戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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 今でもオリジナルキャラの名前は全部ワイルドアームズから縛りは続けているのですが、いい加減名前あてクイズじみてきたゾ(ミカ並感)
 モブの南さんとか女子なのにジェレミィ・ナンからですからね


4

 一番傷付いていたのは誰だったのだろう。

 

 翼にとって、奏は"誰よりも大切な"が頭に付くくらいの親友だった。

 そしてゼファーは、その奏と比べても優劣をつけようとは思わないくらいに、大切な友だった。

 ゼファーの人間関係に例えるのなら、翼にとっての奏とゼファーは、ゼファーにとってのクリスとセレナに等しい。

 ならば。

 戦いが終わり、ゼファーより先に目が覚めた翼の目には、どんな世界が映ったのだろうか?

 

「……うそ……」

 

 翼は二課の設立前から、二課が風鳴機関であった頃から、そこに通い続けていた。

 だからエージェントも、オペレーターも、研究者も、ほぼ全員が翼と知り合い。

 十年以上もの間優しくしてくれた、そんな大人達だったのだ。

 そんな人達が、30人近く一度に死んでしまった。

 人の気配がまばらになった二課本部を見渡して、翼は涙をこらえる。

 

 傷付き、包帯を巻き、それでも仕事という責務を果たし続ける二課の大人達。

 それに背を向けて、翼は地上の病院に向かう。

 目指した病室のベッドには、今も目を覚まさないゼファーが横たえられていた。

 日毎に身体のどこかに傷が生まれ、日毎にどこかの傷が治り、普通の人間ではあり得ないような形で生死の境を彷徨っている。

 その少年の惨状が、奏の命を助けようとして、助けられなくて。自分達の命を助けようとして、助けてくれた。……そんな彼の頑張りのツケなのだと、翼はちゃんと理解していた。

 これで彼が死んでしまったらと思うと、翼はもう二本の足で立てる自信がない。

 涙をこらえて、翼は苦しそうな少年の顔を見つめる。

 

 病室に誰かが近づいてくる気配がしたので、翼はその人物の視界に入らないよう早めに病室を出て、足音を消し足早に屋上へと向かう。

 屋上には憎らしいくらい青い青空と、洗濯済みの純白のコントラストが広がっていた。

 翼の他には誰も居ない。

 ただ、屋上の真ん中にぽつんと落ちていた一枚の白い羽が、過去を彼女に突き付ける。

 翼の親友、天羽奏は、死んでしまったのだ。

 涙をこらえる。もう、限界ギリギリだ。

 

 病院の屋上からは、壊れた町並みが見えた。

 見下ろせば、病室や中庭に、数え切れないくらいの怪我人が見えた。

 翼は自分の姿を、その場で見直す。

 ゼファーに治された結果、傷一つ残らなかった自分の身体を、見下ろすように見つめる。

 

 死んでしまった人、傷付いた人、もう二度と目覚めないかもしれない人、壊れた街。

 翼が「この身を盾としてでも」と決意し、守ろうとしていたもの。

 傷付いた大切なものを前にして、自分の傷一つ付いていない身体を見て、申し訳なさと後ろめたさで翼の心は痛みに痛む。

 いっそ大きな怪我でもあれば、もう少しは自分を許せたかもしれないのに。

 

「……私は……私は……!」

 

 翼は屋上の手すりにぶら下がるように掴まり、力なくその場に膝をつき、うなだれ涙を流す。

 

「人を守れと育てられ、望んでその責任を果たそうと覚悟していたはずなのに、私は……!」

 

 『守る』ということを第一とし、そのために積み上げ、そのために覚悟し、守るべきものを見据えていた防人だからこそ。この喪失が、突き刺さる。

 

「何を守れたって言うのよ……!」

 

 防人"以外"が傷付き、防人は傷一つ残らなかった、この結末が。

 奏の背を、ゼファーの背を追っていた翼に、一つの転換点を与えた。

 

(!)

 

 またしても近付いて来る人の気配を感じ、翼は咄嗟に干されているシーツの合間に隠れる。

 シーツが屋上に居た翼、屋上に来た誰かの姿を覆い隠し、互いの姿を目に入れない。

 翼が耳を澄ましていると、屋上に来た誰か――声は少女のそれだった――は、誰かの名を呼びながら、涙声で嘆き始めた。

 

「響ぃ……ゼっくん……」

 

(―――)

 

 名も無き、どこかの誰か。

 これもまた翼が守りたかったもの。

 凡庸で平和で幸せな毎日だからこそ、それは剣が守る意味がある。

 だからこそ、守れなかった後悔がある。

 後悔から生まれる決意がある。

 

(変わらないと)

 

 翼はその場で、拳をぎゅっと握り締めた。

 

(今よりも、もっと、奏やゼファーの分も、一人でこなせるくらいに―――!)

 

 その日から、戦いにおいても、喋り方においても、在り方においても、「あの二人を真似る」「自分の中にあの二人の長所を足して補う」という思考を前提とした、彼女の修行が始まった。

 

 

 

 

 

 そうして、彼女は戦場(いくさば)に一人立つ。

 横にも、前にも、後にも、誰も居ない。

 寂しさと痛みを感じながらも、翼は「今日からは自分一人で戦わねば」と己に言い聞かせる。

 片や死に、片や死に体。

 戦場で翼と肩を並べてくれた二人の戦友は、もう共に戦える状態ではないのだから。

 

『ツバサちゃん、ゼファー君が変身しようとして倒れたわ。援軍は期待しないで』

 

「!」

 

 その言葉に、戦いの最中に翼の足が止まる。

 ノイズへと向かおうとしていた足が、ゼファーが居る方向へと向かおうとしてしまう。

 けれど、急を要する事態ならば了子がそう言っているはずだと、そう信じて、そう自分に言い聞かせて、翼はノイズに向かって踏み出した。

 

 耳元に了子からの通信が届き、翼はゼファーの事情を聞き、歯噛みした。

 曰く、全ての喪失と死別を受け入れられなければ、彼はもう一度ナイトブレイザーになることができないとのこと。

 翼は、ゼファーから奏に向けられていた恋心を知っていた。

 ゼファーが悩みと無縁で居られない人物であることを知っていた。

 彼のズタボロな身体の現状を知っていた。

 だから、彼がそれを受け入れられるとは、到底思えなかった。

 自分も奏の死を始めとする痛みを受け入れられていなかったから、尚更に。

 

「……そんなもの、受け入れられなくて当然です」

 

