引きこもり、魔法学校にぶち込まれる   作:年中有休

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双方疑心状

「最後! アメリア・ラングフォード!」

 

 試験官の朗々とした声が、石造りの訓練場に木霊した。

 

「はい!」

 

 アメリアは、さながら舞踏会の主役のように、自信に満ちた微笑みを湛えて立ち上がる。蜂蜜色のツインテールが陽光を受けてきらめき、一歩踏み出すたびに優雅な弧を描いた。

 

 訓練場の周囲では、見守る新入生たちがざわめいている。期待に満ちた囁きが、心地よく耳に届く。

 

「ついに名門ラングフォード家の令嬢の出番ね」

「どれほどの魔法を見せてくださるのかしら」

「さすがは魔術貴族の血筋……」

 

(そう、これよ。これが本来あるべき私の姿)

 

 賞賛の声に包まれながら、アメリアは訓練場の中央へ進む。足音の一つ一つさえ、自分の価値を証明する記録のように思えた。

 

「使用する魔法を宣言してください」

 

 試験官の厳粛な指示が響く。今こそ、ラングフォード家の威光を示す時だ。

 

「ラングフォード家四百年の歴史が誇る、上級攻撃魔法──」

 

 アメリアは胸を張り、誇らしげに声を響かせた。

 

【紅蓮槍】(クリムゾンランス)を使用いたします!」

 

 その宣言が会場に響き渡った瞬間、空気が変わった。

 

「まさか、あの【紅蓮槍】を……!」

「ラングフォード家の秘伝魔法か!」

「上級に分類される魔法を、こんなに若くして……?」

 

 驚きと期待、そして緊張が波のように訓練場を満たし、誰もが固唾を呑んで次の瞬間を待ち構える。

 

(見ていなさい。これが私の力よ)

 

 アメリアは両手を胸の前で組み、魔力を練り上げた。

 

 熱が体中を巡り、炎の魔力が周囲に立ちのぼる。

 石床がじり、と音を立てた。

 

 脳裏に術式が浮かぶ。無駄のない、美しい魔法陣。

 

(完璧……これならいける)

 

 制御は万全。すべての努力が、いま結実する。

 

「【紅蓮槍】!」

 

 魔法陣がきらめき、空気が弾ける音とともに、眩い炎の槍が形を成し──

 

 ふわり、と。

 

 まるで夢が覚めるように、儚く霧散した。

 

「……え?」

 

 アメリアの瞳が、理解を拒むように大きく見開かれる。何が起こったのか、脳が処理を拒んでいた。

 

(嘘……嘘よ、そんな……!)

 

「も、もう一度!」

 

 声が裏返る。慌てて魔力を練り直し、術式を再構築する。今度こそ。今度こそ。

 

「【紅蓮槍】!」

 

 ──だが、またしても完成のその瞬間に崩壊した。

 

 炎の欠片が虚しく宙に散り、希望とともに消えていく。

 

「なんで……なんでなの……!?」

 

 三度目。四度目。何度挑戦しても結果は同じだった。呪いでも受けたかのように、魔法は必ず完成の一歩手前で瓦解し、嘲笑うように霧散していく。

 

 ざわめきが、性質を変えていった。

 

 期待という名の熱気は、困惑という冷気へ。困惑はやがて、失望へと変わっていく。

 

「ラングフォード家って、この程度だったの?」

「期待して損したわ」

「見栄だけの名門ね」

 

 そして──

 

「出来損ない」

 

 その一言が、アメリアの魂を貫いた。

 

 観衆の視線が、容赦なく彼女に降り注ぐ。

 嘲笑の声が耳を裂くように響き、足元の舞台が崩れ落ちていく。

 最後の砦だったプライドが、音もなく瓦解した。

 

「違う……! 私は……」

 

     *

 

「私はラングフォード家の……!」

 

 その叫びは、現実の闇にまで届いていた気がした。

 

「はっ!」

 

 アメリアは勢いよく上体を起こす。冷たい寝汗が額を伝い落ち、心臓が胸の奥で荒れ狂っていた。窓の隙間から差し込む月明かりが、おののく横顔を青白く照らしている。

 

(……また、あの夢……)

 

    ◆

 

 その頃、別の寮室では──

 

 トム・ヘイルズが、はっと目を覚ました。

 

「……あれ?」

 

 頭の中に靄がかかったような感覚があった。今日一日、自分が何をしていたのかが、ぼんやりとしか思い出せない。

 

「トム! ようやく目ぇ覚ましたな!」

 

 振り返ると、友人たちが心配そうな、それでいてどこか安堵した表情でこちらを見ていた。

 

「今日はどうしたんだよ。明らかに様子がおかしかったぞ」

「副担に連れ戻されてから、授業ずっと真面目に受けてたし……」

「昼飯のピーマンまで完食してたんだぞ」

 

 その言葉に、トムの顔がみるみる青ざめていく。

 

「嘘だろ……俺が、そんな……?」

 

 断片的に浮かぶのは、妙に鮮明な映像ばかりだった。

 

 教室で背筋を伸ばして座っている自分。

 副担任の言葉に、兵士のように頷いている自分。

 そして──普段の自分からは考えられないほど従順で、やる気に満ちた行動の数々。

 

 だが、その記憶には決定的に欠けているものがあった。

 行動の記憶はあるのに、その時何を考え、何を感じていたのかが、まるで思い出せない。感情だけが、綺麗に抜き取られていた。

 

