戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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個人的に調と切歌のアームドギアは絶対に一エピソードあると思うんですよね。形状的に


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「ぜぇ……ぜぇ……でぇす……!」

 

「……う、ひゅ……ケホッ、ゲホッ……っく」

 

 

 F.I.S.に何箇所かある、実践を模した訓練にも耐えうるシミュレータールーム。

 立体映像によりあらゆる訓練を可能とするこの場所は、内部で爆弾や銃弾が飛び交おうと、例えになるが粒子砲(ビーム)が飛び交おうと、破壊されることはない。

 理論上は完全聖遺物の破壊力にも、短時間であれば耐えられるほどだ。

 そんな場所で、二人の少女が息を切らしながら床に両手と膝を付いている。

 

 暁切歌に、月読調。外傷は一つもないが、二人共ひと目で分かるほどに疲労困憊していた。

 

 

「最近は妙にやる気ですが、それでも結果に繋がらなければねえ……

 無駄な努力に価値はなく。未だ『アームドギア』の生成もならず。

 やはりデフォルトでエクスドライブクラスのセレナ嬢ほどの天才は居ませんか」

 

 

 そんな二人をモニター越しに見るウェル博士。

 その口から時折漏れる言葉は専門用語だらけだが、二人を見下していることだけはよく分かる。

 

 

「聖遺物のエネルギーを利用可能な状態にするためには『武具の形成』が不可欠。

 全く、ここでどこまで足踏みすれば気が済むのやら」

 

「しかしウェル博士、アームドギアの生成には高い資質と長期の訓練が必要です。

 アームドギアは心象の形、闘争本能を形にした装者の牙……

 彼女らが自分達に相応しい武具の形を見付けられるまで、待つべきでは?」

 

「そーんなことはわーってるんですよ、アートレイデ研究員。

 ただね、こんなのを加えても四人しか聖遺物を取り扱えないってのが問題なんですよ。

 聖遺物を扱えないチルドレンを使っても研究の成果は激薄。

 それすら使えなければ更に激薄。使える四人は貴重なもんで荒っぽく使えない。

 そりゃ異議を唱える奴も賛同する奴も出るってもんです」

 

 

 ウェルの言葉に、隣に居た研究員が反応する。

 二人はどうやら、切歌と調が聖遺物の扱いにおいて、自分達の求めるラインに達していないことに対し何かを語ってるようだ。

 こういった停滞も、ゼファーに対する反発の低減に一役買っているのかもしれない。

 会社が安定して業績を上げている時よりも、右肩下がりの時の方が改革は受け入れられるものであるだろうし。

 

 

「あっちが好調なだけにねえ、頑張って欲しいものですよ」

 

 

 ウェルが視線をズラすと、研究員もそちらを向く。

 そこでは、ノイズロボとの戦いで全治六ヶ月と診断され、にも関わらず一ヶ月と少しでまた戦場に舞い戻った、ゼファーと新たなノイズロボが画面の中で戦っていた。

 戦いの場は、先日と同じ中央の広い実験場。

 ゼファーに相対するは、蛞蝓(ナメクジ)型ノイズを模したノイズロボ。

 スペックで言えば、先日のブドウ型に匹敵する強敵であった。

 

 

「彼、本当に粘りますね……痛み止めを飲んでるだけで、怪我が完治してるわけでもないのに」

 

 

 ゼファーが戦えていることには、幾つかの理由がある。

 一つ、ウェル博士が投与した痛み止め。

 効果は高いが、まだ臨床実験もしていない薬を用いた、事実上の人体実験である。

 一つ、彼の高い生命力。ゴキブリのようなしぶとさ、と言い換えてもいい。

 一つ、痛みを我慢するやせ我慢。

 痛みを感じないのではなく、耐えて平気だと嘯く意地。

 そして最後に、『何か』の影響によるものなのか、異常に上昇している回復力。

 折れた肋骨が一ヶ月でとりあえずはくっついたというのだからとんでもない。

 それらの理由により、この戦闘は無理ではあっても無茶ではない域に何とか収まっている。

 

 事実、ゼファーはこの体の調子で既にノイズロボを四体撃破している。

 そのほとんどが人型や蛙型であったが、彼は危なげなく勝利した。

 戦いの経験値を復習で血肉とする彼であれば、その程度は造作も無いだろう。

 

 にも、関わらず。

 今、ゼファーは苦戦を強いられている。

 蛞蝓型のノイズロボは、それほどの強敵だった。

 

 

「まあ、この辺が限界だと思いますよ。アートレイデ君、担架の用意を」

 

 

 ブドウ型ノイズロボ然り、元となったノイズが強ければ強いほど、ノイズロボは強い。

 例に漏れず、ナメクジのような形をしたかの中型ノイズは、ゼファーの知るノイズの中でも指折りに強かった。大型を除けば三指に入る脅威であった。

 

 時速数十kmで前後左右に自由自在に動き回り、時に壁や天井すら走破した上で、走行の速度の数倍の速度の跳躍で獲物に跳びかかり、炭素転換を引き起こす。

 更に縦横無尽に動き回る八本の触手を持ち、それらを自在に硬化・形状変化させる能力まで組み合わさることで、先端だけが硬い針となった触手が襲いかかってくる。

 鉄板をぶち抜く威力、目にも留まらぬ早さ、ノイズ特有の即死効果、それが八本同時。

 おまけに本体が平均速度も瞬間速度もずば抜けていると来る。

 ふざけるな、と言いたくなる攻性能力だ。

 

