戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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望まぬ力と寂しい笑顔


3

 ゼファーにだけ届けられた想いがあった。

 立花洸が立花響を愛していたことなど、その最たるもの。

 ゼファーに届けられなかった想いがあった。

 憎かったけれど、嫌いじゃなくて、信じられると思えた少年に最後の最後に「洸さん」と呼ばれたことが彼は嬉しかった。響のおまけのようにしか見られてないと、そう思っていたから。

 

 全ての想いを知るには生き続け、言葉を交わし続けなければならず、それは死しては叶わない。

 響は洸の苦悩の多くを知ることはなかった。

 知らないままに、親子の日々は終わりを告げてしまう。

 そしてゼファーが平日の昼間に洸が公園に居たことを不思議に思っていた頃、響は行きたくない学校に我慢して通い、授業を受けている最中だった。

 周りの皆が自分にあまり視線と意識を向けてこない授業中という、響の数少ないオアシス。

 

「……」

 

 響はそこで人知れず胸を抑え、涙をほろりとこぼし、その涙を袖で吹く。

 彼女が泣いたことなど、誰も気付きはしなかった。

 そうして時間は流れ、未来もゼファーも居ないクラスの時間が過ぎる。

 そうして放課後。

 響の平穏が脅かされる時間だ。だがHRが終わると間髪入れず、教室のドアを開けて小日向未来が飛び込んで来る。

 

「響、帰ろ?」

 

「うん」

 

 未来は響が何かされる前に、いつもように急いで教室を出て、人目につかないよう自宅まで帰るつもりのようだ。

 笑顔の未来に、響も笑顔を返す。

 昔と比べれば明るさが減り、影が差したような笑顔だが、それでも"自然な笑顔"の枠にギリギリ入る笑顔であった。響の味方で居てくれる人々のおかげだろう。

 響は少しづつ、タフになり始めているようだ。

 だがこのクラスには、響や未来に対して暴力を振るうことはなくとも、響がここに生きていることを絶対に許せず、響が笑うことを許せない少女が居る。

 

「あ、そう……もうあの日のことは、気にしないことにしたんだ。いい笑顔だね」

 

「……! い、委員長……」

 

「いいわよね生きてるって。忘れられるんだから」

 

 英美がそう言うと、クラスの空気が一気に緊迫し、普段以上に響へと苛烈なものへと変わる。

 響が笑うだけで、英美は傷付く。

 そして英美を自分が傷付けてしまったということが、響を傷付ける。

 酷い関係だ。クラスという小さな箱に傷付け合うハリネズミを押し込んでいるようなもの。

 そしてクラスの中心でもある英美が傷付き、泣きそうな顔をすれば、数ヶ月の時間経過で萎え始めたクラスにも加害の熱が戻り始めてしまう。

 生前の計斗の人気も相まって、彼女本人は意図していないだろうが、この学校における響への加害の嵐の中心は英美であった。

 

「なんで……あんた、なんか……!」

 

 英美が罵倒と非難を最大限に響に対しぶつけようとする。

 未来が響を庇うように動き、クラスの皆が殺気立つ。

 だが、それを止める者が居た。その少年は英美の腕を掴み、苛烈な言葉を物理的に止める。

 

「もう、やめようや」

 

「ルッチー……?」

 

 英美、計斗と三人でずっと一緒に居た幼馴染。

 津山流知雄がそこに居た。

 

「計斗はそんなことしたって戻って来ない。

 お前もみんなも、スッキリはするかもしれないが、虚しくなるだけだ。

 誰かを殺して平気で笑える奴なんて……居ねえんだよ。

 立花さんだってそうなんだって、お前も本当は分かってるんじゃないのか?」

 

「―――っ」

 

 ゼファーから聞いた言葉に受けた感銘を、流知雄は言葉に込める。

 彼は立花響のことを何も知らないけれど、英美のことはよく知っているから。"英美は立花響のことを分かっている"ということだけは分かるから、流知雄はそれを言葉に乗せる。

 英美はこの世でただ一人、自分と同じ『幼馴染の計斗を失った悲しみと苦しみ』を知り、共感できていると思い込んでいた流知雄の行動に息を呑み、驚愕した。

 流知雄が響と未来の味方につき、クラスにどよめきが広がる。

 

「なんでよ」

 

 英美は響を許せない。響が笑顔で居ることを許せない。

 響が悪いと思っているからではない。

 初恋の幼馴染が死んで、同じ場所に居たはずの響が生きていたから。ただそれだけだ。

 

「そんな風に、割り切れるわけないでしょ!

