戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
聖剣『アガートラーム』。
最弱にして最強の完全聖遺物。
作成されてすぐの頃には最弱と呼ばれ、戦乱が終わる頃には最強と呼ばれるようになった剣。
その特性は所持者の生命保護機能、そして……想いを力に変換すること。
特徴としては
担い手の想いを吸い上げ、担い手の命を守る。
ただそれだけの剣だった。
対になる"魔剣ルシエド"と比べれば、その機能は余りにも脆弱だった。
されど、それは選ばれた英雄の手の内で輝き、最強の聖剣として名を馳せたのだ。
神話や伝承の中にある『使い手を選ぶ剣』の大半の正体はアガートラームである。
アガートラームは担い手を選ぶ。
この聖剣は、一つの時代に一人の担い手だけしか選ばない。
言い換えるならば、この聖剣を真っ当に扱えるものは、一つの時代に一人しか生まれない。
つまり、各々の時代に迫る世界の危機のことごとくを、この剣は各時代の『剣の英雄』と共に跳ね返してきたということだ。
この剣はいつの時代も、絶望を切り開く人の希望と共にある。
逆説的に言えば、この剣が現れる時代と場所には必ず、絶対的な絶望が存在する。
第三十一話:立花響のラブコール 3
今の日本では珍しくなくなってしまった避難警報が鳴った夜。
その翌日の朝、警報にも慣れたリディアンの生徒達は何事も無かったかのように学校に登校していた。そんな彼女らと同様に、ゼファーもまた何事も無かったかのように学校に居た。
「おはようございまーす」
「ああ、おはよう」
生徒の挨拶に、ゼファーも帽子を取って笑顔の挨拶を返す。
いつも校内でせっせと働いているゼファーの姿は、この学校の風景の一部のようなものだ。
「今日用務員さん、機嫌良さそうだったねー」
「ねー」
「なにかいいことあったのかなー」
「かもねー」
きゃっきゃっと益体もない雑談に花を咲かせ、生徒達は校舎の中に入っていく。
いつも通りの光景。いや、いつもよりも平和な日常が、そこにはあった。
元気な生徒に応じて元気な姿を見せるゼファーに、そこで背後から声がかかる。
「ゼっくん、どうしたの?」
ゼファーが振り返れば、そこには未来が居た。
彼は気付かれぬよう固唾を飲み込み、笑顔を作る。
「大丈夫」
「嘘」
どうしたの、と聞いてきた未来に、ゼファーは大丈夫と答えた。
だから未来に見抜かれるのは当然で。
「大丈夫だって」
「嘘」
ゼファー・ウィンチェスターが、未来に隠し事などできるはずもない。
彼は彼女に隠し事を隠さないと約束したのだから。
だからこんなにも、
どう誤魔化そうとしたところで、未来はゼファーの苦悩を見抜き問うただろう。
彼女は友の心の歪みを映す、鏡のような少女だったから。
「俺は、大丈夫だから」
「嘘つき」
彼女は本当に、友達をよく見ている。
ゼファーは溜め息を吐いて、今の自分の姿を見ているのが未来だけであることを確認してから、弱々しい様子を見せる。
そして、懇願した。
「……悪い。正直、大丈夫じゃない。
だから今は、話しかけないでくれ。分かるだろ?」
未来が今問い詰めれば、ゼファーは全ての弱みを見せて、全ての苦悩を語るに違いない。
だがそれと同時に、その弱みは
ゼファーがそれを望んでいないことも、それがゼファーの迷惑になることも、未来は分かっている。だから未来は、ゼファーのすがりつくような声色の懇願を素直に聞いた。
自分の予想以上に、今のゼファーが重症であることを察しながら。
「……また、後でね?」
未来は心配そうに、何度も振り返りながら校舎に向かう。
ゼファーは未来に見せていた弱さを引っ込めつつ、一息つく。
しかし一瞬遅かったのか、表情に僅かな時間残っていた弱さの名残を、新たに登校していた生徒が見てしまう。
幸か不幸か、その生徒はゼファーもよく知る板場弓美その人であった。
「どうしましたー?
来期有望株アニメの3×3EYESの原作展開で、ヒロインが
『ワイはベナレス、お前は
って言われた時みたいな顔してましたけど。野球延長のせいでアニメ録画失敗しました?」
相変わらずのすっ飛んだ会話方式に、彼は心が感じる重荷が少し軽くなった感覚を覚える。
もっとも、本当に少しだけではあったが。
「そういう時はですね、アニメだとラブですよラブ!
