第一次制空隊の着艦作業が続いていた。
十二機で出撃し。
戻ってきたのは五機。
そのうち一機は着艦と同時に脚を折り、飛行甲板を滑りながら停止した。
整備兵たちが走る。
負傷した搭乗員が引きずり出される。
甲板の端では、別の兵たちが海上へ目を凝らしていた。
撃墜した敵小型船の残骸回収も始まっている。
敵は殺せる。
その事実に。
艦隊全体へ僅かな安堵が広がり始めていた。
七機を失った代償はあまりにも大きい。
それでも。
「無敵ではない」
それだけでも大きかった。
その時。
アメリカ海軍の通信員が、慌ただしく艦橋へ駆け込んできた。
「Captain Spruance!」
スプルーアンスが振り返る。
通信文を受け取る。
読む。
そして。
その表情が明らかに変わった。
「……高橋司令」
高橋三吉が振り向く。
「どうされました」
「まずいことになった」
先ほどまでの落ち着いた口調ではない。
「陸軍からの通信だ」
海図の前へ移動する。
サンタバーバラの内陸。
そこに設けられていたアメリカ陸軍の防衛線を指した。
「防衛陣地が破られた」
高橋の目が細くなる。
「敵軍ですか」
「ああ」
「規模は」
「正確には分からん」
スプルーアンスが通信文を見る。
「最後の通信では、歩兵だけではない」
高橋が顔を上げる。
「大型ですか」
「そうらしい」
米内も近づく。
「こちらへ?」
スプルーアンスは頷いた。
「一直線だ」
高橋が港を見る。
まだ。
人。
人。
人。
避難民が桟橋を埋め尽くしている。
「収容は」
スプルーアンスの顔が険しくなる。
「まだ三割程度だ」
「三割?」
「そうだ」
高橋が時計を見る。
「敵到達まで」
「推定三十分」
米内が第一次制空隊の着艦作業を見る。
まだ終わっていない。
損傷機。
燃料不足。
負傷者。
そして七機の損失。
高橋が呟く。
「制空隊の再出撃は間に合わんな」
「別隊を出しますか」
「敵が地上なら」
高橋は沖合の戦艦群を見る。
「砲撃戦だ」
スプルーアンスが港へ視線を戻す。
「その間に陸軍と避難民を収容する」
「急がせましょう」
「急がせるなんてものじゃない」
スプルーアンスは通信員を見る。
「港湾司令部へ」
「Sir!」
「荷物は捨てさせろ」
高橋が横を見る。
スプルーアンスは続ける。
「本人確認も最低限でいい」
「しかし」
アメリカ士官が言いかける。
「三十分後には化け物が来る!」
スプルーアンスが怒鳴った。
「鞄一つ調べるために母親と子供を岸に残す気か!」
「……Yes, sir!」
命令が飛んでいく。
それが。
後になって。
致命的な命令だったと判明する。
*
二十分後。
最初に聞こえたのは。
音だった。
ドン。
ドン。
ドン。
遠い。
雷とは違う。
砲声でもない。
一定ではない。
何か巨大なものが。
街を壊しながら近づいている音。
高橋が双眼鏡を構える。
「煙が増えたな」
米内も見る。
内陸側。
建物が。
一つ。
崩れる。
次。
道路脇の倉庫が。
吹き飛ぶ。
「……何だ」
見張員が声を上げる。
「巨大生物確認!」
「方位!」
報告。
双眼鏡が一斉に向く。
そして。
誰も。
すぐには言葉を発しなかった。
「……あれか?」
高橋が呟く。
スプルーアンスも初めて肉眼で見る。
「Jesus Christ……」
街の向こう。
巨大な肉塊。
蛸。
そう表現するしかなかった。
家屋に匹敵する胴体。
そこから伸びる。
何本もの巨大な触手。
一本が振るわれる。
住宅が。
薙ぎ倒された。
瓦礫。
土煙。
電柱。
自動車。
すべてが一緒に吹き飛ぶ。
別の触手。
建物へ巻き付く。
引く。
壁が崩壊する。
避難民たちにも見えた。
最初は。
一部だけだった。
「あれは何だ?」
「何が来てる!」
「軍が止めるんだろ!」
やがて。
怪物が建物の間から完全に姿を現した。
悲鳴。
一人。
二人。
そして。
爆発するように広がった。
「乗せろ!」
「船に乗せてくれ!」
「子供がいるんだ!」
「押すな!」
「退け!」
「早く!」
列など。
一瞬で消えた。
何千もの人間が。
我先に桟橋へ殺到する。
「止まれ!」
アメリカ兵が叫ぶ。
「順番に!」
誰も聞かない。
「押すな!」
一人。
桟橋から海へ落ちる。
「Man overboard!」
次。
子供。
母親が絶叫する。
兵士が飛び込む。
別の場所では。
船縁へしがみつく者。
強引に乗り込もうとする男。
甲板から兵士が叫ぶ。
「まだ乗れる!押すな!」
だが。
怪物が一歩近づくたび。
街が一つずつ壊れていく。
スプルーアンスがその光景を見る。
決断は一瞬だった。
「もういい!」
周囲の士官が見る。