 あくまでブドウノイズと比べれば、という話ではあるが、このノイズにも弱点はある。

 まず、耐久力が低い。

 ナメクジに近いだけあって、ゼファーの火力でも十分に打ち倒すことが可能。

 まあ、当てられればの話ではあるが。

 次に、ブドウと違って肉体接触しか攻撃手段がないということ。

 自分の体積と等量の人間と相打ちになりながら炭素転換をするノイズの特性上、このノイズは2~3人の人間しか殺すことが出来ない。

 数十数百という被害を出しかねないブドウとは脅威が段違いだ。

 総じて見れば、ブドウと比べれば脅威度はワンランク下がるだろう。

 

 しかし能力を完全には再現できていないという性質上、ノイズロボは長所や短所も元となっているノイズとは微妙に異なっている。

 ブドウが小型ノイズの大量生産や爆弾の物理透過などのえげつない能力を失っていたように、ナメクジもまた「人に直接触れたら自らも死ぬ」という短所を失っていた。

 ノイズロボは触れた人間を殺せるという擬似炭素化能力を持ちつつも、人間に触れた所で自壊しない。結果、蛞蝓(ナメクジ)型は攻撃面において激変する。

 必殺に限りなく近い威力、恐ろしい手数と速度で攻めてくるアタッカーへと変貌したのである。

 

 先端が鋼の槍と化した八本の触手が、画面の向こうでゼファーに迫る。

 珍しくサブマシンガン二丁をチョイスしていたゼファーの弾丸の嵐が、縦横無尽に四方八方から迫る穂先を弾くも、一本の触手が嵐の隙間を縫って襲いかかる。

 その一撃をゼファーは銃で受け止め、マントと防弾服の防御を更に重ねた。

 ゆえに即死はまぬがれるものの、防御の上から叩き込まれた一撃に吹き飛ばされた。

 銃はひしゃげ、骨は折られ、おそらく内蔵にまでダメージが行く一撃。

 

 吹き飛ばされたゼファーは床を転がり、呻きながら銃を取ろうとして、やがて動かなくなった。

 誰がどう見ても明確な決着。

 送られて来た停止信号によってロボがトドメの一撃を止めなければ、彼は死んでいただろう。

 負けてはならない戦いではなかったから敗北してしまったのか、それとも敗北した戦いが致命的な場面でなかったという不幸中の幸いか。

 誰も味方の居ない戦場で、ゼファーは一人倒れ血を流し、時折苦しそうにむせ返る。

 もしも、戦場で彼が孤独の果てに死んだ場合、こうやって死んでいくのだろう。

 

 ノイズロボの強さで言えば、ブドウが僅かにナメクジに勝る。

 ゼファーとの相性で言えば、ブドウの方が多少ゼファーに対して相性はいい。

 ならばブドウよりもいくらか楽な相手であったはずなのに、ゼファーは敗北してしまった。

 何故か?

 

 

「切羽詰まってない時の戦闘でも、格上に常勝無敗。

 そんな人間で居られるなら、彼も苦労なんてしないでしょうよ」

 

 

 ゼファーがまだ怪我の完治していなかった状態で、連日ノイズロボと戦わされていたこと。

 そもそもゼファーの戦う敵は、常に彼より格上であったこと。

 か細い勝機を掴むということは、本当に困難なことであるということ。

 そしてゼファーがまだ、不可能を可能とする者として未熟であるということが挙げられる。

 

 切歌や調が力を求め、上手く行っていないように。

 皆を守ろうと決意したゼファーが、血の海に沈んでいるように。

 決意がなければ現実は変わらないが、決意があれば必ず現実が変わるなんて保証はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第八話:Ave Maria 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……、っ!」

 

 

 麻酔が切れた痛みで、ゼファーは飛び起きた。

 見慣れた光景。ベッドに、カーテンに、その隙間から覗く医薬品の棚。

 医務室だ、と気付くと同時に、自分が何故ここに居るのかを彼はおぼろげに理解した。

 すっかり医務室の常連になってしまっていることに複雑な心境になりつつも、痛む身体を抑え、ベッドから降りて歩き出そうとする。

 半分は現状を確認しようとする判断。残り半分は寝てなんていられない、という焦りだ。

 

 負けてしまった。

 負けて失うものは特に無かったものの、負けて遠のいた理想の未来はある。

 できれば勝ち続けていたかったと、自分の力量に見合わない他者への貢献を思い、思いやりと思い上がりが混ざりに混ざって焦りを生む。

 ゼファーが戦闘に勝ち続けるということは、イコールで有用なデータを短期で提供し続けられるということでもあり、交渉が上手く進むということだ。

 一日も早くここに平穏を取り戻したいのなら、一度も負けず勝ち続けるのが理想的。

 ゼファーの頭の中に、友の姿が、大人の姿が、子供達の姿がチラつく。

 彼には、希望を見せた責任があった。

 果たさなければならない責任があった。

 

 なのに、体は言うことを聞いてくれない。

 戦闘中はアドレナリンの働きで痛みが薄れている負傷も、平時では立ち上がれなくなるほどの痛みを生み、彼の体から力を奪う。

 ベッドから降りようとして、痛みで一瞬意識が飛び、倒れていく少年の体。

 それを受け止めるように、横合いから支えた者が居た。

 

 

「ダメよ、まだ寝ていなさい」

 

「え?」

 

 

 まず最初に、彼は自分を抱きとめた誰かの柔らかさを感じた。

 それがその人自身の体の柔らかさと、優しく受け止める気遣いなのだと、一瞬遅れて気付く。

 そして声を聞いた時点で、それが誰なのか理解した。

 その人物はゼファーを優しくベッドに寝かし直し、シーツを腰の位置まで戻して整える。

 何故彼女がここに居るのか、そして今触れる位置まで近づいてまで助けてくれたのか、ゼファーには分からなかった。

 その人が優しいことは知っていたが、それが自分に向けられるとは思っていなかったから。

 

