生存戦争 1936   作:四国の探索人

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第10話 出航の日

 

出航の日。

 

横須賀。

 

まだ日も高く昇りきらぬ軍港で、一人の若い水兵が、目の前に広がる光景を呆然と眺めていた。

 

「……おい」

 

隣の水兵の袖を引く。

 

「なんだ」

 

「これ、本当に偵察なんだよな?」

 

「そう聞いてる」

 

「俺もそう聞いた」

 

二人は揃って海を見る。

 

駆逐艦。

 

巡洋艦。

 

さらにその向こうには、巨大な主力艦の姿。

 

そして航空母艦までいる。

 

普段なら、それぞれ違う任務、違う艦隊に属している艦艇まで、今回のために急遽かき集められていた。

 

アメリカから届いた、あまりにも信じ難い救援要請。

 

その真偽を確かめる。

 

表向きの任務は、それだけだった。

 

「駆逐に巡洋、戦艦に空母……」

 

若い水兵は目を丸くした。

 

「俺、こんだけ揃ってるの初めて見たぞ」

 

隣の男も頷く。

 

「これで小規模らしい」

 

「誰が言ったんだ」

 

「上の連中」

 

「上の連中は算数ができんのか?」

 

「馬鹿、聞かれたら海へ落とされるぞ」

 

小さな笑いが起こった。

 

だが二人とも。

 

艦隊から目を離せなかった。

 

これは戦争ではない。

 

少なくとも、まだ日本は戦争を始めていない。

 

それなのに。

 

そこに並んでいるのは明らかに、ただ外国へ事情を聞きに行くための船ではなかった。

 

第一艦隊を中核とし、そこへ巡洋艦、駆逐艦、航空戦力を加えた臨時編成。

 

もちろん、連合艦隊の全力などではない。

 

それでも一個の「偵察隊」と呼ぶには、あまりにも物々しかった。

 

その光景を岸壁から眺めていた米内光政は、平然としていた。

 

隣にいた源田実が呆れたように艦列を見る。

 

「……随分と大きな偵察隊になりましたな」

 

「うん」

 

米内は頷いた。

 

「小規模だね」

 

源田が横を見る。

 

「これが?」

 

「これが」

 

「戦艦までいるんですが」

 

「いるね」

 

「空母も」

 

「いる」

 

「巡洋艦も」

 

「見れば分かる」

 

「駆逐艦も相当数います」

 

そこで米内が源田を見る。

 

「だから小規模だと言っている」

 

源田はしばらく黙った。

 

そして悟った。

 

「……米国に比べれば?」

 

「そういうことだ」

 

源田は額に手を当てた。

 

「どう転んでも莫大な費用がかかりますぞ」

 

燃料。

 

食料。

 

弾薬。

 

航空燃料。

 

整備部品。

 

乗員の給与。

 

そして太平洋を横断するだけでも消費する膨大な重油。

 

演習とは訳が違う。

 

場合によっては、そのまま長期派遣となる。

 

一体いくら飛ぶのか。

 

考えたくもなかった。

 

だが米内は気楽そうに答えた。

 

「罠じゃなければ、アメリカ持ちらしいからな」

 

源田が二度見した。

 

「……本当ですか?」

 

「救援に必要な燃料、食糧その他の物資については可能な限り合衆国政府が負担する、と電文にある」

 

「可能な限り、でしょう」

 

「そこは読まなかったことにしよう」

 

「海軍省の会計が怒りますぞ」

 

「帰ってから怒られればいい」

 

「帰れたら、ですが」

 

その言葉だけは。

 

冗談ではなかった。

 

二人とも黙った。

 

目の前には、帝国海軍の軍艦がある。

 

日本人にとって。

 

これほど頼もしく見えるものもなかった。

 

日露戦争ではロシア帝国のバルチック艦隊を破った。

 

第一次世界大戦では戦勝国となった。

 

世界第三位とも称される海軍力。

 

海軍軍人の多くは、自分たちを弱いとは微塵も思っていない。

 

