琴の音に耳を澄ませて 作:緑雨
「…やっぱり、これが一番好き。ウマ娘のレースになっても… このレースに惹かれちゃうな」
4月、トレーナー寮の私室でスマホを使ってレースを見てるんだ。今日は… 大好きな、桜花賞の日だから。皐月賞とか、ダービーとか、オークスとは違う… このレースが好き。なんで好きなのかは、自分でもわからないけど… マイルという距離なのか、阪神という場所なのか、春先という季節なのか、トリプルティアラというタイトルなのか… 理由は何にせよ、私は桜花賞が好き。
今年も… 面白いレースだった。初めて名前を聞いたウマ娘ばかりで、詳しいことも分からないし… 勝った娘のことも全く知らないけど、楽しかった。それと同時に… 来年、クラフトさんとこの舞台に立ちたいと、切に思う。私には大口を叩けるだけの実績も経験も実力も、何もないけど…
…来年の桜花賞に出る為にも、トレーニングを進めよう。ゲートトレーニングは順調で、トレッドミルも十分だとは思うけど… 体に負荷をかけないで行えるトレーニングだって、幾らでもある。レースに出るようになると、トレーニングに打ち込める時間も減るだろうから… 今のうちに、詰め込めるだけ詰め込んで、基礎を固めておきたい。 …まだ一度も使っていないトレーニングだってある、来週以降は… それも考えていこう。
…忙しくなりそうだね。でも、嫌じゃない。こういう忙しさなら… 幾らだって、歓迎だよ。
…4月? 何か、忘れているような…
「休みの日に急にごめん! これ、誕生日プレゼント… 渡すの遅くなって、本当にごめんね」
「! わたし、言ってなかったのに… ありがとうございます、嬉しいです! えへへ…」
土曜日のうちに思い出せてよかった… ウマ娘の寮には入れないから、玄関前で渡すことになっちゃったけど… 渡せないよりは、よっぽど良い。数日過ぎてるけど、渡さないよりは良い、はず。長話をするわけにもいかないし、もう帰らないとだけど… 渡せてよかった。
「じゃあ、私はこれで。遅れたけど、おめでとう」
「ありがとうございましたー!」
クラフトさんの誕生日は、4月4日。何で知ってるのかって? トレーナーは書類仕事が多くてね… たづなさんに、クラフトさんに関する書類のチェックを頼まれることもあるから、そこで知ったんだ。学園から健康診断の結果を渡されたこともあるし、大抵のことは知ってるよ。流石に、プライバシーに関わるものは知らないけどね。身長は知ってるけど、体重は知らないし。
…アヤベさんの誕生日っていつなんだろう。トップロードさんとかカレンさんの誕生日も気になるけど… 調べたらわかるかな?
まぁ、もう過ぎてるんだろうけど。時期的に… 4月より前、が多そうだからね。3月は、毎日のようにどこかでお祝いしてたから…
よーっし、今度こそやることはおしまい。気合入れ直して、トレーニング、やっていこう。
「今、どうでした?」
「良かったと思うよ、レースでもできたら最高って感じ。最後まで派手な出遅れもなかったし、得意?」
「自信はあります!」
4月2週の金曜日、ゲートトレーニングは今日で終わり。土日も続ける案もあったんだけど、状態を考えたら体を休ませることのほうが必要かなって判断で休みにしたから、今週のトレーニング自体が今日で終わり。休日は、何をしようかな…
「…そうだ、トレーナー、クラフトさん。今月末は暇かしら? トップロードさんから… 天皇賞に招待されたの」
「ん〜… 見たいです。でも、行けないです。すみません」
「トレーナーは?」
「私もその日は会食だから、ごめん」
「そう。それなら、カレンさんを連れて行くけど… 会食する相手なんていたのね」
「仲のいい記者の人とね、情報共有も兼ねて」
2人には話してなかったんだけど… 他のチームのデータを集めてる時に、記者の人と仲良くなってね。確か… 乙名史さん、だったかな。アヤベさんとも面識があったみたいで、『リラというチームのトレーナーです』っていうと色んな話をしてくれてね。アヤベさんにインタビューした時に、リラの名前が出てきた… って言ってたかな。多分トップロードさんと2人で受けてたやつだけど、その時の話から始まって… まぁ、何度も会ううちに仲良くなったんだ。クラフトさんについても聞かれたから売り込んであるよ、言えないことも多いけどね。プレッシャーにはならない程度に… 話題にはなってほしいから。
っと、月末の話はいいんだよ。今は… トレーニングに集中しよう。それに、来週の予定も考えないと。
「来週のトレーニングについて、提案があるんだけど…」
「…新しいことをするのね? 負荷を強めにかけられるトレーニングなら、何でもいいわよ」
「大変なやつなんですか…?」
「メイクデビューの日付を考えると、来月からは軽めなトレーニングをせざるを得ないからね。あの… ソリを使って坂路で追い込もうと思うんだ」
「あぁ、あれ… いいんじゃない?」
「うっ… が、頑張ります」
メイクデビューは6月後半、そうなると6月はレースに向けての調整に使いたい。そう考えると、4月後半に激しいトレーニングで負荷をかけて、5月前半は軽めなトレーニング。5月後半は全休にして疲れを取って、6月を迎える… 素人の考えかもしれないけど、これで良いと思いたい。
4月後半と5月前半、逆の方がいいのかな… いや、もう考えるのはやめよう。幾ら悩んでも、わかんないものはわかんないんだから。自信を持ってトレーニングしたほうが… きっといい。
「それじゃあ、部屋に戻ってトレッドミルで軽く走ろう。来週のトレーニングについてはちゃんと準備しておくから、楽しみにしてて」
「は、はいっ!」
「…私も準備は手伝うわよ」
さぁ、トレーニング、やっていこう!
「…ソリは完成したわね」
「手伝ってくれてありがとう… 私だけじゃ終わらなかったよ」
「…どういたしまして。でも、重りはどうするつもり? これだけでも重りにはなるけど… 何かを乗せて更に負荷をかける選択肢もあるわよ」
「それは考えてあるから、当日まで楽しみにしてて」
「…わかった、任せるわ。カレンさんに呼ばれているから… 先に失礼するわね」
「うん、ありがとう」
日曜日、なんとかソリが完成してよかった。持ってるのはソリ本体だけだったから、クラフトさんに繋ぐ部分が必要だったんだよね。所謂、ベルトって感じかな。ソリにつけたベルトを腰に巻いて、引っ張ってもらう。アヤベさんに試してもらったから… 壊れない、はず。坂路で滑り落ちるのだけ怖いけど… 信じよう。
「トレーナーさん、暇ですか?」
「ん、暇だけど… クラフトさん、いつの間に?」
「アヤベさんと入れ違いに… 暇なら、一緒に日なたぼっこしませんか? 疲れも吹き飛びますよ」
「…わかった、どこでするの?」
「良い場所があるので… ついてきてください」
…もしかして、作業が終わるの待ってたのかな。だって今… 16時過ぎだよ? 今からどこかに行って日向ぼっこ、ちょっと日が沈み始めてるよ。 …クラフトさんが休みの日に何をしているの、知らなかったんだけど、いつもこうやって休んでるのかな? なんか、イメージ通り…
「おぉ、ここが…」
「この季節はここがおすすめです!」
連れてこられたのは、ひとけのない河川敷。河川敷といっても、土手から急斜面になってるような場所じゃなくて、緩やかでなだらかな坂が続いているような感じ。寝転がっても滑り落ちることはないだろうし… なにより、川も水底が良く見えるくらいには浅いから、溺れることもなさそう。安心して日向ぼっこできそうで良かったよ、転がり落ちても大丈夫そうで。 …たとえ緩やかな坂でも、転がり落ちてたら怪我は免れないか。
「お日さまは… もうすぐ沈んじゃいますけど、どうですか?」
「少しだけでも… 日向ぼっこといこうか」
「おーっ!」
…この日は、少しだけ休んで学園に戻ったよ。時間も時間だったから長居はできなかったけど… クラフトさんさえ良ければ、また行きたいね。気軽に誘ってほしいとは伝えたけど… どうだろう?