 マリア・カデンツァヴナ・イヴは、ゼファーにそんな気持ちを抱かせる人間であった。

 

 

「ドクターから連絡があって、ここで起きるまで看ていただけよ」

 

「あ、そうですか」

 

 

 バレてない、とゼファーは思った。

 バレてない、とマリアは思った。

 ゼファーは自分がしている危険なことを知られて皆に心配をかけるのが嫌だった。

 マリアは全部知っているが知っていることを気付かれたくはなかった。

 ゼファーの本気の嘘を尊重したセレナの優しい嘘を、マリアは尊重する。

 

 他人を理解するからこそ、隠そうと思うこともある。

 マリアがゼファーから距離を取る理由を、決して口にはしないように。

 語らなくとも分かってもらえることもあるが、語らなければ分かってもらえないことの方が、人と人の間には圧倒的に多い。

 マリアがゼファーから距離を取っていることを、彼女よりずっと彼は気にしていた。

 シーツの上で重ねた手で、彼はぎゅっとシーツを握る。

 

 

「……少し、意外でした。マリアさん、俺とは話すのも嫌なんだと思ってましたし」

 

 

 自分に対して悪感情をぶつけられても、ゼファーはその人物を過剰に悪く評価はしない。

 ただ、つらい思いをするだけだ。

 そしてその原因を大抵の場合、自分に求める。

 マリアに距離を取られているのは、何か自分に理由があるんだと、そう考える。

 だから、彼は純粋に驚いたのだ。

 

 マリアが自分を看てくれていたことも。今医療器具を用意して、手当の準備をしてくれていることも。彼女が他人に向けている優しさを、自分に向けてくれていることも。

 

 

「二つ、言うことがあるわ」

 

「え?」

 

 

 話さないと分からないこともあるよ、と、マリアはセレナに言われたことを思い出す。

 二人きりで向かい合って真っ当に話すのも、二人はこれが初めてなのかも知れない。

 マリアの胸が痛む。

 普段平気な顔の下に隠していただけで、ゼファーはむしろ他人の視線を気にするタイプだ。

 皆と仲良くしたいと思っているし、突き放されれば人並み以上に傷付きはする。

 ただその痛みに鈍感で、それを他者評価に換算しないだけで。

 

 そしてマリアも、他人を傷付けてしまったことを悔いる繊細な人間だ。

 自分で決めたことであっても、それで傷付く人を目にすれば、揺らいでしまう。

 そんな優しい女の子だ。

 マリアは二本指を立て、少しだけ決意を揺らがして、彼女らしい甘さを見せる。

 

 

「まず私は、そこまであなたを嫌ってないということ。

 私があなたと距離を取っているのは……本当に、私の個人的な理由よ。

 それに、私があなたを嫌っていたとしても、何も変わらないわ」

 

 

 マリアの手が消毒液、ガーゼ、包帯、テープと次々に取り出し、ゼファーの緩んだ包帯がほどかれ、丁寧に手当し直されていく。

 傷付いた人間を優しく扱う手つきが、言葉以上に如実に彼女の気持ちを伝える。

 

 

「嫌いな人にだって、苦しんで欲しいとか、辛い目にあって欲しいだなんて、思えないもの」

 

 

 こんなにも優しいから、彼女は多くの子供達に好かれているのだと。

 ナスターシャを悲しみの鎖から解き放てたのだと。

 身に沁みて、ゼファーにはよく分かる。

 マリア・カデンツァヴナ・イヴは、特別な力や世界を変える何かを持たずとも、ただの優しいマリアとしてそこに居るだけで、きっと誰かを救えるのだと。

 

 

(……姉妹だなぁ)

 

 

 絶望に飲み込まれ、這い上がれなくなりそうになっていたゼファーに毎日話しかけ、一ヶ月それを続けてとうとうゼファーを救ってみせた、セレナの姿がどこか重なって見える。

 セレナはゼファーにとって、自分を救ってくれた恩人だ。

 そしてマリアもきっと、多くの子供達を救ってきたのだろう。

 母のように、姉のように。家族として、誰かの居場所となって。

 

 

「マリアさんは、やっぱ優しい人です」

 

「……あなた、何を言ってるの?」

 

 

 痛みをこらえて笑って言うゼファーに、彼に恨まれていても仕方ないと思っていたマリアは虚を突かれ、思わず聞き返す。

 距離を取られた程度で、本質を見紛う少年ではないというのに。

 よし、行ける、なんか仲良くなれそう、と勢いに乗ってマリアと仲良くなろうと画策するゼファー。しかしその第一声は、またしても医務室の扉を開けた誰かに遮られた。

 

 

「あ、起きましたか。ゼファー君に次の仕事を頼みに来たのですが」

 

「望んだのは俺ですけど貴方割と容赦無いですよねウェル博士」

 

 

 空気を読めない、読まない、読む気がない人間筆頭Dr.ウェル。

 ゼファーとマリアの間の距離が縮むかもしれなかった千載一遇の好機は、あえなく泡沫と消え去った。弁護しておくと、彼は別に意図的にこれを邪魔したわけではない。

 ただ怪我をしたゼファーにベッドの上でもできる仕事を押し付けに来ただけだ。

 ……いや、それはそれで畜生極まりないのだが。

 

 

「ドクター、彼は怪我人ですよ」

 

「だからベッドの上でも出来る仕事を頼みに来たんですよ。頭が弱いですね」

 

「……」

 

