのか、わからないんです。私にできるのは、思ったことを伝えることだけです。だから… 精一杯、応援します。
「行ってきます… 見ていて、ください」
「見てるよ、ずっと」
「目を離すつもりはないわ」
「記憶に、焼き付けます」
「…行ってきます!」
行こう。桜花賞、わたしなら、勝てるはず。シーザリオでも、他の誰かでもない、わたしが… 勝つんだ。トレーナーさん、アヤベさん、クロノちゃん… 行ってきます。わたしの為に、みんなの為に… 信じてくれた、みんなの為に、走るんだ。
「──」「──」「──」
何も、聞こえない。きっと、何かは言ってるんだと思います。わたしを応援してくれているのか、他の誰かを応援しているのか、かつてのわたしのようにティアラの未来を見に来たのか… でも、そんなのはどうだっていいんです。わたしは… 勝つ、だけなんです。
…もう、ゲートです。もう、逃げることなんてできません。 …逃げるつもりも、毛頭ありません。わたしは、戦います。信じてもらったから、みんなを信じてるから… いや、違いますね。わたしの為に、走ります。わたしが、これまでの自分に… みんなの思いに、報いる為だけに…!
ゲート入り… スタートまで、あと少し
迷うな、わたし。もう、進むだけなんだから
…行こう。トレーナーさんが見てくれた、夢を見る為に
「今スタート! ラインクラフト、今日は抜群のスタート!」
スタートが良くても、前には行かないように… 作戦通り、中団少し前につけて最終直線で前に行けるように… でも、せっかくの好スタートなら、作戦より前で行ったほうが…
『桜花賞。親とテレビで見た、初めてのレースでさ。それから、ずっと好き』
『子供の頃の私には輝いて見えたんだ』
行きます、前で行きます! 普段と違う位置取り、普段と違う走りは、リスクです。でも… リスクを背負わなければ、桜花賞は勝てません! G1を勝つなら… ゲートで手にしたアドバンテージを、活かさないと!
…運も、向いている気がします。誰かが、わたしの前で逃げてくれた… おかげさまで、わたしが逃げずに済みました。これなら… 普段より前の位置で、普段通りの走りをすればいいんです。落ち着いていきましょう。
これから最初のコーナー、ペースは恐らくスローペース。それなら、2番手に控えてこのままコーナーを回って… ただ、バ群が詰まってきました。今仕掛ければ、後ろとのリードを広げて最終直線に向かえますよね…
『好きにしなさい』
『私はクラフトさんの意思を尊重するわ。何が正しいのかなんて、誰にもわからないもの』
ここで仕掛けるのは、時期尚早… わたしは、自分の脚を信じます! このペースなら、わたしの末脚は最大限繰り出せる… そうすれば、無理にリードなんて取らなくても、突き放せるはずです!
仕掛けるのは… 最終、第4コーナー! コーナーで速度に乗って、逃げウマ娘を捕まえて、そして一気に末脚を起動する! わたしの、勝ち方で… 走り方で、勝ちにいきます!
『今!』
「トレーナーさんが、みんなが信じてくれたこの脚で… 想いに応えるために…! 願いを叶える、流れ星となるために!」
「いっけぇー!!」
それは、初めての景色だった。普通の人として生きていた、一昨年の私にはこんな景色、想像もできなかっただろう。昼間は仕事を淡々とこなして、夜は仲の良い友人とゲームして、休みは競馬場でレースを見て… ずっと、そんな普通の人生を歩んで、そして朽ちるものだと疑わなかった。だから、だから…
「ゆめ… みたいっ、だよ…」
「…あなたに涙は、似合わないわね。笑いましょう?」
「…そう、だね。似合わ… ないね」
「うぅ… でも、でもぉ、なみだが、とまらない… ですよぉ…」
「…確かに、泣くなというのも無茶ね。でも… 笑って、迎えてあげましょう?」
「わかり、ました… 頑張って、笑いますね?」
自分がウイニングサークルに立って、万雷の拍手と鳴りやまぬ歓声を背に受けて、ウイニングランを終えた勝者を迎え入れる… 夢物語として、冗談として描いていた景色が、今は揺るぎない現実として… 私を、包んでいる。焼かれるように熱い視線が、祝福の言葉が、絶え間なく私に向けられる… 照れるとか、嬉しいとか、全部が混ざって、自分でさえ感情がわからなくて、思わず涙がこぼれるけど… まだ、大切な仕事が残ってるね。泣いてばかりじゃなくて、それはこなさないと…