だが。

 

今回向かう先で待っているというものは。

 

アメリカ海軍ではない。

 

ましてロシアでも。

 

イギリスでもない。

 

米内が呟いた。

 

「地球外生命体か」

 

源田が苦笑する。

 

「まだ信じておられるのですか?」

 

「いや」

 

「では?」

 

「信じていない」

 

米内は海を見る。

 

「だから確かめに行く」

 

源田も海へ目を戻した。

 

「……もし本当だったら?」

 

「その時は」

 

米内は少し考える。

 

「アメリカ人がどれだけ大袈裟に書いていたかを見る」

 

「大袈裟でなかったら?」

 

米内は答えなかった。

 

代わりに。

 

軍港へ響く号令が二人の会話を遮った。

 

「出港準備!」

 

各艦で水兵たちが動き始める。

 

係留索が外される。

 

煙突から煙が昇る。

 

曳船が動く。

 

帝国海軍の艦艇が一隻、また一隻と岸壁を離れ始めた。

 

第一艦隊司令長官、高橋三吉大将の指揮下。

 

本来ならば日本近海で敵艦隊との決戦を担うべき戦力が、太平洋の東へ向かおうとしている。

 

ただし。

 

今回の編成は通常の第一艦隊そのものではない。

 

アメリカ救援要請を受け、必要と判断された艦艇を急遽加えた臨時艦隊だった。

 

そのため。

 

艦上では今なお混乱が続いていた。

 

「航空隊の整備器材、全部積んだか!」

 

「まだです!」

 

「急げ!」

 

「予備魚雷は!」

 

「積載中!」

 

「急げ!」

 

「食糧は!」

 

「予定量を積み終えています!」

 

「医薬品!」

 

「追加分が来ております!」

 

「追加?」

 

「海軍省からです!」

 

「何のためだ!」

 

「アメリカ人を治療する可能性があるからと!」

 

士官が一瞬黙る。

 

「……本気で救援に行くことになってるじゃないか」

 

誰かがぼそりと言った。

 

「偵察だろ?」

 

「俺もそう聞いた」

 

「偵察で医薬品をこんなに積むか?」

 

「知らん」

 

「米を随分積んでるぞ」

 

「アメリカ人も米を食うのか?」

 

「食うだろ、人間なんだから」

 

「相手が人間じゃないって話じゃなかったか?」

 

「そっちは食わせるな」

 

「当たり前だ」

 

笑いが起きる。

 

まだ。

 

笑えていた。

 

地球外生命体。

 

誰も本気ではない。

 

新聞小説の話。

 

活動写真の怪物。

 

そんなものだと思っている。

 

だから彼らの関心はむしろ。

 

ハワイだった。

 

真珠湾だった。

 

アメリカ海軍だった。

 

「しかし本当に入れてくれるのかね」

 

甲板で双眼鏡を持った兵曹が言った。

 

「何がです?」

 

「真珠湾だよ」

 

「許可が出たんでしょう?」

 

「日本の軍艦だぞ」

 

兵曹は鼻を鳴らした。

 

「それもこんなに連れて」

 

後ろには戦艦。

 

巡洋艦。

 

駆逐艦。

 

航空母艦。

 

「俺がアメリカ人だったら、港に入れたくないね」

 

「罠かもしれませんぜ」

 

「陸さんと同じこと言うな」

 

「あの人たち、来ないんですか?」

 

「来るらしいぞ」

 

「見当たりませんが」

 

「一週間後だ」

 

若い水兵が眉をひそめた。

 

「……我々は?」

 

「今日」

 

「一週間後?」

 

「ああ」

 

「どうやって追いつくんです?」

 

兵曹は海を見ながら答えた。

 

「頑張るんじゃないか?」

 

「何を?」

 

「陸軍だからな」

 

「理由になってませんよ」

 

「俺に聞くな」

 

その会話から離れたところ。

 

艦橋では、もっと現実的な話が続いていた。

 

「現在確認できている米国側からの情報です」

 

士官が海図を開く。

 

