琴の音に耳を澄ませて 作:緑雨
「行ってきます!」
「頑張って」「自分を信じて、走り抜いてください」
「…楽しんできて」
「ウィナーズサークルで、待っていてください!」
グランさんのメイクデビューよ。控室にいるのは私、クロノさん、トレーナーの3人だけね。いつもはみんなで控室に集まっていたけど、あれは重賞レースだからできたことなの。重賞レース… もとい、メインレースは特別でね。広い控室を1日自由に使えるのはメインレースに出走するウマ娘だけで、他のレースに出るウマ娘は、レースの少し前に控室に入って、レース後少し経ったら出ないといけないのよ。レース場のスペースも限られているから、代わる代わるに控室を使う、ということよ。 …クラフトさん、メイクデビューとアイビーステークス以外はメインレースだったから、こうやって忙しないのも懐かしい気分よ。
「パドックまで案内しますね」
「お願いします!」
あぁ、トップロードさんのことを忘れていたわ。 …これも懐かしいわね。クラフトさんの時は私がパドックまで案内した覚えがあるわ。 …あの時のクラフトさんのように、グランさんも楽しく走ってきて欲しいわね。
「トレーナー、パドックよ」
「…元気だね」
「元気すぎるくらいですが… グランちゃんなら大丈夫だと思います」
「目、離さないように」
「もちろん」「見届けましょう」
グランさんの物語の始まり、しかと見届けましょう。
「すごかったですね!」
「恐ろしいほどね…」
「迎えに行ってきます!」
「…すごいな」
「…あなたも行ってあげなさい。最初なんだから」
「そうだね、行ってくるよ」
言葉が出ない、というのが正直な感想ね。グランさんの脚質は後方から直線の末脚に懸ける追い込みよりの差し。だったはずなのに… 府中の長い直線に向いた時には先団、坂を登り切った時には先頭を抜き去り、最後は2着に2バ身差で悠々とゴールイン。タイムは1分33秒7、メイクデビューとしては歴代最速を1秒も塗り替える驚異のタイムよ。前半が速かったわけでもなく、ラスト3Fで33.5秒という狂気的な末脚を繰り出して作り出したレコードよ。
…初出走のウマ娘が、前目でレースをし、33.5…? タイムが出るバ場だったのかもしれないけど、それにしても恐ろしいと言わざるを得ないわ。これだけの勝ち方をすれば、グランさんへの期待は青天井でしょうね。 …サブトレーナーとして、プレッシャーがないと言えば嘘になるけど、それ以上に楽しみだわ。グランさんの紡ぐ夢物語に携われるということが… ね。
「どうでした!?」
「おめでとう、圧巻だったわね」
「すごかったです! なんか、すごく、速かったです!」
「あたし、もっと勝ってみせます!」
「それはいいですが、今は休んでください。あれだけの時計を出した後なんですから…」
「そうね… ちゃんとケアしないと、脚が耐えられなくなるわよ」
「ですね! 次も、勝つぞー!」
…元気ね。レース後とは思えないわ。それも、あのタイムで走ってきた後には、とても。シニア級のウマ娘でも疲れるようなタイムなのに… 恐ろしい子ね。
「次走はどこにしようか…」
「それは後で、ゆっくり考えましょう。時間は幾らでもあるわ」
「…そうだね」
夏合宿の後に1走して、そこから阪神JFになるかしらね… 今から楽しみね。早く見てみたいと、そう思ってしまうわ。
…もう、夏合宿なのね。
「海だ〜! 泳ぐぞ〜!」
「ノーティカルマイルでも負けません!」
「綺麗な場所ですね…」
「待ってくださ〜い!」
「自分の荷物を運んでから遊びに行きなさい!」
「アヤベさんの分は運んでおきますね」
「自分で運ぶわ」
「…このソリを任せてもいいかな」
「お任せください!」
7月1週、合宿所に辿り着いたわ。前はトレーナーの運転で来たけど、今回からは学園に用意してもらったバスになったわ。荷物も運ばないとだから、車では限界なのよ。7人分となると相当だもの… おまけにソリもあるから、過積載は免れないわね。
「…大丈夫?」
「この程度、楽勝ですっ!」
「あなたじゃなくてトレーナーよ」
「…まだ大丈夫」
「???」
…トレーナーの夢、今更繰り返して説明する必要はないわよね。まだ目に生気も感じるし、いつも通り落ち着いて話してる… それはトレーナーとクラフトさん、両方ともよ。クラフトさんは体、トレーナーは心、どちらからも目を離さないように… なんていうのは、体が2つないと物理的に不可能ね。 …だから、2つになったわ。
『追いかけてくるね♪』
「…頼んだわよ」
「急ぎますね!」
「あぁっ、あなたは落ち着いて! 走ると危険よ!」
…トップロードさんを見る目も欲しくなってきたわ。
「いちっ、にっ、いちっ、にっ」
「さんっ、よんっ、さんっ、よんっ」
「増える、もの、ですか…?」
「なんでもいいから頑張りなさい」
