琴の音に耳を澄ませて 作:緑雨
「…乱暴ね」
「丁寧とは言えないね…」
「どう手をつけるべきでしょうか…?」
どうも、ナリタトップロードです! 今は、現役の3人の併走を見てました。メインはグランちゃんとヘヴンちゃんですね。クラフトちゃんは少し前に走ったばかりですし、今月は走るレースがないので、早めの冬休みだったんですけど… 2人の為に併走のお手伝いに来てくれました。
みんなで話しているのは、グランちゃんのことですね。その… 能力は感じる走りなんですけど、技術が… というか、力任せで危なっかしいという話ですね。クラフトちゃんは展開に合わせて走るのが得意なんですけど、グランちゃんは行きたい時に行ってロングスパート… って感じなんです。凄いウマ娘ならG3くらいは能力だけで押し切れるんですけど、G1ではその隙を突かれてしまうんです。 …グランちゃんはセンスもあるので、なんとかしちゃいそうな気もしますけどね。
「もっと早く考えるべきだったわね…」
「この1年間、純粋な能力はもちろん、ゲートやコーナリングに注力してトレーニングしてきましたので、速いタイムは出せるんですが…」
「レースはタイムトライアルじゃない… 気持ちよく走れたら誰にも負けないと思うんだけどね」
「多分、1番人気ですよね」
去年の有マ記念で私がされたので、よく覚えてます。逃げウマ娘でもなければ、自分の得意な展開は貰えません。ペースは相手なりで走らざるを得ませんし、進路も相手なりに見つけないといけません。 …私は見つけられなかったんですけど、グランちゃんも同じことになりかねないんです!
「塞がれた時にどうするのか、経験できてないですよね」
「そもそも、大外マクリの経験しかないわよ。直線まで控えて外に出すとか、内に突っ込むとか、そういう経験ができればよかったんだけど…」
「困ったら大外一気ですが、展開次第では早仕掛けも必要です。 …逆に、捲ってはいけないこともあります」
「今から実戦経験は積めないし… 模擬レースで、色んなことを試してみよう。1度試しておけば、選択肢としてここぞの場面で使える… かもしれない」
「それなら、私も走ります。 …多いほうがいいですよね?」
「そうね… 私も行くわ」
阪神JFまで後10日と少し、グランちゃんの為にも頑張ります!
…っと、グランちゃんの話だけで終わるところでした。ヘヴンちゃんにも触れないと失礼ですよね、ごめんなさい。ヘヴンちゃんはデビューが今年に決まりました! …申請が集中して抽選で負けなければ、ですけど。
阪神JFの翌週の中山1200mになります。 …ヘヴンちゃんにとってはちょっと短いと思います。ですが、琴葉さんはそこも織り込み済みです! ヘヴンちゃんもグランちゃん同様、器用に走るのが苦手なタイプなので… ハイペースで流れる短距離戦の方が、走りやすいんじゃないかという推理です。 …私も、そう思います!
ヘヴンちゃんの走り、気づいたら凄く力強くなったんですよ♪ 前はグランちゃんについていくので精一杯で、最後には疲れ果てながらゴールして倒れちゃう感じだったんですけど… もうそんなことなく、最後まで力強く踏み込んで走り抜けてくれるんです! 将来はG1でもグランちゃんと一緒に、最後方から飛んできてくれるはずです!
…話し終わったので、今度こそ、さよなら!
…何度経験しても、この緊張感だけは慣れないなぁ。
「グランちゃんなら、きっと勝てます」
「あなたのマイラーとしての矜持、見せてちょうだい」
「お任せあれ!」
「…落ち着いて、それでいて大胆に、頑張ってください」
「うん、クロノちゃんの為にも、必ず勝つよ!」
今日は阪神JF当日、もうレースの直前です。グランちゃんにとって初めてのG1、楽しんでほしいですね。最初は何よりも楽しむことが大事です! グランちゃんは今後、何度もG1を走ると思いますけど、初めては今回だけですから♪ 勝ちに拘って自分を崩すより、自分らしく楽しむ! 勝利は、その延長線上にあります!
