戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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黒幕「おかしくって腹痛いわぁ~www(以下略)ジャンジャジャーン!今明かされる衝撃の真実ゥ~www(以下略)お前って奴は、気持ちいいくらい思い通りに動いてくれるなァァ!キヒャッハハハハハハハハwww(以下略)お前にしてみりゃ、よ・か・れ・とおもってぇ~wやったんだろうけどなァ!wwwアッハハハハハハハハハハハwww(以下略)」
なんてシーンはない


4

 ジェイナス・ヴァスケスにとって、その出会いは偶然だった。

 陰謀と打算の絡まない出会いを最後にしたのは、十年以上前だというひどい経歴の彼。

 兄に裏切られ、理由の分からない疲労感を抱えながら、彼は死地へと流れ着いた。

 フィフス・ヴァンガードでの初めての出会いは、どこをどう見てもパッとしない少年。

 こんなのが同僚かと、ジェイナスは自分も少年も纏めてせせら笑った。

 無論心の中だけではなく、顔にも出して。

 

 

「ゼファー・ウィンチェスターです」

 

「ジェイナス・ヴァスケスだ。あ、俺特別任務があるんでよろしく」

 

「はぁ……ですが俺達、これから戦争ですよ」

 

「いいんだよ、覚えとけ。上の指示より俺の言うことの方が正しい」

 

「あ、はい。分かりました」

 

 

 熱の無い表情。どこか壊れているような、それでもまだ正気の域を抜け出せていない目。

 気持ち悪いくらい聞き分けのいいその少年に、彼も最初は気味の悪さしか感じなかった。

 定期的に何かを見ては何かを思い出し、頭痛で動けなくなっている子供。

 ジュニアスクールに入っているかいないかという年頃の子供が銃を握って人を殺しているのだという事実も相まって、ジェイナスはすぐに死ぬモブだと割り切った。

 どうせその子供が上司にチクるのだろうが、戦場の最前線に出るなど冗談ではない。

 適当にサボって、注意しに来た上司を口でやり込めて、これから先もサボり続ける。

 彼がその頃考えていたいい加減な未来予想図は、その程度のものだった。

 

 しかし、彼にとっても予想外が二つ。

 一つはゼファーがジェイナスのことを「何か理由がある」と上司に言ってまで弁護し、ジェイナスの味方についていたこと。

 そしてゼファーの保護者に近い位置として、ゼファーの所属する小隊の隊長……つまりジェイナスの上司であった人間が、英雄ビリー・エヴァンスであったということ。

 ありとあらゆる悪口雑言口八丁手八丁全てを無視し、その日ジェイナスの頬にビリーの剛拳が突き刺さった場面を、多くの人が見たという。

 

 

「ってーなあの野郎。加減しろってんだ」

 

「聞いたよヴァスケスさん、またサボってたって」

 

 

 しばらく経てばジェイナスのサボりも巧妙になり、ビリーの看破も見事なものとなっていた。

 数ヶ月も経てばジェイナスもビリーの思惑が見えてくる。

 ビリーはジェイナスの他人に対する悪口雑言や任務に対する不誠実さを、周りの人間にも見える場所でかつ分かりやすい形で処罰して、周囲のガス抜きをしているのだ。

 その結果、ジェイナスは刃傷沙汰にはほぼ巻き込まれていない。

 様々な形でビリーが頭を下げ、周囲との軋轢も調整しているからだ。

 余計なお世話だと、ジェイナスは唾を吐く。

 誰が頼んだのかと、誰が望んだのかと、自分に向けられる悪意が目減りした事に不満を漏らす。

 

 この地で、ビリーだけが。死にたがりの英雄ただ一人が。

 ジェイナスが他人に嫌われようとする『本当の理由』を理解してくれていた。

 それはジェイナスも分かっていて、しかしそれでもビリーを嫌わずには居られない。

 兄が居なくなった今、最大に劣等感を感じさせる男が自らの最大の理解者であるなどと、ジェイナス・ヴァスケスからすれば自死を選びたいほどの屈辱であったからだ。

 

 

「なんでそうビリーさんに喧嘩売りたがるんですか」

 

「俺が見下せねえからだよ」

 

 

 忌々しさでは、この少年も彼にとってはビリーと同格であった。

 直接的に鬱陶しいことをしてくるからではない。

 純粋に仲間として尊重してくる……それがたまらなく気持ち悪かった。

 

 数え切れないほどの嘘、土壇場での独断戦場離脱、敵の押し付け。

 少年へのジェイナスの仕打ちは一つ一つが命を失ってもおかしくはないもので、笑えないような嘘や洒落にならない保身が多分に混ざっている。

 少年を事実上の盾としたことすらあるのだ。

 それで少年がジェイナスを嫌うならいい、恨むならいい。

 しかし仲間としていまだに信頼しているのは、明らかにおかしい。

 誰もが近寄ろうとしないジェイナスに話しかけ、何度利用されても戦場で背中を預け、仲間として扱い信頼し続ける。

 全ての他人に悪意を向け、全ての他人に悪意を向けられていたジェイナスからすれば、少年の善意に鳥肌が立って仕方がないのだ。

 

 

「お前、いい加減俺の言うこと疑ったりしねえの?」

 

「?」

 

「猿だって『あいつの言うことはあてにならない』って学習ぐらいはするだろうよ。

 なんで他人の言うことを疑わない? お前、猿以下か?」

 

 

 我慢の限界に至ったジェイナスは、とうとう少年を問い詰めた。

 彼は気付いていなかった。何故、今日まで問い詰めなかったのか?

 初めて出会った時どうでもいい子供でしかなかった少年を、何故問い詰めているのか?

 放置もできず、罵倒するでもなく、何故聞くという形を取ったのか?

 聞いたところで、少年をどうするつもりだったのか?