「おかえり、クラフトちゃん。 …おめでとう」
「トレーナーさん、アヤベさん、クロノちゃん… わたし、やりました! 桜の、ティアラを… 掴み取りましたよ!」
「おめでとう。本当に、ただただ強かったわ」
「おめ でとう…ござい、ますっ!」
「はいっ! …わたしをここまで連れてきてくれて、ありがとうございました。そして、これからも… まだまだ頑張りますので、よろしくお願いします」
「…強いな」
レース前は、不安そうなクラフトちゃんを私が励ましてたっていうのに… 今じゃ、その逆じゃんか。クラフトちゃんは、本当に強いよ。私がクラフトちゃんを、ここまで連れてきたんじゃない。クラフトちゃんが、私を… この場所に、連れてきてくれたんだよ。
「ありがとう、クラフトちゃん」
「急いで! もうすぐ時間よ!」
「わ、わかってる! スーツは… 着こなし、大丈夫だよね?」
「大丈夫だから… 全員、行ける?」
「うん!」
「大変ですね…」
「クロノちゃんも行くんだよ?」
「…え? わ、私もですか!?」
「クロノさんは制服でいいから、早く着替えて、行くわよ」
「は、はいっ!」
慌ただしくてごめんね、これから記者会見なんだ。だけど、慣れてなくてさ… 控室で、みんなで泣きながら話してたら、時間がきちゃって。アヤベさんは制服に着替えてたんだけど、私もクロノちゃんも私服のままで… 急いでスーツに着替えたから、乱れてないか不安だけど… 大丈夫、なはず。
「案内されるまではここで待機よ。スタッフさん、いつでも大丈夫です」
「…え〜、ただいま到着したようです。それでは、チームリラの皆様、どうぞ!」
「ど、どうも〜…」
「堂々として」
緊張する、緊張する… 落ち着いて、特に何か尋問されるわけじゃないんだから… 真面目に受け答えすればいいだけ、いける。マイク持って… 頑張ろう。
「本日、司会進行を務めさせていただきます、乙名史悦子です。チームリラの皆様、本日の桜花賞制覇、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「まず、チームリラのファンに向けて、一言お願いします」
「え〜、トレーナーの琴葉葵です。桜花賞を勝てたのは、私達だけの力ではありません。ファンの皆様の応援が、クラフトの背中を押してくれたお陰だと思います。応援してくださり、ありがとうございました」
「ありがとうございます。それでは、ここからは記者による質問タイムといたします。はじめは… そこの方、お願いします」
ここから記者質問… 本番ってことだよね。乙名史さんは私達のことをよく知ってるから、優しくしてくれただろうけど… ここからは、どんな質問が来るのかわからない。覚悟していこう。
「最初に、桜花賞制覇おめでとうございます。ラインクラフトさんとトレーナーさんに質問です。今日の勝利、誰に伝えたいですか?」
「まずは、育ててくれた両親に伝えたいです」
「私も、最初は家族に伝えたいです」
「桜花賞おめでとうございます。レースについての質問をさせていただきます。今回は、普段と異なる位置取りでレースを進めました。どのような作戦だったのでしょうか」
「…私が、答えさせていただきます。作戦は中団前目で進め、4コーナーから前に並びに行き、最終直線の入りで先頭に立ってレースを進めるというものでした」
「ですが、ゲートを上手く出ることができたので… 予定より、前目で走りました。作戦が上手くいって、良かったです」
「桜花賞制覇、おめでとうございます。レース前から、チームリラの桜花賞への熱意は話題になっていました。皆さんにとって、桜花賞とは、どんなレースですか?」
「憧れの、大好きなティアラです。子供の頃から、ティアラの偉大な先輩に憧れてきたので… その最初、桜花賞は、特別な思いがありました」
「私が初めて見たレースであり、1番好きなレースです。私がこの世界に入った、きっかけでもあります。なので… なんとしても、勝ちたかったレースです」
「現役時代は縁のなかったレースですが、かつて母親が制したレースでもあり、よく話を聞いていました。母の制したレースが、チームとしての初G1ということに、勝手に縁を感じています」
