戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

180 / 188
ゼファーの夢とウェル博士の夢が共存できないことを分かっていたのは、ウェル博士だけでした


第三十九話:アガートラームは一人の力で抜くものにあらず

 

 

 

 

「誰が英雄に相応しいかなんて、僕だって本当は分かっている」

 

「だけど、夢なんだ」

 

「諦められないから……夢なんだ」

 

 

 

 

 

第三十九話:アガートラームは一人の力で抜くものにあらず

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは、平均より少し貧しい家庭に生を受けた。

 ウェルキンゲトリクスはケルトの英雄の名から取ったと言われるファミリーネーム。ウェルはこの家名が、たまらなく好きだった。

 家族構成は母一人、子一人。

 男に捨てられ、『母』になれないまま子を持ってしまった母と、母を嗤う周囲に囲まれて、ウェルは育った。……健全とは、程遠い形で。

 

「散々男に弄ばれた挙句に捨てられたんですって。

 バカよねえ。息子一人どう育てるつもりなのかしら」

 

 人間社会に生きていく以上、他人と関わらずに生きていく方法はほとんどない。

 まして"強く正しく在れない人間"、あるいは"強く正しく在ろうとしない人間"が大多数であるのが人間社会だ。

 『こいつは見下していい』『こいつは悪口を言ってもいい』という看板を得てしまえば、『こいつは私より下だ』『こいつは立派な人間じゃない』という意識が暴挙に走らせる。

 

「あの親だもの、子の方もきっと……」

 

 ある者は同情という名の見下しから。

 ある者は非常識な人間を戒めているつもりで、悪口雑言を口にしながら。

 ある者は"他の人は分かってなくても自分は分かってる"という傲慢から。

 ウェルとその母に、最低の言葉をぶつけ続けた。

 最悪の言葉ではない。最低の言葉だ。

 

「やーい、お前のかーちゃんふしだらー!」

 

 親がそうであれば、子も真似をする。

 子供は大人の真似をして育つものだ。

 "自分が悪いことをしている自覚がない大人"の真似をして、"自分が悪いことをしている自覚のない子供"が育ち、大人達の真似をした子供達はずっとウェルを苛んでいた。

 子供達は自分が何を言っているか分かっていない。

 生まれつき頭が良かったウェルは、何を言われているか分かっていた。

 

 傷付ける子供と傷付けられる子供の間にある、埋めようのない認識の差異。

 

「え? だってウチでかーちゃんもとーちゃんも言ってんぞ? あばずれとか」

 

 それは世の中にありふれた、家庭環境をきっかけとしたいじめそのもの。

 ウェルにとって自分を罵られることも、母の悪口を言われることも、幸せだった自分の家庭を侮辱されることも、自分の幸せを憐れむという形で見下されることも、耐え難いことだった。

 そしてこの状況は、改善されるどころか悪化する。

 

 彼の生まれつきの頭の良さが次第に目立ち、頭角を現し始めたのだ。

 親は子供の頭の良さを比較する。

 子供が気にしていなくても比較する。

 ある親は子供同士の点数を比べ、ある親は平均点の下であるというだけで深刻に悩み、ある親は全国という規模で計った偏差値という絶対基準しか見ない。

 自分達が見下していた女の子供が天才であるという事実は、大人の集団に最悪に近い影響を与えていた。

 

「あの子は頭がいいわねえ。

 男に騙されたあの母親と違って。

 騙した男は当然頭良いだろうって? それもそうね。父親似なのかもしれないわね」

「あの子供は父親似だ」

「あの女を騙して、孕ませて、捨てた頭のいい男に似てるんだろうね」

 

 新しい"見下すための理由"が編み出され、大人達はそれを口にすることで笑い、母と少年はまた傷付いていく。

 少年は、自分の頭の良さを父親という存在に理由付けられた。

 少年の頭の良さは、少年の母を傷付ける理由に使われた。

 勉強を頑張るという行為ですら、大好きな母を傷付けるという結果に繋がってしまう。

 こんな環境の中で、子供はどう育つのだろうか?

 

 なんてことはない。歪むに決まっている。

 

「すみません、ちょっといいですか?

 僕、ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスと言います。実は―――」

 

 ウェルは目につく人間に事あるごとに嘘をつき、イタズラをし、騙し、子供の身でありながらも見事に大人を手玉に取っていた。

 彼は年齢が二桁にもなっていない頃から既に、周囲のどの大人よりも頭がよく、彼にとって大人を手玉に取ることなど、造作もないことだった。

 

「待てこのクソガキ!」

 

「ひゃひゃひゃ、騙される方が悪いんだよッ!」

 

 少年はまだDr.ウェルという呼称を得ていなかった頃から、彼は他人に嫌がらせをして達成感に近い爽快感を得ることに、子供らしからぬ執着を持っていた。

 

「ほら、あいつらはこんなにも簡単に僕に騙される!

 騙される奴は馬鹿なんだろう!?

 どこを見たってあんな馬鹿ばっかなんだから!

