引きこもり、魔法学校にぶち込まれる   作:年中有休

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ヤバイリトルボーイ ~トモダチは外法~

 帝国、帝都。

 

 帝国軍将軍ヴォルフ・アイゼンフェルトの屋敷は、貴族の邸宅というより、軍の施設に近かった。

 壁に掛けられているのは、花や風景画ではなく、軍旗と古い戦場図。広い廊下には、使用人の足音よりも武装した兵の靴音の方が似合う。屋敷の奥にある執務室もまた同じで、重厚な机の上には茶器ではなく、軍務書類の束が積まれていた。

 

 その机の向こうで、ヴォルフは書類に目を通している。

 短く整えられた黒髪には白いものが混じり、顔には古い傷がある。軍服の肩に輝く階級章は、ここがアイゼンフェルト家の屋敷である以前に、帝国軍将軍の執務室であることを示していた。

 

 そこへ、扉がいつもより少し乱暴に開かれる。

 入ってきたのは、一人の少年だった。

 

 少年は、扉を開けた勢いのまま踏み込んでくることはしなかった。部屋に入ると、ヴォルフの机の前で背筋を伸ばし、口を閉ざす。整った顔立ちには怒りが浮かんでいたが、それを声にすることだけは、どうにか押しとどめているようだった。

 

 ヴォルフは顔を上げない。

 書類の末尾まで目を通し、署名を済ませ、羽ペンを置く。そこまで終えてから、ようやく短く言った。

 

「扉は閉めろ」

 

 少年の眉がわずかに動いた。

 だが、反論はしない。振り返って扉を閉める。廊下の気配が遮断されると、執務室には紙の擦れる音と、二人分の呼吸だけが残った。

 

「授業中の時間ではなかったか」

 

「承知の上です」

 

「なら、よほどの用件だな」

 

「父上」

 

 その呼び方で、少年がただの来客ではないことは分かる。

 ジーク・アイゼンフェルト。ヴォルフの息子であり、帝都魔法学校一年の首席である。

 

 その肩書きにふさわしく、机の前まで進んでも姿勢は崩れなかった。だが、抑えた声の奥には、はっきりとした怒りがある。

 

「対抗戦の代表を外したのは、父上ですか」

 

「そうだ」

 

 ヴォルフはあっさり認めた。

 言い訳も、前置きもない。その返答の短さが、かえってジークの顔を強張らせた。

 

「……理由を聞かせてください」

 

「座れ」

 

「結構です」

 

 ヴォルフはそれ以上勧めなかった。息子の顔を一瞥し、背もたれに身を預ける。

 

「お前は、代表の選出基準を知っているな?」

 

「ええ。代表は、各学年で最も優秀な生徒がなるべきです。そして、帝都魔法学校一年で最も優秀なのは俺です」

 

 傲慢な言葉だった。

 だが、根拠のない虚勢ではない。帝都魔法学校は、家名だけで首席に立てる場所ではなかった。ジークは実技でも座学でも結果を出してきたし、訓練場で積み上げてきた勝利も、代表にふさわしいのは自分だと示している。

 

 だからこそ、納得できなかった。

 

 ヴォルフは息子の言葉を最後まで聞いた。

 そして、何のためらいもなく答える。

 

「理由は、まさにお前が言ったとおりだ」

 

「……どういう意味ですか」

 

「代表は、最も優秀な生徒が務める。そして、帝都魔法学校には、お前より優秀な一年生がいる」

 

 ジークの表情が固まった。

 怒りが、別のものに変わる。理解できない、という顔だった。

 

「そんな者はいません。俺は一年の生徒を全員知っています。実技でも、座学でも、模擬戦でも、俺より上の成績を取った者はいない」

 

「王国への留学生を除いてな」

 

 ジークは一瞬、言葉を失った。

 

「留学生……? そんな生徒はいません!」

 

「お前が知らないのも無理はない。そいつは一度も学校には来ていないし、授業も受けていない。そもそも、実際には王国の人間だからな」

 

「……王国の?」

 

「だが、そいつは帝都魔法学校の一年生で、卒業までの単位を取得済み。今は王立魔法学校に留学中。そういうことになっている」

 

 説明されればされるほど、意味が分からない。

 ジークの顔に浮かんだのは、困惑ではなく、侮辱された者の怒りだった。

 

