戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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 特に理由はない。

 ただ、仕事そのものが、仕事で助ける人の命が、とても大切に思えるようになっただけ。

 気付けば子供で居た年月より、大人で居た年月の方が長かった。

 子供の頃に辛くて辛くて仕方がなかった想い出も、大人になればいつしか乗り越えていた。

 彼らはそう思いを馳せる。

 

 子供の頃は世界が無限に広く見えた。

 好きな友達と遊んで、好きなゲームをして、好きな漫画を読んで、行ったことのない場所に意味もなく行って、何もかもを見上げながら生きていた。

 大人になると、世界がとても小さく見えた。

 一つの仕事に腰を据えると、同じ人とばかり会い、毎日同じことの繰り返し。

 子供の頃に見上げていたものを、見下ろす毎日。けれど、何故かそれが悪く思えない。

 あの頃なら、子供の頃なら、そんな人生は嫌だと唾を吐いていただろうに。

 彼らはそう思いを馳せる。

 

「ざまあみさらせ……」

 

 焔から町の住民を逃し切り、甲斐名と天戸は倒れ込む。

 地に背を付ける彼らにもう立ち上がるだけの力はない。

 焔が崩壊させた建物による怪我、焔が加熱した物に触れ負ってしまった火傷、焔に爆発させられた破片により流れる血。あらゆる要素が、彼らを瀕死に追い込んでいた。

 天戸に至っては、両足が原型を留めていない。

 

 それでも、男達は吠える。

 街から逃げていく人々を見送り、街を蹂躙する焔へと、下に向けた親指を見せつける。

 

(てめえ)にくれてやる命なんざ、一つもねえんだよ」

 

 自分が死んで、あの子達は泣いてくれるだろうか。

 泣いて欲しい。でも次の日くらいには、ケロッとして笑っていて欲しい。

 それで十分だし、そうあって欲しい。子供にいつまでも泣いていて欲しくはない。

 いつか大人になって、「子供の頃は辛いこともあったけど、大人になった今は幸せだ」と言えるようになって欲しい。

 彼らはそう思いを馳せる。

 

 そして、動けなくなった彼らをじっくり焼き殺そうと、焔がその周囲に集まり――

 

「やらせません!」

 

 ――焔の合間をくぐり抜け、二人を回収し、離脱する忍者の姿があった。

 

「緒川、か……?」

「ひゅー、忍者すげえ」

 

「お二人とも、病院まで運びます!」

 

 大人二人を抱え、緒川は壁走りでビルを走り、水上走りで川を超え、時に電線の上を走って街中の焔の追跡をかわしていく。

 緒川ですら、人二人抱えた状態で触れたらアウトの焔を振り切るのは綱渡りだ。

 持ち運ぶ二人への負担にまで気遣う余裕はなく、二人がやがて速度の負荷に耐え切れず失神してしまう。二人の体から流れる血が、緒川を更に焦らせた。

 

(急がなければ……二人が事切れる前に、間に合うか……!?)

 

 不幸中の幸いは、先程まで数秒程度しか効いていなかったネガティブフレアへの影縫いが、今では十数秒と徐々に効果時間が伸びているということ。それだけだ。

 それは緒川の奮闘の効果が上がるということであり、同時にこの戦場のどこかで、オーバーナイトブレイザーを追い詰めている誰かが居るということを意味する。

 

(誰かがあの金色を倒さなければ、この悪夢は終わらない)

 

 被害を食い止めることしか出来ず、被害を食い止めるために真っ当に動けるのが自分しか居ないこの状況で、緒川は何も出来ない自分を思い歯噛みした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十三話:抗え、最後まで 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの日、時を遡って父と会話した日に、奏は救われた。

 父にかけられた声を、乗り越えて消し去った復讐心を、ゼファーに感じた恩を、撫でられた頭の感触を。奏はずっと忘れない。

 今だって、目を閉じればすぐに思い出せる。

 流石に戦いの中で目を閉じるほど、奏はバカな人間ではないが。

 

「ラストっ!」

 

 ドーム内に残った最後ノイズを叩き潰しながら、奏は思う。

 復讐者として復讐のために歌うのではなく、アーティストとして他の人に聞いてもらうために、戦士として何かを守るために歌える今が、本当に心地いいと。

 自分をそうしてくれた皆に、感謝の気持ちしか浮かばない。

 だから、そんな皆を守るために、今日も彼女は槍を振るうのだ。

 

「これで最後ね。奏、体調は?」

 

「バッチリだな。しばらくLiNKER使ってなかった分、いつもより調子がいいくらいだ」

 

 隣には相棒、翼も居る。

 両翼揃ったツヴァイウィングなら、どこまでも遠くへ飛んで行ける。

 両翼揃ったツヴァイウィングなら、どんなものでも超えて行ける。

 そう信じる奏は、翼が隣に居るというだけで、力が湧いてくる気がした。

 後は両翼を押す西風が、きっと待っているはずだと信じる、外の戦場に踏み出すのみ。

 

「これで後は、ドームの外に出て……」

 

「! 構えろ翼ッ!」

 

 だが、敵は彼女らが赴くまでもなく、ドームの上の空に現れる。

 ゼファーのナイトブレイザーに似た、けれど似ても似つかない邪悪な雰囲気を纏った、金と赤のナイトブレイザー……オーバーナイトブレイザーが、夕日をバックに佇んでいた。

 朔也から既に現状の情報は伝えられている。翼が忌々しげにその者の名を呼んだ。

 

「黄金の、ナイトブレイザー……!」

 

 奏が持つ稀代の戦闘者の感性は、敵に奇襲をする余地など与えはしないが、そんな彼女でもその敵がどのくらいの強さであるのか、明確には理解できずに居た。

 自分より強い、ということだけは分かる。

 だが正確なところが分からない。

 それは翼も同様であり、感じる不気味さだけが無制限に広がって行く。

 獣じみた鋭い感性をもってしても、相対した敵の強さを計る武人の感性をもってしても、その黄金の騎士は不気味な強敵であるとしか感じられなかった。

 

「―――!」

 

 そんなオーバーナイトブレイザーは、情け容赦無く先手を取った。

 黄金の右腕が振られ、腕の軌道に沿って紅色の焔が放たれた。

 焔は翼と奏の両名を飲み込み、すぐには死なない程度に焼こうと蠢いて――

 

「へっ、覚えとけ」

 

 ――歌の障壁、バリアフィールドに阻まれる。

 そして焔の中から飛び出して来た奏の投槍、翼の投剣を、その両腕でガキンと弾く。

 焔の中では、平気で生きている二人のシンフォギアの姿があった。

 

「シンフォギアは、ネガティブフレアの天敵なんだ、ぜッ!」

 

 更に跳んで来た奏の大槍を、手の甲で受け流すオーバーナイトブレイザー。

 だが奏は両手で槍を持っていると見せかけ、その実そう見せかけていただけで右手一本で振るっており、フリーになった左手の上に手のひらサイズの小槍を生成。

 小槍に付けたブースターをふかし、音速の倍の速度で射出して、敵の顔面にぶち当てた。

 ダメージこそそこまで大きくないが、オーバーナイトブレイザーは頭をのけぞらせる。

 頭をのけぞらせたまま放ってきた黄金のハイキックを、奏は後ろに跳んで回避するが、その鋭さと速さに前髪を数本持って行かれてしまう。

 

 オーバーナイトブレイザーは思考する。

 確かに焔は全力で撃ったわけでも、即死させるつもりで撃ったわけでもない。

 だがこれだけの対焔性能を持っているとなると、今の弱り切った自分の焔では、殺しきれないだろう……と。

 まるで"ネガティブフレアを使う者を殺す"ために作られたかのような、そんなシンフォギアのシステムが、オーバーナイトブレイザーの特性に刺さる。

 

 そして翼の『絶刀・天羽々斬』が、奏の『君ト云ウ音奏デ尽キルマデ』が、戦場に満ちる旋律となって奏でられ、鳴り渡る。

 

「ッ!」

 

 そこでオーバーナイトブレイザーの膝がガクン、と急に折れ、上体が落ちる。

 見れば翼が剣を地に突き刺していて、それと同時にオーバーナイトブレイザーの背後の地面から飛び出した剣先が、オーバーナイトブレイザーの膝裏を突いていた。

 翼はアームドギアを構成するエネルギーを地面の下を通して送り、真正面からの奇襲を成立させたのだ。並の相手ならば足を貫通して破壊できる一撃だが、この場はこれだけで十分。

 

 膝を折ったオーバーナイトブレイザーに、翼と奏の二人が迫る。

 二人はほぼ同時に、その黄金の顔に向かって、剣と槍による全力の刺突を打ち放った。

 

「!」

「!」

 

 だが、いとも容易く受け止められる。

 オーバーナイトブレイザーは右の手の平を顔の前にかざし、人差し指と中指で槍の先端を、薬指と小指で剣の先端を挟み止めたのだ。

 この二人の一撃は、数十トンの戦車とてひっくり返す威力がある。

 それをこんな止め方が出来るという時点で、とびっきりに異常な強さであった。

 

(! 来るッ!)

