戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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質問されたことなのですが、自分が昨日書いた物然り、短編がこっちに影響することはないです

彼の二年かけてのリハビリ開始
そして五章のボスが出る話です。人によってはロードブレイザーより強く感じるかもです


第二十五話:響の味方/たった二人の共同戦線/正義の味方

 ノイズを片付けて、「ホタル見るか?」とゼファーが言い、「まあちょっとだけなら」と未来が返し、ちょっとの後に「いや帰りましょうよ」と緒川に帰らされたその後日。

 ノイズ出現で心配した両親から、メールと着信が山のように届いていたことに気付いた未来を家まで送って、未来が責められないよう彼がご両親に説得に説得を重ねた夜の後日。

 小日向夫妻に何かよく分からない視線を向けられ、彼が首をかしげた日の後日。

 

「目、覚まさないな」

 

「目、覚まさないね」

 

 いつものように未来は響の見舞いに病院を訪れていて、見舞われる側から見舞う側へと移ったゼファーを傍らに従え、花瓶の水を替えている。

 ゼファーは響の顔を湿らせたタオルで拭き、髪も少し湿らせて櫛を入れていく。

 手先は酷く危なっかしかったが、手つきは極めて優しいものだった。

 

 こうして響の見舞いに来るようになって、この病室でゼファーは色んな人を見た。

 響の前で涙を漏らす、彼女の父や母、祖母といった家族の面々。

 響の中学校の友人らしき少女達。

 誰も彼もが響のことを案じていて、途中から何故か中学校の友人らしき少女達は来なくなったものの、響が慕われているということを肌で感じ取ることができた。

 

 だから、彼は心の中で「早く起きろよ」と呼びかけ続ける。

 ゼファーも、未来も、心の中に小さく何度も湧いてくる「もう目を覚まさないかもしれない」を何度も握り潰していた。

 「響は必ず帰って来る」と信じ、見舞いを続けていた。

 こんな不安の中、毎日一人ぼっちで罪悪感と戦っていた未来の心中はどれほど痛々しいものだったのだろうか。ゼファーはこっそり、未来への尊敬を新たにする。

 一人ではこの寂しさと罪悪感に長くは耐えられない。

 それでも二人なら、いくらか長く耐えられる。

 ゼファーは深刻な思考を口には出さず、軽い口調を心がけて口を開いた。

 

「よし決めた、今決めたぞ。

 俺はこのねぼすけが起き次第、髪の毛をクシャクシャにしてやる」

 

「ふふっ、なにそれ?」

 

 誰かを大切に想う響は、誰かに大切に思われる響なのだ。

 帰りを、目覚めを待ってくれる誰かが居るということは、きっとそれだけで幸せなことで。

 

「……ん」

 

「!」

「!」

 

 だから響が目覚めたその時、彼女の目に映ったのは、幸せと祝福だけだった。

 

「……んー、おなかへった」

 

 目覚める少女に、右から抱きつく少年と、左から抱きつく少女。

 

「ひびきぃーッ!」

 

「クシャクシャにしてやるーッ!」

 

「なにごとぉーッ!?」

 

 あの日からずっと欠けたままだった三人の輪が、ようやく物に戻る。

 この日、この時、この瞬間に、三人の笑顔に曇りなどあるわけもなく。

 それが嵐の前の静けさであることなど、この時の三人には、知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十五話:響の味方/たった二人の共同戦線/正義の味方

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーはもう二度と、昔のような体を取り戻せないと医者から宣告されていた。

 不可能だと。

 絶対に無理だと。

 できるわけがないと。

 己の人生の中で、何度も聞いてきたフレーズを耳にする。

 彼は二課にある訓練室の一つで、自分を診断した医師と向き合っていた。

 

「本当に、やるのか」

 

「すみません先生。無茶聞いてもらって」

 

「無茶するのは私でなく君だろうに……」

 

「これから限界超えてみますので。全部終わったら、再検査お願いします」

 

 ジャージを着たゼファーは、訓練室の中央に向かう。

 

「普通の人ならダメかもしれませんけど……

 あいにく俺の体、もう人間には戻れないっぽいものらしいですし」

 

 彼が進む先に佇むは、人類という枠の中にて最強の男、風鳴弦十郎。

 そしてその横で審判を務める、緒川慎次が居た。

 

「来たか」

 

「今日は胸をお借りします」

 

 二人は向かい合って、一礼。戦いの儀礼を交わす。

 

「よろしくお願いします」

 

 そして、構え、睨み、踏み込み、戦いを始めた。

 

「らぁッ!!」

 

 ゼファーは左掌に当てる形で、握りきれない右拳を拳の形に整える。

 今の己の全力を込めた拳をそうして、迫る弦十郎の胸に叩き込んだ。

 

「効かん!」

 

 だが弦十郎はビクともしない。

 彼は返礼代わりに掌底をゼファーに打ち込み、少年の体を吹っ飛ばした。

 

「が……!」

 

 手加減はされているようで、体にダメージはほとんど通っていない。

 だがド派手に吹っ飛んで転がったゼファーは、訓練室の壁に背中を打ち付けた。

 ゼファーは跳ねるように飛び起きて、再度弦十郎へ飛びかかっていく。

 

