戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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 街の住民が悲鳴を上げる。

 構わず、ヨトゥンヘイムは両の手に執った双銃の引き金に指をかける。

 赤金(あかがね)のゴーレムが放つ銃弾は、その発射音だけで町の住民の鼓膜を痛めるだろう。

 

 ヨトゥンヘイムに新規に搭載された火砲のほとんどは、現代に作られたものである。

 よって絶対零度を扱うリリティアや、プラズマを使うディアブロのような『ありえない現象』を引き起こす武装とは違い、常識的な武装に近い非常識的な武装、とでも言うべきものだ。

 例えば、その双銃。

 一見何の変哲もない造りの銃にも見えるが、体長10m弱のゴーレムの体格にも大きめに見える双銃は、艦載砲と同等の口径を持っていた。

 大きいということはそれだけで強い。

 聖遺物を参考にして作られた艦載砲クラスの双銃の銃口は、地上を向いている。

 

 そして、その引き金が引かれる時が来た。

 

 ヨトゥンヘイムが引き金を引けば、そこから発射されたのは銃弾ではなく、『光弾』だった。

 腕部に内蔵されたエネルギーラインを通してジェネレーターと直結された双銃は、先史文明期のエンジンとジェネレーターのパワーを受け止め、ビーム兵器として稼働する。

 それこそ、上に向けて撃てば人工衛星まで届き、一撃で融解させてしまうであろう一撃。

 地上に向けて放たれたそれは、人に当たれば死体も残さず、地に当たればビルと地下鉄を一緒くたに貫くほどの威力を持っていた。

 

 悲鳴が響く。

 諦めの声がする。

 絶叫が広がる。

 

 だが、迫る光弾を怯えながら見つめていた民衆は、自分達と光弾の間に"何か"が現れ、光弾がその"何か"に受け止められるのを見た。

 民衆の中で、誰かが一人ポツリと呟く。

 

「盾……?」

 

 戸惑う人々の頭上で、その"何か"は消えていく。

 ヨトゥンヘイムは戦場に現れた聖遺物の反応がある方向を、民衆を守る盾を生み出した者の方を向き、それと向き合う。

 そこには、腕を組んだ青髪の聖遺物使いが大樹の頂点に立っていた。

 

「剣だッ!」

 

 青髪の少女は叫ぶも、距離があるため民衆にその声は届かない。

 だがヨトゥンヘイムの音声センサーは少女の声も拾い、それを宣戦布告と判断し、一気に接近して両手に握った砲火を向けた。

 少女はそれに対し剣の雨を作り上げ、斜め下から斜め上へと疾く降らせる。

 空のゴーレム、地のシンフォギアの飛び道具は、中空にて交差した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十七話:だから笑って 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し遡る。

 

「了解した、ゼファー。お前が来るまで、こちらは私が出来る限り状況に合わせて対応しよう」

 

 愛歌との買い物の途中にかかってきた電話に出た翼は、その瞬間から日常を送る少女としての一面を引っ込めて、防人としての自分を形作った。

 電話がかかって来たからと愛歌から離れ、彼女の視線の先で表情を変える翼を見て、愛歌は楽しい今日が終わる予感がした。

 険しい顔で歩み寄って来る翼を見て、その予感は確信に変わる。

 

「電話、どちらさんから?」

 

「愛歌、避難を始めなさい。これからここは戦場になるかもしれない」

 

「!」

 

 翼はゼファーの直感を疑ってもいない。

 彼の直感にはムラがある。

 が、彼の直感が外れる時は、何も感じなかった時に何かが起きた、という形がほとんどだ。

 戦闘中に読み切れなかった敵の攻撃を受ける時などが、その最たる例だろう。

 ゼファーが何かを感じれば、ほぼ確実に何かは起きる。

 何が来るかは分からないが、この街に何かが来るということだけは確かなことだ。

 

「……翼さんは?」

 

「私は、私がすべきことをしよう」

 

 翼は胸に吊った二つのペンダントの内、壊れた方を握る。

 愛歌は機密を守るという取り決めを二課との間に結んだ上で、シンフォギアとナイトブレイザーという、翼とゼファーが抱えている秘密も聞かされていた。

 そのため、翼が戦いに赴こうとしていることも理解できる。

 

(……っ)

 

 愛歌の脳裏に、戦いの果てに死した姉の姿がちらついて、彼女は思わず翼を引き止めていた。

 姉の末路と、戦いに向かう翼の姿を重ねてしまったから。

 

「それは翼さんしか出来ないことなわけ?

 成人してない女の子が……他の大人とか、他の誰にも任せられないことなの?」

 

 愛歌とて、理性では翼を引き止めても何にもならないことなど分かっている。

 翼を行かさなければならないと分かっている。

 だからその引き止めは、どこかはっきりとしない曖昧さがあった。

 自分を思い引き止めてくれる愛歌に対して、翼は微笑む。

 

「シンフォギア装者は、もう私しか居ない」

 

 だが、風鳴翼は剣を置かない。

 彼女が果たすべき役目が、まだ残っているからだ。

 彼女が鞘走るべき戦場が、まだ残っているからだ。

 彼女が守るべき大切なものが、まだ残っているからだ。

 

「ならば私は強く在ろう。これまでも、これからも。

 ならば私は強く在りたい。これまでも、これからも。

 私の心が弱いなら。せめて振り絞る意志だけは、誰よりも強く鋭く振り抜こう」

 

 それに、翼が戦うことをやめてしまえば、ゼファーはそれを受け入れてしまうだろう。

 彼女の言葉を受け入れて、寂しさを胸の奥に押し込んで、翼にそれを見せないように頼り甲斐のある笑みを浮かべてしまうのだろう。

 そして、寂しさを抱えながら一人ノイズやゴーレムと戦い続けるのだろう。

 

 一度はゼファーを突き放し、戦いの場から去らせ、一人きりで戦う覚悟を決めていた翼だからこそ分かる。一人で戦い続けるということは、とても寂しく胸が痛むことなのだと。

 孤独こそが人を蝕む。

 だから大切な人を失うということは、悲しいのだ。

 それを知り、されど今、孤独ではない翼だから。

 

