戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

115 / 188
 予定していた文字数を書くのにかかった日時が、予定よりずっと短くなって困ったことになってきました。GXの立花家の話はちょっと考えないようにして当初予定していた路線で行きます
 プロットに亀甲縛りにされているようです


第二十六話:私の好きだった人の分まで

「やめてっ!」

 

 川にかかる橋の上で、未来と響は同校の女子達に捕まってしまっていた。

 女子達は十人前後は居るだろうか?

 半分ほどは響と未来を抑え付けていて、残った半分の内一人が、響と未来のカバンを川に投げ捨てようとしている。

 

「離して!」

 

「えー? どうしよっかなー」

 

 きゃはは、と少女達は笑う。

 

「じゃ、多数決にしようか。離しちゃダメと思う人挙手!」

 

 余興に走った子の声に応え、その場の響と未来以外の全員が手を挙げる。

 

「だって。人殺しは自由にしちゃダメだってさっ!」

 

 響と未来には『やり返してくる暴力』が無いから、少女達はつけ上がる。

 漫画の中で、悪役が笑いながら満足して死んでいくことに不快感を覚える人が居るのと同じように。漫画の中の悪役に、苦しんで死ねと願う人が居るように。

 "悪役"が苦しんでいれば、それだけで爽快感を感じるという人間はそれなりに多い。

 そこには『クラスの気持ち悪い奴』程度のものから、『無抵抗な人殺し』まで含まれる。

 

「パパやママからの税金、沢山貰ってるんでしょ?」

「そりゃ入院しても学校に戻って来れるくらい元気になるわけだ」

「今でも泣いてる子が居るくらいなのにね」

「ほんっと、ムカつくわ」

「立花、なんでアンタ友達と笑いながら下校とかできんの? まともな良心も無いの?」

 

「……う」

 

「やめなさい!」

 

 これだけ幅も深さもある川に落ちてしまえば、カバンはもう二度と見つかるまい。

 未来は自分を捕まえている女子らの拘束を振りほどこうとするが、振りほどけず、響が追い詰められて行くのを見ているしかない。

 これで響と未来のカバンまで川に投げ捨てられてしまえば、響は喪失感と、自分のせいで未来のカバンを失わせてしまった罪悪感で、もっと思いつめるようになってしまうだろう。

 

 そんな響の心の中身を理解できていれば、彼女らも手を止めるのだろうか?

 止めるだろう。きっと止めるはずだ。

 だが、彼女らが時間をかけずに響の心の中身を知る方法など、あるわけもなく。

 相手のことを理解していないからこそ残酷になれる子供は、虫の手足をもぐように、響の心を痛めつける選択肢を選んだ。

 

 二つのカバンは宙を舞い、川へと落ちていく。

 

「うっざ」

 

「あっ……!」

 

 加害者が笑い。

 被害者が泣きそうになり。

 男は、川の上を走った。

 

「は?」

 

 男は川の上でカバンをキャッチし、川の真ん中に突き出ている大きな石を足場にして跳躍。

 川の水面から、川にかかる橋の上まで跳躍した。

 カバンが川の流れの中に消えたことを嘆く未来と響の声を聞こうとしていた子供達は、ぎょっとして目を見開き、橋の欄干の上に立つ少年を見つめる。

 やたらガタイが良くて頼りになる外見のその少年に、未来は先程までの怒りと無力感に満ちた表情を消し、思わず笑ってしまう。

 

「……わぁお、ゼっくん」

 

「おう、呼んだか?」

 

「心の中で、ちょっとだけ」

 

 そうか、とだけ返して、ゼファーは欄干の上から降りる。

 まずは呆気に取られる少女達の意識の隙を突いて、さっさと響を救出。

 響にカバンを渡し、同じように未来を捕まえている少女の手を掴む。

 だがそこで、"人殺しの一味に友達が腕を掴まれている"という光景が、一人の少女の心に多大な恐怖を与えてしまい、蛮行に走らせてしまう。

 少女は『悪人から友達を助けるため』、足元に落ちていた石をゼファーに投げつけた。

 

「みーちゃんを離せ、人殺しの味方!」

 

 飛来するそれを、こともなげにゼファーは片手でキャッチする。

 

「!?」

 

「おお、あぶね」

 

 一見余裕そうに見えるが、彼の内心は超が付くほどヒヤッとしていた。

 "よくキャッチしてくれた、俺の手"とほんのちょっとだけ回復した手に感謝し、絶対的強者を演じ仮面を被る。

 ゼファーの登場が、少女らの頭に危機感と真っ当な思考を取り戻させた。

 彼はにこりと笑い、手刀で目の前の子供達の頭を片っ端から引っ叩く。

 

「ぎゃふっ」

「にむっ」

「に、逃げ――」

 

 頭を防御なんてさせない、素人相手に大人げないくらいの技巧を駆使した一撃。

 ちょっとだけ痛い、加減されたおしおきを食らう仲間達を見て逃げようとする子も出てくるが、逃げられない。逃げ出した、しかし回り込まれてしまった!

 陸上部の未来以上に走り込みをやっている恵体のゼファーに勝てるわけがない。

 逃げたそばから脳天に手刀を叩き込まれていく。

 

「エンッ」

「あだっ」

「なぶっ」

 

 全員が頭を抑えてうずくまると、後にはゼファーしか立っている者はなく、響と未来が目をパチクリさせながらそれを見ているという不思議な光景が出来上がるのだった。

 

「またオイタしたら、次はゲンコツだからな? よーく覚えとけよ」

 

「う……お、覚えてなさいよ!」

 

「ああ、俺も覚えておくからお前も覚えとけ」

 

 逃げ去っていく少女達。

 ゼファーに手加減されたことくらい、彼女らにも分かっているのだろう。

 ここで万が一怪我でもさせていたら後々問題になってしまっただろうが、結果的にかなり穏便な形で事態を収束させられたようだ。

 

「怪我はないか?」

 

 響の前に歩み寄り、ゼファーは彼女へと優しい語調で話しかける。

 無言で頷く響の体に、外傷は見られない。

 

「ごめんねゼっくん。ちょっと帰り道の選択と待ち伏せの予測失敗しちゃったみたいで……」

 

「こういう日もあるさ」

 

 ゼファーは未来にカバンを手渡し、二人を先導するため歩き出そうとした。

 だが、その足が止まる。

 彼が振り向けば、そこにはうつむき未来とゼファーの服の裾を掴む響の姿があった。

 未来もそこで響の様子に気が付いたようで、彼と目を見合わせる。

 ゼファーはここに来る前からずっと肘に引っ掛けていたビニール袋を持ち上げ、響の不安と怖れを紛らわせる笑顔を意図して作り、彼女の前でゆらゆらと揺らす。

 

