戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
セレナが小夜啼鳥、調が星の王子さまです。青空文庫でどちらも和訳読めますが星の王子さまは書籍のほうが出来が良かったなーなんて思ったり
「死神だ」と、誰かが言い始めた。
それが暁切歌の心の奥底に、今でも刻まれているトラウマだった。
「……あたしが……あたしが悪いんじゃないのに……」
暁切歌は、ゼファーがここに来るよりも二年以上前にこの施設に
天真爛漫。調が無表情であることで己の身を守る処世術を身に付けていたのと同じように、切歌は笑顔で居ることで己の身を守る少女だった。
笑顔の子供を罵る、殴る、虐待することに罪悪感を抱かない人間はあまり居ない。
罪悪感を誤魔化すために更に虐待を加速させる大人も居るだろう。それでも、無反応であることと同程度には効果のある護身であった。
捨て子であり、孤児であり、F.I.S.に来る前は孤児院でずっと大人達にいじめられていた彼女は、意図して笑うことを心がけていた。
笑顔で己の身を守ること、自分が笑えば周囲の皆を元気付けられること、誰かが笑おうとしなければ、皆で下を向き続けるだけの暗い時間がずっと終わらなくなってしまうこと。
幼心に、彼女はそんな真理を学んでいた。
いつだって笑顔で、周りも笑顔にする彼女は、連れて来られたF.I.S.の研究所でもすぐに子供達の輪に受け入れられる。気付けば彼女は、あっという間に人気者になっていた。
常に笑顔の人と付き合うのは、仏頂面の人と付き合うよりもはるかに楽しいのだ。
コロコロと表情が変わり、それらに身振り手振りまで加えて感情を表す切歌という少女は、誰からも――特に子供に――好かれる少女なのだと言えるだろう。
笑顔は、誰かを笑顔にする。
辛くたって笑う彼女の姿は、同じ境遇で下を向くしかない子供達を惹き付けた。
「あたしは、何も悪いことしてないのに」
だからこそ、返された手の平に、彼女はいたく傷付いた。
最初に一人。切歌と仲の良かった女の子が、薬の過剰投与による中毒で死んだ。
切歌は泣いて、周りは慰めた。
次に一人。実験で衰弱して寝たきりだった切歌の友人が、ついに力尽きた。
多くの子供達がそれを悲しみ、切歌もその中に混じっていた。
また一人。切歌と明日遊ぼうと約束した友人の一人が、実験室の扉の向こうから帰らない。
切歌は涙するも、周りを元気にしようと駆け回る。
次は二人。切歌と一緒に遊ぶことが多かった男の子二人が、解剖実験の後に戻ってこなかった。
その男の子の片方に恋をしていた女の子が、切歌に叫んだ。
―――あんたが、あんたが関わるから!
―――わたし知ってるんだから! あんたと関わった奴が、みんな死んでるんだって!
―――あんたと友達になると死んじゃうんだって! わたし知ってるんだから!
―――返してよ! アイツを返してよ!
―――この、死神ぃッ!!
その日から、周りが自分を見る目が変わったと、切歌は肌で感じ取っていた。
次の週、完全聖遺物『深淵を統べる王』の起動実験の失敗により、切歌の友人が一人死んだ。
それが最後の一押しとなる。
周りの自分を見る目が、友人を見るそれから死神を見るそれに変わっていく過程を、彼女は呆然とただ見ていることしかできなかった。
「……なんで、なんで、あたしばっか」
ここで使い潰される子供の数は、本当に多い。
しかしそこまで短期間に続けて死んでしまうということもほとんどない。
少なくとも、F.I.S.における子供の命は銃弾よりは重く、使い捨てにする余裕はないのだ。
ならば何故、切歌の周りで子供が立て続けに死んでしまったのか?
一言で済む。ただ、『運が悪かった』。それだけだ。
運悪く、とある理由から彼女の周囲に死が偏り、死が集中し、それが連鎖した。
身近に現実的な死が存在する分、子供達の反応は過敏だとは言えないだろう。
まして、子供だ。信じられないような噂話、風聞、デマであっても彼らは信じてしまう。
大人ですらそうなってしまうことがあるというのに、判断力の育っていない子供達が「ただの噂だ」とそれらを一蹴できるわけがない。
昨日まで切歌と笑い合っていた子供達が、親しかった友達が、支えあっていたはずの仲間達が、手のひらを返して切歌から距離を取る。
彼女が近寄って行こうとしても、時には言葉で、時には逃げ惑う背中で、時には投げつけられる玩具で、明確な拒絶を示された。
そんな理不尽な不運により、今彼女は孤独を叩き付けられている。
「死神だ」と、誰かが言い始めた。
それが暁切歌の心の奥底に、今でも刻まれているトラウマだった。
「やだ、やだ、一人は、やだ……!」
上辺だけでどんなに親しく付きあおうと、本当の意味で強い繋がりを持つことができなければ。
人気者と言われようが、何人もの人に慕われようが、いとも簡単に一人になってしまう。
暁切歌は、残酷な現実にそれを教えられていた。
(誰か、誰か、あたしを……)
仲良くなってからの明確な拒絶は、彼女に人間不信の種を植え付ける。
手を伸ばしても、拒絶されるのではないか?
仲良くなっても、拒絶されるのではないか?
親しくなっても、拒絶されるのではないか?
