戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
本日は「受け継がれる英雄の絆」回
どこまでも広がる荒野と、その荒野を縁取る地平線。
澄み渡る青空、横切る雲、天地を照り焼く熱い太陽。
心地いい西風が、世界の端から端までを吹き抜ける。
あの世界だった。
夢の中でしか辿り着けない、青空と荒野と西風の世界。
ゼファーはこの世界を何度も訪れ、西風に背を押され、純白にして絢爛な祭壇に立つ。
ここに来る度にそれを繰り返し、彼は銀色の剣を求めて歩き続けた。
なのに今日は、それができない。
夢の始まりは何故か荒野の果てではなく、最初から祭壇の上だった。
見渡す限りの青空と荒野は広がっているものの、剣はどこにも見当たらない。
そして何故か、ゼファーは指一本動かすこともできなかった。
まるで全身を金属で鋳固められたかのように、身じろぎ一つできやしない。
祭壇の上で、目線を動かすことも出来ないままに、ずっとその場に縫い付けられている。
その変化は何かが、致命的なまでに終わってしまったようで。
(……ああ、そりゃあ、そうか……)
あの日、セレナを、大切な友らを皆守れなかった日。
誰かを守る英雄にのみ手にすることを許される聖剣。
あの剣を抜く資格すら失ったのだと、そう思い至る。
「剣にも、見放されたのかな……」
夢の景色というものは、唐突に変わる。
気付けばゼファーは、黒い泥に膝まで浸かり、ずぶずぶと飲み込まれていた。
青空も、荒野も、西風も消え、世界に闇だけが残る。
いや、違う。よく見れば、闇以外のものも残っている。
ゼファーと、そしてあの日に見た銀色の騎士が、闇の中に立っていた。
「俺の左腕は、お前が何かしたのか?」
驚く間も投げ捨て、間髪入れずにゼファーは問いを叩きつける。
わけも分からず戻って来た左腕を、銀色の仇に突き付けて。
その語調には柔らかさなんてものはなく、ただ熾烈な憎悪だけがあった。
「答えろッ!!」
なのに、まるで柳に風。
夢の中の騎士は少年に背を向けて、どこかへ歩み去っていく。
ゼファーはそれを追おうとするも、足を動かそうとする度にずぶずぶと沈んでいく。
「待て、待て、くそぉっ……!」
膝、腰、胸まで泥に呑み込まれ、もがく内に肩まで沈んでしまう。
憎い仇の背に向かって手を伸ばすも、届くわけもなく、やがて全身全てが沈みきる。
泥が纏わり付いて息苦しい。生き苦しい。
彼の人生を表すような泥に呑み込まれてなお、彼は叫ぶ。
「お前は、俺が、絶対に……!」
叫んでも、何も変わらない。何も応えない。
憎しみは何も生みはしない、なんてありきたりな言葉を肯定するように、彼の悪夢はその叫びによっても何も変わらなかった。
憎しみで彼が救われることはない。
……ならば、それ以外なら?
闇色の泥の中で、一粒の光が見えた。
光に誘われる虫のように、ゼファーはその光に向かって手を伸ばす。
地獄の底で蜘蛛の糸を掴むように、導かれるように、救いの手を伸ばされたかのように。
あるいは、銀の仇の背に向かって手を伸ばした時よりも、強く。
そうして光に手が届いた、その瞬間。彼は悪夢から目が覚めた。
「……はぁっ、ぁっ、かっ……ふぅ……はぁ……」
切れる息、青い顔、汗だくの身体に借り物のシャツが張り付いている。
ゼファーは体を起こし、障害の残る記憶と混濁する意識の中で、顔に手を当てて息を整える。
そうしていると、ベッドの傍に置かれていた新聞が目に入る。
ゼファーが頼んで、読ませてもらっている備品の読売新聞だ。
見出しの大きな太字の文が、紙面につらつらと書かれている文が、断片的に彼の目に映る。
『ノイズ出現頻度各国で上昇』
『横須賀米軍基地、壊滅的なダメージ』
『林田博士他、ノイズが生物兵器である可能性を徹底討論!』
『被害者遺族の声多数』
ゼファーは新聞に手を伸ばし、掴み、くしゃりと握り潰す。
その怒りを、紙面の向こう側に、写真に映る災厄達にぶつけてやるとでも言わんばかりに。
「どいつもこいつも、何が楽しくて、ただそこに生きているだけの人達を……!」
今の彼は、怒りの対象となるどの理不尽に抗うこともできないほどに、無力な子供だった。
第十話:シンフォギア 3
「どうしても、ですか?」
「どうしても、だ。『融合症例』の件に関しては説明しただろう?
