戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
原作をよく知っている人をびっくりさせたいなあ、という気持ちだけで仕込んだギミックでした
眠る小日向未来の身体データをもののついでに取りながら、ウェル博士は首を傾げる。
「ん?」
そして引き出したデータの意味を理解すると、不敵に笑った。
未来の身体データの一部の波長が、ウェル博士がサンプルとして表示した聖遺物の波長と、完全に一致しないまでもかなり酷似した波形を示す。
それが示す事実が、幸か不幸か、小日向未来の
「ああ、成程。これが合縁奇縁という……」
ウェルが呟いた声がきっかけとなったのか、そこで未来が身をよじり、目を覚ました。
「……っ」
「おや、お目覚めですか?」
「!?」
未来は起きるなり、自分が機械的な椅子に固定されていることに気付く。
彼女の頭に付けられている機械など、物騒な臭いしかしない。
未来は逃げようとするも、固定された体では逃げようにも逃げられない。
「ここはどこ!? あなたは……?」
「ここはブランクイーゼルの拠点空母。私のことはDr.ウェルとお呼びください」
「!」
未来の目に反意、敵意が宿る。
立花響の親友であり、ゼファー・ウィンチェスターの親友である未来が、ブランクイーゼルの人間に抱く感情など、想像に難くない。
ましてこんな形で招待されたのならば、良い感情など抱けるはずがないだろう。
ウェルはおそらく何を言っても聞く耳持たれないだろうなと、自分の所業を棚に上げ、呆れに近い感情を抱く。
(ま、どちらでもいいことだけれども)
なので彼は、会話の一つもしないまま、躊躇いもせず、手元のスイッチを押した。
「あ」
その瞬間。
未来の頭の中で、ぶちん、と何かが切れた音がした。
「ああああああああッ!?」
未来の頭に取り付けられた機械から、未来の頭の中に何かが流れ込んでいく。
「同意も要りません。
その意志も要りません。
僕のちょっとした演出に協力していただきますよ」
痛みもなく、苦しみもなく、"自分が塗り潰されていく感覚"に未来は悲鳴を上げる。
「あ、頭の中に、何か、何か、あああああああああああああッ!?」
「この機能もコピーしておいて損は無さそうですので、協力をお願いしますね」
「嫌ああああああああああああッ!!!」
何か目的があるのか、爽やかに笑うウェルを見ながら、未来の意識は消えていく。
薄れていく自我と、消滅する意識の中。
何故か未来は、菖蒲色の髪の少女の後ろ姿を見た気がした。
第三十六話:描いた未来を画架に掛ける
永田町電算室・記憶の遺跡に増改築を繰り返して完成した新二課本部のセキュリティ、及び強度は旧二課本部と比べても遜色ない。
フィーネという内通者が消えたことで機密性が増し、むしろ防衛システムのランクは以前よりも高くなったとさえ言える。
そのため、本部の損壊はゼファーが想像していた程でもなかった。
金に糸目をつけなければ、すぐにでも本部機能の八割は回復し、二ヶ月ほどで以前の本部と同じ機能を取り戻すことができるだろう。
ゼファーは本部に戻った後、そういった説明を朔也から聞かされていた。
彼はマリアと調と別れた後に、未来の友人として動揺する響とクリスをなんとか落ち着かせ、二人をなだめつつ比較的冷静だった翼と弦十郎に状況を説明、現場で避難誘導していた部隊に一時的な指示を出してから本部に帰還した。
そしてここでようやく、二課全体で情報が共有され、その認識が均一になった、というわけだ。
とはいえ、疲れている者も多く、ウェル博士の襲撃で負傷した者の手当てもある。
一時間後に再集合して会議を始める、と弦十郎が皆に言伝てし一旦解散という運びとなった。
ゼファーは未来の件で不安になる響にひと声かけてから、響を一旦翼に任せて、手が足りていない医務室に向かって負傷者の手当てを手伝う。
そうして一時間、他人の傷を治すことに全力を尽くし、再度会議室に向かっていた。
「……うっ?」
だがそこで、ふらりと力なく壁に寄りかかる。
体に力が入らなくなり、崩れかけの体が崩壊を始めるが、気力でなんとか繋ぎ止めた。
しかし、日に日に繰り返される肉体の根本的な損壊は、今度は聴覚の喪失となって現れる。
今の彼に残っている人の五感は、これで嗅覚のみとなった。
「っ……」
味覚なんてものは最初からほとんど無く、無くなっても問題はなかった。
触覚は失われても、機械的に再現することは比較的容易だった。
嗅覚はまだ無くなってはいないが、あってもなくてもそう変わらない。
視覚は先のオーバーナイトブレイザー戦で失われている。
そこでゼファーは、視覚を補った方法と同じ方法で、聴覚も補うことにした。
(ARMを……波長を精密に調整して……)
ゼファーのARMは、直感から派生したアウフヴァッヘン波の投射測定能力である。
アウフヴァッヘン波を周囲に発し、跳ね返って来た波を感知する。この能力を応用し、ゼファーは多くのものを感知してきた。
彼はアガートラームの機能向上を転用し、これを一時的に五感の代用品にしていた。
周囲の物質に波を当て、返って来た波を感知し、周囲のものを見る。
そして今また、波を使って空気の振動を感知する体の仕組みを作り上げていた。
目の代わりをARMに任せ、今また耳の代わりをARMに任せ、ゼファーは平然とした様子で再度歩き出す。
今のゼファーは、極端な話首が潰れても死なないし、首がなくても人と普通に会話ができる。
体の負傷を生命力の喪失に直結させていない今のゼファーは、加速度的に人間を辞めていた。
「? ゼファーか」
「ツバサか、奇遇だな」
彼は平然と歩き、平然と会話し、常の自分を綺麗に演じきっていた。
それこそ、長年ゼファーと共に戦い、彼の性格をよく知っている翼ですら何の違和感も抱けないほどに。
彼が抱える問題は、誰かに話すことで解決する問題ではない。
むしろ仲間の心に悪い影響を与え、事態を悪化させるだけという最悪のものだ。
必要なのは彼の命そのものを回復させるという、川の水を逆行させるような奇跡。
戦いの中でゼファーは幾多の奇跡を掴み取ってきたが、それらの奇跡の全ては、長期的に見ればゼファーの命を削るものばかりだった。
言い換えるならば、ゼファーは自分の命を削り、奇跡の可能性を繋いで来たのだ。
彼の生涯の中に、今の彼を救える奇跡は見当たらない。
