戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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第三十三話:どんなときでも、ひとりじゃない(後編)

 

 

 

 

『頃合いか』

 

 解けかけた封印の中で、魔神が呟き、蠢く。

 

 

 

 

 

第三十三話:どんなときでも、ひとりじゃない(後編)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜の体が消え、後にはフィーネの肉体のみが残った。

 フィーネの肉体と融合しているネフシュタンの鎧とグラウスヴァインの心臓。

 その体に後付けで取り込まれた、ソロモンの杖とデュランダル。

 四つの聖遺物によってフィーネは赤き竜となったが、赤き竜の姿を維持できないほどのダメージを負ってしまった今、彼女の体と一体化していた完全聖遺物は、彼女の体から吐き出されてしまっていた。

 

「く、う……!」

 

 例えば、デュランダルがゼファー達の手にあり、哲学的戦術にて無尽の力を吐き出すデュランダルと無限の再生能力を持つネフシュタンをぶつけ合ったと仮定しよう。

 完全聖遺物同士の対消滅反応が起こりデュランダルもろとも、ネフシュタンの鎧と融合していたフィーネの肉体は跡形もなく消滅していたはずだ。

 だが、そうはならなかった。

 

 ありとあらゆるものを焼却する魔神の焔は、ゼファーの殺さないという意志を反映し、フィーネの人体と聖遺物との結合に概念的ダメージのみを叩き込んだ。

 赤き竜としての肉体は削ぎ落とされ、フィーネの肉体は融合症例としての特性を維持できなくなる。シンフォニックバニシングバスターはまさしく、殺すためではなく止めるための一撃だった。

 

 皆の心が一つだったからこそ、起きた奇跡であると言えよう。

 誰もが"殺せ"ではなく、"勝って欲しい"という祈りを届けた。

 その祈りが力になってくれたからこそ、この結末に辿り着けたのかもしれない。

 ソロモンがフィーネの体内からこぼれ落ち、続いてデュランダルも排出され、ネフシュタンとグラウスヴァインもフィーネの体から離れようとしていた。

 

「こんな、こんなところで、私は……!」

 

「……あなたは」

 

 フィーネは精神力のみでネフシュタンとグラウスヴァインを体内に留めているが、意識は朦朧としていて途切れる寸前だ。

 気絶していてもおかしくないダメージ。

 それでもなお膝を折らないその姿勢が、彼女の前に立つ変身の解けたゼファーに、彼女の意志の強さを知らしめる。

 

「私は、何度も転生を繰り返し、現代にまで生き恥を晒してきた……

 全てはあの月に封じた魔神を殺すため……

 愛する弟も、恋した神も、皆の仇を取らねば、皆が浮かばれないではないか……」

 

「……恋」

 

 彼女の意志は、まるで突き立てられた墓標だ。

 折れず、曲がらず、変わらない。

 初恋の墓標であり、家族愛の墓標であり、想い出の墓標。

 死の上に突き立てられた、死者の名が刻まれた墓標だ。

 

「自然が、星が、神が、人を愛することはあっても恋はしないように!

 神は、人に恋焦がれてくれはしないのだ……!

 初めて抱いた恋は、実りはしないのだ……死が阻めば、それを越えることなど……」

 

「わかるよ」

 

 ゼファーとフィーネには、一つの共通点がある。

 

「俺は、分かる……かもしれない」

 

「……そうだな。お前は、分かるかもしれないな」

 

 この二人は、とても一途だ。

 初恋をなかったことにはせず、ずっと自分の一部として抱え込んでいる。

 そして初恋を抱くと同時に、その初恋が届かないと気付いていた。

 カストディアンは、人とは違う始祖守護獣(かみさま)だったから。

 天羽奏は、既に違う人を好きになっていたから。

 二人の初恋は、心に生まれたその瞬間に負けていた。

 

 そして、その初恋は死別に終わる。

 カストディアンは、ロードブレイザーに。

 天羽奏は、ロードブレイザーの端末に。

 フィーネも、ゼファーも、想いを告げられないままに初恋を終わらせた。

 

 だから、この二人の間にだけ共有される想いがある。

 皮肉にも、おそらくは今この世界でたった一人だけ、ゼファーだけが、フィーネの想いの共感者だった。『理解』できる者ならば居るかもしれないが、『共感』できる者はそう居まい。

 

「同じ想いを抱けるのなら、俺達はきっと、手を取り合えます」

 

 フィーネが目の前のゼファーだけでなく、その背後に立つ皆も見る。

 彼の後ろには、エクスドライブが解除された三人の装者。

 そして戦う力を持つ者に、力をくれた戦えない者達。

 ……全員の心が一つになっていると、フィーネは感じた。

 助け合うからこそ生まれる力がそこにあると、フィーネは思った。

 

「親は子を助けられる。そうでしょう?