7月2週、ソリの出番よ。私がソリに乗って、3人に引かれてるわ。 …去年は1人で引いていたから、楽になったんじゃないかしら。その分、距離も伸ばしたけど… 何かあった時のためにトップロードさんが併走してるから大丈夫よ。
トレーナーとクロノさんは去年同様、どこかに出かけてるわ。 …トレーニング内容を勉強する為だったはずだけど、去年は新しく学んだトレーニングなんてした覚えないのよね。 …遊んでるわけじゃないわよね? まぁ、今年に関しては幾らでも遊んで気分転換して欲しいけど…
「アヤベさ〜ん! 大丈夫ですか?」
「大丈夫だけど… どうかした?」
「ぼーっとしていたので、熱中症かなって…」
「トレーナーのことを考えていただけよ。 …でも、暑いのはそうね。みんな、1回休憩にしましょう」
「飲み物、いただきますね」
「砂の〜上で〜ひなたぼ〜っこ〜♪」
「泳ぐぞーっ!」
休むということを知らないのかしら… 元気なのはいいことだけど、それで倒れられたら世話ないわ。手綱を握って… というより、手綱を締めて行きましょう。
「グランさん! 泳ぐのは後にしましょう!」
「…聞こえてなさそうですね。行ってきます!」
「私が行く。 …水着を着てきて良かったわ」
「わかりました… アヤベさん、水着似合ってますよ♪」
…今言うことかしら? 心の中で言い返しておくけど… トップロードさんも、似合ってるわよ。フレア、だったかしら? 胸元がフリルになっていて、そのまま腕にも繋がっているの。 …私には着る勇気の沸かないほど、肌がしっかりと見えるものよ。私は絶対に着ない、と明言しておくわね。
「…大丈夫かな」
「すやすや寝てるわよ… そんなに心配?」
「…ごめん」
「謝らなくていいわ。 …あなたは、ちゃんと眠れてる?」
「…ごめん」
「聞くまでもなかったわね…」
翌週末の夜よ… それぞれの部屋を見回って、きちんと眠っていることは確認したわ。クラフトさんも、もちろん気持ちよく眠っているわよ。 …毎日のことだけど、トレーナーは私が巡回している時は起きてるわね。本当は早く寝てほしいのだけど… 今みたいに、クラフトさんの状態を私に確認してから眠りにつくの。
…あまり、元気には見えないわね。寝る寸前まで活力に溢れていても困るのだけど… 雛鳥のように寂しそうに、祈るように外を見ている今が良いとはとても言えないわ。 …手、握りましょうか。
「…ありがとう」
「…何度でも言うわ。私も、クラフトさんも、いなくならないから」
「…ありがとう」
「妹も、ずっとあなたのそばに… いるわよね?」
「うん… ずっと、聞こえてるよ」
「…うるさくて眠れなかったら言って、注意しておくから」
「大丈夫… 誰かがいてくれたほうが、安心するから」
それなら、私も… あなたが眠るまでは、ここにいようかしら?
「…アヤベさんも、ちゃんと寝てね」
「まさか釘を刺されるとはね… わかったわ、おやすみなさい。 …また明日」
「また明日、会えるといいな」
「会えるわよ、絶対に」
「…そうだね。おやすみ、アヤベさん」
…限界は近そうね。不安に押し潰されそうな中で、無理に笑ったような顔で見送られてもね… 笑えるだけ、良いのかもしれないけど。昼間に話していてもグランさんやヘヴンさんの話は殆どしなくなってきてしまったし、もうクラフトさんのことで一杯なのは間違いないでしょうね。
…私には未来なんてわからない。トレーナーの言う悪夢が現実になるなんて思ってもいないけど、それを確かめるすべなんて持ち合わせていないわ。 …何かないのかしら。未来を知る方法とか… ないわよね…
今は7月4週、水曜のお昼よ。トレーニング内容は水泳、体力を鍛えることが目的よ。
…えへへ、お姉ちゃんみたいだったかな? はじめまして、わたしだよ、わたし。名前もない、わたし。 …アドマイヤベガの妹、って言えばわかるかな。お姉ちゃんがいつも、お世話になってます、なんてね。
最近は琴葉さんの側でお話してたんだけど、今日はお姉ちゃんにその席を取られちゃったから暇なんだ。みんなが泳いでるから一緒に泳いでみても、上手く泳げないし… でも、どこかに行きたい気分でもないんだよね。わたし、お姉ちゃんが大好きだからね♪
あ、みんなが泳ぎ終わって帰ってく。わたしも追いかけよ〜っと。 …お姉ちゃんが泳ぐところも見たかったなぁ。琴葉さんのことで頭がいっぱいなのか、全然海を楽しんでなさそうなんだよね。 …人を心配するのもいいんだけど、自分のことも大切にしてほしいよね。
…そうだ、良いこと閃いちゃった! わたしが琴葉さんを安心させたら、お姉ちゃんも安心して、思う存分遊べるようになるよね? …よし、わたしが琴葉さんのいう夢をなんとかしてみよう! その為には… 先ずは情報収集から、だよね。
聞いた話によると、夏にクラフトちゃんが倒れちゃうような夢らしいし… 先ずはクラフトちゃんに、突撃〜!