 僕は優秀なんだ! 僕は僕だから優れているんだ!」

 

 周囲への憎悪と、満たされない承認欲求は、彼を歪みに歪ませた。

 他人を下に置くという形で自分の価値を証明しようとした彼の考えは、子供が考えることとしてはさほど珍しいことではない。

 が、彼の行動は"当たり前の許し"を得られなかった。

 環境が、彼を許さなかった。

 

「ほら、やっぱり」

「あの親にしてこの子ありだね」

「頭が良くても、やっぱりクズに育ったなぁ」

 

 見下される理由が増えた。

 周囲の人間は、見下す"正当な理由"とやらを得たようだ。

 『自分の価値』という欲して当然のものを求め、周囲の人間への憎悪と憤怒を吐き出した少年の行動は、少年と母の環境を悪化させただけだった。

 

「うちの子はあんな風にならないように気を付けないと」

 

 大人達は口々にそう言い始める。"ああなってはいけないもの"として少年を扱う。

 そして子供達も、次々とそんな大人達の真似をした。

 ウェルキンゲトリクスの名は、ずっとずっと侮蔑の感情を込めて呼ばれ続ける。

 その環境に真っ先に耐えられなくなったのは、母親の方だった。

 

 "そこまで言われていい理由ではない"理由で、理不尽に言葉と環境に傷めつけられる毎日。

 優秀な少年を見下すというため、それだけのために、新たな悪質風評を付けられる環境。

 普通の女性に耐えられるわけがない。

 よくある話だ。

 多数の人間が一人の人間を追い込み、壊す。

 全てが終わった後に皆が揃って「そんなつもりはなかった」と言う。

 そして壊れた人間は……自分より弱い人間に、八つ当たるのだ。

 

「か、母さん……痛いよ……」

 

「あんたが……あんたのせいで……!」

 

 少年が天才であったことで、母親が生きる環境は悪化した。

 少年が自己の証明と復讐を兼ねて周囲に悪戯したために、母親が生きる環境は悪化した。

 「子供がやったことだから許してやれ」と第三者の立場から言うことだけなら簡単だ。

 当人でないのなら、いくらでも言えるだろう。

 

 今の彼女を見てそう言えるのなら、好きなだけ言えばいい。

 子を殴り、殴り慣れていないせいか外し、壁を殴って手の骨を折り。

 頭を掻き毟り、髪の下を血まみれにし、頭皮に引っかかった爪は剥がれ。

 見開かれた目はまばたきを忘れ、常に涙を流しながら充血しているこの女性に言えばいい。

 母として最悪だと。人として最悪だと。お前が悪いと。子を殴る時点で最悪だと。

 そう、言えばいい。

 

(母さん)

 

「あんたなんか、生まれて来なければよかったのよ!」

 

 母に殴られながら、少年は貝のように丸くなる。

 誰が悪いかだなんて、誰が正しいかだなんて、彼にとってはどうでもよかった。

 ただ、母に褒めて欲しかった。

 

(僕を見て、僕を認めて)

 

 殴られる日々を送る内、少年は思考と意識の全てを停止させ、何もかもをやり過ごすことを学んでいた。

 母に殴られているという現実を直視したくないと、そう願うのも当然だろう。

 この時少年は、まだ10歳の子供だったのだから。

 

(僕を―――)

 

 彼の心が動きを止めてから、三時間ほどが経っただろうか。

 少年はいつものように、痛みではなく規定の時間が経過したことをきっかけに、心の動きを再開させる。

 いつもより少ない体の痛みに違和感を覚えながらも、少年は顔を上げる。

 

 そして自分がうずくまっている間に首を吊っていた、母の姿を見た。

 

(―――僕を―――)

 

 優しくない世界に絶望し。

 "愛する我が子"に手を挙げる自分に絶望し。

 子に大切なことは何一つ伝えず、子に生まれて来なければよかったと吐き捨て、それ以上に『こんな世界に生まれて来たくなかった』と後悔しながら死んだ母。

 首を吊り、糞尿を垂らしながら揺れるたった一人の家族を見ながら、少年は何かを学ぶ。

 

 ある意味で、彼の人生はここから始まった。

 今の彼の人生は、愛した母親に、愛されたかった母親に、自分を産んだ母親に、自分の生を否定されたこの時点から始まった。

 『他人から認められる存在になれなければ死ぬしかない』と、この日彼は学ぶ。

 

 『誰からも認められる存在になりたい』。それが、彼の原初の渇望となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 孤児院に引き取られたウェルだが、彼はそこでも孤独な時を過ごしていた。

 真っ当な家庭環境で育てなかった子供が集まる孤児院は、その孤児院に集まった子供や孤児院の環境によって、極端な関係性が構築されることが多い。

 ウェルが引き取られた孤児院も然り。

 必要最低限の交流だけを持ち、互いに対して踏み込まず、他人のまま一つ屋根の下で暮らす……それが、その孤児院のルールだった。

 

 ウェルは孤児院の中でも、進学した先の学校でも、頭一つ抜けるどころか百は抜けてそうなレベルの頭脳の明晰さを見せる。

 ゆくゆくは歴史に名を残すだろう、と周囲の大人の誰もが彼に期待していた。

 そして同時に性根の腐りきったウェルの性格に、周囲の大人の誰もが辟易していた。

 

 彼に居場所はない。

 ただ、居場所はなくとも、好きなものはあった。

 幼い頃からずっと、ウェルは『ヒーロー』というものが好きだった。

 孤児院のテレビの前で姿勢を正してテレビを真っ直ぐに見る彼を見れば、それがよく分かる。

 

「うわぁ……!」

 

 ヒーローは負けなかった。

 ヒーローは皆に認められていた。

 ヒーローは苦しんでいる人を助けていた。

 ウェルは身を震わせ、心を奮わせ、ずっとずっと飽きもせずにそれを見続ける。

 

 子供は英雄(ヒーロー)に憧れる。

 テレビを見ながら、ああなりたいと思うのだ。

 テレビを見ながら、そうなれない格好良さに憧れるのだ。

 ああなりたい、ああなれない。

 英雄に向ける憧れが終わることなく続くと、大抵の場合はそこに行き着いてしまう。

 

「僕もいつか、あんな風に」

 

 テレビの中のヒーローに憧れるのは、子供ならさして変なことでもない。

 

「誰からも踏み躙られない!