 友は友を助けられる。そうでしょう?

 道端で転んだお爺さんに手を差し伸べる。誰にだって出来るでしょう?

 きっと誰だって、誰かを助けられる力は持ってます。そこに貴賎は無い。

 間引くだなんて、悲しいこと言わないで下さい。皆きっと、あなたの助けになってくれます」

 

 誰も見捨てず、全員で助け合いながら明日へと向かおうとする。

 ゼファー・ウィンチェスターは、どこまでもブレない。

 フィーネが見渡してみれば、二課の裏切り者でかつとんでもない被害をもたらした竜の化物であったというのに、"しょうがねえなあ"と受け入れる空気が出来ていた。

 フィーネに明確な敵意を向けている者も居るが、その上で"しょうがねえなあ"と自分を納得させようとしているのが、その表情から伺える。

 

「風鳴翼。お前は私を受け入れられないはずだ。

 私はお前が天羽々斬に触れた時に発されたアウフヴァッヘン波を受け、目覚めた。

 その時に過去の櫻井了子を塗り潰した。私とお前は……その始まりからして相容れない」

 

「……それは、きっと私の罪なのだろう。

 私は、そこまで寛容な者ではない、と思う。

 奏の時も、立花の時も、受け入れることを拒んだのは私だけだった気がする」

 

「……」

 

「それでも、私はあなたを信じたい。

 あなたと過ごしてきた十二年の全てが、嘘ではないと信じたい。

 私とあなたのどちらが悪い、罪がある、咎がある……そんなことを、理由にはしたくない」

 

 翼が真っ直ぐに目を見ながら、フィーネに手を差し伸べる。

 

「クリス、お前は……」

 

「あ? 拒絶して欲しいからって手軽に拒絶してくれそうな奴に声かけてんじゃねえよ」

 

「……」

 

「……仲違いしたけど、あんたのことは嫌いじゃなかったよ。

 今思えば騙されてたんだろうけど、あんたはあたしに道を示してくれた。

 力をくれた。時々、優しくしてくれた。あんたは、悪いだけの奴じゃない。

 良い人悪い人の二種類だけで割り切れるほど、人間は簡単じゃねえだろ」

 

 クリスが顔を逸らし、気恥ずかしそうにフィーネに手を差し伸べる。

 

「私、了子さんともっともっとお話したいです。

 もっともっと仲良くしたいです。

 間違えたって、壊れたって、ここからやり直せばいいと思います」

 

「……立花、響」

 

「戻って来てください!

 皆受け入れてくれますから、へいき、へっちゃらですよ!」

 

 フィーネを倒すためではなく、分かり合うために戦ってきた響が、何度目かの手を差し伸べる。

 

「私は、お前が嫌いだ。人の模造品」

 

「俺は、あなたのことが大好きです。ずっと、姉のように思っています」

 

 ゼファーが、自分の存在全てを否定してきた相手に、手を差し伸べる。

 

 四人は、それぞれが別々の形でフィーネ/櫻井了子と関わってきた。

 その全員が、彼女に手を差し伸べている。

 それは、一人の人間が見たフィーネの一面だけを受け入れる行動ではない。

 複数の人間がフィーネを受け入れなければ、形にはならない行動。

 フィーネの全てを受け入れるという、四人の優しい意思表示だった。

 

 差し伸べられた四つの手。

 迷いなどない、力強き四本の腕(ワイルドアームズ)

 それは、大昔にフィーネが転げ落ちた光の道に、彼女を引き上げてくれるかもしれない手。

 いかな偶然か、この瞬間、朝日が昇る。

 東を背にしていたゼファー達の背後から光が差し、まるで彼女を日の当たる道へ導こうとしているかのようだった。

 西風も吹く。

 ゼファー達と向き合う位置に居たフィーネの背を、押すように。

 

 彼女は彼らの手を取ろうとするも―――思い留まり、手を取る素振りすら見せなかった。

 

「……私は、お前達の手を取りはしない」

 