ひとりぼっちになることに恐怖を感じながらも、誰かと繋がるために踏み出す一歩を、暁切歌は恐れていた。誰かと交わすコミュニケーションに、怯えていた。
それでも恐れたのは少しの間だけで、彼女は一人でその怯えを振り払い、踏み出した。
けれど、振り絞れた勇気はほんの一滴。
たった一度、たった一度で使い切られてしまいそうな儚い勇気。
もしも切歌が新しく友達を作ろうと話しかけた、その最初の一回で拒絶されてしまえば、その一回でポッキリと折れてしまうかもしれない、そんななけなしの勇気。
けれども片手で数えられるくらいの歳の女の子には、それが精一杯だった。
心の中で震えながら、怯えながら、恐れながら、それでも孤独が嫌だったから。
切歌は、最初に目についたその少女に話しかけた。
その少女を選んだことに理由はない。ただ、最初に目についたから声をかけただけ。
強いて言うなら、いつも本を読んでいて大人しそうな雰囲気があったから、拒絶されるとしても激しく拒絶されることはないかも……なんてことが頭にチラついた、その程度か。
黒い髪の、人形のように綺麗な少女。
物静かな性格、整った容姿、近寄りがたい雰囲気。その少女が他の誰かと話していることを、切歌は一度も見たことがなかった。
一緒に遊ぼう、と、出来る限り『いつもの暁切歌』を意識して作って話しかける。
その少女がいつも一人ぼっちでいることを、その日だけは神様に感謝した。
「いいよ」
了解の返答が得られたことに、切歌は喜びのあまり叫んでしまいそうな自分を抑えた。
笑って、テンションを上げて、いつも通りの暁切歌を作り上げる。それでも、今自分の心の中にある喜びを、全て口にしたら間違いなく引かれてしまうから、そう思って。
相手は切歌とは対照的な物静かな少女。迂闊な発言は切歌の首を絞めかねない。
相手が自分のことを知らないようでよかった、と切歌は思う。
『死神』の噂を知っている子供は絶対に自分に近寄ってこないはず。
だから知っていない子であることを祈りながらの賭けだった。
その賭けに勝ったんだ、なんて切歌の浅はかな思い込みを、
「あ、あのデスね……」
「死神って呼ばれてた子だっけ」
「!」
その少女、月読調は伐り刻んで切って捨てた。
「知って……知ってて……」
「私は貴女の名前を知らない。教えてくれる?」
知っていた上で応えたのだと、無表情で、無感情で、無口な口調でそう伝えた。
息を呑んで、溢れそうになる涙を気合で抑えて、切歌はぎゅっと服の袖を握りしめる。
その日に彼女が感じた感情、感動、感謝のほどは、暁切歌本人以外には絶対に理解できないだろう。絶対に、他の誰にも共感することはできないだろう。
幼い頃からずっと、月読調はそういう少女だった。
「暁切歌、デェスッ! 気楽にどうとでも呼んでください!」
「月読調」
どうでもよくなった。
自分の苦しみも、目の前の少女が考えていることも、抱えていた不安も。
切歌はその時、色んなことがどうでもよくなるくらい、その優しさが嬉しかった。
この瞬間の生まれ直せたような心持ちは、たとえ地獄に落ちたとしても忘れないだろう。
暁切歌が今でも誇らしく語る、無二の親友と出会った日の思い出のエピソード。
第六話:Moon/Prince/Princess 4
レセプターチルドレンの中での最年長はマリアの14歳だ。
ならば最年少は誰かと言えば、実は3歳の子すら居たりする。
基本的に子供達の寄り合いを、放任的な研究者達が大雑把に舵取りをする形のため、自然に年長の子供が年少の子供の面倒を見る形が出来上がっていた。
8歳の切歌、7歳の調は面倒を見られる側。12歳のセレナは見る側に立っている。
小学生相当の子供がそう上手くやっていけるのかと、そう疑問に思う者も居るかもしれないが、ボーイスカウトを始めとするそれらはむしろ子供の成長にプラスに働く面も大きい。
「面倒を見る」という過程は、むしろその人間にしっかりとした責任感を育むのだ。
ゼファーは事実上の一人暮らし経験者であり、一時期は少年兵達の面倒を見ていたこともあり、クリスとの付き合いを見れば分かる通り歳下の扱いも手馴れている。
よって彼が年長組の側の扱いになるのは当然……だった、のだが。
「にいちゃー、あそんでー!」
「ぶらさがれー!」「さがれー!」「おー!」
「はしってはしってー!」
「飛びつくなお前ら危ないッ!」
予想外の出来事が一つ。
ゼファー・ウィンチェスター、何故か子供に大人気であった。
「よしよし、ゆっくり降りろよ……痛いから髪掴まないでくれ、な?
