戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
なので主人公以外は深い意味は無い
夢を見た。
どこまでも広がる荒野と、その荒野を縁取る地平線。
澄み渡る青空、横切る雲、天地を照り焼く熱い太陽。
心地いい西風に背中を押されながらただまっすぐに。
気分が良くなっていくにつれて気持ちが浮ついていき、いつしか空を歩いているような気分にさえなっていく。
ただ歩いているだけで心地よく、それ以上に何も求める気になれなかった。
荒野が、青空が、西風が、自分の知る世界の果ての向こう側にまで続いているような気がして。
渡り鳥のように自由に、こんなにも広い世界を知ることが出来たなら……なんて、贅沢過ぎることを思ってしまう。思わされてしまう。
そうだ、思わされている。自分が向かっている先にある何か、誰か……『それ』が自分にそう思わせるように仕向けている。
『それ』はずっと自分を呼んでいる。
『それ』はずっとゼファー・ウィンチェスターを求めている。
『それ』はずっと俺と触れることを願っている。
呼ばれているのだから、応えないと。
そう思って、この夢の中の果てない荒野を、西風と共に往く事を決めたんだ。
やがて、純白にして絢爛な祭壇に辿り着いた。
何の色も付いていないのに、華やかさと神聖さを両立していて思わず目を奪われてしまう。
薄汚れたものが普通なのだと思っていた自分にとって、それはあまりにも綺麗すぎて衝撃を受けた。
見続けたら自分の目が潰れてしまうのではないか、と思うほどに。
触れることも、備え付けられた階段を上るために踏みつけるのも気が引ける。……どうしよう。
けれど、そんな風に右往左往していた俺の思考も、身体も、すぐに止まってしまった。
余分な思考は消し飛んで、目も耳も肌も全ての感覚が『それ』に向けられる。
綺麗な祭壇などに気を取られて『それ』を疎かにしてしまうことなど、あってはならないと確信した。
『それ』は祭壇に突き刺さった、途方もなく荘厳で神秘的な『銀の剣』だった。
まばたきを忘れた。呼吸を忘れた。心臓の鼓動すら忘れた。
ここが夢の中でなければ、自分はきっとその剣を目にした感動だけで死んでいただろう。
欲しいと、この手に収めたいと、振るいたいと衝動が体を支配する。
夢の中でなければ間違いなく生まれすらしなかった、自分を動かす強い衝動。
何故自分がそこまで強くその剣を望むのか、俺自身に戸惑いも覚える。
それを握れば『英雄』になれるのだという確信があった。
果たすべき使命と絶大な力を授かり、その時こそ自分は生きてきた意味を果たすのだと。
意味の分からない思考から生まれる絶対的な確信が思考を塗り潰し、頭の中を真っ白にする。
階段を一段一段と上がっていく。
何か理由があってさっきまでこの階段を上ることを拒んでいたはずなのに、もうそれも思い出せない。
きっと些細な事だ。些細な事だから忘れてしまったに違いない。
この剣を手にすることに比べれば、何もかもが些細な事だ。
自分は、そうやって剣の柄に手をかけて―――
『アガートラームは一人の力で抜くものにあらず』
「うおわっ!?」
夢は、醒めた。
第一話:5th Vanguard 2
「……あーあ、もう少しだったのに」
寝ぼけ
窓の外から差し込む淡い陽光が、夜が明けてすぐの今の時刻を教えてくれる。
口角から一直線に頬に垂れたヨダレの跡もついでとばかりに拭き、「んー」と口にしながら伸びをする。
小学生相当の年齢の少年の身体は骨がバキバキ鳴ったりはしないが、それでも伸ばさないと硬まってしまったままの部位が多々あるようだ。
それもこれも、ゼファーが机に向かったまま寝てしまったからなのだが。
(終わったから寝たんだっけ……よしよし、終わってる)
机の上のノートをペラペラとめくり、一日あたりのノルマを確認。
ゼファー達の部隊には人員管理などに使わせる予定だったのか、ノートとペンが定期的に支給される。
