戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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 ネフィリムの肩に乗りながら、ウェルは群がる有象無象を見下していた。

 

「退屈だ」

 

 60mの厚みがある鉄筋コンクリートすら貫通するバンカーバスターが、ネフィリムを狙って飛翔し、その肩のウェルへと直撃する。

 だが、それでもウェルには傷一つ付かない。

 当然ネフィリムにもだ。

 半ばヤケクソになっているのか、各国はありとあらゆる兵器をネフィリムにぶつけ、既に核兵器を投入して無力化されるという段階にまで進んでいる。

 

「……」

 

 なのに、ウェルの心にはこれっぽっちも危機感が湧いて来ない。

 ウェルの頭の中は、先日の戦いで復活したゼファーに負けた時の記憶でいっぱいだ。

 彼は、自分が振るう魔剣ルシエドが最強だと信じていた。

 なのに、その最強は真正面から打ち砕かた。

 最後の一撃の直前、ナイトブレイザーに睨まれたあの時……ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは、失禁してしまいそうなくらいに、ゼファーを恐れてしまっていた。

 

「……ふ、ふふふ、なんだ、これは……!」

 

 思い出すだけで、背筋がゾクゾクしてくる。

 怖くて、怖くて、どこかに行って欲しいという気持ちが湧いて来る。

 この世界から消えてなくなって欲しいという気持ちが湧いて来る。

 英雄の勇姿、強い目、出で立ちに、"ああなりたいのにああなれない"という嫉妬が湧いて来る。

 都合の良い時に現れて、なにもかもをしっちゃかめっちゃかにして、絵物語の主人公のように何もかもを引っくり返す彼の姿にこそ、ウェルは恐怖を抱いたのだ。

 

 英雄に憧れ、英雄を知る者であるからこそ。

 英雄が自分を敵と見定めて力を振るうことに、恐怖を覚えるのだ。

 

「……さて、僕の本体の方の戦いは、上手く行くと良いのだけれど」

 

 わざと"普通の人の軍"を弄ぶように進撃しながら、ウェルはポツリと呟く。

 

 東京という箱庭と、そこで逃げ惑う人々の姿が、ウェルの目に入って来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三十八話:おそらくきっと、世界でいちばん色気のない修羅場 6

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調と響が手を繋ぐ。

 調の脚部ローラー、響の脚部パワージャッキが唸りを上げて、二人の円状の動きを加速させる。

 二人は巧みな体捌きをもって、その勢いを加速させながら、響がその腕力で調をぶん回すというとんでもない姿勢に移行していた。

 

「調ちゃん!」

 

「はい!」

 

 調が頭部ユニットの大丸鋸を四枚、平行して並べる。

 捻出できる出力の全てを鋸の回転力に回した調を、響がその腕力でぶん回す……結果、調の鋸の切断力に、響の腕力が加わった一撃が完成する。

 ガングニール&シュルシャガナの、コンビネーション攻撃だ。

 

 だが、今のゼファーには通じない。

 力の増したナイトブレイザーは、その力を無駄なく腕に収束し、肩から先が目に映らなくなるほどの速度で拳撃二連撃。一撃につき二枚の刃を粉砕する形で、攻撃的な防御を成してみせる。

 調と響の攻撃は失敗に終わったが、そこから1ミリ秒と空けずに、切歌とクリスが攻めに入る。

 

「遅れんなよ、遅れたら置いてくぞッ!」

 

「了解デェスッ!」

 

 切歌は鎌の刃を飛ばす。それも普段の三つの刃ではなく、四倍に増やした十二の刃であった。

 切歌の攻めにクリスが合わせ、機関砲の砲弾を毎分最低10000発という連射速度でぶっ放す。

 クリスの砲弾は切歌の鎌に弾かれ、幾何学的な軌道を描く。切歌の鎌は砲弾に弾かれ、絶妙に読みづらい軌道に変化する。

 イチイバル&イガリマの、コンビネーション攻撃だ。

 

 だが、今のゼファーには通じない。

 ナイトブレイザーは無造作に、かつありえない次元の速度で両の腕を奔らせる。

 彼の目の前の空間で、鎌の刃と砲弾が片っ端から握り潰されていた。

 全てを見切る反応速度、正確で精密な動き、純然たる握力、どれもこれもが凄まじい。

 力強さだけでなく、技と速さも確たるものがあった。

 

「!」

 

 ゼファーは一通り攻撃を防いで即座に、両の手を銃の形とする。

 圧縮した焔を発射する焼夷弾丸、『ガンブレイズ』だ。

 だがその威力は、過去とは比べ物にならない次元に達していた。

 

「くぅっ!?」

「がっ!」

 

「響さん!」

「あっ!」

 

 脚部パワージャッキで跳ねるように跳び、調を庇った響と、狙われたクリスに焔弾が命中する。

 そして、炸裂した。

 隕石でもぶつかったのかと思うほどの速度で、二人の体が吹っ飛んでいく。

 響は腕部武装ユニットで、クリスは限定展開していたリフレクターでちゃんと防御していた。

 にもかかわらず、絶大な一撃だった。

 速く、重く、そして強烈に爆発するガンブレイズ。

 

(くっ……!)

 

 それを見て、調と切歌は一気に距離を詰めた。

 ナイトブレイザーの両の手を自由にしてはいけない、と判断したのだろう。

 

(フィーネの魂が私に宿った時、私どうなっちゃうんだろうって不安になった。

 私が私でなくなって……

 私が大切な人を傷付けるようになってしまったらどうしようって……

 そんな風に、運命を呪った事もあった。だけど、今はこの運命に感謝してる)

 

 調はフィーネから伝授された技術を総動員し、ゼファーに攻めかかる。

 臨界を超えた想いをぶつけ、遠慮などなく攻め続けた。

 けれど、ゼファーは微塵も揺らがない。

 

(友達に生きていて欲しいって願うことは!

 友達に引き止められて、死ぬことをやめるってことは!

 そんなに、変なことデスか……!?)

 

 切歌も同時に、調の攻撃に合わせて攻めかかる。

 自由奔放に刃を交錯させる彼女の攻めは、まるで狂詩曲(ラプソディー)だ。

 けれど、ゼファーは微塵も揺らがない。

 

「大切な誰かを守れることが、私の思う真の強さ、だから……!」

 

「信じ合って繋がるのが、あたしの思う真の強さ、だから……!」

 

 二人はイグナイトを(ニグレド)フェイズから(アルベド)フェイズへと移行し、戦闘可能時間を縮めることで、その戦闘力を更に飛躍的に増加させた。

 切歌が放ったワイヤーアンカーを、ゼファーはかわせただろうに、あえて受ける。

 そしてワイヤーアンカーに雁字搦めにされ、動けなくなったゼファーの前後から、調と切歌の同時攻撃が放たれた。

 互いの体をワイヤーで繋ぎ、互いの体を引っ張りながら、調は車輪で、切歌はブースターで加速し、鋸と鎌による同時切断攻撃を仕掛ける大技。

 『禁殺邪輪 Zあ破刃エクLィプssSS』。

 イグナイト時の二人が放てる、最強最大の一撃であった。

 

「できるものなら、やってみろ」

 

 それを、ゼファーはいとも容易く跳ね返した。

 単純な力でイグナイトのワイヤーアンカーを引きちぎり、アルベドフェイズに移行したイグナイトの守りを抜いて、二人に拳を叩き込む。

 痛烈なカウンターだが、今度は二人共しっかり反応できた。

 反応できて、防御できたはずだった。

 なのに……切歌と調は、殴り飛ばされた自分の体が、音速を超える音を聞いていた。

 

「俺が、させないッ! 代案も無しに、止まれだなどとッ!」

 

 馬鹿げた速度で吹っ飛んで行く調と切歌が着地する前に、腕部の装甲を焼け焦げさせた響がゼファーの懐に飛び込む。

 

「代案なんて何一つ思いつかない! 私バカだから!