『クラフトちゃ〜ん、夢のこと教えて!』
「アヤベさ〜ん! タオルください!」
「はい、タオルよ」
…そっか、わたしの声、届かないんだった。お姉ちゃんはイヤホンつけてるけど、お姉ちゃんに聞いてもなぁ… 琴葉さんに聞く? でも、みんなには夢のこと言ってないはずだよね。じゃあ、後で2人きりの時に聞こう。 …寝る時がチャンスかな。それまではヘヴンちゃんのことでも見てよっと。 …なんか、他人な気がしなくてさ。時々目が合う気もするし。多分、気の所為なんだけどね♪
「…いるかしら」
『よんだ〜?』
「いるわね… さっき、クラフトさんに夢のことを聞こうとしてたわよね?」
『うん! わたしに、何かできないかなぁって』
「あなたを縛るつもりはないけど… トレーナーに夢の話はしないで。変に刺激したくないの」
『…わかった』
夜になったからお姉ちゃんと見回りをしてたんだけど… ぐさって釘を刺されちゃったね。 …夢のこと、誰に聞こう。わたしの情報収集が完璧に行き詰まっちゃったよ。う〜ん… でもお昼に、琴葉さんに聞きたいことあるって言っちゃったんだよね。何か聞くことあるかなぁ〜?
「…今日はいつもより元気ね。おやすみ、良い夢を見なさい」
「おやすみなさい」
「…で、妹ちゃん。聞きたいことって… 何、かな? …私に答えられることでお願いするよ」
ちゃんと聞くこと、捻り出してきたよ! 琴葉さんにあってからのことを思い出して、聞きたいことができたんだ♪
『神様ってどこにいるの?』
「えっ…? 私に聞かれても… 私も、会いたいくらいだよ」
『でも、神様にお手紙書いてたよね?』
「っ! そっか…」
…あれ? 琴葉さんが静かになっちゃった… 今日は朝から元気だったのに… 聞いちゃいけないこと、聞いちゃったのかな。ど、どうしよう…
「…クリスマスに丘に埋めた箱に入れた手紙のこと、だよね」
『う、うん』
「…読んだ?」
『…読みました。気になって…』
「……じゃあ、私がどこから来たか、知ってるんだね」
えーっと…
『別の世界、でしたよね』
「…うん」
わたし、見ちゃいけない手紙を見ちゃったのかな… 琴葉さんが埋めた箱っていうのは知ってたんだけど、お姉ちゃんの写真と一緒に入ってたから、お姉ちゃんがわたし宛に書いてくれたのかなぁって思って読んじゃった… 確か、琴葉さんが神様に宛てて、お礼を述べてた、はず!
『…ごめんなさい』
「大丈夫、驚いただけだから。 …でも、みんなには秘密にしてね?」
『わかりましたっ!』
気まずいよぉ… でも、今いなくなったら琴葉さんを追い詰めちゃう気がする… お姉ちゃんならきっと、ここからでも琴葉さんを安心して眠らせられるはず! 頑張るんだわたし、お姉ちゃんのやり方を思い出すんだわたし…!
