戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
「……『月読調』」
彼女の自己紹介は、その一言だけで終わった。
「えっ、と。セレナの友達……かな?」
「うん、私の友達だね」
切歌を連れて来た次の日にセレナが連れて来たのは、今度は切歌とは正反対の少女であった。
かなり幼いのもあるが、少し病的に見えるくらいに身体はかなり細く小さい印象を受ける。
どこを見ているのか分からない瞳は、何を考えているのかもよく分からない。
綺麗な肌は白く透き通り、肌と重なると映える鴉の濡羽色の髪が神秘的だ。
小柄な少女は可愛いという表現が似合う事が多いが、彼女には不思議な美しさが感じられる。
ゼファーは知る由もないが、それは日本人形の美しさにも通ずるものがあった。
雪月花、花鳥風月、静かな美しさの代名詞である月のように。
セレナが内気気味ならばこの少女は静かで、セレナ以上に切歌と対照的だった。
明るさは愛嬌を産み可愛らしさに繋がるが、彼女は明るさではなく静謐から生まれる美しさに、年齢相応の可愛らしさが付随しているように見える。
「……」
「……」
「……」
そして、沈黙。
切歌を連れて来たセレナの選択は大成功だったが、これは考えるまでもなく大失敗だった。
「……」
「……」
「……」
やや鬱の入っているゼファーは自分からは喋らない。
調も実はセレナ以上に内向的な物静かな少女だ。
セレナもゼファーに対しては懸命に話しかけているが、素が内気だ。
そして一対一ならともかく、複数人で話す場合に振れるネタがセレナにはあまりない。
一対一なら問う→答えるを繰り返すだけでも会話にはなるのだ。
ただ問題は、話題の振り方によって一人をハブにしての二人会話になりかねないということ。
残念ながらセレナには切歌やマリアのような社交的な人間が持つ、乗りやすい話題を適宜振りつつハブになる人間が出ないよう会話を回す能力はない。
三人で話すならどういう話題がいいかなえーっとえーっとと考える内に話題を切り出しにくい空気ができてしまい、いつもなら他の誰かが話題を振るのを待つ沈黙の中、自分がやらなきゃ誰もやらないよという空気の中でセレナは悩む。
一度完全に沈黙しきった空気を変える勇気も技能もセレナにはない。
「誰か会話振れよ」という空気が満ちているような気すらして――セレナの思い込み――それでも、沈黙の中での勇気ある発言者に皆の視線が集中するあの感じが嫌で少女は縮こまる。
結果、何も話せない沈黙が続く。
連れて来なかったほうが良かったかもしれないという後悔、先立たず。
「……」
「……」
「……」
調は持ち込んでいた本を読み始め、ゼファーは虚空を見つめてぼーっとし、セレナがあーでもないこーでもないと頭を悩ませる不思議な光景。
セレナが顔真っ赤になる覚悟で渾身のギャグをぶちかまそうと悩みすぎてトチ狂って顔を上げると、何故か並んで座っている二人が居た。
「……これは?」
「A buen hambre no hay pan duro(腹減ってればなんだって美味い)」
「ありがと」
会話というにはあまりに言葉少ななコミュニケーション。
英語なのかそうでないのかセレナには判別できなかったが、どうやら調が読めない部分をゼファーが日本語でそれっぽく訳しているようだ。
いつの間にか二人の間の会話も英語でなく日本語になっている。
「ああ、そうだ、ゼファー。ゼファー・ウィンチェスター」
「……それは、最初に言うべきじゃない?」
沈黙が九割、会話が一割。
調の視線は本に、ゼファーの視線は虚空に、時たま思い出したように会話という名の訳をする。