 ゼファーが来るまでの間、一人で戦える。

 この街で誰かが死に、その誰かを大切に思う人が寂しさと痛みに泣くという悲劇を、止めるために戦おうと決意することができる。

 

「この身は剣。槍亡き今、人の営みは私が守らなければならない」

 

 この街に、奏がオーバーナイトブレイザーを命がけで倒して守った人も居るかもしれない。

 その人が殺されてしまえば、奏が命をかけて守ったものが失われてしまうかもしれない。

 しからばそれも、翼がこの街に息づく人達を守ろうとする理由の一つとなるだろう。

 確固たる信念の元に動く翼を、翼が戦わなくてはならない理由に理解を示してしまっている愛歌が、止められるはずがない。

 

「今日は楽しかった。ありがとう」

 

 笑顔で礼を言い、駆け出して行った翼の背中を見送りながら、愛歌は思う。

 "風鳴翼はどの道を選ぶのだろう"、と。

 

 愛歌はテレビの向こうに、ステージで輝く風鳴翼を見た。

 今日、なんてことのない日常の中で嬉しそうに笑う風鳴翼を見た。

 今、戦いに向かう中で刀のように鋭く鈍く輝く風鳴翼を見た。

 アーティストとして、少女として、防人として。どの姿で居た時も、彼女は輝いていた。

 

 付き合いの短い愛歌には、どの道が翼を最も輝かせる道なのかは分からない。

 ゼファーならば「戦わないならそれが一番に決まってる」と断じるだろう。

 剣を執る時も、歌う時も、笑う時も、風鳴翼は輝いていた。

 いつかの未来、どの道を行くかを選ぶのは翼だ。

 

 けれど愛歌も、翼が戦わない道を行ってくれるならそれが一番だと思う。

 そう思うくらいには、愛歌も翼のことを好きになっていた。

 

「……なんだかなあ」

 

 戦いから無事に帰って来て来るはずだと、そう思えるくらいには、翼のことを信じていた。

 

「でも、そういうの嫌いじゃないよ」

 

 『まだ死ねない』という意志が、翼の言葉からはとても強くハッキリと感じられたから。

 

 

 

 

 

 翼は走り、町の郊外へと向かう。

 

羽撃きは鋭く、風切る如く(Imyuteus amenohabakiri tron)

 

 そのさなかにギアを纏い、一気に移動速度を跳ね上げた。

 シンフォギアの存在は国家機密事項であり、第一級の秘匿事項だ。

 その姿を人に見られるわけにはいかない……が。

 例えばビルの壁から壁、建物の屋上から屋上へと最高速度で移動し続ければ、最速のシンフォギアたる天羽々斬が人の目に付くことはまず無い。

 

《《     》》

《 月煌の剣 》

《《     》》

 

 風に溶けるような歌を紡いで、更に加速。

 戦うならば街中、それも駅近くはマズい。

 そう判断した翼は駅、街の中心、住宅街、それら全てから離れた地点であり小高い丘のある街の郊外を選び――実際に選んだのは地図を見てサポートに回っている友里あおい――、そこの頂点にあった大樹の更に頂点に立ち、街の全域を見渡せるポジションを確保する。

 

(来るか? 来るなら、どこから―――来たッ!)

 

 翼は街の西郊外、昼間に人口が集中する都心のギリギリ外側の丘の上に居る。

 そんな彼女から見て南東……つまり海の方から、『それ』はやって来た。

 ベリアルだろうかと、シルエットを見た翼は一瞬だけ思う。

 だが焼け焦げたような全身のカラーリングと、その上に重ねられるように輝く金色の装甲、その二色の上を等しく這う赤色のエネルギーラインを見て、その思考を排除する。

 よく見れば、ゴーレム特有のフェイスマスク構造も違う。

 

 翼もある。シルエットも似ている。だがベリアルとは別物なのだと、接近されれば誰でも分かる明確なデザインの差異があった。

 翼は都市上空に現れたそのゴーレムが銃を構えると同時に、ゴーレムと地上の中間地点に巨大な剣を形成、そして0.001秒も無駄にせずフォニックゲインを注ぎ込み続け、剣を強化した。

 

(間に合え!)

 

 ゴーレムが光弾を撃つ。

 翼が天ノ逆鱗の応用で造った剣の腹がそれを受け止める。

 シンフォギアの存在を認識しないまま、民衆は疑問の声を上げた。

 

「盾……?」

 

 翼はその声に応じるかのように、自分の声が人々の場所にまでは届かないと知りつつ、ゴーレムならば反応するだろうと読み、声を上げる。

 

「剣だッ!」

 

 昼間に人がまばらになる郊外に移動し、わざわざ声を上げた翼の思惑通り、新手のゴーレム……ヨトゥンヘイムは人口密度の低い翼が居る場所の方へと、飛んで来た。

 

(間に合った、が……!)

 

 翼はホッと一息つくが、街の上空に生み出していた剣を消失させる際に、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 天ノ逆鱗の巨剣生成の応用で造り上げた、切れ味無視で逆鱗三枚分の厚みを持つ盾として使うための剣。超が付くほど頑丈な剣だ。

 だというのに、ヨトゥンヘイムの光弾を受けた後は厚みが1/3も残っていない。

 

(この火力。街に落とせば、被害は計り知れない)

 

 少々どころでなくマズい。

 これを止めるにはナイトブレイザー並みの防戦能力か、ガングニール並みの攻勢能力が要る。

 

(剣の厚みを二倍程度で止めていたら……確実に地上に被害が出ていた……!)

 

 待ち受ける翼。

 翼を仕留めんと飛来するヨトゥンヘイム。

 青のシンフォギアより千ノ落涙が発射され、赤金のゴーレムより光弾が放たれる。

 飛び道具の数では圧倒的に翼が上。攻撃の威力では圧倒的にヨトゥンヘイムが上。

 結果、光弾に当たらなかった刃の雨がヨトゥンヘイムの体表を削り、刃の雨を突き抜けた光弾が翼の周囲の地面に着弾し、翼の周囲に次々と大爆発を引き起こす。

 

「!」

 

 翼は右へ左へと飛び回り、天羽々斬の機動性を最大限に発揮して回避する。

 そして銃撃を避け、時に受け流し、反撃も行う……といった形で、戦ってはいたのだが。

 ヨトゥンヘイムの飛行はあまりにも速く、翼が手で振るう剣の攻撃範囲にまで降りてこない上、飛ばした剣は追いつけない。

 

(ベリアルと比べれば遅い、遅いが……それでも速過ぎる!)

