補給を終えた大日本帝国海軍第一艦隊は、再び東へ向けて出航した。
ただし。
今度は日本艦隊だけではない。
その後方には、アメリカ海軍の艦艇が続いていた。
戦艦。
巡洋艦。
駆逐艦。
そして輸送船。
もっとも、日本側から見れば奇妙な編成だった。
アメリカ軍艦の多くは、本来の搭載量から見て明らかに武装や弾薬を減らしている。
甲板上には木箱。
救命具。
毛布。
食料。
医薬品。
そして。
人間を一人でも多く乗せるため、空けられる場所という場所が空けられていた。
これは艦隊決戦へ向かう軍ではない。
人間を運ぶための艦隊だった。
第一艦隊旗艦。
艦橋では高橋三吉が海図を見下ろしていた。
その横には米内光政。
そして。
見慣れないアメリカ海軍士官が立っている。
海図上に記された目的地を見て、高橋が眉をひそめた。
「サンタバーバラ?」
アメリカ人士官が頷く。
「そうです」
「ロサンゼルスではないのですか」
「行っても構いませんよ」
男は平然と答えた。
「街が残っていればですが」
高橋が顔を上げる。
アメリカ海軍大佐、レイモンド・スプルーアンス。
本来なら海軍大学校で戦術を教えている男だった。
だがワシントン壊滅後。
アメリカ海軍は、使える人間を使える場所へ放り込むしかなくなった。
戦術を教えていた士官だろうが。
人事を担当していた士官だろうが。
海へ出られる者は海へ。
艦隊を動かせる者は艦隊へ。
今のアメリカには、人事上の都合など気にしている余裕がない。
高橋がもう一度海図を見る。
「ロサンゼルスは……そこまで酷いのですか」
スプルーアンスは少し黙った。
「最初の攻撃を受けています」
「港は?」
「使えません」
「サンディエゴは」
「軍港です」
スプルーアンスは指を南へ滑らせる。
「まだ使える施設もありますが、敵が再び狙う可能性が高い。それに軍の撤収も進めています」
そして指を北へ動かした。
「だから今回はここです」
サンタバーバラ。
ロサンゼルスよりはるかに小さい沿岸都市。
戦略上の重要度も低い。
だからこそ。
まだ残っていた。
高橋は尋ねた。
「大都市ではないのですな」
「大都市は壊滅していますからね」
さらりと返された言葉に。
高橋は何も言えなかった。
日本でなら。
東京。
横浜。
大阪。
神戸。
そんな都市が一日で消えた。
それと同じ話を。
目の前のアメリカ人はしている。
スプルーアンスは海図を見ながら続けた。
「サンタバーバラ周辺には、内陸から逃げてきた避難民が集まっています」
「何人ほど」
「分かりません」
高橋が眉を寄せる。
「また分からない?」
「昨日から人数が増え続けています」
「政府は把握していないのですか」
スプルーアンスが高橋を見る。
「政府そのものが逃げているんですよ」
一言。
それで終わった。
高橋は口を閉じる。
少し離れたところで聞いていた米内が口を開いた。
「ところでスプルーアンス大佐」
「何でしょう」
「貴方は自分の艦に乗らなくてもいいので?」
スプルーアンスが肩をすくめた。
「行き違いを避けるためです」
「行き違い?」
「日本艦隊は独自指揮」
「ええ」
「アメリカ艦隊も独自指揮」
「そうですな」
「そして作戦そのものを知っている人間が、それぞれ別の船にいる」
高橋が理解した。
「命令が食い違う」
「そういうことです」
スプルーアンスが海図を指す。
「それに私なら日本語はできませんが、少なくとも作戦内容は全部知っている」
「合理的ですな」
「アメリカ海軍も今回同行していますが」
スプルーアンスは後方の艦隊を見る。
「うちの船は避難民を乗せるため、武装をかなり下ろしています」
高橋が振り返った。
確かに。
一部の輸送任務艦は、戦闘力より収容力を優先している。
「日本艦隊に敵の迎撃を?」
「それもあります」
スプルーアンスは隠さなかった。