「信じろって言っても難しいかも知れないけど… 私を信じて、自分自身を信じて、気楽に楽しんできて」
「もちろん、信じてます! あたしのトレーナーですから!」
「…そろそろ行くわよ。パドックまで案内するわね」
「行ってマイル!」
アヤベさんとグランちゃんは行ったので、私も移動します! 琴葉さんとクロノちゃんがここで待機すると思うので、私は応援にいきますよ〜♪ クラフトちゃんとヘヴンちゃんが、変装して先に良い場所に行ってるはずなので… 私も変装して、行ってきます!
「ど、どうしてそんな格好で着ちゃったんですか!?」
「時期にあった変装かなって思ったんですけど…」
「時期にあった変装でも、サンタ衣装は目立ちます!」
…すごく、注目されてます! 12月ですし、クリスマスな変装にしたんですけど… 逆に目立ちました。ふわっふわで、サンタさんみたいな青い衣装なんですけど、現役時代に有マ記念で着ようかなぁって用意した、特注の勝負服なんです♪ …その時にアヤベさんに、特別な服よりも普段の勝負服のほうが良いって言われたので、現役時代は着なかったんですけどね。眠らせておくのも嫌なので、応援用の勝負服にしました。応援も、勝負なので!
それに、すごく目立ってますけど、私だってバレてないはずです! きっと、野生のサンタクロースって思われてるだけです!
「2人はお揃いなんですね」
「ずっと小声は逆に変な気がするので、普通に話しませんか?」
「…だね。この前、2人で買いに行ったんです。ウマ娘の変装といえば、帽子で耳を隠し、ショルダーバッグで尻尾を隠し、記者のような服装!」
「か、感嘆符のつくような大声は流石に…」
「やっぱり小声でいきましょう…!」
…私も2人と一緒に買いに行けばよかったなぁ。記者… というよりも、探偵みたいでカッコいいです!
「もうゲートイン! グランちゃんは… 2枠2番、入りましたね」
「応援の声は、フルスロットルで!」
「…ですね!」
ゲートに入ってからゴールまで、マイル戦なら2分くらい。ゲートが開いてからなら1分半くらい! ジュニアG1なので、そこまで速くならないかもですけど… ティアラ最速を巡る最初の攻防、純粋に楽しみです!
「グランちゃーん!」
「頑張ってくださーい!」
…スタートから叫んで喉保つかな。不安だけど、いいや! 応援は最初から最後まで全力! それが私の流儀なので!
「いけー!」
「前が塞がってますけど、大丈夫ですよね…?」
「きっと大丈夫! 頑張れー!」
スタートから順調に場所を取って、内で脚をためる感じ… 阪神の直線なら差しも利くはずなので、きっとなんとかなります! 苦しくても… 応援の力で、なんとかしてみせます!
「いける! いける!」
「グランさーん!」
「開いた! 行け! 届け!」
4コーナー回って、前が開いて、速度もよし! グランちゃんなら、このまま!
「突き抜けた!」
「行った! 行ったよね!?」
「はい!」
最内から、ちょっと外に切り返しながら進路を取って、豪快に末脚弾けて一閃! グランちゃんらしい豪脚炸裂って感じで、気持ちよく突き抜けてくれました!
