引きこもり、魔法学校にぶち込まれる   作:年中有休

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無罪

今回のあらすじ
おまけ×3


早々のフリーダム

王都調査局・第三分室──

 

色褪せたカーペットに、枯れかけの観葉植物。誰も寄りつかないこの分室には、今日も地味な雑務が静かに積み上がっていた。

 

「……あの、グレアムさん。今日の午後って、予定入ってましたっけ?」

若手捜査官ロイスが机越しに身を乗り出し、書類の山の隙間から顔を覗かせる。

 

「資料室の整理だ」

年配の捜査官グレアムは当然のように答え、手元の紙に淡々と印をつけていく。

 

「また雑用っすか……!」

ロイスは椅子にもたれかかり、大きなため息をついた。

「“調査局”って名前が泣いてますよ。うちだけ“倉庫整備課”に改名したほうがいいんじゃないですかね……?」

 

「本部の“調査”ってのは、大抵が派閥争いの泥仕合だ。そいつに比べりゃ、書庫のホコリ掃除のほうがよっぽど健全だろ」

 

「その健全さ、ちっとも嬉しくないんですけど……」

ロイスが天を仰いだ、その時だった。

 

「報告ですっ!」

バァン! と勢いよくドアが開き、金髪ポニーテールの少女──報告官フィーネが駆け込んできた。

 

「うるせえ! ノックしろ!」とロイスが即ツッコミを入れるが、彼女はまるで気にしていない。

 

「本部から仕事の依頼がきました!」

 

「……また雑用か」とロイスがこめかみを押さえる。「で、今度は何だ? 迷子の子猫の捜索か?」

 

「取り調べです。でも、向こうじゃ手に負えないってことで、うちに回ってきました!」

 

「それくらい自分とこでやれっての……」ロイスが露骨に顔をしかめる。「なんでわざわざウチに?」

 

「さあ……詳しいことは聞かされてません。副長さんが“とにかく頼む”って、それだけで……」

フィーネは困ったように笑った。

 

「またそういう手合かよ……」

ロイスが眉をひそめてぼやいた。

 

「しゃーねぇ、行くぞ」

グレアムの声は相変わらず淡々としている。

 

ロイスも渋々立ち上がりながら、ぶつぶつとこぼす。

「……どうしてこういう仕事ばっかり、うちに回ってくるんですかね……」

 

「倉庫整理よりはマシだろ」

グレアムが皮肉げに言い放ち、ロングコートを翻して歩き出した。

 

──

 

調査局の廊下を抜け、石造りの階段をコツコツと降りていく。

地下の取調室エリアには、空気の温度が一段階下がったかのような、ひやりとした静寂が漂っていた。

 

指定された部屋の前に立ち、グレアムが無言で扉を開く。

その瞬間──ふたりの足が止まった。

 

「……おい」

「……うわぁ」

 

取調室の椅子に、黒衣の男が座っていた。

 

背筋は直立、両手は膝の上にきっちりと揃えられ、まるで礼儀作法の見本のよう。

だが、整いすぎたその姿には、不気味な違和感があった。

 

まっすぐこちらを見つめる瞳は、深い霧に包まれたように濁っていた。

そこにあるのは、人の感情でも意志でもなく──ただの“応答装置”のような、空虚さだった。

 

「私は、ルーカスです。必要なことは、なんでもお答えします」

 

口だけが動き、音だけが出る。

まるで録音された声を流しているかのような、異様な無機質さだった。

 

グレアムとロイスは顔をしかめつつ、警戒しながら室内へ足を踏み入れた。

ルーカスはまるで置物のように、ぴくりとも動かない。

 

気づけば、当然のようにフィーネが後ろからついてきていた。

 

「私、調書つけますねっ!」

場にそぐわないほど明るい声を響かせて、彼女は部屋の隅にちょこんと腰を下ろした。

 

ロイスが小声でツッコむ。

「お前まで来るのかよ……」

 

「えっ、ダメでした? でも誰も止めなかったので」

 

ロイスがちらりとグレアムを見ると、彼は無言で手を振った。「勝手にしろ」の意らしい。

 

