戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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「痛みだけが人の心を結ぶ絆になる」とか言って、相性のいい誰かに取り憑こうとした黒幕さんが居たらしいですよ


2

 月読調は、文句なしに幸せな気持ちで居る人間、もしくは傷付いてそうなれなくなってしまった人間を見抜く能力に長けていた。

 前者は親友の暁切歌。

 調は自分と同じで決して楽ではない人生を送って来たにも関わらず、それでも幸せな気持ちで日々を生きている彼女を心から尊敬しているし、切歌のような人間はそう居ないと思っている。

 後者はこの施設の子供達の大半。

 身寄りのない子供、孤児院の子供をかき集めたこの施設の子供達は、心のどこかに傷を負っているものがほとんどだ。

 ゼファーなどその最たるものだろう。

 調はそうして、他人の純粋な幸せな雰囲気、傷付いた心に敏感になっていった。

 

 そのためか、いつからか、調は条件なしに幸せになっているような人間が嫌いになっていた。

 傷のない人間が信用できなくなっていた。

 その反動からか、生来の気質か、傷のある人間には不器用ながらに優しくなれた。

 

 その他者を嫌う気持ちの源泉には、届かない憧れと歪んだ羨みがある。

 ああなりたい。ああなれない。ああ嫌だ。だから嫌い。

 それは自分が一番辛い時に助けてくれなかったヒーローに八つ当りするモブのような、そんな理不尽で人間的な八つ当たりに近い感情。

 彼女はのんきに傷もなく幸せそうにしている人間が切歌を除いて嫌いで、自分達を助けもしなかったくせに「誰かのために」なんて言うヒーローが嫌いで、痛みも傷も知らない人間が上から目線で差し伸べてくる手が嫌いだ。

 傷の見えない綺麗事を、偽善者に見える誰かを、彼女は絶対に信じられないだろう。

 

 痛みと傷を信頼の源泉に置く彼女の性格は、環境によって更に尖る。

 彼女の周りの大人達は、子供を傷付けるだけで自分達は絶対に傷付こうとしない。

 痛みを与えるだけで自分達の保身ばかり。研究という名目で痛く苦しいことばかり。

 それでいて口から吐くのは世界のため、科学の発展のためだのと綺麗事ばかり。

 口では綺麗なことを吐き、痛みを平気で強要し、自らの手は汚さない。

 大人の汚らしさ、大人への不信、大人から与えられる痛みと傷。

 大人達に都合のいい、押し付けられる理想の形、扱いやすい人形としての月読調。

 それらは彼女の中で、世の中の人間の大半の人間への漠然としたイメージへと変わり、何度伐り刻んでも足りないほどの、世界へのあいまいな嫌悪へと変わる。

 傷の無い人間は偽善者であると、そんな気持ちが彼女の中に芽生えていた。

 

 けれど、調が何よりも許せないのは、そんな偽善者達ではなかった。

 暴力をちらつかされる度に、傷と痛みを思い出し、大人達に従ってしまう自分の弱さだった。

 無言で頭を下げ、人形のようにお辞儀をするだけの自分だった。

 親友を、友達を、自分と同じように傷付ける大人達に抗えない、情けない自分自身だった。

 その屈辱に、悔しさに、何度涙を流したか分からない。

 力のない掌を精一杯の力で握りしめたか分からない。

 だから、月読調はかつて助けてくれる誰かを願い、そして今ではそれを諦めていた。

 

 調はこの辛い現実を、切歌が笑って乗り越えようとしているのを知っている。

 マリアが皆で支え合って乗り越えようとしているのを知っている。

 セレナがそんなマリアを支えようとしていたことを知っている。

 子供を傷付けぬように、子供達の未来を繋げるために、大人の立場からできることを一生懸命に探して、汚い大人達の中で孤軍奮闘するナスターシャの姿を知っている。

 あまり表情の変化のない自分を、容姿と合わせて研究者達が「人形のようだ」と揶揄しているのを知っている。

 子供達の一人が「あいつは人形だから痛いのもヘーキなんだ」と言っていたのを知っている。

 勤勉だからこそ、他の子供達が知らないことも多く知っている。

 現状の自分達の希望の無さと未来の閉塞を、誰よりも明確に認識している。

 知っているからこそ誰よりも強く絶望を知り、けれど折れずに今日まで生きている。

 

 ここに来たばかりの頃、居場所をくれたマリアへの恩を、調は忘れない。

 転んで泣きそうになっていた時に手を差し伸べてくれたセレナへの恩を、調は忘れない。

 ナスターシャの厳しさと優しさに感じられる愛への恩を、調は忘れない。

 誰よりも強く、自分の心の支えになってくれている唯一無二の親友への恩を、調は忘れない。

 彼女を支えているのは大切な人達への強い想いだ。

 それが絶望に立ち向かう強い意志をくれる。

 彼女は大切な人のためならば、世界とだって戦えるだろう。

 

 そこに、新しい仲間が加わった。

 調が見たこともないくらいに傷だらけで、傷付きやすく脆い第一印象の少年。

 彼と話した一ヶ月は、最初の頃のどうやったらここまで傷付けるのかという弱さへの同情と、最後辺りのどうやってあそこから立ち直れたのかという驚愕で二度、彼女は驚かされた。