 トムの顔から血の気が引く。

 

 あの副担任が、自分の心を操ったのか。

 

「くそっ……!」

 

 込み上げたのは、純粋な怒りだった。

 自分の意思を奪われ、人形みたいに操られていた屈辱。これ以上の侮辱があるだろうか。

 

「トム、落ち着けって!」

 

 友人が肩を押さえようとするが、トムはその手を振り払った。

 

「落ち着いてられるか! あいつは……俺の心を……!」

 

 その時、記憶の断片の中から、一つの光景だけが鮮明に蘇った。

 

 午後の実技授業。

 誤って放たれた火球が、エインに向かって飛んでいく。

 エインが反射的に防御しようとして──その瞬間、腕に嵌められた銀の腕輪が鈍い光を放ち、エインが苦痛に顔を歪めた。

 

(……あの腕輪……何かある)

 

 怒りが、冷えた復讐心へと変わっていく。

 

 感情に任せて暴れても意味はない。まずは情報収集だ。あの腕輪の正体を突き止めれば、必ず反撃の手段が見つかる。

 

 トムは窓辺に立った。夜空を見上げる横顔には、もはや怒りではなく、冷たい決意が宿っている。

 

「見てろよ、あの悪魔に思い知らせてやる」

 

 その宣言に、友人たちは言葉を失った。

 だが、彼らの目にも同じような光が宿り始めていた。エインの理不尽な「教育」に対する不満は、トムだけのものではなかったのだから。

 

 静かな夜の寮室で、復讐の種が確かに芽を吹いていた。

 

    ◆

 

 

【悲報】魔法学校の授業、地獄

 

1:元引きこもり転生者

授業中だけど暇すぎてスレ立てた

助けて、脳が腐る

 

2:名無しの転生者

ド腐れ野郎が来た

 

3:名無しの転生者

前にも見たスレだな

 

4:名無しの転生者

学生ならともかく教師になっといて授業が暇っておかしいだろ

 

5:元引きこもり転生者

>>4

教師つっても授業は担任がやるからな、元々人員足りてたみたいだからマジで仕事がない

 

6:名無しの転生者

仕事ないつっても全く無いわけじゃないやろ

社会人なら自分から仕事見つけなさいよ

 

7:元引きこもり転生者

>>6

一応サボってる生徒連れ戻したり、居残りに付き合ったり、担任のメンタルヘルス改善とかはしたな、それでも暇だが

 

8:名無しの転生者

ようやってる……のか?

何だよメンタルヘルス改善って

 

9:名無しの転生者

絶対メンタル悪化させたのお前だろ

 

10:名無しの転生者

この調子だと前2つもろくなことしてなさそう

 

11:元引きこもり転生者

つーかマジで暇なんだけど、これから毎日こんな退屈な時間過ごさなアカンのか?

あーあ、うちの生徒たち全員不登校になって授業なくならねぇかな

 

12:名無しの転生者

教師が絶対言わないこと言ったぞこいつ

 

13:名無しの転生者

暇ならお前が授業しろよ、知識チートを存分に使え

 

14:元引きこもり転生者

>>13

確かに!ワイがやればええだけやん!

ついでに授業を早く終わらせれば一石二鳥や!

 

15:名無しの転生者

こいつがまともな授業できるとは思えないが

 

16:名無しの転生者

早く終わるのは授業じゃなくて生徒の命じゃないのか?

 

    ◆

 

リバースイデオロギー

 

 昨日の地獄授業から一夜明けた一年Eクラスは、信じられないほど静かだった。

 

 黒板の前では、担任のリリィ・ミストがこわばった手でチョークを握っている。

 

「え、えっと……エルディス王朝の第二次継承戦争ですが……」

 

 いつもなら私語や居眠りが絶えない時間だ。だが今日は、針の落ちる音さえ聞こえそうなほど静まり返っていた。生徒たちは教科書を開き、背筋を伸ばし、前を向いている。

 

 理由は明白だった。

 

 教室の後方に立つエインの存在が、全員を緊張で縛りつけていたのだ。

 

 エインは腕を組み、露骨に退屈そうな顔で授業を眺めている。時折、小さくため息をついたり、壁に寄りかかったりと、明らかに時間を持て余していた。

 

 リリィにとって、それでも救いではあった。

 

(怖いけど……でも、今日もこのまま普通に授業ができるかもしれない……)

 

 そんな淡い期待を胸に、彼女は授業を続ける。

 

 ──が。

 

「リリィ先生、すみません」

 

 教室の後方から、エインの声が響いた。

 

「ちょっと授業、代わってもらっていいですか」

 

 唐突すぎる申し出に、教室の空気がぴしりと凍る。リリィは反射的に振り返った。

 

「え、え? でも、エイン先生……今は歴史の授業中で……」

 

 恐る恐る異議を唱えるが、エインは意に介した様子もなく、淡々と口を開く。

 

「……さっきふと思ったんです。今、このタイミングで基礎からやり直すべきじゃないかって」

 

 表情だけは急に真剣になり、いかにも教育者らしい熱意を込めて続けた。

 

「歴史も大事ですが、それは後回しにできます。今の生徒たちに本当に必要なのは、魔法の扱い方です。先生も見てたでしょう、昨日の実技を。みんな基礎ができていない。このままでは、彼らの将来に関わります」

 