重たい椅子がきしむ音が、狭い部屋に鈍く響く。

グレアムが腰を下ろし、しばし無言のまま机に視線を落とす。

 

「……名前と職業を」

 

ルーカスは即座に反応した。

 

「ルーカス。現在は王宮情報局に勤務。こちらは表向きの話で、実際は国王直下の特別諜報部に転属され、諜報活動・監視任務に従事しています」

 

流れるような応答──だが、そこに抑揚は一切なかった。まるで訓練された人形だ。

 

「……おい、それって言っていい情報なのか?」

ロイスが目を丸くする。

 

「いえ。裏の身分を明かすのは、上官ルディ・ファーンより固く禁じられています」

 

「じゃあなんで自首して、それをわざわざ話しに来たんだよ……」

 

「そのように命令されましたので」

 

ロイスは口をひらくでもなく、ただ肩を落としてルーカスを見た。

グレアムは眉間を押さえながら、深い息を吐く。

「……こりゃ、うちに回ってくるはずだよ」

 

その横で、フィーネは好奇心全開でペンを走らせ続けていた。

 

数秒の沈黙が、取調室の空気をじわじわと圧迫する。

ルーカスは依然として微動だにせず、まっすぐ正面だけを見据えている。

瞳の奥に光はなく、表情筋もまるで死んでいるかのようだった。

 

ロイスがそっとグレアムに身を寄せ、声を潜める。

「……やっぱり受けてますね、精神干渉。それもかなり深いやつ。治療の手配、入れますか?」

 

グレアムは書類から目を上げず、ぽつりと答える。

「却下だ。”命令”を解除されたら困るからな」

 

「……いや、でもこの状態で質問するって……人としては、どうなんですかね」

 

「人としては、気の毒だな」

初めてルーカスを見つめ、グレアムが小さく呟いた。

 

だが次の瞬間には、いつもの無機質な声色に戻っていた。

「だが“証言機”としては、今が一番性能がいい」

 

ロイスが渋い顔をして、眉根を寄せる。

「……やっぱり、グレアムさんって人間味ないですよね」

 

「長くこの仕事やってりゃ、誰でもそうなる」

 

そのやり取りを聞いていたフィーネが、うっとりとした顔で頷いた。

「かっ、かっこいい! 私も人間味を捨てたいです!」

 

「お前には絶対無理」

ロイスの即答に、フィーネは不満げに口を尖らせる。

 

場の空気がわずかに緩んだのを見計らい、グレアムが書類を閉じ、顔を上げた。

「──で、何を自首しに来た」

 

静かな声だったが、室内にひどく響いた。

まるで水面に落ちた一滴が、音もなく波紋を広げるようだった。

 

ルーカスは即座に応じる。

 

「私に与えられた命令は、“知っていることをすべて話せ”というものです」

 

「全部……?」

 

「はい。例外なく、すべてです」

 

「……そりゃまた、ざっくりしてんな」

ロイスがぼやく。だが、すぐに気を取り直したように姿勢を正す。

 

「まあいい。話してもらおうか」

グレアムがそう言ったのと、ルーカスの口が動き出したのは、ほとんど同時だった。

「私は王都第八区の病院で出生しました。産声の記録は午後三時十七分。体重は──」

 

「待て待て待て、そういうのはいい」

グレアムが手を上げて遮る。

 

「お前が犯した“罪”、あるいはお前が関与した“不正”──そういう類いの話をしろ」

 

「了解しました。……五歳の頃、街の通りで銅貨を拾いましたが、それを詰所に届けず、私的に使用しました」

 

「ちがう、そうじゃない」

ロイスが即座に頭を抱える。

 

グレアムは深く息を吸ってから、ゆっくり言った。

「“今の仕事”を始めてからだ……」

 

「……では、諜報部隊配属後の最初の任務から報告します。十年ほど前、故セレス・フォンメリア王妃の馬車に細工を──」

 

──そこから先は、まるで長大な報告書の音読だった。

 

本人に感情の起伏はまったくない。だが、その内容はひたすらに重く、そして恐ろしく生々しかった。

 

