戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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漫画版シンフォギアのフィーネさんの能力の有効活用
気付かぬ内に連載一周年となっていたようです。というわけで、一周年記念も兼ねた投稿をどうぞ


第三十一話:立花響のラブコール

 昔、ゼファーは二課の若い職員の一人から、こう言われたことがある。

 

「君はまるで、身も心も鋼で出来ているかのようだ。

 なんというか、私と同じ人間とは思えないくらいに強くて、尊敬するよ」

 

 何故だろうか。

 この言葉が、特に理由も思い当たらないのに、彼の心に残っていたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三十一話:立花響のラブコール

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんやかんやがあった。色々あった。

 ゼファー達は怒られもしたし、クリスの参入のために言葉を尽くしたりもしたが、五体満足で返って来たことと、敵を説得して味方に付けたことを褒められた。

 他の何よりも、彼らは無事を喜ばれた。

 ついでに言えば、かつて雪音夫妻の捜索や雪音クリスの保護を政府に命じられたことを覚えていた面々は、ゼファーがクリスを説得し味方に付けたことに感慨深いものがあるようだ。

 ゼファーが子供の頃から彼の面倒を見ていた記憶があるだけに、色々と思う所もあるのだろう。

 

 逆に八年前の雪音夫妻が紛争に巻き込まれた一件に関わりの無い若いメンバー、二年前のオーバーナイトブレイザーの一件の後に欠員を埋めるために補充された新参メンバーは、クリスに比較的思い入れが無いせいか、"寝返ってきた元敵"の印象の方が強いようだ。

 ただ、それはクリスを訝しんだり怪しんだりするほどのものではなかった。

 巡り合わせ次第では、二課の一部の人間がクリスを怪しむこともあったかもしれないが、そうはならなかったらしい。

 

 まあゼファーの相棒かつ親友という名札を付けて、ゼファーと本人による悲惨な過去の証言という履歴書を持ち、ゼファーとクリスの仲が良すぎる喧嘩の二課生中継という自己PRを経た今となっては、クリスを疑うものはいるまい。

 これが二課職員の採用試験であったなら、特殊技能欄に『シンフォギア装者』を書けるクリスは一発採用間違いなしだっただろう。

 そのくらいには、元敵という肩書きを飛び越えて、雪音クリスの二課での好感度は高かった。

 

「皆さん、うちの子をよろしくお願いします」

 

「誰がうちの子だ!」

 

 ゼファーが皆に頭を下げる。クリスが下げられた頭をはたく。

 二課の面々がこらえ切れずに少し笑みをこぼしてしまう。

 クリスが二課に参入した日、そんな光景が二課の司令部にはあった。

 二課の面々の中で、クリスの挨拶に真っ先に反応したのは案の定と言うべきか、響。

 

「クリスちゃんよろしくー!」

 

「うわっこのバカ抱きつくな!」

 

「うりうりー!」

 

「仲間になった途端これか! バカか! お前本当のバカ!」

 

 餌をやった野良の子犬のごとく懐いてくる響を引き剥がそうとするクリスだが、体術の心得を得た今の響に、マシュマロ(比喩表現)体躯のクリスでは敵わない。

 響にひっつかれてるクリスの状況をさらりと流し、ゼファーは二課の皆の紹介を始めた。

 

「あっちの人が土場さんで、あっちの人がカイーナさんで、あっちの人が天戸さん。

 そっちがサクヤさんで、そこの人がアオイさんで、ここの人がシンジさん。

 あそこの人がゲンさんで、そっちの人がリョーコさんで、あちらの人が絵倉さんで……」

 

「ゼファーッ! 畳み掛けるように紹介するな! お前の呼称で紹介するなッ!」

 

 ゼファーが適当に紹介したのを皮切りに、ゼファーが紹介した者達がクリスの傍に寄って自己紹介を始める。他の者もわいわいとクリスに群がり始めたようだ。

 もみくちゃにされているクリスから少し離れるゼファー。

 こうなるよう話を誘導したのも、クリスが一人で人間関係を構築できるよう離れたのも、彼がクリスを思うがゆえのことだ。

 

 ほんわかした気持ちでクリスを見つめていたゼファーだが、ふと横に"視線を誘導され"、そちらを向けば緒川が手招きしていた。

 彼の横に歩み寄れば、不思議と周囲から視線を向けられなくなった気がする。

 会話を盗み聞きされる不安も、何故か掻き消えていた。

 それは直感を持つゼファーだから感じられた、些細な違和感であった。

 どうやら緒川が、人の眼や耳を向けられないよう、色々しているようだ。

 

「どうです?」

 

「好調ですね。クリスさんの証言は、値千金という言葉ですら控えめかと」

 

 何を問うているのか言わなくても、聡明な緒川はその辺りを察してくれる。

 ゼファーが聞きたかったのは、情報戦の分野で戦っている緒川達の現状だ。

 二課の調査班、緒川の手の者であるエージェント達の技量は凄まじく、水道電気ガス電波全ての行き来に目を光らせていたほどだった。

 人の流れ、金の流れ、物の流れを国家権力のバックアップ付きで精査できる緒川達は、クリスから得た情報で鬼が聖遺物を得たに等しい無双を開始していた。

 

「これで敵拠点を全て潰すのに、後一週間あれば十分です」

 

「……そんなにあっという間なんですか!?」

 

「パズルで判断に迷うところを全てクリスさんが埋めてくれたようなものですからね。

 全体像が見え、惑うところが無くなった以上、ここからはただの作業になりますから」

 

 "二課の調査からどうやって隠れていたのか"の種が一度割れてしまえば、後は芋蔓式に割り出されてしまうのがこの手の隠れ家だ。

 セキュリティソフトを入れたPCの一つをハッキングできたなら、以後他のPCの同セキュリティもハッキングできるようになるのと同じこと。

 

「ただ、それはあちら側も把握済みであると思います。

 既に手がかりの大半は消されていると見るべきでしょう。

 あちらは完全な詰みを回避し、こちらはあちらの拠点の大半を奪う。

 最終的にはそのあたりで落ち着くと思いますが……敵の次手は、やはり読めませんね」

 

 されど、緒川は敵側の手腕を高く評価しているようだ。

 彼は敵拠点の99%をすぐに潰せると見つつ、全ての拠点を潰すのに一週間はかかると読んだ。

 それは一週間も持ち堪えられる敵勢力の優れた手腕によるものであり、一週間で敵拠点を一掃できる二課エージェントの優れた手腕によるものであり……何かが起こるまでの、カウントダウンであるようにも思えた。

 

 緒川慎二はどこかで打たれるであろう、敵勢力の次の手を読むべく思考する。

 

(意識を引きつけようとしている? ミスリードを誘っている? どこに?)