「はッ!」

 

「ぬるい!」

 

 拳を握ろうとした両の手の指が震える。

 だがゼファーは隙間だらけの拳を胸の前で打ち合わせ、がっしりと固めた。

 その拳を一度、二度、三度と弱々しく弦十郎に打ち込むも、その全てが軽く掌にて捌かれる。

 弦十郎の加減したラリアットをガードするも、またしても壁際まで吹っ飛ばされる。

 されど起き上がり、少年は全力で突っ込む。

 

「しッ!」

 

「甘い!」

 

 腕が壊れているなら、足で攻める。

 体の歪みのせいで昔のように速く走れない。高く跳べない。

 そんな体を全力で稼働させ、少年は弦十郎の脳天に向かってカカトを振り落とす。

 弦十郎は右腕を掲げてそれを受け止め、足裏でカウンター気味にゼファーを蹴り上げる。

 苦悶の声を上げるゼファーだが、歯を食いしばり、天井に着地して、天井を蹴って更に突撃。

 

「しゃぁッ!」

 

「こんなものか!」

 

 天井から落ちる勢いを利用し、両の手の指を噛み合わせてのダブルスレッジハンマー。

 壊れかけの手をハンマーと化して振り下ろしたゼファーだが、それも弦十郎の片手にて掴み止められてしまい、片腕の腕力だけでぶん投げられてしまう。

 壁にぶつかり、床に落ち、むせこむゼファー。

 だが震える足で懸命に立ち上がり、足を踏み出し、拳を突き出す。

 

「だぁらッ!」

 

「もっと拳に気合いを込めろ! 雷を握り潰せッ!」

 

 魂を込めた一撃を打ち込む。

 心を込めた一撃を打ち込む。

 命を込めた一撃を打ち込む。

 一つ打ち込むたびにそれらは震え、迸る熱を持ちながら彼の体内を駆け巡り、循環する心・魂・命は、聖遺物で出来た彼の体を励起させていく。

 弱々しくも熱い拳の連撃を、一つ一つ丁寧に、弦十郎は真っ向から手の平で受け止めていく。

 

「うおおおおおおッ!」

 

「どうした! 疲れたか!?」

 

「まだまだぁ!」

 

 またしても加減した弦十郎の一撃にふっ飛ばされるゼファー。

 以前は直感・絶紹・粘りの三重奏にて『戦い』を成り立たせることができていたはずなのに、今のゼファーにはそれすらも出来ない。

 弦十郎が強いからではなく、ゼファーが弱くなってしまったからだ。

 比喩表現そのままの、子供と大人の戦いにしかなっていない。

 だが、それでも。

 みっともなく、情けなく、泥臭く、格好悪くとも食らいつき続けてこそ、ゼファーだ。

 立ち上がる少年の目が死んでいないのを見て、弦十郎がほくそ笑む。

 

 何度でも立つ。

 何度でも挑む。

 何度でも殴る。

 

 力が失われていようが、肉体がボロボロだろうが、壊れかけの肉と骨しかなかろうが。

 折れない心と絢爛な心がそこにある。

 弦十郎はいつだって、我が子のように見守るこの少年が肉体的に強くなった時よりも、精神的に強くなった時にこそ、大きな喜びを見せてきた。

 

「うおおおおおおおおおッ!」

 

 限界を超え、不可能を可能とし、無理無茶無謀を押し通す。

 拳を振り上げ、体を捻り、力を溜める。

 右足は体を押し出すために。左足は前に踏み込むために。

 左足の先から伝わる力を捻りながら上へ上へと持って行き、足首・膝・腰・胸・肩・肘・手首の回転が力を乗せて、右の拳に全身全霊の力を集約させていく。

 そして一つのベクトルへと押し固め、拳先より解き放った。

 

「―――!」

 

 弦十郎の掌と、ゼファーの拳の真っ向勝負。

 大気が震え、弾け、今までのどの攻撃でも発せられていなかった"いい音"が鳴り響く。

 大怪我の後、リハビリに励む格闘家は手応えと音の実感により、戻った調子を認識するという。

 その一撃は、まさにそれそのものだった。

 

「……今のは、今日一番いい一撃だったぞ」

 

 弦十郎がいい笑顔を浮かべて、ゼファーを褒める。

 『戻った』というのは弦十郎、緒川、ゼファーの三人に共通した認識であったようで、緒川がここまでと二人に宣言し、ゼファーはその場に崩れ落ちる。

 

「へへっ」

 

 倒れたゼファーは気分のいい疲労感に身を委ねつつ、戦闘後の身体検査を機材で行う医師に身を任せ、体の状態を隅々まで確認されていく。

 ゼファーの体を診た医者は表情をコロコロと変え、顔色を次々と変え、悩む様子に考える様子にハッとした様子と変転を経る。

 そして考えるのを止めた様子で、言葉を漏らした。

 

「……えええ」

 

 医師はゼファーと横に居る二人の大人に向かって、興奮気味に診察結果を述べた。

 

「数値がかなり向上してます。完治したわけではありません。

 腕が元通りになる可能性が生まれたわけでもありませんが……

 ですが、ありえない! ありえないことが起きたんですよ! 奇跡です!」

 

