戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
言葉に出来ない"不気味な熱"を、時折感じられるようになったのは、いつからだっただろうか。
『それがロードブレイザーの熱よ』
自分の頭の中に"これ"が来た時からだろうと、調は思う。
『あれは外界に対しほとんど干渉できない状態でも、運命を捻じ曲げる。
あれの敵対者、あるいは敵対者となる運命を持つ者は、必然的に不幸な人生を歩むでしょうね』
(ゼファーのこと?)
『さて、どうかしら』
外から見れば、調は空母の甲板の端でぼーっとしながら海を見ているだけに見えるだろう。
されど彼女は脳内で、自分ではない誰かと会話していた。
(なんで、こんな気持ち悪いものに皆気付かないんだろう)
『あなたは今はもう、リインカーネイション・システムの保護下にあるからよ。
月読調は既に人の理の半歩外側に居る。
他の誰にも見えない物が見える。救えない者が救える。そういう、特異なものになったの』
運命は放っておけば悪い方向に転がっていくだけだと、誰かが調に囁いている。
『ただでさえ、英雄は死にやすい。
運命で決められているからじゃないわ。そういう風に生きているからよ』
(それって……)
『三流の喜劇より、一流の悲劇で終わる方が世界には"収まりがいい"』
人類史と共に歩んできたフィーネは、多くの英雄と直接の面識がある。
星の数ほどの英雄を見てきたフィーネだからこそ、その言葉には真実味があった。
『それにゼファー君は、人々に望まれていることを肌で感じてもいるでしょう。
アガートラームの機能制限の解除で、想いを感知する力もそれなりに伸びているでしょうし』
(望まれていること?)
『どこかに行って欲しい、ということよ』
(……え)
『英雄を求める想いもあるでしょう。
英雄に憧れる気持ちもあるでしょう。
英雄に向ける好意だってあるでしょう。
けれども、人類という総体で見れば、そうでない感情も多くある』
力の無い人間が、力のある英雄を見て、思う事にも差異はある。
一人の人間の中に、複数の想いが同居することだってある。
『彼は感じているはずよ。強すぎる力を持つ英雄を疎ましく思う気持ちを。
英雄の力に怯え、絶対的な力を持つ個人の居ない平和な世界を求める声を。
絶対的な力を絶対的な悪にしか向けぬまま……
善のまま心変わりせずにこの世界から退場することを求める、身勝手な祈りを』
(じゃあ……)
『望まれているのよ、ゼファー・ウィンチェスターは。
英雄が居ないと倒せない敵を全て打倒し、その果てにこの世界から消えることを』
弱い人間には、世界を滅ぼせる魔神も、そんな魔神と戦える人間も、居ない世界が望ましい。
小動物に、大きな獣が目の前に居る中安眠しろと言う方が無理というものだ。
『最も美しい形は、何も残らない結末』
"皆が望んでいること"を、蔑ろにできない人間が、その祈りを聞き届けてしまえば―――
(力は貸してくれないんでしょう?)
『ええ、基本的にはね』
"調の中の人"はいまだ傍観に徹している。
時たま知識をくれはするが、それ以上のメリットはくれない様子だ。
(あなたの影響で、Dr.ウェルだけ得してるんだけど)
『それは言わないで頂戴。……ゴーレムのマスターコード、まさか盗まれていたとはね』
(盗聴と盗撮だけで盗める方もおかしいんだから、仕方ないのかもしれないけど)
『ゴーレムの制御権を持っている人間がアレというのは、少しマズいわ』
(ブランクイーゼルのみんなも分かってる。
でも現状どうにもできない。
ゴーレムを戦力として運用するために、ウェル博士を排斥できない)
『キチガイに刃物……』
(まさにそれ)
調の中の人の声に申し訳無さが混じり始める。
ほんのちょっとだけ、調の心に親近感が湧いた。
『さて、頑張りなさい』
(言われなくても)
空母に警報が鳴り響く。
調の中の人が予測していた襲撃が始まる。
水平線の向こうから飛んで来るミサイルを見て、調は仲間と合流するため駆け出した。
第三十四話:天下布武 4
二課装者は秋の夜長が明ける時間帯に、ミサイルに乗って出撃した。
クリスがギアより発射した、音速の数倍の速度で飛ぶ一つのミサイルである。
このミサイルは長距離をあっという間に移動可能であり、複数人を運ぶことが可能であり、かつ奇襲にこそその真価を発揮する。
「二課本部と通信がとれなくなってきましたね……」
「ブランクイーゼルのジャミングだろう。気を緩めるな、立花」
一つのミサイルの上で三人の装者が身を寄せ合い飛ぶ内に、敵空母が見えてきた。
「あれだな!」
このミサイルは並みの相手であれば、反応される前にミサイルの速度で一気に知覚外から至近距離まで一気に接近、装者で囲んで瞬殺が可能なスキルだ。
されど、ブランクイーゼルは並みの相手ではない。
「!」
空母の甲板の上に、一人の女性が立っていた。
クリス達がその女性を視界に捉えるのとほぼ同時に、その女性は手にした槍を振り下ろす。
「極大ネガティブ・レインボウ」
女性の名はマリア・カデンツァヴナ・イヴ。
彼女が振り下ろしたグラムザンバーは、km単位の範囲を飲み込むサイズのネガティブ・レインボウを発し、三人の装者を飲み込まんとした。
「飛べッ!」
それに反応し、すかさずクリスはミサイルの上で両肩にミサイルを形成。
ネガティブ・レインボウが撃たれるよりもなお早く、左右に向かってミサイルを発射した。
右に放たれたミサイルに翼が飛び乗り、左に放たれたミサイルにクリスを抱えた響が飛び乗る。
そして高速で飛翔するミサイルのおかげで、三人はギリギリ暗色の虹を回避することができた。
(危ねえ……遠慮も加減も無しか、上等だ!)