 でも、私はあなたに希望をあげられないかもしれないけど!

 心ならあげられる! 想いならあげられる! これくらいしかあげられないから、全力でッ!」

 

「……もう十分に貰ってるんだ、俺は、それで十分なんだ……!」

 

「十分じゃない! 私も、皆も! まだ伝えてない気持ちが、沢山有るんだから!」

 

 先程のように響は瞬殺……されなかった。

 相対している響だからこそ、その理由が分かる。

 先程までの容赦の無さがない。先程までの躊躇いの無さがない。先程までの鋭さがない。

 ゆえに、響はほんの数秒持ちこたえる。

 その数秒で、勝機は繋がった。

 

「下がれバカ!」

 

「バカじゃなくて名前で読んでよクリスちゃん!」

 

「!」

 

 響が後ろに飛び、入れ替わりにクリスの砲弾やミサイルが飛んで来る。

 イチイバルによる一点集中大火力、それも以前翼を見て真似たレイザーシルエットによる砲撃だった。響はバク転を混じえて跳ねて逃げたが、ゼファーは追撃には動けない。

 予想以上の火力に、ゼファーはほんの少しだけ足を止められてしまう。

 そう。ほんの少しだけ、だ。

 

(! 野郎……!)

 

 ゼファーはクリスの火力に引くどころか、むしろクリスへと突っ込んでいた。

 大型ミサイルが飛んで来る。ゼファーがそれを焼き尽くす。

 ガトリング砲の砲弾が飛んで来る。ゼファーの拳が全て弾く。

 赤い宝石の如き矢が飛んで来る。ゼファーの足が蹴り潰す。

 小型ミサイルの群れが飛んで来る。ゼファーに当たるも、彼は気にせず突っ込んで行く。

 

「てめえ一人の力で支えられるほど、この世界はちっぽけなものじゃねえだろ!」

 

「そんなことは知ってる! だけどッ!」

 

「希望が残らないんだよ、今のお前の戦い方じゃ!

 生きたいって奴が絶望的な戦いに挑むのと!

 最初から死ぬつもりのやつが戦ってんのは、まるで違う!

 あたしの一番のダチを死なせたいってのか! お前はぁッ!」

 

「―――っ!」

 

「一人でアガートラーム振って……最後に何が残るんだよッ! お前が残らねえだろッ!」

 

 弾幕を突っ切って迫り来るゼファーは、クリスにはさぞかし恐ろしいものに見えていることだろう。そして同時に、たいそう哀れなものにも見えているだろう。

 クリスは弾幕の圧力を上げるが、それでもゼファーは止まらない。

 手の届く範囲にまで近付かれれば、クリスは確実に落とされる。

 

「させない!」

 

「デェス!」

 

 そこに、復帰した調と切歌が割って入って来た。

 

(シラベとキリカまで……! なんで、なんで、皆こんなにしぶといんだ!?)

 

 調は上方に跳び、上からゼファーに小型の丸鋸を連射しながら、両の手に持ったヨーヨーでナイトブレイザーの体を縛りにかかる。

 切歌は左から肩からワイヤーアンカー生成・射出を繰り返し、ゼファーの体を固定しにかかる。

 二人共、攻撃力よりも拘束力を重視した攻勢を選択していた。

 

(嘘!?)

 

 だが、それでもゼファーは止まらない。

 ゼファーはクリスの万軍に匹敵する火力を弾きながら、調の攻撃を粉砕しながら、ヨーヨーとワイヤーアンカーを引きちぎりながら、着実にクリスに向かい突き進んでいた。

 クリスが更に弾幕の密度を上げる。

 調が飛ばす鋸の数を増やし、ヨーヨーを何度も巻き付かせる。

 切歌がワイヤーの強度を上げ、生成速度を上げ、何度も何度も拘束のため射出する。

 それでもゼファーは止まらない。

 

「やああああああああああッ!」

 

 そこで、一旦下がっていた響がゼファーの背後に回り込み、突撃する。

 クリスはゼファーの正面から、調はゼファーの頭上から、切歌はゼファーの左から攻め立てていたため、ゼファーの後方から攻める分にはフレンドリーファイアの心配もない。

 響の腕にロケットブースターとナックルガードが形成され、響は体ごと、ミサイルのごとくゼファーの背中へと突っ込んで行く。

 

「―――くあうッ!?」

 

 だが、その拳がゼファーに届く前に、響は撃ち落とされた。

 ゼファーが攻撃を弾く動作の中で、ごく自然に手を銃の形にして後ろに向け、ガンブレイズを放ったのである。

 響が落とされ、ゼファーはとうとう手が届く範囲内にクリスを捉えていた。

 

「っ」

 

 ゼファーの腕がクリスの視界から消える。

 死に直面したクリスには走馬灯が見え始め、何もかもがスローモーションで見えている。

 なのに、ゼファーの腕だけは、速すぎて全く見えなかった。

 雪音クリスにこの一撃をかわす手段はない。

 ゼファーも、クリスがかわせるような甘い一撃を放ったつもりはなかった。

 

「させないデス!」

 

 だからこそ、クリスがこの一撃をかわすには、仲間の助けが必要不可欠。

 切歌はゼファーを止められないと判断するやいなや、肩からワイヤーアンカーを丸ごと射出するのではなく、片方の端を自分の方に固定したまま、もう片方の端をクリスの足に巻きつけていた。

 そして、引っ張る。

 

「うおおっ!?」

 

 クリスは切歌に転ばされ、首を狙ったゼファーの手刀は空を切る。

 切歌はそのまま一気にワイヤーアンカーを巻き取り、クリスを手元に引き寄せる。

 巻き取りは一瞬で終了し、切歌はクリスを安全圏にまで引き寄せた……はずだった。

 

「え」

 

 だがその一瞬で、ゼファーは距離をゼロにする。

 切歌がワイヤーを巻き取り、クリスがワイヤーに引っ張られていたその一瞬に距離を詰め、ゼファーは二人の鳩尾に掌底を叩き付けていた。

 

「―――」

「が―――」

 

 『浸透勁』。

 未熟な拳士の拳撃は、相手の体表のみを破壊する・相手を吹き飛ばすために力のほとんどを使ってしまう・力が相手の防御を抜けない、などの欠点を多く抱えている。

 だが達人の拳の一撃は、防御の上からでも相手の急所に衝撃を届かせ、その力を余すことなく相手の体の破壊に使い、その力の全てを敵に"浸透"させるという。

 ゆえに、浸透勁。

 

 ゼファーが二人に叩き込んだのは、それに限りなく近い一撃であった。

 クリスは声を漏らすこともできぬまま、切歌は小さく声を漏らし、その場に崩れ落ちる。

 

「クリスちゃん、切歌ちゃ―――」

 

「きりちゃ――」

 

 立ち上がった響の眉間に、ガンブレイズが突き刺さる。

 倒れた切歌に気を取られた調の背後に回り込み、肘を落とすナイトブレイザー。

 響と調も倒れ、これでゼファーを止めるためにこの場に立った者は、一人も居なくなった。

 