 ゼファーの体が治らないと断じられたのは、彼のブレードグレイス及びそこから生まれる再生能力の『ここまで回復させる』という基準点が、負傷後の状態に固定されていたからだ。

 だがその肉体のバグが、多少なりと改善されている。

 ゼファーがこれまでの日々の中で身長が伸びた時、体重が増えた時と同じように、微々たるもので少しだけだが確かな変動。

 僅かではあっても、そこには変化があった。

 

 きっかけはおそらく二つ。

 先日のナイトブレイザー復活による、精神と肉体の状態不一致の解消。及びそれによる、バグの一部改善。

 そして、今やっていたこの修業だ。

 彼は限界を超え、『あの時の肉体の感覚を取り戻すように』と過去の動きを求め、動かない身体を動いていた頃の身体に追いつかせようと、必死に動かした。

 

 今の彼には、過去の動きをなぞることを目標とするのが限界。

 ゼファーの目には、自分の"少し前"を走っている、"少し前"の健全な自分が見えていて、それに追いつこうと必死にあがき、そしてその果てにほんの少しだけ届かせたのだ。

 目標とする動きとそれを成す肉体を知っているのなら、逆説的に言えば目標とする動きを行い続けることで、その動きが目標とする肉体を作り上げてくれる。

 人は心技体にて一体。心と技にて、壊れた体を元の形にほんの少しだけ近づけたのだ。

 

 無茶苦茶な理屈だが、そこは弦十郎とゼファーの師弟。

 不可能をぶち抜くのはお手の物、といったところか。

 

「三年……いや二年あれば、元通りでなくともある程度のレベルまで回復するはずです」

 

「……よかった。本当に、良かったです」

 

 医師の指定した変則的リハビリ期間は約二年。

 そこまで話を聞いて、緒川はほっと胸を撫で下ろした様子だ。

 撫で下ろす右手の甲には、ネガティブフレアによって刻まれた火傷の痕が残っている。

 彼もまた、あの惨劇の中で人々を救うために走り回った一人だ。

 ゼファーの怪我のことを本当に心から案じてくれていたのだろう。

 表情からも、それが読み取れる。

 

「よくやったな。お前の、一生懸命の報酬だ」

 

 弦十郎も身体を起こしたゼファーの頭を撫で、豪快に笑っている。

 ゼファーはいまだに正常とは言えない手をゆっくりと開いたり閉じたりした後、目を閉じて自分の頭をさすり、『そこ』も多少なりと治ったことを理解した。

 

「ARMも、ちょっと戻って来ました。

 頭の中もちょっと焼き付いてたっぽいですが、この分だと脳もちょっと治った感じですね」

 

 脳機能である直感、及びそれを聖遺物の身体が強化することで構成される"ゼファーのARM"は、肉体と脳の両方のダメージが残っている現状では正常に稼働してはくれない。

 いわば脳が火傷している状態なのだ。

 だがそんな怪我ですら、気合で少しづつ乗り越え始めているのだからとんでもない。

 

「ブレードグレイスだけは、何やっても使えない、みたいな感じですが……」

 

 だが、ほんの少しも戻らなかったものもある。

 その最たるものがブレードグレイズだ。

 使えたとしても再生能力がこの有り様では、ゼファーの傷などどうやっても治せなかっただろうが、それでも能力の起動すらできないというのは本当に不思議だ。

 たとえ、命のゲージがもう90%を切っていたとしても。

 ゼファーは使わなければならない時には、迷わず使っていただろうに。

 

 退院後に了子にやたらネチネチと責められた記憶さえも、彼の蛮行のストッパーにはなるまい。

 

(なんとなく)

 

 なればこそ、彼がブレードグレイスを使えないのは、『彼以外の意志』によるものであると見るべきだ。

 

(使おうとすると、誰かに止められてる気がする……)

 

 「ブレードグレイスを使わなくても全員守るくらいの気概を見せろ」と、声なき言葉がどこからか届けられているような気すらする。

 

(今の俺は、前よりも弱いくらいだ。

 力任せに動いて、力を求めて動くより、もっと考えて……)

 

 今のゼファーが目指すべきことは、考えること。

 強くなろうとしても意味が無い。ちょっと前までの自分にすら追いつけていないのだから。

 マリアに力を得ても心と体の弱さがなくなるわけではない、と言われたこともある。

 

 彼は無自覚の内に大きな選択が待つ、分岐路の少し前の位置に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャワーで汗を流して、ゼファーは司令部に向かう。

 今日は格式張ってはいないものの、個人個々人の話を聞く大事な話し合いがあるとのことで、彼も早足で目的地へと向かう。

 すると、司令部から声が聞こえてきて、思わず彼は足を止めてしまう。

 その声は、他の人からの又聞きであったが、『大変な怪我』をしたと聞いていた、そんな男達の声だったから。

 ゼファーは守りたかった、でも守れなかったという後ろめたさを飲み込んで、ドアの隙間からこっそりと覗く。

 そこには、男三人の後ろ姿があった。

 

「――ま、そういうわけで。走んのはもう無理だとよ」

 

 車椅子に座る天戸は、そう呵々大笑して己が足をペシペシ叩く。

 