遊ぶのはいいけど、みんなは今日は何をしたい?」
「どっちぼーる!」「さっかー!」「ふっとぼーる!」
「おままごと!」「おえかき!」「だっくぐーす!」
「ちっくたっくとぅー!」「も、モノポリー」
「うん、分かった。お前らが意思統一できてないのはよーく分かった。じゃんけんな」
子供達はゼファーにとって、セレナ達ほどに恩を感じている相手ではなかったが、それでも大切に思える、他人以上の者達であった。
少なくとも、彼の中で『守りたいもの』の中にはちゃんと含まれていた。
子供達は遊んで貰うことに感謝し、様々なことを教えて貰って成長していく。
ゼファーは子供達の面倒を見る中で、他人の面倒を見るという事がどういうことなのかを学び、責任感といった諸々を育て、また、孤独でない時間で傷を癒していく。
そして互いにコミュニケーション能力を始めとした、この世界で生きていくために最も必要とされる力、人と関わるための力を育んでいった。
「まけたー!」「まけたー!」「まけたー!」
「決まったか? じゃあ何やるか教えてく――」
「モノポリーいったくよ」
「……俺の記憶が正しければ、モノポリーを推してたのはお前の妹だったような」
「いもうとのねがいなら、それがちいさなこえだってあねはききのがさないのよ」
「お、おねえちゃん……」
その中でも、特にゼファーと仲が良い小さい子が二人居る。
「だからつきあいなさい、ゼファー」
「あ、あの、ごめんなさい……」
「謝らなくてもいいぞ、マリエル。ベアトリーチェはいい姉してるよな」
金と茶の中間色のナンフェアの髪の方の名がマリエル、菖蒲色の髪の方の名がベアトリーチェ。
二人はこの施設でも、たった一組の双子の姉妹である。
照れ屋な妹のマリエルと、活発というか足元を見ない姉のベアトリーチェ。
二人揃ってちょうどよくバランスが取れる、この施設でも最年少に近い少女達だった。
「ふふん、わたくしかっけえあねだからね」
「それ自分で言ったら相当台無しだからな?」
「なっ!」
「わ、わたしにとっては、おねえちゃんはいつもかっこいいよ……」
「わーんマリエルだいすきー!」
丁寧を通り越して卑屈になりかけているマリエル、わたくしと言ってれば高貴っぽい話し方ができていると思い込んでいるアホなベアトリーチェ、話し方まで足して二で割って丁度いい。
二人がキャッキャしている内にゼファーは負けた子供達をなだめすかしたり、どこかへ勝手に駆け出そうとしている――放っておくと迷子になる――子供を捕まえたり、仲間外れが出ないように気を使ったり、それらと平行してモノポリーの準備も進めていく。
子供は素直だが、素直なのに面倒くさい。人数が増えると加速度的にそうなっていく。
適当にやろうと思えばどこまでも適当にできるが、適当にやったツケは子供達の怪我や迷子といったトラブルに直結するため、責任感があればあるほど面倒くさくなっていく。
短気な人間ならキレて然るべき環境である。
実際、小さい子供を大きな子供が面倒を見なければならなくなった時、大きな子供が小さな子供を泣かせてしまうということは、特に珍しいことでもない。
「準備は?」
「「「よーしっ!」」」
「それじゃ、始めるか!」
しかしゼファーは、そういった点でもあまり子供らしくはなかった。
年齢不相応に落ち着きがあり、割と面倒見もよかった彼に、子供達は群がる。
転入生が物珍しい法則。またの名を、新鮮な刺激を求めて新参に絡んでいく子供の習性。
まあ、それを抜きにしても彼は小さな子供には慕われる性格であるのだが、いくらか補正がかかっているというのも間違いはないだろう。
「……」
「……」
そんなゼファーと、飴に群がる蟻のようにワイワイ集っている十数人の子供達.
彼らを遠巻きに見つめる二人の少女が居る。
片方はセレナ。ゼファーに付き合っていたものの、戦場育ちのゼファーやアンリミテッド元気な子供達に華奢な彼女は付いて行けず、現在休憩中。
片方は調。本を読み終わってぼんやりとゼファー達を見守っていた。
「……」
「……」
以前にもこうなってしまっていたが、基本的に内気なセレナと物静かな調が並ぶと会話が続かない。いくらか元気になったゼファーが入る、もしくは切歌やマリアが入って三人になるとそうでもないのだが、二人きりだと相当に静かになる。
二人は皆で楽しく話す時間と同じように、静かにしている時間も好きなのだ。
一人ぼっちは嫌で、誰かとずっと話せないのも嫌。だけど自分一人の時間、ゆったりと静かに自分のしたいことをしたり、ただぼーっとしている時間も好き。
そういう人間は、意外と多い。
似た部分、共通点をいくつか持っている二人だが、受ける印象はだいぶ違う。
例えば目付きだ。何人かと比べてみるとよく分かる。
切歌はあまり一点を注視せず、あちらこちらに向く視線が子供のような印象を受ける上、丸っこい目つきが他人に警戒心を与えない。親しみやすい性格が、顔にも出ているのだ。
マリアはややつり目がちで、本当に怒っている時や厳しい顔つきをすれば子供が泣き出すレベルだが、優しい表情も出来る上、顔全体に凛とした美しい印象を与える目つきである。
しからばセレナも姉妹だからマリアと似ているのかと言えば、そうでもない。
セレナはマリアよりもやや垂れ目がちで柔らかい目つきであり、目つきだけで見ればマリアより優しそうというか、温厚な印象を受ける。