 もう戻って来なくていいと、翼はゼファーに対し思う。

 もう戻って来ないで欲しいと、翼はゼファーに対し思う。

 

 戦うのは自分だけでいい。

 もう友を戦場に立たせたくはない。

 だって……だって、死んでしまうかもしれないのだから。

 また、抱きしめた腕の中から消えて行く友を見なければならないかもしれないのだから。

 

 もう二度と、この戦場に自分以外の人間を立たせてはならない。

 そう決意して、風鳴翼は剣を振るう。

 

「二度と泣かぬと決めた。私はそう、決めたのだ」

 

 もう二度と泣かないと、そう決めた翼が放つ『千ノ落涙』。

 まるで自分が泣くことを許せない翼の代わりに、天羽々斬が泣いているかのようだ。

 西洋刀サイズの剣が雨あられと、こぼれ落ちる涙のように降り注ぎ、小型のノイズ達を切り裂き貫いて行く。

 

 大切な人を災厄に奪われた翼は、止まらない。

 災厄(オロチ)殺しの逸話を持つアメノハバキリを振るい、眼前のノイズという災厄に八つ当たりをするように、苛烈な感情を技に込めていく。

 

 怒りを込めた『天ノ逆鱗』は大型ノイズを貫通し、その衝撃波で中型ノイズが千切れ飛ぶ。

 アームドギアを巨大化させ、それを射出、飛び蹴りでダメ押しに敵に押し込むという、今までの翼のどの技よりも火力のある大技だ。

 千ノ落涙が小さな墓標に、天ノ逆鱗が大きな墓標にすら見えて来る、その空間。

 人目に触れぬこの戦場で、翼は地に突き立った剣の一つの、その柄の上に華麗に降り立つ。

 

「念仏は唱え終わったか」

 

 残った僅かなノイズを前にした翼が発する鬼気迫った雰囲気は、相対したのがノイズではなく人であったなら、身震いしてその身を竦ませていたであろうほどに恐ろしい。

 落涙は、翼が感じた死への悲しみを技に昇華させたもの。

 逆鱗は、翼が自分自身と敵に感じた怒りを技に昇華させたもの。

 共に、風鳴翼の心の一部であった。

 

「散華なさい、悪鬼羅刹共」

 

 涙を、怒りを、剣に変えて。今日も翼は戦い続ける。

 ギアの下の胸に、奇跡的に形が残っていた、奏の壊れたペンダントも吊り下げて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十四話:たった一つの冴えた贖罪 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風鳴翼が『その場所に居たのに』という後悔を抱えていたならば、小日向未来は『その場に自分が居なかった』という後悔を抱えていた。

 あの時、響を誘わなければ。

 あの時、親戚の見舞いに行こうとしていた両親の誘いを断っていれば。

 あの時、せめて自分が響よりも重い傷を因果応報で負っていたなら。

 もしもあの時、もしもあの時、もしもあの時……と、何度も何度も悩まずにはいられない。

 力の無い彼女では、あの場に居ても足手まといが一人増えただけで、状況は更に悪くなっていただろう。それも彼女は、"何かが変わった可能性"を考えずにはいられない。

 

 そんな未来を見かねて、両親は未来に『ホタル祭り』に行ったらどうかと、提案してみた。

 意外にも東京でホタルを見られる場所というものは多い。名の知れたスポットだけでも、両手では数え切れないほどにあったりするのだ。

 特に今年は遺伝子操作技術により生まれた、とてつもなくタフでとても綺麗に光るという生殖能力のないホタルが、賛否両論の中、川に放たれるということでかなり話題になっていた。

 未来も、ニュースで見たそれに興味がなかったわけではない。

 だが塞ぎ込んでいる今の彼女に、両親が提示した気分転換では届かない。

 

「二人が目を覚まして元気になるまで、そういうのいい……」

 

 両親の心配はつのり、未来はますます自分の殻の中に閉じこもっていく。

 そんな時。

 未来の携帯に、一本のメールが届いた。

 

「……。……? ……! ……っ!」

 

 未来はそのメールを見て、飛び起きる。

 そして両親の話を思い出し、メールを女子中学生屈指の超スピードで打ち込んで、返って来たメールに目を白黒させて、何度かメールを交わした後に外行きの服に着替えて駆け出した。

 行き先、及び誰と行くかを出立直前に娘に告げられた小日向夫妻は、塞ぎ込んでいた娘の突然の復活にギョッとして、すぐに邪推に邪推を重ねた生暖かい笑顔を浮かべる。

 それを見なかったのは果たして彼女にとって幸運だったのか、不運だったのか。

 

(えっと……あそことあそこで乗り換えて……)

 

 未来は電車を乗り継いで、目的地へと向かう。

 駅から駅へ。駅を降りたら、道から道へ。

 そうして彼女は人が沢山集まっている、長い長い川の前に辿り着いていた。

 待ち合わせ場所でキョロキョロと周囲を見渡す未来に、背後からかかる声。

 

「よっ」

 

 声の方に未来が振り向けば、そこには松葉杖を使い立っているゼファーの姿があった。

 

 

 

 

 

 メールの会話は、要約すれば「会って話がしたい」という彼のメールから始まった。

 未来はどこかに誘おうとするが、響のことを思い出し、躊躇う。

 文の行間からそれを読み取ったゼファーが未来に、「どこかに誘ってくれ」と場所の指定を任せた時、未来の心臓はどれだけ早鐘を打っただろうか。

 

「じゃあ、嫌な思い出は今日塗り潰すってことで」

 

 未来の"他人を誘うことへの恐怖"を察し、そんなことをメール越しに言ってくるゼファーに対して、未来は呆れた顔で肩の力を抜く。

 そして、両親に聞いていたホタル祭りに彼を誘ったのだ。

 ゼファーがレセプターチルドレンとの交流を終え、未来を誘ったのが夕方だったこともあって、二人が現地で合流したのはちょうど日が落ちた頃。

 見物客がずいぶんとたくさん集まった頃だった。

 

「夏場は日が落ちるのが遅いな。やっぱ、まだ俺は四季ってやつに慣れてないみたいだ」

 

「夏冬のゼっくんは時々死んでるもんね」

 

「春と秋だけでいいと思うんだけどな……」

 

 ゼファーが暗くなって転びやすくなっている足元を見て、未来に手を差し伸べる。

 未来はそれを気恥ずかしさから断り、一言礼を言って彼の横に並んだ。

 川沿いを歩く少年と少女の周りを、光るホタルが軽やかに飛び回る。

 