 

 クリスから得られた情報……否、"フィーネがクリスから伝わると確信していた情報"、言い換えるならば"フィーネが二課に開示した情報"に、緒川は考え込まざるをえない。

 クリスから二課に伝わる情報が致命的なものならば、フィーネは何が何でもその口を封じたはずだ。封じられる機会などいくらでもあった。

 だが、クリスは現にここに居る。

 ならば、与えられた情報は二課の敵勢力に対する決定打にはならない……あるいは、その情報により二課が下すであろう判断が、敵勢力にとって都合のいいものであるだろうことが考えられる。

 緒川慎次は、それが敵に誘導されているようで、無性に嫌な予感がした。

 

(それとも……こちらに情報を与えることが、既に時間稼ぎなのか)

 

 最短で答えに向かおうとすることと、より正しい答えに向かおうとすることは、同一どころか相反するものだ。

 例えば、砂漠でオアシスの位置を告げられたとしよう。

 人はどんなに急いでいても、そのオアシスを一旦は目指すはずだ。

 "その方が確実だから"。"目的地は一直線に目指さない"。

 たとえ、それが結果的に回り道になったとしても。

 

 正しい情報は、時に『確実に正しいこと』を人に意識させすぎて、その人から迅速さや正しい選択肢を奪ってしまうことがある。

 緒川はフィーネが戦場に現れた時、二課の司令部で所在を確認された、櫻井了子の姿を横目で見る。

 フィーネと櫻井了子は同一人物ではない。それは確かなことだ。

 二課の人間とフィーネは同一人物ではない。それも確かなことだ。

 ならば、二課の内通者は情報の一部を横流ししている程度の内通者でしかなく、通信などの情報のやりとりだけを見張っていれば情報の漏洩は防げる……はず、なのに。

 

 何故直感持ちのゼファーが、緒川からその考察を聞いた時、訝しむような顔を見せたのか。

 緒川慎次には分からなかった。

 分からなかったが……解こうとしていた警戒心を、そのままにしておくには十分な理由だった。

 

(フィーネ、終わりの名を持つ者。

 桜井了子。了、終わりを意味する名。

 符号したのは偶然か、でなければ……

 発想を逆転させる。"今回のフィーネの行動で一番得をしたのは誰か?"

 いや、それでは駄目だ。

 もっと柔軟に……"今回のフィーネの行動で否定された可能性は何か?"

 人間の行動には、理性か感情のいずれかが絡む。

 仮に今回のフィーネの行動に合理性が無かったとしても、意味はあるはず……)

 

 緒川が考え込んだ時間はそう長くはなかったが、その時間を使って、ゼファーもまた思案していた。

 

(……フィーネ。俺はあの人と、一度出会ったことがある)

 

 彼が思い返すのは、二年前に死んだと思っていた友と再会した、あの日のこと。

 

(フィーネ・ルン・ヴァレリアの名にも、覚えがある)

 

 彼が思い返すのは、ロードブレイザーが封じられていたあの遺跡に書かれていた、先史文明期の人間の名前。

 

(……いや、考えてみれば、そうか。

 計算外はもしかして、二年前に俺をマリアさん達と合わせたことの方なのか……?)

 

 ヒントが揃った今、ゼファーは理屈を飛び越えて直感的に正答に辿り着いていた。

 ゼファーは気付いていなかったが、フィーネは何度か"アイオーン"という偽名を使っていた。

 

 だからこそ、本来ならばクリスが自分の手元を離れて行くこのタイミングで、フィーネが二課に新しい情報をやる必要などなかったのだ。

 何故ならば、クリスがフィーネの名を明かしたところで、それは何の役にも立たない情報でしかなかったのだから。

 偽名が用いられることで、フィーネの計算通りFISの裏などに居たフィーネの存在に、ゼファーが気付けるわけがなかったのである。

 本来ならば、"そういう流れ"にする未来の想定もフィーネの中にはあった。

 

 だが、フィーネは二年前、ゼファーを立ち上がらせるために姿と名を現してしまった。

 その事柄について、これだけは断言できる。

 フィーネ・ルン・ヴァレリアは、情に流されて『失敗』してしまったのだと。

 彼女は事をなすまで、その姿と名を徹底して隠すべきだった。

 なのにF.I.S.との繋がりまで明らかにした上で、自身の存在を知らしめてしまったのだ。

 

(あの一件さえなければ、クリスの口から『フィーネ』って名前が出ても問題なかった。

 だってそうだろう、フィーネって名前はそれだけならぽっと出の名前でしかないんだから)

 

 されど過ぎた時間はどうにもならず、フィーネはゼファーに名を知られてしまっている。

 証拠こそ無いが、ネフシュタンから始まる騒動の裏にフィーネや米政府が居るということは、ゼファーからの情報で既にバレてしまっている。

 聖遺物技術、米政府の関連の痕跡、先史文明分野の『ルン・ヴァレリア』の名などその他諸々、二課が「すぐでも調べなければ」と思いたくなるような餌を彼女はばらっと撒いた。

 目眩ましと言うには雑にも程があるが、"一週間"ならば保つだろう。

 

 そしてバラ撒かれた情報に隠された、二課が気付けないフィーネの隠し事が、きっと何かある。

 

(そもそも偽報の可能性だってある。

 本当の情報だったとしても、真実を知らせて敵を短期間のみ操るなんてよくある話だ。

 歴史上、伏兵の存在をわざと相手に知らせる戦術だって何度も取られていた。

 それに、本当の情報を流すことで本当に誤魔化したいことを隠してる可能性だって……)

 

 ゼファーは考える。

 だが彼は、考えることを止めない人間であり、何が正しいか常に模索する人間であるが、頭のいい人間ではない。彼は良くも悪くも頭が悪い人間だ。

 だから、フィーネの思惑を思考で察することなどできるわけもなく。

 

(考えられる可能性も多くはない。

 だが、確実なのは……もうフィーネ視点では、大詰めに入ってるってことだ。

 情報を完全に隠匿しないメリットが生まれるのは、短期戦が多い。

 拠点の多くを潰された側が選ばなければならないのも、また短期戦だ。

 その他にも多く、フィーネの細かな動きには詰めに入ったかのような印象が垣間見える)

 

 結局現状、"敵の動きを待って全力で迎え撃つ"か、"状況の変化を待つ"かの二択しかなく。

 

(つまり、(フィーネ)が次に動くのはそう遠い話じゃない。

 たぶんなんとなくだけど一週間以内だ。……勘だけど)

 

 それでも敵に奇襲の大半を許さないゼファーは、人々の平和を脅かそうとする人間にとって、どうしようもなく厄介な青年だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐでっ、と食堂で突っ伏すクリス。

 朝昼夜の食事の時間のどれでもない今の時間帯、食堂に人は集まらない。

 人の壁から逃げるため、一種の避難所のように使ったのだろう。

 厨房にはゼファーが立ち、その厨房に面したカウンター席にクリス、響、翼、了子が横並びに座っている。

 

