引きこもり、魔法学校にぶち込まれる   作:年中有休

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今回は予告通りスピンオフ!

前回までのあらすじ
エイン君、二重国籍になる!


推理編
そして誰も被れなくなった【出題編】


「カツラは偽りだ!」

 

「ありのままの頭皮に誇りを!」

 

「ハゲを隠すな、解放せよ!」

 

赤いのぼりを掲げ、拳を突き上げる市民たちの叫びが、王都の空を震わせていた。

数十人規模のデモ。中心には横断幕がある。

 

『頭皮に解放を 自然美推進協会』

 

その一帯を、王国の衛兵たちが無言で取り囲んでいた。

重苦しい空気が漂う。

だが、妙に眩しい。

午後の日差しが、彼らの頭部で乱反射していた。フードもターバンも帽子もない。全員が堂々と、つるつるの頭を晒している。まるで磨き上げられた鏡のように、光を弾き返していた。

 

「……何だ、あれは」

ロイスが思わず足を止めた。

茶色の髪を無作法に撫でつけながら、険しい目でデモ隊を見やる。王都調査局の捜査官。真面目で正義感が強い。

 

「最近流行りの自然派ってやつですかね」

隣でフィーネが目を丸くしていた。

栗色のポニーテールを揺らしながら、どこか楽しそうな口ぶりでつぶやく。新人で、明るく純粋だが、時に空気が読めない。

 

「天然ワカメでも撒けば喜ぶんじゃねぇの」

グレアムが皮肉げに言った。

黒髪に無精髭、くたびれたコートの男。王都調査局第三分室の室長だ。煙草を咥えたまま兵士たちの間を抜けていく。

 

デモの中心にあるのは、王都屈指の高級ホテル、グランド・マジェスティカ。

三人が正面玄関をくぐった瞬間、外の喧騒が嘘のように消えた。

大理石の床が足音を吸い込み、天井のシャンデリアが柔らかな光を降らせる。

壁には高価そうな絵画が並び、空気さえ静謐に感じられた。

ここ一泊で、庶民の月給が吹き飛ぶ。

 

グレアムが身分証を見せると、受付嬢は丁寧に一礼し、三人を奥へと案内した。

厚手の絨毯が足音を包み込む。

廊下の突き当たり、重厚な扉の前で足が止まった。

 

扉が開かれる。

中には、革張りのソファから立ち上がる男の姿があった。

「ようこそ、王都調査局の皆様。お待ちしておりました。カルヴァン・ルミナスです」

 

カルヴァン・ルミナス──グレアムは内心で反復した。ルミナス家といえば王国屈指の魔道具貴族。王家や貴族に、代々魔道具を納入・献上してきた名家だ。

 

「グレアムだ。こちらはロイス、フィーネ」

簡単な挨拶を交わし、三人はソファに腰を下ろした。

カルヴァンがティーポットに手を伸ばしかけたが、グレアムが制する。

「時間がない。要点を頼む」

 

「……はい」

カルヴァンは姿勢を正した。

その動きに、わずかな硬さがある。

「実は……本日、このホテルにて、ルミナス家の新作カツラの発表会を予定しております」

 

「……カツラの、発表会?」

フィーネが思わず声を漏らす。

ロイスも困惑した表情で言葉を失っている。

 

カルヴァンは苦笑した。

「あなた方には必要ないでしょうから、驚くのも当然です。ですが、ハゲている者からすれば……カツラは人生を左右する重大事なのですよ」

その声には、自嘲と諦めが混じっていた。

 

「だが、表の連中は気に食わないようだな」

グレアムが煙草の灰を落とした。

 

窓の外からは、相も変わらず騒ぎ続けるデモ隊が見える。

 

カルヴァンが目を伏せる。

「ええ。自然美推進協会です。カツラを否定し、ありのままを肯定せよと訴える団体で……各地のカツラ工房や販売店が襲撃されています。我が家も、何度か標的になりました」

 

「なのに、今日開催するのか?」

ロイスが尋ねる。

 

「本来は、限られたお得意様だけに知らせ、密やかに開く予定でした。それが、どこからか情報が漏れてしまいまして……」

カルヴァンが苦い表情を浮かべた。

 

その時、窓の外から怒号が響いた。

 

「カルヴァン!出てこい!」

「隠れるのは頭だけにしとけ!」

「ハゲを解放せよ!」

 

フィーネが窓のほうを見た。

「……あの人たちに、何かしたんですか?」

 

「さあ、私も知りませんよ。とにかく、困っているのです」

カルヴァンが肩をすくめる。

 

「それで、デモ隊から警備してほしい、ということか?」

グレアムが尋ねる。

「だが、それなら衛兵だけで十分だ。外にも配置はされているし、中にも警備員がいるだろう。なぜ調査局に?」

 

カルヴァンの動きが止まる。

数秒の沈黙のあと、意を決したように口を開いた。

「……今、王都を騒がせている予告状はご存知ですか?」

 

「予告状?」

グレアムが眉を動かす。

 

ロイスが応じた。

「怪盗ファントム……ですね」

 

王都を騒がせる神出鬼没の怪盗。

数日前、王城に宛てた予告状が新聞各紙で報じられていた。

『満月の夜、秘密を覆うヴェールを頂きに参上する』

"ヴェール"が何を意味するのか分からず、調査局の人員はここ数日、王城内の貴重品の確認や警備強化に出払っている状況だった。

 

「確か、今日が満月でしたね」

ロイスが呟いた。

 

カルヴァンは無言で、机の引き出しに手を伸ばした。

緊張した指先が、一通のカードを取り出す。

それを、グレアムに差し出した。

「……これが、私の元に届きました」

 

グレアムがカードを開く。

流麗な筆記体で、こう記されていた。

『今宵、秘密を覆うヴェールを頂きに参上する――怪盗ファントム』

 