 エインは一歩前に出て、教室全体を見渡す。

 

「教師として、今すぐ手を打たなければなりません」

 

 教壇の前に立つリリィは、完全に面食らった顔でエインを見上げた。だが、妙に堂々としたその物言いに押されるように、やがておずおずと頷く。

 

「わ、分かりました……」

 

「ありがとうございます、リリィ先生」

 

 エインは満足げにそう言うと、当然のように教壇へ向かった。

 

「それでは皆さん、今日から新しいカリキュラムを始めます。といっても、ちょっとした魔法のコツを教えるだけなので、それほど時間はかけませんが……」

 

 そう言いながら、黒板に複雑な図式を描き始める。

 

「えー、ではまず【火球】、もとい火魔法の最適化された詠唱方法をお教えします。重要なのは、魔力から熱への変換効率です。これを最適化するためには、熱力学──つまり、エネルギー保存と変換の基礎から理解する必要がありまして……」

 

 生徒たちはぽかんと顔を見合わせた。

 

「ねつ……りき?」

「全然わからない……」

 

 エインの言葉は、あまりにも聞き慣れない概念に満ちていて、誰一人ついていけない。

 

「……分からないのか」

 

 エインは振り返り、心底面倒くさそうにため息をついた。

 

「仕方ない。助手を呼んでくる」

 

 そう言い残すと、再び教室を飛び出していく。そして数分後──

 

「ちょっとエイン君!? 今、授業中なんだけど!?」

「こっちも授業中なんだよ、いいから手伝ってくれ!」

「僕の勉強の邪魔しないでよ!」

「人に教えるのも勉強のうちって言うだろ! ハーゲンの授業受けるよりよっぽどマシだ!」

「貴様! ワシを侮辱する気か!」

 

 息を切らしたフレッドが、エインに引きずられるようにして教室へ現れた。

 

 生徒たちが驚く中、エインは淡々と宣言する。

 

「こちら、助手のフレッドです」

 

「フレッド、こないだ教えた【火球】の撃ち方、こいつらにも分かるように説明してくれ」

 

「あぁ、熱力学がどうとかってやつね……」

 

 困惑しながらも、フレッドは生徒たちに向き直った。

 

「えっと……つまり、【火球】を作る時に、魔力をもっと効率よく熱に変える方法があるってことです。今までは魔力の半分くらいが無駄になってたんですが──」

 

「火種を生成することで自然に燃えるようにして──」

「炎そのものじゃなくて、着火をイメージすることで──」

 

 フレッドの分かりやすい解説に、生徒たちの目がみるみる輝き始める。

 

「おお、それならなんとなく……」

「やってみよう!」

 

 複数人の生徒が【火球】を試すと、確かに昨日よりもはるかに性能が上がっていた。

 

「すげぇ! 本当に強くなってる!」

「魔力効率もいいし、制御もしやすい!」

「これなら、魔力切れしにくいかも……!」

 

 教室が一気に明るくなる。

 

「「フレッド先生! ありがとうございます!」」

 

「おい! 最初に教えたのは俺だろうが!」

 

 エインの抗議に、フレッドは苦笑いを浮かべるしかない。教室には笑いが起こり、空気が一気に和んだ。

 

「じゃあ僕は戻るからね。自分の授業もあるし」

 

 フレッドは軽く手を振って教室を出ていく。

 

 エインは唇を尖らせ、手柄を持っていかれた鬱憤を晴らすように生徒たちを見回した。その目が、一人だけ浮かない顔をしているアメリアに止まる。

 

「えーっと……」

 

 教卓の出席簿をちらりと見て、エインが呟く。

 

「アメリア。昨日の訓練で使ってた魔法、なんだっけ?」

 

 突然名指しされ、アメリアは嫌な予感を押し殺しながらも毅然と答えた。

 

「【紅蓮槍】よ。それがどうかしたの?」

 

「そう、それだ。【紅蓮槍】、あれはいい魔法だよ。でもちょっと効率が悪いから──改良版をみんなにも教えてあげようと思ってさ」

 

「……は?」

 

 その一言で、アメリアの表情が固まる。エインの何気ない口調が、ゆっくりと胸の奥を冷やしていった。

 

「待ちなさい!」

 

 反射的に立ち上がり、アメリアの声が教室に響く。怒りというより、防衛本能に近い拒絶の声だった。

 

「【紅蓮槍】は、ラングフォード家のみに伝わる秘伝の魔法よ。四百年の歴史を背負う、我が家の誇り……それを、部外者のあなたが知っているはずがない!」

 

 声には自信が込められていた──ように見えたが、その指先はかすかに震えていた。

 

(あれは私だけのもの……私にしか使えないはず……)

 

 だが、昨日の実技を思い出す。あの男は、一目で【紅蓮槍】を理解し、修正してみせた。その光景が胸の奥でざわめいた。

 

 エインは首をかしげる。

 

「え、でも昨日ちょっと見ただけで、大体わかったよ。こんな感じでしょ? 炎を圧縮して貫通力を高めるって発想、面白いよねぇ」

 

 あまりにも軽い口調に、アメリアの心臓が跳ねた。嫌な予感が、確信へと変わっていく。

 

 エインはためらいもなく、黒板にチョークを走らせ始めた。

 

 描かれていく図形を目にした瞬間──アメリアの表情が凍りつく。

 