「クラシック世代の最初のG1で、全ての始まり… そう、思っています」
「まずは桜花賞制覇、おめでとうございます。この会見を見ているレースファンの方の中には、チームリラについて詳しくない方もいます。それぞれの役職と、普段チームで何をしているのか、教えていただけませんか?」
「トレーナーをしている、琴葉葵です。トレーニングの予定作りや、タイム計測… 走るレース選定など、チームの責任者として、様々な方向からチームを運営しています」
「アドマイヤベガです。サブトレーナーを任されています。トレーニングの併走や、事務仕事の手伝いが主です」
「クロノジェネシスと申します。データ分析および作戦立案を担当しています」
「…あ、ラインクラフトです。現役のウマ娘として、走ってます」
「桜花賞、お疲れ様でした。私からは、今後のことを伺います。皆様の中では、次走は既に決まっているものだと思います。ファンの皆様に向け、明言していただけませんか?」
…来たか。ここまでの質問には大して面白みもない、波風立たない普通の回答ばかりしてきた自覚があるけど… この質問は、そうはいかないね。ちゃんと… 答えよう。迷うことない、私達が話し合って決めた結論を。
「…一緒に言いましょうか」
「そうだね… せーの!」
カメラが、記者の視線が、全て集まる。きっと、私達が桜花賞の勝者として、トリプルティアラの夢を掲げ、オークスを目指すと、勝つと宣言する瞬間を収めようとしてる。その思いは裏切ることになるけど… 覚悟決めて、言おう。
「「NHKマイルCです!」」
「えっ」「今、言ったよな」「まじか…」「なるほどな…」
会場がざわめくのは、当然か。だけど、ざわめきが嬉しく思うな。だって、私達がNHKマイルCを目指すって情報が、誰にも漏れてなかったってことだからね。知ってたのは私達と、カレンちゃんと乙名史さんだけのはず。2人には、私達がNHKマイルCに向かうことを隠してもらうために伝えたんだ。乙名史さんは記事で、カレンちゃんはSNSで、普段から私達のことを発信してくれてるから… ほら、記事とかで次走のことを全く触れないのも変でしょ? だから、ずっと濁してもらってたんだ。 …2人とも、話す機会も多いし、私って隠し事苦手だからさ… きっとバレちゃうと思ってね。事前に、頼んどいたんだ。記者にこんな特ダネを黙っててっていうのは心苦しかったけどね…
「他に質問のある方は… いらっしゃらないようですね。では最後に、ファンに向けて何か伝えたいことはありますか?」
「次走、桜花賞の勝者としてNHKマイルCに向かいます。オークスを、トリプルティアラへの挑戦を期待していたファンの皆様には申し訳ありません。ですが、NHKマイルCという舞台でこそ、ラインクラフトというウマ娘は輝けると信じています。どうか、応援よろしくお願いします」
「お願いします」
会場のざわめきが止まないうちに、私達は会場を後にした。
「まさか、自分が一面を飾ることになるとは…」
「あなたの家族も驚くんじゃない?」
「確かに、びっくりしそうだね」
「でも、誇らしいと思うわよ」
「…そうだね、そう思ってもらえたら嬉しい」
「お姉さんには伝えたの? 仲、良いんでしょ?」
「言わなくても、わかってくれてるよ、きっと」
「そう… 心が通ってるのね」
「もちろん」
月曜日、今いるのは帰りの新幹線の中だよ。朝に新聞買って、そのまますぐ。もうトレセン学園に帰ってるんだけど、心はまだあの時のままって感じなんだよね… クラフトちゃんが先頭でゴール板を駆け抜けた、あの瞬間の胸の高鳴りが今も続いていて… なんというか、現実って感じがしないんだよね。今でも、自分が桜花賞を勝つ夢を見ているような… でも、あれは確かな現実なんだよね。
「写真で見ると、自分が浮かれているのがよくわかるわね… こんなに笑ってたかしら…」
「いつもより楽しそうだったよ。でも、その方がいいよ。G1勝って、冷めてたら嫌でしょ?」
「それもそうね… G1だもの、ここで淡々としていたら、怖さが勝つわ。 …それに、私よりあなたの方が浮かれているように見えるし」
「え、そんなだった?」
「えぇ、そう書かれてるわよ。満面の笑みで食い気味に、興奮した様子で語ってくれました… って」
