ジョン・ナンス・ガーナーが大統領として最初に迎えた夜は、祝賀とは程遠いものだった。
机の上に置かれているのは就任を祝う電報ではない。
壊滅。
通信途絶。
撤退。
救援不能。
そんな言葉ばかりだった。
ニューヨーク。
ワシントン。
ロサンゼルス。
シカゴ。
デトロイト。
主要都市からの通信は次々と途絶している。
生き残った部隊から断片的な報告は届く。
敵歩兵は殺せる。
小銃弾も機関銃弾も通用する。
砲撃なら大型生物にも損害を与えられる。
だが――
空がどうにもならない。
陸軍航空隊が迎撃しても、敵小型船に圧倒される。
戦車も敵の光線に耐えられない。
そして都市上空へ巨大船が現れれば、その都市そのものが消える。
ガーナーは報告書を机へ放り投げた。
「つまり、地上じゃ殴り合える」
誰も答えない。
「だが向こうは殴り合う必要がない」
側近が小さく頷いた。
「……その通りです」
ガーナーは壁の地図を見る。
アメリカ合衆国。
大西洋から太平洋まで広がる巨大な国土。
世界でもっとも豊かな国の一つ。
その地図へ、通信途絶地域を示す印が増え続けている。
「ハワイは?」
「健在です」
「フィリピン」
「健在です」
「アラスカは?」
「大規模な攻撃は確認されていません」
ガーナーは黙った。
ハワイ。
フィリピン。
敵の主攻撃から外れている。
一方、本土。
攻撃が集中している。
偶然なのか。
意図的なのか。
そんなことは今はどうでもよかった。
「大統領」
側近が恐る恐る尋ねる。
「政府機能の移転についてですが……」
ガーナーは目を閉じた。
それこそ、この数時間ずっと考えていたことだった。
本土の別の都市へ移す。
最初はそう考えた。
だが、どこへ?
デンバー?
ダラス?
サンアントニオ?
敵がその場所を知ればどうなる。
ワシントンと同じだ。
政府を一か所へ集めれば、巨大爆弾一発で合衆国政府そのものが消える。
ガーナーが目を開いた。
「電話を繋げ」
「どちらへ?」
「フィリピンだ」
側近が顔を上げた。
「マッカーサーを呼べ」
フィリピン、マニラ。
数度の中継を経て、ようやく回線が繋がった。
雑音が酷い。
『……こちらマニラ』
「マッカーサーか?」
一瞬、沈黙。
『ガーナー副大統領?』
ガーナーは少しだけ目を伏せた。
まだ向こうには情報が届いていない。
「違う」
『……?』
「大統領だ」
長い沈黙。
『ルーズベルト大統領は』
「分からん」
ガーナーは正直に答えた。
「ワシントンは壊滅した。ホワイトハウスとも連絡できない。生存確認もできていない」
『それでは――』
「議論は後だ、ダグラス」
声を強める。
「時間がない」
電話の向こうでマッカーサーが黙る。
ガーナーは地図を見た。
そして言った。
「合衆国政府をフィリピンへ移す」
今度の沈黙はさらに長かった。
『……もう一度お願いします』
「聞こえていただろう」
『聞こえました。だから確認しているのです』
マッカーサーの声が変わった。
『アメリカ合衆国政府を、フィリピンへ?』
「ああ」
『本土はどうされるのです』
ガーナーは答えなかった。
『大統領』
「……捨てる」
周囲の人間が一斉にガーナーを見る。
その言葉を実際に口にしたのは、これが初めてだった。
ガーナー自身も数秒、動かなかった。
アメリカ本土を捨てる。
自分が今、何を言ったのか。
誰より本人が理解していた。
マッカーサーの声が低くなる。
『合衆国本土を放棄されるおつもりですか』
「そうだ」
『私は反対です』
即答だった。
「そう言うと思った」
『西部にはまだ陸軍部隊が残っています。海軍も全滅したわけではありません。州政府も――』
「知っている」
『ならば――』
「だから逃がすんだ!」
ガーナーの声が響いた。
電話の向こうが静かになる。
「軍隊を捨てるんじゃない。国民を捨てるんでもない」
ガーナーは机を叩いた。
「土地を捨てるんだ」
『……』
「土地は取り返せる」
一拍。
「死んだ人間は取り返せん」
マッカーサーは答えない。
「ダグラス。敵は都市を消せる。空軍は勝てない。戦車も奴らの船には役に立たん。このまま本土に全軍を貼り付けて何になる?」
『戦います』
「そして?」
『……』
「全員死ぬまで戦うのか?」
ガーナーは続けた。
「それを勇敢とは呼ばん」
電話を握る手に力が入る。
「国を守るというのは、国土の一インチごとに死体を並べることじゃない」
マッカーサーがようやく答えた。
『では、どのように撤退させます』
ガーナーの表情が変わった。
反対から実務へ。
マッカーサーも決断したのだ。
「使える港を全部使う」
『海路ですか』
「民間船も徴用する。貨物船、客船、漁船――浮いていて太平洋を渡れるなら使え」
『全人口を運ぶことは不可能です』
「分かってる」
ガーナーの声が一瞬だけ弱くなる。
それこそが、この決断でもっとも残酷な部分だった。
一億を超える国民。
全員を逃がすことなどできない。
「西海岸まで到達できる者を優先する。軍は避難路を確保。海軍は輸送船団を護衛。ハワイを中継点にする」
『そしてフィリピンへ』
「ああ」
『フィリピンにも収容能力には限界があります』