……が、当然のように誰も欲しがらなかった。当然の結果というか、前線のニーズを把握せずに支給品の内容を決める後方のお役所仕事ここに極まれりといった所だろう。
これに目を付けたのがバーソロミュー・ブラウディアである。
読み書きができない者は騙される、計算ができない者は奴隷にしかなれない、無知な人間ほど死にやすい。それがバーソロミューの生涯で得た哲学だった。
彼は需要のないノートとペンを使って、まずこの国の文字の読み書きをゼファーに叩き込んだ。会話はできても読み書きができないという孤児は意外と多い。
次に計算、その次に応急処置や国内の情勢など生き残るために必要な知識、そうやって順繰りに宿題という形で知識を叩き込めるだけ叩き込んでいった。
そして今は過去の復習をしつつ英語を学んでいる段階である。
ゼファーは良い意味でも悪い意味でも頭のいい人間では無い。
頭の良い人間は要領良くやって適度に手を抜き、ほどほどに良い結果を出して賞賛される。彼らは効率のいい努力の仕方をちゃんと心得ているからだ。
対してゼファーはとにかく覚えが悪い。どんなに簡単な事でも一度で何かを覚えられる事はまずないと言っていい。
そして手を抜けない、怠けられない、そういう選択肢が選べない。そういう意味でも頭が悪いというか、不器用なのだ。
覚えられなかったら覚えられるまでやる。少年の勉学は予習ができる形式ではないが、復習だけは毎日やる。
よって他人の数倍勉強してようやく人並みに学ぶことが出来る。野球で打率が下がったから素振りの数を三倍にしよう、とかそういうあんまりにも非効率な思考である。
そういう風に真面目というか不器用であるがゆえに、ゼファーは大きな枠では努力家のカテゴリーに含まれる。
繰り返そう。ゼファー・ウィンチェスターは良い意味でも悪い意味でも頭が悪い。
(……今思えば、バーさんが俺に勉強させてたのは正規軍の話をいつか振るためだったのかな)
くしゃくしゃとあまり洗っていない白い髪ごと頭を掻く。
ナイフで短く切りそろえられた髪は指にかき混ぜられることで一層不揃いさを際立たせ、みっともない外見を形成する。
まあどうでもいいことだ。
この土地で年端もいかない少年の身なりや容姿を気にするなんて、よっぽどのお人好しかその手の変態しか居ないのは間違いないだろうから。
「……あ」(余計なこと考えてたら夢の内容忘れちまった)
いい夢だったこと、あと少しだと思ったこと、それだけは覚えていてもそれ以外がさっぱり。
まあ夢なんて忘れてなんぼのもので、起きてすぐに忘れないようにしようと思い返しても半分覚えていられれば良い方だ。
実際ゼファーも身支度を整えた頃にはいい夢を見た、という事自体忘れ始めている。
もっとも、夢から覚めて内容を忘れないようにとすぐに決意したとしても。
かの『銀の剣』についての記憶が少年の頭の中に残ってくれるわけがないのだが。
「よっ、ゼファー」
「今日はやけに早いじゃないか。おはよう、ゼファー」
「おはよ。ジェイナス、ビリーさん」
まだ少し肌寒く感じる早朝の町の中、ブラブラと散歩していたゼファーを呼び止める二人。
片やヘラヘラとした線の細いナヨっとした男。男のくせにサラっとした長い髪を一つにまとめていたりと、とにかく同性受けの悪そうな印象を受ける。
小奇麗にしている服といい、常にニヤついた表情といい、他人を小馬鹿にした態度といい、20代前半に見える若さやそれなりに整った容姿が全くプラスにならないほど、この地で他人に与える第一印象が悪い。
彼の名は『ジェイナス・ヴァスケス』。ゼファーと同じ小隊の仲間の一人だ。
片やスラっと伸びた背にがっしりとした肩幅、それでいて無駄のない鍛えあげられた筋肉の肉体美、一分野における一流の人間特有の存在感。
道行く人の十人が十人男らしいイケメンと断言する顔に、漫画のキャラのような顔を斜め一直線に縦断する大きな傷跡。