「よし、行けます!」
「アヤベさん、準備できてる?」
「いつでも行けるけど… あなたが重しになるのね」
「うん。重ければ何でも良いから… 私がここで、タイムを測りながら指示を出そうかなって」
「そう… スタートの合図、よろしく」
「オーケー。 …スリー、トゥー、ワーン、ゴー!」
日向ぼっこした翌日。トレーニングはソリを引きながらの坂路。ソリに乗せる重しは、私の体! いつもは遠くで見ていることしかできなかったけど… 今回はクラフトさんのすぐ後ろだから、走っているところが良く見える。こんな機会、滅多にないし… できるならやりたいよね。
「どう、キツイ?」
「少し… はい!」
「…私、併走する必要ないわね」
「…確かに。アヤベさんも乗る?」
「えっ?」
「…明日からはそうするわ。今は… 先にゴールに行って待ってるわね」
ソリを引いてるから、速度は普段に比べたら凄い遅い。 …私が重くて進めないわけじゃないからね、ソリが元々重いから。それに、坂路だから普通に引くよりも苦しい、はず。 …私が重いわけじゃないから。
「いけるよー! もうちょっとだよー!」
「がん… ばります…」
「がんばれー! いけるよー!」
「はぁーーーあ!」
「おつかれー!」
「…もう少し言葉のレパートリーはないの?」
1本目は終わり… だけど、だいぶ苦しそうだね。ソリに飲み物も積んでるから渡すけど… 今日は1本だけでやめても良いかも。3本くらいやろうかなって思ってたけど、想像よりも負荷は大きいのかな… 一旦休んで、それから考えよっか。
「アヤベさんから見て、どうだった?」
「…重すぎないかしら。力はつくでしょうけど… もう少し軽い状態から、少しずつ負荷を増やす、その方がいいんじゃない?」
「…その方がいいかもね。水を降ろして、後は…」
「…あなたが降りたら?」
「………わかった」
「ソリだけなら… 多分、いけます!」
…私重くないからね? 私じゃなくても、ソリの上に人が乗ったら重いって話だから。本当はソリに乗っていたかったけどね… 普段のクラフトさんに比べたら遅かったけど、坂路をウマ娘が走る感覚っていうのかな… 私1人ではわかりえない感覚が、少しは感じられた気がして。背中に乗せてもらったりしたら、風を切るような感覚が味わえるのかな… 頼まないよ、迷惑だろうから。
「…よし、もう少し休んだらもう1本いこうか」
「はいっ!」「ええ…」
「こんにちは、琴葉さん。これからお出かけですか?」
「クラフトさんと出かける予定だよ。トップロードさんは?」
「アヤベさんと待ち合わせ中です! あの、クラフトさんとはどこに?」
「日向ぼっこだけど、どこに行くのかは知らないな…」
「すごい、いいですね! 今度、私もご一緒してもいいですか?」
「クラフトさん次第だけど… 伝えてみるよ」
「お願いします!」
4月3週の日曜、今日もクラフトさんと日向ぼっこ。また誘ってもらえるといいなぁ、なんて思ってたけど… すぐに誘ってもらえたよ。クラフトさんも、私と一緒で楽しかったかな? …クラフトさんはいつも元気で、一緒にいるだけで私も元気になっちゃうから、クラフトさんに楽しいと思ってもらえたら嬉しいね。
トップロードさんも、いつにも増して元気だし… 何かいいことでもあったのかな? 声もだけど、見た目も… 人を待ってる間とは思いないくらい、楽しそうに笑ってるからさ。きっと… 何かいいことがあったんだろうね。来週は天皇賞を走るらしいけど… 調子は良さそう。悔いの残らないように、頑張ってきてほしいね。
「……」「……」
「……」「……」
…同じ場所で別々に待ち合わせしてる時、何を話せばいいんだろう。ずっと無言でクラフトさんが来るのを待っててもいいんだけど… 凄い気まずい。クラフトさんもアヤベさんも、いつ来るかわからないし… トップロードさんと、何か話そう。話題は… 何とかしよう。
「えっと」「あの」
「あ… 先、どうぞ」「すいません、遮ってしまって…」
「……」「……」
「…何やってるの?」
「アヤベさん」「アヤベさん!」
「…仲が良いのね」
冷たい目をしたアヤベさんが来たから、トップロードさんは居なくなって… もっと、トップロードさんのことも知らないとかな。良く話すのに… 殆ど、トップロードさんのことは知らないから。 …毎日のように話してるけど、その日のこととか、アヤベさんの話ばかりだから… 趣味の話とか、できるようになりたいね。
「おまたせしましたー!」
「待ってないから大丈夫だよ、今来たところだから」
「話してましたよね!?」
「あ、見てた? でも、待ってないのは本当だから。心配しなくていいよ」
「それは… よかったです」
この後は、クラフトさんと少し山の方に行ったんだ。山というか、小高い丘の草原? 気持ちよく、眠っちゃったよ。お日さまに照らされながら眠るのも… いいものだね。できるなら、毎日したい。まぁ… 仕事もあるから、そんなわけにはいかないんだけど。
「それじゃあ、行ってくるわ」
「行ってらっしゃーい!」
4月末の土曜日、アヤベさんは新幹線に乗って京都に向かったよ。一緒に行くって言ってたカレンさんは、金曜日の夜に行ってもう観光しているらしい。それと、クラフトさんはルームメイトと何かをするって言ってたかな。 …つまり、私は完全な暇人ってこと。アヤベさんもカレンさんも、トップロードさんも、クラフトさんもいないから… 誰かと話すことはないかも。少しだけ… 寂しい気もするね。
っと、トレーニングについて振り返っておくよ。初日はソリの上に私も乗っていたけど、それ以降は私が降りてソリの重さだけにして、坂路を引いてもらったんだ。1日3本、2週間だから30本か。結構、クラフトさんには苦しいトレーニングだったと思うけど… 根性で、やりきってくれたと思う。休憩を挟んではいるけど、そこそこ傾斜の厳しい坂路だからね… ソリの重さが10分の1でも、私じゃ無理だよ。
タイムは… 測りはしたけど、別にいいか。普段のトレーニングと比較もできないし、レースのタイムとの比較もできないし… 強いて言えば、初日と最終日を比較してどれだけ速くソリを引けるようになったか… つまり、力がついたかわかるのかもしれないけど… 疲れも溜まってたから、タイムは殆ど変わってないんだよね。1年経ってからもう1回やってタイムを比較したら、どれだけ成長したかわかるのかな? まぁ… やるかはわからないけど。