「……ふぅ……」

 

 弱体化はしている。

 心に迷いが戻るたび、ゼファーは弱くなっている。

 それは確かな事実だ。

 

 だが、弱体化してなお、今のゼファーは鬼神じみた強さを持っていた。

 

「負けないッ……!」

 

 だが、立ち上がる者が一人。

 立花響だ。

 この期に及んで、これだけ傷めつけられてなお、立花響は立ち上がる。

 人を惹き付ける輝きが、人を奮い立たせる輝きが、人を正道に戻す輝きが、そこにはある。

 それはゼファーを一度、絶望の底から救った輝きだ。

 

「……ああ」

 

 ゼファーは響を見て、心の底に沈殿していた感情を口から漏らしてしまう。

 言葉ではなく、声という形で。

 立花響は、本当に真っ直ぐだ。

 

「ゼっくん、泣いてる?」

 

「泣いてない」

 

 響が問い、ゼファーが否定する。仮面が彼の顔を隠している以上、真偽は誰にも分からない。

 

「ゼっくんの泣き顔も、笑う顔も、絶対に守りたい。無くしたくないって、私は思ってる」

 

 響が何か一つ言うたびに、ゼファーは心揺らいで弱くなる。

 響が何か一つ言うたびに、装者達は呻きながら身じろぎし、倒れた体を起こそうとする。

 

「この力を得てから、何度も考えたんだ。

 何故私なんだろう。

 何故私がこんなことしなくちゃならないんだろう。

 何故私に、こんな力が与えられたんだろう。

 そんな風に迷ったことは一度や二度じゃないよ。……でも、一つだけ言えることがある」

 

 最速で、最短で、真っ直ぐに、一直線に、響の言葉は胸を穿つ。

 

「この力で友達を救えるなら、それだけできっと、この力に意味はあったんだ!」

 

 響は再度腕部武装ユニットをナックルガード+ロケットブースターの形に変形させ、ゼファーを止めるべく、一直線に飛んで行く。

 

「ゼっくんを英雄に成らせたくない! 目指すなら、そんなものが要らない世界を―――!」

 

 胸の響きを伝えるために。ゼファーは構え、ポツリと呟く。

 

「ありがとう」

 

 とても苦しげに呟かれた、感謝の言葉。

 別れの言葉のように告げられたそれと同時に、ゼファーのカウンターが放たれていた。

 黒騎士のカウンターは綺麗に、響の首を狙った拳。決着に足る一撃だった。

 

 響に、ナイトブレイザーによる必殺の一撃が迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セレナに、グラムザンバーによる必殺の一撃が迫る。

 

「くっ」

 

 暗色の虹は少しだけ曲げられ、セレナの空戦機動を捉えきれない。

 だが、捉えられるのももはや時間の問題だった。

 

「ネガティブ・レインボウッ!」

 

 セレナは一切の攻撃手段を持っていない。

 彼女が撃った"ハイ・レインボウ"もネガティブ・レインボウの対となるというだけで、何の殺傷能力も持っていないのだ。

 『誰も傷付けない』という確固たるスタンスが、そのままセレナの弱点になってしまっている。

 人を傷付けない強さは、戦場ではただの弱さに成り果ててしまっていた。

 

(位置が悪い……角度が悪い……! あと少し、移動しないと!)

 

 曲線、鋭角、Z字の形。

 ありとあらゆる軌道をアトランダムに描き、セレナは空でマリアの攻撃をかわし続ける。

 マリアも背中のマントで飛べる以上、飛行能力は何のアドバンテージにもならない。

 最強の矛を持つマリアが、じりじりとセレナを追い込んで行く一方的な展開だ。

 

「ハイ・レインボウッ!」

 

 セレナが光の虹を出したのを見て、マリアは力のチャージを始めた。

 生半可な威力では相殺される、と最初の虹勝負で悟ったのだろう。

 

「イグナイトモジュール、抜剣!」

 

 マリアは更にイグナイトを起動。

 デフォルトのニグレドフェイズから、一気に最終段階のルベドフェイズへ。

 爆発的に上昇したフォニックゲインの全てを、暗色の虹につぎ込んだ。

 

「ネガティブッ、レインボウッ!」

 

 完全聖遺物だった頃のグラムザンバーと変わらない、絶殺の一撃がセレナへと飛ぶ。

 セレナが死にかねない、けれどマリアは死なないと確信している、姉妹間の不可思議な信頼が撃たせた本気の一撃。

 セレナの視界が、虹で埋まった。

 

(―――待ってた)

 

 だがこの瞬間こそ、彼女が待っていた最大のチャンスだった。

 セレナはハイ・レインボウで凝縮させたエネルギーを全て変換、今の自分が作れる最大最強の力場を生成する。

 暗色の虹と、無色透明の力場が衝突した。

 

「偏向!」

 

 そして、セレナはマリアの全力の虹の軌道を捻じ曲げ、あらぬ方向に吹っ飛ばす。

 

「え!?」

 

 セレナの意外な行動に、マリアは素っ頓狂な声を上げる。

 ハイ・レインボウがネガティブ・レインボウを撃たせるための囮であると、この流れで気付いたからだ。あえてマリアにネガティブ・レインボウを撃たせる、その理由。

 それは、マリアの制御から引き剥がされ飛んで行く、暗色の虹の行き先を見ればすぐに分かる。

 

「まさかッ!?」

 

 

 

 

 

「来たぞッ!」

 

 自衛隊の誰かが叫んだ。

 と、同時に、"飛んで来たネガティブ・レインボウ"が、ネフィリムに突き刺さる。

 ここに来て初めて、ネフィリムが苦痛の悲鳴を上げた。

 

 ネフィリムは国一つ壊す域の攻撃を受けても、傷一つ付かなかった。

 星一つ壊す域の攻撃でなければ、元より倒せなかった敵だろう。

 ゆえに、宇宙を壊す域に届きかねないグラムザンバーであれば、致命の一打を与えられるのだ。

 

 全ては、この瞬間のために。

 多くの国々が力を合わせて戦い、この瞬間まで、セレナが当てるための足止めをしてみせた。

 無数の人の心を束ねてぶつかるならば、何もかもが無駄に終わりはしない。

 

「あそこだ! 虹の着弾点を狙えッ!」

 

 ネガティブ・レインボウで空いたネフィリムの胸の大穴に、巨大なミサイルが着弾する。

 ネフィリムが更に苦痛の声を漏らした。

 傷口に塩どころか、傷口に猛毒を塗ったナイフを突き刺すような行為であったが、ネフィリムには傷口に塩程度のダメージしかなかったらしい。

 が、十分だ。

 "なら心が折れるまで傷口に塩を塗り続けてやる"と、男達は奮起する。

 

「……なんと」

 

 ウェルはネフィリムの肩から跳び、姿を消して上空から戦場を見下ろす。

 彼に戦闘者の感性はない。

 悪辣だが、最適解を出しているわけではないのだ。

 それが完全に裏目に出ていた。

 ネフィリムに脇目もふらず走れと命じていれば、あるいは大人気なく彼がルシエドを振るい戦闘に参加していれば、こうはならなかったはずなのに。

 

「これは……いかなネフィリム・ディザスターといえど、継戦は危険かな」

 