既存の奇跡の全てが、今のゼファーを救うには適さない。
「その……なんだ、大丈夫か? 小日向は、お前の親しい友人だろう」
「大丈夫だ。大切な友人だから、今はあの子を日常に帰すことだけを考えてるよ」
「……いい答えだ。私も全力を尽くそう」
翼の不器用な気遣いに、ゼファーは笑って拳を作り、翼に力強い姿を見せる。
そんな彼の姿に応じ、翼はフッと笑って、ゼファーに全力での助力を約束した。
仲間が居るから、彼はまだ立っていられる。
まだ戦える。
仲間の存在を意志の糧とし、崩れそうな体を保ちつつ、彼は翼と共に会議室に入って行った。
ゼファーは響の隣に、翼はゼファーの隣に、後から来たクリスは翼の隣に座る。
そして、現状を一から説明し徹底して話し合う会議が始まった。
司会進行は、交渉事に長けすらすらとはきはきと話す友里あおい。
「―――以上が、一連の流れになります。
整理すると、まずいつの間にか侵入していたDr.ウェルがデュランダルを奪取。
その後、何故か警報装置がDr.ウェルの存在を感知して起動。
今思えば、これはわざと引っかかったのかもしれませんが……その意図は分かりません。
警報装置に引っかかったウェル博士は、本部内部で何らかの爆発を引き起こしました。
ここで負傷者と本部の損壊が発生し、本部の待機部隊が対応しましたが……
Dr.ウェルの捕縛は叶いませんでした。彼がどう侵入しどう脱出したのかは、不明です」
あおいが二課側で認識している流れを語る。
その語り口は非常に滑らかだ。
だが、すらすらとはきはきと語っていたあおいの口が、突如言い澱む。
「……装者暁切歌が居なかったことから、小日向未来さんは……」
「ブランクイーゼル側に捕まった可能性が高い、と」
言葉を選んでいるあおいの気遣いに感謝しながら、ゼファーが言葉を引き継ぐ。
友里あおいに集まっていた視線が、今度は自分に集まっているのをゼファーは感じていた。
ゼファーの首が落とされたところも、ゼファーが粉砕されていたところも、二課の皆は目撃していない。
そのため、皆の認識においてゼファーは、"ブランクイーゼルと手を組み、オーバーナイトブレイザーを撃破した頼りになる青年"と更に高まった評価を受けている。
皆がゼファーを見る目には、信頼がある。
信じて頼る気持ちがある。
彼は加速度的に悪くなっていくこの状況の中で、皆の心の支えとなっていた。
彼が何かを口にすれば、皆がそれに影響されるだろう。
ゼファーの思考はほんの一瞬で、推測と計算を幾度となく繰り返す。
(……俺の時の反省かな、力のあるメンバーも一緒に連れて行かなかったのは。
殺さなかったのは、その時キリカが居たから……
あるいはマリアさんとシラベが居て、流石に寝てる間に殺せば揉めたから……?
……それとも、そこまでやれば俺の勘が察知して飛んで来ると読んだからか?
別の可能性もある。
気まぐれで生かされただけ、という可能性。
あるいは未来をさらった人間が、装者が生存していることで利を得る可能性……)
だが、ゼファーが何を言うべきか考えた一瞬、皆がゼファーの言葉を待った一瞬に、自分の世界に没頭しながら思い悩む響の、ポツリと呟いた声がよく響いた。
「未来……」
その声に、ゼファーは誰よりも早く反応する。
「大丈夫」
席を立って、ゼファーはそのまま隣の席の響の肩に手を置いた。
響はゼファーの死が間近に迫っていて、それを覆す方法がまだ見つかっていないことを知っている。なればこそ、今彼女が感じている恐れは絶大だろう。
これで未来にまで何かがあれば、響を絶対に一人にしないであろう友は一人もいなくなる。
響は孤独に呑まれてしまう。
そんな響の内心を理解しているからか、ゼファーは彼女を安心させる声色を意図して作る。
「絶対に絶対、大丈夫だ」
「ゼっくん……」
「未来は俺の友達だから。あいつに取り返しの付かないような傷は、絶対残さない」
ゼファーの言葉は響に向けられたものでありながら、周囲の全ての人間の耳へと届く。
オーバーナイトブレイザーの悪夢が再来し、ブランクイーゼルの強さを再認識し、本部を襲撃され、守るべき一般人までさらわれて、悪い空気が満ちていた会議室。
その空気が、一変した。
「俺の勘も、まだ大丈夫だって言ってる。
ブランクイーゼルに、未来を殺して得られるメリットなんてないはずだろう?
だからまだ大丈夫だ。まだ、本当に手遅れになってしまうラインは越えていない」
ゼファーの勘の保証は、これ以上ない判断基準だ。
彼は未来がまだ取り返しのつかないところまでは行っていないことを確信していて、皆のモチベーションを煽る言い方で、それを伝える。
未来はまだ、手遅れになるラインを越えてはいない。
ゼファーは未来に対し相当に過保護だ。
彼ならば顔に大きな傷が付くことでさえ『手遅れ』と判定するだろう。
だからこそ彼の直感は、小日向未来はどんな形であれ物理的に傷付いてはおらず、取り返しのつくラインの内側に居るという確証になる。
「アガートラームのデータから、本部の対ヤントラ・サルヴァスパシステムの構築もできました。
二年前、あれだけの被害を出したオーバーナイトブレイザーと戦って、今回は死者ゼロ。
敵の特殊なシンフォギアのデータも集まり、弱点も見えてきました。
一見大ピンチに見えますが、俺達は着実に前に進んでいます。
俺が居ます。ヒビキが居ます。ツバサが居ます。クリスが居ます。
敵がどんなに強くたって、俺達は勝ちます! 勝って、守ってみせます!」
今度は響だけでなく、周りの大人にも向けて、彼は言葉を紡ぐ。
ゼファーの言葉は、理を説く文面を感情を揺らす言葉で読み上げたものだ。
彼がそう言うと、なんとかなりそうな気がする。
彼が諦めていないと、諦めなければなんとかなりそうな気がする。
彼は事実そうして、今日までの戦いの中で、仲間と共に何度も不可能を可能にしてきた。
それゆえに、その言葉には説得力が乗るのだ。
それはどこか革命家の演説に似た、人の心から恐れや不安を取り除き、勇気を注ぎ込む言葉。
人の背を押す西風のように、心に希望を注ぎ込む言葉だった。
ゼファーは最後に敬語ではなく、言葉の強さを最も活かせる喋り方で、彼らに願いを告げる。
「だから皆、俯かないでくれ!
ここで俺達が俯いて手を止めたら、本当に手遅れになる!
皆の力を貸して欲しいんだ!
