生存戦争 1936   作:四国の探索人

11 / 14
第11話 ハワイ到着

 

日本を発ってから数日。

 

大日本帝国海軍の遣米艦隊は、予定航路のおよそ半分を越えていた。

 

ここまで、海は不気味なほど穏やかだった。

 

敵影なし。

 

所属不明機なし。

 

異常な電波こそ遠方から断続的に傍受しているものの、自分たちの周囲には何も現れない。

 

あれだけ大騒ぎして出てきたというのに。

 

地球外生命体どころか、アメリカ軍の姿さえ見えなかった。

 

そのため艦内では、再び疑念が強まり始めていた。

 

「やっぱり何かの間違いじゃないのか」

 

「アメリカの内乱だろう」

 

「共産主義者って話もあったぞ」

 

「じゃあなんで俺たちが太平洋の真ん中まで来なきゃならん」

 

「知らん。上に聞け」

 

そんな声が、水兵たちの間で交わされるようになっていた。

 

その時だった。

 

見張員の声が飛んだ。

 

「船影!」

 

艦橋の空気が一変する。

 

高橋三吉がすぐ双眼鏡へ手を伸ばした。

 

「方位!」

 

報告が飛ぶ。

 

「数は!」

 

「確認中!」

 

高橋は水平線を覗き込む。

 

最初は黒い点だった。

 

一つ。

 

二つ。

 

五つ。

 

十。

 

だが。

 

数えているうちに眉が寄る。

 

「……多いな」

 

米内も双眼鏡を構えた。

 

確かに多い。

 

軍艦ならば艦隊と判断できる。

 

しかし艦形がおかしい。

 

大きさも速度もまるで統一されていない。

 

見張員から再び声が飛ぶ。

 

「軍艦らしきものも混じっています!」

 

「アメリカか?」

 

「識別中!」

 

少しして。

 

「星条旗確認!」

 

艦橋に緊張が走る。

 

高橋が尋ねる。

 

「軍艦か?」

 

「混じっております。しかし――」

 

見張員自身が困惑していた。

 

「大半は民間船です」

 

「民間船?」

 

高橋が双眼鏡を動かす。

 

貨物船。

 

客船。

 

大型漁船。

 

小型貨物船。

 

沿岸用と思われる船までいる。

 

中にはどう考えても外洋横断を前提としていない船さえあった。

 

そして。

 

どの船にも。

 

人。

 

人。

 

人。

 

甲板という甲板が、人間で埋まっていた。

 

「……何だ、あれは」

 

誰かが呟いた。

 

米内から笑みが消える。

 

それまで。

 

アメリカからの避難船団というものは、紙の上の情報だった。

 

今は違う。

 

肉眼で見えている。

 

しかも一隻や二隻ではない。

 

水平線の一角を埋めるほどの船が、西へ向かって進んでいる。

 

通信員が駆け込んできた。

 

「司令長官!」

 

「何だ」

 

「船団から通信多数!」

 

「内容は」

 

通信員が紙を見る。

 

「ほとんどが平文です」

 

「読め」

 

「『日本艦隊を確認。救援に感謝する』」

 

一枚めくる。

 

「『日本海軍の到着を歓迎する』」

 

さらに。

 

通信員が一瞬だけ止まった。

 

「どうした」

 

「……『日本海軍に神のご加護を』」

 

艦橋が静かになった。

 

高橋は双眼鏡を下ろさなかった。

 

「他には?」

 

「『どうかアメリカを助けてくれ』」

 

もう一枚。

 

「『西海岸に家族が残っている。可能なら救出してほしい』」

 

そして。

 

「同様の通信が多数です」

 

誰もすぐには言葉を発しなかった。

 

数日前まで。

 

日本とアメリカの関係は決して良好とは言えなかった。

 

満洲事変。

 

中国大陸。

 

海軍軍縮。

 

移民問題。

 

太平洋における勢力争い。

 

互いに相手を警戒し続けている。

 

アメリカ人の中には、日本を露骨に嫌う者もいる。

 

日本側も同じだった。

 

なのに。

 

今。

 

星条旗を掲げた船から、

 

――日本海軍に神のご加護を。

 

そんな電文が飛んでくる。

 

米内が静かに口を開いた。

 

「どうされます?」

 

高橋は双眼鏡から目を離さない。

 

「何をだ」

 

「第一艦隊司令長官」

 

高橋がようやく横を向いた。

 

「止めろ、米内」

 

「何がです?」

 

「そんな呼び方せん癖に」

 