「ちょっと恥ずかしいね、そんなに興奮してたかな」
「えぇ、興奮してたわ。それに… こっちには、ウイニングサークルで泣いてる写真もあるわよ」
「ほんとだ… 撮られてること気にせずに泣いてたよ」
「きっと感動の名シーンとして、特集が組まれるたびに表紙になれるわよ」
「流石にそうなったら恥ずかしいね… でも、特集組まれるくらいは今後も頑張りたいね」
「そうね… 何度も見れるよう頑張りましょう」
「流石に2回目からは別の写真がいいかな…」
こんな他愛もない話をできるのも、勝てたからなんだよね… 本当に、勝ててよかった。あの時は、もうこの後だめでもいいから、桜花賞だけでも勝ちたい! なんて思ってたけど… 勝ってしまうと、もっと勝ちたくなってくるものだね。そう簡単に勝てるものじゃないし、阪神JFで難しさは痛感させられたんだけど… もっと勝ちたいって思うのは大切でしょ? ほら、向上心ってやつだよ。
…だけど、私が考えないといけないことは勝つことだけじゃないんだよね。この世界が私の知る史実と違うのは間違いのない事実なんだけど、それでも思ってしまうんだよ。阪神JFで3着、フィリーズレビュー1着、桜花賞1着… 史実を、なぞっているなって。もしも史実と同じように進むなら、NHKマイルCも勝つ。だけど…
「笑顔でターフを去れるように…」
「もう先のことを考えてるの? まだそんなこと、考えないほうがいいわよ」
「…確かに、そうかもね」
好きな馬の物語は、子供の頃に見た物であったとしても、何年経っても忘れないもので… 鮮明に覚えてるんだよね。だから… 私は、そのことも考えておかないといけない。何を考えればって感じる、雲を掴むようなことだけど… それも、私の仕事だろうから。 …仕事関係なく、最大目標だね。
色々考えたうえで、結局何も起こらずに時間だけが過ぎていって、やっぱり史実は関係なかったってなるのが1番だけど… そうなるとは限らないから。
でも、トレーナーとしての仕事はちゃんとやらないと。クラフトちゃんを勝たせる。それを、第一にね。NHKマイルCで負けたら史実から解放されるんじゃないか、とか考えちゃだめだよ。それは失礼だから。考えるなら… 秋華賞を獲って、史実を超えて、乗り越える道。
「…さっきまで楽しく話してたのに、突然どうしたの? 悩んでることでもあるなら、話くらいなら聞くわよ」
「アヤベさんでも答えのわからないことだよ」
「む… 言ってみなさい、答えてみせるわ」
「クラフトちゃんがこれから全てのレースに勝つ方法」
「…わからないわね。難しすぎる問題だわ。それがわかるなら、私が全てのレースを勝ってるもの」
「でしょ? アヤベさんでもわからないことを悩むことだってあるんだよ、私も」
「…あなたが悩んでることなんて、私がわからないことばかりでしょうに」
「…そんな難しいこと考えてないよ、いつも」
色々と考えることはあるけど… 今は、心の奥底から込み上げてくる… 冷めることを知らない興奮を味わおうかな。 …2人でずっと盛り上がってたけど、向こうの2人は何話してるんだろう。席、繋げて取ればよかったな… 予約してから、4席繋げて買える場所があったことに気づいたんだよね…
「この2つで… 私の勝ちです」
「また負けました…」
このクロノジェネシス、神経衰弱で負けるつもりはありません。 …危うく負けかけましたが、レース観戦で培った記憶力が役に立ちました。欲しい時に欲しいカードを引ける運命力は持ち合わせていませんから、記憶力一本で戦わないといけませんので。あ、クラフトさんも運じゃなくて、ちゃんと記憶力で戦ってましたよ。クラフトさんが運だけとか、そういうわけじゃないです。
「次はどうしますか? 他にも2人でできる遊びはあると思いますが…」
「このまま、神経衰弱でお願いします。負けたままでは終われません」
「わかりました、受けて立ちます」
クラフトさんは負けず嫌いですから、こうなったら終わりませんね。ですが、私だって負けるつもりはありません。ウマ娘たるもの、常に勝利を目指しているんです。クラフトさんが諦めるまで… 何度だって、勝ち続けます。
「…よしっ、2組わたしの方が多いです」
「負け、た…」
リベンジマッチ、1回目で負けました… こんなはずでは…