 黒板に現れたのは、紛れもない【紅蓮槍】の術式だった。ラングフォード家の人間しか知り得ない、門外不出の構造が、完璧に再現されている。

 

「なっ……なっ……!?」

 

 声が出ない。アメリアは強張った手で胸元を押さえた。鼓動が早鐘のように鳴り、視界が揺らぐ。

 

 教室にざわめきが広がっていく。

 

「すげぇ……一回見ただけで完璧に再現できるなんて……」

「ラングフォード家の門外不出の魔法って言ってたのに……」

「アメリアじゃなくても使えるんだ……」

 

 その最後の声が、胸を鋭く突いた。

 

 一方、術式を描き終えたエインは、「門外不出」という言葉に首をかしげていた。

 

「え、門外不出? わざわざ隠してたの? こういうのはもっと広めた方がいいんじゃない? 魔法技術はオープンソース化して、みんなで発展させるべきだろ」

 

 アメリアは一瞬、息を呑む。

 

「あなた……あなたは何も分かっていない!」

 

 叫んだその声は、怒りというより悲鳴に近かった。

 

「それは……それだけは……!」

 

 何を奪われようとしているのか、自分でもうまく言葉にできない。ただ、心の奥底で何かが必死に悲鳴を上げていた。

 

 やがて、アメリアは震える声で訴える。

 

「勝手に……勝手に我が家の秘伝を晒すなんて……! あなたには、そんな権利はない!」

 

 エインは特に気にした様子もなく答えた。

 

「じゃあいいよ。元々、改良版を教えるつもりだったから」

 

 そう言うと、黒板の術式の一部をさっと消し、さらに複雑な構造を書き加えていく。

 

「はい、】【紅蓮槍】あらため【超紅蓮槍】(スーパークリムゾンランス)です。これなら別物だから、問題ないよね?」

 

 アメリアは息を呑んだ。

 

 それは明らかに【紅蓮槍】の上位互換だった。炎の圧縮率を高める補助術式、魔力消費を削減する効率化回路、そして貫通力を倍増させる収束機構。家に伝わる術式にはない革新的な改良が、随所に施されている。

 

(嘘……これほどまでに……)

 

 これまでの努力が一気に脳裏をよぎる。何度も練習し、誇りを背負って磨き上げてきた【紅蓮槍】。それが、今や素人の真似事にすら見えてしまう。

 

 これこそが【紅蓮槍】の真の姿なのではないか。いや、それすら凌駕した、魔法の理想形なのではないか。

 

 心の中で矛盾する想いが激しく渦巻く。魔法を愛する自分は、あの完璧な術式を学びたいと叫んでいる。だが、ラングフォード家の娘としての誇りが、それを認めるなと突き返していた。

 

 反論したい。

 でも、黒板の術式があまりにも完璧すぎて、何も言えない。

 

 欲しい。学びたい。けれど──

 

 エインは満足げに頷くと、クラス全体に向き直った。

 

「よし、お前ら。今日中にこの魔法をマスターしてもらうからな」

 

 どよめく教室。担任のリリィが慌てて口を挟む。

 

「えっと、エイン先生! 【紅蓮槍】は……上級魔法です! 一年生には、さすがに……」

 

「あ、そっか。確かに難しいかもですね」

 

 エインは素直に頷くと、黒板消しを手に取った。

 

 完璧な魔法陣が、何の躊躇もなく拭われていく。

 完璧な構造が、崩れていく。

 

「あっ」

 

 アメリアの口から、無意識に声が漏れた。その瞬間、彼女の心に深い亀裂が走る。

 内なる声が激しく叫んでいる。だが、何も言えない。あれを欲しがることは、家の伝統を否定することになるからだ。

 

 やがて黒板から術式は完全に消え去った。

 

 家の秘伝は守られた。なのに、胸が締めつけられるように苦しい。相反する感情が激しくぶつかり合い、アメリアの心は引き裂かれそうだった。

 

 そんな彼女の葛藤をよそに、トムがエインに近づく。

 

「エイン先生、本当にすごいですね! なんでも知ってて!」

「まあな」

「それにしても、その腕輪かっこいいですね」

「お、お前にもわかるか? でもこれはハーゲンの野郎が──」

 

 しばらくして、授業終了を告げる鐘が鳴り響いた。

 

 エインは黒板を振り返り、満足そうに頷く。

 

「よし。座学はこれで終わり。午後の実技では、今朝教えた効率化を試してもらう」

 

 生徒たちはフレッドの授業を思い出しながら、明るい表情で教室を出ていった。だが、アメリアだけは机に突っ伏したまま動けなかった。

 

 黒板から消された【超紅蓮槍】の構造が、残像のように脳裏に焼きついている。家に代々伝わる【紅蓮槍】など、あの術式の前では子供の落書きのようだった。

 

(私が誇りに思っていたものは……いったい何だったの……?)