「あなた方には、まだ弾がありますから」
米内が苦笑する。
「どうやら本当に我々を働かせるつもりらしい」
「燃料代はこちら持ちです」
「昨日ニミッツ大佐にも言われました」
「なら話が早い」
高橋は二人の会話を聞きながら。
もう一度サンタバーバラを見る。
「しかし……」
指で海図上の港を叩く。
「この港」
「はい」
「これだけの人数を収容するには、かなり時間を要しそうですな」
スプルーアンスが頷いた。
「それが問題です」
サンタバーバラ港は、小規模船舶には使える。
だが。
第一艦隊の戦艦を何隻も横付けできるような大港湾ではない。
ましてアメリカ側の避難船まで集中する。
しかも。
本土襲撃後。
現地では急ごしらえの桟橋。
小型艇。
漁船。
艀。
使える物なら何でも集めていた。
「臨時で拡張しています」
スプルーアンスが説明する。
「漁船用の施設も全部使う。沖に大型船を置いて、小型艇で人間を運ぶ」
「何往復です?」
「数えるのを止めた方が気分にはいいでしょう」
「時間は」
「順調なら」
スプルーアンスが時計を見る。
「半日」
高橋が顔をしかめる。
「順調なら?」
「途中で船が座礁しない」
一本指。
「避難民が暴動を起こさない」
二本。
「敵が来ない」
三本。
スプルーアンスは手を下ろした。
「この三つが全部守られれば、ですが」
米内が言った。
「最後が一番難しそうですな」
「そう思います」
高橋は腕を組んだ。
「では、その半日の間」
スプルーアンスが見る。
「我々は何を」
「好きにしてください」
「……好きに?」
「日本艦隊は偵察に来たのでしょう?」
「ええ」
「敵を見たい」
「そのために太平洋を渡りました」
「なら」
スプルーアンスは窓の外を見る。
「好きなだけ偵察機を飛ばしてください」
「よろしいので?」
「ええ」
「アメリカ領空ですが」
「今さらです」
スプルーアンスの返事は早かった。
「敵は許可を取って飛んでいませんから」
米内が小さく笑う。
「なるほど」
「沿岸から内陸まで、好きなように見てもらって構いません」
「機密施設は?」
「残っていれば避けてください」
「随分と投げやりですな」
「国土の半分が燃えている時に、外国人に飛行場を見られたと怒るほど暇ではない」
これには高橋も僅かに笑った。
「では、お言葉に甘えましょう」
「ただし」
スプルーアンスの表情が変わった。
「発見したら追いかけ過ぎないでください」
「敵機を?」
「敵機……」
少し考える。
「そう呼んでいいのか分かりませんが」
高橋が尋ねる。
「どれほど速い」
「報告では」
スプルーアンスは答えた。
「こちらの飛行機とは比較にならない」
「機銃は」
「効かない」
「爆弾」
「ほとんど」
「装甲が厚い?」
「そういう話です」
高橋が米内を見る。
米内も何も言わない。
まだ。
実際に見ていない。
だから。
どこかで信じ切れない。
アメリカ軍が敗れた。
それは見た。
避難民も見た。
ハワイに集結する大艦隊も見た。
だが。
肝心の敵をまだ見ていない。
高橋は頷いた。
「承知しました」
そして言った。
「まずは港へ向かいましょう」
数時間後。
「陸影!」
見張員の声が上がった。
アメリカ西海岸。
カリフォルニア。
サンタバーバラ。
日本海軍の将兵たちにとって。
初めて見るアメリカ本土だった。
本来ならば。
異国の街並み。
海岸。
白い建物。
桟橋。
それを興味深そうに眺める者が多かっただろう。
だが。
今回は違った。
最初に見えたものは。
煙だった。
「……火事か?」
一人の水兵が呟いた。
街そのものは残っている。
少なくとも。
ロサンゼルスのように消滅してはいない。
しかし。
至るところから煙が上がっている。
道路には自動車。
トラック。
馬車。
徒歩の人間。
海岸沿いには。
夥しい数の人影。
「人が……」