彼の名は『ビリー・エヴァンス』。ゼファーの所属する小隊の隊長だ。
ジェイナスは嫌われ者だ。
嫌われる理由や原因となる行動が多すぎて、彼のどこが悪いという点をあえて挙げるのが難しいほどに嫌われ者だ。
けれど、ゼファーは彼がそんなに嫌いではなかった。強いて好きというわけでもないが、仲間としての信頼は置いていた。
それを知ってか知らずか、息を吐くように他人に嫌味をぶつけているジェイナスもゼファーにだけは気を遣っているフシがある。
そして、ビリーは―――英雄だ。
「なんか昨日気付いたら寝ててさ。こんな時間に目が覚めた上に眠気も無くて」
「ハッハッハ、流石ガキは寝るのもはえーのな。ベビーベッドは卒業できてんのか?」
「ジェイナス、仲間にそういう安易な挑発をするのはやめろ」
(俺、たぶんベビーベッドとか生まれてから一度も使ったことないと思うんだけどなぁ)
「おうおう、隊長様のいい子ちゃんがまた始まったぜ。
ん? ん? やめなかったらどうだってんだ? ん?」
「……」
スッと立ったビリーに反応……いや、予測していたのだろう。ビリーが立つ前にはジェイナスは懐に手を突っ込み、そこから銃を取り出していた。
おそらく銃に装填されているのは麻酔弾。普段から規律正しい気に入らない隊長に一泡吹かせるため、少し前から作戦を練り準備していたといった所か。
……その労力をノイズ対策に使え、などと言ってはいけない。
敵をどう倒すかより仲間の足をどう引っ張るかに精を出すからこその嫌われ者なのだから。
「くたば――」
そんなジェイナスに呆れたようにため息一つ。
ビリーは自分に向けられた銃口、一発当たれば即気絶で目に当たれば失明も免れないという暴力を目の前にして。
引き金を引かれた
「――れ、え? ゲボッ!?」
やったことの原理は至極単純。
擦るように足を地面に沿って滑らせ、前後に開いた足に合わせて上体を前に折っただけ。
斜め前下に滑るような軌道で、あまりにも鮮やかに滑らかに銃弾の軌道の下をくぐってみせた。
銃口を見て弾道を予測、引き金にかかる指を見て発射タイミングを判断、人間技とは思えない技巧で回避。
ジェイナスは奴はどこに行った、と焦り見失った次の瞬間にはみぞおちに拳を叩きこまれてあえなく気絶。
距離がそこまで離れていなかったとはいえ、ビリー・エヴァンスは息をするように銃を相手に素手で対峙し勝利してみせたのだ。
「……相変わらずビリーさんはすごいですね」
「何、人一倍鍛えてるだけさ」
ジェイナスとビリーは共に20代前半の同年代であるが、ゼファーがビリーの方にだけ、さん付けで敬語な理由がここにある。
ジェイナスに微塵も敬意を抱けないというのもあるが、ビリーは同業者達の中では知らぬものが居ないほどの『英雄』だ。男の子が英雄に自然と憧れることに、何の不思議があろうか?
ビリーは人間技とは思えないような体術、死を恐れぬ勇気、そして今襲ってきたジェイナスを実質不問に処すつもりでいる優しさを兼ね備えている。
情動が周囲と比べて薄めなゼファーですら、無意識下では兄のように慕っている良識人だ。
彼もゼファーの知る三年以上生き残っている六人の中の一人であったが、ゼファー含む他五人とはまさしく格が違う。
ゼファーは己は明日死んでもおかしくない身だと思っているが、ビリーが『ノイズごとき』にやられる姿は全く想像できないでいる。それほどにだ。
「ジェイナスも懲りないですよね」
「なに、彼は構ってもらいたいだけだよ。僕に怪我をさせるつもりは最初からなかった。
でなければ、わざわざ麻酔銃を手に入れる苦労なんてせずに実銃でかかってきただろうしね。
まあぎゃふんと言わせたかったという本音が前提にあるんだろうけど」
「さっきあんな事言っといて、俺より子供じゃないですかジェイナス……」
「精神的に大人びていれば子供じゃない、幼稚であれば大人じゃない。