『お、お姉ちゃんも言ってたけど、今日はきっと良い夢見れますから、寝ませんか!?』
「…私、夢は見ない人なんだよね」
『え? でも、悪夢が〜って…』
「もうバレちゃったから言うけど、アレは元の世界のことなんだ。 …私にとっての、確かな現実の話だったんだ」
『なるほど… です』
「…ふふっ、なんか変な感じ。緊張しないで、楽に話してくれていいんだよ?」
別の世界の、現実… その世界のクラフトちゃんは、どんなウマ娘だったのかな? トリプルティアラとか、変則3冠とか、できたのかな? でも、シニア級の夏に… よしっ、この話はやめよう! 話題を変えて… そうだ、お姉ちゃんのことを聞こうっと♪
『その世界だと、お姉ちゃんはどんなウマ娘だったんですか?』
「その時代を生きてないから、記録しか知らないけど… ダービーを勝ったのは、こっちと同じだよ」
『その後は?』
「菊花賞でナリタトップロードに敗れ、そのまま脚を故障して引退。こっちとは全然違う、でしょ?」
…菊花賞で、脚を故障… トップロードさんと同期なんだ、っていうのもビックリだけど… 菊花賞、覚えてるよ。お姉ちゃんがわたしのために頑張って、頑張りすぎて、レースで脚を痛めちゃって… でも、わたしが… そんな運命を、変えたんだ。
…わたしなら、琴葉さんの知る現実を、変えられる…?
『…クラフトちゃんのこと、教えてください! わたしなら… 救えるかもしれない!』
「…思い出したくはないんだけど、わかったよ。クラフトちゃんの為になるなら… でも、ここで泣いたらアヤベさんに気付かれるかもしれないし、明日でいいかな? …それまでに、全部思い出すから」
『お願いします!』
…お姉ちゃん。夢のこと、聞くなって言われたけど、聞いちゃった。ごめんなさい… でも、任せて。わたしを信じて、わたしに託して。 …わたしが、変えてみせる。
「…へへ。はっ…あぁ… ごめん、ちょっと休むね」
『…ありがとうございました。 …うぅっ』
「…一緒に泣く?」
『少し…』
…とても、悲しい話だったよ。クラフトちゃん… 努力して、挑戦して、駆け抜けて… なのに、最後がそんな泡みたいなんて… 絶対、なんとかしよう。報われないと、おかしいよ…
「…ねぇ、2人で何の話をしたの? …答えて」
『ヒミツ! お姉ちゃんにも言えないよ』
「そうそう、レディーの秘密ってやつだから」
「元気なようだから、深くは聞かないけど… 声、枯れてるわよ」
「…泣いてきたからね」
「そう… それで気が晴れたなら良いけど、少し部屋に戻ったほうがいいわよ。もうすぐトレーニングは終わりだから、そんな姿だと心配をかけるわ」
「…わかった」
『わたしも顔洗う〜』
クラフトちゃんは… 見えた、みんなで走ってるのかな。トップロードさん、クラフトちゃん、グランちゃん… あれ?
『…クロノちゃんとヘヴンちゃんは?』
「1本前に疲れ果てて、先に休んでるわ。ほら、そこに」
『ほんとだ。見てこよ〜』
「…顔を洗うんじゃないのね」
『わたしの顔、誰にも見られないから♪』
「…そうね」
若い2人から元気もらおうっと。 …わたしも若いけどね♪ お姉ちゃんと同い年だもん! …0歳とも言えるかもだけどっ。
「すぅ…」
「…よく寝てるわね」
『むむむ…』
「…どうかしたの?」
『な、なんでもないよ♪』
「そう…」
…お姉ちゃん、寂しそうな顔してる。でも、この作戦は言えないんだ、ごめんね。 …何とかするって琴葉さんには言っちゃったけど、どうすればいいんだろう? そもそも、どうやってお姉ちゃんと話してたんだっけ… う〜ん…
強く思ってたら、なんか話せた、そんな気がする。でも、クラフトちゃんの心に語りかけられる感じは全然しない… 思いが足りないのかな。足りてると思うんだけどな〜? う〜ん… よし、とりあえずクラフトちゃんにくっつこう。ずっと側にいたら、何かわかるかもしれない。
『お姉ちゃん、わたしクラフトちゃんを見守ってるね♪』
「…任せたわ」
何か、糸口を掴むぞ〜!
つ、掴めない… もう2週間経って、8月の19日。 …やばい。もう時間がない気がするのに、なんにもわかってない。でも、クラフトちゃんは元気そうだよ。このまま元気なままだったら、わたしが頑張る必要はなかったんだけど… でも、できるだけのことはしなくちゃ!