「だからハワイにも残す。グアムも使えるなら使う。使える島は全部使え」
少し間を置く。
「それでも足りんだろう」
『はい』
「分かってる」
再び、その言葉。
今日だけで何度口にしたか分からない。
ガーナーは額を押さえた。
「だから世界に頼む」
『世界に?』
「そうだ」
ガーナーは側近を見る。
「英国政府へ連絡しろ。フランスにもだ。カナダ、オーストラリア、メキシコ――連絡できる政府全部だ」
側近が書き留める。
そして。
ガーナーの口が止まった。
一つだけ。
言いたくない国が残っていた。
側近も分かっている。
「……日本は?」
ガーナーが睨んだ。
誰も何も言わない。
太平洋。
アメリカがフィリピンへ政府機能を移すならば、無視できる相手ではない。
大日本帝国。
巨大な海軍を持つ太平洋国家。
アメリカとは利害が衝突し続けている。
満洲。
中国。
海軍軍縮。
太平洋の勢力争い。
決して友好的とは言えない。
ガーナーが葉巻を取り出した。
「……畜生」
火をつける。
「こんな日にまで政治をやらされるとはな」
側近が待つ。
「東京にも送れ」
「援軍要請を?」
ガーナーは煙を吐いた。
「そうだ」
『日本に軍事援助を求めるのですか』
電話の向こうからマッカーサーが口を挟んだ。
「ああ」
『彼らが何を要求するか分かりません』
「分かってる」
『フィリピンへ日本軍を入れることになれば――』
「ダグラス」
ガーナーが遮った。
「今アメリカを焼いてる連中は、日本人か?」
『……違います』
「英国人か?」
『いいえ』
「共産主義者か?」
『いいえ』
「だったら話は簡単だ」
ガーナーは敵の通信を流し続ける無線機を見る。
「今、人間同士で睨み合ってる場合じゃない」
マッカーサーは黙った。
「昨日まで日本が気に入らなかった。明日も気に入らんかもしれん」
少しだけ笑う。
「向こうだって同じだろう」
だが、その笑みが消える。
「今日だけは別だ」
ガーナーは側近へ命令した。
「日本政府へ正式な電文を送れ」
「内容は?」
ガーナーは考える。
そして、ゆっくりと言った。
「アメリカ合衆国は現在、人類に属さない勢力による攻撃を受けている」
側近が書く。
「主要都市多数壊滅」
ペンが止まりそうになる。
「ワシントン壊滅」
続ける。
「ルーズベルト大統領、生死不明」
ガーナーは一瞬目を閉じた。
「合衆国軍は抵抗中。しかし敵は我々を遥かに上回る航空兵器を保有している」
さらに続ける。
「よってアメリカ合衆国は――」
言葉が止まった。
この一文を世界へ送れば。
もう隠せない。
世界最強国の一つが。
敗北しようとしている。
ガーナーが目を開ける。
「……本土からの戦略的撤退を開始する」
側近が書き終える。
「そして最後に」
ガーナーは言った。
「大日本帝国政府ならびに帝国陸海軍に対し、可能な限りの軍事的援助を正式に要請する」
書き終わった。
部屋が静まり返る。
ガーナーが紙を見る。
屈辱的だった。
歴代の大統領で、こんな声明を出した者はいない。
アメリカが世界へ向かって。
助けてくれ。
そう言うのだ。
「出せ」
「大統領」
「出せ」
ガーナーはもう一度言った。
「プライドで戦艦は浮かばんし、国民も救えん」
通信員が電文を持って走る。
ガーナーは再び電話を取った。
「マッカーサー」
『はい』
「そっちはまだ青空か?」
マッカーサーが窓の外を見た。
マニラの空。
敵影はない。
『……今のところは』
「なら、その空を死んでも守れ」
『承知しました』
「今日からフィリピンは避難場所じゃない」
ガーナーはアメリカ本土の地図を見る。
「反撃のための本拠地だ」
『大統領』
「何だ」
『いつか戻ります』
ガーナーは黙った。
マッカーサーが続ける。
『本土へです』
ガーナーは葉巻を口から離した。
ほんの僅かに笑う。
「当たり前だ」
そしてテキサスらしい、荒っぽい口調で言った。
「俺は家をあの化け物どもにくれてやった覚えはない」
電話が切れる。
ガーナーは椅子へ座った。
その日のうちに、アメリカ政府から世界へ向けて声明が発せられた。
――アメリカ本土は、組織的な侵略を受けている。
――敵は人類ではない。
――ワシントンを含む複数の主要都市が壊滅。
――アメリカ軍は抵抗を継続中。
――しかし政府は、国家存続のため本土から政府・軍・民間人を可能な限り退避させる。
そして。
世界が最も耳を疑った一文。
アメリカ合衆国は、思想、民族、国家体制を問わず、すべての国家に共同戦線への参加を要請する。
その中には――
大日本帝国も含まれていた。
数時間前まで。
各国政府はアメリカから流れてくる情報を、混乱した非常事態の断片として受け取っていた。
もう違う。
アメリカ大統領自身が認めた。
アメリカは負けている。
そして。
人類以外の何者かが存在する。
その事実が世界へ伝わった瞬間だった。
ロンドン。
パリ。
モスクワ。
ベルリン。
ローマ。
そして――
東京。
電文を受け取った各国政府は、一斉に動き始める。
1936年1月1日。
昨日まで互いを仮想敵国としていた国々に。
同じ敵が生まれた。