 生きた人と、死んだ人の間に『誰かのせい』っていう差がないなら……

 誰のせいでもないなら"運が悪かった"としか言えないじゃないッ……!」

 

 誰かのせいにしないと生きていけない、弱い英美。

 誰かにせいにしていた過去の自分を乗り越え、弱さを卒業し、目を覚ました流知雄。

 二人は教室の中央で相対する。

 まるで、一方的に生還者が傷付けられるだけだったこの社会の風潮が、変わり始めていることを象徴するかのように。

 

「そうだ。誰だって……理不尽に死ぬんだ」

 

 風に流される(あし)達は、風潮ではなく、西風の示す方向へと傾き始めていた。

 

「俺達の幼馴染で、俺の大親友で、お前の初恋だった計斗は、もう居ないんだ」

 

 希望は、悲しみを終わらせる。

 

「……っ!」

 

 英美は流知雄と響に背を向け駆け出し、教室を出て行く。

 立ち位置の差で、響にだけはその目尻に浮かぶ涙が見えていた。

 英美の目から溢れる悲しみの涙が見えていた。

 

 響の足に、二つの気持ちが行き渡る。

 一つは何もせず、未来に手を引かれるまま、傷付かずに居ようとする気持ち。

 そしてもう一つが、英美の後を追おうとする気持ちだ。

 

 今日までの傷付けられてきた日々が響の足を止めようとする。

 響本来の性格が足を進めようとして、友から貰った気持ちがその想いを後押しする。

 ゼファーと未来から貰った希望、勇気、思いやりが、響の足を進めようとする。

 二つの気持ちが拮抗したのは、一瞬だった。

 響は英美を追うために走り出す。

 

「待ちなさい!」

 

 だが、その前に立ち塞がる者が居た。

 このクラスの出席番号一番の少女、英美の親友であり計斗に恋をしていた者であり、二人の恋が最悪な形で終わったことを気に病んでいた少女だ。

 ゆえに英美の味方で居ようとし、響を敵視している。

 

「お願い、どいて! 私は、委員長と話したいの!」

 

「また英美を傷付けようってなら、私が……!」

 

 英美を追いかけようとする響の前に立ち塞がり、その少女は動こうとしない。

 響は英美と話がしたい。

 少女は響と英美が話せば、それだけで英美が傷付くと確信している。だから通さない。

 焦りからか、少女は響を突き飛ばそうと手を突き出す。

 少女当人は気付いては居なかったが、そのまま突き飛ばしてしまえば、倒れた響の後頭部が机の角に当たってしまう、そういう危険な角度だった。

 

「やめとけ」

 

 だがその手も、響を突き飛ばす前に掴み取られる。

 掴み取ったのは、響や英美と同じクラスの男子であり、流知雄を励まそうと頑張っていた男子の一人であり、ゼファーの頭を金属バットで殴ったあの少年だった。

 他人を傷付けてしまったことを強く後悔し、ゼファーの言葉で少しだけ変わった、あの少年だった。

 

「! あんた……」

 

「そうやって誰かを傷付けると、後悔するぞ」

 

 流知雄と同じように、ゼファーが命がけで目を覚まさせたこの少年もまた、響や未来の味方についていた。

 いや、正確には違う。

 彼らは傷付ける者と相対し、傷付けられる者の味方になる人間に成長したのだ。

 

「手に残った感覚と、怪我をさせた相手への罪悪感で、夢にまで見るようになるんだぞ」

 

 血塗れの男がぶつけた心からの言葉が、後悔が、少年達に変化を促していた。

 かつて響のクラスメイトとして笑い合い、少し前まで響を虐める加害者に転じていて、今は人が人を傷付けようとした時それを止めようとする男となったその少年が、響を見て首を縦に振る。

 響もそれを見て頷き、出席番号一番の少女の脇をすり抜けて行った。

 

「あ、待ちなさい!」

 

 ゼファーを殴った少年に掴まれていては、響を追うこともできまい。

 少女は教室の中に戻ると、一変したクラスの空気に目を見開く。

 言葉にしがたい、"響を責めていない空気"が、そこにはあった。

 

「ねえ、もうやめない?」

 

「……やめるって、なによ」

 

「そりゃ、立花さんにしてるあれやこれやよ。

 委員長達の気持ちも分かるけどさ、もう半年くらい続けてるんだから、そろそろ……」

 

「……ッ」

 