双眼鏡を覗いていた水兵が声を失う。
「多い」
港だけではない。
海岸。
桟橋。
道路。
倉庫周辺。
人。
人。
人。
避難民だった。
アメリカ軍が海岸線に柵を作り。
兵士や警官が人々を誘導している。
だが。
到底足りていない。
「なんだ、あれ」
日本艦上からも見える。
一艘の漁船。
人間を乗せ過ぎて。
船縁が水面すれすれまで沈んでいる。
その横。
小さなヨット。
さらに。
どう見ても沿岸航行用の船。
それらが沖合に停泊している大型船との間を往復していた。
高橋が双眼鏡を下ろした。
「確かに」
スプルーアンスを見る。
「半日は掛かりそうですな」
「半日で済めば上出来です」
スプルーアンスは落ち着いて答えた。
だが。
その手は双眼鏡を強く握っていた。
目の前にいるのは。
自国民だ。
「通信!」
「港湾側からです!」
「読め!」
「『日本艦隊を確認』」
通信員が続ける。
「『救援に感謝する』」
また。
同じ言葉。
高橋は返答を命じた。
「第一艦隊よりサンタバーバラへ」
通信員が構える。
「『予定通り作戦を開始する』」
少し考える。
「それだけでいい」
「はっ!」
米内が尋ねる。
「随分と簡潔ですな」
高橋は答えた。
「今は挨拶より人を乗せる方が先だ」
その頃。
アメリカ艦隊が動き始めた。
輸送船は沖合へ。
比較的小型の艦艇は港近くへ。
駆逐艦。
曳船。
艀。
漁船。
使える船艇という船艇が人間輸送へ投入される。
スプルーアンスが指示を出した。
「アメリカ側の戦闘艦は南北へ展開」
「輸送船は?」
「沖で待機」
「病院船」
「負傷者を優先」
高橋も日本側へ命令する。
「戦艦部隊は沖合で警戒!」
「巡洋艦隊は外周!」
「駆逐隊はアメリカ側の輸送航路へ!」
そして。
少し間を置いた。
「航空隊」
源田実が振り返る。
「はい」
高橋が陸地を見る。
「偵察を出せ」
「範囲は?」
「まず沿岸」
「その後は」
高橋がスプルーアンスを見る。
スプルーアンスは言った。
「好きなだけ」
高橋の視線が内陸へ向く。
「では」
「行けるところまで行け」
源田が頷く。
「了解」
命令が航空母艦へ伝達される。
飛行甲板。
整備兵が一斉に動き始める。
航空機が甲板上へ運ばれる。
エンジンが始動する。
甲高い音。
プロペラが回転する。
一機。
また一機。
帝国海軍機が飛行甲板を走り。
カリフォルニアの空へ舞い上がっていく。
甲板から見送る水兵たちの中には。
まだ期待している者もいた。
何もいない。
アメリカ人が何かを見間違えただけだ。
あるいは。
秘密兵器。
新型航空機。
何らかの人間による攻撃。
そんな答えが見つかることを。
しかし。
飛び立つ航空機を見ながら。
スプルーアンスが低く言った。
「できれば」
高橋が振り返る。
「何です?」
「何も見つけず戻ってきてほしい」
高橋は少し意外そうに彼を見る。
「敵の情報が欲しいのでは?」
「欲しいですよ」
スプルーアンスは陸地を見る。
「だが」
遥か彼方。
煙の上がるカリフォルニア。
「見つけるということは」
言葉を切る。
「向こうにも見つかるということだ」
高橋は返事をしなかった。
海岸では。
避難民の収容が始まっていた。
老人。
女。
子供。
負傷兵。
軍人。
警察官。
そして。
逃げられる者から順に。
船へ乗せられていく。
一時間。
二時間。
三時間。
輸送は続いた。
第一艦隊の将兵たちは。
海から空を警戒し続ける。
しかし。
敵は現れない。
「……来ませんな」
米内が言った。
高橋は時計を見る。
「このままなら有難い」
「ええ」
「偵察機は?」
「第一陣が間もなく戻る頃です」
高橋が空を見る。
しばらくして。
遠方に小さな機影が見えた。
一機。
日本海軍機。
「帰ってきたぞ!」
誰かが言った。
高橋が双眼鏡を上げる。
だが。
