戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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メリークリスマスッ!


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 未来が響を見つける少し前のこと。

 未来は校内の案内板の前で立ち、何度も同じ場所で視線を彷徨わせている女性を見かけた。

 他人の感情の機微に聡く、それでいて人並み以上にお人好しなのが未来という少女だ。

 彼女は女性の視線の動きから彼女が何に迷っているのかに当たりをつけ、横合いから女性に正しい道順を指し示す。

 

「そこなら、この道を行けば行けますよ」

 

「! ……あら、ありがとう。助かるわ」

 

「いえいえ」

 

 未来は微笑んで女性に軽く頭を下げ、その場を立ち去っていく。

 女性は"資料で見た顔"に少し驚いたものの、相手が自分のことに気付いていないのを理解し、ほっと一息ついた。

 女性は調や切歌のように変装しており、コート・黒髪・分厚い瓶底メガネといった平々凡々な印象を受ける、この祭りに溶け込む変装をしていた。

 

(……あの子、なんだかちょっとセレナと雰囲気が似てたわね)

 

 切歌はハーフだったため、カツラなど最低限の変装をするだけで日本人に見えた。

 だがその女性はコートを着て襟を立て、纏めた髪をコートの内側に入れ、セミロングで黒髪なカツラをかぶった上に、顔つきと肌の色を誤魔化すメイクをしても、なおハーフにしか見えない。

 何故ならば。

 その女性は非日本人的な方向に、あまりにも美しすぎたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三十五話:現実がキミを壊していく 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カーン、と鐘が打ち鳴らされる。

 低評価ですお帰りください、の合図だ。

 

「なんでよー! 学生服来てのど自慢に出て来る人くらいのレベルはあると思ったのにー!」

 

「のど自慢風に言えば鐘一回分か二回分です! お引き取りください!」

 

「『てんてんてんてん、てんてんてんてん、てん、てん、てーん……』

 って11回鐘が鳴るくらいの評価が欲しかったぁー! 無念ーッ!」

 

 弓美と彼女に率いられた創世と詩織の三人チームが、ステージの上で敗退を告げられる。

 評価点が低すぎると一曲歌い切ることもさせてもらえないのが、このステージの無情な所だ。

 その代わり回転速度が凄まじく早く、出場者一人が二分ほどで終わることも珍しくない。

 往生際悪く叫んでいた弓美とその友人二人は、生徒会メンバーに押し出されていく。

 それを見て、未来と並んで座っていた響が笑った。

 

「あはははっ、平常運転すぎる!」

 

 天然で人を笑顔にする天才か何かなのだろうか?

 弓美達はアニメのコスプレをして壇上に上がって真面目くさった空気をいい意味でぶち壊し、真面目な曲の流れにアニソンを歌って真っ向から反逆し、低点数で即退場。

 おそらくあと数年はこの学校で語り継がれるであろう、面白伝説を作っていた。

 

 彼女らが現れてから彼女らが退場するまで、会場には笑顔が溢れっぱなし。

 アニメの曲に「あー」となっている人、苦笑している人、元気な彼女らに感化された人、高い歌唱力を無駄遣いしている弓美達にちょっと笑った人など、笑顔の理由は様々だ。

 彼女らは二分ちょっとしかステージに立っていなかったが、会場は今日一番の盛り上がりを見せているた。

 

 ハードルが上がりすぎて、次にステージに立つ人が哀れになってくるくらいに。

 

 

 

 

 

 切歌と調もまた、この会場にやってきていた。

 一種のコメディアンじみた弓美達の行動に切歌も笑って、調も心なしか楽しそうに見える。

 

「ふむふむ、このステージに勝てば一つ願いを……これは使えるデス!」

 

 なにやらぶつぶつと呟いている切歌を尻目に、調はこっそり周囲を見渡す。

 彼女らの周りにゼファーは居ない。

 彼がどこに居るのか、調の視点ではどうにも見当がつけられなかった。

 秋桜祭勝ち抜きステージの会場はかなり広く、数百人の観客が居て、ゼファーが隠れているのなら見つけるのは難しい。彼がこの会場に居るのかすら、調には分からない状態だった。

 

(今なら、私達が何かしたとしても、ゼファーが止めに来ることはないかもしれない。けど)

 

 ゼファーが二人の監視を外し、二人を自由にするという愚行を犯したのか?