対して調の目つきは、一般的には冷たい目つきと言われる類のものだ。
視線が一点を注視しやすいため、俗に言うジト目と言い換えてもいい。
何を考えているか分からないだとか、人間味が薄いだとか、そういう風に言われる目つきだ。
なんにせよ、その目つきもまた人形を連想させるものであり、彼女の中に抱えられている小さなコンプレックスの一つであることには違いない。
「彼は」
「うん?」
しかしながら、二人は話さないだけだ。話せないのではない。
コミュ障かと言われれば、そこからは程遠い気のいい少女達である。
だから、こうして調がぽつりと漏らした一言にも、セレナはちゃんと返答してみせる。
「なんであんなにちっちゃい子に人気なんだろう」
「ちっちゃい子は余分な部分を見てないからだよ」
「余分?」
「そう」
ゼファーを見る時のセレナの目が、少しだけ変わっているのを調は知っている。
それは特別な誰かを見る目、他の皆とその人間を区別している目だ。
少し前までセレナがそういう目を向けるのは、姉に対してだけだと、調は思っていた。
「余分な部分を見なければ、良いところがちゃんと見えるから」
セレナが言う『余分な部分』という言葉につられて、調は思わずゼファーに目を向ける。
幼い子供達の面倒を嫌な顔一つせず見ている少年は、今はマリエルとベアトリーチェと組み、チーム分けしてのボードゲームに勤しんでいる。
この施設の数百人の更に一部とはいえ、十数人。時には数十人の面倒を纏めて見つつ遊んであげている時もあるのだから、それができない調からすれば尊敬の対象だ。
調がゼファーに対して抱いた「傷付きやすそう」「脆そう」「陰鬱」といった印象を余分なものとして省き、前述の最近のゼファーと周囲の関わりを見、元気になってからのゼファーの性格を考慮してみる。
なるほど、そうすれば見えてくるものもあるだろう。
大人になればなるほど、人は余分を見てしまう。
容姿、礼儀、肩書き、言葉遣い、服装。
大人は子供達に、そういう『余分な服』を着せようとする。
そしてその服を着れもしない子供は叱り、そのまま大人になってしまった時は社会から弾く。
そういったものに、調は形にならない不信感があった。
子供より大人の方が、ずっと本質が見えていない。調の中にはそんな思い込みがあった。
「子供が見てるのは目の前の人が自分を好きかどうか、味方か敵かどうか、それだけ。
あの子達には、ゼファーくんは自分達を好きでいてくれる味方に見えてるんじゃないかな」
セレナと一通り話していると、いつしか調の中の疑問は氷解していた。
『子供の味方』。セレナの表現は、いつとて絶妙に本質を捉えている。
子供にとっての親、親友、恋人などといった親しい相手は、往々にして自分の絶対的な味方という側面を持つ。
だからこそ、相手が一人の人間だというのに、自分のことを理解してくれなかったり自分が間違ったことをした時に味方をしてくれないと、「裏切られた」とまで思い込んでしまう。
大人になれば個人の親交だけでなく、個人の利害も絡んでくるのだから仕方ない、なんて考え方もできるようになるのだが、子供の交友関係には利害は基本的に絡まない。
子供にとっては自分達の味方であるか、敵であるか。それが大きい。
まして、調にとって『子供の味方』というフレーズは、とある理由で直撃だった。
「ゼファーくん、なんだかんだ向き合ってる相手の大切なことは見逃さないから。
それでなんだか自分の事を分かって貰ってるみたいな気持ちになって、嬉しいんじゃないかな」
「大切なこと……」
その言葉もまた、調の心に残る。
ふと、彼女はそれがゼファーとセレナの仲の良い理由なのではないか、と思い至った。
相手の中の、目に見えない大切なものを見逃さない。
その一点において、二人は似た者同士なのではないか、なんて思ったのだ。
そして、調はいつの間にかセレナに見つめられていることに気付く。
可愛らしい顔に据えられている、淡く溶かされてしまいそうな色の両の瞳は、ゼファーへの理解やセレナの相手の気持ちに敏感な性質も合わさって、自分の全てを見透かされそうな錯覚がある。
その瞳に恐怖を感じないのは、セレナが心優しいと分かっているからか、それとも調にやましい隠し事がほとんどないからか。
ただ、その時調は内心を読み取られることへの気恥ずかしさがあった。
知られたくないことを考えていた、とも言う。
よって、少し話題を変えて意識を逸らした。
「セレナは変わったよ」
「そうかな?」
「うん」
これは本音だ。調に限らず、多くの者が思っているだろう。
変わったのか、今まで押し込んでいた一面を出すようにしたのか、それは分からない。
ただ、心優しくも内気で、自分からは滅多に踏み込まないというセレナ・カデンツァヴナ・イヴのイメージは、ここ最近ですっかり覆されていた。
「調も変わったよ」
「……お返し?」
「ううん。本当にそう思ってる」
ただそれは、調に対しセレナも思っていることではあった。
調がここ最近何かに悩んでいることはゼファーですら気付いていることで、何人かは心配そうに話しかけに行ったりもしていたほどだった。
ただ、それを「変わった」と表現したのは、セレナ一人しか居ない。
彼女にしか見えていないものがあるのだろうか?