俺は友達を助けたい! 人の命を守りたい! 皆と一緒に! だから、力を貸してくれ!」
暗かった空気はゼファーの言葉で一度変わり、そして今、また変わる。
特異災害対策機動部二課は、根本の部分で"戦う者達"の集まりだ。
"守る者達"の集まりだ。
彼らは一人残らず、"ノイズと戦う決意"を抱えてスタートラインに立っている。
それゆえに、ゼファーの言葉に奮い立たないわけがない。
ああ、と誰かが言った。
任せろ、と誰かが言った。
頼れよ、と誰かが言った。
壊れた本部の立て直しはこっちに任せとけ、と誰かが胸を叩いて言った。
研究者として不可能を可能にしてみせる、と彼の体の事情を知る誰かが裏のある言葉を言った。
上の人との交渉は私に任せて、と誰かが書類を抱えて言った。
俺に出来る全力のサポートを約束する、と誰かがゼファーの肩に手を置いて言った。
足りない分は我々が補う、と誰かが仏頂面で言った。
ゼファーは自分の体の真実を知る響の手を取り、彼女を無言で励ます。
響はゼファーの体のことを知りつつも……それでも、ゼファーが未来を救った上で、生きることを諦めていないと、そう信じて頷く。
最も大切な陽だまりを失う恐れを、響は友から貰った気持ちで踏破した。
これで装者達も全員、もう戦える精神状態にまで持ち直したはずだ。
メタメタにやられてしまったが、特異災害対策機動部二課は、まだ戦える。
「まだ何も、終わっちゃいない! 絶対に、絶対に!」
今のゼファーには言葉を一つ発するたびに、ただそれだけの行動に命懸けの覚悟をもって挑んでいるような、そんな気迫があった。そんな言葉の重みがあった。
「だな。なら、まずあたしらが吉報を届けてやるぜ」
ゼファーが変えた流れに便乗するかのように、クリスと朔也が席を立つ。
朔也はデータが表示されたタブレットを、クリスはペンダントを、その手に持っていた。
「!? そのペンダントは……! 勝ち抜きステージの時に、取られたのではなかったのか!?」
「ああ、ありゃガワだけ同じなイチイバルの入ってないペンダントだよ」
「!」
「"その首から下げたペンダント"って言ってたからな。くれてやったんだ」
クリスはやれやれ、とでも言いたげに肩をすくめる。
つまり、あの時クリスの首から下がっていたペンダントは文字通りに"真っ赤な偽物"。
本物のイチイバルのペンダントはクリスの袖の内側に固定されていて、起動させようと思えばいつでも起動させられるようにしていたのだ。
「あたしらはギアを取られりゃ雑魚も雑魚。
生身の時にペンダントを狙われる可能性なんて、真っ先に警戒しとくもんだろ。
シンフォギアのペンダントは手に持ってても歌には反応すんだ。
なら、わざわざ取られやすい首元に下げとく必要もねーだろって話さ」
「成程な。その上で、囮のペンダントを首から下げていた、と」
「そういうこった。んで、囮のペンダントの中には発信機と盗聴器が入っててな」
「! 吉報とは、そういうことか」
クリスは装者の中でただ一人、生身の時に襲われペンダントを奪われる可能性を恐れていた。
戦場において、敵が狙うであろうものに罠を仕掛けるのは常套手段である。
そのため彼女は、大胆にも普段から"罠を首から下げて歩いていた"のだ。
発信機と盗聴器の管理は、チーム・ワイルドアームズの事実上の専属オペレーターである朔也が行っており、クリスと朔也が連絡を取った時点で有効に機能した、というわけだ。
流石戦場帰り、と周囲がざわめく。
クリスもどこか得意げだ。
力の差が明確にあれば何もできないなんてことはない、とクリスは証明してみせた。
このタイミングでの盗聴は、二課の方針を決めるには最高の情報となるだろう。
「ブランクイーゼルに連れて行かれたって推論はビンゴだ。
それと奴ら、どうやら仲間割れを始めてるみたいだな」
「仲間割れ?」
「二課本部襲撃と誘拐やらかしたウェルってやつが内患らしい。
どうにも、性根の腐ったやつと信念に沿ってるやつの相性は悪いらしいな」
「Dr.ウェル……」
敵が一枚岩でない、という情報も朗報だ。
古今東西、最強の国が内乱で全力を出せない間に、外敵に滅ぼされるなんて話はごまんとある。
ならば付け入る隙も、僅かな勝機もあるはずだ。
「さらわれたあの子は人質として使うらしい。
そいつがブランクイーゼルの基本方針みたいだ。
なら、あたしらが助けるまでは乱暴には扱われねえはずだろ」
「言いたいこと全部クリスちゃんに言われちゃったなあ……
と、いうわけで。
後で盗聴データと発信機の位置情報を取りまとめたものを、提出します」
「このあんちゃん、あたしの無茶振りにいい仕事で応えてくれたぜ」
「クリスちゃんが機を見るに敏と動いてくれたからさ。俺は大したことはしてないって」
ゼファーも、クリスも、朔也も。
……未来が無傷だとも、何事も無く無事で丁重に扱われているとも、言わなかった。
それに気付いている者も、気付いていない者も居る。
だが前者後者共に一様に、ゼファーの"取り返しの付かないことにはなっていない"という直感の判断を信じていた。
「よし、展望は見えてきたか? お前ら」
弦十郎が声をかけると、皆が揃って頷いた。
まだまだ諦めるには早過ぎる。
ここからが大勝負。小日向未来の命運もかかった、正念場だ。
「各々、全力を尽くせッ!」
弦十郎が大声を張り上げれば、男も女も大人も子供も、自分なりの咆哮で応える。
諦めの悪さというやつは、どうやら伝染するようだ。
ナスターシャ・セルゲイヴナ・トルスタヤがペンダントだったゴミをゴミ箱に投げ捨てるのを、マリアは他人事のように見ていた。
半泣きの切歌が、調に手を引かれて部屋を出て行く。
……切歌は大活躍したと有頂天だったのに、自分の失態を思い知らされてドン底まで落ち、ナスターシャに叱られてもう踏んだり蹴ったりだ。
今ここにウェルが居たならば、ペンダントの中の盗聴器と発信機の存在を引き合いに出して、切歌をどれほど煽ったのだろうか。想像に難くないというのが、嫌なところだ。
「やはり雪音クリスは厄介ですね、マリア。
普段からこんなものを準備していたことといい……
想定外の状況に、こういった仕込みを最適な形で使ってくることといい」
「そうね、マム。
前の戦いも、雪音クリスのコンビネーションアーツに戦線をこじ開けられた。
私も空は飛べても海中ではマントが機能しないから、あの少女一人に抑え込まれてしまったわ」
立花響は何をしてくるのか分からない怖さがあり、風鳴翼には正統派な強さがあり、雪音クリスには戦場帰りや傭兵特有の強かさがある。
それらの特性はゼファーとのコンビネーション、及びコンビネーションアーツで更に際立つことが多い。
切歌はクリスのその強かさに、まんまと利用された形になった。
「……ねえ、マム。