「はぁ、ひっでぇ目にあった……」

 

「お疲れー」

「頑張ったな」

「お疲れ様」

 

「おーぅ。だがこのガングニール野郎、大体お前のせいだからな……!」

 

 ぐりぐりとクリスが拳を押し付けると、響がきゃーと言いながら嬉しそうに身を捩り、翼が微笑む。この三人、全員初対面の時の態度から考えれば信じられないくらいに仲が良くなったものだ。

 

「で、何作ってんだゼファー?」

 

「磯辺揚げ。これ作るくらいには、指も動くようになってきたんだ」

 

「ゲテモノじゃないものお前が作ってると違和感半端ないな……

 あたしの記憶だと、お前は木の幹をほじくって虫を食うくらいの雑食だったんだが」

 

「あー」

「あー」

 

「そこでツバサとヒビキに納得した声出されると、俺は何も言えなくなっちまうんだけど……」

 

 ゼファーは雑食だ。昔からそうだ。

 彼は食べるものの味にこだわらない。

 だから幼少期のゼファーは、クリスの記憶の中でよくとんでもないものも食っていた。

 翼と響の反応に目を細めつつ、ゼファーはクリスとの会話を続ける。

 

「二課に好きな人がそこそこ居るんだよ、磯辺揚げ」

 

「ふーん」

 

 そしてクリスはぎょっとする。

 翼、響、了子が無言かつ躊躇いなく揚げたての磯辺揚げへと手を伸ばしたのだ。

 なんという迷いなきつまみ食いか。

 二課食堂の晩御飯の並ぶであろうおかずを、彼女らは悪びれもせずにその口に放り込んだのだ。

 美味しそうにしている女性陣を指差して、ゼファーは溜め息を吐く。

 

「な?」

 

「おおぅ、マジか……あ、美味い」

 

 そして順応しているクリスを見て、ゼファーも人知れず微笑んだ。

 

「ねね、クリスちゃん。ゼっくんの昔の話聞かせてよー!」

 

「お前敵に回しても味方にしてもグイグイ来るやつだな……」

 

「そうつれなくするな。かくいう私も、立花と同じく聞きたいと思っている」

 

「んー、あー、つっても面白え話とかパッとは思いつかねえしな……」

 

 クリスは磯辺揚げをつまむのに使った割り箸を更に真ん中から割り、四つの木の断片にしてゴミ箱に投げる。なお、この行動は行儀が悪いだけで特に意味は無い。

 

「こいつの変わり様ったらないぜ?

 髪の色ちげー、身長全然ちげー、メンタルも弱さとかどこ行ったって感じだ。

 あたしに無断でガキじゃなくなってて、もう別人みてーなもんだろこれ」

 

「俺は大人になるのにお前の許可が必要なのか……?」

 

 どこか誇らしそうに言うクリスに、ゼファーは呆れたように言う。

 

「ここに来てすぐの頃のゼファーは、壊れたレコードのようだったわね。

 なんというか、記憶を記した辞書を読み上げてるだけ、みたいな……

 他人にかけられた言葉に機械的に反応するロボットのようだったわ」

 

「なんてことだ、俺はロボットだったのか」

 

 記憶を探りなら、二課に来た当初の―――人間というより人形だった――頃のゼファーを思い出し語る翼に、ふざけ混じりにゼファーが言う。

 昔話をするのは老けた者だと相場が決まっているものだが、高校で再会した友達小学校の頃の話をするようなものだからこそ、彼らも楽しそうに昔話に興じているようだ。

 若くたって、過去を振り返ることはある。

 だがそこで、響はこのメンバーの中で唯一若くない了子の顔から、表情という表情が消えているのを見て、少し驚いて恐る恐る話しかける。

 

「あの、どうかしましたか、了子さん?」

 

「……いえ」

 

 だが響の声に反応して振り返った了子は、いつの間にか微笑んでいた。

 自分の見間違いだったのだろうかと響は思うが、いつもの了子の弾ける元気の塊のような笑顔ではなく、浮かべられた静かな微笑みにどこか違和感が残る。

 

「なんでも、ないわ」

 

 よく分からないが、何かが変な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日は過ぎる。

 一日、一日と時間が流れるたびに、ゼファーの直感が囁く『何か嫌なことが起きそうだ』という声は少しづつ大きくなっていった。

 まるで、F.I.S.に居た頃の直感、マリアとナスターシャの遠い未来にまで感覚が届いていた時の直感の形が戻り始めているかのようだ。

 いつからか、ゼファーの直感は遠い未来を確視しないまま、ARMという方向性を得て進化した。

 セレナが死んだあの日を境に、融合症例と言われるよう肉体を手に入れたのを境に、明確に違う何かへと変わった直感が、最近は以前あった要素を取り戻し始めているらしい。

 

 そこに嫌な予感を感じつつも、ゼファーは日常の中でこなすべきことを色々こなしていた。

 

「ゼファーさんが見知らぬ女の子連れてるーーー!

 アニメならこりゃ曲がり角でぶつかってパンツ見てフラグ立ってるパターンッ!」

 

 板場弓美がクリスを連れてるゼファーを見て、そう叫んだのが朝のこと。

 ゼファーがやいのやいのと騒ぐリディアンの皆をなだめつつ、クリスの中途編入手続きを終わらせたのが昼のこと。

 そして部活動に集まった――友人同士で集まる理由にしているだけという面が大きいが――アニソン同好会の中心人物の一人、弓美がクリスからウメボシを食らったのが夕方のこと。

 

「この一発でチャラにしてやるから大人しく食らっとけ」

 

「あだだだだっ!?」

 

 現代では半ば絶滅危惧種&死語になりつつあるこめかみグリグリ、通称ウメボシは結構痛い。

 アニメ脳な板場弓美の脳に因果応報として返って来たのは物理的頭痛、アニメでは感じられない臨場感ある痛みであった。

 クリスの制裁がどうにも古めかしいのも、ここ数年日本に居なかったのだからある意味妥当か。

 

「えー、今、ユミにぐりぐりやってんのが雪音クリス。

 俺の昔馴染みで友達。君らの一つ上の先輩として、近い内に編入することになる。

 仲良くしてやってくれ。何、口調と性格と行動が乱暴なだけだから、普通の子だから」

 

「その説明だとただ乱暴なだけの人にしか聞こえませんよ?」

 

 苦笑する詩織が、ちょっと投げやりなゼファーの紹介に欠けた部分を想像で補完する。

 思慮のある彼女は、ゼファーとクリスの両者を今ので少し理解したようだ。

 クリスが乱暴な一面だけの少女でないことも、ゼファーが"偏見を持たずクリスと向き合えば仲良くできるだろう"と確信していることも。

 彼女はそういう人なんだろうと、詩織は理解する。

 