「最近、何かあった?」
「……別に」
そんなセレナが聞いても、調は答えない。
口にして聞いている辺り、セレナは他人の心の中が見えているわけではないのだろう。
言葉にしなければ、伝わらないものもある。
「ただ、なんだろう……つまらない願い事だったと思ってたんだけど」
そして、言葉にして吐き出したいものもある。
「昔の私は……本当に願ってたのかなって……ううん、なんでもない。気にしないで」
思わず自分が心中を吐き出していたことに気付いたのか、表情の変動が少ないために分かりづらいが彼女は動揺し、慌てて言葉を引っ込める。
危ない危ない、と、調は心中で胸を撫で下ろす。
誤魔化せたわけではないだろうが、それでもセレナが踏み込んで来ることはないと、それなりに長い付き合いで調は知っていた。
「うん、分かった」
セレナは踏み込まない。
他人のことを知ろうとしたり、悩みを解決するためなのだとしても、彼女はそれに他人を傷付ける可能性がある限り、他人の中に深く踏み込もうとしない。
踏み込むべきでない時には絶対に踏み込まないのがセレナ。そして踏み込むべき時には絶対に踏み込んでくるのがマリアなのだと、姉の最大の理解者であるセレナは知っている。
踏み込まないこと、踏み込むこと、その両立までは二人共できていないがために、二人は非常に対照的だ。
傷付けないのがセレナで、優しくするのがマリア。
愛されるのがセレナで、愛してあげるのがマリア。
誰かに受け入れられるのがセレナで、誰かを受け容れるのがマリア。
踏み込まないのがセレナで、踏み込むのがマリア。
ずっとそう。ずっとそうだった。
物心付いた時から、二人はずっとそうだった。
その二つの間に絶対的な壁があることを、セレナは知っている。
調の言葉に踏み込まず、心中に降り積もる彼女だけが知る気持ちを押し込んで、『姉妹の出来の良い方』と言われていた姉の姿を思い浮かべて、セレナは抱えた膝の間に顔をうずめた。
「どうだった?」
「うーん……方向性は間違ってないかな、って思ったよ」
食堂で並んで食事を摂るゼファーとセレナ。
ゼファー曰く「セレナからの視点でも意見が欲しい」との考えから、頼み込まれた彼女は自分視点で調の発言で気になったこと、気になった反応に当たりをつけていた。
ゼファー視点で気になったこと、切歌から聞いた山ほどのエピソードから掘り出した情報を混ぜ合わせ、勘でどれがそれっぽいかを判断してみようとする。
「……流石に勘じゃ分からないんじゃない?」
「うーん、なんとなくできると思ったんだが……やっぱ無理だった」
「そこまで万能にできちゃったら、もう神様だよ」
あえなく失敗。
万能でもないし波もあるからこその直感だ。
二人が共通して気になった部分を俯瞰してみれば、いくらか当たりは付けられるのだが……
結局の所、そこで止まってしまっている。
元より、この案件は重要でもなければすぐにどうこうしないといけないものでもない。
調の大親友がそう察していたように、時間が経てば彼女の中で消化できる類のものなのだろう。
切歌に背中を押されたゼファーがそれに気を揉んでいるのは、悩んでいる友人の力になりたいという純粋な善意。セレナよりもマリアに近い、踏み込む友情。
セレナがそれに何の得もなく付き合っているのは、ゼファーと調が仲良くなれるいい機会だと思っているため。これもまた、彼女なりの善意。
距離を取っている調、彼女に向かって踏み込もうとするゼファー、その背中を押す切歌とセレナの構図だろうか。大人であれば「踏み込み過ぎもよくない」と忠告したかもしれない。
まあ、それも野暮といった所だろう。
くだらないこと、意味のないこと、時間が解決すること……なんでもないことだけど、それでも自分達にとっては大切なもののために走る。
時には自分のため、時には友達のため。
それもまた、子供の時分だけに許された特権なのだろうから。
「やって来たぜと、図書室」
「私はずっと本の物置って呼んでるなぁ、ここ」
かくしてゼファーとセレナの二人は、先日ゼファーと調が自習をしていた、図書室兼資料室兼自習室のような部屋の扉の前に立っていた。
本とは情報の塊だ。まして、今回のターゲットである月読調は無類の読書家でもある。
会話で引き出せたキーワードを用い、調が読んでいそうな本の中から探していけば、調が悩んでいることの手がかりも掴めるかもしれない、という思考。
子供の浅知恵と笑う人も居るかもしれないが、これも中々バカには出来ない。
この閉鎖環境の中では、人が外部から与えられる影響や手にできる情報にも限りがある。
その中でも社交的でない調ならば、更に限られていく。
「子供が最近読んだ漫画のヒーローの真似ばっかしている」なんて事柄、誰もが一度は目にしたことがあるだろう。実体験として覚えがある人だっているはずだ。
調のメイン活動地点であるここに目を付けた二人の判断は、間違いではない。
ただ、難点があるとすれば、
「あの辺も調べないとやっぱり駄目か……」
「でも、ちょっと高いよね」
「やるさ」
「やっぱり?」
ここは大人が適当にその場しのぎで作った場所だからか、子供に対する気遣いが非常に薄い。
高い棚は多く、子供が登る用の台は少なく紛失も多々、整理する者も居ないせいか並び順ですらバラッバラ。一部本棚は固定が甘くいつか倒れてしまいそうだ。
今もゼファー達が見上げる先の本は、背伸びしても届かないような高い位置にあった。
周囲に台すら見当たらない。
誰も整理しないこの部屋を整理する者は、最近まで調ただ一人だけだったという。
「落ちないように気を付けろよ?」
「う、うん。……重くない?」
「分からない。背中に誰か乗せたことないし」
「……ゼファーくんらしい回答が返って来たなあ」
ゼファーが四つん這いになり、台になる。その上にセレナが立って本を取る。
小学校などでよく見る光景だ。主に先生方に「危ないからやめーや」と止められるものだが。
硬くない台の上でセレナは少々危なげにふらついていたが、結局落ちることもなく目的の本を見事ゲットし、飛び降りる。
しかし。
「……フランス語か」
「フランス語なの?」
「そういう返答が返って来るってことは、セレナも無理か……どうするかな……」
手に入れた本は、ゼファーやセレナには読めない本だった。
スペイン語、英語、日本語なら問題なく読める。しかしフランス語となればお手上げだ。
本当にこの図書室は、世界各国から集められた子供達のための部屋なのだと分かる。
「辞書引きながら読む?」
「……」
少し考えこむ様子を見せてから、ゼファーは首を横に振った。
