引きこもり、魔法学校にぶち込まれる   作:年中有休

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今回も話が長くなったため分割しています。雰囲気も少し違います。


ラブコメのいてつくはどう

この学校において、王族にとっての日々は政治の延長にすぎない。

その中で、第四王女セレナ・フォン・エルディスも、例外ではなかった──少なくとも、表向きには。

 

だが、彼女の置かれた立場は、その「政治」に加わる余地すら与えられていない。

 

他の王族のように派閥を率いるわけでも、貴族たちに囲まれるわけでもなく、彼女は学園の中で静かに空気のように扱われていた。

 

そんな彼女にとって、授業が休講となったその日は、単なる空白でしかない。

 

セレナは特にすることもなく、寮の自室で本を読んでいた。

 

古い歴史書──王族の系譜や、過去の学園における貴族の派閥について記された退屈な一冊。

政治に加わる余地すらない自分を確認するように、何度も同じ章を読み返していた。だが、文字は目の前を素通りするばかりで、内容は頭に入ってこない。

 

気がつけば、指先はページをめくる手を止め、ただ膝の上に置かれたままになっていた。

どこか落ち着かず、体を持て余している。そんな自分に気づいて、セレナは小さくため息をついた。

 

──お茶でも、買いに行こうか。

 

制服姿のまま、彼女はそっと部屋を出た。

 

街に出るのは久しぶり。もちろん護衛もつけていない。こうして一人で外出できるのも、第四王女という微妙な立場ゆえの、皮肉な自由だった。

 

王都でも名のある茶舗の前にたどり着いたセレナは、思いがけず騒がしい声に足を止めた。

 

「だから金はあるって言ってるだろ、売ってくれよ!」

 

「申し訳ありませんが、当店は紹介制でして……初めての方にはお売りできません」

 

「じゃあ俺を紹介できるやつを紹介してくれ!」

 

「無茶言わないでください!」

 

「それなら"紹介できるやつ"を紹介できるやつを──」

 

「だから無茶言わないでくださいってば!!」

 

店先で揉めていたのは、一人の少年と店の主人らしき男だった。

 

少年は制服姿──彼女と同じ学園の生徒だ。

声を荒げてはいるが、どこか真剣で、慣れていない物腰が逆に印象的だった。

 

「……どこかで、見たような……あれは、入学式の……?」

 

セレナがぽつりと呟くと、少年は苛立った様子でぼやいた。

 

「お茶っ葉買うのになんで紹介がいるんだよ……危ない成分でも入ってんのか……」

 

「お客さん、営業妨害になるようなこと言わないでください!」

 

「え、いま"お客さん"って言った!? 買い物していいの!? やったー!!」

 

「そういう意味じゃない!!」

 

そのやりとりを聞きながら、セレナは胸につけたブローチにそっと手を添えた。

無意識のうちに出る癖だと、彼女自身が気づいていた。

 

(……助けてあげるべきかしら)

 

だが、躊躇いがあった。王女という立場を明かすことへの抵抗。いつものように、人との関わりを避けてしまいたい気持ち。

 

それでも、少年の困った様子を見ていると──

 

迷いを振り切るように、自然と足が前に出た。

「こちらの方は私の知人です。紹介者として私が責任を持ちますので、どうかお売りください」

 

店主が彼女を見て顔色を変える。セレナの顔を認識した瞬間、その表情が驚愕から恭順へと変わった。

「こ、これは第四王女殿下……そ、そこまで仰るのなら……」

 

「ありがとうございます」

セレナは小さく頭を下げた。

 

少年は、礼も言わず無遠慮に棚へ向かう。その堂々とした様子に、セレナは少し驚いた。普通なら王女に助けられたことに恐縮するものだが、彼はまるで当然のことのように振る舞っている。

 

「これとこれと……それからそっちの黒缶のやつ、全部で!」

 

「ぜ、全部、でございますか?」

「うん、全部。支払いは現金で。袋、大きめで頼む」

 

その豪快な買い物ぶりに、店主も目を丸くしている。セレナも内心で驚いていた。これほど高級な茶葉を一度に購入するとは、一体何者なのだろう。

 