 

 「進みたい。進めない。変わりたい。変われやしない」

 

 そんな彼の中のジレンマは調にもちゃんと伝わっていた。

 それは調がずっと抱いていたジレンマと完全に同一であったから、尚更に。

 だからこそ調は驚いた。

 

 それを彼が何らかの形で乗り越えたからこそ、彼はあの部屋から外へと踏み出せたのだと、彼に対し少なくない共感を抱いていた調だからこそ、気付けていた。

 

 

「ゼファー」

 

「うん? どうした、シラベ」

 

 

 それがどうにも気になった調は、ある日に気付けば彼に話しかけていた。

 調が他人に自主的に話しかけることは、それ自体が珍しいと言い切れることだった。

 

 

「なんでゼファーは、セレナにあんなに信頼されてるの?」

 

 

 彼が内気なセレナを限定的に積極的にさせ、大きな信頼を短期間で得たここ二ヶ月の謎。

 それは調の中にある疑問の中で一番大きく、かつ、調はこの質問で聞きたかった答えが得られるような気がしていた。

 月読調は知りたかった。

 自分がいまだ乗り越えられないジレンマを乗り越えた先人が、どんな人間であるのかを。

 

 

「セレナが優しいから……か? 俺の方に要因はないと思う、たぶん」

 

「あんなに信じられているのに?」

 

「俺が狙って誰かの信頼を得るなんて、難しいことするのは無理だって」

 

 

 ゼファーは調の言葉に苦笑する。

 その苦笑は、どこか傷だらけで、身の程を知った諦めが滲んでいた。

 

 

「他人に死を強制するのは簡単だ。銃を向けて撃てばいい。

 他人に傷と痛みを強制するのは簡単だ。拳を握って殴ればいい。

 でも……他人に信頼を強制するのは難しいを通り越して、無理なんだよな。

 本当は誰だって傷とか痛みより信頼が欲しいはずなのに、やろうとしても空回る」

 

 

 言葉の節々に実感が籠もる。

 殺すのは簡単だと、彼は言う。

 その部分には特に、悲惨なくらいに実感が籠っていた。

 

 

「人を殺すことに比べて、信頼されることは本当に難しいと思う。

 正解なんてどこにもないし、問題集と違って選択に制限時間もあるのに終わりはない……

 積み上げるまでが長いのに、たった一回の失敗で全て失うこともある」

 

 

 忘れてはならない。忘れたい。相反する二つの感情が彼の過去の何かから生まれている。

 傷付いた人間は、どこか自分の中で矛盾してしまうものなのだと、調は知っていた。

 痛みの記憶を忘れたい、忘れられない、忘れたくない、忘れてはならない。

 そんな自己矛盾など最たるものだ。

 人間は矛盾する。それが人間と人形の最大の違い。

 人形のようだと言われる彼女は、だからこそ人の傷の重みを知っている。

 傷付いた、矛盾した人間だからこそ吐ける言葉というものを、彼女は感じ取ることが出来る。

 

 寂しさは優しさへと変わる。

 寂しい思いをしたことのある者だからこそ優しくなれるのだと、彼女は知っている。

 傷跡は強い絆を結ぶ。傷のない人間同士よりも、傷のある人間同士の方が強い絆を結ぶことが出来るのだと、彼女は知っている。

 仲間と一緒に刻まれた傷は共感になり、絆の証になる。彼女の実体験だった。

 

 

「うん、分かる」

 

 

 だからか、傷付いた人間の語る信頼論に、気付けば調は頷いていた。

 思えばこの時が、月読調がゼファー・ウィンチェスターを本当の意味で友人として認識した瞬間だったのかもしれない。

 不思議な気持ちが胸中に溢れる。0と1では表せない、機械的でない人間的な感情。

 忘れていたはずの期待がまだ心中で燻っていたことを、その時ようやく彼女は自覚する。

 

 

(もう、空から降ってくる王子様に憧れる歳でもないのに)

 

 

 己を恥じた彼女は、心中でそっとため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第六話:Moon/Prince/Princess 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファー、セレナ、マリア、切歌、調、おまけにウェル博士も加わった珍妙一行。

 彼らは食堂に向かっているのだが、この施設――F.I.S.研究所――には二種の食堂がある。

 一つは最上層、研究者達が寝泊まりする区画の食堂。

 一つは最下層、レセプターチルドレンの居住区画の食堂。

 どちらも清掃員や食堂職員はローテーションであるため、管理している者達に差異はない。

 しかし基本的に研究者達が下層で食事を摂ることはなく、レセプターチルドレンが上層で食事を摂ることもなかった。

 レセプターチルドレンは上層には入ることが許されず、実験時に中層に入ることが許されているだけだからだ。一応レセプターチルドレルが上層に入れないだけで、研究者が下層の居住区画の食堂を利用することはできるが、それは意味のない仮定だろう。

 研究者達がわざわざ子供達が騒がしくしている上に遠い食堂を使うわけがないわけで、よっぽどの物好きでもなければ、研究者達が下層の食堂を使うことはない。

 子供達とのコミュニケーションのために度々使うナスターシャは例外だ。

 よって彼らが向かう食堂も、多くの子供達で賑わっていた。

 