「次はどうしますか?」
「負けたままでは終われません、もう一回お願いします」
「それなら、次も勝ちます…!」
「…暇ね」
「外の景色を見るのも楽しいよ」
「…そうね、私もそうするわ。だから、席に寄りかかって」
「あ、確かに邪魔だったか」
アドマイヤベガよ、今は新幹線の中… 阪神レース場からトレセン学園まで、思ったよりも長いのよね。行きはレースに向けての資料を読んだり、バ場や天気の情報を集めたりと、やることが多いのだけど… 帰りにその資料を読んだところで暇潰しにもならないわ。まだ… レースの余韻に浸っていようかしら。
桜花賞、凄まじいレースだったわ。勝ったのはもちろん、我らがクラフトさん。後方からバ群を割って追い込んできたシーザリオさんに対して、前目から止まらずに伸び切って2と1/2バ身差の快勝。逃げウマ娘のすぐ後ろで走っていたのに、上がり3ハロンのタイムがシーザリオさんと同じでメンバー最速だもの。付け入る隙を与えないような、完璧な勝利だったわ。私でもビックリなくらいよ… 強いのはわかっていたし、信じてはいたけど… 想像の、遥か上を行ってくれたもの。
私だって上がり3ハロンに絶大な自信を持っていたけど… それは、レースを最後方で進めていたから繰り出せた、という面も大きいもの。クラフトさんのように、先行策を取っていたら… 私はそこまでの末脚は使えなかったでしょうね。本当に… クラフトさんは、私を超えるほど、強くなったんじゃないかしら? マイルで競ったら、私なんて手も足も出ないかもしれないわね。今の私はもちろんだけど、全盛期の私であっても… ね。
それに、桜花賞で最後に伸びる走りができたことは今後に向けても大きいわ。特に、次走は直線の長い東京レース場で行われるG1、NHKマイルC。末脚が生きるコースだもの、今のクラフトさんなら… 勝ち負けは間違いないわ。問題は対戦相手の変化だけど… それも、問題はないはずよ。ティアラ路線はクラシック路線に比べて弱いって言う人もいるけど、そんなことはないわ。きっと… クラフトさんが、証明してくれるはず。
「暇なら、アヤベさんの話をしない?」
「私の話? 何を話すの?」
「ほら、アヤベさんもどこか走るんでしょ? ダート」
「あぁ、その話… 気にしなくていいわよ、クラフトさんのレースが一段落した… 夏前にでも、勝手に走るわ。その頃はクラフトさんが走るレースもないでしょ?」
「確かに、そうだけど… アヤベさんにも、万全の状態で走って欲しいからさ。調整、私に任せてくれない? 予定も、全部組ませて」
「…トレーナーがいいなら、お願いするわ。だけど、クラフトさんに支障がないように。それだけは約束して。あくまで、私よりもクラフトさんを優先。いい?」
「わかった、任せて。レースも私が決めていい? クラフトちゃんの予定と調整しつつ、最適なレースを見つけるから」
「任せるわ。どんなレースでも走るから、好きに決めて」
…適当に走るつもりだったけど、しっかりと走れるならそれに勝ることはないわ。雑に走るのはダートを主戦場にしているウマ娘に失礼だもの。負けるにしても、形は重要だわ。もちろん、勝てるに越したことはないけど… 自信はないもの。
「じゃあ、
「もう決まってるの? …私が何と言おうと、準備してたってことじゃない」
「…うん。折角走るんだから、ベストの走りが見たくて… 断られたらどうしようかって不安だったよ」
「そう… それなら、期待しておくわね。その… 三宮ステークスがどんなレースか知らないけど」
「阪神ダート1800mだよ、宝塚記念前日のメインレース」
「…とんでもない時期のレースを選んだわね。まぁいいわ、任せるといったもの… 走るわよ」
宝塚記念を見れるようにしてくれたのかしら? トップロードさんが走るでしょうから、現地で見たかったもの。土曜に走って、日曜は観戦… 楽しみね。
…とんでもない時期って言ってしまったけど、よく考えたら最高な時期ね。トップロードさんが前に言っていた、私の走るレースに走りに行くっていうの… この日程なら不可能だものね。ファン投票で走る宝塚記念を捨ててまで、三宮ステークスに来る… なんてことは考えられないもの。翌週だと連闘策で来たかもしれないけど、同じ週では無理だもの。 …無理よね?