「大事な時なので」

 

「気色が悪い」

 

米内が僅かに笑った。

 

高橋は再び船団を見る。

 

「民間船に改造の跡は?」

 

「確認します!」

 

しばらくして返事が来る。

 

「現在確認できる範囲ではありません!」

 

「兵員輸送船に偽装した様子は」

 

「見受けられません!」

 

「武装は?」

 

「一部の護衛艦を除き確認できません!」

 

見張員が続ける。

 

「それどころか……」

 

「何だ」

 

「救命艇程度にしか見えない船まであります」

 

高橋が眉をひそめた。

 

「救命艇?」

 

「はい。どう考えてもこの海域まで来るような船では……」

 

高橋は黙り込む。

 

罠。

 

そんな考えが完全に消えたわけではない。

 

だが。

 

もしこれが罠なら。

 

あまりにも異常だった。

 

婦女子まで乗せた大量の民間船。

 

家財道具。

 

毛布。

 

荷物。

 

負傷者。

 

何より。

 

船上からこちらへ向けて帽子や布を振っている人間たち。

 

その姿は。

 

敵を誘い込もうとしている者の姿ではなかった。

 

逃げている人間の姿だった。

 

「巡洋艦一隻、駆逐艦一隻を船団につけろ」

 

高橋が命じた。

 

「護衛ですか?」

 

「そうだ」

 

「しかし艦隊戦力が――」

 

「二隻で帝国海軍が滅びるか」

 

「いえ」

 

「なら出せ」

 

「はっ!」

 

命令が各艦へ伝えられる。

 

米内が尋ねる。

 

「救助は?」

 

「急患がいれば受け入れる」

 

高橋は続ける。

 

「だが我々まで止まれば、何のためにここまで来たか分からん」

 

「では」

 

「本隊は予定通りハワイへ向かう」

 

「了解」

 

やがて二隻の日本艦が隊列を離れる。

 

それに気付いたアメリカ船団から。

 

また大量の通信が届いた。

 

感謝。

 

歓迎。

 

祈り。

 

米内はそれを聞きながら、しばらく海を眺めていた。

 

「……自分で言うのも妙ですが」

 

「何だ」

 

「満洲事変に、中国との衝突」

 

高橋が黙って聞く。

 

「アメリカ人から見た日本の印象は、決して良くないはずです」

 

「まあな」

 

「その連中が、帝国海軍を見て喜んでいる」

 

米内は船団を見る。

 

「これは」

 

短く息を吐いた。

 

「決しましたかな」

 

高橋は少し考えてから答えた。

 

「全部かどうかは分からん」

 

「ええ」

 

「地球外生命体とやらも、まだ見ていない」

 

「ええ」

 

「だが」

 

高橋は双眼鏡を下ろした。

 

「アメリカ本土で何か途方もないことが起きた」

 

米内を見る。

 

「それだけは事実のようだ」

 

日本艦隊は再び東へ進み始めた。

 

後方では。

 

日本の巡洋艦と駆逐艦が、星条旗を掲げた避難船団の脇へついていく。

 

敵国になるかもしれない。

 

そう考え続けてきた二つの国。

 

その軍艦と民間船が。

 

初めて同じ方向を向いた瞬間だった。

 

          *

 

さらに航海は続いた。

 

そして。

 

ハワイ諸島が見え始める。

 

「陸影!」

 

双眼鏡が一斉に上がる。

 

島だ。

 

安堵する者もいた。

 

少なくとも。

 

ハワイは残っている。

 

ロサンゼルスのように消えてはいない。

 

すると通信員が叫んだ。

 

「ハワイ側から通信!」

 

「内容は!」

 

「我が艦隊を確認したとのことです!」

 

「続けろ」

 

通信員が読み上げる。

 

「『大日本帝国海軍艦隊へ。ハワイへの到着を歓迎する』」

 

艦橋の何人かが顔を見合わせた。

 

歓迎。

 

今度は正式なアメリカ軍からだった。

 

続けて。

 

『指定航路を示す。誘導艦に従われたし』

 

ほどなく。

 

アメリカ海軍の艦艇が姿を現した。

 

しかし。

 

日本側が驚いたのはそこではなかった。

 

島へ近づくほど。

 

海面そのものが船で埋まっていく。

 

「……これは」

 

水兵が言葉を失う。

 

港。

 

泊地。

 

沖合。

 

いたるところに船がいた。

 

軍艦。

 

輸送船。

 

貨物船。

 

客船。

 