「まーなんというか、まぶたの下に何もないのに治せるわけないよねっていう」

 

 一瞬横を向いた、片目を眼帯で覆う甲斐名の視力は、もう戻ることはないだろう。

 

「その点私は安静にしていれば完治するそうだ。運が良かったね」

 

 肋骨が折れた状態で人命救助に走り、結果生死の境を彷徨っていた土場は、後遺症が残る確率だけで言えば一番低いようで、椅子に座って肋骨のあたりの固定帯をさすっている。

 

(……)

 

 ゼファーは拳をぎゅっと握り締める。

 取り返しの付かない喪失は、ここにもあったのだ。

 天戸の同僚も多く死んだ。甲斐名の同僚も、土場の同僚もそれぞれ何人も死んでいる。

 体の傷だけでなく、心の傷も多々あるはずだ。

 にも、かかわらず。

 

「根性で立って歩くくらいまでには回復してやるぜ。

 まだまだ、この二課には俺にしか出来ないことが多すぎるからな。しばらくは部隊指揮のみだ」

 

 天戸は笑う。

 

「僕は元々聖遺物探しが本業だしね。二つあるなら一つなくなったって、どうってことはない」

 

 甲斐名は笑う。

 

「私も安静にしていれば通常業務に支障はない。活躍させていただこう」

 

 土場は笑う。

 

(……!?)

 

 ゼファーの視点からでは彼らの後ろ姿しか見えないが、彼らは男らしく笑っていた。

 力強く、雄々しく、後悔や弱さなど微塵も見えない、そんな雰囲気で。

 

「まったく、たくましいわねー、あなた達は。なんでかしら?」

 

 ゼファーの疑問を代弁するかのように、了子が男三人に向かって言葉を投げかける。

 了子の隣に座っているあおいも同意見のようだ。

 

「何故かって? 決まりきってんだろ」

 

 そんな女性二人、天戸から見ればずっと年下の二人に、天戸は胸を叩いて答えを返す。

 

「俺達が、『男』だからだ」

 

 その回答に一番心震わされたのは、了子でもなく、あおいでもなく。

 

「―――」

 

 ドアの隙間から覗いていた、ゼファーだった。

 

「なーにが理不尽だ絶望だ、新人どもには気弱になってる奴も居たがな。

 知ったこっちゃあねえ。俺達は生きてる。こうして胸を張ってる」

 

 甲斐名と土場の様子を見る限り、天戸がこうして語る言葉は、彼ら三人が同じく抱いている気持ちのようだ。

 

「目が何だ、足が何だ、仲間の死がなんだ」

 

 ゼファーがここに来る前から、彼らの仲間はノイズに殺されていた。

 されど、ゼファーが会った時に暗い影が彼らの中に見られたなんてことはなく。

 今も昔も、ゼファーの記憶の中の彼らは、強く笑っていた。

 

「そりゃあ悲しいさ。悔しいさ。

 今すぐにでも酒を浴びるほど飲んで何もかも忘れて現実逃避したいがな。

 男ってのは、現実なんてあやふやなもんに負けてたまるかと、吠えて初めて男ってもんだ」

 

 天戸の口から出てくる言葉は、笑えるくらいの精神論。男特有の精神論だった。

 

「知るか! それがどうした! くたばれ!

 と叫び続けてな! 最後に笑って終わるんだよ! 現実や絶望とやらを笑い飛ばしてな!」

 

 男特有の突き抜けた、気合とやせ我慢と咆哮だった。

 

「俺達は男だ。

 見栄張って、虚勢張って、胸張って、強く生きていく生き物なのさ。

 若い嬢ちゃんらにはちょっと分からねえかもしれねえがな! ガッハッハ!」

 

 嬢ちゃん呼ばわりされた二人は、了子が呆れ顔を浮かべて、あおいが額に手を当てている。

 これだから二課の男どもは、とか何とか思っているかもしれない。

 

「なあ、そうだろ?」

 

 天戸が女性二人から顔を背け、新たに顔を向けた先には、弦十郎・緒川・朔也の三人。

 女性二人とは違ってこの三人にはゼファー同様、先ほどの天戸の言葉に思うところがあったようで、三人揃って力強く頷く。

 

「戦列に復帰するぜ。

 傷だらけだろうが、ボロボロだろうが、なあに気にしねえ。

 まだまだ、特異災害対策機動部二課は死んじゃいねえんだ」

 

 天戸、甲斐名、土場、三名。現場復帰。

 そこで居てもたっても居られず、ゼファーは部屋の中に駆けて行く。

 彼が帰って来た男達のすぐそばまで辿り着くのと、男達が振り返るのはほぼ同時。

 そうしてゼファーは、彼らの目の前で、ありったけの思いを込めた言葉をぶちまけた。

 

「おかえりなさいっ!」

 

 返って来たのは一瞬の戸惑いと、その後の笑顔。

 椅子から立ち上がってこない土場、車椅子のまま少年を抱き締める天戸、立って横合いから少年を抱き締める甲斐名が声を揃えて、少年の求めた言葉を返した。

 

「おう、俺が今帰ったぞ!」

「ただいま」

「私もただいま、と言っておこうか」

 

 傷だらけでも、前と同じものではなくとも、かつてここにあった日常が戻って来る。

 

「うわっ! ゼファーは特に何の臭いもしないのにおっさんがすげえ臭い!

