異世界転生したら既に死んでた   作:筆ぺえぺえ

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初心者心にひよりながらの投稿でしたが、想像以上にたくさんの反応を頂いて本当に嬉しいです。
ありがとうございます。
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訓練生_Zephyr

 

 十四歳で海軍士官学校に入校して一年近く経つ。

 ゼファーの、その学校の誰よりも多い手の血豆と傷は、紛れもない努力の証だった。

 

 

NAVAL CADEL(訓練生)___Zephyr

 

 

 

 嘗ての少年のゼファーは、Zの文字を冠するメットを被り、風に靡く“白”を背負い、悪を挫き弱きを守っていた。それこそがゼファーの原点で、光り輝く理想だった。

 その気持ちを抱え、背筋を伸ばして、士官学校の門戸をくぐった。

 

 掌の血豆は誰よりも剣を振るった証だった。拳ダコは誰よりも多く強く打ち込みをした証だった。足裏に何度も豆ができて皮が剥がれるのは誰よりも踏ん張って敵を見据えた証だった。

 身体中のアザと傷は絶えることがない。まだまだ未熟な体に、激しい鍛錬で筋肉が耐えられず裂傷したこともある。鍛え始めた見聞色で夜も眠れない事があった。食事と鍛錬の片手間に勉学にも励んだ。人よりも遅く寝て、人よりも早く起きた。

 

 そのどれも、いつかは白を背負って悪を挫く為の絶え間ぬ努力の結晶である。ゼファーが入校してから一年も経たぬうちに、学年をも飛び越えて校内でも上位を争う成績を得たのは、人の百倍を超える努力の当然の結果だった。

 

 それを理解することもなく、妬み嫉みやっかむ奴らを気にする事はなく、ちょっかいをかけてくる連中は叩き潰してその暇があれば努力をしろと叱りつけた。

 

 ゼファーはいつだって前を見て、夢を目指して真っ直ぐに進んできたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 だから彼らのこの行動は、非常に寛容できない事だった。

 

 夜分遅く物音がした気がして窓から見下ろすと、寮を抜け出していく三人の訓練生を見かけた。それだけならばゼファーの頓着することではない。門限を過ぎて街に繰り出す訓練生は少なくないからだ。規則違反とはいえ、彼らの自由時間を咎める権限も責任もない。

 普段なら気にも留めない事であるが、ふとゼファーは彼らが手に持っていたものに気がついた。

 あれは押収品一時管理室の鍵ではないだろうか。

 稀に演習艦隊が海賊を捕縛した際、訓練生でも御し易いレベルの海賊である為に、指揮官の監督の元、移送や調査の練習として学内に一時勾留することがある。もちろん最終的には附属の本部に移送される事にはなるが。従って押収品も学内に一時管理する為の倉庫が存在する。金品財宝、日誌、帳簿、武器、犯罪の証拠となりうるもの(大型な物を除く)全てがそこに収容されている。

 ゼファーは何度かその倉庫の管理を担当したことがあったことから、防犯の為に一際複雑な形をしたその鍵をよく覚えていた。

 

 何か胸騒ぎがしたゼファーは彼らの後をひっそりとつける。訓練生である彼らが海賊と繋がりがあるかもしれないとしても、押収品を横領しようとしているかもしれないとしても、許されないことであった。

 きょろきょろと辺りを振り返りながら進む三人組に、細心の注意を払いながら、ゼファーは彼らを観察した。

 上級生だろうか、三人ともゼファーよりも一回り大きい。内、一人は骨折をしているのだろう、三角巾で片腕を吊っている。

 見覚えはある……ような気がする。ふむ、誰だったかと首を傾げるが、如何せん事ある毎に様々な学年からやっかみを受けるゼファーには心当たりがありすぎた。記憶の引き出しをあちこちひっくり返して漸く思い当たる。

 

 あぁ、先々週の、学外での。

 確か先々週の休みに、学外の商店街まで日用品の買い出しに出かけた際、付き纏われる気配に辟易しながらわざと一方通行路に入っていくと、廃材を構えた三人組に襲われたのだ。

