戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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・四苦八苦
 生きること、老いること、病むこと、死ぬことを根本的な四つの苦とする。
 そこに「愛する者と別離すること」「怨み憎んでいる者に会うこと」
 「求める物が得られないこと」「肉体と精神が思うようにならないこと」
 の四つの苦を加えて八苦とする。

 世の中にある、どうしようもなく思うように行かない八種の苦のこと。


2

 昔々あるところに、一人の王様がいらっしゃいました。

 王様はとてもきらびやかな御殿に住み、世界中の国から来た人達が口々に素晴らしい、素晴らしいと感心したたえていました。

 そんなある日、王様の耳に一つの声が届きました。

 

 

「この御殿で一番素晴らしいものは、あの小鳥の歌声でございますね」

 

 

 はて、と王様は首をかしげました。

 そんな小鳥を手にした覚えも、その小鳥の歌声を聞いた覚えも、王様にはなかったからです。

 世界中から来た人々が口々に小鳥の歌声を褒めるのに、王様もその部下も、誰一人としてその小鳥の存在を知らない日々が続きました。

 王様は部下に命じ、その小鳥を探させます。

 やがて小鳥は見付けられ、陛下の御前で歌を披露することとなりました。

 

 

「なんと立派に歌う者か」

 

 

 ひねくれ者も、贅沢に肥え太った者も、気難しい大臣も、その場に集ったみんなみんな。

 誰もがその歌声に聞き惚れます。

 王様はそのあまりの歌の美しさに、涙を流してしまうほどでした。

 その日から、その小鳥……小夜啼鳥は、人々のために歌い続けました。

 紐で縛られ、自由もなく、それでも人のために歌い続けました。

 

 そんなある日、日の本の国の王様から細工物の小鳥が送られてきます。

 機械仕掛けで動き、宝石で彩られた美しい細工物の小鳥は休む必要もなく、朝から晩まで人々に美しい歌声を聞かせ続けます。

 いつしか、誰もが細工物の小鳥の歌声だけを必要とするようになりました。

 小夜啼鳥がいつの間にか消えてしまったことに、誰もが気付いていませんでした。

 

 それから何年も立った頃。

 王様は病に冒され、その命を蝕まれていました。

 国の民は王様はもう長くはないという話を聞き、悲しみに暮れました。

 新しい王様に挨拶をしに行く人、新しい御殿に勤めようと移り住んだ人、友達と楽しくお茶をするだけで御殿には行かなくなってしまった人。

 きらびやかなその場所はとても静かで、もう王様しか居なくなってしまいました。

 

 

「誰か、居ないのか」

 

 

 そんな王様の枕元に、死神がやって来ました。

 死神は呪いの言葉を呟き、王様を苦しめ、その命を奪おうとします。

 

 

「誰ぞ、この声を聞こえないようにしてくれ。歌を……音楽を奏でておくれ」

 

 

 ですが、誰も応えてはくれません。

 機械仕掛けの小鳥は誰にもネジを巻いてもらえず、ゆえに歌うこともなく。

 静かな御殿に、死神の声だけが広がっていきました。

 王様の望みが絶えようとした、そんな時。

 希い望んだ歌が聞こえました。いつの間にか消えていた小鳥が、戻って来たのです。

 小夜啼鳥が歌い、その声に王様が耳を傾けるたび、死神はその姿を消していきました。

 

 まるで、暗い夜を晴らす朝日のように。

 

 

「ありがとう、小夜啼鳥よ。私はお前を覚えているぞ。

 私達が身勝手に居場所を奪ってしまった、追い出してしまった、お前のことを……

 それでもお前は、私を助けてくれた。私を死神から救ってくれた。

 その褒美に、私はいったい何をやればいいのだろうか」

 

 

 王様の感謝の言葉に、小夜啼鳥は答えます。

 

 

「そのご褒美なら、もう頂いております。

 私が初めて御前にて歌いました時、陛下は涙を流してくださいました。

 わたくしはあの涙を忘れません。

 それこそが歌を歌う者の心を喜ばす、何より尊い宝石にございます」

 

 

 小夜啼鳥は、また歌い始めました。王様の弱った心を、癒やすように。

 目覚めた時、王様の病はすっかり良くなっていました。

 小夜啼鳥の小夜曲(セレナーデ)は、一人の命を救ってみせたのです。

 以来、小鳥は望むままに望む時に小枝に止まり、歌を歌い。

 王様はその歌声に耳を傾ける、平和な日々が戻って来たのでした。

 

 めでたし、めでたし。

 

 

 

 さて、皆様方。ところで、小鳥と『王子様』が出てくるかの童話を、知っているでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第九話:Bloody Serenade 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暁切歌は自分のことを脳天気だなんて言うが、彼女なりに色々と考えて行動するタイプである。

 それが空回りしてしまうこともあるが、それでもバカだアホだと一言で言われるようなタイプではない。何も考えないタイプとは程遠いのである。

 部屋でゴロゴロしながら漫画を読んで居たところ、鳴り響く警報と目に痛い警告灯にて彼女は飛び起きる。警報と警告灯で子供達の一部がパニックになる中で、彼女は真っ先に避難するでもなく、状況を把握しようと余計なことをするでもなく、わけが分からなくなっていた幼い子供達の手を引いていた。

 

 

「このまっかなひかり、なに……」

「こわいよぉ」「おねえちゃん……」

 

「だいじょーぶだいじょーぶデス! よくあることデスから、さっさと上行きましょうねー」

 

 

 彼女も調を始めとして、友人達の安否は気になってはいる。

 何もなければ名前を呼びながら走り回って探したいくらいだと、切歌は歯がゆい気持ちを抱いている。だが、切歌はこの子達を見付けてしまった。

 友人達を探すあてもなく、上層に既に逃げている可能性だってある。

 切歌だってこの幼い子供達を置いてどこかに行くというのは気が引けてしまうし、何より彼女と親しい二人の友人の性格を思えば、見捨てた後にその顔を真っ直ぐに見られる自信がない。

 手を引き、子供達と共に階段を登っていく。

 

 だが、そうこうしている内に懸念事項にも気付いてしまう。

 切歌が連れている子供達はほんの一部、十数人に過ぎない。

 だというのに、子供の足は疲れやすく、大人しい子はそれに輪をかけて足腰が弱い。

 五歳やそこらの子も多いのだ。20階以上の階段、階段間の廊下の移動は相当にキツい。

 休み休み歩かせないと当然バテるし、こらえ性のない子供が騒ぎ出せば時間のロスに加えて子供同士の喧嘩にも発展しかねない。

 

 更に言えば、この施設全体で子供は数百人も居る。

 しかも廊下に備え付けられたスピーカーからのアナウンスによれば、地上部までの避難誘導がなされているようだ。

 全員を地上部まで連れて行くのなら、切歌が甘い見通しを組み立てても、一時間や二時間で終わるとは到底思えない。

 かつてないほどにヤバい雰囲気を匂わせる警報と警告灯の点滅は、かかる時間の見通しと相まって、切歌の胸の奥の不安をどんどん膨らませて行った。

 

 

(時間がかかりすぎてるけど、これ大丈夫デスかね……)

 

 

 更に、畳み掛けるように爆発音。

 切歌は知る由もなかったが、これはネフィリムが吐いた熱線が施設を吹き飛ばした爆発だ。

 射線が反対方向であれば切歌達にも当たっていたであろう、背筋が寒くなる威力。

 彼女がその被害を受けなかったのは、幸運であったとしか言いようがない。

 

 

「わっ!」「なに? なに?」「じしん!?」

 

「落ち着いて、落ち着いて、あたしがそばに居るデスよー」

 

 

 体験したことのない大きな音と大きな揺れに、子供達が騒ぎ出す。

 しかし切歌は周囲の小さな子が真っ先に慌てたことで、逆に冷静になれた。

 子供達の手を取ったり、頭を撫でたりして落ち着かせる。

 爆発音は下、そして施設の中央を挟んで反対側から聞こえてきた……ような気がすると、切歌は思った。あくまで気がする、であって保証は何もない。

 だが、急いで上を目指す理由はまた一つ増える。

 

 

(うえぇぇ、あたしこういうの別に得意じゃないのに……)

 

 

 自然、切歌の足は早まる。怯えと不安が、彼女の足を地上に向かわせる。

 子供達が息を切らしているのを見てようやく気付き、慌てて切歌は速度を緩めた。

 彼女が頼りにしている友人達の誰かが居れば、一声かけて彼女を落ち着かせることもできただろう。平静を装って皆の先頭を歩くというのは、どうにも彼女のキャラではなかった。

 それでもいつも通りに明るく笑う切歌の笑顔は、子供達の不安を吹き飛ばしてくれていたので、彼女自身が思うほど向いていないわけではなかったのだろうが。

 

 

(誰かー、誰か来てくれないかなー、なんて)

 

 

 笑顔の下には、不安な気持ちが隠されている。

 子供達の手前少し強がって笑顔を見せてはいるものの、彼女も恐怖を感じているのだ。

 恐れを感じない勇士ではなくとも、誰かの手を引いている間だけは勇気を出せるというのは、調の親友として今日までそう接してきたからというのもあるのだろう。

 それでも不安で、ちょっとだけ歩いて行くのが怖くて。

 知っている顔を求め、探していたら、そんな思いに応えるように、曲がり角の向こうからひょっこり顔を出す少年が居た。

 

 

「あっ」

「あっ」

 

「キリカ! 無事だったか!」

「ゼファー! 間の良さだけは天下一品デスね!」

 

「だけってなんだだけって!」

 

 

 ゼファーは切歌と同じように、子供達を連れていた。

 ただ切歌と違い、ゼファー達より年上で、マリアより一つ年下の子供が二人混じっている。

 こんな時だからこそ、彼女が有事に誰よりも頼りになると思っている彼がいつも通りの様子で居てくれていることに、切歌はどこか安心していた。

 周りの子供達も彼女と同じ気持ちであることが、表情から伺える。

 ……そう、いつも通りだ。

 親しい友の一人である切歌から見ても、ゼファーはいつも通りの彼に見える。

 子供達を励ます言葉も、表情も、とても頼りになる有事の時のいつもの彼だ。

 