「言いたいことがあるなら黙って睨んでないで、僕に言ったらどうです? ふふっ」

 

 

 頭が悪い、ではなく頭が弱いと煽るのがなんともウェルらしい。

 イラっと来たのか、ウェルと一緒の空間に居たくないのか、ウェルには何を言っても無駄だと知っているからか、マリアはゼファーに背を向けて部屋から出て行こうとする。

 

 

「あ、マリアさん! 色々とありがとうございました!」

 

 

 その背に、ゼファーの声がかかった。

 背を向けたまま、どこか呆れたようなため息を吐いて、手を振ってマリアは部屋から退出する。

 どこか薄れた鬱憤を胸に、医務室から去って行った。

 

 

「Dr.ウェル、言わなくていいことは言わないでいいでしょうに」

 

「いやあ、性分でして……それより、今日も薬のモニタリングですよ。

 こっちが二週間で折れた骨と内臓のダメージを治す薬。

 こっちが増血効果のある薬です」

 

「いつものことですけど、これ色とか味とかどうにかならないんですか?」

 

「まだ臨床試験もロクにしてない薬ですからねえ。

 大丈夫大丈夫、僕の作品は他の凡人と違って比較的失敗作は少ないですから。

 最悪、死ぬだけです」

 

「死ぬ以上の最悪とか、世の中一杯ある気もしますが……ええい、ままよッ!」

 

 

 マリアとウェルは、当然ながら仲が悪い。

 というか子供達、女の子を中心にほぼ全員とウェルは仲が悪い。

 そしてゼファーを容赦なく死にかねない実験に叩き込み、怪しい薬を飲ませるウェル。

 ゼファーと距離を取り、見方によっては嫌な奴にも見えるマリア。

 そんな二人と仲良くしようとし、実際に少しづつ距離を詰められているゼファーは周囲からは異様に見えていることだろう。

 友達の友達は皆友達、という理屈は絶対にゼファーに適用されないはずだ。

 

 ゼファーは寛容すぎて異様に見えるが、この施設で唯一自分に良心的に接してくれているゼファーに合法?知らねとばかりに薬剤を投与するウェルも、一種異様だ。

 現在存在する医薬品のどれよりも効果の高い薬。

 当然ながらこの薬にも副作用はあるだろうし、薬によっては死んでしまうことすらあるだろう。

 まだ小学生相当の年齢と身体だ。最悪の可能性は十分に有り得る。

 これを飲み、その効果とデータを研究者サイドに提供することも、またゼファーの交渉材料。

 やれることは全部やろうとするのが、ゼファーの主義であった。

 子供に体に悪い薬を投与することなど、普通の感性を持つ大人であれば誰もが躊躇うことであろうに、ウェル博士は嬉々として子供の首筋にぶち込みすらする。

 

 だからこの研究所に友人も仲の良い大人も居ないのだろう。自業自得である。

 

 

「……まっず、まっず! なんで毎回こんな味なんですか!?」

 

「味変えても僕に得がありませんし。それより、本題に入りますよ」

 

 

 ウェルが自分で飲む気がない以上、永遠に味が変わることはないのだろう。

 うぇぇとエグ味に表情を歪ませるゼファーを尻目に、ウェルは手さげ袋の中から画用紙とシャーペンを取り出し、ゼファーに手渡した。

 

 

「絵は得意ですか? ゼファー君」

 

「え? あ、はい。子供達に描いてやったり、手製の絵本描いてやったりしてるので……

 得意ってほどではないですけど、そこまで下手じゃないと思います」

 

「結構。なら、武器をデザインしていただきたい。僕がこれから伝える者に、相応しい武器を」

 

 

 ゼファーは絵に自信はないため、他の誰かに任せた方がいいとウェルに勧めるが、彼はどこ吹く風でゼファーの主張を聞き流す。

 その上、問題はゼファーに絵心がない、という点に留まらなかった。

 

 

「あの、ウェル博士? これは実際、どういう人が使うんですか?

 そこを教えてもらわないと、いまいちイメージが固まらないというか……」

 

「知る必要はありませんよ。

 使用者のAW波形のデータ、固有波形のデータ、親和性のある聖遺物のデータetc…

 ここから『誰が使うのか』という情報を抜いた状態で、武器をデザインして欲しいんです。

 直感は、情報が集まれば正確さを増すのでしょう? それで仕上げて欲しいんですよ」

 

「肝心要の『誰の武器か』って所が無いのにですか?

 なんというか、ドーナツみたいな情報形式ですね……

 とりあえずでやってみますが、仕上がりは期待しないでくださいよ」

 

「結構」

 

 

 誰が使うのか、使用する予定の個人を推測できるデータを何一つ渡さず、しかしそれ以外のデータは余すことなくゼファーに渡し、ウェルは武器のデザインを依頼した。

 デザインした所で何の意味があるのか? それはゼファーには分からない。

 しかし考えても仕方のない事だろうと、無心にペンを走らせる。

 余分な思考という要素が排除され、直感と感性を主体にしてイメージが膨らみ、固まっていく。

 

 ウェルの狙いは二つ。

 ここで貰える武器のデザインと、ゼファーの直感の現状の進化度合いの確認。

 案の定、八割がた埋めたパズルのピースから残りの形を推測するように、ゼファーは中心となるデータが抜けたまま、理想的な武器の形を描いていく。

 また研究に利用できる要素が増えたと、ウェルは人知れずほくそ笑んだ。

 

 ウェルにとってゼファーとは、自分にとってこれ以上なく都合のいい他人であり、生まれて初めての感情を呼び起こす出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 F.I.S.における聖遺物の制御には、一つ重要な要素がある。