 このクラスに所属する少女であり、未来と同じ陸上部の部員であり、響の味方というよりは未来の味方で居ようとする一人の少女が、出席番号一番の少女を諭そうとする。

 クラスのいたる所に、これと似た光景があった。

 まだ苛烈に責めようとする者と、それを止めようとする者と、一方的な非難の雰囲気が薄まったことで何もしない傍観者に戻った者がちらほら見える。

 『生還者を責めるという流行(ブーム)』は、飽きっぽい若者のみで構成される学校というコミュニティから、少しづつ飽きられ始めていた。

 

 だがこんなにも早く終わりを迎えたのは、風潮に真っ向から逆らい『これは絶対的に正しいものではないんだ』と伝え続けた者達が居たからだ。

 たった二人の共同戦線が、色んな場所で人に立ち向かい続けたからだ。

 人を、変え続けたからだ。

 

 未来は何ヶ月ぶりか分からないくらい久しぶりに、人助けのために走り出した響を見て、母が娘を見るような暖かな目を、響が出て行ったドアへと向ける。

 未来の視界に入る時計が、午後四時五分前という時刻を示していた。

 

「頑張って」

 

 この世界はきっと、何もかもが変わらずには居られない。

 良い方にも、悪い方にも

 ゼファーが、未来が、響が、良い方に変えることを諦めない限り。

 きっと色んなことが良い方向へ変わり続けてくれるはずだ。

 

 良い方向へと変え続けることを、彼らが諦めない限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十六話:私の好きだった人の分まで 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幸運があったとすれば、その地域が"一人きりで気分転換できる都内の穴場"と呼ばれるくらい、人気のない地域であったということだった。

 海沿いに並ぶ廃工場、住んでいる人もほとんど居らず、訪れる者もほとんど居ない。

 洸やゼファーが気分転換を兼ね、一人きりで考えられる場所を探していた以上、彼らの周囲に人がほとんど居ないことは自明の理であった。

 

 そこにゼファーの完全復活を果たしたARMの力によるノイズの出現予知と、それによりノイズの出現前に完了された避難というプラス要素が加わる。

 数人居た周辺地域の人間も、ノイズ出現前にきっちり逃げ切っていた。

 だからゼファーが暴走した時、人的被害は幸運にも0だった。

 だが現場に着いた翼は、人的被害が0であることをにわかには信じられなかった。

 

「こちら風鳴翼。現着しました」

 

『こちら藤尭朔也。通信は良好です。どうだい、そっちは?』

 

「……酷い有り様です。地図を書き換える必要があるかと」

 

 建物が壊れている?

 瓦礫だらけ?

 街が燃えている?

 そんな生半可なものではない。

 翼の目に映る世界は、陸地がごっそりと消えて海が流れ込んでいた。

 廃工場は焼滅、公園も焼滅、陸地も焼滅して地形は球形に抉られたかのよう。

 

 翼はゼファーが直感でノイズ出現を察知したと同時に出撃し、ゼファーが暴走した直後に現場に辿り着いた。つまりこの惨状は、ただの一撃でなされたということだ。

 

 ネガティブフレアはゼファーの手によって厳重に制御されている。

 それこそ、人力ではあるがシンフォギアのロックに等しいほどに。

 燃やしすぎないように、燃やしたくないものを燃やさないように、と制御されていた。

 でなければ街を無秩序な焔が燃やし尽くしてしまい、守りたいものも焔が燃やしてしまい、何よりゼファー自身が焔に焼き尽くされてしまう。

 

 それらの制御の全てから解放されたナイトブレイザーの焔の力は、絶大だった。

 自分の身に掛かる負荷も、人と世界を守るという意志も無視して放たれる炎熱は、世界を滅ぼすという本来の指向性を取り戻し、最高最悪のパフォーマンスを発揮している。

 その焔の中心に、燃える黒い獣が居た。

 騎士ではない。獣だ。

 前からあった黒一色のトゲトゲした装甲は更に鋭く禍々しく尖り、両の手を地についてまるで獣のような四足歩行。

 咆哮するたびに世界が震え、咆哮に一度焔を乗せると、今度は海が吹き飛び燃え尽きた。

 

「……こちらでも、ゼファーを確認しました」

 

『気を付けて。ネガティブフレアの反応があまりにも大きい。おそらく……』

 

「分かっています。この咆哮は、彼奴が漏らす嘆きの泣き声です」

 

 翼は胸に下げたアメノハバキリのペンダントを指先でなぞり、奏のペンダントをギュッと握り、友との戦いに気が引けそうになる自分に鞭打った。

 奏、私に勇気を、と呟いて。

 