 いや、違う。

 調が横に視線をやれば、そこには風鳴翼が壁に背を預けて立っていた。

 

(暁切歌。月読調。妙な動きをすれば―――即座に、断つ)

 

(物騒なことをしたら、それこそすぐさま血みどろの展開になる)

 

 翼は即座に切歌と調を排除したい。

 だが、行動を起こして万が一失敗してしまえば、最悪の事態も予想されてしまう。

 戦う気のない調と切歌も同様に、翼に能動的に仕掛けることはしない。

 一触即発の空気だが、調と切歌がこの祭りの会場を出て行くまでは、戦いが始まるということはないだろう。

 

 調と切歌が聖詠を口にして、ギアを纏うのが速いか。

 それとも聖詠を歌い終えるまでの一瞬で、翼が二人を無力化するのが速いか。

 前者となるか後者となるか、調にも判断はつかなかった。

 それほどまでに、風鳴翼という個人は強い。

 

 ゼファーがこの二人の近場での見張りを翼に頼んだのは、彼が彼女を信頼しているから。

 響でもなく、クリスでもなく、大人でもなく。彼は翼を信頼し頼んだ。

 翼には、その信頼の相応の"生身での実力"がある。

 

(やっぱり、この連携は油断ならない。

 個の力じゃなくて、群の力こそが特異災害対策機動部二課の強みなんだ)

 

 ゼファーもどこかで見張っているという前提で、遠近二箇所から見張られている前提で考えるべきだと、調は思考する。

 翼に対する警戒も緩めずに、調は会場を再度見渡した。

 

 調と切歌が来る前から、この会場には二課の装者達が集結していた。

 人が多いことからも、ここにウェルが来ている可能性はそこそこ高い……と読んでいたのだが。

 あれだけ目立つ人物が、この会場のどこにも見当たらない。

 

 ゼファーと違い、ウェルが隠れたところでその隠密性はたかが知れている。

 そのくせウェルは190cm前後という高身長だ。

 見つからないということは、彼はここには居ないということ。

 

(……ここにも居ないとしたら、ドクターはどこに……?)

 

 調が顎に手を当てて考え込み始めたその時、ステージに調の知った顔が上がって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弓美達の次にステージに上ったのは、何を隠そう、雪音クリスその人だった。

 ゼファーも、翼も、響も、クリスを舞台に上げる後押しはした。

 だが、彼女をステージに立たせたのはチーム・ワイルドアームズの面々ではない。

 雪音クリスがリディアンに入学してから出来た、彼女のクラスメイト達だった。

 

 名を綾野 小路(あやの こみち)五代 由貴(ごだい ゆき)鏑木 乙女(かぶらぎ おとめ)

 日本に帰って来てから、クリスに初めて出来た"友達"である。

 

 この三人は、翼や響に名を聞いても首を傾げられてしまうような者達。

 二課のリディアン運営担当に聞いても、大半の人間が首を傾げるような者達だ。

 何も特別な素質を持たず、特別な境遇もなく、そのため赤の他人の目には止まらない。

 されど、リディアンの在学生のほとんどと知人または友人であるゼファーに聞けば、クリスをステージに上げたこの三人のことを、少しは知ることができるだろう。

 

 綾野小路は子供の頃は神童と呼ばれていた少女だ。

 だが中学校に入ってから周囲に追いつかれ、神童からただの人という評価に落ち着き、持ち上げられてから落とされるというギャップに一度は苦悩しつつ、ドロップアウトせずに這い上がって来たという過去を持つ。

 五代由貴は両親が音楽家を志し、挫折し、その共感から結婚した二人の間に生まれた少女だ。

 彼女は両親が果たせなかった夢を自分が叶えるために、この学校にやってきた。

 鏑木乙女は小学校の"将来の夢"という作文に音楽家になる夢を書き、その夢をずっと一貫させ、夢を叶えるための努力を積み重ねてきた少女だ。

 期末考査では毎回、彼女が学年トップの座を勝ち取っているほどの努力家である。

 

 この三人が世界の命運に直接関わりを持つことはないだろう。

 この三人の人生が世界の行く末に影響を与えることもない。

 だが、だからといって、この三人の存在や人生に意味が無いなんてことはありえない。

 

 世の中、意味の無い人間など居ない。居なくてもいい人間など居ない。

 誰の人生にも大なり小なりドラマが有り、それら一つ一つが唯一無二の価値を持っている。

 "俺の人生は悲惨だったから平穏な人生を送ってきた奴を見下していい"だなんて論外だ。

 "あいつより私の人生の方が厳しかったから私の判断の方が正しい"なんて暴論にもほどがある。

 "平和しか知らない人間の意見に価値はない"という意見にこそ、真に価値はないだろう。

 悲しい過去を生きて来た人間には、悲しいことにそういうことを考える人間がそれなりに居る。

 

 しかし悲惨な境遇であったはずのクリスは、平和な世界でのほほんと生きていた彼女ら三人に、嫉妬や苛立ちといった感情を感じなかった。

 "普通の少女"とどう接すればいいのか分からず、距離感に戸惑う自分にぐいぐい近寄って来る彼女ら三人に、鬱陶しさを感じなかった。

 終始、自分の過去を理由にして、彼女らを見下したり馬鹿にしたりはしなかった。

 何故だろうか?