 それが『アームドギア』と呼ばれるものだ。

 余分な説明は省くが、要するに聖遺物を安定して操るために『武器の形』にエネルギーを固定、それを媒介に聖遺物のエネルギーを制御するものである。

 これの形成には個人の適正が必要不可欠であり、適正があっても長期訓練が必要な場合もある。

 

 何故ならば、これは個人のイメージによって固定化されるエネルギーでしかないからだ。

 例えば剣を形成したとする。

 それは日本刀にも、大剣にも、西洋剣二本にも変形するだろう。

 両足に添えられスラスター代わりにもなれば、天を衝く巨剣にもなるだろうし、数十数百という数を同時に形成することも可能だ。

 逆に言えば曖昧な人間のイメージに依存してしまうために、しっかりとしたイメージを元に形成されない限りは、いつまで経っても武器としての形を結ぶことはない。

 自由度の高さが、逆に難易度を引き上げるのである。

 

 これをフィーネは、「戦う意志を形にしたもの」と表現した。

 剣が戦うことの象徴であるのなら、剣の形に。

 銃や兵器が戦うことの象徴であるのなら、それらの形に。

 誰かの手を取ることが戦いならば、武器ではなく手に添うような形に。

 聖遺物の属性とあまりにもかけ離れた武具は形成できないが、弓の聖遺物から銃を生成する程度ならば問題なく可能である。

 

 

「……調ぇ、喋る余裕はあるデスか」

 

「……なん、とか……」

 

 

 理屈は切歌にも調にも分かっている。

 なのに二人は『アームドギア』を形成できず、疲労のあまりに実験室でまた倒れていた。

 二人に与えられた聖遺物は『剣』。形成するならば、刃物の系統となる。

 しかしそれが分かっていても、他人を武器で傷付けたこともないような彼女らには、戦場に出たこともないような彼女らには、明確な武器のイメージを成すことが出来ない。

 他人を傷付ける武器を即座にイメージできるような『他人を傷付ける才能』には、あいにくこの二人はどこまでも恵まれていなかった。

 

 

「……がんば、ろっ」

 

「デェス……!」

 

 

 だが、何度打ちのめされようと、二人は諦めない。

 守りたい友が居た。

 その友にそこに在るのだと気付かされた、守りたいものがこの場所にはたくさんあった。

 戦う力が欲しいと、胸の中に秘められた決意があった。

 そしてどんなに辛くとも。

 二人でならば、頑張れる。

 

 

「くっ……!」

 

「うっ……!」

 

 

 二人が力を込めれば、手の間に光が集う。

 集まる光は聖遺物のエネルギーだ。

 これを凝縮・固形化することで、エネルギーはアームドギアとなる。

 しかし明確なイメージを伴わない気合だけの形成は、あっという間にほどけてしまう。

 失敗だとしても体力は消耗してしまうのか、また二人はその場に座り込んでしまった。

 

 

「ぜー、ぜー、なんデスっけ、これやる原理、むっずかっしいのッ……」

 

「げほっ、げほっ……エネルギーを励起・活動。

 武具を形成、武具を介して仮想質量を創造、外部にエネルギーを流出……

 そうしたら、武器からビームを撃ったりできるって……」

 

「よっし、それをいつかゼファーに自慢することをとりあえず目標にするデス……ぅ」

 

「……きゅ、休憩しよ。なんかもう、今何やってもダメだよ、きっと」

 

 

 子供の元気は無尽蔵だ、なんて常時意味もなく走り回っている子供を見て言う親が居るが、それは違う。彼らは一瞬一瞬に全力をかけているだけだ。

 大人になる過程で、何にでも全力を尽くそうとする気持ちを忘れてしまい、手の抜き方を覚えてしまったがために、そう見えるだけなのだ。

 子供はいつだって全力で何かに打ち込み、疲れ果てて泥のように眠る。

 できるできないではなく、やるのだと、二人は今一瞬一瞬に全力を込めていた。

 

 

「……どーすりゃ上手く行くんデスかねー」

 

「……ねー」

 

 

 休憩しながら、二人は頭を悩ませる。

 意思はある。しかし、身体も結果も付いて来てくれないのだ。

 年齢一桁の小さな女の子達には色々と厳しいのだろう。発想的にも、体力的にも。

 ドリンクをストローで吸いながら休憩していたそんな彼女達の耳に、扉の開く音が届く。

 

 

「お疲れ様です」

 

「げっ」

 

「……」

 

 

 切歌が開口一番げっと言い、調が完全に無視する相手など、一人しか居ない。

 いつゲス顔に変わるかも分からない取り繕った笑みのウェル博士が、そこに立っていた。

 

 

「おや、そんな対応でいいんですか? 僕は君達に助けを届けに来たというのに」

 

「オメーの助けなんて要らねえデス」

 

「助けるのは僕じゃありませんよ。ゼファー君です」

 

「……?」

 

「届けに来たと、そう言ったでしょう?」

 

 

 二人には話を聞く気はなかったようだが、友人の名前を出されては聞き流せない。

 そんな二人にそれぞれ数枚の紙の束を渡し、ウェルはニヤリといやらしく笑った。

 紙の束を見て、天啓を得たかのように驚く二人の表情を、まるで自分の功績のように誇って。

 

 

「君達のことは伏せ、君達のパーソナルデータの一部を参考にデザインして頂きました。

 友達としての贔屓目や色眼鏡を抜きにして、考えてもらったということですよ。

 暁切歌と、月読調に相応しい戦場(いくさば)(つるぎ)の形を」

 

 