 ネフィリムの胸に空いた大穴。

 これは、魔剣ルシエドで治療しなければ全身の崩壊に繋がるだろう。

 この天と地の狭間で最強の攻撃力を持つかの槍の一撃だ。

 それに胸と心臓の1/3を消し飛ばされてしまった以上、幾多の完全聖遺物を喰らって完成したネフィリムといえど、これ以上の戦いは不可能である。

 

「そうかそうか、最初から、これが狙いで……」

 

 ウェルは素直に、感嘆の言葉を呟いた。

 

 

 

 

 

 致命の一撃を喰らい、進撃を止めたネフィリムを見る空の姉妹。

 

「セレナ、あなた最初からこれが狙いで……!?」

 

「うん」

 

 この瞬間が全てだった。

 事前に立てられていた作戦は、全てこの瞬間のためにあった。

 要はマリア、セレナ、ネフィリム。この三者を除いた他戦力の介入を徹底して排除し、回避という行為を行えないネフィリムに、ネガティブ・レインボウをぶつけることこそが目的だったのだ。

 無論、敵の動きに合わせて対応は流動的に変えるつもりであったし、ネガティブ・レインボウの目標変更先がネフィリムでない可能性もあった。不確定要素はたっぷりだ。

 ゼファーの独断専行など、最たる不確定要素であったと言えるだろう。

 だが彼らは、彼女らは、賭けに勝ったのだ。

 

「例えば、十の戦場で行われる十人対十人の戦いがあるとするよ?

 それを一対一が十の場所で行われるんだ、と思っている陣営。

 十対十であることには変わりない、連携しないと、と思っている陣営。

 この二つの陣営が戦うのなら、後者が絶対に勝つだろうって、私は思う」

 

「っ」

 

 マリアに"皆で一緒に敵に立ち向かう"という意識は無かった。セレナにはあった。

 それがこの結果を招いたと言っても過言ではない。

 チームワークとは、そういうものだ。

 

「今のマリア姉さんじゃ、私には勝てないよ」

 

「何故ッ!」

 

「自分らしく在れない者が、自分らしく在る者に勝てるはずがないでしょう?」

 

「―――!」

 

 アガートラームの装者の言葉が、マリアの胸に突き刺さる。

 

「今の姉さんを動かしているものは何?

 使命感? 後悔? 申し訳無さ? 義務感? 私と姉さんの命の価値の証明?」

 

 姉妹だからこそ、分かることもある。

 

「それとも……ゼファー君が切歌ちゃんに切られたあの時のこと、まだ尾を引いてるの?」

 

「っ、ッ、―――!」

 

 調と切歌はゼファーに許され、思いっきり泣いて、あの日のことを乗り越えた。

 だが、マリアはどうだろうか?

 "自分の選択のせいでゼファーがあんなことになってしまったのでは"と人知れず悩み、部屋で電気もつけずに一晩中壁に向き合い、自分を責めていたマリアは。

 あの日からずっと、ゼファーから逃げていたマリアは。

 今、セレナの目を真っ直ぐに見ることもできていないマリアは。

 

 あの日のことを引きずっているマリアは、セレナに全てを見抜かれていた。

 

「姉さんは、ゼファー君の犠牲を踏み越えていけない。

 姉さんは、ゼファー君にはなれない。求められた結果至る『英雄』には、なれないよ」

 

 マリアは、世界を背負い、世界のために死に、世界を救えるというタイプの人間ではない。

 彼女は一人では世界を背負えない。

 背負えてしまう人間が生まれてしまう世界など、その時点でどこかが間違っているのだ。

 ゆえに、背負えない方が正常なのだろう。

 

「私が、何もかも間違っていたとでも、言うの……?」

 

「姉さんの生き方の正否を決められるのは姉さんだけでしょ?

 それを私に聞いてどうするの? 多くの人に否定されても、その生き方を貫くって……

 正義のために悪を貫くって決めたんじゃないの? その槍で、貫くって決めたんじゃないの?」

 

「……!」

 

「人に決められた生き方に、正義は無いよ。姉さん」

 

 多くの人を救うつもりで戦ってきたマリアに、多くの人と共に戦うセレナの言葉がぶつかる。

 未来とセレナは、よく雰囲気が似ていると言われていた。

 ゼファーとマリアは、この二人をよく知る人間にはどこか似ているとよく言われていた。

 ならばこの光景が、未来にゼファーが諭されている光景と似ているのも、また必然か。

 

「私は姉さんも、ゼファー君も、間違ってたと思う。

 二人を間違ってないと言う人も居るかもしれない。

 だけど私は、私だけは、二人に"それは間違ってるよ"って言い続けないといけない気がするの」

 

 セレナ・カデンツァヴナ・イヴが、アガートラームが、マリアを止めようとするこの光景。

 何か一つ違えば、この光景も違ったのだろうか。

 セレナのアガートラームをマリアが継承し、聖剣の力を手にする未来もあったのだろうか。

 それは誰にも分からない。

 マリアはフィーネの輝き(グラムザンバー)を継承し、セレナとは違う道を選んだのだから。

 

「私は……この道を選んだ……!」

 

「正義は必ず勝つ、って陳腐な言葉に習うなら……姉さんが勝てば、姉さんが正しいのかもね」

 

 対峙。

 沈黙。

 静寂。

 そして、マリアとセレナは同時に、互いに向かって飛翔する。

 

「……ッ!」

 

 マリアが放つは『SERE†NADE』。

 左腕の装甲に小型化した槍を接続し、その周囲に巨大な暗色の虹の刃を形成、叩きつける技。

 セレナが放つは『Ave Maria』。

 体の各所に発生させている光の羽を全て左腕に集約し、光の虹を形成、叩きつける技。

 

 奇しくも鏡合わせのように、両者同種の技を放っていた。

 

「セレナあああああああああああああああああッ!!!」

 

 先に技を放ったのはマリア。

 先手を取った? 否。彼女はタイミングを見誤り、先に動いてしまったのだ。

 焦りからミスをした、と言ってもいい。

 戦いの才はマリアが上回っているが、精神状態はセレナが大きく上回っている。

 ゆえに、攻防を制する者は、この瞬間に決定していた。

 

「―――」

 

 セレナが身を捻り、マリアの左腕の刃を紙一重でかわす。

 そしてかわしざまに、セレナは体ごと回転し左腕の虹を叩きつけた。

 マリアの胴体に、セレナの虹が直撃する。

 

「あ、くっ……!」

 

「私も、ゼファー君と同じ。

 世界が一つになる時は……世界中の人達がそう願った時であるべきだと、信じてる」

 

 マリアは飛び続けることも出来ずに、苦悶の声を上げながら、地に落ちていった。

 それをセレナが、優しげな瞳で見つめている。

 

「力で皆を従えるのなんて、姉さんらしくないよ」

 

 地に足がついた瞬間、グラムザンバーのシンフォギアは解除された。

 マリアは私服に戻った自分の姿を見て、狼狽する。

 

(ギアが、強制解除され……フォニックゲインの強制制御……!?)