すぐに異変に気付いた。
「……一機?」
源田が顔を上げる。
飛ばした機数より。
少ない。
さらに。
帰還してきたその一機も。
飛び方がおかしい。
「機体が損傷している!」
甲板が慌ただしくなる。
「着艦準備!」
「急げ!」
航空機が高度を落とす。
翼に穴。
胴体には焼け焦げた跡。
そして。
機体後部の一部が。
熱で溶かされたように黒く変色していた。
無理矢理に着艦する。
車輪が甲板を叩く。
機体が大きく跳ねる。
整備兵たちが駆け寄った。
風防が開く。
搭乗員が引きずり出される。
顔は真っ青だった。
高橋と米内。
そしてスプルーアンスが急いで降りてくる。
源田が先に尋ねた。
「何があった!」
搭乗員が息を整える。
「……いました」
その一言。
周囲が静まる。
高橋が近づく。
「何がだ」
男は高橋を見る。
「アメリカ側の報告にあった……」
震える手で。
空を指差した。
「鉄の船です」
米内の顔から。
完全に笑みが消えた。
高橋が尋ねる。
「僚機は」
搭乗員は答えなかった。
その顔だけで。
十分だった。
スプルーアンスが目を閉じる。
ほんの一瞬。
そして。
高橋三吉を見る。
「これで」
低い声だった。
「偵察の目的は果たせましたかな」
誰も。
笑わなかった。
高橋三吉は、帰還した偵察機をしばらく見つめていた。
翼に開いた穴。
黒く焼けた胴体。
そして。
戻ってこなかった僚機。
これまでアメリカ側から聞かされていた話は、もはや伝聞ではなくなった。
高橋はゆっくりと振り返った。
「第一次制空隊を出す」
航空参謀が顔を上げる。
「第一次ですか」
「ああ」
高橋は港の向こう、カリフォルニアの空を見る。
「黒岩隊を出撃させてくれ」
「十二機全機?」
「全部だ」
少し間を置き。
「ただし深追いは禁止。敵を確認し、可能なら性能を測る」
「撃墜は?」
高橋は答えた。
「できるものなら、してもらいたい」
*
命令はすぐ航空母艦へ届いた。
飛行甲板。
十二機の九五式艦上戦闘機が次々と並べられていく。
中島飛行機製。
九五式艦上戦闘機。
海軍制式記号A4N1。
帝国海軍最後の複葉艦上戦闘機だった。
最高速度、およそ時速三百五十キロ。
武装。
機首に固定された七・七ミリ機銃二挺。
まだ新鋭機と言ってよい。
だが。
今から相手にするものは。
アメリカ軍の証言が正しければ、その三百五十キロという数字そのものが意味を持たないほど速い。
黒岩利雄は操縦席へ身体を収めながら、整備員へ尋ねた。
「機銃は?」
「七・七ミリ、二挺とも異常なし!」
「弾は」
「満載です!」
黒岩は頷く。
風防などない。
顔に直接、海風が当たる。
エンジンが始動した。
空冷星型発動機が唸る。
プロペラが回転を始める。
周囲でも十一機が次々と目覚めていった。
黒岩は独り言のように呟いた。
「機体性能が圧倒している敵への対応か……」
笑いたくなる。
敵が速い。
機銃が効かない。
こちらの飛行機は簡単に撃ち落とされる。
そんなものを。
どうやって落とせというのか。
だが。
一つだけ確かなことがある。
空へ上がらなければ、何も分からない。
黒岩が腕を上げた。
「発艦!」
一番機が滑走する。
続いて二番機。
三番機。
次々と飛行甲板を離れ。
十二機の九五式艦戦が太平洋上空へ舞い上がった。
*
編隊はカリフォルニア沿岸を目指した。
高度を取り。
三機ずつ。
互いを援護できる間隔を保って進む。
眼下には日本艦隊。
アメリカ艦隊。
さらにその先には。
避難民が集まり続けるサンタバーバラ。
黒岩は周囲を見渡した。
空は青い。
雲も少ない。
敵など存在しないように見える。
「本当にいるのか……」
誰かが通信で呟く。
黒岩が返す。
「油断するな」
その直後だった。
前方。
空の一点。
何かが光った。
黒岩の目が止まる。
飛行機ではない。
翼がない。