 

「この辺にするか?」

 

「ゼファーくんってなんだか毎回壁際の席を選ぶよね」

 

「飯食べてる時に背中側に壁がないとなんか不安でさ」

 

「時々殺し屋みたいなこと言い出すデスよねゼファーは」

 

 

 食堂が開く時間は朝7時~7時半、昼12時~1時、夜6時~7時の三回。

 それ以外の時間帯にレセプターチルドレンは食事を摂ることが出来ない。

 なのでこの時間、食堂は子供達の喧騒で実に騒がしい。

 ゼファーは他の子供達の邪魔をしないようにとも考え、食堂隅の六人席の端に座る。

 

 

□□□

 

 

「ここいいかな?」

 

「そりゃ喜んで」

 

 

 その向かいに、セレナが座る。

 一人で食べるのは味気無いだろうと、まだここに来たばかりのゼファーへの配慮からか、彼女は彼が一人で食事することの無いよう度々付き合ってくれていた。

 向かいの席は食事時の会話席である。

 向かいに美少女が座ってくれて度々話しかけてくれるなら、そりゃあゼファーとて食事は数段楽しくなるだろうし、食事も美味しく感じられるだろう。

 そんなセレナの気遣いに、ゼファーは少し救われた気持ちになる。

 『一人にしない』という気遣いは、それだけで心が暖かくなるものだ。

 

 

「ゼファーって何か好きなものとかあるデスか?」

 

「いや特には。嫌いなものもあんまり無いけど」

 

 

 そして、ゼファーの隣に一言断りもせずにさらっと座る切歌。

 こういった積極性、気安さ、他人への踏み込み、物理的にも心理的にも距離を詰めることに忌避感が無いことが、暁切歌の美徳だろう。

 一歩間違えれば無神経とも言われかねないが、そうそう他人との距離感を間違えない彼女には誰とでもすぐ仲良くなれる美徳となる。

 切歌はごく自然に、仲良くなりたい友達と、一番仲のいい友達に挟まれる位置を選んだだけだ。

 

 

●<切歌ちゃんは嫌いなもの多いもんね

□□□

●●<デェス!

 

 

「……きりちゃんは自分の嫌いなもの食べてくれる人を探してるだけ」

 

「し、調! それは言わない約束デスよ!?」

 

「俺は別にそのぐらい構わないけど」

 

「あ、じゃあ、私も」

 

「調ッ!? まさか最初から乗っかるつもりで!?」

 

 

 その切歌の隣に調が座る。

 調と切歌は食事に行ける時間が合わなくとも、互いが互いを待って時間を合わせることもあり、常にと言っていいほどに隣で一緒に食事を取る。

 調は切歌に合わせるし、切歌は調に合わせる。

 そして、何より……調は肉嫌いで、切歌は野菜嫌いという子供らしい好き嫌いがあった。

 二人は利害の一致した、食堂という戦場における戦友でもあったのである。

 

 

□□□

●●●<お肉食べる?

 

 

「調、好き嫌いしてると大きくなれないわよ?」

 

「別に、マリアみたいな身長欲しいとは思わないし……

 胸とかさえおっきくなってくれればいいかな、って」

 

「貴女は身体が周りより格別細いんだから、肉や魚も食べないと」

 

「お肉とご飯の組み合わせの良さが分からないなんて変な子デスねー」

 

「切歌は野菜食べないでしょうが! 貴女の方が問題よ!

 ご飯とお肉とフルーツばっかり! すぐに太るわよ!」

 

「う、動いてるから太らないデス! それに野菜あんまり美味しくないじゃないデスかぁ!」

 

「その点、俺は好き嫌い無いな」

 

「ウィンチェスターは! そもそも! 問題外ッ!

 食事を小麦粉袋とスプーンだけで済ませてた衝撃は忘れられないわよッ!

 好き嫌い無くたって栄養と体調管理に頓着ない貴方はどっかでポックリ死んでそうでッ!

 冗談にならないレベルでハラハラするのッ!」

 

「いや、流石に俺でもそれは……」

 

「同意者、挙手なさい」

 

「月読調、それに賛成します」

 

「暁切歌、それに同意デェス」

 

「……マジか。そんな変だったかあれ。

 いや、一ヶ月あれは流石に俺でもキツいけど2、3日なら別に……」

 

「セレナ・カデンツァヴナ・イヴ、姉さんの主張に賛成です。もうしないって約束してね?」

 

「……分かった、約束する」

 

「三人ともほどよく好き嫌いしないセレナを見習いなさい。まったく……」

 

 

 そこにマリアがシスコン気味にズバッと参上。

 レセプターチルドレンのオカンことマリアさんは、子供達の食生活にさほど興味のない食堂職員や研究者達に代わって、成長期の少年少女らに嫌いなものを食べさせる栄養の守護者である。

 嫌いなものを食べない調&切歌、幼少期の食生活で舌がバカになっていて自分の健康に全く価値を感じていないゼファー。

 ついでに野菜嫌いの切歌よりもなお悪い、肉しか食べないナスターシャ。

 彼らの健康の喪失までのカウントダウンはまだ始まったばかりだ!