 

 セレナの腕に生えていた虹は、マリアの体に叩き込まれたと同時に、マリアの体内のフォニックゲインの流れを掌握する力場となった。

 体内のフォニックゲインを直接掌握されては、シンフォギアは纏えない。

 つまりはこれが、事実の決着だった。

 誰も傷付けない力を持つセレナなりの、勝利の形だった。

 

「私は……負けたのか……」

 

 正義は必ず勝つ……なんていう風に、世の中は出来ていない。

 けれど、そうであって欲しいと、誰もが願っている。

 そんな夢物語を現実にしたいと、必死に頑張る者も居る。

 

 正しさだけで生きていけるほど、世の中は甘くないけれど。

 "世界に正しく在って欲しい"という祈りだけは、この世界に満ちている。

 

 今この瞬間、敗北に至ったマリアは、自分の中の正しさと間違いを見つめ直していた。

 

「だとしたら、私は何に勝ったんだろうね……姉さんは、何に負けたのかな……」

 

「セレナ……」

 

「行こう」

 

 マリアの前に降り立ったセレナが、マリアに手を差し伸べる。

 

「大丈夫。甘いやり方だって世界は救えるよ。私達の命の価値は、そこで証明しよう」

 

 迷い。

 惑い。

 苦しみ。

 罪を抉るような痛みを隠さず、逃げず。

 

 躊躇いながらも、それらを全てを振り切り、マリアはセレナの手を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディーンハイムVSルシファア。

 創造された位相差世界の中で、錬金術師達は苦戦を強いられていた。

 

(残るは僕と、キャロル、ガリィ、エルフナイン……少し不味くなってきた)

 

 幻術を武器に、真正面から当たらないように戦っていたつもりだった。

 火は蜃気楼を生み、視界をズレさせる。

 風は光を遮り、光学的なセンサー類の全てを無力化する。

 土で外見では判別がつかない土人形を作り、囮にしたりもした。

 水の幻術を基軸にし、彼らはルシファアをからかうような戦いを心がけていたはずだった。

 

 だが、ルシファアはあまりにも強かった。

 それこそ当てずっぽうの攻撃で、アフリカ大陸全域を絨毯爆撃できるような弾幕を発射してくるような、そんな次元の違いを見せつけてきた。

 それも当然か。

 ルシファアは、敵と等速になれる異能を持つオーバーナイトブレイザーにしか負けていない。

 人にもゴーレムにも、そもそも歯が立つ者が居ないのだ。

 

「気をしっかり持て。ギリギリの場所で踏ん張れるかどうかが、大抵の場合人生の分かれ道だ」

 

 キャロルが奮起させようとするが、彼女も額から血を流している。

 彼女の足元には、破壊されたミカとレイアの躯体が転がっていた。

 

「は、はいっ!」

 

 エルフナインはキャロルの声に応えるも、ジュードから吸い上げている想い出が尽きかけな現状に、顔をしかめていた。

 ジュードの想い出が無限とはいえ、『蛇口から出る水を片っ端から使う』のと、『蛇口から出る水を年単位で溜めて、全部一気にぶちまける』のとでは出力がまるで違う。

 ルシファアを相手にしている最中では、せいぜいコップ一杯分しか溜められない。

 それがそのまま、術式の威力や規模に直結してしまっているのが現状だ。

 

「あたしはこんなとこでぶっ壊れたくないわよ。

 壊れるんなら、あのループの中で壊れてた方が幾分マシだわ」

 

 ある意味で一番経験豊富なガリィが、再度幻術を貼り直す。

 どんなセンサーでも見抜けないほどに精緻な幻術の分身が、ジュード達の姿を象り、戦場を走り始める。

 ガリィの足元にはファラの残骸が転がっていたが、ガリィは見向きもしない。

 この戦いからジュードかキャロルかエルフナインの一人だけでも生きて帰れれば、オートスコアラーは復活できる。そういう風に作られているからだ。

 だが今は、戦後の修理の話ではなく、この戦いをどう凌ぐかが問題だった。

 

「早く外の戦いが終わってくれれば……」

 

 ウェル達が退却に入るまで。

 それまでここでルシファアを足止めすることが、彼らが果たすべき責務であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネフシュタンを着た弦十郎が、空を跳ねる。

 音速を超えて走る時、いつも空気が粘っこく纏わり付くような感覚を、弦十郎は感じていた。

 それを利用する。

 粘つく空気を足場として蹴り、それで飛翔しつつ、纏わり付いて速度を殺しに来る大気をネフシュタンの力で大雑把に弾いていく。

 

 弦十郎はそれでようやく、ロンバルディアの1/3程度の速度を出せていた。

 

「ぐっ!」

 

 ロンバルディアは巡航速度で悠々と弦十郎を上回り、その爪を振り下ろす。

 弦十郎は右拳を叩きつけたが、空中では翼のあるロンバルディアの方が"踏ん張り"が利く。

 あっさりと弦十郎は弾き飛ばされ、あわや地面に叩き付けられぺしゃんこに……なるかと思いきや、空中で身を翻して猫のように着地した。

 象形拳、消力(シャオリー)、発勁の複合による非常に高度な受け身だ。

 地面にクレーターが出来るはずだった勢いは、弦十郎の体術によりあっさり殺される。

 

「ぬ」

 

 だが、ロンバルディアの爪と衝突した時の衝撃は、右拳周辺のネフシュタンを粉砕してしまったようだ。

 元より、硬度と砕けやすさの両立で中身を守り、即座に再生するというのがネフシュタンの特徴だ。この程度の損傷ならば、時間をおかずに再生を終えるだろう。

 問題は、再生の過程にこそあった。

 

 ネフシュタンは再生の過程で、使用者の肉体を巻き込みながら装甲を再構築していく。

 先史文明期にはこの再生に肉体を巻き込ませないために使う、インナー状の完全聖遺物もあったのだが、あいにくとこの時代にそんなものはない。

 ネフシュタンは弦十郎の肉も巻き込みながら、装甲を再生しようとする。

 

「やかましいッ!」

 

 が。

 なんと、弦十郎の強靭な肉体は、ネフシュタンの侵食を弾いてしまった。

 彼は皮膚と筋肉でネフシュタンの干渉を弾いたのである。

 

 ネフシュタンの再生は短時間で終了したが、恐るべきはネフシュタンの再生能力ではなく、完全聖遺物の侵食を弾いた彼の肉体だろう。

 ちょっとばかり強すぎやしないだろうか。

 まあ、このくらいでなければ、ロンバルディアと殴り合えるわけがない。

 何せ弦十郎とロンバルディアの間には、二万倍というとんでもないサイズ差があるのだから。

 

「うおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 ロンバルディアから見た弦十郎は、人間から見た0.1mm以下の小虫に等しい。

 あんまりにも小さくて、本来ならば気にもしないような敵であったが、その認識は一瞬で揺らいだ。ガン、と音が鳴り、ロンバルディアの頭が痛みと共に左に振れる。

 『それ』が自分の頭を蹴り飛ばしたのだ、と認識した瞬間。

 理性などなく、夢魔にインプットされた簡単なコマンドだけを実行するだけだったロンバルディアの脳が、本能だけを覚醒させる。

 

 "これを殺せ"、と。

 

「ッ!?」

 

 ロンバルディアが、弦十郎の方を向いて口を開く。

 その巨大な口に、次元違いの規模のエネルギーが集まっていく。

 ドラゴンは生物と機械が融合した高次の生命体だ。

 ロンバルディアを生物と見るのなら、それは息吹なのだろう。

 ロンバルディアを機械と見るのなら、それはビームなのだろう。

 かのドラゴンの口の中に溜められているものは、どちらでもあって、どちらでもなかった。

 

「『ドラゴニックガンブラスター』……!」

 

 弦十郎はゼファーから事前に情報を得ていたため、それが何であるか瞬時に理解する。

 ロンバルディアの最強兵装、ドラゴニックガンブラスター。

 これは宇宙一つを消滅させて余りある威力を、一点に集中した竜の息吹(ドラゴンブレス)だ。

 真っ当に防ぐ手段はない。

 すなわち弦十郎は、ロンバルディアから一つの宇宙に匹敵する脅威と認識されたのである。

 

(やれるか……いや、できなければ、全て終わるというだけの話!)