 

 例えばベリアルなら、地平線の向こうから現れて翼を攻撃するまでにかかる時間が0.5秒。

 変形開始から完了まで0.2秒、剣を腰だめに構え横一直線に振るまで0.1秒しかかからない。

 『地球の丸さ』を無視できない次元の速度の飛行は、一秒足らずで地平線のこちら側と向こう側を行き来することを可能とする速度であった。

 

 速度マッハ30、秒速10km以上、時速3万km以上のベリアルは、本当に規格外のスピードを持っていた。戦いの流れがどこか一つ食い違えば、ゼファー達も勝てなかったに違いない。

 ヨトゥンヘイムにはベリアルほどの速度はない。

 慣性操作能力、空気抵抗操作能力も無い。

 変形機構も、近距離で必殺の威力を誇る剣やパイルバンカーなどの武装も失われている。

 

 それでも、ベリアルベースのヨトゥンヘイムの飛行速度は、圧倒的に速かった。

 

「またしても羽付きか、忌まわしいッ!」

 

 そして近接剣戦闘を得意とするが飛べない翼にとって、敵が空の上から銃を撃つ以外のことをしてこないこの状況は、最悪と言っていい。

 

(防戦一方では、それこそ長くは保たない。ならば――)

 

 翼から見れば大砲、ヨトゥンヘイムから見れば拳銃な銃口から発射された光弾が、地面の深さが何mあるかも分からない大穴を空ける。

 もう一発放たれれば、民家が地盤ごとふっ飛ばされ、家が丸ごと一つ回転しながら15mほどの高さの空中で回転する。

 続いて放たれた一発が地面を抉り、地下の水道管や電気回線・電話回線などが一瞬にして焼き千切られ、高電圧の流れる水が一瞬吹き出したかと思えば、着弾の余熱で溶接された結果その穴もすぐに塞がってしまう。

 

 翼は一発でも貰えば致命傷となるだろうが、ならば一発も貰わなければ良いとばかりに、軽やかで滑らかなステップで回避していく。

 そして翼は地に手を付け、剣を生やした。

 天ノ逆鱗の剣を脆く、薄く、細長く。ヨトゥンヘイムの居る方向に向かって大雑把に伸ばす。

 翼はヨトゥンヘイムの距離を詰めながら、生やした巨剣の上を駆け上がって行った。

 

(――せめて、一閃!)

 

 当然、赤金(あかがね)のゴーレムは悠々と飛んで距離を取る。

 だが翼はここで、千ノ落涙で大量の剣を空中に発生させ、敵に向かわせるのではなく滞空を続けさせることで、空中に無数の足場を作り上げる。

 そして剣から剣へと跳び移り、奇跡的にヨトゥンヘイムを己の間合いに捉えるのだった。

 

「ッ!」

 

 手にした日本刀型アームドギアにて、一閃。

 一度見せれば二度は通じない手を尽くしたチャンスであったが、瞬時に機械的な反応を見せるAIと、高機動型ゴーレムのスピードはこれを好機と結ばせない。

 ヨトゥンヘイムは巨体に似合わぬ軽やかぬ動きで翼の斬撃を回避し、それどころか弧を描いて一瞬にして翼の背後を取る。

 

 翼の剣技は相手が人なら、即座に素っ首刎ねられる洗練された剣技である。

 ヨトゥンヘイムはその剣技を、機械的反射のスピードと飛行のスピードにて回避した。

 恐るべきスピード。が、上回っているのはスピードだけだ。

 ディアブロのような技量で圧倒するゴーレムならばいざしらず、ベリアルの劣化とも言えるヨトゥンヘイムに、技量で翼を上回ることなどできはしない。

 

("入った")

 

 翼は剣を振った勢いを無理に殺さず、流れを変えて身をよじり、背後の敵に向けて足を振るう。

 下に折り曲げた右足を、上へと蹴り上げる。

 上に伸ばした左足を、下へと振り下ろす。

 結果、交差した翼の両足剣は大鋏のごとくゴーレムを挟んで切断せんとする。

 翼を銃床で殴り飛ばそうとしていたらしいヨトゥンヘイムの右腕、その肘あたりを剣のハサミが挟み込む。ギャリィッ、と嫌な音と火花が周囲に飛び散った。

 

(硬い……だがッ!)

 

 技量一つで敵の体の中でも特に細く脆そうな腕の関節を斬撃で挟んだ翼だが、その斬撃をもってしてもゴーレムの腕を切断するには至らない。

 補強されているのかもしれない、と翼は手応えから予測する。

 翼は剣を足場にして地上に戻り、ヨトゥンヘイムは距離を維持しつつ、上空で翼を中心点とした円を描くようにぐるぐると飛び始める。

 ゴーレムの右腕の動きが少しぎこちない。

 翼の一撃は腕を切り飛ばせずとも、確かなダメージを与えられたようだ。

 

(……)

 

 だが、今と同じ手は二度は通じまい。

 飛べる者と飛べない者の間には絶対的な有利不利の差が存在する上に、飛んでいる方が遠距離型で飛んでいない方が近距離型というのが最悪だった。

 翼が選べる戦術の幅が、加速度的に狭まっている。

 

(……5、4、3、2)

 

 だが、翼の目的はここで勝つことではない。

 それゆえに"自分一人で勝とうとする場合の勝機"など、どうでもいいことだった。

 翼の心中のカウントが、徐々に減っていき……

 

(1。0)

 

 ……0になると同時に、ヨトゥンヘイムに黒色の弾丸が着弾した。

 

「いい蹴りだ」

 

 黒色の弾丸は空中でヨトゥンヘイムを蹴り飛ばし、その反動で翼の横に舞い降りる。

 翼のそれが盾ではなく剣であったように、これもまた弾丸ではなく騎士だった。

 

「待たせた」

 

「待った」

 

 騎士の名は焔の黒騎士(ナイトブレイザー)

 シンフォギアとナイトブレイザーが並び立ち、ゴーレムに立ち向かう。

 天羽奏の力を一切借りることができないゴーレム戦。彼らにとって初めての戦いとなるそれの、第二ラウンドが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し遡る。

 

「ツヤマさん、司令に連絡を!