 誰にも邪魔されない!

 誰をも好きにできる!

 誰からも認められる!

 誰よりも素晴らしく価値のある『英雄』になるんだッ!」

 

 問題なのは、彼が幼少期に歪みに歪んでいた、という一点。

 この一点が何もかもをズレさせ、あらゆるものをあらぬ方向へと向けていく。

 

「僕は! 英雄になるッ!」

 

 ウェルはヒーロー好きという生来の――ごく普通な――嗜好に、最悪の幼少期という歪みのファクターを加え、英雄になりたいという夢を得た。

 その夢を追っている間だけは、喜びを噛み締められた。

 彼はこの世界に英雄はもう居ないと思っている。

 自分が英雄になるのだと決意している。

 

 "この世に英雄(ヒーロー)が居たなら、きっとあの時僕と母さんを助けてくれたはずだ"。

 

 無意識下に、そんな気持ちを湛えながら。

 

 

 

 

 

 ウェルの性根が腐っていると言われる所以は、彼が他人に悪意をぶつけずにはいられない人間であるからだ。

 人間は基本的に、悪意には悪意、敵意には敵意、好意には好意を返す。

 友は自分を映す鏡とはよく言ったもので、他人に優しくしない人間は優しくされず、他人を好きにならない人間は決して他人に好かれない。

 

 ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは、根本の部分が歪みきっていた。

 虐待され愛を知らずに育った子の中には、やがて親になった時子を愛せない者が居るという。

 愛されなかった過去が、愛を学べなかった幼少期が、心の根本に歪みを残し、愛されることと愛すること、愛され方と愛し方を知らない人間を育ててしまうのだ。

 ウェルはこの事例の子供と、どこか似た精神構造を持っていた。

 

 愛されたいと思いながらも、愛される行動を取ることができない。

 欲しいのは認めてくれる人間であるのに、仲間を作ることができない。

 居場所を求めているくせに、自分を受け入れる人間に悪意しかぶつけられない。

 誰からも嫌われる行動しか取れない。

 当たり前に好意を形にできない。

 人の役に立つことよりも、人に嫌がらせをしている時の方が、喜びを感じてしまう。

 

 『自分にできること』と『自分が欲しいもの』が徹底して乖離しているのが、彼だった。

 

 そのため、彼は泥沼のように周囲を不幸にしていく。

 本質的な意味で幸福になれないくせに、周囲の人間が幸福になりそうになるとなんとなくで壊しに行くため、誰も幸福になっていけない。

 もしも彼が死ぬとして、死の瞬間に誰かが夢を叶えようとしていた場合、彼は死にかけの体を引きずってそれを邪魔しに行くだろう。「嫌がらせってのは最高だ」くらいは言うかもしれない。

 仮に英雄になれたとしても、人を導いたり人を幸せにすることを考えず、人を踏みつけにすることを第一として考えるため、行き着く先は最悪だ。

 それで他人に好かれるわけがない。

 周囲の人間のウェルへの評価は、因果応報であると断言して差し支え無いだろう。

 

 子供は周囲から自分に向けられたもの、子供の頃に貰ったもので自分を形成する。

 尊重を学んだ人間は他人を尊重する。尊重を知らず持ち上げられた子供は傲慢になる。

 見下され続けた子供は自分の価値を見失う。見下すことを学んでしまえば、もう手遅れ。

 ウェルはいつだって他人を見下すように嗤い、ゆえに他人に嫌われる。

 彼が周囲に漏らす悪意とは、すなわち彼が子供の頃に向けられた悪意に他ならない。

 

 ウェルは救いようがない。ウェルは性根が腐っている。ウェルは他人に害を及ぼす。

 そういう人間が生まれてくる土壌が、この世界には存在した。

 この男がもし、世界を滅ぼしたなら……それはきっと、人類単位での因果応報なのだろう。

 

 

 

 

 

 彼の人生に激的な転機があったとすれば、それは一度だけ。

 

「はじめまして」

 

 『彼』と出会った時に他ならない。

 

「俺、ゼファー・ウィンチェスターと言います」

 

 そして彼は、人生の全てを挑むに足る宿敵と、彼の人生にただ一人の友を得る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーは、不思議な少年だった。

 ウェルの罵倒は涼しげに流す。ウェルからの悪意をものともしない。

 それどころか、彼に好意まで返す始末。

 F.I.S.でウェルが出会った男の子は、どこかが壊れた英雄の卵だった。

 

「ウェル博士、何か手伝いましょうか?」

 

「じゃあそこの重いやつ全部を上の階に運んで下さい。出来る限り急いで」

 

「了解です」

 