 よくある事だ。ゼファーの学内での特出した成績と強い正義感、真っ直ぐな性格はとにかく衝突が絶えなかった。

 こうやって学内外を問わず素行の悪い訓練生に人目を盗んで小突かれる事は頻繁にあることで、いつもの如く数の差など物ともせず、その三人組を投げ飛ばしてやった。その折に、一人が歪な受け身を取ったので、あぁ、アレは折れたんじゃあねぇかな、なんて軽く思いながらその場を後にした。

 その三人組で間違いないはずだ。

 

 自身の力不足を棚に上げて、気に入らない者に寄ってたかり、受け身も碌に取れない。そして夜間の怪しげな企み。

 なんてどうしようもない奴等だろうと、ゼファーは白い眼で彼らを追いかけ続けた。

 

 暫くして、やはり彼らは押収品一時管理室へと辿り着いた。三角巾をした一人が管理室に入って行き、残りの二人は入り口で警戒をしていた。何かをこっそり失敬するらしい。ゼファーは現行犯逮捕だなと一人が盗品を持って出てくるところを狙う。

 ややあって、中に忍び込んだ一人は漸く外に出できた。「遅い」と見張り係に小突かれるその男の手には何やら帳簿のような物を持っている。飛び出そうとしていたゼファーは動きをとめた。

 

 てっきり換金しても足がつきにくい品物を持ち出すかとばかり……。

 持ち出したのが帳簿…何らかの情報であるのならば海賊との繋がりがあるとみても杞憂ではないだろう。

 

 訓練生三人はまた移動をする。向かった先は寮ではない。もしかしたら帳簿を渡す人物と会うのかもしれないとゼファーはまた尾行を再開した。

 

 

 

 

 三人は夜間人気のない訓練場の用具倉庫へと入っていった。中にはすでに待ち合わせ相手がいるらしい、わずかに開いたドアの隙間からそろりと聞き耳を立てる。

 

「叔父さん! 帳簿持ってきたぜ。やっぱりまだ目録も作ってねぇし、誰も中身まで確認してないと思う」

 

 管理室内部まで入っていた一人が手にした帳簿をひらひら遊びながら、奥の人物へと近づいていく。親しげな様子から身内なのだろうかと予想立てる。ゼファーは息を止めて扉の隙間から目を凝らすが、角度が惜しく、待ち合わせの人物も見ることが叶わなかった。

 

「遅ぇよ、待ちくたびれたぜ」

 

 ゆらりと空気の揺れる感覚に只者じゃあないなとゼファーは確信する。何者か知らないがこの男、相当強い。

 

「すみません……。ウィーズルが管理室から出てくるのが遅かったもので」

「まだ目録付けしてねぇか確認してたんだよ! 証拠物にされてたら意味ねえだろうがっ! 」

「声がデケェんだよ」

 

 大声を出した少年_ウィーズルを嗜める為に、男が一歩踏み込んでゼファーの位置から白のコートが垣間見えた。

 

 白の…コート……?!

 

 ゼファーはまさかと身を乗り出した。

 

 

 受け取った帳簿をぺらぺらと捲り、あぁやっぱり名前があるなと男は眉を顰めている。

 

「ここまで馬鹿だとは思ってなかったぜ、危ねぇな。偽名使ってるとはいえ、万が一にも顧客帳の名前を一通り調べられたら終わるからなァ? 」

「それって今朝四年生が演習で捕縛した海賊の押収物ですよね?ヒゲワシ少佐に何か関係があるんです? 」

「……密輸や横領武器の取引名簿だ。こいつらには何度か世話になったもんでなァ…………」

 

 ヒゲワシと呼ばれた男は帳簿に火をつけた。ちりちりと燃え上がり、小さく黒くなっていた紙束を地に落とし足ですり潰す。

 

 あぁ……ああ!! ゼファーは途端込み上げる怒りに歯を軋ませた。

 ヒゲワシ…少佐?! 少佐だって?!

 海賊という悪と対峙し、海の平和と均衡を保つ海兵が、佐官が! 海賊と取引だと?!