 少年が彼に向け続けた善意は、彼の心にほんの少しの変革を促していた。

 

 

「分からないんです、そういうの。本当に正しいやり方ってどうすれば分かるんでしょうか」

 

 

 分からない、と、いつも口癖のように少年は言う。

 

 

「ただヴァスケスさんが初めて会った時に『上の指示より俺の言うことの方が正しい』と、

 そう言っていたので。運が悪かったのか俺が悪かったのか、どっちかだと思いまして」

 

 

 その返答は予想してなかったのか、ジェイナスは思わず顔に出さずに息を呑む。

 他人の言ったこと、出会ってからの日々をほとんど覚えている、忘れられない少年を見て。

 自分の不幸を、それがどんなものであっても自分を原因として帰結させる少年を見て。

 ジェイナスは、聞き流していたビリーの言葉を思い出していた。

 

 

―――他人より弱くて他人に優しい人ってのは、きっと壊れたら皆ああなるんだろうね

 

 

 心傷付くことと、大切に想う誰かを失うことを極度に恐れる。

 それは傷付きたくない弱さであり、誰かを大切に想う美徳であり。

 ジェイナスの嘘と、裏表と言っていいほど近い性質だった。

 裏切られる前に裏切る、傷付ける前に傷付ける。

 ジェイナスは生まれた時からずっと加害者の側に立っていただけで、他者から傷付けられることを徹底して避け続けているという点において少年と同類だ。

 サディストが打たれ弱い、という話を同類の例に挙げれば分かりやすいだろう。

 だから最後の最後、兄に裏切られた時。

 ジェイナスの『芯』はそのたった一度の被弾で欠けてしまっていたのだから。

 

 そんなジェイナスだからこそ分かる。

 嘘、虚偽、騙しのエキスパートの彼だからこそ、今の少年の心境が分かる。

 少年は「分からない」と最初に言った。

 何が正しいのか分からないと、そう言った。

 つまり、誰が何を言ったら正しいのか、何が間違っているのか分からないということだ。

 だから「他人の言うことは全て正しい」と、そう定義付けているのだ。

 

 

「アホじゃねえのか、お前」

 

「え?」

 

「お前がどんなに成長しようが、俺はお前を終始欠陥品として見下せる自信があるぞ」

 

「欠陥、品……」

 

 

 馬鹿げている。

 壊れているとかそういう以前に、子供が教えられるべきことを教えられていない。

 教えられていないから足りない、だから欠陥品。

 歪んでいるわけでも壊れているわけでもない、まだ挽回の効くただの子供だったという話。

 そしてその欠陥に隠れているゼファーの長所を、ジェイナスはようやく見抜くことができた。

 この欠陥を埋めたとしても、少年はジェイナスを変わらず仲間と呼ぶだろう。

 まだ発揮されていないその長所にすら、彼は安定の劣等感を抱く。

 

 

「ああそうだ、訂正する。俺の言うことに正しいことはほとんどない。

 というか俺は大嘘つきだ、覚えとけ」

 

「ええッ!?」

 

 

 誰もを信じるから、ゼファーの信頼に理由はない。

 その姿を見て、ジェイナスは遠い……今は遠い、かつての日々の記憶を思い出した。

 何故あんなにも人が裏切る世界にいて、裏切る現実を見て、裏切る日々を過ごして。

 ジェイナスは自分の兄が、絶対に自分を裏切らないと思っていたのだろうか?

 現実に兄は裏切った。誰が見ても「まるで隙がない」と評する悪人ジェイナス・ヴァスケスが、何故そんな初歩的なミスを犯したのか?

 

 それは、つまり。

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 兄を信じるのに、理由なんていらなかったからだ。

 家族を信じるのに、理由なんていらなかったからだ。

 理由なく家族みんなを信じていた幼少期が、ジェイナスにもあったからだ。

 

 その生涯において、ジェイナスは誰も彼もを裏切った。

 自分を裏切った兄ですら後に命を奪い、かつてあったその信頼を否定した。

 しかし。

 それは彼が、誰かを理由なく信じたことがないという証明にはならない。

 

 ジェイナスの目の前には、誰の言うことも理由なく信じる子供が居る。

 それは過去の彼であり、彼のその人生で裏切ってきた全ての人達そのものだった。

 兄を信じた過去の彼であり、過去に彼を信じ裏切られてきた全ての人の具象だった。

 そしてまだ裏切られていない、傷付いていない信頼だった。

 

 疑うということをまだ知らない、傷のない心。

 死から逃避し続ける傷だらけの少年の心には、まだ信じて裏切られるという傷が付いていない。

 何のあてつけだと、ジェイナスは運命とやらに心中で唾を吐いた

 悪意しか口にできないジェイナスへに対して、目の前に立つ信じることしかできない欠陥品。

 

 

「最初に言っとく。俺はこれからテメエに何度も嘘を付き続ける。

 それが嫌ならお前がべったりなあのブラウディアのジジイにでも泣きつくんだな。

 俺かテメエがどっちか別の隊に行けばいいだけの話だ」

 

 

 嘘をつけば。

 嘘に慣れれば。

 他人が嘘を付くものだとちゃんと頭に叩きこんでやれば。

 この子供だって、きっと、凡百の凡人ぐらいにはなれる。

 

 

「……うん。じゃあ、これからもよろしくお願いします」

 

「その口調も気持ち悪いんだよガキ。俺の名前は呼び捨てで、ラフに話せ」

 

「了解、ジェイナス」

 

 

 らしくない、らしくないと、ジェイナスは自分の行動の理由を自分で見出そうとする。

 そう、そうだ。

 綺麗なものを穢してやろう、嘘を付かれて普通に傷付く奴にしてやろう。

 欠陥品で特別な子供を、どこにでも居るつまんねえ奴にしてやろう。

 嘘を教えるのは生まれて初めてだが、暇潰しには悪くない。

 そんな形の、彼にとっては兄以外には初めて向ける、誰かを救うための悪意だった。

 誰を裏切っても罪悪感など感じなかった彼が、全てを失った後の虚無感の向こう側に見つけた、形にならない無意識下の、己の人生への贖罪だった。

 

 

「何笑ってんだ、あぁ?」

 

「いや、ジェイナスの顔を初めて見た気がしてさ。勘だけど」

 

「は? 顔ならいつも見てんだろ、頭おかしくなったのか?」

 

 

 兄を国の頂点に押し上げるのと比べれば、本当に小さな目的。

 それでも何もかもを失った彼が得た、生きる意味だった。

 疲れた心に少しだけ活力が満ちるのをジェイナスは感じる。

 何度悪意をぶつけても、何度裏切っても、何度手ひどく突き放しても。

 それでも仲間として信じてくれるゼファーに、彼が何を思ったかは分からない。

 彼の思いは誰も知らない。彼の行動から推測するしか無いだろう。

 