 だが何故か、切歌は一瞬違和感を感じた。

 自分を見た時のゼファーの心底ホッとしたという様子が、過剰だったような気がしたのだ。

 けれど気にするほどのことでもなく、変というほどでもなかったので、彼女は流してしまう。

 

 

「あれ、ゼファーの袖、血が……どっか怪我したんデスか?」

 

「……ああ、大丈夫。大丈夫だ。これは、俺の血じゃないから」

 

 

 何故繰り返し、「大丈夫」と言ったのか。

 他人を安心させるための「大丈夫」が、自分に言い聞かせるような意味を持っていたのか。

 それらの意図、ニュアンスを、ゼファーは今度は完全に隠してみせる。

 彼が被った仮面は自分のためではなく、他人のためのもの。

 ゼファーの本気の嘘は、子供達をこの危機の中で安心させ、希望を持たせていた。

 この人が居れば大丈夫だ、といった感情と共に。

 

 

「すみません、切歌が連れて来た子供達もお願いします。

 道順はさっき教えた通りに。俺はさっき言った通り、下に向かいます」

 

「無理するなよ」

「怪我しないでね」

 

 

 マリアより一つ年下で、ゼファーよりも年上の子供達に、ゼファーは子供達を任せる。

 どうやら地上までの子供達の誘導を、年長の子供達に任せているようだ。

 この様子だと、中層から下層まで降りて行く間にこんなやり取りを何度も繰り返し、子供達の誘導の手助けもしていたようだ。

 周囲に助けられ、自分一人ではできないことを成す。

 彼の本質は変わっていない。頼られた子供達も、どこか誇らしそうだ。

 ゼファーに指示された、施設のまだ崩落させられていない部分の階段を目指し、年長の子供達は年少の子供達の手を引いて行く。

 

 

「下? ゼファーは一緒に来てくれないんデスか?」

 

「まだここより下に、助けを待ってる子が何人か居る。

 そんな子達を助けて、全員が逃げ切るまで時間を稼がないといけないんだ」

 

「……まさか、調も!?」

 

 

 ゼファーは頷く。

 切歌はその返答を聞き、一も二もなく飛びついた。

 

 

「ならあたしも行くデス!」

 

「いや、下には暴れてる完全聖遺物が居て、危け――」

 

「友達のピンチはあたしのピンチデス!

 友達が困ってたらそれはあたしが困ってるのと一緒デス!

 あたしが困った時に助けて欲しいと思うのと同じように、

 友達が助けて欲しいと思ってたら、あたしが助けてあげるんデスよ!」

 

「……キリカ」

 

「もし調が怪我してて、すぐそばに危ない奴が居たとして。

 そんな時、怪我してる人を運べるくらい、元気な人手が居たら便利じゃないデスか?」

 

「……」

 

 

 ゼファーは少し考える。

 大きすぎるリスク、切歌に及んでしまう危険。

 切歌の主張する、救助要員が居てもいいという主張の正しさ。

 それとぶっちゃけ、ここで何を言おうが、彼が連れて行かなかろうが、切歌は勝手に自分の意思で下層に言ってしまうだろうという予想。

 シラベのことは教えないほうが良かったかも、なんてゼファーは思うが後の祭り。

 ならばいっそ開き直って、手を貸してもらおうと考えた。

 

 

「分かった。ただし、俺の指示に従うって約束してくれ」

 

「はいデスッ!」

 

 

 研究所の一部は吹き飛ばされ、崩落中。

 階段も一部が使えなくなり、エレベーターもほぼ全機停止してしまっている。

 下層の子供達、中層の研究者達が避難を完了するまで残り三時間。

 ゼファーと切歌は、地下研究所の最下層(アビス)へと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 厄日だ、と調は思った。

 

 

「……抜けない……」

 

 

 天井が崩れて瓦礫が落ちてきた時は、もうダメだと思った。

 怪我もせずに済んだ時は凄い幸運だと冷や汗をかきながらほっと息を吐いた。

 でもそもそもの話天井が落ちてくる時点で不運だなぁ、と考えて。

 瓦礫に挟まった足が抜けず、ズシンズシンとまだ何故か揺れてる施設、また崩れてきそうな天井を見て、厄日だと考える以外に彼女にできることもなく。

 

 

「お、重、いぃ……!」

 

 

 息が切れるまで頑張っても、瓦礫はどいてくれそうにない。

 そもそも月読調は同年代の子供と比べても非力なのだ。

 体格は小さめであるし、手足も細い。

 怪我をしなかったのは不幸中の幸いであったが、瓦礫に挟まってしまっては自分一人で脱出するのはまず不可能だ。

 

 

「誰かー」

 

 

 精一杯声を出して人を呼ぼうとするが、彼女の声量がそこまで大きくないこともあって、その声はどこかに居るであろう他の人には届かない。

 なのに、人以外には届いてしまった。

 地面が揺れる。そのリズムは一定で、生物の足音のよう。

 なのに地面の揺れは、その揺れの原因が何トンもある重量物であるということを知らしめる。

 そんな生物が、怪物が、この世に居るわけがないというのに。

 

 ズシン、ズシンと床が揺れる。

 その度にパラリと小さなコンクリート片、砂粒が天井跡から落ちてくる。

 調は無意識の内に唾を飲んだ。

 逃げたい。逃げられない。足は瓦礫に挟まれている。

 恐ろしいという気持ち、逃げたいという気持ち、それらが心臓を大きく跳ねさせる。

 調は通路の曲がり角を凝視する。そこに、大きな影が見えたから。

 

 やがて、『それ』は姿を表した。

 

 

「え、なっ……!?」

 

 

 3mはあろうかという怪物。

 じわりと、かなり離れているはずなのに伝わってくる熱。

 それがその巨体から放たれる膨大な熱だと、すぐに気付かされる。

 ハンマーで叩いても砕くのに一苦労しそうなコンクリートの破片が、その怪物に一度踏まれただけで粉々に粉砕された。どれだけの重量だというのだろうか?

 

 その巨体の中でも、特に目を引くのは異様に巨大な口。

 フルに広げなくとも3000立方cmはあろうか、奥行きも1m以上は確実にある大きさ。

 子供であれば文字通りの『一呑み』にできるだろう。

 そんな体全体における口の占める割合が圧倒的に少ないアンバランスな体躯は白一色、体の所々にあるエネルギーラインは橙色に煌めき、莫大な熱を内部に這わせている。

 おそらくその部分に触れれば、人間は骨まで溶かされかねないほどの熱量を伝導されてしまうだろう。

 

 

「■■■■■■■ッ……」

 

 

 吠えてはいない。唸っただけだ。

 だというのに、地獄の底の悪鬼のごとき怪物の唸り声は、調の反抗の意思を折ってしまう。

 まるで、ヘビに睨まれたカエルのように。

 生命体としての絶対的な格差が、調の中から恐怖以外の感情を追い出してしまっていた。

 息を殺してやり過ごそうとするも、怪物は一歩、また一歩と近付いて来る。

 震える体をかき抱いて、調は悲鳴を上げようと、助けを求めようとする。

 

 

「たす……ッ」

 

 

 だが、それをすんでの所で押しとどめる。

 こんな怪物をどうにかできる者が居るのか? いや、居るわけがない。

 もしもそれで他の子供が来てしまったら……彼女はそんな未来を想像してしまう。

 血が流れるだろう。それも、彼女の選択で。

 かといって助けを呼ばなければ、草の芽を詰むように彼女の命は詰まれてしまうだろう。

 迷う。迷いが生まれてしまう。

 

 それでも、途方も無い恐怖だけは確かにあって。

 

 

(誰か、誰か……!)

 

 

 怪物を前にして、目を瞑る調。

 怪物は調などゴミか何かにしか見えていないようで、歩く途中でもののついでに踏み潰してしまうルートを選択し、一歩ずつ歩き出していく。

 あと数歩で調は踏み潰され、怪物の熱に焼かれ、死んでしまう。

 そんな未来を、

 

 

「ストップだ」

 

 その一声と、一発の銃声が書き換えた。

 調は聞き慣れた友の声に目を開けて、バッと顔を上げる。

 そして、うっすらと笑みを浮かべた。

 

 怪物を挟んで調の反対側の廊下のど真ん中。

 調から見て、怪物の向こう側に立つ誰か。

 自分側の天井が崩れ、そちら側の天井の蛍光灯だけが輝いていたのもあって、調にはその人物が光の中からやって来てくれたかのように見えた。

 

 はためくマント。

 黒くなびく髪から覗く青の瞳。

 白亜の怪物に銃を向け、その少年は悠然とそこに立っていた。

 

 力の有無、多寡に関わらず。

 古今東西の絵物語における、怪物の絶対的な天敵になりうる、英雄の卵。

 弱者のまま強者に勝ちもする、最弱無敵がそこに居た。

 

 

「お前がネフィリムか」

 

 

 ネフィリムはその少年を目にし、調の時とは違い、世界を揺らがし咆哮する。

 それは仇敵を見付けたかのような、求めていた餌を見付けたかのような激情。

 白亜の怪物は飢餓状態にある。

 意思ある増殖炉であるこの怪物は、ひたすらにエネルギーと聖遺物を求めている。

 腹の中に何もない。ゆえに全てを喰らい尽くさんと口を大きく開く。

 エネルギーを増殖させるという存在意義のために、元となるエネルギー物質を喰らおうという衝動が存在し、結果とてつもない暴食の捕食者が誕生してしまっていた。

 ネフィリムは、ゼファーの胸ポケットの中にある『ガングニール』に、目ざとく目を付ける。

 腹が減った、喰ってやる、食わせろ、食わせろ、と。

 

 

「■■■■■■■ッ!」

 

「日本語かスペイン語か英語で喋れッ!」

 

 

 低反動のサブマシンガン二丁持ちのゼファーが横に跳び、曲がり角の向こう側に消えた。

 ネフィリムがそれを追い、曲がり角に辿り着いた瞬間、調の見えない角度から放たれたゼファーの銃弾の嵐に全身をぶっ叩かれる。

 それが調に射線を重ねないため、怪物を調から引き離すために移動したのだと彼女が気付いたのは、自分にかけられた声を耳にしてから少し経った後だった。

 

 

「調、調、逃げますよー」

 

「きりちゃん!?」

 

「ゼファーが引きつけてくれてる間に、急ぐデス!」

 

 

 切歌は近場にあった棒を手にし、テコの原理で瓦礫をどける。

 ほんの少しだけ瓦礫を上げられれば十分。調はその隙に足をどけ、脱出に成功した。

 

 

「ありがとう、きりちゃん。でも、いったい何が……」

 

「話は走りながらデス!