 ふざけんじゃねェッッ!!!

 体が煮えたぎった。冷静に事を処理するんだと囁く理性とは裏腹に、証拠だなんだと関係なく、こいつらの性根を叩き直したい衝動に駆られる。必死で、膨れ上がる怒気を呼気に溶け込ますように静かに深呼吸をした。

 落ち着け、こいつらは、野放しには、しておけない、分かってる、落ち着け。

 

「よくやったウィーズル。お前ちゃんとバレねェように片しておけよ」

「その代わりちゃんと新入りのアイツ、約束通りシメといてくれよ」

「ハッ! 分かってるよ……ところでお前」

 

 

「そこで覗き見してるやつは仲間か」

 

 

 ヒゲワシの鋭い視線がこちらに向いたと思った時にはもう遅い。ゼファーの体が浮いたと思うと乱暴に室内に引き込まれた。勢いよく地面に叩きつけられゼファーは息を詰める。

 しまった、武器を、持ってきておくべきだった…っ!

 

「……っ! ゼファーだ! 聞いてやがった! 」

「叔父さん、こいつだよ! シメて欲しい新入りは!! 」

「ほォ、どうせ後でシメル予定だったんだ。ご丁寧に自分の方から来てくれたんなら、今ついでに口も締めちまえば関係ねェ! 」

 

 熱り立つ子供達に呼応するように、ニヤリと口角を上げたヒゲワシがゼファーに拳を向けた。

 さっと体勢を整えようとしたゼファーは異変に気付く。グッと地面に力を入れた筈の足先が空を蹴ったのだ。それだけでない、地面に着いたままのはずの上半身が吊られたようにひとりでに持ち上がっていく。

 

 う、浮いている………ッ! こいつ、能力者か!

 

 自分の身に起こる現象に目を白黒させているゼファーの顎に拳が飛ぶ。頭蓋骨の中で強く脳味噌が揺れて、一瞬思考が止まった。遅れてブロッキングの姿勢を取ったゼファーの空いた腹に、今度は鋭い蹴りが入る。息が詰まって、胃液が込み上げた。

 

 ゼファーは込み上げた酸を飲み下し、ヒゲワシを睨み付ける。すぐさま体勢を整えたい焦りに反して、宙をもがく体は重力を見失ってしまったようにクルクルと回る。そうやって空いたゼファーの背中にすぐに重い踵が落ちてきて、勢いのままに地面に叩きつけられた。

 間髪入れずに地面を蹴ったゼファーはヒゲワシの懐に飛び込もうとする、が、定まらない重心のせいで踏ん切りが弱く、横っ面に蹴りが入るのを許してしまう。

 そのまま積み上がった用具箱に突っ込んだゼファーを、嘲笑う声を上がった。

 

「おいおい、もう終わりか? 」

 

 ニヤつくヒゲワシが散らばり落ちた砲弾を拾い上げて弄ぶ。

 

 怯むな……考えろ、考えろ! どうする……どうする……ッ!

 ゼファーはぐわんぐわんと揺れる頭を必死に働かせる。

 

 ゼファーは一先ず、浮かび上がった不安定な体でも切り裂くような視線だけはヒゲワシから外す事なく、武装色を纏った腕ーー鉄塊だーーで防御姿勢を取る。ゼファーはこれを得意とし、教わった六式の中で、最も容易く習得した。

 終始舐め切った態度を取っていたヒゲワシも、一年坊主がまともな武装色を纏わせていることには流石に瞠目する。

 

「気に入らねぇな、その眼……。俺を舐め腐りやがって」

 

 不快そうに目を細めたヒゲワシは手に持っていた三つの砲弾を軽く宙に投げると、弾はプカリと周囲に浮き上がった。

 

「俺はプカプカの実の能力者でな……複数の対象物に浮力と推進力を持たせることができる。フワフワの実とやらにゃあ、ちぃっとばかし劣るがな」

「……お前みてぇなガキひとり叩き潰すにゃ、不足はねぇ 」

 

