戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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Q.シンフォギアがないのにノイズが居るとどうなるの?


4

 意識して呼吸を整える。足運びを意識する。敵の動きに細心の注意を払う。

 普段何気なくしている一連の自分の行動を、意識して丁寧にし直すゼファー。

 そのルーチンが少年に冷静さを取り戻させる。いつもの自分、それを意識することはいつもの自分に戻るということだ。

 ビリー達が再集結しようと指定したポイント、そこには無数の屍が転がっていた。

 集まろうとしていた部隊はほぼ死に絶え、今その場所で生きている人間はゼファーのみ。

 そしてそこには、その虐殺を為したノイズが悠然と立っていた。

 紫の体色、幹と枝のような本体、その身体に付いている紫の球体。

 

 まるでフルーツのブドウのような、そんなノイズが単騎で立っていた。

 

 

(今まで出現したデータの無い、新型……)

 

 

 集合地点はノイズが居ないであろう場所が指定されていた。

 それに油断した者達の前に、空間からにじむように現れた新型ノイズ。

 あっという間に対ノイズの経験を積んだはずの者達が蹴散らされ、ゼファーを除いて皆殺し。

 その新型は、あまりにも過去のノイズ達とは違いすぎた。

 仲間の犠牲を払ってまでその動きを分析していなければ、ゼファーも骸となっていただろう。

 

 

(……来るッ!)

 

 

 ぷちん、ころころ。ブドウの実が枝から離れて転がる時の効果音に相応しいのはこれだろう。

 そのノイズから球体が離れて転がる光景は、枝から離れて転がるブドウの実を思わせる。

 ……が、このノイズはブドウではない。ゆえに余計な効果音も付く。

 ゼファーが放ったセミオートでの精密射撃が二つの実に命中すると、鼓膜を破りかねないほどの凄まじい爆発、それが産んだ爆風が少年を襲った。

 

 

「ッ」

 

 

 爆発の衝撃で凶器となった小石などを躱すため、その場に伏せる。凄まじい爆発だ。

 直撃どころか余波だけでも、ゼファーの小さな身体では粉々になってしまいかねない。

 このブドウ型ノイズの最大にして最悪の特徴、それがこのブドウの実のような爆弾であった。

 このノイズは一定時間ごとに実を生成し、自分の体の周りにストックする。

 それを発射することで人を炭素化するのではなく、『爆殺』するのだ。

 

 勿論人を炭素化する能力もある。爆弾を爆発する前に投げ返そうと触ったバカは、もう既にその辺に転がっている炭の塊となっていた。

 人間を炭素に転換し相討つという、ノイズに取っての当たり前を否定する希少種。

 その時点で、これまで培ってきたゼファーの対ノイズ戦法は通用しないと見ていい。

 そしてその脅威は、何も爆発の威力だけではないのだ。

 

 

(爆弾と本体の位相差障壁度合いは別枠かよッ……!)

 

 

 発射後の爆弾はその威力を完全に伝えるためにこの世界に100%存在している、とこの短時間の応酬でゼファーは見切っていた。

 しかし爆弾発射後から爆弾起爆までの間に本体に銃弾をいくら当てようが透過されてしまう。

 おそらくは、自分の体の一部である爆弾を発射後に世界に存在する割合を引き上げるという形式だ。無敵の盾である位相差障壁を維持しつつ、無敵の矛に爆発能力も付加するという悪夢。

 そしてそれは、絶望的な事実を突きつける悪魔のような能力だ。

 

 

(こいつは……おそらく、『戦いの間一度も位相差障壁を緩めない』。ヤバすぎる)

 

 

 位相差障壁を緩める必要がない。何故なら、このノイズは時間差で攻撃ができるからだ。

 他のノイズのように攻撃の際にこの世界に存在する比率を増やす必要がなく、ゆえに人間に反撃される余地を残す必要がない。終始無敵のままなのだ。

 そしてこのノイズは多くの人間を一度に爆殺し、なお消えない。

 他のノイズのような触れた人間と一緒に炭の塊となって死ぬという特性すら、身体から離れる球体爆弾という特性によって克服している。

 本体は人間に触れていないのだから、当然だ。

 

 普通のノイズは、数こそが脅威だ。一体だけならば最悪一人殺されるだけに終わる。

 しかしこのノイズは単体で複数の人間を一方的に爆殺しており、放っておけばこの場に合流しようとする人間を全員殺す事も容易いだろう。

 この異端のノイズなら、できる。それが可能だ。

 深呼吸して、ゼファーは腹を決める。

 

 

(ここで、俺が、仕留める。最悪でも、打開策のきっかけくらいは)

 

 

 思考が一本化されていく。

 吸気が肉体の隅々にまで酸素を運び、呼気が肉体の無駄なエネルギーを絞り出していく。

 銃を構え、姿勢を整え向き直すその気迫は既に歴戦の戦士のそれだ。

 勝機は未だ見つからない。しかし、仲間達にこのノイズが大打撃を与えれば、それだけでゼファーが最終的に生き残れる確率はガクっと下がるだろう。

 生き残るために、ここで仕留めねばならないのだ。

 通信機で仲間に新型ノイズの存在、その性質と発生した被害を報告してから走り出す。

 ブドウ型ノイズがそれに呼応するように身を震わせ、球体を分離して飛来させた。

 球体爆弾はバウンドしながら立体的な軌道でゼファーに迫り、その逃げ場を面で潰す。

 構わず、ゼファーはバウンドする球体の弾幕の中へと突っ込んだ。

 