 

 ごく自然にセレナの隣に座り、距離を取っていたことも忘れてゼファーの健康状態まで気にしてしまうのが実に彼女らしい。

 まあ最初の頃に必要最低限のものしか出されない子供達用の質素な食事を「そんな豪勢なもの俺にはもったいないです」と遠慮して、小麦粉袋とスプーンを貰っていったゼファーは、面倒見のいい彼女からすれば危なっかしいというレベルではないだろう。

 乾燥させたパンと缶に詰められた野菜と干し肉と水、それらで成長してきた万年栄養欠乏男児のゼファーとしては、ごく普通の食事ですら気が引けるものだった。

 が、そんな食生活をずっと続けていたらいつかは死ぬに決まっている。

 

 まあゼファーだけではなく、なんだかんだマリアと特に親しい切歌&調、セレナも危なっかしい所はある。というかマリア自身も相当に危なっかしい。

 色んな人を心から心配して、自分の足元がしっかりしていないのにその心配を杞憂だろうと放っておけない彼女は、立派な心配性と言っていいだろう。

 自分の面倒を自分でちゃんと見られるのが大人、そうでないのが子供だ。

 他人の面倒を見て自分のことがおろそかになるのなら、その時点で彼女もまた子供なのである。

 

 

●●<出されたものだけでもちゃんと食べなさい

□□□

●●●

 

 

「必要栄養素なんてサプリメントで十分だと思いますけどねえ」

 

「お菓子しか食べない貴方がどの口で言いますかドクターッ!」

 

 

●●●<好きな物食ってるだけなんだからいいじゃないですか

□□□

●●●

 

 

 ここまでほぼ発言なしのDr.ウェルがとうとう口を開く。

 年齢一桁も含めた女性陣の辟易した顔が妙に印象的な光景だ。

 困ったようなセレナの顔と、特に興味も無さそうなゼファーの顔がマシに見えるという有り様。

 

 

「で、何か用とかあるんでしょうか? ウェル博士」

 

「ええ、もちろん。ゼファー君は優しいですねぇ……

 僕は子供には嫌われやすいみたいで、君くらいしか普通に口を利いてくれないんですよ」

 

「はぁ」

 

 

 ゼファーにはその理由はイマイチ実感できていないようだが、この施設の子供達からウェル博士に向けられる嫌悪感は相当なものだ。

 切歌などは露骨に威嚇している。調は特に敵意こそ向けていないが、それは彼女がそこそこ頭がいいために、変に敵意を向けない方が丸く収まると判断しているからだ。

 調も内心では相当に嫌悪感を抱えているのだろうと、雰囲気からそう感じられる。

 隣に座られたマリアなど、椅子ごとセレナの方に寄って距離を取ろうとしているほどだ。それでも切歌や調と見比べると、幾分優しい対応だというのだから泣けてくる。

 この施設の科学者が子供達に総じて嫌われているのはゼファーも知っているが、ウェル博士に対する嫌悪はそれらのどれよりも上を行っていると、そうも確信できるほどの反応だ。

 現に視線があっちに行ったりこっちに行ったりして、どうにか丸く収めようとしているセレナ、相当に生理的嫌悪感を我慢しているマリア、早くどっかに行ってくれないかという雰囲気を隠そうとしない切歌と調、先刻まであった彼女らの明るい団欒に混ざるウェル博士の異物感は、ゼファーのそれとは比べ物にならないほどひどい。

 ゼファーとウェル博士の会話に少女達が一切入ってこようとしていない辺り、非常に明白だ。

 

 

「そういえば、ウェル博士って何を研究なさってるんですか?」

 

「僕ですか? 生化学ですよ。命と物質の親和、命の解明、及びその為の薬品開発などです」

 

「なるほど……俺、学無いのでピンと来ないですけど」

 

「分かりやすく言えば、君の『直感』を分析して薬剤で強化などをする研究ですよ」

 

「ッ、そんなことできるんですか!?」

 

 

 人間には、誰しも五感で感じ取れないものを感じ取る能力が備わっている。

 身近な所では、嫌な予感・危険を感じ取る嗅覚・他人の感情の動きなど。

 少し希少になると、予知夢・虫の知らせ・枕元に立つ死人の認識など。

 プロスポーツ選手が試合の度に発揮する直感は凡夫などでは及びもつかない域にあるし、星の数ほどいる霊能者の霊感などは、大抵がパチモンではあるが中には本物も居るだろう。

 それらは「オカルト」の一言で切り捨てていいものではない。人類の技術レベルが上がっていけば、いつの日にか当然のように認識されるものとなるだろう。

 と、言うか。よく考えれば科学的に分析されている完全記憶能力や、絶対音感等々の保有能力者の方がよっぽどオカルトじみている。

 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル氏の異能生存体スキルその他諸々など、枚挙に暇もない。

 

 それらの超人に比べれば微々たるものではあるが、人間には『直感』『超感覚』『第六感』といったものが誰の中にも大なり小なり備わっている。

 それらはファンタジーな小説の中で語られるような超能力ではなく、単に解析されていない脳機能でしかない。脳の中の六番目の感覚器による六番目の感覚、それ以上でも以下でもないのだ。