「…期待、しておくわ」
「応えられるように頑張るよ」
「アヤベさん! おめでとうございます!」
「ありがとう。ただ… 夜は静かに、走らないで」
「あっ、ごめんなさい…」
夜、寮の部屋よ。今日は授業も休み、トレーニングもないからずっと部屋で休んでいたわ。遠征帰りはそれだけで疲れるもの… ふわふわのベッドで少し眠って、気がついた時には… カレンさんが、すぐ横でニコニコと微笑んでいたわ。その後は適当にカレンさんと話して、お腹が空いたから何か食べに行こうか… なんて、話をしていたの。そこに扉を意気揚々と開けてトップロードさんが乗り込んできたわけね。
「早く入って、話しに来たんでしょ?」
「はいっ! お願いします」
「そ〜れ〜な〜ら〜、カレンが何か作ってきますね。今日は学食じゃなくて、カレンお手製料理でおもてなししまーす」
「…学食に行くわ、トップロードもついてきて」
「ひ、ひどい…」
今、部屋を出るのは少し怖いのだけど… 何も食べないわけにはいかないわ。それに、私は主役ではないもの。囲まれることはないと… 信じるわ。
「あの末脚、アヤベさん譲りでしたよね。私、部屋で興奮しちゃいました」
「良い時の私でもあそこまではいけないわよ。元は私譲りだったかもしれないけど、今では私の上に行ってしまったわ。不思議と、悔しいとは思わないけど」
「…ちょっと向こう行ってきますね」
「はーい。それでアヤベさん、勝った瞬間って… どんな気持ちでした?」
…難しいわね。あの瞬間、何も考えられないほど、ただただ嬉しかった覚えしかないわ。 …それが全てね。他に何も考えられないほど嬉しい、それが1番単純で、1番正直な思いだわ。わかりやすい感覚としては…
「自分がダービーを勝ったときと同じくらい嬉しかったわ。自分が走ったわけでもないのに、心の底から、涙が溢れそうだったの。興奮して、頭が真っ白になったわ」
「アヤベさんが、そこまで嬉しかったなら… いつか私も経験してみたいなって思っちゃいます」
「できるわよ、きっと。モチベーターなあなたこそ、私よりも指導者に向いているかもしれないわ」
「私はアヤベさんみたいに言語化できませんから、上手く教えられませんよ。それに、アヤベさんは誰よりも凄い指導者です。私が、保証します!」
「…そんなことはないわ。もっと良い指導者は沢山いるし… それこそ、私のトレーナーもそうよ。私はトレーナーの指示に従っているだけだもの」
「共同作業ですよね。チームリラは、誰か1人欠けてもダメだったと思います」
「…確かに、そうですね。全員がすごいから、すごいんですもんね」
「カレンも将来は入れてもらおうかな〜?」
しれっと、クラフトさんが来たわね。カレンさんが連れてきたんでしょうね。丁度同じ時間に食堂にいたのなら、一緒に食べるのは構わないのだけど… 更に目立つようになったわね。目立つと人が集まってきて、知らない人に話しかけられたり、騒がしくなるのが嫌なのだけど… よく考えたら心配する必要なかったわね。トップロードさん、カレンさん、クラフトさん… 元々、騒がしい3人だもの。知らない人が割り込む余地なんて与えないような布陣だわ。 …良いことなのかはわからないけど、私としては助かるから。
「クラフトさんはこの後、NHKマイルCでしたよね。頑張ってくださいね。応援してます」
「ありがとうございます。トップロードさんは次走、春の天皇賞でしたよね。頑張ってください」
「マイルCと天皇賞… アヤベさんはどこか決まったんですか?」
「…決まってるけど、言わないわ」
「決まってるんですか!?」
「お、教えてくださいっ!」
「その時が来たら登録情報が出るわ。それまで待ちなさい」
「…これかな〜♪」
「今の段階でわかるわけないでしょ…」
これで当てられたらたまったものじゃないわ。だって、何のヒントも与えてないわよ。これで当てられるなら、隠しようもないじゃない。それに、レースの数って本当に多いのよ。勘で当たるなら幸運が過ぎるし、予想で当たるなら恐ろしい… 一応、確認しておくけど、違うと思うわよ。
「一応、見せて」
「 は〜い♪ これです、ありそうかなって」
「隠して。誰にも言わないで。それだから」
「教えてください!」「わたし達にも教えてくださ〜い!」