ラブがだいたい解決するんです! 『私は私だ』みたいな感じで!」
「……ん、いや、そんなたいそうなことでもないんだ。
野良犬が敷地内に排泄してったみたいでさ。片付けるの面倒だなあって」
「なーる、そりゃ嫌ですね。あたしだったらやりたくないなあ」
ゼファーの誤魔化しに、弓美は簡単に納得したようだ。
日常で彼を待ち、彼が日常を外れようとすれば引き戻そうとする未来と、あくまで日常の中で佇んでいるだけの弓美は違う。
未来はゼファーの理解者だが、弓美はそうではない。
だから、板場弓美の方は誤魔化されてしまう。
「あ、まーたあの子ゼファーさんとこ居る……」
「ほら、行きますわよ板場さん」
「あー! 待ってもうちょっとだけあと五分ー!
せめておはようございますの挨拶だけでもー!」
そこで現れた創世と詩織が、弓美を物のように引っ張ってクラスへと連れて行ってくれた。
去り際に詩織が礼儀正しく頭を下げていったのを見て、ゼファーは心中で安堵の息を吐く。
未来にバレた時、彼の背筋に嫌な汗が流れたことは想像に難くない。
知り合って間もない三人を騙せる程度には、平時の自分を装う仮面を被れていることに、ゼファーは安堵していたのだ。
今は取り繕わなければ、立っていることすらできそうになかったから。
櫻井了子は、聖遺物研究の第一人者だ。
そのため"融合症例としてのゼファー"の体を検査する際には、必ず了子が同行していた。
今日までそれは当然の事柄だった。それは怪我の検査をする際に、怪我に詳しい医者が立ち会うのと同じことだったから。
しかし、今となってはそれは最悪の事実を証明する事柄となっていた。
「……再検査の、結果が出ました」
了子から貰ったデータを参考にして"人間としてのゼファー"を診ていた医者、了子を信じ疑いもしていなかった研究班が協力し、ゼファーの肉体の再検査を終わらせた。
結果出て来たデータは、目を見張るものだった。
それも当然だろう。
『融合症例としてのゼファーの検査結果を全て捏造していた』櫻井了子はもう居なくて、彼女が検査結果の数字を自分に都合のいいように弄くるということは、もうないのだから。
「捏造されたデータでは、彼は間違いなく人体に聖遺物が溶けた体と言えるものでした。
……しかし、それは違いました。
これは、聖遺物が精巧に人間を真似たものです! 人間を模して、造られたものです!」
呼吸をすれば人間か? 否、虫とて呼吸はしている。
学習するならば人間か? 否、犬とて学び思考する。
ものを食べて糧とするなら人間か? 否、どんな畜生とて飯は食う。
呼吸をして酸素を取り込む肺はある。だが、人間ではない。
食物を食べてエネルギーにする器官はある。 だが、人間ではない。
考える頭はある。 だが、人間ではない。
魂はある。 だが、人間ではない。
今のゼファーは、人間ではない。
「彼の肉体は、人間の定義の一歩外側に存在しています……
一例を上げれば、人並みに子供を作ろうとしたとしても、まず作ることは出来ません……」
医者と研究者の報告で、この場に集まった二課の者達全員が、今の彼の状態を理解する。
彼の体の不自由は、肉体の損壊ではなくデータの損壊だった。
彼は人間をベースにした融合症例ではなく、聖遺物をベースにした融合症例だった。
誰もがゼファーの苦悩を思う。
自分が人間ではなく、人間の命を奪い人間に成り代わっていた物だったと知ることは、どれほど苦しい気持ちであるのだろうかと。
Active Radar Musicは、文字通りに機械的な側面を持つレーダー。
彼の疲労が精神にしか残らないというのも、今となってはその意味が分かる。
考えるだけで動く体は、ナイトブレイザーという『本来の姿』に戻ることで、人間の脳と神経などという反応速度の遅い物を模す必要がなくなるからだろう。
気付くヒントは、いくらでも転がっていた。
生きていた頃のゼファーの体を素体としつつも、機械的に変わっていった今の彼の肉体は、どこか歪で人間らしくない形に仕上がってしまっている。
その身は人間の身体の成長をトレースできても、要所要所を見ればどこかしらおかしいのだ。
「……なんで、こんなことに」
誰かが、ポツリと呟く。
それはこの場に集った者達の総意だった。
『どうしようもない』という感情が、絶望が、彼らの中に蔓延していく。
沈黙が広がる。
「だったら、なんだ」
その沈黙を破ったのは、クリスだった。
「だからなんだってんだ!?」
クリスは机を叩き、大声を張り上げる。
彼女の境遇と過去を知る二課の者達は、誰もが彼女に不快の意を示さずに、ただ、彼女に同情の意を向けていた。
「それでどうしろってんだよ!」
「それは……」
今の二課で、ゼファーの次にこの一件で苦悩しているのは誰か?