 

「シッ」

 

 

 目算で抜けられそうな隙間は六。しかし生き残れる場所は一つあれば幸運な方だろう。

 走りながら軌道を見て考えて判断し、抜けられない場所を思考の中で潰して行く。

 一つ、一つ、一つ、爆弾をかわしながら道を潰して行く。

 最後の二択。どちらに跳ぶかは、勘で決めた。

 短く息を吐き、球体と球体の間を跳んで抜ける。

 そして転がるように着地してから立ち上がると、追い打ちを掛けるように残り全ての爆弾を発射するブドウ型ノイズの姿が見えた。すかさず、拳銃で球体爆弾を二つ射撃し爆発させる。

 中央の爆弾が誘爆、爆風が衝撃波となって轟音と共に広がっていく。

 爆風をしのげば、爆風で爆弾が外側に押し出され、そこには道が出来ていた。

 アサルトライフルに持ち直し、一気に距離を詰めんとする。元より、一方的に攻められる遠距離戦で勝ち目は無い。

 銃という遠距離武器でか細い勝機を求め、中距離か近距離まで接近する。

 それが他国が絶対に真似しない、この国だけの対ノイズ戦闘法であるがゆえに。

 

 

(来た)

 

 

 距離を詰めたその瞬間、ブドウ型ノイズは球体を展開し、ゼファーは心中でほくそ笑む。

 アサルトライフルを脇に挾み、拳銃を構える。そして爆弾の発射と同時に命中させ爆発させた。

 外しても爆殺されてアウト、早くても当たらなくてアウト、遅くても爆発に巻き込まれアウト。

 命知らずと言われて当然の、技術より度胸が要される技。

 そしてゼファーの心中の推測と企みは当たったようで、ブドウ型ノイズは自ら発射した発射直後の爆弾の、至近距離の爆発に巻き込まれ、後方に吹っ飛ばされていた。

 

 

(ノイズの身体が位相差障壁展開中の仲間にぶつかったのを見たことがある)

 

 

 位相差障壁はノイズ同士には機能しない。それはまだ確定したわけではないが、フィフス・ヴァンガードにてまことしやかに囁かれている俗説だった。

 ゆえに誘爆まで見込んでの策だったが、誘爆どころかロクなダメージも入っていないようにすら見える。目立った損傷が見当たらない。

 策は成ったが、敵の身体の頑丈さは予想以上だ。

 ゼファーの見立てでは、この世界に100%存在している状態で拳銃で撃ったとしても、この敵は倒せないだろう。

 アサルトライフルをマガジン一つ丸ごと喰わせてやろうか、と思案する。しかしそのノイズは作戦を練るだけの余裕など許さない。

 

 

「……?  ……!  ん、なッ!?」

 

 

 ブドウ型ノイズが身体を震わせる。

 すると驚くべきことに、身体から球体が落ちて転がり、それぞれが脈動を始めたではないか。

 グロテスクなホラー映画のワンシーンのような光景にゼファーはうろたえるも、動揺は一瞬。

 ホルダーに吊っていた拳銃を抜き打ち誘爆を狙う。しかし、球体は予想外にも弾丸を透過した。

 先程までの爆弾とは違うのか、とゼファーは後ろに跳んで距離を取る。

 そして、目を疑った。

 

 身体から離れた球体に足が生え、変形し、オタマジャクシとカエルの中間のような形へと変わる。

 それらは電子製品のディスプレイのような感覚器をゼファーに向けると、その牙を剥く。

 それは既にノイズの身体にくっついていた球体ではなく、爆弾ですらない。

 十数個の爆弾は、十数体のノイズへと化けたのだ。

 

 

「なんだ、それ……!?」

 

 

 こんな事すら、出来るのか。

 広範囲に対する一方的な爆撃に加え、何度でも再生産できるノイズ生成能力。

 馬鹿げている。話に聞く大型ノイズに匹敵する脅威だ。

 この時点でゼファーは自分一人でのこのノイズの打倒を不可能と判断し、退却に移る。

 しかしそれを見逃すほどノイズはお人好しではない。

 彼らは人類の天敵であり、人類の虐殺こそが目的なのだ。

 

 

(どうするッ……!?)

 

 

 小型ノイズは十数体。自慢ではないが、ゼファーとて接近されて同時に倒す自信があるのは二体までだ。三体以上は銃口が足りなくなってしまう。

 よって走る。我武者羅に後ろに向かって走る。時間稼ぎになるかどうかも分からないが後方に銃を乱れ打ち、手榴弾を一つおみやげに置いて行く。

 曲がり角を曲がったあたりで爆発音。しかしこれで倒せるわけがなく、背後から聞こえてくるノイズの奇妙な歩行音が絶えていないことからもそれは明らかだ。

 建物に入り、時限式の携行地雷を置きつつ向かいの出口へと一気に駆け抜ける。

 出口から出て右に直角に思いっ切り曲がり、悲鳴を上げる肺を無視して少年は走る。

 

 

(っ、足捻ったか……? いやまだ走れるッ!)