 

 ラングフォード家四百年の歴史。それは確かに重い。だが、エインがあっさり描いた術式は、その重厚な伝統を軽々と凌駕してしまった。

 

 胸の奥で、何かが音を立てて崩れていく。

 

    ◆

 

 昼休みが終わり、訓練場に集まった生徒たちの前へ、満足げな表情を浮かべたエインが現れた。手には、何やら資料らしき紙束を持っている。

 

 その中で、一人だけ俯いたまま動かない少女がいた。アメリアは午前中の出来事を引きずったまま、ぼんやりと床を見つめている。

 

「やあ、お前ら。それじゃあ今日は、火魔法の実技カリキュラムを全部終わらせるぞ」

 

 エインは手元の資料に目を落とし、事務的な口調で読み上げた。

 

「ええと、まだ残っているのは……【火矢】三百回、【火球】二百回、【爆炎】五十回だ」

 

 生徒たちの顔が、一斉に土気色になる。毎日練習しても数週間はかかる量を、一日でやれと言っているのだ。

 

「ちょっと待てよ!」

 

 一人の生徒がたまらず声を上げた。

 

「全部って、無茶苦茶だろ! 魔力も時間も足りないよ!」

「そうだよ! そんなの無理に決まってる!」

 

 当然の反発に、エインは面倒くさそうに答える。

 

「魔力なら昨日と同じように補給すればいいだろ。時間についても、そのために今朝、効率のいい方法を教えたんじゃないか」

 

 その言葉に、一人の生徒が震える声で問い返した。

 

「じゃあ……午前中に【火球】の魔法を教えたのは……」

 

「そうだよ。このためだよ」

 

 エインはあっさり認めた。

 

「明日からは全部の属性のやり方を教えて、魔力補給しながら一日ずつカリキュラムを終わらせるからな。効率的だろ?」

 

 訓練場が、死んだように静まり返る。

 

 生徒たちは、午前中の親切な指導がすべて罠だったのだと悟った。絶望が、じわじわと顔に広がっていく。

 

 その、あまりにも呑気な悪魔の合理性に、生徒たちが顔を歪める中、一人の教師が震えながらも前へ出た。担任のリリィ・ミストだ。

 

「ま、待ってください、エイン先生! 実技には決められたカリキュラムがあります! こんなに一度に……!」

 

 必死に制止しようとするリリィに、エインは心底面倒くさそうに返した。

 

「早く終わるに越したことはないでしょ? それに今でも遅れが出てるんだから、取り戻さないと」

 

 腕を組み、もっともらしい理屈を並べ立てる。

 

「で、ですが! 生徒たちも、まだ昨日の疲労が……!」

 

「それならなおさら早く終わらせた方がいいですね。昨日より魔力の供給速度を上げましょう」

 

 その提案に、リリィは言葉を失った。

 

 訓練場に重い沈黙が落ちる。エインの異常な発言に、生徒たちはただ立ち尽くしていた。だが、その沈黙の奥で、怒りと恐怖が静かに膨らみ始めている。

 

 このままでは、本当に昨日以上の地獄が始まる。

 誰かが、何とかしなければならない。

 

 そんな切迫した思いが訓練場を支配する中、自然と視線が一人の少女へ向けられた。

 

「アメリア!」

「お前からも何か言ってくれよ!」

「そうよ、いつものアメリアなら絶対に黙ってないじゃない!」

 

 クラスメイトたちの期待が、一斉にアメリアへ注がれる。

 

 その瞬間、彼女の脳裏に記憶が蘇った。みんなの期待を背負って立ち上がり、そして無残に打ち砕かれた、あの屈辱的な瞬間が──

 

(また……みんなが私に期待して……でも私は……)

 

 アメリアは口を開こうとした。いつものように、毅然とした声で反論しようとした。

 

 だが、喉が詰まったように言葉が出てこない。

 

 午前中のエインとのやり取りが、鮮明によみがえる。完璧に論破され、家の誇りを踏みにじられ、何ひとつ言い返せなかった、あの無力感。

 

「アメリア?」

 

 クラスメイトの声が、まるで遠くから聞こえてくるようだった。期待の眼差しが重い。息が苦しい。

 

「私は……」

 

 かすれた声が、ようやく漏れる。

 

 言わなければならない。何か言わなければ。

 でも、何を言っても無駄だと分かっていた。エインの前では、自分の言葉など何の意味も持たない。

 

 また失敗する。

 また恥をかく。

 また、みんなをがっかりさせる。

 

 その恐怖が、アメリアを完全に支配した。

 

「私は、あんたの授業なんか受けたくない……」

 

 そう呟くと、アメリアは顔を伏せた。訓練場が静まり返る中、追い詰められた彼女は、途切れ途切れの声でリリィに訴える。

 

「リリィ先生……お願いします……私のクラスを変更してください……」

 

 その悲痛な訴えに、クラスメイトたちがざわめいた。

 

「ちょっと待てよ、アメリア!」

「自分だけ逃げるつもりかよ!」

「俺たちを置いて行くのか?」

 

 アメリアは顔を上げた。クラスメイトたちの冷ややかな視線が突き刺さる。

 

(違う……私は本来、こんなところにいるはずじゃなかった……)

 

 ラングフォード家の娘として、もっと上のクラスで学ぶべきだった。優秀な生徒たちと切磋琢磨し、家の誇りを背負って──それなのに、なぜ自分がこんな場所に。

 

 リリィは困惑した表情を浮かべる。

 

「え、あの……でも、クラス変更は校長先生の許可が必要で……それに、理由もなしには……」

 

 申し訳なさそうに言葉を濁すリリィ。その様子を見て、エインが口を挟んだ。

 

「リリィ先生の言う通りだ。試験の結果でお前はEクラスに配属されたんだぞ。実技をやりたくないからって逃げちゃダメだろ」

 

 その瞬間、アメリアの中で何かが弾けた。

 

「そもそも……!」

 

 声が感情で震えている。

 