「ふぅ… 寝るか」
「琴葉さーん! アヤベさん、行っちゃいましたー?」
「トップロードさん。アヤベさんは行ったよ」
「一緒に行きましょうって誘ったのに…」
「トップロードさんは自分のトレーナーと行くから私は1人で行く、ってアヤベさんは言ってたけど…」
「そう、なんですけどぉ… アヤベさんも入れて、3人で行こうって誘ってたんです…」
「…もう追いつけないし、現地で合流したら?」
「そうします…」
…寝よう。昼間から部屋で寝るのも良いけど、つまらないし… でも、遠くまで歩くのも疲れるから、近くで… トレセン学園の屋上にしよう、あそこなら日も当たって気持ちよく眠れそう。
「…誰もいないね、よし」
屋上… 周りを見回すには良い場所だから、時々来るんだ。ここからなら、全部のコースを見れるから。どこで誰がトレーニングをしているのか、肉眼じゃよく見えないこともあるけど… おおまかに把握したいだけの時が殆どだから。タイムを測るのも… 双眼鏡があればいけるかな。
でも今日はデータ収集じゃなくて、昼寝に来ただけだから… おやすみ。
…目が覚めてまず見えたのは、綺麗な星空。あぁ、私… 寝過ぎたな。アヤベさんを送り出したのは午前中のことだったし… 8時間くらい寝てたのかな。 …普通に寝てもそんなに寝れないよ、私。自分でも気づかなかったけど… 疲れ、溜まってたのかな。
…綺麗だな、星。あの星、なんていうんだろう。名前も知らない星だけど… きっとあの星が好きな人もいるんだろうね。きっと、あの星も… 誰かの思いを背負って、輝いてるんだよ。 …綺麗な星。
私は天文学者でも、アヤベさんほど星に詳しいわけでもない。だけど、綺麗だって、見たいって思っちゃうんだよね、星空って。なんで… あんなに、綺麗に輝いてるんだろう。 …そろそろ動こう。ずっと星を見ているのもいいけど… 土曜日を、何もせずに終わってしまうのは勿体ない。
「…さよなら、綺麗な星。またいつか、私を照らしてよ」
…仕事、しよう。
『…よかったわね、私から電話があって』
「本当に助かったよ、お昼の会食に遅れるところだった」
『…今後も、電話したほうがいいかしら?』
「大丈夫、ちゃんと起きるよ」
『…そうしなさい』
日曜の10時頃。昨日昼寝をしたせいで、夜に眠れなくて、寝るのが遅くなった結果起きるのも遅くなって… アヤベさんのモーニングコールがなかったら起きれなかったかも。実際はモーニングコールでも何でもなく、来週の予定について相談しようって電話なんだけど… 助かった、本当に。
「明日からのクラフトさんのトレーニング、軽いトレーニングの予定だったけど、完全な休養に変えようと思ってるんだけど、どうかな?」
『異論はないわ。疲労は… 見てわかるほどだもの。私が話したかったのは… 私達が、何をするか。もうメイクデビューは近い、これから忙しくなるわ。自由に動けるのは… 来週からの2週間が最後だと思う。 …何をするつもり?』
…寝起きだからって、ぼーっとしながら話せることじゃないね。アヤベさん、私が何かしようとしてるのはわかってるような口振りだし… 予定は全部話しておこう。私も… 5月前半、この2週間が勝負だと思ってるから。
「レースは、相手がいる。クラフトさんが万全でも、相手が更にその上なら敗れてしまう。 …特に気になるウマ娘の情報を、相手を刺激しないように気をつけながら集める。誰が勝つかなんて走るまでわからないし、クラフトさんなら勝てると信じてるけど… 対策は、練っておいて損はない」
『あなたなら… そう言うと思ったわ。後で名簿を送って、私も調べるから』
「うん、送る。特に注意な3人と、気になる13人分」
『多いわね… でも、全員チェックしておくわ。ありがとう、電話切るわね』
「お疲れ、トップロードさんの応援頑張って」
私が今までに集めたデータの中で、特筆すべき点がある1人のウマ娘。それと… 私が前世、転生してくる前の世界でも名前を聞いたことのあった2人。
1人目は、トップロードさんのチームの例のウマ娘。登録名は〝ブルーセイル〟、意味は〝青い帆〟。青毛のような黒髪で、閃光のような末脚と、トップロードさんを彷彿とさせる先行して押し切る力強さを兼ね備えるウマ娘。脚質は中団から後ろかな。 …トップロードさんのように先行する姿は想像できないけど、可能性はある。ただ、トレーニングを見ているとダートの中距離を想定しているように見えたから、対戦する機会は少なそう。
2人目と3人目は、同じチームに所属するウマ娘。〝キングヘイロー〟と〝シーザリオ〟。緑の勝負服が特徴的なキングヘイローは、名家の生まれでクラシックを目指しているらしいから、中長距離路線に進んでくれたら対戦しないけど… 私の記憶の中では、短距離戦線で輝いた末脚自慢。この世界でどうなるのかわからないけど、対戦する可能性はある。
シーザリオは、トリプルティアラを目指しているウマ娘で… 話によると、クラフトさんのルームメイトらしい。特徴は青い髪と、狭い進路から一気に追い込む末脚。トリプルティアラを目指すということは… クラフトさんと、目標は同じ。トリプルティアラの舞台で、最大の壁になるのは間違いないと思う。 …対戦は、一度や二度では済まないかもしれない相手。
…ここまでの話は、全部クラフトさんがG1戦線に辿り着ける前提で話してるよ。だって… 走ってもないのに、敗北を想定して準備するのはおかしいでしょ? それに、私は… クラフトさんなら、そこに辿り着けると信じてる。だめだった時は… その時に考えればいい。データはあるんだから、それからでも対処できるはず。
最後に、気になってる13人について説明するけど、この人数は今後も増えると思う。数は大切じゃないよ、何人でも気になるから。このウマ娘達は… 私が聞き取り調査をしてわかった、三女神像から力を授けられた疑惑のあるウマ娘。
最近、データ集めを控えていた時期に… 三女神像のある広場に張り込んで、よくいるウマ娘達に聞いて回ったんだ。この広場で、呆然と立ち尽くしているウマ娘を見なかったか、って具合に。それで名前が挙がったのが、今は13人。確定ではないけど… クラフトさんのように、三女神像から力を授かった可能性がある。調べておかないと… 実戦で、想定外な走りをされるかもしれない。
