「おかえりなさい、プロデューサー」
扉をそっと閉めた。
アパートの部屋番号を確かめる。確かに自分の部屋で、なんなら鍵も開いた。…見間違いだったのだろう。
決心して、再び扉を開ける。
「扉を開け閉めして、どうかされましたか?」
「…どうしているんですか、秦谷さん」
「鯖の塩焼きになめことお揚げの味噌汁、小松菜のお浸し、ごぼうのきんぴらです。ご飯はお代わりもありますよ」
「…いただきます」
「はい。感想もお聞かせくださいね」
味噌汁には家庭の味、というものがある。味噌のメーカー、溶かす量、具材の種類とその大きさ。ひとつとっても親から受け継いだ独自のものであり、御椀の小さな世界には作り手の半生が溶け込んでいると言っていい。
…では、なく。
卓袱台に並べられた温かい一人分の夕餉を噛み締めながら、眼前に膝を畳んで座る少女の表情を伺う。
「料理は美味しいです。しかし、質問しなければならないことも、あります。何故俺の部屋にいるんですか、秦谷さん」
なにせ、彼女は、
「プロデュースしているアイドルでもないのに、でしょうか」
溜め息交じりに首肯する。俺がプロデュースしているのは月村手毬。秦谷美鈴の幼馴染にして、元ユニットメンバー。そのプロデューサーでしかない俺に強く干渉する理由は、無い。
「担当アイドルだからといって、一人暮らしの部屋に上がり込むのはいけないと思いますよ? プロデューサーはもしかして、そういうのがお好みなのでしょうか」
「アイドルが担当プロデューサーの部屋に上がった話は耳にしたことがありますが、そうでもない生徒が、などはまず有り得ない話です。…疑問は幾つかありますが、先ず。どうやって侵入を?」
鯖を箸でほぐしながら、秦谷の微笑を観察する。常と変わらない角度の広角と目尻に、アイドルとしての能力の高さを見た。…良い焼き加減だな。
「先日、少しの間鍵をお借りしまして、合鍵を作りました。仕事の早い業者さんで助かりました」
「俺が学外の人間であれば大問題ですね」
事も無げに表情を崩さない秦谷に、混乱が一層深まる。訴えれば負けそうな行為に手を染めて、意図は何だ? …ごぼうのきんぴらは、少し味が濃い。月村の好みなのだろうか。
「では、そうして鍵を無断で複製してまで、何の目的で俺の部屋に? 見たところ掃除もしたようですが」
ぐるりと首を回して、問いを重ねる。私物の少ない六畳一間は、いつも以上に整頓されて生活感まで失っている。この部屋にはそこそこの間滞在していたようだ。
「…まりちゃんとの二人暮らしを始めて、あの子との会話がずいぶん増えました。またあの頃と同じ、幸せな時間が戻って来ると思ってました。それなのに…」
やや俯いて、秦谷は語り出す。穏やかな抑揚と控えめな声量だが、えも言われぬ凄みをはらんでいる。
「毎日、あなたの事ばかり話すんです。 今日はプロデューサーが何をしていた、プロデューサーと何を話した、前にプロデューサーが何を見ていた。もう一度わたしで埋められたと思ったあの子の中には、あなたが居座ってどいてくれませんでした」
再び面を上げたが、その表情は同じようでいて僅かに、そして致命的に違っていた。いつもの穏やかな笑みには、相手への堪えられぬ怒りが滲んでいた。
「どうすれば、あの子はまた戻って来るのでしょうか。それとも、やはりあの頃のようにはなれないのでしょうか」
溜め息をついて、味噌汁の残りを一息に飲み干す。アイドルを導くのがプロデューサーであるからして、ここは仕事に精を出すとしよう。空になった茶碗を置いて、美鈴を正面から見据える。
「良い方法が、一つ。聞いていきますか?」
「………まあ、それは、なんて。……面白そうですね」
「浮気したんですか、プロデューサー〜〜〜!!」