ネガティブ・レインボウは海風を飲み込んで消滅させつつ、海面スレスレで霧散する。
翼を乗せたミサイルは右から回り込むように、クリスと響を乗せたミサイルは左から回り込むように、空母に突っ込んでいく。
ミサイルが当たれば、最悪空母は沈むだろう。
「させない、デェス!」
それをブランクイーゼルの装者達が、見逃すわけもなく。
マリアの後ろから飛び出した切歌が翼に向けて、鎌の刃を飛ばす。
同じく飛び出した調もまた、
翼・響・クリスはミサイルから跳んで離れたため当たらなかったが、イグナイトモジュールにより強化された攻撃はミサイルを容易に切断し、空中で爆発させる。
「遊んであげる」
静かに呟く調は響に。
調に続いたクリスは切歌に。
ブランクイーゼルで最も強い装者であるマリアは、二課で最も強い装者である翼に。
それぞれが最適な相手を選び、戦いを始める。
「ぐっ!?」
「クリスちゃん!」
クリスを単独で敵と相対させるわけにはいかない。
彼女は多対多でこそ本領を発揮する、遠距離武器特化の装者なのだ。
だからこそ、響はクリスをカバーしようと動いたのだが……
「わっ!?」
イグナイトモジュールによって強化された調と切歌を、一人では止められない。
調の遠距離攻撃で足を止められ、押し込まれ、切歌に弾き飛ばされてしまう。
弾き飛ばされた響に調が追撃を放つこと響は更に押し込まれ、クリスと響の距離は更に広がってしまい、一対一の状況を余儀なくされてしまう。
「無理してこっち来ようとするな! こっちはあたし一人でしのぐ!」
「でも!」
「デモもストもねえ! ……余計なことを考えてたら、すぐにでも落とされる相手だぞ!」
調が放った小型の丸鋸を響が腕部の武装ユニットで受け流す。
腕に走る痺れ、一発防ぐたびにゴリゴリと削られていく装甲に、響の肝が冷えていく。
切歌が放った大鎌の斬撃を、クリスが大型ガトリング砲で防御する。
だがあっさりと頑丈なガトリング砲は両断され、クリスの肩の端に刃がかすって切れた。
ヤバい、とクリスはフットワークを意識して回避に専念しながら、歯噛みする。
響とクリスは絶望的でこそないものの、覆し難い実力差を突き付けられていた。
天羽々斬VSグラムザンバー。
こちらの戦いは、純然たるスペック差で決着がつこうとしていた。
「―――ッ!」
翼が跳び、暗色の虹を回避する。
甲板の上で舞い散る木の葉のようにひらひらと、誰も真似できないような回避を披露していた。
だが、それでも、ネガティブ・レインボウの前では敗北も時間の問題だ。
風鳴翼はこの時代において最強のシンフォギア装者であると言っていい。
それは飛び抜けた一点があるからではなく、全てにおいて強いという一点に尽きる。
決め手が拳のみの響と近距離戦を吟じても、重火器オンリーのクリスと遠距離戦を吟じても、おそらくはかなりいい勝負が出来るだろう。
その上で油断も慢心もせず、敵の得意な距離を潰しながら戦える。それが彼女の強みだ。
響相手なら飛び道具で隙を作りながら、丁寧に高機動からの一閃で隙を突くヒットアンドアウェイ。クリス相手なら付かず離れずのインファイト。翼はそういう風に戦法を選べる。
近距離を得意とする全距離対応型。
それが風鳴翼という、現代の防人の完成された戦い方だった。
「見事な回避ね、風鳴翼」
「攻めている側が、ぬけぬけと言ってくれる……!」
だが、風鳴翼がこの時代最強の装者であるのなら、グラムザンバーはこの時代最強のシンフォギアである。
「ネガティブ・レインボウ」
七色の彩光が更に七分割され、万華鏡のように四十九の光が織り成す光の檻が形成される。
それら一つ一つが必殺だった。
完全聖遺物時代の宇宙を一撃で崩壊させかねない馬鹿げた最大出力こそないが、それでも出力は並みの完全聖遺物よりもはるかに高く、一撃一撃が最低でも絶唱級だ。
マリアは暗色の虹を四十九に分割して回避困難な包囲攻撃を形成、それぞれの軌道を個別に制御するという絶技を披露する。
高い才能に弛まぬ努力が合わさったそれは、既にフィーネの技量をはるかに超えていた。
翼が運良く回避できていたのは、彼女が血筋に由来しない才能に恵まれた人間でもなく、融合症例というバックボーンも無いがために、数カ月前からあらゆるネガティブ・レインボウ攻撃を想定して、それを回避する訓練を続けていたからである。
鍛錬による必然の成長が、彼女の強さだ。
「ぐッ」
だが、それでも、『瞬殺』の未来を『まだ負けていない』に変えることしかできない。