 なのだが、詩織とは違いクリスによる弓美への制裁を『妥当』と見ていた創世は、そもそもクリスに対し乱暴な印象を受けなかったようで、最初から少しばかりの親近感を持てたようだった。

 

「先輩……雪音クリス……なるほど、キネクリ先輩だね」

 

「_ 人人人人人人_

 >キネクリ先輩<

  ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄  」

 

「そのキテレツなアダ名にあたしはどう反応すればいいんだ!?」

 

 そして、ぶちかます。

 

「早速の安藤節の炸裂に、あたし戦慄を隠せないわ……!」

 

「なんだ? なんだこれ? この突然のネーミングに驚いてるあたしが変なのか?」

 

「俺が十数年生きてきて出した結論だが、人間って皆どこかしら変だよな」

 

「個性の話してんじゃねえんだよこのスットコドッコイッ!」

 

 戦慄する弓美、適当に流すことを覚えたゼファー、叫ぶクリス。

 たははと笑う響にうふふと笑う詩織を加えて、今日もこの部室は騒がしかった。

 

「よろしく、先輩! あたし板場弓美と申します!」

 

「安藤創世です。私達も入学してから間もないですが、お互い頑張りましょうね」

 

「寺島詩織と申します。……二年ほど遅ればせながら、帰国の祝辞を述べさせていただきますね」

 

 自己紹介と談笑が始まるが、そこでクリスを囲む三人娘と響を除けば一人、クリスの近くに駆け寄らなかった者が居る。

 小日向未来だ。

 ちょっとした奇縁で顔見知りかつ名乗りも終えているというのもあるが、未来はそれより何よりも、彼女をゼファーが連れて来たという事実の方が気になっていた。

 

「ちょっと、どういうこと?」

 

「まあ、そういうことだ。俺が編入手続きしたってことは、な」

 

「……それはそれで後で聞くけど」

 

 ゼファーと未来の間で、密談が始まる。

 今この部屋の中心人物はクリスであり、他の皆はこの二人の密談に気付いてもいないようだ。

 

「昨日の夜、皆で流れ星を一緒に見に行こうって話。

 あれに『一人追加したい奴が居る』っていうの、あの人のことなの?」

 

「ダメか?」

 

「……ダメじゃない、けど」

 

 はてさて、未来がむっとしているのはいかなる理由か。

 ゼファーも鈍感ではないので薄々気付いているが……友情にだって、嫉妬はある。

 

「クリスのこと、事前に言っておいて欲しかったかな。

 なんだかこれ隠し事みたいじゃない? 私はいいけど、響に何か隠し事してたりする?」

 

「……ああ、うん、ヒビキにもミクにも言えないことはあるっちゃあるな」

 

 この子は浮気とか見逃さないし、認めない子だろうなあとゼファーは思う。

 許さないということはないのだろうが、旦那の錨になりそうなタイプだと、ゼファーは直感的に確信した。

 相手の姿を映し出す鏡のように、相手の心境を察することに長ける未来は、ゼファーの考えを読みつつゼファーに気付かせず尾行を成功させたことすらある。

 

「女の子は男の子が思うより、ずっと鋭いよ?

 男の子が秘密に出来てると思ってても、全部バレてるなんて珍しいことでもないし。

 ほら、ドラマでも男の人の浮気って分かりやすいからすぐバレるでしょ?」

 

「ドラマ見ないんだよ、俺」

 

 何故だろうか、未来のこの手の発言はとてつもなく説得力がある。

 

「……響は、その、私から見ても鈍感だけど。

 見てるところは見てるんだから、油断してると痛い目見るかもよ?」

 

「肝に銘じておくよ」

 

 未来は苦笑するゼファーの内心を読み取ろうと、言葉のニュアンスを拾いながら、彼の表情の動きを見る。

 

「あんまり一人で抱え込む必要はないんだよ?

 頼る時は頼った方がいいんだから。響、ここぞという時には頼りになるでしょ」

 

「ああ。すげえ頼りになるよ」

 

 そんな未来から見ても、今のゼファーは極めて安定しているように見える。

 少なくとも無理はしていないし、揺らいでもいない。

 もしも何かがあったとしても、響が隣に居るならば……本当にどうしようもないことにはならないんじゃないかと、未来は希望的観測を抱いていた。

 

「そういうピンチが来ないのが、一番なんだけどね」

 

「……まあ、な」

 

 未来は響を頼りになると言う。

 ゼファーもまた、響を頼りになると言った。

 長い髪を振り乱しながらクリスに抱きつき、蹴っ飛ばされる響を見ながら、二人は微笑む。

 

 普段はボケボケしていても、本当の大一番で立花響以上に頼りになる人間なんていないことを、二人はよく知っていた。

 

 

 

 

 

 一週間の刻限が迫る。

 ゼファーの直感が危機を告げる。

 腹の底に汚泥が溜まっていくかのような『運命が迫って来ている』感覚を、彼は感じていた。

 

 

 

 

 

 心が折れる、夜が来る。

 

 

 

 

 

 クリスがこの国の日常に戻るために必要なこと。

 クリスが二課に迎え入れられるために必要なこと。

 クリスが彼らと共に戦うために必要なこと。

 それら全てを終えた時、すっかり陽は沈んでしまっていた。

 ゼファーが"おでん食べに行こうぜ"と誘い、クリス・翼・響が乗ったのが一時間半ほど前。

 おでん屋台の主であるオヤジさんが女に囲まれたゼファーをからかったのが小一時間前。

 

 そして今、四人は夜道を揃って歩いていた。

 ゼファーが響を寮まで送るのに翼とクリスが付き合い、三人は響を送った後そのままリディアン地下の二課本部にて寝るのだろう。

 クリスは保護観察中という名の様子見中であり、まだ二課の人員を付けないで外出することも許されておらず、一人暮らしも許可されていない。

 元々敵だったクリスを警戒するお偉いさんへの配慮であることは明白だ。

 

「いやー食った食った。おでんとか食ったの数年ぶりだわ」

 

 本人はそんな暗闘どこ吹く風で、おでんを堪能していたのだが。

 

「ゼファーがこんな美味い店知ってることにあたしはビビるな。

 お前の舌は……ほら、あれじゃん。破壊全壊クライシスしてるだろ?」

 

「あー」

「あー」

 

「なんでその言いようで、お前ら三人の間で俺への共通認識が共感されてんだ?」

 

 クリスの言にふざけて続いた翼と響に、何故飯を奢ってやったのにこんなん言われなくちゃならんのだと、ゼファーは世間の世知辛さを感じつつ空を見上げる。

 近年の異常気象のせいで、五月初めの夜だというのに冬並みに寒い気候ではあったが、空に雲はなく澄んだ星空が広がっていた。

 夜空を見上げて、クリスが言う。

 

「いい夜だな。こういう夜にはいいことがあるって相場が決まってんだ」

 

 クリスの呟きに招かれたかのように、その時、夜の闇の向こう側から、滲み出るようにすっと現れた人の姿があった。

 

「あれ、了子さん?」

 

 それは、櫻井了子であった。

 ゼファーは女性の夜道の一人歩きを心配し、翼はきょとんとしていて、響は知り合いと会えたことを純粋に喜んでいた、そしてクリスは、"どっかで見たことあるような"と了子の顔を見るたびに記憶の中をちらつく陰を、ぼんやり考え込みながら追っていた。

 

「どうかしましたか? この時間に女性の一人歩きは危険ですよ?」

 

「……」

 

 ゼファーが問うも、了子は答えない。

 何か変だ。雰囲気がおかしい。

 夜の闇と相まって、了子の無言は異様な緊張感をこの場に持ってくる。

 嫌な予感という名の警鐘が、ゼファーの頭の中でやかましいくらいに鳴り響いていた。

 

(……なんだ、なんだ……?)