そういう理屈には僕はあまり同意できないかな。子供は子供で、大人は大人さ」
「……頭撫でないでください。俺が子供だって言いたいのはよく分かりましたから」
「ははっ」
敗戦時のドイツ然り、英雄は絶望的な戦いの中から生まれると言われている。
ビリー・エヴァンスを生んだ戦場とは間違いなくノイズと人間の闘争の中であり、英雄へと育んだのも間違いなくノイズと人間の闘争であった。
彼の戦闘力含む生存能力は日本の風鳴一族のそれに匹敵するだろう。
ジェイナスを始めとする問題児達の手綱を取りつつ、お荷物を背負った上でノイズと戦闘して生き残る事も可能という規格外。
かくいうゼファーも何度か危ない所を助けて貰ったことがある。
礼を言っても「大人が子供を助けるのは当たり前のことだから」と頭を撫でて微笑むだけで、気持ち以外の礼を受け取ってくれもしない。
ゼファー・ウィンチェスターにとってのビリー・エヴァンスは憧れであり、恩人であり、理想の大人の姿だった。
そして誰かを守りながら生存する人間の手本そのものであり、ゼファーが『守りたい人』と思う大切な人の一人でもある。
彼を守るなんて思い上がりも甚だしいが、それでも守りたいって気持ちだけは諦めず持っておこう、そう思っている。
ビリーとバーソロミューの二人を手本にして育ったことは、ゼファーの人生においてある意味では幸運であったと言える。
ゼファーに対して、誇らしくも微笑ましい弟を見るような気持ちでビリーが面倒を見続けた結果は、欲しいものも願うものも無い少年に小さくとも確かな変化を及ぼしている。
あと二年、いや一年ほどビリーが一緒に居れば、ゼファーはバーソロミューに胸を張って一人でもやっていける立派な人間としての自分を見せられる……かもしれない。
「ところで、ジェイナスと何を話してたんですか? 自分が邪魔したみたいですみません」
「いやいや、君は何も悪くないよ。
腹パンでジェイナスが夜まで何も胃に入らないのは自業自得。
僕らが話してた内容も、今日の昼には君に話すつもりだったからね」
「仕事ですか」
「そ、仕事……それも結構アレなやつ」
露骨に嫌な顔をしたゼファーにビリーは苦笑し、近場の岩を椅子代わりに座るようにゼファーに促す。
自分は木に寄っかかったまま話すつもりのようだ。そんな所作の一つ一つがサマになっているように見えるのだから、歴戦の英雄というやつは侮りがたい。
ビリーは手のひらの上でジェイナスから奪った麻酔銃をクルクルと回しながら、なるべく感情を抑えたような声色で語り出した。
「ノイズがいつ出るかは分からないから、次にノイズとやりあうのがいつかは分からない。
でも僕の経験則からするとあと二日か三日かな」
「ビリーさんが言うならそうなんでしょうね」
ノイズへの対応は基本的に常時後手だ。
ノイズ出現、避難誘導と部隊への連絡、近場の対ノイズ部隊が到着し交戦という流れ。
露骨なまでに対ノイズ部隊は市民を守るための餌というか囮なのだが、それで日々の糧を得ているのだからしょうがない。
他の人間が逃げられるまでの時間稼ぎ、戦闘、そして笑えないほど人が死ぬノイズによる虐殺。それが間近にまで迫っているのだ。
何十回何百回とノイズとの戦闘で生き残ってきたゼファーやビリーと言えど、戦闘が完全に終わる前に生き残れるという確信を抱けたことはない。
そんな戦闘を経験則として自分の中に蓄積し、大雑把にノイズ出現のパターンを脳内に構築している彼は、英雄と呼ばれるに相応しい頭脳と勘を持っていると言えるだろう。
「先月半ばと先週で死に過ぎた。
フィフス・ヴァンガードは他よりまだマシな方だけど……それでもマズい。
次の出撃で出られる人員の数が絶望的な以上、全滅も十分あり得ると思う。
戦える人の数が少なければ少ないほど、ノイズに殺される割合は増してしまうから」
「そういえば最近、新入りあんまり見ないですね」
「死刑囚や戦災孤児や食うに困ってる人がそんなにポンポン居るわけないでしょ?