天羽々斬は全機能を機動力に注ぎ込んでいる。
グラムザンバーは無理せず攻めるだけで圧倒する。
それが絶対的なスペック差というものだった。
絶唱は、高い適合係数を持つ翼でも使い方を誤れば死に至る危険な技だ。
それと同等の威力の技を放ち、分割制御、更には絶え間なく連射までこなし当代最強のシンフォギア装者を圧倒するマリア。
否、当代最強のシンフォギア装者でなければ瞬殺されていて然るべきなのだ。
並みの正規適合者を100とするなら、風鳴翼の実力は2000はあるだろう。
問題なのは、グラムザンバーの性能の前ではその実力の高さですら誤差であること。
そしてマリアの実力も、1800はあるということだ。
(……距離を詰めて、攻める)
翼は回避しつつ、マリアとの距離を詰める。
距離を詰めればそれだけネガティブ・レインボウも当たりやすくなってしまうのだが……受けて立つと言わんばかりに、マリアは虹を放たず、槍を構えた。
そして翼が刀を振り上げ、初の接近戦が始まった。
「はッ!」
翼の卓越した剣技を、マリアは紙一重で回避していく。
グラムザンバーの力に頼らずとも、彼女は自身の技量一つで翼の剣閃を回避できていた。
この時点で、その接近戦の技量が響やクリスのそれを大きく上回っていることが伺える。
翼もまた、マリアの嵐のような槍突きを華麗に回避していく。
受け太刀など許されない。
暗色の虹を纏ったグラムザンバーの刀身は、触れた瞬間消滅させられる必殺の刃だ。
そこに防御手段などあるわけがない。回避するしかないのだ。
両者が剣を、槍を、高速で振るっているのに。
物と物がぶつかる音が一度も鳴り響かないという異常事態。
槍と剣の軌跡の中で二人の装者が舞っているかのような光景。
これでギアの性能さえ拮抗していたら、互いの人生に残る名勝負になっていただろう。
ギアの性能さえ、拮抗していれば。
「がッ!?」
グラムザンバーの一閃をなにがなんでも回避するため、隙を作ってしまった翼の額に、マリアの強烈な蹴りが突き刺さる。
一瞬意識が飛びかけるが、バリアフィールドのダメージ軽減と気合でなんとか耐えた。
しかし隙を作ってしまったのは事実であり、翼は失神寸前の意識を叱咤し、後方に飛ぶ。
脚部装甲の一部が消されたような感覚があったが、翼にそんなことを気にする余裕はない。
翼は甲板の上を転がって、無傷で立つマリアを見つめた。
「本当に強いわね。私が……ガングニールあたりを使っていたら、負けていたかもしれない」
「づっ……ガングニール、だと?」
「もしもの話よ。そうはならなかった、もしもの話」
マリア・カデンツァヴナ・イヴは強かった。
おそらくは、グラムザンバーのような特別なギアを使わずとも翼に比肩するほどに。
ネガティブ・レインボウの扱いに至っては、かつてのフィーネをゆうに超えている。
上位ゴーレムを除いたブランクイーゼルの現状戦力の中でなら、最も強いかもしれない。
(強い……間違いなく強い……!
槍の技も、ネガティブ・レインボウの扱いも、何年も鍛えた者のそれだ。
才能もある。努力の跡も見える。間違いなくいい師にも就いているはずだ。
……これだけ、これだけ真っ直ぐな武を持ちながら、何故……!)
武道は心を育てる、と言う。
鍛錬とは苦しいものであり、それを乗り越えて自分を鍛え上げるという過程は、正しく行うことで人の心を正しく鍛えるものとなるからだ。
自分を磨くことを覚えれば、人はそれなりに真っ直ぐに生きていける。
人の心は武を磨く過程で磨かれ、武は人の心を映す鏡となる。
粗暴な人間は雑な技を使い、清廉な人間は清廉な技を使い、ひねくれた人間は奇技を用いる。
翼の剣は真っ直ぐだ。
響の拳はとても優しい。
ゼファーの技は多くの武術が混ぜこぜになった、清濁併せ呑む心をそのまま表している。
そしてマリアの武もまた、マリアの心を映す鏡だった。
「……何故だ」
翼はマリアの武に、マリアの本質を垣間見る。
だからこそ、解せない。
「それだけ歪みのない武を鍛え上げられるのなら!
これほどまでに真っ直ぐな一閃を放てるのなら!
貴様は、道を外れてはいないはずだ! 良心と自戒を投げ捨ててはいないはずだ!」
こうして刃を交えてなお、翼はマリアが友を力で倒し捕らえるような人間には思えなかった。
世界平和のために少数の犠牲をよしと出来る人間だなんて、思えなかった。
むしろ自分と同じ、人を守る側の人間にしか見えなかった。
「なのに何故、犠牲を許容した選択を選ぶ!
なのに何故、友を傷付けてまでその道を行く!