…っと、そろそろ行かないと。これから乙名史記者と会食、行ってくるね。
「…本当に入っていいのよね?」
「たづなさんに許可は貰ってるから、安心して」
「…信じるわよ」
5月1週の月曜日の放課後、私とアヤベさんがいるのはトレーナー寮。原則的にはウマ娘の立ち入りは禁止されてるけど、たづなさんから2週間だけアヤベさんが入る許可を貰った。5階以外には行かないっていう制限はあるけど、問題はないはず。
「この階は私しかいないから。ベランダに設営した… これで、調べるよ」
「…好き放題してるのね」
寮の詳しい説明をするね。階段は建物内と建物外の2カ所にあるんだけど、許可を貰ったのは外の階段だけ。そこから廊下に入って、個室が10部屋。他には共用キッチンと椅子と机の置かれた広間。そして、共用のベランダ。各部屋にも小さなベランダはあるけど、物を置くには狭いから共用の植物なんかが置いてあったベランダを改造したよ。
植物は501号室のベランダに押し込んで、広間の要らない椅子は502号室に押し込んだ。それで、広間を自前で用意したパソコンと、勝手に置いた棚とファイル、後は紙と筆記用具を置いて集めたデータを管理するための部屋にしたんだ。壁に気になるウマ娘のデータを貼ったり、机に大量のメモを散らかしてるけど… 怒られたら片付けるけど、誰もいないし大丈夫でしょ。
ベランダには学園から借りた双眼鏡とストップウォッチを常備してる。この2つがあれば、寮からでもウマ娘の様子が見れる、はず。学園が広いから不安はあるけど、5階分の高さはあるし木に視界を遮られることもないから… ここからでもデータは集められるはず。
後、ベランダと広間の間には当然だけど壁と扉があって会話が難しいから、トランシーバーも買った。扉を外すとかスマホで通話するとかも考えたんだけど… かっこよさに惹かれたよね。安くはないけど、ロマンには代えられないよ。
色々買ったし色々やったから、お金は尽きそうなくらいだけど… 元々私、節約は得意だから。この世界の基準で高いのか低いのかわからないけど、トレセン学園のトレーナーの給料って担当がレースに出てなくてもある程度は保証されてるし、心配は要らないよ。それに私、元は生活費を削って競馬とゲームをしてた人間だよ? 今まではそこにお金がかかってたのに、今は仕事してるだけで趣味が満たされているような感覚だからね。そりゃあ… これだけお金を使っても大丈夫だよ。
「1人がベランダでウマ娘を観察してタイムを測る。もう1人が広間でデータを処理する。どっちがいい?」
「ベランダ。データの処理は… 私にはできないから」
「わかった、タイムはそこのトランシーバーで伝えて」
「任せて」
レースを走るのはクラフトさんだけど… 勝てる確率を高めるのは、私の仕事。1つでも多くデータを集めて、実際のレースでの相手の動きを予測する。さぁ… 骨が折れてもやり通そう。
「明日からは坂路と水中トレッドミル… 自分で出した案だけど、懐かしい組み合わせだ」
「…そうね。あの頃と… どれだけ、成長したかしら」
5月2週、日曜日。この2週間、クラフトさんにもトップロードさんにも会わなかった。 …昼間はずっとトレーナー寮にいたから、当然なんだけどさ。夜に出会ったらそれはそれで問題だし、私がトレセン学園の中にいたのって学食を食べに行った時だけだから… それも、他のチームがトレーニングを始める前と後だから、普通より早い時間と遅い時間。まぁ… 会わないよね。元気してるだろうし、心配はないけどさ。
集まったデータに関しては… 実際に対戦する時に話そうかな。トレーニングのタイムを並べて見るだけでも面白いけど、この数字通りにはレースではいかない。レースは1人じゃないからね。理想のラップ通りに走れることはまずないし、展開に左右される。 …私達が集めたデータは、ウマ娘達の力を測るものというより、展開を予想するための物だからね。対戦相手が決まらないと… 予想はできない。ある程度、傾向はまとめるけど… これ以上考えるのは、実際に走る時だね。暇な時にデータの更新もしないとだし、まだまだやることは多いな…
「…もう時間も遅いから、帰るわね」
「うん、お疲れ様。ありがとう、手伝ってくれて」
「担当するチームのウマ娘のために、できることをする… ただ、当然のことをしただけよ」
「それでも、ありがとう」
「…どういたしまして」
アヤベさんは帰った、もう夜だし寝てもいいんだけど… 少しだけ、散歩に行こうかな。ずっと張り詰めてたし、息抜きも兼ねて。夜風に吹かれながら、のんびり歩こうっと。
「…です! お願いします!」
「こっちからお願いしたいくらいだよ。6月1週ね、わかった」
えっと、今は5月の3週、月曜日の朝。昨日は散歩した後にお風呂入って、日付が変わって結構経ってから寝たんだ。それで朝7時頃にトップロードさんからの電話で起こされて、急いでトレーナー寮を出てトレーナー室まで来て… で、少し話してた。
内容は、6月1週の土曜日に、クラフトさんとアヤベさんの2人と併走させてほしいって話。アヤベさんとトップロードさんが2人で併走はよくしてるらしいけど、クラフトさんがトップロードさんと走るのは初めてかな? 特に問題はないから迷わず返事したよ、オーケーって。
1個心配なことがあるとしたら… クラフトさんがついていけるかどうかが心配。本気のアヤベさんと併走した時も、入りから離されて、アヤベさんに速度を落としてもらう形になったんだよ。あの時はクラフトさんのトレーニングだからアヤベさんが速度を落としてくれたけど、今回は違う。トップロードさんの調整としての併走だから… トップロードさんは自分の速度で走るはず。そうなると… 置いていかれる。
無理に追いかけたら危険だけど、離されすぎたら意味がないし… トップロードさんもそのことはわかってるはずだから、何か考えがあってクラフトさんを呼んだんだと思うけど… 不安はあるよ、はっきり言って。だって、2人の力の差は誰が見てもわかるほど大きい。デビュー前のウマ娘と、春の天皇賞を制し頂点に立ったばかりのウマ娘では… どうするつもりなんだろう、トップロードさん。
でも、一緒に走って学べることも多いはず。クラフトさんにとってもトップロードさんにとっても良い形で… 終わるといいな。