雪音クリスのこの手だけど、私達と比べたら、よっぽど真っ当よ」
「……」
「私達の方がよっぽど卑怯で、悪辣で、醜悪だわ。
よりにもよって戦えない一般人を巻き込んで、人質に取ったのだから」
「ウェル博士は事前に資料を読み、彼女に狙いを定めていたのでしょうね。
最もさらいやすく、ゼファーの心的動揺を最も誘える、そんな"弱く大切な人間"に」
「マム! いつまであの男の勝手を許すの!?」
「ゴーレムの操作権が彼と彼が選んだ者にしかない以上……
彼を計画から切り離すわけにはいきません。多少の独断行動は捨て置きなさい」
ナスターシャは、ブランクイーゼルの事実上のトップだ。
彼女が望めば、この組織は瞬時に一致団結するようになっている。
彼女が望めば、ウェル博士のようなヒッピー野郎などすぐに組織から排除されるだろう。
にもかかわらず、ナスターシャはウェルの好き勝手をほぼ黙認していた。
「マム、あなたは何を考えているの?」
マリアには、その理由がまるで分からない。
「ブランクイーゼルがまだ空中分解していないのは、あなたのおかげよ。
あなたが元F.I.S.の皆を説得して、ウェルと共闘させ続けているから。
そして空中分解しそうになっているのも、あなたのせいでもある。
あなたが終始ウェル博士を切り捨てず、戒めないから。
だから私達は、こんなにも奇妙で不安定な共闘関係を続けざるを得なくなっている」
「……」
「ウェルがゴーレムの操作権を手にする前からずっとそうだった。ねえ、何故なの?」
何故ウェルを排除することも、上から押さえつけることもしないのか。
マリアは疑問に思うも、ナスターシャはその問いにマリアが求める答えを返す気がまるでない。
その代わりに、マリアに宿題を出すかのように、質問に質問を返した。
「マリア。あなたはDr.ウェルの目的を知っていますか?」
「え?」
「断言しましょう。あの男の本当の目的を知る者は、彼と私だけです」
ナスターシャは母であり、教師であり、研究者だ。
その言い回しは時に面倒臭いほどに遠回しで、時にその問いかけに答えを出す過程で成長を促すような、宿題に近い言葉となる。
「彼は子供なのですよ、途方も無く。
その本当の目的を聞けば、誰もが呆れ返るほどに」
「マム……?」
「いずれ分かります」
ナスターシャは一番遠くを見ている。
ウェルは彼女の次に、遠くを見ている。
そのため、ウェルはナスターシャを理解していないが、ナスターシャはウェルを理解している。
「Dr.ウェルの目的の全ては、この世界で最後に行われる"人と人の大きな戦い"の日に」
彼の目的は、その日に分かるだろう。
「私の目指したものは、その後に」
彼女の目的は、その日の後に分かるだろう。ナスターシャの思惑通りに行けば、の話だが。
「あなたがそれら全てを知る日は、いずれ来るでしょう。
その時、あなたはあなたらしく生きなさい。
不器用に人の繋がりを信じ続けたフィーネの輝きを、あなたは継いだのだから」
マリアの胸のペンダントが、鈍く煌めく。
輝きを継ぐ君らしく、と、ナスターシャは言った。
そして子を見つめる母のように、マリアに優しく微笑んだ。
ゼファーと弦十郎は肩を並べ、強化ガラスの向こう側で研究者に解体されていくシンフォギア……『神獣鏡』のシンフォギアを、静かに見つめていた。
「少々もったいない気もするがな、ゼファー」
「フィーネさんが居ない以上、ギアは壊れたらそこまでです。
例えばコンバーターがぶっ壊れた場合、変身すら出来ません。
長期の運用を考えるなら、完成品を一個分解して交換用パーツは確保しておくべきですよ」
「そうなんだがな……機械の運用は、どうにも面倒だ」
「神獣鏡のコアは聖遺物として研究に使えます。
分解したパーツは交換用パーツとして保管。
これでこのギアがブランクイーゼルに取られるリスクも、ここで消滅します」
「エクスドライブの奏の最大攻撃も防いだギア、か。
確かに、二課でこのギアを運用する気もないのに、そのまま保管するのはリスクか……」
ギアを新規に作成する技術も、壊れたギアを修理する技術も、今の二課には無い。
せいぜい既存のギアを"二度と組み直せない"前提でバラバラに分解し、ギアの複雑でない部分が壊れた時に、その部分のパーツを交換するのが関の山だ。
が、そんな修理でもできないよりかはずっとマシだろう。
使用者が居ないのに脅威の力を誇るという面倒なギア、
敵の手に渡ると面倒なことになる。
なのに二課には、フィーネ用にチューンされたこのギアと相性のいい者が一人も居なかった。
扱いに困るにもほどがある。
フィーネの作品であるために怪しいブラックボックスも多く、正直持て余していたため、このたび二課装者達のギアの部品とされたというわけだ。
これでこの
「偉い人は何か言ってましたか?」
「派閥Aは『誰にでも使える完全聖遺物は奪われる前に破棄すべし』。
派閥Bは『完全聖遺物の使用制限を解き、全戦力で敵を撃滅すべし』。
派閥AとBは、Bが優勢気味な状態で拮抗。斯波田外務次官などがBだな」
「デュランダルを盗られる前にBが圧勝して欲しかったですねぇ」
「全くだ。だがそいつは、警察が核兵器で武装することを許可するようなもんだろうよ」
二課は以前よりもずっと、政府に雁字搦めにされている。
完全聖遺物は自由に使えず、敵に奪われる前に破棄しろと言われてすらいる始末だ。
「ゲンさん、完全聖遺物の使用許可が降りたら、の話なんですが」
「ん? なんだ?」
「ソロモンの杖の使用、ノイズの戦力動員を、一考して欲しいんです」
「―――なん、だと?」
弦十郎は、耳を疑う。
「無論、道理的な問題も、リスクもあります。
ノイズを戦うための組織がノイズを戦力として使うなんて以ての外。
我々がノイズを操っているところを記録され、世界中に公開されればそれで終わり。
俺達が人々のために重ねてきた戦いの日々は、全てマッチポンプとされるでしょう。
そうなってしまえば、二課という組織は社会的に死にます。どう取り繕おうと、確実に」
「そこまで分かっているのなら……」
「ですが、そうしないと勝機が見えないくらい、俺達はケツに火が付いてるんです」
「―――っ」
「どうなるか、俺にも正直分かりません。
ですが、『どうにかなるかもしれない』。
可能性はゼロじゃない。なら、挑んで見る価値はあると思うんです」
ソロモンの杖でノイズを戦力として使えば、確かにブランクイーゼルの脅威にもなれるかもしれない。ブランクイーゼルにも、人は多いのだから。
だがその結果、特異災害対策機動部二課がノイズを使い、ブランクイーゼルのシンフォギア装者がそれを討つという、奇妙な構図が出来上がるだろう。
シンフォギア装者の脅威から、ノイズが力無き人々を守るという構図。