「俺、ホタル初めて見たよ」

 

「そうなの? なら、誘って正解だったのかな」

 

 かつてのゼファーの世界は狭かった。

 けれど新たな地に辿り着く度に、特にこの国に辿り着いてから、彼の世界はどんどん広がって行く。知らない喜びも、知らない幸せも、知らない景色も、知らない痛みも、知らない苦しみも。

 彼の世界が広がる度に、彼が知ることは増えていく。

 ゼファーは自分が初めて見る世界の中で、未来にこれからの話をしようとしていた。

 

「それで、私に話って何?」

 

「響が起きる前に、しておきたかった話があったんだ」

 

「……!」

 

 今日、彼がマリアとした話と似たような、けれど絶対的に違う話を。

 

「俺も、ミクも、たぶんだけどさ……

 ヒビキが起きたら、最初に言うことは同じだと思うんだ。

 『ごめんなさい』って言うと思う。違うか? 違ったら、悪い」

 

「―――!」

 

 違うわけがない。

 未来は響を誘ったことを。

 ゼファーは響を守れなかったことを。

 響が起きたなら真っ先に、土下座してでも謝ろうとしていたのだから。

 

「……ヒビキに責められたら、その時は謝ろう。でも」

 

 人が傷付いた時。

 その人が嬉しい気持ちになる時は、"自分のせいだ"と誰かに謝罪を貰った時ではない。

 "あなたが生きていて嬉しい"と誰かからの愛を貰った時だ。

 ゼファーが謝ったところで、未来が謝ったところで、響は二人のせいじゃないと言い、責任を感じる二人に対し戸惑うだけだろう。

 

「俺達はまず、自分のことを謝るんじゃなく……

 あの子が生きてくれたことを、生きていることを、祝って感謝すべきだと、そう思った」

 

「……ゼっくん」

 

「生きていてくれてありがとうって、喜ぼう。それを最初にしよう。

 俺とミクはヒビキの生還を喜ぶより先に、最初に謝りかねないからさ」

 

 二人はそれぞれ、響に対して絶対に謝らなければならないと思っている。

 だが、絶対に謝らなければならないと思うと同時に、謝られても響は戸惑う以上の感情を感じることなく、自己満足に終始しかねないということも分かっている。

 

「うん。そうしよっか」

 

 だから未来は納得し、了承した。

 二人は立花響の親友である。

 そして共に、響に謝らなければと思っている人間でもある。

 互いが考えをすり合わせるのに、そう時間がかかるわけがない。

 

「次があったら……ヒビキにも見せたいな。このホタル」

 

「そうだね。私もそう思う」

 

 二人は川に沿って、道行く人々とすれ違いながら、ホタルを眺めていく。

 顔の前にふよふよと浮いたホタルが居て、ゼファーが何気なくその下に手を広げる。

 すると、ホタルがその手の上に降りて、小さく瞬き始めた。

 

(傷だらけの、俺の手)

 

 手の平の上の、小さな光。

 

(その手の上に、今……)

 

 彼の手からは、多くのものがこぼれ落ちていった。

 技も、積み上げてきたものも、命も、恋も。

 多くの光が、彼の手の中から滑り落ちていった。

 

(決して消えない星がある)

 

 それでも、残ったものは確かにある。

 目には見えない大切なものが、その手の中には残っている。

 彼の手の中でまだ消えていない光。

 奏との日々の想い出。奏と過ごした時間の記憶。奏への思い。

 死していない命。踏み躙られなかった希望。終わることなく続いていく明日。

 まだ、それらは彼の手の中にある。

 

(消えない光は、きっとこれだけじゃない)

 

 どんなに必死になったって、掌からこぼれ落ちるものはある。

 掬えなかったものもあれば、救えたものもある。

 救えなかったものもあれば、掬えたものもある。

 救えなかった命も、掬い上げられなかった者達も居る。

 だが、それでも。

 その手の中に、残ったものはあるのだ。

 彼が伸ばした手の中から、こぼれ落ちていない光だってある。

 

(まだ、俺の手の中には、こぼれ落ちてないものが、光が、きっと―――)

 

 『それ』を守ると、彼は決意を鍛え直す。

 たとえ、人の運命をねじ曲げる魔神の熱が、この地にほんの少し残っていたとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔神の焔は運命を捻じ曲げる。

 人の幸運を焼き尽くし、不運のみを残す焔だ。

 それはナイトブレイザーの焔にもない特性であり、オーバーナイトブレイザーの焔にすらほんの少ししか宿されていない特性。

 それゆえに、"不幸をほんの少し引き寄せる"程度のものだった。

 最悪なことに、それが年々増しているノイズの出現率というこの世界の現状と、局所的に合わさってしまう。

 

「―――おい」

 

 遠く遠く、小山の斜面にノイズの姿が見える。

 警報が鳴り響く。人々が戸惑い、次いで悲鳴を上げる。

 ノイズが斜面を駆け下りて来て、ホタルを見るために集まって来た人々に向かって一直線に、全速力で向かってくるという絶望。

 

「うわぁぁぁぁぁッ!」

「嘘だろこんなの!?」

「たす、たす、助けてぇー!」

 

 先日の大災厄で『死』というものへの他人事感が薄れ、死を身近に感じるようになってしまった人々の心に、絶望が広がって行く。

 そして、絶望したのは人々だけにとどまらず。

 

「あはは……響は、"私呪われてるかも"って時々言ってたけど」

 

 ゼファーの隣で、未来が絶望に満ちた声を上げる。

 

「本当に呪われてるのって、私だったのかもね。友達誘ったら、連続で、こんな……」

 

 "響を誘い危ない目に合わせてしまった"という未来の心の傷を、誘われた上で何事も無く終わらせることで塗り替えようとしていたゼファーの思惑は、完璧に裏目に出てしまっていた。

 ゼファーを誘った先での、ノイズの出現。

 これが未来の中にあった『私のせい』という意識を強くしてしまう。

 運命の流れが、未来を苛烈に責めている。

 

(ざっけんな)

 

 だが、そんな運命の流れを真っ向から否定する者も居る。

 ゼファーは心の中で吠え、未来の両肩を今の全力の腕力で掴んで、真正面から向かい合う。

 

「なら、俺がそれを否定する」

 

「……え?」

 

「今日の『これ』を、なんでもないことのように収めてくればいいんだろ?