セレナをハブっている自覚は二人にはないのだろう。そもそも会話をしているつもりも無いのかもしれない。二人の認識では会話数は変わらず0の可能性が高い。
困ったように曖昧に笑って、セレナは自分はどうしようかとまた迷う。
ゼファーに友達が増えるのは嬉しい、嬉しいが。
ゼファーが快方に向かっているのは嬉しい、嬉しいが。
なんとなく釈然としないセレナであった。
第五話:Nightingale 2
「ちーっす、デェス!」
「や」
「お邪魔します」
切歌の元気な声が、調の聞き逃しそうな小さな声が、セレナのよく通る優しい声が耳に届く。
ゼファーはへったくそに偽装した元気そうな笑みを浮かべて、頷くだけで返答とする。
この三人がゼファーが囚われている部屋に遊びに来るのも日常の一幕になった……というには四人の付き合いは長くないが、まあそれでも頻繁に顔を見せに来てくれていた。
それこそ毎日来てくれているセレナほどではないが、切歌や調もゼファーの様子には思う所があったのだろう。
三人同時に来てくれたのは、ゼファーの記憶では初めての事だったが。
「お、怪我の治り早いデスね。さっすが男の子」
「……俺が知らないだけで男女関係あるのか?」
「並外れて早いのは間違いないけど」
いたそー、と言いながら切歌はゼファーの手首の傷を指でつんつんと突く。
やめなよ、と調がそれを止め、セレナが苦笑する。
調が言うように、薬を塗ってあったにせよ彼の傷の治りはかなり早いように見える。
最後に暴れて彼が自傷したのは一週間ほど前だが、かなり深くまで皮膚が裂けていたにも関わらず、今では健常な皮膚の下にうっすらと跡が残っているだけだ。
こんなに治るの速かったか、と、ゼファーは記憶を探ってみる。しかし怪我に対する再生力は人並みだった記憶しかない。
不思議なもんだと、思考に一区切り付けてから彼は彼女に向き直る。
「セレナのおかげだ」
「どういたしまして。でも私はあなたが元気になってくれるのが一番嬉しいよ」
笑顔で真っ直ぐに気持ちを伝えられ、流石にゼファーもバツが悪くなったのか頭を掻く。
セレナの望むような『元気』になれていない自覚はゼファーにもある。
だからこそ申し訳なさも感じている。
しかし、自覚できた所でどうこうできるものでもないことも確かなことなのだ。
「うーん、あたしのあげた元気は刺し身のツマ程度デスかねー」
「いや、本当に助かってる。キリカが居ないと俺達三人会話の間が持たないし」
「そういう助かってるデスか?」
ゼファーの冗談に、キリカがにししと笑う。
冗談が言えるまで回復したのも切歌が分けてくれた元気のおかげだ。
日々の彼女の笑顔は、明るい声は、確かに彼の救いになってくれていた。
だからこそ、己に不甲斐なさを感じる。
「私は……あ、何もしてないや」
「シラベが何もしてないなんてことはないって、俺がちゃんと知ってる」
「……そう?」
実際、調なりにゼファーを力付けようと色々と考えていることは彼にもちゃんと伝わっていた。
ただ物静かな彼女はそれの一割も行動に移せておらず、けれどその一割未満が、ただそばに居てなんでもいいから会話を続けようとするその姿勢が、確かな救いでもあって。
だからこそ、己に意気地のなさを感じる。
(このままじゃいけないなんてことは、俺が一番分かってる)
せめて心配をかけない程度には元気にならないと、そうゼファーは思う。
けれど思う意志に身体と心はついてこない。
申し訳ない、不甲斐ない、意気地がないと自分を叱咤しても、立ち上がれない。
折れた心は応えてくれない。
両の足の骨が折れた人間が自分一人で立っていられるか?
肺の潰れた人間の苦しみは気の持ちようで左右されるか?
肉の裂けた人間が痛みを我慢できないのは根性の問題か?