 ゼファーが引きつけてくれてる内に他の子を上に向かわせないと!

 監視カメラで見てくれてるマムからの話じゃ、まだこのフロアにあと二人居るらしいんデス!」

 

「!」

 

 

 切歌と調が走り出す。

 一方、ゼファーとネフィリムの戦いは……恐ろしいことになっていた。

 

 

「……ひどいな、これ」

 

 

 ゼファーは珍しくアサルトライフルではなく、低反動のサブマシンガン二丁を装備していた。

 一発一発の威力は低いが、両方合わせて秒間20発による脅威の面制圧。

 たった一発でも人間であれば十分に殺傷可能な破壊力の鉄の嵐だ。

 それらがネフェリムの全身に迫り、廊下を隙間なく埋め尽くし、逃げ場も塞ぐ。

 しかし、ネフェリムにはそもそも逃げる理由がなかった。

 

 銃弾が迫り、怪物の体に当たる。

 しかし銃弾は命中した瞬間、内包していた『全てのエネルギーを喰われてしまった』。

 回転は止まり、銃弾は肉に食い込まず、命中の音もなく、火薬の熱まで冷えきってしまう。

 そしてポトリと、その場に落ちた。

 薬莢と銃弾が、発射の後に同じような音と末路を辿ったという矛盾。

 あまりにもおかしな光景に、ゼファーも目を疑うしかない。

 

 

「弾着のエネルギーを、皮膚から喰ってるっていうのか……!?」

 

『聖遺物と比べれば吸収されているエネルギーは微量です。

 おそらくは一歩歩けば消費されてしまう程度にしか転換されていないでしょう』

 

「相手の稼働時間上昇を考えなくてもいいと喜ぶべきか、桁違いですねと嘆きべきか……」

 

『あの装甲を抜きたいのなら、それこそ桁違いのエネルギーによる物理衝撃しかありません』

 

 

 インカムからの無情なナスターシャの声。

 ゼファーはリロードを終えつつ、咆哮するネフィリムに背を向けて駆け出した。

 このフロアの子供、そして一つ上のフロアの子供が全員避難するまで、ゼファーは上の階には上がれない。出会い頭の遭遇、ネフィリムによる避難経路塞ぎの可能性が出てきてしまうからだ。

 この階層の通路をグルグルと回り、それまで徹底して時間を稼がなければならない。

 行動の自由度と施設の局所的な耐久値が、ネフィリムの破壊によって一定以下にまで下がってしまわないように立ち回りながら。

 

 

「■■■■■ッ!」

 

 

 ネフィリムが咆哮し、ゼファーの後を追って走り出す。

 ゼファーは今回、この研究所のあらゆるシステムのバックアップを受けていた。

 

 例えば子供二人くらいなら容易に運べるコンテナ運搬システム。

 施設のほぼ全域にコンテナを運び、そこから武器や弾薬を取り出せるこのシステムにより、ゼファーは補給の時間さえあればほぼ無尽蔵に弾薬を使うことができる。

 もちろん、最初に武器庫でコンテナの中に彼が詰め込んだ銃と、その弾薬に限るのだが。

 

 さらにナスターシャを始めとする、研究者達のバックアップ。

 常にインカムからゼファーをナビゲートするナスターシャは、施設全域を監視カメラで把握しており、ゼファーに莫大な情報アドバンテージを与える。

 施設の破壊で脆くなった部分も研究者の内何人かがリアルタイムで計算しており、ゼファーが突発的な崩落に巻き込まれる心配はほとんどない。

 子供達の避難誘導も、施設各地の各スピーカーを使ってかなり綿密に、細かく子供達に指示が出されており、アナウンスをする何人もの大人達が避難にかかる時間を軽減してくれていた。

 

 そして切歌と調。

 ナスターシャから得られた逃げられていない子供の位置情報がゼファーを通じて二人に伝えられたことで、ゼファーはネフィリムとの戦闘に専念できる。

 流石にゼファーも、闘いながら子供達の面倒を見ることは不可能だ。

 そして調や切歌から話を聞かされた年長組の子供達が協力すれば、下層の子供達の避難速度は格段に上昇する。

 大人だけではない。今は子供も、ゼファーの全員を生かそうとする戦いに協力しているのだ。

 

 そこに、施設の各システムを操作できる携帯端末が加わる。

 

 

『今です!』

 

「了解!」

 

 

 ピッ、とゼファーがボタンを押す。

 するとゼファーに飛びかかろうと跳躍したネフィリムの眼前に突如壁が出現した。

 何もなかった通路に突如現れた壁。

 なんてことはない。火災や聖遺物の暴走対策に用意されていた通路の隔壁である。

 その強度は通常の施設の隔壁とは桁違いで、戦車砲ですら表面を傷付けることしかできない。

 そんなこんなでネフィリムは止まることも出来ず、隔壁に頭から激突した。

 床の揺れから衝突を確認し、ゼファーは思わずぐっと拳を握る。

 

 

「このままガングニールで誘導して、隔壁で動きを邪魔します。ルートは――」

 

『ゼファー! 隔壁から離れなさいッ!』

 

「――ッ!?」

 

 

 ナスターシャからの警告。

 しかしゼファーは直感の邪魔をする不気味な熱の膜を貫通し、外界からの情報を得て働く直感により、その警告より一歩先んじて跳んでいた。

 そして、次の瞬間。

 

 隔壁が、爆砕音と共に弾け飛んだ。

 

 

『……そんな、バカな……強度で言えばミサイルにも耐える隔壁が……

 断熱材と衝撃吸収材による複合コーティングがなされた合金製の壁が……』

 

 

 のそりと、隔壁であった粉塵の中から這い出る怪物。

 獣のような唸りを上げて、粉塵の中でネフィリムの瞳がぎらりと光る。

 まるで、進行上にあったカーテンを払いのけるかのように、気軽に。

 

 

『ただ、殴られただけで、破壊……!?』

 

 

 なんてこともないように、破壊されてしまった。

 ゼファーは呆然とするナスターシャの声を聞き流しながら、後ろに向かって走る。

 分かっていた。分かっていたつもりだった。

 『完全聖遺物』の強さを、分かっていたつもりだった。

 だというのに、ネフィリムはゼファーの予想をどこまで超えてくる。

 

 

「まだ手はあります! 倒す必要は無いんです!」

 

『……そうでしたね。ナビゲートを続けます』

 

 

 ゼファーは廊下に直置きしていた武装を拾い、サブマシンガンを投げ捨てる。

 地面にうずくまり、何かを仕込み始めた。

 ネフィリムはその気になれば跳ぶことで速く動けるのだろうが、餌が足を止めていることで観念したのだと誤解したのか、のっそりと歩み寄ってくる。

 ゼファーはネフィリムが一定以上にまで近付いたのを見て、何かを投げ、後ろに跳んだ。

 

 ネフィリムはゼファーが投げたもの……発炎筒の光と熱に釣られ、弧を描いて自分の頭上に飛んで来たそれに目をやって、エネルギー量を確かめるべく、パクリと食いついた。

 そしてそのために、上を向き。

 下から来た、ゼファーが一斉起動した三つの指向性地雷が発射した大量の鉄球を全身に撃ち込まれ、後方に吹っ飛ばされた。

 吹っ飛ばされたネフィリムが着地する前に、ダメ押しとばかりにアサルトライフルをマガジン一つ分全弾発射。全弾命中を見届けた後、ふぅと息を吐く。

 

 

「倒せてなくても、ダメージくらいはあってくれよ……………………ああ、やっぱダメ?」

 

 

 ゼファーの楽観的になれない思考の通りに、いやあるいはその予想より最悪に、ネフィリムは吹っ飛ばされてすぐに立ち上がる。

 まるでダメージがあるように見えない。

 それどころか、皮膚の表面に傷すら付いていないように見える。

 着弾の衝撃で吹っ飛ばされたということは、エネルギーは吸収されていない。

 つまり、素の耐久度でこれなのだ。

 銃弾のエネルギーを吸収されなかったところで、ゼファーにこの完全聖遺物を傷付ける方法は無いに等しいのだろう。

 

 

「■■■■■■」

 

 

 しかも、唸る怪物は今ので『喰えるエネルギー』を新たに認識したようだ。

 初見の攻撃でも見えていればエネルギーを喰える。

 一度攻撃されれば以後は無意識下でも喰える。

 ナスターシャの言う通り、『通常の聖遺物の持つエネルギーよりワンランク上に相当するほどに高いエネルギーを持った物理攻撃』。それが用意出来て初めて、ネフィリムと真っ当に戦うための土俵に上がることができるのだろう。

 腹の中が空っぽの、ハリボテで飢餓状態のネフィリムですらこれなのだ。

 聖遺物を喰らった果てに、これがどれほどの怪物になるかなど想像したくもない。

 

 

「先生、あれを使います! 準備出来てますか!」

 

『勿論。指定ポイントにゼファーが到着次第、システムを起動します』

 

 

 ゼファーはダメ元で手榴弾を投擲。

 当然ダメージは与えられない……と、思いきや。

 それどころの話ではなかった。

 