 

 弦十郎は構える。

 ロンバルディアは空の上、弦十郎は大地の上。このドラゴニックガンブラスターを弦十郎がどうにか出来なければ、最悪星まで粉砕される可能性がある。

 精神の消失を夢魔で補っている今のロンバルディアに、高い判断能力などないからだ。

 

「はッ!」

 

 ロンバルディアが咆哮と共に、ドラゴニックガンブラスターを放つ。

 宇宙を破壊できる威力を、m単位にまで収束して放つ一撃……先史における魔神との戦いの末期において、誰もがそうして放っていた攻撃方式が、弦十郎に向かう。

 対し弦十郎は、己の肉体と、磨き上げてきた技と、ネフシュタンの鎧を信じた。

 そしてこれまでの人生の全てを、拳に込める。

 

「せいやあああああああああああッ!!!」

 

 宇宙よりも強い竜が、そこに居る。

 宇宙をも壊す一撃が、迫り来る。

 弦十郎は居るかどうかはともかくとして、神に感謝した。

 

(若い頃、最強を目指してがむしゃらに鍛錬してた男に、宇宙より強くなる機会をくれて……!)

 

「ありがとよッ!」

 

 そして、拳を突き出す。

 彼が放ったその一撃は、武の極みと言っていい域にある一撃だった。

 化勁の極み。

 すなわち柔の極み。全ての力を流し、化し、そのまま相手に返す技巧の頂点。

 外功内功の極み。

 すなわち剛の極み。ただひたすらに、堅固で強烈な拳を打つ技巧の頂点。

 敵の力をそのまま敵に返す技に、最強の拳撃を放つための技が混じる。

 弦十郎の右拳は剛柔一体となり、ドラゴニックガンブラスターと衝突した。

 

 彼が至った武の極みは、敵の一撃を、天に吐いた唾へと変えるもの。

 

 天に吐いた唾は、必然の帰結として吐いた者の身に返る。

 

 いかな技巧か。

 

 ドラゴニックガンブラスターは反射され、ロンバルディアの口へと返った。

 

「!?」

 

 ロンバルディアの口の中に、ドラゴニックガンブラスターがぶち込まれる。

 

「ドラゴニックガンブラスター、敗れたりィッ!!」

 

 宇宙を破壊するに足る一撃は、ロンバルディアの体内で炸裂し、その体に大ダメージを与えたようだ。そう、大ダメージだ。

 ロンバルディアは信じられない生命力で、この一撃にも耐えていた。

 それどころか、ドラゴニックガンブラスターを体内に撃ち込まれたこの傷すらも、既に再生が始まっていた。

 

「チッ、しぶとい野郎だ……」

 

 対し弦十郎は、酷い有様だった。

 ドラゴニックガンブラスターの余波だけで全身のネフシュタンの鎧は剥がれ、ドラゴニックガンブラスターにぶつけた右腕に至っては、根本から完全に消滅していた。

 これが、聖遺物に選ばれなかった人間の限界。

 彼は右腕を犠牲にして、宇宙をも砕く一撃を殴り返したのだ。

 言い換えるならば、"人間は聖遺物に選ばれずともここまで行けるのだ"という証明でもあった。

 

 右腕は無くなったが、弦十郎の胸の内に不思議と喪失感は湧いて来なかった。

 今日までの人生は、この瞬間のためにこそあったのだと、そう確信できるほどの達成感と満足感……それが、彼の胸の内を満たしていた。

 宇宙に勝った。文面にすると意味が分からないが、男としてこれほど誇らしいこともあるまい。

 

「慎次ィ!」

 

「はい!」

 

 そしてその余韻に浸りながら、弦十郎は騒音公害一歩手前の大声で緒川に呼びかける。

 飛び出した緒川の手には、ソロモンの杖が握られていた。

 

「開きます! 司令ッ!」

 

 緒川が杖を操作すると、ロンバルディアの背後に異空間へと繋がる穴が開く。

 そうだ。倒せないのであれば、別の世界に送ってしまえばいい。

 ロンバルディアという脅威に対し、"完全聖遺物の使用を許可された"二課が選んだ手段は、ノイズが居る場所にロンバルディアを送るというものだった。

 

「もうッ、いッ、ぱぁつッ!!!」

 

 弦十郎の体に残っているネフシュタンの鎧は、もう右膝から下の部分しかない。

 だがネフシュタンも、弦十郎の男気に感化されたかのように、自壊しながら全力で弦十郎へと力を譲渡する。

 弦十郎は右足一本で跳び、全身ボロボロなその体で、地より天に向けて飛び蹴りを放った。

 

 人類最強の飛び蹴りが、風鳴弦十郎の右足が、再生中で動きが止まっていた竜の胸に刺さる。

 

「吹き飛びやがれええええええええッ!!!」

 

 弦十郎の蹴りの威力が、ロンバルディアを押す。

 ネフシュタンの鎧が爆散し、その爆発もロンバルディアを押す。

 そうしてロンバルディアは、鼓膜が破裂しそうな音量の咆哮を上げながら、世界の穴に吸い込まれていった。

 

「はぁ……はぁ……俺が生涯で戦った中で、間違いなく最強だったぜ、ロンバルディア……!」

 

 この世界に残された、最後のネフシュタンの鎧が終わりを迎える。

 そして風鳴弦十郎もまた、着地と同時に力なく膝をついていた。

 

「司令! 止血します!」

 

「止血しながらでいい。状況を報告しろ」

 

「はい。申し訳ありません、やはりノイズだけではセトの足止めは不可能のようです。

 ソロモンの杖を使ってノイズを壁にしたものの、予定時間の半分も稼げませんでした」

 

「……ぬぅ、どこもかしこも上手く行く、というわけにはいかないか」

 

 弦十郎は緒川に右腕の手当をされつつ、"ソロモンの杖での足止め"を命じられていた緒川の戦況報告を聞き、顔をしかめる。

 緒川はセトの足止め、セトが見つからなければそれ以外の戦力を命じられていたのだが、戦闘前の試算より悪い結果になっているようだ。

 

「よし、俺もこのまま援軍に……」

 

「腕一本無くなっているんですからじっとしていて下さい! 司令が向かうのは医務室です!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響に、ナイトブレイザーによる必殺の一撃が迫る。

 しかしその一撃は、甲高い音を響かせるだけに終わった。

 響を庇うように差し込まれた"槍と刀"が、ナイトブレイザーの拳を弾いたのである。

 

「!」

 

 ゼファーは思わず、背後に跳んで距離を取る。

 彼は一瞬、自分の目を疑ってしまったのだ。

 二年前まで、ずっと背中を預けていた仲間達。共に戦っていた二人の仲間達。

 そんな仲間達が、命を預けあった親友達が……ゼファーの前に立っていた。

 理性ではない。彼の感情が、彼に目を疑わせた。彼の感情が、彼を後退らせたのだ。

 

「我ら、両翼揃ったツヴァイウィング」

 

 輝槍・ガングニールを構えた奏が名乗りを上げる。

 

「私達の願うもののため、望むもののため、そこに居て欲しい友のため」

 

 絶刀・天羽々斬を構えた翼が名乗りを上げる。

 

「「 どんなものでも、越えてみせるッ! 」」

 

 そして、ゼファーに攻撃を仕掛けた。

 

(こんな、短時間に……!)