今の君は身体がどうなっているかも分からないんだ。
危険とまでは言わないが、まだ少し様子を見るべきだと思う」
「……分かりました」
外出許可を求めるゼファーに、それをやんわりと断る弦十郎。
ここ数日、ゼファーの身体が精密検査されなかった日はないと言っていい。
何しろ、人類初の聖遺物と人間の融合例……と、推測される人間だ。
聖遺物が何かも分からず、聖遺物の位置も特定されていないが、学術的にも人道的にも徹底して調べ上げる必要があった。
だが、ゼファーはなんとなく「それだけではないのかもしれない」と思い始めていた。
理屈はない。推論もない。ただ、勘でそう思っただけ。
彼の直感はムラもあるが、有事に働くその効力は折り紙つきだ。
そんな彼の直感が、弦十郎の何かしらの工作を感じ取り始めていた。
「少し、身体を動かしてきます……」
幽鬼のごとき雰囲気を纏ったまま、ゼファーは部屋の外に向かって行く。
研究所で自分の無力さを変えたいと願っていた時期から、ゼファーは鍛錬の習慣がついた。
全て我流、やらないよりマシ程度のものであったが、体に染み付いた習慣となったのだろう。
今では身体を動かしていないと逆に落ち着かないようで、二課の広い実験室を借りて走り込みなどのトレーニングを定期的に行っている。
トレーニングルームを借りないあたりに、どうにも周囲への不信が見えて仕方ない。
そんな少年が去って行ったのを見て、弦十郎は難しい顔で後頭部を掻いた。
「緒川」
「はい」
弦十郎が誰も居ない部屋で一人、緒川の名を呼んだ……と、思いきや。
いつの間にか弦十郎の後ろに緒川が現れ、その問いかけに即座に答える。
瞬間移動ではない。緒川は先の会話の途中から、ずっとそこに居たのだ。
忍者の技の一つ、『隠形』である。
「あの子を今のまま外に出すのはマズいと思うが、どうしたものだろうかな」
「僕も同意です。
あの子が外に出たがってるのは、憎い仇を探したいからだと思われます。
ただでさえ危険人物と思われる殺人者に、復讐目的の子供を会わせるのは危険すぎます」
ゼファーが外に出たがっているのには理由がある。
弦十郎がそれを止めたがっているのにも理由がある。
それは彼が、復讐を成し遂げるために、その相手を探すために、外に出ようとしているからだ。
少年は憎い仇を殺すために。
大人は子供にその手を汚させたくないがために、危険なことをさせたくないがために。
勝手に死人の復讐をしようとしているのもエゴ。それを止めようとしているのもエゴだ。
どちらもエゴ。自分の思いを押し通そうとしているだけ。
だから大人も少年も、胸を張って自分が正しいとは言えないのだろう。
「だが、融合症例の件を理由に引き止めるにも限界はある」
「はい。ですがどの道、あの様子ではガス抜きは必要です。
抑え付けて暴走させるより、こちらの手である程度誘導した方が……」
咄嗟に理由をでっち上げて引き止めてはいるが、それにも限界はある。
復讐心を発散させないまま鬱屈させても、それがねじ曲がってしまえばどうなるか分からない。
相手は子供だ。変に抑え付けることが逆効果になる可能性だってある。
どこかで大人が手綱を取った方がいいだろう。
大人の知らない所で暴走して仇に挑んで……なんて最悪は、想像もしたくない。
結局のところ、
彼らには一発で説得できる魔法の言葉も、ゼファーの心を揺らすだけの信頼関係もない。
この局面で彼らが無力であることなど、彼ら自身が一番良く知っている。
「子供に大切な人を殺された復讐なんざ、させたくないってのによ……」
それでも、「仕方ない」と割り切ることなどできるわけがなく。
彼らはどこまでも、良心的な大人達だ。
いつかの過去に、どこかの良心的な大人に助けられ、育まれ、そうして大人になった者達だ。
助けられた分、いつかの未来に生きるであろう子供達を助けようとする者達だ。
拳を握り締め、悔しそうにする弦十郎も。
苦い顔で無言の同意を示す緒川も。
共に大人としての責任を投げ出そうとしない、子供を守ろうとする大人である。
そんな二人の前に、扉を開けて入ってくる少女。
風鳴翼だ。どうやら彼女も気になっていたようで、こっそりとゼファーが居た頃から居た様子。
二人を前にして恥ずかしくなったのか、少し口ごもっていたが、やがて意を決して口を開いた。
「叔父様、聞いて下さい」
「言ってみろ、翼」
普段はおどおどしていることも多いが、それでも芯に強さのある少女。
弦十郎は、自分の姪をそう認識している。
彼は経験上、そういう人間が有事に頼りになるということを知っていた。
普段がどんなに気弱だろうと、頼りなかろうと、人間は大一番に地金が出る。
そんな少女が、叔父の目を真っ直ぐに見て、意を伝えようとしている。
大人として、叔父として、風鳴弦十郎として、適当に聞き流せるわけがなかった。
「追い詰められたギリギリの場所でこそ、人の本質が出るとお父様から教わりました。
彼はボロボロでした。体も、心も。彼の手を取った私には分かるんです。
なのにあの一瞬で、彼は自分の命を省みず、私に手を伸ばしてくれました」
風鳴翼は知っている。彼女だからこそ知っている。
何もかもを失い、絶望し、誰に対しても心を開くことをやめた、廃人だった少年。
だが、それでも。
手の届く範囲で誰かが死んでしまそうになったその時に、彼は手を伸ばした。
心が死んでいても、目の前の命を諦めはしなかった。
「彼の本質が『復讐者』ではないと、私は信じたいです」
防人の一族の裔である少女は、少年の本質の片鱗を目にしていた。
それは絶望でもなく、諦観でもなく、保身でもない。何かを守ろうとする意志だった。
そして『守る』という遺志を、風鳴翼が見間違えるはずがない。
だからこその、防人なのだから。
大人二人は、少年が復讐者に堕ちてしまうことを危惧している。
復讐者の末路は大体悲惨だ。返り討ちに終わることも少なくはない。
だが、それと同時に、怨みや憎しみが人の生きる活力となることも知っている。
憎しみを乗り越え、ごく普通の幸せを掴んだ人がたくさん居ることも知っている。
だからこそ、決断を迷ってもいた。だが、翼の言葉が最後のひと押しになってくれたようだ。
「そうだな」
弦十郎は翼の頭に手をやり、撫でる。
翼はくすぐったそうにするものの、されるがままに身を任せる。
身長差と年齢差と顔つきからどこか親子にも見える叔父と姪。
顔つきだけではなく、二人には性格にも似た部分があった。
「お前が信じるのなら、俺も信じてみよう」
それは、細かい問題は最終的に気合でぶっ飛ばすという風鳴遺伝子の仕業であった。
特異災害対策機動部二課には、いくつかの実験室が設置されている。
その中でも特に丈夫なものは、内部でミサイルが爆発しても壊れないほどに頑強である。
現状では無意味なくらいに、それらの実験室が頑丈に作られたのは理由がある。
これらの実験室は、内部でシンフォギアが訓練する前提で製造されたものなのだ。
当然、戦車砲や地対空ミサイル程度で壊れるようでは話にならない。
地下施設なので衝撃で施設構造に歪みを発生させてもいけない。
ふざけんな無理だ、と叫んだのが当時の関係者の悲鳴。
聖遺物の研究結果から新物質『ドラゴンフォシル』、異端技術特有の特殊な構造、等々いくつものとんでも技術を提示して無理やりクリアさせたのが櫻井了子。
優秀な研究者数人分の研究結果をポンポン出してくるような了子に、関係各所は「もうあいつ一人でいいんじゃないかな」と呟き、彼女の冬のボーナスの桁を一つ増やしたという。