 本人からすればほぼ気まぐれから始まってほぼ黒歴史と言っていい善行もどきのこれであるが、結果から言えばジェイナスの目論見は大失敗したと言っていい。

 ジェイナスは嘘を教え、自分とゼファーの距離を離しつつ彼を凡庸な人間にするつもりだった。

 嘘を知らず誰もを信じる子供に、汚い大人というやつを教えるつもりだったのだ。

 ……が、いつとてジェイナスの予想通りに動かないのがゼファーという少年で。

 ジェイナスもまさか、『嘘付きであっても信じて受け入れられる子供』になってしまうとは想像すらしていなかっただろう。

 

 今となってはゼファーは、ジェイナスを大切な友人の一人として扱ってすらいる。

 対人関係にすら微妙に作用する直感を持っているのだと知っているジェイナスからすれば、ゼファーの好意はまるで意味が分からない。

 ラブコメでいじめっ子が自分がいじめてた異性の子に好かれてました、並の意味の分からない超展開だ。ジェイナスは自分が理由のない信頼の一段回上の信頼を向けられる理由が分からない。

 ……まあ、ゼファーからすれば単純明快な理由だが。

 

 ジェイナスが本当に悪意だけをもってゼファーに接していたなら、ジェイナスがそれをどんなに取り繕うとゼファーの直感はそれを見抜く。

 情操も育ち切っていない少年だが、その勘は本物だ。

 ゆえに、答えはおのずと分かる。知らぬは本人ばかりなり……ということで。

 ジェイナスは、悪意だけをもってゼファーに接することが出来なかった。

 彼はこの地の誰よりも悪意に満ちていて、それでも彼自身が思うほど極まった悪人でもなくて。

 全てが悪で構成された人間も、全てが善で構成された人間も、きっとこの世には居ないのだ。

 

 単にそれだけの話。

 だからこそ、ゼファーはジェイナスを大切な悪友だと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第四話:Lord Blazer 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下二階に突入したゼファー達は、ガンガン先に進んで行く。

 もうここまで来れば罠もほとんど無いのか、直感はほんの少しの警鐘も鳴らしていない。

 そのことに、ゼファーはほっと息をつく。

 不気味な熱はどんどんと濃度を増し、ゼファーの勘を妨害していく。

 それでいて勘のキレは加速度的に増していくという異常事態。

 彼自身、もう罠があったとしても自分が気付ける自信は無かった。

 ゼファーの心が、肉が、魂が、全てが少しづつ作り変わっていく、本人にすらハッキリとは自覚できない奇妙な感覚。

 この先に『何か』があり、それとは別の『何か』がゼファーに呼びかけ、ゼファーの中で『何か』が本当の姿に戻ろうとしている。

 そのどれもが、凡夫極まりないゼファーの身には余るもの。

 勘が働いてくれないゼファーは、そのどれもにも気付けない。

 

 

「ジェイナス、また壁画だ」

 

「……あそこのあれか? お前その視力半分俺にもよこせよ」

 

 

 ゼファーは現状をジェイナスに繰り返し警告するも、ジェイナスは聞く耳を持たない。

 まあそれも当然というか、自業自得な面もあった。

 「勘が効かない」とジェイナスに自己申告してからも、ゼファーは何度も罠をジェイナスの目の前で回避して見せて来たからだ。

 「それだけありゃ十分だろ」とジェイナスが判断するのも無理はない。

 加速度的に直感の効きが悪くなっていく感覚など、言葉で表しようがないのだから。

 そしてゼファー自身も、自分を待ってくれる人のためここで結果を出したいという欲があった。

 確実な結果を出してから帰りたいという、二人の意志の合致があった。

 よって、二人はどんどん先へと進んでいく。

 そんな二人の前に、また壁画が現れたのだった。

 

 

「これは……崩れてる塔、かな?」

 

「天からの落雷で崩れる巨大な塔、逃げ惑う人々……『バベルの塔』か」

 

「あ、それなら俺も聞いたことくらいはある」

 

 

 聞いたことがある、程度のゼファーにジェイナスが掻い摘んで補足していく。

 バベルの塔とは、今この世界で確認されている最古の人類文明シュメールによって立てられたと言われる、雲を越え天を衝くとまで言われた巨大な塔のことだ。

 シュメールはかつて滅びたと言われる先史文明の遺産を僅かながらに受け継いでいたというのが今の学会の定説であり、この塔もまた軌道エレベータの一種であるというトンデモ説まである。

 元はシュメール語の『カ・ディンギル』のアッカド語での別称Bab-ili|(バブ・イリ)が転じたものであり、バビロンと語源を同じくする塔である。

 カ・ディンギル、及びバベルという名には『神の門』という意味があり、これには天と地の礎の家(エ・テメン・アン・キ)という神の座す場所へと至る道という意味があった。

 家に行く途中に通る場所だから、門。

 雲を貫き天の向こう、すなわち神の住まう場所へと至る塔、ということだ。

 

 しかし神の怒りに触れた聖塔(ジッグラト)は神の雷によって砕かれ、地上には皆が同じ言葉で心を通わすことができなくなるという混乱(バラル)がばら撒かれる。

 その日から人々は神の御座に挑むことも忘れ、皆で一致団結することも忘れ、言葉を用いて本当の意味で心を通わすことも忘れ、争い合うようになってしまったと伝えられている。

 かつて存在したという偉大なる塔と、今もなお続く人々の不和(バラル)についての伝承、というわけだ。

 

 それらをジェイナスはざっくりとゼファーに教えていく。

 何故かいつものように嫌そうな顔はしていない。

 どうやら何かいいことがあったようだ。

 

 

「そしてこの伝承だが、史実だったと言われている」

 

「先史文明絡み?」

 

「そういうことだ。どうにも遺跡から発見される情報によれば、

 先史文明の滅亡はこの塔の建設の後であり、遺跡が作られたのはこの塔が崩壊した後らしい」

 

 