 加齢臭! 加齢臭! 加齢臭! 加齢臭! 加齢臭! 加齢臭! 加齢臭!」

 

「なんで七回も言った甲斐名てめえ!」

 

「あはは」

 

 笑顔が、ここに戻って来る。

 誰も彼もが、笑えないような過去と傷を刻み込まれてしまったけれど。

 それでも、まだ笑えている。

 

「さて諸君、ぼちぼち仕事を始めるとしようか」

 

 まだ、戦える。

 

「俺達二課が持つ一側面。諜報機関として、『これ』にどういうスタンスで臨むかだ」

 

 弦十郎が指で指し示したボードの中に、ノイズの写真はなく。ゴーレムの写真もなく。オーバーナイトブレイザーの写真もなければ、シンフォギアやナイトブレイザーの写真もなかった。

 あるのは人々が映る写真と、匿名掲示板のキャプチャー画のみ。

 この場に、現代の情報化社会の中で生きていて、弦十郎が言わんとしていることが分からないような情報弱者は、一人も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 完全に良い人は居ない。

 完全に悪い人は居ない。

 良い人が悪い人になってしまうことも、悪い人が良い人になることもある。

 それらは全て可能性であり、どんな人間にも未来に良い人になれる可能性はある。

 だから『それ』を理由に、どんな悪人であっても未来を奪いはしないという者も居る。

 

 一人守れば、一人生き返ったことになるのか。

 一人救えば、一人生まれたことになるのか。

 一人助けて、その助けた誰かがずっと善人である保証はあるのか。

 一人失って、その誰かが将来悪人になって他人を傷付けなかった保証はあるのか。

 守れれば結果は必ず良くなるのか? 守れなければ結果は必ず悪くなるのか?

 その一つ一つの命の価値と未来は、誰が保証してくれる?

 

 誰かを助けるということはどういうことか。

 誰かを守るということはどういうことか。

 誰かを救うということはどういうことか。

 その答えに対する完全な正答は、この世の誰も知りはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

 名も無き父と息子が走る。

 その背後にはノイズ。

 運悪く、彼らは一度転んでしまえば殺されてしまうであろうほどに、ノイズに接近されていた。

 ゼファーの直感が完全に復活しておらず、数分~十数分前の出現予測ができなくなったなんていう事情を彼らは知らない。

 ナイトブレイザーの戦闘可能時間がもうそろそろ切れる頃だ、なんていう危機感も持てるわけがない。何も知らないまま、彼らは生きることを諦めずに、走り続ける。

 

「おとうさんっ」

 

「頑張れ!」

 

 英雄の勇気ではなく、父の意地で男は気張る。

 ナイトブレイザーのようには戦えない。

 だが一人の父として戦うことはできる。

 先日テレビで報道された、警察官を身を挺して守った青年のようにと、父親は先人の勇気を思い出しながら、「力のない人間にもできることはある」と小さな勇気を振り絞る。

 

「こっちだ! ワシが居る方に来い!」

 

 少し離れた場所から、警察官の声が聞こえた。

 かなり年を重ねているように見えた警察官の方へと親子は走るが、この親子をずっと追って来ていた人型ノイズはどんどん距離を詰めていき、二人同時に手をかけようとする。

 

「……っ!」

 

 そこで父親が土壇場にて選んだのは、自己犠牲だった。

 子を走らせ、自分は一瞬足を止め、自分の相対位置を"ノイズに一番近い位置"にして、ノイズが自分を狙うよう誘導。

 その目論見は成功したようで、ノイズは走る父親の方を追う。

 

「こっち来い!」

 

 今にも追いつかれそうになっていた時に一瞬足を止めてしまったことで、父親はもうあと一秒か二秒で追いつかれてしまうだろう。

 だが、そこに助け舟。

 普通に生きている分には「リレーのスタートピストルのような音」としか形容できない、響いた銃声がノイズの気を引いた。

 

「動けば撃つ。動かなくとも撃つ」

 

 警察官が銃を構え、ノイズに向かって撃ったのだ。

 だが先日の警官がそうだったように、この銃撃もまたノイズには通じない。

 ノイズは武器を持たない人間よりも武器を持った人間を殺すことを優先したようで、父親へと接近することをやめ、警察官の方に飛びかかっていく。

 

 普段ならばこの警察官も、こんな無茶はしなかっただろう。

 だが先日の報道で見た、市民を守って勇気を出す警官の姿が、目に強く焼き付いていたから。

 ヒーローに憧れて、その背中に正義を見て、警察官になってから数十年。

 定年前に一度くらいはカッコつけてみたいと思うような俗物っぽい考えが、この男の中にはあった。

 

 英雄の勇気ではなく、警察官の誇りで男は気張る。

 ナイトブレイザーのようには戦えない。

 だが一人の警察官として戦うことはできる。

 警察官になった時の初志を果たすという熱に酔い、恐怖を踏み潰すことは出来る。

 

「っ!」

 