兵士が畑で取れるなんて幻想はこの国には無いの。
死なせていけば減るし、死なせすぎれば破綻するシステムなんだよ」
ビリーにはどうやら、ゼファーには見えていないものが見えているようだ。
もう本当にノイズと戦う部隊に回せるような人間が尽きてしまったのか、それとも今滞ってるだけなのかはゼファーには分からない。
けれど、ビリーにはもうこのシステムの破綻とその先の未来までもが見えているようだ。
英雄だからこそ、見える地平があるのかもしれない。
「もしこの部隊を成り立たせてるシステムが崩壊したとしたら、自由になった君は何をしたい?」
「……何をしたい、って言われても……」
現状、部隊からの逃走は死罪に相当する。
逃げた方も逃がしてしまった方も罰せられるシステムであり、誰もが逃げようとしないし逃がそうとしない。
監視や警備の厳しい、敵対国と接する国境であることで逃げ場もほぼなく、更に詰んでいる。
ゼファーは逃げる理由が無かったし、逃げようとも思わなかったし、最近は逃げたくない理由も出来そうな感じだ。
だからもし自由になったら、なんて聞かれても答えられやしない。
「僕は……そうだね、渡り鳥みたいに生きてみたいな」
「渡り鳥?」
「世界の果てにだって自由に飛んでいける。
どこにだって行ける、誰を連れても行ける。素敵だと思わない?」
「……んー、よくわかんないです」
「こんな狭い世界で一生を終えるには、君は勿体無い子だと思うんだけどね」
「出たいと思ったこと無いですし」
ふと、ゼファーは目の前の人物のことをほとんど知らないということに気付く。
優しいことも知っている。褒める時に頭を撫でてくれることも知っている。もう駄目だと思った時、助けてくれる頼りになる背中も知っている。
ただ、どんな家族が居ただとか、何故こんな生業に就くようになってしまったのか、そういう話をまるで聞いたことがなかった。
自分はここで生まれ育った人間だからこれ以外に糧を得る方法が無かった。けれど、彼は? そう思うも、どうでもいいやと思考の端に追いやる。
どうでもいいことだ。聞いたから何になるという話でもないし、聞いても聞かなくても信頼が揺らがないという確信が少年の中にはある。
いつか、話してくれる日も来るだろう。
「ま、所詮『もしも』の話だから話す分にはタダさ。
もしそうなったら一緒に来るかい? 弟として歓迎するよ」
「でっかい保護者が付いて来ますよ」
「あはは、それこそ歓迎だ。僕はバーソロミューさんも、君も、ジェイナスも嫌いじゃないしね」
「……ジェイナスと同列に並べると途端に言葉の説得力がですね」
「ジェイナスと唯一友好的に話してる君がそんなこと言ってちゃかわいそうだよ?」
軽口を叩くのは、絶望的な状況でこそ軽口を叩くという彼らの中の暗黙の了解があるからだ。
ピンチの時に「もうダメだ」「おしまいだ」なんて言っても何も変わらない。むしろ怖気づく人間を増やして不利になってしまうだけだ。
ピンチの時こそ「やってやるぜ」と己を鼓舞し、「鉛のシャワーを浴びせてやるぜ」と軽口を叩くものが居てこそ、皆が奮い立つ。
誰かから学んだわけではない。しかし気付いた時には戦場でそうしている自分が居た。
どんな世界、どんな場所、どんな人種の中にでもそういう人間は一定数存在する。
絶望の中に在っても、絶望を口にせず何度だって立ち上がろうとする男達。
それは日常がイコールで絶望であるこの地においては、空気よりも欠かせないものだった。
「なんにせよ、追加の人員が回ってくるのは次の出撃を乗り越えてからだろう。
僕らは今ある手札で勝負するしか無い」
「頑張りましょう。運が良かったら生き残れます」
「ああ。じゃあ僕はこれからバーソロミューさんのとこに作戦の話をしてくるよ、じゃあね」
「はい、また」
「ジェイナスが起きたら『車両整備一ヶ月の罰』って言っといてね」
何気なく、されど隙なく歩き去っていくビリーの背中をゼファーは片手を振りながら見送った。