 二人は夢中で紙をめくり、穴が空くほど書かれた絵を見つめ、絵に添えられた文を読み込む。

 欠けていたもの、足りていなかったものが満ち足りていくような、そんな感覚が二人の胸中に湧き上がってくる。

 

 

「太陽の形の……アームドギア」

 

 

 調の方に渡された紙には、『丸鋸』を中心とした武器のデザインがいくつも載っていた。

 丸いノコギリは太陽を模しているようで、そういった旨の文が添えられている。

 それらは、調に欠けていた発想を補うものも含まれていた。

 調に欠けているものを、太陽が補ってくれるはずだと、そんな確信から描かれていた。

 

 

「三日月の形の……アームドギア」

 

 

 切歌の方に渡された紙には、『三日月』を中心とした武器のデザインがいくつも載っていた。

 鎌の刃のような刃は月を模しているようで、そういった旨の文が添えられている。

 それらは、切歌に欠けていた発想を補うものも含まれていた。

 切歌に欠けているものを、月が補ってくれるはずだと、そんな確信から描かれていた。

 

 

「どうです? お二人の助けにはなりましたかね」

 

「……」

 

「……」

 

「はいはい無視ですかそうですか」

 

 

 渡された紙から、二人は特に気に入ったものを選び取る。

 そして自分の頭の中に次々浮かんでくるイメージを選別し、「これだ」というものを固め、自らの発想力で方向性を定めて行った。

 友との繋がりをきっかけとして、それを自らの力で育む。

 そんなことを考えている彼女らが、話しかけてくるウェルの言葉なんて耳に入るわけがなく。

 萎えたとでも言いたげな表情を浮かべ、ウェル博士は人知れず実験室から出て行った。

 

 

(私は身体が細くて小さい……

 すぐにでも力が欲しいなら、武器を振るうのも聖遺物に任せるべき。

 いや、移動にも……丸鋸に似せたローラー……それも太陽を模して……

 機械の腕、ローラーの足、体を動かさなくても戦える、考えるだけで戦える力)

 

 

 月読調は考える。

 彼女の体は同年代と比べても細く、小さく、弱い。

 頭で複数のことを平行してひたすらに考えて処理する力。身体面での弱さを補う力。

 究極は人型のロボットを作って戦わせようとするような、そんな発想。

 

 

(あたしは体を動かすのが得意。

 ……三日月を象った、死神の鎌みたいな、友達が考えてくれた武器の原案。

 運命なのかな。ここで終わりにしろって……ここで乗り越えろって、そういう。

 『そう』呼ばれたことに辛い思い出しかなくても、それでも。

 もうあたしは、そんな過去は乗り越えられるんだって、背中を押された気すらする……)

 

 

 暁切歌は考える。

 自分が『死神』と呼ばれた過去を、その光景を、刻まれたトラウマを。

 身近な人の死を何よりも恐れるようになった過去を、思い出す。

 自らが振るう力のモデルに、かつて忘れたいと思った辛い過去を持ってくる。

 過去を乗り越えたことを、彼女のそんな強さを、目に見える力の形として成す発想。

 

 

「―――」

 

 

 純心に突き立つ牙のように、調が何かを呟いた。

 

 

「―――」

 

 

 夜を引き裂く曙光のように、切歌が何かを呟いた。

 

 

「伐り刻めぇぇぇぇぇッ!」

「切り刻めぇぇぇぇぇッ!」

 

 

 実験室に設置された的が、太陽の丸鋸と月の鎌刃に斬り刻まれる。

 戦う意志を形にした武具(アームドギア)が、少女二人の手に収まっていた。

 それこそが、二人がここに構えた胸の覚悟。

 

 

「……きりちゃんのそれ、死神の鎌みたい」

 

「ええ、そーデスとも。ウジウジしてるあたしはあたしらしくないデスしね」

 

「似合ってる」

 

「調もデス。ああ、なんか凄いしっくり来ますねコレ」

 

 

 アームドギアは、何かの形で使い手の心を表し形成される。

 自らへの自身の無さを開き直って、身体の動きを聖遺物に補わせるように。

 過去のトラウマを乗り越えて、それをそのまま己の武器とするように。

 大親友への憧れを、最も近しい者への想いを、牙とするように。

 一言では語れない、目には見えない大切な何かが、そこにはありったけ込められている。

 

 月兎の少女、死神の少女。二人は、月と太陽であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、何時間経っただろうか。

 ゼファーは医務室を出て、自室に向かって歩いている途中、痛みに呻いて跪いていた。

 廊下のど真ん中で、である。

 弁明のしようもなく通行の邪魔だ。

 

 

「あづづづづづづづづづづ、あががががががががが」

 

 

 その原因が『二週間で折れた骨と内臓のダメージを治す薬』なのか、『増血効果のある薬』なのか、ゼファーには分からない。

 薬と無関係の痛み、なんてことはありえない。

 何しろゼファー全身の血管や一部の骨が増血のためか痛みに痛み、骨折部分は何度も骨折と再生を繰り返すようにゴリゴリいっているのだ。

 耳を当てれば心臓並みに音がしてるんじゃね? とゼファーが乾いた笑いを浮かべるほどに。

 生化学はウェル博士の専門といえど、とんでもない薬を作ったものだ。

 

 そして音や状態に相応に、痛みの量もぶっ飛んでいる。

 やせ我慢だけは得意中の得意のゼファーが、廊下でうずくまっている時点でお察しだ。

 人間は、ちょっと胃腸の調子が悪くなるだけでその痛みから神に祈るという。

 その数倍の痛み、外傷ではなく体の内から発生する痛みが彼を襲っている。

 

 

「苦しい時、そんな時……」

 

「……何故か居るんだよね、私」

 