 丁度こんな風になーーそう言い放ったヒゲワシが顎をしゃくると、自身の周りに浮かび上がっていた砲弾がまるで大砲のような勢いを持って打ち出された。

 

 ゼファーは顔面への豪速球を黒腕で受け止めるが、浮かぶ体では衝撃に踏ん張ることができず体が反り上がる。気を緩める間もない追撃の砲弾に咄嗟に腹部を硬化するが、重い衝撃に耐え切れず武装色が飛散するのを感じた。内臓が押し潰れる痛みに呼吸が止まる。

 

「なんだ、見掛け倒しかよ。まだ未完成じゃねぇか。腹の硬化と同時に腕も元に戻ってやがるぜ」

 

 その通りだ。まだ部分的な武装色しか纏えず、さらに腕以外を硬化すると強度が下がってしまう課題があった。

 学生相手なら無双できる自慢の黒腕も、まだまだ実戦には稚拙さが目立つものである事は自覚していたが……ゼファーは悔しさに拳を力ませた。

 

 流石に少佐という肩書は伊達じゃないらしい。その観察眼も、しっかり戦歴を積んだ身のこなしもーー学内では上位者といえどもーー14の学生を下すには十分過ぎるものだ。実戦経験のないゼファーに、悪魔の身の能力も、過分ともいえよう。

 そしてその体格差もまた、ゼファーのダメージを蓄積させていく。

 まだ声変わりも来ていないゼファーは160を少し超えた位に比べて、ヒゲワシは2メートルを超えるほど大柄。筋骨隆々とした体はおそらく体重も倍以上あるだろう。未熟な体で、ウェイトの乗った拳と能力による攻撃をまともに受け続けたら、命にも関わることは明白だった。

 

 果敢に攻撃を仕掛けようとするゼファーだったが、構えすらままならない状態に、打ち込まれる砲弾と重い拳で、ついに意識が混濁する。

 動きの鈍ったその一瞬にヒゲワシはゼファーの頭を鷲掴み、思いっきり振り下ろした。叩きつけられた地面には血がとろりと流れ出る。

 浅い呼吸をし、指先を震えさせるゼファーが地面に這いつくばった状態になったのを見て、今まで部屋の隅で固まっていた三人組は歓声を上げた。

 

「ハッ!ざまあねえな、ゼファー!」

「すげえや、手も足も出ねえぜ! あのゼファーが地面を舐めてやがる! 」

 

 かひゅかひゅと痙攣する呼吸、僅かに地面を掻くだけの指先。自分から流れ出す血がぼやけて見えた。

 ゼファーは怒りで目の前が狭く黒くなっていく。

 

 憤怒と嫌悪の感情がぐるぐると胸中を暴れ回って苦しいほどだった。

 

 こんな事があっていいものかと、あっていいはずがないと。

 

 海軍の白は、悪を挫き弱きを守るためのものなのだ。

 

 こんな風に、私欲に塗れ、海賊に靡いて、悪事に手を染めるような、自分の信念一つ持っていないクソ野郎どもに、内側から汚されるなど……

 

 そんな事は……あっていいはずがない……のに…………ッ!

 

 ゼファーの白い見習い服がよごれていく。

 あぁ、濁る、濁る。大切な白が汚れていく。

 

 

「将来有望なゼファー君とやら、来世は余計な事に首を突っ込まないことだな」

 

 また一つ、砲弾を拾い上げ、浮かべたヒゲワシが下卑た笑いと共にゼファーを見下ろした。

 悔しくて悔しくて、溢れ出る涙を止められないまま、このまま死んでやるものかとゼファーは力を振り絞って身構える。

 そんなゼファーをヒゲワシは鼻で笑う。

 

 

 ヒュンッ!

 

 甲高い音を立てて跳んだ弾は、ヒゲワシの正面のゼファー…………ではなく後ろのウィーズルへ向かってどごりと鈍い音を立てて当たった。

 

「いっっっっ!!!てぇ…ぇ………っ!!!」

 

 何の防御も取っていなかった額がぱっかりと派手に切れて、血がとぱとぱと流れ出す。

 急所を僅かにずれたのか意識があるウィーズルは痛みに悶え蹲った。

 

「な、にすんだよっ!!!叔父さんっ、ノーコンかよ!!!!?」

 

 

 ヒゲワシは振り返って瞠目した。

 

 何だ………?今のは………?