 遺跡の記述によれば伝承とは違い、このバベルの塔こそが統一言語を維持するシステムの一環であったという話だ。しかし、それがいかなる仕組みか知るすべはない。

 数々の遺跡から、カ・ディンギル……バベルが実在し、また崩壊したのは間違いないようだ。

 また、バベルが存在した当時に生まれた文化や伝承などもこれによって信憑性を増した。

 例えばこの時代にバベルと同語源にして後の時代にバベル跡地に生まれたと言われる国、バビロニアの「七つに分けられる世界」という概念。

 後に様々な宗教に影響を与え、七の天界と七の地獄と七に分かれた七の都市を持つ地上世界、という世界観にも発展したという説もあるそれ。

 これを転じて、「かつて大陸は七つあったのでは」という説をした学者すら居た。

 沈んだ大陸『アトランティス』の存在を主張し、それをある程度裏付けする証拠や説を展開もしたが、あいにくと今の学会ではトンデモ説扱いである。

 信じられることと、それが事実であるかどうかはまた別問題なのだ。

 

 

「人々の気持ちを一つにする塔……なんか、現実のものとは思えないくらい凄いな。

 そんなものがずっと昔にこの世界にあって、しかもそれを人が作ったなんて」

 

「全くだ。んなもんがあったら、戦争の半分は無くなるだろうよ」

 

「半分? 全部無くなるんじゃないか?」

 

「はっ、お前は何年経っても『そう』なんだろうなぁ」

 

「?」

 

 

 「世界中の人間が心通じ合えたなら」という前提で、全ての争いが無くなると思うゼファー、減って増えて最終的に半分にしかならないだろうと考えるジェイナス。

 その辺り、善悪観が対極の二人。

 

 

「けど、どうやってバベルの塔は人の意志を統一してたんだろう……」

 

「ま、お前じゃ概要の理解もできないような色んな説があるさ」

 

 

 

 物理的に電波のようなものを飛ばす?

 いや、人類全ての意思疎通を可能とする統一言語という概念を為すには、物理的距離や物理的障害によって使えなくなるようなものでは不可能だ。

 生まれた人間全てに、例えば脳処置などを施しておく?

 いや、それも現実的ではない。ディストピアなら可能かもしれないが、あまりにも非人道的過ぎる上に今度は塔が要らなくなる。

 研究者達の間で様々な仮説が立てられたが、結局バベルがどういった過程で統一言語を為し人類を纏め上げていたのか、有力な説とまで行ったものは一つもなかった。

 しかし、

 

 

「だが、さっきの部屋で調べられたことによれば察しはつく」

 

「! そういう情報もあったのか、ジェイナス」

 

「ああ。全文解読とまでは行かなかったが、写真は撮ってきたぜ」

 

 

 誰かをハメた後の詐欺師のような悪どい笑顔を浮かべ、手にしたカメラを揺らすジェイナス。

 

 

「あそこには、『魂』や『運命』に関する技術の記述があった」

 

「……ファンタジーだな」

 

「俺の話聞いてたのか腐れ脳味噌野郎。聖遺物に関しちゃ割となんでもありなんだよ」

 

 

 

 魂。

 運命。

 どちらも「ある」と言われ続け、「無いとおかしい」あるいは「あると信じた方がロマン」と長年言われ続けていたものだ。

 文学作品や娯楽作品で何かしらの形で多用される概念であり、あるのだと大多数の人間に認識されながらも、どちらも明確には科学的に観測・証明はされていない。

 あるのはせいぜい『魂の重さは21g』とかそういうのだ。

 それがある前提で書かれていた、バベルにも関するであろう記述を見つけたと彼は言う。

 

 とは言ってもジェイナス自身、そこまで理解出来たわけではない。

 文面を写した写真を専門家に解読してもらい、そこで初めて理解できるであろう専門知識だ。

 この遺跡に記されていたのもこの遺跡の機能の説明文にすぎない。

 しかし、ジェイナスほどの知識量があれば推測は立てられる。

 

 

「人間の魂、精神ってのは全人類の全てが繋がってるって仮説がある。

 魂の観測、操作、改竄を技術体系として確立させてるならそう難しいこととは思えねえ」

 

「もうちょっと俺にも分かりやすく……」

 

「人間の内的宇宙の存在を前提とした精神領域の事象地平面……つっても分かんねえだろ?」

 

「うん、さっぱり分からん」

 

「『人間の心は全て繋がってる』程度に考えとけ」

 

 

 ジェイナスが見たものは、人間を肉体・精神・魂の三つで構成される()として考え、それを前提として積み上げられた技術体系の先にあるもの。

 この施設がどう使われるものなのか正確な所までは読めなかったが、その技術の断片は門外漢のジェイナスですら戦慄させるほどの衝撃を生み出した。

 それが、降魔儀式。

 

 

「この遺跡はバベルの技術、それの発展技術のために作られた遺跡って感じだな。

 神話の塔の先にある技術、降魔儀式……そう書かれてたシステムが、地下三階にある」

 

「ジェイナスはそれが聖遺物だと睨んでるわけか」

 

「察しが良いな。俺ぁ、大当たりを引いたと思うね」

 

 

 ここの構造の情報を手にし、聖遺物の在り処とその正体についての情報を手にし、もはや将棋で言う所の王手をかけた状態と言っていいだろう。

 ジェイナスの機嫌がすこぶるよく、ゼファーに陽気に物事の解説をしていたのも納得だ。

 誰が見ても悪役にしか見えない笑みを浮かべるジェイナスは、もはや懸念事項もなく未来の成功を約束されているようなものなのだから。

 立ち回りさえ間違えなければ、山を越えた今では失敗するほうが難しい。

 

 

「俺の見立てでは技術革命が起こりかねんシロモノだろうよ、この降魔儀式ってやつは」

 

 

 降魔儀式。

 ジェイナスの理解の範疇では、これは『器』に『中身』を注ぐシステムであるらしい。

 器に注ぐ中身は物質的なものは難しいという制約こそあるものの、概念や魂といった形而上のものですら形而下の物質である器の中に注ぎこむことが出来る。

 居るのであれば神様だって、あるのならば魂だって、器の中身に放り込めるシステムだ。

 要するに、このシステムは『魂の証明』と『魂の利用』を技術的段階を二つ三つ飛ばして今すぐにでも可能にするかもしれない、そんな異端技術(ブラックアート)なのだった。

 この遺跡の保存状態の良さから考えて、経年劣化が進んでいるとは考えづらい。

 持ち帰れないサイズだったとしても、降魔儀式についての詳細を依頼人に報告して相手側で持ち帰ってくれるように頼めば聖遺物一つよりよほど歓迎されるだろう。

 それだけの価値がある。

 