 撃つ、撃つ、撃つ。

 だが警察官の銃撃では、ノイズを殺すことなどできようはずもない。

 銃弾は位相差障壁にて無効化され、次第に引き金はカチカチと空鳴りの音を奏で始める。

 

 男達はテレビにほんの少しだけ影響されて、生来の性格の一部がほんの少しだけ踏み留まって、心がほんの少しの勇気を振り絞って、行動して。

 それでも何の力もない人々では、稼げたのはせいぜい10秒。

 父親が"息子から殺される未来"を"自分から殺される未来"に変え、警察官が"父親から殺される未来"を"警察官から殺される未来"に変えた。

 だが、"最終的に三人とも殺される未来"は変わらないままだ。

 

 子供はその背中をずっと見ていた。

 足掻き続ける二人の大人の背中を、じっと見ていた。

 

「南無三!」

 

 されど、その生きることを諦めなかった10秒が。

 三人全員が生き残るという、奇跡をたぐり寄せる。

 

「―――!」

 

 落下、着地、拳撃、昇華。

 時間加速にて間に合わせたナイトブレイザーが、ただの一撃で造作もなく、災厄を蒸発させたのだ。あまりの精神的衝撃に、彼らは喜ぶことすら出来ずに、呆けてしまう。

 そんな彼らに向かって、騎士は珍しく口を開いた。

 

『よく頑張った。あなた達が立ち向かわなければ、ほんの数秒間に合わなかった』

 

 仮面越しのくぐもった、そんな、内に感謝が隠されている賞賛。

 警察官は、父親は、子供は、ナイトブレイザーの圧倒的戦闘力に目を奪われ、ナイトブレイザーの賞賛に耳を疑い、ナイトブレイザーが去って行く時にも何も出来なかった。

 ただぼーっと、黒騎士が飛び去っていく際にその背中を見つめていた。

 

「ナイトブレイザー……」

「喋るんかアイツ……」

「ヒーロー……正義の、味方……」

 

 ナイトブレイザーの背中を見送った後、子供は父と警察官の背中を交互に見ていく。

 父親の方はナイトブレイザーが去って行った方向を見つつ、頭の中を整理しているようだ。

 対し警察官の方はといえば、ナイトブレイザーの背中を見ながら、遠い昔のことを思い出し、何かを小さな声で呟いている。

 

「ああ、そうだ……思い出した……

 昔見た、近所のおまわりさんの背中に正義を見て、ワシは、警察官になろうと、そう……」

 

 正義は名乗るものではない。呼ばれるものだ。

 

 それはいつの時代も、どんな場所でも変わらない。

 

 自分が正義だと名乗った時点で、それは正義ではない。

 

「正義の味方は正義じゃない。

 警察は法の味方だが、正義じゃない。

 それでも……ワシは、きっと、間違いのない正しさってものがどこかにあると信じて―――」

 

 普通の大人にだって、普通の父親にだって、普通の警察官にだって。

 誰の心にも、正義と呼ばれるかもしれないものは宿されている。

 ヒーローが去った後、子供はずっと、警察官の背中を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 完全に良い人は居ない。

 完全に悪い人は居ない。

 良い人が悪い人になってしまうことも、悪い人が良い人になることもある。

 それらは全て可能性であり、どんな人間にも未来に良い人になれる可能性はある。

 だから『それ』を理由に、どんな悪人であっても未来を奪いはしないという者も居る。

 

 一人守れば、一人生き返ったことになるのか。

 一人救えば、一人生まれたことになるのか。

 一人助けて、その助けた誰かがずっと善人である保証はあるのか。

 一人失って、その誰かが将来悪人になって他人を傷付けなかった保証はあるのか。

 守れれば結果は必ず良くなるのか? 守れなければ結果は必ず悪くなるのか?

 その一つ一つの命の価値と未来は、誰が保証してくれる?

 

 誰かを助けるということはどういうことか。

 誰かを守るということはどういうことか。

 誰かを救うということはどういうことか。

 その答えに対する完全な正答は、この世の誰も知りはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーはこれで、立花家に来るのも何日目になるだろうか。

 何回この家を訪れたか、ではない。何日連続で来ているか、という話だ。

 彼は昨晩ノイズとの戦闘をこなし、その事後処理をした後三時間ほど眠って、朝の時間帯にここに来ていた。

 手にはホームセンターで買って来た、ペンキ一式が入った買い物袋。

 

「……おーおー、増えてる増えてる」

 

 彼の視線が向かう先には、立花家の一軒家の塀がある。

 そこには赤いスプレーで『人殺し』『クソ野郎』『死ね』『税金泥棒』『人間のクズ』と、多種多様な文字列が並んでいた。

 ゼファーはそれを片っ端からペンキで塗り潰し、真っ白に染めていく。

 

(こういう何も考えない単純作業、結構好きなんだよな俺……)

 

 『生きてる価値なし』『自殺しろ』『生きてて恥ずかしくないの?』と、書かれた張り紙を片っ端から剥がして指定のゴミ袋に放り込んでいく。

 妙に手馴れている様子で、それが一種異様ですらある。

 ゼファーはそうして、どこかの誰かの悪意を真っ白に塗り潰していった。

 

「あ……」

 

「よ、ヒビキ。おはよ」

 