 ネフィリムは手榴弾に喰らいつき、飲み込み、それを腹に収めてしまう。

 ばごんと、くぐもった爆発音。それと共にネフィリムの腹が数cm膨れる。

 ……しかし、トラックですらひっくり返す爆発力がもたらした破壊は、それだけだった。

 怪物の腹を突き破ることすら出来ず、その餌となるだけに終わってしまったのだ。

 

 

「うっそだろ……!」

 

 

 ゼファーは手榴弾を投げた時点で走り出している。

 食事を終えたネフィリムは、心の底から食べたくて仕方が無いメインディッシュが遠く離れていたことに気付き、吠えながらも駆け出した。

 ネフィリムは発展途上の身であるためかフォルムのバランスが悪く、走る時は特にバランスが悪く見える。しかし圧倒的な身体スペックは完全聖遺物の名に恥じないものだ。

 跳躍を繰り返せば時速数十kmは叩き出せる可能性もある。

 しかしゼファーがあえて道筋をジグザクになるよう選んでいるため、その速度はほとんどが殺されていると言っていい。

 ならば後は、桁違いの防御力と攻撃力だけだ。

 それなら、いくらでもやりようはある。

 

 

『残り30m』

 

 

 ゼファーの耳にナスターシャのアナウンスが聞こえる。

 走るだけのフリをして時折手榴弾を置いていくのがなんともいやらしい。

 しかしそんなゼファーの小細工も、『皮膚で爆風のエネルギーを喰う』なんていうありえない食事をこなすネフィリムにより、一瞬の時間稼ぎにしかなっていなかった。

 あらかじめ考えていた攻撃手段を頭の中で片っ端から消し、その特性を前提にして新しい攻撃手段を頭の中で構築していく。

 その結果、片手で数えられるほどにしか、ゼファーの頭の中に有効手段は残らなかった。

 顔をしかめ、切れる息を整えて、それでも彼は走り続ける。

 ゼファーが追いつかれそうになり、ネフィリムが右腕を伸ばし、その腕がゼファーを掴む……と思われた、その瞬間。

 

 

『3…2…1……今です! 前に跳びなさい!』

 

 

 ゼファーが前に跳ぶ。

 ネフィリムの腕が空を切る。

 そしてネフィリムとゼファーの間に、ドンと隔壁が降りた。

 

 またしてもこれか、と思うネフィリムは拳を振り上げ、破ろうとする。

 そんなネフィリムに、壁から吹き出した液体がかかる。

 何事かとネフィリムが自分の体を見れば、濁った液体が体の表面で固まっていた。

 気付けば、隔壁は二つ降りており、短い廊下がまるごと一つ密室と化していた。

 そこに壁の至る所から濁った液体が噴出している。

 

 ネフィリムは歩き出そうとして、液体が自分の足ごと巻き込んで固まっているのに気が付いた。

 液体は急速にその空間を満たし、振動に反応して凄まじい勢いで固まっていく。

 ほんの数秒で、ネフィリムは首まで完全に固められていた。

 道路を作る際に、アスファルトを空間に流し込んで固めていく過程と同じように、一つの空間が固形化する液体によって隙間なく埋められ、固まっていく。

 

 

『特殊高分子化合物をベースにした試験作充填材。

 ほんの少しの振動で強固に固まり、その強度は鋼以上。

 開発した人が私の後ろであなたと話したがっていますが、話しますか?』

 

「……いえ、遠慮しておきます」

 

 

 拳を壁に密着させ押す。拳を振り上げて壁に叩きつける。

 後者の方が壁に大きなエネルギーをぶつけられるというのは語るべくもない。

 助走があった方がジャンプの距離が伸びるのと同じ。物を壊したいのなら、ぶつけるまでにどれだけエネルギーを上乗せ出来るかが重要な要素となるのである。

 全身を隙間なく固められるというのは、これ以上なく体の自由を奪われるのだ。

 箱の中から首だけ出した状態で、箱の中にコンクリートを流し込まれて固められた……なんて経験をすれば、どんな人間でも今のネフィリムの気持ちが分かるかもしれない。

 

 だが、分かるのは現段階までのネフィリムの気持ちだけだ。

 ネフィリムは人間ではない。

 その膂力も、エネルギーの総量も、飢餓状態であるにも関わらず人間とは桁が違う。

 台風は原子爆弾数百個分のエネルギーを内包していると言われるが、ネフィリムは発展途上の現段階でもそれに匹敵する可能性すらある、怪物の形をした災害だ。

 発生した後の災害を封じ込める科学技術など、ありはしない。

 

 

「まだ何も終わってませんので。全部終わった後に、喜んで」

 

 

 目の前の隔壁が、周囲の壁が、床が、しなるようにへたれていく。

 ゼファーが走る。監視カメラを見ていたナスターシャが、驚きに目を見開いた。

 へたれていく隔壁が赤熱化し、融解していく。

 莫大な熱量により、埋められた廊下を中心とした空間が熱で溶けていく。

 夏場の氷菓のようだ。

 加速度的に固体が液体と化して行き、その中からのそりと、怪物が這い出して来る。

 

 ネフィリムはただ肉体より周囲に発する熱だけで、金属もセメントもセラミックスも高分子化合物も全てまとめて溶かし尽くした。

 攻撃ではなく、ただ身をよじるような一動作。

 ただそれだけで、全てを焼き尽くす熱を吐き出して見せたのだ。

 既存の兵器では絶対に防げないこの膨大な熱も、この怪物にとってはあくびに等しい。

 

 

『……これが、先史文明の異端技術(ブラックアート)……!』

 

「これでまだまだ成長期の子供って、同じ子供として嫉妬しちゃいますねッ!」

 

 

 ゼファーは走る。

 ネフィリムはまだ壁に自分が通れる穴が空くほど焼き切れていないようで、まだこれでも少しは時間を稼げるようだ。

 階段に向かう。このフロアにある仕込みを全て使い切ってしまった以上、もうこの階層で戦って時間を稼ぐことは不可能に近い。

 一見、ノイズロボ相手よりも有利に戦えているようにも見えるが、実際は最大限のバックアップを受けた上で施設のシステムを使い捨て気味に使用、それでようやくこれなのだ。

 ゼファーが疲労すれば、あるいは施設の破壊が一定以上になりゼファーの逃げ場が塞がれれば、もしくは施設の隔壁等のリソースが尽きれば、その時点で終わってしまう。

 主導権を常に握れなければ、詰む勝負であると言っていい。

 

 

「ゼファー!」

「こっちこっち!」

 

 

 そんなゼファーを呼ぶ声がする。

 

 

「こっから上三階分はだーれも居ないデスよー!」

「急いで! なんだかさっきからスピーカーに雑音が混じってて嫌な感じ!」

 

 

 暁切歌、月読調。

 二人の少女がゼファーの名を呼ぶ。

 ここから三階分、自由に使っていいというのは朗報だ。

 

 

『そこから上の階層は避難も順調です。

 ここからは時間稼ぎ一本……正念場ですよ』

 

「シラベ! キリカ! 先に階段登れ!」

 

 

 ゼファーの叫びに二人は頷き、階段を登って行く。

 彼も少し遅れて登って行くが、脚力と体力の差であっという間にゼファーは追いつく。

 階段を登り切った所で、三人はようやっと合流した。

 

 

「お疲れ! だがもうひと頑張り頼む!」

 

「ん」

「デェス!」

 

 

 階段を登ってすぐの分かれ道。

 ゼファーは真っ直ぐ進み、切歌と調は右に曲がって二手に別れる。

 階段を通って追って来たネフィリムも、当然ゼファーを追って真っ直ぐ進む。

 ただの人間に暴走したネフィリムは食いつかない。ウェル博士が言った通りだ。

 しかし、それこそが、人間がこの怪物に付け入る隙となる。

 

 

「■■■■■■■ッ!?」

 

 

 ネフィリムの腹に、いつの間にかワイヤーが引っかかっている。

 そのワイヤーが引かれ、ネフィリムは尻もちをつき、立ち上がれないままズルズルと勢いよく後方に引っ張られていく。脅威の馬力だ。踏ん張れていないとはいえ、ネフィリムの重量が見る見る内にゼファーから遠ざかって行くのは目を疑わせる光景と言っていいだろう。

 その光景は、子供が友達に後ろから縄跳びの紐を腰に引っ掛け、引っ張るような光景であった。

 ワイヤーは壁の穴の向こう側に物凄い勢いで巻き取られ、怪物を抑え付ける鎖となる。

 

 壁の穴を通したワイヤーの輪に引かれ、ネフィリムは壁に押し付けられた。

 流石に20tの重さにも平気で耐えられるワイヤーが腰に密着していては引き千切れないのか、もがきにもがくもネフィリムは脱出できないようだ。

 最終的にお得意の熱放出でワイヤーを焼き切るも、またゼファーと距離を離されてしまう。

 苛立ち、ネフィリムはまた咆哮した。

 

 ゼファーは下から上がってきたばかりだ。こんな仕込みをする時間があったわけがない。

 なら、誰がこのワイヤーを仕込み、ネフィリムにしてやってのけたのか?