なんとなくで適当に引き込んだ本だが、彼はそれが勘による正答だとまでは思えなかった。
解読にかける労力、時間、空振りが重なった場合にセレナにかかる負担も考えれば、このフランス語の本にこだわるメリットはそうないように思えたからだ。
まだスペイン語圏、英語圏、日本語圏の本は山ほどある。
そちらに手を付けてからでも遅くはないだろう。
その本のことを諦めて、別の本に手を伸ばそうとしたその時。
「なら、私が読んでさしあげましょうか」
「「!?」」
背後からかかった声に、二人揃って飛び上がった。
「あ、ああ。ナスターシャ先生。こんにちわ」
「お、驚かさないでください、マム」
「二人が考え込んでいたから驚いただけでしょうに」
青い髪をかき上げ、心外とでも言うようにため息を吐くナスターシャ。
流石にこれは驚かせた方が悪い、とは言えない。
うんうん唸りながら考え込んでいた二人の自業自得だ。
「いいんですか? 先生」
「構いませんよ。子供に本を読んであげる程度、いつものことです」
ゼファーが椅子を三人分引き、そこに三人が並んで座る。
真ん中に座るナスターシャの左右に二人の子供が座り、テーブルの上に広げられた本を左右から二人が覗いている構図。
こうしていると、まるで三人が親子のようだ。
三人の視線の先にはフランス語の羅列、挿絵、それらを載せるやや古ぼけた一冊の絵本。
タイトルを、『星の王子さま』といった。
その物語は、『ぼく』という主人公の視点と、『ぼく』が出会った星の王子さまの視点で語られる、空に瞬く星々に住まう命の物語だ。
『ぼく』は子供の頃、自分が感動したことを周りに伝えようとして挫折する。
その原因は何もかもをはっきりさせたがる、はっきりしていないと何も分からない、大切なものが何も見えていない大人達であった。
大人達の中に馴染めない『ぼく』はやりたいこともできず、ずっと一人ぼっちで生き続け、そしてある日、飛行機を操縦していて砂漠に墜落してしまう。
そこで『ぼく』は、空の星から降りてきた王子さまと出会った。
王子さまは『ぼく』に羊を描いてと頼み、『ぼく』は羊の絵を描いて渡し、それを喜んで受け取った王子さまと『ぼく』の間に友情が生まれ、物語は始まった。
王子さまは遠い遠い、それでいて小さな星に一人住んでいた子供だった。
真っ直ぐに進んでいても、遠くに行けるとは限らない。
そんなことを教えてくれる小さな星だという。
小さな星からやって来た、子供らしい小さな身体の王子さまだった。
『ぼく』と王子さまは、砂漠の中で二人並んで語らう。
時には王子さまの星のこと、時には遠い遠い星のこと、時には本当に大切なこと。
何が大切なのかを見失いかけていた『ぼく』に、大人になりかけていた『ぼく』に。
王子さまは、本当に大切なことを教えてくれる。
君が正しかったんだと、過去の『ぼく』を肯定する。
二人は、大人をよくないもの、子供をよいものと見る。
大人は数字やはっきりしたものばかりに喜んで、大切な物が見えなくなってしまっている、と。
つまらないことに時間を使い、大事なことを忘れているのだと、確信をもって口にする、
それに対し、子供は『生きるということ』をちゃんと分かっていると思っている。
そして『それ』を忘れていっている自分に気付き、悩んでいた。
それは『ぼく』だけでなく、きっと王子さまもそうだった。
王子さまは花にトゲがあるのは、安心したいからだという。
手折られたくないから、食い物にされたくないから、触れて欲しくないから。
だからトゲを見せつけているのだという。
かよわくて、無邪気で、だから守らなければならないのだという。
「あの星の中の一輪の花を好きになれたら、その人はきっと星空を見上げるだけで幸せになれる」
「言葉よりもしてくれたことを見ないといけない。下手な計算の裏にある、優しさにも」
「彼女のために無くした時間が、君の中で彼女を大切な物にしたんだ」
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているから」
「何かを美しくするものは、目に見えない」
「大切なものは、目に見えないんだ」
「それは心で探さないといけない」
王子さまが語る言葉の数々は、『ぼく』の胸を打ち、忘れかけていた何かを響かせる。
王子さまは星々を渡る旅の話を、『ぼく』に語り続けた。
その旅の途中で出会った変な人達の話を、よく分からないと口にしながらも語る。
変な人達とは、大人の事だった。
王子さまには、大人達の気持ちが分からなかった。
大切なものが見えなくなってしまった人達にしか、見えなかった。
王子さまにはそれがまだ、見えているという。
道の最中で、「君はひとりぼっちだ」と王子さまはヘビに言われた。
道の途中で、「友達になろう」と言ってくれた狐と、王子さまは絆を育んだ。
道の途中で、「子供だけが自分の探しものを分かっている」と大人が言った。
やがて物語は終わり、王子さまは蛇に噛まれ、『ぼく』の前から去っていく。
王子さまは星に帰った。
『ぼく』は星空を見上げる時、それを美しく思う理由が一つ増える。
フランスの子供達に愛され続ける、そんなお伽話。
「
「大切なものは、目に見えない……」
物語の要所要所で告げられる言葉が、ゼファーとセレナの心に沁みていく。
ただの絵本でしかないというのに、ただの童話でしかないというに……何故、こんなにも胸を打つのか。大人に反抗心を抱く子供が、蛇によって王子さまと引き離されるこの物語が、どうしてこんなにも心に響くのか。
それはゼファーも、セレナも、大人の都合で苦痛を背負わされた子供であるからに他ならない。
それが、共感を生んでいる。
(きっと、これだ)
だからか、ゼファーの直感は『これだ』と叫んでいた。
調の言動、切歌の情報、そして何より、この本を読んで得られた実感が伴っていく。
彼がなんとなくで感じていた調の感情の動きが、情報の補填で固まっていく。
完全に合っているとは断言できない。
しかし、調が何に思いを馳せているのか、それに当たりは付けられた。
その気持ちは、ゼファーにも分からないものではなかったから。
「でも、なんかちょっと変だとも感じますね。
例えば俺にとって大切な友達は目に見えますし」
(なんでこの人は恥ずかしげもなく私を見ながら大切な友達って言っちゃえるんだろう……
なんだか言われてる私の方が恥ずかしくなってくるんだけどなぁ)
「ほら、見えてないではないですか」
「「?」」
「貴方がセレナを大切に思うのは、強い繋がりがあるからでしょう?