ロイスとフィーネが、同時に声を失う。

「もう一つの……予告状……」

 

「今朝届いたのです。発表会の日に合わせたかのように」

カルヴァンの声が沈む。

 

グレアムは予告状を見つめた。

煙草の煙が、ゆっくりと立ち上る。

「一体、何を狙っている? まさか……」

 

「断定はできません。ただ……"秘密を覆うヴェール"という言葉、そして今日の発表会のタイミングから考えると、新作のカツラではないかと」

 

「カツラを……」

ロイスが困惑の色を浮かべる。

「だが、なぜ二箇所に、同じ時間を指定して予告状を? まさか、複数犯なのか?」

 

グレアムはカードを見つめたまま、言葉を切った。

数秒の沈黙。

やがて視線を上げる。

「……とにかく、この予告状の送り主は、デモ隊の混乱に紛れて犯行に及ぶ可能性がある。だから、調査局を頼った。そういうことだな?」

 

「はい」

カルヴァンは深く頭を下げた。

その肩が、わずかに震えている。

「どうか、お力添えを」

 

グレアムは立ち上がる。

「分かった。関係者の聴取を行う。協力は頼む」

「もちろんです」

「ロイス、フィーネ、お前たちも聞き込みを頼む」

「了解です」

 

捜査が、始まった。

 

────

 

「不審な人物は見ていません」

ホテルの従業員が首を横に振る。

「デモ隊が騒がしいとは思いましたが、それ以外は……」

 

グレアムは聴取リストに印をつけた。

また一つ、手がかりが消える。

 

「変わったこと? 特にありませんね」

宿泊客の老紳士が怪訝そうに眉をひそめた。

「私はただ、静かに過ごしたかっただけなのですが」

 

何も情報を得られない。

グレアムは廊下の隅で煙草に火をつけ、リストを眺める。

残された名前は、あとわずか。

ロイスとフィーネは別のフロアでホテル内の調査中のはず。

このまま何も得られなければ──

廊下の奥から、二人の姿が見えた。

 

ロイスが疲れた足取りで近づいてくる。

「グレアムさん」

その顔を見ただけで、結果はわかる。

「こっちも全滅です。誰も不審な人物なんて見てません」

 

「私もです!」

フィーネが元気よく報告する。

新人特有の前向きさなのだろう。

 

グレアムは煙を吐き出し、足元に落ちた灰を見下ろした。

「そっちは?」

ロイスが尋ねる。

 

「同じだ」

グレアムはリストを差し出す。

黒いペンで消された名前が並んでいた。

「残りはあと数人。最後まで当たってみる」

 

「了解です」

二人は小さく頷き、別のフロアへと向かっていった。

 

廊下に静けさが戻る。

彼は改めてリストに目を落とした。

発表会まで、もう時間がない。

 

次の部屋の前に立ち、ノックをする。

「どうぞ」

中から若い声が返ってきた。

 

グレアムが部屋に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

温度が一度、下がったような感覚。

気配のない室内に、ひとりの少年が静かに座っていた。

黒髪に黒い瞳。十代半ばほどの年齢。

だが、その佇まいには妙な緊張感があった。

 

グレアムは思わず足を止める。

目が合った。

瞬間、背筋に冷たいものが走った。

何だ、これは。

長年、調査局で数え切れないほどの人間を見てきた。犯罪者、容疑者、証人、被害者。嘘をつく者、怯える者、隠し事をする者。

だが、この少年は違う。

何かが、決定的に違う。

グレアムの本能が警告を発していた。

これは、普通の人間じゃない。

 

少年はゆっくりと立ち上がった。

黒い制服に身を包み、無言のままグレアムを見つめている。

「王都調査局の者だ」

グレアムは身分証を掲げた。

「少し聞きたいことがある」

 

「いいですよ」

少年は答えた。

調査局と聞いても、肩のこわばりも、視線の揺らぎもない。

 

「まず、名前を聞かせてもらえるか」

「ステインです」

「ここには何の用で?」

「留学ですよ、王立魔法学校に編入するんです。今は帝国からの使者が到着するまで、このホテルで待機してるとこですね」

 

返答は簡潔で、よどみがない。

グレアムは魔力を指先に集めた。

【精神感応】(テレパス)。嘘を検知するための高等精神魔法。

普段はまず使わないが、この少年には使うべきだと直感が告げていた。

魔力が少年の精神に触れる。

言葉の裏側を探る。

 

「若いのに、なぜこんな高級なホテルに?」

「お金だけは持ってましてね。割の良い内職をやってるんですよ」

嘘は、ない。

だが、妙に曖昧な答えだった。

少年はそれ以上、何も付け加えようとしない。

 

「今日、ホテル内で不審な人物を見なかったか?」

「いえ、特には」

「変わったことは?」

「外がうるさいなとは思いましたが、それくらいですね」

【精神感応】に、反応はない。

その後も、グレアムは質問を続けた。

 

「最後に一つ、聞く」

「はい」

少年が真っ直ぐこちらを見る。

その瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。

「お前は今まで、罪を犯したことはあるか?」

 

少年が一瞬、動きを止めた。

きょとんとした顔をする。

質問の意味を測るように、小首をかしげ、まばたきを一つ。

そして、当然のことを言うように口を開いた。

「そんなこと、あるわけ無いじゃないですか」

 

虚偽の反応はない。

少年は本当に、心の底から「自分は一度も罪を犯していない」と信じていた。

疑いも、逡巡も、まったくない。

グレアムは言葉を失った。

人は、誰でも何かしらの後悔を抱えて生きている。

子供の頃の悪戯、他人への無神経な言葉、ささやかな裏切り。

それらすべてが、この少年には存在しない。

それは善良さではなかった。

罪悪感そのものが、彼には存在しない。

 