つまりはそういうものだ。
痛みは、傷は、本来決意一つで乗り越えられるものではない。
それが心に刻まれたものであるならば尚更に。
傷付いて立ち上がれないのはその人間が軟弱であるからではない。それは生きている証明だ。
痛いと、苦しいと、そう感じる心を捨ててしまえば、それはもはや人間であるわけがない。
セレナ達がくれる救いで徐々に立ち上がりつつも、分けてもらった元気で前を向きつつあるものの、それでも前に向かって踏み出す強さを持てないでいる。
未来に向き合う勇気を持てないでいる。
彼にとって未来とは今ある何かが失われる瞬間のことだ。
今この瞬間に幸せを感じたとしても、それが失われるかもしれない未来を思えば足が竦む。
過ぎ去った過去の死別が、未だ来ていない未来の喪失を恐れさせている。
今の彼が誰かの希望になることなど、夢のまた夢といった所だろう。
(……くそっ)
だからヘタクソに自分の気持ちを誤魔化して、平気な顔を見せようと笑う。
その仮面が、その強がりが、振り絞ったその僅かな力が彼の小さな抵抗と意地。
ゼファーとて男の子だ。心配してくれる女の子の前でいつまでもヘタれた顔はしてられない。
その強がりで周りを騙せているかどうかは……まあ別として。
「だから、ありがとう。もう大丈夫だ。
貰った元気はいつか必ず返す。元気は貰った分返しても減らないんだろ?」
廃人寸前の状態から、強がれるくらいまで回復したことに違いはない。
「そうだね。でもまだ大丈夫じゃないと思うから、もう少しゆっくりしてていいと思うよ」
微笑んでやんわりとたしなめるセレナは、全て分かった上でゼファーの強がりも微笑ましく見守っているようにすら見えるために、ゼファーは時々落ち着かない。
まるで内心を全て理解されているような、そんな気分になるのだ。
それは母に悪戯を隠し切れずに動揺してしまう子に似た、けれどそれとは違う気持ち。
クリスと出会い多大な影響を受けたゼファーの心の動きは、赤の他人でも割と分かりやすいという事実を知らぬは当人ばかりなり。
そんな彼の内心を分かった上で適度に見なかったフリをしたり、時には言及したりと、ゼファーの精神状態を気遣って会話の流れを選択しているのは、セレナの思いやりというやつである。
「……それにしても、ちょっと不思議」
「何がデスか? 調」
「ゼファーはスペイン語が一番得意って言ってたけど、
スペイン語圏なら『ゼファー』じゃなくて『セフィーロ』とかじゃないの?」
「俺の名前のことか?」
コクリ、と調は無言で首肯する。
ゼファーと調の現在の親交は、言語の翻訳を通した限定的な少々の会話のみだ。
だから短い付き合いながらも調はゼファーの言語スキルの詳細を知っている。
彼はポルトガル訛りのスペイン語、教科書通りの英語、会話だけの日本語が使用可能だ。
しかしゼファーというのはヨーロッパを中心とした英語圏向きのネーミングである。
スペイン語がメインである国出身であるのならば、確かに僅かに疑問が残る。
セフィーロはギリシア神話におけるゼファーのスペイン語での言い換えである。
もっとも、調の知るギリシア神話のゼファーと、彼の名の由来になったものが同一であるかどうかは定かではないが。
「俺の名前の由来は、爺ちゃんの――」
脳裏に激痛。
記憶の想起、それに付随する痛み。
一瞬で連鎖的に思い出し、一瞬で反射的に押し込んで、一瞬で意識の外へ。
無意識が記憶と感情の連結を外し、生まれた吐き気を気力で抑えこむ。
「――故郷の龍の神様が元になってるんだってさ」
コンマ1秒のほんの一瞬、言葉が途切れた間に調と切歌は気付けない。
そしてそれに反応してセレナが浮かべた悲しそうな表情には、誰も気付けなかった。
「爺ちゃんの先祖の故郷は東欧で、昔移民してきたらしい。俺は中米生まれだけど」
「私やマリア姉さんも東欧だね。もしかしたら私達とゼファーくん、親戚だったりして」
「いや流石に世間はそんなに狭く……っと、そういえばセレナには姉がいるんだっけか」
「うん、マリア姉さんね」
ゼファーは東欧生まれのバーソロミューの孫ではあるが血の繋がりはない。
彼自身はバル・ベルデ生まれのバル・ベルデ育ちだ。
『ゼファー』というネーミングはギリシア神話由来なのではと調はあたりをつけていたが、バーソロミューの故郷とセレナの故郷が近いというのはあながち見当外れではないかもしれない。
かつてカ・ディンギル……バベルの塔を建てたと言われるシュメールは、ギリシア神話のルーツの一つであるとも言われている。
そしてギリシア神話は成立の過程で東欧の神話や伝承を多く取り込んでいる。
聖遺物というものがある以上、神話が史実でない保証などどこにもないのだ。
先史文明時代に何かしらの形で残ったゼファーという名称が、東欧を中心として残っていたと仮定するならば、それがギリシア神話に何かしらの形で残っていたのだとしてもおかしくはない。
セレナがどこかでゼファーという名の竜の神の名を聞いたことがあれば一発で判別は付いたのだろうが、そうそう上手く行かないのが人生だ。
「何を隠そうあたしと調は、日本生まれの日本育ちデェス」
「ほとんど育ってないけどね」
「ハーフっぽいとも思ったけど、キリカもシラベも日本人っぽさがあるんだよな」
……ほとんど育ってない、という言葉に調の盛大な自虐と未来への展望が込められていたのは気のせいだろうか?