ゼファーはその実験室の内の一つの中を走っていた。
彼はそこまで体力があるわけではない。根性があるだけだ。
食べるものにも困る時があったフィフス・ヴァンガード時代にはそもそも自分を鍛えていなかったし、F.I.S.に居た時期も半年ほどしか鍛えていない。
強くなりたいのなら、地道な体力作りは必須だろう。
(強く……今よりもっと、強く……)
ゼファーは強くなろうとしていた。憎い仇を、その手で殺すために。
繰り返される悪夢、消えない憎悪が、まだ記憶もロクに取り戻せていないゼファーの心を、復讐心一色に染め上げる。無地のキャンパスを黒い絵の具が染め上げるように。
希望の思い出は消えかけているというのに、絶望の思い出だけが残っている。
だからこそ、彼が力を求める理由は変わってしまった。
かつては守るために。今は復讐のために。
「……ふぅ」
軽く走り込みを済ませたゼファーは、俗に言うアップを終えた状態であった。
余分なエネルギーが発散され、血流はやや早まる心臓の鼓動に合わせて全身を駆け巡り、普段より少し早くなった呼吸、柔軟になった関節や筋が激しい運動を待っている。
ゼファーは戦闘前にアップをすることはまずない。
受動的にであれ能動的にであれ、体を暖めて身体能力を高めることより、突発的な戦闘に慣れておくことや、襲撃直前まで息を殺せることなどに重点を置いている。
この時も、鍛錬の前に怪我の確率を下げる方法として、F.I.S.の研究者の一人に教わったことを実践しているに過ぎなかった。結果的にどうなったか、は別として。
「俺も混ぜてくれないか?」
本格的に鍛錬を始めようとしていたゼファーの背後から、声が掛かる。
振り向けばそこには、先程までゼファーが話していた弦十郎の姿があった。
その体格は、見れば見るほど大きい。
縦横に倍とまでは行かないが、ゼファーの身長では弦十郎の胸の辺りを越えるか越えられないかくらいの身長差があり、肩幅も1.5倍以上はありそうに見える。
筋肉量も、細身のゼファーと比べれば、弦十郎のそれは岩石を削り出してきたかのようだ。
そんな彼が、ゼファーの訓練に混ざりたいと言う。
「……別に、いいですけど」
それに対するゼファーの反応はそっけない。
関心も無ければ興味も無いし、そこに相手と深く関わることで喪失の痛みを感じてしまうかもしれない、なんて恐れまで付いて来る。
だから対応はどこか冷たく、心と心の距離は縮められずに遠いまま。
そこに、湧いて出たとしか言いようのない出現の仕方で、緒川が現れた。
「風鳴司令と一手、手合わせしてみたらどうですか?」
「……シンジさん」
なのに、ゼファーは驚かない。と言うより驚けない。
複数人で話している時に、いつの間にか横から入って来て会話に自然と混ざっている誰かに気付けないことがあるように、緒川は不自然さも唐突さも感じさせずに、すっと会話に入ってくる。
ゼファーもよく考えればその瞬間まで緒川がそこに居なかったことに気付けるかもしれないが、よく考えないと気付けない程度にまで隠すことが出来るのが、この男の凄まじい所であった。
「僕はこの人にだけは自信を持って言えます。
月並みですが……何があっても死なない、不死身の男だと」
そして、釣り餌を撒く。
誤情報を流して敵を釣る乱破のように。
「死なない人なんて居ませんよ」
案の定、ゼファーはその言葉に食いついた。
その表情には諦め、絶望、保身、恐怖、あらゆるものが混じっている。
色んな色を混ぜた結果、どんな色にもなれなくなってしまった黒っぽい絵の具のようだ。
負の感情が混ざりすぎていて、あまりにも子供らしくない暗い表情。
「この人は死なない、なんて思ってる時に限って……あっさりと死ぬんですよ」
それでいて、とてつもなく実感がこもっているというのが救いがない。
信じているのだ。今のこの少年は。
死は誰にでも平等にあり、誰だってあっさり死ぬのだと。
運命それそのものが特定の個人を贔屓することはないのだと、信じているのだ。
それだけならば問題はない。
誰だって死ぬかもしれないと思うことは、誰だって守ろうとする気持ちの源泉となる。
現に先日までのゼファーは、そうだったのだから。
だが、何事も行き過ぎれば毒となる。
彼は死を信ずるあまり、全ての生を信じなくなってしまっているのだ。
全ての命が持つ、死に抗いあがき続ける生きようとする意志を、信じられなくなってしまっているのだ。自分が持っているはずのそれからも、目を逸らして。
その偏りは、放っておけばいつの日か自己矛盾となってしまう。
弦十郎はゼファーの言葉に一瞬だけ苦い顔をして、すぐに取り繕い、笑う。
少年の思い込みを真正面から力強く否定してやりたいと、彼は思う。
だが、それでは何も変わらない。
この少年を変えるためには、もっと刺激的な荒療治が必要だ。
「試してみるか?」
例えば、今。
突然スーツの内側から拳銃を抜き、弦十郎に向けて撃った緒川だとか。
自分に向かってきた銃弾を『素手』で『掴み取った』弦十郎だとか。
そんな光景、etc。
「……は?」
ゼファーは自分の目を疑う。
至極常識的に、当たり前に、ごく一般的な感覚からすれば当然の反応。
銃弾を素手でキャッチした、目の前の人間を見て呆然とする。
弦十郎が手を開けば、そこから落ちた銃弾が床に当たって軽い音を立てる。
トリックなんてものはなく、見慣れた弾丸が圧力で少し凹んだ状態で、床を転がっていた。
「この人は何があっても死ななそうというのは、間違いなく僕の本心ですよ」
緒川が弦十郎にした提案とはこうだ。
風鳴弦十郎の圧倒的な強さを、餌で釣ってゼファーに見せつける。
「核ミサイルを叩き込んでも殺せないだろう」と、ロシアのP大統領が吐き捨てたという逸話があるほどの強者だ。必然的に「この人どうやっても死なないんじゃね?」という結論に至る。
絶対とは言えないが、その可能性は非常に高いだろう。
だって風鳴弦十郎だし。
一度そういう認識を持ってくれれば、後は容易い。
大切なのは「誰だって皆簡単に死んでしまう」という認識に、『例外』を作ることだ。
一度例外を作らせてしまえば、後は時間をかけてなし崩しにその例外の範囲を広げてしまえばいい。決めつけや偏見とは、大抵そういった過程で和らいでいくものなのだ。
嫌いなコミュニティに好きな人間が一人でもできるということが、コミュニティ全体を見直すきっかけとなってくれることがあるのと同じ。
幸い、緒川や翼といった人間も居た。
弦十郎ほどに強いわけではないが、実はこの二人も次元違いの強者であったりする。
一度「最強=死なない」の図式を頭に叩き込めれば、「強い=余程のことがなければ死なない」となし崩しに移行させ、いずれは「人=すぐ死ぬ」の図式を崩壊させることができる。
それが緒方の考えた、ゼファーに対する荒療治である。
クリスがかつてゼファーに対して貫いたスタンスと同じだ。
彼女は自分が強くなることで、友としてゼファーの恐れる『死』を遠ざけようとした。
そして、切歌が成長のきっかけとしたものと同じでもある。
彼女は徹底して死を回避しようとするゼファーを見て、その果てに彼が勝ったことから、彼女が恐れる「周りの大切な人を死なせる」死神が打倒されたように感じ、それを成長の糧とした。
そうして彼女らは、個々人の思う「死ぬかもしれない」を乗り越えようとした。
人は生きていくのなら、程度の差はあれど、誰もがそれを乗り越えて行かなければならない。
まずは『死』を信じすぎている現状を緩和させる。そこからだ。
「手合わせにかこつけて賭けでもしてみるか?