 

 そして二人の目の前で、オーバーナイトブレイザーの姿がぶれ、視界から消える。

 この黄金の騎士は、そのほとんどがゼファーのナイトブレイザーの上位互換である。

 高速移動能力に関してもそうだ。

 完成されたエネルギー運用能力により、アクセラレイター以上のスピード、焔の爆発による瞬間的な加速を超える加速力、縦横無尽な飛行能力の全てを兼ね備えている。

 しかも、ゼファーのように自らの肉体に負荷がかかるなどという欠陥は、一切ない。

 オーバーナイトブレイザーはゼファーの行き着く先の完成形の、更に先の域にある。

 

 二人の視界から消えるほどのスピードでオーバーナイトブレイザーは奏の背後に回り込み、その首へと豪快な威力の回し蹴りを放つ。

 ゼファーが命がけで至るスピードよりもなお速く、奏がLiNKERで命を削り得たパワーよりなお強く、才能の上に血を吐くほどの鍛錬を重ねた翼よりもなお重い、そんな一撃。

 それが奏の首に炸裂した。

 

「……お、そこか」

 

 だが奏は平然とそのキックに耐え、敵の位置を確認して振り向きざまに槍を振るう。

 槍先と黄金の鎧がぶつかり合い、火花を散らして耳障りな金属をかき鳴らした。

 続いて振るわれた翼の追撃をオーバーナイトブレイザーがかわした瞬間、翼と奏は打ち合わせもなく同時に跳んで、敵から距離を取って息を整える。

 翼は横目で平然としている奏を見て、また成長した彼女の技量に驚愕していた。

 

(まさか今の……奏は、バリアコーティングを何重にも展開したの!?

 一番下に硬いバリアを、その上に脆く壊れやすいバリアを何重にも重ねて……!)

 

 『破壊力』というものはその名の通り、物を破壊すれば失われてしまう力である。

 一部の防弾ジャケットや戦車の装甲はこれを利用し、わざと壊れやすい素材を使うことで、銃弾などの『破壊力』を奪うという概念を用いていたりする。

 奏はこれを参考にして、通常のバリアの上に脆いバリアを何重にも重ね、それがわざと壊れることで攻撃の威力を殺し、硬化させたバリアで防ぐという防御機構を構築していた。

 

 更には多重バリアの周囲1mほどに、ゼファーを参考にした音の探知網を形成。

 そこに敵が触れた瞬間、敵の攻撃の軌道を探知し、敵が攻撃して来る場所のバリア強度を高めて受け止めることが出来るという、鉄壁の防御システムを作り上げていた。

 この一連の防御機構は、高い出力を必要としない。

 必要とするのは高い技量だけだ。ゆえに、負荷がそれほど発生しない。

 LiNKER装者であるというのに、奏は正規適合者をはるかに超える防御力を手に入れていた。

 

 無論、ギアのシステムがこんなことをやってくれるわけがない。

 彼女が自分の技量だけで、これをやっているのだ。

 

 天羽奏は進化する。

 他人がどんな速度で成長しようとも、影も踏ませぬ勢いで、鍛える度に、戦う度に強くなる。

 そして、昨日までの自分を越えて行く。

 

(……この前のアースガルズよか、少し強いくらいか……?)

 

 そんな彼女が、オーバーナイトブレイザーの実力を正確に測り始めていた。

 同時に、敵が不調で実力を出し切れていないであろうことも。

 その上で、自分達よりも圧倒的に強いであろうことも。

 どう攻めるべきか、奏も翼も悩み始めた、まさにその時。

 

『すぐにつく。待っていてくれ』

 

 二人の耳元に、少年の声が聞こえた。

 奏が笑う。翼が笑う。

 二人は敵の圧倒的な強さに対する気怖じも、気後れも、弱気も無くなったかのように、勇猛果敢に踏み込んだ。

 

「ラインオン・ガングニール、天羽々斬!」

「コンビネーション・アーツ!」

 

 奏が振り上げた槍の上に翼が乗る。

 槍が振るわれると同時に翼は全力で跳び、奏のパワーも乗せたスピードで突撃し、横一閃。

 その横一閃に合わせ、ガングニールの爆発力で追いついた奏の縦一閃が折り重なる。

 

「「 デュアルブランドッ! 」」

 

 十文字の斬撃に対し、オーバーナイトブレイザーは拳を打ち付けた。

 天羽々斬とガングニールの出力を掛け算した必殺の一撃。

 にも関わらず、黄金の騎士の桁違いのパワーは、拳一つでそれを真正面から打ち砕く。

 

「きゃっ!?」

「うおっ!?」

 

 剣と槍は一撃で砕かれ、奏は横方向に、翼は上方向に吹っ飛ばされてしまう。

 そして容赦の無い追撃が来る。

 オーバーナイトブレイザーは規格外の脚力で跳躍、更に飛行能力で加速し、宙に舞い上げられた翼の心臓を貫かんと、手刀を肩口に引き絞る。

 

「……ほんっとうに、いっつも、タイミングがいいんだから」

 

 それが、悪手であるとも気付かずに。

 

「ツバサッ!」

「ゼファーッ!」

 

 笑う翼が、脚部の剣に添えられたスラスターをふかし、空中で踏み留まる。

 それと同時に、ドーム外から飛び込んで来たゼファーがその横にやって来る。

 

「ラインオン・ナイトブレイザー、天羽々斬!」

「コンビネーション・アーツ!」

 

 そしてゼファーが左手を、翼が右手をオーバーナイトブレイザーに向け、二人の向けた手の先に紅色と蒼色の入り混じった光球が出来て。

 

「「 シンフォニックレインッ! 」」

 

 下から飛んで来るオーバーナイトブレイザーに向けて、燃え盛る短剣の雨を降らせた。

 

 オーバーナイトブレイザーはそれを苦にもせず、翼もろともゼファーも殺してやるとやばかりに加速し、収束された炎剣の雨の中に突っ込んだ。

 取り出したるは焔の二刀"ナイトフェンサー"。

 シンフォギアには通用しないためにここまで抜刀していなかったそれを、黄金の騎士は信じられない速度で振り回す。

 遠目には光り輝く二刀の軌跡が繋がり、光の網のように見えるほどだ。

 

 それが数え切れない数のシンフォニックレインの雨粒を次々と切り裂き、一つ残らず切り潰し、ついにはオーバーナイトブレイザーを二人の前まで辿り着かせてしまう。

 だが、彼らは今日まで連携にて自分達より強い敵に勝って来た者達だ。

 そうやすやすとは、負けてやらない。

 オーバーナイトブレイザーが振るった手刀を、ゼファーと翼は互いに両足裏を合わせ、互いを蹴り飛ばすことで左右に跳んで回避した。

 

「カナデさんッ!」

「おう、ゼファーッ!」

 

 翼はドームの端に着地し、駆け出す。

 ゼファーは奏の近くに着地し、彼女の前で手と手の間に焔球を作る。

 奏が槍先を砲口に変形させ、ラインを繋げば、二人のコンビネーションアーツの準備は整った。

 

「ラインオン・ナイトブレイザー、ガングニール!」

「コンビネーション・アーツ!」

 

 空中から一瞬で地面にまで戻って来たオーバーナイトブレイザーは、その強靭な脚力で、撃たれる前にやるとばかりにゼファーと奏へ向かって走る。

 撃たれる前に殺られる……かと、思いきや。

 そこで翼が、蒼ノ一閃を斬り放った。

 人がゼリーの表面をスプーンで掬うように、オーバーナイトブレイザーが踏み込んだ地面がすっと抉られ、その足を取る。

 一秒か、二秒か。

 翼がそうして時間を稼いだ結果、二人の目の前で隙を晒すオーバーナイトブレイザーと、コンビネーションアーツの準備を終えた二人という、絶好のチャンスがやって来た。

 

「「 グングニルエフェクトッ! 」」

 