苦悶の表情を浮かべながら気絶しているジェイナスと同年代な事を思い出して、「どこで二人の違いは出たんだろう」と益体もない思考に耽る。
地面に転がる麻酔銃を拾い、いつものクセで残弾数を確かめたら二発しか入っていなかった。
これだけ手に入れるだけでも苦労したんだろうな、と思いつつも少年は銃を懐に入れる。貰えるものは貰っておく、拾えるものは拾っておくのが少年の主義だ。
(今日もいい空、いい風だ)
岩に座りながら、ボーっとしつつ空を見上げるだけの時間が過ぎる。
ゼファーは荒野が好きだった。青空が好きだった。西風が好きだった。全員とは言わないが、共に戦う戦友達も好きだった。
生きられること以上のことは望まない。
けれど、好きなものが無い場所で生きていくのも嫌だった。
贅沢なのかなぁ、と、少年は思う。
それ以上の何かを望むという人達の方がまともなのだと分かる感性があっても、それ以上の何かを求める感性が育っていない。
赤ん坊が異性に発情しないのと同じ。人として当たり前の感性が育たないまま、生きるために必要な部分だけが育ち、『生』以外の何も求めない子供が出来上がる。
何かを喪失すること以外に対して情動や欲求の薄い子供が出来上がる。
少年は歪んでこそいないが、間違いなく欠陥品だった。
「わぷっ」
空を見上げて前を見ていなかった少年の顔面に、風に吹き飛ばされた何かが覆い被さってくる。
西風が運んでくるものは大抵いいものだ、というのが少年の持論だ。
飛んできたのはこの国最大手の有名な新聞であったが、見出しが乗っている一枚だけが飛んできたようだ。
それでも十歳前後のゼファーにとっては大きい。「わぷぷ」と言いつつ少し焦りながらもがいてやっと脱出した模様。
おそらくは誰かが盗んできたものが風に飛ばされてきたんだろう、とゼファーは推測する。
支給品に新聞なんて気の利いたものは無いし、この近辺にはノイズ狩りに精を出す荒くれどもしか住んでいない。
よその街で誰かがきまぐれにかっぱらってきたんだろうな、と思いつつ少年は気まぐれに新聞の見出しに目を走らせた。
「……っと、なになに」
【世界に羽ばたくバイオリニスト来国】
世界的に有名な雪音雅律氏、及びその妻のソネット・M・ユキネ氏らが率いるNGO団体CIMの来国から一週間が経過した。
彼らは「音楽を通じて世界に平和を」をスローガンに、世界を股にかけていることで名を知られている。
しかし今、彼らの安否が懸念されている。
彼らは国連の使節団と共に○○地区で行動していたが、S国の卑劣な奇襲作戦によって戦火に晒され、我が国もこれにやむなく応戦した所、戦闘中に行方が分からなくなってしまったという。
○○地区は特にS国からの国土侵犯が問題になっている地区であり、だからこそ音楽による愛の手をと考えた夫妻が無慈悲にもS国の悪意に晒される結果となった。
事件による被害の公式発表はいまだされていないが、使節団は帰国の準備を進めている模様であり、国際問題に発展するほどの死傷者が出たのではないかとの懸念もある。
12年前の使節団の判断に応じ他国が武力介入を行おうとした内政干渉の繰り返しになる可能性もあり、二ヶ月前のアリアス元大統領の亡命もそれに拍車をかけている。
また未確認の情報ではあるが、夫妻の一人娘が同行していたとの証言もあり、卑劣なS国の被害者を一刻も早く救出するため、迅速な対応が成されなければ
反共産市民団体のバル・ベルデ解放戦線のリーダー、ベネット氏はこの一件に関して―――
「……うちの国大統領変わってたんだ。知らなかった」
第一声がこれである。
周りの大人がゼファーに意図して伝えなかったのか、それとも彼らも知らなかったのか。おそらくは前者だろう。
自分の国のトップを知らなくても死なないから別にいい。そういうスタンスの人間が、この地域に割かし多いというのもあるのだろうが。
(というか、この地区ってファースト・ヴァンガードか……生きてないよなこれ)
バル・ベルデとS公国の国境で五番目に紛争が起こる地域がフィフス・ヴァンガードなら、最も多く紛争が起こる地域がファースト・ヴァンガードである。