 

 

 そして爆発音。対戦車用の携行地雷は柱を砕き、建物を崩落させた。

 崩れた建物の一階部分は、後続のノイズ達を巻き込んで埋める。

 これでオーラス。体格も小さく持ち運びできる物の量に限界があるゼファーは、建築物があればノイズにも有効な爆薬も、そう多く持つことができない。

 その爆薬の残りを全てつぎ込んだにも関わらず、背後からのノイズの気配はほとんど減っている気配がない。

 それはいいのだ。ゼファー自身、時間稼ぎとしての意味合いで使った方が大きいのだし。

 問題は周囲の建物や木々を跳躍しつつ跳ね跳び、こちらに迫ってくる紫の影。

 

 

「爆弾、分裂、次は健脚!? インチキ性能も大概にしてくれ!!」

 

 

 ブドウ型ノイズは再度の球体生成を終え、ゼファーの後方頭上を跳んでいた。

 車と同じ速度を出せるナメクジ型程ではないが、確実に人が走って逃げられる速度ではない。

 ましてやゼファーは子供だ。未成熟で疲労の溜まった足は、距離をどんどん詰められてしまう。

 完全に頭上を取った時点で、当然のようにブドウは球体を投下し爆撃を開始した。

 

 

「クソ、当たってくれッ!」

 

 

 アサルトライフルを頭上に向けてフルオート。

 マガジン一つ分の銃弾を全て吐き出し、球体の数をせめて1/4にまで減らさなければ死ぬ。

 かの爆弾の威力は絶大。爆発力は手榴弾の比ではなく、吹き飛ばす木の枝や小石にすら銃弾に匹敵する威力を付加させるだろう。

 当たれ当たれと祈りつつ、狙いを定めて集弾する。

 

 しかし、弾丸は全て、無情にも球体をすり抜けていった。

 

 

「……ああ、お前、頭もいいんだな」

 

 

 爆発の直前、世界に存在する比率を引き上げればいい。それまでは引き下げていてもいい。

 ゼファーの生きるための足掻きは、このノイズに余分な知恵を付けさせてしまったようだ。

 チェックメイト。逃げ場なし、打つ手なし、活路なし。

 

 ここまでやれば、十分に足掻いた方だろう。

 自分は頑張った。やれることは全てやった。ただ、運が悪かった。

 他の人が甘受していた『順番』が今来た、たったそれだけのこと。

 そんな思考が少年の脳裏をよぎる。

 立ち止まって空を見上げる少年は、最後に見た空が青空でなく、ノイズと暗雲に覆われていたことに、心中で少しだけ愚痴って目を閉じた。

 ただ、ここで死んでしまうことが、もう生きられないことが、死ぬほど悔しかった。

 

 

(砂埃みたいな人生だった)

 

 

 風や吐息で振り回される、誰かに引っ付いているだけの、重みも価値もない人生。

 何も無かった。最初から何も無くて、何も得られなかったような気すらする。

 気付いたら生まれていて、気付いたら銃を持っていて、気付いたら死に際で。

 ……悔いなんて無い。悔いるほどの何かも持っていない。

 だからきっと、何も思うこと無く、死ねるのだ。

 生まれた時から、何の理由もなく抱いていた「生きたい」という思いと共に。

 

 何もない、少年はそう思った。……本当にそうなのだろうか?

 生きる過程で何も得られない人間が、本当に居るのだろうか?

 例えば、人間関係。

 人の生きる場所で生き続け、本当の意味で一人ぼっちな人間が居るのだろうか?

 

 ひどく孤独で空虚な気持ちのままに、目を閉じたゼファー。

 生きることを諦めきれないその耳に、何故か、声が届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最後の一瞬まで、自分の人生から目を逸らすなッ! 絶対に、絶対にだッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が肌を撫でる。

 ゼファーは宙に浮いているかのような、そんな気分を味わっていた。

 天にも昇る気持ちってこういうものなのかな、と思いつつ薄目を開ける。

 

 そこには心から尊敬する、兄のように思う、英雄の姿があった。

 

 

「……あ」

 

「よく頑張った。だが、最後に諦めたのは感心しないな」

 

 

 風よりなお速く駆け、赤子を抱くように丁寧にゼファーを拾い、爆発前に脱出した。

 50mどころか500mでも5秒台を切りかねない健脚こそがこの瞬間移動と見まごう絶技の肝。

 ビルの谷間を飛び移ることも可能なブドウ型ノイズの健脚も、英雄の脚には敵わない。

 

 

「生きて生きて生き延びる、たとえ血反吐を吐こうとも。

 死ぬのが嫌だと言うことと、生きる覚悟を決めることは別物だ」

 

「ビリー、さん、俺……」

 

「無事で良かった。ここに君の無事を喜ぶ人間が一人居る事を、覚えておいてくれ」

 

「―――」

 

「死んでしまっては、何にもならないからね」

 

 

 ゼファーの言葉を手で制し、ビリーはゆっくりと少年を地に降ろす。

 そして優しく頭を撫でてから、少年に背を向け駆けてくるノイズ達と向き直る。

 

 

「ここで待っていてくれ。すぐ戻る」

 

 

 その瞳は既に戦士。少年に向けた優しさを、ノイズに向ける気は毛頭無い。

 

 

「貴様ら一体残らず、生かして返さない……絶対に、絶対だッ!」

 

 

 機関砲を片手に持ち、駆ける。トップスピードに乗るまで0.1秒。

 反応できたのはブドウ型のみ。十数個の爆弾が、ゼファーとの戦闘経験を生かした隙の無い布陣で地面をバウンドし、ビリーへ迫る。

 

 ―――瞬間、ビリーは音を置き去りにした。

 