 完全聖遺物のエネルギーに、出力に優れたガングニールのエネルギーを乗算した焼却熱線。

 それがオーバーナイトブレイザーを飲み込み、焼いていく。

 だが流石は黄金のナイトブレイザーといったところか。

 パワー自慢の二人の連携攻撃を食らっても一歩も引かず、後ずさることすらせず、その場に踏み留まって極太ビームの全てをその身で受け止めていた。

 やがて、コンビネーションアーツの時間限界がやって来る。

 ビームが撃ち終えられた後も、オーバーナイトブレイザーはその装甲に傷一つ付いていない状態のまま、悠然とそこに立っていた。

 そして更に踏み込もうと、黄金の騎士が熱戦に阻まれていた視界を見渡せば――

 

「ラインオン!」

「ナイトブレイザー、ガングニール、天羽々斬!」

「コンビネーション・アーツ!」

 

 ――そこには、熱戦が発射されているさなかに合流した翼を加えた、三人が肩を並べていた。

 

「「「 ライアットフェンサーッ! 」」」

 

 ゼファーの全力の焔を付加された槍と剣が、X字を描いてオーバーナイトブレイザーの胴体に叩き付けられる。

 一人一人の力を千だと仮定したとしても、三人で乗算すればすなわち十億。

 インフレはなはだしい威力の一撃に、さしものオーバーナイトブレイザーも吹っ飛ばされ、ドームの壁に叩き付けらるのだった。

 

『よし、決まった……』

 

「いえ、まだです。なんというか、手応えが全体的に変ですね」

 

 通信越しの弱々しい朔也の言葉を、ゼファーが否定する。

 構えも解かず、隙も見せない少年少女達の視線の先で、のそりと黄金の鎧が立ち上がる。

 鎧に僅かな傷は付いていても、決定的なダメージは通っていないようだ。

 

「ダメージは通ってる、と思うんだが……」

 

『……ああ、データの上でも、ダメージはちゃんと通ってる。

 だけど、桁が足りてない。ダメージ量が足りてないんだ……』

 

 ゼファーの勘を、朔也がデータ分析を用いて裏付ける。

 これだけ浴びせても倒せない、でなない。

 もっともっと攻撃すればいつかは倒せる、なのだ。

 だがそれを、ゼファーの活動時間制限、奏のLiNKERの効果時間、オーバーナイトブレイザーに技を見切られるリスク、敵のスペックからして一撃で即死させられかねないという戦闘能力差……

 その他諸々の不安要素が、持久戦と根強い攻めという選択肢を選ばせない。

 

「ゼファー、あたしは一気に決めるしかないと思う」

 

「私もよ」

 

「……だな」

 

 ジャイアントキリングをしたいなら、実力差が出る持久戦はありえない。

 どうするべきか。奏の中で、取るべき手は決まりきっていた。

 

「ゼファー、やるぞ。エクスドライブだ」

 

「……!」

 

「それしかないだろ。あたしが気張らなきゃ、勝てそうにもない相手だ」

 

 天羽奏の弱点を塞ぎ、上位ゴーレム相手にだって勝機のある強さにまで引き上げる、奇跡の限定解除・エクスドライブ。

 確かに、出し惜しみが出来る状況ではないだろう。

 

「ダメだ」

 

 だが、ゼファーはその意見を却下した。

 人が意識的に奇跡をものにしようとしたならば、その代償は奏一人にのしかかってしまう。

 

「あの時以上の怪我、いや、あの時と同じ規模の怪我でもだ。

 俺はもう一度、ブレードグレイスで治せる自信がない……絶対に、日常生活に後遺症が出る」

 

「だけどよ……」

 

「ダメだ。俺が許さない」

 

 ブレードグレイスは万能でも何でもない。

 多大な代価を支払って、ほんの少しだけ他人の傷を治すこともできる技。

 自分の体でないものを治すには、限界があるのだ。

 奏の傷がアースガルズ戦の時よりもほんの少し深くなってしまっただけで、おそらくは治せなくなってしまうだろう。

 ゼファーは、そう合理的に判断したように聞こえる言葉を吐く。

 それが、本当は合理的な判断など欠片も介在していなくて、"この人を死なせたくない"という本音の表面だけを取り繕った、感情的な判断だったとしても。

 

「ゼファーがそう判断したなら、私もそれが正しいんだと思う」

 

『俺も、ゼファー君の勘を信じる』

 

 翼は、朔也は、ゼファーの言葉を信じて賛同する。

 奏があの時と同じ怪我を負って、そのまま死んでしまう可能性があるということだけは、本当だったから。

 

「……分かった。なら、"こっち"はいいだろ?」

 

 自分の身を案じてくれる仲間達にむず痒い気持ちになりつつ、やりにくそうにしながら、奏はポケットの中に手を突っ込む。

 そこから取り出した錠剤を二袋開け、奏は一気に喉の奥へと流し込んだ。

 

『奏ちゃん!? それLiNKER―――!』

 

 奏は既に一回分のLiNKERを服用している。

 この効果が切れた後、体内洗浄をしなければ命が縮まる。LiNKERはそういう劇薬だ。

 ならばその効果が切れない内から、更に二回分のLiNKERを服用したら、どうなるか?

 当然、ゼファーと翼の目の前で、奏は鼻と口から血を垂らし始める。

 

「奏ッ!」

「カナデさんッ!?」

 

 胸に手を当て、そこに走る痛み、不規則に脈打つ心臓を意識して制御して、奏はオーバードーズによる負荷を乗り越える。

 危うく生死の境を彷徨いかけたが、奏はどうやら一回分で人を殺してしまうだけの劇薬を三回分飲むという賭けに勝ち、相応の力を手に入れたようだ。

 無茶をして乗り越える。こういうところが、彼女が稀代の天才たるゆえんなのだろう。

 

「……へっ、三倍だ。これでなんとかなるかもな」

 

「なんて無茶を……!」

 

「オーバードーズだけの損傷ならどうにか治せんだろ。見逃してくれや。

 直接的に体の中がズタズタになる、エクスドライブの負荷よりはマシなはずさ」

 

 ぐしぐしと血を拭い、奏は平然といつもの様子で笑う。

 リーダーにこう言われてしまえば、翼もゼファーも止められない。

 二人とも奏が大好きだから、なんだかんだで、肯定してしまう。

 

「終わったらすぐに、病院行ってくれよ」

「戦いが終わったら、首に縄つけてでも、私が連れて行くから」

 

「おおこわいこわい」

 

 大槍をくるりと回し、立つ奏。

 奏の背中を見る二人は、頼りがいのあるその背中が好きだった。

 今までも好きだったのに、その背中を見る度に、もっと好きになれた。

 だからその背中を見ながら、彼女の号令を聞くと、いつだって負ける気がしなかった。

 

「行くぜ、お前らぁッ!」

 

 踏み出す奏に合わせ、その後にゼファーと翼が続いて駆け出す。

 向かうは迎撃の体勢を取っている、オーバーナイトブレイザー。

 奏は胴を突く刺突を放ち、翼は右からすれ違いざまに首を切り落とす軌道の斬撃を放ち、ゼファーは左から右足によるローキックを放った。

 

 それをオーバーナイトブレイザーは、真正面から受け止める。

 右手で槍先を掴み止め、左手で刀を掴み止め、右足を振り上げ蹴りを受け止める。

 そして三人では追いつけないほどのスピードで、拳撃と蹴撃を放った。

 翼とゼファーが吹き飛ばされ、奏は防御を成立させてなんとかその場に踏み留まる。

 

 ゼファーは持ち前の装甲と、腕によるガードでなんとか気絶を回避する。

 だが腕が痺れ、蓄積されたダメージで身体が動かなくなって来たことを感じ取る。

 残り時間も、もう残り一分しかない。

 翼は瞬時に刀を盾にして、刀が折れた瞬間腹にバリアフィールドを集中して攻撃を受け止め、身体をよじってその威力の大半を受け流していた。

 それでもダメージは大きく、敵との格差を強く実感してしまう。

 

(俺の装甲で、これか……!)

(私はちゃんと受け流したのに、このダメージ……!)