「ハワイは健在」

 

指が太平洋の中央へ置かれる。

 

「真珠湾との無線交信も可能。ただし通信量は異常なほど増大しております」

 

「避難船か?」

 

「相当数が本土から西へ出ているとのことです」

 

「どれほどだ」

 

「不明です」

 

「不明?」

 

「米国側自身が把握できていないようです」

 

艦橋にいた者たちが顔を見合わせる。

 

「自分たちの船だろう」

 

「海軍艦艇だけではありません」

 

報告する士官が続けた。

 

「客船、貨物船、漁船、個人所有船舶まで西へ向かっているとの通信を傍受しています」

 

「何だそれは」

 

「分かりません」

 

「避難……なのか?」

 

「そのようです」

 

誰かが呟いた。

 

「アメリカ人が?」

 

返事はない。

 

まだ実感が湧かない。

 

アメリカ。

 

巨大な国。

 

広大な国土。

 

豊富な資源。

 

膨大な工業力。

 

太平洋の向こうにある大国。

 

その国の人間が。

 

国ごと逃げている?

 

馬鹿な。

 

そう思う方が自然だった。

 

「米国太平洋艦隊は?」

 

「真珠湾周辺で避難船団の収容と護衛にあたっているとのことです」

 

「それで日本艦隊まで入れろと?」

 

「はい」

 

沈黙。

 

やはりおかしい。

 

あまりにもおかしい。

 

罠。

 

謀略。

 

内乱。

 

共産主義者。

 

いくらでも人間同士の理屈を考えられる。

 

だが。

 

アメリカ自身が日本艦隊に、

 

――真珠湾へ来てくれ。

 

と言っている。

 

それだけは現実だった。

 

         *

 

やがて。

 

最後の艦が港を離れる。

 

陸地に残った者たちが帽子を振った。

 

見送る家族。

 

海軍関係者。

 

軍港で働く者たち。

 

出征ではない。

 

戦争でもない。

 

だから万歳三唱もなければ、派手な式典もない。

 

ただ。

 

異様な数の軍艦が。

 

静かに沖へ出ていく。

 

米内はその光景を見ながら、傍らの源田へ言った。

 

「源田」

 

「はい」

 

「飛行機はどれだけ使える」

 

「索敵ですか?」

 

「それ以外に何がある」

 

「相手が本当に地球外生命体なら、戦闘もあり得るでしょう」

 

米内は源田を見る。

 

「勝てると思うか?」

 

源田は少し考えた。

 

「相手を見てもいないのに答えられません」

 

「良い答えだ」

 

「ただ」

 

「うん?」

 

源田は空を見る。

 

「アメリカの陸軍航空隊を壊滅させたという報告が本当なら……」

 

そこで止まる。

 

米内が続きを促した。

 

「なら?」

 

「相当厄介でしょうな」

 

「相当?」

 

「かなり」

 

「かなり?」

 

源田は嫌そうな顔をした。

 

「……非常に」

 

米内が笑った。

 

「最初からそう言えばいい」

 

「海軍軍人には意地というものがあります」

 

「陸軍と同じことを言うな」

 

「それは聞き捨てなりませんな」

 

二人の後ろで。

 

日本列島が少しずつ遠ざかっていく。

 

その日の夕方。

 

艦隊は太平洋へ出た。

 

進路東。

 

目標ハワイ。

 

その先にはアメリカ本土。

 

東京で彼らを送り出した者の多くは。

 

この航海をまだ「偵察」と呼んでいた。

 

だが、艦隊の規模を見れば。

 

誰の目にも明らかだった。

 

帝国海軍自身も。

 

アメリカから届いた電文を、完全には笑い飛ばせなくなっていた。

 

そして日本艦隊の乗員たちは、まだ知らない。

 

数日後。

 

彼らが太平洋の水平線に最初に見つけるものは。

 

アメリカの戦艦でも。

 

謎の宇宙船でもない。

 

水平線を埋め尽くすほどの――

 

アメリカ人の避難船団であることを。

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