 それも文明の発達で徐々に退化しつつある、かつて誰もが持っていたはずの六番目の感覚。

 良くない未来を避け、出会った人に運命を感じ、神と意思疎通をする。

 先史文明の人間達は、息をするようにそれらをこなしていた。

 遺跡に残された文献から、現代においてそんな事実の数々が解明されている。

 

 その果てにこそ、統一言語による完成された相互理解があった。

 互いの心を読むのではなく、互いを深く理解する、ゆえに相互理解。

 けれどもそれも、先史文明の時代にバベルの塔が破壊されたことで失われてしまった。

 あとに残されたのは相互理解を失った人間と、不和(バラル)の呪詛のみ。

 人の脳には不和(バラル)の呪詛によって阻害されている、相互理解のための脳器官、第六の感覚器が備わっているのだと、ウェル博士は言う。

 ゼファーの直感はその機能の一部が、戦場という特殊な環境下で発現し、環境に適応して成長・進化したものなのだと、ウェル博士は言う。

 少年の命を助けてきた直感を、ウェルは科学的に分析し、身体機能の一つであると断言した。

 

 ゼファーからすれば驚きしかない。

 一から懇切丁寧に説明するウェルの語り方はゼファーにも分かりやすく、かつ納得のいくものであった。ウェル博士の研究内容、かつそれが何をもたらすかを短く取りまとめていた。

 が。

 

 

「いくらゼファー君でも、このくらい説明すれば分かるでしょう?」

 

 

 なんというか、口調の節々が癇に障るものであった。

 

 

「まあ、学が無い自覚があるだけマシですよ。貴方は」

 

 

 全体で見れば丁寧な言葉遣いで話しているのだが、細かい所が失礼だらけ。

 丁寧な言葉づかいを威厳のある声で塗り潰すナスターシャとも、ある意味正反対だ。

 一旦そうして失礼な部分に気付くと、口にしている内容にも地味に小馬鹿にしているものが混じっていることに気が付けるだろう。

 しまいには説明が懇切丁寧すぎて、「そのくらい知ってるよ」と言われて当然のような、慇懃無礼な説明も鼻についてくる。

 口調の失礼さを全部自然な流れで判別できるようになると、彼の笑顔までもが仮面だと分かる。

 その笑顔の仮面が、鼻で笑う笑みの同類なのだと理解できてしまうのだ。

 ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは一見礼儀正しい男に見えるが、そう見えるのは本当に顔を合わせてから短期間の間だけであり、口を開けばその度にボロが出る下衆の類であった。

 

 ここまでくれば、この男には嫌悪感以外の感情は抱けないだろう。

 何故なら、

 

 

「なので是非とも科学の発展のための尊い犠牲になって欲しいんですよ。

 貴方の脳構造はそれなりに希少なものであると思いますので」

 

 

 彼の言葉には、『相手への思いやり』というものが、微塵も存在しないからだ。

 ゼファーは全く気にした様子を見せていないが、それがまた異様に映る。

 キレて当然の無礼千万な話し方をしている男との会話で、言われている方が全く気にしていないというのは、それはそれで奇妙に見える。

 ゼファーからすれば「慣れてる」の一言で終わるのがまた悲しい。

 取り繕わないと相手を不快にさせる話し方しか出来ないウェル博士は、ゼファー相手だとその悪性がイマイチ目立たない。

 が、しかし。忘れてはならない。

 

 今この場は食堂で、彼らは二人だけで話しているわけではないのだ。

 

 

「いい加減にするデス」

 

 

 バン、とテーブルを叩き、切歌が立ち上がる。

 その視線は真っ直ぐに、淀みのない怒りを込めてウェルへと向かう。

 彼女が誰のために怒っているのか、なんて言うまでもない。

 

 

「いい加減に、とは?」

 

「マムが言ってたデス。あたし達とは違って、ゼファーに実験参加の義務はないって」

 

「ナスターシャ先生は本当に口が軽い……貴女がたはそれをズルいとは思わないので?」

 

「はい? 思うわけないデスよ。

 なんで自分が辛いと思うことを友達にやらせたいなんて思わなきゃならないんデスか」

 

「ほう」

 

「実験やりたきゃ一人でやってろデス。あたしの友達を巻き込むな」

 

 

 ウェルは口の端を気持ちの悪い動きで吊り上げ、切歌の怒りを煽るような口調で正論っぽく聞こえる言葉で、彼女を否定しようとする。

 が、口にする前に思い留まる。

 これ以上子供達を煽るようならば、切歌側について容赦なく叩き出すとでも言わんばかりのマリア、怖い目付きでウェルを睨む調の姿が目に入ったからだ。

 周りを見れば、切歌が立てた大きな音に何事かと反応した子供達の注目も集めている。

 ここはアウェー、退散一択。そうウェル博士は判断する。

 

 

「ふむ、僕はどうやら空気が読めていなかったようで。

 ゼファー君、気が向いたら午後にでも僕の研究室にどうぞ」

 

 

 そそくさと、菓子しか乗っていない食事トレーを持ってテーブルを離れて行くウェル。

 去り際に、ゼファーと一番近しい友人にも関わらず、会話に一切関わってこなかったセレナの表情を覗いていく。

 ゼファーの内心を唯一完全に把握していた彼女は、この騒動の発端となった異様な会話の流れも当然のように流していた少女は、いつもと変わらない穏やかな表情を浮かべている。