慌ただしく準備されていく中、彼は紙袋から茶葉を一包み取り出すと、いきなりセレナに押しつけた。

 

「さっきは助かったな。お礼代わりに、これやるよ」

それは先ほど選んでいた中でも最上級のものだった。

 

「い、いえ、私は別に見返りがほしかったわけでは……」

 

「そういうのいいから! 金だけは持ってるからな、俺! 気にすんな!」

そう言いながら、少年は紙袋を肩に抱え直し、ぼそりと呟いた。

 

「……さて、次はおやつだな。茶葉がいいなら、合わせるもんもうまくなきゃ意味がない」

その一言を最後に、彼は大袋を抱え、さっさと路地の奥へと去っていった。

 

セレナはその場にしばらく立ち尽くしていた。

 

騒がしくて、雑で、こちらの都合をまったく考えない──なのに、不思議と腹は立たなかった。

 

手に残された茶葉の包み。

高級品なのに、無造作に押しつけられたせいで妙に存在感がある。

 

セレナは包みを抱え直し、小さく鼻を鳴らした。

 

「……おかしな人」

 

そう呟きながら歩き出した彼女の足取りは、どこかほんの少しだけ軽かった。

 

ただそれだけの出会いだったのに、なぜかその日一日、胸の奥が少しだけ温かかった。

 

制服のすそが風にひるがえり、通りの雑踏にその姿が静かに溶けていく。

手の中の包みだけが、なぜかいつまでも手放せそうになかった。

 

────────

 

試験と入学式、戦闘訓練にカツラ事件──その他もろもろの騒動(すべてエイン君が関与)を経ても、事態は沈静化するどころか、僕たちの学生生活には常にどこか緊張感が漂っていた。

 

エイン君の目立ちぶりは相変わらずだったけれど、周囲の生徒たちもだんだんと耐性がついたのか、「なんかすごいけど、なんか変なやつ」という評価に収まり、爆発的な注目を集めることはなくなっていた。

 

しかし……

 

「フレッド、お茶会行こうぜ!」

 

僕のささやかな平和は再び崩れていくことになるのだった。

 

 

お茶会。

 

字面だけで見れば平和な催しに思えるけれど、この魔法学校で開かれるそれは、決してそんな生易しいものではない。貴族たちの派閥争いと見栄の張り合いが渦巻くその場は、迂闊に足を踏み入れていい場所ではないと、入寮直後に教師から釘を刺された記憶がある。

 

エイン君は入寮が遅かったせいで、その説明をまるごとスルーしている。……いや、仮に受けてても話を聞かないと思うけど。だからこそ、こうして今日も何の疑いもなくお茶会に行こうとしているのだろう。

 

僕は教師から聞いた忠告をそのままエイン君に伝える。

 

「……というわけで、僕たち平民がお茶会に行くのは危険なんだよ」

 

「え、でも貴族って平民に興味ないんだろ? だったら派閥もクソもないじゃん。誰も見ちゃいないだろ」

 

言ってること自体には一理ある。平民がどこかのお茶会に顔を出したところで、派閥に加わるわけでもなし、他の勢力に睨まれる筋合いもない。

 

「いや、たしかにそうかも知れないけど……それでお茶会に参加して、どうするのさ。楽しいの?」

 

「いや、楽しいかどうかは知らないが──菓子が食えるんだよ。うまいやつ」

 

「お菓子?」

 

「高級なお菓子って食べたことあるか? 普通の店には並ばないし、そもそも紹介制だから買えないって言われたんだよ」

 

「いや、それはまあ……でもだからってお茶会……」

 

「王族も貴族も見栄の張り合いだろ? ってことは、菓子に手を抜くわけないよな。つまり、必然的に最高レベルなわけだ。しかも今年は王子も王女も揃ってるから、きっとみんな張り切ってるに決まってる!」

 

「エイン君、まさかそのためだけに……?」

 

「一人で行ってもつまらないしな。フレッド、お前も来いよ」

 

エイン君が期待に満ちた目で僕を見る。

行きたくない……心底そう思う。でも、彼を一人で行かせたらまた何かやらかす気しかしない。

 

……よし。

 

「うん、一緒に行くよ」

 

そう答えたのは、彼の暴走を止めるため──というのももちろんあるけど。

 