 フィーネの目の前にあるのは、人と人が助け合うことで繋がる人の輪。

 "痛みこそが人を繋ぐ"と信じるフィーネが、そこに自分が加わることを認められない輪だ。

 彼女は転生を繰り返し、人類史の中で人の愚かさを幾度となく見てきた。

 人が善意だけで繋がることを信じられず、けれども人は繋がれないと割り切ることも出来ず、こじれた信念を抱くようになったフィーネ・ルン・ヴァレリア。

 

 『人の弱さと愚かさ』を信じるフィーネは、彼らの助け合いの輪がいつか崩壊するものにしか見えず、その手を取れない。

 

「人は、絶対に愚行に走る。人が悪だからではない……人は、弱いからだ」

 

 そんなフィーネに、ゼファーは微笑みかける。

 彼もまた、人の弱さと愚かさを信じている者だ。

 されど、フィーネとゼファーには決定的な違いがある。

 フィーネは、人のほとんどが己の弱さと愚かさに負けてしまう者であると思っている。

 ゼファーは、どんなに弱い人間でも、その弱さに打ち勝てる可能性はあると信じている。

 

「弱くたっていいじゃないですか。

 誰だっていつまでも弱いままじゃありません。

 俺みたいに心が弱い奴でも、人並みにはなれました。

 『人類』という大きな括りでも、人はきっと強くなれます。成長できます」

 

「だから、それを理由に弱い者を守るというのか……? いつか強くなれる、その日まで」

 

「違いますよ。

 確かに、弱い人が強くなれる日まで守りたい……そうも思います。

 でも弱いから守る、なんて動機だけで頑張れるほど、俺は良い奴じゃないです。

 守る理由は、大好きだからです。俺は皆が大好きなんです。だから守る、それだけです」

 

「―――」

 

 そうだ。

 助けるということ、そこに"強い者が弱い者を助ける"という理由しか無いのなら。

 弱い者が強い者を助けた今日の光景は、ありえない。

 好きだから助ける。彼のその生き様が形になったのが、今日の戦いだ。

 ゼファーや響といった個人、あるいは名の知られた英雄(ヒーロー)、あるいは自分のために頑張ってくれる人に向けられる、力無き皆が抱いた好意。

 弱者は弱いままに、強い意志でナイトブレイザー達を助けた。

 

――――

 

「笑ってくれればそれでいい?

 誰が笑ったの?

 誰の笑顔を守ってるの?

 貴方が守った笑顔って、どれ?」

 

「ゼっくんがあんなに傷付いて、私は笑えなかったよ?」

 

「あなたの言う『みんな』って、誰と誰と誰のこと?」

 

――――

 

 それはあの日、未来が問い、ゼファーが答えられなかった命題から生まれた答え。

 

「俺は『生きているみんな』の命と笑顔と幸せを、守りたい」

 

 『みんな』は、生きとし生ける全ての命。

 今日の光景は、その答えが形になった光景だ。

 

 命題の答えは、"愛"。

 

「その『みんな』の中には、あなたも入っているんです」

 

「……お前は私さえ、守りたいと……?」

 

「はい」

 

 弟が姉に向けるような"愛"に、フィーネの瞳が揺れる。

 

「それに、これは俺一人だけの想いじゃない。

 現代にまで魂を残していたあの人から、託された想いでもあるんです」

 

「……?」

 

「ロディさんの最期の言葉……あの人からの、伝言です」

 

「―――な、に?」

 

 そしてゼファーは、『本物のゼファー』であるかどうかの確信すら持てない彼は、『本物の弟』である彼の伝言を彼女に伝える。

 

「『幸せでした。

  何度生まれ変わっても、貴女の弟に生まれたいと思うくらいに。愛してます、姉さん』」

 

「……ぁ」

 

 真偽など、疑う余地もない。

 ロディは最後に残された魂の全てを込め、その言葉を紡いだ。

 ゼファーはその言葉を聞き、それをそのままフィーネに伝えた。

 言葉はただの文字列ではない。

 歌が、ただの音の集合体ではないのと同じように。

 

 ただの言葉と魂を込めた言葉は、同じ文字列でもまるで違う。

 魂を込めた言葉なら、その言葉が人伝のものであったとしても、受け手の魂を響かせる。

 まして、この言葉に込められた想いは『愛』。

 弟から姉に向けられた、純粋な愛だ。

 

 フィーネは、ずっと思っていた。

 ロディは、自分の弟にならない方が幸せに終われたんじゃないか、と。

 血の繋がりがなくたって、家族になってくれたロディ。

 そんなロディが戦うことを決めた最初の理由が、自分を守るためだと彼女は知っていたから。

 弟が、姉のために戦うことを決められる優しい子だと、知っていたから。

 心のどこかで後悔していたのだろう。

 ロディと、家族になったことを。

 