「セレナぁ……!」

 

 

 幸運か、絆か、運命力か。

 ゼファーが苦しい時、そんな時、セレナはいつだって駆け付けるのである。

 倒れるほどの痛みに呑まれていたゼファーにとっては、まさしく救いの女神。

 セレナの後ろに居る調が驚いているのは、何故か廊下でうずくまっていたゼファーに対してか、何故かここまで一直線に歩いて来たセレナに対してか。

 

 

「とりあえず私、車椅子借りてくるから。ちょっとだけ待っててね」

 

「ああ、助かるよ」

 

 

 たたたたたと、セレナはどこかへ駆けて行く。

 ここでカートを持ってくるのがベアトリーチェで、車椅子を持ってくるのがセレナなのである。

 主に気遣いの量の差。優しさと行動力が備わっている少女のなんと頼もしいことか。

 

 

「ああ、ホント、俺はいい友人を持った……」

 

「……大丈夫?」

 

「ああ、ちょっとウェル博士の怪しい薬のせいでさ」

 

「それぜんぜん大丈夫じゃないよね」

 

 

 どてっと床に転がるゼファーの目に、上下逆さに調の姿が映る。

 しゃがむ調はスカートの中が見えてしまいそうだが、あいにく切歌と違って調はそういううっかりはしないので、揃えた足によって下着のガードは完璧だ。

 

 

「うん、しょ」

 

「シラベ?」

 

 

 倒れるゼファーを、調が小さな体で一生懸命背負い、持ち上げる。

 けれどやはり重かったのか、まっすぐは歩けずに、それでも目的の場所まで歩んでいく。

 廊下に備え付けの椅子に辿り着き、そこにゼファーを座らせた。

 彼女なりの、精一杯の頑張りだった。

 

 

「待ってて」

 

 

 息を切らせて、膝に手を付き、調は座ったことで幾分楽になったらしいゼファーに向き合う。

 

 

「私はまだ、弱いけど……背だってきっと伸びる。強くなる」

 

 

 胸に手を当て、友達の目を真っ直ぐに見る。少し困惑しているようだった。

 

 

「助けられるようになるから。だから、待ってて」

 

 

 今日、少し道筋が見えた気がしたから。

 そうして、月読調は胸を張った。

 胸も背も成長する目はあまりなかったが。

 

 

「……助けてくれるなら、そりゃ嬉しいな」

 

 

 何を言いたいのか、何を伝えたいのか、ゼファーには少し分からない。

 ただ、肝心な部分の思いは伝わった。

 それを嬉しく感じられたなら、それで十分だと彼は思う。

 

 そこに、横合いから届く声があった。

 涙混じりの声。調よりも早く、ずっと早く、ゼファーはその声を聞き届ける。

 そして、調は目を疑った。

 ゼファーが椅子から立ち上がる。

 顔色が多少戻り、声の聞こえた方向に歩き出していく。

 慌てて調が彼の後を追うと、子供が三人居た。

 泣いている男の子と、怒っている男の子と、その間で仲裁している女の子。

 

 ゼファーを見て、怒っている子は気まずそうに目を逸らし、女の子は顔を輝かせた。

 

 

「あにき!」

 

「何があったんだ?」

 

 

 女の子から事情を聞けば、なんてことはない話だった。

 片方の子が友達からお菓子を取り、それに怒った子に殴られて泣いてしまい、喧嘩になりそうになった所を女の子が止めたという。

 ここでは珍しくもないことだ。

 子供が多いのに、大人には仲裁する気がない。

 こういった件は自然と、年長の子供達が仲裁することが多かった。

 

 

「事情は分かった……でも、殴ったのはいけないな。友達なんだろう?」

 

「……もう、ともだちじゃないもん」

 

「そうやって逃げるな。友達は物みたいに、簡単に捨てていいものじゃない」

 

 

 怪我の痛みがまるで無いかのように、ゼファーは振る舞う。

 お菓子を取られて殴った子供の前で膝を付き、目線を合わせて語りかける。

 強く、優しく。そうされれば、子供は目を合わせていられない。

 無視もできず、否定もできない。

 黙って俯いてしまう。

 

 

「拳ってのはさ、俺達と同じなんだ」

 

 

 そんな子供の前で、ゼファーは拳を握って見せた。

 ゼファーの拳を目で追うように、子供が顔を上げる。

 

 

「指ってのは、ちょっと力を込めただけで簡単に折れてしまう。

 俺達、弱っちい人間と……子供と同じだ。

 だけど何本も束ねて、隙間なくくっついて、強く握り締めて……

 指と指で力を合わせれば、強くて硬い拳になる」

 

 

 ゼファーは軽く肩を叩いて、子供を横に向かせる。

 そこにはもう泣き止んでいた、お菓子を友達から取って殴られた男の子と、少し不安げにゼファーの方を見ている女の子。

 この三人が友達なのだということを、ゼファーは知っている。

 この施設に来た当初とは違う。

 ゼファーはこの子達のことを知っているし、この子達の幸せを願っている。

 

 

「拳は、友達を殴っちゃいけない。

 ま、たまには喧嘩して本音を吐き出すのもいいけどさ。

 そいつは友達を守るために振るってこそだと、俺は思うぜ」

 

 

 子供は、自分の拳を見る。

 友達を殴ってしまった手を。

 お菓子を取られたなんていう、子供らしい小さなことから生まれた大きな怒りは、いつの間にか何処かへ消えてしまっていた。

 子供は、ゼファーの拳を見る。

 拳を見ているはずなのに、その直前に他人を殴った自分の拳を見ていたはずなのに、「殴られてしまうかも」とは、微塵も思わなかった。

 不思議と、どこか安心する拳が、そこにはあった。

 