 ゼファーはウェルの嫌味や悪意に何も感じていないわけではない。

 嫌なことを言われれば傷つくし、褒められればそれだけで嬉しそうになる。

 なのに、この少年はウェルを嫌わなかった。

 嫌がらせなど、何度されたか分からないくらいだというのに。

 

「……まあ、それをひーこら言って上の階に持って行く意味は、全く無いんですが」

 

 またこれで誰か怒るかもしれないな、とウェルはぼんやりと思った。

 ゼファーは多くの者に慕われていて、ウェルは多くの者に嫌われている。

 ウェルがゼファーに嫌がらせをすると、ゼファーはウェルを絶対に怒らないが、ゼファーの友人はウェルに怒る。

 最近はカルティケヤなどの大人も加わり、ウェルの敵はどんどん増えていった。

 ウェルの味方など元よりほとんど居なかったが、"味方でも敵でもない"はずだった人間が、ゼファーに嫌がらせをするたびに、ウェルの敵になっていく。

 

「……ふふっ」

 

 それがウェルには、たまらなく喜ばしいことだった。

 

「バル・ベルデで。フィフス・ヴァンガードで。あんな人間が生まれるものなのか……」

 

 ゼファーの生まれた場所は調査の手が入っており、ゼファー本人の話も合わせて、ゼファーがどういう環境で生まれ育ったのか、ウェルはよく理解していた。

 彼から今漏れた笑いは、そこから来ている。

 糞溜まりに等しい環境から『あんな人間』が生まれて来たことが、彼には衝撃だったのだ。

 最悪の環境が今の自分を作ったという自覚が、ウェルにはあった。

 ある程度の自己分析もできるからこそ、頭の良い人間というもの。

 

「そうだ。

 僕は僕だからこうなったんだ。

 僕は選択の結果こうなった。

 僕の全てが……環境で決まったなんてこと、あるわけがない」

 

 最悪の環境で生まれ育ち、善良に在るゼファーを見て、ウェルは思うのだ。

 自分はあんなクズ達に今も生き方を縛られている……そんなことは、ありえないのだと。

 何か一つボタンを掛け違えれば、自分がああなれていた可能性もあったのだと。

 環境で自分はこうなったのではないと、環境が悪くてもああ育った者が居ると、自分の思考を噛み締める過程を繰り返す。

 そして憎悪混じりの自己肯定と、希望じみた自己否定を、胸の奥から湧き上がらせていた。

 

「羨ましいなあ」

 

 認められている。居場所がある。周囲の人間を変える力がある。好意を向けてくれるetc…

 ウェルの目に映るゼファーは、ウェルに変化を引き起こす劇薬だった。

 劣等感を刺激されるから嫌い。嫌わず接してくれるから好き。ああなりたいと憧れるetc…

 数えきれないほどの数の感情が、沸騰する水に浮く泡のように、次々と彼の心に浮かぶ。

 

「格好悪い、泥臭い、負けすぎ、もっと優雅に勝てだなんて言う人も居るけど」

 

 誰とて、中途半端な人間に中途半端に人生を彩られたくはない。

 自分の人生の大舞台に、中途半端な相手と共に立ちたくはない。

 人は時に"お前とは戦いたくない"と言いたくなる友を得られるのと同様に、時に"敵にせよ味方にせよ彼がいい"と言いたくなるような、そんな者と出会うことがある。

 ウェルにとって、ゼファーがまさにそれだった。

 

「格好良いじゃないか」

 

 叶うにせよ、敗れるにせよ。叶うならば夢の最後には彼を使いたいと、ウェルは思っていた。

 

 

 

 

 

 ウェルの悪意から純粋さが失われたのは、いつからなのだろうか。

 ウェルの夢の純度が落ちたのは、いつからなのだろうか。

 ウェルに様々なものが混じり始めたのは、いつからなのだろうか。

 それは、ウェルとゼファーが各々の夢を語り合ったあの日であることに、まず間違いない。

 

「君、何がしたいんですか?

 研究所をどうするだとか、友達を守るだとか、そういう目の前のことではなく。

 最終的な目的……最後に、何にどうあって欲しいんですか?」

 

 その日ウェルは、ゼファーにそう言った。

 他愛なく、何気なく、ウェルらしくもない問いかけ。

 ゼファーを理解しようとする問いかけ。

 ウェルの目的からすれば、ゼファーを理解しようとするのは合理的だ。だが、合理的であってもウェルらしくはない問いかけだった。

 

「皆に……幸せで居て、欲しいんです」

 

「死ぬことも、苦しむこともなく、でも生きているだけの時間を過ごすのでもなくて……

 具体性とか全然無いですけど、でも、それでも目指したくて……

 皆がそう生きていける場所を守れる自分になれたらって、そう……」

 

 ウェルの言葉はゼファーに夢を語らせた。

 ゼファーの語る夢を聞き、ウェルはまたウェルらしくもないことを言う。

 

「それが、君の『夢』ですか」

 

「……夢?」

 

 あるいはこの時が、この二人が初めて向き合った瞬間だったのかもしれない。

 

「それが夢でなければ何なんですか。

 心から追い求めているものなのに、到底手も届きそうになくて。

 それでも焦がれるほど欲し、どれほど時間や労力や金や将来を投げ捨てるのだとしても……

 ……追い求める。諦めることも、捨てることもできずに。

 そのために、自分の将来や未来を全て食い潰したって構わないと思える。

 それ以外のものをどんなに切り捨てたって構わないと、心の底からそう思える。それが、夢」

 