 それはゼファーに対しても、ウェルに対しても、一定の理解を示しているということだ。

 

 この場の誰とも違う、誰よりも深く広くまで見通している視界、それを彼女は覗いている。

 そこにほんの少しの納得と期待を抱き、予想外の出来事もなく、何もかもが予定調和であることを確認してから、ウェル博士は食堂から去っていった。

 

 

「べーっだ、デェス!」

 

 

 今日び見ないあっかんベーをウェルの背中に向けて放つ切歌。

 年齢や容姿の可愛らしさも相まって、マジギレというよりぷんすかぷんとでも表現すべき愛らしさが先立っている。

 ウェルの背中が曲がり角で見えなくなると、どうだとばかりに胸を張り、まるで悪人を成敗した正義の味方ような満足気な表情を浮かべていた。

 

 

「ありがとうな、キリカ。俺のために怒ってくれたんだよな」

 

「あ、や、別にそんな」

 

 

 途中から渦中の人間だというのに脇に追いやられていたゼファーが、すぐ近くから礼を言う。

 切歌は怒りでついつい忘れていたが、そもゼファー当人は彼女の隣に座っていたのだ。

 相手の目を真っ直ぐに見る癖のあるゼファーからの礼は、当然至近距離からの、吐息かかりそうな距離からのまっすぐ目を見ての言葉となる。

 一番精神の発達が歳相応の少女らしい切歌としては、流石に照れる。

 照れを隠せず頬をかき、思わず顔ごと視線を逸らしてしまう。

 彼女自身も普段の自分と比べると、とてもじゃないが想像もできないようなしおらしい反応をしてしまっている自覚はあるらしく、照れ隠しも相まって次の言葉がやや大きく荒れ気味になった。

 

 

「というか、不快なこと言われてる自覚あるなら怒れデス!

 あたしは、あたしの友達を馬鹿にされて黙ってられるほど大人じゃないデスッ!」

 

「ああ、すまん」

 

 

 誰がどう見ても照れ隠しだが、本音も幾分混じっている言葉だ。

 だからこそ、ゼファーも真摯に謝る。

 そこで謝られても困る、とばかりに切歌の顔にはもにょった表情。

 彼女はどこまでも明るく、そして真っ直ぐだ。

 友達をバカにしてるような大人に本気で怒ったのはいいものの、最終的に守ろうとしたその友達に謝られている展開に「あれ?」となっているのだろう。

 あまり考えずに発言している辺り、非常に彼女らしかった。

 

 

「はいはい、そこまで。

 切歌も『ありがとう』と言われたら変に照れないで『どういたしまして』で終わりにしなさい。

 あなた達まだ食事に手を付けてもいないのよ?」

 

 

 そこでパンパンと手を叩いて注目を集め、マリアが事態を収拾にかかった。

 ハッとなるゼファー達。

 食事に来たのにいまだ食事に手を付けていないという奇妙な現状である。

 気付けば食堂が開いている時間ももう残り少ないという、お前ら何のためにここに来たんだよと言われても仕方ないレベルの大失態であった。

 ちまちま食っていたであろうイヴ姉妹の食事トレーは空、ゼファーと切歌に至っては一口も手を付けていないという、吉本興業に推薦が貰えそうなワンシーン。

 

 

「急げッ!」

 

「デェス!」

 

 

 掛け声を皮切りに、食事をかっこむ二人。

 その二人の間に視線を往復させながら、調は静かにスプーンを動かし食事を口に運ぶ。

 何を考えているのか分からない、そんな変化に乏しい表情。

 けれどその表情の人形のような要素を差し引いたとしても、彼女の表情は芳しくない。

 少なくとも、食事に美味しさを感じられている人間は、こんな顔はしないだろう。

 

 それでも付き合いの浅い人間であれば気付けないほどに、その表情の変化は少なかった。

 この施設において、大人が押し付けてくる痛みへの、子供達の抵抗の種類は幾つかある。

 例えばマリアは、その子供を庇う。その痛みを肩代わりする。

 例えば切歌は、その大人に怒る。その痛み自体を否定する。

 例えばセレナは、傷付いた後その子供を励まして癒やす。その痛みを糧に変える。

 そして調は、反応せずに何もしない。その痛みに耐える。

 

 表情を変えないのは彼女の処世術だ。

 変に抵抗することで、大人を逆上させたり喜ばせてしまうことを、彼女は知っている。

 総じて見れば、黙って頭を下げて謝ることが一番痛くなく終わることを知っている。

 マリアがそんな調を庇い、切歌がそんな調のために怒り、セレナがそんな調を慰め、感謝の言葉と少しの後悔を食みながら、調は今日まで生きてきた。

 調はこの四人の中でも最年少で、日本で言えば小学校に上がったばかり程度の年齢でしかない。

 物心付いた時から友達に守られてきた、そのことをちゃんと調は知っている。

 切歌達が自分と同じように強くもない小さな女の子で、それでも年長であるからと、調を守ろうとしてきたこれまでの日々の内実を知っている。

 