 球体のバウンド軌道の頂点を超える跳躍。ブドウ達の頭上を越えてその背後へ。

 空中で機関砲をフルスイングしてその慣性で落下速度を増し、着地と同時に一斉掃射。

 ブドウ型に生産されたただでさえ脆い小型のノイズ達は、ゼファーを追い詰めていたことで油断があったのか、この世界に存在する%が一桁台だったため粉砕。

 ブドウ型も絶大なダメージを被り、先程までの猛攻が嘘のように逃げようとする。

 ノイズが、逃げる。

 そういった意味でも、このノイズはあまりに異質だった。

 

 

「逃がさない」

 

 

 ビリー・エヴァンスは、英雄とはいえ一人の青年だ。

 大切に思える人間が傷つけられれば怒るし、許さないと叫ぶ。

 しかし、一人の青年であると同時に英雄だ。

 大切に思える人間が死んだ所で、怒りはしても泣きはしないだろう。

 『生きてこそ』。彼の人生哲学は、生きてこそだ。

 だからイレギュラーが起こった上でのゼファーの生存を喜んだ。

 だからこのノイズに許さないと怒る。

 

 ただそれだけの話。

 

 ブドウ型ノイズが逃げる先にビリーが回り込む。ビリーとノイズの顔の距離は、目と鼻の先だ。

 殺せる、とノイズは判断した。

 先程までの恐怖と逃げようとした事実も忘れて、目の前の人間に手を伸ばし――

 

 

「絶対に、と言ったはずだよ」

 

 

 ――存在比率を引き上げた瞬間を見切られ、バックステップでかわしたビリーにミンチにされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一話:5th Vanguard 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、一通り片付いたかな」

 

 

 あれほどまでにゼファーが苦戦し、絶体絶命に追い込まれたノイズ達がまるで赤子扱い。

 世の中にありふれた絶望の物語が、彼の登場で物語にありふれたヒーロー物に早変わり。

 ゼファーは笑う。

 笑わなければやってられないし、嬉しい時は笑うべきだ。

 こんなもの、喜劇でしかないのだから。

 一流の悲劇をただの喜劇に変える、これこそを英雄譚と人は呼ぶのだろう。

 

 

「ゼファー君お待たせ……って、何笑ってるんだい?」

 

「いえ、気にしないでください。それより、何故ビリーさんだけここに?」

 

「勘がね。君が危ないような気がしたんだ」

 

「……俺よかすごい勘してるんじゃないですか」

 

 

 あらゆる分野の能力がカンストしていてももう驚かない、とボヤッと思うゼファー。

 助けられた、生き残った、そんな実感が湧いてくる。

 この人はいつもこうして自分を、それ以外の人を助けてくれる、と。

 少年の胸の中に憧れと尊敬の念が浮かび上がり、ビリーと共に戦えることが自然と誇らしく思えてくる。子供の憧れを向けられるのも、また英雄だ。

 彼のようになりたい、という気持ちは、いずれ子供の抱く夢にもなる。

 いつか憧れが夢に変わる時、少年は生きるだけが目的の人間ではなくなるだろう。

 それも、生き残れたらの未来の話。

 

 

「もう行けます。元々怪我はありませんでしたし」

 

「まだ皆がこっちに来るまでに時間あるし、ゆっくりして居ても良いと思うけどね」

 

「いえ、さっきみたいなのがまた湧かないように集合地点を見張りませんと」

 

「抜け目無いね、流石ゼファー君」

 

「そういう露骨な褒め方は、その、なんというか。ビリーさんも普通に考えてたことでしょう」

 

「お、照れてるのかな?」

 

「……いやもう本当に、勘弁して下さい」

 

 

 生き残れたらの、未来の話。

 

 

「……今日は、西風が吹きませんね」

 

「西風がどうかしたのかい?」

 

「いえ、ジンクスみたいなものです。西風が吹かない日はロクな事がない」

 

「確かに、新型のノイズと遭遇とは今日の君はとびっきり運が悪そうだ」

 

「それだけなら、いいんですが」

 

 

 空には暗雲。吹かぬ西風。

 

 

「……あれ?」

 

「今度は何かな、喉でも乾いた?」

 

「いえ、何か……ん? 言葉にしづらいんですけど、何か、変?」

 

「……君の勘は本当にヤバいものにも気づくから本当に頼りになるよ」

 

「なんだ、これ……『熱い』……?」

 

 

 英雄の知覚の外、少年の知覚の内で『何か』が蠢いた。

 ゼファー・ウィンチェスターにとってそれは生まれて初めて感じるものであり、自身の存在の全てがそれを恐れおぞましいものだと断じていた。

 それは、不気味な熱だった。

 感じたのは一瞬。しかし、全身全霊が警鐘を鳴らし始める。

 

 

「これは……マズいッ!」

 

 

 その『何か』に引きずられ、目に見えない運命のような物が唸りを上げる。

 歪む。歪む。目に見えない、何かが歪む。

 その歪みに釣られて空間までもが歪み、その中から這い出るように湧き出すノイズ。

 英雄の知覚の内側で、絶望的な戦況が広がって行く。

 

 

「大型ノイズ五体確認! ビリーさん、囲まれました!」

 

 

 ……生き残れたらの、未来の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『大型ノイズ』。

 

 フィフス・ヴァンガードでも滅多に出現しない、最悪の部類のノイズのことだ。

 通常、ノイズは小型で人間と同程度のサイズ、中型で人間の二倍から三倍のサイズと言われている。個体差もあるが人間とそこまで極端なサイズ差はないのだ。

 しかし、大型と呼ばれるノイズ群は違う。

 15mから20mサイズの怪獣とでも言うべきサイズのノイズが『一番弱い』という、そもそも人間が生身で勝とうという発想を持つこと自体ありえないノイズ群。

 位相差障壁が無かったとしても打倒には戦車や戦闘機が要るだろう。

 