グレアムがそう結論づけかけた時、少年が口を開いた。

「俺を疑ってるんですか?」

飄々とした口調だった。まるで冗談を言うかのようだ。

「嘘なんかつきませんよ。【精神感応】まで使わなくたっていいでしょう」

 

彼の背筋に、冷たいものが走った。

「……なぜ、分かった?」

【精神感応】は、相手の感情を読み取るだけの魔術、察知されることはないはずだ。

 

「そりゃあ、こっちも同じ魔法を使ってたんですから、分かりますよ」

少年はあっさりと言った。

互いの精神に触れていた。

少年は何の躊躇もなく、まるで挨拶でもするかのように、こちらの思考を探っていた。

 

「それにしても」

少年が、興味深そうに続ける。

「カツラの発表会、怪盗ファントムの予告状……面白そうですね」

 

グレアムの顔色が変わった。

「貴様……!」

 

情報を、読み取られた。

いつの間に。いや、最初から。

質問をしながら、同時に彼の内側に手を伸ばしていたのだ。

一瞬で核心を抜き取られた。

グレアムの技量では不可能な、精密な感応。

それを、当然のようにこなしている。

彼は息を呑んだ。

この少年は、危険だ。

 

だが、今は追及している時間はない。発表会が迫っている。

それに──この少年に敵意は感じられない。

「このことは、誰にも言うな」

グレアムは低く告げた。

 

「分かってますよ」

少年は軽く頷くと、肩をすくめて言った。

「それにしても、カツラの発表会って興味深いですね。俺も見に行ってみようかな」

 

グレアムは深く息をついた。

情報を読み取られた動揺は、まだ収まらない。

だが、この少年に警戒心はない。

むしろ、無邪気なほど興味を示している。

新しい煙草に火をつける。

 

「……若いのに、大変だな」

彼は皮肉っぽく言った。

この年齢で、もうカツラが必要とは。

 

「え?」

少年がきょとんとした顔をする。

「そんなんじゃありませんよ。俺、カツラ剥がし職人なんで」

 

煙草を持つ手が、一瞬止まる。

「……何だと?」

 

「だから、カツラ剥がし職人です。プロとして、勉強は大切でしょう。この前も、仕事してきたところなんです」

少年は平然と繰り返した。

【精神感応】は、嘘を示さない。

冗談ではなかった。

 

何だ、それは。

カツラ剥がし職人。

そんな職業が、この世に存在するのか。

しかも、実際に"仕事"を行っている。

 

「……まぁいい。聞きたいことは以上だ。発表会に参加したいなら勝手にしろ」

グレアムは聴取を切り上げた。

これ以上この少年と話していると、自分の方がおかしくなりそうだった。

「ただし、捜査の邪魔だけはするな」

 

「もちろん」

少年は軽く手を挙げた。

 

グレアムは立ち上がり、ドアへ向かう。

扉が閉まり、静寂が戻る。

そのまま深いため息をつき、煙草に火をつけようとした。

だが、手がかすかに震えていた。

情報を読み取られた。

それどころか、こちらの情報まで抜かれた。

だが、それ以上に、あの少年に対する得体の知れない恐怖が残った。

 

それでも、今は立ち止まっていられない。

発表会の時間が迫っている。

怪盗ファントムの予告時刻も、もうすぐだ。

グレアムは体を起こし、次の聴取に向かった。

廊下に残された煙草の煙が、ゆっくりと消えていく。

 

────

 

全ての聴取を終え、ホテル内の調査を続けても、有益な情報は得られなかった。

グレアムはロイスとフィーネと合流し、結果を報告し合った。

三人とも疲労の色が濃い。

 

「収穫なし、か」

グレアムは煙草を揉み消した。

火が消え、小さな煙が立ち上る。

 

「仕方ありません」

ロイスが肩をすくめる。

「怪盗ファントムは神出鬼没です。目撃情報がないのも当然かと」

 

「でも、必ず来るんですよね?」

フィーネが不安そうに言う。

「予告状を出したからには」

 

「ああ」

グレアムは頷いた。

「来る。問題は、いつ、どうやってか、だ」

 

やがて、発表会の時間が近づいてきた。

会場となる大ホールには、招待客が続々と集まり始める。

黒いローブで全身を覆った人々が、静かに会場に入っていく。

 

グレアムは会場の隅に立ち、全体を見渡した。

出入り口には警備の兵士が配置され、窓も封鎖されている。

外のデモ隊は兵士たちに阻まれ、怒号は聞こえるものの、ここまでは届かない。

だが、長年の捜査官としての勘が、何かを警告している。

 

「グレアムさん、あれ……」

フィーネが小さく声を上げた。

指差す先には、黒いローブで全身を覆った集団がいる。

数十人。

全員がフードを目深に被り、顔を隠していた。

 

「怪しいです! 全員逮捕しましょう!」

フィーネが身構える。

だが、ロイスが彼女を制した。

 

「待て。あれは……」

ロイスは小声で言った。

「カツラの愛用者たちだ」

 

「え?」

 

「考えてみろ。発表会に参加しているということは、新作に興味があるということだ」

「だが、ここで顔を出せば、カツラを着けていることがバレる。だから、ああして素性を隠している」

 

「なるほど……」

フィーネは納得したが、まだ警戒を解いていない。

 

グレアムも、あの集団を注視していた。

ローブで顔を隠す。それは確かに、参加者の行動として理解できる。

だが、同時に、怪盗ファントムが紛れ込むには絶好の隠れ蓑でもある。

 

彼は警備の兵士に小声で指示を出した。

「あの集団を監視しろ。何かあったらすぐに動ける体制で」

 

「了解です」

 

やがて、会場の照明が落ちた。

ざわめきが一瞬で静まり、期待と緊張が満ちる。

暗闇の中、壇上にスポットライトが当たる。

カルヴァン・ルミナスが、ゆっくりと姿を現した。

黒いハットに金縁の眼鏡。

理知的な顔立ちは保っていたが、その表情にはわずかな緊張がにじんでいた。

 