 

 吹き飛ばされた二人が戻って来るまでのほんの数秒の間に、奏とオーバーナイトブレイザーは火花を散らす。比喩表現的な意味でも、物理的な意味でも。

 橙の槍と黄金の拳がぶつかり、音に火花に衝撃波。

 攻撃同士がぶつかり合う余波だけで、地は裂け空に砂が舞う。

 

 奏には攻勢に回っている間だけ異様に強いという、イントルードという技がある。

 それゆえに奏は、全ての防御と回避を捨てていた。

 足を止め、攻撃のみで戦闘を成立させていた。

 

 オーバーナイトブレイザーの拳が来る。奏の槍が斬撃にて弾く。

 オーバーナイトブレイザーの脚が迫る。奏の槍が刺突にて弾く。

 オーバーナイトブレイザーの肘が飛ぶ。奏の槍が石突にて弾く。

 奏のそれは防御ではなく、紛れも無く攻撃だ。

 だからこそ、奏が攻撃を弾くその度に、オーバーナイトブレイザーは少しずつ傷付いていく。

 

 奏が命がけの均衡を成立させ、たった一人でも数秒持ち堪えてくれたために、ゼファーと翼の合流も間に合った。

 

「シッ!」

 

 先に到着したのはゼファー。

 そのアッパーがオーバーナイトブレイザーの左腕をかち上げ、こじ開けられたガードの隙間に奏の槍が滑り込み、黄金の胴体を薄く切り裂く。

 オーバーナイトブレイザーはそこで、左の手首だけをスナップする。

 ただそれだけ、手首の力だけで打たれた打撃が、ゼファーを地面に強烈に叩きつけた。

 

「ぐあぁッ!」

 

 だが、どんなに強い敵が相手でも、彼らは諦めない。

 オーバーナイトブレイザーの背後に回った翼の大剣が、十分な速度と力を乗せられた上で、黄金の右カカトに命中。その足を払う。

 体勢が崩れたところに奏がまた槍を突き、顔面に当て……ようとしたが、なんとオーバーナイトブレイザーは、首に付いていた赤いマフラーを生物のように動かして、その槍先を受け止めた。

 

「!?」

 

 そして、奏の首を吹き飛ばすだけの威力を宿した拳を突き出す。

 奏は一瞬の判断で槍を手放し、拳をバック転でかわし、同時にカカトのヒールを槍の形状に変えて、バック転の過程でオーバーナイトブレイザーのアゴに打ち付ける。

 奏のカカトの槍は黄金の騎士のアゴをほんの僅かに欠けさせ、その顔を打ち上げた。

 翼はその隙を突いてもう一撃、と動こうとするが、オーバーナイトブレイザーのマフラーが振るった奏の槍に吹っ飛ばされた。

 マフラーの槍が奏の意志で霧散して、少年少女は立ち上がる。

 

「ハァ……ハァ……! まだ行けるか、ゼファー! 翼!」

 

「ぐっ……ずっ……まだまだ行けるさ! 俺達なら!」

 

「はぁ、はぁ、はぁ……勿論よ!」

 

 オーバーナイトブレイザーは思う。

 何故これだけ、食い下がられるのかと。

 弱っているとはいえ、こんな虫けらに食い下がられるほど、自分は弱くないはずだと。

 この『諦めない心』は、勝利の可能性など無いはずなのに、どこから湧いてくるのかと。

 これがかつて、父たる魔神を討った力なのだろうかと。

 そんなことを考えるオーバーナイトブレイザーの脳裏に、ふと、一つの感情が生まれた。

 

 その感情の爆発に逆らわず、魔神の端末は、負担も消耗も考えない、全力の一撃を放った。

 

「―――! 避けろッ!」

 

 黄金の鎧が光り輝き、そこから360°全てに光弾が放たれる。

 狙いなど付けていない全方位爆撃。

 それも一発一発がバニシングバスター級という、反則の中の反則だった。

 

「絶対当たるなよ、二人ともッ!」

 

 歌を歌いながら、首を縦に振って返答とする二人の少女。

 光弾はドームの壁に当たり、当然ドームの壁ごときで止まるわけがなく、突き抜けていく。

 地上300mという会場の立地条件も相まって、壁を貫いた光弾はそのまま一直線に空の彼方――地球外――に飛んで行く。

 地球が丸いということが、横一直線に飛んで行く、この光弾の被害を抑えてくれていた。

 

「きゃあああああっ!?」

 

「うわあああああっ!?」

 

 ゼファー、奏、翼は見事に全ての光弾をかわしていく。

 だが、かわせない者も居る。

 隠れていた響と、動くこともできなかった朔也の二人だ。

 ここに来て、最悪のタイミングで、最悪の状況で、響の存在が認識されてしまう。

 

(生存者!?)

 

「ヒビキッ!? なんでここにッ!」

 

(しかもゼファーの知り合いかよ!)

 

 翼は遠すぎる。ドームの反対側だ。

 ゼファーの腕は燃えている。抱えた人間を焼いてしまう可能性がある。

 それゆえに、動けるのは奏しか居なかった。

 "あたしに任せろ"と目で伝え、奏は歌を奏でながら、響と朔也を回収する。

 だがこの大規模攻撃は、更なる被害を発生させてしまっていた。

 

(会場が……崩れる!?)

 

 地上300mに作られた、十万人以上の人間を収容できる大規模ドーム、及びそのドームを支えるライブ会場そのものが、落下していく。

 容積500万立方メートルの、何万トンあるか見当もつかないほどの大質量が、街に落ちていく。

 これが落ちれば、街が終わる。

 二課の人員や、観客の皆が全員避難を終えていることだけが救いだったが、そんなものは焼け石に水程度の不幸中の幸いでしかない。

 

「あああああああああああッ! ゼファーッ! 戦場に刃鳴裂き誇る(Gatrandis babel ziggurat edenal)―――」

 

 翼はレイザーシルエットを起動し、会場から巨大な剣を生やして地に突き刺す。

 密度を極力まで抑えた300mサイズの剣が生え、棒高跳びで人を押す棒のように、地に突き刺さった剣がドームを海の方向に倒していく。

 だが上手く倒れず、町の方に倒れそうになってしまう。

 

「ダメ押しだッ! ゼファーッ!」

 

 そこで奏が翼と同じようにドームから槍を生やして、地に突き刺す。

 

「ふざけんな、野郎……ッ!」

 

 そしてゼファーが、街の側から海に向かって、会場を全力で押す。

 ドームの外壁に手をやり、焔を噴出して空を蹴り、会場を押すことなど、ゼファー以外の誰にできようか。ゼファーは命を燃やし尽くす勢いで、会場を押して跳ぶ。

 三人の決死の行動により、会場は滑るように倒れながら、海に落ちて行った。

 

「よ―――しッ!?」

 

 だが一息つこうとしたゼファーの腹を、オーバーナイトブレイザーが蹴り飛ばす。

 空高くへと吹っ飛んでいったゼファーは、今は海上に浮かんでいる元ドームの中に落下した。

 

「ゲホッ、ゲホッ……づ……」

 

「ぜ、ファー……う゛……」

 

「……あたしら、どうにもハメられたようだぜ」

 

 ゼファーが周りを見れば、脂汗をかいて左腕が変な方向に曲がってしまっている翼、顔が赤く腫れている奏の姿があった。

 今、ゼファーが蹴られたのと同じ。

 街の被害を抑えるために動いた隙を突かれ、全員順繰りに一発づつオーバーナイトブレイザーに攻撃されてしまったようだ。

 少し離れたところには、戦えない二人の人間。

 ゼファーは残り活動時間が15秒。

 翼は片手が折れ、レイザーシルエットの負荷で息も絶え絶え。

 奏は三倍のLiNKERによるオーバードーズで、上記二人より体調が悪い。

 勝てる要素が加速度的に消えていく。

 おそらくは次の一撃が、最後の連携攻撃になるだろう。

 

「分かってるよな、ツバサ、カナデさん」

 

「ええ」

 

「……オーラスだ、決めようぜ」

 

 作戦を練る時間はない。

 今まで練習した連携のどれもが通用しそうにない。

 なればこそ。

 今まで連携してきた全ての練習、実戦を下地とした、新たなる連携をここで披露するしかない。

 それは限りなく不可能に近い難行で、彼らにとっては息をするように可能なことだった。

 

「行くぞッ!」

 

 先頭はゼファー。その後に翼が続き、最後に奏が続く。

 後のことを考えないアクセラレイター五倍加速。

 全身の関節が、内臓が、ねじ切れるように痛むが、それを無視してゼファーは背中で焔を爆発。

 その推進力を得て、自身の最高速度を叩き出した。

 最大に加速した状態で、右肩後と右肘後で焔を爆発。

 その推進力で、目にも留まらぬ焔の手刀を突き出す。

 

「―――!」

 

 しかし、オーバーナイトブレイザーには通じない。

 黄金の騎士はナイトブレイザーの手刀を右手で掴み取り、そのまま小枝でも折るかのような気軽な仕草で、掴んだ四本の指を、引きちぎった。

 

「ぐああああああッ!」

 

 引きちぎった後、拳でゼファーを地面に叩き付け、地面に転がす。

 上がる悲鳴に、オーバーナイトブレイザーが仮面の顔でほくそ笑む。

 

「―――指ぐらい、くれてやるよ」

 