「ヘヴンちゃん、一緒に星を見に行かない?」
「構いませんが… 2人で、ですか?」
「うん! みんな忙しそうだから、夜に抜け出して、砂浜で… どうかな?」
「わかりました、必ず行きます」
星を見に… そういえば、今年の夏はみんなで星を見てない気がする。去年も一昨年も、近くの丘にみんなで登ってたのに… 琴葉さんもお姉ちゃんも、そんな場合じゃないってことなのかな。でも… これが、チャンスな気がする。お姉ちゃんはいつも、あの星にわたしのことを話してくれてたんだ。今度は、わたしが…
『みんなで星、見よう!』
「ふぁ〜っ… 眠い…」
「でも、綺麗ですよ」
…よし、2人とも星を見てる。ここで何か、天才的な閃きで、何かしよう。
『クラフトちゃーんっ! おーいっ!』
「あの星ってなんだろうね?」
「えっと… なんでしょう? 大三角の近くの星、みたいですけど…」
『おーい、おーーーいっ!』
話しかけても聞こえないよね… でも、諦めないから! まずは… クラフトちゃんの体とか、触ってみよう。 …触れないんだけどね♪ って、そんなことを言ってる場合じゃなくて! お姉ちゃんに想いを伝えていた時のこと、ちょっとだけ思い出したの。その為にも…
「んぅ〜、もう帰ろっか。ちょっと、眠くて…」
「ですね、楽しかったです」
『ヘヴンちゃん! 待って!』
「…? クラフトさん、何か言いましたか?」
「眠いなぁって言ったよ」
「そうじゃなくって…」
よし…! ヘヴンちゃんには、わたしの言葉がちょっとは届いてる! なぜかはわからないけど、そんな気がしたんだ。ヘヴンちゃんは、お姉ちゃんに凄く似てる。見た目とか走り方じゃなくて、感覚が。だから… あの星の下なら、きっと届くって信じてた!
…っと、時間をかけてはいられないね。不審がられちゃうし… ヘヴンちゃんには、頑張ってもらわないと。
『クラフトちゃんに、伝えてほしいことがあるの!』
「やっぱり、何か聞こえます!」
「もしかして、星の声とか!? すごい、なんて言ってるの!?」
『クラフトちゃん! わたしは、待ってるから!』
「…頑張って聞いてみますね」
こんな超常現象を受け入れてくれてあリがとう… ちょっと心配になっちゃうけど、今はそんなこと言ってられないから、後で!
『アドマイヤベガの妹が、あなたを待ってる! クラフトちゃん!』
「どう!? なんて言ってる!?」
「…誰かが、クラフトさんを待ってる…?」
「えっ、わたしを!? …でも、どこでだろ?」
「夢の中… とか、じゃないですか?」『夢の中で待ってるよ!』
全部言ってくれる… でも、伝えたいことは伝えられた気がする。
…お姉ちゃんはいつも、わたしのことを思ってくれてたんだ。わたしの為に、全てを投げ出してくれたから。だから、わたしもお姉ちゃんに想いを伝えられたんだと思う。 …わたしに会いたい、謝りたいってお姉ちゃんの思い、ずっとわたしに届いていたから。
だから、クラフトちゃんにも思ってもらおうって考えたの。謝りたいって思われたら困るけど、会いたいなって思ってもらえるだけでも、何か変わるかもしれないから… でもでも、それって自然な思いじゃないとダメでしょ? お姉ちゃんに、『私の妹に会いたいと願って』なんて言われても心に来ないからさ。その為に、ヘヴンちゃんにお願いしたんだ。演技よりも、驚き交じりの素の気持ち! ってこと。
…どうしてヘヴンちゃんにわたしの声が届いたんだろう? 届くってなぜか思ったし、本当に届いたんだけど… ヘヴンちゃんからお姉ちゃんみたいな空気が漂ってても、わたしとヘヴンちゃんが双子なわけじゃないのにね… 不思議だね。双子だからって言葉が届くのも不思議だけど… まぁ、いっか! 過去を振り返るより、前を向こう。今はクラフトちゃん!
結局、クラフトちゃんに何かできなかったら意味ないんだから。こっからが本番、頑張ろう! わたしならきっと、できるはず!
「んぅ〜… あれ?」
…これはわかっちゃいました、夢を見てるんですね。ヘヴンちゃんと星を見て、すぐに寝たはずなのに、草原にいるんですもん。絶対に夢です、間違いありません。 …覚めるまでどうしましょう? 覚ます方法とかあるのかな…?
「──そう、3冠路線で戦って、いつかは世界を獲れるウマ娘に、かぁ」
「はい! だから、いろいろ、いっぱいおしえてくださいっ!!」
「うん、任せて──」
ちっちゃいウマ娘! かわいいな〜! シーザリオが走りを見てあげてるのかな…? そういえばシーザリオ、将来は幼い娘に走りを教えたいって、言ってた気がする! 夢の中だけど、夢が叶ってる… 素敵だね♪
もしかしたら、この夢って未来なのかな? さっきも不思議なことがあったし、そうだといいな。だって、その方が素敵だから! そうだったほうがいいに決まってるよ!