(あとはまあ……ちょっとくらい、いいお菓子を味わってみたいってのも、ね)

 

────

 

お茶会は一週間に一度、交流棟で行われる。

貴族たちは各々で申請した部屋を借り、お茶会を開く。

 

「それでエイン君は誰のお茶会に参加するの?」

 

「誰のって言われても誰がいるかも知らないぜ、俺」

 

「えっ、じゃあ交流棟に着いてから決めるの?」

 

僕の疑問にエイン君は当然のように答える。

 

「何言ってんだよ。何個あるかは知らんけど──片っ端から参加するに決まってるだろ」

 

「お茶会をハシゴする気!?」

 

本来、貴族たちは派閥の象徴として特定のお茶会に出席し、他を回るような真似はしない。

だが僕ら平民はそのどこにも属していない──だから理屈の上では、どこへでも顔を出せるというわけだ。

……ただし歓迎されるとは限らない。

 

そんな不安を抱えつつ、交流棟へと到着した僕たちは、入り口で早くも異物としての洗礼を受けた。

華やかな衣装の貴族たちの中、地味な制服姿の僕らは異様に浮いていた。

 

「一番近いのは……一年のカイル・ドラン・エルディスってやつの部屋か。フレッド、行くぞ!」

 

あろうことか王族を呼び捨てにしながら、エイン君はずんずん突き進む。

 

「おじゃましまーす!」

「お、お邪魔します……」

 

無遠慮に扉を開けたエイン君の後ろで、僕は小さく頭を下げながら部屋に入った。

中では、第三王子であるカイルが取り巻きに囲まれて紅茶を啜っていた。

 

「お前は……首席の」

「エインだ、よろしく!」

「そっちのお前は?」

「フレッドと申します……」

 

「で、平民の首席様がわざわざ俺の部屋に何の用だ?」

 

明らかに棘のある声音に、少しだけ空気が張り詰める。

 

「今日が何の日か知らないのか? お茶会だろ」

「……平民のお前が、茶会に?」

「平民がお茶会に参加しちゃダメって決まりはないよな? それとも、そっちは平民に出せるような菓子もないのか?」

「ちょっとエイン君!?」

 

挑発まる出しの言葉に、取り巻きの顔色が見る間に赤くなる。

だがカイル王子は、やや驚いたように目を細め──ふっと笑った。

 

「……いいだろう。お前ら、そこに座れ。エヴァンス、もてなしてやれ」

「ですが、彼らは平──」

「俺の命令が聞こえなかったか?」

 

冷たい声に、取り巻きの一人──エヴァンスと呼ばれた少年は顔をひきつらせながら頭を下げた。

 

やがて彼が持ってきた茶器と菓子が机に並ぶ。

確かに美味しそうに見える。見た目だけは。

 

「それじゃ、いただきまーす」

「……いただきます」

 

一口目を入れようとした、まさにそのとき。

 

バキッ。

 

乾いた音とともに、カイル王子の拳がエヴァンスの頬を捉えていた。

 

「お前……俺の顔に泥を塗るつもりか」

「カ、カイル王子! そんな、ご無体な──」

「誰が、昨日の残り茶と余り物の菓子を出せと命じた?」

 

改めてカップを見ると、湯気がない。香りも抜けている。

皿の上の菓子も、明らかに切れ端や形の崩れたものばかりだった。

 

「失せろ。二度と俺の前に現れるな」

 

すがりつくエヴァンスを、取り巻きが静かに引き剥がして部屋から追い出す。

 

──数分後。

 

新たに運ばれてきた紅茶と菓子は、まるで別物だった。

茶葉の香りも、菓子の艶も、本物の"王族クオリティ"だ。

 

「うん、うまいな」

「確かに、すごく美味しい」

 

ご満悦のエイン君の隣で、僕も静かに頷く。

 

「さっきの一件、すまなかったな」

「いや、俺は満足だぜ。いい菓子にありつけたからな」

「ははっ、冗談がうまいな」

 

──冗談じゃないんだけど。

 

「実のところ、アイツは追い出したくてな。上から目線だけは一丁前で使い物にならん。今日のは"ちょうどよかった"ってやつだ」

 