「…本当に受けたのね」
「うん、受けたけど… まずかった?」
「いいえ? 問題も異論もないわ。少し… 不安はあるけど」
「わたし、ついていけるかな…」
「…なんとかなると思う」
トレーニングの最中に、アヤベさんから朝のことを聞かれたんだ。トップロードさんからアヤベさんにも話があったらしくて… アヤベさんが、私に聞くように言ったんだって。一応、責任者は私だから当然ではあるんだけど… 私がアヤべさんの立場だったら迷いなく、いいよ! って言ってる気がする。
まぁ、それはいいとして… トレーニングの話をしよう。坂路のタイムは、16.5-14.9-14.1-13.2-12.7、だったかな。初めて坂路を走ったときと比べると… 合計で1秒くらいしか縮まってないんじゃない? 早いタイムを出すことを目指してるわけじゃないから、そこは気にしてないけどね。それに、全力で走ってるわけでもないから。もしも、常にフルパワーで走ってたら… 脚、壊れるよ。ウマ娘は体が強いらしいけど… 出力が高いんだから、脚が壊れないわけがないでしょ? それに、1日で数本は走ってるからね… タイムを制御してくれてるアヤベさんには、感謝しきれないよ。
で、水中トレッドミルさんについても話しておこう。坂路でも負荷はかけてるけど、メインはこっちかな。こっちの速度は上がってるはず、水位もちょっと上がってる… はず。アヤベさんに任せてるからわかんないけど、そんなふうなことを言ってたから。
「…今は集中してトレーニングをしましょう。予定を変える必要はないわ」
「そうだね。併走するからって、やることを変える必要はない」
「ですね… 頑張ります!」
一歩ずつでも、トレーニングを進めていこう。
「今日はよろしくお願いしまーす♪」
「予定ではどこに行くの?」
「レザークラフトの体験ができるお店に行きます!」
「カワイイ、キーホルダーを作りましょうね♪」
5月3週の土曜日、今日はカレンさんに誘われてクラフトさんと3人でお出かけ。レザークラフト、やったことはないよ。動画で見たことはあるけど、やる機会がなかったからね。楽しみ。
「確か、こっちの…」
「トレーナーさんは朝ご飯、食べてきましたか?」
「食べてきたよ、クラフトさんは?」
「わたしも、食べてきました。沢山遊びたかったので…」
「カレンもしっかり食べてきましたよ♪ でも、折角なので… カフェでパフェでも食べませんか?」
「食べたいです!」「おぉ、食べよう!」
…カフェでパフェ、か。
「ん〜! 美味しいです!」
「あま〜い!」
「果物の少し酸味のある甘さによって引き立てられたクリームの純粋な甘さ、これは美味しいね。 …少し、私には甘すぎるくらいだけど」
「一口、貰ってもいいですか?」
「いいよー、口開けて?」
「は〜い♪ あー」
「あ〜ん、美味しい?」
「美味しいです! お返しどうぞ〜♪」
「ん、美味しい」
パフェ、私が頼んだのはチョコミントパフェだよ。別に何でも良かったんだけど、誰も頼まなさそうだったから頼んだ感じかな。見た目は派手だし、カレンさんのウマスタでもウケるかなって。それに私、チョコミント好きだし。
「写真撮りまーす、顔は写さないのでパフェの後ろにピースだけお願いしまーす」
「いえーい、ピース」「ぴ、ぴーす!」
「…よしっ、撮れました! ありがとうございます♪」
「溶けないうちに、食べ切っちゃお」
「ですね!」
「美味しかったですね!」
「だね、美味しかった」
「次は、お目当てのレザークラフトに行きましょうか。この道の先でーす」
「おー」「楽しみです!」
私、勝手にクラフトさんが予定立てて引っ張ってくれるものだと思ってたんだよね。まさか、カレンさんが先導してくれるとは思わなかった。 …失礼だけど、そういうの苦手だと思ってた。なんか… アヤベさんの逆で、ダメそうじゃん? 心の中で、謝っておこう。ごめん、カレンさん。
「ここで〜す♪ 予約も、済ませてありま〜す♪」
「おしゃれなお店だね、ここでレザークラフトができるんだ」
「可愛いキーホルダーを作るぞー!」
…ラインクラフトがレザーでクラフト。あ、でも綴りは全く違うんだっけ。 …まぁいっか。
「何を作るか、決まってるんですか?」
「ん〜、全く」「決まってません!」
「それなら、作ったキーホルダーをどうするのかを考えるといいですよ♪ 人にあげるなら、その人のことを考えて… 自分で使うなら、付けるカバンのことを考えてみたり…」
そもそも、レザークラフトってどれくらい自由に作れるんだろう。何でもできるなら、星形にでもしようかな? それで… トレーナー室の、リラのネームプレートに付けよう。折角なら、目立つところに飾りたいし。あ、でもそれなら星形よりも竪琴の方がいいのかな… 竪琴って… どんな見た目だ?
「先生の人に聞きながら、頑張りましょうね♪」
「うん、頑張ろう」
「おー!」
「…できた」
「お疲れ様です、綺麗な楽器ですね♪」
「手伝ってくれてありがとう、クラフトさんは手先が器用だね」
「えへへ、得意ですから!」
数時間、集中し続けたから疲れた… でも完成したよ、竪琴を
「ん、んんー、ん…」
「…手伝いにいこうか」
「ですね。カレンさん、大丈夫ですか?」
「カレン、諦めないから…」
「手伝おうか?」
「大丈夫です… カレンは1人で、作りきります…」
「…クラフトさん、待ってようか」
「ですね」
カレンさんの気持ちはわかるから、私達はのんびり待ってよう。人に手伝ってもらうと助かるし、嬉しいけど… 自分1人で作りたい思いは誰しもあると思う。やっぱり… 自分の力だけで作った物って他とは違うよね。私はそこまで拘りないから、苦手なことはすぐに助けを求めるけど。カレンさんがやりたいように、させてあげよう。
「へぇ、クラフトちゃんって寮だとそんな感じなんだ」
「そうなんです… しっかりしないとって思うんですけど、シーザリオに甘えちゃって…」
「でも、その気持ちわかるよ。私は逆に、姉が抜けてるところが多かったから… でも、そんな姉も今じゃ立派に大人してるし、クラフトちゃんも大丈夫だよ」
「ですかね…」
「それに、クラフトちゃんにだって良い所は沢山あるでしょ? 明るくて元気で朗らかで、クラフトちゃんがいなかったら私もアヤベさんも、もっと陰気だったかもよ?」
「…ありがとうございます。少し、ですけど、自信が出てきました」