 魂や概念を器の中に押し込み、器ごと壊すことで「殺す」こともできる。

 出てこないように封をすることも出来る。

 ファンタジーの中にしか無いような技術が、今現実のものとして、利用可能なシステムとして得られるのなら、それは国家予算規模の価格だとしても喉から手が出るほど欲しいものだろう。

 

 

「これ、どういう目的で作られたんだろうな」

 

「あん?」

 

 

 ただ、技術的価値にもピンと来ない、金銭的にもピンと来ないゼファー。

 彼が思いを馳せるのは、このシステムを作り上げた人の想い。

 

 

「死んだ人にでも、会いたかったのかな」

 

 

 誰も知ることはないが、それは半分だけ正解で半分だけ間違っていた。

 このシステムの基幹技術は死んだ恋人に会おうとしたとある科学者であり、その技術をこのシステムに完成させたのは父を殺されたとある科学者。

 片方は恋人の喪失に再会を願い、片方は家族の喪失に復讐を願った。

 ただ、一つだけ共通点がある。

 二人の大切な人を奪ったのは、同じ『魔神』であったということだ。

 

 

「死んだ奴は蘇らねえよ」

 

 

 そして、今は亡き過去の人が、このシステムに込めた願いに思いを馳せるゼファーを、反吐が出るような顔でジェイナスは罵る。

 

 

「死んで、忘れられて、それで終わりだ。

 今この時代にこのシステムで蘇った奴なんて生きてねえし、名前も残ってねえんだからよ」

 

「ジェイナス……」

 

 

 死人を思うゼファーを見て、ジェイナスの機嫌が悪くなるのも分からなくはない。

 大切に思うからこそ、死人のことを思い出すと心が痛む、だから忘れよう……なんて生き方をして、結局忘れられずに居る矛盾の塊こそがゼファーだ。

 大切な人が死んだ時だけ、泣かないのがゼファーだ。

 無関係の他人なら死を悼めるなんて、どこかおかしい。

 ジェイナスはゼファーの、こういう所だけは茶化すこともしないくらいに見下している。

 

 

「身内なりなんなりが死のうがな、酒呑んで女抱いて寝りゃいいんだよ。

 それだけで朝起きたら大抵の感情なんて流れて行っちまってるもんだ」

 

 

 クリスに時間をかけて変えられ続け、バーソロミューとの相対で決着を付けたゼファー。

 過去、死人のこと、それらを次々とジェイナスに口にされても向き合っていられている。

 軽い頭痛が耳を背けさせようとするが、それだけだ。

 もし、今ジェイナスが言葉を選べば、変われるかもしれない。

 ゼファー・ウィンチェスターは、大切な人の死から逃げ続ける弱者から変われるかもしれない。

 

 

「ガキなんざ『絶交する!』ってダチに言って翌日言ったことすら忘れてるとか、

 その程度でいいんだよ。テメエ両手で歳数えられる程度のガキだろ?

 もっとバカみてえにはしゃいで俺の見下せるノータリンで居りゃいいんだよ」

 

 

 バカなガキで居ろと、ジェイナスは言う。

 もしかしたら、変われるかもしれない。

 あと一歩ゼファーの側から踏み出せば、クリス達と過ごしたこの一年の結実として、ゼファーは変われるかもしれない。

 ゼファーがジェイナスへの返答として、自分の中の気持ちを言葉にしようとしたその時、

 

 

 『もし』は『もし』で終わった。

 

 

「ジェ―――」

 

「ゼ―――」

 

 

 気付いたのはほぼ同時。

 直感は完全に効力を消され、ジェイナスとゼファーの視覚が同時に反応、互いの名を呼ぶ。

 双方への警告が相手側に届く前に、天井が崩落を始める。

 トラップか、経年劣化か、それとも全く別の何かか。

 地下二階の廊下という逃げ場のない細道で、崩落する天井が二人を襲う。

 

 

(―――死―――?)

 

 

 直感はもはや何の働きもせず、ただ上を向く二人の視界を全て埋め尽くすほどの落石の壁、逃げ場はどう考えてもどこにもない。

 それでも思考停止をしてしまうほど、この二人は甘くない。

 二人の足が同時に動き出す。

 本当の土壇場にこそ、人間の本質は現れるものだ。

 片方は自分が生き残るため動き、片方はもう片方を救うため動いた。

 

 

(死んでたまるか、死んでたまるか、死んで、死んで、たまるか―――!!)

 

 

 どんなに鬱屈しようが、生きる理由すらなかろうが、生きる意志だけは捨てなかった少年。

 生きたいという気持ちを捨てられない少年。

 だからゼファーは、絶望的な瓦礫の落下の中も諦めずに『生き残ろう』とする。

 隣に居たジェイナスも、自分が今ここに居る意味も、何もかもを頭から追い出して、己の全身全霊を自身の生存のためだけに振り絞る。

 本当の土壇場にこそ、人間の本質は現れるものだ。

 片方は自分が生き残るため動き、片方はもう片方を救うため動いた。

 

 

「……えっ?」

 

 

 瓦礫の中をくぐり抜けようとしたゼファーを、ジェイナスが体ごとぶつかって押し出す。

 跳ぼうとしたゼファーの勢い、ジェイナスの全力の体当たり、二つの勢いが合わさってゼファーの身体が瓦礫の雨の範囲外へと押し出される。

 その代償は、瓦礫の中に取り残されるジェイナスの命。

 重たいものが落下する音、硬いものが割れる音、柔らかいものが潰れる音。

 それらを全て耳にしながら、ゼファーは呆然とジェイナスを飲み込んだ砂煙から目が離せない。

 本当の土壇場にこそ、人間の本質は現れるものだ。

 片方は自分が生き残るため動き、片方はもう片方を救うため動いた。

 

 

「ジェイ、ナス……?」

 

 

 砂煙が晴れれば、そこには瓦礫に下半身を潰されたジェイナスの姿。

 瓦礫の隙間から流れ出す血の量だけを見ても、致命傷は確実だ。

 ゼファーの体格では瓦礫はどけられない。即時の治療も期待できない。

 何より、帰路は瓦礫で完全に埋まってしまっていた。

 彼らは遺跡の中に生き埋めにされてしまったのだ。

 