 (ロディ)は、そんな(フィーネ)の理解者だった。

 だからこの言葉を、最期に残した。フィーネの最後の救いになる、この言葉を。

 愛は言葉に乗り、フィーネの胸の奥に響き。

 

 一万年近くもの間、一度も流していなかった涙を、彼女に流させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『良い結末じゃあないか。ならば、祝いに凄惨なフィナーレをくれてやろう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは色のない悪意。

 人が道端で虫の親子の触れ合いを見て、何の意味もなく踏み潰すようなもの。

 そこに意味はなく、損得感情もなく、何の苦労もない。

 強いて言うならば、思いつき。

 それだけを理由にして、魔神・ロードブレイザーは解けかけの封印の中から、人類をこのタイミングで滅ぼすことを決めた。

 

 ゼファー達が手を伸ばし続けた想いを、フィーネの感涙を、踏み躙りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、地球上のどの位置からでも見えるほどの数の焔球が現れた。

 地球上の全てを覆い尽くすように。

 地球上の全てを地球ごと焼き尽くすかのように。

 総体積で言えば地球よりも遥かに大きいと言えるほどの数の焔球が、地球を取り囲んでいた。

 

「空が、燃えてる……?」

 

 世界の全ての国々で、人々が呆然と世界の現状を口にする。

 "空が燃え尽きる"。

 "世界が燃え尽きる"。

 誰もがその確信を持った。

 何故ならば、人類が覚えていなくとも、人類が受け継いできたその遺伝子は、『あの魔神の恐ろしさ』を忘れてはいなかったからだ。

 

「ひっ」

 

 空を見上げて、失禁する者も少なくはなかった。

 

「今、夜だよな……な、ななななんで、真っ昼間より、明るいんだ……?」

 

 今の時間帯に夜であった国々は、太陽よりも大きな光と熱を放つ火球の存在に、身を震わせる。

 

「た、太陽が、見えない……」

 

 今の時間帯に昼であった国々は、太陽光ですら吸い込み焼き尽くす焔と、その焔のせいで昼間の空が夜空のようになり、その上で昼間以上に明るい現状に目を見開いた。

 

「世界が……終わる……」

 

 心弱い者達は、本物の魔神の焔を目にしただけで、失神寸前にまで追い込まれていく。

 焔が地表に近付くにつれ、焔が直撃してもいないというのに、病人や老人といった生命力の弱い者の中には、焔の力に"当てられ"て死に近付き始めた者まで居る。

 世界や宇宙を終わらせるにたる熱量が、そこにはあった。

 

「バカな、もう封印が!?」

 

 フィーネは気付く。

 ロードブレイザーの封印は、自分の予想以上に弱まっていたのだということに。

 魔神がその気になれば、一両日中に封印内部から出て来ることも可能だろう。

 封印越しに地球を攻撃できたのがその証拠だ。

 

 ロードブレイザーは、おそらくは全力で暴れればもっと早く出て来ることもできただろう。

 ここで攻撃を行わず、明日か明後日に悠々と封印を破壊して復活し、世界と人類をゆっくり滅ぼすことも出来たはずだ。

 魔神のこの行動に、人が追い求めるような合理性は一切ない。

 全ては気まぐれだ。

 気まぐれで、道端の虫を踏み潰すような感覚で、魔神は世界を滅ぼせる。

 

「ロード、ブレイザー……!」

 

 魔神の封印を解いてしまったのは、ゼファーだ。

 その責任は自分が取らなければならないと、彼は自分に言い聞かせる。

 だがこの絶対的な滅びを前にして、何をすれば抗えるのか。

 人類をゆっくりと絶望させながら滅ぼすためか、焔球が落ちて来る速度自体は遅い。

 この状況で、ゼファーとフィーネは考えに考える。

 

「―――」

 

 その瞬間、フィーネの脳裏に、たった一つの打開策が浮かぶ。

 その瞬間、ゼファーの脳裏に、たった一つの打開策が浮かぶ。

 

 先に動いたのは、フィーネだった。

 

「!?」

 

 彼女は表情を一瞬で険しいものに切り替え、デュランダルを拾い上げる。

 そしてネフシュタンが乖離しかけている右腕と、デュランダルを一体化させた。

 融合症例でなくなりかけているその体で、フィーネは心臓のグラウスヴァインと右腕のデュランダルを共鳴させ、空に振り上げる。

 

「今からでも、遅くはない!