 某国でこのノイズが一体出現した際は大惨事になったという。

 周囲の小型ノイズ達と共に街を蹂躙し、人を皆殺しにし、街を平たくし続ける怪獣。

 同体積の人間を道連れに炭素に転換されるという特性上、一人や二人に触れた程度では炭素へは還らず、また大きさに相応に自壊までの時間も他のノイズと比べて圧倒的に長く、ノイズを体内から吐き出す能力まで持っていた。

 国軍はこれに対し戦術ミサイルを含めた飽和攻撃を決断、実行。

 位相差障壁が破壊力を減衰するのなら、それを超えるだけの飽和攻撃によって殲滅すればいい、そういった仮説を元に国軍の総力をもってこれにあたった。

 しかしノイズ達は予想を遥かに超えてしぶとく、戦況は泥沼になっていく。

 途方も無い国家予算と不安に押し潰されそうな時間の浪費をもって最終的に打倒に成功するも、その代価として山一つの地形を変えてしまう。

 更に副次災害としての土砂崩れ、政権への支持率の低下と解任要求と大打撃をもたらした。

 対応に問題があったと言えなくもないが、大型ノイズとは本来国を一つ崩壊させて余りあるバケモノなのだ。

 

 大きいということは、それだけで強い。

 重い体重を支える身体はそれだけで頑丈で、デカい体で跳ね回る力はそれだけで強靭で、位相差障壁と炭素転換能力は変わらず牙を向き、固有の能力まである。

 アリの牙が人間に突き刺さらないのは、単にサイズ差とそれに付随するスペックの差が大きすぎるだけのこと。アリが人間に容易に踏み潰されるのも同義。

 小さな者の牙では、大きな者の命を喰い破ることは叶わない。

 

 そんな大型ノイズが、五体。

 

 これを『絶望』と言わずして何と言うのか?

 

 

(どうする――?)

 

 

 英雄、ビリー・エヴァンスは思考を回す。

 戦うということは、一瞬一瞬の間に幾千幾万の駆け引きを終えるということだ。

 ビリーほどの者であれば、ほんの一瞬の思考で他者が一時間策を練るのと同格の思考思索を終える事が可能だろう。そうして打開策を見出さんとする。

 しかしどれだけ考えようと、アリの掘った穴ほどの希望も見出すことはできなかった。

 既に大型五体は攻撃姿勢に入り、ゼファーは余計な動きをしてビリーの邪魔をしないようにと、逃げもせずに銃を構えている。

 自分が何もしない方が結果的に助けになると判断したのだろう、いい勘をしている。

 しかしながら、五体が発生させる攻撃の包囲網は完璧だ。万に一つも逃げられはしない。

 

 まるで詰将棋のように、どこに逃げても最後には死ぬ。そういう風に組み立てられている。

 空間把握能力により360°全てを視界に収め、思考で最後の最後までの予測を終えることが出来るビリー・エヴァンスだからこそ、それが分かる。

 細かく隙間を埋め、隙を突き、最後に詰ませるように―――と、そこまで考えて。

 ビリーは気付く。

 『これはおかしい』。

 

 何がおかしいと思ったわけではない。だが、確かにおかしいのだ。

 過程から結果を導き出したのではない。おかしいという結果を認識した、その事実が先にある。

 それはあまりにも突飛に条理と道理を無視した、直感を超えた直観。

 

 

(……何かの、悪意を感じる)

 

 

 ならば、抗ってみるのも一興か。

 

 いつものように、彼は死する覚悟を決める。生かす覚悟を決める。

 そして生きる覚悟を捨て、偶然の重なりの果てにある奇跡に賭けた。

 ビリーが最善を尽くしたとしても、ここで二人は死ぬだろう。

 戦力差は絶望的で、人とノイズの間にある差は誤魔化せども覆せず、数ですら負けている。

 

 それでも……それでもと、諦めない。

 諦めなければ、奇跡が起きれば、そこまで持ち堪えられれば、生は繋げる。

 ビリー・エヴァンスは、起きるかどうかも分からない奇跡にかけて足掻くのだ。

 決意を胸に、ビリーはゼファーを抱え上げる。

 

 

「歯を食いしばって! 舌噛むよ!」

 

「はいッ!」

 

 

 大型ノイズの一体が発射した溶解液、別の大型が発射した円盤状の刃が迫る。

 緑に濁った溶解液は戦車すらも一瞬でスープに変える凶悪さと、ウォーターカッターを超える圧力で放たれる、物理的な破壊力と速度を両立するふざけた脅威だ。

 円盤は厚さ数メートルの鉄板をバターのように切り刻む切れ味、目にも留まらぬ速さ、十数個同時に軌道を制御できる誘導性の合わせ技。

 どちらも速度は亜音速に迫らんとする勢いだ。溶解液は直線で、円盤は逃げ道を塞ぐようにくるくると二人の周囲を飛び交う。無論防げる道理はない。

 

 だからこそ、かわす。

 

 ビリーに跳び上がるように誘う攻撃を、意図を読んであえて狭い場所へと突っ込み下をくぐるように駆け、彼は回避する。

 かすることすら許されない防戦だ。かすれば当然炭素に転換されるし、それ以前に空母ですら容易に解体せしめるであろう威力にかすれば、それだけで彼らはバラバラになるだろう。