そう言って笑うカイル王子は、表面以上に腹の座った人物らしい。

 

「そういや、入学式のスピーチな」

 

一瞬だけ、彼の目が鋭くなり、僕は緊張する。が、

 

「最高だったぞ、あれ。兄貴の顔を思い出すたび笑いが込み上げる」

 

破顔一笑。

 

「首席の座を譲っても、悔いはないさ。お前は実力で勝ち取ったんだ。……それに俺は、ああいう"予定外"が嫌いじゃない」

 

まさかこんな人物だったとは。

 

その後も和やかに時間は過ぎ、やがて夕刻。

交流棟を出て帰路につきながら、エイン君が言う。

 

「いやー意外と悪くなかったな、カイル」

「王子呼び捨てやめて……」

「でももうあそこには行かねーかな」

「えっ、なんで?」

「菓子が甘すぎて合わなかったし、話ならお茶会じゃなくてもできるしな」

 

そう言いながら、次の"うまい菓子"を求めて、すでに彼の視線は別の部屋の扉に向いていた。

 

──僕の胃の平和は、まだまだ遠い。

 

────────

 

セレナ・フォン・エルディスは貸部屋の中で、ひとり椅子に腰掛けていた。

 

整った顔立ちに艶やかな銀髪、まるで絵から抜け出したかのような、おしとやかな少女。

だがその瞳の奥には、静かに燃える意志の光が宿っている。

 

テーブルには、丁寧に淹れた紅茶と、焼きたての手作り菓子が並べられていた。

だが、その香りを味わう客の姿は、どこにもなかった。

 

部屋にいるのは、彼女と──その傍らに控える一人の侍女のみ。

 

イレーネ。

褐色の肌に長い黒髪を高く結った、背の高い女性。

切れ長の目元は鋭く、その眼光は常に周囲を射抜くように冷たい。

ただの侍女ではない。王女付きの護衛として、常に影のように仕えてきた存在だった。

 

やはり、今日も来ない。

 

誰かが来る可能性を信じて、お茶とお菓子を用意していたが、部屋は静かなままだ。

交流棟の他の貸部屋から聞こえていた賑やかな声も、すでにまばらになりつつある。

 

「イレーネ」

 

「はい、殿下」

 

「今日はもう、いいわ。……一緒に食べましょう」

 

「……かしこまりました」

 

イレーネがテーブルの向かいに静かに座る。

湯を注ぎながら、ふと香りに眉を寄せた。

 

「……この茶葉、たいへん良い香りがいたします。いつものより、格が……」

 

「ええ。少し前、王都の茶舗で仕入れたの」

 

セレナは小さく笑った。

 

「といっても、自分では買えなかったのだけれど」

 

「……殿下?」

 

「変な人がいて。お店で騒いでいたから、つい助け舟を出してしまって」

 

セレナは、茶舗での出来事を簡単に説明した。

王女の立場を隠して外出した日のこと。ほんの偶然の出会いだったが、妙に印象に残っている。

 

「その人、平民のくせにすごい高級茶葉を爆買いしていったのよ。ふつう買えないわよ、あんなの……」

 

イレーネは静かに聞いていたが、特に何も言わなかった。

 

セレナは小さく息をつき、お菓子に手を伸ばす。

 

来客はゼロ……でも、お茶は美味しいし、お菓子もよく焼けている。

 

ひとくち食べると、ほどよい甘みと焼き加減が舌に広がる。

手間をかけた甲斐があったと、自然に頷いていた。

 

「……うん、やっぱり美味しい」

 

「殿下、やはりお菓子作りがお上手です。味のまとまりも焼き加減も見事でございます」

 

その言葉に、セレナは一瞬だけ目を見開いた。

そして──そっと、微笑む。

 

「ありがとう。……あなたにそう言われると、なんだか嬉しいわ」

 

第四王女という立場。妾腹に生まれ、王宮では疎まれ、学校でも孤立していた。

予算は限られ、格式ある菓子屋に注文などできない。

だからこそ、彼女は自分で焼いた。

趣味と実益を兼ねて、少しずつ、少しずつ技術を磨いてきた。

 

あの人は、変だったけれど……

 

どこか場違いで、誰にも臆せず、好きなものを堂々と選んで。

 