 誰も死なせない。誰も死なない。そんでもって、ホタル観賞再開だ。

 生半可な不幸だ悲劇だ絶望だ、そんなものは跳ね返してやればなんてこったないんだよ」

 

 未来の目を真っ直ぐに見て、ゼファーは力強くそう言った。

 虚勢が八割。気合が二割。

 心も体もズタボロなゼファーは、まともに歩けてもいない身体をノイズの方向に向ける。

 そして未来に背を向け、走り出そうとした。

 

「待って!」

 

 そんなゼファーの手を、未来が強く掴んで止める。

 

「また……また怪我しに行くの!?

 ダメ! 絶対に行かせない! 今度こそ……今度こそ、死んじゃったらどうするの!?」

 

 未来はゼファーが入院した時から、ずっと彼の姿を見ていた。

 傷が増えては減り、生死の境を超えては戻り、いつ死んでもおかしくなかったその姿を。

 だから、彼が目を覚ましたと聞いて、未来は心から嬉しかったのだ。

 彼に『生きていてくれてありがとう』と、そう思えたのだ。

 死んで欲しくない。傷付いて欲しくない。

 だから未来は、必死になって彼を止める。

 

 足を止めたゼファーは、己の片手を掴んで離さない未来の手の上に、もう片方の手を乗せる。

 

「みんなが笑ってくれれば、それでいい。俺はそれだけで頑張れるから」

 

 いつものように、いつも思っていることを、ゼファーは言う。

 だが、未来はその主張を真正面から否定した。

 

「笑ってくれればそれでいい?

 誰が笑ったの?

 誰の笑顔を守ってるの?

 貴方が守った笑顔って、どれ?」

 

 笑顔の味方は、どれだけの笑顔を守ればいいのだろう。

 

「ゼっくんがあんなに傷付いて、私は笑えなかったよ?」

 

「―――」

 

「あなたの言う『みんな』って、誰と誰と誰のこと?」

 

 ゼファー・ウィンチェスターは、どこまでの範囲を守ればいいのだろう。

 

「俺がミクの笑顔が好きだから笑ってくれ、って言ってもか?」

 

「私はゼっくんの笑顔が好きだから、ゼっくんが笑えなかったら、私も笑えないよ」

 

 今の未来は笑顔ではない。

 これからゼファーが傷付くかもしれないのに、未来が笑えるはずがないのだ。

 人々の悲鳴が届く。

 ナイトブレイザーの、どこかの誰かの助けを求める声が、彼の耳に届く。

 聞き届けた彼は、未来から一端目を離して逃げ惑う人々の方を見て、未来の方に視線を戻す。

 

「離してくれ、ミク」

 

 そうだ、選択なんて決まりきっている。

 手の届くところで誰かが苦しんでいて、誰かが傷付いていて、誰かが悲しんでいて……それを自分の損得と幸福のために切り捨てられるような人間だったなら。

 そんな風に、器用に生きられる人間だったなら。

 ゼファーはこんなにも、苦難の道を生きてはいないだろう。

 

 傷付けられて、苦しめられて、誰も救ってくれなかった幼い頃を過ごした彼だから。

 同じように理不尽に痛めつけられる人々を、見捨てられるわけがない。

 ナイトブレイザーに希望を見た人々の想いを、裏切れるはずがない。

 

「みっともなくても、情けなくても、辛くても。

 俺は……これまでも、これからも、希望を見せた責任を、取り続ける」

 

「ゼっくん……」

 

「そんな顔するなよ、ミク。

 きっとそうしなきゃ、後悔するのが俺なんだ」

 

 辛い時にこそ笑う、切歌の元気が彼の中で熱く脈打つ。

 仮面の笑顔に、本当の笑顔が少し混じって、やせ我慢の笑顔が浮かぶ。

 

「そうしないと、いつまで経っても笑えないのが俺なんだ」

 

 上手く笑えているだろうか。調のように笑顔の練習をすべきだろうか。

 そんなことを考えているゼファーの顔には、泣き笑いのような笑顔が浮かんでいた。

 

「苦しい時だって、悲しい時だって、辛い時だって、笑ってやるさ。

 小日向未来がそうしないと笑えないってんなら、おまえが笑うまで、俺も笑おう」

 

「―――」

 

 片手で目を覆い、未来は夜空を仰ぐ。

 なんというか、負けた気になってしまった。

 彼は根っから、人々に望まれる英雄なのだろう。

 多くの人の祈りを聞き届け、多くの人の幸せを願っている。

 だから、きっと何を言っても止まらない。

 未来は大きなため息を吐いて、ゼファーの目を真っ直ぐに見据えた。

 

「約束、覚えてる?」

 

「ああ」

 

 口に出すのは、あの日の約束。

 

――――

 

「ね、ゼっくん、約束して。戦いのない場所に、ここに帰るって。

 どんなに遠くに行っても……必ず生きて、私と響の居る場所に帰って来るって。

 そうしたら、私も約束する。どんな時も、あなたを一人にしないって」

 

――――

 

 彼女に破らせる気はない。

 彼に破る気はない。

 守られる限り、彼にひだまりに戻る権利を与える約束。

 

「約束だ」

「約束だよ」

 

 最後に一言だけ交わし、ゼファーは未来に背を向け駆け出した。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

 ボロボロの肺が全力で稼働する。

 薄く色合いも悪い血液が全身を巡る。

 歪んだ骨格が、偏った肉が、崩れた体重バランスが、彼の邪魔をする。

 正しいリズムを刻まない心臓の音が、やたらと耳に煩かった。

 

 人の通る道ではなく、ノイズの居る場所へと一直線に、森の中を彼は駆けて行く。

 

「たとえどんなに苦しくたって、辛くたって、悲しくたってッ!」

 

 彼の両の手に、銀光が宿る。

 右手は拳。

 左手は掌。

 右手は、敵を倒すために。

 左手は、人を守るために。

 殴る拳と、繋ぐ掌。

 

「そこが誰かの生きる場所であるのなら!

 そこで誰かが生きることを諦めていないのなら!