会場の空気が、ひとつに収束する。

全員の視線が、壇上のカルヴァンに吸い寄せられた。

グレアムはホール全体を見渡した。

ローブの集団が、会場のあちこちに陣取っている。

全員が壇上を見つめ、フードの奥から無言の視線を送っていた。

 

「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」

カルヴァンの声が、静寂を破った。

「本日、ルミナス家が長年研究を重ねてきた、最高傑作をお披露目いたします」

 

期待の声が、あちこちから漏れる。

カルヴァンは一呼吸置いた。

そして、ハットを、ゆっくりと脱いだ。

 

その瞬間。

「おお……!」

会場が、どよめきに包まれた。

 

カルヴァンの頭部から、まばゆい輝きが放たれている。

スポットライトを受けて、それは眩いばかりに光り輝いていた。

黄金。

文字通り、黄金に輝くカツラだった。

 

ローブの集団が身を乗り出し、フードの奥で目を輝かせているのが分かる。

「これが、ルミナス家の新作――『黄金の護り』です」

カルヴァンが満足げに宣言する。

 

拍手が起こった。

会場が称賛の音に包まれる。

だが、カルヴァンは手を上げて、それを制した。

「皆様、まだ説明の途中です」

彼は笑みを浮かべ、自身の頭部を指し示した。

 

光が、黄金の髪の毛一本一本から反射している。

会場が静まり返る。

「この金色は、カツラの毛一本一本を金箔でコーティングしたことによるものです」

 

一拍の沈黙。

やがて、会場がざわめき始めた。

「本物の金を使うとは……」

「いくらするんだ、あのカツラ……家一軒分か?」

ささやき声が、会場を満たす。

 

「これにより、保湿力と耐久性が飛躍的に向上しました。ほとんど劣化することがありません」

「また、魔術媒体としても高性能です。製品版では、この上から【染色】の魔術を施すことで、お好みの色に着色できます。髪型含めて、完全なオーダーメイド形式です」

 

「そして――」

カルヴァンの声が、一段と高くなる。

「最大の特徴が、こちらです」

自身の頭部を指し示す。

黄金のカツラが、光を反射している。

「内蔵された【強固固着】(ハードフィックス)の魔術です」

 

会場の空気が変わった。

【強固固着】。その名前に、ローブの集団が反応した。

微かに身を乗り出している。

「この【強固固着】は、私の弟でもある、王立魔法学校のハーゲン・ルミナス教授と共同開発した、新技術です」

「従来のカツラに用いられてきた【固着】の魔術には、致命的な弱点がありました」

カルヴァンの声が、一段と重くなる。

「物理的に強い力を加えれば剥がれてしまう。あるいは、魔術による干渉で固着を解除されてしまう。つまり、悪意ある第三者に狙われれば、人前で無理やり剥がされることも可能なのです」

 

会場のローブの集団から、苦々しいざわめきが起こった。

「私は、酒場で酔っ払いに……魔術で外されて……」

「俺なんか、近所に住んでるクソガキどもに、引っ張られて……」

「なんと、そんな恐ろしいことが……」

参加者の一部は、カツラ剥がしの被害を受けた経験があるのだろう。突然の襲撃。カツラが外れる恐怖。衆人環視の中での屈辱。声には、痛切な思いが滲んでいた。

 

「しかし、この【強固固着】は違います。事前に着用者の魔力パターンを登録することで、カツラは装着者の魔力と擬似的に融合。カツラは頭皮に密着し、文字通り一体化します」

カルヴァンは力強く宣言した。

「登録は一度きり。物理的にも魔法的にも、誰からも外されることはありません!」

 

会場が歓声に包まれた。

拍手、歓声、どよめき。

ローブの集団が身を乗り出し、興奮を隠せずにいる。フードの奥から漏れる声は、希望に満ちていた。

 

その時――

外が、騒がしくなった。

「カツラは偽りだ!」

「ありのままの頭髪に誇りを!」

デモ隊の怒号が、急激に激しさを増している。

窓ガラスが振動するほどの轟音である。今までとは、明らかに違う。

 

グレアムは窓へ視線を走らせた。

兵士たちが、押し寄せるデモ隊の対応に追われている。

叫び声、怒号、衝突の音。

会場内の警備が、次々と外へ引き抜かれていく。

 

彼の背筋に、冷たいものが走った。

陽動だ。

 

その瞬間。

会場の隅――ローブの集団の中から、一斉に人影が飛び出した。

「止まれ!」

グレアムが叫ぶ。

だが、遅い。

ローブの男たちが、壇上へと殺到する。

「カツラを認めるな!」

「ハゲを隠すな!」

自然美推進協会のメンバーだ。

最初から、ローブの中に潜んでいたのだ。

 

グレアムは駆け出した。

だが、観客たちがパニックに陥り、通路を塞ぐ。

「どけっ!」

悲鳴を上げて逃げ惑う人々が、壁となった。

 

カルヴァンを守ろうと、警備員達が襲撃者の前に立ちはだかる。

だが、襲撃者は十人以上。多勢に無勢だ。

そして――

 

シュッ。

乾いた音と共に、白い煙が壇上を覆った。

「煙幕!」

視界が、一瞬で奪われた。

真っ白な煙が会場を満たし、何も見えなくなる。

 

グレアムは煙の中を進む。

だが、目も鼻も効かない。

悲鳴、怒号、足音。混沌とした音だけが響く。

歯噛みする。

 

やがて、警備員達が襲撃者を取り押さえ始めた。

「動くな!」

「抵抗するな!」

数が多くても所詮は素人。間もなく制圧された。

だが、全員ではない。

何人かは煙幕に紛れて、ローブの集団に溶け込んだはずだ。

 