まあ言葉を額面通りに受け取れば、本当に幼い頃にこの施設に連れて来られたということなのだろうが。この施設の子供に親に育てられた子供はほぼゼロと言っていい。
そういう子供達を集めているのだから、まあそれはそれで当然だ。
「そしってぇ! あたしと親友の名前はデスね!」
「ああ、知ってる。二人は月と太陽って意味の名前だよな」
「あれぇー?」
このネタに相当な自信があったのか、この運命的な偶然の重なりがお気に入りなのか、はたまた日本語にそれほど精通していなさそうなゼファーを驚かせようとしていたのか。
テレビで知ったびっくり豆知識で友達を驚かそうとして「知ってる」と返されたような、とても微妙な表情を切歌は浮かべている。
これは言葉を教科書から学んだわけではなく、人から学び続けたゼファーだからこそだろう。
彼の知識や言語力は普通に使う分には問題ないが、全体としてみると偏っている部分が多い。
やっさいもっさい等が組み込まれている日本語に関しては完璧にクリスのせいだ。
「一応英語圏でもあるのに、セレナの名前の方は分からなくてちょっと申し訳ないんだが……」
「私? 私のは歌の種類かな。男の人が恋人に送る、静かで優しい曲だよ」
「
「あ、その名前なら聞いたことはある」
セレナの説明に調が補足し、曲を聞いたことはないが名前は聞いたことがあると納得させる。
ことはそう単純ではなく、シューベルトの
ゼファーのように奇跡的な偶然で名に込められた意味を知ったのとは違い、セレナは自分の名の由来を知る前に親と離別してしまった。
セレナの名の由来を知るのは、彼女の姉ただ一人だけ。
「でも皆名前の通りだな。
キリカは太陽みたいに明るいし、シラベは物静かで落ち着いてるし、セレナは優しいし」
「やー、そこまで率直に褒められると流石に照れますネー」
「ん」
「ゼファーくんは他者評価が高過ぎると思うんだけどなぁ」
照れくさそうに頬を掻く切歌や何を考えているのかいまいち読み取れない調と対照的に、セレナは暗にゼファーの自己評価の低さを諌める。
セレナはゼファーが「名前の通りに」と口にした時の、自虐的な気持ちに気付いていた。
無論彼女はゼファーの名に込められた祈り、彼が何故自分の名前に劣等感を感じるようになったのか、そのあたりを知っているわけではない。
ゼファーは自分の過去をほとんど話さないからだ。
それでも、優しいということは他人の気持ちを感じ慮れるということであり、セレナはゼファーから自虐的なその感情を読み取りそれを諌めたということだ。
彼にもそれは伝わったようで、少し居住まいを正している。
このメンバーで話していると、度々こういうことがあった。
切歌や調が混ざって話していても、ゼファーとセレナの間でしか通じない言葉の応酬がある。
口と耳ではないどこかで意思を伝え、伝えられ、互いに通じ合う光景。
切歌や調はまだ気付いた様子はないし、セレナやゼファーにも自覚はなさそうだ。
ただ僅かな身振り一つ、言葉のニュアンス一つ、語調の揺らぎ一つで互いの意思を確認し合えるというのは、二人の付き合いの短さからすれば信じられないような光景に思える。
他の人間とは繋がっていない見えない何かで繋がっているとか、ここで出会うべくして出会った運命を感じさせるだとか、そういう現実的でない表現が似合う相性の良さ。
一目惚れだとかそういう色っぽい気配を微塵も匂わせないその関係は、見る者をどこか不思議な気持ちにさせる。
今の所はまだゼファーが一方的に救われているだけなので、外側から見てその不思議な繋がりを感じ取れる人間はほとんど居ないだろうけども。
「さて、今日は皆で遊べるボードゲームとか持って来たデスよ!」
太陽のように笑う切歌は本当にこの集まりのムードメーカーだ。
変な空気になっても、何か会話の途中で違和感が生まれても、彼女が笑って声を上げるだけでそれらはどこかに吹っ飛んでいってしまう。
仏頂面してるのが馬鹿らしくなるのだ。
心を病んだ人間を立ち直らせるのに最初に必要なのは、自分と向き合わせることでも立ち直れる強さを鍛えさせることでもなく、まずは優しくすること、次に笑わせることであるらしい。
切歌が笑って、調が乗って、ゼファーが僅かなれども自然に笑って、セレナが続く。