数分後──

 

「──以上が、私が関与した罪と不正になります」

ルーカスがそう締めくくった瞬間、取調室に妙な沈黙が流れた。

 

ペンを走らせていたフィーネの手すら止まり、三人とも一瞬だけ動きを忘れる。

 

……しばしのち。

 

「──はいっ! できました!」

空気を読まない声が弾けた。

 

「すっごい調書が出来ましたよ! これはもう、昇進間違いなしですっ!」

フィーネは得意げに紙束を掲げた。何枚にもわたるその記録用紙には、びっしりと細かな文字が並んでいる。

 

グレアムは無言でそれを受け取り──ぱらぱらと一瞥したのち、静かにコートの内ポケットへ押し込んだ。

「はい、没収」

 

「えっ!? ちょっと、なんでですかっ!」

 

「これはこれで使い道はあるが……そのまま出したら俺らの首が飛ぶ。物理的にな」

 

フィーネはしょんぼりとうなだれる。

「そんなぁ……もったいない……」

 

「提出するか? お前の名前で。それなら二階級特進だ」

 

フィーネが一瞬固まり、顔を引きつらせながら答える。

「い、いえ! やっぱりやめときます!」

 

部屋に軽く笑いが漏れたあと、ふたたび空気が落ち着きを取り戻す。

ロイスが椅子の背にもたれ直しながら、ルーカスの方に視線を向けた。

「で、結局コイツはどうするんですか」

 

グレアムは端的に答える。

「遺失物横領で自首。ただし時効、罪状も軽微のため釈放……ということにする」

 

ルーカスはまだ椅子に座ったまま、焦点の定まらない目で空間を見つめていた。

それを見て、グレアムは淡々と言葉をつづける。

 

「まだ精神干渉は残ってる。治療の手配を。……それと、取り調べ中の記憶は俺が“消す”」

 

その一言に、ロイスがぎょっとして眉をひそめた。

「……また精神魔法っすか」

 

「俺だって、やりたくてやってるわけじゃない。一歩間違えれば廃人にする魔法だ、好き好んで使うやつなんかいるか。……だが、必要なときもある」

 

グレアムは淡々と答える。だが、ロイスは納得いかない様子で言い返した。

 

「……考え方は理解できますけどね。でも、前にも無理やり自白させたのが問題になって、俺まで巻き添えで島流しですよ」

 

グレアムが鼻を鳴らす。

「ただのコソドロ捕まえるのに、火魔法であたり一面燃やしたやつが何言ってんだ」

 

「ぐっ……!」

ロイスが言葉に詰まり、苦い顔をする。

 

「ふたりとも意外とやんちゃしてるんですねぇ~」

フィーネがにこにこと、武勇伝でも聞いたかのように楽しげに言った。

 

ロイスがジト目を向ける。

「お前もここに出向ってことは、何かやらかしたんだろ?」

 

「え~? そう言われても心当たりないですねぇ~。……あ、局長にお尻触られて、つい半殺しにしちゃったことかな? 半年前から、ちゃんとお見舞いには行ってるんですけどねぇ」

 

 室内が一瞬静まり返る。

 

「……そりゃ“出向”って言葉で済んでるのが奇跡だな」

 

 

──────────────────────

 

 

裁判所地下の収監室──石壁に囲まれた冷たい空間に、深夜の静けさが染みわたっていた。

 

いくつもの牢が並ぶその場所は、裁判を待つ被収容者たちの一時的な留置施設である。

だが今夜、その中に収監されているのは、二人だけだった。

 

静まり返った空間に、小さな揺らぎだけが息づいている。

一角に、わずかな光が揺れていた。

 

壁際に掛けられた鉄製ランタンの蝋燭は、芯がほとんど尽きかけていたが、残り火が空間にかすかな明かりを投げている。

 

その光の中で、少年は床に座り、膝に分厚い法典を広げていた。ひび割れた背表紙のそれを、かすれた明かりを頼りに一語一句、掘るように読み込んでいる。

唇がわずかに動いているが、声は出していない。

 