 

 何かは分からない。

 

 ただ、何かが終わってしまう予感があった。

 

「今日まで、迷った。

 私は何が正しいのか、何が間違っているのかすら、決断できず……先延ばしを続けてきた」

 

 了子の口調が、いつものおちゃらけた女性のようなそれではなく、中性的で見下すような口調のそれに変わっている。

 

「終わりにしよう。今日、ここで」

 

 変わったのは口調だけではなく……了子が指を鳴らすと、彼女の全身が光に包まれ、その姿が一瞬にして変貌した。

 

「欺瞞に満ちた日々を終わらせ、時計の針を進めよう」

 

 姿が変わる。

 櫻井了子の姿から、フィーネ・ルン・ヴァレリアの姿へと。

 それが前置きのない暴露であり、あまりにも唐突で、あまりにも衝撃的であったせいで、クリスと翼と響は思わず、ノータイムで叫んでしまう。

 

「フィーネッ!」

「フィーネ、だと……!」

「了子さんが、フィーネさん!?」

 

 だがその三人の誰よりも衝撃を受けていたのは、ゼファーだった。

 『誰よりも強く仲間を信じていた』、ゼファーだった。

 心のどこかで、思っていたのだ。

 内通者の件は全て勘違いであって欲しいと、二課の仲間が裏切っているわけがないと。

 そう信じたくて、そう信じていたくて、そう信じていた。

 

「嘘、ですよね? そんな、あなたが裏切者なんてありえ……あ、いや、何か、理由が……」

 

「お前の直感の欠点だな。

 所詮は感性でしかなく、理性の上位に来ることはない。

 無意識の内に感じ取ってしまうために、無意識で認めたくない事実は避けてしまう」

 

 されど、了子/フィーネは容赦なく真実を告げる。

 

「私が……櫻井了子が、フィーネ。お前達の敵だ」

 

 "私はお前を騙していたんだ"と、"味方のふりをしていただけなんだ"と、薄々分かっていたくせに目を逸らしていたゼファーを、嘲るように。

 

 

 

 

 

 ところかわって、リディアン高等科の屋上。

 外の空気を吸ってくると、十数分前に二課司令部を出て行った『櫻井了子』が、そこに居た。

 同時刻であるというのに、ゼファー達の前に居る櫻井了子と、リディアンの屋上に居る櫻井了子の二人が同時に存在している。

 誰も気付いては居ないが、実は街中に潜む櫻井了子もまた存在していた。

 了子はここ数日二課の人員ほぼ全てに付けられている監視役、自分に付けられているであろうその一人に語りかける。

 

「出て来ていいわよ、尾行の人」

 

 どこに隠れているのか、了子には分からない。

 だが自分がつけられていることだけは、確信していた。

 了子のその呼び声に応え、二課司令部からの"ゼファー達の現状"についての知らせを受け取りながら、物陰から現れたるは緒川慎次。

 

「あら、緒川くんだったの」

 

「どういうことですか、これは……!?」

 

「ああ、これね」

 

 何故、同時に複数の場所に存在できるのか?

 緒川が決死の形相で知ろうとするその答えを、了子はいとも簡単に種明かしする。

 

「単に肉体を聖遺物と融合させて、分裂させただけよ」

 

「な……!?」

 

「無限再生する鱗の鎧、ネフシュタン。

 それはすなわち現身の無限生産に他ならない。

 私の体はネフシュタンと一つとなり、世界のいずこへも偏在する力を得た」

 

 了子の姿がブレる。

 ブレが発生し、収まるまでの一瞬で、その姿はフィーネのものへと変わっていた。

 ぱきり、と音が鳴る。

 音が鳴った方を緒川が見れば、そこには鱗のようにひび割れ、金属のような光沢を得たフィーネの手があった。

 今の彼女は、生物(せいいぶつ)であると同時に、聖遺物(せいぶつ)でもある。

 

「全ての私は全て本物。

 肉体と同時に精神も偏在し、その思考と意思は常に単一。

 理論上、無限の肉体を一つの意識体として操作できる、この体こそ……」

 

「融合症例、三号ッ……!」

 

「そうだ。それが私の力の名だ」

 

 緒川が銃弾を抜き撃つ。

 それは忍術を併用した意識の隙間を撃つ銃術であり、並の人間では緒川が銃を抜いたことにすら気付けないような、対人では無敵に近い銃術だった。

 だが、対人では無敵でも、対聖遺物では児戯に等しかった。

 緒川の銃弾は正確にフィーネの眼球に向かって飛び、その黒目に命中したが……銃弾の先端が潰れただけで、眼球には傷一つ付かず、緒川の銃弾はポトリと落ちる。

 

 完全聖遺物の力の前では、拳銃など玩具の水鉄砲と大差ないものでしかなかった。

 

「最後まで私とフィーネが同一人物であると疑っていたその感性と思慮。

 流石と言うべきだろうな。たとえ手遅れだとしても……褒めてやろう、緒川慎次」

 

 フィーネが屋上から跳躍し、街の闇に消える。

 止めることすらできず、何もできない。

 そんな現状に悔しそうな表情を浮かべていたのは、この場に居た緒川だけではなかった。

 リディアンの防犯カメラを使って今の一連の会話を聞いていた二課司令部の皆、特に風鳴弦十郎が自責と後悔から表情を歪めていた。

 

(そうか、短期間の間だけでも、こちらを勘違いさせていれば十分だったと……!

 二課の全員の連絡さえも見張るなら、相応の人員が要る!

 フィーネ達のアジトの捜索も平行していたなら、尚更だ!

 米国の陰をチラつかせたのも、全てこの陽動のために……!

 これなら了子君は『見せの体』を一つ用意しておけば、それだけでマークを完全に外せる!

 最近二課が厳重に見張っていた物流の監視等も、今は人員不足で出来ていない!

 ここ数日の間に、彼女はまんまと俺達を出し抜き必要な下準備を整えたということか……!)