 知っている。知っているだけだ。

 彼女がそれに納得できたことなど、一度もない。

 

 

「シラベ」

 

「何?」

 

「元気ないけど、大丈夫か?」

 

「そう?」

 

「俺が気付いてるなら切歌もセレナもマリアさんも気付いてるよ」

 

「……そう」

 

 

 皆が食べ終わり、食事の後始末として食事トレーを片付け始め、切歌がトレーを運ぶ途中で落っことして床を汚し、マリアとセレナがその後始末を手伝っている。

 いつもなら率先して切歌を手伝いに行っているはずなのに、何故かぼんやりと立ち尽くしている調の側に歩み寄り、視線を合わせないままその横に立って、ゼファーは話しかける。

 二人の視線は共に切歌達に向けられている。

 けれど意識は全くそちらには向いておらず、二人の意識は互いに対して向けられていた。

 

 月読調の今の気持ちは、この場の誰にも分からないだろう。

 親友の切歌とて、調の全てを理解できているわけではないのだ。

 大人が子供を貶し、それをやんわりと言われている方が流し、それに切歌が怒り。

 そんな一連の流れが、何故か今の調に突き刺さる。

 それは内的要因、つまり他人が原因なのではなく、むしろ彼女の中にこそ原因がある。

 

 いつものように誰からも嫌われる話し方しか出来ない、他人を暗に小馬鹿にした言葉の羅列を、友達に向けたウェル博士。

 誰からも嫌われているウェル博士とすら普通に話す、人形のようにしてやり過ごす調の処世術以上に他者と波風立てないゼファー。

 友のために怒り立ち上がることができた切歌。

 大人が友達を蔑ろにすることに何も言えずに俯いた自分が、自分とは違うやり方で自分よりも上手くやってみせたゼファーへの嫉妬が、友のために正しく怒れる切歌への劣等感が、調の心中を苛んでいく。

 

 それらは本当に小さな気持ちだ。

 ウェル博士を撃退した切歌への尊敬、ゼファーに気遣ってもらった感謝、すごすごと逃げ帰っていった――ように調には見えた――ウェル博士に感じた爽快感の前では、本当に小さなものでしかない。

 けれど、小さいからこそ、爆発も発散もされずに「苦しい」という気持ちへと変わって、解消されずに心の中に降り積もっていく。

 

 

―――人形のようだ

 

 

 最初は容姿を、次に性格を揶揄して大人達が呼び始めた彼女の渾名がそれだった。

 そして、それこそが月読調の抱える最大のコンプレックスでもあった。

 正義の味方が嫌い、条件無しに幸せそうな人が嫌い、偽善者ぶる大人も嫌い。

 だけど一番嫌いなのは、自分自身のそういう部分なのだ。

 変に大人びてしまっている自分も、大人のように打算で感情を抑え付けて行動できてしまう自分も、感情を分かりやすく表に出せない自分も、友達のために大人に怒れない自分も。

 

 だからこそ、彼女は暁切歌に憧れる。

 絶対になれない、理想の自分がそこにいるから。

 

 だからこそ、たった一つ、かつて彼女が捨てた子供のような夢があった。

 大親友の切歌にも、姉のように慕うマリアにも、ナスターシャにも話したことのない夢。

 それを思い出して、諦めきれてなかった子供のような自分を恥じ、けれどそのせいで普段は流せていたはずの現実が、普段よりも彼女の胸に強く突き刺さる。

 それを思い出させたのは誰か、と言えば、最近出会って調の心境に少なからず変化をもたらしている新しい友人、ゼファー・ウィンチェスターに他ならない。

 

 

「もしかして、さっきのやりとりで不快にさせたか? ごめんな」

 

「……別に、あなたが悪いわけじゃない」

 

 

 ゼファーと話していると、調は彼の妙な察しの良さに、マリアやセレナと話している時と同じ暖かみを感じる。彼女はその暖かさが好きだ。

 先程のやりとりが原因の一つであることには違いない。

 けれど、本質的な意味で原因は調の方にあるのだから、その気遣いは的を外れている。

 ゼファーの推測は1/3ほど当たっていて、2/3ほど外れていた。

 

 

「ただなんとなく、私も昔は子供みたいな夢を見てたんだなって……そう思っただけ」

 

「?」

 

 

 調の言っていることの意味はゼファーには伝わらない。

 彼女にも彼に伝える意志はない。そして、口にしなければ伝わらないものもある。

 月読調が今まで一度も口にしたことのない、彼女がかつて夢見たものの正体など、それが原因で落ち込んでいる彼女の気持ちなど、出会って二ヶ月のゼファーに分かるわけがない。

 

 

「Apprivoiser?」

 

「え? 今なんて言った?」

 

 

 人一倍無知である彼が、理解できるわけがない。

 

 

「なんでもない」

 

 

 彼に分かるのは、彼女がまた少し落ち込んだということだけ。

 なんでもないと一言だけ口にして、調は切歌達の方へとぱたぱたと駆けて行った。

 

 

「あっ……」

 

 

 去っていく調の背中に手を伸ばしかけ、途中で止め、その手を力なく降ろしていく。

 そんなゼファーの表情は、到底晴れやかなものには見えない。

 上手くやれなかった、という小さな無念を彼は感じていた。

 