友情があるからでしょう? 支えられた過去があるからでしょう?
今ここで、貴方の目に。その繋がりは、友情は、過去は、目に見えますか?」
「!」
その人が大切なのは、その人との間に大切な繋がりがあるから。
それがない相手を大切に想うことは決してない。
大切に思う相手に対する思い、共に過ごした時間、かけがえのない繋がり。
それらが赤の他人を、『大切な人』にまで昇華する。
そしてそれらは、目には見えないのだ。
「ありがとうございます、先生。続きをお願いします」
「いえ、構いませんよ」
調からすれば、何の感傷もなく子供達を傷付けられる、他人の痛みが見えていないこの施設の大人達は、大切なものが見えていない人間なのだろう。
そうはなりたくない、そうはならないと、自分に言い聞かせているに違いない。
彼女がかつての日に求めたものは、たった一つ。
子供の味方で、大切なものをちゃんと見てくれる、この閉塞した世界を変えてくれるかもしれないと、そう期待を抱ける者。
彼女にとっての、彼女の王子様だった。
ロマンチストと笑えばいい。
夢見る少女と笑えばいい。
求めたのは自分の味方で、自分にとっての大切なことをちゃんと見てくれる誰かで、現状を変えてくれる誰かでしかないんだろと、笑えばいい。
そんなものを求めていたのだと思い出して、それで恥ずかしい気持ちになっているのだから、月読調にそのあたりの自覚はちゃんとある。
それでも、彼女が王子様を心から求めたという事実だけは変わらない。
子供なら、一度はテレビの向こう側に憧れたことがあるはずだ。
アンパンマンに、ウルトラマンに、仮面ライダーに。
子供にとってのヒーロー、英雄、カッコイイと思いながら憧れる誰か。
月読調にとっての『王子様』とは、そういうものだった。
ずっと自分を肯定してくれる、味方で居てくれる、理解してくれる、そういう誰か。
甘酸っぱい恋絡みではない、現実を打破し救いだしてくれる王子様。
自分が間違っていないのだと肯定してくれる、勇気をくれる誰か。
怯えを振り切り、誰かを守るために一歩踏み出すための、勇気をくれる誰か。
親友とは違う。家族とも違う。勇気をくれる王子様を、彼女は夢に見る。
それが今よりももっと幼かった日に、月読調が求めたものだった。
そんな昔の夢を、いまだ色褪せていなかった夢を、調は思い出してしまっていた。
叶わないのだと諦めていた夢を、調は思い出してしまっていた。
この閉塞の世界に外から誰かがやってきて、泣いている子達や苦しんでいる自分を救って、皆で一緒に外の世界に出ていくんだ、なんて、夢を見ていた自分を。
そんな夢が叶わない現実を思い知ったことを、夢見るだけで叶わず終わってしまったことを、この夢を期待として押し付けてしまってはただの重荷になってしまう、理想の王子様からは程遠いゼファーの弱さを、ままならない現実を。
全て思い出して、気落ちしていた。それがここ最近の調の悩みの種だった。
もう叶わない夢だと知っているのだから諦められる、そんなこともなく。
現実は変えられないものだと分かっているから諦められる、そんなこともなく。
無力な少年に期待したって意味が無いだろうと諦められる、そんなこともなく。
一度思い出してしまったせいで、かつて見た夢が頭の隅に引っかかって離れてくれない。
現実を見据えられるだけの聡明さがあって、夢を捨てきれないロマンチストな性格があって、今の彼女の状態があった。
甲子園半ばで敗退した高校球児の心境が少し近いかもしれない。
夢破れ、どうしようもないのだと分かっていても夢を忘れられず、割り切って現実を見ることもできず、みっともなく夢に縋り付くこともできない、中途半端な心境。
どうしようもない。
結局の所、切歌の親友としての直感が正しかったということだ。
この悩みを解消したいのならば、時間をおくのが一番無難な治療法だろう。
短期間でパッと解消させることも出来るのだろうが、それには彼女に何かしらの形で働きかけ、彼女の中の天秤を夢か現実のどちらかに傾けなければならないはずだ。
そして調の親友たる切歌にパッと解消してこいと、背中を押されたゼファーがここに居る。
「あ、これ……すみません、この部分の読みと意味をもう一度お願いします」
「この単語ですか?」
一通り読み終わった後、ゼファーは身を乗り出してページを捲り、指で一文を指し示す。
ナスターシャは少し怪訝に思うものの、特に不審がることもなく発音と意味を読み上げる。
「
「……あー、ああ」
「どうかしたの? ゼファーくんには何かこれに心当たりとか?」
「うん、まあ、なんというか」
多様な言葉、というものがある。
その最たるものは『好き』『like』という言葉だろう。
好意というものは多種多様で、その深度によっても形を変える。
友に対するもの、家族に対するもの、恩師に対するもの、気になる異性に対するもの。
好き、という言葉はそれら全てに対応する、好意の表現を総括した言葉なのだ。
「ここまで言われて、何の言葉も返さないで居ちゃいけない……そんな、気がする」
『Apprivoiser』。
語源としては、家畜やペットを鎖で繋ぐ、躾けるといった意味。
そこから転じて「繋ぐ」という意味になり、人間関係の繋がりも意味するようになった。
星の王子さまという物語の中で、この単語は最後に「絆を結ぶ」という意味で使われる。
調にとってのゼファーは友人であっても、大切な人というほど親しくはない。
それはゼファーも感じていたことだ。
その疎外感と寂しさを、当然のものとしてゼファーは胸の奥に抱えていた。
調が、切歌が、マリアが、この施設で積み重ねてきた時間に勝るものを、ゼファーがここに来てからの時間は抱え込んでいない。
けれど、そこに何かを思っていたのはゼファーだけだったのだろうか?