「ふざけないでください!」

 

「ふざけてない。大真面目だ」

 

「父上もご存じのはずです。対抗戦は、ただの学内試合ではありません。王国、帝国、聖教国、共和国――四か国の魔法学校から代表が集まり、学年ごとに競う行事です」

 

 ジークの拳が固く握られた。

 

「そこでの勝敗は、そのまま各国の魔法教育の水準として見られる。帝国の一年代表とは、帝国の同世代を背負う立場です」

 

 ジークは、机越しに父を睨んだ。

 

「その席に、実際には王国の人間を立てるのですか」

 

「そうなるな」

 

「国の面子がかかっているのですよ!」

 

「そいつを引き入れることは、国の面子以上に価値がある。皇帝陛下もそうお考えだ」

 

「っ! 納得できません!」

 

「だろうな」

 

「だろうな、ではありません。俺は理由を聞いているのです。そもそも、俺が積み上げてきた成績を、どこの誰とも分からないやつが、書類上の扱いだけで上回ったなど、納得できるはずがないでしょう!」

 

 声が荒れた。

 それでも、ジークは踏みとどまっていた。机を叩くことも、父に詰め寄ることもしない。ただ、真っ直ぐにヴォルフを見ている。

 

 ヴォルフは、その視線を受けても表情を変えなかった。

 

「なら、確かめてこい」

 

「……確かめる?」

 

「王国へ行き、そいつに勝て。勝てば代表に戻してやる」

 

 ジークの怒りが、わずかに形を変えた。

 屈辱は消えない。むしろ深くなった。だが、勝てば戻すと言われた以上、ここで抗議を続けるより早い道がある。

 

 証明すればいい。

 自分が、その得体の知れない留学生より上だと。

 

「……勝てばいいのですね」

 

「そうだ」

 

 ジークは低く答えた。

 ヴォルフは、それ以上この件を説明するつもりはないようだった。

 

 話は終わりだとでも言うように、机の引き出しを開ける。

 中から取り出したのは、小さな箱だった。

 

 黒革張りで、余計な装飾はない。ただ、蓋には帝国軍の紋章が刻まれている。

 ヴォルフはそれを机の上へ置いた。

 

「ついでだ。これを、その留学生に渡してこい」

 

 ジークは箱を見下ろす。

 代表の話は終わったはずだった。だが、父の口ぶりは、この箱こそが本題の続きであるかのように淡々としていた。

 

「……何ですか」

 

「開けろ」

 

 言われた通りに蓋を開く。

 中には、小さな水晶が収められていた。透明な石の内側に淡い光が揺れ、その奥で細い魔法陣が幾重にも重なっている。手に取る前から、ただの飾り物ではないことだけは分かった。

 

「緊急用の転移魔道具だ。使い切りだが、一度だけこの屋敷へ飛べる」

 

「これは……相当高価な品でしょう。なぜ、そんなものを渡す必要があるのですか」

 

 代表を奪った相手に勝てと言われるだけでも不愉快だった。

 そのうえ、父はその相手に、アイゼンフェルト家へ直接逃げ込むための魔道具まで渡そうとしている。

 

 ジークには、その意図が読めなかった。

 

「用途だけ伝えて渡せ。遅かれ早かれ、あいつは王国にいられなくなる」

 

 断定だった。

 予想というより、戦況を読む時の口調に近い。

 

「何か知っているのですか」

 

「何も」

 

 ヴォルフは、迷いなく答えた。

 

「だが、ああいう手合いは間違いなくそうなる」

 


 

【悲報】王国臣民ワイ、なぜか帝国民として戦うことに

 

1:元引きこもり転生者

助けて

 

2:名無しの転生者

出たわね

 

3:名無しの転生者

こいついつも助け求めてんな

 

4:名無しの転生者

おいイッチ! そんな事言ってる場合じゃないぞ! 大変なことが起きた!

 

5:名無しの転生者

何だ急に

 

6:名無しの転生者

そもそもイッチのスレだぞこれ

お前が大変でもスレチだろ

 

7:名無しの転生者

それがスレチじゃないんだよ!

俺達全員に関係あることだ!