 ゼファーもウェルも夢を追い、この日より七年の時が経った未来においても、未だ夢の途中。

 彼らは諦めず夢を追い続ける、そんな男達だった。

 だからこそ、この日この二人の間に生まれたものは、共感に他ならない。

 

「これが、俺の……『夢』……」

 

 ガラにもなく夢について熱く語ってしまったことに、一抹の気恥ずかしさを覚えるウェルに、今度はゼファーが問いかける。

 

「ウェル博士にも、夢があるんですか?」

 

 その問いかけは、ウェルに遠い昔の記憶を思い返させた。

 彼がまだ十代だった頃、彼には恋した女性が居た。初恋だった。

 ウェルはその女性に自分の夢を語り……そして、笑われた。

 思いっきり笑われた。

 それ以来一度も、彼は他人に夢を語ったことはない。

 その記憶は、ウェルを傷付けた記憶であり、夢を大切に想う気持ちの隣に刻まれていた記憶。

 

「僕は」

 

 なのに、何故だろうか。

 夢を笑われた記憶を思い返しながら、ウェルは、自然と自分の夢を口にしていた。

 

「『英雄』に、なりたいんだ」

 

 それはウェル自身も気付かぬ内に、"肯定して欲しい"という祈りに似た希望を込めた言葉。

 

「いい夢だと思います」

 

 なればこそ、ゼファーがそれを肯定しないわけがない。

 ゼファーは、ウェルのその夢を、笑わなかった。

 ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは生まれて初めて……自分の夢を語り、笑われず、肯定されるという喜びを味わっていた。

 

(―――)

 

 ゼファーに"自分がウェルにどれだけの感動を与えた"のかの自覚は無い。

 ウェルが口にしない限り、この日この時の感動は一片足りともゼファーには伝わるまい。

 ゆえにゼファーは知りもしない。

 自分がどれほどの影響と感情の動きを、ウェルに与えているかなど。

 

「へへ、競争でもしてみますか?

 俺の夢とウェル博士の夢、どっちが早く叶うかって」

 

 夢を語り合う相手も、夢を競い合う相手も、得られるだなんて想像もしていなかった。

 なのに、今は居る。

 

「残念ながら、僕の夢は叶うまで秒読みの段階ですので」

 

「ええっ!?」

 

「まあそれでも乗りますよ、その競争。勝てる勝負には乗っておきましょう」

 

「それズルくないですかね」

 

 ウェルは自分の夢と、ゼファーの夢。それがぶつかり合った結果、自分の夢が勝つにしても負けるしても……悪くない気分に、なれる気がした。

 ウェルの夢に、そうして不思議な色がつく。

 

「なんだか、ようやく……ウェル博士と友達になれた気がします」

 

「気持ち悪ッ」

 

「えっ、あっ、すみません。すぐ離します」

 

「……冗談ですよ。全く、ユーモアセンスも無いんですか貴方は」

 

「ええぇ……」

 

 生まれてこの方友達なんて出来たことのない男に、友達が出来た。

 子供のように嬉しがりながらも、ウェルはその喜びを顔には出さない。

 たった一人の友達だから。

 

 夢叶うにしろ、夢敗れるにしろ、夢の終わりは『彼』がいいと、ウェルは思っていた。

 

 

 

 

 

 だからか時々、ウェルらしくもないこともしてしまう。

 

「じゃあ僕からはこれを」

 

 あの日、ネフィリムに立ち向かうゼファーに、ガングニールを投げ渡した時もそうだ。

 

「ウェル博士、これなんですか?」

 

「先週届いた聖遺物ですよ。『聖遺物・ガングニール』。その先端です」

 

「えっ」

「えっ」

「えっ」

「えっ」

 

 他にいくらでも方法はあった。

 未研究のガングニールを渡す必要はなかった。

 だがウェルは、ゼファーが『帰って来なければ』と思う理由を作ることだけを考え、ガングニールの破片を投げ渡していた。

 

「え、いや、ちょ、なんで?」

 

「囮をやるんでしょう? ですが、ただの人間にアレは食いついては来ませんよ。

 飢餓状態のネフィリムは餌となる聖遺物を求める……

 それを持っていれば、ネフィリムはあなたに食いついてくるってわけです」

 

「なるほど……あ、ありがとうございます、ウェル博士」

 

 投げ渡してから後悔もしたが、渡した後に"やっぱり返せ"とは言えないわけで。

 泣く泣く、ウェルはガングニールをゼファーに預けたままにする。

 

「まだ何もデータを取っていませんので、必ず返しに戻って来てください」

 

「……! はい、必ず!」

 

 このガングニールが後に別の人間の手に渡り、ゼファーの未来を大きく、ウェルの未来を小さく変えるだなんて、誰も予想してはいなかっただろう。

 

「おいおい、Dr.ウェルは熱でもあるのか……?」

「あの人が未研究の所有してる聖遺物を他人に預けるとか」

「いや待て、そういえばさっきも30分とか言ってリスクを減らしてやろうとしてたような」

「なんてことだ、Dr.ウェルは頭がおかしくなってしまったんだな」

「偽物じゃね?」「偽物か」「何だ偽物か、ビビらせやがって」

 