どうしてカレンさんにバレたのかしら…? 後でそれは聞くとして、今は隠すことが大事よ。特に、トップロードさんに。トレーナーと話してる時は、宝塚記念と同じ週だからとか何とか言ってたけど、まだ宝塚記念の投票は始まっていないの。宝塚記念はG1で、それもグランプリ。流石に優先すると思うけど… 今のトップロードさんは、既に欲しいタイトルは全て手にした状態。私との戦いに拘るなら、やってくる可能性はあるわ。
「何でもします! 教えてください!」
「カレンさん、絶対に言わないで」
「ん〜、わかりました。秘密にしておきますね♪」
「わ、わたしには教えてもらえませんか! わたしは、その… チームメイトですから!」
「2人には教えられないわ。あなた達の走りに問題があったら困るもの。私のことは気にしないで、勝手にやるから」
「気になって走れません!」
「そんなことはないでしょ… でも、その時が来たら教えるわよ。 …レースの1週前には伝えるから。それならいいでしょ?」
「お願いします! 絶対、応援に行きます!」
「くぅ… 一生のお願いです! 私にも走らせてください…!」
…ここまで頼まれると断るのも辛くなってくるけど、断固として拒否し続けるわ。私はトップロードさんの一人のファンとして、去年のようにG1戦線で躍動する姿が見たいもの。私と戦う為だけにダートに来るようなことは、絶対に許せないわ。トップロードさんは、芝のウマ娘。ダートを走れないのは、併走したから知ってるもの… 走るには、ダートに特化したトレーニングをする必要がある。それで今年を棒に振るのは、私が耐えられないわ。だから…
「…これは、私の我儘なの。あなたは芝の頂点を駆け抜けて。私なんかの為に、これまでの努力を、宝物を捨てないで」
「………」
「……そう、ですよ」
「…そうですよね。すいません、興奮してしまって」
「で、でも… …いや、なんでもないや」
「次のレースを勝ったら、芝も走ってみようよ」
「…トレーナー? ……そうね。もし勝てたなら、行ってもいいかもしれないわね」
「ほ、本当ですか!」「みたいです!」
「よかったぁ…」
トレーナー、きっと助け舟を出してくれたのね。少し、重苦しい空気になってしまったもの。私も… どうすればいいのか、わからないほどに。トップロードさんには笑って、楽しく走ってほしいの。なのに、私が何と言ってもそれはトップロードさんの為にならない。だから… 苦しかった。
…次のレース、軽く走るだけでは終わりそうもないわね。チームメンバーを2人にするためだけに現役復帰したのに、気づいたらここまで事が膨らむとは… でも、走るからには本気で走りましょう。わざと負けるのは失礼だもの。 …勝ってしまったら、その
「それじゃあ言うけど、走るのは宝塚記念の前日、それも阪神のレースだから、トップロードさんも現地で見れると思うよ」
「そうなんですね…! アヤベさん、頑張ってください!」
「カレンも応援に行きますね♪」
「わたしもチームの一員として、お手伝いします!」
「NHKマイルCが終わるまでは何もしないわ。あくまで、私はクラフトさんが暇な時しか走らない。 …だから、その時はいつもと逆に… 力を貸してもらうわね」
「私も手伝います!」
「宝塚記念の前日だから、あなたは自分のレースに集中しなさい」
「た、確かに…」
…騒がしかった食事も終わりね。食べ終わったから部屋に戻るわ。まだ騒がしい話は終わらないかもしれないけど… ここだと、言えないこともあるもの。誰かが聞き耳を立てている様子はないけど、ウマ娘は耳が良いの。聞かれてる可能性がないとは言えないわ。
「先に部屋に戻るわね。話があるならそこで」
「じゃあ、私もここで。今後の予定を練らないとだから」
さっと部屋に帰りましょう。
「ん〜、良いね。状態は良くなってる」
「桜花賞の時を超えるパフォーマンス… 間違いありません、私達は歴史を紡げますよ」
「挑戦自体が新しい歴史の1ページ目なのだけど… そのまま2ページ目を飛ばして、エンディングを綴ったって構わないわ」
「そ、そんなにですか…?」
NHKマイルCに向けて、必死に調整中です! 皆さんに褒めてもらえて嬉しいのですが… 勝てるのかはわかりません。それがレースですから。でも、自信はあります! 今の私なら、桜のティアラを手にした私なら、新たな扉を開けることだって… できると、信じています!