「それは良かった、でもこれだけは覚えておいて? 私は人の顔色を見て嘘をつくのが嫌いだから、今のは全部本当に思ってることだよ。本当に、助かってるから」
「! ちょっと… 恥ずかしくなってきました」
「そう? もっと自信持っていいのに」
あ、今は近くの喫茶店で人生相談してるの。人生相談って言っても、話の成り行きで、だけどね。最近あったことから、寮での話になって、ルームメイトとの話から、人生相談。クラフトちゃんのルームメイトって、例のシーザリオさんね。 前の休みに、アヤベさんと一緒に詳しく調べたウマ娘の1人。同期のライバルが同室でも、喧嘩しないで仲良くできるのって、本当に才能だと思う。私だったら、バチバチして険悪になっちゃうかも。
クラフトちゃん、最近は寮で失敗が多かったらしいんだ。虫騒ぎとか、色々。それでシーザリオさんに何度も助けてもらって、もっと自分でできるようになりたいらしい。もちろんその思いは応援するけど、クラフトちゃんにはクラフトちゃんの良さがあるんだから、それだけは自信を持って欲しいよね。他の人には真似できない良さ、持ってるんだからさ。
「店員さーん、コーヒー1つお願いしまーす」
「カフェラテもお願いします!」
さ、コーヒーも追加して… 今度は何の話をしようかな。人生相談はちょっと大変だから終わりにして、別の話がしたいな。う〜ん、良さそうな話題…
「そういえば、明日ってオークスだったよね? 誰か、注目してる子とかいる?」
「全員です!」
「だよね〜、良いレースになるといいね」
「はい! 楽しみです!」
「因みに、来週のダービーは? どう?」
「ある程度はわかってますよ。オークスほど詳しくはないですけど…」
「私もティアラ路線の方が好きだし、詳しいと自負してるけど、ダービーって思わず見ちゃうんだよね」
「凄いですよね… でもオークスにだって、そんな力があると思うんです! まだ、気付かれてないだけで…」
「クラフトちゃんの走りで、ティアラ路線を盛り上げようね」
「はい!」
オークス、樫の女王を決める戦い。ティアラ戦線において、もっとも価値が高いという人も多い大レース。 …クラフトちゃんも、走りたいであろうレース。もちろん、実績を積み重ねなければ辿り着けないのは前提だけど… 走れる立場に有ったとしても、走らない選択肢も有る。クラシック級のウマ娘にとっての2400mは、あまりにも長い。適性がなければ… 負け戦に挑む可能性だってある。今は、先のことを考える余裕もないけど… 2400mという距離は、今のクラフトちゃんには走れない。この後の成長次第になるけど、できるなら… 走らせてあげたい思いはある。だって、クラフトちゃんのトリプルティアラへの思いはわかってるから。勝ち負けに拘らず… 走るだけでも、させてあげたい。
「トレーナーさんは、好きなレースってなんでしょうか?」
「桜花賞。親とテレビで見た、初めてのレースでさ。それから、ずっと好き」
「いいですよね、桜花賞。わたしも大好きです」
「クラフトちゃんが1番好きなレースは何?」
「1番、難しいですね… トリプルティアラのレース、全部大好きなので!」
「盛り上がってますね〜? 混ぜてくださ〜い♪」
「あ、カレンさん」「お疲れ様です」
「ちょっと時間かかったけど、ちゃんと完成させてきたよ。カレンのキーホルダー、見てくーださいっ♪」
……考えよう。形は綺麗なんだけど、何かわからない。四足歩行で頭の先に何かが伸びてて、背の低い生き物って誰だ…? ゾウと言われたらゾウだし、サイと言われたらサイだし、首を下ろしたキリンにも見えてきた。下手ってことはないし、綺麗なんだけど… カレンさんみたいな可愛い飾りが付けられてて、どこが輪郭でどこが飾りなのかもわかんなくなってきた。色も見た目もデフォルメされてて、難しいな…
「…上手いね、頑張ったのがよく伝わるよ」
「ゾウですよね、可愛いです」
「そう! カレンみたいに可愛いゾウで〜っす♪」
…ゾウだったのか。ゾウってわかると、確かにゾウ以外の生き物には見えなくなってきた。鼻の太さとか、体格とか、平らな感じとか、ゾウだよ。うん、間違いない。
「あ、店員さーん! カフェラテお願いします♪」
「せっかくだし、みんなで作ったキーホルダーを見せ合う?」
「それなら… 写真を撮ってウマスタにあげてもいいですか?」
「私はいいよ、クラフトちゃんは?」
「わたしも大丈夫です、まず見せますね… じゃーん、雷です!」
おぉ、クラフトちゃんの白いアホ毛だ。私がクラフトちゃんと出会ったきっかけでもある、稲妻みたいにジグザグした凄い特徴的なアホ毛とおんなじ形。勝手に稲妻みたいって思ってたけど、クラフトちゃんも雷って思ってたんだ。 …アホ毛関係ない、なんてことはないよね? 下が尖ってて上の方は横に広がって線も入ってるし、あのアホ毛だよね…?
「自分の跳ね毛をモチーフにしました!」
「いいよね、この形。クラフトちゃんって感じがする」
「…待って? いつの間に、ちゃん呼びになったの?」
「さっき。カレンさんを待ってる時からかな」
「さん呼びだと、距離を感じて…」
「そーれーなーらー、カレンも、カレンさんじゃなくてカレンちゃんにしてくださーい!」
「わかった、カレンチャンさん」「えっと、カレンチャン、さん」
「さんはいりませんっ!」
「冗談だよ、カレンちゃん」「カレンちゃん、ですね」
カレンちゃん、なのかカレンチャン、なのか。イントネーションって違うのかな、多分同じだよね。カレンチャンちゃんにしたら確実だけど、流石に変だし… 呼び捨てにするのはよくないし、カレンちゃんのつもりで呼ぶけど、呼び捨てにも聞こえるよね。難しい… アヤベさん、みたいに愛称があったらいいんだけど、どれだけ考えてもカレンちゃん以外の呼び方に辿り着けないや。
「ふふ、ありがとうございま〜す♪ 琴葉さんは何を作ったんですか?」
「私は竪琴にしてみたんだ。こと座の、リラをイメージして作ったの」
「綺麗な青で、良い感じですね♪ それはどうするんですか?」
「トレーナー室に飾ろうと思ってる、アヤベさんにやめてって言われなければ」
「だめって言われたら、わたしも一緒に交渉します!」
「それならカレンも、一緒に行きまーす♪」
「1人で大丈夫だよ、アヤベさんならきっとオーケーって言ってくれるから」