 

8:名無しの転生者

だからなにが起きたんだよ、さっさと言え

 

9:名無しの転生者

俺のチートスキルは、地球の品物をなんでも購入できる【ネットスーパー】なんだが、

この間、とんでもない商品を見つけちまったんだ! これを見てくれ!

https://www.kadokawa.co.jp/product/322602000186/

 

10:名無しの転生者

なにこれ、TDNラノベじゃん

 

11:名無しの転生者

見覚えのあるタイトルだな

 

12:名無しの転生者

表紙の女の子かわいい

 

14:名無しの転生者

これがどうしたの?

 

15:元引きこもり転生者

ちょっと待ってくれ! この本! 俺が写ってるぞ!?

友達も一緒に写ってる!

 

16:名無しの転生者

ファッ!?

 

17:名無しの転生者

うそやろ!?

 

18:名無しの転生者

やっぱりそうか……

どっかで見たことある内容だと思ったんだが、やっぱりイッチのスレが本になってたのか

 

19:名無しの転生者

それってつまり、ワイらの書き込みが本になるってコト!?

 

20:名無しの転生者

世も末だな

 

21:元引きこもり転生者

というかワイの許可取ってないのに何で勝手に出版してるんや!?

著作権と人格権の侵害やぞ!

 

22:名無しの転生者

お前が言える立場か?

 

23:名無しの転生者

普段から人権侵害ばかりしてるくせに

 


 

 エイン君が「ステイン」として学校に戻ってきて、しばらく経つ。

 

 色々あった。本当に色々あった。思い出すだけで頭が痛くなることばかりだった。

 それでも、ようやく日常が戻ってきた。

 

 少なくとも、こうして放課後に僕の部屋でチェスができるくらいには。

 

 廊下を歩く足音は、昼間より間延びしている。窓の外からは、訓練場で魔法を撃つ音がかすかに聞こえていた。

 

 向かい合った盤の上で、エイン君が駒を動かした。

 僕はしばらく考えてから、手を打つ。

 彼はすぐに次の手を指した。

 

 こういう時間が戻ってきたことを、僕はまだ少し不思議に思っている。

 

 以前と同じようで、まったく同じではない。

 けれど、その違いが何なのかは、まだうまく言葉にできなかった。

 

「そういえば、帝国の代表って、君のことなんだよね」

 

「なんかそうらしい」

 

「なんか、で済む話なのかな」

 

「最初は大変だとは思ったんだけどな。よく考えたら、ちょっと試合するだけだろ? だったら別にいいかなって」

 

「ちょっと試合するだけ……」

 

 国同士の面子がかかっているとか、各校の代表が集まるとか、そういう話は聞いていた。

 でもエイン君の中では、大したことではないらしい。いや、どうでもいいのだろう。

 

「だけど、本当に大丈夫?」

 

「何が?」

 

「対抗戦って、決闘に近い形式なんだよ。先に言っておくけど、いつもみたいな魔法は使えないからね」

 

「ああ、そういえばそうだったな」

 

 エイン君は、盤面を眺めたまま少しだけ考え込んだ。

 

 彼の魔力量は、同年代の中でも底辺に近い。だから炎の槍を撃つとか、大きな雷を落とすとか、そういう分かりやすい攻撃魔法は満足に扱えない。

 その代わりに使うのが、記憶を消したり、精神を支配したり、痛みだけを与えたりする魔法だ。

 

 決闘や試合ではまず使えない、物騒なものばかりだった。

 

 普通に考えると、そちらの方が難しくて、魔力も使いそうに思える。けれどエイン君に言わせると、そういった魔法は攻撃魔法と比べて発生させるエネルギー量が少ないので、効率化すれば魔力もほとんど使わないで済むらしい。

 

 最初に聞いた時は意味が分からなかった。今でも半分くらいは分からない。

 

「でも大丈夫、たった今いい方法を思いついた」

 

「それ、君から聞きたくない言葉の上位に入ってるよ」

 

「大丈夫。ルール上はたぶん問題ない」

 

「その大丈夫ってのも不安なんだけど。一体どうするつもりなの?」

 

 僕の問いかけにエイン君が口を開こうとした、その時だった。

 

「おい! ステイン! 出てこい!」

 

 隣の部屋の方から、怒鳴り声が響いた。

 

 隣は、エイン君の部屋だ。正確には、留学生ステインとして使っている部屋である。

 ただし、その本人は今、僕の部屋でチェスをしている。

 

