戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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GXで出た竜宮の死蔵品を全部話に組み込むのは無理でした


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 深淵の竜宮の立地を聞いた時点で、ゼファーはこの形で決着を付けることを想定していた。

 

 

 

 

 

第二十九話:三対三、三者三度の防衛戦 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どばっ、と施設内に水が流れ込む。

 同時に隔壁が降りて来て、彼らが戦っている区画に急速に水が満ちていく。

 

「!? なんだとッ!?」

 

 ネフシュタンの少女が戸惑いの声を上げ、壁を見る。

 そこにはいつ空けられていたのだろうか? 大きな穴が空けられていた。

 壁の穴からはとてつもない水圧により、大量の海水が凄まじい勢いで流れ込んで来ている。

 この区画が水没するのも時間の問題だろう。

 

 誰が穴を空けたのか?

 どうやってここの分厚い壁を外まで貫いたのか?

 その答えは、白鎧の視線の先に立つ黒鎧の腕の焔が如実に証明していた。

 

「いつの間にあんな穴を……!」

 

「お前らみたいな例外相手でなければ、どんなに厚い壁だろうが焼き切るのは訳ない」

 

 ゼファーは壁の穴にもう一撃加え、穴を広げる。

 流れ込む水に飲み込まれればどんなに強くとも助かるまい。

 隔壁に穴を空けて別区画に逃げたところで、先送りにしかなりはしない。

 この施設の隔壁などを利用できるゼファー達と違い、利用できないネフシュタンの少女達にはこの状況を効果的に打破する手立てが存在しなかった。

 

「シンフォギアはそうそう溺れない。

 了子さんが実装した生命維持装置があるからな。

 ロックを解除すれば真空の中でも歌えるのがシンフォギアだ。

 考えるまでもなく、ゴーレムだって呼吸なんかする必要はない」

 

 広い区画に水の流れる音がして、白鎧と黒鎧の足首辺りまで水が満ち始める。

 

「だが、俺とお前は普通に溺れる。そうだろう?」

 

「お、お前……正気かよ!?」

 

「死ぬ気で戦い、命を懸けて、生き残る道を掴み取る。なに、いつものことだ」

 

 ドゴン、と壁に向けられた騎士の腕から焔が迸る。

 それがまた壁に大穴を空け、大量の海水を流入させる。

 ネフシュタンの少女から"考える時間"という余裕を奪い去る。

 

「いいぞ、お前がその気なら……死ぬまで付き合ってやるッ!」

 

「―――っ」

 

 溺れる前にナイトブレイザーを倒し、連れ去ればいい。

 ネフシュタン側からすればそれだけの話だ。

 だが……『溺れる前にこのしぶといやつを仕留めきれるのか』という疑問が、ネフシュタンの少女の脳裏に浮かんでしまう。

 初戦の時、ナイトブレイザーは単独で10分以上戦線を維持していたのだから。

 

 例えばアースガルズで対消滅バリアを使って流れ込んで来る海水を消そうとしたとしても、海水を消した分だけ外から流れ込んで来る水の勢いが増えるだけだ。

 酸素だって対消滅しかねない。そして何もできないのは、アースガルズだけではない。

 対消滅バリア、四態の炎、蛇の白鎧では、敵も居るこの状況では打てる手がまるで無いのだ。

 ならば撤退するしかないだろう。

 

 死なないために死ぬ気で抗いに来ている黒騎士。

 絶招の反動で息も絶え絶えになりながらも、なんとか立ち上がりまた剣を握る青の剣士。

 海水でずぶ濡れになりつつ、なんとか構えを取り直している元一般人。

 この区画が戦闘不能な段階に至るまでにこの三人を倒しきれるだろうか?