 瓦礫に命の危機を突き付けられたゼファーは、ほぼ反射的に自分一人の生存のため行動した。

 生きたいという気持ちに従い、ジェイナスを助けようとは思いすらせず。

 自分の命と友人の命を天秤にかけ、自分の命を選ぶという至極当然の選択をした。

 クリスとの約束があったから、と言い訳をしてもいい。

 見捨てるだとか守るだとか考える暇もなかった、と言い訳をしてもいい。

 他人の命より自分の命の方が大切に決まってると、言い訳をしてもいい。

 それらの言い訳は至極正しい論理で、理由で、事実だった。

 しかしゼファー当人は、自分を誤魔化すための言い訳ですらできやしなかった。

 

 ただ自分がしてしまった選択、その果ての結末。

 とっさにとはいえ自分が友の命より自分の命を選んでしまった過酷な現実。

 ジェイナスの死というこれ以上ないしっぺ返しを受け止め、少年は苦しんでいる。

 本当の土壇場にこそ、人間の本質は現れるものだ。

 ゼファーは自分が生き残るため動き、ジェイナスはゼファーを救うため動いた。

 誰が悪い人間なのかなんて、この場面だけでは分かりやしないだろう。

 

 

「く、そが……なんで、こんな、こんな……!」

 

「! ジェイナスッ!」

 

 

 瓦礫に体の半分を潰されながらも、呻くように嘆くジェイナス。

 意識が飛んでもおかしくないほどの激痛に耐えられているのは、彼の強靭な精神力ゆえにだ。

 その言葉も表情も、途方もない無念に満ちている。

 運命を呪うというフレーズが、世界の理不尽に憎悪するというフレーズが、今のジェイナスには似合いすぎる。悪鬼羅刹と言っていい表情だった。

 現実にすら悪意を向ける。

 死に際とて変わらない彼の在り方は、先の行動が気まぐれでもなんでもないことを知らしめる。

 

 

「なんでだ、ジェイナス! お前、お前……そういうことする奴じゃなかっただろ!

 お前が死んで、俺が生きても! 嬉しくなんか……嬉しくなんか、ないんだよッ!」

 

 

 ゼファーの脳裏に浮かぶのは、目の前の光景に重なるのは、ビリーの最後。

 彼を庇って死んでしまった、たった一人の英雄の背中。

 自分を助けて命を散らした、彼の大切な人。

 大人としての責務を果たした一人の男の最後。

 頭が割れそうなほどの頭痛に耐えて、少年は大切な悪友の死を記憶に刻んでいく。

 

 

「なんで、だろうな……お前が俺よりガキだったから、気の迷いでも起こしちまったのか……」

 

 

 ガラにもないことをした、と脳裏に言葉が浮かんで消える。

 散々他人を踏み躙ってきた俺が何を今更、と脳裏に言葉が浮かんで消える。

 適当に罵倒して俺の本心を分からせてやるか、と脳裏に言葉が浮かんで消える。

 おいおいなんて顔してんだよゼファー、と脳裏に言葉が浮かんで消える。

 ジェイナスの脳裏に、言葉が浮かんでは口にされる前に泡のようにはじけて消えていく。

 

 ビリーのように、彼もまた、大人としての責務を果たしていた。

 

 彼自身、それを果たそうとした自分の気持ちにすら気付かぬままに。

 

 

「おい、ゼファー」

 

 

 ゼファーでなければ助けなかった。

 もう少し考える時間があれば助けなかった。

 二人で助かる道があるなら助けなかった。

 機嫌が良くなければ助けなかった。

 数え切れないほど、この場面でジェイナスがゼファーを助けない未来に繋がる要素はあった。

 それでも、ジェイナスが自らの命を捨ててゼファーを助けたのは紛れも無く現実で。

 ……本当の土壇場に現れた、この行動も間違いなく彼の本質の一面だ。

 人は一つの在り方、一つの気持ちだけで生きているわけではないのだから。

 

 

「てめえ、随分前に『生きてられればそれだけで良い』って言ってたけどよ……

 誰の記憶にも、どんな記録にも残らなかった人間なんて、死んだのと何が違うんだよ」

 

 

 激痛に耐えるジェイナスより、あと少し出血が重なれば死に至るジェイナスより、何故か怪我一つ負っていないゼファーの表情の方が今にも死んでしまいそうだ。

 顔は青ざめ、言葉を発する余裕すら見て取れない。

 これが最後の会話になる。

 そう思うと、ジェイナスは不思議と口が軽くなる気がした。

 彼の口から吐き出されるのは、終生語られなかった彼の本音。

 兄すらも耳にしたことのない、肉体から離れつつある彼の魂の叫びだった。

 

 

「てめえのこと覚えてる人間が皆死んじまったら、

 てめえが十歳で死んでも百歳で死んでも何も変わらないだろ」

 

 

 それは生きたいという気持ちを理由なく強く渇望できるゼファーに向けたものか?

 否。

 ゼファーと、ジェイナス自身に向けられた言葉だ。

 

 

「誰の記憶の中にも生きてなくて、それで生きてるって、言えるのかよ……?」

 

 

 世界の誰もがその人間を覚えていないなら。

 世界の誰もがその人間を認識していないなら。

 それはその人間が人知れず死んでしまうのと、何が違うのか?

 

 

「……俺は、嫌だッ……! ゲッ、ゴホッ、ゴホッ……ガハッァ!」

 

 

 血を吐きながら、むせ返りながら、苦痛に顔を歪めながら。

 青ざめた顔に脂汗が流れるも、その地獄の底から響くような声に陰りはない。

 

 

「……俺はッ! 記憶に、記録に残る人間になりたかった!