「…! こっちに、誰かいる気がする!」
それから、夢の中を走り回った。そしたらね、メサイアさん*1と、ハートさんもいたんだ。2人とも、小さなウマ娘に色んなことを教えてたの! …すっごく、素敵だよね♪
「次は… 見つけた!」
「わかったわ、私が必ず導いてあげる」
「おねがいしますっ!」
「覚悟しなさい。優しくはないから」
「が、がんばりますっ!」
…アヤベさんと、ヘヴンちゃん? でも、ヘヴンちゃんがちっちゃい気がする。じゃあ、子供の頃のヘヴンちゃん? …う〜ん? 未来でヘヴンちゃんはちっちゃくなっちゃうのかな。でも、アヤベさん、すっごく幸せそうな顔だよ。
みんなの夢、みんなの未来、みんなの繋がり。 …えへへ、楽しみだなぁ。きっと、楽しい未来になるよね♪
「…はっ! こっちから、わたしの気配がする!」
「見つけた──! わたし、と… …あ、あれ?」
…わたし、だけ? みんな、誰かと一緒にいたのに… どこかに、隠れてるのかな…
「う〜ん…?」
「そうだよ? わたしだけ」
「ここにいるのは、わたしだけ。 …いないよ、誰も」
「…え? ど、どうして? シーザリオも、メサイアさんも、ハートさんも、アヤベさんも、みんな…!」
「そうだね。みんなの夢は叶った。でも、わたしだけ叶わなかった。わたしだけが、ここでおしまい」
「おし、まい…」
…わたし、だけ、おしまい… どう、して…?
「わたしはここでおしまいなの。何も繋げなかった、何も残せなかった」
「夢は、叶わなかった。だからわたしは、ここで1人。誰もいないの、1人だけなの」
「…それが、わたし。 ………それが、あなた」
何も、繋げなかった? 何も、残せなかった? ……なにも。
「本当に…? わたしは、何も…」
「うん。わたしの夢は、叶わなかった。ティアラの思いは、繋がらなかった」
「…そんなこと、ない」
…本当に? わたしは… 本当に何も残せなかったんじゃないの? 何も、繋げなかったんじゃないの? …そんなことない、なんてことないんじゃないの? わたしは…
「そ ん な こ と な い !」
「クラフトちゃんの思いは、みんなに届いて、繋がってる!」
アヤベさん!? …うん、そうだよ。わたしの走りは、思いは、絶対、絶対絶対、誰かに届いてるはず! だって…
「だ、だれっ!?」
「うん! そんなことない! 残せなかったなんてない、繋げなかったなんてない! ハートさんも、シーザリオも、みんな、わたしに憧れてくれた!」
「そうだよ! クラフトちゃんの走りは、みんなが覚えてる! みんなの心を、突き動かしてる!」
「わたしは、わたしを残せてる! わたしをちゃんと、繋げてる! わたしの背中を見てくれた、みんなの中に!」
手が温かい… わたしの思いは、この手に流れてる!