 二階のベランダに響の姿を見て、ゼファーは笑顔でおはようと言う。

 対する響はほんの少しだけ思い悩んでいるような、憔悴したような、疲れたような表情を見せ、曖昧な笑顔でゼファーに朝の挨拶を返そうとして。

 

「ッ!」

 

 どこからか卵を投げつけられたゼファーを見て、目を見開いた。

 

「ゼっくん!」

 

「来るなヒビキ! 家の中から出るな!」

 

 静止するゼファーの声は響に向けたものではない。

 間接的に響の父母と祖母に向けたものだ。

 こうすれば止めてくれるはずだと……そう信じ、ゼファーは姿を現した少年の集団――近所の中学校の男子生徒の集まり――と向き合った。

 

「あー、またおにいさんじゃーん」

「ごめんねー、キャッチボールしてたらはずしちゃってー」

「ごぅーめんねぇー、ぷぷっ」

 

「……ああ、いいぞ。次から気を付けて、もうやらないんならな」

 

 ゼファーは別に、卵をぶつけられたとて特に怒りはしない。

 それだけでストレスや怒りを感じてしまうようでは、彼の人生は成り立たなかっただろう。

 

「でもさ、おにーさんがこんな不幸なのって、普段の行いが悪いからだと思うんだよね」

 

 彼の怒りが、自分が傷付けられたことを理由とすることはない。

 

「あんな悪者をさ、こんな風に庇うからさ」

「最近近くのスーパーで買い物しようとしたら拒否られたんだって?」

「いやはや、このご近所で顔を知られちゃったワルモノは辛いね~?」

 

「……俺は別に、悪いことはしてないと思うがな」

 

「何言ってんのさ、悪者の味方してるじゃん」

「テレビとか見ないの? 悪者じゃない、なんて言う奴居たらフルボッコだよ」

「人殺しだかんね。殺人者特定班連合支援サイトとか出来たの、これが初めてなんでしょ?」

 

「あの子に、この家に、悪いことをしたなんて事実は、無い」

 

「どうせ殺して生き残ったんでしょ。退院早すぎだし、保証金もたんまり貰ってるんだって?」

「人殺して金貰うとか、法律が間違ってるだけなんだよなあ……」

「殺したくせに、報いを受けても殺されないだけ、俺らの寛大さに感謝してほしいね」

 

「……!」

 

「つーわけで、そこ、どいてよおにーさん」

 

 道のど真ん中に立ちはだかるゼファーをどけようと迫る少年達。

 だがゼファーは、自分をどけようとする少年達の手を、優しく強く跳ね除けた。

 

「俺を納得させる理由を述べてみろ。

 お前ら、あの災厄で家族でも無くしたのか?

 お前らのやってることに正当性があるなら……

 この家の人達がこんな目に合うことに正しい理由があるなら……

 語られたお前らの理屈が俺を納得させられたなら、ここをどいてやるよ」

 

 少年達は信じていた。

 親が言うこと、学校の先生が言うこと、友達が言うこと、先輩が言うこと、後輩が言うこと、テレビで偉い人が言うこと、ネットでたくさんの人が言うこと。

 それらのほとんど全てが同じだったから、信じていた。

 

 『これ』が正しいことなのだと、信じていた。

 

 傷一つ負わないままに、自分達が正義を語れると、信じていた。

 

「はぁ? なにいっちゃってんのこいつ」

「この家のやつらはな、人殺しなの!」

「ラインとかTwitter見れば皆そう言ってるくらいジョーシキだっての!」

「テレビとか見ない人? 昨日のTBSの議論番組見てれば俺達が正しいって分かるのになあ」

「人殺してお金貰って悠々と笑ってる悪人とか、人道的に許せねえじゃん?」

 

 ゼファーが"みんな"という不特定多数の笑顔と幸せを守っているのと同じように。

 いや、それとはコインの裏表のように。

 この少年達は、"みんな"という不特定多数が望むものと、信じる正義を掲げていた。

 

「俺達は法に代わって正義を果たしてる、『正義の味方』なんだよ!」

 

「―――」

 

 自分達が正義であると疑わず、止まらず、信じ、それに酔っていた。

 

「もう一度、言ってみろ」

 

 ゼファーは先頭に立っていた少年の襟首を掴む。

 彼の表情からは燃え盛るような『怒り』の熱が漏れていた。

 子供達が気圧され、一歩後ずさり、両隣の友達に迷いの視線を送り始める。

 

「苦しくて痛くて、悲しくて、それでも生きようと頑張っている女の子にこんなことをする」

 

 ゼファーには"見え"ていた。

 

「それが『正義』だと、俺の目の前でもう一度言ってみろ……!」

 

 大切なものは目に見えない。

 目に見えるものだけを悪と断じていては、本当の悪に辿り着くことなど叶わない。

 この少年が悪いのか? この少年を倒せば響は救われるのか?