「確認も何も要らん!」
「しかし定員が――」
「沈まん程度まで乗せろ!」
「身元確認は!」
「後だ!」
スプルーアンスは港へ向かって怒鳴った。
「入れられる避難民を全部収容しろ!」
「軍人もですか!」
「全部だ!」
米内が一瞬スプルーアンスを見る。
しかし。
何も言わなかった。
今。
目の前で人間が踏み潰されかけている。
書類を確認している場合ではない。
その横。
高橋三吉だけは。
怪物から一度も目を離していなかった。
双眼鏡。
距離。
方位。
速度。
怪物が港へ向かっている。
逃げる人間など見ていない。
船。
いや。
艦隊へ向かっているようにも見える。
高橋が静かに尋ねた。
「測距」
「測距中!」
数字が上がる。
「各艦へ射撃諸元送れ」
米内が高橋を見る。
「撃ちますか」
「あれだけ大きければ」
高橋が双眼鏡を下ろした。
「外す方が難しい」
巨大生物が。
また触手を振った。
ホテルらしき建物の一角が崩れ落ちる。
高橋が手を下ろす。
「今だ」
そして。
帝国海軍第一艦隊へ。
命令が飛んだ。
「艦隊!」
一瞬。
「目標、大型敵性生物!」
砲塔が旋回する。
戦艦。
巡洋艦。
駆逐艦。
主砲。
副砲。
使用可能な砲が。
陸上の一点へ向けられていく。
「一斉射!」
次の瞬間。
海が。
震えた。
轟音。
一発ではない。
何十門もの艦砲が。
同時に火を噴いた。
戦艦主砲。
巡洋艦の八インチ級砲。
駆逐艦の五インチ級砲。
砲煙。
衝撃。
艦橋の窓さえ震える。
砲弾が。
怪物の周囲へ降り注いだ。
一発。
地面。
爆発。
次。
胴体。
巨大な肉塊が弾ける。
さらに。
触手。
千切れ飛ぶ。
怪物が身体を仰け反らせた。
音。
叫びなのか。
振動なのか。
人間には分からない。
「命中!」
「多数命中!」
「第二射!」
再び。
轟音。
今度は。
より正確だった。
何発もの砲弾が巨大生物へ直撃する。
肉。
緑色の液体。
煙。
土。
瓦礫。
すべてが空へ吹き上がる。
米内が双眼鏡を覗きながら呟いた。
「敵が大きい分」
高橋が見る。
「何だ」
「命中させやすいですな」
「感想は後にしろ」
「これは失礼」
第三射。
第四射。
怪物は前進を止めた。
一本の触手が。
地面へ落ちる。
別の触手。
途中から吹き飛ぶ。
胴体に。
巨大な穴。
それでも。
まだ動く。
「しぶといな」
高橋が言った。
「撃ち続けろ」
さらに。
艦砲射撃。
それは。
戦艦同士の砲戦ですらない。
一方的だった。
大型生命体には。
隠れる場所がない。
回避運動も。
艦砲弾の速度に間に合わない。
やがて。
高橋が手を上げた。
「撃ち方やめ!」
号令。
砲撃が。
順番に止まっていく。
砲煙が流れる。
土煙。
火災。
怪物がいた場所。
誰もすぐには見えなかった。
風。
煙が少しずつ流れる。
そして。
そこに。
まともな形を残した生命体はいなかった。
黒く焼けた肉。
抉れた地面。
千切れた触手。
原形を留めない巨大な残骸。
スプルーアンスが。
双眼鏡を下ろした。
「……効くんだな」
高橋が答える。
「艦砲ですからな」
「陸軍の砲じゃ、あそこまではいかなかった」
米内が少し笑う。
「流石に艦隊の一斉射を浴びれば」
巨大生物の残骸を見る。
「地球外生命体でも消し炭ですか」
艦上。
そして港。
それを見ていた兵士たちから。
歓声が上がった。
「やった!」
「死んだぞ!」
「殺せる!」
「海軍がやった!」
避難民の中からも。
歓声。
拍手。
泣きながら笑う者。
抱き合う者。
アメリカ兵の一人が。
沖の日本艦隊へ帽子を振る。
それを見て。
日本側の水兵も手を振り返した。
一瞬だけ。
誰もが。
勝てるかもしれないと思った。
巨大な怪物ですら。
戦艦の主砲を叩き込めば死ぬ。
なら。
まだ戦える。
その希望は。
一分も続かなかった。
爆発。
港側。
巨大な火柱が上がった。
「!?」
高橋が振り返る。
米内も。
スプルーアンスも。
「何だ!」
一隻のアメリカ駆逐艦。
USS Farragut――DD-348。
避難民の収容に当たっていた駆逐艦の中央部から。
炎。
煙。
爆発。
さらに。
内部で誘爆。
船体の一部が吹き飛ぶ。
甲板にいた人間が。
海へ投げ出される。
「ファラガット!」
スプルーアンスが叫んだ。
高橋も状況を理解できない。
「砲撃か!?」
見張員。
「敵影確認できません!」
「空!」
「ありません!」
「敵小型船は!」
「見えません!」
高橋が海を見る。
「潜水艦か!」
スプルーアンスがすぐ命令する。
「水中聴音!」
アメリカ駆逐艦群。
聴音員が海中へ集中する。
日本側も同様。
数十秒。
長い。
「反応なし!」