「君ら僕をなんだと思ってるんですか?」

 

 皆、ゼファーが無事に帰り、ウェル博士にガングニールを返すと信じていた。

 ウェルですら信じていた。

 彼が、必ずここに返って来ると。

 

 なのにゼファーの死の報が来て、F.I.S.は一気に揺れた。

 ウェルはその時自分がどんな感情を抱いたのか、まるで覚えていない。

 自分がその感情を恥じ、全てを忘れるために酒をたらふく飲んだことだけは覚えている。

 

 その後少し経ってから、ゼファー生存の報が来て、F.I.S.はまた揺れた。

 ウェルはその時自分がどんな感情を抱いたのか、まるで覚えていない。

 自分がその感情を恥じ、全てを忘れるために酒をたらふく飲んだことだけは覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時が流れる。

 ゼファーが多くの戦いをくぐり抜け、ウェルが野望の準備の合間にそれを鑑賞する日々が続く。

 ブランクイーゼルの蜂起は間近に迫り、彼は誰よりも多くの仕事を振られ、誰よりも早くそれを片付ける毎日を送っていた。

 ウェルは深夜にサーバールームで一人キーボードを叩いていたが、そこにマリアがやって来る。

 

「ドクター、コーヒーが入ったわよ」

 

「おや、ご苦労様です」

 

 マリアが少し眉を顰める。

 ただのお礼にも聞こえるが、ウェルが何の含みもなく感謝するわけがない。

 彼は常日頃から「ご苦労様って、目下の人に対して使う言葉なんですよ」と言っており、ことあるごとに「ご苦労様」と他人に礼を述べている。

 特に意味は無い。

 強いて言うならば、他人に不快感を与えることを彼が楽しく感じているからだ。

 

 切歌くらいに負けん気が強ければウェルのご苦労様にご苦労様と返すくらいはやるが、マリアは眉を顰めるだけでスルーした。

 

「それとこっちが夜食です。ドクター、お菓子ばっかり食べてると体壊すわよ」

 

「好きで食べてるので余計なお世話ですよ。

 ……しかし、前から思っていたんですが、どういう意図があるんですかこれ?」

 

「意図?」

 

「ぶっちゃけあなた、僕のこと嫌いでしょう?」

 

 マリアからウェルに向けられる好感度はほぼ0に等しい。

 ウェルはその辺をちゃんと理解しているので、変な勘違いを起こすことはまずない。

 

「なんでこうされるのか、僕から見りゃ不気味ってわけで」

 

 だが、だからこそ、マリアの行動への理解に確信を持てない部分があった。

 

「それは、その……正直に言ってしまえばあまり好きではないけれど……」

 

 マリアは言葉を選ぶ。

 が、直接嫌いとは言っていないが、かなりどストレートな言葉のチョイスだった。

 

「それでも、体を壊せばいいだなんて思ったことはないわ。

 不幸になってしまえばいいと思ったこともない。ドクターにも健康で居て欲しいもの」

 

「……なるほど」

 

 どストレートな、優しさだった。

 

(聖剣に選ばれる人間は、総じて甘かったりするのだろうか)

 

 マリアはウェルが好きではない。が、マリアは優しい。

 それだけで、ウェルの健康を気遣うには十分すぎる。

 そしてウェルは、少し真っ当な優しさを向けられるだけでその人間を特別視してしまうような、愛や優しさに飢えた人間だった。

 ここにも分かりづらく、変な方向にしか転がらない好意が生まれる。

 ウェルの初恋の相手とマリアの容姿が少し似ていたのも、それに拍車をかけた。

 

 マリアが部屋を出て行くのを見てから、ウェルはくちゃくちゃと音を立てつつ食事を取る。

 ウェルはマリアに対し特別な感情を抱いていた。

 が。

 彼がキーボードを叩き、モニターに向かった途端、その感情は全て吹っ飛んで行く。

 母への想いも、異性への感情も、ブランクイーゼルの仲間も、どうでもよくなっていく。

 『英雄』という目標に一心不乱に向かうウェルの頭の中に、余分な感情が介在する余地はなかった。

 

「僕の、僕だけの、理想の英雄」

 

 英雄になりたい。その感情は、彼の夢から生まれるもの。

 ゼファーを英雄にしてやりたい。その感情は、彼の友情と憧れから生まれるもの。

 英雄になるには誰からも認められる実績が必要で、そのためには戦乱が必要だった。

 

「ああ、早く英雄になりたい……」

 

 "僕もああなりたいなあ"と夢を語る者が居る。

 "俺もいつかああなりたい"と夢を語る者が居る。

 "将来ああなれたらいいな"と夢を語る者が居る。

 だがウェルはその誰とも違い、"早くなりたい"と言った。なれることは確定であるかのように。

 

 英雄になりたい。英雄にしてやりたい。

 この二つの感情は相反するようで反発せず、彼の中でどろりと溶けて混ざっていく。

 英雄とは何か。

 力ある者だ。

 他人から認められる者だ。

 世界を平和にし、英雄としての自分の存在意義を消しながら生きているゼファーとは対極的に、ウェルは世界に混乱をもたらし、英雄の存在意義を生みながら生きることを決めていた。

 

「さて、そのためにも、もうひと頑張りしますか」

 