決まっている。
『前のゼファー』も『今のゼファー』も知っている、雪音クリスだ。
「あたしに何を選べってんだよッ!
アイツを物のように扱えってのかよ!?
昔と今のゼファーで、違うって、そんな……頭ん中ぐちゃぐちゃなんだよッ!
こんなの、何が正しくて何が間違っているのかなんて、分っかんねえんだよッ!」
クリスは壁にやわな拳を叩き付け、部屋を出て行く。
彼女の叫びは、怒りに似た絶望と悲嘆に満ちていた。
だからこそ、部屋を出て行く彼女を誰も止められない。
止められるわけがなかった。
人は自分の過去と、今の人生を無関係なままにすることができない。
甲斐名は幼少期を虐待と育児放棄の中で過ごした。
だから環境に恵まれていない子供を、他人のように思えない。
土場は恋と愛を向けていた女性を、死別という形で失った。
だからゼファーの境遇に、どこか共感を覚えている。
天戸はイチイバルとアースガルズの盗難を防げなかったことを、今も悔いている。
そしてイチイバルと雪音クリス、事実上二課の失態で失われたその二つを取り戻してくれたゼファーに、感謝の気持ちを抱いていた。
津山は自衛隊時代に、ナイトブレイザーとシンフォギアに救われた人間だ。
その戦いに、背中に、歌に惹かれて、彼は二課への転属を希望した。
だが、この四者がゼファーを見る目はそれぞれ違う。
甲斐名、土場は弟を見るように。
天戸は息子を見るように。
津山は英雄を見るように、ゼファーを見ている。
「……居ないね。ったく、どこ行ったんだか」
そんな四人の一人、甲斐名は二課本部内にてゼファーを探し歩き回っていた。
特に危急の用があったわけではない。
ただ、ゼファーや翼にバイクの乗り方を教えた彼は、何も考えずバイクをかっ飛ばすことがストレス解消になることを知っている。
悩みを少しでも和らげてくれることを知っている。
だからこそ、"一緒に走らないか"とゼファーを誘おうとしていたのだ。
なのだが、そのゼファー本人がなかなか見つからない。
「あ」
「あ」
そうこうしている内に、甲斐名は曲がり角の向こうから来た土場と、ばったり会ってしまった。
「ご同類?」
「だろうさ」
甲斐名は手ぶらであったが、土場の手には袋が吊り下げられている。
ビニールの袋は堂々と中身を隠そうともせず、幾つもの酒瓶の姿を見せつけていた。
「悪い奴だね、未成年に酒を勧める気?」
「ああ、私は悪人なのだろう。
だが、毒も薬も時と場合を選んでこそだとは思わないかね?」
「『酒は百薬の長とはいえど、よろずの病は酒よりこそ起これ』でしょーが。
……ま、ゼファーが未成年じゃなければ、僕もその手を選んでたかもしれないけどね」
未成年を飲酒に誘うより、隻眼で未成年をツーリングに誘う方がまだ健全だろう。
……どっちもどっち、と言ってはいけない。
オーバーナイトブレイザー戦で片目を失った甲斐名だが、二つある内の一つが無くなったくらいどうってことないと言わんばかりに、彼もまた強く生きている。
土場はバツが悪そうに苦笑して、甲斐名は露骨な呆れを表情に浮かべていた。
そこに、更に乱入する男が二人。
天戸と彼に連れられた津山が、甲斐名と土場を視界に入れた。
彼はオーバーナイトブレイザー戦で両足を潰されるも、リハビリである程度回復した足で、津山を連れつつ甲斐名と土場の下に歩み寄る。
「おう、どうした男同士で」
「そりゃあねえ」
「察してくれるとありがたいが」
「だろうな」
天戸も、二人と同じようにゼファーを元気付けようと彼を探していたようだ。
二人と違うのは、二課最年長の天戸はゼファーとの年齢的な緩衝役とするため津山を引き込んで、三人でメシを食いに行こう、なんて言おうと思っていたという点だろうか。
なんにせよ、甲斐名と土場と天戸がゼファーを探していた理由は、大まかに同じであるようだ。
器用に生きているとは言い難い男達は、ハッキリと何かを言わぬまま、互いの意志を確認した様子。
しかし、そこで津山が声を上げる。
「僭越ながら、一つよろしいでしょうか」
彼はこの中でただ一人、"ゼファーが一人でも立ち上がれる"と信じていた人間だった。
「その、彼は平然としているように見えました。