 それがゼファーの捨て石でしかないのだと、気付きもせずに。

 引き千切られ、オーバーナイトブレイザーによって握られているゼファーの指から、焔が吹き出した。それも攻撃力よりも色の濃さを重視した、視界を塞ぐための焔だ。

 地面に叩き付けられた仰向けのゼファーの視界の中に、視界を塞がれたオーバーナイトブレイザーの姿が見える。

 

 ここが、勝負の賭けどころだった。

 

 ゼファーは地面に背を預けたまま、バニシングバスター・コンビネーションアーツ・バージョンの発射準備をする。

 ゼロ距離から放たれる、仲間に当たらないように起動調整された一撃だ。

 翼はレイザーシルエットを再度起動。左腰に鞘のアームドギアを作り上げ、刀のアームドギアを収め、その中に膨大なエネルギーを注ぎ込む。

 鞘の中で圧力を増したエネルギーは、抜刀と同時に剣を恐ろしい速度で撃ち出して、その斬撃と重なるように圧縮されたエネルギーの刃を発射する。

 『蒼刃罰光斬』という、翼が作り上げたレイザーシルエット専用の必殺技だった。

 奏は上記二人よりももっとシンプルに、格別頑丈な槍を作って、そこに全てのエネルギーを込めて、オーバーナイトブレイザーへと投擲した。

 

 光の粒子砲、蒼の閃光、橙の槍がオーバーナイトブレイザーへと迫る。

 

「「「 これで決まれッ! 」」」

 

 三つの攻撃は黄金の騎士へと直撃して、そして―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が起こったのか。

 見えていたのは、天羽奏ただ一人だけだっただろう。

 三人の攻撃が当たった、と思われたその瞬間。

 オーバーナイトブレイザーの全身が光り輝き、噴出した焔を纏った火の鳥のような姿へと変わった上で、全ての攻撃に耐え切ったのだ。

 そしてゼファーに軽く一撃、翼に軽く一撃を入れ、奏の目の前に舞い降りた。

 

 翼は軽く触れられただけでかなりのダメージを受けたのか、ドームの壁に叩き付けられたまま動かない。ギアもその内解除されてしまうだろう。

 ゼファーに至ってはバニシングバスター発射後の、変身解除直前に食らったのだ。

 ここまでさんざん無茶をしてきたツケも有り、完全にノックダウンされている。

 ゼファーが一度変身を解除させられた後、そこから一時間の間を置かず再変身すれば、死体は絶対に残らない。櫻井了子は、そう言っていた。

 

 つまり、もう奏しか満足に戦える人間が残っていない。

 

 先程オーバーナイトブレイザーが撃った爆発の決め技(ファイナルバースト)は、ゼファーのバニシングバスターと同類の技だ。

 発動すれば、大きな負荷となる。

 それでも変身が解除されないのは、ゼファーと違い未熟ではないからだろう。

 されど、負荷がなくなったわけではない。

 この瞬間まで当ててきた全てのダメージは大なり小なり蓄積されているし、虫の息だった状態は限りなく瀕死に近い状態まで悪化しているはずだ。

 あと少し。

 あと少しで、現段階のこの宇宙では並ぶ者が居ないほどの強者は、倒れる。

 

 その『あと少し』が、果てしなく遠かったとしても、だ。

 

(あたしがやるしかねえか)

 

 奏は勝利を信じていた。

 今の段階で彼女の勝利の可能性など、10%もないだろう。

 だが仲間と共に自分より強い敵に勝って来た、勝率一桁の勝負に勝ち続けて来た彼女にとって、こんなものは困難ですらない。

 

 奏が槍を構え、黄金の騎士と相対する。

 黄金騎士も、拳を構えて奏と相対する。

 二人はそうして、正々堂々真正面からぶつか……りは、しなかった。

 魔神は悪辣だった。

 魔神の端末も、悪辣だった。

 どこまでもその者達は、最悪にして邪悪だった。

 

 オーバーナイトブレイザーの指が、ぼーっと戦いを見ていた響へと向けられる。

 

「! テメェッ―――!」

 

 奏がオーバーナイトブレイザーと、響の間に立ち塞がる。

 オーバーナイトブレイザーが、その指先から熱線を放つ。

 

 それを、その場の皆が見ていた。

 

 

 

 

 

 朦朧とする意識の中で、風鳴翼は過去のことを思い出していた。

 奏と出会ってから今日までの、幸せな記憶を思い出していた。

 

 

―――真面目がすぎるぞ?

 

 ああ、そうだ。

 私は奏によく真面目すぎるって言われてたっけ。

 直そうと思っても直せなくて、その内、ゼファーに何か言われて、私は私でいいって思って……

 

―――ま、それはそれでいいのかもな。翼らしいや

 

 奏に、そっちも不真面目なところを直そうって言って、笑い飛ばされて。

 不真面目なところも奏の魅力なのかな、って思えるようになって。

 私の真面目なところを好きになってくれた理由が、ちょっとだけ分かったんだ。

 

―――翼は泣き虫だな

 

 奏はいじわるだ。

 私が泣いてしまうと、奏はすぐからかってきて、慰めてくれる。

 だから一人で泣いている時よりずっと早く、立ち直れたんだ。

 思えば私は、ゼファーの前より、奏の前で泣いたことの方がずっと多い気がする。

 ……泣いているところを見せたくない友達と、泣いているところを見せても構わないと思える友達の違いかな?

 やっぱり、私にとって奏は特別なんだ。

 一番の親友なんだ。

 

―――翼はすっげえなあ

 

 もっと褒めて欲しい。

 強くなったことを、褒めて欲しい。

 認めて欲しい。見て欲しい。

 だって、一番の親友だから。私は奏が大好きだから。

 

―――さあ、行こうぜ翼。ゼファーが待ってる。

 

 

 そして、翼は目を覚ます。

 

 

 

 

 

 立花響は、何が何やら分からなかった。喋る余裕すらなかった。

 戦況はめまぐるしく入れ替わり、ただの人間でしかない響は戦いの流れを視認することさえままならず、気付けば奏に抱えられて運ばれているという始末。

 戦いの中で、何度か呼ばれていたゼファーの名だけが、彼女の意識をこちら側に留めていた。

 

(ゼっくん!? どこ、どこ!?)

 

 彼が居れば、助けてくれる。

 彼が居れば、守ってくれる。

 彼女の中には、そんな根拠の無い信頼があった。

 あの日川で溺れていたところを助けてくれた日に芽生え、ゼファーがノイズから助けてくれた日に育ち、彼と過ごす日々の中で育まれていった気持ちがあった。

 

―――

 

「背も伸びた。体も出来てきた。最近はできることも増えてきたんだ、俺」

 

「『次』は俺一人でも、ヒビキが溺れてたらちゃんと助けられる。絶対に、絶対にだ」

 

―――

 

 彼は約束を守ってくれるはずだと、響はそう信じている。

 その気持ちが裏切られるなどとは、毛の先ほども思わずに。

 その寄りかかる姿勢がゼファーに対し重荷になるなどと、針の先ほども思わずに。

 響は子供だ。加え、生来真っ直ぐな気性を持っている。

 だから純粋に、疑いもなく、真っ直ぐに、何も考えずに信頼を寄せられる。

 

 ゼファーを信じた、そんな彼女に、向けられる熱線。

 それが飛んで来たのと、心奪われた輝きのアーティストが自分の前に立ち塞がったのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 藤尭朔也は、頭の回転が速い。

 計測器という目を通して戦場も見ている。

 だから誰よりも早く、"来たる結末"というものが見えてしまった。

 なのに、何も出来ない。何かできる力がない。

 息を吸うにも一苦労で、息を吸わないと大声も上げられなくて、一歩動くだけの力もない。

 壁に背を預けたまま、彼の心は言葉にならない悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーはオーバーナイトブレイザーのファイナルバーストを喰らい、ぶっ飛びそうになった意識を、歯を食いしばってなんとか繋いだ。

 腹が抉れ、ネガティブフレアがそこで燃えている。

 そんな状態で、ふらふらと揺れながら、ゼファーは何とか立ち上がった。

 敵のネガティブフレアは消せないが、今日まで焔を制御してきた日々のおかげか、ゼファーは何とか侵食の速度を抑えることに成功していた。

 

(身体を……まず……治すんだ……じゃないと、再変身もできない……)

 

 状況は最悪だ。

 了子の信頼を裏切るということは最悪の選択肢であると、そう理解した上で、ここでブレードグレイスを使わなければ最悪の結末が待っていると、ゼファーは確信していた。

 ゆえに、胸に手を当て、傷を一瞬で治そうとする。

 

「ブレード……え?」

 

 だが、何も起こらない。

 力が高まらない。力が流れていかない。

 気付けばゼファーの再生能力、意図して使う範囲の直感が、扱えなくなってしまっていた。

 

(……まさか……まさかまさかまさか、技をッ!?)