 違う。そんなわけがない。

 今この国に満ちているこの現状は、『誰か一人が悪いなどということはありえない』。

 

 皆が少しづつ、少しつづ流れを作り、その流れに誰もが押し流されて、善良な人間や普通の人間にも"こんな行動"を取らせてしまっているのだ。

 誰もがほんの少しだけ悪い。誰もがそこまで悪くない。

 だから、誰もが悪くて、誰もが悪くない。

 人々が善意のつもりで吐き出した悪意は溜まりに溜まり、凝縮に凝縮を重ね、最後の最後に……こうして、立花家のような無抵抗の被害者へと向けられる。

 

 言うなれば、世界そのものが加害者だった。

 

「おいこいつやべーぞ!」

「殴られる……ひ、ひっ」

「逃げろ逃げろ警察呼べ!」

 

 少年達が去って、ゼファーは一息つく。

 心がとても疲れて、傷付いて、やるせなくて。

 今去って行った少年達の中に、『かつてナイトブレイザーが助けた覚えのある顔』があったのもまた、彼の心を疲弊させる。

 響を傷付けていたのは、かつて彼が救った一人だったのだ。

 救わなければ、もしかしたら、響の傷は減っていたかもしれないと……そう考えて、ゼファーは"救わなければよかった"と思いかけた自分の思考に、激しい自己嫌悪に陥る。

 

(……ああ、くそっ、悩みすぎだろ俺。もっとタフな男になりてえ……)

 

「ゼっくん! 大丈夫!?」

 

「おいヒビキ、出てくるなって――」

 

 待ってましたと、誰かがそう意識した、そんな意志の流れを感じ取り。

 ゼファーは響を庇うように腕を伸ばした。

 

「――ヒビキッ!」

 

 手の平大の石が飛んで来て、ゼファーの手首に当たってゴキリと音を鳴らす。

 今のゼファーの身体能力では、キャッチできない。

 今のゼファーの再生能力では、ゆっくりとしか治らない。

 ゆえに、手の骨にヒビが入ったのは、完全に彼の予想外だった。

 

「ゼっくん!?」

 

「家の中、入れ……!」

 

 響はゼファーの言うことを聞かず、その場に居続ける。

 それどころかゼファーを抱き締めるように、次の石が飛んで来たら自分の体で庇うんだと、そう言わんばかりに彼を守ろうとしていた。

 だが体の痛みに耐えようと歯を食いしばる響の耳に届いたのは、石ではなく言葉の刃。

 

「なんで生きてるんだろうね」

「恥知らず」

「ツヴァイウィングの片方も死んじゃったくらいなのに」

「うちの子が死んで、なんであんな何の取り柄もなさそうな子が……!」

「ノイズに襲われると補償金が貰えるんでしょ?」

「税金でのうのうと暮らして、さぞ気分はいいんでしょうね」

 

 体ではなく、心を傷付ける言葉だった。

 ゼファーを庇いながら、響の目から涙が溢れる。

 

「やだよ……やだよ、こんな……

 やっと帰れるって思ったのに……リハビリ頑張ったのに……!

 誰か……誰か、助けてよ……嘘だって言ってよっ……!」

 

 生きていてくれてありがとうと、ゼファーは言う。

 お前が生きていることは間違いなんだと、たくさんの人が言う。

 それが、今の響が生きる現実だった。

 

 ゼファーは響の涙を見て、折れた腕をだらりと下げながら、一歩進んで彼女を庇うように立つ。

 

「言いたいことがあるなら、出てきてそう言えばいい。

 自分は正しいことをしてるんだって、そう胸を張ってみろ」

 

 ゼファーは周囲の全てに向かって吠えた。

 声は大気を震わせ、気迫は世界を震わせ、眼光は見えていないはずの下手人を射抜く。

 それでも"正義の加害者達"はクスクスと笑って、罵倒の言葉を放ち続ける。

 

「俺は張るぞ。お前達のように、こそこそなんて絶対にしないッ!」

 

 負けてたまるかと言わんばかりに、彼は叫んだ。

 

「響が生きてくれたことは正しかったんだと、必ず証明してみせる!」

 

 正義は名乗るものではない。呼ばれるものだ。

 

 それはいつの時代も、どんな場所でも変わらない。

 

 自分が正義だと名乗った時点で、それは正義ではない。

 

 彼らは自分を正義と呼んだ。

 

 普通の子供にだって、普通の学生にだって、普通の主婦にだって。

 誰の心にも、正義と呼ばれるかもしれないものは宿されている。

 それが本当に正義であるのか、自分ではなく他人が呼んでくれるのかどうかは、別として。

 

「お前達が正義の味方なんだと名乗ろうが……

 俺はずっと、『響の味方』だ!

 これまでも、これからも! ずっとずっと、お前達の前に立ちはだかり続ける!」

 

 弱者に味方し、偽の善に立ち向かう、調の強さ。

 死を理由に生者を傷付ける生者に屈さない、切歌の強さ。

 正義に悪と呼ばれども、信じるもののために悪を貫く選択を選べる、マリアの強さ。

 それが、彼の膝を折らせない。

 

「この子は俺が守ってみせる! 絶対に、絶対にだッ!」

 

 無数の『正義の味方』と、ゼファーが相対する。

 初めての戦い。初めての敵。初めての勝利条件。

 それがゼファー・ウィンチェスターの立った、新たな戦場だった。

 

 

 




倒してはいけない
殺してはいけない
屈してはいけない
負けてはいけない
そんなボス

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