その様子に気づいたのは、向かいの牢にいる初老の男だった。本人はただの新聞記者と名乗っているが、不正や汚職を暴いては幾度も揉め事を起こしてきた、“厄介な物書き”である。

 

記者はつまらなさそうに寝そべっていた体を起こし、鉄格子に肘をかけながら声をかけた。

 

「おい、坊主。こんな時間に、何をむきになってるんだ?」

 

少年は本から目を離さず、低く応じた。

「明日、裁判だからさ。準備しとこうと思って」

 

記者は眉をひそめ、身を乗り出して金網に近づいた。

「そりゃ真面目なこって……いや、真面目だったらここにゃいねえか。で、何をやったんだい?」

 

「王族殺害未遂」

 

記者は一拍の間を置き──それから吹き出した。

「冗談がうまいな、お前さん」

 

少年は目を細めて、ぼそりと返した。

「冗談だったらよかったよ。本当は、やってないんだけどな」

 

記者は一瞬まばたきを止め、それから黙り込んだ。

暗い部屋に、紙をめくる乾いた音が静かに戻ってきた。

 

数秒の沈黙のあと、少年がぽつりと尋ねた。

 

「あんたは? 何やったんだ」

 

そう問われた記者はほんのわずかに笑みを浮かべた。

それは自嘲とも諦めともつかない、どこか遠くを見ているような顔だった。

 

「……虎の尾を踏んじまったのさ。あんちゃんみたいにな」

記者はそれ以上語らなかった。少年もそれ以上は聞こうとしなかった。

 

だが、記者の胸の奥には、苦い記憶が静かに浮かび上がっていた。

 

──始まりは、何気ない世間話だった。

 

「最近、やけに綺麗な金貨が出回ってるんだよ。妙に均一で、出来が良すぎるっていうか……」

 

知り合いの銀行員がそう漏らしたのをきっかけに、記者は裏から調査データを手に入れた。

結果は異常そのものだった。正規の王国金貨よりも純度が高く、どれも驚くほど形状が揃っていた。

刻印の線は細密で、側面のギザまで顕微鏡で測ったかのように寸分の狂いがない。

 

──どう見ても、王家の造幣技術では作れない精度だった。

 

“本物よりも本物らしい金貨”──そんな贋金が、何食わぬ顔で市場に混ざっていた。

 

その異常さに気づいてから、歯車が音もなく狂い始めた。

 

夜に足音のような気配がしたり、締めたはずの窓が朝には開いていたり──最初は些細な違和感だった。

だが、証言者たちは口を閉ざし、自室は見知らぬ手に荒らされた。

明らかに“何か”がこちらの動きを監視していた。

 

それは、偶然の連続とは思えなかった。

 

ある朝、机の上に封のない手紙が置かれていた。

筆跡は見覚えがなく、差出人もなかった。

 

──手を引け。次の”見せしめ”は、お前だ。

 

それだけが、丁寧な字で綴られていた。

本来なら、止まるべきだったのだろう。

 

だが──止まらなかった。

だから今、ここにいる。

 

牢の鉄格子越しに見える若き少年──必死に法典を読み込むその姿をぼんやりと眺めながら、記者は心の中でぼそりと呟いた。

 

(……さて、どちらが先に処されるかね)

 

記者と少年は無言のまま、静かに夜が更けていった。

 

──

 

翌朝、地下牢の鉄扉が重々しい音を立てて開いた。

 

看守が無言で合図を送ると、少年は法典を閉じ、静かに立ち上がった。昨夜と変わらぬ表情のまま、淡々と歩き出す。

 

その姿に気づいた記者が、鉄格子越しに声をかけた。

「……“準備”は、できたのか?」

 

少年はわずかに振り返り、苦笑を浮かべた。

「まあ、一応はな」

 

それだけを言い残し、石壁の向こうへと姿を消した。

 

彼は鉄格子にもたれかかり、ふうっとため息をつく。

 

「……頑張れよ」

声が届いたかは分からない。そもそも、届く必要もなかった。

 

だが──それきり、少年は戻ってこなかった。

 