「お好み焼き、一緒に食うか?」

 

 買ってきたお好み焼きを見せ、とりあえず食えばちょっとは元気になる食いしん坊だと思われていることに響は気付き、儚げに微笑む。

 

「……うん」

 

 ゼファーは響のための仮面を作ったが、彼女の目はそんなものは見ず、その向こう側の彼の素顔を見つめ、その上で微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十六話:私の好きだった人の分まで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二課は諜報機関である。

 彼らは独自にエシュロンに近い通信傍受システムを構築しており、日本政府の管理下を離れず、構成員が機密を漏らさないということを前提として、人々のインターネットでの活動や発言を日々チェックしていた。

 悪用すればディストピアの原因にもなりうるが、使い方を間違えなければ、今のこの国のどうしようもない現状を打開するきっかけにもなりうるものだ。

 一億の加害者と傍観者の中から数人づつ言葉で味方に付けていくゼファーの方法より、時に確実で早く大きな効果を生むことも可能だろう。

 

 今現在、このシステムが最も活躍している事柄は三つ。

 一つはネット上での生還者叩きが加熱し過ぎた場合、それを察知すること。

 もう一つが、過激なワードを何度も繰り返し使っている危険人物のリストアップ。

 そして最後が、現実で起きる何かしらの問題の事前察知だ。

 

 問題があるとすれば、システムよりもそれを扱う人員の数にあった。

 二課は偉い人達からの干渉を受けつつ、その範囲で何とか機密を守れる人員を探し選別し、人員が元の数に戻るまで補充を続け、少ない人員でローテーションを行っている。

 ネットの海を監視し、適度に話の流れを誘導する人員。

 日本の通信全体を漁って危険人物のリストアップをする人員。

 そして、生還者のリンチを計画する集会を察知し紛れ込んで計画を失敗に導くなど、現地での行動を主とする人員。

 どれもこれも人が足りていない。特に最後の、現地での活動必須なお仕事は、緒川配下のエージェント十数人くらいしか満足に務められる者が居ないほどだ。

 

 そしてこのシステムとそれを扱う人員が、一つの危機を察知した。

 

 近日、生還者・生還者の身内・生還者の擁護者が集まり、集会を開くのだということ。

 加え、それを知った過激派の一味が、その集会の妨害をしようとしているのだということだ。

 ……最悪、傷害事件か殺人事件にまで転がりかねない。

 既に二課のエージェントが、上記二つの勢力それぞれに混ざれるよう工作が行われ、いざという時は内部から止められるよう段取りも行われている。

 

 ゼファーはこれの手伝いを志願し、たまの休日の一日を潰してここに居た。

 路地裏で変装用の帽子の位置を直し、分厚いだけの度が入っていないメガネを押し上げつつ大通りの歩行者天国、正確にはその中央で言い争っている人達を見る。

 

「人殺し!」

 

「生きて帰って来た人の中に、どれだけの数の人殺しが居ると言うんだ! 大半は違うはずだ!」

 

 ゼファーは帽子を肩から掛けたカバンの中に入れ、パーカーのフードを被り自分の姿の印象を変化させ、大通りの端を歩いて行く。

 

「何が『災害被害者の平穏を取り戻す会』だ、図々しい!

 お前達がそうやって大きな顔をするだけで、泣いている人も居るんだぞ!」

 

「何もしていないのに責められ泣いている、そんな被災者も居るんだぞ!」

 

 ゼファーは喧騒の中心を見る。

 生還者擁護派の先頭には、虫も殺さないような顔をしたメガネの青年が居る。

 生還者非難派の先頭には、粗暴そうな顔をした髭面の中年男性が居る。

 メガネの青年と髭面の中年が主に言葉をぶつけ合っていて、他の者は静観しているようだ。

 

「だったら、何をすれば生還者は許してもらえるんだ!?

 何をすれば、君達はあの災厄から生きて帰って来た者達を受け入れてくれるんだ!?」

 

「許せるかよ! 受け入れられるかよ!」

 

 髭面の中年はひたすらに生還者への怒りを吐き出し、メガネの青年はそれに応じつつ妥協点を探しているようだ。

 少なくとも、ゼファーの目にはそう見えた。

 

「自分が生きてりゃそれでいい奴なんざ、許せるか!」

 

「そうでない人も居る! 僕は、その大半の罪のない人を許して欲しいだけなんだ!」

 

 話は平行線だ。

 髭面の中年は肉親を失った被害者の一人なのだろう。怒りと憎しみで凝り固まっている。

 メガネの青年はとことん『無実の生還者』を他人のように言う口調だ。

 周囲からも、生還者とは別枠の人間であると見られている様子。

 

(……嫌な予感が、当たって来たな……)

 

 ゼファーはこの仕事に志願する前から感じていた嫌な予感が、どんどん大きくなってくるのを感じていた。鈍った直感が、じわじわと危機感を湧き上がらせていた。

 

(ドンピシャだ。今日はちょっと勘の調子がいいな。運は、悪いが)

 

 ゼファーはこの騒動で人が一箇所に集中し、見物に来たり足を止めたりする人々までもが集まった結果、人口密度が上がったこの辺り一帯に意識を張り巡らせる。

 どこもかしこも危険地帯だった。

 直感の調子が良くて嫌な予感を感じられた幸運を喜ぶべきか、このタイミングまで『ノイズ襲撃』を予見できなかった直感の劣化を嘆くべきか。

 いずれにせよ、ゼファーはすぐにでも動かなければならない。

 翼にメールを一本入れて、ゼファーは二課本部に連絡を入れる。

 

「こちらゼファーです。あと二分以内に来ます」

 

『こちら友里。了解、すぐに予定通り警報を鳴らせるよう手配するわ』

 

「今日のサポート、お願いします」

 

『任せて頂戴。藤尭君も土場君も休みだけど、今日の二人は私がしっかり助けるわ』

 

 ゼファーは奏の死と同時に喪失したインカムの代わりに、土場が先週気前よくプレゼントしてくれたちょっと高そうなインカムを付け、携帯に接続。

 戦いの準備を整え、人目につかない場所で拳と掌を形作った。

 

 

 

 

 

 メガネの青年と髭面の中年の言い争いは、まだまだ続く。

 

「……社会や、人々に拒絶され、酷い目に合わされ、理不尽に打ちのめされても!