 

 ビリーはかわしたと同時にすかさず機関砲を発射。命中するが、呻くだけで倒れる気配無し。

 英雄は舌打ちする。攻撃直後の隙を狙ったつもりが、存在比率をすぐに引き下げていたようだ。

 おそらく今命中させた相手の存在比率は三割弱。七割は存在してくれなければ倒せないだろう。

 止まっている暇はない。ビリーは全力で低く滑るように横に跳躍。

 するとそこに降り注ぐ、螺旋状に変化した鳥型ノイズ。大型ノイズが体内から吐き出した小型ノイズ群の一角だ。

 

 

「―――ッ」

 

 

 跳躍の勢いのままに地面を滑り、空へと向いて鳥型ノイズへ機関砲一斉掃射。

 世界に存在する比率を1/100程度まで引き下げていなかった個体は、まるで殺虫剤をかけられた虫の大群のごとくバタバタと落ちていく。

 そして英雄は地面をもう一度蹴り、先程射撃した大型ノイズとは別の個体の胴体の下、足元へ。

 自分の股下へとスライディングしてきた二人の人間を押し潰さんと、その大型ノイズは自身の存在比率を引き上げる。……それが、致命的なミスだとも知らずに。

 下から上へと向かう機関砲が大型ノイズの身体を下から上へと食い破り、あえなく絶命。

 相手の存在比率の引き上げと押し潰す動作の合間を狙った射撃、これもまた絶技であった。

 大型、残り四体。

 

 

(……すごい)

 

 

 英雄の腕の中で、ゼファーはその戦いぶりを誰よりも近くで実感していた。

 人間は、こんな所まで行けるのか。こんな事もできるのか。こんな風になれるのか。

 胸がドキドキする。破裂しそうな少年の鼓動は、恐怖ではなく興奮で加速している。

 足手まといを一人抱えたままでも、ビリー・エヴァンスはただひたすらに圧倒的だった。

 

 要塞のような大型ノイズの一体が、砲門を開く。

 そこから吐き出されるのは音速の数倍の速度の弾丸型ノイズ達。位相差障壁など最初から展開する気のない、即死に至らせる特攻軍団だ。

 ビリーはそれを、

 

 

「せいッ!」

 

 

 地面を蹴り、地面を岩盤状にひっくり返すことで盾とする。

 厚みのある地盤は強固な盾へと早変わりし、弾丸ノイズ達の突撃を受け止め絶命させる。

 そして機関砲を背にくくり、拳を構え、

 

 

「破ァッ!」

 

 

 拳の一撃で、その岩盤を粉砕した。

 衝撃は余すこと無く浸透し、岩盤を無数の岩の弾丸へと変化させる。

 弾丸ノイズ含む小型中型達はたまらず吹き飛んでいき、大型ノイズ達もその身を竦ませる。

 地盤の盾を回り込んできた鳥型ノイズ達の矢のような左右挟撃を前進して回避。そして、機関砲を大型ノイズ達に向け、掃射ではなく狙いを定めて構えた。

 岩の弾丸は攻撃でも迎撃でもなく、現時点での全てのノイズ達の存在比率の確認という目的であったのだ。岩の弾丸が降り注いでいる内に、岩を透過していない敵を撃つ。

 吐き出された機関砲の暴虐が大型ノイズ二体の喉笛を喰い破り、その身を炭の塊へと還した。

 大型ノイズ、残り二体。

 

 

(すっげえ、すっげえ、ビリーさん、このまま行けば……)

 

 

 ビリーを挟む大型ノイズ二体、小中型ノイズ無数。

 それでもゼファーは負ける気がしなかった。むしろ、新たな伝説の誕生の立会人になっているという誇り高ささえあった。

 この時点で、二人の認識はどうしようもないくらいに食い違う。

 

 

 この瞬間、ゼファーは「勝った」と確信し。

 この瞬間、ビリーは「ここまでだ」と確信した。

 

 

「アサルトライフルと弾薬借りるよ、ゼファー君」

 

「え? あ、はい」

 

 

 最初に迫ってきた円盤状の刃は次々射出されるまま落下もせず、大型ノイズによってどんどんその数を増している。五十は確実に飛び交っているだろう。

 囲むように飛んで来た、その斬撃結界を抜けるための人間一人分の隙間は、頭上にしか存在しない。誘導されているのが分かっていても、飛べない身でありながら跳び上がるしか無い。

 ビリーは人間だ。人間は飛べない。ゆえに、跳び上がればそれで終わり。

 上昇中の体勢のまま、機関砲の残り残弾を全て円盤を操るノイズへと吐き出す。

 運良く、本当に運良く、その弾丸は円盤を操っていた大型ノイズの一体を喰い破る。

 それはビリーの望んだ、偶然の重なりの果てにある奇跡のような出来事だった。

 けれども、奇跡はここで終わり。

 

 

「……今日が、その日だったんだ。どれだけ……待ったことか」

 

「え?」

 

 

 ビリーは跳び上がったまま、ゼファーを投げ捨てた。

 それまで赤子を抱くように大切に扱っていたにも関わらず、守るという気持ちと決意を伝えていたにも関わらず。

 自分が重荷になったから捨てたんだろうか、と少年は最初に思う。

 それならいい、それならきっと、その方が彼の邪魔にならない分マシだ、そう思った。

 