 そこに俺の助けを待つ誰かが居るのなら! 俺はッ!」

 

 拳と掌が打ち合わされて、光は弾けた。

 

「『ナイトブレイザー』だッ!」

 

 かくして、壊れた英雄は蘇る。

 

「―――アクセスッ!!」

 

 束の間の平穏と休息は終わり。

 災厄を討つ英雄の、戦いの時間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 諦めの声、絶望の声、救いを求める声。

 

「もう、ダメだ……」

「ああ、ちくしょう、あの災厄に遭った奴らの気持ちが、少し分かっちまうよ……」

「助けてくれよ、なんでもするから……」

 

 川を挟んで南側。逃げ道を失い、ひと塊になった多くの人達。

 川を挟んで北側。そんな人々の逃げ道を全て塞いだ、ノイズの群れ。

 ノイズが川を渡ってしまえば、人々は抵抗することもできず虐殺されてしまうだろう。

 

「あ、は、は、は、は、もうみんな死んじまうなあ、こりゃ」

 

「やめて下さい! 子供も居るんですよ!?」

 

 やさぐれた成人男性が諦めの声を漏らし、小学生らしき子供らを引率していた女性がその大人に注意の声を上げ、子供達を庇って自分の後ろに下がらせる。

 大人達が絶望し始め、子供達が不安な顔をして。

 そんな力無き人々の中から、一人の男が飛び出した。

 

「普段は落し物拾うのが我らお巡りさんのお仕事!

 落とす、拾う、持ち主に届けるまでがお仕事ならば、命を落とすのも同義!

 市民の皆様のお命は、本官が守るであります!」

 

 それは近所の交番に勤めているだけの、名も無き警官。

 彼は警察官になるまでの訓練を忠実に反映し、腰に吊るした銃を撃つ。

 撃つ、撃つ、撃つ。

 しかし銃弾は一発も当たらず、ノイズの身体を無情にすり抜けていく。

 銃弾というものに機械的に対応し、進行速度を緩めて位相差障壁を強めたノイズ達は、銃弾を無効化しつつゆっくりと人々に迫る。

 それどころか、空から現れた鳥型ノイズが、その身をドリルにして警官を貫こうとする始末。

 

「危ねえお巡りさん!」

 

「!」

 

 人々の中から、また一人飛び出した。

 大学生の青年らしきその人物が、警官に飛びついて転がって、上からのノイズの襲撃を避ける。

 間一髪、二人はノイズに貫かれることなく、回避することに成功していた。

 

「あ、ありがとうございますです」

 

「何、いいってことよ。……何か、変わったわけでもなさそうやし」

 

 空から落ちて来たノイズが、地上で羽を広げる。

 川を渡って来たノイズ達が、首をもたげる。

 抗うすべを持たない人々に、人類の天敵が牙を剥く。

 

 警察官らが稼いだのはほんの数秒。

 人々が虐殺されるのを、ほんの数秒後回しにしただけにすぎない。

 たった数秒。されど数秒。

 

 その数秒で、彼は間に合った。

 

「―――!」

 

 人々の前に落ちていた鳥型ノイズが、一瞬で燃え尽きる。

 焔だ。焔が流星のように落ちて来たのだ。

 そして焔に一瞬遅れ、彼もその場に地面に激突しながらやって来る。

 

「あれ、はっ……!」

 

 川の南側、人々の眼前、目と鼻の先。

 そこに、焔の黒騎士は落ちて来た。

 巻き上がる土と砂、蒸発する水蒸気に水飛沫。

 炎熱で吹き上がる大気が、それらを縦横無尽に駆け回らせる。

 炎光がそれらに光を当てて、爛々と照らし煌めかせていく。

 

「……ナイト……」

 

 焔の煌めきが生む光景の中心。

 そこに佇む騎士の名を、その場の誰もが知っていた。

 

「……ブレイザー……!」

 

 希望が来てくれたことに、その場の誰もが歓喜した。

 子供の無邪気な声が響いて、仮面の向こうの騎士の耳へと届く。

 

「来てくれたー!」

 

 人型のノイズが、刃腕を振り上げてナイトブレイザーに躍りかかる。

 突き出された刃の腕は、人が相手でも、戦車が相手でも必殺のそれ。

 騎士はそれを、左手で掴み取って握り砕く。

 そしてカウンターで人型ノイズの顔面へと、右拳を叩き込んだ。

 

 吹き飛んだノイズは位相差障壁もろともぶっ壊され、吹っ飛ばされ、森の木々を何本も倒しながら森の何処かへとかっ飛んだ。

 ノイズの足が一瞬止まる。

 行き過ぎた興奮からか、人々の声も一瞬止まる。

 そこでナイトブレイザーは腕を一振り。右腕より放つ焔で、ノイズをなぎ払った。

 

 憎悪が、絶望が、彼の火力を引き上げる。

 信頼が、希望が、彼をその火力から守る。

 奏を死なせてしまった絶望が、彼の力を爆発的に引き上げていた。

 

 閃光。

 光にしか見えない速度と、密度と、光量で放たれた焔の一閃。

 それは視界内のノイズの全てを飲み込んで、けれど、森も土も川も虫も焼くことなく、ノイズだけを焼き尽くした。

 

 人々は、一斉に息を呑んだ。

 

 ナイトブレイザーは焔を放った腕を、痛そうに抑えている。

 絶望を喰らった焔は、彼の予想以上の火力で騎士の腕すら焼いていた。

 騎士の腕はプスプスと煙を上げ、内的宇宙から僅かに漏れた肉の焼ける臭いすらする。

 放たれた焔はノイズだけを消し飛ばし、ノイズの合間にチラチラと居たホタルは一匹も殺されることなく、川の上を元気に飛んで行く。

 その殺す、殺さないの選択から見えた騎士の在り方が、その場の人々に息を呑ませたのだ。

 

 こうした細かな一つ一つがゼファーに集中力の無駄遣いという負荷を課し、それを見た人々の中に、ナイトブレイザーへの信用を生じさせるのである。

 

「……」

 

 ナイトブレイザーは背後からかけられる人々の声を無視して、次の場所へと向かう。

 まだ襲われている人も、襲っているノイズも居る。

 ノイズの出現場所が遠かったことは、ノイズと人の接敵が遅れて犠牲者がいまだ0なことに繋がっていたが、同時にノイズの拡散にも繋がってしまっていた。

 

(早くしないと……俺が、燃え尽きる前に!

 壊れた人の身体じゃない、万全なこの騎士の身体でいられる内に!)

 

 今のゼファーにARMはない。ノイズの居場所は分からない。

 そして絶望が多量であるせいで、おそらくは三分程度しか戦えない。

 ただのノイズ相手だったとしても、今のゼファーでは被害を出さずに勝てるかどうかは怪しいものだ。敵が強いからではなく。ゼファーが、弱くなったから。

 

(今、俺に、足りない何かを、補う何かをッ―――!)