 

 不可能ではない。

 だが確実でもない。

 ましてナイトブレイザーが命を賭して来るとなれば最悪だ。

 ネフシュタンの少女が命じられたのは、ナイトブレイザーの殺害ではなく、捕獲なのだから。

 自分が溺れ死ぬのも、ナイトブレイザーが溺れ死ぬのも、少女にとっては最悪の結末である。

 

「くそっ!」

 

 ナイトブレイザーがまた焔を壁に撃ち、それをネフシュタンの鞭とアースガルズの盾が防ごうとするが、焔は途中で直角に曲がり別の場所に穴を穿つ。

 駆け引き、読み合い、心理戦であれば……これまた、ゼファーの有利な土俵だ。

 ベリアルにゼファーが勝利した時もそうだった。

 

 ネフシュタンの少女が撤退を選ばなければ、状況は加速度的に悪化する。

 

(ここでナイトブレイザーを生け捕りにできれば!

 フィーネが求めてるものの三つの内、一回で二つが揃うってのに……!

 せめてあれを、あたしの弓をここに持って来ていたら……あたしの馬鹿野郎!)

 

 歯ぎしりするネフシュタンの少女。

 だが彼女の前で、アースガルズが手に持っていた物を見せる。

 すると、ネフシュタンの少女の表情に冷静さが戻ってきた。

 

「……ああ、分かってるよ」

 

 アースガルズが少女に見せた物は、彼女らが深淵の竜宮に侵入してまで求めた物、奪取しようとしていたものだった。

 ゼファーら三人がネフシュタンとディアブロ相手に手こずっている間に、アースガルズはまんまと目的の物を確保していた、ということなのだろう。

 二兎を追う必要はない。既に一兎は手の中にある。

 『それ』をネフシュタンの少女が手にした時点で、この戦いは少女の勝ちであり、どうしようもなくゼファー達の負けだった。

 守りに来た物を守れず、奪われてしまったのだから。

 

「まさか二回()って捕まえられねえとは思わなかったが……

 三度目の正直だ。次こそ、必ず決着を付けてやる」

 

 海水面が膝上にまで来た時点で、少女は手の中で何かをへし折る。

 すると少女と少女の側に居た二体のゴーレムが、一瞬で消え去った。

 

「……テレポートジェム……!」

 

 "テレポートジェムによる空間転移"。

 かつては理解できなかった現象も、今のゼファーには理解できる。

 敵はここに来た目的を過不足なく完遂していった。

 対しゼファー達は、深淵の竜宮の壁部を破壊するなど、生存のためにむしろ被害を増やしてしまっていた。ここを守るという目的から考えれば、完敗である。

 

(……完敗だな)

 

 いっそ最後に焦りから水没していくこの場所で戦いを挑んで来てくれれば、焦りで浮ついた動きを水上走りなどで捌いて、現状ネフシュタンの装甲を唯一破壊できる可能性のある焔の一撃……バニシングバスターを叩き込めた可能性もあったというのに。

 その僅かな可能性ですら、最後に取り戻した冷静さで潰された。

 地力に圧倒的な差がある以上、堅実な策を取られると困るのはゼファー達の方である。

 

 翼がネフシュタンに絶唱を打ち、アースガルズがネフシュタンを守るために動いた瞬間、ディアブロの攻撃をかい潜って壁に穴を空けたゼファーの功績は殊勲賞ものであったが、それでも敗北は敗北だ。

 翼も最高の形で戦いに貢献してくれた。

 響もほぼ素人と変わらないというのに、アースガルズのバリアに決定打を打ってくれた。

 それでも力の差は埋まらず、敗北の事実に変わりはない。

 

「二人共動けるか? ……よし、移動しよう。

 ゲンさん達が迎えを寄越してくれるまで、別所に移動してこの区画は隔壁で封鎖する」

 

 守りに来た物を壊してまで生き残ろうとする自分の生き汚さを改めて実感し、守りに来た物を壊さなければ全員殺されていたであろう戦力差も改めて実感し、ゼファーは溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深淵の竜宮は深海の海底にある施設だ。

 当然、隔壁や排水機能などのシステムも兼ね備えている。

 ゼファーは帰還の途中に響にそう説明していたが、そういうシステムがあるのと、それが許されるのとは全くの別問題だ。

 