 それは人ではなく理不尽と不条理を殴り飛ばす、覚悟を決めた男の拳であった。

 

 

「謝れるよな。二人とも」

 

 

 ゼファーは最初から、どちらの味方でもなかった。

 ただ、喧嘩をしていた二人の男の子に仲直りして欲しかっただけ。

 痛みを見せず、仮面を被り、それを成した少年の背中を、調はじっと見つめていた。

 

 

「……ごめんな」

「ううん、ぼくのほうこそ……ごめんなさい」

 

 

 二人、どちらからともなく謝って、仲直りする。

 

 仲裁の本質とは、誰かを黙らせることでもなく、言葉で従わせることでもない。

 善悪を決めるものでもなく、勝敗を決めるものでもない。

 理屈だけでも、感情だけでも上手く行かない。

 そして説得される者の全てを、心から納得させなければならない。

 

 ひどい条件だ。

 決定的な敗者が一人でも居てしまえば、その敗者が不平を叫び、仲裁は失敗してしまう。

 どちらにもつかず、両者の間に立つ以上、誰の決定的な敵にも味方にもなってはいけない。

 しかし、それをずっと続けていかなければならない。

 それがゼファーの戦いだ。

 子供と大人の間に立ち、こうした戦いをゼファーはずっと続けていかなければならない。

 とても難しい、完全な正解も見えやしない、そんな戦いを。

 

 ただ、救いがあるとすれば。

 それは、ゼファーのその戦いの中で、ひとりぼっちではないということだ。

 

 

「じゃじゃーんと参上、呼ばれた気がして!」

 

「キリカ? また突然に現れたな、お前」

 

「調やゼファーと一緒に食べようと思ってたデス、このお菓子!

 友達と仲直りしたえらーい子達に、一個づつあげるデスよー」

 

「え、ホント!?」「わーい!」「わたし、もらっていいのかな……?」

 

「喧嘩を止めた子にも、貰う権利はあると思うよ。貰っておきな」

 

「……ん」

 

 

 そこに突如現れた切歌が、ポケットの中から取り出したお菓子を子供達に手渡していく。

 遠慮していた女の子も、ゼファーに貰っておけと言われ、頭を撫でられ、遠慮なくお菓子に手を伸ばし、屈託なく笑った。

 

 

「あ、あのさ」

 

「ん、どした?」

 

「……さっきぼくがとっちゃったおかしのぶん、これ、あげる」

 

「……へへ、じゃ、はんぶんこにしていっしょにたべよーぜ!」

 

「! うんっ!」

 

 

 切歌が渡したお菓子のお陰で、まとまりかけていた話が、本当に何の遺恨もなく収まっていく。

 ゼファーが感謝の気持ちを手を振る仕草で伝えると、切歌は可愛らしくウィンクで返す。

 調がよくやったと言いたげに親指を立てると、切歌は調子に乗ってニカっと笑う。

 調子に乗る切歌を尻目に、男の子二人がゼファーの前にとててと歩み寄ってくる。

 

 

「ん? どうした?」

 

「おれたち、にーちゃんみたいになる!」

「なれるよね! なるんだ! かっこよく!」

 

「……ッ。はは、俺みたいに、か」

 

 

 きょとんとして、ゼファーは苦笑い。

 その時、「俺みたいにはなるな」と言おうとして噤んだ口を、調は見逃さなかった。

 

 

「いや、俺よりずっと凄い奴になってくれ。その方が俺は嬉しい」

 

「にーちゃんよりすごく?」

「なれるかなー?」

 

「なれるさ、きっと」

 

 

 ゼファーはまた、拳を子供達の前で握ってみせる。

 

 

「次は友達じゃなく、友達の前にある壁を『これ』で殴るんだ。

 壁は越えるより、壊していった方がいい。

 そうすれば、その壁があった場所をみんなで一緒に通れるようになるからな」

 

 

 男の子二人は、拳を握ってゼファーに向ける。

 拳を見せるその笑顔が、先日まで希望なんて欠片も無かったはずの、この施設の子供達には不釣り合いなくらいに、誇らしく見える。

 切歌と調は少しだけ驚いて、けれどいつの間にか同じように、誇らしく笑っていた。

 

 

「今日は俺は遊んでやれないから、三人で仲良く遊んでくるといい。

 ただし、怪我と喧嘩はしないこと。いいな?」

 

「「「はーい!!」」」

 

 

 子供達が元気に走り去って、たっぷり十数秒。

 ぶっ倒れたゼファーを「知ってた」とばかりに右側に控えていた調が支え、びっくらこいて左側から切歌が支えるのと、セレナが車椅子を伴って到着したのはほぼ同時だった。

 

 

「ななななんデスかッ!?」

 

「知ってた。やせ我慢名人だもの」

 

「なんで二人共勝手に移動してるのー! 探すのちょっと大変だったよ!」

 

 

 今日もまた、彼らの日々は続いていく。




 本当はジャージ着てベージュの上着引っ掛けて、変装の帽子と眼鏡付けて深夜に切歌とかのワガママ聞いてコンビニにチャリンコ乗って向かうマリアさんとか書きたいんですよ
 社会復帰に向けて夜遅くまで勉強してる調にホットミルクとうどんを差し入れて、隣の部屋でぐーすか寝てる切歌の布団をかけ直して、マムの晩酌に付き合うマリアさんとか
 スーパーで走り出す切歌に「お菓子は300円までしか買わないわよ」て言ってるマリアさんとか
 でもこの作品だとまだ多分シリアス多めな感じなので……

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