優者が行くッ! 作:いちろー
生憎の空模様の下で、甲高いスキール音が響く。
直後、何かがぶつかる音が響き、少しの間を挟んである程度の質量を持った何かがアスファルトの道路に落ちる音が続いた。
(…………やっちゃったか……)
鉛色の空を見上げて、
つい先日の事だ。友人たちとの雑談の中で、鳴海のお人好しが指摘されたばかりであった。
友人曰く、お前は誰か庇って死にそうだよな、と。
その時は、鳴海もどこの創作物の世界だよ、と笑ったものだが今となってはフラグだったのだろう。
鳴海は信号待ちをしていた親子を庇って、暴走車に撥ねられた。
(…………)
ぼんやりと空を見上げて、鳴海は自分が死ぬのだと理解した。
理解し、そして胸に去来したのは恐ろしさ――――ではなく申し訳なさ。
鳴海は両親と妹、それから祖父母に叔母と暮らしていた。
家族仲は良好で生活にだって困っていない。常に笑いが絶えない、とは言わないがそれでもふとした時に帰りたくなるそんな居場所だった。
その家族への謝意。しかし、指先も動かない以上鳴海に出来る事は、やはり何も無かった。
こうして、一人の少年は人生を終えた。
*
「――――本当に、ソレで良い訳?」
「はい」
頷いた少年に、水の女神は眉根を寄せた。
彼女の手元には、少年の人生と死因など全てが記載された資料がある。
ここは、転生の間。この場に呼び出された魂には三つの選択肢を与えられる。
一つ目は、輪廻転生。魂を漂白して、新たな命として生まれ直すと言うもの。
二つ目は、天国行き。歴史的偉人の魂などがそちらにはあり、しかし女神からすれば老後の老人の様な生活となる。
そして、三つ目の選択肢として与えられるのが異世界転生。
転生特典を付けて、魔王に攻め込まれる世界を救うための兵力補充として送り込まれるのだ。
今回選ばれた彼、
そして転生特典を選ぶ運びとなったのだが――――
「残した家族の幸せ、ね。分かってるの?あなたには、一切の恩恵が無いのよ?」
「勿論、分かってますよ」
「…………」
鳴海の目は、穏やかだった。同時に、決して己の言を翻さない意志の強さも見え隠れ。
女神は、眉間を揉んだ。
神は神でお役所仕事のように、次の案件を幾つも抱えているのだ。この場で相手の意思を覆す様な交渉をやっている時間はない。
「…………分かったわよ。言っておくけど、どうなっても私は知らないから」
「はい、ソレは勿論。僕の我儘ですから」
曖昧に微笑む少年を見やり、女神は溜息を零すと転生の準備に入る。
光が走り、そしてその刹那の瞬間、
「――――今ッ!」
少年の姿が光の向こうへと消える瞬間、女神の手元より
光が消えれば、後には何も残っていない。その結果に満足そうに頷いてから、女神は水盆を取り出すと空中に浮かべた。
水面に波紋が幾つか走り、浮かび上がるのはとある民家。
大きな日本家屋であるそこには、白と黒の鯨幕が張られており黒い礼服を着た者達が多く集まっていた。
「最後のお願い位、叶えてあげるわよ。そうじゃなきゃ、水の女神の名折れってもんだわ!」
善行を積んで、最期の直前にすら他人を庇って命を落とした少年の願い。
神に愛された幸運を持つような者も居るのだ、目に掛けた所で文句を言われる筋合い無し。
***
転生を果たした蝶矢鳴海は、街の中に立っていた。
石畳の道に、コンクリートではなく石材と木材を用いて建てられた家屋。時代背景、もとい技術力その他は彼の生きていた現代日本とは比べ物にならないだろう。
「どう、しようか……」
途方に暮れるとは、正にこの事。右手でうなじを撫でながら、鳴海は周囲を見渡した。
街の中に居る事は分かるが、これからどうしたら良いか分からない。
一応、言語などに関しては転生の際に出会った女神の言では、問題ないらしい。それはそれとして、問題なのはそれ以外の部分だ。
(お金、持ってないし。流石に日本円は使えないよね?そもそも、服以外は何も持ってないし……)
とりあえず、歩き出す。その場に立ち止まっていても、何が出来る訳でもないからだ。
幸いなのは、今は昼間。人通りも少なくない上に、日が暮れるのはまだまだ先である事だろう。
その道中で、鳴海は妙なものを見た。
「…………?」
道行く人々から立ち昇る、オーラのようなモノ。
その白い揺らめきは湯気のようで、ゆらゆらと心許ない様に見えながらしかし同時に力強い生命の熱のようなモノを内包していた。
白いオーラは、子供や若い者、或いは逞しい体つきの人物が多く激しく、逆に年配であったり怪我のある者は気配に揺らぎがあった。
問題なのは、鳴海はこんなものを元の世界で一度として見た事がない点だ。
彼の脳裏を過る可能性は、二つ。
一つは、このオーラが見えるのがデフォルトである事。もう一つは、転生に際して付けられた外付け機能。つまりは転生特典によるもの。
だが、鳴海はこの考えが過った時、後者の可能性を排していた。
何故なら、自分の転生特典は残した家族たちの為の事を願ったから。一人一つであるなら、自分にコレを適用されている筈がない、と。
何より、鳴海が深く考えなかったのは別段実害がなかったからだ。
見えるだけで、何かしらの影響がある訳ではない。寧ろ、壁越しなどでもオーラの気配で何となく分かるお陰で角を曲がったりするときなどにもぶつかる可能性はほぼゼロだ。
この辺りの切り替えが早いのは、一度死んだ影響もあるのかもしれないがそもそもの鳴海の性質の一端でもあった。
彼は、他人に迷惑をかける事を酷く嫌う。それは、相手を助けた上でお礼すらも受けようとすると座りが悪くなるレベルであり友人達からは変人の称号を頂戴していたほど。
視界を利用しつつ歩いていた鳴海は、ふと路地へと視線を向けた。
「うん?」
妙なものが見えた。
弱弱しいオーラに、近付いて確認できた小柄な影。
誰かが倒れている。そう認識した瞬間、鳴海は躊躇う事無く路地へとその足を踏み入れていた。
近付けばわかるが、倒れている誰かは少女であった。
ワンピースにしては丈の短い赤い装束に、その上からローブを纏いうつ伏せで倒れた頭の近くには黒いとんがり帽子が転がっている。
明らかな厄介事だが、鳴海は躊躇しない。
少女の側に膝をつくと、その肩の辺りへと手を伸ばした。
「あの、大丈夫ですか?」
「………ぁ」
「はい?すみません、もう少し大きな声でお願いします」
「………した」
「んん?」
掠れて聞き取りにくい声。鳴海は両手を路地に付けて、しゃがみ込むようにして顔を横にして耳を少女の口元へと近付けた。
「お腹が……すきました…………」
直後に響く、腹の虫。
どうやら空腹で倒れてしまったらしい。そこまで行くと、命に関わりそうだが残念ながら鳴海にもどうする事も出来ない訳で。
「すみません。僕も手持ちがないんです」
虚しく、腹の虫が路地に鳴く。