 場所が漏れた深淵の竜宮を別所に造り直すのか、壁を修繕して使い続けるかは分からない。

 だがどちらにしろかなりの金が必要になることは確実なので、国の偉い人から弦十郎がかなり怒られることになるだろう。

 怒られるのはゼファー達ではない。

 彼らの行動の責任を取るのは弦十郎だ。それが『責任者』というものだからだ。

 だからこんなにも、ゼファーは申し訳ない気持ちになっている。

 

 弦十郎はそんなゼファーと顔を合わせた途端、「気にするな」と呵々大笑していたのだが。

 

「……はぁ」

 

 かくして二課のメンバーに回収された聖遺物チームは、本部に帰還した後各々が思い思いの行動を取り始める。

 溜め息を吐くゼファーは、今回の戦いで敵の分析に徹してもらっていた朔也の部屋へと向かい、今日の戦いの検討を始めていた。

 

「お疲れ様」

 

「負けてすみませんでした」

 

「おいおい、謝るような失敗はしてないし、第一俺に謝ってどうするんだ」

 

 戦うたびに、相手の分析と研究をして勝機を探る。

 戦いの中での駆け引きを少しでも有利に進める材料を集める。

 そこに希望を見出すのなら、まず真っ先に頼るべきは当然藤尭朔也だろう。

 ゼファーは深淵の竜宮にて敵が奪っていった、すなわち"敵の目的の手がかり"になる物が何だったのかを朔也に問うた。

 

「サクヤさん、今回奪われたものが何かって、分かりますか?」

 

「もう調べてあるよ。名を『グラウスヴァイン』と言うそうだ」

 

 朔也がノートパソコンのキーボードを叩き、前後をひっくり返してゼファーに画面を見せる。

 そこには宝石のような黄の色合いをした、正十二面体の写真があった。

 ゼファーはそれを見て、"あの時アースガルズがネフシュタンに手渡していた物はこれで間違いない"と朔也に言う。

 

「二課のデータベースによると……

 先史文明の機械工ディーンが残した遺跡から発掘されたとされているね。

 聖遺物鍛冶師(ドヴェルグ)・ダインとも呼ばれた彼の遺産だと書かれてる。

 死した核ドラゴンの心臓を加工した、半生命半無機物の核反応炉だってさ」

 

「核ドラゴン?」

 

「えーっと、つまり……核反応炉なドラゴンの心臓? なんだろうな、これ」

 

 太古の昔、地球に存在したと言われる半生命・半機械の超生物、『ドラゴン』。

 タラスクの出現により、その実在は既に全世界に証明されている。

 当然、その体の一部は機械のように加工や改造を施せるのだろう。

 それにしたって、生物の心臓を加工した核反応炉なんてフレーズは結構おかしいが。

 

「今、この地球上に存在する人類を一発で全滅させるには、核爆弾が120万個要るそうだ。

 ところがデータの上では、この先史文明の核兵器は"核爆弾200万個"に相当する。

 それほどのエネルギーがある上に、そのエネルギーの利用法の目処も立っていない。

 そりゃあ深淵の竜宮に死蔵しておくしかなかったわけだ。危険にもほどがあるって、これ」

 

「にひゃくま……は!?」

 

「いや、純粋な破壊力なら君のバニシングバスターはこれの上を行ってるからね?」

 

「それは分かってますけど……

 第一それ、アースガルズは更にその上を行くってオチが付くじゃないですか」

 

「聖遺物はホント次元が違うよなぁ」

 

 エネルギーの総量ならともかく、完全に制御された上で一点集中にて放たれるバニシングバスターならば、グラウスヴァインを消し飛ばすことも可能だろう。

 聖遺物とはそういうものだ。

 完全聖遺物級の戦闘力ともなれば、70000000兆トンの質量を持つ月が破片になったと仮定して、それを投げ飛ばしたり原型残さず粉砕くらいは余裕でやってのけるはずだ。

 

 莫大なエネルギーを爆弾のように発することしかできないグラウスヴァイン。

 敵はこれをどう利用するつもりなのだろうか? 二人は想像を巡らせる。

 