給油艦。

 

病院船。

 

民間船。

 

さらに西へ向かって出港していく船団。

 

東から入ってくる船団。

 

港内で人を降ろす船。

 

燃料を補給してすぐ出ていく船。

 

桟橋には人が溢れている。

 

そして何より。

 

日本海軍の将校たちを驚かせたもの。

 

アメリカ軍艦の数だった。

 

高橋は双眼鏡越しに呟いた。

 

「……多い」

 

米内も数えている。

 

「太平洋側だけではありませんな」

 

「うむ」

 

「東から回された艦もいる」

 

大西洋側にいた艦艇まで、パナマ運河を通過して可能な限り太平洋へ集められている。

 

無傷の艦。

 

急造の修理跡を持つ艦。

 

甲板へ避難民を乗せた軍艦まであった。

 

アメリカが今。

 

国家そのものを太平洋へ移そうとしている。

 

それが一目で分かった。

 

高橋が低く言った。

 

「全てではないだろうが……」

 

海を見る。

 

「かなりの隻数だ」

 

米内が答えない。

 

「米内」

 

「考えていました」

 

「何を」

 

米内は停泊中の米艦隊を見た。

 

「これだけの艦隊がいながら」

 

少し間を置く。

 

「本土を捨てたのか、と」

 

高橋の表情が険しくなる。

 

日本側には理解し難かった。

 

戦艦がある。

 

空母がある。

 

巡洋艦がある。

 

駆逐艦がある。

 

これほどの艦隊を持っていて。

 

なお。

 

勝てない。

 

それが何を意味するのか。

 

二人とも。

 

まだ完全には理解できていなかった。

 

         *

 

日本艦隊には、アメリカ側が急遽確保した停泊区画が割り当てられた。

 

本来、日本艦隊を受け入れることなど想定していない。

 

そのため施設は簡素だった。

 

だが。

 

燃料。

 

真水。

 

食糧。

 

航空燃料。

 

必要な物資は次々と運び込まれてくる。

 

高橋が作業を眺める。

 

「本当に向こう持ちか」

 

米内が頷いた。

 

「ガーナー大統領は約束を守ったようですな」

 

「アメリカ人の金で帝国海軍を動かす日が来るとは思わなかった」

 

「長生きはするものです」

 

「まだ死ぬ歳じゃない」

 

「これは失礼」

 

補給には時間がかかる。

 

その間。

 

二人は港を歩いていた。

 

周囲には。

 

日本では考えられないほど多数の避難民がいた。

 

座り込む家族。

 

包帯を巻いた兵士。

 

母親へしがみつく子供。

 

荷物一つだけ持った老人。

 

そして彼らの間を。

 

アメリカ兵が走り回っている。

 

敵意。

 

そんなものを向けてくる者は、ほとんどいなかった。

 

むしろ。

 

日本の軍服に気付くと。

 

頭を下げる者さえいた。

 

一人の老人が帽子を取った。

 

英語だったが。

 

意味は通訳を必要としなかった。

 

「Thank you」

 

米内が足を止める。

 

老人はもう一度頭を下げる。

 

そして去っていった。

 

高橋が言った。

 

「……妙なものだ」

 

「何がです」

 

「数日前までなら、日本軍人を見てあんな顔をするアメリカ人は少なかったろう」

 

「人間、家が燃えている時は隣人と喧嘩している場合ではありませんから」

 

その時だった。

 

後方から英語が飛んだ。

 

「その軍服」

 

二人が振り返る。

 

アメリカ海軍の士官が立っていた。

 

中年。

 

小柄ではない。

 

落ち着いた目。

 

疲労は明らかだったが、姿勢は崩していない。

 

通訳が間に入ろうとするが。

 

相手は先に尋ねた。

 

「日本海軍の、司令官級と見ていいのか?」

 

高橋が僅かに身構える。

 

「そうです」

 

そして尋ね返す。

 

「あなたは?」

 

男が手を差し出した。

 

「チェスター・ニミッツ」

 

高橋はその名を知らないわけではなかった。

 

アメリカ海軍の潜水艦畑を歩き、現在は海軍中枢で人事行政に携わる大佐。

 

ただし。

 

今の彼には。

 

本来とは違う肩書きが与えられていた。

 

ワシントン壊滅後。

 

生き残った海軍組織を再編する過程で。

 

ガーナー政権からハワイへ派遣された、避難船団および太平洋方面海軍運用の緊急調整官。

 

正規の艦隊司令長官ではない。

 

だが。

 