 

 弦十郎は、クリスが裏切った後に敵勢力が最も欲しがるものは、二課の内部情報であると判断していた。

 そして、クリスの証言で敵勢力がフィーネ一人であることも確認していた。

 フィーネが二課の誰かに成り代わっている可能性はないと、そこも確認済み。

 ならばこそ、二課の内通者とフィーネは必ずどこかで情報のやりとりをするはずだと、そう考えて内通者はどこに居るのかと眼を光らせていたのだ。

 

 だが、それもフィーネ/了子の計算の内だった。

 彼女はあえて、自分を含めた二課の皆を見張ることに人員を割かせ、一週間で最後の仕上げを終わらせたのだ。それこそ、拠点が一つも残っていなくても問題ないほどに。

 二課のあずかり知らぬところで、ゴーレムの修理や、最後の下準備を終わらせたフィーネ。

 彼女は米国の存在など、あえて隠すべき核心的な情報の一部を二課に見せることで、ほんの短い間だったが二課の行動を自分に都合よく操ってみせた。

 逆に言えば、彼女はもう潜伏や長期戦を続ける気はないということ。

 

 つまりそれは、最終決戦が近いということも意味していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、それは最終決戦が近いという事実を、二課の全員が認識しているということを意味しているわけでも、今ここで二課の戦力が全滅しないことを保証するものでもない。

 今日この場所で、二課の全戦力が全滅することも十分ありえる。

 ゼファー達と対峙するフィーネは、複雑怪奇な心持ちで在りながらも、この夜が終わる前に彼らを皆殺しにするという選択肢を―――捨ててはいなかった。

 

「なん、で?」

 

「予想以上にショック受けて、どうかしたのか? ……ああ、なるほど。

 お前は信頼していた人間にこうして明確に裏切られるのは、これが初めてなのか」

 

「―――」

 

 呆然とするゼファーの心境を、フィーネが言い当てる。

 かつてゼファーは、了子を姉のように思っていると言った。

 その時彼女が、どんな心境であったかは定かではないが……この青年にとって、櫻井了子という女性が、普通の仲間以上に大切な存在であったことは確かなことで。

 だからこそ、その裏切りは彼の心に大きなダメージを与える。

 

 だが、この程度で折れはしない。

 ゼファーは歯を食いしばり、フィーネの目を真っ直ぐに見返す。

 そんな彼を庇うように、彼の意志の道を拓く先駆けとなろうとするかのように、翼が彼の前に立ってフィーネと向き合う。

 いつの間に変身したのか、その手には天羽々斬が握られていた。

 

「健気な友情だな。私も感涙してしまいそうだよ」

 

「櫻井女史……了子さん、本当に、本当に、あなたは裏切ったのですか!?」

 

「裏切ったのではない。裏切っていたのだよ、風鳴翼」

 

「―――ッ」

 

 翼の脳裏に浮かび上がるのは、もう十年になろうかという、櫻井了子との日々の想い出。

 慰められた想い出も、励まされた想い出も、笑顔にしてもらった思い出もある。

 風鳴翼と櫻井了子の付き合いは、ゼファーのそれよりも更に長い。

 長い月日の間に積み上げてきた想い出が、翼の中でかすかに色あせていく。

 

「いつから本物の櫻井女史と入れ替わっていたッ!?」

 

「『本物』というのが『私ではない櫻井了子』を指しているとするならば。

 お前が『本物の櫻井了子』と会ったことがあるのは、片手で数えられる程度だと言っておこう」

 

 それはつまり、"フィーネが櫻井了子を害しその立ち位置を奪った"という、"想い出の中の櫻井了子は本当の善意を向けてくれていた"という救いを否定する、"全ては嘘だった"という否定だった。真実がどうあれ、了子が裏切者で、フィーネの言葉に翼の想い出を嘲るような響きがあることだけは、確かなことで。

 

「貴様の目的はなんだッ!」

 

 激昂する防人が、剣を突きつけフィーネを問い詰める。

 

「全ての人を繋げ、ひとつとしなければ、成せないことがある」

 

「……何?」

 

 だが、返って来たのは抽象的な回答だった。

 

「子供の頃、親に暖房に触ってはいけないと教わった。

 ただ、何故触ってはいけないかと実感していなかった私は触ってしまってな。

 手を少し火傷して、痛い思いをして、以後触ろうとは思わなかった。私は『学んだ』のだ」

 

 フィーネは翼からの問いに、遠回しな回答を返す。

 

「人は誰もが、傷付いてこそ成長する。

 傷も知らぬ痛みも知らぬ赤子から、傷付きながら生きることで人間になる。

 傷付き、欠け、歪み、個性という名のカタチを得て初めて人は人間となれるのだ

 傷付いたことのない人間は、痛みを知らぬ人間は、他人には優しくなれない。他人を癒せない。

 痛みも傷も知らない人間は、相手が何故苦しんでいるのか分からないからだ。

 それゆえに傷ある者は多くの人間に、ささやかながら立ち上がる力を分け与えることが出来る」

 

 その理屈は奇しくも、"痛みを知らない人間に、誰かのためだなんて言葉を使って欲しくない"という考えを持つ、月読調のそれと重なるものであった。

 

「傷物になった人間が綺麗な人間を妬むように。

 痛みを知る者達が傷を舐め合うように。

 相手の痛みを知った人間が相手を傷付けるのを躊躇うように。

 相手が傷付いていると知り、優しくなれる人間が居るように」

 

 フィーネ・ルン・ヴァレリアは、戦争で痛みを知った人類は、その痛みを覚えている間だけならば、戦争をしようだなんて絶対に決断しないのだという事実を、知っている。

 痛みが闘争を抑え相互理解を呼ぶという真理を、知っている。

 痛みは、太古の昔に失われた『統一言語』の代わりになるのだということを知っている。

 人類の歴史が、彼女にそれを教えてくれた。

 

「痛みこそが人と人を繋ぐ唯一無二の絆となるのだ!

 現実に感じる痛みこそが、互いへの同情、共感、理解を生み出す!

 相手が自分の隣で生きている、自分と同じ生命なのだと実感させる!

 『この人は自分と同じ痛みを知っている』という認識! それこそが人を繋ぐ!

 痛みを感じぬ人間など、この世には居ない! その感情は誰もが持っているものだ!」

 

 "痛みだけが人の心を繋いで絆と結ぶ、世界の真実"。

 それが、数千年の日々が彼女の内に芽生えさせた、一つの信念だった。

 

「全ての者に同じ痛みを与えよう。

 同じ痛みを持った経験のある人間で一丸となれるように。

 一丸とならねば、それ以上の痛みを味わわねばならぬと自覚できるように」

 

 それは普通の人間では到底持つはずのない、神様のような考え方だった。

 人を見下ろし、人を単純な数だけで見る、余人に歩みを止められない超越者の思考。

 

「等しく痛みを与えよう、人類をひとつとするために」

 

「そんなこと、させるかッ!」

 

 そんな超越者の考え方を、ゼファーは真っ向から否定する。

 

「皆がひとつになる時は、皆が望んだ時であるべきだ!