「グランちゃーん!」
「おめでとー!」
「凄かったです!」
「おかえり、上の熱気はどうだった?」
「すごかったです!」「盛り上がってました!」
「ゴール後は、みんなでグランさんの名前をコールして… 全体で、グランさんを讃える空気でした」
「…今後はヘヴンさんだけに聞くことにするわ」
「えへへ、いぇい!」
3人で、急いで控室に戻ってきました。
「さ、インタビュー行くよ。私と、グランちゃんと、アヤベさんと、クロノちゃんの4人で」
「私は留守番です!」
「…賢明ね」
インタビュー前に一言、グランちゃんと話せて良かったです。グランちゃんの次の目標は桜花賞だと思うので、そこに向けても、今日の1勝は本当に価値があります。なにせ、全く同じ条件ですからね。マイル女王間違いなし! です。 …もちろん、驕らずに努力を続けたら、ですが。
「アヤベさん! 年末のご予定は?」
「…秘密」
「そんなぁ!? どうしてですか!」
「…秘密は秘密なの。理由を言えば、探れてしまうでしょう?」
「悪いことはしません! 人に言ったりもしません! なので、教えて下さい!」
「………はぁ、帰省よ」
「帰省! ついて行ってもいいですか?」
「残念ながら、もう連れがいるの」
「えぇっ!?」
12月の3週、アヤベさんから年末の予定を聞き出しました! …年末は2人で温泉とかどうですか? って誘うつもりだったんです。アヤベさん、勉強か、走るか、チームの為に何かするかの3択だと思ってたので誘えると思ったんです…! でも、帰省なら誘えませんね…
帰省、大切です。もちろん、私もしますよ。今年の末はまだ決めてないですけど… アヤベさんと温泉に行くつもりだったので! それが、突然暇になってしまったんですよ。私も帰省しろってことなのかもしれないですけど… アヤベさんの帰省、どうにか同伴できないでしょうか。
「私も一緒ではダメなんですか?」
「ダメってことはないけど… 実家に何人も連れて行くものじゃないでしょ?」
「アヤベさんとご家族の団欒の邪魔は絶対にしません!」
「そもそも、部屋がないわ」
「床でもソファーでも大丈夫です!」
「客人にそんな扱いするわけにはいかないわよ」
…これは、行けなさそうな空気です。ですが諦めるつもりはありません! アヤベさんの実家に行くチャンスなんて、この先1度あるかわからないことですよ? 私はチャンスを掴んでG1ウマ娘に、3冠ウマ娘になったんです! こんなチャンスを逃すつもりはありません!
少しだけ、策を練ってみます! 来週はチームとしての活動もお休みなので、時間は沢山ありますから… 私なりに、私を連れて行きたくなるアプローチを考えて、その座を射止めて見せますよ!
「アヤベさんの実家? うん、行くよ」
「ですよね! …そこで、お願いがあるんです!」
「そこでお願い…? 何かな、できる範囲でなら」
「アヤベさんのお母様に、この手紙を渡して下さい! それと、この紙袋もお願いします」
アヤベさんの実家は諦めました。 …私が行くべきじゃないって、そう思ったので。いつかきっとアヤベさんが誘ってくれると思うので、その時を待ちたいと思います! 琴葉さんと同じくらい、アヤベさんからの信頼を勝ち取ってみせます!
「わかった、確実に届けるよ」
「お願いします!」
「…凄い圧を感じる。中身は見ないけど、大丈夫な物だよね?」
「もちろんです! 紙袋に入ってるのは、私のサイン付きのグッズです!」
「それは、きっと喜ぶだろうね。トップロードさんのグッズ、欲しくない人なんてこの世界にいないから」
ちょっと照れちゃいますね。
…ちゃんと贈り物が届くと信じて、年末はトレセン学園で過ごします。きっと誰かいると思うので、その人と一緒に年越しです。中等部のみんなと、楽しみますよ〜♪
…っと、その前に大切な予定がありますね。今週もレースですから! 年末年始に向けての話ばかりしてましたけど、ちゃんと準備していますので、問題はないはずです!