 コーヒーを飲みきり、彼はまた手を動かしていく。

 子供の頃と比べると随分と変わった今の自分を自覚しながら、マリアがくれたコーヒーの味を堪能しながら、遠い国で活躍している友を想いながら、彼は自分の体に力が湧いて来るのを感じていた。

 

 

 

 

 

 子供はテレビの中のヒーローに目を輝かせる。

 ヒーローの戦いを見ても喜ぶし、ヒーローになりたいと言ったりもするものだ。

 ウェルがゼファーに向ける感情は、これを内包する。

 

 ウェルが抱いた英雄になりたいという夢は、無くなっていない。

 ゼファーという英雄への想いもまた無くなっていない。

 ウェルはゼファーと競い合いたいと、自分の夢の最後をゼファーで飾りたいと、ウェルはそう思っている。

 それはスポーツの大会で宿命のライバルを見定め、「決勝であいつと会うんだ」と心に決め、自分とライバルのどちらが勝っても納得できる、そんな最後の戦いを望むような感情。

 ウェルがゼファーに向ける感情は、これを内包する。

 

 ゼファー・ウィンチェスターを主演としたこの世界の物語は、運命という大きな流れを形にしたものであり、ゼファーの抗いと戦いの物語である。

 ゼファーが中途半端なところで果てれば、その瞬間にこの世界という物語は終わりかねない。

 ゆえに、ウェルはありったけの試練をゼファーに用意した。

 自分でも乗り越えられないと思うような試練を、用意できるだけ用意した。

 

 ウェルが求めるのは、英雄が全てを手にする物語。

 すなわち自分かゼファーのどちらかが最後に残り、勝者として剣を掲げる物語だ。

 断じて、ロードブレイザーが勝ち誇る物語ではない。

 魔神にだけは勝利の栄冠を被らせるわけにはいかなかった。

 ウェルはゼファーに絶望をぶつけ、ゼファーは人間性を削りながらその絶望を跳ね除け、ゼファーは削った人間性の分だけ強くなる。

 

 そしてゼファーは自己を保ちながら、その力を信じられない域にまで到達させた。

 

 ウェルは己が欲望が求めるラストステージを作るために、なんでもした。

 勇者に武器を与え、試練を与え、勇者に寝返る仲間を用意し、レールを敷いて、倒すべき敵をぶつけ、その上で本気で殺す気で挑み続けた。

 最悪に強い敵こそが、最高難易度の試練こそが、最高純度で最大多量の経験値をくれる。

 勇者(ゼファー)を、大魔王(ロードブレイザー)に負けない存在に鍛え上げてくれる。

 

 例えるならばウェルは勇者と対決する魔王であり、勇者の到着を待つお姫様であり、勇者に武器を与える老人であり、勇者に憧れる力なき村人であり、世界を救う技術の提供者であり、正しさの前に敗れる魔物であり、それら全てを配置し、勇者を導くクリエイターでもあった。

 そしてそのゲームをプレイする、小さな子供だった。

 

 勇者が物語を紡ぐたび、仲間を増やすたび、強敵を倒すたび、ウェルは歓喜する。

 勇者がレベルを上げるたび、どこか達成感を感じて拳を握る。

 そして最後に育ちきった勇者を倒したならば、彼は絶頂すら覚えるだろう。おそらく、そこで負けてもそれなりには満足する可能性が高い。

 

 ウェルはロードブレイザーの復活まで時間が無いことを知っていた。

 そのため、超がつくほどの短期間に恐ろしいほどにイベントと敵を詰め込み、ゼファーを鍛え上げたのだ。99.9999999999999999%以上の確率で、ゼファーが死ぬと確信しながら。

 ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは、この物語のラストに立っている。

 ゼファー・ウィンチェスターの物語の、ラスボスとして立っている。

 同時にゼファーもまた、ウェルの人生におけるラスボスであった。

 

 ラスボスとして立つ自分を倒せなかったゼファーでは、あるいは英雄ゼファーを倒せなかった自分では、ラスボスのその先に存在する『魔神』を倒せるわけがないと、ウェルは確信していた。

 

 ゼファーを倒したウェルが、ウェルを倒したゼファーが、魔神に挑み世界を救う。

 それがウェルの望んだ結末。

 ゼファーの手には聖剣、ウェルの手には魔剣。

 彼の胸には希望、彼の胸には欲望。

 最後に賭けるべきは自分の命。

 真に倒すべき敵は、ラスボスのその先に。

 ラスボスさえ倒せないのであれば、その先に進む権利などあるわけがない。

 

 ゼファーが勝ったとしても、ウェルが勝ったとしても―――最後に残るは、完成された英雄だ。

 ウェルが完成させた英雄だ。

 それが世界を救ったならば、その力と功績で世界に認められたならば、その瞬間彼の夢は叶う。

 

 

 

 

 

「思ったんだよ」

 

「僕の全てを込めて造り上げたもの、絶対に負けないという前提で造り上げた英雄」

 

「その勇者(えいゆう)と、大魔王(ロードブレイザー)が戦う」

 

「不変で、不死で、不動で、不敗で、不滅で、不朽で、勝つことが不可能な絶対の魔王に挑む」

 

「ロードブレイザーはかつて英雄を除いた世界の全てと戦い、勝利した」

 

「世界の全てと敵対し、勝利しうる怪物に勝てるのなら」

 

「もしも、もしも、英雄が、数値も条理も現実も蹴飛ばせる英雄がそれにすら勝てるなら」

 