数え切れない屍を積み上げることを前提として、平和を打ち立てるなどッ!」
翼が剣を通して理解したマリアの本質は、間違ってはいない。
マリアは弱者を切り捨てることにとことん向いていない。
自分が直接手を下していないのに、ゼファーを傷付けたことに罪悪感を感じてすらいる。
彼女がクールで合理的なのは、上っ面だけ。
マリア・カデンツァヴナ・イヴの本質は、ただの優しいマリアなのだ。
だが、それでも、マリアは"その決断"をした。
優しい彼女が犠牲を許容するだけの理由が、彼女がそうしなければ最悪の結末に至るだけの要素が、今のこの世界には存在している。
「あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ」
「……何?」
「あなたのように、誰もが誰かを守るために戦えたなら……
世界はもう少しまともだったかもしれない。
私達が何もしなくても、人は一つになれたかもしれない。でも、そうではないのよ」
彼女は早朝の空に、うっすらとまだ見える月を見る。
魔神ロードブレイザーが封印されている月を見る。
ロードブレイザーは人の負の感情を力とし、負の感情がある限り永遠を約束された魔神だ。
すなわち、人の世に争いがある限り、ロードブレイザーを倒すことは絶対に出来ない。
「全ての人が強くは生きられない。
全ての人が寛容になれるわけがない。
……弱くたっていい。誰かを嫌いになってもいい。
そう誰かが肯定してあげないと、折れてしまう人だってたくさん居る」
人類の未来は、人類が心を一つにした上で、魔神の恐怖を乗り越えた先にある。
ゼファーはいつかの未来を信じた。
いつかの未来に、人は繋がれるようになるはずだと、人の輝きを信じた。
だが、ブランクイーゼルは違う。マリア・カデンツァヴナ・イヴは違う。
彼女らは、良くも悪くも大人だった。
人類が一つになるには劇薬が必要であると、ブランクイーゼルは考えている。
「お前達は……人が弱いまま、人が寛容になれないまま、共存できる未来を目指すと?」
「ええ」
他人に暴力を振るいそうになった時、他人と争いそうになった時、"ブランクイーゼルが来る"という考えが頭をよぎる。それだけで、ある程度の抑止力にはなるだろう。
ブランクイーゼルは核よりも強力で、核よりも容易に使われる力……争いの抑止力だ。
そして抑止力に頭を抑えつけられ、取り返しのつかない一線、後に引けなくなる一線を越えなかった者達が、時間経過で頭が冷えて共存の道を進むこともあるだろう。
それは小規模なもので言えば、大人が子供の喧嘩を仲裁するようなものだった。
大規模なもので言えば、複数の民族を自然に同化させる際のやり口と同じものだった。
すなわち、喧嘩させずに長い間一緒に置いておけば自然と情が湧き、自然と隣に居るのが当たり前になる戦術である。
喧嘩させずに、というのがミソだ。
「それが、守ると決めたはずの二つの命を犠牲にして生き残ってしまった……
今なお生き恥を晒している私が、唯一あの子達に報える道。
あなた達が私達を守ってくれたおかげで、世界は守れたのよと、胸を張って言える道」
「……生き恥」
マリアは自分達が世界を救うことで、自分達を救ってくれたセレナの犠牲には意味があったのだと、この世界に証明しようとしている。
世界を救うための道筋を、奇跡に頼らず組み立てようとしている。
そのために、彼女は生来の優しさを噛み殺そうとしているのだ。
「止められるものなら止めてみなさい……私達が成していることを、悪と呼びながら!」
マリアの覚悟を前にして、翼は自分が彼女の気迫に押され始めていることを自覚していた。
おそらくは、もう三分と食い下がることはできないだろう。
クリスは装者の中でもぶっちぎりに高い火力を持つ反面、弓の聖遺物・イチイバルの特性により近接武器を一つも持っていない。
対し切歌は、イグナイトにより最高の突破力と瞬発力を持っている。
クリスは遠距離戦を得意とする中遠距離タイプ。
切歌は近距離戦を得意とする近中距離タイプ。
相性は、最悪だった。
「デェスッ!」
「近すぎんだよ!」
クリスが二丁拳銃で切歌を撃つも、切歌は素の防御力だけでそれを弾いてしまう。
切歌が接近し、大鎌を振るう。
クリスはその動きを完全に見切った上で回避するが、完全に見切った上で回避したのにかすったのを見て、切歌のスピードと動きのキレに肝を冷やした。
鎌を回避したクリスは、切歌が自分の方に向かって跳んで来た勢いを利用し、切歌の体を踏み台にして後方斜め上に跳躍。
そこで両手の拳銃を大型ガトリング砲に変化させ、腰部ユニットから小型ミサイルを大量展開、そして切歌に向けて一斉に発射した。
切歌はジグザグに動きながら下がり、その全てを回避する。
そしてシンフォギア・イガリマのブースターを吹かし、切歌はまたしても距離を詰めてきた。
(……あたし達のギアと二課のギアじゃとんでもなく性能差があるのに、よく粘る!)
クリスと切歌の相性は最悪だ。
近距離では手も足も出ないし、中距離にまで距離を離しても切歌の攻撃圏内からは逃げきれず、ブースター持ちの切歌の方が圧倒的に速いため、クリスはどうやっても逃げ切れない。
加え、切歌にはクリスを一撃で戦闘不能に出来るだけのパワーがあった。
クリスがまだ負けていないのは、彼女が途方も無い天才だから。それ以外に何の理由もない。
しかし、それでも粘るのが限界だ。
運に、才能に、ゼファーに叩き込まれた近接技能。
全てを費やしてなお、相性の悪さとギアのスペック差は絶望的だった。
クリスが大型ミサイルを発射し、それに乗って離脱を試みる。
切歌が両肩のブースターを全力全開で吹かす。
ミサイルの速度を切歌の速度が一瞬凌駕し、切歌の振るった大鎌がミサイルを切り裂いた。
慌てて跳躍し、爆風に乗ってなんとか鎌の攻撃範囲から逃れるクリス。
(こいつ、こんな使いづらそうな武器で……!)
大鎌の戦闘技術の王道なんてものは、この世に存在しないと言っていい。
大鎌という武器が人類の歴史で広まらなかったのは、ぶっちゃけて言ってしまえば、大鎌が武器としては優れていないからだ。
普通に振れば先端部分を中心としてかなり狭い部分にしか殺傷力が発生せず、重量バランスも悪く、絶妙に弱くて絶妙に扱いづらい。
強いて言うなら奇妙な形による攻勢時の受けられにくさが魅力だが、それだけだ。
暁切歌の武器は、取り回しに最も難儀するアームドギアなのである。
だが切歌は、この大鎌という武器を見事に扱いきっていた。
刃の先端で大威力の点攻撃か、刃で刈り取るように線攻撃か、くるりと回して円攻撃。
彼女が鎌を振るうたび、彼女は反則級の戦闘センスの塊であるクリスを追い詰めていく。
切歌は我流の訓練で大鎌の使い方を習熟し、接近戦の技を身に付けていた。
(大鎌はデカすぎる、重すぎる。
そのせいで細かく隙無く攻撃を刻めてねえ。
うちのガングニールや天羽々斬と比べたら、ちっさい隙がちょくちょく見える。
あの二人なら、もしかしたらこの隙も突けるのかもしんねえが……クソっ!)