今のアメリカでは肩書きなど日ごとに変わっていた。

 

死んだ者。

 

行方不明の者。

 

通信の途絶した者。

 

その穴を。

 

生きている人間が埋めている。

 

高橋も手を差し出した。

 

「大日本帝国海軍、高橋三吉」

 

握手する。

 

「第一艦隊を預かっています」

 

米内も続く。

 

「米内光政」

 

少し考えてから。

 

「こちらは同じく、海軍の老兵と思っていただければ結構です」

 

ニミッツが米内を見る。

 

「老兵?」

 

「ええ」

 

「その割には元気そうだ」

 

「あなた方ほど忙しくありませんので」

 

ニミッツの口元が僅かに動いた。

 

「そいつは羨ましい」

 

そして。

 

表情を戻す。

 

「援軍に感謝する」

 

高橋はすぐには答えなかった。

 

「……捕らえなくていいので?」

 

ニミッツが眉を上げる。

 

「何?」

 

「日本艦隊です」

 

高橋は港を見る。

 

「これだけの軍艦を真珠湾近くまで入れている」

 

ニミッツは数秒、高橋を見た。

 

やがて苦笑した。

 

「まだ罠を疑っているのか」

 

「否定はできません」

 

「なら期待外れだったな」

 

ニミッツは海を指した。

 

「俺たちが日本艦隊一つ捕まえるために、あれだけの民間人を太平洋へ放り出したと思ってるなら大間違いだ」

 

高橋は黙る。

 

米内が尋ねた。

 

「では」

 

表情から笑みが消える。

 

「地球外生命体という話は、本当なのですか」

 

ニミッツも笑わなかった。

 

「ああ」

 

短い返答。

 

「少なくとも、そう考えなければ説明できない」

 

「ご自身で見られた?」

 

「いや」

 

ニミッツは首を振る。

 

「俺はまだ肉眼じゃ見ていない」

 

高橋の眉が動く。

 

「では何故断言できる」

 

「逃げてきた人間を見たからだ」

 

ニミッツは港を見る。

 

「軍人」

 

負傷兵。

 

「警官」

 

避難民。

 

「民間人」

 

そして。

 

「それに政府だ」

 

視線を二人へ戻す。

 

「全員が同じ嘘をついていると?」

 

高橋は答えない。

 

ニミッツが続けた。

 

「西海岸から逃げてきた海軍兵は、空を飛ぶ鉄の塊に艦砲も機銃も効かなかったと言っている」

 

「……」

 

「陸軍は、敵の歩兵なら殺せると言っている」

 

米内が反応する。

 

「歩兵?」

 

「ああ」

 

「人間ほどの大きさ?」

 

「大体な」

 

「銃が通用する?」

 

「通用する」

 

ニミッツは続ける。

 

「ところが上にいる奴らがどうにもならない」

 

港の軍艦を指差す。

 

「だからこれだけ集めた」

 

高橋が米艦隊を見る。

 

「主要都市は?」

 

ニミッツの顔が硬くなる。

 

「やられた」

 

「ワシントン」

 

「壊滅」

 

「ニューヨーク」

 

「酷い状態らしい。正確な状況すら入らん」

 

「ロサンゼルス」

 

ニミッツは少し黙った。

 

「ほとんど終わった」

 

高橋は初めて言葉を失った。

 

米内がゆっくり尋ねる。

 

「これだけの艦隊を持ちながら」

 

ニミッツを見る。

 

「本土を放棄するのですか」

 

「大統領命令だ」

 

「軍は反対しなかった?」

 

「した奴もいる」

 

ニミッツは即答する。

 

「今もしてる」

 

苦々しく続けた。

 

「アメリカ人ってのは、自分の土地から逃げろと言われるのが大嫌いなんでね」

 

米内が僅かに笑う。

 

「日本人も似たようなものです」

 

「だったら理解できるだろう」

 

ニミッツは港を見る。

 

「だが大統領は決めた」

 

「土地より人間を残す、と」

 

「そういうことだ」

 

避難船が一隻。

 

ゆっくり港を離れていく。

 

次の目的地は西。

 

ハワイからさらに遠い。

 

フィリピン。

 

あるいは他の安全な地域。

 

「俺だって」

 

ニミッツが言う。

 

「まだエイリアンなんて言葉を口にすると馬鹿馬鹿しく聞こえる」

 

高橋を見る。

 

「だが、本土から来る国民を見ろ」

 

「……」

 

「あの兵士たちを見ろ」

 