羽撃きは鋭く、風切る如く(Imyuteus amenohabakiri tron)

 

 光に包まれた翼が再度出現した時、そこには青の装束に身を包んだ少女の姿があった。

 聖遺物の発するアウフヴァッヘン波に反応し、ゼファーが彼女の方を向く。

 その目には、先日まであったはずの意志も、覚悟も、優しさも、思いやりも、苦しみも、悲しみも、嘆きも、悩みも、喜びも、絆も、何もかもがなかった。

 何もかもを忘れ、何も考えず、ただ暴走するだけの獣の瞳であった。

 翼はそこに大きな悲しみを覚え、表情を歪める。

 生成されたアームドギアの刀身が、彼女のそんな顔を鏡のように映し出していた。

 

(リミットは、約7分)

 

 翼はゼファーと本気で殺し合う可能性すら出てきたこの状況に、暴れに暴れる心臓を必死に落ち着かせようとし、呼吸を整える。

 既にHEXバトルシステムは起動した。

 翼はナイトブレイザーの焔の力、つまりゼファー自身の命を無制御で削る焔の力をいつもの倍以上の速度で吸い上げ、足に付けた二刀を放熱板のように使って放出し続ける。

 だが、文字通りの焼け石に水だった。

 翼に膨大な負荷がかかっているにもかかわらず、ゼファーの肉体にかかる負荷はせいぜい半減、暴走するゼファーが燃え尽きるまで残り400秒というこの状況。

 この短時間で、翼はゼファーに致命傷を与えないように気を付けつつ、ダメージで気絶させるか正気を取り戻してやらねばならない。

 

《《       》》

《 絶刀・天羽々斬 》

《《       》》

 

 大丈夫、いつも勝ってきた相手だ、と翼は歌い始めつつ弱気になる自分を叱咤する。

 されど同時に、油断すれば負けると、そう己を律しもする。

 

 ゼファーが引き分け、翼が敗北だと主張しているあの一戦。

 ひとたび油断すればまたあの時のように敗けてしまうだろうと、翼は肝に命じて構える。

 1%の勝機があれば必ず勝つ。ゼファーはそういう人間であると、翼は信じていたから。

 ゼファーは自分が一度も勝ったことのない翼に挑み、翼は一万回に一度自分に勝ちうるゼファーを迎撃する。

 

 アクセラレイターでアメノハバキリ以上の速度、暴走にてシンフォギアとは比べ物にならない筋力を得たナイトブレイザーは、四足歩行で翼へと飛び掛かり、その右手の爪を振り下ろした。

 翼は頭上に大剣化させたアームドギアを両手で構え、それを受け止める。

 

「―――!?」

 

 瞬間、翼の立っていたコンリートの地面が沈み、彼女の周囲が放射状に弾けた。

 爪に込められた物理的エネルギーも相当なものであり、一級品の防人である翼の腕を痺れさせるほどのものではあったが、それ以上に付加されていたものが問題だった。

 振り下ろされた爪は膨大な衝撃波と熱波を纏っており、それが攻撃と同時に解き放たれ、翼の周囲の物を一瞬で砕き蒸発させたのである。

 

 力を一点に集中させて当てる技が失われている。

 それを補って余りあるパワーを発せるようになっている。

 翼はゼファーの弱体化要素と強化要素を一瞬で見極めた。

 爪が振り下ろされる瞬間にバリアフィールドの出力を上げ、衝撃波と熱波を綺麗に受け流した判断も実にクレバーだ。

 

(このパワー……普段のナイトブレイザーのそれじゃない!)

 

 ナイトブレイザーは振り下ろした爪を受け止めている剣に向かって、空を蹴って踏み締められる足場を作り、下から上へと蹴り上げる強烈なキックを打ち放つ。

 それが翼の分厚い大剣型アームドギアを一撃でへし折った。

 翼は目を見開くが、動揺はせず瞬時にゼファーの追撃までの時間を計算し、その時間を最大限に使ってアームドギアを形成。

 アームドギアに使うエネルギー量をそのままに、アームドギアのサイズを小さくすることで強度を上げた小太刀二刀にて、ゼファーの連続拳撃を紙一重で受け流していく。

 

『こちら風鳴弦十郎。翼、救急班の待機が完了したぞ!』

 

「司令!」

 

「そのバカをやり過ぎない程度に思いっきりぶっ飛ばしてやれ!