 そこに、最後の大型ノイズの発射した溶解液。

 投げ捨てたワンテンポの遅れが原因で、ビリーはかわせない。

 ビリーは空中での反動を考え、腕のスナップだけで両腕からそれぞれ投擲。

 右手では弾の切れた機関砲。左手では三つの大型手榴弾。

 機関砲は溶解液にぶつかりほんの一瞬その奔流を食い止め、ドロドロに溶かされる。

 しかしその一瞬で手榴弾は大型ノイズの頭上に到達。攻撃中という、ノイズに共通する唯一の弱点を突かんと迫る。

 

 大型ノイズの頭を包むように手榴弾が爆発したのと、空中で体を捻ったビリーの左手首が溶解液に溶かされたのは、ほぼ同時だった。

 

 

「……あ……」

 

 

 放り投げられたゼファーはまだ空中だ。この攻防もほんの一瞬であるため、まだ地は遠い。

 そんな中で手を伸ばす。届かないと知りつつも、行かないで欲しいという気持ちそのままに。

 溶解液もノイズの一部。

 ……触れてしまえば、炭素転換が始まる。

 

 

「あ、あぁ」

 

 

 空中で足を強く振り下ろし、ビリーはその勢いで地に早く落ちる。

 そして再度行動開始。地を砕く脚力で大地を踏みしめ、借り受けた銃で残りのノイズを狩る。

 ゼファーとは大違いの、最小限の弾薬を使っての舞踏のような戦い方だ。

 それでも、ちぎれた左手首の断面から、灰色の侵食が始まっている。

 

 

「う、あ、嘘だ」

 

 

 自分が重荷になったから捨てた? 何を寝ぼけたことを言っていたのだろうか、この少年は。

 最初から抱えていたのはこうやって戦場から離脱させるタイミングを図るため。

 機関砲の弾丸の残弾を計算すれば、どう節約しても大型五体は厳しかった。

 詰め将棋のように先の先まで読めば、どこに進んでも二人一緒に死ぬ以外の道しか無かった。

 

 それを覆し、ゼファー・ウィンチェスターを救ってみせた。

 ビリー・エヴァンスは救うことを諦めなかった。

 

 その背中は、まさしく英雄だった。

 

 

「ビリーさッ―――」

 

 

 叫ぼうとした少年は、ビリーの計算通り木の上に落下しその声を遮られる。

 バキッバキッと枝を折りながら落下しつつ、ドスンと地面に落ちる。

 全身生傷だらけだが、高所から落下したにしては驚くほどに軽傷だった。

 ……目に枝が刺さらなかったのは、単純に幸運なのだろうが。

 

 

「ぐ、つっ、ビリー、さん……!」

 

 

 皮膚の下に突き刺さった枝をぶじゅりと引き抜き、したたかに打ち付けた腹を抱えながら走る。

 痛む身体は無視。向かわなければならない場所がある。

 ゼファーが投げ飛ばされてから木の上に落ちるまでの短時間の間に、銃声は止んでいた。

 銃声がしない理由をゼファーは考えないようにして、痛む脚に鞭を打つ。

 どうか、どうかと祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西風は吹かない。空は晴れない。祈りは届かない。

 

 

「これが僕の最後か……いや、僕には勿体無いくらいかな」

 

 

 意味のある最期なんて迎えられないだろうと思っていたから。そう、ビリーは呟く。

 

 

「ビリーさんッ!」

 

「大丈夫だ、大丈夫」

 

 

 負けるわけがないと思っていた英雄。憧れた大人。すっと一緒に居てくれると思っていた仲間。

 ビリー・エヴァンスの有り様は、ゼファーの幻想を木っ端微塵に砕いて散らした。

 左腕と左足はもう無い。炭素の塊となってその辺りに転がっている。

 溶解液はノイズ一体が己が存在と引き換えに直接転換させるよりも転換速度が遅いのか、炭になっているのはまだ片腕片足だけだ。しかし、彼の命はもう五分も持たないだろう。

 地面に横たわるビリーを抱え上げようとして、ゼファーが触れた背中が砕ける。

 ひっ、と、悲鳴を上げる少年。

 触れてしまったことで、もうどうしようもないということがまざまざと見せつけられる。

 悪夢。少年にとって、これが悪夢でなくてなんだと言うのか。

 

 

「あ、あ、なんで、あ、俺のせいで」

 

「君のせいじゃない。なるべくして、こうなったんだ。大人には責務というものがあるんだよ」

 

「せき、む?」

 

「子供は、守らないとね」

 

 

 こんなどうしようもない世界でも。そう、心中で彼は呟く。

 

 

「できれば君が大人になって、結婚式とかする時に、呼ばれたいとか思ってたけどね」

 

「そんな、そんな、遺言みたいなッ……!」

 

「遺言だ。だから、これから僕が言うことを、君が覚えていてくれたら嬉しい」

 

 

 あの気配。

 大型ノイズが出現する直前に感じた、かの気配。

 不気味な熱と共に感じたあの気配の目論見を外せたのだろうかと、ビリーは思う。

 外せていたら良いなと、生き残ってくれたこの少年を見て思う。

 この少年が生き延びてくれること、それがビリー・エヴァンスが最後にこの世界に残した軌跡。

 

 残した、奇跡。

 

 

「いつか、君も歩み出して……今居る場所から、遠くへ行ってしまうこともあるだろう」

 

 

 炭素の転換が始まる。

 

 

「けど、忘れないで欲しい」

 

 