 誰でもいいッ! 悪名でもいいッ! そういう奴が居たって語り継いで欲しかったんだッ!」

 

 

 それが、彼の根源。

 他人に悪意しか向けられないという生まれ持っての性質と、セットで持っていた彼の性質。

 彼は、毒にも薬にもならない人間にだけはなりたくなかった。

 いつか忘れられる友達など、記憶から薄れていく仲間など、印象に残らない連れ合いなど、時間経過で劣化していくそんな関係は最初から願い下げだった。

 誰からも嫌われる、誰からも忘れられない人間になりたかった。

 死後の世界でも忘れられないような、そんな誰にとっての怨敵にもなれる人間に。

 いつか忘れられる記憶の中の良い人より、ずっと忘れられない悪い人になるために。

 どうでもいい人ではなく、とてもわるい人になろうとした。

 

 だから彼は、自分を忘れないで居てくれると確信できる、この少年を大切にしたのだろうか。

 ジェイナスが忘れたいと思うようなひどい思い出を刻み込んだとしても、それを少年が忘れたいと思っても、苦しみながら忘れられずに生きていく人間だったからなのだろうか。

 その答えは、ジェイナス自身にすら分からない。

 

 

「こんな所でよ……誰にも知られず、数字の上の変化しかないような死なんてよ……

 誰の、記憶にも、残っ、ちゃ、くれねえだろうよッ……!」

 

 

 一年と少し前。

 ジェイナスはビリーが死んだ次の日、バーソロミューの家で書類を見た。

 そこには淡々と死者が数字の上で整理され、政府へと送られる報告書があった。

 英雄ビリー・エヴァンスは、そこで『死者の数字を1プラスするだけの何か』となっていた。

 その時だ。

 ジェイナスがこの国から出なければと焦りだしたのは、その日から。

 どんなに優れた英雄も、どんなにみすぼらしい乞食のような人間も、死ねば一緒くたに「一人死んだ」と数字でしか表記されない現実を、彼は喉元に突き付けられた。

 ビリー・エヴァンスの死に衝撃を受けていたのは、彼も同じだったのだ。

 英雄が死んでも記録にすらならない現実の不条理を、英雄の存在が一年という時間で人々の記憶から薄れつつあるという時間の残酷さを、彼は常に見せつけられていたのだ。

 

 

「ああくそ、死にたくねえ、死にたくねえ、死にたくねえ、死にたくねえッ!!」

 

 

 死にたくないと叫ぶジェイナスは、明らかに意識が混濁している。

 失血が思考を濁らせ、強い精神力が魂を身体に繋ぎ止め、感情のままに叫ぶだけの肉と化す。

 彼自身、最早何を喋っているか自分でも分からなくなっているはずだ。

 そして下半身が潰れ、流れる血で全身を染め、死にたくないと叫ぶ彼の姿は。

 これ以上無い鋭さで、ゼファーの心を取り返しの付かない深さまで抉って行く。

 死にたくない、死にたくないと、彼は繰り返す度に少年の心を抉って行く。

 

 

「てめえもどうせ、忘れようとするんだろ、俺のことを」

 

 

 息が止まった。

 

 

「俺のことをお前の都合で忘れようとするんだろう」

 

 

 目を逸らしたいのに、耳も塞ぎたいのに、まばたきすらもできないままに凝視し続ける。

 耳は一言一句を記憶に刻み、心に傷として残す。

 

 

「ゼファー、お前」

 

 

 心臓すらも止まった、そんな錯覚すらあった。

 

 

「俺が死んでも……どうせ、()()()()()()()()()()んだろう?」

 

 

 少年の心に、ヒビが入る音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頭が割れる。

 割れる。

 痛みで割れる。

 

 

「……本当だ」

 

 

 こんなに痛いのに、こんなに苦しいのに、なんで俺が生きてるんだろうか。

 あんなにも死にたくないって叫んでたジェイナスが死んでしまって、なんで俺が?

 

 

「俺、泣いてない」

 

 

 悲しいのに泣かないなんて、大切な人が死んでしまったのに泣かないなんて、変だ。

 クリスはちゃんと泣いていた。

 大切な人が死んだなら、泣くのが普通であるはずなのに。

 泣くことこそが、その人を大切に思っていたっていう証明であるはずなのに。

 

 

「……!」

 

 

 崩れた天井の穴から、何かが落ちてくる。

 それはジェイナスの死体を踏み潰し、こちらへと歩み寄ってくる。

 

 それが天井を崩した元凶。

 それがジェイナスを殺した凶手。

 それがジェイナスの死体を踏み潰した敵。

 憎い、憎い、心から憎い、いつだって俺から全てを奪っていくもの。

 

 ブドウのノイズが、そこに居た。

 

 

「お前らか」

 

 

 ビリーさんの最期が脳裏に蘇る。

 ジェイナスの最期が脳裏に蘇る。

 数え切れないほどの戦友達が、戦場で散っていった生きたいという気持ちを持っていた人達の最期が、脳裏に蘇る。

 全て。

 それら全ての命を、こいつらは奪っていった。

 自分達が生きるためでもなく、ただ殺すために殺していった。

 奪っていった。俺の手の中から。

 

 

「また、お前らか」

 

 

 ノイズに殺された人達の顔を思い出す度に、頭が割れそうなくらいに痛む。

 殺された怒りに頭の中身が沸騰する。

 ジェイナスの言葉が頭の中をグルグル回って、わけがわからなくなる。

 思考が出来ない。頭が回らない。

 だから銃を握って戦闘態勢、自己暗示。

 

 

「大丈夫だ、なんでもないことだ、よくあることだ、いつも通り」

 

 

 ……効きが、悪い。

 いつもならもう何もかも考えないで戦える状態になれていた。

 何もかもを感情の蓋の下に押し込められていた。

 なのに、まだ雑音(ノイズ)が残っている。

 頭の中で、胸の奥で、何かにヒビが入っている感じがする。

 構わない。

 戦わないと。

 

 

「っ、とッ!」

 

 

 ブドウ型ノイズの突進を、横っ跳びにかわす。

 現状確認。

 装備、不十分。

 直感、動作していない。

 援軍、期待できない。

 体調、何故かかなり悪い。

 ……勝ち目はない、退却一択だ。

 

 このノイズが来た天井の穴から上に逃げるか、最後の聖遺物を探しに下に向かうか。

 逃げるならこの二択だ。

 生存のみを考えるなら、迷わず前者。

 俺は既に下に向かって走っているので意味の無い仮定だが。

 

 

「ジェイ、ナス……クリス……俺は……俺は……!」

 

 

 もし俺がここで自分が生きるためだけに上に逃げたとして。

 ここで逃げたら、何の成果も認められない。

 交渉ができるジェイナスはもう死んでしまった。

 聖遺物の一つでも、せめて持ち帰って交渉を成立させないと……

 

 でなければ、ここでジェイナスが死んだ意味がまるで無くなる。無くなってしまう。

 意味もなく誰かが死んだ結末なんて、認められない。許せない。

 せめて、せめて、せめて。

 何の救いにもならないけど、そこに、意味をあげなければならない。

 だって俺のせいで、ジェイナスは――

 

 