この施設で最初にゼファーの笑顔を見たのは間違いなくセレナだが、笑顔にした回数で言うならぶっちぎりで切歌だろう。
笑顔を得られるこの場所は、ゼファーにとっての陽だまりだった。
「さーてさて駒を配って」
「随分と楽しそうな事をしていますね、切歌」
が、楽しそうに手元のボードをいじっていた切歌の手が止まり、笑顔が凍りつく。
止めたのは牢の外にいつの間にか立っていた、青い髪の壮年の女性。
厳格そうな雰囲気、背筋がピンと張ったしっかりとした姿勢、氷のような鉄面皮。
一見しただけの印象では、厳しい女教師と隙のないやり手のキャリアウーマンを足して二で割ったような、そんなイメージを見た者に与える。
そしてそれはあながち間違っても居ないようで、無表情な調や柔らかい印象のセレナですら、彼女が登場しただけで姿勢を正し、どこか緊張しているように見える。
とりわけ切歌の反応は顕著だ。
あわわわと口から漏れ出る声も、右往左往する視線も、ここに彼女が来るとマズいのだと言わんばかりである。
そんな三人の様子に戸惑うゼファーに視線を向け、彼女は口を開いた。
「ナスターシャ・セルゲイヴナ・トルスタヤです。以後お見知り置きを」
「あ、と、ゼファー・ウィンチェスターです」
その厳格な雰囲気に気圧されたのか、ゼファーもどことなく語調が堅い。
ナスターシャと名乗った女性の口調は非常に丁寧だが、全くへりくだった印象を受けない。
むしろ弱気な子供では泣き出してしまうのではと思わせるように威圧感のある声色であり、丁寧であることが逆に声に乗る力を倍増しているような気すらする。
彼女が丁寧な……正しい言葉遣いを心がけているのは、子供達が変な話し方を真似しないようにとの考えからではあるが、それが成果となってくれているかは分からない。
「ここに貴方を閉じ込めているのは私達です。不自由を押し付けていますが、ご容赦の程を」
「……あの、俺は何故ここに……?」
「
公式発表では生存者は0、貴方以外の全ての人間が帰らぬ人となりました」
「ッ」
ヴァーミリオン・ディザスター。
事実上、ゼファーの帰る場所と生きる理由を全て根こそぎ持って行った大事件。
災害なのか、人為的な事件なのか、いまだにその詳細を知る者は居ない。
その名を聞けばゼファーは平静では居られない。
一瞬で記憶と感情を押し込むこともできず、取り繕った出来損ないの仮面を強がって被ることもできず、表情を悲惨に歪める。
「今はその災厄の『元凶』に関する諸事情により、貴方をここに閉じ込めています。
申し訳ありませんが、今の貴方に私の口から申し上げられるのはそれだけです」
「元凶……」
元凶。
ゼファーの中で、あの遺跡の中で見たこと、夢の中で見たことはどれが現実でどれが夢だったのかは曖昧な部分がある。
特にジェイナスが死んでからの記憶は朦朧としていて、全ては思い返せない。
それでも、珠に見せられた焔の災厄。「世界が終わる前の日に」と告げて消えた焔。
その二つが彼の頭の中をちらついていて離れない。
ゼファーの中の直感が、敵意を込めた警鐘をかき鳴らしていた。
けれどそれだけで、ゼファーの求める問いへの答えは吐き出さない。
「あれを二度と繰り返さないために、全力を尽くすことをここに約束します」
本気の思いは伝わる。
互いが互いに対し誠実であれば、本気の言葉を誤魔化すなんてことはできはしない。
ナスターシャの宣誓はゼファーの心にまっすぐ届き、その言葉が本心からの言葉であることを偽りなく伝えきった。
彼女は本心から、あのヴァーミリオン・ディザスターを繰り返さないために、己の死力を尽くす覚悟を決めている。
「……お願いします」
鎖をじゃらりと鳴らし、頭を下げる。ゼファーはリアリティのない視点にて見下ろした、全てが焼滅したフィフス・ヴァンガードの光景を思い出していた。
あれは違う。
あれは自然現象や災害なんて枠に収まるものではない。
地震が山を崩し新たな生物の生息環境を作るように、暴風が植物の種や虫を遠くまで飛ばし繁栄させるように、大雨が水生生物や木々に恵みをもたらすように。
生命の育む余地を残すのが自然の中の災害だ。
ありとあらゆる生命の存在を許さなかったあの焔は、災害の枠には収まらない。