マサカリ投法という、野球界で伝説のピッチャーが好んだ投法がある。
足を大きく、かつ大きすぎない程度に振り上げ、それを振り下ろして上半身の動きを加速させる投手の技術だ。漢の技である。
まるで足が巨大な振り下ろされる斧に見えたことから、この名が付けられたという。
切歌は自分の体躯に合わない大きさの大鎌を振り回すため、時にこういったスポーツ技術にどこか似た、大きな足の使い方をする。
細かいステップワークは技術と修練で身に付けるものだが、体重移動の感覚とそこに隙を作らない感覚は完全にセンスに由来する。
切歌は細かく踏み込みながら大鎌を振っての連撃、そして連撃中にコンマ数秒の隙があれば適宜足を振り上げ引いて、振り下ろすように踏み込み体重を乗せた一撃を放つ。
他人に技を教わるより、自分のセンスで組み立てた技の方が多い。
そういう意味ではクリスに近い。
ギアの出力に寄らない、生身の技術。
そういう意味では翼に近い。
暁切歌は、そういう戦闘スタイルで鎌を振るっていた。
切歌の戦い方は上手い。
巧いのではなく、上手いのだ。
翼のような「すごい技術だ」と思わせる巧みさではなく、「こういうのもあるのか」と思わせる上手さを魅せる技。
戦い方が完全に独学な上、考えながら戦うのではなくセンス任せの体重移動が基軸にあるため、本職の近接タイプを相手にすると隙だらけではあるのだが……それでも、十分に強い。
「いい加減、沈むデス!」
「やなこったぁッ!」
鎌の外側の刃が突き出され、刃の突きでありながら、点の攻撃ではなく線の攻撃という奇妙な攻撃がクリスに迫る。
クリスはそれを両手に持っていた大型ガトリング砲、及び腰部ユニットから伸ばしたマシンアームの四つで受け止める。
が、無意味。
切歌の突き出した刃はクリスの四重防御を砂の城のごとく粉砕し、クリスもまとめてふっ飛ばした。クリスの体に刃は届かなかったものの、ダメージはしっかり通る。
「かっ、はっ……!」
クリスは激痛に耐えながらも、地面に転がされないよう踏ん張る。
切歌の攻撃が生んだ衝撃は凄まじく、踏ん張ったクリスが地面を10m近くスライドしていった。
(追撃が―――)
追撃を読んで顔を上げるクリスだが、一撃貰った後ではどうしても反応が遅れてしまう。
顔を上げたその瞬間は、ちょうどクリスの眼前で切歌が鎌を振り上げたところだった。
(一か八か!)
クリスは腰部ユニットを小規模展開。
普段は小型ミサイルを発射するためにあるそこから、極めて速い弾速を持つ煙幕弾を発射した。
昔ゼファーが使っていた、自分と敵の間に爆弾を放り込む捨て身の駆け引き技術だ。
「そいつは、ゼファーが何度か使ってたデス!」
「!」
だが、切歌には通じない。
切歌は肩の多機能ユニットをブースターモードから、ワイヤーアンカーモードにチェンジ。
鎖鎌でもあるワイヤーアンカーで煙幕弾を掴み、ポイっと遠くに投げ捨てる。
そうしてクリスの抵抗を封じつつ、切歌は鎌を振り上げるのも、振り下ろすのも、一切止めてはいなかった。
クリスが切歌の鎌の一撃に吹っ飛ばされてから、ここまで0.1秒。
切歌がクリスの目の前で鎌を振り上げてから数えれば、もっと短い刹那の一瞬の攻防。
にも、かかわらず。
戦闘センスの塊・雪音クリスは、この状況から更に起死回生の一手を打ってみせる。
「アーマーパージッ!」
「!?」
クリスのアーマーが、彼女の体から弾ける。
装者屈指の適合係数が生んだフォニックゲインの圧力により、アーマーは音速の数倍という速度で四方八方に吹っ飛んでいった。
当然、至近距離に居た切歌はその直撃を食らう。
イグナイトにより非常に高い防御力を得ていた切歌はダメージこそ喰らわなかったが、アーマーパージの衝撃によりクリスから離れることを余儀なくされる。
「リビルドッ!」
そして、クリスはギアを再構築。
アーマーパージから再構築までやったのは流石に負荷が大きかったが、クリスは高い適合係数でなんとか成功させ、また仕切り直しにまでこぎつけられたようだ。
「往生際の悪い……」
ゼファー並みに粘るクリスに、切歌が思わず舌打ちする。
舌打ちしたいのは自分の方だと、クリスは沸騰しそうになる頭を必死に冷却していた。
先の攻防で、クリスはゼファーの技を使った。切歌はそれを綺麗に対処してみせた。
まるで、その技をよく知っているとでも言いたげに。
クリスはゼファーに基本の銃技を教わり、共闘の中で彼の技を学んだ。
切歌は強くなるため、それとゼファーを無傷で取り押さえるため、彼の技を研究した。
それは調の研究をちょくちょく覗く程度のものではあったが……それでも、十分過ぎた。
この戦闘中、先程のようなことは何度もあり、そのたびクリスは窮地に立たされていた。
ゼファーの技の片鱗が戦いの中で顔を見せるたび、クリスは追い込まれる。
切歌が過去にゼファーに向けた友情が、クリスが過去にゼファーに向けた友情を絡め取り、クリスに対し何度も何度も不利に働いていたのである。
この要素こそが、クリスに残った最後の勝機を1%から0%へと落としてしまっていた。
「……そんだけ、そんだけあいつのこと分かってんなら、どうしてだ!」
「あいつはこっちで助けるんでお構いなく、デェス!」
クリスは咆哮する。
時折無自覚に出るゼファーの技が綺麗に返されるのは、切歌がゼファーの技を理解しているからだ。友として、彼をちゃんと理解しているからだ。
なればこそ、クリスは怒り銃火を放つ。
「ちげえ! そういうこと言ってんじゃねえよッ!」
助ける、助けないではなく。救う、救わないではなく。
「あいつと歩調を合わせられる道だって、選べたんじゃないかって言ってんだよ!」
「……っ」
犠牲を前提とした選択を選ばず、共に歩む道もあったのではないかと、クリスは叫ぶ。
「あたしは、ゼファーの生き方はいいもんだと思っていますが……」
クリスの叫びを聞いて、切歌は手を止め、足を止める。
「綺麗すぎて、もっと余分なもん切り捨てていいんじゃないかとも思う、デス」
「……」
切歌はウェルを思い浮かべる。
クリスはジェイナスを思い浮かべる。
世の中、救う価値のある人間ばかりではないと、彼女らは思っている。
そして切歌は、マリアや調と一緒にナスターシャから聞かされている。
もしもこのままの形で世界が続き、ゼファーが全世界の全ての人間の生存を望むなら……またどこかでもう一度、『アークインパルス』を使わなければならないのだと。
多数のクズを含めた全世界の全人類の生存のため、ゼファーを生贄にする?