 

 ……それはきっと、この三人の少女達が、クリスの求めていたものだったからだろう。

 

 彼女ら三人は、戦いとは無縁なクリスの友人だった。

 戦いに行ったクリスが帰る場所になってくれる少女達だった。

 それは、戦火の中で歯を食いしばっていたクリスがずっと、ずっと、求めていたものだった。

 だからクリスは、彼女らが秋桜祭勝ち抜きステージに出て欲しいと言って来た時、二つの感情を同時に覚える。

 

 恥ずかしいから嫌だ、という気持ち。

 そして友達の期待に応えたい、という気持ちだ。

 

 ゼファーと翼と響に背中を押されて、結果的には良かったのだろう。

 クリスは今、弓美達の歌で最高に盛り上がっているステージに上がろうとしつつ、躊躇い足を止めているが、彼女の足を止めているのは羞恥心のみ。

 クリスは歌うことが好きだ。

 歌を聞いてもらうことが好きだ。

 友達の期待に応えたいという意志もある。

 

 だからこそ、クリスが本当に望んでいることは、このステージから逃げることではなく、このステージに上がる勇気を振り絞ること以外の何物でもない。

 

「……なあ、やっぱあたしは辞退してーなーっていうか」

 

「頑張って!」

 

「わっ、ととっ!?」

 

 ステージ横で躊躇っていたクリスの背を、小路と由貴と乙女が押す。

 クリスはよろけながら、ステージの中央に立ってしまった。

 たくさんの人がクリスに注目する。

 何百人といった数の人の視線を感じ、クリスはすっかり萎縮してしまっていた。

 

 肌で感じられるほどの数の視線が、クリスの身も心も縮こまらせる。

 隣で生徒会の司会者が何か言っていたが、クリスの耳にはどの言葉も届いてはいなかった。

 もはや彼女に見えているのは、自分を見ている大勢の人と、見られている自分のみ。

 

 緊張で手が汗ばむ。

 制服のスカートで手の汗を拭いても、何故か拭えた気がしない。

 皆が息を飲んで、自分の歌を心待ちにしているのが伝わってくる。

 期待しているのが、分かる。

 自分の歌はその期待に相応のものだろうか?

 この観客の人達に答えられるものだろうか?

 一度音程を外してしまえば、頭が真っ白になって歌詞を忘れてしまえば、いやそうでなくったって、自分の歌が皆に気に入られなかったら?

 こんなにもたくさんの人の期待を、友達の期待を、自分は裏切ってしまうのではないか?

 

 そんな思考が、クリスの中を駆け巡る。

 羞恥心に怯えが混ざる。

 足が竦んで、息が詰まって、観客の人はどんな顔で自分を見ているんだろうと、クリスが顔を上げると。

 

 ステージに一番近い最前列の席に、ゼファーが座っていた。

 

「―――」

 

 すっと、何かが消えた気がした。

 もう緊張はない。羞恥心もない。怯えもない。

 少しづつ高揚する気持ちだけが、胸の奥で脈打っている。

 

 ゼファーは真っ直ぐにクリスを見つめていて、クリスも彼に強い視線を返す。

 

 あの目に恥ずかしい姿を見せたくないと、ただそう思って、クリスは心の強さを取り戻す。

 

「……すぅ」

 

 クリスが口を開く。

 彼女が口を開く寸前まで、会場は弓美達が作った空気一色に染め上げられていた。

 なのに彼女が口を開いた直後から、会場はクリスが作った空気に塗り潰される。

 たった数秒。

 クリスが口を開いてから数秒で、観客席の全ての人間が、クリスの歌に呑まれていた。

 彼女の歌に、魅了されていた。

 

「―――♪」

 

 彼女が口ずさむその歌の名は、『教室モノクローム』。

 不器用な少女が、暖かく平和な日常に馴染めない気持ちを言葉にしながらも、自分の居場所がそこにある嬉しさを歌った歌だ。

 適合者の歌には力がある。

 クリスは世界的音楽家だった両親から生まれたサラブレッドだ。

 ……だが、それが無かったとしても、その歌は聞いたものの心を震わせていただろう。

 

(……うわぁ……!)