「こんな弾頭だけの核ミサイルみたいなもの、どう使うつもりなんでしょうか」

 

「利用する手立てがあるんだろうさ。使わないものを盗みに行くわけがないだろ?」

 

「あ、確かに。俺達が使えない時点で、"脅威に思って盗んだ"みたいな線もないですし」

 

「自爆テロみたいな使われ方だけは勘弁だけどなあ……」

 

 今回の件で、偉い人の中でも二課の責任問題を追求しようとする者と、二課の処罰を軽くしてフットワークの軽さを維持しようとしている者で分かれているのは、そういうことなのだろう。

 現状は得体の知れない国内の敵性組織が核爆弾を手にしているに等しい。

 政府サイドの緊張は最大限にまで高まっているはずだ。

 

「なんとなくそういう風には使ってこないと思いますよ。勘ですが」

 

「すごく安心する発言をありがとう」

 

 受動的な出撃を除けば、今は緒川を始めとする二課のエージェント達の成果を待つべきだろう。

 「最近存在感ないな」と思った時にこそ大活躍しているのが忍者・緒川慎次である。

 成果が出るまで、もうそこまで待つ必要はないはずだ。

 

 そんなこんなで、チームのリーダーと参謀と言える二人は議論を交わしていたのだが……

 

「ゼファー君居る!?」

 

「あ、アオイさん。どうしました?」

 

「ちょ、あおいさん!? あんま片付けてないから勝手に俺の部屋に入らないで下さい!」

 

「そんなだからあなたは童貞なのよ! ちょっと静かにしてて!」

 

「えちょ」

 

「とにかく急いで付いて来てゼファー君!」

 

 走り出すあおいに事情を聞かぬまま、ゼファーはその後に続く。

 あおいの必死な表情を見て、"彼はとりあえず事情を話して欲しい"といった常識的な発言を口にすることはしなかった。

 あおいとゼファーに朔也も続き、走る三人。

 

「翼ちゃんと響ちゃんが喧嘩してるのよ! ギアも使いかねない状況よ!」

 

 走るさなかに語られた緊急事態は、彼らの足を速めるには十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 任務から帰還した響は、一度シャワーを浴びてから二課本部の中をうろうろしていた。

 悩みからかじっとしていられず、とぼとぼとあてもなく歩く響は、自分が迷子になっていることにすら気付いていないようだ。

 

「うう、私呪われてるかも……

 いや呪いと関係なく私の力不足なんだけどさぁ……はぁ……」

 

 響は自分の無力さに溜め息しながら、先日ゼファーとした会話を思い出していた。

 

 

 

 

 

「カナデさん? 強かったぜ、そりゃもう滅茶苦茶。

 実戦で決定的な『敗北』を喫したことは一度も無かったんじゃないかな……」

 

 ゼファーに限らず、響は多くの人に奏のことを聞いていた。

 響は自分にガングニールを託してくれた人のことすら、ロクには知らなかったから。

 奏の人柄。

 奏の強さ。

 奏の生涯。

 何人もの人からそれらを人伝に聞き、立花響は天羽奏のことを知っていった。

 

 その中でもゼファーは特に熱意を込めて、奏のことを語っているような気がした。

 

「ツバサはカナデさんの大親友だったんだ。無二の、が頭に付くくらいに」

 

 ゼファーは多くのことを語ってくれた。

 けれども奏の大親友であったという翼は、未だ口をきいてすらくれない。

 それが響には、少しだけ寂しい。

 

「カナデさんも最初は立派な志から動いてたわけじゃなかった。

 でも色んな人と触れ合って、自分を見つめ直して……

 いつしか、俺やツバサを率いる心の強い人になっていたんだ」

 

 ゼファーにとって、天羽奏は『特別』だ。

 彼女だけが彼に友達・仲間・家族といった括りではない、特別な感情を向けられていた。

 響には分かる。

 天羽奏のことを語る時、ゼファーは特別な気持ちを胸の内に抱いているのだと。

 話せば分かる。顔を合わせれば分かる。

 