片腕を吊った若い兵士。

 

顔に包帯を巻いた男。

 

制服が焼け焦げたままの者。

 

「それで政府まで同じことを言っている」

 

ニミッツは肩をすくめた。

 

「否定できる材料が一つもない」

 

高橋は長く沈黙した。

 

やがて。

 

「俄には信じられない」

 

「それで正常だと思うぞ」

 

ニミッツは答えた。

 

「俺も最初はそうだった」

 

高橋が海を見る。

 

「日本軍は」

 

少し間を置く。

 

「独自に動かせてもらってよろしいか?」

 

ニミッツが片眉を上げた。

 

「独自?」

 

「我々の目でアメリカ本土を確認します」

 

「偵察か」

 

「そのために来ました」

 

「なるほど」

 

ニミッツは一度頷いた。

 

「構わん」

 

高橋が見る。

 

「いいのですか」

 

「ただし」

 

ニミッツが指を一本立てた。

 

「その前に一仕事してもらう」

 

「仕事?」

 

「次の救出作戦だ」

 

高橋と米内が顔を見合わせる。

 

ニミッツは机代わりに近くの木箱へ海図を広げた。

 

「西海岸から次の避難船団が出る」

 

海図上。

 

カリフォルニア。

 

そこからハワイ。

 

「可能な限り軍艦を護衛につける。しかし足りない」

 

「敵が出る可能性は?」

 

「ある」

 

「遭遇したことは?」

 

ニミッツの声が少し低くなる。

 

「何度もな」

 

高橋の目が鋭くなる。

 

「損害は」

 

「護衛艦も飛行機も失っている」

 

「……」

 

「だから日本艦隊に手伝ってほしい」

 

高橋は少し黙った。

 

「我々はあくまで偵察目的で――」

 

ニミッツが遮った。

 

「今回の燃料」

 

高橋が止まる。

 

「食料」

 

米内がニミッツを見る。

 

「水」

 

「……」

 

「港湾使用料」

 

さらに。

 

「君たちがここまで来る費用も、うちが出すんだろ?」

 

高橋の目が細くなる。

 

米内が横を向いた。

 

明らかに笑いを堪えている。

 

ニミッツが続けた。

 

「なら、一回くらい働いてから好きにしてくれ」

 

高橋が米内を見る。

 

米内は澄ました顔をしている。

 

「……米内」

 

「何でしょう」

 

「お前、罠でなければアメリカ持ちと言っていたな」

 

「申し上げました」

 

「こういう意味か」

 

「どうやら」

 

米内が肩をすくめる。

 

「世の中、ただほど高いものはありませんな」

 

ニミッツが尋ねる。

 

「何と言った?」

 

通訳が訳す。

 

ニミッツは初めて声を出して笑った。

 

「その日本人は分かってるじゃないか」

 

高橋は深く息を吐いた。

 

そして。

 

もう一度港を見る。

 

子供を抱く母親。

 

担架で運ばれる兵士。

 

沖へ出ていく船。

 

その向こう。

 

東。

 

まだ見えないアメリカ本土。

 

「……分かりました」

 

ニミッツを見る。

 

「一度だけです」

 

「十分だ」

 

「ただし我々の指揮権は日本側にあります」

 

「好きにしろ」

 

「敵を確認した場合、我々の判断で戦闘に入る」

 

「歓迎する」

 

米内が口を挟んだ。

 

「随分あっさりしていますな」

 

ニミッツの表情が変わった。

 

「日本人」

 

「はい?」

 

「実物を見れば」

 

しばらく言葉を選ぶ。

 

「指揮権がどうだとか、誰の戦争だとか」

 

港の向こうを見る。

 

「そんな話をしている余裕はなくなる」

 

米内から笑みが消えた。

 

高橋が尋ねる。

 

「それほどですか」

 

ニミッツは答えた。

 

「俺の国が」

 

一度だけ息を吸う。

 

「一日で本土を捨てると決めた程度にはな」

 

沈黙。

 

その言葉だけで十分だった。

 

数時間後。

 

日本艦隊への補給作業は完了した。

 

そして休む暇もほとんどなく。

 

新たな命令が届く。

 

――アメリカ西海岸からハワイへ向かう避難船団の護衛。

 

日本を発つ時。

 

彼らの任務は「事実確認」だった。

 

ハワイへ着いた時。

 

それは「救援」に変わった。

 

そして。

 

その救援航海こそが。

 

大日本帝国海軍にとって初めての――

 

人類以外の敵との戦いになる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。