白い煙が、ゆっくりと晴れていく。

会場に、視界が戻った。

そして――

静寂。

完全な、静寂。

 

なぜなら、

 

壇上のカルヴァンが――ハゲていたからだ。

つやつやと光る頭皮が、スポットライトを反射している。

彼は呆然と立ち尽くし、両手で頭を押さえていた。

 

誰も、声を出せなかった。

ただ、あまりにも眩しい現実が、そこにあった。

 

「カツラが……」

フィーネが呆然と呟く。

「消えて……る……」

ロイスの声が、かすれていた。

 

次の瞬間、会場が爆発した。

「盗まれた!」

「黄金のカツラが消えた!」

悲鳴、怒号、混乱。

完全なパニック状態だった。

 

「そもそも」

ロイスが呆然と呟く。

「なぜ外れたんだ? 【強固固着】なら、誰にも外せないはずじゃ……」

 

「後だ」

グレアムが遮った。

 

彼は即座に指示を出した。

「出入り口を封鎖しろ! 誰も外に出すな!」

 

「了解!」

警備員達が動く。扉が次々と閉ざされる。

外への道が、断たれた。

 

グレアムはカルヴァンを見つめた。

顔面蒼白。身体は震え、視線は虚ろだ。

単なる商品を失った表情ではない。

まるで命を奪われたかのような、深い絶望が刻まれていた。

 

何か、ある。

この異様な反応には、理由があるはずだ。

 

だが、今は考えている時間はない。

 

二人に目を向ける。

「フィーネ、ロイス。捜索を開始する」

 

「了解です!」

二人が答える。

 

グレアムは会場を見渡した。

カツラは、必ずこの中にある。

黄金のカツラを巡る、奇妙な捜査が始まった。

 

――――

 

「持ち物を全て出せ」

グレアムの低い声が、捕らえられた襲撃者たちを射抜いた。

自然美推進協会の男たちは、口々に文句を言いながらローブの中身を床にぶちまける。小銭入れ、ハンカチ、パンフレット。どれもありふれた物ばかりだ。

 

フィーネが膝をつき、丁寧に一つ一つを確認していく。裏返し、中を開き、隅々まで目を通す。

「……ありません」

顔を上げたフィーネが、首を横に振った。

「黄金のカツラは、どこにも」

 

ロイスも別の襲撃者の荷物を調べていたが、やはり同じだった。ポケットの中、ローブの裏地、靴の奥。何も出てこない。

「お前たち、カツラをどこに隠した」

ロイスが詰め寄る。声には苛立ちが滲んでいた。

 

「知らない」

男は憮然とした顔で睨み返す。

「俺たちは妨害が目的だ。盗む理由なんてない」

「嘘をつくな」

「本当だ!」

拳を握りしめ、怒鳴る。

「カツラなんて認めない。盗むくらいなら、燃やしてやりたいくらいだ!」

目に浮かぶのは怒りと、ほんの少しの困惑だった。

 

グレアムはリーダー格の男の目を見つめ、指先にわずかに魔力を巡らせる。【精神感応】を発動。静かに、その思考に触れる。

偽りの反応はない。

本当に、何も知らない。

 

魔法を解き、彼は目を伏せた。

「……彼らは関係ない」

短く断じる。

 

ロイスが驚いたように言葉を返す。

「じゃあ、犯人は――」

 

「ああ。怪盗ファントムはこの混乱に乗じて盗んだ。そして、まだこの会場内にいる」

二人は視線を上げた。

ローブ姿の集団が会場のあちこちでざわついている。ひそひそと囁き合い、警備兵が出入り口を固める。誰も、外には出ていない。

カツラは、どこへ消えたのか。

場内に、重たい沈黙が落ちた。

 

「しかし……」

ロイスがぽつりと呟く。

「ファントムは、なんでカツラなんか……? 宝石や絵画ならともかく、売り物にならないだろ」

 

「素直にハゲてるからでしょう」

フィーネが軽く肩をすくめた。

「今ごろ、最高級のカツラを被って鏡の前でうっとりしてるんじゃないですか?」

 

「まさか……」

ロイスは苦笑しかけて、止まった。

(……待てよ)

脳裏に、稲妻のような閃きが走った。

 

「グレアムさん」

ロイスが真剣な顔で振り向いた。その目には、確信の光が宿っている。

「もしかして……犯人は、自分でカツラを被っているのでは?」

 

「何?」

グレアムの視線が鋭さを取り戻す。

 

「考えてみてください。カルヴァンの説明では、【染色】の魔術で色を変えられると言っていました」

ロイスは言葉を選びながらも、抑えきれない調子で続ける。

「つまり、金色を茶色や黒に染めてしまえば、誰にも気づかれないんです。そのまま、堂々と被っていたとしても」

 

フィーネが不思議そうに言った。

「でも、急に髪型が変わったら怪しまれません? さっきまでハゲだった人が、いきなりフサフサとか……」

 

「それは、顔が見えてればの話だ」

ロイスは会場のローブ集団を指差した。

「あの人たちは最初からフードで頭を隠してた。元の髪型なんて誰も知らない。途中で被ったって、気づきようがない」

 

グレアムは息を呑んだ。

理にかなっている。

フードで顔を隠す。それは「見せたくない」者の防衛策でもあり、「隠したい」者の絶好の隠れ蓑でもある。髪型の変化は、フードの下では誰にも気づかれない。【染色】で色を変えれば、黄金のカツラは普通のカツラと区別がつかない。完璧な偽装だ。

 

「だが」

彼が指摘する。冷静に、論理を積み重ねるように。

「どうやって見分ける。外見だけでは、他のカツラと区別がつかない」

 