自分の脚に、誇りを持って挑むんです。トリプルティアラだけが、ティアラ路線の道ではないと示すために… 私は、ここを勝つんです。負けるつもりはありません。負けたくないので。
「ハーイ、ちょっと良いかしら?」
「はい、なんで… デアリングハートさん、どうかしましたか?」
「あぁ、そう身構えないで? 軽く挨拶に来ただけだから」
「挨拶… ですか?」
「えぇ。クラフトとはよく話すのだけど、あなたとは話していないと思ったの。桜花賞、お見事だったわ。だけど、次はそうはいかないわ。NHKマイルC、良い勝負をしましょう?」
「そうですね… ですが、次も負けるつもりはありません。良い勝負にしましょう」
…あれ?
「ハートさん、オークスじゃないんですか?」
「…桜花賞の日までは、そのつもりだったわ。だけど、あなたの宣言を聞いて… 私、思ったの。あなたと戦いたいって」
「…光栄なことね」
「覚悟しておきなさい! 今度は、私が勝つから!」
…宣戦布告、ですね。ハートさんとはもう何度も戦いましたが、初めて戦った時は恐ろしかったです。確か、新潟ジュニアだったと思いますが、怖くて、次は負けるんじゃないかって、そう思いました。
阪神JF、フィリーズレビュー、桜花賞と、戦うたびにハートさんは強くなっていって、次は、次はと何度も思わされました。 …ですが、同じようにわたしも強くなっていきました。だから、ティアラを手にすることができたんです。ハートさんの強さは、よく知っています。ですが、だからこそ… わたしは勝ちます。ハートさんに勝つ、それがわたしの… ティアラの夢の、その先に辿り着くための条件なんです。
「驚いたわね… 誰かは来るかもしれないと思っていたけど、まさかデアリングハートさんが…」
「そんな驚く? 適性的にも、バッチリな気はするけど」
「それはそうだけど… 桜花賞で3着、オークスでも通用しそうだったじゃない」
「きっと、ハートさんも悩んだと思います。でも、NHKマイルCに決めたんです。それなら… わたし達も、本気で倒しに行きましょう!」
「そうだね。相手の事情も気になるけど、それよりも勝つことを考えないと。お望み通りの、良い勝負… そして、勝利を取りに行こう」
ハートさんも、わたしと同じように、トリプルティアラに強い思いを持っていました。ですが、わたしと同じように、オークスを回避して、自分の道を選んだんです。 …トレーニングに集中しましょう、勝つためにも… できるだけのことは、全てしないとです。
「さ、話は終わり! 2人とも、もう1本行くよ」
「はいっ!」「準備できてるわ」
「計測準備もできてます!」
「それじゃあ、私の合図でスタートするから… スタート地点まで、ゴー!」
「ごー!」
「…楽しそうね」
行きますよー!
「大丈夫? 緊張してない?」
「大丈夫です! 必ず、勝ってきます!」
「…良い顔ね。笑顔で、楽しんできなさい」
「応援してます!」
…NHKマイルC、行ってきます。もう、揺らぐこともなく、自分を信じて走ります。桜花賞で証明した、わたしの力を、ここで出す… みんなが信じてくれたこの脚が通用することは、もうわかっているんです。わたしは、挑戦者ではなく… 女王として、ここに来たんです。勝つとか、負けるとか、そんなことを考える必要はないんです。だって、負ける気がしませんから。今のわたしなら… 同期に負けることはないと、本気で思ってます。ティアラの強さは、クラシック路線のウマ娘を凌駕できるはずですから!
「…行ってきます!」
「昔はクレーンゲームも得意だったんだけどね…」
「何度落ちてもやり続けただけじゃないの? 取れていたとしても、根性で取るのは上手いとは言えないわよ」
「信じてもらえないと思うけど、楽々と取ってたんだって。また練習したら上手くなるかな…」
「なるでしょうけど… 何か欲しいものでもあるの?」
「今はないけど… ほら、クラフトちゃんの何かが出るかもしれないからさ」
「…そういう物は、クレーンゲームに挑まなくても一つは貰えると思うわよ」
「…確かに?」
〜NHKマイルC