街から離れた野外演習場。
ロサンゼルスで最初の閃光が確認された頃、ジョージ・S・パットンは部隊の演習に立ち会っていた。
第一次世界大戦で戦車を率いた経験を持つ彼にとって、砲声も爆発も珍しいものではない。
だからこそ、遠方で発生したものが通常の爆発ではないことも、一目で分かった。
地平線の向こうから巨大な雲が立ち昇っている。
最初は土煙にも見えた。
しかし、それはあまりにも巨大だった。
雲は上空へ上空へと膨れ上がり、その下ではロサンゼルスがあるはずの方角から黒煙が帯のように広がっていた。
演習に参加していた兵士たちも、いつしか訓練を止めていた。
誰も喋らない。
兵士の一人が双眼鏡を下ろした。
「……事故でしょうか」
パットンは答えなかった。
双眼鏡を奪うように受け取り、自分の目で確かめる。
「事故で都市一つからあんな煙が上がるものか」
そして視線を上げた。
雲のさらに向こう。
青空の中に、本来存在してはならないものが浮かんでいた。
巨大な鉄の船だった。
翼らしい翼もない。
気球でもない。
飛行船のような巨大なガス嚢もない。
それにもかかわらず、途方もない質量を持つであろう鉄塊が、まるで海上の戦艦のように空中へ静止している。
パットンは双眼鏡を覗いたまま呟いた。
「都市を一撃で壊滅させる爆弾……そして空に浮かぶ鉄の船か」
ようやく双眼鏡を下ろした。
「通信兵」
「はい!」
「司令部は?」
野戦無線機の前に座っていた通信兵が、ヘッドフォンを押さえながら首を振った。
「繋がりません。周波数を変えて呼び掛けていますが、ロサンゼルス方面から軍の応答はありません」
「ワシントンは?」
「そちらも混信が酷く……」
パットンの眉間に皺が寄った。
軍隊にとって、命令が来ないことほど厄介な状況はない。
敵が分からない。
戦況も分からない。
上級司令部とも連絡がつかない。
それでも目の前では、アメリカの都市が燃えている。
「ですが……」
通信兵が言い淀んだ。
「なんだ?」
「民間局の電波をいくつか拾いました」
「読め」
通信兵は走り書きされた紙に目を落とした。
「内容が、その……滅茶苦茶でして」
「この状況で綺麗な報告書が届くと思っているのか。読め」
「はっ」
通信兵は紙を読み上げた。
「『巨大な船が空にいる』」
一同が空を見上げた。
それだけなら確認済みだった。
通信兵は続ける。
「『船から小型の飛行物体が降下』」
「『武装した者が市民を攻撃している』」
そして最後の一文で、通信兵自身が困惑した。
「『敵は人間ではない』」
沈黙が落ちた。
誰かが小さく笑った。
恐怖を誤魔化すための笑いだった。
「人間じゃないって、じゃあ何なんです?」
別の兵士が言った。
「ドイツ人が新しい防毒服でも着てるんじゃないのか」
「ドイツ人がどうやってカリフォルニアまで来る」
「日本軍じゃ?」
「日本人だって人間だろうが」
兵士たちの間に乾いた笑いが起こる。
だが誰も本気では笑っていなかった。
通信兵がもう一枚の紙を取った。
「続報があります」
今度は笑い声が消えた。
「『人ならざる者、光線をもって人を攻撃す』」
「光線?」
「そう書かれています」
パットンは紙を受け取った。
しばらく文字を眺める。
普通の指揮官なら、ここで情報の確認を待っただろう。
正体不明の敵。
正体不明の兵器。
司令部との通信途絶。
何より、都市一つを消し飛ばした攻撃力。
迂闊に近づく理由など一つもない。
だが、パットンは違った。
紙を折り畳むと、胸ポケットへ突っ込んだ。
「なるほど」
「将軍?」
「人ならざる者、か」
もう一度、空に浮かぶ鉄の巨艦を見る。
その口元がわずかに吊り上がった。
「面白いじゃないか」
周囲の士官たちが顔を見合わせた。
「将軍……?」
「奴らが人間だろうが、火星人だろうが、地獄から這い出してきた悪魔だろうが知ったことか」
パットンは振り返った。
そこには演習用に集められていた兵士たちがいる。
第一次世界大戦以来使われ続けるM1903小銃。
BAR。
ブローニング機関銃。
迫撃砲。