 それでも、生還者の人達は社会に受け入れてもらいたいんだ!

 皆さんに受け入れてもらいたいんだ!

 社会の中で、人の輪の中で生きていくことを許されたい……ただ、それだけなのに!」

 

「理屈捏ねられようが、誰もが感情で受け入れられないと! 言ってんだろうがッ!」

 

 髭面の中年は、今この国に居る、多数ではないが頑なな者達の代弁者のようですらある。

 被害者にして加害者。生還者を絶対に許さない、身内を失った者達だ。

 彼らが生還者を許さない限り、彼らに同情したり同意したりする"無関係な大多数"が生還者を許すことはなく、今この世界に流れる風潮が終わることはないだろう。

 希望の西風でも押し流せないだけの風潮は、ここから生まれてしまっている。

 

「第一、おまえは何だ!?

 さっきから生還者達に罪はない、罪はないと他人事で!

 お前は一体、どんな身上で、どんな義理があってこの場に立ってやがんだ!?」

 

「僕は……」

 

 髭面の中年は叫ぶ。

 無関係なだけの、正義感なんてものだけで動いているだけの偽善者なら、許さないぞ、と。

 メガネの青年は一瞬口ごもるが、あくまで話し合いで決着を付けようとする髭面の中年と、全ての人間が考えを同じくしているわけでもなく。

 生還者非難派の一人が、近くの街路樹の下に落ちていた木の枝を拾い、メガネの青年に投げつけた。木の枝は回転しながら、一直線にメガネの青年の顔に向かって飛んで行く。

 

「引っ込んでろー!」

 

 とうとう、二課が恐れていた事態になってしまった。

 毎日民衆が溜め込んでいた鬱憤が、ここにきてメガネの青年と髭面の中年の討論によってボルテージを高められ、人に怪我をさせかねない暴力として爆発してしまったのだ。

 血が流れば、もう止まらない。

 発端になった人物でも止められなくない暴動に発展してしまうだろう。

 

 だから、彼は血が流れる前に止めた。

 その選択は、この場に集った一般市民の全てを驚愕させる。

 

「な……ナイトブレイザー!?」

 

 生還者擁護派と生還者非難派の間に一瞬で現れたナイトブレイザーが木の枝を掴み取り、腕の炎で焼き尽くしたのだ。

 ナイトブレイザーは生還者とその味方で構成される集団を守るように、その前に立ち、災厄で身内を失った者とその味方で構成される集団に向き合って立つ。

 どちらの側にも付いていない悪く言えば野次馬、よく言って見物人の人々は、ナイトブレイザーを見て思い思いに口を開いた。

 

「ナイトブレイザーだ」

「わあ、生で見たの初めてだよ」

「今もしかしてあのメガネを守ったのか?」

 

 彼らは黒騎士を見られたことに少しの驚きと嬉しさを浮かべているが、木の枝を投げつけた当人の驚愕はその比ではなく、かつ、そこに嬉しさなどというものはなかった。

 むしろ多大な焦りと戸惑いが見て取れた。

 

「なんで貴方がそいつらを庇ってんだ!?」

 

 その男は、ナイトブレイザーという英雄と、英雄がもたらす『人が救われる』『人が守られる』『人の尊厳が守られる』という事象を、心から好きなのだと公言して憚らない名も無き男だった。

 

「そいつらは貴方の頑張りを無駄にした奴らの一味だぞ!?

 貴方が一度負けて、それでも頑張って、悪役倒して、人救って……

 その横で人を殺してた外道の味方だ!

 自分が生きるために他人を殺すようなそいつらが居なければ!

 貴方に助けられたくせに、貴方が助けた人を殺してたそいつらが居なければ!

 もっともっと、あの災厄で生きてた人は多かったはずだ! 貴方が助けたんだから!」

 

 こういう人間も、ほんの少数だが居るのだ。

 英雄のことを理解したつもりで、英雄のために動いているつもりで、その実英雄への想いをこじらせて英雄の望まぬことをし始めてしまう過激な人間。

 それに、ナイトブレイザーは何を思うのだろう。

 自分の意志を代弁するつもりで生還者を迫害していた人に、何を思ったのだろう。

 それが気になってナイトブレイザーの方を見る市民も居たが、仮面の上からでは黒騎士が何を考えているのか、何を思ったのか理解できようはずもない。

 

「……そんな……」

 

 ただ、木の枝を投げた男を真っ直ぐに見て、無言で首を横に振る黒騎士の姿は、この場の全員にシンプルな意志を伝えることに成功していた。

 

「守ったんだ」

「ああ」

「人を守るためならどこにだって来るんじゃろか」

 

 何か納得した様子を見せる者、失意に膝を折る者、隣の仲間と相談を始める者。

 各々それぞれが行動を見せるが、その中で『ナイトブレイザーがここに居る意味』に気付いて逃げ始める聡明な者は、2~3人しか居なかった。

 ナイトブレイザーは、人では抗えない脅威に人が脅かされる時に駆けつける。

 ならば、かの騎士が駆けつけるのには相応の理由があるはずだ。

 

 そう気付いたまではいい。

 だが気付いた数人がこの場を離脱する前に、無情に警報が鳴り響く。

 

「この警報……」

「認定特異災害警報……」

「の、ののののの」

 

 街の中のいくつもの場所に、災厄が現れる。

 ナイトブレイザーが腕を振るい、この場の全員の有視界内における災厄を、出現と同時に世界に発生する世界境界面の揺らぎごと焼き潰し、飛び上がる。

 時間加速したナイトブレイザーが別所にてノイズを蹴り砕くのと、翼が人目につかないように戦闘を開始するのと、街のどこかで状況を把握した者が叫んだのは、ほぼ同時だった。

 

「ノイズだぁッー!」

 

 この国では長らく、ゼファーが持つノイズ殺しの出現予測直感、ノイズ殺しのナイトブレイザーの活躍により、ノイズの被害が0に近いという奇跡的な状況が続いていた。

 年々ノイズの出現率は増し、他国がその対応に追われているというのに、だ。

 そんな平和な時期が続いていたからこそ、その反動でオーバーナイトブレイザーの災厄が与えたショックは大きく、半ばトラウマに近い形で皆の心に刻まれていた。

 『怪物に無残に殺される』。

 それが人々の意識に、リアルなようでリアルでない想像と恐怖心を植え付ける。

 

「逃げろッ!」

「嫌ぁー!」

「助けてくれぇ!」

 