「!? くッ、っ!」

 

 

 右手に銃を、左手にジェイナスの持っていたカメラを。

 役に立たない直感ではなくて、目で見て必死にノイズの追撃をかわす。

 死ねない。生きたい。辛い。生きていたくない。死ねない。死にたくない。死ねない。

 約束があるから、死ねない。

 誓いがあるから、死ねない。

 約束した、(そこ)に帰るって。

 誓った、彼女を故郷に帰してあげるって。

 もうそれ以外、何も考えたくない。

 階段にようやく辿り着いた。

 

 

「ら、ァ、ッ!!」

 

 

 階段を全てぶっ飛ばして跳び降りる。

 着地と同時に足首から鈍い音と激痛、それをこらえて衝撃を殺しながら前に転がる。

 全身から痛みが周り、どこかからか流れた血が目に流れ込んで視界を真っ赤に染める。

 

 痛くて、苦しくて、辛くて。

 でもそれを口にしたら何かが折れてしまいそうで、ずっと口にしていなくて。

 けれどそのままじゃ耐えられないから、早く彼女の下に帰りたくて。

 その時ようやく、分かった。

 自分がずっと求めていたもの、欲しかったもの。

 俺が分かっていなかったのに、彼女はちゃんと分かってくれていた。

 『帰る場所』。

 ちっぽけでも、大切で、暖かくて、優しくて、そこに帰ると自分を奮い立たせられる。

 ユキネ……クリスは、俺の帰る場所になってくれてたんだ。

 

 そんなことに今更気付いたくらいに、俺はバカだった。

 

 

「う、い……づ、ぅ、ぎぅ……」

 

 

 痛みを訴える身体を無視して、辺りを見回す。

 その部屋は魔法陣としか言い様がない何かが敷き詰められていた。

 床も、壁も、天井も。

 その中央に、真っ黒な珠が置かれていた。

 その珠から……何故か、目が離せない。

 俺の肉が、血が、心が、魂が、全てがそれを目の前にして奮い立っていた。

 背後から、ノイズが迫ってくる音が聞こえる。

 それすらどうでもよく感じられて、俺はその珠に手を伸ばす。

 

 終わる(始まる)予感があった。

 全てが始まる(終わる)確信があった。

 何もかもがどうでもよくて、ただ感情の奔流に任せてそれに手を伸ばす。

 魂の底から「許してはならない」って気持ちが溢れ出て、もう何も考えられない。

 珠に手が触れ、俺はそれを一撫でし、強く握り。

 

 

 全力をもって、砕いた。

 

 

 視界が珠から生まれた光に包まれる。

 熱い。熱い。熱い。

 光? 違う、これは熱だ。

 炎の熱で景色が揺らめくように、世界すら揺らめかせる熱。

 世界を焼滅させる炎、魔神の焔。

 

 やってから、やらかしてから、「しまった」と正気が顔を覗かせる。

 この時ようやく戻って来た直感が、俺に理屈と条理を無視して犯してしまった罪を自覚させた。

 全てが手遅れになってから、俺は俺自身の人生最大の失態を悟る。

 最初から最後まで愚か者だった俺は、俺を踊らせていた『敵』とその時初めて相対した。

 

 紅蓮の魔神。焔の災厄。珠に見せられた映像の中で、世界を滅ぼした災害の極致。

 

 その魔神は俺を嘲笑うと、紅色の焔を吐き出し、俺はそれに呑み込まれ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【どこかの家屋のTV音声】

 

 

 

 

 

 先日起こった事件の続報が入りました。

 『紅き災厄』(ヴァーミリオン・ディザスター)と正式に呼ばれるようになったかの事件から一週間。被災地では復旧の目処どころか復旧の動きすら見られていません。

 バル・ベルデ共和国の北西地域、地元にてフィフス・ヴァンガードと呼称される紛争地域を中心とした広範囲が突如何かによって消し去られ、住民ごと消失した事件。

 気候への影響から大規模な熱エネルギーが発生したことは疑いようもなく、いずれかの国による大量破壊兵器の実験であった可能性が高いと、本日の記者会見で政府からの発表がありました。

 公式発表ではフィフス・ヴァンガード内での生存者は依然0であり、かつてない威力の大量破壊兵器が使用されたことに対して各国は警戒を強めています。

 また、事件当日「何かを見た」という証言をした人は中南米を中心に数万人にも及ぶにも関わらず、「何を見た」という証言ができた人が0であるということから、精神に作用する何らかの科学効果を広範囲にバラ撒くものであるのではないかという指摘もあり、その点においても調査が進められている模様です。

 共産圏となったバル・ベルデ共和国と、かねてより関係が悪化していた米国の関与を疑う声に対し同国はこれを否認。「これは核兵器を抑止力として成り立たせている現在の世界の平穏を揺らがしかねない事態」と事件の危険性を大きく訴えています。

 一年前にバル・ベルデ共和国より亡命したアリアス元大統領も現在行方不明となっており、今回の事件が計画的な大量破壊兵器の実験であったとの疑惑も深まっています。

 今回の事件による被害者はバル・ベルデとS国国境近くを合わせて死者60万人以上にも及ぶと言われ、これが先進国首都圏で使用されれば千万人単位の死者が出るであろうことが予測されています。

 国際連合事務総長○○氏はこれを受け―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて、この世界を焔の朱に染めた災厄があったという

 

 地より伸びた焔は天を焦がし、星の未来すら焼き尽くさんと渦を巻く

 

 存亡の危機にさらされる人類が縋った、たった一つの可能性

 

 『剣の英雄』

 

 剣を手にし、希望を背負い、たった一人の家族を守るため、彼は立ち上がる

 

 ガーディアンブレード『アガートラーム』の呼び声に導かれるままに

 

 立ち上がるすべもなかった人々は、彼の剣の一振りに希望を託し、未来を信じる

 

 剣を手にして7日目の夜───焔の災厄、その悪夢は幕を閉じる

 

 戦乱は終わり、剣の英雄は姿を消した

 

 大地に深く突き立った、聖剣アガートラームを残して

 

 時は流れ、数万年

 

 聖剣アガートラームの希望と、剣の英雄ロディの伝説と、魔神ロードブレイザーの悪夢

 

 誰もが過去を忘れた頃

 

 全ては蘇る

 

 希望も、悪夢も、伝説も




次回、一章エピローグ
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