「胸を張って、自信を持って。最初なんだから、気負わず好きに走ってきな」
自信を持って、気負わずに… 気楽に、楽しむ。
「結果に囚われないで、ヘヴンちゃんらしい走りをしてきてくださいね♪」
結果に囚われず、自分らしく… 私は、私の走りをすればいい。
「データはあくまで、走りの手助けです。自分の感覚を信じてください」
感じた通りに、思いのままに… 自分で考えて走る。
「見せつけてやりなさい。あなたの輝きを」
「行ってきます」
私なりの大輪を咲かせる為に。
「おかえり、頑張ったね」
「本当に、頑張りましたね」
「お疲れ様でした」
…負けちゃった。メイクデビュー、勝ちたかったな… 勝てるレースだったって、自分でも思うんです。短距離ってことに焦って逃げるような形で前に出て、自信のあった末脚も使えず撃沈… 不完全燃焼です。悔しいなぁ…
「勇ましく双葉を出した花は、立派に育つことが多い… でも、優雅に咲く花が、必ず快調な始まりを迎えるわけではないわ。決して輝かしい始まりでなくても、やがて輝けばいいのよ。 …あなたの目標は、大きな芽を出すことではなく、大きな花を咲かせることでしょう?」
「…はい」
アヤベさんの言うとおりですね。メイクデビューを負けたからといって、G1を勝てないわけじゃない… 私はここから、花を咲かせてみせる。幸運のクローバーだって、踏まれて四つ葉になるんだ。絶対に、今日を無駄になんかしない。
…頑張ろう。進み続けるんだ。進まないと、辿り着けやしないから。
「ここがアヤベさんの…」
「…寒いわね。眺めてないで、早く入るわよ」
『久し振りだなぁ…』
どうも、葵ちゃんだよ。グランちゃんのJF、ヘヴンちゃんのメイクデビューが終わって、みんなが冬休みに突入して… 年末、私も仕事が全て終わったから年を越えるまではずっと休み。 …チームの為にやりたいことは沢山あるけど、休める時に休まないと。肝心な時に倒れるのが一番ダメだからね。
約束通り、アヤベさんの実家に来たんだけど… 車、駐めるのあそこで大丈夫だったかな。車を駐められそうな場所があったから駐めたんだけだ、違ったらどうしよう。 …アヤベさんのご両親、怖い人だったら痛い目に遭わされるかも。私、アヤベさんに何もしてない… よね? 心配はたくさんかけた気がするけど、それで胃に穴が空いたって話も聞いてないから、アヤベさんに傷はつけてないはず!
「…ドキドキするな」
「ここまで来て、帰るなんて言わないわよね?」
「言わないよ、ここまで来たんだから」
『ゴーゴー!』
「今度こそ、開けるわね」
お洒落な家だな… トレセン学園ってみんなお嬢様らしいから、納得って感じだけどね。一軒家で、庭もあって、広々としたリビング、流石はアヤベさんの実家だね。 …なんだか、過ごしやすいかも。私も昔はこんな家に住んでたんだ、懐かしい。 …家族、みんな元気してるかな。
…アヤベさんの家族、リビングにはいないのかな。いて欲しかったな… すぐに挨拶した方が気も楽になるし、どんなふうに待てばいいのかわからないよ。ソファーにふんぞり返って待つのが間違いっていうのは確信を持って言えるんだけど、どこに座って待つべきか…
「トレーナーさん、ようこそお越しくださいました」
「!!! はじめまして、トレーナーの琴葉葵と申します。娘さんには、普段からお世話になっております」
「母として、いつも拝見しております。こちらこそ、娘をありがとうございます」
「…母さん、他は?」
「トレーナーさんにケーキをって、慌てて買いに行ったわよ」
「お気遣い、ありがとうございます」
言葉のプロというつもりはないけど、最低限の敬語は使えるつもりだよ。 …普段は使う機会がないけど、こういう時の為に多少は勉強してるから。でも、敬語ってやっぱり緊張するね。ちょっと堅苦しくて苦手… 必要なのは分かってるから、続けるけどさ。
「こちら、ご家族様にとナリタトップロードさんから預かった贈り物になります」
「何かと思ったら…」
「ありがとうございます。後ほど、家族が揃ってから確認させていただきますね」
トップロードさんに託された荷物は確かに届けた。やらないといけないことはこれで終わり… アヤベさんにも悟られることなく、中身を誰にも見られずに届けられたし、ミッションコンプリートって感じかな?