 

 

(流石、キリカとシラベ)

 

 

 なんと、切歌と調の二人である。

 とはいっても彼女らが独断でやったわけではない。

 ゼファーは壁と天井の境界に取り付けられている『スピーカー』に目をやり、ほくそ笑む。

 

 

「日本語かスペイン語か英語知ってれば、話は別だったろうにな」

 

 

 理屈は単純だ。

 ナスターシャがゼファーに各階の状況を通達し、ゼファーがネフィリムの足を止めるための罠を考案、インカムを通じて研究者側にそれを伝える。

 伝えられた研究者は、ゼファーがコンテナで武器を運ぶのと同じルートを通して調と切歌にワイヤー等を送り、スピーカーを通して堂々と指示を出し、二人はその指示に従って仕込みを終える。

 ゼファーはその仕込みに沿って動き、戦い、時間を稼ぐ。

 

 文字に起こせばなんてことのない作戦だ。……しかし、戦いに全身全霊を向けているゼファー以外の全員が、この構図の意味に気付いている。

 驚き、納得し、そして今ではこの流れの心地よさに身を任せている。

 子供が大人から貰った情報を元に作戦を構築し、それを伝えられた大人達がそれを補完し、別の子供二人に伝えて援護させ、子供と大人が助け合い、戦っている。

 皆で力を合わせ、皆で生き残るために戦っていた。

 その意思も、求めるものも、大切なものも違うけれど、皆が同じ方向を向いていた。

 誰もが生きるために、生かすために、同じ未来を目指していた。

 

 今この瞬間、この施設の全ての命の、未来を目指し生きようとする命の力が束ねられている。

 

 

『隔壁を15枚重ねで落とします。これで数分の時間を稼ぎましょう』

 

「す、すみませ……ぜぇ、ぜぇ……ちょっと、休みます」

 

 

 Dr.ウェルは限界を超えたゼファーなら30分は時間を稼げると言っていた。

 しかし戦闘開始から30分を経過してもなお、ゼファーには余裕がある。

 ウェルにとっても計算外だったのは、この周囲の人間とゼファーの共闘による相乗効果。

 

 

「手榴弾取って来たデスよ」

 

「どうする? 私達に何か指示ある?」

 

「ありがとう、上の階に俺が行く前に――」

 

 

 監視カメラによる情報取得アドバンテージ。

 スピーカーと司令塔による情報伝達アドバンテージ。

 怪物と人間の差を、情報の差と人数差が少しづつ埋めていく。

 大人と子供が共闘し、力を合わせた相乗効果の後押しにより、更に埋められていく。

 最下層の地下26階、地下25階、地下24階での戦闘が終わった頃には、ゼファーに多少の余裕を残しながらも、戦闘開始から一時間以上の時間が経過しようとしていた。

 退避完了まで、あと最低二時間。

 勝利条件達成まで稼がなければならない時間の、三割を既に消化した計算となる。

 

 ゼファー達が戦いの中で出したこの結果こそが、何よりも如実に『絆の力』を証明していた。

 

 怪物が跳ぶ、口を開く、人間の小細工をゴミのように吹き飛ばす。

 少年が走る、跳ぶ、銃を撃つ、小細工でほんの数秒の値千金の時間を稼ぎ、それを重ねていく。

 大人達が考え、走り、計算し、指示を出し。

 子供達が他の子供を避難させ、ゼファーを援護し、走り回っていた。

 誰もが共に戦っていた。

 

 

『隔壁を降ろします。5、4、3』

 

「いえ、もう二秒遅らせて下さい!」

 

 

 耳元から聞こえる声にゼファーが指示を出し、ナスターシャは特に逆らうこともなくその指示に従い、隔壁を降ろすタイミングを二秒遅らせた。

 ゼファーに飛びかかるネフィリム。

 その攻撃を遮断するはずだった隔壁はタイミングが遅れ、そして……タイミングよく真下に来たネフィリムを、ゼファーの予想通りに下敷きにした。

 

 

『なんと!』

 

 

 床と隔壁に挟まれたネフィリムはもがき、前方に立つゼファーを喰らわんとする。

 隔壁は重さも下向きに押す力も十分だが、ネフィリムのパワーには敵わない。

 ネフィリムが前に進む力を出すのではなく、一度隔壁を上に押し上げてから脱出すれば楽に出られると気付いてしまえば、それで終わりだ。

 そして一度知られてしまえば次は時間も稼げない一発芸。

 だが、初見の今ならば意味はある。

 

 

無反動砲(バズーカ)実戦で撃ったこと無いんだけどな、俺……まあいいか」

 

 

 動けないネフィリムに、ゼファーは躊躇なくバズーカをぶっ放した。

 

 

「■■■■■■ッ!!」

 

 

 しかし、ネフィリムも化物の最たる雄。

 身動きができないままに大きく口を開けると、バズーカの砲弾がその口に飛び込んでいく。

 放たれた砲弾は榴弾だ。

 大サイズの爆弾と言っていい砲弾はネフィリムの口の中で爆発し、そして。

 

 爆発したはずなのに、その爆風は広がらず、ネフィリムの口の中で球型の力場に閉じ込められ、爆発のエネルギーをありったけ吐き出した後、咀嚼された。

 

 

『まさか、爆風が広がりすらしないとは……』

 

 

 ネフィリムからすれば、銃弾や爆弾のエネルギー価はきゅうり以下のものらしい。

 食べても栄養にはならない、けれど飢えはしのげる。

 その特性を利用して何度も「わざと喰わせる」ことにより時間を稼いできたゼファーだが、ナスターシャと同じように彼も今回ばかりは開いた口が塞がらない。

 ネフィリムは既に、エネルギーを効率よく捕食するための力場形成すら身に付けている。

 かの完全聖遺物は『進化』しているのだ。

 戦いの中で、今、この瞬間にも。

 

 

「まあ、別にそれがどうしたって感じですけどね」

 

 

 しかしゼファーはクールに、あくまで現実的に地に足つけた戦いをする。

 別に効かなくたっていいのだ。

 ゼファーは今持っていたバズーカを捨て、新しいバズーカを構える。

 ネフィリムに撃った方は気を引くための囮。邪魔をされないための囮だ。

 ゼファーはネフィリムの少し手前の床に発射、バズーカの榴弾で床ごと怪物を吹き飛ばした。

 

 

「■■■■■■――――!!」

 

 

 着弾、爆発、そして崩落。

 ゼファーのバックアップに付いている研究者の内数人は、リアルタイムで研究所の崩落しやすくなっている場所を確認し、その耐久値を計算している。

 彼はそれを今まで、突発的な崩落に巻き込まれないためのルート選びにのみ使っていた。

 しかし、今回は違う。

 崩れやすい床のある場所にネフィリムをわざと誘い込み、バズーカで床ごと崩落させたのだ。

 抑え付けていた隔壁と共に、ネフィリムは絶叫しながら下の階に落ちていく。

 

 

「……ふぅ」

 

『すぐに上がってきます。油断は禁物ですよ』

 

「了解です」

 

 

 またしても走る。

 これでほぼ一時間走りっぱなしだ。

 一度休憩を入れたものの、ゼファーの疲労と負担は激しい。

 ナスターシャもそれは予測できてはいるものの、インカムとモニター越しでは疲労の度合いは理解しづらい。

 そこで役に立ってくれるのが、現地で動いてくれている切歌と調である。

 

 

「ゼファー、おっかえりッ、デェス」

 

「お水飲む?」

 

「ありがとう、貰っとく」

 

 

 ゼファーからインカムを受け取り、代わりにペットボトルを差し出す調。

 調の視点からも、汗だくで息を切らしているゼファーは相当に消耗しているように見える。

 だが同時に、ゼファーの体力と追い込まれてからのギリギリの粘りを考えれば、ここからでもそれなりに戦えるような気もしてくる。

 少なくとも、追い込まれているという感じはしなかった。

 

 

『調、どうですか? ゼファーの調子は』

 

「まだ少しは余裕があると思う……でもだんだん、疲れてきてる感じ」

 

『こちらも援軍を送る用意はしているのですが、調整が長引きまして……

 あなた達二人がこちらに来ても、すぐには無理でしょうね』

 

「……そう」

 

 

 ナスターシャとのこの通信は希望か、絶望か。

 しかし、誰もが諦めることだけはしていない。

 ゼファーがそうさせている。皆がゼファーにそうさせているのと同じように。

 一人が皆に明日を諦めさせず、皆が一人に明日を諦めさせようとしない。

 ゼファーの直接的間接的援護に回らず、援軍を送ろうとしている者達もそうなのだろう。

 まだ、何一つとして終わってはいない。

 

 

「ゼファー?」

 

 

 ナスターシャといくつかのやり取りを終え、ゼファーにインカムを返して上に上がろうと考えていた調が、切歌の声につられて彼を見る。

 ゼファーは何故か床を見て、その向こう側を見ているかのように見える。

 こうしたことは、何度かあった。

 ゼファーが直感が囁く何かを感じ取ると、こうしたどこか遠くを見ているような表情になる。

 

 

「―――」

 

 

 彼の表情が変わる。

 声を出す時間すら惜しむようにゼファーは横を向き、切歌と調を突き飛ばした。

 しかし悲しきかな、そこは子供の体重。

 体ごとぶつかって、誰かを突き飛ばす際に必要なのは、どこまでも突き飛ばす側の体重だ。

 ゼファーの体重では、二人を突き飛ばすには全体重をかけるしかない。

 だから彼は、直感が示す安全圏に跳ぶタイミングが、一歩遅れてしまう。

 

 何事かと驚く、切歌と調の目の前で。

 

 床から天井までを斜め一直線に貫く『熱線』に、ゼファーの左腕が飲み込まれ、消し去られた。

 

 

「……ゼ、」

 

 

 熱線に消し飛ばされる左腕を、少年は他人事のように見やりながら。

 あの時、ジェイナスの時、窮地に友達ではなく自分を選んだ後悔を。

 ほんの少しだけ、精算出来た気がした。

 

 

「ゼファァァァァァァッ!!!」

 

 

 痛みで意識が飛びそうになる。視界がチカチカする。左腕の断面から血が流れ出す。

 それら全てを無視し、ゼファーは叫んだ。

 

 

「階段を登れぇぇぇぇッ!!」

 

 

 ゼファーの声は考えるよりも先に二人の体を動かした。

 動いたのは調の方が早かったが、足の差で切歌が少し先行する。

 そんな調に追いつき、手を引いて、ゼファーは上階へと駆ける。

 片腕が欠けたことによる体重のバランスの変化と、血圧の低下等バイタルサインの低下が影響した体で、一度も転ばなかったのは奇跡だった。

 

