テキサス州ユバルディ。
1936年1月1日。
本来ならば、静かな元日になるはずだった。
ワシントンでの政治生活から一時離れ、故郷で年末年始を過ごす。
副大統領ジョン・ナンス・ガーナーにとって、それ自体は珍しくもない休暇だった。
だが今。
ガーナー家の居間に、新年を祝う空気は欠片も残っていなかった。
ラジオの前には数人の男が集まっている。
地元当局の人間。
連絡を受けて駆けつけた軍関係者。
電話交換手。
そして、副大統領本人。
ガーナーは椅子へ深く腰掛けたまま、ラジオを睨んでいた。
ザーッ。
ザーッ。
聞こえるのは雑音ばかり。
時折、人間の声らしきものが混じる。
しかしすぐに消える。
「政府放送からの続報はなし……」
ガーナーが低く呟いた。
「無線が切れただけだといいんだが」
誰も答えなかった。
それが希望的観測であることは、この部屋にいる全員が分かっていた。
最初に入ったのは、西海岸からの異常な報告だった。
ロサンゼルス上空に巨大な飛行物体。
その後、巨大な閃光。
通信途絶。
続いて別の都市。
さらに別の都市。
そして――
ワシントン。
首都上空にも正体不明の巨大飛行物体が出現した。
その後、連絡が途絶えた。
電話も繋がらない。
軍の通信も混乱している。
政府放送も沈黙した。
大統領からの声明もない。
国務省からも。
陸軍省からも。
ガーナーは葉巻を指で転がした。
火はついていない。
「ホワイトハウスは?」
軍人が首を振った。
「依然として応答ありません」
「陸軍省」
「同じです」
「海軍省」
「東海岸との通信自体が極めて不安定です」
「議会は?」
「分かりません」
ガーナーの眉間に皺が寄った。
「分からん、分からん、分からん……」
葉巻を机へ置く。
「この国はいつから『分かりません』だけで動くようになった?」
「申し訳ありません、副大統領」
「君を責めてるんじゃない」
ガーナーは額を押さえた。
「私だって分からん」
その一言で部屋が静まった。
副大統領。
アメリカ合衆国政府における第二位の人物。
大統領に何かあれば、その職務を引き継ぐ男。
だが、その大統領が生きているのか死んでいるのかすら分からない。
ガーナーが立ち上がる。
「フランクリンが地下へ避難できていれば……」
可能性はある。
ホワイトハウスが攻撃されても、生き残っているかもしれない。
軍施設へ移されたかもしれない。
通信だけが破壊されたのかもしれない。
だから待つ。
それが当然だった。
少なくとも――
数時間前までは。
無線係が突然顔を上げた。
「待ってください」
全員が振り返る。
「何だ?」
「何か入っています」
無線係が調整する。
ザーッ。
ザーッ。
雑音。
その向こうから。
音が聞こえた。
『――――』
誰かが喋っている。
だが英語ではない。
スペイン語でもない。
フランス語でもドイツ語でもない。
そもそも人間の発声にすら聞こえなかった。
短い音。
長い音。
金属を擦り合わせるような不快な響き。
そして一定の間隔。
「何語だ?」
「分かりません」
「暗号か?」
「それも……」
無線係がヘッドフォンを押さえる。
「同じ音列が繰り返されています」
別の軍人が近づいた。
「敵の通信では?」
部屋の空気が変わった。
ガーナーが無線機へ歩み寄る。
「聞かせろ」
ヘッドフォンを受け取る。
耳へ当てる。
『――――』
ガーナーは黙って聞いた。
人間には意味が分からない。
だが通信であることだけは分かる。
一つの声が終わる。
別の声が応答する。
さらに別の信号。
明らかに何者かが互いに情報を交換している。
そして、その通信量が増えている。
ガーナーがヘッドフォンを外した。
「こいつらは元日を祝ってるわけじゃなさそうだな」
誰も笑わなかった。
「発信源は?」
「一つではありません」
無線係が答える。
「西からも拾っています。それと……」
「それと?」
男は言いにくそうにした。
「東からもです」
ガーナーの表情が変わる。
「東?」
「はい」
「ワシントン方面か?」
「断定できません。ただ、東部方面から同種の通信が多数……」
沈黙。
アメリカ国内で。
人間には理解できない通信が飛び交っている。
その一方で。
アメリカ政府は沈黙している。
ガーナーは窓の外を見た。
ユバルディの町はまだ存在している。
家がある。
道路がある。
人がいる。
ここだけ見れば、いつものテキサスだった。
だがラジオの向こうでは。
国が消えようとしていた。
「副大統領」
軍人が声をかける。
「判断を仰ぎたいことがあります」
「言え」
「各地の部隊です」
ガーナーが振り返る。
「現在、命令系統が混乱しています。上級司令部と連絡できず、独自に行動している部隊が出ています」
「当然だろうな」
「州当局からも軍への要請が相次いでいます。しかし誰が最終的な承認を出すのか――」
言葉が止まる。
ガーナーには意味が分かった。
「私に大統領になれと言っているのか」
「……」
誰も答えない。
答えられるはずがない。
ガーナーは副大統領だった。
大統領が死亡すれば、その地位を継承する。
しかし。
ルーズベルトの死亡は確認されていない。
「フランクリンはまだ生きているかもしれん」
「はい」
「生きていれば大統領は彼だ」
「その通りです」
「なら私は副大統領だ」
「はい」
軍人が続けた。
「しかし大統領からの命令はありません」
「……」
「政府からの命令もありません」
ガーナーは睨む。