 療養期間と銘打って強制的にしばらく休みを取らせてやるんだ!」

 

「……分かりました!」

 

 耳元に届く弦十郎の声に応じて声を上げるが、翼は違和感を感じていた。

 何かがおかしい。

 何がおかしいのか、答えに至りかけているのに分からないというもどかしさ。

 ゼファーの戦い方が、何かおかしい。

 魚の小骨が引っかかっているかのような感覚が、絶えずそこに感じられてしまう。

 

「ゼファー。聞こえるか」

 

 翼は人の言葉で問いかける。

 返って来たのは喉をすり潰すかのような獣の唸り声。

 

「何がお前をそうさせた?」

 

 翼の言葉は届かない。

 念仏を馬に聞かせる方がまだ生産的だと思えるほどに、ゼファーは翼の言葉をまるで聞いていない。人の話を聞くという彼の心の一部分が、そっくりそのまま反転してしまっているかのようだ。

 それが、翼にはとても悲しい。

 

 翼が今日一日あったことを一日の終りにゼファーに話して、聞き上手なゼファーが翼に楽しく話させて、ずっとずっと笑顔で話し続ける、そんな二課での毎日。それももう、何年も前のこと。

 過ぎ去った日々の想い出が、翼の中にはあったから。

 誰の話も聞こうとしない、誰にも優しさを向けていない今のゼファーに、胸が痛んでしまう。

 

「お前は、何をそんなに嘆き悲しんでいる?」

 

 彼が獣になったのは、人で居ることに耐えられないという想いの反映。

 『ゼファー』で居ることすらも苦痛であるという想いの反映だ。

 だから反転した今の彼は四足で駆け回り、何もかもを忘れ投げ捨てて、守りたかったはずの大切なものを全て壊しそうと暴走しているのだ。

 この破壊は、全て彼の中にあった愛の裏返し。

 "みんながだいすきだ"と、そう純粋に思っていたからこその暴走なのだ。

 

「口で言わねば分からない。私は、そういうことを察するのが苦手だ。

 お前がそうなってしまうまで、追い詰められた理由……

 休むことなく傷付き続けることを選んだ理由……

 譲れない『何か』が、お前の胸の中に収められていたのではなかったのか?」

 

 翼はゼファーの胸の覚悟を問う。

 

「それは、大切なものを奪い取る忌まわしき力ではなく!

 大切なものを守るための力ではなかったのか!?」

 

 されど返って来たのは獣の咆哮。

 そして、炎の刃だった。

 翼はネガティブフレアに対し強力な耐性を持つバリアフィールドを強め、普段の倍の強度まで引き上げ、カウンター気味に千ノ落涙を放つ。

 炎の刃は翼の肌を僅かに熱で焼くが、刃そのものは音楽の障壁に弾かれる。

 捨て身で最高のカウンターを返した翼だが、千ノ落涙に対するゼファーの対応に、目を疑った。

 

「なっ……!?」

 

 普通に、見切って避けたのだ。

 小細工や大技など使わず、ただシンプルに。

 翼はゼファーの反応速度をよく知っている。

 そも、直感と生きようとする意志の二重奏で恐ろしい粘り強さを見せることこそがゼファーの真骨頂である以上、反応速度を読み切れなければ、ゼファーを模擬戦で倒すことなどできはしない。

 ひとたび変身すれば空中で逃げる空中歩行、反応速度を引き上げるアクセラレイター、黒騎士のバカげた厚さの装甲により、そのしぶとさは生身よりもはるかに高い域に上り詰めたりもする。

 

 だが、それでも翼は今のタイミングならば、確実に当てる自信があった。

 確実に当てるために、ゼファーの攻撃のタイミングに合わせたのだから。

 なのにゼファーは、翼に「何かがおかしい」と思わせる反応と動きを見せ、普段使っている風鳴の歩法などの技術を何一つ使わず、四足で跳ね回って回避した。

 千の剣の雨を、何の技術も用いずに、獣の動きで回避しきってみせたのだ。

 

(何か、種があるはず!)

 

 回避はされたが、それで敵に余裕を与えたり、決定的な隙を与えたりする翼ではない。

 翼は手にした小太刀二刀と両足の剣にエネルギーを込め、その場で跳んで一回転。

 四刀全てからほぼ同時に、蒼ノ一閃を発射した。

 

「―――♪!」

 

 歌で威力を引き上げた四本同時の一閃は、それぞれが最適な威力・速度・軌道にてゼファーに迫り、黒騎士へと命中する。

 一本や二本ならともかく、逃げ道を塞ぐよう放たれた、練り上げられた一閃が四本だ。

 さしもの暴走ナイトブレイザーもモロに食らい、海へ向かって吹っ飛んでいく。

 

(落ちろ!)