その時、壇上のカルヴァンが駆け寄ってきた。顔色を変え、何かに縋るように。

「刻印があります!」

震える声。だがその目には、一筋の光が灯っていた。

「『黄金の護り』の裏面には、ルミナス家の刻印が刻まれています。それで判別できます!」

 

「……分かった」

グレアムは頷き、フィーネとロイスに視線を向ける。

「ローブ集団の検査を始める。カツラを被っている者は、裏面を確認しろ。ハゲも紛れてるだろうが、所詮ハゲだ。そいつらは所持品の検査だけでいい」

 

「了解です!」

二人が答える。

 

フィーネとロイスは、ローブの集団に近づいた。会場の空気が、一瞬で張り詰める。ローブの人々が、明らかに身構えた。

「すみません。身体検査をお願いします」

ロイスができる限り丁寧な口調で告げる。

だが――

 

「ふざけるな!」

ローブの男が叫んだ。怒りに満ちた声だ。

「なぜ我々が検査されなければならない! 我々は被害者だぞ!」

 

「お願いします。カツラの裏面を確認させてください。ルミナス家の刻印があるかどうかだけです」

 

「断る!」

男は後ずさる。ローブの裾が翻る。周囲のローブの人々も動揺し始めた。波が広がるように、伝播していく。

「私は何もしていない!」

「検査など受けない!」

「これは侮辱だ! 貴族への侮辱だぞ!」

悲鳴に近い叫び声が、あちこちから上がる。怒声、抗議、悲鳴。感情の波が、会場の隅々にまで押し寄せていた。

 

グレアムは理解した。

この場にいるローブの集団は、皆が上流階級の人間だ。貴族、富豪、商人。カツラを買える財力を持つ者たち。そして、彼らにとって「カツラを被っていること」が露見するのは、社会的な死を意味する。地位の失墜。嘲笑。噂の拡散。だからこそ、彼らは必死に抵抗している。命がけで。

だが――それでも、捜査は止められない。

 

「仕方ない」

彼が冷徹に言った。感情を押し殺した声だ。

「フィーネ、ロイス。強制執行だ」

 

「……了解です」

二人が頷く。ロイスの表情は、明らかに曇っていた。

 

フィーネが最初の対象者に近づいた。

「すみません、ちょっと確認させてくださいね」

落ち着いた声だ。笑顔さえ浮かべている。

 

「やめろ! 触るな!」

男が抵抗する。だが、フィーネはその腕を掴み、あっさりと動きを封じた。華奢な見た目とは裏腹に怪力のようだ。男がもがくが、びくともしない。

「いいじゃないですか、別に減るもんじゃないですし」

フィーネは明るく言った。

「減るんだよ!社会的な何かが!」

男の声が悲鳴のような声を上げた。

 

「ロイスさん!」

「……すまない」

フィーネが声をかけると、ロイスが男の頭部に手を伸ばす。その手が、僅かに震えていた。

そして――カツラを、引き剥がした。

 

「あああああッ!」

男の悲鳴が会場に響く。その声は、魂を引き裂かれたかのようだ。

そして、その下から現れたのは、光沢を放つハゲ頭だった。スポットライトを反射している。男は両手で頭を覆い、うずくまった。嗚咽が漏れる。

 

会場のあちこちから、ざわめきが起こった。

「あれは……ベルトラン商会の主人じゃないか!?」

「嘘だろう……あの豊かな髪が偽物だったなんて……」

「カツラだったのか!」

驚愕の声、嘲笑、ささやき声。ローブの集団の中にも、動揺が広がる。明日は我が身だ。

 

ロイスはカツラの裏面を確認した。裏地は上質な絹だ。縫製も丁寧だが、魔術刻印はどこにもない。ルミナス家特有の、複雑な幾何学模様は見当たらなかった。

「……刻印なし」

 

「次」

グレアムが冷たく告げた。その声には、一切の感情がない。

次の対象者。

フィーネが押さえつけ、ロイスが剥がす。

 

「やめろ! やめてくれ! 剥がれる!」

「剥がれる髪なんてもう残ってないじゃないですか」

フィーネが首を傾げた。

「カツラのことだ!」

悲痛な叫び。だが、容赦はない。

ロイスがカツラを外す。つやつやとしたハゲ頭が現れる。裏面を確認する。刻印はない。

「……刻印なし」

 

「ああ! あの人は……!」

「グレゴリー伯爵!?」

「いつも『我が家の男は代々、立派な髪に恵まれている』と自慢していたのに!」

「全部嘘だったのか!」

会場が、さらに騒然となる。嘲笑が混じり始めた。

 

検査は続いた。三人目、四人目、五人目。

会場にいる者たちは、恐怖と同情と、そして――どこか興奮した様子で、その光景を見つめていた。上流階級の秘密が暴かれる瞬間を、目撃している。ローブの集団は、互いに距離を取り始めた。次は自分かもしれない。そんな恐怖が、彼らを支配していた。

もはや誰も抵抗しなかった。運命を受け入れたかのように、ただ俯いて順番を待っている。

 

「頼む……もうやめてくれ……」

ある男が涙声で懇願する。膝をつき、両手を合わせて。

「娘に嫌われるんだ……ただでさえ最近は会話してくれないのに……これが知れたら、もう口も聞いてくれなくなる……」

 

「大丈夫ですよ、娘さんはちゃんと見てくれてると思います」

フィーネが明るく励ました。

「お父さんの頭じゃなくて、心を」

 

グレアムも止めなかった。

「続けろ」

冷徹な命令だ。

次の男が引きずり出される。

 

「待ってくれ! 息子が…… 息子がいるんだ!」

男は必死に叫ぶ。

「あの子は俺を尊敬してくれている。『父さんみたいに立派な大人になりたい』って……これを知ったら、絶望してしまう!」

 