 それは、死別で終わった恋の残滓だった。

 

「素敵な人だったよ……本当に」

 

 それは響に目指すべき場所、目指すべき人間を意識させる想いの羅列だった。

 

 

 

 

 

 聞けば聞くほど、天羽奏という人物がすごい人物だったということが実感できる。

 知れば知るほど、天羽奏という人物に自分が及んでいないことが理解できる。

 ゼファーに至っては、その恋慕すら身に沁みて分かるようになるというおまけ付きだ。

 響が溜息をついているのは、自分に足りないものがハッキリと見えてきてしまっているからなのだろう。

 

(翼さん、きっと奏さんと私を比べて、がっかりしてたよね……

 ゼっくんもほんのちょっとだけど、そんな風に思ってるみたいだったし……)

 

 "立花響は天羽奏ではない"。

 そんな当たり前のことが今は、こんなにも大きい。

 今ここに居てガングニールを振るっていたのが、立花響ではなく天羽奏であったなら……戦いにも勝機はあったかもしれない。

 二課にも何人か、悪意なくそう思う者は何人か居た。

 今となっては、響もちょっとそう思い始めていたりする。

 

「……あ」

 

 悩みながらうろうろしている内に、響は訓練室に辿り着く。

 そこには一心不乱に剣を振る、風鳴翼の姿があった。

 

「翼さん?」

 

「……」

 

 翼は一瞬響の方を見て、無視して素振りを再開する。

 ポーカーフェイスを作りながらも、その顔の下は見たくなかったものを見てしまった気持ち、素振りで振り払おうと思っていた気持ちでいっぱいになっている。

 剣に打ち込み、剣を打ち込むことで目を逸らそうとしていたものが今、そちらから翼の方にやってきたというこの現状。翼の内に滾る苛立ちの大きさは、果たして如何程のものだろうか。

 

「あ、あの! 今日は足を引っ張って、申し訳ありませんでした!」

 

 頭を下げる響を見て、今日の戦いのことを思い出し、翼は苛立つ。

 翼も善意で言っているのは分かっている。分かってはいるのだ。

 それでも、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。

 響への敵意や拒否感が、響が何をしようが翼を苛立たせてしまう。

 

「ですが私、もっと頑張ります!

 翼さんにも、ガングニールの装者として認めて貰えるように!」

 

 響が口を開くたび、翼の中に膨らむ気持ち。

 それは刀のように物騒で、鋭く、ぶつけられればその人間が傷付く気持ちだった。

 錆に折れゆく刀のような、どこか醜く、どこか脆そうで、危うい気持ちであった。

 

「『奏さんの代わり』になれるように、私、頑張ります!」

 

「―――っ」

 

 ゆえに響が地雷を踏んでしまえば、それは爆発し響へと突き刺さらんと飛んで来る。

 

「……そうね」

 

 翼が振り向き、響と目を合わせる。

 彼女の目を見ただけで、響は思わず息を呑んでしまった。

 妖艶で、凄惨で、危うくも力強い目。

 見るだけで死を覚悟させるような、そんな目だった。

 殺意は無いが、敵意があった。

 

「貴女と私、戦いましょうか」

 

「え?」

 

「貴女が私に勝てたなら、私は貴女のことを認めてあげる」

 

 何の冗談だろう、と響は思い。

 

羽撃きは鋭く、風切る如く(Imyuteus amenohabakiri tron)

 

 シンフォギアを起動させた翼を見て、己の目を疑う。

 

「ガングニールを構えなさい。貴女が奏から受け継いだ、無双の一振りを」

 

「で、できませんよ、そんなこと! 翼さんと戦うなんて! 第一理由が無いです!」

 

「貴女に無くても、私にはある!」

 

 翼はアームドギアの刀を形成し、響に向ける。

 刀の切っ先が響の首筋に向いているということが、翼の行為がおふざけではなく、まぎれもなく本心からの行動であるということを知らしめる。

 

「貰い物の力で勘違いして戦場(いくさば)に立つ。

 傷付ける覚悟も傷付けられる覚悟も持たず仲間の足を引く。

 ガングニールはそんな人間が振るっていいものではないッ!」

 