 月に仕込んだ仕込みを起動し、月を落とし、この日のために用意した力で焔球を吹き散らす!

 魔神が完全に復活する前に……カ・ディンギルが無くとも、計画は実行するッ!」

 

「了子さん!」

 

 響が叫ぶも、フィーネは響の方を見ようともしない。

 翼も、クリスも、剣と銃を手にしながら迷う。

 世界の全てを守りたいのなら、フィーネも魔神もどうにかしなければならない。

 魔神の焔をどうにかできないのなら、ここでフィーネを止めてしまうと未来がない。

 

 だがここでそんな大規模な力を使ってしまえば、周囲に放たれる力はどれほどの規模になるか。

 想像するだけで恐ろしい。

 まず、この場に居る人間はゼファー達四人以外は全員死んでしまうだろう。

 ゼファーは、直感的にそれを理解していた。

 

 世界の終わりを前にして、彼ら彼女らは決断を迫られる。

 

「はははははははははッ!」

 

 月落としとは別の打開策を持つゼファーは、一つの決断を迫られ、結局。

 

(――俺は――)

 

 中途半端な、決断をした。

 

「……ご、ふっ」

 

「……え? ……ゼっ、くん……?」

 

 フィーネの口から吐かれる血の塊。

 呆然と彼の名を呟く響。

 息を呑む、それ以外のこの場の全員。

 

 ゼファーは一瞬でアクセスを終え、ナイトブレイザーの手刀にて、フィーネの心臓……力の源泉たるグラウスヴァインを掴み出していた。

 

「……っ」

 

 仮面の下から僅かに漏れた、しゃがれた声。

 ゼファーは仮面の下で泣いているのだろう。

 フィーネはゼファーに心臓を抉り出され、自分の目的を果たす前に殺されたというのに、何故かゼファーに恨みの言葉一つ吐かぬまま、優しく微笑む。

 

「なんて顔をしている。覚悟をもって、その決断をしたのだろうに」

 

 フィーネには、その仮面の下の泣き顔が、しっかりと見えていた。

 

「私は普通に殺されても転生する。

 何度でも、お前達が認められない犠牲を前提とした手段を選び続ける。

 ……だが、それにも例外はある。お前の焔に焼き尽くされれれば、私は転生できない」

 

「……」

 

「世界の後顧の憂いを断つなら、私を魂ごと焼き尽くすべきだった。

 理想に酔ってそれに殉じるならば、私に手を出さず世界と心中するべきだった。

 欺瞞か、先送りか、それともまだ分かり合いたいという未練か?

 他の誰の手も汚させないという決意か?

 私が次の転生先の人間を塗り潰しはしないと、稚拙な信頼を私に向けておいて、か」

 

 ゼファーはフィーネが月を落とそうとするのを見て、それを理由に彼女をどうしようもない人間と断じることができず、フィーネを完全に殺し切ることができなかった。

 かといって、彼女は殺さず止められるような凡俗ではない。

 月落としによる極大災厄の発生も、ゼファーが認められるわけもない。

 この結末は、必然の結果だった。

 

「何故、私を完全に焼滅させなかった」

 

「……分からない、分からないんだ……」

 

 仮面越しにその表情は伺えない。

 だがゼファーの漏らす声を聞けば、誰もが気付くだろう。

 彼は仮面の下で、大泣きしているのだと。

 

「分からないのなら、教えてやろう。それは――」

 

 フィーネは、了子だった頃と同じ微笑みを彼に向け、優しく抱きしめる。

 

「――『愛』よ」

 

「……え?」

 

「モノが泣くものですか。モノが愛を持つものですか。

 涙を流さないヒトはモノに等しく、涙を流すモノはヒトに等しいわ。あなたは人間よ」

 

 合理を追求するのなら、彼はここでフィーネを焼滅させるべきだった。

 あれだけ説得を繰り返してなお、彼女は大きな犠牲を伴う選択を躊躇わなかったのだから。

 けれど、ゼファーはそうしなかった。

 できなかった。

 あくまで彼は、フィーネの存在を終わらせるのではなく、止める選択を選んだ。

 

 フィーネを手にかけたことで仮面の下で泣くゼファーを抱きしめ、肯定する(フィーネ)

 

 あなたは人間だと、彼女は彼に囁き続ける。

 

「弱く、脆く、決断に迷う、一人では何もできない、間違えながら成長する……ただの……」

 

 ごふっ、とフィーネが血を吐く。

 

「了子さん!」

 