「…母さん。私の部屋、どうなってる?」
「綺麗に整えてあるわよ。 …もちろん、あそこも」
「トレーナー、案内するわ」
「? トレーナーさんのお部屋は別で用意してあるわよ?」
「母さんの部屋でしょ、大丈夫。トレーナーは私の部屋で寝るから」
「えっと… それなら、ベッドを運ぶわね」
「それも大丈夫、母さんのベッドは自分で使って。 …トレーナーは、あそこに寝かせるから」
「!?」
…親子の話についていけない! 私の泊まる部屋の話… かな? お母様は自身の部屋を客人用にしてくれたみたいだけど、アヤベさんには前々から私室で一緒に寝ることになるって言われてたんだよね。 …用意してもらったなら使ったほうがいい気もするけど、それでお母様のベッドが無くなるのは心苦しい気もする。アヤベさんも私用のベッドは考えがあるみたいだし…
「トレーナー、二段ベッドの上で寝てもらうけど、問題ないわよね?」
「もちろん、大丈夫だよ」
「…そう。あなたがそう決めたなら、私もそれで構わないわ」
…何か曰く付きのベッドなのかな。アヤベさんの部屋の、二段ベッドの上… 二段ベッド? アヤベさん1人の部屋なのに?
……あぁ、そういうことか…
『大事に使ってね♪』
妹ちゃんの使うはずだったベッド、ってことだよね。 …みんなが使っていいっていうなら、使わせてもらおう。少し恐れ多い気もするけど… 本人に使ってって言われたんだ、使わないのも失礼だよ。
「チームで、娘はお役に立っておりますか?」
「もちろん、常に助けられています」
「それは良かったです。少し気難しい娘ですが、きっとチームが合っているんだと思います」
「気難しいなんて思ったことはありません。いつも丁寧に、役割をこなしてくれています」
「………」
「実は昨年の有マ記念、現地で観戦していたんです。結果は残念でしたが、娘が先頭でコーナーを回ってきた時は嬉しくて涙が溢れてしまいました」
「あれは、娘さんと話し合って決めた作戦なんです。あのまま粘り込めたら最高だったのですが…」
「それでも、1度は引退した娘の元気に走る姿をもう1度見れるなんて思ってもいなかったので… あそこまで仕上げて、娘を導いてくださったこと、感謝してもしきれません」
「感謝しなければならないのは私の方です。娘さんがいなければ、私がああやってG1の舞台に立つ夢など叶わなかったと思います。あのレースも、私の力などではなく、娘さんの力です」
「………」
…私は何を言えばいいのかしら? トレーナーと母さんの共通項が私という存在である以上、私が会話の中心になるのは避けられないのだけど… こそばゆい感覚と、普段と違って謙譲し続けるトレーナーの違和感だけが積もっていくわ。
今のチームに私が馴染めたのは、トレーナーのおかげよ。初めて会った頃から、何度も外出に誘われて… みんなで天体観測にも連れて行ってくれた。あぁやって誘ってもらえなければ、私にとってチームリラは生きづらい空気だったでしょうから。 …母さんの褒め言葉を、まっすぐ受け取ればいいのに。私を称えずに、自分への言葉として。
…私が何か言えばいいのかしら。対談を見守る視聴者ではなく、導く司会者として。
「本当に、娘さんにはお世話になってばかりです」
「…母さん。あまりトレーナーの言葉を信じないで」
「えぇ?」「えっ?」
「聞いていれば、嘘ばかり… 私の為に残業して、1日単位でトレーニングの予定まで組んでくれたのは誰だったかしら?」
「それは…」
「私が去年の有マの舞台に立てたのは、全てトレーナーのおかげよ。私こそ、トレーナーに助けられてばかりだわ」
…本当にそうよ。私がチームの役に立てるのも、トレーナーの手助けができるのも、トレーナーが導線を引いてくれたから。トレーナーがいるから、私はここにいる。 …恥ずかしむこともなく、自信を持ってそう言えるわ。
「そんなことはないよ、いつも助けてくれるから、少しくらい恩を返せたらと思ってしただけだから。 …まだまだ、私は未熟者だよ」
「あまり謙遜しないで。いつものように堂々としてもいいのよ。母さんも、その方がいいでしょ?」