プロペラも見えない。
ただ。
黒い点が浮かんでいる。
「前方、十一時!」
編隊が反応する。
黒岩が双眼鏡代わりに目を凝らした。
点が大きくなる。
いや。
違う。
大きくなっているのではない。
こちらへ来ている。
猛烈な速度で。
「敵機襲来!」
黒岩が叫んだ。
「警戒を厳にせよ!」
十二機が一斉に散開した。
次の瞬間。
それは彼らの横を通り過ぎた。
「なっ――」
一瞬だった。
黒い金属の塊。
小型。
戦闘機より大きい程度。
翼らしいものはない。
排気煙もない。
なのに。
九五式艦戦とは比較にならない速度で飛んでいる。
通過した時の風圧で、何機かが揺さぶられた。
黒岩が振り返る。
「速い……!」
誰かが叫ぶ。
「旋回しています!」
遠方。
宇宙船が向きを変えている。
しかし。
そこで黒岩は気付いた。
「……ん?」
速い。
確かに圧倒的に速い。
だが。
曲がり方がおかしい。
九五式艦戦ならば、操縦桿を倒して機体を傾け、小さな円を描く。
ところが敵船は。
凄まじい速度を維持したまま旋回しようとしているため。
遠い。
恐ろしく大きな円を描いている。
黒岩の目が細くなる。
「なるほどな」
速度がある。
だから曲がれない。
少なくとも。
こちらほど小さくは。
「全機!」
黒岩が叫ぶ。
「奴と速度で張り合うな!」
返事が飛ぶ。
「どうします!」
「回れ!」
「旋回戦ですか!」
「そうだ!」
黒岩は操縦桿を倒した。
九五式艦戦が急旋回する。
複葉の翼が空気を掴む。
「どうせ遠くから当てたところで効かん!」
敵船の姿を追う。
「格闘戦へ持ち込む!」
さらに。
「至近距離から叩き込め!」
十二機が。
一斉に小さく旋回する。
その中心へ。
宇宙船が戻ってきた。
「来るぞ!」
黒岩が照準器へ敵を入れる。
まだ遠い。
近づく。
さらに。
近い。
「撃て!」
七・七ミリ機銃二挺が火を噴いた。
ダダダダダダダダッ――!
曳光弾が伸びる。
別の機体も射撃。
さらに二機。
四機。
日本機の機銃弾が宇宙船へ集中する。
当たった。
火花。
何度も。
明らかに命中している。
「命中!」
「当たってるぞ!」
だが。
黒岩は叫んだ。
「違う!」
宇宙船表面。
弾丸が。
弾かれている。
金属表面で火花を散らし。
跳ね返る。
穴が開かない。
煙も出ない。
速度も落ちない。
七・七ミリ。
二挺。
何十発。
何百発。
命中している。
それでも。
何も起きない。
「効いてない!」
誰かが叫んだ。
その瞬間。
宇宙船の前部が光った。
黒岩が反射的に叫ぶ。
「散れ!」
白い光。
一筋。
音より先に。
一機の九五式艦戦を貫いた。
翼の付け根。
一瞬。
木材。
金属。
布。
全てが赤く光り。
次の瞬間。
機体が炎に包まれた。
「二番機!」
燃えながら落ちる。
搭乗員が脱出する暇すらない。
海面へ。
黒煙を引きながら墜落していった。
一機。
わずか一撃。
黒岩の顔が引き締まる。
「なるほど……」
アメリカ人の言っていたことは本当だった。
敵の火力。
こちらとは比較にならない。
「全機、奴の正面へ出るな!」
黒岩が命じる。
「射線を作らせるな!」
九五式艦戦が一斉に旋回。
宇宙船も追う。
しかし。
ここで差が出た。
宇宙船が一機を追いかける。
直線では速い。
簡単に追いつく。
ところが。
日本機が急旋回。
敵船は。
そのまま通り過ぎた。
「あいつ!」
一人が気付く。
「回れないぞ!」
「いや!」
黒岩が訂正する。
「回れる!」
敵船が遠方で大きく弧を描く。
「だが大回りだ!」
九五式艦戦。
複葉機。
速度では完全に時代遅れになりつつある。
しかし。
速度を落とした格闘戦では。
話が違った。
小さく回る。
また回る。
敵の後方へ潜り込む。
「後ろを取れ!」
三機が宇宙船の後ろへ。
七・七ミリ機銃。
一斉射。
ダダダダダダッ!