「わたしも、あなたも、全力で走ってきたから! だから、誰かが憧れてくれた! 誰かがわたしを、心においてくれたの」
「だから、1人じゃない! おしまいになんか、絶対にならない!」
「……!」
「残した憧れが、繋がった想いが、わたしたちを連れてってくれる」
「だから…!」
「行こうよ、一緒に!!」
「起きてよ…! ねぇ…!」
「んぅ…」
「クラフトちゃん…?」
「おはようございます、トレーナーさん、アヤベさん」
長い夢から覚めたら、トレーナーさんがわたしの手を握りしめていました。
「良かった… 本当に…」
「えっと… 寝坊、しちゃいました?」
『あ、もうお昼… 半日も寝ちゃった』
「半日も… すみません、急いで準備します!」
「大丈夫! ゆっくり、準備しよう? …起きてくれただけで、大丈夫だから」
『うんう… ん?』
半日も寝ちゃったんですね… でも、良い夢でした。幸せなみんなも見れましたし、何より… 自分に、自信を持てました♪ アヤベさんのおかげですね… 夢の中のこと、アヤベさんに言ってもわからないと思いますけど、伝えましょう! …本当に、嬉しかったので♪
「あリがとうございます、アヤベさん」
「…? アヤベさんは今、トレーニングの指示に行ってるよ」
「え…? そこに…」
「え?」
『…え?』
い、いますよ? トレーナーさんのすぐそこに、立ってます。トレーナーさん、目も赤いですし… 涙凄いですし、うるんじゃって見えないのかもですね。ハンカチで拭いてあげないと…
『…見えてる?』
「え、はい」
「……?」
『声も聞こえて…?』
「アヤベさん、大丈夫ですか…?」
「クラフトちゃん…? 大丈夫、だよね…?」
「わたしは大丈夫です! でも、アヤベさんが…」
『わたし、妹!』
「…え? 妹さん…?」
…あぁ、そうですよね。わたしが知らないだけで、年下の妹さん、ですよね! アヤベさんに双子の妹さんがいたのは知ってましたけど、他にもいらっしゃったんですね♪ お名前、なんていうんでしょう。
…というかアヤベさん、妹さんを連れてきていたなら教えてくれればよかったのに! 昨日までは会わなかったですし、今朝来たのかなぁ? そうだ、ちゃんと自己紹介しなきゃ! アヤベさんが教えてくれてると思いますけど、念の為♪
「はじめまして、ラインクラフトです♪ 妹さん、よろしくお願いします」
「…え?」
『よろしくね、クラフトちゃん。 …さっきぶりだけどね♪』
「あぁ! もしかして、夢で見た… あれ? どうしてわたしの夢を… もしかして、一緒に夢を見たの?」
「待って! な、何が起きてるの…? アヤベさん呼んでくるから、ちょっと待ってて!」
…? 何か起きてるんでしょうか…? トレーナーさん、大丈夫でしょうか。さっきから、様子が… いえ、少し前からです。夏合宿に入ってから、日に日に顔色も悪くなって、隈もできて、声も沈んで、心配でした。 …不安になってきました。
「おはよう、長いおやすみだったわね」
「ごめんなさい… でも、トレーナーさんと妹さんのおかげで、元気バッチリです!」
「…妹?」
8月20日の正午過ぎ、トレーナーに「とりあえず来て!」と言われて駆けてきたわ。 …今日は朝からクラフトさんが目を覚まさなくて、ずっと嫌な汗をかいていたけど… ただ快眠だっただけのようね。ヘヴンさんから夜更かししていたことも聞いたし、少し説教が必要かしら… あぁ、ヘヴンさんはすでに叱っておいたわよ。咎めたりしないから、事前に伝えるようにって。
…それと、私の妹も行方不明よ。朝から声を聞いていないだけだから、どこかで道草を食べているのかもしれないけど…
『お姉ちゃん! クラフトちゃん、すごいんだよ!』
いたわ。丁度いいタイミングで帰ってきたのね…
「体に問題は?」
「何も問題はありません! …ちょっと寝すぎちゃっただけです。ごめんなさい…」
『それはわたしも保証するよ♪』
「謝らなくていいし、それならよかったわ… 念の為、今日は1日休みなさい」
「はいっ! …そうだ、アヤベさん!」
「…何かしら?」
…本当に元気ね。寝起きとは思えないほどには、声がハキハキとしているわ。もう体操服に着替えて、トレーニングに参加するつもりのようだけど… 今日は休んで、しっかりと検査を受けさせたいわね。トレーナーが体を揺すっても起きる気配もなく、半日以上も眠り続けたのよ? …心配にもなるわ。
それと、後で妹からも話を聞かないといけないわね。さっきからずっと話しかけられてるもの… 何かあったんでしょうけど、今は返事なんてできないわ。 …クラフトさん目線では、私が誰もいない虚空に話しかけていることになるもの。
「妹さんもここに来てたなら、教えてください! 起きたら横にいたので、ビックリしちゃいました…」
「…は? 妹なんて…」
『クラフトちゃん、わたしが見えるんだって!』
「この距離ですから、バッチリ見えてますよ」
「…え? あなた、私の妹が見えているの?」
「? はい、ここにいますよね?」