 まだ動かしてもいないのに……!?

 

 狼狽えるヒゲワシを嘲笑うかのように、用具倉庫中の武器がカタカタと音を立てて動き出す。

 何本もの訓練用のサーベルが独りでに浮かび上がって、月の光を浴びた切先がヒゲワシとウィーズル達を取り囲む。

 

「は? え?!少佐!何やってるんですか?! 」

「向きッ!違くないですか?!な、な、なんでこっちに?!」

「ひッ……!ッ……!」

「知るかッ!!!違うッッ!俺じゃねえ!動かしているのは俺じゃねぇッッ!!!」

 

 

 パニックに陥る室内に、ゼファーはポカンと一人口を開ける。

 ゼファーにも何が起こっているのか理解が追い付いていないが………どうやら自分を守るように浮かぶこの武器々々はプカプカの実の力ではないらしい。

 

 では……誰が…………??

 

 

 風を切る音と共に一つのサーベルが勢いよく打ち出された。ヒゲワシの頭を狙ったソレを間一髪で避けるのを皮切りに、取り囲むサーベル達が身を削ぐように動き出す。咄嗟に能力で砲弾を動かし撃ち落とすが、急に指揮権を奪い取られたかのように砲弾までもが自分たちを襲いにかかった。

 さながらゼファーを一方的に痛ぶった時の再現とでもいうように、手も足をでない彼らに傷をつけていく。

 

 しゅるり。彼らの後ろから忍び寄った縄が、足を絡め取って跳ね上がる。

 

 尻餅をついたヒゲワシの顔横にダーツのようにサーベルが突き刺さって、頬につつつッと血が流れた。

 

 一瞬の沈黙。

 

 

 

 

「「「「あああああああ゛あ゛あ゛あ゛ああああアアァ!!!!!!!!!! 」」」」

 

 

 

 

 響く絶叫。

 

 骨を折る怪我をしても憎まれ口を叩く生意気な子どもが、虎の威を借り返報する小賢しい子どもが、つるむ友人に流されて他人を貶める浅ましい子どもが、逞しい体をして気に入らない子どもを悪意を持って害する稚拙な大人が。

 

 笑ってしまう程に情け無い叫び声をあげて我先にと逃げ出していく。

 

 

 

 ぽつんとゼファー一人残された室内に、カランカランと武器が落ちる音だけ響いていた。

 

 

 

 残った傷だらけのゼファーは、ぱちぱちとそれを見つめてゆっくりと振り返った。

 自分を助けたその奇妙な現象とそれを行った不気味なナニカがそこにいる。

 月明かりが差し込み、吹き込む風にキィキィ蝶番が音を立てる、その窓淵。

 そこに立つ、風に靡く白を見た。

 透けて、淡い月光に煌めいている白を着る誰かが見えて、目が合った気がしたが、瞬きの間に消えてしまった。

 

「あ…」

 

「ありがとう………」

 

 ゼファーはなんとなく、そのナニカに素直に礼を述べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マリンフォードの悪霊、爆誕ッッ!

 

 した後の私の話であるが、それはもうなかなかに憂鬱な日々であった。

 

 件の海賊に復讐を遂げた後も、一度芽生えた悲しみと恨みが消えず、一人で逝きたくないと寂しさを訴え、まだ生きた魂を見境なく海へと誘うマリンフォードの悪霊と成り果てた。悪霊化してすぐの私は理性の咎が完全に外れており、海岸に近づく人をやみくもに海に引きづり込んだのだ。

 

 

 生還した調査隊員は語る。

 

 海岸に佇む少女に声をかけようと近づいていたはずなのに、ふと気がつくと、足の届かないような沖まで歩みを進めていた……と。

 

 慌てて泳ぎ戻ろうと、もがいたその時、足に絡まる冷たい感触。

 

 とぷん。

 

 強い力で引っ張られ、頭が水中に沈んだ。

 理解した時には、キラキラと光る水面と、口から命の泡が溢れ上がっていくのが見えた。

 

 もがけど掴めど沈んでいく体。肺を満たしていく海水。

 

 死にたくない……死にたくない…………っ!