彼は自分よりもはるかに強靭な心の持ち主です。
でなければ、彼の今日までの経歴は成せません。
失礼を承知で申し上げますが、自分達は少々心配し過ぎなのではないでしょうか……?」
二課の古参は、ゼファーを弟か子のように見ている者が多い。
されど今の二課のメンバーの全てが、古参であるわけではない。
二年前、オーバーナイトブレイザーの一件で多くの古参が死んでしまった。
そして、その後に補充人員として入って来た者達は、『英雄としてのゼファー』しか知らない。
二課の最奥でドンと構えて皆の心の柱となっていた弦十郎、先駆けとして最前線で皆の心の柱となっていたゼファー。
比較的新参な津山達は、この二人を同列同格同等の英雄として見ているのだろう。
何があっても揺らぎはなしない鋼鉄の英雄のように見ているのだろう。
現実にそうであるかは、別として。
天戸と甲斐名は苦笑する。
津山と同じように、ゼファーの強さを信じたいという気持ちは、彼らの中にもある。
それでも、津山を除いてこの場に揃った彼らの中で、ゼファーは『英雄』よりも『守る対象』に近い位置に置かれているのだ。
「いいんだ、心配し過ぎならな。俺達が恥をかくだけで済む」
「ま、安いもんだよね」
彼らは恥をかくことは恐れていない。
心配性と嗤われることも恐れていない。
本当に恐れているのは、"手遅れになってしまうこと"だ。
「だが、私達の懸念が過剰なものでなかったとしたら……さて、少し笑えない事態だと思うがね」
意味深に、皮肉げに、土場が微笑む。
けれども目が全く笑っていなかった。
気圧された津山の胸中に、一抹の不安が湧き上がる。
この時ようやく、"もしかしたら大変なことになるんじゃないか"という意識が、男四人の間で共有されるのだった。
男性陣は基本的に突貫を選んだ。
なら、女性陣はどうだっただろうか。
その答えは、今厨房に立つ食堂の主・絵倉と、カウンターに座る翼を見れば分かる。
「三大欲求が何のためにあるか知ってるかい、翼ちゃん」
「え? 生物としての本能……と答えても正解じゃないですよね」
「美味い飯を食う。
ぐっすり寝る。
女を抱く。
男なんてこの三つを何回かやってれば勝手に立ち上がるもんだよ」
「抱……!?」
適当に妥協し、"それがどうした"と適当に流し、世間や社会や風評といったものに特に逆らうことなく、自分らしく生きる。
絵倉と呼ばれる中年女性の心もまた、『ありふれた大人』としての強い心を持っている。
女を抱く、の下りで顔を赤くする翼には、まだない強さだ。
「ならアタクシがやるべきことなんて決まってるさ。
美味い飯を作る。食わせる。他のことは他のやつに任せた方が上等な結果が出るってもんだよ」
「……任せる」
「自己満足で余計な手出ししてこじらせるなんて、アタクシはゴメンだね」
ゼファーが落ち込んでると見て、踏み込もうとした男性陣とは対照的だ。
少々無神経に見える形で踏み込む男性陣と、少々薄情にも見える形で距離を取る絵倉。
どちらが正しいというわけではない。
単に男性と女性で、ゼファーに対する対応に差異が出たというだけだろう。
翼は悩む。
男より男らしいと言われることもあるが、彼女のメンタリティの根幹は純情な少女のそれだ。
積極的にゼファーに声をかける。寄り添いそっとしておく。その二つを天秤にかけ、できれば立ち直らせてあげられる方を、正しい方を選びたいと翼は思う。
だが、翼にはどちらが正答など分からない。
頭脳が人並み外れて優れているというわけでもないのに加え、今の翼は冷静さと平常心を持っているとは言い難かったから。
櫻井了子の裏切りに、ゼファーと同様に大きな精神的ダメージを受けていた翼もまた、励ましが必要な人間である。
だが幸か不幸か、翼以上に傷めつけられたゼファーという存在が居た。
自分以上に精神的ダメージを受けていた彼の存在が、今の彼女を支えている。
せめて自分がしっかりしなくてはと、彼女を踏み留まらせている。
不幸中の幸いと言うべきか。おかげで翼は、了子の裏切りに相応のダメージを受けることなく、なんとか一人でも踏ん張れたようだ。
(……肯定してやるにしても。
今の私に、どんな言葉がある……?