 セレナが、切歌が。ゼファーに対し上手く言葉を引き出して苦悩を解消させ、時に元気づける言葉を繰り出して、俯いていた顔を上げさせてくれたことを、他ならぬ彼が一番良く知っている。

 その真似事のつもりだった。自分にも出来るかもしれない、なんて小さな驕りがあった。

 あの牢のような部屋で、立ち上がる日までそばに居てくれた、調への感謝があった。

 落ち込んでいるように見える友達の姿に、何かをしてあげたいという思いやりがあった。

 貰った分だけ何かを返したいという、彼らしい決意があった。

 

 

―――友達なら、辛いことも楽しいことも話して欲しいんだ

―――辛いことなら半分になるし、楽しいことなら倍になる

―――今ゼファーが抱えてるものが辛いなら、あたしにさっさと半分よこせ

 

 

 記憶の蓋の奥にある、かつての相棒の言葉が、思い出せずとも心の奥に根付いていた。

 

 

(そういえば)

 

 

 調の後を追うように、ゼファーも駆け出していく。

 綺麗な黒髪と、陶器のように白い肌と、赤紫の透き通った瞳。

 調の容姿は幼いながらに可愛らしさと綺麗さを両立しているが、あまり感情を顔に出さないせいで、切歌やセレナのように笑顔の生む愛嬌が上乗せされておらず、結果的に周囲から浮くほどに、良い意味以外でも容姿の優れた部分が目立ってしまっている。

 ゼファーは、調が感情を大きく顔に出している所を見たことがない。

 少々であれば表情が動いたのを見たことはある。怒ったり笑ったりもすると、セレナや切歌から聞いたこともある。

 それでも彼は、調が笑ったり怒ったりする所を、自分の目では一度も見たことがなかった。

 

 

(俺は調が笑った所も見た事ないな……)

 

 

 距離を感じる。疎外感を感じる。

 友達ではある。ゼファー・ウィンチェスターは、月読調と友達ではある。

 けれどまだ彼は、調にとっての切歌やセレナやマリアの、足元にも届いていない。

 まだ、彼女の笑顔すら見たことがないほどに。

 

 

(……悩み事を話してくれるくらい、まだ親しくはない、か)

 

 

 少し寂しさを覚えるが、仕方ないと心中で割り切るゼファー。

 そうそう簡単に人と仲良くなれるわけがない、そういう認識は彼の中にちゃんと根付いている。

 ここはもう、彼が生まれた時からずっと居た、短期間で人を強く結びつける戦場ではないのだ。

 

 

(そうだよな、調が何に悩んでるか検討もつかないってことは)

 

 

 信頼を得るのは難しい。

 人を殺すことよりも難しい。

 それも、ゼファー自身が口にしたことだ。

 

 

(それだけ俺が、調のことを知らないってことなんだ)

 

 

 切歌が完食していたことで、彼女が落としたトレーはそれほど床を汚していなかったようだ。

 加えて掃除も五人がかり。あっという間に終わらなければおかしい。

 申し訳無さそうにしょんぼりした様子から、周りに励まされることで切歌は再度元気復活。

 調を切歌が引っ張っていき、「転ぶわよ」と警告しながらマリアがその二人を追っていく。

 そんな三人のノリに乗り遅れたゼファーの肩を、ぽんぽんと誰かが叩く。

 

 

「セレナ?」

 

 

 セレナはいつものように、そこで優しく微笑んでいた。

 ゼファーの肩を叩いた手で、そっと優しく背中を押す。

 

 

「迷った時は、とりあえずでも、前に進むことをオススメするよ」

 

 

 そして、言葉で心の背中も押した。

 

 

「サンキュ」

 

「いえいえ」

 

 

 それだけの会話で通じ合える。

 こんなに短い言葉だけでも、背中を押せる。

 互いが互いにしか感じられないものがある、だから余分なものが必要の無いやりとり。

 阿吽の呼吸、ツーカー、以心伝心、何と言ってもいい。

 かつてクリスと出会い手に入れ、クリスと死別したことでゼファーが失ったもの。

 セレナは少しづつ、本当に少しづつそれらを取り戻すための道を、ゼファーが正しく歩めるように導いていた。

 

 

「……」

 

 

 笑い合う、そんな二人を見つめる視線が一つ。

 不安げなその視線の持ち主は、セレナの姉、マリアであった。

 彼女がゼファー達に向けるその視線。

 それは妹が怪しい男に手篭めにされているのを見た姉、というよりは。

 

 フラフラと揺れ、崖から落ちそうになっている危うい人間を見る目であった。

 一歩間違えれば次の瞬間には死んでいる、そんな人間に向けられる視線であった。

 よく分からない、よく分かる、そんな気持ちが混ぜこぜになった表情であった。




作品に誤字があったり設定に矛盾があったりここおかしくね?って所があったら遠慮無く報告お願いします
直せる所はガンガン直していきますし、おそらく皆さんの考えている十倍は考えなしの自分が真っ当に書いていくために、そういう助力がありますととても嬉しいです
見直している時に気付かなかったりしてしまう部分がどうしても出てしまうので……

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