小型船から逃れて、およそ十分。
生き残った偵察隊は街道を外れ、乾いた土地を徒歩で進んでいた。
彼らが乗ってきた陸軍車両は、すでにない。
敵の小型船が放った光線を受け、今頃は街道脇で黒煙を上げているはずだった。
部隊に残されたものは、各自が抱えているM1903小銃と弾薬。それに双眼鏡、地図、携帯用の無線機程度である。
その無線機も、先ほどから役には立っていなかった。
通信兵が何度目かの呼びかけを行う。
「こちら偵察班。応答願う。こちら偵察班――」
雑音。
耳障りな音だけが返ってくる。
「……駄目です。やっぱり繋がりません」
分隊長は振り返りもしなかった。
「もういい。歩け」
「はい」
全員が疲れていた。
ほんの一時間前まで、彼らは野外演習に参加していただけだった。
敵は存在しなかった。
撃つ相手は紙や木で作られた標的であり、当然ながら撃ち返してくることもなかった。
それが今ではどうだ。
背後ではアメリカ有数の大都市が燃えている。
空には戦艦ほどもある鉄の怪物が浮かび、自国民が見たこともない兵器によって殺されている。
そしてつい先ほど。
仲間が一人、彼らの目の前で光に飲み込まれた。
小銃で反撃した。
だが弾丸は敵の小型船に火花を散らしただけだった。
誰も冗談を言わない。
ただ足だけを動かした。
その時だった。
先頭を歩いていた兵士が拳を上げた。
全員が止まる。
「どうした?」
兵士は答えず、街道脇を指差した。
一台の乗用車があった。
道路から外れ、土手へ斜めに突っ込んでいる。
運転席の扉は開いたまま。
荷物が道路へ散乱している。
だが、人間の姿がない。
「避難民か?」
「たぶん」
分隊長は小銃を構えた。
「二人、俺と来い。残りは周囲を見ろ」
三人がゆっくりと近づく。
「陸軍だ!」
返事はない。
「誰かいるか!」
沈黙。
一歩。
また一歩。
一人が車内を覗き込んだ。
「無人です」
「死体は?」
「ありません」
「血は?」
兵士が座席を見る。
「それも……」
そこで。
かすかな声が聞こえた。
「……助けて……」
全員が振り向いた。
少し離れた茂み。
「誰かいるぞ!」
兵士が走り出そうとする。
分隊長が腕を掴んだ。
「待て」
「ですが――」
「周囲を確認しろ」
兵士たちの表情が変わった。
確かに妙だった。
車は捨てられている。
人間はいない。
荷物だけが散らばっている。
なのに、助けを求める声だけがする。
分隊長は茂みに向かって叫んだ。
「アメリカ陸軍だ!聞こえるか!」
数秒。
「……助けて……」
「姿を見せろ!」
茂みが動いた。
一人の女性が這い出してきた。
服は煤まみれ。
片方の靴を失い、膝から血を流している。
兵士の一人がようやく駆け寄った。
「大丈夫です。陸軍です」
女性は兵士の腕にしがみついた。
「来る……」
「何が?」
「来る!」
女性の顔が引きつった。
「あいつらが来る!」
その言葉とほぼ同時だった。
カサッ。
道路の反対側。
草が揺れた。
兵士たちのM1903が一斉に向けられる。
「誰だ!」
返事はない。
「出てこい!」
代わりに――
何かが立ち上がった。
最初の印象は、意外なものだった。
小さい。
少なくとも、空に浮かぶ巨大な船から想像していた怪物とはまるで違った。
背丈は人間とほぼ同じ。
成人男性程度。
二本の脚で直立している。
胴体も頭もある。
遠目で輪郭だけを見れば、人間と見間違えたかもしれない。
だが。
近くで見れば、絶対に人間ではなかった。
毛髪の存在しない頭部。
湿り気を帯びた異様な表皮。
人間とは明らかに異なる顔。
そして何より――
「……右腕を見ろ」
誰かが呟いた。
左腕はまだ腕らしい形をしている。
その左手には、奇妙な筒状の物体が握られていた。
銃。
少なくとも兵士たちはそう判断した。
しかし右側は違った。
人間のような手がない。
指もない。
右腕全体が、肩から先へ行くほど細くなる異様な器官になっている。
長さだけなら、今のところ人間の腕と大差ない。
だが骨が入っているようには見えなかった。
柔らかく。
わずかに蠢いている。
「……なんだ、あの腕」
民間放送が伝えていた。
人ならざる者。
その言葉が、ようやく現実になった。
異星人は動かない。
兵士たちも動けない。