「それで?」
「敵からの通信だけは増えています」
その言葉が重かった。
ガーナーが再び無線機を見る。
ザーッ。
雑音の向こう。
また、あの音。
『――――』
敵は動いている。
敵には指揮系統がある。
敵同士は連絡を取っている。
その間。
アメリカは大統領からの連絡を待っている。
ガーナーは時計を見る。
「最後にワシントンから正常な通信が入ったのは?」
時刻が告げられる。
かなり経っている。
「大統領本人からは?」
さらに前だった。
ガーナーは目を閉じた。
フランクリン・デラノ・ルーズベルト。
政治的には何度も衝突した。
気に入らない政策も山ほどあった。
だが今はそんなことに何の意味もない。
「……畜生」
小さく呟いた。
「副大統領?」
「フランクリン」
ガーナーは椅子へ座った。
「生きてるなら、さっさと怒鳴り込んできてくれ」
誰も口を挟まない。
「『ジャック、余計なことをするな』ってな」
待つ。
ラジオを見る。
何もない。
「そうしたら喜んでこの椅子を返してやる」
それでも。
何も聞こえない。
ガーナーは大きく息を吐いた。
そして立ち上がった。
「もう待てん」
軍人が顔を上げる。
「副大統領?」
「フランクリンを待っている間にも人が死んでいる」
「ですが死亡確認が――」
「分かっている!」
ガーナーの声が部屋に響いた。
「分かっているから困ってるんだ!」
静寂。
しばらくして、ガーナーは声を落とした。
「だがな」
敵の通信を指差す。
「奴らは待ってくれん」
誰も反論できない。
「ワシントンが生きているか確認できるまで待つ。大統領から返事が来るまで待つ。陸軍省から命令が来るまで待つ」
首を振る。
「そうやって明日の朝まで待って、それまでにアメリカがなくなったら、憲法を守りましたと誰に報告する?」
軍人たちの表情が変わった。
ガーナーは決断した。
「現在連絡可能な陸軍、海軍、州政府へ伝えろ」
「何と?」
「合衆国政府は存続している」
一人が鉛筆を走らせる。
「ワシントンとの通信が回復するまで、利用可能な政府機関はすべて非常体制へ移行」
「はい」
「陸海軍は民間人の避難を最優先。その上で敵と接触した部隊は、判明した戦闘情報を全軍へ共有させろ。今は陸軍だ海軍だと縄張り争いをしている場合じゃない」
「承知しました」
「それからハワイ」
ガーナーの指が地図へ向く。
「まだ無事なんだな?」
「現時点では、大規模攻撃の報告はありません」
「フィリピンは?」
「同様です」
ガーナーが頷く。
「両方と連絡を維持しろ。太平洋を失えば西海岸の次がなくなる」
そして少し黙った。
「もう一つ」
全員が待つ。
「私が合衆国軍の最高指揮を執る」
空気が止まった。
「副大統領。それは……」
「分かっている」
ガーナーが遮った。
「こんな形で大統領の椅子に座りたかったわけじゃない」
机の上には新聞が置かれていた。
そこにはまだ、昨日までのアメリカが書かれている。
政治。
経済。
新年。
選挙。
今となっては遠い世界の話だった。
「だが誰かが命令を出さなきゃならん」
ガーナーは新聞を畳んだ。
「そして今、確認できる範囲でその役目に一番近い場所にいる馬鹿が私だ」
軍人の一人が尋ねる。
「ルーズベルト大統領が生存していた場合は?」
ガーナーは即答した。
「返す」
「……即座に?」
「当たり前だ」
少し笑った。
「私はこの仕事が欲しくてやってるんじゃない」
その笑みもすぐ消える。
「だが彼の生死が分からないことを理由に、合衆国を指揮官なしにはできん」
ガーナーはジャケットを整えた。
「宣誓を準備しろ」
「ここで、ですか?」
「ワシントンまで行けというなら馬を貸してくれ。途中で化け物に食われなきゃ数日で着くだろう」
何人かが思わず笑った。
ガーナーが睨む。
「冗談だ。汽車でも間に合わん」
そして真顔になる。
「ここでやる」
ほどなく。
豪華な議事堂でも。
ホワイトハウスでもなく。
テキサス州ユバルディの一室で、人々が集められた。
法的手続きについて異論を唱える者もいた。
死亡確認が必要だという者もいた。
待つべきだという者もいた。
ガーナー自身が誰よりそれを理解していた。
それでも最後には一つの事実へ戻った。
首都から命令は来ない。
敵は攻撃を続けている。
兵士たちは戦っている。
市民は逃げている。
国家には指揮官が必要だった。
宣誓を終える。
その瞬間。
ジョン・ナンス・ガーナーは顔を伏せた。
拍手はなかった。
祝福する者もいなかった。
ガーナー自身がそれを望まなかった。
「大統領」
初めてそう呼ばれた。
ガーナーはしばらく反応しなかった。
「……慣れんな」
そして椅子へ座る。
「大統領、最初のご命令を」
ガーナーは地図を見る。
焼かれた都市。
途絶した通信。
生死不明の政府要人。
そして戦い続けている軍隊。
数時間前まで、自分は年末年始を故郷で過ごす副大統領だった。
今は違う。
ガーナーは葉巻を咥えた。
ようやく火をつける。
一口。
煙を吐く。
「まず、まだ生きてるアメリカ人を数えよう」
周囲が静かになる。
「それから――」
ガーナーは無線機から流れ続ける異星人の通信へ目を向けた。
「こいつらに、ずいぶん面倒な国を侵略したと教えてやる」
1936年1月1日。
ワシントンから千マイル以上離れたテキサスの小さな町で。
アメリカ合衆国は、二人目の戦時大統領を得た。
一人目が生きているのか死んでいるのか。
その答えすら知らないまま。