「魚雷航跡は!」
「確認されず!」
「機雷?」
「航行直後まで異常ありません!」
スプルーアンスが歯を食いしばる。
「なら何で爆発した!」
誰も答えられない。
高橋が命じる。
「全艦、対空警戒を厳に!」
「了解!」
「海中警戒も続行!」
「了解!」
米内が呟く。
「内部爆発?」
高橋が見る。
「事故だと言うのか」
「可能性の話です」
その時。
通信員。
「アメリカ巡洋艦より緊急通信!」
「どこだ!」
「USS Chicago!」
重巡洋艦シカゴ、CA-29。
避難民収容の補助に入り。
小型艇から大量の人間を受け入れていた艦だった。
「読め!」
通信員が。
一瞬。
顔を強張らせる。
「……避難民です」
高橋が眉を寄せる。
「何?」
「シカゴから!」
通信が。
直接入る。
雑音。
銃声。
英語。
叫び声。
『こちらシカゴ!』
ザーッ。
『全艦へ!』
銃声。
パン。
パン。
『避難民の中に敵がいる!』
高橋が凍りつく。
スプルーアンスが通信器へ飛びついた。
「Chicago, repeat!」
雑音。
そして。
『奴らが市民に偽装して入り込んでいる!』
艦橋。
誰も。
理解できなかった。
米内がゆっくり言う。
「……偽装?」
スプルーアンスが怒鳴る。
「本当にエイリアンなのか!」
通信。
しばらく。
返事なし。
銃声。
叫び。
何かが倒れる音。
そして。
別のアメリカ兵の声。
『確認した!』
息が荒い。
『こいつは人間じゃない!』
高橋が通信機を見る。
『撃った!』
銃声。
『撃ったら――』
悲鳴。
『血が緑だ!』
空気が。
止まった。
米内が呟く。
「緑……」
黒岩隊が報告した。
撃墜した小型船。
操縦区画。
そこへ七・七ミリ弾が入った瞬間。
飛び散った。
緑色の液体。
同じ。
スプルーアンスが通信器へ叫ぶ。
「どうやって見分けた!」
返事。
『見分けられない!』
銃声。
『普通の市民と同じだ!』
別の声。
『こいつ、さっきまで女だった!』
高橋が目を見開く。
『撃たれて――』
雑音。
『腕が――伸びた!』
その瞬間。
通信の向こうで。
何かが叫ぶ。
人間ではない。
高い。
奇妙な音。
続けて。
『エンジン区画へ行ったぞ!』
「止めろ!」
スプルーアンスが叫ぶ。
「弾薬庫へ近づけるな!」
『追ってる!』
銃声。
銃声。
銃声。
『止まれ!』
そして。
突然。
通信の向こうから。
低い音。
何かが。
焼ける。
『光った――』
通信が途切れた。
「Chicago!」
返事なし。
「Chicago、応答しろ!」
高橋が双眼鏡を向ける。
巡洋艦シカゴ。
遠い。
だが。
まだ見える。
甲板上。
人間が走っている。
一部で煙。
そして。
船体中央。
一瞬。
白い光。
米内が呟く。
「まさか」
次の瞬間。
爆発。
巡洋艦シカゴの中央部が。
内側から膨れ上がった。
轟音。
火柱。
煙突付近が炎に包まれる。
数秒。
次。
さらに大きな爆発。
弾薬。
燃料。
内部で誘爆。
上部構造物が。
吹き飛んだ。
スプルーアンスが絶句する。
「……Jesus」
高橋も。
言葉が出ない。
つい数分前。
艦隊の一斉射で。
巨大生物を跡形もなく吹き飛ばした。
戦艦。
巡洋艦。
駆逐艦。
これだけの砲火があれば。
大型生命体に勝てる。
そう思った。
だが。
敵は。
船の外から来なかった。
避難民として。
自分たちから。
船へ乗せた。
米内が低く言う。
「ファラガットも」
高橋が見る。
「同じか」
「可能性が高いでしょう」
スプルーアンスの顔色が変わる。
「待て」
港を見る。
まだ。
避難民が。
何千人もいる。
そして。
すでに。
何千人も。
船へ乗せた。
スプルーアンスが青ざめる。
「……何人入った」
誰も答えない。
「今まで何人乗せた!」
アメリカ士官が震える声で答える。
「全艦合わせれば……数千」
スプルーアンスは目を閉じる。
数十分前。
彼自身が。
命令した。
――確認も何も要らない。
――入れられる避難民を全部収容しろ。
高橋も。
それを理解した。
「スプルーアンス大佐」
返事がない。
「大佐」
「分かっている」
スプルーアンスが。
ゆっくり目を開く。
「俺が乗せた」
「違います」
「本人確認を飛ばせと言った」
港を見る。
「俺だ」
高橋が強い口調で言った。
「今それを話して何になります」
スプルーアンスが見る。
「敵はすでに艦内です」
高橋が通信員を見る。
「全艦へ!」
「はい!」
「直ちに避難民の収容を一時停止!」
スプルーアンスが一瞬反応する。
だが。
否定しない。
「艦内に収容済みの民間人について」
高橋は止まる。
どう確認する。
顔?