火花。
火花。
さらに火花。
「畜生!」
「一発くらい入れ!」
敵船が加速。
一瞬で離れる。
追えない。
だが。
戻ってくるには時間がいる。
黒岩が叫ぶ。
「敵が通過するたび撃て!」
「了解!」
「追うな!」
「奴が戻ってくるのを待て!」
これは。
格闘戦と呼んでよいのかも分からない。
敵は通過する。
日本機は旋回する。
敵が大きく回って戻ってくる。
また銃撃。
敵船が光線を撃つ。
一機。
海へ落ちる。
さらに。
「四番機!」
光線が右翼を切断。
機体が回転。
墜落。
三機目。
別の機が敵の後ろから射撃。
跳ね返る。
宇宙船が急加速。
また大きく旋回。
戻る。
光。
四機目。
今度は胴体を真正面から貫かれた。
爆発。
黒岩は歯を食いしばる。
「まだだ!」
残り八。
撃つ。
当たる。
効かない。
敵も撃つ。
だが。
敵の光線にも癖があった。
連射してこない。
一度撃った後。
暫く間が空く。
「撃った!」
黒岩が叫ぶ。
「今だ!」
残存機が殺到。
七・七ミリ機銃。
至近距離。
百メートル。
さらに。
五十。
火花が飛び散る。
だが。
やはり抜けない。
「装甲が硬すぎる!」
その直後。
敵船が再び光った。
五機目。
九五式艦戦の機首が消えた。
そのまま墜落。
残り七。
黒岩は息を荒くする。
五機。
すでに五人。
殺された。
こちらの銃弾は。
ほとんど効かない。
それでも。
逃げれば。
港へ行く。
避難民のところへ。
艦隊へ。
「隊長!」
一人の搭乗員から通信。
「このままじゃ削られるだけです!」
黒岩も分かっている。
何か。
何か違う場所はないか。
装甲。
全部同じなのか。
黒岩は宇宙船を見る。
前。
側面。
後ろ。
その時。
光が反射した。
上部。
透明ではない。
だが。
他とは明らかに材質の違う部分。
「……操縦席?」
アメリカ側から聞いていた。
小型船にも乗員がいる。
なら。
見る必要がある。
外を見る場所が。
黒岩が叫ぶ。
「上部だ!」
「何です!」
「あの色の違う部分を見ろ!」
宇宙船上部。
わずかな窓状の構造。
しかし。
当てるには近づかなければならない。
「隊長!」
別の声。
「俺が行きます!」
黒岩が振り返る。
一機の九五式艦戦。
「待て!」
「機銃じゃ無理です!」
「やめろ!」
返事は。
なかった。
日本機が。
真っ直ぐ宇宙船へ向かう。
黒岩が叫ぶ。
「離れろ!」
だが。
操縦士は進路を変えない。
七・七ミリ。
撃つ。
撃ち続ける。
火花。
宇宙船も気付いた。
船首が日本機へ向く。
光。
日本機の左翼が吹き飛んだ。
それでも。
機体は進む。
片翼で。
炎を吐きながら。
「行けええええっ!」
声。
そして。
激突。
九五式艦戦が。
宇宙船側面へ突き刺さった。
爆発。
火球。
黒岩は腕で顔を庇う。
「……!」
煙。
宇宙船が飛び出してくる。
まだ落ちていない。
だが。
明らかにおかしい。
「速度が……」
遅い。
今までならば。
一瞬で離れていた。
ところが。
速度が上がらない。
船体の片側から。
何かが煙を吐いている。
出力低下。
あるいは推進装置の損傷。
「隊長!」
さらに一機。
「俺も行きます!」
「待て!」
今度は二機。
同時に宇宙船へ。
「馬鹿!」
黒岩が叫ぶ。
敵船から光線。
一機撃墜。
だが。
もう一機。
機銃を撃ちながら突っ込む。
宇宙船が避ける。
遅い。
まだ速い。
しかし。
最初とは違う。
日本機の残骸が船体後方へ激突した。
二度目の爆発。
宇宙船が大きく揺れる。
速度がさらに落ちた。
黒岩の目が鋭くなる。
「……見えた」
上部。
先ほどの色の違う部分。
衝撃で。
外装の一部が剥がれている。
その内側。
何かが動いた。
黒岩は操縦桿を倒す。
九五式艦戦が急旋回。
敵船後方。
さらに。
側面。
前へ回り込む。
「隊長!正面は!」
「分かってる!」
敵船の光線発射口。
まだ光っていない。
直前に一機を撃墜した。
再装填。
今しかない。
黒岩は高度を少し上げる。
宇宙船より上へ。
そこから。
機首を下げた。
急降下。
「黒岩機!」
敵船上部。
照準器。
窓。
いや。
操縦区画。
距離。
二百。
百五十。
百。
黒岩が引き金を握る。
「そこならどうだ!」
七・七ミリ機銃二挺。
咆哮。
ダダダダダダダダダダダッ!