そんな選択、選べるはずがないと、切歌は鎌を振るうのだ。
切歌もまた自分の意志で、ブランクイーゼルの世界救済に賛同している。
「ゼファーのやり方じゃないと、残せないものも、あるんだろッ!」
「ゼファーのやり方じゃ何も残らないかもしれない、間に合わないかもしれないんデスッ!」
ゼファーのやり方でないと、残らない人の命がある。
ゼファーのやり方が通ってしまえば、ゼファーの命が何も残らない。
二人は平行線のまま、飛ばした鎌の刃とビームをぶつけ始めた。
勝者と敗者など、既に決まりきっているというのに。
月読調と立花響。
こちらの相性もまた、最悪だった。
二人の相性の悪さの原因はたった一つで、かつとても分かりやすい。
響のギアには飛び道具がなく、調のギアには豊富な飛び道具があった。
《《 》》
《 限界突破 G-beat 》
《《 》》
響の元気な歌が戦場に満ち、響は脚部パワージャッキを使った高速移動で一気に距離を詰めようとする。
しかし調は、イグナイトでパワーアップした足裏のローラーで、距離を詰めさせない。
「っ!」
殴る蹴る以外の攻撃手段がない響に対し一定の距離を取り、調は小さな丸鋸を連射する。
「わ、わわわっ!?」
調の丸鋸は一つ一つが正確無比。
軌道は精緻、速度も速く、威力もある。
響は回避できないと判断し、足を止めて腕部武装ユニットで弾くも、弾くたびに腕が痺れて装甲は削れる。
(受け続けてたら、腕ごと持っていかれる……!)
響は脚部パワージャッキ、腰部バーニア、融合症例の脚力をもって動き回る。
敵に的を絞らせないためだ。
が、響の動きは基本直線的であり、攻撃も防御も点である。
対し調はローラーによる曲線的な移動に、線と面による多角的な攻撃が可能だ。
防御するにしても、回避するにしても、響は効果的な対処を行うことができない。
「ッ!」
調は気合を入れて、大型の丸鋸を二つ響に向かって発射する。
威力も質量も先程までのものとは比べ物にならない。
響は回避が間に合わず、防御しても腕が持っていかれると判断し……自分が立っていた足元、空母の甲板を殴ってぶち抜いた。
「へぇ……」
響は自分が立っていた場所を壊し落下することで、結果的に大丸鋸を回避する。
調が想定していなかったルートだ。ここでなければ、回避は不可能だっただろう。
響の機転に少しだけ驚きつつも、調は流れるように後ろに下がる。
すると甲板の下から、調が一瞬前まで居た所を下から貫くように、響が飛び出して来た。
調は感情の読めない顔で更に下がり、響は今の一撃を決められなかったことに歯噛みしながら、調に絶唱数発分のパワーを込めた必殺の拳を叩き込もうとする。
大きな丸鋸を構えて防御する調に対し、響は真っ向から全力の拳を叩きつけた。
「貫けッ!」
だがその瞬間、調は僅かに丸鋸を動かして打点をズラす。
更にローラーで後方に向かって加速。
丸鋸を保持しているマシンアームを柔らかく動かし、拳の衝撃を受け止める。
結果、響は自分から離れるように動いた調の防御に、打点をまともに当てられなかった打撃を叩き込み、それを柔らかく受け止められてしまうという形になった。
(……嘘ぉ!?)
おそらく、響の手に手応えはほとんど残っていないに違いない。
今の響は、渾身のパンチを柳の葉に叩き込んだに等しい。
大量の力を込めて放ったというのに、その力は調にあっさりと流されてしまっていた。
調は近中遠距離どの距離にも対応できる、器用貧乏タイプだ。
だがイグナイトモジュールで強化された今となっては、器用万能であると言っていい。
何をやってもソツがなく、弱点も欠点も見当たらない。付け入る隙がない。
弱点のない彼女は誰の弱点も突けるし、誰からも弱点を突かれない。
格上や同格に対し優勢になることはあっても、格下に負けることはほぼ無いだろう。
そして融合症例+複数聖遺物の響であっても……イグナイトの力を使う調から見れば、少しばかり格下だった。
「ま、まだまだ……へぶっ!?」
響は更に追撃に踏み込もうとするが、調が右手でヨーヨーを振るった途端、転んでしまう。
何事かと足元を見れば、響の足にヨーヨーが絡まっていた。
調は響ではなく近場にあった金属ポールを狙い、そこにヨーヨーのストリング中程の位置を引っ掛けて軌道を変え、響の足に絡ませたのだ。
(引っ張っても切れない!?)