 響が駆け寄り、フィーネに肩を貸すも、心臓を抉り出されては彼女ももう長くはないだろう。

 それでも、元融合症例の生命力か。フィーネにはまだ、言葉を紡ぐ時間があった。

 

「ごめんなさいね、もう少しだけ、肩を貸して頂戴」

 

「は、はい、でも、了子さん……」

 

「大丈夫」

 

 その時、ゼファーが抉り出したフィーネの心臓、グラウスヴァインの心臓と一体化したそれが、ゼファーの手の中で光り出す。

 ゼファーが驚くも、光は一瞬で消えてしまった。

 代わりに、彼の体に力が漲る。

 体の中に、聖遺物三つ分の力が極めて安定した形で注がれた感覚を、彼は覚えていた。

 

「あなた、まさか、わざと……?」

 

 フィーネの真意を察し、ゼファーの声が震える。

 つまり彼女は、月を落とすつもりなんて無かったのだ。

 

「あなたの策なんてお見通しよ。

 どの道、このタイミングで月を落としたって間に合わない……

 この状況で私を倒してどうにかできる手段なんて、"たった一つ"しかないでしょう?」

 

 誰もが、フィーネは本気で50億の人間を殺す災厄を起こすものだと思っていた。

 誰もが、フィーネは本気だと思っていた。

 だが、忘れてはならない。

 彼女は二課の誰にも自分の裏切りを十年以上気付かせなかった演技派なのだ。

 自分を偽って見せる経験ならば、数千年の年季がある。

 

 デュランダル、ネフシュタン、グラウスヴァインの力をかき集め、融合症例としてそれらを増幅し心臓を媒介として、ゼファーに受け渡す。

 ゼファーの性格をよく分かっているフィーネの策は、ここに成った。

 

「そのために、俺に焼滅させられるのも覚悟で、一撃を受けたんですか……?」

 

「……さあね」

 

 今のゼファーの中には、フィーネが残した力がある。

 それが、ゼファーとフィーネが同時に思い至った"たった一つの打開策"を可能とさせる。

 フィーネは響に肩を借りたまま、翼に向き合う。

 

「翼ちゃん、仲間を支えなさい。

 この子達は……きっと、支えた分だけ支え返してくれるわよ」

 

「はい」

 

 昔の弱気で内気だった風鳴翼はもう居ない。

 それを確かめ、フィーネは次にクリスに向き合う。

 

「クリス。前のあなたは、たいそう見苦しかったわ。……それだけよ」

 

「へっ」

 

 言外にクリスの成長を褒めるフィーネ。

 少し前までの、戦火への憎悪や大人への不信に囚われ、他人にいいように利用されるだけだったクリスはもう居ない。次に向き合うは、イチイバルとアースガルズ盗難時の因縁がある天戸。

 

「天戸さん、イチイバルとアースガルズの……」

 

「謝るんじゃねえ。謝ったら、許したくなるだろうが」

 

「……」

 

「何も言わずに行きな。今日は俺も、仲間として見送ってやる」

 

 訃堂、弦十郎、八紘、翼と、風鳴の三世代の全てと繋がりのあった天戸。

 彼はクリス失踪の一件で気を揉んだこともある。言わば、今日までフィーネがして来た暗躍のツケを食らってきた人間の代表と言うべき人物であり、彼もまた諸々の事件の黒幕に相応の罰を与えてやると息巻いていたのだが、何故だろうか。

 フィーネ本人を前にして、天戸の中に、そういった気持ちは不思議と浮かんで来なかった。

 彼女は天戸に頭を下げ、大怪我を負ったせいか腰を下ろした弦十郎の前に向かう。

 

「弦十郎君……いや、なんでもないわ」

 

「ああ。俺も、言うことはない」

 

 二人の間に言葉は無い。

 言葉を交わせば、言葉を交わさないことよりもずっと多くのことを伝えられるだろう。

 だが、それでも二人は言葉を交わさない。

 "伝える"ことを選ばない。

 フィーネは歯を食いしばり一課、二課、一般市民の皆が入り混じった集団に向けて言葉を残す。

 

「あなた達、これだけは覚えておきなさい。

 もう無力な人間がそれを言い訳にして、世界に危機に『他人事』で居られる時代は終わった。

 足掻きなさい。この世界の人間の大半が、世界の未来に対し無責任になれば……

 その時こそ、世界は終わる。

 この世界に生き続けたいのなら、住み続けたいのなら、家賃を払う覚悟を決めておきなさい」

 