 

 観客の心の中に、感動が湧き上がって来る。

 思わず小さな声を漏らしてしまい、慌てて口を閉じ、歌の一片たりとも聞き逃さないように再集中しているものまで居た。

 敵であるというのに、切歌と調までクリスの歌に夢中になっている。

 誰もが歌に感じた感動、応援に叫び出したい衝動、歌を聞き逃したくないという理性といった数々の感情を、彼女の歌を通して共有していた。

 

 感情を乗せたクリスの歌は、この会場に集った多くの人達の心を、一つにしていた。

 

(あたしは、笑ってもいいのかな?)

 

 クリスは記憶を掘り返す。

 もう笑えなくなってしまった、もう会えない父と母のこと。

 バル・ベルデの戦場で死んでいった、死に笑顔を奪われた同じ部隊の仲間達。

 そして、フィーネ。

 自分に笑う権利はあるのだろうか。そう思いながらも、歌うクリスには笑顔が浮かんでいる。

 

(あたしは……許してもらえるのかな)

 

 クリスは想い出を蘇らせる。

 戦場で人を撃ったことがあった。

 戦場で人を殺したことがあった。

 ソロモンの杖なんていう物騒なものを再起動させてしまった。

 フィーネに騙され、危うく数え切れないほどの犠牲を出してしまうところだった。

 自分に許される権利はあるのだろうか。

 そう思いながらも、歌うクリスは許されたいと、そう願っている。

 

(あたしはあたしの精一杯で、心から、この場所で、みんなと一緒に)

 

 クリスは前を見た。

 そこには彼女を真っ直ぐに見るゼファーの姿があった。

 父が一人立ちする娘を見るように、兄が立派になった妹を見るように、恋人が夢を叶えた伴侶を見るように、親友が最も親しい友の晴れ舞台を見るように、人が持ちうるあらゆる感情をクリスに向けているかのような目を、ゼファーはクリスに向けている。

 

 クリスは横を見た。

 そこにはクリスをこの場所に連れて来た、三人の友人の姿があった。

 クリスが歌う前は、無理矢理連れて来てしまった罪悪感、授業などで歌を楽しそうに歌っていたクリスへの信頼、クリスがこれから奏でる歌への純粋な期待があった。

 そして今は、ただただ感動がある。

 

 クリスは会場の端を見た。

 そこには暖かな目でクリスを見守る、風鳴翼の姿があった。

 人の心を震わせるアーティストとして、人の命を守るシンフォギア装者として、歌だけで人の心を一つにできる歌姫として、クリスの先を行く『先輩』としての彼女がそこに居る。

 

 クリスは会場の奥を見た。

 そこにはクリスの歌に感動して耳を澄ましている、立花響と小日向未来の姿があった。

 彼女は奇妙な出会い方をした二人の友への感謝の気持ちを、更に歌に乗せていく。

 

(……あるがままに、歌ってもいいのかな……?)

 

 それは、クリスのこれからの成長次第で、世界を平和に出来るかもしれない歌だった。

 

「―――っ♪」

 

 まるで雪解けのように、人の心から争う心を消し去っていく、綺麗で優しい歌だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーにとって、クリスは一つの楔だった。

 あの子を置いて死ぬわけにはいかない。

 あの子が幸せになるのを見届けなければならない。

 あの子の未来に責任を持たなくてはならない。

 子供の頃にクリスに対して抱いた複合的な気持ちは、今ではそういうものになっていた。

 

「クリスを残して逝くわけにはいかない」

 

 それは生にしがみつくという意味では執着に近い、そんな責任感。

 

 クリスの存在は、ゼファーの中でも本当に多くを占めている。

 彼の中を占めている人の存在の数が多いだけでそこまで目立たないが、それでもゼファーを初めて救った少女だ。

 彼女こそが、弱かったゼファーが変わる最初のきっかけだった。

 過去にも未来にも、彼はクリス以外の誰かを魂の相棒と定めることはないだろう。

 

 ゼファーは、クリスが『あたしの帰る場所』と歌詞を口にするのを見て、ほっとする。

 彼は彼女が自分の力だけで、彼女の帰る居場所を得たことを嬉しく思う。

 けれど、同時に寂しさも感じていた。

 