 

 ネガティブフレアは負の感情を糧として燃え盛る、時間・空間・概念全てを燃やす焔にして、燃やしたいものだけを燃やせる選択の焔だ。

 だから当然、"技という概念"を継続して燃やし続ければ、その人間は『技』が使えなくなる。

 そんなデタラメを、ゼファーの腹の上で燃えている焔が成しているのだ。

 

 変身はできるかもしれない。

 最初から鎧の機能として搭載されていたバニシングバスターも使えるかもしれない。

 だが、ゼファーはあと一時間は変身できないので意味が無い。

 ブレードグレイスも使えない。そこから生まれる再生能力も使えない。

 絶招も使えない。格闘技も、銃技も使えない。

 そしてこの焔の侵食は、ゼファーが死ぬか、オーバーナイトブレイザーが負けるまで消えはしないだろう。今のゼファーは、限りなく無力な少年だった。

 この先、誰か一人でも致命傷を負えば、その人間の死の運命は覆せない。

 

「! テメェッ―――!」

 

 それでも、奏の声に反応し、彼は駆け出した。

 恋した人を守るために、自身の日常の象徴を守るために。

 オーバーナイトブレイザーが熱線を撃とうとしているのを見て、ゼファーは一安心した。

 

(よし、あの焔の応用技なら、バリアフィールドは抜けない――)

 

 そして、その手の中に転がっている黒い何かを見て、息を呑んだ。

 

(――俺の、指)

 

 内的宇宙に逃がさないように、黄金の騎士が握っていた黒騎士の指。

 それが熱線により、撃ち出される。

 熱線という棒に、アガートラームの指先という穂先を付け、槍とするかのように。

 

 ナイトブレイザーの指先は、庇いに動いたゼファーの右胸を貫いて、防御に構えた奏の槍を貫いて、奏の胸のど真ん中を貫いて、その後に居た響の胸を貫いて、壁に突き刺さる。

 

「―――あ―――」

 

 ロードブレイザーがそう望んだ通りに。

 オーバーナイトブレイザーがそう望んだ通りに。

 "ゼファー"が、奏と響の二人を殺す。

 

「いやあああああああああああッ!!」

 

 翼の悲鳴が上がる。

 

「ゼファーく……ぐ、奏ちゃ……!」

 

 朔也の苦悶の声が、苦しげに、悲痛げに、漏れて流れる。

 

「カナデさ……あ、ヒビキ、あ……そんな、そんな……」

 

 ゼファーの声に、絶対的な負の感情が流れ込む。

 

「ふ、ざ、け、ん、なぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 彼の内的宇宙で、それを食らったネガティブフレアが火勢を数十倍に増して行く。

 

「っ、やめるんだ、ゼファー君……もう一度アクセスしたら……君の身体が……」

 

「ぁぁぁぁぁアァクセェスッ!!」

 

 命を捨てた再変身。

 過度な負荷で肉体がボロボロと崩れ落ちていく音を聞きながら、ゼファーは、それでも構わないと、そう思っていた。

 この敵を殺せるのならそれで構わないと、そう思っていた。

 

「バニシングッ! バスタァァァァァァァッ!!!」

 

 変身と同時に、最大最強の威力を持つ粒子砲を放つ。

 ゼファーの負の感情を食らったバニシングバスターは、普段の数十倍の威力を秘めていた。

 まるで、彼の憎悪をそのまま破壊力に変換しているかのように。

 ……なのに、だというのに。

 

 ナイトブレイザーは、ネガティブフレアに強い。

 そういう装甲をしている。でなければ、自分の火で自分が燃えてしまうからだ。

 ゼファーとて、そうかもしれないという予想はあった。

 だが、目の前の光景に「こんなのはあんまりだ」と思う権利くらい、あったっていいはずだ。

 

「……なん、で、だよ……」

 

 オーバーナイトブレイザーは、バニシングバスターを片手で造作もなく防いでいた。

 掲げられた右の掌が、粒子砲を遮っている。

 やがてゼファーの方が負荷に耐え切れずダウン、変身解除。

 攻めていた方のゼファーが満身創痍で倒れ、黄金の騎士は平然と立ち続ける。

 ドームの中に並ぶ屍、瀕死の人間の中、ただ一人だけ立っている。

 

「ちくしょう……!」

 

 もう誰もが助からない。

 ゼファーの前で彼の大切な人達は皆殺され、ゼファーは絶望させられた後に殺され、オーバーナイトブレイザーは残された力で街の生き残りを殺し尽くすだろう。

 今日のダメージが抜ければ、全人類を焼却するために動くかもしれない。

 絶体絶命。

 絶望。

 心を押し潰す、現実という絶対的な暗い闇。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――生きることを、諦めるなッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それを消し飛ばす、大きな声が響き鳴り渡る。

 この場に居た全員の心に、その声が染み渡っていく。

 

「……! まさか、奏……!」

 

「……後悔はねえ。思い残すこともない。悪くない人生だった」

 

 奏は胸に大穴が空いた状態で、槍を構える。

 既に瀕死だ。その命は数分と持つまい。

 オーバーナイトブレイザーも、奏に何の力も残されていないことを、確信していた。

 だから迎撃の構えすら取らない。

 

高く―――(Gatrandis―――)

 

「いけない、奏ッ! 歌ってはダメぇッ!」

 

――奏でる――(――babel――)

 

 奏は翼を見て、微笑む。

 オーバーナイトブレイザーを睨み、槍を向ける。

 そしてゼファーを見て、今まで一度も見たことのないような表情の、笑顔を見せた。

 

――明日の―(――ziggurat――)

 

(やめろ……やめてくれ……)

 

 ゼファーは肺に穴が空き、再生能力が働いていない自分の身体が二連変身によりボロボロと崩れ落ちるのを感じながら、むせこみ、それでも彼女の身を案じる。

 やめてくれと、心で叫ぶ。

 そんなことをしたら、限りなく低くても、そこにあった助かる可能性が、ゼロになってしまう。

 

(やめてくれ……俺、まだ、あなたに伝えてないことが、沢山っ……!)

 

―――調べ(―――edenal)

 

 命を燃やす、最後の歌。

 第二種適合者の奏にとっては、自殺と同義の『絶唱』。

 それも、奏が自らの命の一滴も残さないと決め、放たれた最大威力の絶唱だった。

 

「―――!?」

 

 甘く見ていたオーバーナイトブレイザーは、それを真正面から食らってしまう。

 奏の絶唱は、彼女の槍のアームドギアの特性の延長にある、突破力・貫通力に秀でたドリル状のエネルギーを放つ一撃。

 たった一撃に全てを込めるこの絶唱は、純粋な破壊力では並ぶものが存在しないほどのものだ。

 それが、オーバーナイトブレイザーの装甲をガリガリと削っていく。

 大気も、地面までもを巻き込んで、空間ごと抉っているのではないかと、見る者に錯覚させる脅威の一撃。

 奏の命の全てを込めた一撃は、欠片の聖遺物を使っているだけだというのに、完全聖遺物のエネルギーを上回るほどの威力を発揮していた。

 

 ここまでオーバーナイトブレイザーは、徹底してクリーンヒットを避けてきた。

 コンビネーションアーツは装甲表面に焔を圧縮して防御していたし、大技の連携はファイナルバーストで防ぎ、バニシングバスターも掌一点集中の焔で防御していた。

 だが、ダメージは蓄積される。

 ファイナルバースト然り、大技の負荷は常に溜まっていく。

 皆がオーバーナイトブレイザーに立ち向かった戦いの全ては、無駄にならない。

 その全ては、ここに来て初めて当たったクリーンヒットの瞬間に、集約される。

 

 奏の絶唱が終わった瞬間、オーバーナイトブレイザーの全身の装甲にヒビが入った。

 今まで蓄積されたダメージが、一発のクリーンヒットで目に見える形で表出したのだ。

 まぐれ当たりでもいい、偶然でもいい、大技が当たればと、朔也が言ったのは正しかった。

 奏の命を引き換えに放たれた一撃が、希望をくれる。

 

「立てぇッ! あたしの親友たちッ!!」

 

 奏が叫ぶ。

 その声に、ゼファーと翼が応え、限界を超えて立ち上がった。

 

「っ、ッ、ぅ……奏ッ!」

 

 翼が涙を流し、奏の名を呼び、歌う。

 もう奏は助からない。

 それが分かっていても、翼は手を止めることを許されない。

 ここで泣き出して、膝をついて、俯いてしまったら……それこそ、奏が何のために命を燃やしたのか分からなくなってしまうから。

 翼が剣を振ると、オーバーナイトブレイザーが腕でそれを防ぐ。

 パキン、と黄金の装甲が砕けて割れる。

 

(こいつが、こいつが―――奏をッ!)