 

 ゼファーは拳を突き出し、大型ノイズに叩きつける直前に、その拳の周りに焔を凝縮固定する。

 だが、その時。

 奇跡が起きた。

 

「え?」

 

 ゼファーがかつて、焔の遠隔制御をした時と同じ。

 彼の中の無意識領域、彼の意識の外側の領域で、何かが彼に手を貸した。

 腕に纏われた焔が蠢いて、無意識の内に彼の腕の表面にて形を成していく。

 

 腕の周りに形成された『それ』が、大型ノイズを一撃にて貫通、余剰威力で粉砕した。

 

「……嘘、だろ……これ……!」

 

 彼は己の腕を見て、形成された『焔の槍』を見て、仮面の下で泣きそうな表情を浮かべる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二課は少ない人員をやりくりし、必死にノイズ関連の情報をさばいていた。

 人員増強までこのデスマーチは続くだろう。

 それは一旦脇に置いておいて、彼らはノイズの出現反応とほぼ同時に出現した、聖遺物のエネルギー反応の方にこそ、狼狽させられていた。

 

「アウフヴァッヘン反応検知! 波形照合!」

「アウフヴァッヘン波形照合! ナイトブレイザーです!」

「風鳴翼、現着までまだかかります!」

 

 なにせ、ゼファーが休みを取った日にこれだ。

 二日連続でノイズが出るとかふざけるな、と叫んでいた数分前の慌てぶりよりもずっと喧騒が激しくなったようにすら思える。

 二課に今のゼファーの肉体状態を知らない者など居ないのだ。

 翼がすぐに到着できないということも、焦りに拍車をかける。

 しかもゼファーは、先日のオーバーナイトブレイザー戦でインカムを損失してしまっているために、ひとたび変身してしまえば二課と通信が取れなくなってしまうのだ。

 

「……戦いを選ぶか。ゼファー」

 

 弦十郎が苦虫を噛み潰したような顔で、忌々しげに呟く。

 できれば後方に下がっていて欲しかったが、後方に下がるような男でないことも知っていた。

 そんな弦十郎の思考を、新たに鳴り響くアラートが割って入って止めに行く。

 

「! アガートラーム、ネガティブフレアの波形変化!」

「波形が歪んで、混ざり合って、ナイトブレイザーの手に第三の波形出現!」

「エネルギー波形の模倣……もしかしてこれって……波形照合結果、モニターに出します!」

 

 マップに表示されるアガートラーム、ネガティブフレアのエネルギー反応が揺らぎ、変化し、三つ目のアウフヴァッヘン波形を作り出す。

 その波形は、二課のデータベースの中に、完全に一致するものがある波形であった。

 

 

「ガングニールだとぉッ!?」

 

 

 今は亡き彼女の槍、ガングニールのアウフヴァッヘン波形だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーが右腕を振るう。

 右腕に圧縮された焔が形成する大槍は、膨大な熱とエネルギー量であらゆるものを切断する、今までの彼には無かった明確な『近接武器』だった。

 右拳を振るい、拳が纏う槍で貫く。

 左掌を振るい、人とノイズの間に焔の壁を作って、人を守る。

 

 右手は、敵を倒すために。

 左手は、人を守るために。

 殴る拳と、繋ぐ掌。

 今にも燃え尽きそうな身体を押して、騎士は前へ前へと進み続ける。

 

「しょぅ、らぁッ!!」

 

 調の考え方は正しかったのだと、ゼファーは思う。

 目には見えない大切な人が見守ってくれていることもあるのかもしれないと、ゼファーは思う。

 その方が素敵な考えだよなと、ゼファーは思う。

 

「っ!」

 

 だって、ゼファー・ウィンチェスターは。

 今では『彼女が見守ってくれている』という考え方を、こんなにも信じられているのだから。

 

 地に突き刺した大槍からエネルギーを注ぎ、前方広範囲の地面を炸裂させる。

 ノイズ達が浮いたところで、焔を放出しつつ空を蹴り、空中戦に持ち込んだ。

 一度跳躍し、再度着地するまでのほんの数秒で、ナイトブレイザーは浮かせたノイズの全てを斬って貫いていた。

 

(……まだ、まだやれる!)

 

 右手に貫く槍の力。

 左手にエネルギーベクトルを司る力。

 剛柔自在の焔を操り、ゼファーは前へ前へと進んで行く。

 かつて、ビリー・エヴァンスはこう言った。

 

――――

 

「誰かを大切に想う君は、どこかで誰かに大切に思われてる君なんだ」

 

「誰かに大切に思われる君は、きっとどんな時でも一人じゃない」

 

「想うこと、想われること。その想いは死しても別たれはしない」

 

――――

 

 その言葉が、今実感としてゼファーの中にあった。

 ひとりぼっちでない実感があった。

 奏の死に感じた痛み、傷、悲しみはまだ癒えていないけれども。

 彼はまだ戦える。頑張れる。

 アガートラームが、また一際輝きを増した。

 

「……ゼファー!」

 

「!」

 

 そんなゼファーの身を蝕む負荷が一気に軽くなり、周囲のノイズの頭上に剣の涙が降り注ぐ。

 空より翼がゼファーの前に着地すると、二人の間に気まずい空気が流れた。

 

「ツバサ……」

 

「……」

 

 ゼファーは翼に必要ない、と言われたことを気にしている。

 翼はゼファーに、酷い言葉をぶつけたことを気にしている。

 空気が一瞬変になって、言葉も態度も刺々しいものを装った翼が、そこで彼に帰るよう促し始めた。言い換えるなら、戦場から離れるよう頼み始めた。

 

「もう、帰って休みなさい。

 今のあなたは、途方もなく辛く、苦しい状態のはずよ」

 

 それは一つの事実だ。

 ゼファーの体も、心も、ズタボロの状態と言っていい。

 錆に折れゆく剣のようなものだ。

 友のお陰で満ち満ちている気力を爆発させ、無理矢理に体と心を奮い立たせているにすぎない。

 

「俺が辛い事、苦しんでる事は、あの人達に救いの手が差し伸べられない理由にはならないだろ」

 

 だが、ゼファーはそんなことをのたまってきた。

 言葉にも目にも虚偽の色は見られない。つまり本気も本気。

 翼は目を見開いて、大声で彼の言葉を否定しようとするが、そこにノイズの攻撃が飛んで来る。

 二人は左右に跳んで、その攻撃を回避した。

 

「元気がないなら元気をあげたい。

 助けがないなら助けてあげたい。

 救いがないなら救いをあげたい。

 繋がりがないなら繋がりをあげたい。

 愛がないなら愛をあげたい」

 