最初の数発。
火花。
次。
表面の一部が割れる。
「!」
黒岩は撃ち続ける。
七・七ミリ弾が一点へ集中。
一発。
二発。
十発。
操縦区画。
割れた。
その奥へ。
弾丸が吸い込まれる。
緑。
一瞬。
緑色の液体が内部へ飛び散った。
黒岩の目が見開かれる。
「入った!」
宇宙船が突然。
傾いた。
これまでの精密な飛行が消える。
蛇行。
高度低下。
黒岩は機体を引き起こす。
「離れろ!」
残存機が散開。
宇宙船は。
立て直せない。
右へ傾き。
海面へ向かう。
速度を失いながら。
落ちる。
落ちる。
そして。
海面へ。
激突。
巨大な水柱。
数秒後。
海上に。
黒い破片が浮かび上がった。
通信機から。
誰も声を出さなかった。
黒岩も。
しばらく。
海面を見ていた。
十二機。
出撃。
残っているのは。
僅か。
それでも。
敵船は。
落ちた。
人類の航空機では歯が立たない。
そう言われたものが。
目の前で。
海へ沈んだ。
通信から震える声が聞こえる。
「……落とした」
別の声。
「敵機……撃墜」
黒岩はすぐ訂正した。
「浮かれるな」
息を整える。
「こっちは何機やられた」
返答はない。
「七・七ミリは外板には効かん」
黒岩は沈んだ場所を見る。
「正面から速度で追えば殺される」
そして。
「だが」
少しだけ声を強くした。
「奴らも無敵じゃない」
生き残った搭乗員たちが聞く。
「旋回半径は大きい」
「光線は連射できん」
「船体を壊せば速度が落ちる」
さらに。
黒岩は最後に見た。
緑色。
敵の血。
「操縦席なら七・七ミリでも抜ける」
誰かが呟いた。
「……殺せるんですね」
黒岩は答えた。
「ああ」
海面を見る。
「殺せる」
*
第一艦隊。
艦橋。
見張員が叫んだ。
「敵船墜落!」
高橋三吉が双眼鏡を離さない。
「確認した」
米内も同じ方向を見ていた。
遥か遠く。
海上に上がる黒煙。
そして。
そこから戻ってくる。
日本機。
数が。
あまりにも少ない。
高橋が低く尋ねる。
「何機戻る」
見張員が数える。
「……確認できるのは」
一瞬止まる。
「五機!」
十二機。
五機。
高橋の表情が固まった。
米内が呟く。
「一機を落とすのに……七機」
勝利。
そう呼ぶには。
あまりにも高い。
だが。
横にいたスプルーアンスだけは。
信じられないものを見るように海を眺めていた。
「……落としたのか?」
高橋が見る。
スプルーアンスは双眼鏡を構えたまま言った。
「本当に?」
「どうやら」
米内が答えた。
「一隻ですが」
スプルーアンスがゆっくり双眼鏡を下ろす。
アメリカ軍も。
敵小型船へ機銃を撃った。
何度も。
何百発も。
そして。
一方的に撃ち落とされた。
だが。
日本機は。
七機と引き換えに。
一隻を落とした。
高橋は喜ばなかった。
むしろ険しい顔で言った。
「撃墜機を回収する」
「搭乗員は」
「生存者がいれば全員だ」
そして。
海上の敵残骸を見る。
「敵船の残骸も可能な限り引き揚げろ」
米内が頷く。
「装甲を調べますか」
「全部だ」
「全部?」
「材質」
一本。
「推進機関」
二本。
「光線兵器」
三本。
そして。
「操縦席」
高橋は言った。
「七人死んで得た情報だ」
声が低くなる。
「一つたりとも無駄にするな」
その日。
大日本帝国海軍は。
人類史上初めて。
空を飛ぶ地球外生命体の戦闘艇を撃墜した。
だが。
その戦果は。
十二機のうち七機を失うという。
あまりにも高い代償によって得られたものだった。
そして何より。
日本海軍が学んだ事実は。
敵が無敵ではないことと同時に。
もう一つあった。
――通常の戦い方では。
こちらが先に尽きる。
ということだった。