 

 フラフラの体で、更に逆羅刹。

 翼のギアはもうズタボロで、ところどころが解けかかってしまっている。

 それでも剣だけは形を保たせようと、歯を力一杯食いしばる。

 されど、オーバーナイトブレイザーは無情で無慈悲だ。

 逆羅刹の二刀を両腕で掴むと、そのまま握り潰してしまう。

 更にはそのまま拳を振るい、翼の両足の骨を折ってしまった。

 

「い、ぎっ……!」

 

 これで無力化した、とオーバーナイトブレイザーは気を抜いた。

 両足は折れ、ギアは七割がた解除されてしまっている。

 あとには聖遺物も扱えなくなった、歩けもしない小娘が一人残るだけ。

 ……そんな風に、風鳴翼を甘く見た。

 

「負け、るかぁッ!!」

 

 翼は足そのものを芯にして、剣のアームドギアを生成。

 足を包むようにして作られた剣は生の足の状態を問わず、地に立つ鉄の足となる。

 そして翼の手に握られる、短刀型のアームドギア。

 翼は短刀の"柄頭"から蒼ノ一閃を放ち、蒼ノ一閃をブースターのように使って、短刀を凄まじい勢いで押し出した。短刀がオーバーナイトブレイザーの胸部を砕き、刃を押し込む。

 

「穿てぇぇぇぇぇぇッ!」

 

「―――!」

 

 オーバーナイトブレイザーはまるで亡霊にすがりつかれた人間がそうするように、慌てて翼の襟元を掴み、放り投げる。

 翼は身に纏うギアの九割が消滅していたが、それでも短刀の形成維持は根性で続ける。

 短刀はオーバーナイトブレイザーの胸部を貫くことなく、されど突き刺さったままそこにある。

 黄金の騎士はその短剣を抜こうとして――

 

「お前だけは」

 

 ――眼前に迫るゼファーの存在に、その時ようやく気付いたようだ。

 

「お前だけは、許さない……!」

 

 怒り狂うゼファー。

 その心臓は、既に『止まっていた』。

 ゼファーは今この瞬間、『死んでいた』。

 その結果、奇跡が起きた。

 生命体を対象として発動していたらしい、ゼファーの腹の上で燃えている"技封じの焔"が、ゼファーに対して効力を発揮しなくなったのだ。

 

 今なら自分にブレードグレイスも使える。

 だが、自分にブレードグレイスを使ってしまえば"生き返って"しまい、この焔が再度ブレードグレイスを封じてしまう。

 だからゼファーは、自分の体を治さず、今は攻める。

 この敵を倒し、皆の傷を治すまで、ゼファーは自らの傷を治すわけにはいかないのだ。

 心臓が止まってから、人間がどれだけの短時間を生きられるのか、そのことを意図して思考から排除して。

 

 ゼファーは拳を振り上げる。

 狙うは、攻撃を食らった直後でろくに動けない状態のオーバーナイトブレイザー。

 狙うは、奏の絶唱が当たった中心、そこに刺さっている翼の短剣。

 

「これがッ!」

 

 奏が叫び。

 

「私達のッ!」

 

 翼が叫び。

 

「絶招だぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」

 

 ゼファーが叫ぶ。

 

 奏の絶唱に始まり、ゼファーの絶招に終わる連携。

 それがオーバーナイトブレイザーの胸部に炸裂し、今度こそ、決着に足る一撃を叩き込んだ。

 ゼファーの腕の骨が砕ける。

 それと引き換えに、それだけのパワーを込められた一撃は、短刀を押して胸部を貫通させた。

 現時点での宇宙で最も強い生命体を敗北させたのは、ただの人間の、ただの拳だった。

 

 オーバーナイトブレイザーは思う。

 何故これだけ、食い下がられるのかと。

 弱っているとはいえ、こんな虫けらに食い下がられるほど、自分は弱くないはずだと。

 この『諦めない心』は、勝利の可能性など無いはずなのに、どこから湧いてくるのかと。

 これがかつて、父たる魔神を討った力なのだろうかと。

 そんなことを考えるオーバーナイトブレイザーの脳裏に、ふと、一つの感情が生まれた。

 

 それは、『恐怖』。

 

 自分より弱いものが、どんなに攻めても心折れず、諦めず。

 数を集めて、力を合わせて、奇跡を起こして、圧倒的に強い自分が殺される……

 そんなありえない"現実"に、"人間"に、黄金の騎士は『恐怖』を抱いたのだ。

 

 だから、逃げた。

 

「! 逃げやがった……!」

 

 空の彼方に消える黄金。

 またいつか、奴は来る。

 そんな確信が、死んだことで蘇ったゼファーの直感により、彼の胸中に生まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーは倒れる。

 腹にはネガティブフレア。現在進行形で燃え続けている。

 右腕は粉砕されていて、右胸には大穴が空いていて呼吸も出来ない。

 心臓も止まっている。

 アクセラレイター、焔の体表での爆発、二回のバニシングバスターの負荷。

 死体が絶対に残らない、と言われた二連続変身の負荷でグズグズに崩れていく体。

 これだけの満身創痍で倒れない方がおかしい。

 

 そんな体で、ゼファーは地面の上をずりずりと這いながら、翼に抱きしめられている奏の方に向かって行く。

 翼と奏は話しているが、どう見ても翼の方は気が動転していて、冷静な判断が出来る状態ではないようだ。

 翼は両足と片腕が折れた状態で奏を抱きしめている。

 朔也は失血死寸前の状態で、青い顔をして壁に背を預けている。

 奏は絶唱の莫大な負荷のせいで、体の端から光の粒になり始めている。

 響は胸に大穴を空けられた状態で横たわり、死んだようにピクリとも動かない。

 

(手が……手さえ届けば……ブレードグレイスで……)

 

 そんな状態で、真っ当に動いてくれない頭で、ゼファーは奏の下に向かおうとする。

 手を伸ばす。届かない。

 這って動く。間に合わない。

 

「―――」

 

「―――」

 

 奏と翼が何かを話しているが、ゼファーの耳には届かない。

 

(嫌だ、嫌だ、死なないでくれ……)

 

 這う。ゆっくりと、ゆっくりと、間に合わないくらいに遅い速度で。

 手を伸ばす。奏の手を、最後に握りたいと、ほんの少しの恋心な下心も込めて。

 

(……おねがいだから……)

 

 あと少し、と言うには、あまりにも遠い距離。

 

(……おれのだいすきなひとを、これいじょううばわないでくれ……)

 

 ゼファーの手が届くことは、なく。

 天羽奏の体は、死体すら残さず、光の粒になって風に乗り吹き散らされた。

 

「奏ぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」

 

 翼が悲鳴を上げる。ゼファーの心にも、体にも、声を上げるだけの力は残されていなかった。

 一度手を繋いだなら、繋いだ手は離さない。

 そんな覚悟は。手は届くことすらなく、手を繋ぐことすら出来ないという現実に阻まれた。

 阻まれてしまった。

 その手は繋がれぬまま、死という壁に阻まれてしまったのだ。

 

『お前と関わらなければ、死ななかっただろうにな。かわいそうに』

 

 どこからか、声がする。

 

『触れるものを燃やすお前のその腕が、誰の手を取れるというのだ?