 熱線はゼファー達が去った後の床と天井を貫き、円形の軌跡を描く。

 パカリと床が抜け、床に大きな穴が開いた。

 まるで紙にボールペンで丸を書くかのように手早く、綺麗に、気軽に、少年の左腕を手土産に。

 その穴からネフィリムが飛び上がって来た。

 怪物は熱線で「餌を仕留めておこう」と判断し、その攻撃で同時に道を作ったのであった。

 子供が小さな虫の手足をもぐように、軽い気持ちで、衝動のままに。

 事実、ネフィリムとゼファー達の間には人と小虫ほどの戦闘力差があり、この怪物に知性がなく全力を出してこないことだけが、彼らの希望であった。

 怪物は、本来の能力の一端を見せただけ。

 それだけなのだ。

 

 ネフィリムは階段の上に逃げた獲物を、聖遺物ガングニールを追わんとする。

 だが、階段に踏み込んだ途端、その階段が爆発音と共に崩落した。

 こんなことをするのはただ一人、ゼファーしか居ない。

 セムテックスの爆弾をとにもかくにもと設置し、即座に爆破。

 上に登る階段も下に繋がる階段もまとめて爆破。

 上層へと逃げる手段を一つ減らした代わりに、ネフィリムを軽く瓦礫で生き埋めにし、本当に僅かではあるが時間を稼いでみせる。

 

 階段が発破で潰れたことを確認し、ゼファーは調の手を引いたまま駆け出した。

 

 

「ゼファーッ! 腕が、腕が……!」

 

「話は後だ! 走れッ! 近くに警備員室があるッ!」

 

「で、デス!」

 

 

 今、考える時間と余裕を二人に与えてしまうのはマズい。

 そう考え、ゼファーは二人に考える余裕もなくなるほど走らせた。

 一応の目的地も与え、二人の動揺をそこまでの多少の時間が解決してくれることを信じて。

 その判断は正しい。ここで二人が立ち止まってしまえば、先ほどの二の舞いだ。

 最悪、ネフィリムの再度の熱線で三人まとめてお陀仏すらありうる。

 今だけは、足を止めるわけにはいかなかった。

 

 

(熱線を吐くってのは最初に分かってたくせに……!

 ずっと吐いてこなかったからって、油断してたのか!?

 クソッ、熱線を吐く度に内包熱量が減少してるってのが、逆に奇襲を許しちまった……!)

 

 

 歯を食いしばらないと痛みに耐えられそうにない。

 今まで感じたことのない痛みに、重量が欠けていることで否応なく突き付けられる喪失感。

 酸素が足りず息が切れ、血液が足りず目眩がする。

 現状のゼファーの体調は、最悪と言っていい状態だった。

 骨が折れる。腕が欠ける。

 本来人はそれだけで痛みで戦意喪失し、心折れてしまう。最悪出血で死に至る。

 腕が欠けてしまった時点で、もはやゼファーに単独で時間を稼ぐ力は残されていない。

 

 皆が生き残るために手繰り寄せていたか細い可能性は、ここで絶望的に切れてしまったのだ。

 

 そして畳み掛けるように、床を粉砕してネフィリムが飛び出してくる。

 舞い散る瓦礫。飛び散る粉塵。恐怖か驚愕か切歌の叫び。

 当然ながら直感により、反応はゼファーが一番早かった。

 

 

「ちょっと静かにしてろッ……!」

 

 

 ゼファーは最後の切り札を切る。

 懐から取り出した長方形の手榴弾を取り出すと、怪物に向かって放り投げた。

 ネフィリムはまた餌かと飛びつかんとし、それに視線をやる。

 

―――瞬間、手榴弾が破裂し、中から粘液が飛び散った。

 

 どこにそれだけの量が収まっていたのか、ネフィリムの総体積の数倍という量の粘液が放出、ネフィリムの全身に振りかかる。

 そして粘液はネフィリムの熱に反応し、固まるのではなく、動きを止める程度の硬度と粘着力を維持し、まるでガムのごとくへばり付きネフィリムをその場に縫い止めた。

 元はここの宇宙開発分野の研究員が作った失敗作の転用、宇宙船や宇宙ステーションに穴やヒビが発生した時にそこを塞ぐために作られたもの。

 ゼファーが廃棄予定の失敗作群から持って来た、最後のジョーカーである。

 

 一発しかない、ネフィリムの足を止めるための最後の最後の策であった。

 

 

「足を緩めるな、走れ……!」

 

 

 ゼファーに誘導され、三人は下層の警備員室へ。

 切歌と調はドアを蹴破るように開くと、椅子の一つにゼファーを座らせた。

 

 

「ここデスかっ!」

 

「ああ、ここだ……入って……奥にコンテナの搬路がある。

 コンテナはもう呼んであるから、そこにある緑色の箱を取ってくれ。

 調はこの部屋の備え付けの救急箱を。二人共、大至急で頼む」

 

「う、うんっ」

「りょーかいデスッ!」

 

 

 二人に手当ての道具を探すよう頼み、ゼファーは自分の怪我の度合いを改めて確認する。

 時間との勝負だ。ネフィリムはせいぜい十分前後しか待ってはくれないだろう。

 いや、ネフィリムとかそれ以前に、もたつけば出血で自分の命が持っていかれる確信がある。

 

 まずは出血。

 ここに来るまでに痛みに耐えながら脇をキツく締めていたおかげか、出血はそのままにしておくよりはだいぶ抑えられている。

 傷口の断面も、その多くは焼かれたことが逆に止血となってくれたようだ。

 熱線ではなく刃物で切られていたなら、こうはなっていなかっただろう。

 それでも頭がふらつくのは、大きな血管の断面があるせいで、出血自体は全く止まっていないからだろうか。

 それとも、腕一本分の血液が体から失われてしまったからだろうか。

 実際、四肢を事故で失った人はその後体調が昔のようには行かなくなることが多いという。

 

 腕の切断面は、左肘より少し上のあたり。

 まるで裁断機にでもかけられたかのように、腕も袖も綺麗に焼き切られていた。

 焼き尽くされた左腕はもう戻らないだろう。

 長い間共に戦い、鍛え上げてきた左腕が突如消えてしまったことに、ゼファーは言いようのない喪失感と寂しさを覚える。

 左腕を動かそうと、いつもの感覚で左腕を動かそうとする。

 けれど、肘から先は何もなくて。その感覚には何も応えてくれなくて。

 いつの日か、この『左腕を動かす感覚』すら忘れてしまったらと思うと、喪失感が増した。

 歯を食いしばり、目を瞑り、余計な思考を頭から追い出していく。

 

 なくなってしまったものは仕方ないと、そういうことは後で考えようと、ゼファーは自身の感情に対し向き合わず、後回しにして逃避した。

 

 

「あったよ、救急箱!」

 

「よし、ナイスだシラベ……悪いけど、手伝ってくれるか?」

 

「うん。どうすればいい?」

 

 

 ゼファーに救急箱を渡し、彼の左側に回った調だが、彼の左腕の断面図をモロに見てしまい、後悔と忌避感と吐き気を同時に覚えてしまう。

 それも当然だろう。戦場上がりのゼファーと違い、調は文字通りの箱入り少女だ。

 焼き切られた人の肉の断面図など、見たことがあるはずがない。

 戦友が銃弾にミンチにされるところを何度も見てきたゼファーとは違うのだ。

 ネット初心者が事故でグロ画像になってしまった人の写真を見せられて気分を悪くするように、調もまたゼファーの怪我を見て、気分を悪くしてしまった様子。

 もっとも、彼女はその気分を決して顔には出さないようにしていたが。

 

 

「腕にその鉄の棒を沿わせて、布を腕の断面に合わせて巻いて、棒の上で縛って……そう。

 んで、棒を回して……ぐっ、ずっ……! いや、俺のことは気にしないでいい。

 もっと回して……ぎ、いっ……! っ、それ、で、その棒の上から、別の布で縛って固定。

 棒と腕をまとめるように布の輪を作れば、棒を回すことで輪が締まって、止血ができる。

 応急処置だが、これで止血はいいはずだ」

 

「……ん」

 

 

 が、ゼファーの指示で止血をする内に顔色がどんどん悪くなっていく。

 責任感や罪悪感から頑張ってしてはいるものの、そもそも治療対象の苦悶の声を意図して無視して止血すること自体、割と難易度が高いのだ。

 やり方を知っていても、有事にはふと手控えてしまう人も多い。

 相手が親しい友人であるのなら、大切な人であるのなら、なおさらに。

 それでも幼い少女の身でゼファーの指示をやり遂げられたのは、彼女の強い意志力と責任感が働いたからなのだろう。

 

 

「箱取って来たけど、これどうすれば……」

 

「ありがとう、キリカ。それ薬箱なんだよ」

 

 

 切歌から受け取った箱をパカリと開ければ、そこには四つの試験管と二つのスプレー。

 ゼファーはそこから二つの試験管を取り出すと、順に一気に飲み干した。

 

 

「増血剤は不味いし、鎮痛剤は動きが鈍くなるから飲みたくないんだけどなぁ……」

 

 

 苦い薬で苦い顔。

 ウェル博士謹製の薬を飲み干し、ゼファーは当座の失血死と痛みによる気絶を防ぐ。

 そして調が持ってきた薬箱の中から、消毒液と円筒状の包帯の束を取り出した。

 包帯の束を歯で強く噛み、消毒液の蓋を外し。

 

 迷わず、左腕の断面に、思いっきりぶっかけた。

 

 

「~~~~ッ!!!」

 

 

 痛みに人一倍強いゼファーが、二人が一度も聞いたことの無いほどの苦悶の声を上げる。

 だが、痛みに苦悶の声は上げても、治療の手は止めず、弱音も吐かず涙も流さない。

 消毒液はあっという間に揮発し、ゼファーは左腕の断面にスプレーの一つを向け、吹きかけた。

 スプレーから噴出した粘液状のものは傷口を覆い、固まる。

 目を覆いたくなるくらいに痛々しい治療風景を、切歌と調は呆然と見ていた。

 

 