 位置座標と俺が緊急事態と言っていたと伝えれば、それだけで話は通ります!

 現地に避難警報を鳴らしたら、その後の動きは司令に従ってください!

 おそらくは仮眠を取っているメンバーを起こすよう言われると思いますが、念のため!」

 

「ご武運を!」

 

 ゼファーは二課を厳戒態勢にシフトさせ、連絡を津山に任せて自分は駆け出す。

 翼の携帯に一報を入れ、彼は格納庫に向かっていた。

 そこに、蘇ったばかりの相棒が居るはずだと、了子から聞いた話を思い出しながら。

 

「今日も頼むぜ、ジャベリン」

 

 ジャベリンはゼファーを正気に戻す戦いで、他ならぬゼファーの手によって破壊された。

 だがその車体とAIは大部分が残っており、開発班の手によりまた新たに『ジャベリン Mrk-5』として生まれ変わっていたのである。

 

 基本性能はほぼそのまま据え置きで、車体強度はフレームレベルで上昇。

 手が不自由になったゼファーがハンドルを握れないのなら、"ハンドルにゼファーの手を握らせればいい"という逆転の発想により、ハンドルに吸着機能を実装。

 ゼファーに握力がなくともハンドルを握るも離すも自由自在、という革命的な技術を実用レベルに引き上げるに至っていた。

 

 更にはハンドルの根元近くに、親指だけで操作できるタッチパネルを採用。

 クラッチ・アクセル・ブレーキ・ライトその他諸々のバイク機能がこのタッチパネル一つで制御できるようになっており、左右の親指のみでバイクをデジタルに扱えるのだ。

 これにジャベリンのAIによる自動操縦機能、転倒防止機能が組み合わさることで、まだ箸も持てないほどに後遺症が残っているゼファーでもバイクを乗りこなすことが可能となるのである。

 

『ハッチオープン! ゼファー君、どうぞ!』

 

「ゼファー・ウィンチェスター、出撃します!」

 

 地上の人目に付かない場所の地面が開き、ハッチが開く。

 すると二課の車両格納庫からそのハッチへと一直線に繋がる経路が繋がり、ゼファーはバイクを全速で走らせてそこを抜け、地上に飛び出した。

 オペレーターとの通信をシステム的に必須にしたり、やたらとどこかで見たことある感のある出撃形式になっているのは、二課総責任者風鳴弦十郎の趣味である。

 

(ツバサなら、ゴーレム相手でもそう簡単にはやられないだろうが……

 駆けつけるまでに時間がかかれば、その限りじゃない! 急がないと!)

 

 ゼファー振り落としちゃいかんでしょ、ということでジャベリンMrk-5には現在デジタルなリミッターが一時的に取り付けられている。

 Mrk-4の最高時速は700km/h。対しリミッター付きのMrk-5の最高時速は500km/h。

 リミッターはいつでも外せるが、ゼファーが事故る可能性を懸念している二課の技術担当達は、ゼファーの腕がある程度治るまではこのリミッターを外すまい。

 結果的に、ゼファーは数分の移動時間を要してしまう。

 

『ゼファー君、今大丈夫かしら?』

 

「アオイさん? はい、大丈夫です」

 

『こっちで管理してる回線に愛歌ちゃんが現場から電話をかけて来てるの。

 繋いでいいかしら? 戦闘前だから、あんまりオススメはできないけど』

 

「!」

 

 あおいの口調は、二課の事情を知る愛歌が、ゼファーがナイトブレイザーであることを知る愛歌が、このタイミングで現場からゼファーに電話をかけて来るということを怪しむものだった。

 ゼファーに対して良からぬことを言うのではないか、と彼女は心配しているのだ。

 大人として自分を心配してくれているあおいに、ゼファーは心中で感謝した。

 

「大丈夫です、アオイさん。繋いでください」

 

『……分かったわ』

 

 ゼファーのインカムと、愛歌の携帯電話が繋がる。

 

『……繋がった?』

 

「ああ、繋がってる。どうしたんだ、アイカ?」

 

『落ち着いて、動揺せずにしっかり聞いて』

 

「……?」

 

『今、街中はパニック状態。金色の騎士だ、ってことで大変な有り様よ。

 あたしは直接見てないから確かなことは言えないけど……

 あの日、姉さんが死んだ日はこうだったんだろうなって、あたしが思うくらいの状況』

 

「なん、だと!?」

 

 オーバーナイトブレイザーの恐怖は、当時その場に居た者以外の者達にも等しく刻まれている。

 金色の装甲を付けた騎士らしきゴーレムを見ただけで、人々が逃げ惑い、他人を足蹴にしてでも逃げようとし始めるくらいに。

 

 それはある意味、先史の時代にあったロードブレイザーに対する恐怖に近いものだった。

 先史の時代には、焔の災厄を見たことがないものですら魔神を恐れ、全人類のほとんどがロードブレイザーを恐れていた。

 そしてその恐怖を糧として、ロードブレイザーは力を増していた。

 ほぼそれと同一の現象が、今この世界に蘇ろうとしている。

 

 魔神も、魔神の端末も、ひとたび姿を見せればただそれだけで、多くの人々の心に『恐怖』を刻み込み震え上がらせるのだ。

 魔神の焔がそこに無くとも、人々はそれに近いものを見るだけで狂乱してしまう。

 

「分かった」

 

 それを止めるには、"魔神の負"を相殺出来るだけの"英雄の正"をぶつけるしかない。

 その自覚があるのか無いのか、ゼファーは更にバイクを加速させた。

 

「巻き込まれないよう、注意して動いてくれ。

 俺が、俺達が、街に居る人達を必ず全員助けてみせる」

 