「…そうね。私も、素のトレーナーさんと話してみたいわ」
「…わかりました。そうはいっても、私は素でこんな人間ですが」
堅苦しい時間は終わり… 気を使って正直に話せないんじゃ、折角の帰省が息苦しくて仕方ないもの。気楽に、いつものように。そうやって過ごす場所が実家、でしょ? …トレーナーも、自分の実家に帰ったような気分でいてほしいもの。
詳しいことはわからないけど… トレーナーの実家は、ないかもしれないの。長い間一緒にいるけど、話していても、部屋を漁っても、帰省の話なんて影もなく、家族とやりとりしてる様子もない。親しかったというお姉さんや、大切な親友と離れ離れという話も聞いたわ。 …だから。ここを、羽を休められる止まり木にしてほしいの。
…さっきの情報は、半分くらいは妹から聞いたことよ。私が頼んで、探ってもらったの。その… 私の実家にトレーナーを呼んだんだから、逆の機会があるかもしれないと思って。私がトレーナーの実家に行ってもすることはないのだけど… そんな時に備えて、よ。
「でも、アヤベさんに助けられているというのは本当です。チームが発足したばかりの頃から、今に至るまで、ずっと話し合いながらチームを作ってきました。チームリラは、私1人では絶対に作れなかったものです」
「チームリラのお話、もっと聞かせてください」
「わかりました。昔の話から、していきますね」
それから、私とトレーナーは2人で思い出を語っていったわ。最初に話したのは、もちろん出会った頃の話よ。私がたづなさんにサブトレーナーを頼まれた時のこと、次の日にトレーナー室で話して正式に仲間になった時のこと、そのままクラフトさんをスカウトした時のこと…
…語り尽くせないほどのことを、気の向くままに話し続けたわ。父さんと弟たちも途中で帰ってきたから、ケーキもつまみながら。昼食や夕食も挟んだけど、それでも話し続けたわね。 …数年も前のことを完璧には覚えていないから、メモを見て懐かしみながらだったけど。
私、日記をつけているの。元は、いつか妹のもとに旅立った時に、思い出を語れるように。今は、仲間たちと過ごした一瞬一瞬の記憶を忘れないために。 …日記にも、丁寧に書いてあるの。クラフトさんのデビューより前の日に、トップロードさんと広い草原を走り回った、とかね。もちろん、去年の末に丘の上で起きた奇跡の話も、苦しくも最後は希望に満ちていた夏合宿の話も、丁寧に。 …それをここで語ることはないけど。
「…トレーナー。下がいいなら、下の段で寝ても構わないわよ」
「下は元々、アヤベさんが使っていたんでしょ? それなら私は、上を使わせてもらうよ。 …いいんだよね?」
「もちろん」『うん』
「今日は、いい夢が見れそう… そうは思わない?」
「そうね… ずっと思い出話をしていたから、きっとタイムスリップしたような夢になるわ」
1日中語り明かして、順番にお風呂に入り、少しトランプ遊びをして、気づけば眠る時間。
…案外、なんてことない1日だったわね。トレーナーは家族に馴染んで、いることが当たり前かのように錯覚するほどだったわ。こういう人のことをコミュ力が高い、というのでしょうね。 …トップロードさんやクラフトさんでは、こうはならなかったでしょうね。あの2人も私より… 何なら、トレーナーよりも人の輪に馴染むのが得意だけど、向き不向きがある。少なくとも、私の実家に馴染むタイプではないわ。 …可愛い娘みたいに好まれるとは思うけど、トレーナーのようには普段通りには過ごせない、ということよ。
「電気消すわね」
「うん、おやすみ」
「おやすみなさい…」
…私、平然とトレーナーを私室に入れたわね。相手が男性トレーナーだったら一発でアウトな事案だけど、トレーナーは女性だし… それに、抵抗感は欠片もないのよね。理由もなんとなく分かるわ。トレーナーの部屋で何度も寝たからよ、あれで慣れてしまったの。トレーナーのそばで寝ることを当然のように受け入れてしまうのよ。 …悪いことではないわ。危機感という意味では、悪いことなのかもしれないけど。