「……ッ、っ、ぎっ、ぅ……

 これは、水絆創膏のマイナーチェンジ版みたいなものらしくてさ。

 一定時間は継続して殺菌と止血をしてくれるんだ。重傷に対してはどうだか聞いてないけど」

 

 

 先ほどの苦悶の声が嘘のように、ゼファーは安心させようと軽い口調で話を振ってみせる。

 しかし顔色までは取り繕えないのか、ひどい顔色だ。

 そのせいで強がっている印象が強調されてしまって、強がりが逆効果になってしまっている。

 案の定、二人はむしろゼファーに対する心配が増大してしまって、彼が望む通りに安心感を得ることなんてできずに、表情を暗くしてしまっていた。

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 ぼそっと、調は呟き、頭を下げた。

 

 

「あたし達を庇って、腕が……ごめんなさい……!」

 

 

 考える余裕ができて現状を強く認識し始めてしまったせいか、続く切歌も声は震え、後悔と罪悪感に呑まれてしまっている。

 二人は熱線が飛んでくる直前、ゼファーに突き飛ばされたことを覚えている。

 突き飛ばされていなかったら、直前まで自分達が居た場所を熱線が貫いていたであろうことを、その目で確かめている。

 気にするなだとか、二人を庇った結果腕がなくなったわけじゃないとか、適当なでまかせを言っても通じることはないだろう。

 

 ゼファーはそんな二人を元気付けようと、二人の髪をくしゃくしゃとかき混ぜてやろうとする。

 そうしようとして、片方しか上がらない腕を見て、少しだけ心が傷んだ。

 (かぶり)を振って、ゼファーは二人の額に一回づつデコピンし、ニッと笑う。

 

 

「俺とキリカとシラベ、腕一本で命三つ。安い買い物だったと思わないか?」

 

 

 気にしてないぞと、彼の本音が伝わっていく。

 それで二人の罪悪感がどうにかなるわけではないが、彼が二人を責めていないという意思表示をすることは、とても大切だ。

 

 

「それでも気になるなら、俺の腕一本分くらいは俺を助けてくれ。それでチャラにしよう。

 俺の友達は、俺の腕一本分以上に活躍できる凄い奴なんだって信じてるからさ」

 

「……うん!」

「……はいデス!」

 

 

 今は思考を生産的な方向に向けるべき。

 ゼファーは自然にそう誘導したし、二人だって内心ではそんなことは分かっている。

 謝ることも、償うことも、全てが終わったその後でいい。

 今はまだ、戦いの時間だ。

 

 

「奥のコンテナの中身を全部出してくれ。

 あれ人も乗れるから、階段を潰してしまった今、あれでしか上層には向かえない。

 一旦セレナや先生達が居る所まで退却しよう」

 

「ん。こうなっちゃったら仕方ないね」

「よっし早速あたしの出番デスね!」

 

 

 ゼファーの指示に我先にと走り出す二人。

 壁に取り付けられたドアのようなものを開け、その奥にあるコンテナの横の開閉口を開け、中身をポンポン外に放り出していく。

 まるで子供がおもちゃ箱の中身を外に放り出す光景のようだ。

 それを見て、二人が自分の方を見ていないのを確認し、ゼファーは椅子に座ったまま膝に手を付いて、前に倒れそうになる体を必死に支える。

 息は切れ、顔色は悪く、時折口元を抑えているのを見るに、吐き気もあるようだ。

 

 ウェル博士謹製の増血剤は痛みを伴う。

 左腕の痛みだってまだ収まったわけではない。

 その両方の痛みを鎮痛剤で無理矢理に抑え付けた結果、ひどい吐き気が彼を襲っている。

 先程までは痛みで意識が朦朧としていたが、今では強力な鎮痛剤のせいで意識の端がはっきりとしない。戦闘力は相当に落ちたと見て間違いはないだろう。

 だが、本人からすれば「問題はない」に入る範疇らしい。

 やせ我慢は、彼の得意技である。

 

 

「終わったよ。乗ればいいの?」

 

「そう、乗ればいい。早く乗ってくれ、俺が乗れない」

 

「っとと、申し訳ないデス」

 

 

 そうこうしている内にゼファーは呼吸を整え、二人はコンテナの中身を全部出し終え、上層へと上がる準備が終わる。

 調がゼファーに問うてから乗り、切歌がゼファーに促されて慌てて乗る。

 後はゼファーが乗って、コンテナを上層に向けて動かすだけだ。

 

 

「さ、ゼファー」

 

 

 切歌が怪我をしたゼファーに気を遣い、引っ張り上げようと右手を差し出す。

 

 

「悪い」

 

 

 けれど、その手は繋がれず。

 ゼファーはその手を押し、切歌をコンテナの中に押し込んだ。

 

 そして二人が反応する前にコンテナの開閉口を閉じ、搬路に繋がるドアのようなものを閉じ、壁に備え付けられたコントローラーを操作して、コンテナを上に向かわせた。

 ふぅ、と一息。

 もう彼のそばには誰も居ない。

 ゼファーは二人が床に放り出した武器の内いくつかを選び、その身に付けていく。

 愛用のアサルトライフルも、両腕がない以上もう上手く保持は出来ない。

 自然と武器のチョイスは、低火力低反動のものが中心となる。

 

 

「……」

 

 

 彼が銃のマガジンを取り替えているその時に、コントローラーに備え付けられたスピーカーから声が届いた。

 

 

『何してくれやがるんデスか! というかなんで、あたしたちだけ!』

 

『私達がこんなことされて、喜ぶとでも思ってるの!?』

 

「……キリカ、シラベ」

 

 

 どうやら内部に人が閉じ込められた時に備えて、コンテナ内部から外部と通信できるシステムがあったらしい。

 切歌と調の声は怒りに満ちている。

 まあ、それも当然だろう。

 ゼファーが二人を頼るような台詞を吐いた直後にこれだ。だましうちに近い。

 一種、信頼を裏切られたような気すらしているだろう。

 危険な戦場に、彼が何故一人で残ったか、その理由が二人には薄々分かっているから。

 それでも、危険は承知で彼を助けたいと、そう思っていたのに、その意思を蔑ろにされたから。

 

 一人で時間稼ぎのために残ったゼファーに、二人は怒りをぶつけている。

 

 

「そのコンテナ、子供でも二人しか乗れないんだ。

 それに俺の持ってる携帯端末がないと、中からは操作ができないようになってるらしい」

 

『最初から確信犯だったってことデスか?

 めっちゃムカつくデス……! 何が「助けてくれ」デスかッ!』

 

「……だから言ったろ、『悪い』って」

 

 

 ゼファーは壁に手を付き、俯くような姿勢でマイクとスピーカーに顔を近づける。

 その表情は誰にも見えない。

 マイクとスピーカーはあっても、カメラとモニターが備え付けられていないこのコントローラーの仕様に、ゼファーは人知れず感謝した。

 

 

「片腕になった俺じゃ、戦いながら二人を守るのは、無理だ」

 

『―――』

『―――』

 

「俺一人の命を守るのだって危ういんだ。分かってくれ」

 

『……私達、足手まといになるの?』

 

「……ここまでの戦いでは、足手まといなんかじゃなかった。

 本当に助かったよ、ありがとう。感謝してる」

 

 

 そこに虚飾はない。

 二人が現地で走り回りゼファーを援護してくれたことは、間違いなく彼の助けになっていた。

 もしも二人が居てくれなければ、ゼファーはどこかで避難できていなかった子供に気を取られ、ネフィリムの餌となっていただろう。

 だが、ここからは違う。

 ゼファーの片腕の喪失は、二人の負担を飛躍的に増加させる。

 ここまでの戦いでは、二人に命の危険はほとんどなかった。

 

 だが、もしも二人に危険が及ぶようになるのなら。

 ゼファーがこうするというのは、至極当然の結論で。

 

 

『だけど……!』

 

「俺の指示には従うって約束だったろ、キリカ」

 

『ッ』

 

 

 それを言われると、切歌も強くは反論できない。

 二人が残ってゼファーの援護をした方が、全員で生存する確率は高くなるんじゃないか……という仮定も、間違いではない。

 しかし二人の頭の中には、自分を庇って片腕を失ったゼファーの姿がチラついている。

 「足手まとい」という言葉は、今の二人にはとても説得力のある言葉なのだ。

 たとえその思考が、二人を生かそうとするゼファーに誘導されたものであったとしても。

 ゼファーにも見えないコンテナの中で俯き、拳をギュッと握りしめる二人の耳に、彼の穏やかで安心させようとする意図が伝わる、そんな声が届いた。

 

 

「心配するなって。約束する……必ず、生きて帰るって」

 

 

 生きて帰ると約束したのはこれで二度目だなと、彼は無体に思う。

 

 

「何があろうと、俺が生きることを諦めると思うか?