そして、決して十分とは言えない数の車両。
未知の敵を相手にするには、あまりにも頼りない。
だが、これが今のアメリカ陸軍だった。
パットンは腰に手を当てた。
「諸君」
兵士たちの視線が集まる。
「どうやら今日の演習は中止だ」
誰も笑わなかった。
「これから実戦をやる」
ざわめきが走った。
若い兵士が思わず口を開いた。
「ですが将軍、敵が何なのかも……」
「分からん」
即答だった。
「兵力は?」
「分からん」
「武器は?」
「分からん」
「目的は?」
「それも分からん」
若い兵士は黙った。
パットンは続けた。
「分かっていることは三つだけだ」
燃える都市を指差す。
「奴らはアメリカの都市を攻撃した」
次に、空の巨艦を指した。
「奴らは我々の知らない兵器を持っている」
そして最後に、自分の足元を指した。
「そして我々は、まだここに立っている」
兵士たちの表情が変わった。
パットンは静かに拳銃のホルスターを確認した。
「ならば、することは一つだ」
一拍置いた。
「敵を見に行くぞ」
副官が慌てた。
「将軍、待ってください。偵察隊を先行させるべきです」
「当然だ」
意外にも、パットンはあっさり答えた。
「私は勇敢さと馬鹿を混同するつもりはない」
地図が車のボンネットに広げられる。
パットンはロサンゼルスへ続く道路を指でなぞった。
「偵察班を三つ出せ。一本の道路に集中するな。敵が航空機を持っている以上、車列を組めば格好の標的になる」
「はい」
「無線は可能な限り沈黙。市街地手前で一度停止し、生存者から情報を集める」
別の士官が尋ねた。
「敵と遭遇した場合は?」
パットンは少し考えた。
まだ敵の正体すら分からない。
何が効くかも分からない。
だからこそ、最初の交戦には意味がある。
「撃て」
士官が目を瞬いた。
「……よろしいので?」
「我が国の都市を吹き飛ばし、市民を殺している連中に、身分証明書の提示でも求めるつもりか?」
「いえ」
「なら決まりだ」
パットンは双眼鏡を首から下げた。
「ただし、無駄死にはするな。敵一体を倒すために十人死ぬような戦い方はするな」
そこで一度、言葉を切った。
「最初の目的は勝利ではない」
パットン自身、この言葉を口にすることには抵抗があった。
それでも言った。
「敵が殺せるのかどうかを確かめる」
その言葉だけが、妙に重かった。
もし殺せないのなら。
今日、この国が滅びる可能性すらある。
だがパットンは、その考えを表情には出さなかった。
軍用車両のエンジンが次々とかけられていく。
兵士たちは実弾を受け取り、小銃を確認する。
機関銃班が弾薬箱を積み込み、衛生兵が救急用品を抱えて車へ飛び乗った。
そして車列が動き始める直前、パットンは最後に空を見上げた。
黒い鉄の船は、まだそこにいた。
まるで地上の人間など虫ほどにも気にしていないかのように。
パットンは鼻で笑った。
「合衆国陸軍とどちらが強いか──」
ホルスターを叩く。
「見てみようじゃないか」
数分後パットン率いる部隊は、燃え上がるロサンゼルスへ向けて進み始めた。
パットンの命令から十数分後。
ロサンゼルスへ向かう街道を、一台の陸軍車両が走っていた。
乗っているのは偵察任務を命じられた数名の兵士だけだった。
彼らに与えられた命令は単純である。
敵の正体を確認する。
可能ならば、生存者から情報を集める。
そして無用な交戦は避け、必ず戻る。
しかし、街へ近づくにつれて、その「単純な命令」がいかに困難なものかを兵士たちは思い知らされていった。
最初に現れたのは一台の乗用車だった。
猛スピードでこちらへ向かってくる。
その後ろから、さらに二台、三台。
やがて街道いっぱいを使って、車が押し寄せてくるようになった。
トラック。
乗用車。
荷台に家族を詰め込んだ農業用車両。
中には車を手に入れられず、徒歩で逃げている者までいる。
誰もが同じ方向へ向かっていた。
ロサンゼルスとは反対側へ。
「なんだこりゃ……」
運転していた兵士が速度を落とす。
助手席の兵士がクラクションを何度も鳴らした。
「止まれ!陸軍だ!」