互いに見つめ合う。
数十メートル。
異星人がわずかに頭を傾けた。
まるで初めて見る動物でも観察しているかのようだった。
分隊長がゆっくりM1903を構える。
「動くな」
通じるはずもない。
それでも言わずにはいられなかった。
「そこで止まれ」
異星人の左腕が上がった。
手に持っている筒の先端が、兵士たちへ向く。
内部に淡い光が灯った。
それを見た瞬間、全員が理解した。
先ほど小型船から撃たれたものと同じだ。
「伏せろ!」
光が走った。
兵士たちが地面へ飛び込む。
光線は一人の頭上を通過し、後方の乗用車へ命中した。
金属板が一瞬で赤熱する。
女性が悲鳴を上げた。
「撃て!」
一人の兵士が反射的にM1903の引き金を引いた。
乾いた銃声。
一発。
弾丸が異星人の左肩へ命中した。
兵士は反射的に目を細めた。
また弾かれる。
そう思っていた。
小型船と同じように。
しかし――
異星人の身体が大きく揺れた。
肩から液体が飛び散った。
地面に落ちる。
鮮やかな緑色だった。
「……なんだ?」
異星人自身も撃たれた箇所を見る。
そこから緑色の液体が流れている。
「血だ……」
誰かが呟いた。
次の瞬間。
声が大きくなった。
「血だ!」
兵士が立ち上がった。
「こいつ、血が出てるぞ!」
その一言で空気が変わった。
怪物ではない。
少なくとも、不死身ではない。
異星人が再び左手の光線銃を持ち上げる。
「撃て!」
M1903が一斉に火を噴いた。
一発。
二発。
三発。
弾丸が異星人の胴体へ食い込む。
緑色の血が飛び散った。
「効いてる!」
「撃ち続けろ!」
異星人が後退する。
さらに一発。
頭部に命中。
異星人は身体を仰け反らせ、そのまま地面へ倒れた。
誰もすぐには近づかなかった。
銃口を向けたまま待つ。
五秒。
十秒。
動かない。
「……死んだ?」
「まだ近づくな」
分隊長が一人を指した。
「もう一発」
銃声。
胸部へ命中する。
身体がわずかに跳ねただけだった。
反撃はない。
ようやく分隊長が近づく。
地球人が初めて間近で見る異星の兵士。
その姿は異様だった。
だが同時に、あまりにも生物的でもあった。
撃たれれば傷ができる。
傷口から血が流れる。
そして頭部を撃たれれば死ぬ。
分隊長が呟いた。
「……殺せる」
誰も答えない。
「こいつら、殺せるぞ」
兵士たちの顔から、ほんの少しだけ恐怖が消えた。
その瞬間だった。
「右!」
建物の陰からもう一体が現れた。
続いて二体目。
合計二体。
同じだった。
人間とほぼ同じ背丈。
左手に光線銃。
そして、奇妙な右腕。
「散開!」
一体目が左手を上げた。
光線。
一人の兵士の胸を直撃した。
「うっ――」
兵士が倒れる。
軍服から煙が上がった。
「マイク!」
仲間が駆け寄ろうとする。
「行くな!」
分隊長が止める。
異星人はもう一度、光線銃をこちらへ向けた。
兵士たちが身構える。
しかし。
何も起こらない。
光線銃の内部から光が消えている。
異星人が武器を操作していた。
「……撃ってこない」
「何?」
「奴の銃だ!」
分隊長が気付いた。
「撃った後、すぐには撃てない!」
その言葉を聞いた異星人に理解できたはずはない。
だが異星人は別の手段を取った。
走った。
人間と変わらない速度で、こちらへ距離を詰めてくる。
「撃て!」
一斉射撃。
数発が命中。
緑色の血が飛び散る。
だが致命傷ではない。
異星人は止まらない。
二十メートル。
十五。
十。
「まだ来るぞ!」
そして。
異星人が右肩を大きく後ろへ引いた。
「何を――」
次の瞬間。
右腕が伸びた。
文字通り、伸びた。
骨など最初から存在しなかったかのように、右肩から先が一気に細長く変形する。
一メートル。
二メートル。
さらに伸びる。
「腕が伸びた!」
鞭のように振るわれた右腕が、一人の兵士のM1903へ巻きついた。
「うおっ!?」
兵士が小銃ごと引っ張られる。
凄まじい力だった。
靴底が地面を滑る。
「離せ!」
兵士は必死にM1903を抱える。
異星人の右腕が縮む。
いや。
獲物を引き寄せている。
数メートルあった距離が急速に縮まっていく。
「撃て!撃て!」
「お前に当たる!」
「構うな!」
分隊長が横から飛び込んだ。