『……』

 

 電話の向こうで愛歌が押し黙る。

 怪訝に思い返答を待つゼファーに対し、たっぷり数秒置いてから、愛歌は話し出す。

 

『全員じゃなくていいと思うけど』

 

「なに?」

 

『いいじゃん、良い奴から順に助けるとかでも』

 

 愛歌の視線の先では、他人を突き飛ばしてでも逃げようとしている男が居た。

 助けを求める子供を罵倒して逃げた女が居た。

 車で逃げようとして人を轢きそうになったが、逃げるためにブレーキを踏みもしなかった大人が居た。

 自分勝手に、他人が死のうが傷付こうがどうでもいいと、そう振る舞う者達が居た。

 

『……ああ、なんか、嫌いだった奴らの気持ちが分かりそうで嫌。

 結果的に人殺しになるかもって分かってない人が、優しくない人が、多過ぎる……』

 

 愛歌は今日までの日々の中で、何度も見てきた。

 災禍の中で他人を殺して平気な顔をして生きていた生還者。

 何もしていないのに周囲から罵倒される生還者。

 災害で大切な人を失い、生還者を罵倒する非当事者。

 何の関係もないのにそれに悪乗りする非当事者。

 煽るマスコミ。非難するマスコミ。時流に逆らうマスコミ。

 風潮だからというだけで乗る人、風潮だからというだけで反対する天邪鬼。

 

 姉を失った自分のことなんて見もせずに、自分を理由にして『不謹慎』『慮れ』と正義を振りかざして偉そうにする者達。

 本当に可哀想だなんて思っていないのに、同情しているふりをしている者達。

 同情している自分に酔って、皆に同情しろと強要し、同調圧力を発する者達。

 そして今日ここで見た、筆舌に尽くし難い人々の醜態。

 

『悪い人でも、生きてた方が良いとは、思うけどさ』

 

 天羽愛歌は、あまりにも沢山の"人の醜さ"を目にしてしまっていた。

 

『……"これ"は、命を削ってまで助ける価値があるものだとは、思えない』

 

 それゆえ彼女はその"醜い者達"を、命を懸けない医療の場でならともかく、命を懸けねばならない戦場で助けるべきものであるとは思えなかった。

 それは人として当然の思考だろう。

 だが、忘れてはならない。

 

「……」

 

 受けた悪意が少ないとは言いがたい人生を送り、風潮に真っ向からぶつかって行った西風は、愛歌よりも多くの"人の醜さ"を目にしているということを。

 

「……人は、生きたいって気持ちから、醜い選択を選んでしまう時もある。

 辛いこと、痛いこと、怖いことから逃げるために、情けない選択を選んでしまう時もある。

 だけど分かってやってくれ。その人達は強く在れないだけなんだ。

 いつでもどんな時でも優しいままで居られる人は、それだけで強い人なんだよ」

 

『……っ!』

 

「仕事で疲れた時、同僚に優しくできなかった。

 疲労が溜まりに溜まって、親が子に優しくできなかった。

 受験勉強で疲弊して、友達に酷いことを言ってしまった。

 そういうことは誰にでもあると思うんだ。

 だけどそれは、その人が優しい人でないことの証明にはならない」

 

『そんな理由で! こいつら全員、本心から助けたいって思えるの!?』

 

「ああ、思える」

 

 子供の頃のゼファーは自分が一番大嫌いだったから、自分と比べれば誰だって好きになれた。

 誰も嫌いにはならなかった。

 人生を生きている内に、彼は人の輝きを知った。人が作り上げる希望を知った。

 人生を生きている内に、彼は人の醜さを知った。人が作り上げる絶望を知った。

 色々な道を歩み、色々な事を知り、彼は一周回って元の場所に戻って来る。

 

 子供の頃とは、少しだけ違う形で。

 

「俺は知ってる。人の心の中にあるのは、醜さだけじゃないんだって。

 俺は信じてる。20年も生きてないけど、それでもこの世界で生きてきたんだ。

 俺は大好きだ。人が、皆が、大好きだ。何もかも全部、ひっくるめて大好きだ」

 

 電話の向こうで、愛歌が息を呑む音が聞こえる。

 

「だから助ける。だから守る。いつでも、どこでも、何度でも」

 

 ゼファーの視界に、街とゴーレムが映り始める。

 

「……人の心から、醜さが無くなることはないのかもしれない。

 それでも、俺は! 人に照らされて立ち上がってきた人間だから!」

 

 希望の西風が"守る価値がある"と信じるものが、そこにある。

 今にも壊されそうなそれが、そこにある。

 

「誰の心の中にも輝きはあると、信じてるんだッ!」

 

 ゼファーはインカムの通話を切り、ハンドルから手を離し、左の掌に右拳を打ち付け、叫んだ。

 

「アクセスッ!」

 

 

 

 

 

 所要時間100万分の1秒。(マイクロセカンド)

 ほんの一瞬で変身は完了し、ゼファーは燃える腕でバイクを焼かないようハンドルを掴まず、左半身を前に向けてシートの上に立つ。

 ジャベリンはゼファーが入力した指示通り、500km/hを維持。

 

「アクセラレイター!」

 

 更にゼファーは、短時間のみの無茶として時間加速・四倍速を発動。

 主と共にアクセラレイターの効果を受けたジャベリンは、物理加速と時間加速の合わせ技により一気に2000km/hという次元違いの速度にまで至る。

 そしてゼファーは、その勢いのままに、『跳んだ』。

 

 バイクを発射台として打ち出されたに近い、超加速による飛び蹴り。

 ベリアルならかわしていたかもしれない。が、ヨトゥンヘイムはかわせなかった。

 速度が劣化していたヨトゥンヘイムに対し、完全に奇襲を成功させたナイトブレイザーの飛び蹴りが、翼の攻撃で脆くなっていた防御の右腕をもぎ取っていく。

 

「いい蹴りだ」

 

 翼の賞賛を受けつつ、ゼファーは彼女の横に着地する。

 舞い散るネジ、パラパラと落ちていく塗装、砕けて落下する金属片。

 破損を証明する鉄屑が彼らに、敵に叩きこんだ確かなダメージを確信させた。

 