そうだな、俺に傷一つでも付けられたら外出許可をやる。それと」
加えて言えば。
「お前が探している銀色の騎士の手がかりになるかもしれん情報を、一つやろう」
弦十郎の持つ情報の中には、ゼファーの前の前に吊り下げるための、格好の餌がある。
「あんた、アレが何か知ってるのか」
その言葉を聞くやいなや、ゼファーは弦十郎に身長差も構わず掴みかかっていた。
目を見開き、雰囲気を一変させて、先ほどの生きた屍のような姿が嘘のよう。
まるで悪鬼。復讐の鬼と化した姿であった。
「教えろ」
「俺に傷一つでも付けられたらな」
そんなゼファーを、弦十郎はいとも容易く振りほどいた。
筋力差もあるのだろうが、それ以上に知識量の差が大きい。
関節というものへの理解の度合いが、両者間で段違いだった。
ゼファーは再度掴みかかることはしなかったが、代わりに下から見上げるように睨みつける。
「そんなに憎いか、その仇が」
「ああ、憎い」
声から、目から、表情から、雰囲気から、憎悪が滲み出ているかのようだ。
とても大切な人一人の死から生まれる規模の憎悪には見えない。
別の原因から発生するそれ以外の負の感情も、きっとどこかで混じってしまっているのだろう。
「地の果てまでも追いかけて……どこに逃げようが居場所を突き止めて……
力が足りないなら手に入れて……どこの誰だろうと、必ずこの手で、殺してやる……!」
だって、その言葉と憎悪は少年自身にも向かっているのだから。
殺した仇が憎い。守れなかった自分が憎い。だから復讐を諦めない。
そんな憎悪が、単一の憎悪より小さく収まるわけがない。
「銃を使ってもいいと考えても?」
「好きにしろ」
ゼファーが銃器を借りに歩き出そうとすると、その前にどんと置かれる木箱。
顔を上げれば、銃器の入った木箱をにこやかに差し出す緒川がそこに居た。
軽く頭を下げて、ゼファーは銃をいくつか取り出し、マガジンをつがえた。
構えを取る弦十郎と、真正面から向き合っていく。
弦十郎は静かに構えを取り、肩の力を抜く。
彼とて万が一という可能性はある。
銃弾が予期せぬ軌道で襲いかかってくれば、即死だって十分にあり得る危険な賭けだ。
それでいて、彼が得られるものは何もない。
何かを得られるのはゼファーだけだ。
損得勘定で考えれば、やろうと考える事自体がおかしい無謀な思考。
だが、それでも。
目の前の子供の未来の可能性を守れるのなら、十分だと彼は考えていた。
命を懸ける価値があると思っていた。
風鳴弦十郎は、そんな漢である。
当然ながら、発案緒川実行弦十郎のこの計画、男二人の独断ではない。
身内にはそれなりの根回しをした上での作戦である。
特に弦十郎に対し好意的であり、医学にも聖遺物にも造詣が深い、『融合症例』という特殊な患者に対応する唯一の医師とも言っていい、櫻井了子。
彼女は別室で、ゼファーの脳波やバイタルなどを常時確認してくれていた。
「アウフヴァッヘン反応、増大を確認……なるほどなるほど」
画面からの光を眼鏡が反射し、目が覗けないその様子はまさにマッドサイエンティスト。
しかしよくある高笑いなどはなく。
むしろその声も表情も、どこか憂いを帯びていた。
「やっぱり、きっかけは『憎悪』なのね……」
ゼファーが憎悪の感情を吐き出す際に、彼から観測される反応が増大する。
彼の中にあると推測される聖遺物が、感情を食らってエネルギーを吐き出しているのだ。
それだけでも、ある程度彼の持つ聖遺物の特性は推測できる。
画面を見ながら、了子は手元にある紙束をペラペラとめくっていく。
ゼファーに銃を渡した後にここにやって来た緒川が、不思議そうに彼女に問いかけた。
「そのレポートは?」
「ん? ちょっとね、知り合いが仮定だけど『融合症例』について研究してたのよ。
ちょっくらどっせいと取り寄せて、何か参考にできないかなーって」
「なるほど、餅は餅屋と」
「そゆこと」
その研究者が誰かは知らないが、あの少年の助けとなってくれたことに、緒川は礼を言いたい気分だった。了子の意外な人脈にも驚かされる。
もう緒川にできることは、見守ること以外に残されていない。
画面の向こうでは、監視カメラ越しにゼファーと弦十郎が戦っているのが見えた。
ゼファーが仕掛け、弦十郎がひたすら受ける、その繰り返し。
「しかしまあ、圧倒的ねえ……私が完全聖遺物を使えたとしても、勝てる気がしないわ」
銃弾が撃たれて銃弾が掴み取られる。
マシンガンの嵐が素手二本で捌き切られる。
ライフルの弾丸が撃たれた後にかわされる。
ロケットランチャーの大型弾が、正拳突きで相殺される。
手榴弾の爆風と破片が、平手で起こされた突風に押し流された。
呆れた表情を浮かべる了子、苦笑いを浮かべている緒川。
ゼファーがアサルトライフルの引き金を引く。
時速数千kmで飛び、一分間に数千数万と回転する弾丸の群れだ。
秒間10~20発の高速連射、それを30発分一気に解き放つ。
金属の壁をチーズにたかるネズミのように食い荒らし、穴だらけにする鉄の獣達。
対する弦十郎は素手。本来ならば、人間なんて一瞬でミンチになるはずだった。
なのに弦十郎は全く怯えることもなく、構えを崩さない。
すると、突如として弦十郎の両腕が消えた。
否。肩口近くにはうっすらと見えている。腕が消えるわけがない。
ただシンプルに、あまりにも両腕が速く動きすぎているせいで、人間の目には腕が動いた残像すらも見えないというだけの話だ。
肩の近くに僅かに残像が見える程度まで速く動く両腕は、全ての弾丸を掴み取る。
一発、二発、時には先んじて掴んだ弾丸をクッションにして受け止める。
ゼファーが全ての弾丸を撃ち尽くした銃を下ろすのと、弦十郎が手を開いたのは同時。
開いた手から30発分の銃弾が、軽い音を立てて床に落ちていった。
(なんだあれ、本当に人間なのか……!?)