多くの人間はノイズを恐れ、戦おうとするどころか出会うことすら一生に一回でもあって欲しくないと思っている。
バル・ベルデの大半の国民から見ればゼファーは十分命知らずであり、狂人に近い恐れを知らぬ兵士なのだろう。
そしてこの国で一番危険な戦場はフィフス・ヴァンガードなのだと思っているに違いない。
だが、ゼファーはフィフス・ヴァンガードとファースト・ヴァンガードのどちらかで戦えと言われれば、絶対にファースト・ヴァンガードは選ばない。
(あ、写真ある……優しそうな夫婦だな)
ノイズと年単位で戦い生き抜いてきた経験があるというのもある。
フィフス・ヴァンガードの紛争の発生件数が下から数えた方が早いというのもある。
だがそれ以上に、紛争の発生件数が二番目以下と比べても、段違いでぶっちぎりのままずっと頂点をキープしているという事実が最悪なのだ。
(優しい人はすぐ死ぬよな……俺の歳で経験則とか、笑い話にもならないけど)
突然の「政治的判断」による無理な指示の乱発、正規軍の無茶な乱入、大規模な街が丸ごと廃墟になった見通しの悪い激戦区。
止められない脱走兵、向こう側の国からの亡命者、脱走兵と亡命者を纏めての処刑、処刑された人間と撃ち殺された人間の死体は転がったまま乾いていく。
乾燥した大気と砂は人を加速度的に白骨化させ、目を潰しそうな腐敗臭と硝煙と砂煙が味方同士の同士討ちを誘う。
リーダーは部下を使い潰さないと生きられず、部下はリーダーの寝首をかいて上に上がっていかなければ生き残れない。
生か死か、などという話ではない。そこには死しかないのだ。
人は自分がいる現状よりよっぽどひどい場所を知っていると、「まだ自分はマシだ」と苦境にも耐えられるものだ。
少年もまた、自分がまだマシだと思えるような地獄の存在を知っていた。
(あそこに平和をもたらせるなら……ノーヘルショット? あれ貰えるっての)
名前もうろ覚えなノーベル賞が具体的に何かも知らず、覚えていなくても死にはしないと少年は思い出す作業を放棄する。新聞も投げ捨てて放棄する。
視界の端で情けないうめき声を上げて起き上がろうとしているジェイナスに気づき、丸めた新聞紙を投げつけたのだった。
「……うっ、ぐっ……ここは……?
そうだ、俺はマリアベルから仕入れた銃であのいけすかねえビリーの野郎に一泡吹かせて」
「いい夢見てたんだな」
「夢……夢だとッ!? どこからだッ!?
あのクソアリアスにブタ箱にブチ込まれたとこから夢なのかッ!?」
「いや知らないよアリアスって誰? たぶんビリーさんに襲いかかったとこから夢だと思うよ」
「畜生、一番ヤなとこから……!」
「伝言。『車両整備一ヶ月の罰』だって」
「しかも悪夢は続くッ!」
(他の小隊中隊だと射殺処分ものだって分かってるのかなぁ……)
いつものことだ。いつものことだと思い、ゼファーはジェイナスの背中を小さな身体で押しながら車庫へと向かう。
「おい押すなって、一人で行けるっての」
「今日やるべきことで今やれることは今やろう。俺も手伝うから」
「お、マジかッ!? いやー悪いな毎回毎回」
「大した労でもないし。
悪いと思ってるならビリーさんにもう迷惑かけないって誓ってくれたほうが嬉しいよ」
「それはねーや、絶対に。俺があいつに譲歩したり謝ったりすることは絶対にない」
「なんだかなぁ」
いい年した大人が後ろに体重をかけながら楽そうに歩く姿、ちみっこい子供がその背中を支えながら前に押していく姿。
もしもここに日本人が居て二人を横から見たとしたら、二人合わせて『人』という字になっていることにクスっと笑いをこぼしていたかもしれない。
二人の関係は言葉で表すには難しい感じだが、まあそういう感じ。
二人が歩き去った後、風に吹かれて転がる丸められた新聞紙の端。
記された『雪音クリス』という文字列は誰にも読まれぬままに、泥の茶色に塗り潰された。
バル・ベルデは原作でクリスちゃんが居た紛争地域です。一話の新聞にちょこっと載っているという