イグナイトの糸は響の力では切れず、調が左手でヨーヨーを振るえば、響はヨーヨーの糸でがんじがらめに捕縛されてしまった。
もがく響に、調が話しかける。
「あなたが、立花響」
「え?」
調は響をじっと見て、何かを納得したようだ。
「なるほど」
そして何かを思いついた様子。
彼女の脳裏に浮かぶのは、一人ぼっちで牢の中に放り込まれていた一人の友人の姿。
(……まあ、話し相手が一人くらい居た方が気が楽になるかな)
調は響の身動きを封じたまま、響を連れて行こうとする。
もはや身動き一つ取れない状態にされ、響は事実上の敗北を喫した。
翼も、クリスも、響も。
もはや敗北は確定的だ。
ギアの性能に格差があるのに、ここまで粘れたという時点で凄まじい。
敢闘賞を送るべきだろう。
だが負けは負けだ。この瞬間が、何かを変えられる最後のタイミング。
だからこそ、『彼』はこのタイミングを選んだ。
自分が牢から脱出することで、希望が繋がるタイミングを。
ナイトブレイザーが、甲板の下から飛び出した。
彼は飛び出すと同時に目の前のマリアの脇腹を全力で蹴り、手応えからほとんど効いていないことを実感しつつ、戦場の誰もが反応できていない内に戦場がどうなっているかを把握する。
(位置関係は……なら!)
そして蹴られて遠くに飛んで行くマリア、クリスにトドメを刺そうとしている切歌、響を抱えている調と響を縛る糸に狙いを定め、手の指を拳銃を象った形に揃える。
指で作った銃を構えて、誰かが声を上げると同時に、ゼファーはそれをぶっ放した。
「ゼ―――」
「『ガンブレイズ』ッ!」
彼の手の銃から発射されたのは、圧縮された焔の銃弾だった。
焔の銃弾は極めて正確に響を捕らえる糸を焼きちぎり、ブランクイーゼルの装者に着弾した途端に炸裂、大爆発を引き起こす。
「きゃぅっ!?」
そして二課装者が追い込まれていた状況を、一旦リセットしてみせた。
『ガンブレイズ』。
これはゼファーが密かに特訓で開発していた、ナイトブレイザーの新技である。
圧縮されたネガティブフレアは着弾と同時に炸裂し、爆発し、高速で分裂増殖しながら焼夷弾に近い榴弾としての効果を発揮する。
また、ゼファーの意志でただ硬いだけの銃弾とすることもできる。
極めて汎用性の高い技だった。
VS切歌&調戦では、イグナイトを使われる前はガンブレイズを使うまでもない戦いであり、イグナイトを使われた後はガンブレイズを使えないまま負けてしまった。
そのため、これはブランクイーゼルサイドから見れば完全に初見の技である。
更に、この技は銃の技能が活かされる技でもあった。
「やっぱり武器は、銃に限るな」
すなわち、ゼファーが幼少期から鍛えてきた銃の腕が、最大級の武器となる。
ゼファーは翼、響、クリスとアイコンタクト。
すると翼は切歌に向かって走り始めて、響はマリアに向かって一気に跳躍する。
「クリス!」
「応ッ!」
そしてゼファーはガンブレイズを敵に撃ちながらクリスと合流し、背中を合わせた。
「ラインオン・ナイトブレイザー、イチイバル!」
「コンビネーション・アーツ!」
高まる力が、息の合う最高の相棒が、敵を打ち倒す技を成す。
「「 トリガーロンドッ! 」」
クリスの手にした二丁拳銃、二丁拳銃の代用として銃を象るゼファーの両手から、エネルギーの銃弾と焔の銃弾が嵐のように飛んで行く。
いかなグラムザンバーとイグナイトといえど、無視はできない威力と数の攻撃だった。
弾丸の数の割り当ては調に五割、マリアに四割、切歌に一割。
(ゼファーと雪音クリスのコンビネーションアーツ……一番警戒していたはずなのに……!)
マリアが歯噛みするも、一手遅れた事実に変わりはない。
参戦と同時に攻撃して来たゼファーに蹴り飛ばされたことで、マリアは海の上に居た。
不意打ちだったが、効果は抜群。
マリアは海上で足に力場を形成し、海の上に立っていたが、そこに響の追撃が飛んで来た。
「!」
ネガティブ・レインボウ相手に尋常な攻撃は下策。
そう考えた響は自身の全力の拳を海に叩き付け、津波を引き起こした。
津波はマリアを飲み込まんと彼女に迫り、マリアは暗色の虹の行使を余儀なくされる。
「ネガティブ・レインボウ!」
だがそこで、マリアの槍先がガツンと揺らされた。
そのせいでネガティブ・レインボウは津波に当たらず、マリアは津波に飲み込まれてしまう。
「わぷっ……!?」
何が彼女を邪魔したのか?