その焔に対し敵意は抱いても、恐れを抱いていない自分にゼファーは気付けない。
「さて、切歌」
「ひゃうっ」
ゼファーとの礼節に収まる程度の短い会話を終えたナスターシャは、こっそり移動していた切歌を見逃さない。そも部屋の出入り口にはずっとナスターシャが立ち塞がっているのだから逃げ道なんてあるわけがなく。
短く悲鳴を上げて切歌は調の後ろに隠れようとするが、調はネコのようにひょいっとかわし、安全圏と判断したゼファーの隣へと移動し座る。
「し、調ぇ……」
「……私、ここに来る前にいいの? って聞いたよね?」
「切歌、名前を呼ばれたなら返事をなさい」
「は、はいぃッ!」
見捨てられた子犬のような目をしてすがるように手を伸ばす切歌を切って捨てる調、ナスターシャの重ねられた言葉に躾けられた動物のような反応を見せる切歌。
切歌が子犬っぽくて調は猫……兎?っぽいな、などと他人事のようにゼファーは流す。
実際、彼には現状が何がなんだかさっぱり分かっていないのだから仕方ない。
「昨日私に出す予定だった課題はどうしましたか?」
「えと、あのデスね」
「出し忘れてたにしろ朝一番で謝りに来るべきと、以前教えたはずでしたが」
「その……」
「まさかこんな所で遊んでいるとは夢にも思いませんでした」
「……うぅ」
ここに学校に通った経験のある子供は居ないが、居ればまず間違いなく宿題を忘れて教団の前で先生に叱られているアホの子という構図を思い浮かべるだろう。
ここに来てゼファーは少しナスターシャという人物への反応を理解する。
彼女の言葉には悪意は見えない。叱る言葉にも切歌に対する心配、思いやり、僅かな失望が声色の中に垣間見えているくらいだ。
ナスターシャは約束を破られた怒りでもなく、自分を蔑ろにされた恨みでもなく、やるべきことをやらなかった切歌のために叱っている。
思われているから叱られているということが分かっているから、切歌も逆ギレや逆恨みができない。ナスターシャに怒られてもナスターシャを嫌えない。
厳格な母と娘、あるいは厳し目の教師とアホの子な教え子の構図か。
その厳しさは、実感できる彼女の愛だ。
親なんて居ないこの施設の子供達にとって、数少ない大人から注がれる愛だ。
厳しくとも、嫌えるわけがない。まあそれはそれで別として怒られたくないという気持ちもあるのだろうけども。調やセレナが姿勢を正したのも納得か。
「やるべきことをきちんとやる癖をつけなさいといつも言っているでしょう。
人生で困難の壁にぶつかった時、頭で考えたり文句を言うだけでは何も変わりません。
その時になって困らないよう、失敗してもいい今の内に習慣を付けておきなさい」
「……はいデス……」
子供は大人の説教が嫌いだ。
大人が子供を思っていることは大人が思っている以上に子供に伝わらないし、大人が言う「将来苦労する」は子供にはピンと来ない。
説教は長い割に退屈で、聞いていない様子を見せるとすぐ怒られる。
子供からすれば頼んでもない説教の押し付けは嬉しくないし、大人からすれば子供の為を思ってしたくもない説教をしているのに、聞き流されてはたまったものではない。
古今東西説教は親の愛の証であると同時に、両者の溝を深める諸刃の刃なのだ。
平和な国の……という前提を付ければ、彼女の年頃の子供の大半は悪ガキで大人の言う事なんか聞きやしないし、一部は宿題も平気でバックレる。
それでも切歌が素直に説教を聞いているのは、彼女に悪いことをしたという自覚があることと、単純に彼女がすごくいい子だからである。
素直さと真っ直ぐさは暁切歌の美点の一つだ。
ちょっとバカという欠点を見ないフリをするならば、だが。
そんな切歌がチラっと一度、ゼファーやセレナに目を向ける。
捨てられた子犬というか、川に流された子犬の目というか。
セレナは見ないフリをしてのスルーパス。
見て見ぬ振りができない性格のゼファーはそのスルーパスを受けてしまう。
(……まあ、恩は少しづつ返してかないとな)
口が上手くもないゼファーに振るのは致命的に何か間違っている気がするが、この場で切歌に助け舟を出す気があるのが彼一人というのも事実。
調は叱られる時は叱られとけタイプの親友のようで完全に傍観に入っている。
少しタイミングを計り、彼はナスターシャの言葉の継ぎ目を見計らって割って入った。