 全員の顔を見渡し、全員が世界に住まう家賃を踏み倒す気がないことを確認し、フィーネは心中でほっとする。

 空を見上げれば、もう雲の多くが焔に飲み込まれていたところであった。

 時間が無いと認識しつつも、フィーネは最後に、響に向き合う。

 

「響ちゃん」

 

「……はい」

 

「あなたのやり方は、未熟で青臭いけれど……きっと、間違ってはいないわ」

 

 そしてフィーネは、響の手を取り、重ねた手を響の胸に軽く押し付ける。

 

「―――!」

 

 繋いだ手から伝わるもの、重なる手から胸に伝えられるものがある。

 

「何が正義か、何が悪か分からなくなっても、これだけは覚えておいて欲しいの。

 人と分かり合おうとすることは、絶対に間違いじゃない。

 それだけはいつの時代でも、どんな場所でも、絶対に正しいことなの。だから――」

 

 手を差し伸べ続けた響の行動は、倒すためではなく分かり合うために戦った響の想いは。

 

「――胸の歌を、信じなさい」

 

「……りょうこ、さん……!」

 

 無駄では、なかった。

 涙を流す響につられ、二課で了子と仲の良かった面々や、翼やクリスも涙を流し始める。

 フィーネがこの時代に転生するなどという保証はない。これが今生の別れとなる可能性が高い。

 だが、そうでなかったとしても、彼らは泣いていただろう。

 人が死ぬということは、ただそれだけで、悲しいことだから。

 

 フィーネは響の頭を撫で、ゼファーの前に歩み寄り、その胸に手を当てる。

 

「……顔を見れば覚悟は分かるわ。けど、本当にいいのね? 対価は優しくはないわ」

 

「それだけの価値がありますよ。この世界にも、この世界に生きる人の命にも」

 

 フィーネにしかできない、フィーネしか知らない、アガートラームのリミッタープログラムの解除コードが、物理入力と音声入力の両方でナイトブレイザーに入力される。

 

聖剣・限定解除(エクスドライブ・アガートラーム)

 

 するとナイトブレイザーの全身の黒色が消え、その全てが銀に染まる。

 それはアガートラームの銀を黒く染めていたネガティブフレアが、アガートラームの力の爆発的な増大により、ナイトブレイザーの外見に干渉することすらできなくなったことを意味していた。

 アガートラームの秘められた力が開放される。

 銀一色になった鎧の胸に拳を叩き付け、フィーネは命じる。

 

「制限時間は一時間。その一時間で、世界を救ってきなさい!」

 

「はいッ!」

 

 力強く返って来たゼファーの返答に、フィーネは微笑む。

 ゼファーもまた、仮面の下で笑顔を返す。

 それが、彼女が残した最後のものとなった。

 

「それじゃ……いつかの未来、どこかの場所で。次に会う時は、平和な空の下で……」

 

「だと、いいですね」

 

 フィーネの体が風化し、砂のようなものになり、西風に吹かれて運ばれていく。

 

「……あ……西風……あの子が好きだった、希望の風……」

 

 言葉が風の中に消え、彼女の体が消え去った後には、四つの完全聖遺物のみが残されていた。

 

 誰かの泣き声が、空に響く。

 

 ゼファーはフィーネから受け取った想いを噛み締め、"あなたは人間よ"という言葉を噛み締め、ただ佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この星の最後の希望は、ゼファーに託された。

 

「ゼファー、私達のギアの最後の力だ」

「お前を信じて、お前に全部賭ける。負けんなよ」

「託したから!」

 

「ああ、任せてくれ」

 

 天羽々斬、イチイバル、ガングニールの残るフォニックゲインの全てがナイトブレイザーへと注がれ、三人の変身はとうとう解除されてしまう。

 文字通りに、皆が全ての力と希望を彼に託した形。

 

「行ってきます」

 

 ゼファーが二課の皆に向かってそう言うと、弦十郎を始めとした皆が頷く。

 彼らもまた、ゼファーの勝利を疑っていない。

 

「帰って来なかったら、ずっと泣くから。思いっきり泣くから。

 一生引きずるから。……それが嫌なら、絶対に、絶対! 帰って来て!」

 

「ミク、何か怖いぞ……? 大丈夫、ちゃんと帰って来るから」

 

 未来を始めとして、一般人の皆にも声をかけるゼファー。

 英雄の勝利と帰還を信じない者など、そこには誰一人として居ない。

 

(……さて)

 