 

 蒼ノ一閃を四本に分け、威力を調節した意味がここにあった。

 翼は最初から、ナイトブレイザーを海に落とすことを目論んでいたのだ。

 ゼファーは泳げない。

 暴れたとしても、周囲には緩衝材になる海水しか無い。

 海に落として頭を冷やせば、ゼファーも正気に戻るだろう、という考えが彼女にはあった。

 ゆえに、威力を四分割した蒼ノ一閃で傷付けないよう丁寧に吹っ飛ばしたのだ。

 

 だが、ゼファーは翼の予想を超えてくる。

 

(!)

 

 吹っ飛ばされたゼファーは逆立ちするように海に両手をつき、海面を跳ねる。

 そして海面に両足をつき、更に跳ぶ。

 当たり前のように、息をするかのように、唐突に使われた技。

 それを見て、翼は思わず笑ってしまう。

 

(そうだったな。ゼファー、お前は……

 身に染みるまで、無意識下で技が使えるまで、鍛錬に鍛錬を重ねるタイプだったな)

 

 技の全てを喪失し獣と化したゼファーの動きに、時折彼の努力の跡が垣間見える。

 それが翼には、嬉しく思えた。

 何もかもが失われようとも、彼の中に残るものはあると、そう思えたから。

 まだゼファーの中に残っているものはあるはずだと、そう確信できたから。

 

 ナイトブレイザーが水上跳躍を重ね、陸に登る一歩を踏み出す。

 翼がその場で、強く一歩を踏み出す。

 二人がその一歩を踏み出したのは、ほぼ同時。

 

「!?」

 

 だが一歩を踏み出した後、ナイトブレイザーだけが驚愕することとなる。

 翼は一歩を踏み出すと同時に、圧縮したフォニックゲインを地の下に伝わせた。

 そしてナイトブレイザーの足元に、地の下から刃を生やしたのだ。

 足の下ではない。足元だ。

 

 そして、"地の下から影を貫く"影縫いが完成する。

 

「ッ!」

 

 翼は裂帛の気合を込め、更に踏み込む。

 ここで決めてやる、とでも言わんばかりだ。

 彼女は小太刀二刀をホルダーにしまい、手の中に長刀を形成する。

 この状況で翼が決め技に選んだのは、対ノイズにも向かず、対ゴーレムにも向かない、対人のために風鳴の血族が練り上げてきた"風鳴の四剣"。

 『早撃ち』から始まる秘剣の四連撃だ。

 

 一種の究極である早撃ちと、それに足りない部分を補う三つの絶技にて繰り出される剣閃。

 稲光より疾き最速の剣、風。

 零時間抜刀、瞬間剣閃を目指した早撃ちという奥義。

 無の境地より放たれる、林。

 風鳴の剣の無数の型の集合体、翼が考えるよりも先に放たれる無意識の剣。

 ただ威力だけを求めた、火。

 シンプルに一閃の威力だけを求めた剣。

 静かに動かぬ防御の剣、山。

 直前の剣の隙を消し、残心を重視した、攻撃を防御として成立させる技。

 

 ナイトブレイザーは力尽くで影縫いを打ち破り、動き出すがもう遅い。

 既に翼の攻撃範囲の中に入っているからだ。

 人間離れした勘の良さがなければ防げない反則技、早撃ちが初撃から迫る。

 

 刃鳴り散らす音が四つ。

 金属と金属が削り合うような音が四つ。

 そして何かが折れる音と、何かが地に突き刺さる音。

 

 全ての音が鳴り終わった後、そこには折れて地に突き刺さる翼の剣と、健在であるナイトブレイザーの姿があった。

 

「馬鹿な……!?」

 

 翼は今までゼファーと戦ってきて、風鳴の四剣を途中で無理矢理力尽くで止められたことはあれど、四剣全てを捌かれたことはなかった。

 四剣の順番を入れ替える、四剣を相手の体勢に応じて継ぎ変えるなどの小手先の技を織り交ぜることで、四剣を打てばほぼ確実にゼファーに対し勝利を収めてきたのだ。

 だから撃った。

 なのに勝てなかった。

 ここに来てようやく、翼はゼファーが今持っている『強さ』の正体に気が付いた。

 

(……! マズい!)