「ステインって誰だろうね」

 

「君のことでしょ」

 

「……そういえばそうだった」

 

「忘れないでよ。今はそういうことになってるんだから」

 

 エイン君は立ち上がり、廊下へ向かった。扉を開けると、さっきより大きな声が飛んでくる。

 

「ステイン! 聞こえているのか!」

 

「うるさいぞ」

 

 エイン君は、なぜか注意する側の声で言った。

 

「ステインは俺だ。廊下で怒鳴り散らして、人に迷惑をかけるんじゃない」

 

 短い沈黙があった。

 

「……お前か。お前がステインか……」

 

 低く押し殺した声が返ってきた。

 

 廊下に立っていたのは、見慣れない制服を着た少年だった。年は僕たちと同じくらい。背筋は真っ直ぐで、身なりも整っている。ただ、その顔には怒りが浮かんでいた。

 

「選手団が到着したから、お前も帝国代表として集合するよう連絡しておいただろうが!」

 

「あー、そういえばそんなことを言われていた気がするなぁ」

 

「気がする、ではない!」

 

「でも今、チェスがいいところなんだよ。終わるまで待ってくれないか?」

 

「待てるか!」

 

 僕は立ち上がり、エイン君の後ろから声をかけた。

 

「……エイン君、さすがに行った方がいいんじゃないかな。待たせるほど面倒になると思う」

 

「そうか?」

 

「うん。チェスなら後でいくらでもできるでしょ」

 

 エイン君は少し考えた。それから、名残惜しそうに盤を見た。

 

「じゃあ行くか。続きは後でな」

 

「うん」

 

 エイン君は廊下に出た。帝国の少年はまだ怒っていた。

 僕も上着を持って、後に続く。

 

 行かせて終わり、というわけにもいかない気がして。

 

 部屋の扉を閉める直前、盤の方に目が行った。

 どちらの手番かも分からないまま、駒が止まっている。

 


 

 訓練場は広かった。

 

 土の床には、魔法で焼けた跡や抉れた痕が残っている。授業でも使われる場所だが、今この時間は他の生徒の姿はなかった。

 代わりにいるのは、帝国の制服を着た生徒たちだ。

 

 二年生と三年生が一人ずつ。ジークを含めて三人。全員が彼を見ている。目に好意はない。

 

「――というわけだ。俺と勝負しろ」

 

 ジークと名乗った少年は、そう言い放った。

 

 彼だけではない。後ろに控えた帝国の上級生たちも、同じようにエイン君を見ている。

 王国の生徒で、帝国の魔法学校に通っているわけでもなく、それどころか留学生としての身分すらかなり怪しい。そんな彼が、なぜか帝国一年代表として扱われている。

 

 納得できるはずがない。

 ジークの怒りは、彼らの不満を代表しているようにも見えた。

 

「えー……」

 

 だが、当のエイン君には、まるで響いていなかった。

 

 訓練場の天井を眺め、ジークを見て、後ろに並んだ帝国の上級生たちを見て、それからまたジークに視線を戻す。

 

「ジーク君って、強い?」

 

「……何が言いたい」

 

「いや、どう見てもジーク君の方が強そうだよ。俺より全然」

 

 エイン君は、困ったように手を振った。

 

「ヴォルフ将軍が俺の方が強いって言ったなら、それは見込み違いだよ」

 

 ジークの眉が動いた。

 

「だからさ、俺、代表とか別に興味ないし。俺の代わりに試合に出ていいよ」

 

「……」

 

「ジーク最強! ジーク最強!」

 

 僕は思わず目を閉じた。

 

 いや、たぶんエイン君に悪気はない。

 本当に代表に興味がなくて、本当に戦いたくなくて、本当にそれで丸く収まると思っているのだろう。

 

 でも、それで済む相手ではない。

 

 ジークの表情が、さらに険しくなる。

 

「違う」

 

 低い声だった。

 

「俺は代表の座が欲しいんじゃない。お前が辞退すれば済む話ではない」

 

 ジークは、拳を握りしめていた。

 

「父上は、お前の方が俺より強いと判断した。ならば、それを覆さなければ意味がない」

 

「いや、だから見込み違いだって」

 

「返された代表の座など、俺が欲しいのはそんなものではない!」

 