距離を感じ、他の友達と同じように仲良くしたいと調が思っていなかったと、何故言えようか?
その言葉に込められた気持ちはきっと一つだけではない。
漏れ出た一つの言葉でしかないために、明確な気持ちを見出すことも難しい。
だが、それでも。
その言葉をゼファーは確かに耳にして、聞き逃さなかった。
悩みが小さいとか、すぐに解決しなくてもいいことだとか、そんなことは関係ない。
その悩みが不治の病であっても、虐待等であっても、世界の終わりであっても関係ない。
ゼファーはその悩みの原因を探し、その悩みを解決してあげたいという気持ちはそのままに、不可能にだって挑むだろう。
悩みの貴賎など関係ない。問題の大小など関係ない。困難であるかどうかすら問題外だ。
調が悩んでいるのなら、ゼファーは助けてあげたいと考える。
そこに特別な理由は要らない。
ゼファー・ウィンチェスターは、月読調の友達だからだ。
「ありがとうございました、先生」
「いえ、これがあなた達の一助となるならば。
……友達を大切に思うことは、よいことです。胸を張りなさい」
「! はい!」
ナスターシャも、調の最近の様子は気になっていたようだ。
ゼファー達が気付いていなかっただけで、彼女なりに気遣っていたのだろう。
ここでゼファーとセレナの前に現れたのも偶然ではなく、子供達の手で解決させるために、こっそりと手助けに来てくれていたのかもしれない。
厳格な彼女の口からは絶対にそういう発言は聞けないのだろうが、発言に調のことを匂わせている時点でどこか語るに落ちている気すらする。
こんな風だから、どんなに厳しくしても子供達に慕われてしまうのだろう。
心を鬼にして極力厳しく接しようとしているというのに、時折出てしまう甘さのせいで慕われてしまい、自分を慕っている子供達を使い潰す罪悪感に苛まれる。
何年経とうが、彼女はこうして顔にも出さない苦悩を抱えたまま生きている。
「よし、行こうセレナ!」
「行くのはいいけど、どうすればいいのかは分かったの?」
「いや。ただ、伝えたい気持ちは固まった」
「本気でぶつかって後は野となれ山となれかぁ……」
ゼファーもセレナも、神様視点や地の文ほど調の気持ちが理解できているわけではない。
ただ、かき集めたヒントと調の性格から大雑把に推測しているだけだ。
だからこそ、「こう言えば悩みは解決する」と確信できるような言葉は未だ見つかっていない。
こうすればいい、という正答は得られていない。
「ゼファーくんのそれ、誰かの真似?」
「え? 何が?」
「ん、分からないならいいや」
他人の心の動きに敏感で、かつゼファーに対して頭一つ抜けた理解を示しているセレナだからこそ、気付けたことがあった。
ゼファーの中に、複数の人間の影が見える。
彼の所作に無自覚に、言動に無意識の内に影響を与えている人間達。
心に刻まれ、頭の中には浮かんで来ず、魂の中に息づいている者達。
その中で特に深く、強く、鮮烈に刻まれている誰かの姿。
その誰かはおそらく、他人の悩みに深く考えず突っ込む人間だったのだろう。
思いの丈をぶつけ、とりあえず相手に悩みを吐き出させてそれから考える人間だったのだろう。
ゼファーより行き当たりばったりで、活動的な人物だったに違いない。
そして、ゼファーにいい意味でも悪い意味でも影響を与えた友人のはずだ。
彼が他人に対し踏み込む時、セレナの視点ではその人物がチラつく事が多い。
と、言うより、普段のゼファーからは想像もできない行動を取る時には、ほぼ確実に誰かの影がゼファーの中にチラついて見えている。
(……『あの人』なら、何か知ってるかな……)
セレナの目には、それは断片であるように見えた。
忘れようとしても忘れられない、嫌な記憶に近い断片。
彼女はゼファーの過去を知らない。ゼファーが決して語ろうとしないからだ。
それでも、その断片が彼の過去と無関係ではないことくらいは察しがつく。
セレナがどう頑張ろうと触れることのできない、彼にとっての本当に大切なものであるということくらい、察しがつく。
それに触れることが出来るのは、それをどうにか出来るのは、ゼファーだけだということにも。
セレナの首から下がる赤い宝石のようなペンダントが、人知れず僅かな熱を発していた。
シンフォギアは知ってるけどワイルドアームズは知らないという方はクロスファイア→アルターF→2→3の順がオススメだと個人的には思います。あくまで個人的に
逆にワイルドアームズは知っていてもシンフォギアは知らないという方は本編視聴やキャラ曲聞くのをおすすめしたいデス