レザークラフト、楽しかったなぁ。あぁいう細かい作業は昔から好きだけど、物を作る機会なんて最近は滅多にないからさ。トレーナー寮の改造はしたけど、あれは細かい作業じゃなくて大雑把な作業だし… 手先を使って、少しのズレで致命傷になりうる作業、ヒリヒリして大好き。致命傷とはいうけど、痛いのは勘弁ね。壊れるのは物の方で。
「もう少し休んだら、次はどこ行く?」
「えーっと、もう時間も時間なので… トレセン学園に向かいながら、食べ歩きをしたいなーって思ってます」
「食べ歩き! 食べ過ぎないように気をつけないと、ですね」
「好きなだけ食べていいよ? アヤベさんにトレーニングの相談をするから」
「うっ… 食べ過ぎないようにします」
食べ歩きなら、トレセン学園近くの商店街かな? 色んなお店があるのは知ってるけど、行く機会はなかったから楽しみだね。何か変なものを作るために買い出しに行くのはショッピングモールだし、ご飯は学食しか食べてないから。学食、本当に美味しいんだよ。自炊もやろうと思えばできるけど、学食を食べていいなら学食だけでいいかな。メニューも多いし。
「今日はありがとう、また今度」
「こちらこそ楽しかったです、また明後日に」
「カレンも楽しかった! 今日は、ありがとうございました〜♪」
レザークラフトと飲食しかしてないけど、楽しかった。絆が深まったって感じかな。クラフトちゃんとも、カレンちゃんとも、沢山話したからね。2人ともいい子だし、また今度も遊びに行きたいね。もちろん、アヤベさんやトップロードさんとも行きたいけどさ。
「お疲れ様、しっかり休んで」
「はいっ、着替えてきまーす」
「…順調に、終わったね」
「そうね… 基礎トレーニングは一区切りついたかしら?」
「来週以降は調整とトレーニングの塩梅を考えながら、頑張らないと」
「…腕の見せ所よ、頑張って」
「任せて、私の仕事なのはわかってるから」
「…そうね、私には向いていない」
5月最終金曜日、水中トレッドミルが終わったところ。アヤベさんとも話したけど、来週からは少しトレーニングの目的が変わる。今までの、レースに向けて体を作り、タイムを速めるために鍛える段階から、レースに向けて体を整え、ベストタイムを出せる状態を作る段階に。どれだけ最高出力が高くても、実戦で出せなければ意味はないからね。素質はあるのに勝てない、では意味がない。
そして、走れる状態までコンディションを整えるのはトレーナーの仕事。走るだけならウマ娘だけでもできるし、トレーニングだって自主的に行える。トレーナーとして、1番大切なのはここから。ウマ娘は誰だってある程度の力はあるんだから、調子次第で勝敗は簡単に変わる。だからこそ、頑張らないと。
「体の疲労は溜まらないように、トレーニングの負荷は軽く…」
「ただ、急に体を動かしても速くは走れない。ある程度は負荷をかけておかないと、体が鈍ってしまうわ」
「精神面も、私達が支えないとだよね。やることは多いけど、頑張ろう、アヤベさん」
「えぇ、もちろん」
完璧な状態にできる、とは思ってない。目指しはするけど、新人の私達にそれができるほどトレーナー業が簡単なら、人手不足になんかならないでしょ? でも、だからといって諦めることもない。G1ならまだしも、メイクデビュー… クラフトさんの走りを、私達はよく知ってるから。完璧でなくとも、ある程度の状態なら… 勝てる。クラフトさんの純粋な力で、私達に足りない部分は補ってくれると信じて… できることをしよう。
「戻りました、これから作戦会議、ですよね!」
「そうね… トレーナー、6月はどうするつもり?」
「前半は軽いトレーニングと、レース感覚を掴むための座学、後はトップロードさんとの併走。後半は走るのはレースに向けての調整だけにして、後はデータをチェックしたり、ウイニングライブの確認したり、勝負服の申請出したり、実際に阪神に行っての視察って感じかな」
「色々と多いけど… 最後のはスクーリングね、連絡はしてあるの?」
「うん。たづなさんに申請して、許可を貰ってるよ。6月4週の火曜日に行って、金曜に試しに走って、その間もその後も現地で調整だから… 視察というより、先入りみたいな感じだけど」
「4週の火曜日、ですね。先生に欠席の連絡をしないと…」
「私もしてくるわ。 …トップロードさんにバレないように」
「そうしてくれると助かるけど… 無理じゃない?」
「…そうね」
予定は、私の立てた予定で問題なさそうかな? トップロードさんにバレないようにっていうのは、あれだよ。トップロードさんが火曜日からついてくるから、みたいな。迷惑だからついてきてほしくない、みたいな話じゃないよ? 逆に、トップロードさんとトレーナーさんに迷惑なんじゃないかなって。
トップロードさん、本当に優しいし… クラフトちゃん、というかアヤベさんのことを気にかけてくれてるから、スクーリングのことを知ったら絶対『手伝います!』って来ると思うんだよ。でも、トップロードさんだって宝塚記念の後なわけだし、トレーナーさんも予定を立ててるだろうから、迷惑になるのは間違いないし… それに、普段から助けられてるのにスクーリングまで手伝ってもらうのは、申し訳ない気持ちが強くて。
トップロードさん、完全に良心だけで私達の手伝いをしてくれるから、断るのも申し訳なくて… できるなら、気づかれないで終わらせたい。でも、嗅覚が鋭いというか、人をよく見ているから、隠し通すのも難しいんだよね… 一応、向こうのトレーナーさんには私から話を通しておこう。事前に伝えておいた方が、判断はしやすいだろうからね。
そうだ、ウイニングライブと勝負服について説明しておくね。ウイニングライブは、レース後にファンへの感謝を込めて、歌と踊りがある本格的なライブをするんだよ。数ヶ月前からアヤベさん主導で練習してたらしいから、大丈夫だとは思う。勝負服は、デビュー前に文章でも図面でもいいから、提出しておく必要があるんだ。レースは基本体操服だけど、G1を走るってなると作ってもらえるらしいよ。詳しくはないけど、勝負服は大切なものだからね… しっかり考えて、提出しよう。
「こっから大変だけど… 覚悟はいい?」
「もちろんです!」「言うまでもないでしょう?」
「そうだね… そう言ってくれると思ってたよ」
さぁ、一気にいこうか!