 クリスが自分から離れていってしまうような感覚。

 それは人が妹の独り立ちに、娘の結婚に、恋人との離別に、親友との決別に、仲間との死別に感じる感情と、どこか似たような感情だった。

 彼は思う。

 

「もう自分が居なくても大丈夫そうだ」

 

 と。

 彼は口に出さぬまま、心中で言葉を紡ぐ。

 

「よかった。もうあの子は、一人じゃない」

 

 と。

 歌い終えたクリスが、ステージの上で勝ち抜きステージ新チャンピオンの称号を貰っている。

 ゼファーが嬉しそうに親指を立てると、クリスも同じように親指を立てて返す。

 だが喜ばしいイベントのその裏で、居場所を得て幸せと嬉しさを歌うクリスの姿は、ゼファーが生に執着する理由の一つである楔を、人知れず微塵に砕いていた。

 

 その楔の名は、"ゼファーの存在意義"、あるいは"ゼファーの生きる理由"。

 

(ああ、そうか)

 

 ゼファーはそうして、一つの結論に辿り着く。

 

(だからジェイナスは、英雄を生贄って呼んでたのか)

 

 自分の望む形は、誰かを戦って守る誰かが居なくても、平和で幸せに回る世界なのだ、と。

 ゼファー・ウィンチェスターが望む未来の世界は、争いのない世界。すなわち、ゼファー・ウィンチェスターの力によって守られる世界であるべきではないのだと、彼は気付いた。

 

 人に望まれる英雄は絶対的な魔王、無敵の怪物、悪の帝国と戦い、人々に平和を取り戻す。

 彼らの存在意義は闘争、そして力なき人々が抗えない存在の打倒だ。

 そして、人に望まれる英雄は人を脅かす存在の排除と、闘争がない世界を望む。

 

 戦いが英雄の存在意義であり、人に望まれる英雄は戦いを無くすことを目指す。

 ならば人に望まれる英雄の本質とは、自らの存在意義を消しながら戦うことにある。

 

(英雄は最後に消えるもの、か)

 

 死にたくない。

 まだまだもっと長生きしたいと、ゼファーは強く思い続けている。

 けれどその想いが少しだけ薄まっていく実感も、彼は感じていた。

 

 数ヶ月前、再会したばかりのクリスは"壊すため"に戦っていた。

 戦争の火種を、大人の偽善を、平和にならない世界構造を、そしてフィーネの野望を。

 あれそれが嫌いだ、という行動原理を元に、彼女は銃を握っていた。

 

 けれども今のクリスなら、きっと"守るため"に戦うはずだ。

 友を、仲間を、平和を、帰る場所を、罪なき人々を。

 今のクリスが銃を握る理由は、きっとあれそれが大好きだって気持ちに他ならないのだから。

 

 雪音クリスは、もうゼファー・ウィンチェスターが居なくても立派に生きていける。

 ゼファーが死しても悲しみはすれど、その悲しみを乗り越えて強く生きていくだろう。

 彼はそう確信していたし、それはれっきとした事実だった。

 

 彼は死にたくない。

 けれど彼が死にたくないと思う理由は、この日に確かに一つ減っていた。

 

(クリスも……本当に成長したな)

 

 ゼファーはクリスの退場に合わせ、誰にも気付かれないように会場を出て行く。

 そして、リディアンの屋上に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーは屋上へ続く扉の前に居た緒川に頭を下げ、扉を越えて屋上へ。

 『彼女』がここに来ていたことは、感知していた。

 そのためゼファーは切歌と調の近くにつきつつ、メールで緒川に『彼女』の見張りを頼んでいたのである。メール一本で快く来てくれた彼に、ゼファーは多大な感謝を覚える。

 

 緒川慎次であるならば、時と状況によってはゼファーが見張るよりもよっぽど安全だろう。

 加え、彼には精神的な隙がない。

 緒川に誰にも気付かれない陰の位置に待機してもらいつつ、ゼファーは『彼女』一人だけが待つその場所へと、歩を進める。

 

 そこに、彼に背を向ける形で校庭を見下ろす、マリア・カデンツァヴナ・イヴが居た。

 

「あなたが私達に反発するのは、あなたが奇跡を信じているから?」

 

 マリアは手すりに寄りかかりつつ、ゼファーが来ることが分かっていたかのように、平然とした様子で彼に語りかける。

 

「自分の命が助かるという奇跡。

 力で人を圧せずとも、人が一つになるという奇跡。

 そんな幻想を、信じているからかしら?」

 