 

 薄れゆく意識の中で見下ろした海底は、どこまでも暗く、暗く、真っ黒で。

 自分の足を掴む、少女を、見、て。

 

 

 目が覚めると海岸で、助け出してくれたびしょ濡れの仲間達に囲まれていた……と、そう語った。

 

 

 また、噂を聞いた一般の人が度胸試しでやってきては、遠目でも本能がニゲロ‼︎ニンゲンジャナイ‼︎とガンガン警報を鳴らす程おどろおどろしい雰囲気を纏った少女を目にした途端、私の手が届く前に一目散に逃げ出していった。

 

 そのうち力が強まった私はマリンフォードにある海軍学校にまで手を伸ばし、遠泳訓練に励む海兵見習いの足を軒並み引っ張り込んだ。しかし何故か全員し生還した後、恐怖と酸欠で力尽きる前、恐ろしいナニカが訓練服を引きつかんだ途端、弾けるように解放された、と述べた。

 

 背負われた正義の文字に父を連想した私が無意識に怯んだのだろうか、当時の私の心境を振り返る事はできない。強いストレスはその時期のことを忘れさせる防衛反応を取るらしい。なんとなくの出来事をモヤのようにあったような気もすると思い出せるだけで、当時の感情までは全くだ。

 思い出せないし、思い出したくもないことなのだから、そのまま黒歴史として触れずに葬っておくのが吉だ。

 ただそんな中でも海賊は悉く海底に沈んでいったのだから、恨み辛みは流石のものである。

 

 まるでおちょくるように足首に青黒い手形だけを残していく、そんな噂と実績が十分広まり、少女の幽霊に海に引きずり込まれるというトラウマをマリンフォードに住む海兵に一通り植えつけたあたりで、私(悪霊初期の姿)はようやく正気を取り戻したのだった。

 

 

 

 正気を取り戻した私(悪霊中期の姿)は、漂わせていた恐ろしい雰囲気をすっかり潜めて、海や海岸から離れてマリンフォード島内を自由に移動できるようになった。マリンフォード商店を冷やかし、住宅街の公園で子供達と共に奇声をあげ、海軍宿舎を練り歩き、海軍学校で訓練に混ざって遊び、本部で重要会議を堂々と覗き見し、それはもう広がった行動範囲を大いに楽しんだ。

 

 しかし錯乱状態からのLet's enjoy!悪霊生活!はそう長く続かず、一通りマリンフォードを探索し終わった頃には、寧ろ正気にならないほうがマシだったとべそをかいていた。

 

 ………寂しかったのだ。

 

 いつも母と手を繋いで買いに行ったパン屋さんのおばちゃんに元気よく挨拶しても、よく遊んだ公園でかつての友達に混ざって鬼ごっこをしても、お花屋さんの店先の商品で花冠を作っても、本部にいるはずのない場違いな子どもが歩いてようとも、行儀悪くも会議室の机の上に座って目と鼻の先で極秘事項を聞いたりしても………

 

 誰も、反応すらしなかった。

 声は届かない。

 悪さをしても叱りすらしない。

 目線は合わない。

 そもそも眼は私を捉えすらしない。

 待ってよ、と伸ばした手は服の端すら掴めなかった。

 通せんぼをする私を存在しないかのように人が体を通り抜けていく。

 走り回って転げる私に誰も心配すらしない。

 ここにいるよ!私、ここにいるよ!!と叫んだ声に、活気溢れる街中で振り返る人はいなかった。

 

 淋しかった。虚しかった。

 

 ………孤独………だった………………。

 

 

 街の中央、噴水広場。

 買い物帰りの親子、休憩中の海兵、屋台の花売り、腰掛けで微睡む老人、駆けていく子供達。

 その中央で、私は蹲って声をあげて泣いていた。

 それでも私の背中を撫でる者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 絶望した私は、それから長い日々を、することも無くぼんやりと人の流れを見て過ごしていた。