「よろしく、トップロードさん」「よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします。手伝っていただいて…」
6月1週土曜日、例の併走の日。少し話して、ウォーミングアップをしてからゲートを使って走るんだってさ。普段の併走トレーニング以上に実戦形式だね。基本はトップロードさんのトレーナーさんが指示を出してくれるらしいから、私はコース外から見学。私以上に暦のあるプロだし、上手くやってくれるでしょ。
クラフトさんとトップロードさんの力量差に関しては、トップロードさんが秘密兵器を用意したって言ってたけど、なんだろうね。最初の挨拶は聞こえたんだけど、会話は小さい声だから聞こえなくて… 動きを見て予想するしかないかな。
「あれは… 勝負服に重しをつけている。なるほど、本番までの調整として…」
「…はじめまして、よくトレーニングを見るんですか?」
「! 失礼しました、独り言を…」
「いえ、大丈夫です。詳しい方なら、あの重しの意味を教えていただきたくて…」
「それなら… あれは、斤量差をつけて力量を合わせる手法です。力量差のあるウマ娘が併走すると速度に差ができてしまうため、重しにより速度を制限します。それにより実践感覚を掴むことが可能になり、更には本番で外すことにより感覚以上に走りが軽やかになり、レースにおいて好感覚で走ることができます」
「なるほど… ありがとうございます」
斤量、この世界に来てから聞いたのは初めてだけど、意味はわかる。騎手とか鞍とかないから、斤量なんて仕組みはないと思ってたけど… 確かに、トレーニングでは使えるのかもしれない。全く同じ実力のウマ娘が2人揃うことなんて滅多にないんだから、強い方の斤量を重くすることで併走を可能にする… 覚えておこう。
「あの… ここにくるということは、ナリタトップロードさんを見に来たのですか?」
「3人共を見に来ました、少し… 気になってしまって」
「そうなのですね… ダービーの歴史に名を刻んだウマ娘と、今歴史を紡ぐウマ娘。そして、これからデビューする未来のホープ… 見逃せないですよね」
…隣の人、最初はただの記者か何かだと思っていたんだけど… ちゃんと見たら、普通にウマ娘だし、学園の制服を着てるから生徒だ。髪色的に芦毛か、誰なのかは知らないけど… ウマ娘について私以上に詳しそうだし、教えてもらおうかな。 …それに、客観的な評価を聞けるかもしれない。
「…未来のホープ、ですか。ラインクラフトに、そこまで注目しているんですか? 私は詳しくないので… 詳しく、教えていただけませんか?」
「私も、そこまで詳しくはないですが… ナリタトップロードさんと併走する、それだけで期待するには十分な事実です。併走の話を聞いてから選抜レースを見返しましたが、着順以上の強さも示していました。とある記者のコラムでも紹介されていましたが、順調に成長しているように感じますし、期待できるウマ娘だと思います」
「なるほど… 勉強になります」
とある記者、というのは乙名史記者だと思う。それと、トップロードさんの名前の強さを感じさせられるな… 当然だよね、現役最強のウマ娘の併走相手、それも他のチームのデビュー前のウマ娘。期待もかかって当然か… でも、この芦毛のウマ娘さんに、クラフトちゃんの素質も、成長も評価してもらえたのはよかった。この子、間違いなく私より幼いのに… 私以上に、ウマ娘を観察して、比較して、言語化できる。凄いなぁ…
「あ、もうすぐ始まるみたいですよ」
「そうですね… 大事な瞬間を、撮り逃さないようにしないと…」
「お互い、上手く撮れるといいですね」
「はい… そう願っています」
私は映像を撮るビデオカメラだけど、この子が持ってるのは写真を取るためのカメラだね。少し… 見た目がゴツいというか、重そうなカメラだけど… よほど好きなんだろうね、プロのカメラマンが使ってそうだもん。さ、クラフトちゃんの走り… ちゃんとカメラに収めないとね。
「今日は色々と教えていただき、ありがとうございました」
「こちらこそ、新たな知見をいただき、ありがとうございました」
「それでは、お先に失礼します」
併走は終わったよ。アヤベさんが前、クラフトちゃんが後ろ、トップロードさんが真ん中って形で走り続けて… 最後は引き離しにかかったアヤベさんを、トップロードさんが捕らえて終わり。クラフトちゃんも3バ身くらいしか離されなかったし、自信にはなったんじゃないかな? 斤量で速度を制限していたとはいえ… 併走して、良い経験になったと思う。
「あの脚なら… しかし逃げが… ただ、ここに道が…」
あの芦毛のウマ娘さんの名前、聞いておけば良かったかな。私も名乗ってないけど… まぁ、またいつか会えるか。お互い、特徴的な髪色だし、レース場に行けばすぐに会える気がする。まぁ… 今日もレースが開催されてる当日なんだけど。レース好きっぽいけど、レース観戦よりもトップロードさんの併走の方を優先して見に来た、のかな? そりゃあそうか、G1は今日はないし…
トレーナー室で、2人の帰りを待ってよう。
「トップロードさん、凄い走りでした! 力強くて、最後は一気に引き離されて、手も足も出ませんでしたけど… 楽しかったです!」
「あの走りを見せられて楽しめるのは… 才能ね」
「あはは… まぁ、楽しめたならよかった。今の走りと同じ感覚なら、実際のレースも勝てる。トップロードさんの、仕掛け方やタイミング、アヤベさんを抜くときの進路、感じたことを… 忘れないようにね」
「はいっ!」
…少しだけ、自信を失っていないか心配はあったんだけど、元気でよかったよ。引き離されるのはわかっていたとはいえ、トップロードさんの走りを間近で見せられて、自分の走りがわからなくなる… そんな可能性だってあったからさ。
「トレーナー、私は来週末、阪神レース場に行ってくるわ。トップロードさんの応援と、クラフトさんのライバルを見てくる」
「わかった。クラフトちゃんはどうする? 自由にしてもらって構わないけど、調整に充てるなら準備するよ」
「最高の状態で走れるように… お願いします」
「オーケー、予定も決まったね? それじゃ、今日は解散! お疲れ、私はまだ仕事するけど、クラフトちゃんは休んでね」
「わかりましたー!」
「…手伝うわ」
トップロードさんの宝塚記念は応援したいけど、そんな余裕もなくなってきたね… メイクデビュー、必ず勝てるように… できることを、やっていこう。
「準備できた? さぁ行くよ」
「行くぞ〜!」「えぇ、行けるわ」「おー!」
さ、新幹線で阪神レース場近くのホテルまで行こう! 今は6月4週の火曜日のお昼、予定では3人でスクーリングに向かう予定だったけど… まぁ、予想通りトップロードさんも加わっての4人で遠征。出走するウマ娘本人とか、チームの関係者は授業を欠席しても許されるんだけど、トップロードさんは無関係だからダメだと思ってたんだけど… 普段の功績を
「そうだ、トップロードさん。これ、クラフトちゃんのレースに関する資料です」
「いいんですか? ありがとうございます、展開予想しますよー!」
「騒がないで… 変装してるのに、騒いだら台無しよ」
「そ、そうでした…」
「わたしも変装する必要、あったんですか?」
「トップロードさんだけだと周りから浮いちゃうから、全員じゃないとね」
もうすぐにレースがあるような空気だけど、まだ
「トレーナー、私も貰えるかしら」
「はい、これ。渡し忘れてた」
「…トップロードさんに渡すのもいいけど、まずは私に渡して」
「わたしも貰えますか?」
「あげるよ、6部は作ってきたから渡せる」
「4部あれば十分でしょうに…」
「いやいや、残りの使い道もあるんだよ」
まぁ、それは一旦置いておくとして… ずっとここで話していても進まないし、新幹線に乗っちゃおうか。移動しながら、考えていこう。
「行くよ、ついてきて」
「じゃ、私達はこっちだから」
「2人部屋、ですね!」
「…この分け方でいいの?」
夜、ホテル。部屋は私とトップロードさん、アヤベさんとクラフトちゃんの組み合わせになったよ。話し合いの結果だね、4部屋取るのも考えたんだけど、このホテルは他のチームも使うらしいから。週末は出走するウマ娘とトレーナーで全部屋埋まるらしいから、4部屋も使うのは悪いと思ってね。部屋割りに関しては… 気づいたらこうなってた。なんでだろうね?
「トップロードさん、明日はどうする? 私達は阪神レース場のスタンドに入るけど」
「私も行きます、カメラも… ないと思いますので」
「わかった、みんなで行こう」
明日はスタンドで会議。スタートがあそこだから、あのあたりで仕掛けて… みたいな、指差しながら会議できていいでしょ? 大規模なチームだとこんなこと出来ないだろうけど、私達はクラフトちゃんだけだからね。現地で考えられるのは助かる。
「温泉入ってきますね」
「ん、わかった。荷物は整理しとくよ」
「お願いします!」
ふぅ… レースは、今週末か… やれることは、全部やっていこう。それぞれが、できることを…
〜6月後半