あの苦悩を晴らす言葉は、並大抵のものでは到底足りない。
私は今のゼファーを立ち上がらせる言葉を、持っていただろうか……?)
ゼファーに言葉を掛けに行くならば、その言葉が自分の中になければならない。
けれど翼には、今のゼファーに掛ける言葉が見つからなかった。
今の彼を立ち上がらせるべき人間が自分であると、翼は自信を持って言う事ができなかった。
絵倉の飯をかっこむ翼の横に、また一人苦悩する人間がやって来る。
「……お酒下さい」
「あおいちゃん、ローテ終わって開口一番それかい」
「飲まなきゃやってられないですよ……」
ゼファーを励まそうとする男が居る。
ゼファーを英雄と信じる男が居る。
ゼファーを放っておこうとする女が居る。
ゼファーをどうすればいいのか悩む少女が居る。
だが、友里あおいは上記のどれにも当てはまらず、ゼファーを放っておくことを選びながらも、彼の痛みに共感し同情し胸を痛めていた。
今ゼファーと顔を合わせれば、あおいはきっと泣いてしまうだろう。
そのくらいには、ずっと面倒を見てきたゼファーのことを思ってくれていた。
「ぐびっ、ぷはぁ……あの子が何したってんですかぁ……」
「あれまあ、こりゃ完全に酔い潰れるペースだわ……
この飲んだくれはアタクシが処理しとくから、翼ちゃんは部屋に帰んな」
「は、はい。失礼します」
翼はあおいの様子に後ろ髪を引かれつつも、食堂を出る。
ゼファーが二課に来てから、もう六年になるだろうか。
皆が思い思いに、それぞれのやり方で
だが翼は、
弦十郎がゼファーを見つけた時、ゼファーは緒川慎次と会話していた。
会話に加わろうと弦十郎が近付いていくと、彼の存在に気付いてそうしたのか、あるいは偶然そこで会話が終わったのかは定かではないが、彼がゼファーの近くに来た途端に緒川の姿が消える。
神出鬼没を絵に描いたような忍者だ。
「あれは緒川か。どうした、何かあったのか?」
「あ、ゲンさん」
弦十郎が話しかければ、ゼファーが振り返る。
今のゼファーの表情は、剥がれかけの仮面とでも言うべきものだった。
過酷な境遇だけならば耐えられた。
気が緩む二課の空気だけならば耐えられた。
だがその両方に加え、"自分を心配してくれる人々の好意"をぶつけられてしまい、気を許した弦十郎を前にしてしまえば、彼の仮面も少しは綻んでしまう。
好意は嬉しい/好意が辛い。
その気持ちが自分に向けられている/その気持ちは自分に向けられていない。
本当は、コピー元のオリジナルのゼファーが優しい人間だったから、優しくされてるんじゃないか……? だなんて、ゼファーは思い苦しんでいる。
「……励ましの言葉を、少し」
シンジさんは『俺』だから優しくしてくれたんだろうかと、彼は苦悩する。
今の彼にはただの励ましの言葉すら、喜び以上に苦痛が感じられてしまっていた。
「どいつもこいつも、お前のことを心配しているな。
思われることは幸せだ。周りへの感謝の気持ちだけは、忘れるなよ」
「……」
弦十郎が、いつものように言葉を紡ぐ。
「……俺に、心配されるだけの価値があるんでしょうか。
この姿も、心も、記憶も、俺が自分のものだと感じているだけの、盗品なのに……」
ゼファーは、いつものように言葉を返せない。
「知ったことかよ。少なくとも、風鳴弦十郎は気にしていないと、それだけは覚えておけ」
「俺は……その、偽物で……」
「俺にとっては、お前が本物だ。それが全てだ」
「―――っ」
そんなゼファーに、ただシンプルに、弦十郎は自分の考えと想いを伝えた。
百の言葉も千の時間も必要ない。
『伝わった』のだから、これ以上の言葉は蛇足というものだ。