身分証?
家族?
敵は。
人間そのものに見える。
「……負傷者は」
米内が口を開いた。
高橋を見る。
「血を確認できます」
スプルーアンスが理解した。
「Green blood」
高橋が頷く。
「だが全員撃つわけにはいかん」
「当然です」
米内が続ける。
「だから不審者だけです」
高橋が命じる。
「全艦」
そして。
一語一語。
「人間に似た敵がいる」
艦隊全体へ。
これまでにない命令が飛ぶ。
「避難民に紛れている可能性あり」
「不審な行動をする者を直ちに隔離」
「武器庫」
「弾薬庫」
「機関室」
「通信室」
「艦橋」
「全ての重要区画へ武装警備員を配置」
米内が加える。
「単独行動を許すな」
高橋が頷く。
「二人以上で行動」
そして。
「敵性と判断した場合」
一瞬。
艦橋が静まる。
「射撃を許可する」
スプルーアンスが言った。
「外したら民間人を撃つぞ」
高橋が答えた。
「だから確認する」
その時。
別の通信。
「日本艦より!」
高橋が振り返る。
「何だ」
「駆逐艦より、不審者発見!」
全員が凍る。
『こちら――』
日本語。
『収容したアメリカ人避難民の一人が、立入禁止区画へ侵入!』
「確保しろ!」
『警告に応じません!』
「撃つな!」
高橋が叫ぶ。
「まず拘束!」
通信の向こう。
怒号。
『止まれ!』
英語でも。
日本語でも。
警告。
そして。
悲鳴。
『腕が!』
高橋の顔色が変わる。
『腕が伸びた!』
銃声。
連続。
『撃て!撃て!』
さらに銃声。
数秒。
沈黙。
高橋が通信機を握る。
「報告しろ」
返事。
息を切らしている。
『……敵、倒しました』
「本当に敵か」
しばらく。
返事が遅れる。
高橋の声がさらに低くなる。
「確認しろ」
そして。
返事。
『……緑色です』
「何がだ」
『血が』
艦橋にいる全員が。
それで理解した。
『血液が緑色です』
高橋は。
ゆっくり通信器を置いた。
スプルーアンスが港を見る。
避難民。
子供。
老人。
女。
負傷兵。
全員。
普通の人間に見える。
その中の。
誰が。
人間なのか。
誰が。
人間ではないのか。
もう。
見ただけでは分からない。
米内が。
先ほど消し炭になった巨大生物の方を見る。
そして。
爆発したシカゴを見る。
「……厄介ですな」
高橋が答える。
「ああ」
「大きい奴なら」
米内が言った。
「撃てばいい」
高橋は黙って聞く。
「空を飛ぶ奴なら、まだ見える」
「そうだ」
米内の視線が。
港の群衆へ移る。
「だが」
人。
人。
人。
「人間の顔をしている奴を」
低い声。
「どうやって撃てと言うんでしょうな」
誰にも。
答えはなかった。
大型生命体との最初の艦砲戦。
帝国海軍は圧勝した。
敵は。
砲弾に耐えられなかった。
だが。
同じ日。
日本とアメリカの海軍は。
それ以上に恐ろしい事実を知った。
敵は。
艦砲の射程外から攻撃する必要などなかった。
人間の姿で。
救助を求め。
自分から。
艦内へ入ってくることができる。
そして。
その瞬間から。
サンタバーバラ救出作戦において。
最も恐ろしい敵は。
水平線の向こうではなくなった。
同じ甲板の上にいる。
隣の人間だった。