 

 ゼファーは翼がこんなに早く復帰したことにも驚いていた。

 イグナイトモジュールの維持限界は999秒、ニグレド・アルベド・ルベドとフェイズを進めるごとに、この制限時間は短くなっていく。

 そこからも分かることだが、この戦闘の中で経過していた時間は、非常に短いのだ。

 ゼファーが翼を殴り飛ばしてから、まだ五分と経っていないだろう。

 

 翼の骨を殴り折った感覚は、今も彼の手の中に残っていた。

 こんなにも早く復帰できるわけがないと、彼は心のどこかでたかをくくっていたのだ。

 

「ツバサ、どうしてこんなに早く……!?」

 

「気合だ! 心頭滅却すれば、火もまた涼し!」

 

「ん、な」

 

「こんなことで負けてやるものか!

 私はお前にだけは負けない! 忘れたかゼファー、あの時の約束を!」

 

 意地でも負けを受け入れないツバサが、刀でゼファーを攻め立てる。

 骨が折れているだろうに、その動きにも、眼光にも、一切の衰えは見えない。

 その時、ゼファーの脳裏に、あの日の翼の言葉が蘇った。

 

――――

 

「お前は言ったな。

 お前は、私に一度たりとも勝っていないと。

 ならそうしよう。あの日の戦いを、引き分けということにしよう」

 

「これまで私はお前に一度も負けはしなかった。

 そしてこれからも、私はお前に絶対に負けはしない。

 風鳴翼は未来永劫、最強のシンフォギア装者で在り続けると約束する」

 

「お前が暴走した時は、何度でも止めてやる。

 お前が止まりたくても止まれない時、私が代わりに止めてやる。

 お前がどんなに強くなろうとも、お前が間違えた時、止めてやれる私で在り続ける」

 

「……だから、そう強がるな。

 無理して弱さを隠すことも、無理して強くなる必要もない。

 私はずっと、お前より強い私で居てやるから。

 ゼファーは私の前では、弱いゼファーのままで居ていいんだ」

 

「私はお前に、強く在って欲しいだなんて言わない。

 お前は今のままでも、私の知る人間の中で一番強く在っていると思っているからだ。

 これ以上強くなる必要なんてない。今のままのお前が、きっと一番素敵なんだ」

 

――――

 

 ゼファーがまた、弱くなる。

 人が持っていて当然の感情を思い出し、容赦の無い強さを失っていく。

 

「合わせろ響ッ!」

「はい、奏さんッ!」

 

「ッ!」

 

 隙が生まれたゼファーの背後に回り、響と奏はコンビネーション攻撃を仕掛けた。

 二つのガングニールによる、凄まじい突破力と親和性による連携攻撃。

 ゼファーは弱体化してなお化物じみた反応速度で、それに対応した。

 

「いい加減寝てろッ!」

 

「あぐっ!?」

 

 ナイトブレイザーは手の甲で奏の槍の一撃を受け流し、左のすねを横合いから当てて響の拳をするりと流し、右の膝を響の腹に叩き込んだ。

 攻撃対象を奏でなく響としたのは、防御に隙があるかどうかで決めたのだろうか。

 ゼファーは響に膝を叩き込み、今度こそトドメを刺そうとするが、そこで奏が響の襟首を引っ掴んで後方に投げ飛ばす。ゼファーの追撃は空振り、そこから奏の連撃が始まった。

 

「久しぶりに味わってけよ、あたしのイントルード!」

 

「っ、カナデさん……!」

 

 翼の連撃に奏の連撃が折り重なり、ゼファーを攻める。

 ゼファーはとっくに初恋を乗り越えており、奏に対する恋愛感情は持っていない。

 が、それでも初恋の相手というものはどうにもやりづらいのだろう。

 ゼファーは奏と一合交えるたびに、自分の中に余分なものが蘇る感覚を覚えていた。

 

「く、っ……!」

 

「ぐ、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ……」

 

(……!)

 

「隙あり!」

 

「っ!」

 

 呻き声が聞こえ、ゼファーは思わずそちらに目をやってしまう。

 その隙を突かれて翼と奏に攻められてしまったが、なんとか回避できたようだ。

 呻き声の主は、クリス、切歌、調、響。

 倒された装者達が、呻き声を上げながら立ち上がろうとしていた。

 彼女らはゼファーに倒されながらも、負けや気絶といった決定的なラインは越えず、ギリギリのところで踏ん張って、諦めずに立ち上がろうとしている。

 

「倒しきれてない……? しぶとすぎるだろ!」

 

「それは、皆がお前から学んだものだ、ゼファーッ!」

 

「ぐッ」

 

「しぶとく食らいつく! 泥臭くとも勝利を目指す!

 決して諦めない! 私達がお前から学び、身に付けたものだ!」

 

「あたしらがこの程度で諦めるものかよ! そうだろ、お前らッ!」

 

 剣と槍にナイトブレイザーの装甲が打ち合わされる金属音の中から、奏のよく通る声が響き、倒れている者達が気合を更に増す。

 翼と奏が切り込み、ゼファーが腕を振るえばアームドギアが砕けるが、彼女らは止まらず打ち込み続ける。

 奏は拳で、翼は逆羅刹で、アームドギアの再生成が完了するまでの時間も攻め続けていた。

 

「お前一人に戦わせてなるものか!

 これは私達の大切な世界を守るための戦いだ!

 ならばお前の死と引き換えに終わらせるなどと、その時点で間違っている!

 私達にとって大切な世界だからこそ……私達も守りたいのだ! 共に、一緒に!」

 

「一緒に……、っ!」

 

 ゼファーのジャブが翼の肩に当たり、ゼファーはそこに追撃を叩き込もうとするが、割って入った奏がそれを防ぎ、ゼファーに反撃まで返してくる。

 そこでゼファーは、奏の一撃が異様に重いことに気が付いた。

 LiNKER一本分で出せる出力ではない。

 ゼファーはそこから連鎖的に、"奏のギアの出力が高い理由"も、"天羽奏という戦力がここまで温存された理由"も理解する。

 

 他の装者とぶつかった後、弱体化したゼファー・ウィンチェスターに、長期戦を捨ててブーストさせた奏を含めたツヴァイウィングをぶつけることこそが、装者達の作戦の要だったのだと。

 

「まさか、LiNKERの使用量を倍に……!? オーバードーズで、カナデさんの体も!」

 

「お前一人に全部任せたりするものかよ!

 大好きなものは自分の手で守りたい、あたしがそういう人間だって、お前知ってんだろ!」

 

「それは! そうだけれども!」

 

「……お前が要らないって言ってるわけじゃない。

 お前の手助けが必要ないって言ってるわけじゃない。

 困ってる時は助けてくれ。今日みたいに、お前が困ってる時はあたしが助けてやっから」

 

「俺は、困ってなんか……」

 

「いいや、困ってるね。だからあたしは、お前に言い続けるんだ」

 

 奏は割り込みを許さない連撃(イントルード)で攻めながら、槍と同時に言葉もぶつけていく。

 

「生きることを、諦めるなッ!」

 

「―――」

 

 天羽奏は、どんな理由があろうとも、生を諦めることを許さない。

 

「第一、お前あたしらに語ってた夢はどうした!

 皆が笑っていられる居場所を"守っていける自分になりたい"ってのがお前の夢だったろ!