そうなってしまえば、もう何がなんだか分からなくなりそうだ。
「……とびっきりの奇策だな。よし、俺もその方向で動いてみよう」
「ありがとうございます!」
バラバラにされた神獣鏡のシンフォギアを前にして、男二人は色々と企んでいた。
暁切歌は落ち込んでいた。
「ま、まんまと騙されて情報を漏らしてしまったデス……」
「あれはしょうがないよ、きりちゃん」
「顔真っ赤デス……」
「文字通りの赤っ恥だね」
クリスの偽ペンダントは盗聴で会話情報を盗み、発信機でブランクイーゼル本拠地の位置データを盗み、それだけに留まらず切歌に精神的ダメージまで与えていた。
「あれ? きりちゃん、ポケットから何かはみ出てるよ?」
「はい? 何か入れた覚えはないのデスが……」
調が切歌のポケットからはみ出ていた何かを見つけ、切歌がそれを引っ張り出す。
切歌のポケットに入っていたのは、小さな耐衝撃ケースだった。
象に踏まれたくらいでは壊れそうにないそれを開けてみれば、中には緩衝材と、試験管と、手紙が入っていた。
「これ、この手紙、ゼファーからデス!」
「!」
「ええと、何々……」
そこには、ゼファーらしい文面が記されていた。
ゼファーは先日ナスターシャと会った時、その体が相当に悪くなっていることと、その原因がロードブレイザーであることをきっちり見抜いていた。
彼女を放置しておけば、このまま死ぬであろうことも。
そこでゼファーは、自分の血液――を構成する液体聖遺物――を極小のナノマシンだけで構成された流体に変化させ、試験管に込めたのだ。
このナノマシンの聖遺物は、ナスターシャの体内に入った途端、ロードブレイザーが彼女にもたらした悪しき影響を排除しながら、生命機能を補填するようになっている。
何故ならば、これもまた彼の意志を反映する彼の体の一部。
"ナスターシャを延命させる"というゼファーの意志を反映し、その役目を終えると同時に、ナスターシャの体内から消えるように設定されているからだ。
そしてゼファーはこの試験管の中に何が入っているか、それがどういう効果をもたらすのかを書いた手紙と一緒に、耐衝撃ケースの中に入れて切歌のポケットに忍ばせたのである。
治安が世界級底辺クラスだったフィフス・ヴァンガードに居た頃、スリの手口を防犯のためよく学んだゼファーからすれば、色々と隙の多い切歌のポケットにケースを忍ばせるのは、それほど難しいことではなかったのだろう。
"俺が生きている間にこのナノマシンを投与すればあの人は助かる"と最後に書かれ、手紙は締めくくられる。
「調! 朗報デス朗報!
味方でなくてもこのかゆい所に手が届くお助けマン感、これぞゼファーデスよ!」
「だね。きりちゃん、これマムに届けてきたら?
今回の偽ペンダントの件、汚名返上できるかもよ」
「デスデス、デース! 行って来るデス!」
元気に駆け出した切歌を、調は小さく手を振って見送る。
そして切歌の姿が見えなくなってから、髪の先を指で弄り始め、端正な顔に憂いを浮かべる。
前提条件が違うと感じることも違うんだろうかと、調は思う。
切歌は純粋に喜んだ。
調は"死ぬ前の身辺整理"にしか見えなかった。
ロードブレイザーの汚染は、アガートラームだからこそ治せるものだ。
それゆえに、ナスターシャはゼファーにしか救えなかった。
つまりそれは、ゼファーの『存在意義』だったのだ。
それがまた、一つ消えてしまった。
「変な言い回し。"俺が生きている間に"だって」
暁切歌には見えていないものがある。月読調にだけ見えているものがある。
「時間、無いのかな」
『時間が無いんでしょうね』
呟くような調の声に、調とは違う声が、何故か重なっていた。
激動の一日は終わらない。
日付が変わってから一時間ほどが経った深夜に、ゼファーと緒川はとある廃病院を訪れていた。
(……聖遺物の気配はありません、シンジさん)
(よし、行きましょう)
朝から秋桜祭、昼にはオーバーナイトブレイザーの襲撃、夜にはこうして病院に侵入。
今日という日はゼファーにとって激務にもほどがあるが、丸一日働き詰めでへたばっていく面々が居る中、今でも満足に動けているのはゼファーを含めてもそう居ないのだ。
ローテーションを組んではいるものの、そのせいで一度に動かせる人数にも限りがある。
そのため、今夜のゼファーは緒川の助手としてここに居た。
この廃病院は、緒川や二課のエージェント達が人・金・物の流通を見張り得た情報、及びクリスのおかげで盗聴器から得たキーワードから絞り込まれた、ブランクイーゼルの日本現地拠点候補の一つだった。
最初は疑惑だったものの、感圧式のセンサーなど廃病院に無いものをゼファーが直感的に見つけ出した頃から、その疑惑は確信に変わる。
(シンジさん、そこにセンサーが)
(五秒ください……はい、解除しました。行きましょう)
緒川慎次は由緒正しい正統派の忍者の末裔だ。
そしてゼファーもまた、直感が発展途上だった七年前の時点で、直感的にトラップの位置を把握するほどの能力を発揮していた。
ゼファーは緒川の薫陶を受けていたこともあり、二人の息はぴったりだ。
それどころか二人の能力と技能は、潜入任務という分野において凶悪なまでに相性が良かった。
(人の気配が二つありますね。どうしましょうか)
(捕縛して情報を吐かせたいところですが、今は僕らの存在を気取られたくないですね。
隠形で我々二人分の気配を消します。セキュリティをかいくぐりながら、離れましょう)
感知能力などなくとも潜入任務を果たすための技を鍛え上げた忍者に、ゼファーの勘の良さとARMが加わった結果、相乗効果が途轍もないことになっていた。
彼らは人の気配から離れながら、情報を探していく。
二人がここに来た第一目的は、ブランクイーゼルの情報収集。
その中には、小日向未来に関する情報の獲得も含まれていた。
ここがブランクイーゼルのアジトの一つであるならば、工作員達はここを拠点とし、グラムザンバーの破片の回収や情報の収集など、多くの活動を行っていたはずだ。
ならば当然、この拠点はブランクイーゼル本隊と物と情報のやり取りをしていたはず。
この拠点一つを抑えることで、小日向未来の現在地などの情報も手に入る、というわけだ。
未来の現在地情報をゲットしてすぐにゼファーが飛んで行けば、最高に理想的な流れになった場合、未来がさらわれてから12時間と経たず彼女を奪い返すこともできるかもしれない。
そう思って、彼らはここに居たのだが……
(……ダメですね。人の気配が、的確にこちらを追って来ています。
聖遺物の力かは分かりませんが、やっこさんはこちらの位置を正確に把握しているようです)
(さて、どうしますかね)
(この先に少し広い所があります。そこで迎え撃ってみます。
シンジさんは隠れていてもらえますか?