小銃の銃床を異星人の頭部へ叩き込む。
鈍い音。
異星人の身体が揺れた。
右腕の締め付けが一瞬だけ弱くなる。
「今だ!」
捕まっていた兵士がM1903を引き戻した。
異星人との距離は一メートルもない。
銃口を腹部へ押しつける。
引き金。
轟音。
緑色の血が軍服へ飛び散った。
異星人がよろめく。
兵士はすぐさまボルトを引いた。
薬莢が飛ぶ。
押し戻す。
次弾装填。
今度は胸へ。
発砲。
異星人が倒れた。
「後ろ!」
もう一体。
その左手に持つ光線銃が再び発光している。
先ほど撃ってから、かなりの時間が経過していた。
再び撃てる。
「伏せろ!」
だが――
銃声の方が早かった。
一発。
異星人の頭部から緑色の血が飛んだ。
まだ倒れない。
撃った兵士が慌ててボルトを操作する。
異星人が光線銃を向ける。
「早く!」
排莢。
装填。
銃口を合わせる。
二発目。
今度は眉間付近。
異星人の身体から力が抜けた。
光線銃を落とし、そのまま前のめりに倒れた。
静寂。
生き残った兵士たちは荒い呼吸を繰り返していた。
誰も勝鬨を上げなかった。
すぐ横には光線を受けた仲間が倒れている。
それでも。
ほんの数分間で、彼らは恐ろしく重要な情報を手に入れていた。
敵の飛行艇には小銃が通用しない。
しかし歩兵には通用する。
歩兵の体格は人間と大差ない。
血液は緑色。
左手に持つ光線銃は一発の威力こそ凄まじいが、次弾を撃つまで長い時間を要する。
そして――
分隊長は倒れた異星人の右腕を見る。
死んだことで力を失ったのか、先ほど数メートルまで伸びていたそれは縮み、人間の腕と大差ない長さになっていた。
先端に人間のような手はない。
肩から先の右腕そのものが、一本の触手なのである。
「こいつが厄介だな……」
一人が自分のM1903を見る。
触手に締め付けられた銃床には、傷が残っていた。
「三、四ヤードは伸びたんじゃないですか?」
「少なくとも銃剣より長い」
分隊長は頷いた。
接近すれば光線銃を撃たれない。
だからといって近づけばいいわけでもない。
右腕がある。
敵は自分たちの弱点を補うようにできている。
分隊長は異星人の光線銃へ視線を移した。
「さっき撃ってから、次に光り始めるまでどれくらいだった?」
通信兵が考える。
「正確には……」
「次から数えろ」
「はい」
分隊長はしゃがみ込んだ。
「十秒なのか三十秒なのか一分なのか。それが分かれば、次に戦う連中が生き残れる」
恐怖を語るだけでは軍事情報にならない。
何秒で撃てる。
何メートル腕が伸びる。
何発撃てば倒れる。
どこを撃てば確実に死ぬ。
そうした数字へ置き換えて初めて、怪物は「敵兵」になる。
分隊長は立ち上がった。
「一体、持って帰る」
兵士が振り返る。
「死体を?」
「そうだ」
「パットン将軍のところまで運ぶんですか?」
「将軍は敵を見てこいと言った」
分隊長は緑色の血にまみれた異星人を見下ろした。
「なら実物を見せてやる」
別の兵士が光線銃を指差した。
「これは?」
「当然持って帰る」
「触って大丈夫ですかね」
「知らん」
即答だった。
「だから直接触るな。毛布か何かで包め」
さらに右腕を見る。
「それと、こいつの腕も軍医に調べさせる」
「切ります?」
「死体ごと持っていけばいい」
兵士たちが異星人の死体を持ち上げる準備を始める。
一人がぼそりと言った。
「将軍、これを見たら何て言いますかね」
分隊長は少し考えた。
背後を振り返る。
遠くには、まだ巨大な航空戦艦が浮かんでいる。
その下ではロサンゼルスが燃えていた。
空の敵には手も足も出なかった。
しかし。
その空から降りてきた兵士は違う。
銃弾で血を流した。
そして三体が、アメリカ兵の足元に転がっている。
「さあな」
分隊長はM1903を肩に担いだ。
「ただ――」
異星人の死体を見た。
「これで少なくとも、パットン将軍に『戦争になりました』じゃなく――」
わずかに笑った。
「『戦争ができます』と報告できる」
その数十分後。
緑色の血を滴らせる異星人の死体と、鹵獲された一挺の光線銃が、ジョージ・S・パットンの前へ運び込まれることになる。
そしてパットンは、人類側で最も早く理解することになる。
敵は圧倒的に強い。
だが――
無敵ではない。