だが、フィーネは笑顔のまま男を押さえつけた。

「心配しないでください、息子さんはきっと強い子に育ちますよ!」

検査は続いた。ロイスは淡々とカツラの裏面を確認し、刻印の有無を報告する。フィーネは笑顔で次の対象者を押さえる。

 

「はい、次の方です。すぐ終わりますから、じっとしててくださいね!」

明るい声だ。彼女にとって、これは与えられた職務を遂行しているだけだった。相手が絶望に顔を歪めていることなど、本気で理解していない。ハゲの悲しみが、彼女には分からないのだ。

 

――――

 

次々とカツラが剥がされていく。

会場は、もはや阿鼻叫喚だった。悲鳴、懇願、嗚咽──それらが渦巻いている。

 

フィーネがローブの男を押さえつける。

「次の方、お願いします!」

相変わらず明るい声だ。

 

ロイスが男のフードに手をかけた、その時。

何かが違う。

フードの奥に見える顔──その顔に、見覚えがある。

ロイスの手が止まった。

「……あなたは」

声が強張る。

 

男はゆっくりとフードを下ろした。

その顔は──王国の宰相だった。

 

会場の喧騒が、一瞬で途絶えた。

まるで時間が止まったかのような。誰もが息を呑み、その人物を見つめている。

宰相──王国の政治を司る、最高位の官僚だ。国王の側近であり、貴族たちの頂点に立つ人物。その人が、カツラの発表会に参加している。

周囲のローブの人々が、後ずさる。何人かは、慌てて頭を下げた。

 

「私はカツラではない」

宰相が毅然とした声で言った。その顔には、侮辱されたという怒りが浮かんでいる。

「検査など不要だ」

その声には、圧倒的な威圧感があった。長年、権力の頂点に立ってきた者だけが持つ、重みだ。

 

グレアムが前に出た。

「発表会に参加しておきながら、カツラではないと?」

 

「その通りだ」

宰相は顎を上げる。プライドを傷つけられた貴族のような態度だ。

「私にはカツラなど必要ない」

確かに、宰相の頭部には灰色の髪が見える。だが、それがカツラなのか本物なのか、外見だけでは判断できない。

 

「ですが──」

ロイスが言いかける。カツラではないのに、なぜこの場にいるのか。

 

その時、横から声が割り込んだ。

「その人は、本当に被ってませんよ」

その少年は、グレアムが先ほど聴取したステインと名乗る少年だった。会場の隅で、ずっと様子を見ていたようだ。彼は腕を組み、壁に寄りかかっている。

 

グレアムが鋭い視線を向ける。

「……お前、何を言っている」

 

【隠形看破】(ピカー)で確認しました。その人は、カツラを被っていません」

少年はあっさりと答えた。まるで、天気の話でもするかのように。

 

ロイスが苛立ちを露わにした。

「お前は誰だ? 捜査の妨害をするな」

彼は声を強める。今まで積もり積もった疲労と、罪悪感と、焦燥感──それらが滲み出ている。

「部外者が口を出すな。黙って見ていろ」

 

「本当のことですよ」

少年は動じない。その目は、どこまでも冷静だった。

「【隠形看破】は、対象の意識に干渉して、カツラを被っているか確認できる魔法です」

 

「そんな魔法があるわけが──」

ロイスが言い返そうとする。

だが、グレアムがそれを制した。

「待て」

 

グレアムは【精神感応】を発動させた。少年の精神に触れる。その思考を探る。その言葉を検証する。

偽りはなかった。

少年は本当に、宰相がカツラを被っていないと信じている。微塵の疑いもなく。

そして――本当に【隠形看破】という魔法を使っている。

内心で舌を巻いた。

帝国の魔法学校では、こんなふざけた魔法まで教えているのか。

「……宰相の検査は不要だ」

【精神感応】を解除した。

 

「本当ですか?」

ロイスが驚いた顔をする。

「ああ」

グレアムは首を横に振った。

 

フィーネが首を傾げる。

「でも、なぜハゲてないのに発表会に参加したんですか?」

その素朴な疑問に、会場がざわめいた。誰もが同じ疑問を抱いている。

宰相は一瞬、言葉に詰まった。

「それは……」

視線が揺れる。眉間に皺が寄る。何かを隠している表情だ。

「……私的な理由だ。答える義務はない」

そう言って、彼は口を閉ざした。それ以上、何も語らない。

 

グレアムは宰相の顔を見つめた。

怪しい。

だが、今は追及している時間はない。カツラを見つけるのが先だ。

「……続けろ」

 

その後も、検査は続いた。

ローブの集団、全員。一人、また一人と、カツラが剥がされていく。悲鳴、懇願、嗚咽──それらが会場を満たしていく。

だが──黄金のカツラは、出てこなかった。

 

やがて、全ての検査が終わった。

ついに、ローブの集団全員の検査が完了した。

結果は──刻印なし。

全員、ルミナス家の黄金カツラではなかった。

 

会場は、疲弊しきっていた。

次々と秘密を暴かれた上流階級の人々は、呆然と座り込んでいる。中には泣いている者もいた。顔を覆ってうずくまる者。虚空を見つめる者。

ローブの集団からは、非難の声が上がる。

「これで満足か!」

「我々の尊厳を傷つけておいて、何も見つからなかったではないか!」

「調査局の横暴だ! 国王陛下に訴えてやる!」

「私の地位は……家族は……もう終わりだ……」

怒号と絶望の声が、会場を満たす。

 

ロイスが焦った様子でグレアムに囁く。

「グレアムさん、どうします……」

彼の顔は蒼白だった。これだけの人間を傷つけておいて、何も見つからなかった。

「ローブの集団には、なかった……」

「……ローブ以外の人間に紛れているのかもしれない」

ロイスは苦し紛れに言った。もう他に、手がない。

 