しかし、一台も止まらない。
「止まれ!話を聞かせろ!」
ようやく一台の車が速度を落とした。
兵士たちは急いで脇へ寄せ、窓へ駆け寄る。
「陸軍だ。街で何を見たか教えてほしい」
運転席には三十代ほどの男がいた。
顔には煤が付着し、額から血を流している。
助手席には泣き続ける女。
後部座席には二人の子供が抱き合っていた。
「知らねえよ!」
男は叫んだ。
「知らねえって、街から来たんだろう?」
「のけよ!」
男は車窓から半身を乗り出した。
その目には怒りよりも、恐怖が浮かんでいた。
「空見ろよ!」
兵士が振り返る。
遠く。
ロサンゼルスの上空には、あの巨大な鉄の船が浮かんでいる。
「見えねえのかよ!あいつらがいるんだよ!」
「落ち着け。敵は何人だ?武器は?」
「知らねえって言ってんだろ!」
男はハンドルを叩いた。
「女房の姉貴が目の前で消えたんだ!光ったと思ったら何も残らなかった!俺は帰る!どこでもいい、ここじゃないところへ行く!」
「待て。歩兵を見なかったか?」
しかし男はもう聞いていなかった。
アクセルを踏む。
車は砂埃を上げながら走り去った。
兵士は追いかけようとしたが、すぐに諦めた。
その後ろから別の車が迫っていたからだ。
「止まれ!陸軍だ!」
今度は止まらない。
窓から女が叫んだ。
「街へ行っちゃ駄目!」
それだけだった。
車はそのまま通り過ぎていった。
兵士たちはしばらく街道の中央に立っていた。
次から次へと避難民が横を通り過ぎていく。
荷物を失った者。
服が焼け焦げた者。
家族を探しながら走っている者。
一台のトラックには、荷台いっぱいに負傷者が積まれていた。
軍服姿の兵士を見ると、そのうちの一人が身体を起こした。
「戻れ……」
小さな声だった。
「なんだ?」
「戻れ……」
その男の右腕はなかった。
「奴ら……追ってくる……」
トラックは止まることなく遠ざかっていった。
偵察兵たちは互いの顔を見る。
誰も口を開かなかった。
街はまだ数マイル先である。
それでも、ここから十分に見えた。
ロサンゼルスは、もう都市ではなかった。
地平線の向こう側が黒く染まっている。
あちこちから炎が立ち上り、その上を巨大な黒煙が覆っていた。
時折、その煙の中を小型の飛翔体が横切る。
一機。
また一機。
巨大な母艦から降りたものだろう。
「……見ろ」
兵士の一人が双眼鏡を上げた。
「何だ?」
「十二時方向。道路の向こう」
別の兵士も双眼鏡を覗く。
最初は何を見ているのか分からなかった。
何かが動いている。
瓦礫の間を、大きなものが這っていた。
「……タコか?」
「馬鹿言え」
「じゃあ自分で見ろよ」
巨大だった。
建物の残骸ほどもある胴体。
そこから何本もの長い触手が伸びている。
そのうち一本が地上へ降りる。
逃げていた人間を一人、巻き取った。
「……人間を掴んだぞ」
兵士たちの声が低くなる。
触手は市民を空中へ持ち上げた。
人間が両脚をばたつかせている。
何か叫んでいるようだった。
ここからでは聞こえない。
次の瞬間、その姿は瓦礫の向こうへ消えた。
誰も何も言わなかった。
さらに別の方向で光が走る。
地面が爆ぜた。
「今のは砲撃か?」
「違う」
「じゃあなんだ?」
「……分からん」
双眼鏡を持った兵士が答えた。
「船から撃った」
その直後だった。
遠くから響いていた爆発音とは別の音が聞こえてきた。
エンジン音。
振り返る。
また避難民の車列だった。
だが今度は様子がおかしい。
車が蛇行している。
一台が道路脇へ突っ込み、横転する。
その後ろから別の車が追突した。
「何やってるんだ?」
兵士が立ち上がる。
そして空を見た。
一機の小型船が、避難民の車列を追っていた。
低い。
地上数十メートルほどしかない。
飛行機とは違う。
旋回するために翼を傾けることもない。
進行方向を変える際には、まるで吊り下げられた物体のように横へ滑る。
「……あいつだ」
小型船の下部が赤く光った。
「伏せろ!」
光が走った。
道路の先頭を走っていた乗用車が消えた。
爆発したのではない。