「待たせた」

 

「待った」

 

 ゼファーが言い、翼が応える。

 そのやりとり一つで、二人は互いの呼吸のリズムを合わせる。寸分の違いなく完璧に。

 欠けた腕の死角から攻めるぞ、ええ、と二人は言葉なく意思疎通をするが、そんな二人をあざ笑うようにヨトゥンヘイムはバックパックに手を突っ込んで、そこから『腕』を取り出した。

 それは空間圧縮技術を用いてバックパックの中に格納されていた、ゴーレムの破片から作られたゴーレムという特性上必然的に生まれる、"余剰部品で作られたスペアパーツ"であった。

 

「スペアアーム……!?」

 

 ヨトゥンヘイムの砕けた右腕の残りが全てパージされ、そこにスペアアームが付けられる。

 翼とゼファーの攻撃により与えたダメージも、これであえなく帳消しだ。

 

「どうするゼファー。あんなことを何度も繰り返されれば、勝てるものも勝てないが」

 

「……いや、他のゴーレムは、大なり小なり再生能力があった。

 あんなことしてる時点で、再生能力のないゴーレムだと自白してるようなものだろ」

 

「! 確かに、そうか」

 

「それにゴーレムの腕を何十本も持たせるのだって効率が悪い。

 胴体や頭をやられたらその時点で終わりだからな。

 普通、パーツのスペアは基地とかに置いておくもんだ。

 だから多くても二本か三本……だと、思う。あまりしたくない、希望的観測だけどな」

 

 ゼファーの推測は半分当たっていて、半分外れていた。

 腕のパーツを多く格納していないだろうという推測は当たり。

 だがベリアルの余剰破片から作られたスペアパーツは、右腕左腕右足それぞれ一本づつのみ。

 ゼファーが思っているよりずっとカツカツな事情で、このゴーレムは作られていた。

 

「行くぞ!」

 

「ええ!」

 

 翼が網膜に投影された六角形を操作する。

 すると天羽々斬とナイトブレイザーのエネルギーが掛け算で上昇し、跳ね上がったパワーが集約されて、紅の光と蒼の光が混ざった光球が出来る。

 

「ラインオン・ナイトブレイザー、天羽々斬!」

「コンビネーション・アーツ!」

 

 それが炸裂し、空より燃え盛る短剣の雨を無数に降らせた。

 

「「 シンフォニックレインッ! 」」

 

 炎剣は一点集中で破壊力を出すのではなく、触れたらその時点で終わりのネガティブフレアを纏った状態で、空を覆う。

 厳密に言えば、燃える剣が擬似的に天井を作り上げ、ヨトゥンヘイムの頭を抑える形になっていた。飛び上がって距離を取ろうとしたヨトゥンヘイムの動きが止まる。

 『高さ』という敵の優位点を潰した二人は、そのまま左右から挟み込むように挟撃した。

 

「らァッ!」

「はぁっ!」

 

 翼は蒼の一閃、ゼファーは焔の矢を複数本、距離を詰めながら必殺の牽制という矛盾した飛び道具を撃ち放つ。

 なのだが、ヨトゥンヘイムは上方への移動を制限された状態で、大きく動いて避けるのではなく小さく丁寧に動いて回避した。

 速く動くことだけが機動力ではない。

 小さな動きを隙なく、瞬時に、小刻みに、高精度で行うこともまた機動力だ。

 左右からの速く多く鋭い同時攻撃を、10mの巨体で精密に動き回避するヨトゥンヘイムもまた、理外の化物である。

 

(当たりさえすれば、壊せる自信はあるんだが……!)

 

 飛び道具を撃ってから間髪入れず、ゼファーと翼は近接攻撃を撃ち放つ。

 翼は青い光を纏う刀の斬撃を、ゼファーは腕に焔のガングニールを添え付けて。

 

「もうッ!」

「いっぱぁつッ!」

 

 ヨトゥンヘイムの右1mに翼、左1mにゼファーという、完全に詰んだこの状況。

 だがこの詰みの状況に至っても、ヨトゥンヘイムは足掻きに足掻く。

 翼の横一閃、ゼファーの縦一閃。

 恐るべきことに、ヨトゥンヘイムは重力を感じさせない動きと身のひねりのみで、この二つの攻撃を回避してのけていた。

 

「!」

 

 まだ銃弾を一般人が回避する方が難しいであろう、桁外れの速度と人並み外れた技量による斬撃二連。これがかすりもしなかった時点で、元となったベリアルの凄さがよく分かる。

 翼とゼファーが攻撃の後の残心を終える前に、重力を感じさせない動きで頭を下、足を上にした状態で宙に浮かぶヨトゥンヘイムは、双銃を構える。

 そして攻撃直後で隙が生まれてしまった二人の頭に向けて、躊躇なく引き金を引いた。

 

「……っ!?」

 

 翼は脚部のホルダーの中に格納していた小太刀を反射的に射出し、ヨトゥンヘイムの銃口を弾いた。あの光弾は天羽々斬では受けられない。

 ゆえに、銃口を弾くという選択は最適解と言っていいものだった。

 弾かれた銃口から放たれた光弾は翼にかすりもしなかったが、その光弾が周囲の空気を巻き込んだ結果、熱された軽い衝撃波となりバリアの上から翼の頬を僅かに傷付ける。

 

「ッ!」

 

 ゼファーはガングニールを生やした腕を防御に回せなかったため、瞬時に左腕を防御に回すも、腕で受けると同時に吹っ飛ばされてしまう。

 翼では受け切れない攻撃を腕で受けても、"多少のダメージ"で済むナイトブレイザーの防御力の高さは流石だが、ダメージを受けて距離を空けられた、ということがマズかった。

 ゼファーが着地し、体勢を立て直したその時には、翼もヨトゥンヘイムの連撃ミドルキックを食らって吹っ飛ばされていた。

 

(ヤツの狙いは!)