 空気が震えるような声だった。

 周囲にいた帝国の上級生たちも、黙ったままジークを見ている。

 

 これは、単なる代表枠の話ではないのだ。

 ジークは、ずっとそのために努力してきたのだろう。父に認められ、帝国の代表として立つために。

 

 それを、突然現れたエイン君に奪われた。

 しかも彼は、その重みをまるで分かっていない。

 

「俺はお前に勝って、俺の実力を証明する」

 

 ジークは、エイン君を睨みつけた。

 

「だから戦え」

 

「あー……」

 

 エイン君は、少しだけ面倒そうな顔をした。

 その表情を見た瞬間、僕は嫌な予感がした。

 

「面倒くさいなぁ。もう洗脳して済ませようかな」

 

 訓練場が、静かになった。

 風もない。魔法の音もない。エイン君の言葉だけが、訓練場の壁に吸い込まれた。

 

「エイン君、それは……」

 

 声が出た。

 自分のものだと気づいた時には、もう言っていた。

 

 言葉はそこで止まった。

 駄目だ、とも、やめろ、とも続かなかった。

 

 ただ、今の一言を流してはいけないという感覚だけが、先に来た。

 

「ああ」

 

 エイン君は僕を見て、軽く頷いた。

 

「そういえば、フレッドはそういうの嫌だったよね」

 

「……」

 

「じゃあ、やめとく」

 

 あっさりだった。

 あまりにも、あっさりだった。

 

 僕が止めなければ、彼は間違いなく使っていたのだろう。

 そして、やめた理由は、僕が嫌がったから。

 

 そのことが、遠いところに刺さった棘のように引っかかった。

 

「洗脳、だと?」

 

 ジークが、低く唸るように言った。

 

「今、俺に精神魔法を使おうとしたのか」

 

「使ってないだろ」

 

「使おうとしたのかと聞いている!」

 

 ジークの怒りが、さらに強まった。

 当然だった。勝負を求めた相手に、戦う前から精神を弄られそうになったのだ。

 

 周囲の上級生たちもざわつき始めた。

 このままだと、本当に面倒なことになる。

 

 そう思ったのは、僕だけではなかったらしい。

 

「分かった分かった」

 

 エイン君は、ため息混じりに手を上げた。

 

「勝負も代表も受けるよ」

 

 それで終われば、まだよかった。

 けれど、彼は続けた。

 

「俺はチェスの続きがやりたいんだ」

 

 ジークの眉が跳ねる。

 

「だから、すぐに俺が勝って終わらせる。さっさと始めようぜ」

 

 悪意はない。

 たぶん、本当に早く終わらせたいだけだ。

 

 でも、それはジークの努力も、誇りも、父親に認められたいという気持ちも、全部まとめて軽く扱う言葉だった。

 

「……後悔するなよ」

 

 ジークは、そう言って訓練場の中央へ向かった。

 エイン君は、軽く肩をすくめてその後に続く。

 

 帝国の三年代表が審判を務めた。

 

 二人が訓練場の対角に立つ。土の床の上、十分な距離を取って向かい合う形だ。

 ジークは、油断せず構えている。魔法使いとしての正面対決を選んでいる。腰を落とし、重心を整え、全身でエイン君を見ていた。

 

 一方で、エイン君は立っていた。

 それだけだった。

 

 特に構えるでもなく、ただ立っている。

 

 審判役の三年代表が、短く息を吸った。

 

「始め!」

 

 合図の声が消えるより早かった。

 

 エイン君が動いた。

 いや、動いたというほどでもない。

 

 指先が、少し動いた。

 それだけだった。

 

 ジークは警戒していた。開始直後の奇襲も想定していたはずだ。

 けれど、【防壁】(シールド)を展開するより早く、エイン君の魔法がジークに命中した。

 

「が、あ――」

 

 ジークは膝から崩れ落ち、土の床に伏した。

 けれど、指先が土を掻いていた。呼吸だけが浅く乱れ、体の奥でまだ何かと戦っているのが分かった。

 

 僕はすぐに我に返った。

 ジークはまだ苦しんでいる。このまま放っておけるはずがなかった。

 

 エイン君が使った魔法には、見覚えがあった。

 盗賊相手に使っていた、あの魔法。微細な電流で痛覚だけを刺激すると、彼は言っていた。

 