…寝るときは静かでいいわね。騒がしかった昼間が嘘のように、誰の声も聞こえない。イヤホンを外したから妹の声は聞こえないし、トレーナーも寝る時に騒ぐ狂人ではないわ。弟たちはもう眠った、両親も夜中に騒ぎはしない。街ゆく人々はそもそも殆どいないでしょうね。
静寂は嫌いじゃない。1人で考えるのも好きだから。それに、昔は妹に思いを馳せられる数少ない時間だったから。今でも、眠る時は色んなことを考えるの。今日はどんな事があった、明日はどんな事があるだろう… 未来予知は出来ないけど、きっと幸せでしょうね。
…おやすみ。帰省、楽しむわね。
「………」
年の瀬の夜に、1人街中を駆け回る。良いことじゃないのはわかっています。もしも暗闇から車が飛び出してきたら、もしも不審な人影があったら… そんな想像も容易い時間ですから。でも、走りたいんです。
…不思議な気分でした。メイクデビューで敗れた時は、そこまで悔しくなかったのに… 休暇を言い渡されて、休んでいくうちに、どんどんと悔しさが込み上げてきたんです。どうして、どうしてと、負けた理由を悩み始めて… 私以上にトレーナーさんが考えてくれていることを、自分でも悩むようになりました。
ある程度休んで、痛みも疲労もなく動く余裕ができてからは、夜に走るようになりました。走れば走るだけ強くなれるから、なんてことは言いません。トレーナーさんの考えてくれたメニューをこなす、それが強いウマ娘への最短経路だと理解していますから。
それなら、何で走るのかっていう話ですけど… 気分転換、ですね。ずっと部屋に閉じこもっていると、自分に対して腹が立ってしまうんです。負けてしまった自分、憧れたG1の舞台に辿り着けそうもない自分に、です。
チームリラは、とても良いチームだと、そう感じているんです。このチームにいたら、私は強くなれると、強く感じます。 …だからこそ、悔しくて、苦しいんです。チームが全力で私を支えてくれて、育ててくれたというのに… 順調に強くなるグランさんに比べて、どうして私はメイクデビューすら勝てないんだろう、と。 …このチームで、弱いのは私だけです。サブトレーナーのお二人も含めて、既出走のウマ娘は私以外全員G1勝ち… そんなチームに自分がいてもいいのかと、責めてしまう気持ちも湧いてくるんです。
…だから、走るんです。もやもやを少しでも晴らすために。大丈夫、きっと勝ち上がれる、きっと追いつけると、自分で思い込むために。 …未来は分かりません。だからこそ、追いつけると信じないといけないんです。
もちろん、夜に走るからには最大限、周りに注意はしていますよ。トレセン学園の近くしか走りませんし、信号は渡りません。横断歩道も避けてます。 …つまり、トレセン学園の外周からはどこにも行けません。ずっと同じ景色を周り続けるだけでも、気分転換にはなりますから。
「……あれ?」
ちょっ、ちょっと待ってください。トレセン学園の正門前に、誰か倒れているような… 見間違いじゃありません! やっぱり、誰か倒れています! …多分、倒れたふりの不審者とかじゃありません。助けないと…
「あの! 大丈夫ですか!?」
「………」
こういう時は取り敢えず、手首で脈を測って… 動いてます、呼吸も… していますね。良かった… 少なくとも、深刻な状態ではなさそうです。 …夜中に人が倒れている時点で、軽い問題でもないとは思いますが。顔と体格からして、女性でしょうか? 銀髪で、小柄で、ウマ娘ではありません。 …謎が多いですが、どこかに連絡しないと。救急か、警察か、トレセン学園の運営か…
「んぅ…」
「目が覚めましたか!?」
「あなたは…?」
「私はただの通りすがりです。あなたが倒れていたので、駆け寄ってきただけのウマ娘です。あの、お怪我はありませんか?」
「特には…」
…見ても、怪我はなさそうです。だとしたら、どうしてここに倒れていたんでしょうか。私は何周もトレセン学園の周りを回ってるので、ついさっき倒れたばかりだと思うのですが… ひとまず、動けるのなら自力で家に帰っていただくのが良いでしょうか?