 ゼファーは回避しながら、翼に向かって口を開く。

 

「明日がない人に未来をあげたい。

 絶望している人に希望をあげたい」

 

 並び立つノイズを蹴散らしながら突っ切って、ゼファーは翼と背中を合わせてしかと立つ。

 

「誰かの背を押す西風になりたい。今は、俺は、そう思ってる」

 

――――

 

「『希望の西風』と、お前さんの名にはそういう願いが込められておる」

 

「力づくではなく、優しく誰かの背を押す西風であって欲しいと。

 どんな時でも希望を持ち続ける、折れない人になって欲しいと。

 誰かにとっての希望の西風になれる、そんな風に育って欲しいと。

 ワシの娘は、ワシの孫の名にそんな祈りを込めておった」

 

――――

 

 『ゼファー』の名を誇り、ゼファーは一つの成長を迎えた。

 ずっとずっと前に、セレナが予感していた成長を、死別という予想外の痛みも乗り越えて。

 恋を糧にして、子供から少しだけ大人になった。

 

「皆に死ぬことも、苦しむこともなく、でも生きているだけの時間を過ごすのでもなく。

 皆に幸せで居て欲しいんだ。笑顔で居て欲しいんだ。

 皆がそう生きていける場所を守れる自分になりたいんだよ。胸を張って、生きていける自分に」

 

 ゼファーは夢を語る。

 翼にはまだ夢はなく、まだ夢というものへのスタンスも定まってはいない。

 彼女は未だ中途半端で、発展途上。

 奏の死を、本当の意味で受け入れることも出来ていない。

 

(……なんで……)

 

 奏の死から、再び正しい形で立ち上がるまでにかかる時間。

 そこにゼファーと翼の間で差が出てしまうのは、『大切な人の死を数え切れないほど乗り越えてきた人間』か、『初めて大切な人が死んでしまった人間』かであるという違いのみ。

 どちらの心が強いかという話でもなく、優劣があるという話でもない。

 ただゼファーは、翼よりもほんの少しだけ、"それ"になれていた。それだけの話。

 

(なんで……?)

 

 翼の中には、ゼファーに向かう『なんで』がいっぱいあった。

 何故そんなになってまで戦うのか。奏の死の後に戦えるのか。

 エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。

 ゼファーの語る言葉の中に答えの断片はあれど、今の翼に拾い集めることなど不可能で。

 二人は戦場で背中を合わせ、自分達を囲む無数の災厄に向かって、剣と槍を携えた。

 

『あー、あー、翼ちゃんのヘッドギアをスピーカーに切り替えたけど、聞こえる?』

 

「この声、サクヤさん? こちらゼファー、聞こえます」

 

『よっし、ゼファー君の足りない力は俺達で補う! 任せてくれ!

 二課のノイズレーダーの精度と性能を、嫌って言うほど証明してあげよう!』

 

「! サポート、感謝します!」

 

 今は、ただ。

 皆で力を合わせるこの心地よさに、身を委ねていたい。

 翼は一旦思考を止めて、そう考え、剣を振り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人々もまた、生きることを諦めない。

 彼らが生きることを諦め、いつまでも戦場をうろちょろしていたら、確実に戦火に巻き込まれて死ぬ。それが少年少女らの心の傷となってしまうこともありえるだろう。

 力無き人々が生きることを諦めないことが、回り回って英雄の救いになることもあるのだ。

 

「こちらに皆様避難するであります!」

 

 警察官が誘導し、人々を安全な場所に避難させていく。

 そんな中、一人の男がかなり大きな声でナイトブレイザーを罵った。

 先ほどナイトブレイザーに助けられたにもかかわらず、助けられたことは当然で、助けに来たのが遅かったことに、ありったけの悪意を乗せて。

 

「おせえんだよ、全く……騎士サマしか戦えねえってのに、どこで道草食ってやがった」

 

 それは必然だったのだろうか。

 それとも、その人が振り絞った奇跡のような勇気だったのだろうか。

 ナイトブレイザーに対し、助けられるのは当然と言わんばかりに悪態を付いた男の横っ面を、子供達を引き連れていた女性が、引っ叩いた。

 

「子供の前で! 恥を知って下さい!」

 

「っ、テメ……」

 

 女性の怒りに追随して、女性の後ろに居た子供達も次々と声を上げる。

 

「おいおっさん」

「たすけられたらありがとうだろー?」

「じょうしきしらずー」

 

「このガキどもが……!」

 

 男は子供に向かって手を上げかけるが、警察官がこちらをじっと見ているのに気付き、頭を冷やす。ここで揉め事を起こしても何の得も無いことは分かっていたので、男はイライラしつつも、女性と子供に背を向けてどこぞへと去って行った。最後に負け惜しみのような舌打ちを残して。

 

「チッ」

 

 子供は大人から、勇気の出し方を教わる。

 嘘をつかない、都合の悪い事を誤魔化さない、正直でいる勇気。

 日々を生きる中で自然と伝わる、未知の世界へと踏み出す勇気。

 転んで傷と痛みに泣く自分を慰める、誰かを励まし気遣う勇気。

 

 勇気が無ければ、子供は一人で世界を生きていくための一歩を踏み出せない。

 

 絶望し、諦める大人が居た。

 悪性を見せ、醜さを露わにする大人が居た。

 逃げ出そうとし、臆病さを表に出した大人が居た。

 どれもこれもが、大人を真似ようとする子供達から勇気を削ぎ落とす記憶。

 だが、その記憶を塗り潰すほどに強烈な記憶があった。

 

 勇気を振り絞る警官。

 警官を助けるために己の命を顧みず飛び出した大人。

 そして、勇気を振り絞った大人達の下に駆けつけてくれたヒーロー。

 正しく生きた大人達と、そんな大人達を助けてくれた英雄の記憶は、人の醜さを子供達の心に残さないほどに、力強く輝いていた。

 

「おうそこの人、重そうなカメラ捨てた方がいいんでない?」

 

「こいつは捨てらんないんすよ。

 なにせ、オレがナイトブレイザーの初陣を撮ったカメラっすからね」

 

「何!? あの伝説の数分のか!?」

 

 そして、ここにまた一人。

 ゼファーが多くの人の前で初めてナイトブレイザーになった時、その勇姿を人々に届け、希望を繋いだあの名も無きカメラマンがそこに居た。

 抱えられたカメラの中には、警察官が飛び出して、ナイトブレイザーが助けてくれて、ナイトブレイザーがどこかに跳んで行くまでの映像が収められていた。

 