 なら、それを打ち消すには――より大きな電流で、神経への刺激を上書きするしかない。

 

【電撃】(ライトニング)!」

 

 ジークの体が、一瞬だけ強く痙攣した。直後、土を掻く指が止まる。呼吸の乱れが、わずかに整い始めた。

 どうやら、少なくとも痛みは収まったようだ。

 

「フレッド……」

 

 エイン君が、少し引いたような顔で僕を見ていた。

 

「勝負はもうついたのに、外野のお前が追撃するなんて何考えてるんだ?」

 

 言葉が詰まった。

 追撃じゃない。でも、エイン君にはそう見えている。

 

 そのズレに、喉の奥が詰まるような感覚がした。

 

 それでも、先に聞かなければならないことがあった。

 

「エイン君」

 

 僕は、声を抑えて言った。

 

「今使った魔法は、何?」

 

「何って、見たことあるだろ? 盗賊に使ったやつだよ」

 

 そして、当然のように言う。

 

【痛覚刺激】(ペインシグナル)。対象の神経信号に魔力で電流を流して、物理的に痛覚だけを刺激する。ただのちゃちい魔法だよ」

 

「そういうことを聞いているんじゃない」

 

 僕は、なるべく声を荒げないようにした。

 

「なんで、【痛覚刺激】(ペインシグナル)を使ったのか、と聞いてるんだ」

 

「なんでって……言われても」

 

 エイン君は、本当に分からないという顔をした。

 少し考え込む。

 

 そして、何かに気づいたように頷いた。

 

「ああ、そういうことか」

 

 その瞬間、僕は少しだけ期待してしまった。

 もしかしたら、分かってくれたのかもしれないと。

 

 でも、それは間違いだった。

 

「たしかに、今のは試合みたいなものだからな。通常版の【痛覚刺激】(ペインシグナル)を使ったのは間違いだった」

 

「……通常版?」

 

 嫌な予感がした。

 

「ああ。心配するな、フレッド。本番では改良版を使うつもりなんだ」

 

【痛覚体験】(ペインエクスペリエンス)っていう発展形があって、対象の時間感覚を限界まで引き延ばして、痛みを味わわせる。外からは一瞬で気絶したようにしか見えないから、これならルール違反もバレない」

 

「エイン君」

 

「うん」

 

「そういう魔法は、使わないでくれ」

 

 エイン君は、不思議そうに目を細めた。

 

「こういうのも嫌なの?」

 

 まただ。

 また、それだ。

 

「まあ、親友のお前が嫌だって言うなら、使うのはやめるけど」

 

 その言葉を聞いた瞬間、堪えていたものが切れた。

 

「いい加減にしてくれ!」

 

 僕の声が、訓練場に響いた。

 

 言った直後に、自分でも驚くくらい大きな声だった。

 けれど、僕が驚くより先に、周囲が動き出した。

 

「おい、何を言い争っている!」

 

「それより、ジークに何をした!」

 

「今のは試合なのか!? あんなもの、ただの――」

 

 帝国の上級生たちが、こちらへ詰め寄ってくる。

 ジークのことは目に入っている。まだ床に伏したままだ。呼吸は整い始めているが、立てる状態ではない。

 

「うるさい!」

 

 気づいたら、声が出ていた。

 

「今は、大事な話をしてるんだ」

 

『さっきまでのことは忘れて、ジークを連れて戻れ』

 

 上級生たちの動きが、一瞬止まった。

 

 それから彼らは何事もなかったように向き直り、ジークを抱き起こして訓練場の出口へ向かった。

 足音が遠ざかる。扉が閉まる。

 

 静かになった。

 

 訓練場には、僕とエイン君だけが残された。

 

「……フレッド」

 

「何」

 

「今の、無詠唱の【精神支配】(ブレインウォッシュ)だろ? 精神魔法、嫌いじゃなかったのか?」

 

「嫌いだよ」

 

 答えは、すぐに出た。

 嫌いだ。今も嫌いだ。それは変わらない。

 

 でも、使った。

 僕が使うと決めた。その結果も、僕が背負う。

 

 それだけの話だ。

 

「それより」

 

 僕は話を戻した。

 

「さっき、君は【痛覚体験】(ペインエクスペリエンス)を使うのをやめるって言ったよね」

 