 

 ナイトブレイザー、天羽々斬共に距離を空けられる。

 そしてフリーの時間を得たヨトゥンヘイムは、シンフォニックレインで作られた燃える天井に向け、双銃を連射した。

 圧縮された光弾が炸裂し、炎剣を吹き飛ばして天井に大きな穴を開ける。

 

 ヨトゥンヘイムは、自分の動きを制限する焔の天井の上に行くつもりなのだ。

 そうなれば、また上空からの一報的な蹂躙が再開できる。

 そうなってしまえば、ゼファー達の勝機はまたしてもどん底にまで落ちきってしまうだろう。

 赤金(あかがね)のゴーレムが燃える天井を抜け、絶対優位の天上へと躍り出る。

 

戦場に刃鳴裂き誇る(Gatrandis babel ziggurat edenal)……レイザーシルエット」

 

 だが、勝利を確信したヨトゥンヘイムのカメラアイに映ったものは青空ではなく、燃える天井の上に形成された"剣の天井"だった。

 

「『千ノ逆鱗』」

 

 レイザーシルエットにて、絶唱に限りなく近いエネルギーを絞り出した翼が放った新技。

 それは"千ノ落涙"の剣の数と、"天ノ逆鱗"の剣の大きさを両立するという、常識外れの発想で行われた融合技であった。

 巨大で威力もある巨大剣がズラッと並び、そうして出来た剣の天井が上を、燃える剣の天井が下を塞ぐという形で、上下移動という選択肢を封印する。

 信じられないくらいに大規模かつ広範囲な、刃と焔の天井二枚で作り上げられた、ヨトゥンヘイムの機動力を殺す剣の檻だった。

 

「逃げ場ッ! ないぞッ!」

 

 そこにヨトゥンヘイムが空けた炎の天井の穴を通って、ナイトブレイザーが飛び出して来る。

 ナイトブレイザーはネガティブフレアに強い。

 ゼファーは炎剣の天井の穴から逃げられないよう動きつつ、炎剣の天井を平然と走り回り、機動力を完全に殺されたヨトゥンヘイムに一気に接近していく。

 ヨトゥンヘイムは予想だにしていなかった展開に、決定的な隙を晒してしまっていた。

 

 ネガティブフレアは、大抵の敵に対して確殺である。

 そんなふざけた攻勢能力を持つナイトブレイザーが居る時点で、仮にこの一瞬で二つの天井が消え去ったとしても、ヨトゥンヘイムの運命は変わるまい。

 あと一手か二手で、ヨトゥンヘイムは避けようもなく破壊される。

 

 一撃確殺のネガティブフレアを扱える者の強さとは、そういうものだ。

 

(あと一手、最悪あと二手、なのに――)

 

 だが、忘れてはならない。

 

(――なんだ、この、俺の命の危機に触れてこない、嫌な予感は!?)

 

 ヨトゥンヘイムは、ウェル博士が一工夫加えたゴーレムなのだということを。

 

 

 

 

 

 ヨトゥンヘイムは持っていた銃を眼前に迫るゼファーではなく、真横に連射した。

 

「!?」

 

 真横に放たれた光弾はゼファーには当たらず、地上に居る翼にも当たらず、上下の天井にかすることもせず、遠く離れた場所に着弾する。

 つまり、翼と愛歌が買い物をしていた、街のど真ん中に。

 

(お前、まさか……!?)

 

 ヨトゥンヘイムの眼の奥で、誰かが、「行かなくていいのか?」と言った気がした。

 他の誰がそう思わなくとも、ゼファーは直感的にその意志を感じ取る。

 ゼファーのARMがぼんやりと事態の全体像を把握し、ナイトブレイザーの視力が補完することで状況が把握されていく。今の銃撃ではまだ誰も死んでいない。

 

 だが、まだ出ていない、というだけの話。

 無人のビルが一つ崩壊し、街に降り注いで道を塞ぎ怪我人を出している。

 それどころか人がまだたくさん中に居るビルが三つ同時に倒壊し始めていて、ビルが倒れれば中の人どころか、地上の人達まで軒並み潰されてしまうという最悪の状況。

 ナイトブレイザーがヨトゥンヘイムを確実に倒せるであろうこの一秒。

 その一秒をナイトブレイザーに『無駄遣い』させる方法を、ヨトゥンヘイムは、正確にはヨトゥンヘイムの中に刻まれた行動ルーチンは、よく理解していた。

 

「ツバサ、頼むッ!」

 

「……分かった。そちらも頼むッ!」

 

 結果、ゼファーは街の人々を救うために一時的に戦線を離脱せざるを得ず、翼はまたゼファー抜きでヨトゥンヘイムを足止めしなければならない。

 戦闘で純粋に上を行っても、たった一滴の悪辣さで、こうしてひっくり返ることもある。

 いつだって、悪でない方が戦っている時は辛いものだ。

 

(間に合え……間に合え……!)

 

 ゼファーは緒川直伝の技術を用いて空中を走り、時間加速を用いて超特急で街に向かう。

 そしてギリギリ、ビルが倒れ始める前にその内一つを支えることに成功した。

 ビルの中に人が居る以上、ビルを焼き尽くすという選択肢は取れない。

 なればこそ、ナイトブレイザーはビルを支えながら、足で空を蹴り続けるしかない。

 

「ぐっ……ぅ……!」

 

 10万トン弱はあろうかというビルをゼファーは右手で支え、必死に空を蹴って支えながら、隣の倒れそうになっているビルに向けて左手を向ける。

 すると焔の鎖が何本も生成され、その両端を地面に突き刺しビルが倒れないように支え始める。

 ゼファーは何も燃やさない設定でビルを支えようとしているのだろうが、集中力がキャパシティをオーバーし始めているのか、焔の鎖に触れたビルの壁面が焼けて煙を発している。

 

 これでビル二つを支えたことになるが、まだ足りない。

 倒れ始めているビルは三つだ。

 今のゼファーでは、どうやっても三つ目のビルをどうにかできない。

 

(足りない……手が足りない……足りなすぎるッ……!!)