 ナイトブレイザーの存在が、人々の心に最後の余裕を与えてはいた。

 それでも人々の狂乱ぶりは、ギリギリ最悪の選択肢を選ぶところまで追い詰められてはいないだろう、くらいものだった。

 皆が皆悲鳴を上げ、逃げて行く。

 暴動を抑えるために待機していた二課のエージェントが避難誘導し、やがて事前に待機していた一課と二課の人員も避難誘導に参加し、現状は奇跡的に死人0で抑えられてはいるものの、いつ死人が出てもおかしくはないような状況であった。

 ノイズは、すぐそこまで迫っているのだから。

 

「最悪じゃねえか……!」

 

 髭面の男も大声を上げることはなかったが、転んだ人間に手を差し伸べたりしつつ、皆と一緒に逃げ惑っていた。

 災厄によって家族を亡くした一人である彼が、この場で他人を見捨てられるわけがない。

 だが人に手を差し伸べるということは、その分逃げるために時間を使えないということ。

 徐々に、徐々に髭面の中年は周りの皆より逃げ遅れていき、しまいには周りに誰も居ない状態でノイズに追いつかれてしまった。

 

「!」

 

 もうダメか、と髭面の中年が歯を食いしばる。

 ナイトブレイザーに既に一撃貰っていたのだろうか? 体の左半分が崩壊し、右半分の体で跳ねながら刃腕を振り上げる人型ノイズが、髭面の中年に襲いかかった。

 中年が目を瞑る。

 腕の刃が振るわれる。

 突き飛ばされる。

 刃が貫く。

 

 髭面の中年が、先程まで自分と口論していたメガネの青年が自分を突き飛ばして助けてくれたのだと気付いたのは、ノイズの体と青年の体が炭素の屑になって砕けたその瞬間だった。

 

「―――な」

 

 体の半分が欠けてもなお人を殺そうとするノイズ。恐ろしい怪物だ。

 だが流石に体が半分だけしか残っていない状態では、自分の体積と等量の人間を炭素転換するノイズの特性上、下半身だけしか一瞬で炭素転換出来なかったようだ。

 まだ、メガネの青年は死んではいない。

 髭面の中年に抱き起こされ、まだ言葉を紡ぐだけの余裕もある。

 それでもあと二分か三分の命だろうが。

 

「なんで……なんでだ! そんな風になってまで、なんで!」

 

「もう、二度と……怪物に死をもたらされる人なんて、見たくないから」

 

 メガネの青年の覚悟に、髭面の中年は息を呑み。

 

「ごめんなさい……僕は……僕は……あの時……

 あの災厄の中で、人を殺してまで、生き残ることを選んでしまったんだ」

 

「―――え?」

 

 メガネの青年の懺悔に、髭面の中年は己の耳を疑った。

 

「怖くて、怖くて、怖くてたまらなくて……

 助けてって叫んでも、誰も助けてくれなくて……

 他の人が、赤の他人を犠牲にして生き残る道を見つけていたのを見て……」

 

 髭面の中年から見れば、命を捨てて自分を助けてくれた命の恩人である青年の、凄惨な告白。

 焔に次々と人が焼き殺される地獄の中で、誰もが正気ではいられなかった。

 

「僕に手を差し伸べてくれた……

 中学生くらいの子供の、男の子を、炎の中に突き飛ばして、しまったんだ」

 

 それでも、それを言い訳にしても、その地獄の中で自分がしてしまったことは無くならない。

 人を殺してしまったのなら、なおのこと。

 

「やってしまってから、死ぬほど後悔した。

 後になってから、死にたくなるくらいに後悔した。

 後悔しながら、囮にして得た時間で走って逃げて、生きてしまった。

 死にたくないからした行動が、死にたくなるくらいの後悔になったんだ」

 

 生粋の悪人でもない限り、人を殺した過去は永遠にその人間に付き纏う。

 他の誰かに罪を糾弾されるからではない。

 その人自身の良心が、その過去を後悔し続けるからだ。

 

「償わないといけないって……そう思った……

 それが、『生きたい』って思ってしまった、僕の責任だって……

 ……人殺しじゃないのに、僕のせいで人殺しと呼ばれるようになってしまった……

 そんな人達にも、一生をかけてでも、償って、いかないと、って……」

 

 彼は生き残った人間の中にほんの一部だけ存在した、『生きるために殺した』人間だった。

 カルネアデスの板の上から、他人を突き落とした人間だった。

 己を罪人と定義する、心優しく生きていたはずの人間だった。

 弱い、ただの人間だった。

 

「やっと、後悔の毎日が終わる……やっと、少しだけ、僕の罪を、償えた……」

 

 髭面の中年の腕の中で、メガネの青年の体が炭となって砕け散る。

 炭素化は苦しかったろうに。

 人を殺してしまうくらいに死を怖がっていた青年だ、死も怖かったろうに。

 まだ若かったのだから、もっと生きたかっただろうに。

 

 それでも満足した顔で逝った青年は、どんな心境だったのだろうか。

 

 罪を僅かでも償えたことに対する満足感か。

 自分を責め続けるこの世界を生きる義務から解放されたことへの、解放感だろうか。

 殺人のレッテルを貼らせてしまった、他の生還者の幸福を願う祈りだろうか。

 

 彼が死んでしまった以上、それを知ることはもう誰にもできない。

 

「やめろよ」

 

 髭面の中年男性は、灰の中に残ったメガネを拾い上げる。

 

「やめてくれよ」

 

 最後の独白が耳の中に残っていて、拾い上げた眼鏡が青年の無残な最期を何度も思い返させて、男性の声を震わせる。

 命を捨てて他人を助けたあの青年を『人殺し』と責める気など、彼の中にはもう残ってはいなかった。

 

「"死んで償え"とまで、言ってねえよ、オレは……!」

 

 メガネを地に置き、髭面の中年は立ち上がる。

 視線の先には、また新たに現れた人型ノイズ。

 先程までのノイズのように腕が刃になっている人型ノイズではなく、手の先がアイロンに近しい四角い平面になっているタイプの人型ノイズだ。

 が、触れれば死という事実に変わりはない。

 

(……オレは……あんな奴に対しても、ずっと、『お前が悪い』って責め続けてたんだ……!)