ゼファーは終始手足を狙っている。
これだけの実力差を見せられてもそうし続けるあたりから、弦十郎も翼と同じようにゼファーの本質が見え始めているのだが、ゼファー当人からすればどうでもいい話だ。
ここまでくれば、そういった精神的な問題も脇に追いやられ始める。
ゼファーはバズーカを手にし、情け容赦無くぶっ放す。
爆弾をそのまま撃ち放っているに等しい榴弾が、弦十郎に迫る。そして命中、爆発。
爆音と爆炎と爆風が、過去最強の強敵を包み込んだ。
やったか?とゼファーは思うが、すぐさま表情を引きつらせる。
爆炎の中に立つ人影。もう目に嫌というほど焼き付いているシルエット。
両手を前に突き出した風鳴弦十郎は、服に少し焦げ目が付く程度で済んでいた。
軽い戦車をひっくり返せる爆発を真正面から食らって平気な生身の人間。意味が分からない。
「……な、何がなんやら分かんねえよ……!」
「爆発は発勁でかき消した」
だが、どうやら格闘技術か何かの応用でどうにかしたらしい。
……何かがおかしい気がするが、気にしてはいけない。
ゼファーは歯を食いしばり、次々と手を打っていく。
それは、彼の人生の全てをぶつける戦いだった。
銃も、爆発物も、ありとあらゆる火器も。
短い人生で培った戦う力を、余すこと無くぶつけていく。
そして弦十郎は、それら全てを真正面から受け止めてねじ伏せていく。
そんなことはないのだと分かっていても、ゼファーは自分の人生が全て否定されている気分だった。自分の戦う力を否定されている気分だった。
その気持ちの名前は被害妄想。
その気持ちの湧く源泉は、無力感。
力のない自分を突き付けられることで、ゼファーの中の色んな気持ちが削げて行く。
いいものも、わるいものも。
風鳴弦十郎は、ゼファーの知る誰よりも強かった。
ジェイナスより、ビリーより、最後に会えた日のセレナより。
きっとおそらく、あのネフィリムや銀色の騎士よりも。
論理的な思考よりも頼りになる直感が、そう言っていた。
だからその思考は、推測でも難癖でもなく、確信だった。
あの日あの場所に居たのが、ゼファーではなく弦十郎であったなら。
誰も死ななかっただろう、なんて、そんな思考。
風鳴弦十郎は、誰にもケチのつけようのない『英雄』だった。
「どうする? まだやるか?」
それでも何度も何度も自分に挑んでくるゼファーを見て、何度も迫る銃弾を幾度となく退けて、弦十郎は真剣な表情を浮かべたまま、ギブアップの意志があるかどうかを問う。
ゼファーは俯き気味のまま、銃口を弦十郎に向ける。
その銃口は相変わらず手足に向いてはいたが、弦十郎は油断せずに構え直した。
「―――だ」
なのに、飛んで来たのは彼が予想していた鉄の銃弾ではなく。
少年の口から放たれる、言葉の弾丸だった。
「なんで……なんでだ!」
ただの八つ当たりでしかなくとも、吐血か嘔吐のような叫びだった。
「あなたみたいな人が居たなら! 俺なんて要らなかったじゃないか!」
ハリボテの英雄は、本物の英雄に向かって叫ぶ。
悲痛に、悲嘆に、悲鳴のように。
「俺みたいな取り繕ったハリボテの希望なんて要らなかったじゃないか!
強くて、無敵で、最強で……誰だって守れる力を持ってる英雄が居るのなら!