 

 倒れゆく三つ目のビルの中にも人は居るというのに、手が足りない。

 

「た、助けてくれー!」

 

 ビルの中で、男が叫ぶ。

 

「助けて、ナイトブレイザー!」

 

 倒れていく三つのビルより先んじて崩壊した無人ビルのせいで逃げ道が塞がれていて、逃げられなくなった人達の一人が、ナイトブレイザーに向かって助けを求める。

 あの瓦礫をどけなければ、この街にはいつまで経っても"ヨトゥンヘイムの人質"が居続けることになる。そうなれば、勝てるものも勝てやしない。

 ナイトブレイザーかシンフォギアでなければどけられなさそうな大型の瓦礫。あれをどけなければ勝機はないというのに、それをどけるための手が足りない。

 状況は最悪だ。

 

「嫌だ、嫌だ、死にたくねえよッ!」

 

 倒れかけのビルは人々の不安を煽っているようで、瓦礫で塞がれた行き止まりに次々と逃げて来た人達が密集することで出来た人口密集地に、暴発の気配が生まれてくる。

 最悪、この状況を現状維持しているだけでも、人々がストレスから殺し合いかねない。

 人の意思をぼんやりと感じているゼファーだからこそ、その危機を肌で感じ取れてしまう。

 

「……!」

 

 そして、トドメとばかりにきたダメ押し。

 遠く離れた空にて、ゼファーは己に向けて銃口を向けるヨトゥンヘイムを見た。

 引き金を引くゴーレムを見た。

 自分に向かって飛んで来る光弾を見た。

 

 今、ゼファーにあの光弾が当たれば、彼が腕で支えているビルは崩れる。

 それどころか集中力が切れ、もう一つのビルを支えている鎖も崩れ去ってしまう。

 三つのビルは全てが崩れ去って人々を押し潰し、途方もない被害を生むだろう。

 ゼファーにはその光弾を防御する手段も、余裕もない。

 

 至極当然のように、その光弾は衝突・炸裂し、大爆発を起こした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何故、翼はヨトゥンヘイムを止められなかったのか?

 それはゼファーが街の方へと跳んで行った直後の、翼に対するヨトゥンヘイムの行動を見ればよく分かる。

 翼はゼファーが行った後容赦なく、ノータイムで上の天井を落下させた。

 レイザーシルエットで作った上の天井を落とせば、ヨトゥンヘイムは必然的に下の天井のネガティブフレアに焼き殺されるか、自分が空けた穴から下に降りてくるしか無い。

 降りて来たなら一撃食らわせて……と思っていた翼だが、そこで度肝を抜かれてしまった。

 

「ッ!?」

 

 レイザーシルエットによって作られた天井、コンビネーションアーツによって作られた天井、二つの壁が一瞬にして破壊されたのだ。

 よく分からない理論で構築されるインチキ兵器ではない、ただ単純に威力が高いだけのビーム砲が、なぎ払うように全ての剣を蒸発させる。

 翼もとっさに横に跳んで回避するが、地面が先程の双銃とは比べ物にならないほど深く抉れ、ビームの太さと威力をまざまざと見せつけてきた。

 翼が抉られた地面を見れば、そこにはガラス化した地面の跡。

 

(なんて、威力……!)

 

 翼は歌いつつ、ヨトゥンヘイムがこのタイミングまでこれほどの武器を温存していたことに驚愕する。ヨトゥンヘイムの両肩にて、超大型ビーム砲が鈍い光を発していた。

 超大型ビーム砲『ダークネスティア』。

 ヨトゥンヘイムが本来想定されていた運用は、ベリアル譲りの機動力で飛び回り、このダークネスティアを要点に叩き込むことだ。双銃など、おまけにすぎない。

 最初から使って来なかったということは、おそらくはエネルギー消費などの問題から乱発は出来ないのだろうが……それでも、十分過ぎる脅威だ。

 

 これでとうとう、ヨトゥンヘイムが自由に飛べる状況ができてしまう。

 

「!」

 

 翼はゼファーの下に行かせてたまるかと、捨て身の覚悟で蒼の一閃の構えを取る。

 ヨトゥンヘイムの銃はゼファーが行った方に向いている。

 撃たせるものかと、翼が剣を振り上げたまさにその瞬間。

 

(―――な)

 

 ヨトゥンヘイムの二丁銃の片方が、翼にも向いた。

 

 なんてことはない。

 ヨトゥンヘイムは確実に二人同時に始末できるこのタイミングを、ずっと待っていたのだ。

 ゼファーがビルを支えて動けなくなるよう、人を殺さないようビルの根本だけを撃った。

 翼が攻撃に全意識を集中し、そうして攻撃しようとした直前の隙を狙えば容易に撃ち殺せるだろうと、ゼファーを餌に翼の行動を誘発した。

 全ては狙い通りで計算通り。

 ヨトゥンヘイムの行動ルーチンに手を入れた、どこかの誰かの悪性を反映した強さであった。

 

(マズい、完全に虚を衝かれた、かわせな―――)

 

 至極当然のように、その光弾は衝突・炸裂し、大爆発を起こした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして最初に倒壊したビルの被害者が、ここまた一人。

 

「……あー、あ」

 

「おいあんた! 大丈夫か!?」

 

 目の前で瓦礫に潰されそうな人が居たから、突き飛ばして助けただけ。

 ただそれだけだった。

 でも、ヒーローに相応しい力も頑丈さも無いその少女にとって、それは過ぎた蛮勇で。

 少女は腹に瓦礫が刺さり、どくどくと色の悪い血を流していた。

 

「なんか、姉妹揃って、人助けて死ぬとか、そんなんなったらやだな……」

 

 天羽愛歌は、そうして死にかけていた。

 

「きゅ、救急車! ……って、この状況で来るわけねえ……!」

 

 愛歌に助けられた男性は、愛歌の傷を見て、"もう助からないんじゃないか"と思う。

 そのくらいに傷は深く、流れた血の量は多かった。

 自分を心配する男性をよそに、愛歌は上を見上げて、頑張っているナイトブレイザーを見る。

 

「あんなに、頑張っちゃって」

 

 そして、助けを求めるように、ナイトブレイザーに向かって手を伸ばした。

 

「大好きなら、守ってよ。あたしも……」

 

 遠くて手など届かないと、自分で分かっていたくせに。

 

 

 


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