 ゼファーは無言のまま、マリアの横で彼女と同じように手すりに身を預ける。

 彼の無言を、マリアは肯定と受け取った。

 奇跡が何度か連続した程度では、ゼファー達の苦境はひっくり返らないだろう。

 まして、努力が奇跡と実を結ぶ保障などどこにもない。

 なのに奇跡を前提として希望を捨てていない彼を、マリアは真剣な顔で糾弾する。

 

「奇跡が起きなければ繋がらない希望を目指すあなたのやり方に、私は賛同できない」

 

「それが、俺達と共に歩めない理由ですか」

 

「それがあなた達と共に歩めない理由よ」

 

 マリアはカツラを外し、顔のメイクを取ってコートも脱ぎ捨てる。

 その胸にはキラリと輝くシンフォギアのペンダント。

 調はここで戦うつもりはないと言っていた。

 だがマリアはどうだろうか?

 ゼファーの直感は、"彼女はここで戦う気がある"と告げている。

 そのため彼もまた戦闘態勢を整え、直感を鋭敏に研ぎ澄ましていく。

 

「あなた達は合理的なのかもしれない。現実的なのかもしれない。

 だからといって、俺もあなた達の犠牲を前提にするやり方には、賛同できない」

 

 歩み寄れないのであれば、戦いに発展する可能性は十分にありえる。

 

「あなた達のやり方では犠牲が出すぎる。

 傷付く人が、泣いてしまう人が出すぎる。

 コラテラル・ダメージで済ませるには、その被害は大きすぎる」

 

 皮肉な話だ。

 ゼファーがレセプターチルドレンを"どうしようもない犠牲"と許容せず、レセプターチルドレンを守ろうと立ったのが、彼が進むことになった英雄の道の始まりだ。

 そしてブランクイーゼルもまた、ゼファーがレセプターチルドレンを犠牲にしない道を探したがゆえに、研究所の大人と子供が和解して、生まれた組織だ。

 

 ブランクイーゼルの皆が居なければ、ゼファーは今の生き方を選んでいなかったかもしれない。

 ゼファーが居なければ、ブランクイーゼルという組織は無かったかもしれない。

 昔、F.I.S.で多くの命を救ったのは、"犠牲を許容しないやり方"だった。

 

「なら、いつになったら人は一つにまとまるのかしらね」

 

 その記憶があるからだろうか?

 犠牲を前提としたやり方をよしとしながらも、語るマリアの顔は、どこか憂いを帯びている。

 

「歴史を見れば分かるでしょう? 時には、力による統一も必要なのよ」

 

「皆が一つになる時は、皆がそう望んだ時であるべきだ!

 力づくで頭を押さえた統一なんて……皆、納得しない!」

 

「その『皆』は何をしているの?」

 

 マリアはレセプターチルドレンの中でも最年長であり、レセプターチルドレンの年少組から見れば母親のような立ち位置に居る。

 母親は時に優しく、時に甘さを捨てた厳しさを見せる。

 彼女はただ甘やかすということをしない。

 彼女は多くの人が誰か一人に一方的に寄りかかる、という構図をよしとしない。

 

「痛みも、苦労も、努力も。

 この世界に生きているのなら。

 この世界で生きたいのなら。

 この世界を生きる権利が欲しいなら、全員で責任を負うべきよ。

 他人事になんてしてはいけない。なあなあにしていい時間はもう終わったのよ」

 

 マリアは優しい女性だ。

 本当なら、誰も傷付かなくていい道を選びたくて仕方がないに違いない。

 だが、そんなマリアから見てもゼファーは、人類というものを"甘やかし過ぎ"なように見える。

 

「一人に押し付けることが許される時代はもう終わり。

 だから私は、皆が傷付きながらも"皆で解決を目指す"道を選ぶ。

 "皆の代弁者となった一人が解決する"道は選ばない。

 この世界に生きている人間全ての問題なのだから、全員が等しく傷付かなければならないわ」

 

「それは、大多数の人間にとっては、降って湧いた理不尽だ!

 そんな理不尽で誰かが傷付くなんて、俺は許容できない!