賑やかすぎて迷惑な存在だったはずなのに、今も彼の姿が少し、胸に残っている気がした。

 

────────

 

一週間後。

 

僕たちは再び交流棟へ足を進めていた。

エイン君は「今度こそ美味しいお菓子を!」と意気揚々だったけど……その期待は見事に裏切られた。

 

「この紅茶はあなた達のお口には合わないと思うわ」

「じゃあお菓子だけ食べるよ」

 

「このあと用事があるんだ、済まないがまた後日来てくれないか」

「それなら余ったお菓子を持ち帰らせてくれ」

 

「茶葉がもう切れちゃったの、ごめんなさいね」

「お菓子だけでも……!」

 

どこへ行っても歓迎されないのは当然だろう。

エイン君は言外に「出て行け」と言われてるのに気づいてないようで、毎回居座ろうとして大変だった。引き戻すの、ほんとに重労働だったよ……。

というか、君どれだけお菓子に執着してるの。

 

「いやぁ、食った食った!どこも甘すぎるけど、次は……第四王女のセレナ・フォン・エルディスのところか」

 

冷たい目を向けられながら菓子だけは根性で平らげてきたエイン君は、まるでハシゴ酒でもしてるみたいに言った。

 

夕飯時も近づくころ、僕たちはセレナ王女の貸部屋の前に立っていた。

 

そのときだった。視界の端に影が現れ、鋭い視線が突き刺さった。

 

「お待ちなさい。ここは王女殿下の貸部屋。無断で近づくのはお控えください」

 

現れたのは一人のメイドだった。

声は静かだけど、圧がすごい。鋭い眼光に威圧感まで加わっていて、まるで兵士のようだ。いや、もしかして本当にそれ系の人かも……。

 

「お茶会に参加したくて来たんだけど」

 

エイン君がまるで知人の家に遊びに来たようなノリで言うと、メイドの目が細くなった。

 

「……あなた、首席のエインとかいう平民ですね。先日の訓練で“拷問魔法”を使用した、極めて危険な人物だと聞いています」

 

めちゃくちゃ警戒されてる。まあ、話だけ聞けば当然だと思うけど……それにしてもストレートすぎる。

 

「違うんだって! 俺はただ、美味いものを味わって学ぶっていう、教育的意図で来てるだけだから! 本当にそれだけ!」

 

「王女殿下に万が一があっては困ります。お引き取りを」

 

彼女は一歩も引かない。というか、まったく信用してない。

それでもエイン君はめげずに、

 

「いや何もしないから!お菓子食べたいだけだから!部屋に入れて!先っちょだけ、先っちょだけでいいから!」

 

──ついに本音を全開にした。

 

もう言い訳すら、放棄したらしい。

 

それでもなお何かを口にしようとする彼を、メイドが慌てて押しとどめたその時だった。

 

扉が静かに開き、部屋の奥から凛とした声が響いた。

 

「おやめなさい、イレーネ」

 

その声に、メイド──イレーネと呼ばれた女性がピシッと姿勢を正した。

 

「殿下……!」

 

中から姿を現したのは、セレナ王女だった。

 

彼女は小柄で、静かな気品をまとっていた。

控えめな佇まいなのに、どこか凛とした空気を持っている。

 

「騒がしかったので、何事かと思いましたが……その方なら知っています。問題ありません」

 

「……あー!あのお茶屋さんで会った!」

エイン君がようやく思い出したように指を鳴らした。王女を指差すのはやめてくれ。

 

……それにしても、まさか王女様と面識があったとは。エイン君は何も言ってなかったけど。……というか、本人も今思い出したんじゃないかな。

 

「……しかし、警護の観点からしても……」

 

イレーネが食い下がろうとするも、セレナ王女は首を横に振った。

 

「大丈夫です、イレーネ。中でお茶を淹れましょう」

 

彼女が眉をひそめたまま後ろに下がると、セレナ王女は僕たちに向き直った。

 

「お待たせしました。よろしければ、お二人とも中へどうぞ」

 

通された室内は派手さこそなかったが、どこか落ち着く雰囲気だった。壁の装飾も控えめで、丁寧に整えられている。

 