「すみません、少しいいでしょうか。ナスターシャさん」
「……なんでしょうか、ウィンチェスターさん」
眼光だけで人も殺せるんじゃないかという流し目。
しかしゼファーは微塵も揺らがない。むしろ少し親しみを感じていた。
彼は知る由もないが、バーソロミューはかつて一時期教鞭を執っていた時期がある。
ゼファーの性格には教師風の大人に対しては好感度ボーナスがかかる謎仕様が下地としてあったりするのだ。ナスターシャも、かつて教鞭を執った経験があるのかもしれない。
彼にも理由が分からない、不思議な懐かしさがそこにあった。
「切歌はここの所ずっと俺をここに来て励ましてくれていました。
お陰で俺はかなり立ち直れましたし、彼女が居てくれなければどうなっていたか分かりません」
「だから許せ、と?」
「許せとまでは言いません。約束は破ったわけですし」
不安げな切歌に一度視線をやって安心させ、ゼファーはナスターシャの眼をしっかりと見る。
誠意を示したいのなら、まずは相手の眼を見ろと教わった。
会話においては誠意もまた一つの武器となると教わった。
少年は、かつてそうたった一人の悪友に教わった。
その悪友自身は『誠意』なんてものは終生使いはしなかったのだが。
「ただ、事情を考慮して欲しいんです」
「……ふむ」
ゼファーの立ち直る過程はナスターシャもよく知っている。
彼は悪夢の後に意識が朦朧としていることが多いせいか覚えていないが、何度もゼファーを取り押さえる人員を呼んだり鎮静剤を投与したりと助け続けた当人だからだ。
ここしばらくのセレナ、切歌、調の三人との交流で劇的に改善しているゼファーの様子は監視カメラ越しにずっと記録されてすらいるので見逃しているということもない。
彼女にはゼファーの言い分も分かるし、切歌の功績も分からないでもないのである。
「事情を考慮して欲しい」とだけ言われ、少しナスターシャも思案する。
厳しさを見せるか甘さを見せるかの逡巡、その一瞬の会話の隙間。
「キリカ、まだお前謝ってないぞ」
「……あっ」
そこにするりと挟まるゼファーの切歌への言葉。
ごく自然に当たり前のように口にして、切歌にまだ謝っていないという事実を告げる。
会話の隙間と呼吸の継ぎ目を読まれたことに気付いたのは、ナスターシャ本人だけだった。
「マム、ごめんなさいデスッ!」
バッと切歌は頭を下げる。
礼儀正しいとは言いがたいが、心の底から謝っているのだとよく分かるお辞儀だ。
普段元気な彼女が殊勝にしているだけでも気持ちはそれなりに伝わってくる。
「この通りです。寛大な処置をお願いします」
そして、ゼファーも頭を下げる。
真っ直ぐにナスターシャの目を見てから深く深く下げられる頭。
これ以外に頼み方を知らないとでも言いたげな、そんな不器用さが透けて見えた。
当人以外に頭を下げられるとナスターシャの厳しさも少々揺らぐ。
第三者の外野に仲裁されると口争う気が目減りする法則だ。
まして切歌自身が心から反省している姿を見せた以上、これ以上言うべきこともないのだ。
「切歌」
「は、はいッ!」
「明日、必ず出しなさい。今回は不問とします」
「! ありがとうマム! 大好きデース!」
しょんぼりした顔から一転、ぱぁっと華が咲くような笑顔を浮かべ抱きつく切歌。
抱きついて来る切歌に呆れた顔を浮かべ、ナスターシャはその頭に手を置き撫でる。
そんな二人を見て、ゼファーはほっと一息ついた様子を見せる。
そんなゼファーの脇をセレナが肘で突っつく。
なんだろうかと横を向けば、手の平を彼の側に見せるセレナの姿。
音もなくこっそりと、二人はハイタッチのように手の平を打ち合せた。
そんなゼファーを横目で見つめるナスターシャ。
やりづらい。彼女は彼に対し、素直にそう思った。
性格が悪いならやりようもある。口が上手くともやりようはある。
海千山千の政治家とですらナスターシャは口でやりあえる自信がある。
その彼女が絶妙にやりづらいと、そう思わされていた。
最大の問題は、彼女が彼が作ったこの流れに不快感を感じていない所にある。
彼女はゼファーに口下手な印象を受けた、受けたのだが。
会話の間の取り方が上手いのか、相手の内心を読み取る能力に長けるのか、はたまたただの直感か、彼は言葉少なにこの流れへと持って行った。