 ゼファーは空を見上げ、地球を消滅させて余りある魔神の焔を見上げる。

 そして目を閉じ、地球上の全ての人間の声を聞き届けた。

 絶望があった。

 悲嘆があった。

 諦めがあった。

 ゼファーは地球の全ての人間の心の声と想いを受け止め、その負荷に歯を食いしばりながら、地球上全ての人間と繋がった想いのラインを通して、自分の声を皆に届ける。

 

『生きることを、諦めるなッ!』

 

 死を前にして、人々が抱いて当然の想いを、その一言で一つの方向性へと揃えさせる。

 すなわち、"死にたくない"。

 そしてそれが転じた、"生きたい"だ。

 

 彼は死を前にして絶望と諦めを抱きかけていた者達に、"生きたい"という想いを蘇らせる。

 

(これを……束ねるッ!)

 

 その想いの全てを束ね、ゼファー・ウィンチェスターは力へと変えた。

 

「―――アーク、インパルスッ!!」

 

 この星に生きとし生ける全ての命の"生きたい"という祈りを聞き届け、束ね、力へと変え、ゼファーは空へと飛び立った。

 

 その日この星の誰もが、大地から空へと落ちる流星を、心の目で見たという。

 

 流星は空に白銀の軌跡を描き、全ての焔を体当たりで消滅させていく。

 地球を何周も何周もして、地球を押し包む焔の球の全てを叩き落としていく。

 この星に生きる命を、守るために。

 

 彼はその瞬間、この星に生きる全ての命の"生きたい"という想いの代弁者となった。

 

 空を見上げた全ての命は、感謝を込めて自分達の意思を代弁する焔の騎士を仰いだ。

 世界の終わりに立ち向かう英雄の姿が、皆の目に焼き付いていく。

 生きるのに疲れた人々も、苦痛から死を望むような人々も、希望を見出だせなくなった人々も、「もう少しだけ頑張ろう」と立ち上がり、空を仰ぐ。

 生きるのが辛くとも。生きる事に幸せが見出だせなくとも。生きることに希望がなくとも。

 幸せになりたいという気持ちは、希望が欲しいという気持ちは、誰かと繋がりたいという気持ちは―――生きたいという気持ちは、誰の中にだって在る。

 

 だからこそ、生きようとする命の力を束ねるアガートラームは、これほどまでに絢爛に輝く。

 

 全ての焔を叩き壊し、ゼファーはなおも止まらない。

 地球から離れ、更に加速し、拳を振り上げる先は月。

 否、月内部の封印、その更に内部で笑っているであろう魔神だ。

 

「そこで、おとなしく――」

 

 ゼファーは振り上げた拳を、そうして、月の封印とロードブレイザーへと叩き付けた。

 

「――一年くらい、寝てやがれッ!」

 

 アークインパルスとは、アガートラームの最終攻撃機能。

 束ねた想いを増幅し、打ち出す聖剣最大最強の一撃。

 正当な担い手にしか扱えないそれを、ゼファーは不完全な形とはいえ起動し、地球上の全ての命の想いの一部を使い、月の封印へと叩き付けた。

 

 真空が壊れるほどの衝撃、されどその一撃は狙ったもの以外の何も壊さない。

 ゼファーが叩き込んだアークインパルスは、解けかけていた封印を再度補強。

 そして封印の奥に居たロードブレイザーの頬にかすり、その頬をほんの少しだけ切り裂いた。

 

『とうとう、ここまで来たか。ゼファー・ウィンチェスター』

 

「次は、その命に届かせる。ロードブレイザー」

 

 互いの声は互いに届かず、攻撃のみが意思を伝えて、魔神が笑う。

 これはゼファーの宣戦布告だ。

 人類は必ず勝つという、彼の確信を魔神に突き付ける意思表示に他ならない。

 ロードブレイザーの復活は、また先延ばしにされるのだった。

 

 こうして、この日の大災厄は誰も死なずに終幕を迎える。

 

 後にこの日のことは『第二次紅き災厄(ヴァーミリオン・ディザスター)』という名で呼ばれるようになる。

 

 ある者は「この日始まった」と言い、ある者は「この日終わったのだ」と後に語る。

 

 だが、それら全ては余計なことだ。

 ゼファーは魔神の悪意を打ち砕き、皆の下に帰還した。

 涙ながらに抱きしめられ、よくやったと褒められた。

 彼らの物語はまだ続くが、今日のところはこの言葉で締め括ってもいいだろう。

 

 

 

 めでたし、めでたし。

 

 

 




次回、六章エピローグ

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