「オレにできることはそんなに多くないっすが。

 あの頑張りを無駄にせず、全部ひっくるめて、希望として皆に伝えることくらいはできるはず」

 

 今のこの国には『正義』が多すぎて、希望が足りないと彼は思っている。

 そして、彼はナイトブレイザーを希望だと信じている。

 人々が面倒なことを全て押し付けられる相手としての希望ではなく、それを見た人々が皆自分の足で立っていけるようになるような、そんな象徴としての希望。

 

「ナンもカンも他人任せにするんじゃなくて。

 オレらはまだ、あの光景から学ぶことがあるはずっすよ」

 

 タラスクにあんなにも苦しんで戦っていたあの騎士は、最強ではないかもしれないけれど。

 希望が最強である必要はないと、そう、彼は信じている。

 人の勇気を騎士が守ったあの光景にこそ希望はあると、そう信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーが腕の槍を振るう。

 そこに、翼は奏の影を見た。

 

 翼が広域を殲滅する千ノ落涙と、一撃必殺の天ノ逆鱗を放つ。

 そこに、ゼファーは模倣によって生まれた、奏の影を見た。

 

 二人は戦えば戦うほどに、奏の影を互いの中に見る。

 奏の槍に、広域殲滅と一撃必殺の奏の技。

 それも当然だ。

 三人は、ずっと一緒に戦ってきた。強くなる時に、他の二人を真似ることもあった。

 己の戦う技の中に、常に他の二人が息づいていた。

 

(俺の中に、ツバサの中に)

(私の中に、ゼファーの中に)

 

 戦えば戦うほどに、奏が傍に居てくれる気がして、二人の寂しさが薄れていく。

 

(カナデさんが居る)

(奏が居る)

 

 他の誰と共に戦っても、こうはならないだろう。

 新たに仲間が加わっても、こんな気持ちにはならないだろう。

 翼と共に戦っている間にだけゼファーが感じられる、ゼファーと共に戦っている間にだけ翼が感じられる、この二人だけにしか共感できない、二人だけの特別な気持ち。

 今は亡き一人の友のことを語りながら、二人でレクイエムを奏でているかのようだ。

 

 ノイズが散り、二人が己が武器を振るう。

 三人で連携していた頃を思い出し、ついつい二人でも奏が居るような気分になってしまい、連携に隙が生まれてしまって、それを埋める作業ですら心地が良い。

 それは、奏が死んだことを受け入れていく片付作業だった。

 それは、奏が自分達の中に居ることを確認する作業だった。

 奏が居ないことを前提とした連携の完成度を上げていく度に、奏が死した後に手に入れた技を振るう度に、二人は涙を流していく。

 

「カナデさん」

「奏」

 

 ノイズが、ただの八つ当たりサンドバッグと化したその戦場で。彼らはただ泣いていた。

 

「カナデさんッ!」

「奏ぇぇぇぇぇッ!!」

 

 不器用で、真面目で、人生経験が豊富とはいえない彼らなりの、葬送のようなものだった。

 悲しみを吐き出し、前へと進んで行くという、決意表明だった。

 それでも悲しいよと、会いたいよと、未練を吐き出していく過程だった。

 

 

 

 

 

 戦いの中で、肩を並べて同じ気持ちで戦って、二人は互いの気持ちをなんとなく理解していた。

 ゼファーと翼の付き合いは、ゼファーと奏の付き合いよりも、翼と奏の付き合いよりもずっと長いのだから、それもまた、当然で。

 翼はゼファーの血まみれで強靭な覚悟を。

 ゼファーは翼の面倒くさくとも心優しい思考を、なんとなく理解できていた。

 

「……」

「……」

 

 戦いが終わって互いの変身が解除されると、二人の間にまた微妙な空気が戻って来る。

 だがそこで口火を切ったのは、今度は翼ではなく、ゼファーだった。

 

「ツバサに"必要ない"って、そう言われたな。俺」

 

 翼の表情が少し曇る。

 怒られるか、責められると思っているのだろうか。

 そんな予想をしているのなら、てんで的外れだと言っておこう。

 

「俺は、ツバサに必要じゃないかもしれない。でもさ。

 必要じゃなくても、居てくれて嬉しい人は居ると思うんだ。

 必要じゃなくても、救いになってくれる人は居ると思うんだ。

 必要か必要じゃないかで言えば、友達って大半が必要じゃないんだろうけど……

 俺を救ってくれたのは、大半の場合が友達だったから。ツバサみたいに」

 

「―――っ」

 

「必要じゃなくても、俺はツバサの傍に居る。友達として。

 平和な日々の中でも、辛い目にあう戦場の中でも。それも、ダメか?」

 

 ゼファーは、誰も一人になどしない。

 ひとりぼっちの悲しみを味あわせようとはしない。

 どんな時でも一人じゃないと、どこかの誰かの孤独を癒やす。

 ひとりぼっちの苦痛を嫌というほど味わってきた彼の人生が、そうさせる。

 

 一人で頑張って、頑張って、頑張って、頑張って。

 そうしてきた翼の日々も、もう限界。

 これが最後の一押しとなり、翼の涙の蓋は決壊してしまった。

 

「わたしっ、にどとっ、なかないってっ、きめてっ……!」

 

 涙がポロポロとこぼれ落ちて、彼女の内に蓄積された悲しみを流し出していく。

 二度と泣かぬと彼女は決めた。

 そんなこと、無理に決まっているのに。

 仮に泣かなかったとしても、どこかに歪みが生まれてしまいかねないものだというのに。

 泣くことを弱さだと思ってしまうくらいに、戦いの場に向かわない彼女の心は、弱かった。

 

「よしよし」

 

 そんな翼を、ゼファーは優しく抱き締める。

 調のように。調が自分にしてくれたように。

 友から友へと、善意と友情、したことされたことが循環し、行き渡っていく。

 

「大丈夫。俺はどこにも行かないから。ここに居るから」

 

「もう、だれも、しなないでっ……どこにもいかないでっ……!

 わたしを、ひとりに、しないでっ……!」

 

 ずっと昔。

 ひとりにしないでくれと嘆いた少年が居た。

 今ではその少年は、一人にしないでと泣く少女を抱きしめ、慰めている。

 

 それは長い長い月日をかけて成し遂げられた、少年の成長の証明だった。

 

 

 


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