 いっそもう一度発狂して力が強まれば、恐れられようが人を殺そうが認識されるだけマシかなと思い始めていた程だ。

 そんな私の現在に至る転換点は、悪霊化後4年程が過ぎた頃だった。

 

 

 

*

 

 

 

 何度も季節が変わって、目の前を走り去っていく生前の友人達は随分と背が伸びて二次成長期を迎えている。それ程時間が経っていたのかと、変化のない死んだ体と時間経過への無関心さに改めて生者との乖離を感じた。

 ずっとこのままなのかと、また心が冷えていく。眼前の色味が失われていく。賑やかな雑踏が遠く籠って聞こえる。

 

 ………死にたい、な………。

 

 

 …

 

 ………

 

 

 ……………

 

 

 ……………テ…タ……

 

 ……ウザ……ナ……ヤル………

 

「調子に乗ってんだよ!!あの野郎!!」

 

 怒気の籠った大声に、びくりと肩を揺らして澱んだ意識の中から引き戻された。

 徐に顔を上げれば、その大声は私の近くで屯していた青年たちによる者だった。

 袖の無いセーラー服に背中に書かれたカモメのマーク、NAVAL CADEL(訓練生)の文字、どうやら彼らはマリンフォード海軍本部附属 海軍士官学校の訓練兵らしい。

 何かの買い出し中なのか、片手の紙袋を抱え、もう片方の手には屋台で売られている揚げたダンプリングを握っている。

 

「ひでぇモンだぜ、昨日の模擬戦も。ほぼ一強じゃねえか」

「来週なんかアイツと対抗チームだぜ、席次評価かかってのによ」

「あ〜〜〜、うっぜぇ、マジこっちのクラスに混ざってくんなって」

 

 周りに一般の人がいる中、制服姿のまま大声で愚痴をこぼす彼らは随分と意識が低い。

 何やら鼻持ちのならない学友がいるらしい。咎める者がいない彼らの愚痴はどんどん過激にヒートアップしていく。

 

 『お父さん!私も将来お父さんみたいな海兵さんになるからね! 』

 

 そんな私の声が頭を過ぎる。私も生きて海軍学校に通っていたら、あのように鼻持ちならない優等生の悪口を嬉々として話していたのだろうか。悪口大会も生きている証か、羨ましいことだ。

 

 ふと一人が広場から伸びる商店街に目を向けて忌々しそうに舌打ちをした。

 

「ゼファーだ」

 

 他の二人も続けて目を向けて顔を歪める。話題に上がっていた優等生かと、私も目線を追いかけるが、休日の広場は人が多く誰を指すのか分からなかった。

 

 青年達は示し合わせたように商店街へと入っていく。

 

 なんだ、なんだ? まさか追いかけるつもりか?

 

 私は少し悩んで彼らについていく。噴水でぼんやり意識を飛ばすよりは暇つぶしになるだろう。

 

 前方を睨みつける彼らは、とても穏やかな雰囲気じゃない。まさか三人がかりでやる気かと、私も前を見るが、道先に優等生らしい屈強な男はいない。首を傾げながら歩みを進めていくと、そのうち三人は裏道へと入っていった。この先は、左手に武器工房の高い塀が続く、一方路だ。人気も少ない。

 

 青年達は武器工房の裏手に放置されていた鉄の廃材を拾い上げると、前方を歩いていた少年に声をかけた。

 

 私はパチクリと瞬きをした。

 

 思っていたのとは全然違うな……想像よりも遥かに小さい少年だ。

 

 まだ成長期前らしい薄い体は、学年が上であろう青年達よりも一回り小さく、あどけないまろい頬は日に焼けて、まんまるで大きな瞳は、幼いながらも利発そうな光を湛えている。

 「何のようだ」と煩わしそうな声も変声期前のようで、高く幼い。

 

 こんな小さい子に寄ってたかって甚振るつもりか……と白い目を向ける。

 