午前が過ぎ、昼が過ぎ、牢にふたたび夜が訪れても、扉が開かれることはなかった。

 

まさか釈放か──そう考えることもできた。

だが、“王族殺害未遂”にそんな逃げ道があるとは思えなかった。

 

記者は独りごちた。

 

「──そんなもんだ」

 

ランタンの明かりに照らされる狭い牢の中で、彼は鉄格子にもたれかかりながら、天井をぼんやりと見上げる。

どれほど時間が経ったかは分からない。ただ、胸の奥に、言いようのない虚しさが残っていた。

 

ため息をつき、記者はぽつりと呟く。

「……俺も、遺言の“準備”くらい、しておくべきかね」

 

鉄格子に吸われるように、乾いた笑いだけが残った。

 

──

 

翌日、記者は看守に引き立てられ、法廷へと連れて行かれた。

予想よりも狭く、よく整った石造りの室内には、張り詰めた静寂が漂っていた。

 

証言台に立たされ、ふと視線を巡らせたその瞬間──記者は、すぐに気づいた。

そこに並ぶ顔ぶれが、かつて自分が調査した“あの記録”と、寸分違わぬ構成だったからだ。

 

弁護人。頼んだ覚えのない、顔も知らない男。無表情で、まるで今朝の新聞さえ読んでいないような目をしている。

 

検察官。威圧的な身振りのわりに、持参した資料は異様なほど薄い。準備不足とは思えない──最初から追及する気がないのだ。

 

そして裁判長。鋭すぎる目つき、儀式のように無感情な言動。そしてその背後には、薄く漂う“処す”という前提の空気。

 

……間違いない。これは、“決まっている裁き”だった。

 

(まさか、自分がこの側に立つとはな……)

 

かつて調べた記録の中の、一件一件が脳裏に浮かび上がる。

告発者、活動家、そして”厄介な物書き”──かつて社会に爪痕を残した者たちが、ある日突然この“顔ぶれ”の前に立たされた。

そして、誰一人として──戻ってこなかった。

 

喉の奥がじり、と渇く。

わずかに息を吸い込むのも、ためらわれるほどだった。

 

そんな空気の中、裁判長が重々しい声で口を開いた。

「これより、被告人に対する裁判を開始する──」

 

静寂が落ちた。落ちるはずだった。

 

だが次の瞬間、場の空気ががらりと変わった。

 

弁護人が椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、声を張り上げる。

 

「さいばんちょー! ぼくは、このひとはぜったいにわるくないとおもいます!」

 

その声は、あまりにも幼く、場にそぐわないものだった。

 

記者は混乱した。目の前の男は大人に見える。スーツもきっちり着ている。

なのに──喋り方も、声のトーンも、語彙までもが幼児そのものだった。

 

だが、それだけではない。

 

その“目”が──どうにもおかしい。

 

にこにこと笑ってはいるが、その瞳の奥には妙な濁りがあった。

子ども特有の無邪気さではない。誰かが“貼り付けた”ような、作られた純粋さだった。

 

検察官が立ち上がる。机をばんばん叩きながら叫んだ。

 

「ちがうもん!あいつはぜったいわるいことしてるもん!」

 

一見、感情的に見える叫び声。しかしその目には、笑いも怒りもなかった。

瞳だけが異様に緊張していて、まるでその裏に“別の意志”が潜んでいるようだった。

 

裁判長が穏やかな声色で問いかける。

 

「じゃあ、しょうこはあるのかな~?」

 

その声は、優しかった。異様なほどに。

笑みを浮かべた目は、あまりにも無機的で、まるで“人間の感情”を模倣しているような均一な揺れを見せていた。

 

検察官は書類をばさばさめくるが、やがて焦ったように叫ぶ。

 

「えーっと……えーっと……もじがいっぱいでよめない~!」

 

記者は自分の足元がぐらついたような錯覚に襲われた。

何を見せられている? これが裁判? 舞台劇じゃなくて?