車体中央を赤い光が通過し、その部分だけが焼け落ちた。
前半分と後半分に分かれた車が惰性で数メートル進み、道路へ転がる。
後続車が次々に急ブレーキを踏んだ。
そこへ二射目。
トラックの荷台が直撃を受けた。
炎が上がる。
荷台から人間が飛び降りる。
「助けて!」
「子供がいる!」
「軍隊だ!軍隊がいるぞ!」
避難民が偵察隊を見つけた。
一斉にこちらへ走り始める。
「まずいぞ」
兵士が呟いた。
「何が?」
「あの船もこっちへ来る」
小型船がゆっくりと機首を変えた。
逃げる人間の群れ。
その先にはアメリカ陸軍の車両。
どちらを敵と判断したのか。
それとも最初から区別などしていないのか。
船は一直線にこちらへ向かってきた。
「車を降りろ!」
分隊長が叫んだ。
「道路から離れろ!散開!」
兵士たちは小銃を掴み、側溝へ飛び込む。
「民間人を伏せさせろ!」
「伏せろ!伏せろ!」
しかし避難民は止まらない。
恐怖で命令など耳に入っていなかった。
「軍隊だろ!何とかしろ!」
一人の男が兵士の服を掴んだ。
「妻がまだ後ろにいる!」
「伏せろ!」
「助けに行ってくれ!」
「伏せろと言ってるんだ!」
兵士が男を無理矢理地面へ押し倒した。
その直後、頭上を赤い光が通過した。
数十メートル後方に停まっていた車両が直撃を受けた。
燃料に引火した。
爆発。
破片が降り注ぐ。
兵士は男の上に覆い被さった。
土と金属片が背中を叩く。
数秒後。
顔を上げる。
「生きてるか?」
男は震えながら頷いた。
その横で別の兵士がM1903小銃を構えていた。
「撃つぞ!」
分隊長が叫ぶ。
「待て!」
しかし遅かった。
銃声。
一発。
小型船の胴体に命中した。
甲高い金属音。
弾丸は火花を散らして跳ね返った。
兵士が目を見開く。
「……効いてねえ」
別の兵士も撃つ。
さらに二発。
三発。
結果は同じだった。
鉄板に石を投げつけているようなものだった。
「撃つな!弾の無駄だ!」
小型船が停止した。
兵士たちの方を向く。
「……気付かれた」
船の下部が再び赤く輝き始めた。
「走れ!」
全員が散った。
光線が道路を薙ぐ。
舗装が一瞬で黒く焼け、停めてあった陸軍車両の後部が削り取られた。
燃料が燃え上がる。
「車が!」
「捨てろ!」
分隊長は振り返らなかった。
命令は偵察である。
戦闘ではない。
まして、小銃弾を弾く飛行物体と撃ち合うことでもない。
「街には行けません!」
一人が叫ぶ。
分隊長は一瞬だけ、燃えるロサンゼルスを見た。
敵は見えた。
兵器も見た。
市民がどう殺されているかも見た。
そして何より重要なことが分かった。
こちらの小銃は、少なくともあの船には通用しない。
「戻るぞ!」
「ですが敵兵そのものは?」
「まだ分からん!」
「パットン将軍には何と?」
分隊長は走りながら答えた。
「見たまま全部伝えろ!」
後方から、また光が走った。
一人の兵士が転んだ。
「待ってくれ!」
仲間が戻ろうとする。
だが分隊長が怒鳴った。
「行くな!」
「置いていけません!」
「命令だ!」
転んだ兵士が顔を上げる。
足を負傷している。
立てない。
小型船が近づいてくる。
彼自身もそれに気付いた。
「……行け!」
「ジョン!」
「行けって言ってるだろ!」
兵士は地面に座ったまま小銃を構えた。
小型船へ向ける。
「来いよ……」
発砲。
一発。
また跳ね返る。
「この野郎!」
二発目。
三発目。
その姿が赤い光に包まれた。
残った兵士たちは振り返らなかった。
振り返れば、足が止まる。
ただ走った。
後方では避難民の悲鳴と、異様な飛翔音と、時折響く熱線の炸裂音が続いている。
こうしてパットンが送り出した最初の偵察隊は、敵の正体を知ることなく撤退した。
だが彼らは、重要な情報を持ち帰ることになる。
敵は民間人を区別しない。
空中の小型船には小銃が通用しない。
そしてロサンゼルスでは今なお、生き残ったアメリカ市民が狩られている。
パットンがその報告を聞いた時。
彼が最初に尋ねたのは、損害でも、敵機の数でもなかった。
「敵の歩兵は見たか?」