 痛めつけ、痛みによって無理矢理に一つにするだなんて……絶対にさせない!」

 

 ゼファーの声に応じるように、響とクリスもギアを起動させ臨戦態勢に入る。

 翼と合わせ、三色のシンフォギアが並び立った。

 彼の声は少女達を奮い立たせる―――だが、フィーネの顔に、嘲笑を浮かべさせる。

 

「お前が『人』を語るのか? 笑わせる」

 

「……なに?」

 

 フィーネはかすかに、苦しそうに、痛ましそうな感情を見せるが、すぐに取り繕ってその感情を胸の奥に押し込んでいく。

 

「忘れたのか?

 それとも思い出さないようにしているのか?

 ふざけるな……思い出せ、無かったことになどするな、お前の罪を」

 

 そして、血反吐を吐くような声で、"全ての前提を覆す真実"を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゼファー・ウィンチェスターはあの日に死んだ。お前はただの偽物だ、模造品」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーの心臓が、ドクンと跳ねる。

 

「……は、あ?」

 

 予想もしていなかった言葉に、彼の思考は完全に停止した。

 

「あの日、『アガートラーム』がゼファー・ウィンチェスター達の前に現れた。

 銀色の鎧、剣としてではなく銀の騎士としてF.I.S.の戦場へと参戦した。

 憎悪に呑まれ、体内の魔神のせいで焼死まで秒読みだった、聖剣の担い手を目指して」

 

「あの時の、セレナを殺した銀色の騎士……!」

 

「それがお前だ」

 

「……え?」

 

 背筋に怖気が走る。

 

「アガートラームの担い手候補は数あれど、一つの時代に担い手は一人のみ。

 『本物のゼファー・ウィンチェスター』が死ねば、聖剣を正しく扱える者は居なくなる!

 ……だから! 貴様は! "担い手を保存するためだけにその死を辱めた"ッ!」

 

「―――え」

 

「この時代に、自分が振るわれる要素を残すためだけに!

 もう助からない『本物のゼファー・ウィンチェスター』にトドメを刺す形で!

 『本物のゼファー・ウィンチェスター』の精神と肉体をコピーし、自らで再現したのだッ!」

 

 真実が明かされる。

 

「セレナ・カデンツァヴナ・イヴを殺したのは―――お前だッ!」

 

 フィーネの口から罵倒が放たれる。

 

「事実上、『本物のゼファー・ウィンチェスター』を殺したのも―――お前だッ!」

 

 本物の聖剣の担い手を殺し、その人間の心と容姿と記憶の全てを奪い、その人間に人間に成り代わっているだけの"物"に放たれる。

 

「お前は『本物のゼファー・ウィンチェスター』ではない!

 その肉体と精神をコピーし、さも人間であるような顔をしてッ!

 『本物のゼファー・ウィンチェスター』の心と人生を、奪い取り堪能している物に過ぎない!」

 

 クリスと幼い頃に共に過ごしたゼファー・ウィンチェスター。

 セレナ、マリア、切歌、調。たくさんの大人達。

 彼ら彼女らと共に過ごしたゼファー・ウィンチェスターが魔神に燃やされる直前、その心臓をアガートラームは抉り取り、その全てを奪い取った。

 そして自分がただの物であったことも忘れ、"ゼファー・ウィンチェスターの人生の続き"を、成り代わって始めたのだと彼女は言う。

 人間としてのゼファーなど、あの日からずっと、この世界のどこにも居やしない。

 

「だからお前の肉体に、全ての才能は再現されていない!

 アガートラームの正統な担い手が持つはずの、『剣の才能』ですら!

 かつて遠い未来を見通した直感でさえも、一度はリセットされたのだ!

 "この才能は容量を食い過ぎるから"と、そんな機械的な理由で、再現度は下げられた!」

 

 全て知っていた、フィーネには。

 

「その黒髪こそ、その証拠!

 魔神を内部に納めていなければ、髪が黒くなったままでいることなどありえない!

 魔神を内的宇宙から吐き出した時点で、髪は元に戻っていくはずだった!

 ……だが、杓子定規に肉体をコピーしたお前には、それが出来なかった!

 お前は魔神を体内に取り込み、"変異した後の彼の髪"しか知らなかったからだ!」

 

 全て見抜いていた、櫻井了子には。

 

「重症を負った担い手の体を、正常に動作したアガートラームが治せないなどありえない!

 お前は! 単に肉体データが損壊しただけだ!

 コピーデータ以外に肉体の構成の指標がないから、データが壊れればリカバリはできない!

 だからお前の腕の不自由は治りきらない!

 だからコピーしたその時に肉体に残っていた腕の火傷が、消えないまま残っているのだッ!」

 

 『今のゼファー・ウィンチェスター』は、どう見えていたのだろうか?

 

「万年経てば、物に無地の魂が宿ることなどいくらでもある!

 昔ロディはお前が人間に憧れていると、そうも言っていた!

 ……だが、だが!

 魂の宿った物が! 魂はあれど心ないままに、人を殺し!

 その心と精神を奪い取り、その人間に成り代わるなど……許されることではないだろう!?」

 

 人間に憧れ、人間になろうと願い、人間らしい倫理を持たないまま人間の精神を吸収して人間になったアガートラームは、どう見えていたのだろうか?

 

「貴様は"人間の精神を聖遺物の魂と聖遺物の肉体が取り込んだ"融合症例ッ!

 その身の内に、人の肉などない! 人の魂などない! 人の血すら流れていないのだッ!」

 

 救いはない。

 フィーネの目に映るこの世界は、自分の弟の子孫であった『本物のゼファー・ウィンチェスター』がこの結末を迎えた時から、きっと更に色褪せた地獄にしか見えなかっただろう。

 偽物の、今のゼファーを見るたびに。

 幸せになっていく、今のゼファーを見るたびに。

 フィーネは絶望の中で燃え尽きていったであろう、本物のゼファーを思い浮かべずには居られなかっただろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこか納得する自分が居た。

 

 しっくりくると、そう思う俺が居た。

 

 夢の中で見た光景の記憶が、自然と脳裏に浮かび上がって来る。

 

 どこまでも広がる荒野と、その荒野を縁取る地平線。

 澄み渡る青空、横切る雲、天地を照り焼く熱い太陽。

 心地いい西風に背中を押されながらただまっすぐに。

 

 何度も見た夢だ。

 その世界の中で俺は何度も荒野を突っ切って、西風と共に剣の刺さった祭壇を目指していた。

 純白にして絢爛な祭壇に刺さった銀の剣。

 それを目指して、その世界を渡り歩いた夢の記憶が、俺の中にはある。

 