 

弁護人が胸を張って、鼻を鳴らす。

 

「ほーらね!やっぱりうそだったんだよ!」

 

検察官はぷるぷる震え出し、顔を覆って叫んだ。

 

「ふえ~~ん、ごめんなさいぃぃ!ぼく、ほんとはよくしらないで、やれっていわれただけでぇぇ!」

 

ついに泣き出した検察官の嗚咽が、法廷に響く。

 

だが、それを優しく受け止めるように裁判長が問いかける。

「……ほんとはやりたくなかったんだよね?」

 

検察官がこくこくと泣きながらうなずく。

 

裁判長は満足げに頷き、にっこりと微笑んだ。

「それなら──むざい、ということでいいかな~?」

 

それを受けて、得意げな弁護人も、うるんだ目の検察官も、そして裁判長も──

ぴたりと呼吸を揃え、

 

「いいとも~!」

 

声をそろえて叫んだ。

 

傍聴席で椅子がひっくり返る音がした。

警備兵たちは呆然と立ち尽くしている。誰もが、夢を見ているようだった。

 

──その中央に、記者はぽつねんと立ち尽くしていた。

 

(これは……一体……何の茶番だ?)

 

頭が混乱しすぎて、勝ったとか助かったとか、そんな実感すら湧かなかった。

ただ、芝居が終わった舞台の上に、ひとり取り残されたような心地がした。

 

 

──────────────────────

 

 

裁判が終わり、僕たちが学園へと戻る馬車の中は、奇妙な沈黙に包まれていた。

窓の外を流れる景色だけが、やけにのどかだ。

 

裁判所の重苦しい空気から解放されたはずなのに、胸の奥には妙なもやもやが残っていた。

無罪。それは確かに喜ぶべきはずの言葉だった。けれど、あの判決劇があまりに異様すぎた。

 

誰もが言葉を探せずにいるその中で──最初に口火を切るのは、やはり彼だった。

 

「いやー、しかしよかったよな、ベイル。また王子様に戻れて」

 

あまりにも軽く、悪意もなければ配慮もない。

エイン君のその一言に、向かいの席に座っていたベイルがピクリと眉を動かした。

 

「……貴様、俺のあの覚悟を、何だと思っている」

 

鍋底にへばりつくような低い声。怒りを煮詰めたような沈黙が、車内に広がる。

 

「え、だってお前が王族に戻りたいって言ったんじゃん。そもそも決闘で負けたんだから、俺の言うこと聞くのが筋だろ。ガタガタ言うなよ」

 

「なっ……!」

 

ベイルが悔しそうに唇を噛み、目を伏せる。

彼の肩に、張りつめた怒気がじわじわと滲みはじめた──その時だった。

 

「──そういえば、ベイル君」

 

凛とした声で、スザンナ教授が静かに口を挟んだ。

「決闘のとき、あなたの戦い方は普段とまるで違ったわ。なぜ土魔法だけに固執したの?」

 

「ん? それは……」

ベイルは一瞬、思考を巻き戻すように目を細めた。

 

「俺は、いつも通り得意の土魔法で……」

 

「そうじゃないわ」

 

スザンナ教授は、彼の言葉を冷静に遮った。

 

「エイン君が使った【反応防壁】(リアクティブシールド)──あれは、おそらく土や氷のような“実体のある”魔法に反応する仕組みだったのでしょう。

あなたほどの生徒なら、途中でその傾向に気づいてもおかしくなかった。いや、気づいていたはず。

なのに、なぜ火や風といった魔法に切り替えようとしなかったの?」

 

「……!」

 

ベイルはハッとしたように目を見開く。

その顔に浮かぶのは、怒りではなく、自分自身の不可解な行動に対する純粋な困惑だった。

 

スザンナ教授はさらに言葉を重ねる。

 

「それに──あなたの動きも、魔法の使い方も、どこかおかしかった。

いつもなら、もっと冷静に間合いや魔力の流れを見極めていたはずよ。

でも、あのときはやけに動きが荒く、魔法も粗雑だった。

まるで、誰かに急かされていたように見えたわ」

 

その指摘に、ベイルの表情から怒りの色がすっと引き、代わりに自分自身への疑念のような色が浮かんだ。

 