「そもそも、あなたが試験を滅茶苦茶にしたせいで、やり直しになったのが全ての原因じゃない!」

 

 訓練場の空気が、しん、と凍りついた。

 

 激昂したアメリアは、もう止まらない。

 

「あなたのせいで……! あなたさえいなければ、私がこんな……こんな出来損ないの連中と、同じクラスになることなんてなかったのに!」

 

 瞬間、訓練場の空気が完全に変わった。

 

 それは、侮蔑だった。

 Eクラスの、他の全生徒に向けられた、あまりにも明確な。

 

 それまで遠巻きに見ていたクラスメイトたちが、今度はアメリアに軽蔑の視線を向ける。

 

「……なんだよ、出来損ないって」

「自分が一番偉いとでも思ってんのか?」

「ラングフォード家だからって、調子に乗るなよ」

 

 突き刺さる敵意の視線。容赦ない囁き。もう味方はどこにもいなかった。

 

 アメリアの顔が、みるみる青ざめていく。自分が何を言ったのか、ようやく理解し始めたのだ。

 

(私は……なんてことを……)

 

 ラングフォード家の誇りと、Eクラスに落とされた屈辱。その二つが絡み合った果てに、彼女の口から飛び出したのは、同じ境遇にいるクラスメイトたちへの侮蔑だった。

 

 アメリアは唇を強く噛んだ。謝りたい。だが、プライドが邪魔をして、言葉にならない。

 

 耐えきれなくなった彼女は、その場から逃げるように訓練場を飛び出していく。

 

「アメリアさん! 待ってください!」

 

 アメリアが飛び出したのを見て、リリィも衝動的に彼女を追いかけようとする。その背中に、エインの平坦な声が飛んだ。

 

「授業はどうするんですか?」

 

 リリィの足が止まる。振り返ると、そこにはエインと、不安そうに自分を見つめる生徒たちがいた。

 その瞳に、一瞬だけ迷いがよぎる。

 

「……あなたに、任せます」

 上ずった声でそう言い残し、リリィは足早に訓練場を出ていった。

 

 後に残されたのは、最悪の教師と、彼に取り残された生徒たち。

 希望の逃げ道すら閉ざされ、絶望だけが訓練場に漂っていた。

 

    ◆

 

 校舎裏の木陰で、アメリアはしばらく一人で泣いていた。

 

 感情のまま訓練場を飛び出してから、どれくらい経ったのだろう。しゃくり上げるたびに、誇らしげだったツインテールが頼りなく揺れる。怒り、屈辱、そして何より──自分自身への嫌悪が、胸の内でぐちゃぐちゃに渦巻いていた。

 

(私って、最低……)

 

 エインへの怒りは確かにある。だが、それ以上に胸を締めつけていたのは、自分が同じクラスの仲間を「出来損ない」と呼んでしまったことへの後悔だった。ラングフォード家の誇りを守ろうとして、結果的に自分が一番恥ずべきことをしてしまったのだ。

 

 後悔と自己嫌悪、それでも拭いきれないプライドが絡み合い、熱い涙になって溢れ出す。

 

 そこへ、息を切らしたリリィが追いついた。

 

「はぁ、はぁ……アメリアさん。よかった、ここにいたんですね」

 

 不器用な声かけに、アメリアは顔を上げない。

 

「……ほっといてください。どうせ私なんて……みんなの言う通り、調子に乗った嫌な奴ですから」

 

 その自嘲に、リリィの胸が痛んだ。いつも気丈で誇り高かったアメリアが、こんなにも自分を責めている。

 

「そんなこと──」

 

 言いかけて、リリィは口をつぐむ。安易に否定するのではなく、まずはこの痛みを受け止めるべきだと思ったのだ。

 

 そして、おずおずと──しかし決意を込めて──アメリアの隣に腰を下ろした。

 

「……辛かったですね。一人で、ずっと」

 

 その真っ直ぐな言葉に、アメリアの肩がかすかに震える。

 

 しばしの沈黙の後、リリィはそっと問いかけた。

 

「何があったのか……話してもらえますか?」

 

 アメリアは涙に濡れた瞳でリリィを見つめ、それからぽつりぽつりと、誰にも言えなかった後悔を語り始めた。

 

「……エインのせいなんです。あいつが試験を滅茶苦茶にしたから」

 

 その言葉に、リリィは眉をひそめる。

 

「エイン先生のせい、とは……?」

 

「朝から練習していて、魔力はギリギリだったんです。でも【紅蓮槍】一発分だけは残してあって……だから、試験は成功してたはずだったのに……!」

 

 悔しさに声を震わせながら、アメリアは続けた。

 

「……あいつが試験官の記憶を消して、試験そのものを『無かったこと』にしたんです」

 

 リリィの目が見開かれる。

 

「再試験では、回復薬を飲んでも魔力が足りなかった。なのに……みんなが見てる前で、家の誇りである【紅蓮槍】を選んでしまった」

 

 言葉が嗚咽に途切れる。

 

「でも失敗したんです。術式は崩れて……それが、私の実力です。Eクラスなんて、当然の結果だった……」

 

 しばらく黙り込んだあと、アメリアは自分を責めるように続けた。

 

「でも……本当は分かってる。あいつのせいだけじゃない。私が弱かったから。プライドにすがって、自分をごまかして……」

 

 拳を強く握りしめる。

 