「……失礼しますッ!」
ゼファーは弦十郎に背を向けて、逃げるように走り出す。
彼が向かうは自分の部屋。二課からあてがわれているだけの、最低限の調度品しかない殺風景な部屋。今のゼファーの顔を見る者など、誰一人として居ない部屋だ。
今だけは、誰にも顔を見られたくないと、ゼファーは走る。
部屋までの道のりを1/3ほど走り終えた時、喉が焼けるようにとても熱かった。
部屋までの道のりを1/2ほど走り終えた時、頬を流れる熱い雫があった。
部屋までの道のりを2/3ほど走り終えた時、顔の肉が歪んで強張っているのが分かった。
部屋に辿り着いた時、もう一度立てる力が残っているのかも、分からなかった。
「あれも、あれも、あれも、あれも。
全部茶番で、全部偽物だ……『俺』なんて、俺の中のどこにもなかったッ……!」
ゼファーは気付かない。
ただ一人、立花響だけがその顔を見ていたことに気付かない。
二年前の戦場で、響がゼファーの弱さを見ていたことにもまだ気付いていない。
「なんで……ジャベリン……お前は、俺なんかを……!」
彼は彼女の何もかもに気付かないまま、弱さを仮面の奥に押し込んでいく。
誰も立ち直れないまま、日は昇り、日は沈む。
ああ、けれど、それでも。
物語の主人公達が立ち直るまで待ってくれるほど、彼らの敵は甘くはない。
「ノイズ約10000、及びディアブロの反応を確認!」
「避難誘導開始します!」
「本部待機中の人員、風鳴翼と雪音クリスの二名!」
「敵進路計算終了! 予想進路をモニターに表示します!」
「目標、東京スカイタワーであると思われます!」
「あそこは二課の通信網の要所です! あそこを潰されれば、我々は目と耳と口を失います!」
「認識コード天羽々斬、イチイバルの両名、出撃しました!」
「一課部隊現着! 二課部隊と合流します!」
「天羽々斬、イチイバル、現着!」
「ノイズ、散開を始めました!」
「ディアブロ、スカイタワーに辿り着きます!」
「避難完了率、36%! 被害が出るのも時間の問題です!」
ただ一人、ゼファーは夜の戦場に立っていた。
胸に手を当て、服をギュッと握りしめる。
体の奥の奥、外的宇宙と内的宇宙の境界線越しにも、ネガティブフレアがかつてないほどに過剰な熱を発しているのが分かる。そのせいで、胸が内から焼かれて苦しいのだ。
それは、今の彼の心境をそのまま表している。
熱の量が、絶望の量だ。
ゼファーはそんな苦しみをおくびにも出さず、眼前の敵を射殺さんばかりに睨む。
矢のように鋭く飛んだ視線は、彼と相対するディアブロへと突き刺さった。
「今は何も考えたくない」
圧倒的格上。
アースガルズ達の影に隠れてはいたが、ディアブロもまた強者の中の強者である。
ディアブロと今のゼファーが戦えば、ほぼ確実に敗北に至るだろう。
ゼファーの動きの全ては、ディアブロに吸収された後なのだから。
今となっては、1%の勝機すらも存在しない。
「今は何も背負いたくない」
そんなことはゼファーにだって分かっている。
「今ここで跡形もなく燃え尽きてしまいたい」
その上で、彼はたった一人で戦いに挑んでいる。
「だから」
まるで、手首に刃を当てる直前の自殺志願者のような顔をしながら、ゼファーは呻く。
「八つ当たりに付き合え、ゴーレム野郎……!」
彼の首に巻かれた真っ赤なマフラーが、悲しげに風に揺れていた。
夜空に流星が流れて落ちる。
この夜は、ゼファーが未来達と『流れ星を見る』約束をした流星の夜。
今の彼には約束を守ろうという気すらなく。
流れ星のように、輝きながら燃え尽きようとする意志だけがあった。