 それは死んで叶えられる夢か!? 違うだろ! 生きてなきゃ叶わねえ夢だろうが!」

 

「……あ」

 

「ゼファー! あなたは具体性が無い、だなんて私達に言ってたけど……

 あなたが抱いたあの夢の話を聞いて、あなたの夢を笑った者は、一人も居なかったはずよ!」

 

 そうだ、夢だ。

 ゼファーには夢がある。

 夢とはその多くが、死して叶うものではなく、生きて叶えるもの。

 

 ならば、夢とは―――生きることを諦めない意志の、塊なのだ。

 

 あの日ゼファーが抱いた夢は、何度もゼファーに初心を思い返させた。

 あれから何年経とうとも、あの夢がゼファーを導いてくれていた。

 夢を追いかけない人生は、夢を追いかけることで、その全てが変わる。

 夢を忘れていたゼファーが今、夢を思い出したことでグラついているのと、同じように。

 

 彼の夢が、彼を救う。

 

「……俺がどう願ってようと、俺は、ここで全てを終わらせるべきなんだ……!」

 

「ならば何故、私達相手にナイトフェンサーを使わない!」

 

「……ぐ、っ……!」

 

「私達を殺しかねない刃を持てば、容赦なく戦えないからだろう! 違うか!?」

 

 動きが悪くなってきたゼファーを、ツヴァイウィングが攻めに攻める。

 ナイトブレイザーを止めるのにツヴァイウィングを、という考えは大正解だ。

 ゼファーはみるみる内に弱体化し、既にツヴァイウィングを瞬殺できないレベルにまで落ち込んでしまっている。

 だがそれでも、十二分に強かった。

 

「もう、これ以上! 俺を生かそうとしないでくれッ!!」

 

 ゼファーが叫ぶと同時に、彼の周囲で連続して大爆発が起こる。

 ネガティブフレアの連鎖爆発は、それ一つ一つがシンフォギアを一撃で破壊する威力がある。

 だがこれで装者達を倒せるだなどという甘い見積もりを、ゼファーがするはずがない。

 ゼファーは爆炎、爆煙、巻き上げられた土煙で装者全員の視界を塞ぎ、まずは一番厄介な奏を狙って、その背後に忍び寄っていた。

 

 ナイトブレイザーの手刀が振り上げられる。

 振り下ろされた時、奏の意識は刈り取られてしまうだろう。

 振り下ろされれば、の話だが。

 

「やっちまいな―――小日向」

 

 奏がニッと笑って、そう言った理由を理解する前に、ゼファーは光に包まれていた。

 

 

 

 

 

 小日向未来は、ジュード・アップルゲイト・ディーンハイムからの忠告を思い出す。

 

―――ダイレクトフィードバックシステムはカットしてある、そこは安全だよ

―――ただ、忘れてはいけない。君は適合者と言うには、あまりにも適合係数が低い

―――ミス・フィーネの遺産があってよかった。特にこの、分解された方の神獣鏡

―――これは適合者でない人間の使用を前提としている。ファウストローブに近いね

―――なら、この神獣鏡のギアに、分解した神獣鏡を使ったモジュールを組み込めばいいんだ

 

―――完全聖遺物を10としよう。分解された神獣鏡は8、分解されてない神獣鏡は7だ

―――とはいえ欠片を10揃えたところで、完全聖遺物にはなりはしない

―――けれどこの神獣鏡は、そのおかげで出力だけなら、完全聖遺物にも匹敵する

―――単純な聖遺物の量で言うのなら、15はあるわけだからね

 

―――繰り返して言うよ。君は適合者と言うには、あまりにも適合係数が低い

―――このギアを君が使用していいのは、アイドリング状態で33秒。戦闘行動で11秒

―――それ以上使用しようとしても、セーフティがかかる仕様になってる

―――ギアの使用時はこのLiNKERを忘れないように、ね

 

 そして思い出しながら、想いを込めて、光を放った。

 

「……大好きだよ」

 

 それは"真なる凶祓い"。

 本当の姿を映し出すという鏡の特性が、未来の想いに応えて一極化した結果生まれた機能。

 イガリマの魂殺しを応用すると、"少しだけ負けん気を削る"といった機能を発現させることが出来るのと同じように、神獣鏡の凶祓いもまた、応用することで似て非なる機能を発現させる。

 

 それが、『歪んだ想いを消し去る』というものだった。

 聖遺物の力は消さない。人を殺さない。ただ、心の中で鬱屈して捻じ曲がった想いのみを消す。

 先日、未来は夢魔に心の負の面を切り取られ、強調させられ、それだけを消滅させられる一歩手前まで追い込まれた。

 その時の記憶が、彼女にこの機能を発現させる一助となった。

 皮肉にも、心を操る夢魔の置き土産が、未来の力となったのだ。

 

 人の在るべき姿を映し出す鏡の一側面を用いて、未来はゼファーの歪んだ想いのみを消す。

 

「この世界も、この世界に生きている命も、ゼっくんも。

 だから誰にも滅びて欲しくない……誰にも死んで欲しくない……これは、高望みかな?」

 

「ミ、ク……」

 

「あと、私、怒ってるからね!

 必ず生きて帰るって私との約束、破る気満々じゃない!

 すごく怒ってるからね! 私を怒らせたら後が怖いって思い知って!」

 

「……うっ」

 

 未来はギアを解除し、ゼファーは狼狽しながら、自分の中の想いの一部が消えていくのを実感していた。それと同時に、『生きたい』という気持ちが強く顔を出して来る。

 速度のあるギアでゼファーを足止めし、追いついた装者達でゼファーの心に揺さぶりをかけ、十分に揺さぶった後にツヴァイウィングを投入し、最後にトドメの神獣鏡……それが装者達の真の作戦であったのだと、今気付いてももう遅い。

 

(戦意が、抜けていく……! なのになんでか、頭の中が、すっきりして……)

 

 後一押し。

 後一押しでゼファーが止まる、この局面。

 走り出したのは、全員だった。

 立花響が走った。

 雪音クリスが走った。

 風鳴翼が走った。

 天羽奏が走った。

 暁切歌が走った。

 月読調が走った。

 その手に武器なんて持たず、全員ズタボロなまま走り、その拳を振り上げる。

 

「歯ぁ、食いしばれぇーーーーーーッ!!!」

 

「ぶっ―――」

 

 そして六人同時に、その拳をゼファーに叩き込む。

 ありったけの想いを込めた拳、六人分。

 ゼファーを思い止まらせるのには、ゼファーの目を覚まさせるのには、十分すぎる拳だった。

 

(……ったく……)

 

 死のうという気持ちは既に無く。

 死ぬことをやめてしまったことで、世界に対して思う申し訳無さと後ろめたさだけがある。

 

(……俺がバカだったのか……こいつらがバカなのか……

 ……俺が正しかったのか……こいつらが正しいのか……)

 

 死ぬことをやめたのは、それが正しくないと思ったからではない。

 ただ、止められたから。ありったけの想いで止められたからだ。

 ゼファーは今でも、自分が死して世界を救うことが正しいことだと、信じている。

 

(いや、どっちでもいいか)

 

 それでも、もう、彼に死ぬ気は無かった。

 

(生きよう。たとえ、あと少しの命でも)

 

 生きて欲しいと言ってくれる皆のために、もう少しだけ生きてみようと、そう思った。

 

 

 




次回、ひとまずの決着。そしてWAで言うところのラストダンジョン編になります

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