 

 そんなノイズに向かって、男は駆け出した。

 触れれば死ぬ。そんなことは分かっている。だがそれがどうしたと男は叫ぶ。

 このまま何もせずに逃げることなどできなかった。

 憎しみと、悔しさと、怒りが彼を突き動かす。

 ノイズに向かって腕を振り上げさせる。

 

 彼の視界の中で、ノイズとオーバーナイトブレイザー、二つの災厄の姿が重なる。

 

 彼はたとえここで死んだとしても、『ノイズに触れられ殺される』ではなく、『ノイズに触れて殺してやる』という気概で居たかった。

 効かなくてもいい。

 それでも、ノイズを一発殴ってやらなければ気が済まなかった。

 男として、自分が許せなくなってしまいそうだった。

 

「悪いのは……本当に悪いのは……あああああああああああああああッ!!」

 

 左足を踏み込み、踏ん張り、体を止めて助走の勢いを全て右拳に向けて振るう髭面の男。

 ふと、そこで。

 背中に硬質なものが当たったような、そんな気がした。

 そこから暖かな何かが伝わってくるような気がした。

 

 右足を踏み込みながら、男は右拳をノイズに向けて真っ直ぐに突き出す。

 その男の腕に沿って、男の腕に触れない軌道で、燃える黒い鎧腕が突き出される。

 男の腕よりも速く強く突き出された、男の腕よりも長い黒き腕は、男の腕よりも少しだけ先にノイズの胴を打ち貫いた。

 

(こいつ、は―――!)

 

 まるで、男の拳がノイズを倒したかのようだった。

 まるで、男の怒りがノイズを打倒したかのようだった。

 男の背中にピッタリとくっつくようにして拳を振るい、男の意志を尊重した黒騎士は、男から離れるとその名を呼ばれる。

 

「ナイト、ブレイザー……」

 

 ナイトブレイザーはノイズの灰になった亡骸などには目もくれず、先ほどまで生きていたはずの青年の亡骸、炭の塵になったそれを悲しげな雰囲気で見つめる。

 

「……あんたは、だから、生還者達を守ったのか……?」

 

 髭面の中年の声に、ナイトブレイザーは珍しく、首肯ではなく言葉で答える。

 

『もう誰にも、死んで欲しくないんだ』

 

「―――」

 

 仮面越しのくぐもった声。

 その一言が、青年の言葉と最期が揺らがしていた男の心を、決定的に変化させた。

 ナイトブレイザーが去った後も、男はその場に蹲り、炭素化し粉々に砕けた青年の死骸の前で嘆きの声を上げ続ける。

 

「オレだって……オレだって……本気で死んで欲しいだなんて、誰にも……!」

 

 人を殺した罪を、どうすれば償うことができるのか?

 その問いに対し万人を納得させる答えを返すことなど、誰にもできはしないだろう。

 だからいつの時代も、その罪を背負い迷い続ける者達が居なくならないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果だけで言えば、この騒動は二人の死者を生むだけに留まった。

 一般市民に一人、一課に一人。

 ゼファーが極力人の目に付くように立ち回って人々を安心させ、翼が人目につかないように立ち回ってノイズを削り、一課と二課が避難を理想的に完了させたのだ。

 勘の調子が良かったゼファーが、劣化したARMの力で最近にしては珍しく事前予知を行えていたというのも幸運だった。

 ノイズの出現数と出現範囲、出現時間における人口分布と人口密度から考えれば、これ以上ないくらいに最高の結果。

 

「……」

 

 それでも、ゼファーの心は痛む。

 顔には出さない。態度にも出さない。誰にも気取らせはしない。

 昔できていた『誰も死なせない』ができなくなった今に感じている無力感など、他人に話したところでどうにもならないと、彼自身が一番よく分かっているからだ。

 

「あ、すみません、そこどいてもらえますか?」

 

「? おや、ウィンチェスター君。どうかしたかな?」

 

 ゼファーはノイズ襲撃の後始末をしていた二課の大人の一人に話しかける。

 

「あなたの足の下のそれ、ゴミじゃなくて……人だったものです」

 

「!? わわっ、本当に!?」

 

 飛び退く二課の大人に頭を下げ、ゼファーは地面に散った炭の屑を手で拾い集めていく。

 一課も二課も、ノイズに襲撃された後の"人だったもの"を片付けるため、専用の掃除機に近いものを配備されている。

 だがゼファーは、昔からそれがどうにも好きになれなかった。

 まるで人の死体をゴミのように扱っているそれが、どうにも肌に合わなかったのだ。

 

 炭素化した人の死体は、黒々とした炭素の集積体だ。

 鉛筆の芯を粉々にしたものと、ある意味近い。

 炭素化が不十分だと内蔵の汁や血が混ざっていることもあるが、基本はそうだ。

 

 ゼファーは自分の手が黒く汚れることも厭わずに、炭素化した死体を手で拾い集めていく。

 メガネの青年だったものを袋に集め、遺族が望むなら渡すつもりでいるのだ、彼は。

 悲惨な姿になってしまってはいるが、遺骨の代わりにはなるだろう。

 

 そんな彼の隣に屈んで、彼と同じことをし始める少女が一人。

 

「ツバサ?」

 

「私も手伝おう」

 

 凛とした、厳格な言葉遣いの翼がゼファーの隣で同じ作業を始める。

 手の内側の皮は厚くとも、ひと目見る分には綺麗な手が黒く汚れていく。

 

「おい、俺が自己満足でやってんだから別に手伝わなくても……

 それにだ、人前に出る人気アーティストが指先汚したりなんかしてシミとか残ったら」

 

「構わない。それに、汚いものなんかじゃないと、私もお前も分かっているはずだ」

 

「……ツバサ」

 

「今の私と、お前の心は一つだと思う」

 

 それ以上の言葉は無粋と感じたのか、二人は互いに向かって頷いて作業を再開する。

 遠目に見守っていた甲斐名はそれを見て、横の天戸に話しかけた。

 

「天戸のおっさん」

 

「しゃあねえなあ」

 

 その後、総指揮を取っていた天戸が「仲間の残骸の始末の方法は一任する」と、一課にそう連絡する姿と。

 掃除機でゴミのように仲間を吸い上げることを気にしていた一課が、天戸に感謝する姿と。

 一課が余分な作業を増やした分の遅れを補おうと動く二課の姿が、街の一画で見られたという。

 ついでに言えば、顔にちょっと黒い汚れが付いて、少女に笑われる少年の姿もあったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は戦いに戦い、戦いが続く。

 体を酷使する戦い、心を酷使する戦い、頭を酷使する戦い。

 絶え間なく続く多種多様な戦いでありながら、負けていい戦いがないというのも難点だ。

 ゼファーは対ノイズ戦の帰り道、疲れ切った体で一人で歩いていた。

 昔は肉体に疲れが溜まらず、精神にのみ疲労が溜まるという仕様を搭載していた彼の体も、今では昔ほどに疲労を再生能力で消せていない。

 

(……奏さん……)

 

 そしてちょっとでも弱気になると、奏のことを思い出して泣きそうになってしまう。

 

(! バカか俺は、いつまで、こんな……もっと強くなれ!