 誰を抱きしめられるというのだ? お前のその手は、何も繋げはしない』

 

 ゼファーにしか聞こえない、声がする。

 

『お前と私が、生きている限り』

 

 邪悪としか言い様がない、不気味な熱を孕んだ声がする。

 

「ああ」

 

 その声を聞いて、ゼファーの口から声が漏れた。

 

 ゼファーは思う。

 奏にエクスドライブを許可していたら、万に一つの可能性でも皆で生きて帰れたのだろうかと。

 彼は奏の命を案じて、エクスドライブに許可を出さなかった。

 あれは、本当は、自分のエゴだったんじゃないかと……ゼファーは思う。

 初恋の人を自分の手で殺したくないという、エゴだったんじゃないかと、彼は思う。

 奏にエクスドライブをさせなかったのは、冷静な計算が理由でもなく、メリットとデメリットを計算した上での選択でもなく、ただ感情的に"そうしたくなかった"というだけの話で。

 初恋の人に死んで欲しくなかった、傷付いて欲しくなかったというだけの話で。

 だから彼女は死んだんじゃないかと、ゼファーは思う。

 

 あそこでエクスドライブをすれば、ひょっとしたら、もしかしたら、奇跡的にどうにかなったかもしれないのに……だなんて。

 他人に話せば一笑に付されるくらい、馬鹿で自虐的な考えに溺れていく。

 ゼファーは考える。

 奏が生きられた可能性を、万分の一の可能性でもありえたならば、その可能性を考える。

 だって、

 

(可能性は、ゼロじゃない)

 

 奏が生きられた可能性は、ゼロじゃないはずだと、ゼファーはそう信じたかったから。

 暴走する思考の中で、それだけは信じたかったから。

 他の方法を選んでいれば、助かっていたはずだと、そう信じたかったから。

 

 "奏を死なせたくないと、初恋の人を生かしたいというゼファーの気持ちが、彼女を殺した。"

 それがゼファーの中で、真実して固定され始める。

 

 その気持ちの根幹は、奏の間接的な死因。

 奏の胸を貫いた、ナイトブレイザーの指先。

 『奏をゼファーが殺した』という、彼につきつけられた現実と、そこから生まれる罪悪感だ。

 それが彼を苦しめて、彼の頭の中の思考を、片っ端から同じ方向へと引っ張っていく。

 

「……あれ……?」

 

 いつものゼファーなら、この思考を自分の中に押し留めて、本当にどうしようもないところまでこじらせていただろう。

 だが、ゼファーは不思議な感覚を覚える。

 自分の中で爆発した感情が、自分の中で堂々巡りをせずに、どこかに出て行っている。

 感情が鬱屈せず、どこかへと抜けていく。

 

 

 

「……俺、泣いてる……?」

 

 

 

 ゼファーは頬に手を当て、その時ようやく、自分が泣いていることに気が付いた。

 

「止まれ……止まれよ……! 泣いちゃダメなんだよ、俺は……!」

 

 涙を流すこと。

 それはゼファーという少年の禁忌。

 

 彼が最後に泣いた時、それはリルカ・エヴァンスが死ぬ前だ。

 なんてことはない。彼は忘れていたかったのだ。

 リルカという少女の死に、泣かなかった自分を。

 それからどんな人間の死にも泣かない事で、自分を誤魔化したのだ。

 

 ハンペンが死んでしまった時。

 ビリーが死んだあの時、ジェイナスが死んだあの時。

 クリスとバーソロミューが、あの研究所の仲間が、焔に飲まれて消えてしまった時。

 ベアトリーチェの死に傷付き、マリエルをその手で殺した時。

 セレナが目の前で光に還っていった時。

 どんなに辛いことがあっても、ゼファーは泣かなかった。いや、泣けなかった。

 泣いてしまうと、壊れてしまう思いがあった。

 涙を流すことで、否定してしまいそうな想いがあった。

 ゼファーの深層意識は、こう思っている。

 

「大切な人が死んだ時、自分は泣かなかった」

「ならこれから先、自分が人生の中で誰かの死に涙を流してしまったら」

「……まるで……」

 

「その人と比べれば、かつて死んでいった人達が大切でなかったみたいじゃないか───?」

 

 死んでいった人達が増える度、人の死に泣いてはいけないという想いは強くなる。

 ビリーが死んだ時に泣けば、それはリルカの死に感じた悲しみを否定するようで。

 ジェイナスが死んだ時に泣けば、リルカとビリーの死に感じた悲しみを……という悪循環。

 最初の歪みは、死を重ねる度に大きくなっていった。

 

 ゼファーは泣かない。

 クリスの死にも、セレナの死にも、友達の死にも家族の死にも仲間の死にも、泣かなかった過去の自分を覚えているから。

 悲しくても辛くても泣いてしまえば、泣かなかった『あの時の悲しみ』を、相対的に貶めてしまうような気がしてしまうから。

 

「止まれ、止まれ、止まれ……!」

 

 だが、彼は泣いた。

 本当に辛い時、本当に悲しい時、本当に苦しい時、心が壊れる前に感情を『涙』として外に吐き出すことが出来るようになった。

 それはこれまで死んだ誰よりも、奏の死に対し悲しみを覚えたということだ。

 これまで付いたどの傷よりも深い傷が心を抉り、それが心の歪みを切除したということだ。

 大切な人が死ねば涙を流す"まともな人間"に、彼がまた一歩近付いたということだ。

 

「カナデさん……カナデさ……あ、あああ、ぁ……」

 

 涙を流し、嗚咽を漏らすゼファー。

 十年分の涙が、人の死に涙しそうになる度に溜め込まれていた涙が、一斉に流れ出す。

 

「……ゼ……く……」

 

 だが、今はまだ、ただ涙を流すだけの時間は許されない。

 どこからか聞こえてきた、聞き慣れた声にゼファーは反応し、顔を上げる。

 

「この、声、ヒビキ……生きて……」

 

 ゼファーの視線の先では、胸に大穴が空いたままほんの僅かに身じろぎをしている響の姿。

 悲痛な現実が彼の心を傷付け、魔神が望む方向へとゼファーの思考をねじ曲げかけた。

 だが、それも一瞬のこと。

 己の涙と、響の姿が、彼が"堕ちきる"前に踏み止まらせた。

 

 響の方へと這いずって移動する、心臓が止まったまま、死体のままのゼファー。

 その肉体に走る苦痛は想像を絶するものだろうが、『奏の死』というこれ以上ない痛みを感じている今のゼファーには、無いに等しいものだ。

 そんな彼の背中を通して、彼の胸の中に、光の粒が吸い込まれていく。

 ゼファー以外の皆は、苦痛で気絶しているためにそれが見えていない。

 彼自身も、背中側であるために見えていない。

 だがその光の粒は確かに、一つ残らずゼファーの胸の中に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――生きることを、諦めるなッ!」

 

 その声が胸の中で何度も反響して、立花響は『生きることを諦めなかった』。

 彼女の耳にその声が届いていなかったなら、響は生きるために抗うということをしないまま、もうとっくに死体になっていたかもしれない。

 意識を取り戻した響は、胸の激痛に涙を流し、心の中で助けを求める。

 

(……たすけて……)

 

 声に出さねば、助けを求める祈りは誰にも届かない。

 それが摂理だ。だが、この世界には、口に出さなかった祈りも聞き届けてくれる者が居る。

 響はそれを知っている。

 川で溺れたあの日、その者に助けられた記憶を、彼女が忘れられるわけがない。

 

「助かりたいなら、手を伸ばせ! ……諦めるなッ!」

 

 横合いから飛んで来た声に応えて、響は横に手を伸ばす。

 その手に誰かの手が触れて、繋いだ手から伝わる何かが、響の傷を癒していく。

 

(……あったかい)

 

 やがて、響の手を取ってくれた誰かが、響の視界の中に入ってくる。

 その誰かは、腕から流れる血を、響の胸の穴の中に流し込んできた。

 その血が体の中に流れ込むと、体中を巡るその人の血が、体の中の傷を治してくれるのが、何故か響には実感できた。

 

(ああ、ゼっくんだ)

 

 その人の顔を、響はよく知っている。

 繋いだ手から流れ込む、暖かい何か。

 胸の穴から流れ込む、傷を癒してくれる暖かい血。

 それに何より、流れ込んで来る暖かな気持ちが、響の心を安心させてくれるのだ。

 

(あの時と同じだ)

 

 助けを求めれば、助けに来てくれる。

 いつだって彼は、彼女のためのヒーローだった。

 響に弱い面など見せはしなかった。

 

(一人で助けてくれるって約束してくれたもん。

 だから、いつだって助けてくれるって、信じて――)

 

 なのに、立花響のヒーローは。

 彼女を助けながら、見たこともないような顔で、泣いていた。

 

(――なんで、泣いてるんだろう……)

 

 その時のゼファーの表情も、響は生涯忘れることはないだろう。

 仮面の下で泣きながら戦っているヒーローの、仮面が剥がれたその瞬間を。

 泣きながら自分を助けようとする男のその表情を、目に焼き付いたその表情を、忘れない。

 その表情の意味を彼女が知るのは……ずっと、後のことになる。

 

 

 

 

 

 あるいは、死者十万人を超えるかもしれなかった大災厄は。

 あるいは、二課の人間が皆死んでいたかもしれなかったこの事件は。

 あるいは、人類がこの日に全滅していたかもしれない、魔神の端末との戦いは。

 この日、こうして終わりを迎えるのだった。

 

 

 




歪みの終わり、初恋の終わり

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