 

 肉体への負荷を無視して翼以上の速度を出してくるナイトブレイザー相手では、流石の翼といえど容易には逃げ切れない。

 翼は後方に跳びつつ、バク転の要領で逆立ちし、逆羅刹。

 迂闊に接近してきたナイトブレイザーのこめかみを打ち据えんと、二つの刃が迫る。

 だがナイトブレイザーは、それにあっさりと拳を合わせてきた。

 高速で回転する二つの刃の片方が拳に打ち砕かれ、バランスを崩した翼が倒れそうになるが、なんとか腕の力だけで跳ね、距離を取りつつ着地する。

 

(余計なことを考えないがゆえの強さ、か……!)

 

 今のゼファーは何も考えていない。

 普段のゼファーが諦めないこと、食らいつき続けること、考え続けることを強さの根底に置いているとするならば。反転した今のゼファーは、その対極の強さを得ていると言っていい。

 つまり、今の彼は何も考えず直感のままに戦っているのだ。

 だから動物的。だから直感の性能をいつも以上に引き出せる。

 だから、戦闘における反応速度や処理速度も段違いに早いのだ。

 それこそ普段のゼファーが対応できない攻撃を防御・回避し、普段のゼファーではできないような攻め手を構築できるほどに。

 

(何も考えず、何も背負わず、何も守らないがために得た強さ……

 笑えない。本当に笑えない、ゼファーらしさが欠片もない強さだ……!)

 

 皮肉な話だ。

 ゼファーは思い悩むがゆえに弱くなる。

 思い悩むことをやめられないがために、考えて強くなるしかなかった。

 だが彼は本質的に、守るべき者だけを見て何も考えず戦う時が一番強いという。

 

 思い悩まずには居られない。迷い答えを出すたびに強くなる。

 悩み迷わなければ、彼は強くなどなれはしなかった。

 だというのに、悩まず迷わず何も考えていない時が一番強い。

 むしろ、これまで何度も『他人を想いテンションが上がって細かいことを考えていない』、というシチュエーションで異様に強かったゼファーの姿から、誰も気付かなかったことの方が不思議なくらいだ。

 

(そして、今日まで私がゼファーに全勝で居られた最たる理由が……

 ゼファーがずっと持っていたあの、可愛らしい弱点も無くなっている)

 

 ゼファーには弱点がある。

 それはゼファーが恋をしていた装者、天羽奏も気付かなかった弱点。

 戦いの場に身を置けない小日向未来や立花響では気付けようもない弱点。

 二課の誰もが気付いていなかった弱点。

 偶然と幸運が重なって、翼一人だけしか知らない、彼女が自分だけの秘密だと大切にしている弱点だった。

 

 ゼファーは装者の歌が大好きなのだ。

 クリスの鼻歌、セレナの歌に心を掴まれたあの日に。

 ツヴァイウィングの最初のファンとなり、二人の歌に聞き惚れていたあの日に。

 見る人が見れば、それは一目瞭然なことだった。

 

 そのため、模擬戦くらい緩い前提の戦いとなると、相対する装者の歌をついつい聞こうとしてしまうのだ。サビの時など、本当に稀にわかりづらく攻め手が緩む時すらある。

 それがゼファーの持つ弱点。

 これに気付き、付け込めたのは今日まで翼ただ一人だけだ。

 だからこそ、翼は今日までゼファーがどんなに成長しようと、ゼファーが捨て身で来ようと、偶然に偶然が重なってゼファーに負けそうになっても、最後は必ず勝って来た。

 

 だからゼファーは、シンフォギアがナイトブレイザーの天敵であることと、装者の歌が大好きな性格が相まって、シンフォギア相手の勝率がめっぽう悪い。

 どんな相手にも粘り強く食い下がり、勝機を逃さず掴み取るゼファーが翼に対し全敗であることの裏には、こういうトリックがあったのだ。

 

(ゼファー……!)