「ウマ娘… あぁ、そうだった… っ、頭が…」
「本当に大丈夫ですか!? 立ち上がらないで、少し座って休んだほうが…」
「そう… ですね。ありがとうございます」
「あの… どうして、こんな場所で倒れていたのですか?」
「私が聞きたいくらいです… ここってどこですか? 大きな… 学校に見えますが」
「トレセン学園ですよ」
「…?」
…この人、様子がおかしいですね。なんだか、凄く混乱してるように見えます。詳しい事情は私にはわかりませんが… 警察に相談したほうがいいかもしれません。お酒の匂いもしないので、酔っ払っているわけではないと思いますが… 私が深く関わっても、何も解決できない気がします。
「…そういえば、そんな話だったような…」
「あの… とりあえず、警察に連絡しましょうか?」
「! それは、大丈夫です。その必要はない… と思います」
「そう… ですか?」
「携帯があるのなら、連絡を頼みたい相手がいるんです。 …お願いできますか?」
「わ、私にできることなら、何なりと」
…少しだけ、警戒はしておこう。悪い人ではないと思うけど、絶対に普通の人じゃないです。
「トレセン学園で働いている、琴葉葵という人に連絡してほしいんです」
「えっ…」
琴葉葵って… 私の、チームリラのトレーナー、ですよね。それじゃあ、この人はトレーナーの知り合い…? 全然わからないですけど… 私に連絡先がわかる相手で良かったです。顔が広いわけではないので、連絡できる相手は限られていますから…
「わかりました… こんな夜中なのですぐに届くかはわかりませんが、電話してみますね」
「葵の連絡先を持ってるんですか…?」
「はい… 琴葉葵トレーナーのチームに所属しているので」
「…な、なるほど?」
…そうだ、アレを聞かないと。
「電話が繋がったら、何と伝えればいいですか? …それか、代わればいいですか?」
「…私の名前を伝えてください」
「私の名前は──
…寝ようとした時に、トレーナーのスマホの着信音が鳴り響いたわ。これじゃあ眠れないわね…
「ごめん、すぐに済ませるね」
「構わないけど… こんな時間に誰から?」
「…ヘヴンちゃんだ」
「ヘヴンさん…? こんな時間に?」
…信じられなかったけど、トレーナーのスマホには確かにヘヴンちゃんと名前が表示されているわ。 …ヘヴンさんに夜更かしのイメージはなかったけど、それはイメージの話だからおいておくとして… そもそも、こんな時間に電話で伝えたいことって何よ。メールでも、明日電話するでもなく、こんな真夜中に… 少し心配だわ。緊急の連絡…?
「私にも聞かせて」
「もちろん。 …もしもし、ヘヴンちゃん?」
『もしもし! ブルームトゥヘヴンです! あの、トレーナーさん!』
「焦らないで、落ち着いて… 何があった?」
『──さんから、連絡を頼まれたんです!』
「…え?」
その人の名前を私は知らなかった。正直、聞いたこともない名字だったから、ちゃんと聞き取れたのかもわからないけど… でも、トレーナーの反応を見れば状況はわかった。 …トレーナーと、縁深い相手なんでしょうね。それがどうしてヘヴンさんと一緒にいるのかわからないけど…
…帰省、あんまりゆっくりはできなさそうね。三が日に家族で出かけたかったけど、明日の朝には飛んで帰ることになりそうだわ… 多少は話せたし、トレーナーも紹介できたからいいけど… 家族で出かけるのは、また今度にお預けね。
…早く会ってみたいわね。その… なんとかさんに。
〜3年目末
「グランちゃん、マイルってカワイイ?」
「きっとカワイイです! だって、マイルですから!」
「それなら、カレンもマイルを目指しちゃおうかな?」
「絶対に負けませんよ〜!」
「す、すごい… 全部聞き取れたのに、何も理解できない…!」