「……そうだ。確かに、あの時の俺は……妙に焦っていた。魔力の制御も、間合いも──何ひとつ、見えていなかった。どうして、あんな無様な戦いを……?」

 

ベイルの声には、怒りよりも戸惑いが滲んでいた。

 

そんな彼を、エイン君はちらりと横目で見て──いつもの調子で軽口を叩いた。

 

「一回ミスして負けたくらいで落ち込むなよ、首席様。誰だって調子悪い日はあるって。」

 

その瞬間、空気が変わった。ベイルの視線が、ぎらりとエイン君に向けられる。

 

「……それで言うなら、お前こそどうなんだ、エイン。なぜ初手で、そんな穴のある【反応防壁】を使った? 俺が最初から他の属性の魔法を使っていたら、その時点でお前の負けだったんだぞ。……まさか、俺の戦法を知っていたのか?」

 

核心を突く問いだ。僕もエイン君を見る。彼の戦略には、あまりにも危うい前提があったはずだ。

 

しかし、エイン君は悪びれもせず、あっさりと答えた。

 

「ああ、それな。お前に決闘申し込まれた後、知らない上級生がわざわざ教えに来てくれたんだよ。『ベイルの得意魔法は土だ、それしか使ってこないから気をつけろ』ってな。だから、それに合わせた対策を考えてただけだ」

 

「……なんだと」

ベイルが小さく眉をひそめる。

そのまま言葉を継がず、視線を窓の外へ向けた。

 

だが、その目には一瞬、警戒と不信が混じる。何かに気づいたような顔で、わずかに口を動かす。

「まさか、あいつが……」

それきり、ベイルは沈黙した。

 

馬車の中に、ふたたび静けさが戻る。

窓の外の風景だけが、妙にのどかに流れていく。

 

──けれど、僕の胸の中には、別の疑問が芽生えていた。

 

(あれ。そういえばエイン君は、決闘をやらないつもりだったはずなのに……対策を“考えていた”?)

 

つまり──最初から“やる気”だった、ということ?

僕は、思わず問いかけていた。

 

「……ねぇ。決闘の前に準備してたってことはさ、“おばちゃんのため”って話、やっぱり嘘だったんじゃないの? 本当は……セレナ王女のためだったりして」

 

一拍、間があった。

 

エイン君は視線をそらしながら、ぼそりと呟く。

 

「……いや、別に。そんな大層な理由じゃないって。

決闘の準備くらい、まぁ、気が向いたから……それだけの話だよ」

 

語尾が曖昧だった。どこか言い訳めいていて、自分でも納得しきれていないような口ぶり。

 

「ふうん……」

 

僕がそれ以上は何も言わずにいると、静かだった車内に、さらりと声が落ちた。

 

「“気が向いた”にしては、ずいぶん手が込んでいたようだけど?」

スザンナ教授が横目で彼を見て、少しだけ口元を緩めた。

 

どこか張り合いの抜けた空気が、車内をふわりと包む。

そのうちに、馬車はゆっくりと速度を落とし、見慣れた学園の正門が見えてきた。

 

誰が言うでもなく、四人全員の胸に、安堵のため息がこぼれた。

色々あった。本当に、色々ありすぎた。けれど、ようやく帰ってきたんだ──僕たちの日常に。

 

馬車を降り、校舎へ向かって歩き出す。夕暮れの空気が、じんわりと肌に心地よい。

他愛もない話をしながら掲示板の前を通りかかった、その時だった。

 

一枚の新しい張り紙が、僕たちの足を止めた。

 

【通達】

 

 第一学年Aクラス エインは、素行不良により本校の品位を著しく損なったため、本日をもって退学処分とする。

 

 また、監督責任者であるレオナルド・グリムフォードは、本件の責任を取り、教頭に降格処分とする。

 

王立魔法学校 校長 ギルバート・モーリス

 

時間が止まったようだった。

誰も何も言えないまま、張り紙の前に立ち尽くす。

 

静まり返った学園の夕暮れに、カラスの鳴き声だけが、やけに大きく響いていた。




次週、黒幕登場
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