 翼だって、未来だって、そして響だって、俺がしっかりしてないと、強く在らないと……!)

 

 いまだに精神的にカツカツな部分がある翼。

 最悪の環境の中で、普通の少女であるにもかかわらず頑張ってくれている未来。

 一歩間違えれば心を壊してしまいかねない過酷な環境にいる響。

 皆、ゼファーより年下だった。

 頑張らないとと自分を律し、彼は過剰に自分を頑張らせてしまう。

 

 天羽奏の死という特大の傷を、彼はまだ癒していないというのに。

 

 未来達を頼っていないわけではないのだろうが……頼る分より、頼られる分が多くあるべきだとか、そういう風に無意識下で考えてしまうのかもしれない。

 こういうところがあるから、彼は頼れる年上好きになってしまったのだろうか。

 最悪なのは、ゼファーがそうして過剰に頑張らなければ、右も左も大変なことになってしまいかねないというこの状況なのだろうが。

 過労死しかねない激務で余裕が無い二課の大人達も、大人として頼れる面と子供としての脆い面を併せ持つ微妙な年頃のゼファーに対し、最適策を取りきれていないように見える。

 

「こいつなのか?」

「たぶん。ネットに出回ってる生還者の個人情報リストに載ってるし……」

「ちょっとそこのガイジン。止まってくんね?」

 

 そしてゼファーが想定していた範囲の外側からも、彼を傷付け疲れさせる要因はやって来る。

 

「何か用か?」

 

「何か用か? じゃねーよ。あんた、あの災厄の生き残りの一人なんだって?」

 

「……ああ」

 

 いつかは来るだろうと思っていたもの。

 響ではなく、ゼファーをターゲットとした生還者への弾劾がとうとう来てしまったのだ。

 中学生の運動部らしき、そこそこの身長とガタイを持つ幼さの残る少年達が、ゼファーを取り囲む。数は15くらいだろうか。

 昔ならばいざしらず、今のゼファーでは殺さず取り押さえるのに骨が折れそうな数だ。

 

「う、動くなよ! 聞きたいことがある! お前、あの日何してたんだ!?」

 

 ゼファーは冷静に、自分を囲む少年達を観察する。

 一人、声を裏返しながらゼファーに話しかける一番小柄な少年。

 おそらくこの少年が一番頭を使ってるようだ。

 最後列には一番大柄で、一番乗り気でない様子の少年も見える。

 

(……説得するなら、まずはこの小柄な子か?)

 

 ゼファーはちゃんと考えていた。理性的に行動できていた。

 だが疲れ果てて、心が傷だらけの彼には、あまりにも余裕が無さすぎた。

 彼が持ち合わせていた余裕は、響を始めとする皆の前で微笑む度に使われてしまっていた。

 ゼファーはこの場面でもう少しだけ、子供達の様子からその心の中を察するべきだった。

 

「そこの子。とりあえず俺は無害だ、だから――」

 

「ひっ」

 

 でなければ、女の子の時と同じ失敗を二度は繰り返さなかっただろうに。

 同じ理由で失敗するにしても、女の子の時のような可愛い反撃ではなく、男の子の筋力のある荒っぽい反撃が自分に振るわれる事態になんて、ならなかっただろうに。

 ゼファーは自分が危険な人物でないことを示すために、一番小柄な少年の肩を叩こうとした。

 なのだが、小柄な少年は『ゼファー・ウィンチェスターは人殺しである可能性がある』という思考を頭の中に入れていたからなのだろうか、過剰に怯えて後に下がってしまう。

 

「離れろッ!」

 

 そして結果、"人殺しが仲間に手を出そうとして仲間が逃げた"という光景が、一人の仲間思いな少年を過剰に反応させ、蛮行に走らせてしまう。

 少年は『悪人から友達を助けるため』、護身用に持って来た金属バットをゼファーの背後から振り上げ、まともな判断能力が残っていない思考のままに振り下ろした。

 ありとあらゆる奇襲が通じないゼファーは、その一撃を、あえて受ける。

 

「―――ヅッ!」

 

 まだ疑惑の段階とはいえ、殺人者、死、友が殺されそう、なんて物騒なワードで頭の中身を漬け込まれた普通の子供に冷静な判断ができるわけがない。

 いつの時代も、暴走する一人によって致命的な何かが起こってしまうということはあるのだ。

 

 バットが頭に当たった瞬間、嫌な音と、ゼファーの堪える苦悶の声が響く。

 殴った本人が一番この現状を信じられないという様子で、目を見開き、唇を震わせ、手に持っていたバットを取り落とす。からん、と小気味いい音が広がっていった。

 続いて耳に届く音は、ゼファーの頭から流れ落ちる血の滴が地に落ちる音。

 そして真っ先に我に返った、小柄な少年の大声だった。

 

「ば、バカ! 何やってんだよ!」

 

「だ、だって、人殺しが、お前に」

 

「まだ疑いの段階だったんだよ! あの日何してたか問い質しても居ないのに!」

 

 全員が夢から覚めたような、熱が冷めたような気分になっていた。

 人の頭が金属バットに壊される音と、流れ落ちる大量の血が、彼らの頭に『自分達が殺した?』という思考を走らせて、彼らを一気に正気に戻していく。

 全員の顔から、サーっと血の気が引いていく。

 ゼファーがあの一瞬で企み、狙った通りに。

 

「俺を殴ってどんな気持ちになった?」

 

 ゼファーはこのタイミングを逃さず、ドクドクと出ている血が視力のない方の目の中に流れ込んでいるのも気にせず、ヤバい頭痛もなんとかやせ我慢で耐えて、口を開く。

 ここしかない、という確信があった。

 

「金属バット越しの肉と骨の感触はどうだった? 嫌な感触じゃなかったか?」

 

 自分を金属バットで殴った少年に向かって、怒りや憎しみを向けることなく、ゼファーは静かに語りかける。少年は、うっと息を呑み、気圧されて何も喋ることができていない。

 ゼファーの声に怒りなどが見られなければ見られないほどに、ゼファーを殴った少年の中の罪悪感は膨れ上がり、ゼファーの言葉から耳を逸らすという選択肢を取らせない。

 