テーブルに並んでいた焼き菓子は見た目こそ地味だったけど、ひと口食べた瞬間、思わず声が漏れた。

 

「……これ、すごくおいしいです!」

エイン君も一緒になって「うまい!」と目を輝かせる。

 

セレナ王女は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに控えめに微笑んだ。

 

「あの……その、お口に合ってよかったです。私が焼いたものなので……」

まさか王族が手作りとは、と思ったけど、味の繊細さがそれを証明していた。

 

エイン君もひたすら満足げにお菓子を頬張っていて、セレナ王女もどこか嬉しそうに見えた。

たぶん、今日のお茶会が一番──少なくとも僕らにとっては一番、居心地がよかったと思う。

 

そうして楽しい時間が過ぎていき、お茶会は自然とお開きとなった。

僕たちは席を立ち、貸部屋の扉を開けて外に出る──その瞬間だった。

 

「──これはこれは。興味深い組み合わせだな」

 

ぞっとするような声が僕らの耳を打った。

 

────────

 

廊下の奥から現れたのは、第一王子ベイル・ドラン・エルディスだった。

その足取りは静かだったが、空気にひびが入るような緊張をまとっていた。

肩章に飾られた紋章が廊下の光を反射し、彼の存在感をより際立たせる。

 

「平民の首席と、妾腹の王女。なるほど、確かにお似合いだ」

 

セレナの表情が、ピタリと凍りつく。

彼女は一瞬だけ視線を逸らし、胸元のブローチに指先をそっと添えた。

誰にも気づかれないほど小さな動き──だがそこには、胸の奥に封じ込めた屈辱のような感情が、わずかににじんでいた。

 

ベイルの足音がゆっくりと近づく。

その声音には、あからさまな侮蔑と優越感が滲んでいた。

 

「ふん、こんな茶会が“貴族の社交場”とは笑わせる。いや──これほど分かりやすい落ちぶれ方も珍しいか」

 

言葉が放たれるたび、空気が一層重くなる。

セレナの隣では、イレーネがほんのわずかに身じろぎしたが、そのまま何も言わず、じっと主に従っていた。

 

そんな沈黙を破ったのは、扉のそばにいた少年だった。

その場で立ち止まり、首を傾けながら、まるで何でもないことのように言う。

 

「……何の話かよくわかんないけど、ここの菓子が一番うまかったわ」

 

室内が、凍りついたように静まった。

セレナが目を見開く。小さく息を呑み、その視線が揺れた。困惑か、喜びか──そのどちらでもあるような光が宿っていた。

 

嬉しさとも、驚きともつかない複雑な感情が、その瞳に浮かんだ。

 

「──今、なんと言った?」

 

ベイルの声は氷そのものだった。

 

「いや、ほんとに美味かったんだって。他のとこ甘いだけで合わなかったし……お前んとこも似たような感じなんだろ?」

 

その発言が、貴族社会においてどれほどの意味を持つか──

ベイルの目に灯った怒気が、言葉以上にすべてを物語っていた。

 

「……これまでは、入学式の“スピーチ”も、所詮は平民の見苦しい妬みと見逃してやっていた」

 

「だが、今日の一件でよくわかった。貴様は本当に、身の程というものを知らんらしいな」

 

ベイルが一歩、踏み出す。

その足音だけで、廊下の空気が凍りつく。

 

「エイン。この私、ベイル・ドラン・エルディスが、貴様に正式な“決闘”を申し込む」

 

「今夜七時、訓練棟に来い。そこが貴様の──死に場所だ」

 

それだけ告げて、ベイルは踵を返す。

 

革靴の足音がカツ、カツと廊下に響き、次第に遠ざかっていく。

誰も動かず、誰も言葉を発さない。ただその音だけが、冷たく場を支配していた。

 

やがて足音が完全に消えたあとも、セレナはじっと椅子に座ったまま、扉の向こうを見つめていた。

胸元のブローチを握る手が、ほんのわずかに震えていた。

 

その微細な震えに、イレーネは目を伏せ、黙って立ち尽くす。

フレッドも、言葉を失っていた。

 

誰も言葉をかけないまま、時間だけが静かに過ぎていく。

震える指先が、彼女の心の内を物語っていた。

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