 けれどあの夢は、セレナと別れたあの日から、祭壇の上から始まるようになっていた。

 祭壇の上で身動き一つできず、動けないまま時間が過ぎる夢になっていた。

 そしてナイトブレイザーになれるようになったあの日から、あの夢を見ることはなくなった。

 何故か俺は、聖剣を求める人間として荒野を歩く夢を、見なくなっていた。

 

 だけど、今ならその理由が分かる。

 

 "俺が聖剣だった"んだ。

 

 夢の光景は変わらないまま、俺は祭壇に刺さる剣になっていたんだ。

 

 身動きができないのも、なら当然の話に決まってる。

 剣が身動きできるはずがない。

 まして、祭壇に突き刺さったまま誰も手にしてはいなかったのだから。

 

 俺は人間ではなく、剣だと思うと……とてもしっくりと来て、違和感がなくて。納得してしまう自分が、それを嫌だと思えない自分が、胸が張り裂けそうなくらいに苦しくて、悲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フィーネ・ルン・ヴァレリアは語る。

 自分が転生を続け、先進文明期から生き続けてきた人間であると。

 その際に櫻井了子という受容体(レセプター)を器とし、塗り潰して蘇ったのだと。

 そして、昔自分に弟が居たこと、その弟の子孫が本物のゼファーであったこと。

 その弟こそが、アガートラームの最初の担い手であったことを語った。

 

 だからこそ、この場の全員にその痛みが理解できてしまう。

 

 愛した弟を思わせる容姿、所作を今のゼファーに見るたびに、フィーネは愛しさを感じた。

 だがそれと同時に、その容姿や所作が本物から奪い取ったものだと思うと、やや理不尽ではあるが"愛した弟の子孫から全てを奪った者"という印象が生まれ、それは憎悪に変わってしまう。

 今のゼファーが、弟を思わせる英雄らしい覚悟を決めるたびに。

 今のゼファーが、皆を奮わせる英雄らしい言葉を吐くたびに。

 『奪われた本物』が思い出されて、フィーネ/了子が今のゼファーに感じたプラスの感情は、全てマイナスの感情を発生させていった。

 

 了子/フィーネはその境遇から、ゼファーに好感を抱くたびに憎悪を抱かずにはいられない。

 彼女が今のゼファーに向ける好意の大きさは、そのまま憎悪の大きさになる。

 そして憎悪の大きさもまた、好意の大きさだ。

 かつて愛した弟に向けた愛すら反転させてそれと等量に、彼女はゼファーを憎んでいる。

 

 だから今日まで、彼女の思考と行動には、どこかチグハグなところがあった。

 ことゼファーに対しては、時に冷酷で、時に情を見せ、迷いがあるように見えるほどだった。

 ……それも当然のことだろう。

 彼女が彼に好意を向けているのも、憎悪を向けているのも、どちらも真実であり矛盾などしていないのだから。

 ゼファーに生きて欲しいと思っているのか。死んで欲しいと思っているのか。

 フィーネ自身にすら、自分の本当の本音は分かっていないのだ。

 

 呆然とするゼファー達を横目で見やり、このまま会話の主導権を完全に握られているのは非常にマズいと、クリスは動揺する心を抑えて叫ぶ。

 

「……っ、デタラメだ! あたしが信じるか!

 てめえ、どうせ形勢不利になったと見て動揺させるだけのデタラメを――」

 

「お前が言ったことだ、雪音クリスッ!

 今と昔のゼファーを比べ、『もう別人みたいなもんだ』と言ったのは、お前だ!」

 

「――あ」

 

 この中で唯一『本物のゼファー』と話した経験がある、クリスは理解した。

 自分の発した言葉が、そっくりそのまま返って来たことを。

 あの時、櫻井了子がどんな気持ちでその言葉を受け取っていたのかを。

 『何がフィーネを最後の決断に踏み切らせてしまったのか』を、理解した。

 

「言えるものなら言ってみろ! 呼べるものなら呼んでみろ!

 この偽物を、ゼファー・ウィンチェスターだと、胸を張って!

 そうすればあの世で本物のゼファー・ウィンチェスターが泣くだろうさ!

 偽物を本物と思い、偽物を本物と変わらないと呼ぶ雪音クリスを見て!

 草葉の陰で本物のゼファー・ウィンチェスターは、さぞ無念に思うだろうからなッ!」

 

 たじろぐクリスは、二の句を継げない。

 

「だとしても、ゼファーがこの国に来てからの日々は、このゼファーが頑張ったことで――」

 

「お前が言ったことだ、風鳴翼ッ!

 記憶を記した辞書を読み上げてるだけだったと!

 他人にかけられた言葉に機械的に反応するロボットのようだったと!

 ああ、そうだ、それは正しいとも! あれはただの記憶定着作業だったのだから!」

 

「っ」

 

「お前がこの国に来てからのこの模造品の奮闘を好ましく思ったのだとしても!

 それは『本物のゼファー・ウィンチェスター』が好ましい精神を持っていたというだけで!

 この模造品がそれを奪い、さも自分のものであるかのように振る舞ったというだけのことッ!」

 

 クリスに翼が続くも、フィーネの理論立てた言葉と激情の前には歯が立たない。

 

「『物』は『人間』ではないッ! お前が人間気取りで居るというだけで、虫酸が走るッ!」

 

「俺は……物……?」

 

「それも、セレナとゼファーの二人の者を殺して人間を気取っている物だッ!」

 

 呆然と、フィーネの言葉を聞くだけだったゼファーが、蒼白になった顔で、震える唇で、声を漏らす。そしてクリスと翼の方を見て、その瞳に絶望を浮かべた。

 ゼファーの親友である二人が吐いた言葉までもが、彼の心に突き刺さる。

 

「ち、違……」

 

「ゼファー! 話を……」

 

 ゼファーの膝が折れる。

 彼が膝から崩れ落ちる。

 立っていることすら、もうできない。

 

 全て嘘だった。

 心すらも紛い物。

 過去すらも奪い物。

 想い出すらも偽物で、全部『本物』から奪ったものでしかなかった。

 

「私は知っているッ!

 もう、人間としての聖剣の担い手はこの世界には存在しないッ!

 アガートラームがこの時代に、真の力を顕現させる可能性も無いッ!

 聖剣が魔神を倒すほどの力を発揮する可能性など……あの日とうに、消え失せていたのだッ!」

 

 フィーネの言葉が全て真実であると、どこか納得する自分が居て。

 

 "セレナ・カデンツァヴナ・イヴの心臓を握り潰した感覚"が、手の中に蘇ってきて。

 

 もう、立てる気がしなかった。

 

 

 




>第九話:Bloody Serenade 4

 ゼファー・ウィンチェスターは、この日まごうことなく『死亡した』。


英字のサブタイトルの話が"人間のゼファー・ウィンチェスター"が主人公のお話です。それ以外は全部違います

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