クリスだ。
彼女がスナイパーライフルを生成・狙撃を行い、マリアの妨害を行ったのである。
「おら、遊んでやるよ!」
首から下が水の下に沈んだマリア。
そんな彼女が水の上に上がって来ないよう、体勢を立て直せないよう、海上から最大火力を叩き込み続けることが、クリスに与えられた役割だった。
水中からでは、真っ当にネガティブ・レインボウを撃つことなどできない。
翼は切歌に接近し、右手に刀、左手に細身の槍を形成して連撃を叩き込む。
「ぐうっ!?」
大鎌使いの切歌には、一撃の重さではなく手数を重視した翼の連撃は捌き切れない。
本来ならばここで勝負が決まっていただろうが、そこはイグナイトの耐久力。
切歌の体に刀や槍がぶつかっても、それらの威力はバリアフィールドで軽減されてしまう。
翼の攻撃はダメージを与えてはいるものの、決定打には程遠かった。
「ならば、倒れるまで斬るッ!」
「舐めんなデスッ!」
切歌は肩の多機能ユニットから鎖鎌のワイヤーアンカーを出し、手足のように操り始める。
その数、八。
切歌は大鎌を防御に、この鎖鎌を攻撃に使い、手数を補い反撃に出る。
そして翼もまた千ノ落涙を放ちつつ、刀と槍に両足の剣までつぎ込んで手数を増やした。
攻撃力と防御力では切歌が勝り、速さと手数と技で翼が勝る。
結果、翼が少し押し込まれつつも、両者の攻防は拮抗する。
「
「!」
「レイザーシルエットッ!」
翼はそこで、ここを決めどころと判断し、押し返すべく切り札を切った。
トリガーロンド発射のため、クリスをすぐにマリアにぶつけるわけには行かなかった。
だがそれでは、マリアが数秒フリーになってしまう。それでは駄目だ。
そこでゼファーは響をマリアに一当てさせて、その後すぐに響とクリスの位置を入れ替え、隙を潰しつつ戻って来た響と共に調を襲う。
「くっ……!」
「ヒビキ、突っ込め!」
「りょーかい!」
一人仕留める。
それがゼファーの考える、この場を離脱する作戦案だった。
元より、二課戦力は地力でブランクイーゼルの戦力には敵わない。
今優勢に戦えているのは、ゼファーの奇襲から始まった流れが途切れていないのと、一度握った主導権を離さないようゼファーが立ち回りを選んでいるからだ。
この流れは長くは続かない。
同時に、これだけの優勢はこれから先に作ろうと思っても作れないだろう。
チャンスなのだ、この状況は。
だからこそゼファーは調を仕留め、調のギアを回収し、すたこらさっさと逃げる算段でいる。
グラムザンバーのマリアはこの状況でも仕留めるのは難しいだろう。
だが、シュルシャガナの調ならば、二対一の状況を作ることで倒すことが出来る。
遠距離武器が怖いのは調とマリアの二人なのだから、この片方を潰すだけで逃げるのはぐっと楽になる。
そう判断しての、調への集中攻撃だった。
(あと四手で、シラベは詰みだ)
ナイトブレイザーとガングニールの集中攻撃を喰らっては、さしもの調もたまらない。
クリスも翼も、格上のギアを相手にして封殺するという無茶振りを完璧にこなしてくれていた。
あとは調を倒し、そのギアを回収し、クリスのミサイルとナイトブレイザーのアクセラレイターの複合移動技で、二課本部まで帰還するだけだ。
「こんなところで、負けるもんか……!」
調が唸るも、響とゼファーの拳の乱打は、既に彼女の処理能力限界を超えつつある。
諦めない二課の精神が、調を打倒した先にある希望を掴もうとしていた。
「らぁッ!」
ナイトブレイザーの蹴りが風を切り、調のヒビだらけだった大丸鋸を粉砕する。
ここで響の一撃が入れば、それで調は落ちるだろう。
ゼファーの参戦から数分と経たず、戦局は逆転。
"これで逃げられる"とゼファーが判断した、まさにその瞬間。
「よくできました」
そう呟くウェル博士が、彼の目に入った。
笑顔で、手を叩いて、嘲笑いながら、彼は呟いていた。
「―――」
何か、歯車がズレるような、そんな感覚があった。
「―――っ」
何故か響がウェル博士の方を向き、その足を止める。
ゼファーの直感が危機を囁く。
「―――ッ!」
『何か』がウェル博士の居た方から飛んで来て、ゼファーが吹っ飛ばされる。
ゼファーの直感が感じ取る危機が、種類を変えた。
"自分と響がまとめて殺される"という感覚が変わる。
"響が殺される"という感覚に変わる。
対処しようにも、ゼファーはウェル博士が居た方向から飛んで来た何かに吹っ飛ばされていて、対処なんてできようはずもない。
「え」
足を止めてしまった響の足元から甲板を食い破り、ゼファーがよく知る怪物が飛び出して来た。
怪物の名は『ネフィリム』。
聖遺物に類するものならばなんだって喰らう、暴食の怪物。
かつてオリジナルのゼファーが殺された日に、彼の死の遠因を作った悪夢。
それが、現れたと同時に、響の胴体を食いちぎった。
「え……?」
信じられない、という気持ちのこもった声が響の口から漏れる。
響は左腕、及び胸の下辺りから腰までの胴体を、ネフィリムに一口で食いちぎられていた。
彼女は意識を保ったままに、自分の上半身が落ちていくのを感じた。
自分の後頭部が空母の甲板に触れているのに、自分の視線の先に、自分の下半身があるのをぼんやりと見つめていた。
立ったままの響の下半身。
甲板に落ち、血に濡れた響の上半身。
響の胴体を美味そうに咀嚼するネフィリム。
そしてそんな響にも、ネフィリムにも興味なさそうに、走るゼファーの動きを注視しているウェル博士。
装者達に至っては、敵も味方も手を止めて、呆然とその光景を眺めていた。
「あ」
響の口から最後の声が漏れ、皆が現状を認識する。
「あれま、下手なリンゴの食べ方のような食い残し方を……
全部食べなきゃもったいないじゃあないですか、ネフィリム」
ウェル博士の平然とした声が、今はただただ、この惨状に不釣り合いだった。
「……た」
真っ先に叫んだのは、風鳴翼。
「立花ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
二年前のライブ会場の惨劇を思い出し、翼はこれ以上なく悲痛に、悲惨に叫んでいた。
ブレードグレイス、使用不能