 誰もが理不尽を背負わなくてもいい結末だって、きっと……」

 

「それは!」

 

 マリアは、ゼファーが目指す『誰も不幸にならない結末』が内包する、根本的欠陥を指摘する。

 

「あなたが周りの理不尽を全部背負ってるから、理不尽が何も見えなくなっているだけよ……!」

 

「―――」

 

 ゼファーは他人に降りかかった理不尽、他人の不幸を消していく。

 それでも消しきれない分は、自分で背負おうとする。

 今の世界の流れが、その例としてはとても分かりやすい。

 マリア達がゼファーの存命中にロードブレイザーを倒せなければ、ゼファーは必ずどこかでアークインパルスを使い、死ななければならない運命にある。

 世界のために、彼は必ず自分の死を選ぶ立ち位置に居る。

 

 それは『誰も不幸にならない結末』ではない。

 最良でも『ゼファー以外の誰もが不幸にならない結末』にしかなりはしないだろう。

 最悪なのは、その選択をした場合ゼファー視点では"誰も不幸になってはいない"ということだ。

 当然だ。自分で自分は見えないのだから。

 

「あなたも、セレナも、なんで望んでそんな道を選ぶの!」

 

 セレナは命を含む自分の全てを懸けて、最良でも"自分以外の誰もが不幸にならない結末"にしかなりはしない選択を選んだ。

 マリアには、あの時のセレナが今のゼファーに被って見える。

 

 運命というものがあり、ゼファーがそれを変えられる力を持つのなら。

 暴走する運命、聖遺物により徐々に死にゆく運命、天羽奏の死に心壊れそうになるまで追い詰められる運命、過去に自分がした行いが回り回って誰かを死なせてしまう罪を背負う運命、それらは彼がどこかの誰かの運命から引き受けたものであるのかもしれない。

 運命は目に見えないものであるため、所詮仮定の話でしかないが。

 

「一人が生贄になるだけで、苦しむ人が変わっただけで、皆に楽をさせているだけじゃない!」

 

「それの……それの、何が悪いんだ!」

 

「後味が悪いのよッ! あなたが不幸だとッ!」

 

「―――ッ」

 

 マリアは見抜いている。

 ゼファーは死にたくないという気持ちが誰よりも強い。

 けれど、誰よりも死にたくないというだけで、彼は自分よりも生かしたい命のためならば、その命を投げ打てるのだと。

 けれど、彼の命を犠牲にして繋がった未来の中でなんて、マリアはきっと歌えない。

 

「そんな英雄、私は要らない」

 

 今ここに居るゼファーもまた、セレナが命を懸けて守ったものなのだから。

 マリアはそれを守りたいと、心の底から強く想っている。

 

「私は、最悪全ての不幸と心中しようとしているあなたの犠牲(ぎぜん)を、許さない」

 

 世界の皆と力を合わせて戦って、世界中に犠牲を生むか。

 ゼファーの命を使い潰して未来を繋ぎ、彼を犠牲にするか。

 マリアの前には、最初から二つの選択肢しかなかった。

 

英雄(かわり)は、私が務める。あなたよりは上手くやってみせるわ」

 

「―――!」

 

 ずっと、ずっと前のこと。

 マリアとセレナが力を合わせ、アガートラームの断片から、未来の可能性を覗いたことがある。

 その時二人は、何もかもを背負い込んだ挙句ロードブレイザーに負けたゼファーの姿を見た。

 未来の可能性を見て、その時二人はそれぞれ全く違う感想を抱く。

 

 セレナは、英雄に問題があるのだと思った。

 周りを頼らず、責任を分け合わず、自分が潰れるまで何もかもを背負い込んでしまった英雄。

 その果てに、周りの全てを巻き込んで終わってしまうなんて。

 もう少し。もう少しだけ、この英雄が変わってくれたなら……と。

 ただそれだけで、英雄も周りの皆も救われたはずなのに、と。

 そう思い、そう感じた。

 

 マリアは、周囲に問題があるのだと思った。

 特別な誰かに全てを押し付けて、平気な顔をして他人事にする。

 そんな人々が悪いのであって、押し付けられた者に責任はないのだと。

 もう少し。もう少しだけ、この人々が変わってくれたなら……と。

 ただそれだけで、英雄も周りの皆も救われたはずなのに、と。

 そう思い、そう感じた。

 

 セレナは彼を信じた。

 彼が少しだけ変われば、それだけでこの結末は回避できるはずなのだと。

 マリアは彼を信じなかった。

 人はそんなに強くないと、一人に世界の結末を託すべきではないのだと。

 妹は彼の強さを見て、姉は彼の弱さを見た。

 妹は彼に全てを託そうと考え、姉は皆でその責任を分かち合うべきだと考えた。

 妹は一人の優しい英雄を望み、姉は英雄に優しい世界を望んだ。

 

 セレナは彼に寄り添い、彼のそばで『変える』ことを決めた。

 彼が幸せになれるように、たくさんの人々が幸せになれるように。

 彼を変えることを決めた。

 

 マリアは彼から離れ、彼の味方ではない形で『変える』ことを決めた。

 彼が幸せになれるように、たくさんの人々が幸せになれるように。

 人々を変えることを決めた。

 

 今でも、それは変わらない。

 

「私は、私の目指すもののために、英雄(ぐうぞう)を演じきってみせる」

 

「あなたを英雄(ぎせい)になんかできない!」

 

「それをあなたが言うの!?