「僕は、生まれて来た意味を実感できる」

 

「僕の行動の結果が、僕の信じたものが世界の全てに認められ、世界を救うなら」

 

「僕が生まれて来た意味は、ここにあったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無論、彼が改心したなどということはありません。

 彼は徹頭徹尾自分のため、自分の欲望のために動いています」

 

「お話しましょう。今日ここで」

 

「ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスが、何を望んでいるのか。その真実を」

 

 ナスターシャが語るのは、ウェルが今日まで送ってきた人生と、言葉の断片から類推した彼の本当の目的だ。

 無論、ウェル当人の語りでないために、ウェルの本音の全てを語ることはできない。

 だがナスターシャの分析は非常に高精度であり、ウェルの思考と目的の八割ほどが白日の下に晒されていた。

 

「……ヤクでもキメてんのか、あのメガネは……!」

 

 それを聞かされた二課の皆の反応は、今日一番と言っていいくらいのもの。

 クリスが漏らした声に、皆の無言の同意が集まる。

 そして彼女が語った事実の中でも特に、"ウェルがオーバーナイトブレイザーを吸収した"という事実は、二課に激震をもたらしていた。

 

「んな、バカな……仮にも、魔神の端末の自我ですよ!?」

 

 ゼファーが動揺する。

 

「あの男より自我の強い生き物が居るものですか」

 

「うっ」

 

「あの男は意志も弱く、打たれ弱く、勇気もありませんが、欲望と自我は誰よりも強いでしょう」

 

 ナスターシャが強い言葉で、ピシリとたしなめる。

 まるでF.I.S.にゼファーが居た頃の、先生と生徒としての二人の関係が戻って来たかのようだ。

 

「ですが先生、ウェル博士は一体どうやって……」

 

「『降魔儀式』ですよ」

 

「!」

 

「物でないものを物の中に取り込む技術体系。

 あれの応用で、彼は魔神の端末を喰らったのです。

 それに使われた高度な降魔儀式の構成理論は、かの遺跡の……」

 

「分かってます。俺がF.I.S.に持ち込んでしまった、ジェイナスのカメラですね」

 

 ゼファーは頭を抱えようとするが、不気味な泥人形のようなその体ではとてもできない。

 そのため、溜め息を吐くに留まった。

 ナスターシャはゼファーの助けにより車椅子が要らなくなった自分の足と、車椅子の上に乗せられた怪物姿のゼファーを見比べ、その皮肉な巡り合わせに痛烈な悲しみとやるせなさを感じる。

 だがその感情を顔には出さず、厳格な口調でゼファーに語りかけた。

 

「ゼファー。Dr.ウェルは、あなたを待っています」

 

「俺を……」

 

「彼は信じているのです。全てを乗り越えた英雄は、お伽噺のような結末をもたらすと」

 

 次の戦いは、ゼファーとウェルが一対一で戦い、それ以外の全ての戦力が、その戦いを邪魔させないためにぶつかり合う戦いとなるだろう。

 おそらくは二人の男がぶつかる中心の戦域と、それを囲む円盤状の戦域が出来るはずだ。

 それを上から見れば、点を囲む輪の天体(カイバーベルト)のように見えるかもしれない。

 

「Dr.ウェルが勝てば、彼は自分を英雄と呼ばない全ての者を排除するでしょう。

 そして、彼を英雄と讃える者のみが生きられる世界がやって来る。

 魔神が復活するまでの束の間か、魔神が倒された後も続く世界かは、分かりませんが。

 人類の歴史を紐解けばよくあることです。

 虐殺を為した英雄、人格に問題のある英雄が、力で全てを圧し讃えられるなどということは」

 

「させません。絶対に」

 

「よろしい」

 

 ゼファーの命は風前の灯火だが、その言葉は力強い。

 それを聞き、ナスターシャは顔に出さないようにほっとする。

 

「ゼファー。何があっても、希望を捨てないように。

 そうすればあなたの名が、あなたを救ってくれるでしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後の戦いの舞台を、ゼファーを呼び込む戦場を用意しなければと、ウェルは頭を捻る。

 素材はあった。ブランクイーゼルが乗り捨てて行った空母だ。

 加工も難しくはなかった。魔剣ルシエドがあるからだ。

 どういう構造にするかも決まっていた。元より、ウェルに複雑な構造にするつもりはない。

 

「よし、決めた」

 

 決まっていなかったのは、最後の舞台(ラストダンジョン)の名前だけだ。

 

「僕をこの高みまで連れて来てくれた一人の巫女。

 僕の計画を横合いからぶん殴ってくれたあの錬金術師共の拠点。

 その両方から、適当に名前をもらうことにしよう。

 ……あいつらに対しては、これが最後の嫌がらせかぁ」

 

 ウェルは手にした魔剣を空母に突き立て、その船体を一瞬で別のものへと改造する。

 固体化した海が上下逆の円錐状に固まり、空母がまるで城のような形へと変化した。

 

「さあ、浮上しろ」

 

 そして、空へと舞い上がる。

 

「『ヴァレリアシャトー』ッ!」

 

 ウェルは夢叶うか敗れるか、その確信も持たないままに、夢の終わりを彩る場所を創り上げていた。

 

 

 




第八話:Ave Maria 4など、二章の話の一部の裏の話でもあります

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。