戦闘になった場合、シンジさんは個人で動いて情報収集を続けて下さい)
(けれどそれでは、あなたを囮に……)
(俺一人なら、天井をぶち抜くなり何なりして逃げられます。
ともかく隠れて下さい。様子を見て、そこからの判断はお任せします)
(……分かりました)
音を立てずハンドサインのみで行っていた会話が打ち切られ、緒川の姿がかき消えて、その場にゼファーの姿だけが残る。
「アクセス」
ゼファーはこれまでにないほどに滑らかに、負荷も少なく姿を変える。
いや、違う。
もはや姿を変える際の負荷を気にしなければならないほどに、その命はボロボロなのだ。
最大限に警戒するゼファーの前に現れたのは、彼が予想もしていなかった人物だった。
「おやおやおやあ? やけに物騒なお出迎えですね」
「……ウェル博士?」
何故ここに? 空母に居たのではないのか?
そう疑問に思うゼファーの前で、ウェルは和やかに笑っている。
「何故、あなたがここに?」
「『夢魔』の実験をしようと思いまして」
「夢魔……電気信号で出来た、プログラムの聖遺物ですか」
聖遺物とは、先史文明期の遺物を指す。
その中には、ヤントラ・サルヴァスパのように完全聖遺物にカテゴライズされながらも、書物型の制御装置としての機能しか持たないものもある。
先史文明期の異端技術で出来たものであれば、何だって聖遺物なのだ。
当然、その中には現代の人類では理解すら出来ないような、"プログラムの聖遺物"もまた存在する。
それが『夢魔』。
電気信号のみで構成される、電子の世界の情報生命体。
先史文明期の超科学力は恐るべきことに、ただのプログラムを確固たる生命体の領域にまで押し上げることを可能としていた。
アガートラームのデータバンクをほとんど我が物としているゼファーは、先史文明期にあったその聖遺物がどれだけ特異なものなのか、よく分かっていた。
「夢魔を人間の頭の中に入れたら、どうなるんでしょうね」
「……え?」
「いやほら、人間の脳の中って、電気信号で出来てるじゃないですか」
そして。
先史文明期において、誰もが良心からか実行も口に出すこともしなかった外法を、少し楽しげに口にするウェルを見て、ゼファーの背筋に悪寒が走る。
「電気信号で出来た生命体を頭に入れたら、人はどうなるんでしょうね?
夢魔を外部から操作できれば、どこまでできるんでしょうね?
記憶の完全消去。洗脳。新規人格の作成。理想的な従僕の生成……いやあ、何でも出来そうだ」
「……人体実験でもするつもりですか? やると言うのなら、止めます」
「え、人体実験ならもうやりましたけど」
「……っ!」
ゼファーは歯ぎしりするも、彼がそうしたところで既に行われた人体実験が、無かったことになるはずもない。
「ま、とりあえず今回は
『人格の漂白』。
『記憶の消去』。
『従順な人格の形成』。
『僕に対する忠誠心の固定化』。
『汎用系英雄人格・戦闘パターンの入力』。
この辺を基軸にしてみました。それなりに使える駒が完成したと自負していますよ」
ゼファーはそこで、ふと気付く。
感じていた人の気配は、二つだったはずだ。
なのに今では、一つしか感じない。
そう気付いて感覚を研ぎ澄ますと、目の前のウェル博士の気配の他に、もう一つぼんやりとした気配が"あるような気がする"。
ゼファーはその感覚を信じ、隙無く構える。
"この部屋には既に敵が居る"という前提で彼は思考する。
目に見えず、音も立てず、熱や電波といったものも発さずに、あらゆる索敵に引っかかりにくくするその力。それは、アガートラームに記録されていた力であった。
先史文明期のとある国家群で制式採用されていた、鏡面装甲による特殊隠密機能。
「先史の時代の恒星間戦艦、"デウスエクスマキナ"……
あれに搭載されていた隠密機能、『ウィザードリィステルス』……!?」
「……これだけで気付きますか。
いやはや、これには流石の僕もびっくりですよ。
知識があって勘が良いと、一瞬でここまで分かるものなんですねぇ」
上から来る、とゼファーの直感が感じ取る。
ゼファーは手の形を銃の形に変え、ガンブレイズの銃口を頭上に向けた。
おそらくその『敵』は奇襲して来たのだろうが、ゼファー相手に奇襲は通じない。彼に奇襲を仕掛けた挙句に、彼の銃火の直撃を食らうこととなるだろう。
隙無く、容赦なく、ゼファーは淡々と敵の奇襲を処理しようとする。
ゼファーに誤算があるとすれば、ただ一つだけ。
「ですが、少し遅かったんじゃないでしょうか? ゼファー君」
頭上から襲い掛かってきた『敵』が、"小日向未来"であったことだけだ。
「え?」
彼女は見覚えのある、紫のシンフォギアを纏っていた。
分解したはずの
何故彼女がここに?
何故適合者でもない彼女がシンフォギアを?
何故ウェルと一緒に?
何故日常そのものだった彼女が戦う力を?
何故―――彼女は俺に、敵意と憎悪と殺意を向けている?
その戸惑いが、思考の停止が、ゼファーに文字通りの"致命的な隙"を産んでしまった。
「閃光」
『二つ目の神獣鏡』がまたたく。
未来が扇型のアームドギアを展開し、そこから光を放った。
なんてこともないその光を、ゼファーはアクセラレイターで七倍速まで加速し、跳躍回避。
だが致命的な隙を作ってしまった代償は大きく、彼の肩に光がかすってしまう。
その瞬間。
ゼファーの魂が、精神が、肉体が、全て同時にすり潰されるような痛みが走った。
「が、がががが、ぎぃあ、ぎ、ぎ、あああああああああッ!?」
あまりの痛みに意識が飛び、痛みで意識が引き戻され、また飛び、また引き戻されての繰り返しが行われること十数回。
上げたことのない悲鳴をあらかた上げてから、ゼファーはナイトブレイザーの姿で倒れ込む。
そんなゼファーに見てられなくなった緒川が駆け寄り、その体を助け起こした。
「ゼファーさん!?」
「ぎゃ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ……」
「どうしたんですか!? あんな一撃が腕にかすっただけで……!?」
たった一撃で、ゼファーの意識は混濁している。
かすっただけで防御に優れるナイトブレイザーにここまでダメージを与えるとは、今の光は、一体どんな特性を持っていたのだろうか。
緒川が抱いた疑問に、聞いてもいないのに察したウェルが答え始める。
「ゼファー君の発想は実にとんでもない。
命が残り少ない。でも戦わなければならない。
ならばと肉体が崩壊寸前なことを利用し、肉体と命の因果関係を切り離す。
この発想が実に素晴らしい!