 全部背負って、全部請け負う、都合のいいだけの英雄(いけにえ)になりかけているあなたが!

 全人類の罪を背負って死に、全ての人間を救ったという神の子の真似事でもするつもり!?」

 

 歯を食いしばるマリア。

 それは"あの未来"に向かい始めているゼファーに対する苛立ちゆえか、こうでもしないと一つになれない世界への怒りゆえか、世界に犠牲を強いる自分への拭えない嫌悪ゆえか。

 

「それでも俺は、あなたの生み出す犠牲を肯定なんて出来ない!

 優しいあなたに、セレナが大好きなあなたに、誰かを犠牲になんてさせるものか!」

 

「―――っ!」

 

 何故こんなことになってしまったのか。

 過去に一つ何かが違えば、今日に信頼できる仲間になれたかもしれなかったのに。

 マリアとアガートラームが、決定的に対立するというこの構図。

 嫌い合っていないのに、二人は同じ方を向けやしない。

 

「……あなたにも、すぐに分かるわ。

 何の犠牲もなく勝てるほど、ロードブレイザーは甘くない」

 

「それでも……」

 

「なんで私がここに居ると思う?」

 

「……?」

 

「ウェル博士がこの近辺で行方不明になった。

 だから私達は切歌と調を変装させて、他ミッションと複合してここに向かわせたわ。

 でもその直後、Dr.ウェルから通信が来た。

 それがあまりにも剣呑なもので、無視出来なかったから、後追いで私が来たのよ」

 

 ゼファーはマリアが屋上に来た理由を察する。

 彼女はここから、切歌と調を探そうとしていたのだ。

 隠密性を重視した切歌と調が通信機の電源を切っていると考えれば、成程、マリアが直接足を運んでウェルの件を直接口で伝える以上の方法はあるまい。

 

「Dr.ウェルなら自分の都合で、仲間を欺くくらい平気でやる。

 何よりその通信の内容の根拠が、どこにも無かった。

 普通なら無視するべきだったのかもしれない……

 だけど、無視できるような軽い内容ではなかった。

 だから私は半信半疑ながらも、一つの確信をもってここに来た」

 

「その通信の、内容は?」

 

 ウェルはリディアン周辺で姿を消し、リディアンに関わる不吉な予言を残した。

 

 

 

「『指定した時刻に、オーバーナイトブレイザーがリディアンに襲来する』」

 

 

 

 そして、噂をすれば影が立つと言わんばかりに、マリアが口にした途端にその予言は成就する。

 

「―――!」

 

 ゼファーは直感で、『それ』の出現を知覚する。

 

「アクセスッ!」

 

 ゼファーは知覚と同時に100万分の1秒(マイクロセカンド)で変身を完了。

 それと同時に、遠い街の端で巨大な火柱が上がる。

 

硝子の虹を浮かべた砂の上ッ(An dingir Glumzamber tronッ!)

 

 マリアも0.1秒でそれに反応し、瞬時にギアを纏ってみせる。

 それと同時に、最初に立った火柱の辺りから、『黄金』が飛んで来る。

 

「まさか、本当に……!

 オーバーナイトブレイザーの行動予測なんてできないと、どの口で言っていた、ウェルッ!」

 

 ゼファーが黒と赤のナイトブレイザーであるならば。

 "それ"は、金と赤の二色で構成される焔の騎士。

 『黄金のナイトブレイザー』だった。

 ナイトブレイザーを超えるナイトブレイザー(オーバーナイトブレイザー)だった。

 

 どこかで最初の悲鳴が上がる。

 

 平穏と、幸せと、クリスの帰る場所が認識された、めでたいこの日に。この日の祭りに。

 

 アースガルズと、ルシファアと、セトの三機で戦いを挑んでも蹴散らされたほどの絶望が、絢爛に輝く炎と共に上空に現れた。

 

 

 




メリークリスマスッ!(二回目)
というわけで、赤いサンタさんが来てくれました

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