「血まみれの俺の姿はどうだ。気持ち悪くないか? 痛そうに見えないか?」

 

 そしてゼファーを殴った少年だけではなく、少年達全員の心を引き込むつもりで、ゼファーは語りかける範囲をこの場の全ての人間へと広げる。

 

「殴ったことを、今は少し後悔してないか?」

 

 そして自分を殴った少年へと語りかける向きを戻し、この場の全員の視線をその少年へと一瞬だけ集中させ、この場の全員が一人の少年を見るという圧迫の状況を作る。

 たった一瞬、されど一瞬。

 その圧迫感に、ゼファーを殴った少年は自分の本音を誤魔化し切ることなどできず、「はい」ととても小さな声で返答した。

 

「殴った方も痛い、殴られた方も痛い。傷付けるってのはそういうことだ。

 傷付けて生き残った人も、死んでしまった人も、誰もが痛くて苦しかったんだ」

 

 静かに、ゼファーは少年達の心に言葉を摺りこんでいく。

 痛みを見せてはいけない。だから仮面をかぶり続ける。

 それでいて心からの本音である言葉の中から、考えに考えて選んだ最適な言葉をセレクトする作業を、物理的に割れそうに痛む頭で紡ぎ続ける。

 

「分かるか?」

 

 仲間が人の頭を金属バットでフルスイングしたショック、ドクドクと流れる大量の血を見たショック、一瞬『殺した』と思ったショックにつけ込み、畳み掛ける。

 この少年達を正道に戻すには、この一瞬しかない。

 

「誰だって本当は誰のことも傷付けたくないし、傷付きたくないんだよ。

 君達は生還者のことを、人を殺しても平気な奴らだと思っているかもしれない。

 だけど本当は、『誰かを傷付けて平気な人間』なんて居ないんだ。絶対に、絶対」

 

 ゼファーは、現実の真理ではなく綺麗事を語る。

 だが血まみれで、それでも必死に、静かに、自分を傷付けた人間に同じく暴力で返すことなく、ただひたすらに諭そうとするその言葉には、重みがあった。

 世界がそうである、という言葉ではなく。

 世界にこうあって欲しい、という願いが込められていたのもあるかもしれない。

 世にありふれた――世界が残酷で、理不尽で、救いがないという――斜に構えた主張は不思議な説得力があるものだが、彼の言葉にはその正反対の属性の不思議な重みがあった。

 

「言葉で傷付けてると、自分の側に傷が残らないから痛みに気付きにくいけど……

 それでも、こうして自分達が傷付けた人を、その傷を、痛みを間近で見て……

 何も思わないってことはないはずだ。君達は、友達のために動ける、人間なんだから」

 

 世界や物事に対し斜に構えられずぶつかって行く少年の言葉は、そこまで歳の変わらない少年達に対し、何か響くものがあったようだ。

 

「お、おい、どうする?」

「どうするって……」

「なぁ……」

 

 少年達は戸惑う。

 ここしばらくずっと、大人達相手に理屈と感情論で弁舌を振るい続けてきたゼファーだ。

 その経験値は、昔の彼の比ではない。

 ふらわーのおばちゃんの助力による快勝があった。笑えないような大敗もあった。

 それでも人を諭し、説得することを続けてきた毎日は、彼を成長させたのだ。

 心の傷と痛みと引き換えに得た技術を、頭の傷と痛みと引き明けに得たチャンスで、少年達に叩き込んだゼファー。

 熱が冷め、目が覚めた少年達の中から、歩み寄ろうとする者が出てきたのは当然だった。

 

「謝らないと、だろ」

 

「ルッチー……」

 

「……悪いのは、どう見たって俺達だ」

 

 一番後ろに居た、一番大柄の、一番乗り気でなかったように見えた少年が、仲間達に謝るべきだと提案する。

 

「正直、流されるだけだった俺が一番悪いと思う。

 流されるまま、その場のノリで、人を怪我させる気になってた。

 そこの人を怪我させてたのは……もしかしたら、俺だったのかもしれない」

 

「ルッチー」

 

 ゼファーはどうにも微妙な空気の流れを感じ取る。

 どうやらこの少年達は、そこの『流されるだけだった』と言っている大柄な少年を中心として、ゼファーの知らない事情で動いていたようだ。

 

「流されるまま、人を傷付けようとしてた。

 それで元気になろうって、それで気持ちに整理をつけるんだって……」

 

 ゼファーがその大柄の少年に影響を与え、それが周囲に伝搬していく。

 

「でも、ダメだろ! ここで謝らずなあなあにしてとんずらしたら!

 この人は別に俺達を論破しようとか、自分の正しさを示そうとして何か言ってるんじゃなくて!

 自分を殴った相手なのに、怒りもせず諭してくれてるのは、それは、俺らのためじゃないか!」

 

 ゼファーは持ち上げられるのは大変くすぐったいと思いつつ、そこまで大したことしてるわけじゃないと思いつつ、助かったとも思う。

 今のゼファーは喋ることですら控えたいくらいに体力が残っていなくて、沈黙を守りつつ体力の回復に努めている最中であったから。

 

「俺らにそれは間違ってる、って忠告してくれてるだけじゃんか!」

 

 その大柄の少年は聡明……というより、感覚的に生きている人間なのだろう。

 ゼファーの言葉をちゃんと曲解せず受け止め、その意を理解している。

 おかげでゼファーが話して聞かせようとしていたことの大半を、言う必要がなくなった。

 もう1リットル近くの血を頭から流しているゼファーも、いい加減体調がキツい。

 ゼファーは真っ青な顔で、小柄な少年と自分をバットで殴った少年に向かい、とりあえず最後に言い聞かせるべきことを口にした。

 

「相手のためだけじゃない。

 自分のためでもあるんだ。

 人を傷付けない、ってことはな。

 上手く生きていきたいなら、他人を傷付けないよう気を付けながら生きることだ」

 

「「は、はい!」」

 

 ピシっと気を付けして、少年二人は怖い先輩を前にした体育会系のような返事を返す。

 

「悪い、皆、先帰ってくれ」

 

「ルッチー、いいのか?」

 

「この人は俺らが思ってたような人じゃなかったんだよ」

 

「……まあ、そうだな」

 