 冷静さを失ってこそいるが、今の翼が響を殺すということはないだろう。

 だが斬りはする。

 響がガングニールを構えれば、躊躇うまい。翼は一瞬の躊躇もなく天ノ逆鱗を放つだろう。

 

「抜きなさい」

 

「い、嫌です」

 

「抜けッ!」

 

「嫌です!」

 

 翼に剣先を向けられても、響は恐れから武器を構えることはしない。

 武器を向けられても両手を広げ、話し合い受け入れようとするのが立花響という少女だ。

 あの日、ゼファーと初めて出会った日、小さな命のために危険な冬の川に足を進めた優しい心根は、今となっても変わりなくそこにある。

 それは弱さではない。優しさという強さだ。

 だから彼女は自分の命を刈り取る刃を首に向けられようと、刃を向け返そうとはしない。

 

 しかし今の翼に、それを優しさという強さであると理解出来るだけの余裕はない。

 フィルターが掛かった彼女の目には、臆病者の腰が引けているようにしか見えなかった。

 

「胸のガングニールを抜く気がないのなら……無理矢理にでも、抜く気にさせてあげる」

 

 当てる気のない翼が、通常の斬撃と寸分違わぬ軌道で響に迫る。

 翼の狙い通り、それは響に命の危険を実感させる。

 剣を振るう彼女の思惑に誤算があったとするならば、響が最後まで翼に刃を向け返す選択を選ばず、目を瞑って顔を背けたこと。

 

「……っ!」

 

 そして、騒ぎを聞いて駆けつける人間の存在を、想定していなかったことだ。

 

「二人共、話を聞かせてもらえるか?」

 

「……ゼファー」

「ゼっくん!」

 

 二人の間に、少し息を切らせたゼファーが割り込んだ。

 そこで、二人の様子が一変する。

 翼は少しだけ我に返り、冷静さを取り戻し、自分が何をしているのかを自覚した様子だ。

 対照的に響はホッとしていて、嬉しそうな笑顔を浮かべている。

 間に割って入ったゼファーは、翼の刀の先に首を差し出す形で、まずは翼を止めようとする。

 

「どいて、ゼファー」

 

「刀を降ろせ、翼」

 

「どきなさい」

 

「刀を降ろせ」

 

「ゼファー!」

 

「ツバサッ! 何度も言わせるな!」

 

 ゼファーは翼と響の間に立ち、翼に剣を引かせてから両者を落ち着かせ、話を聞いてから二人を和解させるつもりだった。

 だが、彼もこの状況を読み切れてはいなかったのだろう。

 むしろゼファーの後に続き、この状況を遠目に見ていた藤尭朔也の方が、この構図が危険であると理解できていた。

 

 響をその背に隠し、翼に相対して声を荒らげる。

 まるで"翼と敵対し響の味方をしている"ようにも見えるゼファーの姿。

 

(あ、これヤバい)

 

 天羽奏という心の大部分を占めるパーツを失った翼は、もう一人の親友で初めての親友であるゼファーを支えとし、立ち上がった。

 今となっては、彼こそが彼女の一番の親友である。

 そして戦場で何度も肩を並べ、命を預け合った戦友でもある。

 無意識、無自覚の認識の話ではあるが……翼は彼を一番の友であると思っていて、彼もまた自分をそう思っているだろうと、そう信じていた。

 

 翼の中でのゼファーの定義は『技を競い合うライバル』であり、『一番の親友』であり、同時に『絶対的な自分の味方』というものだ。

 今の翼は自分が冷静でないことを、心のどこかで理解している。

 ゼファーが間に割って入って来たことに、仲裁以上の意味はないことも薄々理解している。

 

 それでも響を背に隠し、強い口調で自分をたしなめるゼファーの姿は、『自分より立花響の味方で在ろうとしている』という印象と誤解を、翼に与えるには十分で。

 

 ゆえにそれは、子供のような癇癪を彼女の中に呼び起こす。

 