「悔しさをどうしていいか分からなくて……関係ないみんなにぶつけて……」

「『出来損ない』なんて……ひどいことを……」

 

 声がかすれる。

 

「……本当に、最低です……」

 

 リリィはそっと手を伸ばし、アメリアの肩に触れた。

 

「アメリアさん……一緒に戻りましょう。訓練場に。ちゃんと謝れば、きっとみんな……」

 

 その言葉に、アメリアの顔がみるみる青ざめる。

 

「無理です。私にはできません。……また失敗したら……また、みんなの前で恥をかくのが怖くて……」

 

「大丈夫です。私も、ついています」

 

 優しい励ましに、アメリアの瞳が揺れた。だが、次の瞬間──怒りが灯る。

 

「先生に、私の何がわかるって言うんですか! 先生だって、いつも震えてるくせに! あいつが怖くて、何も言えないくせに! みんなに嫌われるのが怖くて、いつも逃げてるくせに! なのに、なんで私には『戻れ』なんて言えるんですか!」

 

 その叫びに、リリィははっと言葉を失った。

 

 アメリアの言葉は、すべて図星だった。

 自分もまた、恐怖に支配されていた。

 

「……その通りです」

 

 リリィは静かに頷いた。

 そして、ゆっくりと自分の弱さを言葉にしていく。

 

「私も、ひどい教師でした」

 

 ぽつりと落ちたその言葉は、自嘲にも似ていた。

 

「怖かったんです。生徒に嫌われるのが。叱って、反発されて、見捨てられるのが……」

 

 リリィは目を伏せ、ぎゅっとスカートの裾を握る。

 

「だから、叱れなかった。授業もまともにできなくて……それでも私は、自分を守ることばかり考えていました」

 

 声がわずかに揺れる。

 

「エイン先生が来て、私の無力さがはっきりした。それでも私は……何もできなかった。見て見ぬふりをしていたんです」

 

 そして彼女は、そっとアメリアの手に触れた。

 

「でも、あなたの言葉で気づきました。逃げていたら、何も守れないって」

 

「だから一緒に戻りましょう。私も、もう逃げません。あなたたちを守る。……それが、私の使命だから」

 

 その言葉に、アメリアの瞳が大きく揺れる。

 

 リリィもまた、同じ恐怖を抱えていた。

 それでも立ち向かおうとしている。

 

 アメリアもまた、そっとその手を握り返した。緊張でこわばったその手は、確かに温かかった。

 

「……はい。一緒に」

 

    ◆

 

リバースヒエラルキー

 

    ◆

 

 その頃、訓練場では。

 

 アメリアとリリィが突如抜け出し、しばらく呆けていたエインだったが、すぐに気を取り直して生徒たちへ向き直った。

 

「えー、一部生徒が欠席しているため、予定していたカリキュラムを進めても意味がありません。……仕方ない。本日の授業はこれにて終了とします! ただし、これはあくまで特例だ。──その分、明日は火魔法だけじゃなく、水魔法の実技も全部終わらせるからね」

 

 その宣言は、到底受け入れられるものではなかった。

 

「二つの属性を一日で!?」

「そんなの無茶苦茶だよ!」

「死んじゃう……」

 

 恐怖に怯える生徒たちの中で、一人だけ違う反応を見せた者がいた。昨日エインに洗脳されたトムが、にやりと口の端を吊り上げたのだ。

 

(……やっと、チャンスが来た)

 

「先生。じゃあ先生のお仕事も、これで終わりですか?」

 

 何気ない問いに、エインは頷く。

 

「そうだな。今日はもう終わりだ」

 

 その瞬間、トムがゆっくりと立ち上がった。

 

「そっか。じゃあ今なら、腕輪の制約で魔法が使えないってことだよな」

 

「は?」

 

「覚えてるか、みんな。座学の時にあいつが説明してた『誓約の腕輪』のこと。『勤務時間外』では魔法が使えないって」

 

 生徒たちがざわめく。昨日の恐怖を味わった数人の目に、復讐の光が宿った。

 

「昨日のお礼を、たっぷりしてやる!」

 

 トムの宣言に、エインが反射的に魔法を使おうとしたが──

 

「ア゛ッ!?」

 

 腕輪が激痛を走らせ、魔法は発動しなかった。

 

 トムは勝ち誇ったように言い放つ。

 

「やっぱりな。お前はもう魔法を使えない! 自分で『今日はもう終わり』って言ったもんな。ご苦労様でした、先生!」

 

 トムを中心に、昨日の地獄を体験した数人の男子生徒が、じりじりとエインを取り囲む。それぞれの目に、溜まりに溜まった恨みが燃えていた。

 

 エインは腕に嵌められた銀の腕輪をちらりと見て、小さく舌打ちする。

 

「おいおい、マジかよ……」

 

 戦う手段を失ったエインに、容赦なく魔法が飛んだ。

 

【火球】(ファイアボール)!」

「うおっ!?」

 

 かろうじて避けるが、トムたちの放つ初級魔法は次々とエインの足元や壁に炸裂する。昨日とは威力も精度も段違いで、訓練場の壁には深い焦げ跡が刻まれ、訓練用の的が次々と砕けていった。

 

「やめろ! 魔法で人をいたぶるなんて、何を考えてるんだ!」

「あんただけには言われたくねえよ!」

 

 完全に形勢は逆転していた。皮肉にも、エイン自身が教えた技術が、そのまま彼を追い詰める武器になっていた。

 