 

 だが今のゼファーは、翼の歌に耳を貸していない。

 翼の歌が好きだと言ってくれたゼファーが、今は翼の歌に興味すら示していない。

 それが、翼にはとても悲しかった。

 歌を愛する気持ちでさえ、もう彼の中には残っていないのかもしれない。

 

「ッ! く……!」

 

 ホルダーにしまっていた小太刀二刀を取り出すも、ナイトブレイザーが四足歩行で飛び掛かり、追撃の爪を振り下ろしてくれば、とうとう耐久度の限界が来て折れてしまう。

 翼は片足に残った剣を地に突き刺し、歌の声量を増し、増量したフォニックゲインで足の剣を一気に伸長。剣に押し出される形で一気に距離を取り、邪魔にならないよう足の剣をパージした。

 これで両足の剣が失われたことになるが、翼はそれを再構築する暇など無い。

 ナイトブレイザーは自らの時間を五倍にまで加速させ、翼が必死に取った距離をほんの数秒で詰めてくる。

 この数秒を無駄に使えば、ここで負けると、翼は確信していた。

 

(やるしかない)

 

 翼は再度刀のアームドギアを形成。

 そして奥の奥の手、加減できず殺してしまう可能性があったため、絶対に使いたくなかった最大最強の技の禁を解く。

 

戦場に刃鳴裂き誇る(Gatrandis babel ziggurat edenal)

 

 絶唱ではなく、その詠唱を途中で止めることで得られたエネルギーを制御する技。

 調息にて普段より高めた適合係数を用いて、絶唱の力を断片的に使う技。

 "レイザーシルエット"だ。

 

(死なないでね、ゼファー……!)

 

 ナイトブレイザーが駆ける。

 翼が力を集約した足で踏み込み、先手を取る。

 彼女は一瞬の差で先に攻撃を当てる権利を、まずもぎ取る。

 そしてエネルギーをスムーズに腕へと移行させ、強化した腕力で刀を振るう。

 ナイトブレイザーを一撃で倒せるだけの勢いをつける。

 そして最後に、レイザーシルエットのエネルギーを刀身に集約。

 焔の黒騎士の頑丈な装甲を抜けるだけの切れ味と破壊力を、刀に乗せる。

 

「はぁぁぁぁッ!」

 

 翼が叫ぶ。

 ゼファーが獣のように咆哮する。

 先に攻撃を当てたのは、翼の方だった。

 

 翼の最強最大の攻撃が、何かを砕く音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 交錯、攻撃、すれ違い。

 背中合わせの翼とゼファー。

 二人は数秒立ち続けるも、やがて片方が倒れ伏す。

 

 胸から血を吹き出し、倒れたのは翼の方だった。

 

「……そん、な……」

 

 半ばで折れた剣を持ち、胸から血を流しながら、膝立ちで翼はゼファーの方を見る。

 そこには先程までなかったはずの『口』で翼の剣を食いちぎり、咀嚼し、くしゃくしゃにして吐き出すナイトブレイザーの姿があった。

 

「精神の、状態が、鎧の形を変化させたとでも言うの……?」

 

 そしてドバっと、ナイトブレイザーの口の中から血が流れ出す。

 

「!」

 

 もう時間がない。翼はレイザーシルエットの反動が来ている自分の体に鞭打ち、立ち上がる。

 血が流れ出たということは、彼の内的宇宙と外的宇宙の境界が揺らぎ始めているということだ。

 翼の一撃を噛み止めたゼファーの生身の口の中が、大量の血を吐き出してしまうくらいに、酷いことになっているということだ。

 歯が残っているかも、口が裂けていないかどうかさえも怪しい。

 一刻も早く暴走を止めなければならない。

 なのに翼の体は、レイザーシルエットをあと一度使えるか使えないか、という状態。

 

 絶体絶命であった。

 そして敵に対し詰めを誤らず、徹底して容赦なく詰ませに行くゼファーは、ここに来て手加減の欠片も見せやしない。

 

(! ば……バニシング、バスター!?)

 

 レイザーシルエットの反動が抜けていない翼に、反動が抜けきる前にと、彼は容赦なくバニシングバスターの砲口を向ける。

 太陽系の端まで届くこの加速粒子砲の一撃で、翼ごと地表の全てをなぎ払うつもりなのだろう。

 街は消える。

 人は燃える。

 山は根本から切り飛ばされる。

 防ぐ手段も、かわす手段もありはしない。

 緊迫した空気の中人知れず、翼の携帯電話が午後四時五分前という時刻を示していた。

 

「目を覚ませ、ゼファー! そんなことをしたら、お前は本当に後戻りできなくなるぞ!」

 

 ゼファーは翼の言葉を聞かない。

 

「それは大切なものを守る力ではなかったのか!」

 

 ゼファーは翼に耳を貸さない。

 

「お前の『夢』はどうした! 忘れてしまったのか!?」

 

 ゼファーに、翼の想いは届かない。

 

 ただ、静かに。

 彼の胸部の砲口が、唸りを上げた。

 

 

 




ヒトの夢、小夜曲は星の瞬き

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