「言ったけど」

 

「やめなくていい」

 

「……え?」

 

 エイン君が瞬きをする。

 その反応を見て、胸の奥が少し痛んだ。

 

 本当に、分かっていないのだ。

 

「君が僕のためにやめても、何も変わらない」

 

 声は、思ったより静かに出た。

 

「僕がいないところで、君は同じことをするだけだから」

 

 エイン君は黙った。

 けれど、その顔は反省しているというより、まだ意味を探している顔だった。

 

「じゃあ、遠慮なく【痛覚体験】(ペインエクスペリエンス)を使えばいいの?」

 

 その言葉を聞いて、僕は小さく息を吐いた。

 

 怒りではなかった。

 僕の中にあったのは、もう少し重いものだった。

 

「……なんでそんな顔してるの」

 

「別に。対抗戦当日は、よろしくね」

 

「え? フレッドが、どうよろしくなの」

 

「王立魔法学校の一年代表は、僕だよ」

 

 エイン君の表情が止まった。

 ほんの一瞬だった。

 

 けれど、今までの軽さが、その瞬間だけ消えた。

 

「だから、本戦で君と当たる可能性がある。その時は、僕にも遠慮なく【痛覚体験】(ペインエクスペリエンス)を撃てばいい」

 

「……」

 

 エイン君は、すぐには答えなかった。

 いつものように軽く笑って流すことも、冗談にすることもなかった。

 

 ただ、困ったように眉を寄せた。

 

「……それは、できない」

 

「どうして?」

 

 僕は聞いた。

 答えは分かっていた。

 

 それでも、聞かなければならなかった。

 

「親友だからだ」

 

 エイン君は、そう言った。

 

「フレッドには、痛い目に遭ってほしくない」

 

 それは、たぶん本心だった。

 彼は、僕を大事に思ってくれている。

 

 それは分かる。

 分かってしまう。

 

 だからこそ、余計に苦しかった。

 

「僕も同じだよ」

 

 今度は、エイン君が僕を見る番だった。

 

「僕も、エイン君には痛い目に遭ってほしくない」

 

 僕はゆっくりと言った。

 

「君は、僕の親友だから、痛い目に遭ってほしくない」

 

 エイン君の目が、わずかに揺れた。

 

「だから言う」

 

 僕は続けた。

 

「君が他人を顧みないやり方は、いつか必ず君自身に返ってくる。いや……もう、何度も返ってきてるよね」

 

 エイン君は、何も言わなかった。

 否定もしなかった。

 

「今度は、君だけの問題じゃ済まないかもしれない。君が大切にしている人にまで、被害が行くかもしれない」

 

 声が、わずかに揺れた。

 

「君がずっとそのままでいるなら……僕は、君の親友ではいられない」




次週、エイン君はいつも通りです。
仲直りできるといいですね。


あと、告知です。

拙作『引きこもり、魔法学校にぶち込まれる』
(旧題:【悲報】引きこもりワイ、魔法学校にぶち込まれそう)ですが、
紅琉かのん名義で、KADOKAWA ホビー書籍編集部より、5月29日(金)に書籍版が発売します。
https://www.kadokawa.co.jp/product/322602000186/

画を担当してくださるのは、ごろー*先生です。
みんなかわいく描いていただいております。
一巻の内容はWeb版に加筆修正を加えた上で、裁判の辺りまで掲載されています。
展開も少し変わっています。具体的に言うと、メインヒロインの出番が増えています。
書籍ならではの表現にもチャレンジしていますので、ぜひ手にとってお確かめください。


あと、特典SSもあるので紹介します

電子書籍版特典SS:「君子に届け」
ラブコメ短編です。
糖分を補給してください。

メロンブックス様特典ペーパー:「前世A」
ゲーマーズ様特典ペーパー:「前世B」
タイトル通りの内容です。
A,Bとありますが、両方読まないとだめとかではないので、そこは安心してください。
もちろん両方とも読まなくてもいいですし、両方読んでも楽しめると思います。


あと、カクヨム・なろうでも投稿始めました。
https://kakuyomu.jp/works/822139846663476154
https://ncode.syosetu.com/n8432lw/
内容は大体一緒ですが、よろしければ応援お願いします。


あと、Twitter始めました。
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大したことつぶやかないので、フォローはしなくていいです。
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