フィーネが少年に駆け寄った。

「ねえ、お願いがあるんですけど!」

「何です?」

少年は相変わらず、飄々としている。

「その【隠形看破】で、カツラを被っているかもしれない人を全員検査してもらえませんか?」

 

少年は少し考えてから、了承した。

「まあ、いいですよ」

 

「待て」

ロイスが制止しようとする。

「民間人に捜査を手伝わせるわけには──それに、また無関係な人々を──」

 

「仕方ない」

グレアムが遮った。

「現状、手詰まりだ。やってもらえ」

 

ロイスは唇を噛んだ。だが、反論できない。

 

少年は会場を見渡した。

「分かりました。では──」

 

彼は目を閉じ、両手を広げた。【隠形看破】を発動させる。

魔力が会場に広がっていく。目に見えない波が、一人一人を探っていく。

少年は静かに目を開けた。その瞳には、何かを見透かすような光が宿っている。

 

「……あそこ」

少年が警備員の一人を指差した。

「カツラです」

 

「え?」

警備員が驚愕の声を上げる。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺は警備の──」

 

だが、フィーネはすでに駆け寄っていた。

「確認させてください!」

 

フィーネがカツラを引き剥がす。光沢を放つハゲ頭が姿を現した。

 

周囲の警備員たちが、言葉を失う。

「……知らなかった」

同僚の一人が呟く。

「五年も一緒に働いてたのに……」

 

「……あそこも」

少年がホテル長を指差す。

 

「私はホテル長だぞ! このホテルで二十年も働いて……」

 

だが、容赦はない。

フィーネが近づき、カツラを外す。

ホテル長は膝から崩れ落ちた。両手で顔を覆う。

「……もう、ここでは働けない……」

 

少年が次々と指差していく。

警備員、従業員、宿泊客、商人──。

フィーネが駆け回り、カツラを剥がす。

悲鳴、懇願、嗚咽。

会場は、再び地獄のような光景と化していた。

 

やがて、全ての検査が終わった。

 

グレアムは会場を見渡した。疲弊しきった人々。傷ついた人々。絶望に沈む人々。

 

もちろん、検査したのは人だけではない。

ロイスとフィーネは、会場の隅々まで捜索していた。ソファの下、カーテンの裏、壇上の裏、廊下、控室──。

 

時間だけが過ぎていく。

 

やがて、全ての捜索が終わった。

 

結果は──何も見つからず。

 

フィーネは肩を落としていた。

「あんなに探したのに……何も見つからないなんて……」

落ち込んだ声だ。いつもの明るさが消えている。

 

ロイスも疲れ切った表情で呟く。

「そもそも、盗んだのは怪盗ファントムなんだろう?」

彼は壁に寄りかかった。

「予告状を出しておきながら、姿を見せない。一体どこに紛れ込んでいるんだ……」

神出鬼没とは聞いていたが、ここまでとは。完全に、手玉に取られている。

 

その時。

グレアムの脳裏に、一つの可能性が浮かんだ。

 

カツラを被っている者は、全員検査した。

物理的な捜索も、隅々まで行った。

それでも見つからない。

ということは──

 

「……そうか」

グレアムが呟く。

「可能性が見えた」

 

「え?」

ロイスとフィーネが振り返る。

 

グレアムは会場を見渡した。その目には、確信の光が宿っていた。

「俺の予想が正しければ、カツラも犯人も見つかるはずだ」

 

 

――出題編・了――




読者への挑戦状

親愛なる読者諸君へ。
ここに、とある謎が提示された。
グランド・マジェスティカのホールで起きた、黄金のカツラ盗難事件。
神出鬼没の怪盗ファントムによる犯行。
煙幕の中で消えた、まばゆい輝きを放つカツラ。
そして、手がかりを残さぬ完璧な逃走――

だが、完璧に見える犯罪にも、必ず綻びはある。
諸君は、この物語を最初から読んできた。
事件の一部始終を目撃してきた。
ならば――謎を解く権利がある。
いや、謎を解く義務があると言うべきか。

【三つの謎】

この事件には、三つの謎が存在する。

第一の謎:黄金のカツラは、なぜ外れたのか?

カルヴァン・ルミナスは宣言した。
「誰からも外されることはない」と。
【強固固着】の魔術であれば、カツラは頭皮と完全に一体化していたはずだ。
ならば、なぜ犯人はそれを外すことができたのか?

第二の謎:盗まれたカツラは、どこに隠されたのか?

出入り口は封鎖されている。
カツラは必ず、ホテルのどこかにある。
だが、徹底的な捜索にもかかわらず、見つからなかった。
ローブの集団も検査した。
持ち物も調べた。
【隠形看破】という魔法まで使った。
それでも、黄金のカツラは姿を消したままだ。
一体、どこに?

第三の謎:どうやって犯人を見つけ出すのか?

犯人である怪盗ファントムは、この会場のどこかに潜んでいる。
だが、誰が犯人なのか、分からない。
それでも、グレアムは言った。
「犯人は見つかるはずだ」と。
では、怪盗ファントムをどのようにして見つけ出すのか?

【前提条件】

この謎を解くにあたり、以下の事実を確認されたし。

・犯人は現場に残っている。出入り口は封鎖されており、誰も逃げていない。
・カツラも、完全な状態でホテル内に存在している。外部への持ち出しは行われていない。
・必要な手がかりは、すべて提示されている。隠された情報はない。

【挑戦】

諸君、推理したまえ。
三つの謎を解き明かし、犯人の正体と、そのトリックを看破したまえ。
グレアムが気づいた「可能性」とは何か?「予想」とは何か?
答えは、すでに諸君の目の前にある。

この挑戦を受けて立つか否かは、諸君の自由だ。
だが、もし受けて立つならば――
解答編を読む前に、自らの推理を完成させることを推奨する。

さあ、知恵を絞り、論理を組み立て、真実へと辿り着いてほしい。
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