 しかし、激しさを増す攻撃の中で、エインはふと何かに気づいたように腕輪を見下ろした。そして、口元に薄い笑みを浮かべる。

 

 次の瞬間、突然手を前に突き出した。

 

【防壁】(シールド)!」

 

 青白い光の壁が展開され、飛来する魔法をまとめて受け止める。

 

「え!?」

「魔法が使えた!?」

「どういうことだよ!」

 

 驚愕する生徒たちを前に、エインは薄く笑った。

 

「俺は優しいからよ。時間外でもお前らを指導してやるよ」

 

 どこか楽しげに言い放つ。

 

「ここからはサービス残業だ。タイムカードはいらねぇからな」

 

【反射】(リフレクト)! 【反射】!」

 

 エインの魔法によって、生徒たちの攻撃魔法が次々と跳ね返される。反射された火球が味方の近くに炸裂し、生徒たちは慌てて後退した。

 

「うそだろ!? 魔法が跳ね返ってくる!」

「やばい、これじゃ攻撃できない!」

 

 士気が急激に落ちていく。エインの反射魔法を前に、恐怖で足がすくむ者も現れ始めた。

 

 しかし、その中で一人だけ、なお立っている者がいた。

 

「みんな、諦めるな!」

 

 トムが大声で叫ぶ。昨夜から燃え続けている復讐の炎は、この程度では消えない。

 

「あいつをこのままのさばらせていいのか!? 昨日のことを忘れたのか!?」

 

 その言葉に、生徒たちの脳裏で昨日の記憶が蘇る。エインに支配され、恐怖に震えていた一日が。

 

「俺たちがここで負けたら、明日からもずっと、あいつの好きにされるんだぞ!」

 

「でも、魔法が跳ね返ってくるんだぞ! どうしろって言うんだよ!」

 

 怯える仲間に、トムは鋭く指示を飛ばした。

 

「聞け! 反射魔法は一度に一つの魔法しか跳ね返せない! そして跳ね返された魔法は、俺たちが防げばいい!」

 

 生徒たちが息を呑む。トムはさらに続ける。

 

「マーク、ライアン! お前たちは【防壁】係だ! 跳ね返された魔法を防げ! 他のみんなは散開して囲め! 一斉攻撃で反射を間に合わなくさせるんだ!」

 

 その作戦に、生徒たちの目に再び闘志が灯る。昨日の屈辱が、立ち向かう勇気へと変わっていく。

 

「そうだ! みんなでやれば!」

「作戦通りにやろう!」

 

「位置について! 三、二、一……今だ!」

 

 組織立った攻撃が始まった。複数方向からの同時攻撃に、エインの反射魔法が次第に追いつかなくなっていく。さらに、エインの魔力が徐々に底をつき始めているのも見て取れた。

 

「くそっ……もう持たねぇ!」

 

 息を切らしながら、エインは生徒たちを睨みつける。

 

「覚えてろよ! 今度は本当に、お前ら全員、きっちり“教育”してやるからな!」

 

    ◆

 

 一方その頃、リリィはアメリアと共に訓練場へ向かっていた。

 

 先ほどの対話で決意を固めた彼女の足取りは、普段からは想像もできないほど力強い。震えはまだ残っている。だが、それでも生徒たちを守るという使命感が、恐怖を上回っていた。

 

「リリィ先生……」

 

 隣を歩くアメリアが、不安そうに声をかける。

 

「大丈夫です。もう、逃げません」

 

 リリィは小さく頷いて答えた。訓練場まで、あと少し。

 

 その時だった。

 

 訓練場の方から、エインの怒声が響いてきた。

 

「──お前ら全員、きっちり“教育”してやるからな!」

 

 その言葉が訓練場中に響き渡り、リリィの血の気が引く。

 

(やっぱり……! エイン先生が、生徒たちを脅迫して……!)

 

 彼女の中で、最後の迷いが消えた。

 守るべき生徒たち。

 そして、今まさに彼らを苦しめている悪の教師。

 

「待ってください、リリィ先生!」

 

 アメリアの制止も聞かず、リリィは訓練場へ向かって駆け出した。

 

 バンッ!!

 

 勢いよく扉を開け放つと同時に、リリィは魔法陣を展開していた。

 

 目の前にあるのは、生徒たちに囲まれながら脅迫の言葉を吐いているエインの姿。煙と爆音の余韻が立ち込め、視界は悪い。状況の全貌は見えない。だが、リリィにはエインが生徒たちを一方的に脅しているにしか見えなかった。

 

「──もう、あなたの好きにはさせません!」

 

 正義感に燃えたリリィが、高らかに宣言する。彼女の前に、普段からは想像もつかないほど力強く、正確な魔法陣が浮かび上がった。

 

「喰らいなさい! 【聖光懲罰】(ホーリー・パニッシュメント)!」

 

 宣言を果たすため。

 生徒を守るため。

 

 リリィ渾身の魔法が、まばゆい光の槍となってエインへ突き進む。

 

「えっ、なにを──」

 

 自らの怠慢、生徒の反逆、そして最悪のタイミングでの脅迫発言。

 そのすべてが重なった刹那──

 

 信念を貫く同僚の光が、容赦なく彼を裁いた。

 

 悲鳴を上げる間もなく、エインは光に呑まれ、静かに崩れ落ちた。

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