「―――あなたは私とその子の、どっちの味方なの!?」

 

 全員の味方をするというゼファーのスタンスは、今日まで"皆が分かり合える結末を掴み取る"という奇跡を何度も現実にしてきた。

 されど、それが悪い方向に働くこともある。

 

「あなたは、あなただけは、私の傍に居てくれるんじゃなかったの!?」

 

「ツバ―――」

 

「立花響! 貴女、奏の代わりと言ったわね!」

 

 翼はクールな女性という印象を持たれがちだが、その実燃える炎のような激情を内に宿した、熱い少女である。ひとたび燃え上がれば、その激情はそう簡単に収まりはしない。

 

「奏の代わりなんてどこにも居ない!

 奏の代わりになんて誰もなれない!

 奏の代わり? 随分と簡単に言ってくれるじゃない。

 LiNKER無しにギアを使える自分なら、代わりなんて簡単にできますよとでも言いたいの!?」

 

「え、あ、私、そんなつもりじゃ……」

 

「幸運と奇跡だけで手に入れた力で、血反吐を吐いて力を手に入れた奏の代わりをする?

 ……何? 何なのそれは? あなたは"奏の物"をどれだけ自分のものにすれば気が済むの!?」

 

 翼が吐き出し、響とゼファーはようやく知る。

 風鳴翼の中に、どれだけ鬱屈したものが蓄積されていたのかを。

 そして、翼はまだ奏の死を真の意味で乗り越えてはいないのだと。

 

「私は貴女を受け入れられない。

 力を合わせ、貴女と共に戦う事など、風鳴翼が許せるはずがない」

 

 翼の声が、ほんの僅かに震え始める。

 

「貴女が……その(ざま)の貴女が、奏の、奏の何を受け継いでいるというのッ!」

 

 彼女の口から出て来る言葉は、それら全てが奏への友情ゆえに紡がれたものであり、その友情が反転した昏い激情だ。

 ゼファーもそれが分かるから、八つ当たりに近いその言葉を遮るタイミングを見つけられない。

 

「ゼファーもゼファーよ!

 ガングニールの代わりがいればいいの!?

 奏のことなんて……もうどうでもよくなってしまったの!? あなたの気持ちは、そんな――」

 

「ツバサッ!」

 

 だが。

 全ての暴言を許すつもりも、今の翼を肯定するつもりもない。

 

「俺だって、何言われても怒らないわけじゃないんだぞ」

 

「……あ」

 

 言い過ぎたという自覚。

 怒る一歩手前のゼファーの様子。

 ギアの刃を、生身の二人の人間……それも仲間に向けているというこの状況。

 彼の声が翼の肝を一瞬冷やし、それらを冷静に認識させ、彼女に冷静な判断力を取り戻させる。

 

「……ごめんなさい。少し、頭を冷やしてくるわ……」

 

 翼はギアを解除し、ゼファーとも響とも、訓練室の外から覗いていた朔也ともあおいとも目を合わさないように、訓練室を出て行く。

 仲間という一枚岩に、決定的な亀裂が入った音がした。

 

「翼さん……泣いてた?」

 

 この一件は、翼の心にこそ問題があると言っていい。

 響が何か悪いことをしたわけでもないし、その弱さは罪ではないのだから。

 それでも響は、去り際に翼が目に浮かべていた涙を見てしまったことで、罪悪感を抱かずにはいられない。

 頭を掻いて苦い表情を浮かべているゼファーも同様、罪悪感を抱いてしまっている。

 

 結局、この一幕で一番傷付き、泣いていたのは、風鳴翼その人だったのだから。

 

「ゼファー君は情に厚いけど、幸薄いよなぁ」

 

「誰にでも優しいからああいうことになるのよ、自業自得」

 

 訓練室の外、ゼファー達と比較的歳の近い大人である男女が呟く。

 友情に厚い男を気の毒に思う朔也と、友情であれ愛情であれ自分を一番に見て欲しいという女の性を理解しているあおいの感想は、本当に対照的だった。

 

 

 


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