天性の才能でなければ、これは詐欺師のような話術に長けた者に無自覚に仕込まれたのだろう。
でなければ、感じられる作為と悪意が薄すぎる。
凄惨なものも含む人生経験の積み重ねにて、その仕込みが少年の中で噛み合いつつあった。
何かのきっかけでそれが大きく化ければ、彼は自分を中心に多くの他人を巻き込み、そして変えていけるような人間にだってなれるだろう。
ナスターシャはゼファーという人物の一部を見抜き、その奥のジェイナスの影響を感じ取り、いつか至るかもしれない未来の可能性の一つを見出していた。
しかしながらそれもまだ未完の器。
彼女から見ても、ゼファーは相当に危ういバランスの上に立っているように見える。
例えるのなら留め具が緩んでフレームががたがたになった画架……
何の絵も置かれていないが、だからこそどんな絵だって置ける、けれど何かの絵が置かれる前に壊れて倒れてしまいそうな脆い印象。
ナスターシャの、そして彼女の事実上の上司であり聖遺物について誰よりも詳しい『彼女』の意向を考慮するならば、ここで彼が精神的に不安定なままなのは好ましくない。
そこで彼女は、一つ思いついた事を口にした。
「ですが、ただ不問にはしませんよ」
「ほぁっ!?」
ナスターシャの無慈悲なる一言、大仰に驚いて距離を取る切歌。
「調、セレナ。貴女達も分かっていて見ないフリをしていましたね?
他人事のような顔をしても見逃しはしませんが」
「……ん」
「ご、ごめんなさい……」
切歌とほぼ常時一緒に居る親友の調が気付いていないわけがなく。
セレナの細やかな気遣いはゼファー相手に限らず友人達に向けられるため、切歌の様子から隠し事に思い当たらないわけもない。
気付いていなかったのは付き合いの短いゼファーだけだったということだろう。
無論ナスターシャが気付いていて戒めなかった二人を見逃すわけもない。
基本的に厳しい女性なのだ。
「ウィンチェスターさん」
「はい」
「切歌が宿題を忘れた責任を、ここにいる四人で分割しようと思いますが。どうですか?」
姿勢を正して聞く姿勢に移るも、予想していなかった提案にゼファーは目を丸くする。
切歌の宿題忘れ、気付いて黙っていた二人と同じ何かを求められるのはありえない話ではなかった。ゼファーも元々そう望まれたらそうつもりだったのだから。
しかし宿題を一度忘れてそれを報告もせず遊んでいた、言ってしまえばそれだけの話だ。
責任を四人で分割するとか、そういう表現をするほど大仰なものではない。
ナスターシャがこれからする提案は何時間考えても自分には予測できないと、研がれた直感がゼファーにささやく。
セレナ達がここに来ることを禁ずるなんてことも十分ありえるのだ。
厳しい顔をしたナスターシャが口を開き、子供四人が息を呑んだ。
「本日よりここでしばらく補修を行います。参加者はこの場にいる四人、強制参加です」
勉強嫌いの切歌が頭を抱える。
勉強が嫌いでない調が首肯し、少し考えてから無表情を少し微妙な表情に変える。
セレナが反応に困った様子で曖昧に微笑む。
ゼファーは少しだけ感嘆した気持ちを表情にややにじませる。
ナスターシャは厳格な雰囲気を纏ったままそこに佇んでいる。
(……ああ、やっぱりこの人は……)
補習というものは、古今東西基本的に大人の善意100%によってのみ構成されている。
子供達の交流とその価値を否定せず、目の届く範囲の中で友好の機を作るその遠回しな肯定は、とても分かりづらくて厳し目な、眼には見えない愛だった。
遊ぶだけでなく勉強もしろと、その中で友情も育めと、それが健全であると。
だからこそゼファーも巻き込んだ。切歌一人への罰で終わらせなかった。
同年代から向けられる友情ではない、大人から子供への贈り物だった。
子供らしい子供が素直に喜べないような、子供を想う大人の善意。
誕生日に計算ドリルを贈るようなものなのだが、彼は感嘆しているので気にしてはいけない。
Q.ゼファーが日本人の名前呼ぶ時なんでカタカナなの?
A.ちょっとカタコトな日本表現
現時点での年齢はセレナ12歳、切歌8歳、調7歳、マリア14歳、ゼファー年齢不詳です。Gの七年前ですね
ゼファーはセレナより年上ではない、とだけ