命の残量自体は変わりませんが、これならどんなに体を壊されても死に行く速度は遅くなる。
体が壊れて死に近付くのは変わりませんが、確かにこれならすぐには殺されないでしょう」
「……!」
「ですがそれならそれで、致命傷を与える方法はあるんですよ。
神獣鏡のギア特性は『凶祓い』。
ありとあらゆる聖遺物の力を消し去る、破魔の力です」
「な、にッ!?」
未来が纏う『二つ目の神獣鏡のシンフォギア』は、聖遺物殺しの力を持つ。
鏡のシンフォギアが照らし出す光は、聖遺物と聖遺物から生まれた全てのものを、一瞬で消し去るという恐るべき特性を持っていた。
かつてアースガルズ戦でフィーネがアースガルズを守ったのは、この力の応用ということなのだろう。
「古来より鏡は、真実の姿を映し出す力があるとされています。
肉体を聖遺物に蝕まれた人間ならば、この鏡が普通の人間に戻すこともあるでしょう。
ですが、彼なら? ゼファー君なら? この鏡は、どう作用するんでしょうね……?」
今のゼファーは、聖遺物で作った肉体、聖遺物がコピーし保持している精神、大半が聖遺物の魂で構成された魂、その三つで構成されている。
神獣鏡は、聖遺物と聖遺物が生み出したもの全てを消し去る力を持っている。
「『本当の意味で』、その体も、命も、聖遺物なゼファー君にこの光はよく効くようで。ふふっ」
相性は、笑えるくらいに最悪だった。
《《 》》
《 歪鏡・シェンショウジン 》
《《 》》
そしてとうとう、未来が歌い始めてしまう。
未来の優しい声色と、怖気の走るような曲調が合わさり、不協和音を奏でる。
完全に正気を失った目で淡々と歌う未来の姿には、言葉にしがたいおぞましさがあった。
未来が再び『閃光』を放つ。
仲間の危機を感知し、ゼファーは意識の混濁から瞬時に復帰。
緒川を突き飛ばし、自分も回避行動を取った。
「どいてッ!」
「! ゼファーさんッ!」
予想通り自分だけを狙ってくる未来を見て、ゼファーは大声で彼女に語りかける。
「ミク! 俺だ、ゼファーだ! 分からないのか!?」
ゼファーが大声で語りかけても、未来は眉一つ動かさない。
返って来たのは未来の言葉による返答ではなく、彼女の姿の消失という戦闘行動だった。
歌は聞こえるのに、その歌がどこから聞こえてくるのかまるで分からず、消えた未来の姿を探してもまるで見つからない。
「また消えた!?」
そうこうしている内に、ゼファーに凶祓いの光が飛んで来る。
「ッ!」
直感による超反応に幸運が重なって回避できたものの、直撃してゼファーが即死に至ったとしてもなんらおかしくない一撃だった。
ウェルは笑い、その機能の名を呟く。
「『ウィザードリィステルス』。神獣鏡は自在に姿を消すことが出来る」
次に未来が姿を表した時、未来は"五人居た"。
「!? なっ……!」
そして五人が、寸分違わず同密度の攻撃を放ってくる。
まるで鏡のこちら側と向こう側のようにその五人はそっくりで、完全に同威力の攻撃を放ってゼファーを追い詰める。
アクセラレイターを八倍速にまで引き上げ、ゼファーは空中を縦横無尽に跳躍跳躍更に跳躍。
だが未来が五人になったことで、単純な火力は五倍になった。
ウェルはメガネを押し上げながら、その機能の名を呟く。
「『ゲヘナネロス』。鏡面効果を利用した、実体のある分身」
未来は攻め手を切り替えて、四体分の分身を解除。
小型の鏡のようなものを32個発射し、それらを空中で高速機動させながら、それら一つ一つから聖遺物殺しの光を次々と発射していく。
一発でも当たればただでは済まない。
32個の鏡からそんな一撃が発射され続けるマルチアングルアタック……名を、『混沌』と言った。未来はこの混沌に、手元のアームドギアから発射する『閃光』を更に織り交ぜる。
「なっ……! く、うッ……!?」
ネガティブフレアでの防御も加え、必死に回避を続けるゼファー。
人間性の喪失により加速度的に強くなっているはずの彼が、回避と生存にかけては他に類を見ないほどの能力の高さを見せる彼が、必死に回避してようやくギリギリ。
直感で未来を知覚しているはずなのに、時間も加速させているはずなのに、セカンド・イグニッションなどの強化を何度も越えているはずなのに、それでもなお、未来は彼を追い詰めている。
ウェルは上機嫌に、その機能の名を呟く。
「『ミラーデバイス』。32機の小型浮遊機は、神獣鏡の攻撃を多角攻撃へと昇華させる」
このままでは負ける、とゼファーは判断した。
(一か八かだ!)
ゼファーは破魔の光を防ぐ焔の壁の追加を止める。
すると、神獣鏡の光はほんの数秒で張られていた焔の壁を貫通してきた。
だが、その数秒でゼファーは既に移動している。
ナイトブレイザーは空を蹴り、最高速度で未来との距離を詰めに走った。
ここでゼファーは、捨て身の覚悟で面の防御を捨てる。
右手にガンブレイズ、左手にナイトフェンサー。ピンポイントに、防御面を絞ったのだ。
ゼファーは飛んで来る光を撃ち落とし、切り落とし、一発でも仕損じれば死にかねない光の弾幕を突っ切って行く。
そしてようやく、手が届く距離にまで接近できた。
(よし、取り押さえ――)
だが、彼が手を伸ばしたその瞬間。
未来がゼファーの手を取って、流れるように彼を転ばせた。
(――!?)
綺麗に力の流れを"流された"感覚。
ゼファーは未来のその体術にディアブロを思い出し、そして事実、未来が振るったその体術はディアブロのものだった。
すなわち、彼女の体術はゼファーよりもはるか高みにあるということだ。
ゼファーは倒された体を跳ねさせ、跳び上がるように起きる。
そして未来が破魔の光を纏わせ閉じた扇を剣のように振るってくると、それを後方宙返りでなんとか回避する。
「なんだ!?」
ウェルは自分が登録したディアブロの動きにご満悦な様子で、その機能の名を呟く。
「『ダイレクトフィードバックシステム』。
ギアから人間の脳に直接干渉し、人格や戦闘技能を好きに調整・登録可能なシステム。
そこに夢魔を加えたことで、彼女はかつての自分の全てを消去、最強の自分へと至りました!