 そして大柄な少年が十数人の友達に、帰るように促す。

 一人一人が去り際に「ごめんなさい」と自分の前で頭を下げていくのが印象的で、ゼファーはなんとなく、世の中捨てたもんじゃないんじゃないかと思ったりしていた。

 その少年らに叩き込まれた頭の傷のせいで、果てしなく説得力のない思考ではあったが。

 

「えー、はじめまして。俺、津山流知雄っていいます。

 兄が自衛隊やってて、同じ道に進もうと剣道習うために剣道部に入ってる系のあれです。

 あの、その頭の傷、大丈夫っすか?」

 

「ええ、大丈夫だ。後で病院に行くと思うしな」

 

「……あの、その、実は頼みがあって……

 その傷、俺がやったということにしていただけないっすかね」

 

「……転んでぶつけたってことにしとくよ。俺も、誰かを責める気はない」

 

 ここに残ったのはそれが理由か、とゼファーは納得する。

 友達の罪をかぶるために、この津山流知雄という少年はこの場に残ったのだ。

 ん? 津山? 自衛隊? とゼファーは一瞬思ったが、ぐらぐらと気持ち悪く揺れる脳味噌に複数のことを同時に考えるだけの余裕はなかった。

 

「君は、友達思いでいいやつだな」

 

「……そんなことないっすよ。

 あいつらがあなたを殴ったのは、俺のせいですし」

 

「?」

 

 ゼファーの言葉に、流知雄の表情が曇る。

 

「なんか、又聞きなんですけど……

 俺の幼馴染、助けた人に突き飛ばされて殺されたらしくて……

 いいやつだったんです。だから、本当にそうなんだったら、許せねえって思って」

 

 彼もまた、悲しみの中から『誰かのせい』という怒りと憎しみで立ち上がった者だった。

 

「それ教えてくれたのが、俺を元気にしようとしてくれてたダチだったんすよ。

 さっき、ウィンチェスターさんの頭をつい殴っちゃった奴です。

 腐ってた俺に、『計斗を殺したやつを見つけて仇を討ってやるんだ』

 って目標までくれて、何の得もないのに、俺のために何かできることはないかと探してくれて」

 

 なるほど、とゼファーは再度納得した。

 

「友達思いとかそういうのじゃなくて、立ち上がらせて貰った恩を返したかったんす」

 

 男同士の友情という奴は、シンプルだが面倒くさいということがたまにある。

 

「だけど、人を傷付けるのはよくないことだ」

 

「そうなんすよね。武道やってるくせに、今の今までそんなことも忘れてて……」

 

 だが、ゼファーも友情話があればなあなあに済ます男ではない。

 実はいいやつだったからそれだけ許すとか、子供だから許すとか、そういうことはしない。

 釘を刺すべき所にはちゃんと刺しておく。

 ゼファーがこうして言って聞かせるだけで済ませているのは、傷付けられたのが自分だからであり、自分が許せばそれでいい話であり、自分の傷は割とどうでもいいと思っているからだ。

 他の誰か、例えば響の頭をバットで殴った少年が居た場合、彼は羅刹をインストールする。

 

「本当に、申し訳ないです。俺、笑えないレベルのクソ野郎でした」

 

「もうやらないって約束してくれるならいいさ。

 被害者が俺だけなら、俺が怒る理由もないしな」

 

 地に額を付けて土下座する流知雄を、ゼファーは笑って許した。

 暗に『二度目はないぞ』と言い聞かせ、流知雄の背筋をひやりとさせながら。

 

「俺の方は実はこっそり迎えも呼んでるから、君も帰っていいぞ。

 もう夜も遅い。あんまり遅いと、ご家族の方も君を心配するだろう」

 

「ですけど……」

 

「本当にダメなら、俺は君を頼ってる。大丈夫だ」

 

「……分かりました」

 

 ゼファーは去って行く流知雄に手を振り、彼の姿が見えなくなってからたっぷり五分後、その場にガクリと膝をつき、路上に仰向きに寝っ転がる。

 コンクリートの路面の上に、赤い水溜まりが広がって行く。

 

「クソいてえ、死にそう」

 

 失血で死にかけてるのは久しぶりだと、ゼファーはぼんやりと思う。

 流石に"人の頭を潰す手応え"なんてものを覚えてしまえば、人の頭を殴るどころかヘタしたら一生バットも持てなくなるだろうが、もう二度と誰も殴らないで欲しいと彼はあの少年に思う。

 時々夢にも見るかもしれないが、そのくらいの罰はお仕置きの範疇として大目に見て欲しいなと笑い、震える手で携帯端末を取り出した。

 

「……頭蓋割れたって、昔は5分あれば出血は止まったのにな……

 本当、治りが速い時は速いけど、遅い時は遅いポンコツになってくれちゃって……」

 

 ゆっくり、ゆっくりと、再生能力以上にポンコツになった指が失血で上手く動かないことを認識しつつ、彼は二課に連絡を入れようとする。

 『死が近い』という感覚に懐かしさを感じるくらいには、彼は死にかけ慣れていた。

 連絡が届いて、彼が病院に運ばれて、手当されるのが先か。

 それとも頭のダメージと失血で死ぬのが先か。

 チキンレース開幕だ……と、大変なことになりそうになった、まさにその時。

 

「んなんですとぉー!?」

 

 横合いから、微妙に聞き慣れた声が響いた。

 

「あれ、響のお父さん……今日もお仕事お疲れ様です」

 

「なんでそこでそういう労いの言葉が出てくるんだい!?」

 

 そこに居たのは、車を降りて慌てた様子で駆け寄ってくる、立花響の父親その人。

 『立花洸』という、ゼファーもそれなりに好感を持っている人物だった。

 思慮が足りないこともあるが、人の生還や幸福を自分のことのように喜ぶことができ、基本的に真っ直ぐな……響の父親だ、ということがよく分かる人だった。

 

「とにかく病院だ病院!

 響が帰って来てくれたのに、君が死んでしまった意味が無い!

 待ってろ、必ずなんかどうかして助けてみせるからな!」

 

「……あの、○○総合病院にお願いします。

 ここから近いですし、確か急患の受け入れやってるはずです」

 

「よ、よし! カーナビカーナビカーナビ……!」

 

「落ち着きましょう。頭に血が上ってますよ」

 

「君は頭から血が抜けてるけどな!」

 

 とにもかくにも助かった、と、ゼファーは命の恩人に感謝しつつ、彼の車に運ばれるまま病院へと向かう。

 あ、やべえ、この怪我確実に怒られる。と何人かの怒り顔を思い浮かべながら。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。