『いるよ〜?』
…どういうこと。クラフトさんは気づいていないようだけど、そこにいる私の妹は… 生まれることのできなかった、魂だけの妹なのよ。私にも見えない、トレーナーのおかげで声だけが聞こえる妹が、見えているというの…? …あの子も説明してあげればいいのに…
「…クラフトさん、そこにいるのは私の妹よ」
「知ってますっ! 直接、お聞きしました!」
「でも、生きてはいないわ。 …魂だけの幽霊よ」
「ゆ、ゆうれいっ!?」
「静かに、他の人に聞かれないように」
「アヤベさん! 本当ですか!?」
「本当よ」『本当だよ』
…必死に考えても、何が何だかわからないわね。長い眠りの中で、クラフトさんに何かが起きたというのかしら…? あの子が何かをしたのかもしれないけど、それだけで意思疎通ができるようになるのなら、私やトレーナーにもしてくれているはず… よね? それなら、クラフトさん側に何かがあったはずよ。それが何かわかるのなら、結論は早いのだけど… 皆目見当もつかない、といったところね。
「アヤベさん… 置いて、行かないで…」
「あなたが急げと言ったのよ…」
「トレーナーさん! わたし、見えます!」
「…妹ちゃんが見える、ってことかな?」
「そうよ。 …それ以外は何もわからないけど」
…トレーナー、元気になったわね。疲れ果てた顔をしているのは走ったからだとして… クラフトさんが目覚めたのがよほど嬉しかったのかしら? …当然ね。最悪の事態が訪れたんじゃないかと、朝から涙を必死に堪えてるように見えたもの。解放された気分でしょうね… でも、後数時間眠っていたら、きっと私も同じようになっていたわ。 …誰でもそうなるわよ。大切な人が、突然目を覚まさなくなればね。
「来て早々だけど、私は戻るね。トレーニングを投げ出すわけにはいかないから」
「…大丈夫なの? クラフトさんの横じゃなくて」
「大丈夫、もう大丈夫だよ」
「あの、わたしも行きたいです。 …走っちゃダメでも、見るくらいなら、ダメですか?」
『大丈夫だと思うよ』「クラフトちゃんが問題ないなら」
「…そうね。全く動かなければ衰えてしまうもの」
「じゃあ、行きましょう!」
クラフトさんがトレーナーの手と、虚空を掴んで駆け出していったわ。 …走っていいと言ったつもりはないけど、走って行ったわね。あれだけ元気なら、もう心配いらないのかしら…? ここに残っていても意味なんてないから、私も追いかけましょうか。
「クラフトさん! 良かったです…」
「安心100マイル♪」
「心配かけてごめんマイル〜?」
「心配しましたけど、大丈夫なら大丈夫です!」
「何ともないようで安心しました」
「話すのも良いけど、そろそろ再開するよ。みんな、準備して」
トレーナーの指揮で、トレーニング… 少しだけ、懐かしく感じる光景ね。夏合宿中も、そんな時はあったはずだけど… ようやく、元に戻ったような気がするわ。トレーナーの不安は、もう全てなくなったのかしら?
…たとえ1度長い眠りから覚めたとしても、今後夏が終わるまでの間に問題が起きないと決まったわけではないのだけど。私は起きないと信じているけど、つい昨日までのトレーナーなら『これは悪い前兆で、きっとこの後に…』なんて余計なことを考えそうなものなのに。 …一応、声はかけておきましょうか。
「元気になったわね、声が躍っているわ。クラフトさんが目覚めたからかしら?」
「うん。なにより、今日を、20日の朝を迎えられたことが嬉しいんだ」
「…何か意味がある日なの?」
「私の夢で全てが終わった日が、今日だったから。 …だから、全部超えたんだって、そう思えるんだ」
…そう。 …よく夢の中の目を背けたくなる瞬間の、日付まで覚えているわね。私だったら、それが何月何日のことかなんて覚えていなかったと思うわ。 …それに、覚えていたらより怖いでしょう? 明日がその日だと思いながら、トレーナーは昨日眠りにつき… 今日がその日だと怯えていたら、クラフトさんが起きてこなかった。 …想像するだけで胸が苦しくなるわね。
でも、おかげさまで私も安心できたわ。これでもう、トレーナーの予知夢のような悪夢に怯えなくて良くなったわけだもの。夏合宿は残り2週間を切るような時期だけど… 遅れを取り戻す為にも、ここまでセーブしてきた分、こっからスパートしていきましょう。
『…お姉ちゃんも元気になったね♪』
「…そうね。今なら何でも聞いてあげるわよ?」
『じゃあ、泳ごう!』
「…聞くだけね。叶えるとは言ってないわ」
『んなぁ!?』
「…冗談よ。今度、みんなで泳ぎましょう」
『…! うんっ♪』
…夏合宿、楽しんでくるわ。
〜夏合宿
『右手を出して、次は…』
「…クロールなんかしなくても、あなたは溺れないでしょ」
『でもでも、ちゃんと泳いだほうが泳いでる感じがするよ?』
「…そう。あなたがそう思うなら、教えるわ」
『わーい! 泳ぎながら教えて!』
「それは無理よ… 泳ぎながら話せって、私に溺れろと…?」