戦いの記憶、戦いの経験、戦いの技能、覚悟と意志! 今の彼女にはその全てがある!」
未来の攻撃を回避しながら、ゼファーは仮面の下に驚愕の表情を浮かべる。
「かつての自分の全てを消去、って……!」
「もうあなたの知る小日向未来なんてどこにも居ないってことですよ鈍いですねえ!」
早口気味に喜々として言って来るウェルに、ゼファーは仮面の下で歯を食いしばる。
一旦離れた未来から放たれた光を回避しつつ、ゼファーは再度チャンスを待った。
(いや……まだ……きっと、手遅れなんかじゃ―――!)
だが、そこで、ウェルの仕込んだ最後の機能が牙をむく。
「それとゼファー君、覚えてます?
僕の専門の一環には、君の『直感』の再現なども含まれると、昔言ったことを」
ゼファーの"先読みの回避"に、未来が"先読みの攻撃"を向ける。
「その子の脳に実装しておきましたよ。君と同じ、"直感能力"を」
両者共に同じ世界が見えているならば、ゼファーの直感アドバンテージは無に帰す。
ゼファーは空を蹴って曲がる。
聖遺物殺しの光が、空中で曲がる。
そうして、ゼファーにとって天敵となる光が命中した。
「ぐあがぎがあッ!? あッ!? あ、あ、ああああああああああああッ!!」
その苦しみようは、もう見ていられないほどに痛々しい。
小日向未来でなくなってしまった小日向未来。
大の親友にその命を削られているゼファー。
この二人を見て黙っていられるほど、緒川慎次はスレた大人ではなかった。
緒川はゴム弾入りの銃をウェルに向かって抜き撃つ。
だがその弾丸は、ウェルの体表で『何か』に阻まれ、届かない。
弾丸は届かずとも、ぶつけられずとも、緒川は大声をぶつけて届けた。
「人を……命をッ! 何だと思っているんだ、あなたはッ!」
「僕の命は大事ですよ、僕の命は」
「―――ッ!!」
どうするか。
どうするべきか。
考えに考える緒川の横に、死にそうな様子で跳んで来たゼファーが着地する。
「シンジさん!」
「え、なっ」
「跳びますッ!」
そしてナイトブレイザーは男性一人を抱えて、この世界から消えた。
「ほぅー……今日のオーバーナイトブレイザー戦で何か学んだ、と。
あの時の空間転移の真似?
いやこれは、ノイズが居る別位相空間への移動、といったところかな……」
今日の昼、ゼファーはオーバーナイトブレイザーが時空構造概念に穴を開け、ワームホールを通って空間移動したのを見た。
それを見様見真似で、かつ自分がよく知るものを使って再現したのだ。
ゼファーはまずネガティブフレアで世界境界に穴を開け、この世界に最も近いノイズの世界に移動、そしてウェル達から離れた位置にまで移動してから、元の世界に繋がる穴を開けて帰還するという方法を選んだのだろう。
これなら瞬間移動は出来ないが、ウェル達からは逃げられる。
考えたものだと、ウェルは一人ほくそ笑んだ。
「行きますよ。君にはもう少し、して欲しいことがありますので」
コクリと頷き、未来はウェルに従順に付いて行く。
ギアを纏いながら彼の三歩後ろを付いて行く未来の姿には、確かな信頼と忠誠心と従属心が見て取れる。
たとえ、それが植え付けられたものであったとしても。
倒れて、変身が解けて、起き上がれなくて、このまま眠りに落ちてしまえば、そのまま死んでしまうという確信があった。
「ゼファーさん! ゼファーさん!」
聖遺物殺しの凶祓い、神獣鏡。
その攻撃をたった二度、されど二度、ゼファーはその身に受けてしまった。
聖遺物で出来た彼の身に神獣鏡の一撃は、致命傷という表現ですら生ぬるい。
「しっかりして下さい! すぐに車両が来ます! 医療班も待機済みです!」
小日向未来と神獣鏡のシンフォギアのコンビは、最強にして最凶だった。
夢魔のバックアップにより接近戦でナイトブレイザーさえ上回るその強さは、まさしく最強。
あらゆる聖遺物に対し圧倒的な優位性を持つその特性は、まさしく最凶。
特に、ゼファーに対しては致命的なレベルの優位性を獲得している。
神獣鏡を纏う小日向未来は、まるでゼファーを殺すためだけに存在するかのように、彼を殺すには最高と言っていい能力構成を持っていた。
「ゼファーさん!」
運命のように、ゼファーを殺すための力がゼファーの友に配られていく。
「ここで死んでもいいんですか!? 小日向さんを置いていくんですか!?」
意識が途切れれば死ぬ、そんな確信がある。
ゆえに死ぬ気で生にしがみつき、意識を保つ。
けれどそれが精一杯で、ゼファーには話す余裕すらなかった。
おぼろげな意識の中で、彼が思うは友の安否。
自分の中の何もかもが壊れていく中、走馬灯のようにゼファーの脳裏に浮かぶのは、未来と過ごした日々の記憶。
そして絶対に破らないと誓った、未来と交わした約束だった。
いつから神獣鏡のギアが一つだけだと錯覚していた……?
神獣鏡とは個体としての名前ではなく、複数種の総称です
原作で神獣鏡は一つだけが登場していましたが、この作品の中では実は二つの神獣鏡が物語の中を行き来していました
まず二章の時系列にて、ウェル博士が神獣鏡のギア加工を依頼しています
そしてベアトリーチェが神獣鏡のシンフォギア実験にて死亡します
ここまでが二章での出来事、六年前の出来事です
そして三章の時系列にて、天羽夫妻が新たな神獣鏡を発掘します。五年前のことですね
フィーネの画策により天羽夫妻はノイズに殺され、神獣鏡はフィーネの手に渡ります
彼女はこれを四章で暗躍用に使っていました。彼女の個人所有となったわけです
これが三~四章の出来事で、五年前から二年前の出来事です
そしてフィーネの研究所で、二課のエージェントに後者の方の神獣鏡が回収されます
これが六章の出来事で、数カ月前の出来事です。これが今回分解された神獣鏡です
時系列を整えると、明確に二つの神獣鏡が物語の中を動いていたわけですね
あとこれは余談ですが、
『第十四話:アヴェンジャーズは正義か悪か』だと、スサノオが"今は亡き友に捧げる"と書いて日本の遺跡に遺品を収めたとされていますが、
『第三十一話:立花響のラブコール 6』だと、神獣鏡の持ち主はセシリアとなっており、当然セシリアはスサノオの友の中の死亡者ではないため、彼女の神獣鏡は別の場所にあるというわけです
今見直したらこの辺のガバガバ伏線を設置したの、ちょうど一年前ですね……
今年の更新はこれで最後となります。皆様、よいお年を