 私の冷ややかな目線も当然気付くことのない青年等は、でしゃばるなだとか生意気だだとか云々カンヌン、いちゃもんをつけて手に持った廃材で襲いかかった。

 

 すると、その小さな少年は怯えることもなく、振り翳された鉄棒をするりとかわし、突する体を安安といなすと、力を利用して自分よりも大きな体をするりと放り投げた。

 いとも簡単に三人を片してしまった少年は、腹の底から出たような、芯のある大きな声でーー八つ当たりの暇があったら自分を磨けーーと張り上げる。

 

 なんて生命力に満ちているんだろう。

 

 しなやかに動く発達途中の体も、太陽の光を燦々と浴びた焼けた肌も、意志の強い瞳も。

 

 生きている証を煌々と輝かしている。

 

 ぴんと背筋を張った少年が、転がる青年達を尻目にスタスタと歩き去っていく。

 

 私はさながら花の香りに引き寄せられる虫のように、その生命力にふらふらとついていった。

 

 

*

 

 

 あの生命力に溢れた少年が、一方的に甚振られている。

 

 ここ最近付き纏っている少年が、珍しく夜間外出をしていると思ったら。

 

 件の青年等と悪事を働く大人に囲まれて、嬲られて、その命を揺らがせている。

 

 一方的で理不尽な暴力に、血を流す父と母を見た気がした。

 男は流れる血を嘲笑い、少年は悔しげに涙を溢した。

 

 感情が昂る。

 

 なぜ、どうして、世の中はこんなにも悪意に満ち溢れていて、そして正しさと優しさを持った者が血を流して命が奪われることを良しとする。

 

 男の気配が動いて、少年にトドメを刺そうとするのが見えた。

 

 やめろ……やめろ!!ヤメロッッッ!!!!

 

 思わず身体を力ませた、と、その時。

 

 どごんッ。

 

 男が浮かべていた砲弾が、後ろへひとっ飛び。鈍い音をたてて青年の一人に当たった。

 一瞬呆然として、すぐに気付く。

 

 私がやったのか。

 

 そうだ、こういうことが出来るのか。

 

 ついっと地に伏せる少年に目を向ける。そこに父と母の幻想を見る。

 

 そうか、守れるのか。

 

 視線を男達に戻して、再び力を籠めると、周囲の武器が浮かび上がって馬鹿どもを取り囲んだ。

 意のままに、思い通りに怪奇現象を起こすことができ、詰将棋のように馬鹿どもを追い詰めていく。

 

 戯れに、転げた男の顔を狙って動かした剣先の軌道を、ギリギリでずらして脅すように頬を掠めて打ち込んだ。

 

 一瞬の沈黙の後、恐怖に耐えかねた馬鹿どもは弾き出されたように逃げていった。

 

 先程まで肩をいからせていた男も、強い力に媚びていた青年達も、恐怖で顔を引き攣らせ、血の気をなくし、涙と鼻水を垂らし、情けない声をあげて一目散に……。それは……なんとも……愉快な情景ではなかろうか……。

 

 ふと、ずっと動いていなかった口角がぴくぴくと動いたのを感じて、笑っているのかと気付いた。

 

 私、笑ってる……。まだ……笑えたんだ…………。

 

 ほっと息が溢れて脱力すると、浮いていた武器が地に落ちて、カランカランと音を立てた。

 

 室内には未だにぼろぼろの少年が、私に背を向けて呆然としている。

 結果的に助けたその少年が、そろりと動き出して、振り返る。

 

 血だらけの顔に埋もれていた、まんまるで大きな瞳が、柔らかな月の光をたくさん湛えて、見開いた。

 

 目が合ったと驚いた次の瞬間、

 

「あ…ありがとう………」

 

 確かに私に向けて発されたその言葉。

 

 

 私は目の前の景色に色が戻っていくのを確かに感じた。

 とうの昔に止まった心臓がことりと跳ねた気がした。

 感情は愉悦と歓喜の音を鳴らしていた。

 

 

 

 





折角なので表紙、挿絵のようなものを作りたかったのですが、画力が足りず挫折しました。無念。
中途半端ですが供養します。


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