俺みたいな弱っちい口だけの奴なんて! 要らなかったじゃないか!」
自分が嫌い。自分が憎い。自分が許せない。
守れなかったから。救えなかったから。一緒に生きていけなかったから。
だから少年は、自分のことを『弱い口だけのやつだ』なんて言う。
「なんで……なんでッ! あなたは助けてくれなかったんだ! あの子を!」
その『あの子』とは、誰のことだったのだろうか。
「なんであの時、あの場所に居たのがあなたじゃなくて、俺だったんだ……!!」
本物の英雄を目の前にして、仮面の英雄の本音が吹き出す。
仮面の下に隠していた本当の気持ち、耐えていた心、見えなかった涙。
自分のような偽物じゃなくて、本物の英雄が居れば……なんていう、悲痛な叫び。
自分なんて要らなかった、守れなかったと、彼は言う。
それがどこまでも「もしもの話」でしかなくて、現実逃避でしかないと分かっていても。
未来になってから過去を振り返って後悔するだけの、生産性のない考えだとしても。
「どうしようもなかった」か「自分が悪い」以外の答えを出すことができない、そんな袋小路にハマることが最初から分かっている、意味のない反省会の果てにあるものなのだとしても。
それでも、そう考えずには居られない。
自分の代わりにこの人が居れば……と。
「誰もが誰かのピンチに都合よく駆け付けられるわけがない。
そこで起きた危機ってのは、そこに居るやつで片付けなくちゃならん」
そんなゼファーを見る、弦十郎の目に浮かぶ意志が様変わりする。
哀れみと同情が薄れ、目の前の人間への理解と納得が浮かんでいる。
だからこそ彼は、夢物語のような慰めの言葉ではなく、現実を見せる言葉を選んだ。
「過去の英雄も、未来の英雄も、地球の反対側に居る英雄も。
本当のピンチには、駆け付けてくれん。
俺達は無力で……だからこそ、広げられる手にも限りがある」
弦十郎は、ある意味で二課の関係者の中で最も多くゼファーと言葉を交わしている。
少年が会話もままならない廃人状態だった、あの時だ。
少年の人生概要を纏めたこともあり、ゼファーの気持ちをよく理解してくれている。
ゼファーへの理解度なら、まだ友人ですらない翼より上に位置しているだろう。
……ただ、彼が少年を深く理解できているのは、言葉を多く交わしたからではない。
ある意味で、『同じ』であったからだ。
「俺も、お前のように叫んだ時があった。
誰か助けてくれと、誰でもいいから、駆け付けてくれと……
だが、誰も来ちゃくれなかった。誰かを助ける余裕があったのは、俺一人だけだった。
そうしてる内に、自分の力でどうにかしようと自分を鍛えてる内に、大人になっちまったよ」
その言葉に込められた感情が、実感が、ゼファーの心にも僅かな共感を呼ぶ。
性格に境遇に経歴に、何もかもが違うのに。
持つ者と持たざる者、正反対の二人であるというのに。
風鳴弦十郎は、ゼファー・ウィンチェスターの気持ちを、寸分違わず理解できていた。
だからこそ、彼はゼファーの心を揺らす言葉を選ぶことが出来る。
「守れなかった後悔があるのなら。次、頑張ればいい」
その言葉に、少年の頭の中で何かがプチンと切れる。
ゼファーは憤怒の形相を浮かべ、銃口を弦十郎の手足から胴体へと向け直した。
「『次』、頑張れだ?」
そして、引き金を引く。嵐のような銃弾の群れが、弦十郎に向かって飛んで行く。
「俺が守れなかったあの人達に、『次』なんて無いんだぁッ!!」
少年は、喉を絞り上げるような悲惨な声で、そう言った。
「そうだ」
「ッ!?」
弦十郎はその言葉と鉄の銃弾達を、まとめて受け止める。
適当に聞き流したり、受け流したりはしない。
その一つ一つに、一人の男として真摯に向き合っていた。
「それでも、『次』頑張らないといかんのだ。
昨日守れなかった後悔で、明日誰かを守れなかったら。それで更に後悔することもある」
「それ、は……」
まるで、そんな経験をしてきたかのような言葉だ。
自分と同じ失敗を繰り返させたくない、なんて意思すら感じられる。
誰かを守れなかった後悔が原因で、別の誰かを守れなかったなんて悲劇。
きっとこの世界には、そんな悲劇はありふれているのだろう。
そして、ゼファーがそうならないなんて保証はない。
「お前が前に進むには、『もう守らない』か『次を守る』か。
そのどちらかを選ばなければ、お前には最悪の悪循環が待っている」
「……え……?」
厳しい生き方を捨て、楽な生き方を選んで幸せになるか。
折れてしまった自分を奮い立たせて立ち上がり、また厳しい生き方の道へと戻るか。
どちらかを選ばなければならない。
復讐の道を選ぶとしても、それはただの先延ばしだ。
結局はどこかで、この二つの道のどちらかを選ばなければならない。
『守る』ということに答えを出さなければならない。
中途半端に生きていても、その先には後悔しか待っていないだろう。
ゼファーのこれまでの人生で、幸福というものは、いつとて選択した道の先にあった。
「いつも次がある、なんて考える人間には何も守れない。
いつも次がない、と考えてこそ守れるものは本当に多い。
だが……次がないと背水の心で挑んでも、守れないこともある」
ゼファーが銃を撃つ。弦十郎がそれらを弾き、言葉の銃弾を放つ。
互いに一歩も引かないままに、目の前の者に向かって引き金を引き続ける。
「次など無いと心に定めて挑み、何度失敗しても次、頑張る。それは苦難の道だ。
……だがそれでも、守ると決意したのなら。
俺達は、ずっと、ずっと、『次』を頑張らなければならない」
弦十郎は苦難の道と、平穏な幸せの道の両方を提示している。
普段の彼ならば、子供には迷わず平穏な幸せの道だけを提示していただろう。
だが、ここに例外がある。
平穏な幸せの道だけを提示しても、それを享受できない少年が居る。
「疲れたら休めばいい。立ってられないなら座ればいい。一人でダメなら、周りを頼ればいい。
もう余分なものは何も守らない、と決めるのもいいだろう。決めるのはお前だ」
彼は道を提示する。
道に迷う少年を導こうとする。
どうすればいいのか、何がしたいのか、本当は何を望んでいるのか、それを自分自身でも分からないままに憎悪に身を任せている少年に、道をいくつか指し示す。
どんな道をどう歩いて行くのかは、ゼファー自身が決めることだ。
「……っ……ッ……!」
「お前がそんなに辛いのは。
自分の大切なものを奪って行った奴が憎いのは。
大切に思う理由だけじゃなくて、守りたいと思った理由もあったからなんじゃないのか?」
――――
「でも死なないだけってのも嫌なんだ。なんで生きてるのか分からなくなりそうで。
……それだったら、俺は恩人を守る為にここに居たい。
それなら俺はまだ生きている理由を見失わなくて済む」
――――
「みっともなくても、情けなくても、辛くても」
「俺は、希望を見せた責任を、取り続ける」
「そのための嘘なら、『本気の嘘』なら。後悔はしない」
――――
そうだ、そう言った。
他の誰でもない彼自身が、そう言ったのだ。
たとえその果てに、どれだけ傷付こうとも構わないと、自分自身で決めたのだ。
鉄と血の飛び交う道を、どんなに苦しくても進んで行くと。
心は震えてくれない。心は折れたまま。
足は応えてくれない。膝は折れたまま。
折れた意志が立ち上がることを望んでも、折れたままでは立ち上がれない。
両足が物理的に折れた人間が、どうやっても立ち上がることができないように。
そう簡単には、彼の心は立ち直ってくれやしない。
けれど、彼はもう一人じゃない。
――――
「今が辛くても、いつかきっと幸せになれる。日本の言葉って素敵だよね」
――――
「元気ってあったかくて、それでいてとっても不思議なものなんだって知ってますか?」
「なにしろ誰かにあげても減らないのに、貰うとちゃんと増えるんデス!