 キリカとシラベに約束する。必ず……生きて帰るって。

 だからさ、みんなに『ゼファーは必ず生きて帰って来る』って、言っておいてくれ」

 

 

 ゼファーはどんな時でも、生きることだけは諦めない。

 そして命と約束を守ることを重んじる。

 まだ、ゼファーは、皆で生き残ることを、その未来を諦めてはいない。

 

 

「キリカとシラベを、俺の友達を、嘘つきなんかにはしない。絶対に、絶対にだ」

 

 

 ゼファーは生きて帰ると言ったなら、ゼファーが死んでしまえばその言葉は嘘になってしまう。

 二人を嘘つきにしたくないのなら、彼は生きて帰るしかない。

 ベアトリーチェの時にマリエルに言われた「うそつき」は、今もなおゼファーの心に深い傷として刻まれている。

 口にした言葉が嘘になってしまった痛みを、苦しさを、彼は知っている。

 誰かを嘘つきになんかしたくないと、心の底からそう思っている。

 その果てに本気の嘘をついた彼だからこそ、その想いは本当に強い。

 

 

『約束は守って』

 

「ああ」

 

 

 スピーカーの向こうの調の声に、力強く応える。

 短くも、静かでも、平坦な口調でも、調はそこに万感の思いを込めている。

 それに気付けないゼファーではない。

 

 調は何故か、幼い頃に見た一つの物語を思い出していた。

 『幸福な王子』という、"王子様"と"小鳥"の物語。

 金と宝石で彩られた王子様の像が、小鳥に頼んで自分の体に付いている金や宝石を貧しい人々に分け与え続け、人を救い続ける話。

 けれど最後にはみすぼらしくなってしまった王子様の像は人々に捨てられてしまい、王子様を見放せなかった小鳥も冬が近づくにつれて弱っていき、最後には死んでしまう。

 どこが幸福なのかと、幼い頃に調は思った。

 見ず知らずの他人を救い続ける内に、王子様も小鳥も死んでしまうだけの話じゃないかと。

 救った相手に用済みとばかりに捨てられてしまうなんて、悲しすぎると。

 

 何故か今、調の頭の中で、ゼファーとセレナがそれに重なった。

 突拍子もないイメージに、調は慌てて(かぶり)を振る。

 なのにそのイメージは中々消えてくれなくて、不安だけが胸中に膨らんでいった。

 

 

『……ちょっとだけ! ちょっとだけ待ってて!

 あたしが……あたし達が! すぐに助けに行くから!』

 

「危ないことはやめて欲しいんだけどな……」

 

『切り札があるんデスよ! あたし達の――』

 

 

 切歌が何かを言おうとしたその瞬間、施設が揺れる。

 おそらくはまたネフィリムが何かをして、粘着物を吹き飛ばしたのだろう。

 それと一緒に施設の一部が吹き飛ばされ、一部にガタが来たのか、通信が途切れてしまう。

 慌てて携帯端末からコンテナの状況を確認するゼファーだが、彼が心配したほどの影響はなく、コンテナは無事に上層に向かっているようだ。

 このまま行けば、ナスターシャ達が居る場所の近くまで辿り着ける手筈になっている。

 

 

『……馬鹿なことをしましたね』

 

「すみません、先生。

 腕吹っ飛ばされた辺りから、色々言ってくれてたのに全部無視してしまっていて」

 

『ならここからでも聞いて欲しいものですね。

 私は貴方の無事を願っていますが、貴方が聞いてくれなければ意味がありません』

 

「俺の方はあと一つか二つくらいしか考えはないですが……

 先生、もしやこの現状をひっくり返せる打開策があるんですか?」

 

『武装を大至急揃え、この階層の中央実験室に向かいなさい』

 

 

 インカムからのナスターシャの声に従い、ゼファーは中央実験室に向かう。

 辿り着いた実験室は、彼がかつてブドウノイズロボと戦った実験室と瓜二つであった。

 どうしようもなくズタボロな体を、応急手当と薬で補強しているゼファーは既にフラフラで、息も絶え絶えだ。

 それでも呼吸を整え、一秒でも早く回復しようとする。

 そこに、入口の扉を蹴破ってネフィリムが現れた。

 

 蹴り飛ばされた扉は吹っ飛び、ネフィリムが入って来た場所の反対方向にすっ飛んでいく。

 一歩歩くごとに床が軽く振動する重量。

 皮膚に付着していた粘液の残りが気化するほどの絶大な高温の体躯。

 鋼をスナック菓子のように容易に噛みちぎる口。

 人間の武器ではどうやっても傷付けられない無敵の耐久力。

 

 ネフィリムは、とうとう追い詰めた獲物を前にして、舌なめずりをした。

 

 

「まさか、腕一本取ったくらいで勝ったつもりか」

 

 

 ただそこにあるだけで最悪に最強で、無敵の怪物。

 目の前の餌に食らいつくだけの虫のような知性しか無いのに、力尽くで人間の知力を尽くした策を尽くなぎ払い、叩き壊し、押し潰し。

 気まぐれに吐く熱線は、全てをちゃぶ台のごとくひっくり返す。

 熱線で周囲を薙ぎ払われれば、その時点でゼファーは回避のしようもなく終わる。

 

 熱線を吐く度に内包熱量を消費するという特性がなければ、エネルギーに限りがあるという弱点がなければ、その知性を補う何かがあれば、ゼファーはとっくの昔に殺されていたに違いない。

 

 だが、それでも。ゼファーはこの絶望を目の前にしても、生きることを諦めてはいない。

 

 

「獲物を前に舌なめずりは三流のすることだって、キリカが好きな本に書いてあったぞ?」

 

 

 最後の最後まで、彼は絶対に諦めない。

 腕が千切れようと、骨が折れようと、どんなに血が流れようと、絶対に。

 絶望に抗うその背中にこそ、希望は宿る。

 

 その希望こそ目障りなのだと、絶望が不気味な熱の濃度を増した。

 

 ネフィリムが希望を絶やさんと、絶望の本懐を見せんとする。

 体の表面が沸騰した水のように泡立ち、膨れ上がり、時に体内で小さな爆弾が爆発しているのではないかと思う程に膨れ、それを繰り返して肥大化していく。

 3m程度かと思われていた身体が加速度的に巨大化していき、10m以上の怪獣と言っていいレベルの大きさに至り、その身体のなす影がゼファーを飲み込んだ。

 手足はスラっと伸び、しかしそれ以上に大きくなった口と消化器官に類する部分が肥大化し、人型であって人型でないおぞましいフォルムへと変化する。

 まるで昆虫の幼虫の頭の部分から、下方向に人形の胴体を生やし、そこから手足を生やしたかのような、アンバランスさとおぞましさを両立する怪物。

 ネフィリムは進化したのだ。この戦闘で得た経験値を元に、効率よく捕食を行うために。

 

 名を、『アルビノ・ネフィリム』。

 

 こことは違う世界、平行世界では、セレナがそのエネルギーを抑え込むだけで死に至ってしまったほどの最悪の怪物。

 ゼファーが手も足も出なかった、先程までの成長期のネフィリムを遥かに超える戦闘力を持つ、ネフィリムの進化形態の一つ。

 少年はそれに息を呑み、先刻よりも遥かにその大きさと密度を増した絶望を感じつつも、その絶望に折れることはなく。

 再び、撃ちてし止まぬ運命に吠えた。

 

 

「……来いッ!」

 

 

 ゼファーの声に応えるように、ネフィリムが飛びかかる。

 その初速はレーシングマシンを遥かに超える速度。

 直感に従い、ゼファーは初撃を回避すべく横に跳ぼうとして――

 

 

『よく吠えた。いや、違えな……よくここまで持ちこたえてくれた』

 

 

 ゼファーとネフィリムの間の空間が爆発し、ネフィリムが後方に吹き飛ばされたのを見て、少年は足を止めた。

 ネフィリムは踏ん張るが、連鎖的に繰り返される爆発に実験室の端まで押し込められる。

 

 

「スピーカーの今の声……まさか、Dr.カルティケヤ!?」

 

『おう、俺だとも』

 

 

 スピーカーから届く声にゼファーが反応すると、ゼファーの横に何かが降り立つ。

 

 

「……ブドウの……ノイズロボ……!」

 

 

 ネフィリムを爆発で吹っ飛ばしたブドウのノイズロボが、片腕を上げてその声に応える。

 ゼファーの後ろからナメクジ型のノイズロボが這って来て、少年の左側で止まる。

 どこからか跳んで来た人型ノイズロボがゼファーの前に着地し、彼を守るようにそこに立つ。

 上を見れば、飛行型ノイズロボが三機ほど宙を舞っている。

 立ち上がろうとしたネフィリムの顎を、下から跳んで強打して転ばし、時間を稼いでいるカエル型ノイズロボまで見える。

 

 ただの機械。けれど、ノイズが人を守るという光景がそこにあった。

 

 

『ノイズロボの新型ハイパーエンジン「ゴリ押し」!

 猿人なのかゴリラなのかどっちなのかはっきりしろい! と巷で大評判でござぁい!

 それの搭載直後で調整に手間取ってたトカそうじゃないとか』

 

「この声は……Dr.トカ!」

 

『その通り! 諸君らが愛してくれた我輩ですぞ!』

 

 

 研究員達がゼファーの稼いだ時間を使い、調整中だった改装ノイズロボを全て稼動状態に。

 ノイズロボ一体一体を研究員が一人ずつ付いてオペレーティング。

 現在施設が保有するノイズロボの全てを、この研究所の保有する戦力の全てを、ゼファーへの援軍として差し向けた。

 ゼファーの周りに、彼に寄り添うように、ネフィリムに立ち向かう複数体のノイズロボ。

 

 それこそが、大人達が見せた、「彼の心に応えよう」という意思の体現であった。

 

 ゼファーが今日まで彼らに語りかけた日々が成し遂げた、共闘の形であった。

 

 

『おいゼファー、どうだ! もう諦めたか! 絶望しちまったか!?』

 

 

 スピーカーから、一度は外道に堕ちた男の声が聞こえる。

 いつの日か地獄に落ち、報いを受ける日が来るのだとしても、彼は自分の罪と懐かしい気持ちを思い出させてくれた少年に、精一杯のエールを贈る。

 その言葉は不器用でも、ゼファーにならばその気持ちは伝わる。

 

 

「感謝します……まだまだ、諦めるには早すぎたようでッ!」

 

 

 まさかもどきとはいえ、ノイズと共闘する日が来るなんて、などとゼファーは考える。

 さっきまで、気を抜けば倒れてしまいそうなくらいの体調だった。

 なのに今では、体中に力が漲っている。

 炎のように熱く燃え滾る意志が、少年の体を戦いに向けて突き動かしている。

 

 

「俺は生きる。俺は生かす。……まだ、まだ足掻くぞ、俺はッ!」

 

 

 ネフィリムが咆哮する。

 ゼファーが吠えた。スピーカーの向こうで、研究者達も少年と共に叫んでいた。

 歌はなく、されど言葉にならない『ノイズ』のみが戦場に満ちて行く。

 

 本当の勝負は、ここからだ。




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