 四肢にヒビが入り、全身が灰色に染まり始める。

 

 

「どんなに遠くに行っても、どんな時でも、君は一人じゃない。それは、絶対に絶対なんだ」

 

 

 それでも構わず、ビリーはゼファーを抱きしめる。

 砕ける身体を厭わずに、体に残った最後の熱を、ゼファーへと伝える。

 

 

「君なら、どんな時でも一人になることはない。ただ、気づい、て、いないだけで」

 

 

 全身が灰色となり、喉と口にヒビが入り、声が途切れ途切れになり始めた。

 死がそばまで迫っている感覚、心中に湧き上がる感情をビリーはねじ伏せる。

 

 

「そばに……居て……く……誰かを、大切に……」

 

 

 抱きしめる腕が、体が砕け、地に落ちた。

 

 

「……ルカ……」

 

 

 最後に落ちた首が口にした名前は家族か、恋人か、今は亡き大切な誰かか。

 

 英雄ビリーは、この世を去った。

 

 天地を砕く大人でも、ノイズと戦えば死ぬのだという当たり前の条理を、少年に刻んで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ビ、リー……さん……」

 

 

 呆然と、一人佇む。

 通信機からノイズ達の自壊が始まったという連絡が流れているが、ゼファーの耳には届かない。

 現実が信じられない。現実を受け入れられない。現実が分からない。

 胸の奥から湧き上がる感情の爆発も、少年には理解できない。

 

 

「―――ッ」

 

 

 叫びたくなる衝動、掻き毟りたくなる胸の疼き、割れるように痛む頭。

 泣けばいい。怒ればいい。叫べばいいのだ。

 けれど少年は、そのどれもをしようとしない。

 無理矢理押さえつけて、蓋をする。

 ぎゅっと、ぎゅっと押し込んで、器が壊れそうな圧力を無視して蓋をする。

 

 

「大丈夫、大丈夫、大丈夫だ、俺は、俺は、いつも通り、いつも通り……」

 

 

 大切な人の死を受け入れず、目を逸らす。

 そこに付随する感情を押さえつけて蓋をする。

 何事も無かったように、今からでも立ち上がるために。

 ミシリミシリと悲鳴を上げる心を無理矢理叱咤して、再起する。

 何もかもから目を逸らすために。

 

 

「なんでもないことだ、なんでもないことだ、なんでもないことだ、なんでもないことだ」

 

 

 よくあることだ、よくあることだ、よくあることだ、よくあることだ。

 口にする言葉と心中で言い聞かせる言葉で、湧き上がってくる感情を押し流す。

 狂人であれば耐えられたかもしれない。

 廃人であれば何も感じなかったかもしれない。

 大人であれば糧にも出来た。

 けれど、ゼファー・ウィンチェスターは、ただの子供でしか無い。

 

 ただ、少年は現実を受け入れないために駄々をこねているだけだ。

 楽になるために逃げ道を探しているだけだ。

 

 

「っ」

 

 

 そんな少年の前に、追い打ちをかけるかのごとく現れるノイズ。

 小型一体、普段の少年なら問題なく狩れる敵。

 しかし、今のゼファーの状態は最悪だ。狩れるのだろうか?

 

 ……なんて懸念は、必要ない。

 

 呼吸を整える。思考を切り替える。先程までの苦悩を一瞬で捨て去り、いつもの少年へ。

 足元にあった貸していた銃を拾い、マガジンの残量を確認せず新しいマガジンを据え変える。

 ノイズが飛びかかってくる。背中から地面にスライディングする姿勢で、少年は後ろに跳ぶ。

 凶爪が髪にかすりそうなギリギリのライン、そんな回避をしつつ、ノイズに弾丸をぶちまけた。

 銃の十の弾丸が猛獣のようにノイズの身体を喰い破り、ただの炭素の塊へと還す。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 一度戦いに臨めば、どんな苦悩も捨て去れる。切り替えられる。

 そうでなければ死んでしまうから。そうなるようにと、少年は自分を組み立てている。

 苦しみも悲しみも怒りもなく、ただ撃鉄を上げ引き金を引くだけの自分に。

 現実を無かったことには出来ない。

 それでも、心の中で感じた感情を押し込めるだけの蓋は作れる。

 

 そうやって生きてきた。

 欲しいものもなく、願うものもなく、誰かの死に感じた感情は片っ端から押し込んで。

 何も持たないから死にたくないという気持ちに中身は詰まらず、死に感じた気持ちも押し込んでしまうから、死なせたくないという気持ちも真っ当には育たず。

 

 この少年は、ずっとそうやって生きてきた。

 

 

「合流しよう」

 

 

 歩き出そうと踏み出した足が、足元に落ちていた拳銃を蹴飛ばす。

 蹴飛ばしてから気付いたその銃は、ビリーがいつも腰に挿していた拳銃。

 それを目にし、拾い上げても、ゼファーの心には僅かな波紋も立ちやしない。

 

 もはや足の進みを遅らせるビリーの死へ感じた感情は表に出てこない。

 それは蓋をされ、押し込められてしまった。

 少年は仲間に淡々と彼の死を報告し、また明日から戦場に出る準備を始めるのだろう。

 いつもの通りに、いつもの顔で、いつもの活力のない死んだ目で、銃を撃つのだろう。

 何も変わらない。何も変われない。

 

 ここは人の命の重さが銃弾一発よりも軽い世界。

 

 西風は、最後まで吹くことはなかった。




どうせみんないなくなる

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