自分の元気を誰かにおすそ分けするのは、誰にでも使える素敵な魔法なんデスよっ」
――――
かつての自分が口にした覚悟が、折れた膝を補填する。
在りし日の友がくれた言葉が、胸の中に息づく元気が、折れた心を補填する。
そして目の前の英雄が、暑苦しいくらいに熱い思いを込めてぶつけてきてくれる言葉が、魂を震わせ、冷たく濁った心を熱く透き通らせてくれる。
「生きていて欲しい、だが明日も生きていることが信じられない。
自分が憎い。仇も憎い。けれどそれ以外は嫌いじゃない。
守りたいが、守れないことが怖い……お前は今、雁字搦めなんだろうな」
「……俺は、いや、俺は……」
ゼファーの脳反応を見て、弦十郎は少年の人生の大半、少年の本音の感情の一部を知った。
だが、彼の少年に対する理解はそれだけでは説明がつかない。
まるでゼファー・ウィンチェスターの内心を知っているかのように、彼の言葉は的確にゼファーの胸中に響き、復讐と虚無しか無かった彼の心に、人間らしい熱を取り戻させていく。
それは、『同類』であったからかもしれない。
明日は今日よりいい日になると、正しいことをした人は報われると、君達は俺が守ると、そう嘘をつき……そして、それを現実に出来なかったことがある、そんな男同士の共感。
その果てに、「嘘つき」と罵られたことがある男同士のシンパシー。
無力感、罪悪感、そして後悔。
風鳴弦十郎は、国外にもその名が知れ渡っているほどの英雄だ。
言い換えればそれは、ゼファーが歩んでいた道の先を行く先人であるということだ。
弦十郎がこの世に生を受けて30余年。
幸せなこともあったろう。辛いこともあったろう。
それをわざわざ書き連ねる必要はない。
その人生はきっと、ゼファーの人生と似て非なる、異なるも似たものであるのだろうから。
ゼファーが苦難の道を歩みきった先に至るであろう男の姿が、そこにある。
周囲に認められ、他者を守るための力を手に入れて、弱者を見捨てない立派な大人。
自分自身の力だけで居場所を作れる、周りの人間の居場所になってやれる漢。
喪失と絶望の中、歯を食いしばって立ち続けた人の果て。
だからこそ、ゼファーは風鳴弦十郎へと憧憬の目を向ける。
自分が歩いていた道の先、遠い遠いずっと先に、風鳴弦十郎の背中が見えた気がしたから。
「悩め、ゼファー・ウィンチェスター。
平凡な暮らしを選択してもいい。復讐するなら止めはしない。人を守るなら力を貸そう!
なに、お前が最終的に幸せになれるのならどれを選んだって構わん!
お前が未来を自由に選ぶ権利は、俺が死んでも守ってみせるッ!」
幾度となく迫る銃弾をくぐり抜け、英雄が少年の懐に飛び込んだ。
弦十郎は拳を振りかぶり、振るう。
分厚い鉄板でも貫通する一撃はゼファーの胸に一直線に飛び……命中はせず、寸止めされる。
しかし寸止めはされたものの、胸の前に発生した衝撃波によって、ゼファーは吹っ飛ばされた。
正拳突き一閃。
物理的には触れられてもいない。
なのに、ゼファーは心をぶん殴られたような、そんな気がした。
「目を覚ませ」とぶん殴られて目を覚まさせられたような、そんな気がした。
心の中の淀んでいたものを、まとめて吹っ飛ばされたような、そんな気がした。
「だから
ゆっくりと背中から落ちる中、少年は英雄の言葉を耳にしながら、英雄の言葉を思い出す。
――――
「誰かの死が痛いのは、その人を大切に想っているから。それは恥じることじゃない」
「誰かを大切に想う君は、どこかで誰かに大切に思われてる君なんだ」
「誰かに大切に思われる君は、きっとどんな時でも一人じゃない」
「想うこと、想われること。その想いは死しても別たれはしない」
「逝くのが僕が先でも、君が先でも。ずっと僕は、君を弟のように想っているよ」
――――
その言葉に覚えた懐かしさに、随分と遠くまで来ちゃったな、なんて益体もなくぼんやりと考えるゼファー。
胸の内に衝撃と、叩き込まれた熱い想いがじんわりと広がっていく。
そんなゼファーをよそに、弦十郎は驚きの表情を浮かべていた。
弦十郎の頬に小さな傷があり、その足元に小さな尖った破片が落ちている。
その破片はゼファーの手元から飛び、弦十郎の頬をかすり傷程度に小さく裂き、そして床に落下していったものだった。
「まさか、指弾術とは……!」
指弾。
親指をデコピンの要領で弾き、物を飛ばす技術の名称だ。
漫画などではよく見る技術だが、実際は3m以内の至近距離に居る人間が「手は届かないな」と油断している時に、顔に小さなものを当てて隙を作る暗器術である。
達人であればコインを弾いて野菜に突き刺せるくらいの威力が出せるという。
ゼファーは事前の戦闘で手榴弾がばら撒いていた鋭い破片の一つを、こっそり手元に潜ませておいたのだ。実は眼球を狙っていたのだが、ゼファーの腕では狙った方向には飛ばせない。
そもそもが一発芸。実戦で使えるものではない。
ゼファー自身、こうしてやるのは本当に久しぶりだった。
その上、誰かに教わったこともない我流であるというのも拍車をかける。
狙った方向には飛ばない上に、せいぜい1mの範囲内でしか威力を保てない。
ゼファーはこれを弦十郎が自分に拳を振った一瞬に、カウンター気味に飛ばしていたのだった。
攻撃の一瞬は、それ以外の部分への集中が甘くなりやすい。
尖った破片は回転し飛び、本当に運良く弦十郎の頬をうっすらと裂いてくれた。
『傷一つでも付けられたら』の条件は、今ここに満たされる。
これはこの戦いの最後の最後にようやく、ゼファーが最後まで諦めずに足掻き続けるスタンスを思い出したという、そういう証明でもあった。
余談だが。
この指弾、ゼファーがかつて憧れていた大人が見せてくれた一発芸だった。
落ち込むゼファーを元気づけようと、兄のように慕っていた大人が見せてくれた技だった。
その人に憧れていたゼファーが、一時期一生懸命真似して練習していた技だった。
憧れ、夢見て、その人のようになりたいと願っていた日々の名残の一撃だった。
英雄との戦いの最後の決め手となったのは、英雄が残してくれた思い出だったのだ。
「じゃあ、教えてくれますよね? あいつのことを」
「……かーっ、約束は約束だ、しゃあねえな」
ゼファーは倒れたまま、弦十郎はそんな少年を見下ろしたまま、言葉を交わす。
一瞬、銀色の騎士の手がかりを言っていいものか迷った弦十郎だが、ゼファーの表情を見て、緒川の「抑え付けて暴走させるよりある程度誘導した方が」という言葉を思い出して、口を開いた。
「古今東西、どこにだって神話ってもんはある。
だが聖遺物の存在が明らかになったことで、その幾つかは史実であると証明された。
日本にも『スサノオ』って人物が実在してたってのが、遺跡の記録に残ってる」
それは数千年も前のこと。
聖遺物のあった時代に、日本の女王の弟であった、とある人物の物語。
「スサノオは西の果てで、一人の英雄と共に戦った八人の勇者の一人だったらしい。
その戦いで得たものを故郷のこの地に持ち帰ったと伝えられている。
んで、その三つの持ち帰った物の通称が、『神々の砦』、『天羽々斬』、
そして『真銀の騎士』。正式名称はともかく、当時はそう呼ばれていたそうだ」
「真銀の、騎士……」
「俺はお前の仇の容貌を知って、真っ先にこいつを思い浮かべた。
何しろ神々の砦と天羽々斬は発掘済みだが、真銀の騎士は未だに発見されてないからな」
ゼファーが見たのは、焔を纏う全身銀色の騎士。
なるほど、外見と名称がピッタリと一致している。
あの仇の目的すらも知らないゼファーにとっては、喉から手が出るほど欲しかった情報だ。
「悪いな、俺が知ってる手がかりはこれだけだ」
「いえ、十分です……真銀の騎士……」
その名を呟くだけで、ゼファーは心の奥底から湧き上がる憎悪に指向性が付いた気がした。
……だが、不思議と、何かが先程までとは違う気がした。
憎悪の量は目減りしたわけではない。彼が日和ったわけでもない。
ただ、憎悪とそれ以外の感情が、きっちり区分けされていた。
言い換えるなら、『割り切れるようになった』とも言う。
死人のようだった心の大部分を占拠していた憎悪が、他の感情が全て薄い状態で憎悪に塗り潰されていた状態が、どこか変革させられている。
それだけではない。
その憎悪と起源を同じくする負の感情の数々、心の中の歪み、弱っていた心の一部が、目には見えずとも劇的な変化を引き起こされていた。
言葉で殴られ、物理で殴られ、それでいて傷一つ付けられず。
おっそろしく古風な『殴って分からせる』を極めて優しい気遣いのものとに叩き込まれた結果、とんでもない荒療治は確かな結果をゼファーにもたらしていた。
「立てるか? ゼファー」
「……いえ」
弦十郎は、仰向けに倒れたままのゼファーに手を差し伸べる。
これで完全に蘇り、立ち上がるのがテンプレートなヒーローであるのだろうけど。
ゼファーはあいにく、そんなステレオタイプな心の強さを持っていない。
もう少し、もう少しだけ、時間ときっかけが必要で。
「もうちょっとだけ、時間を下さい。
必ず、必ず立ち上がって追いかけます。
だから……もう少しだけ、時間を下さい」
だが、それは弦十郎が命をかけて向き合ったことが、無意味に終わったことを意味しない。
「……ああ、いつまででも待っててやる。お前のペースで、ゆっくりでいいぞ」
弦十郎はゼファーに伸ばした手を引っ込めて、ゼファーに背を向ける。
そしてどこからか持ってきた上着を引っ掛けて、出口へと向かって歩き出した。
「外出許可も出しといてやる。好きにすりゃいいさ。
なに、辛くなったら周りの大人に丸投げしちまえ。
子供の内はそいつが許される。少なくとも俺は大歓迎だ」
そして、背を向けたままゼファーに軽く手を振っていく。
「お前が一人で背負っていた重荷なら、いつだって俺が代わりに背負ってやる」
ドアの向こうに消えて行くその背中は、紛れも無く大人の男のものだった。
「……」
実験室のど真ん中、ゼファーは一人で仰向けに寝転がっている。
一人ぼっちの部屋で、ゼファーは深く息を吸って、吐いた。
ゼファーはその肌で、『人類最強』のおそらく手加減した強さを感じ取った。
何せ、最後の寸止め以外は攻撃の様子も見せられていなかったのだから。
「ビリーさんより、強かったな……」
フル装備ならば火力はビリーが上回るのだろうが、それは弦十郎が拳法を戦闘スタイルとしているからだ。弦十郎は戦闘力という面において、ビリーをあらゆる点で明確に上回っている。
それはつまり、ビリー以上に死の光景が想像できないということだ。
「あの人、下手したらノイズに素手で挑んでも死ななそうだ……」
事実、ノイズに素手で挑んで何度も生還していたりする。
デタラメとムチャクチャが服を着て歩いているような人間であった。
だが、その強さは彼らの当初の目的を見事達成させる。
ゼファーの『どうせ皆死ぬ』の中に、例外が出来たのだ。
風鳴弦十郎を見て「死ぬかも」なんて思う馬鹿はそうそう居るまい。
「……」
仰向けになったまま、少年はぼーっと上を天井を見上げる。
実験室の照明が、やけに目に痛かった。
その光に向かって傷だらけの手を伸ばすも、当然手は届かず、光は掴めない。
また掴めないんだな……なんて、ゼファーは空の星に手を伸ばすような気持ちを再び味わう。
――――
「じゃあ、もう一つ約束しよっか」
「私達のどっちかが死んじゃっても、生き残った方は生きていく……ってさ」
「生きていれば、きっと誰でも幸せになれるから」
――――
「生きてるんだから、誰にだって幸せになる権利はあると思う。
生きてるんだから、誰にだって人を幸せにする権利はあると思うんだ。
私はゼファーくんにも幸せになって欲しいなって、そう思うの」
――――
光に手を伸ばす最中に、心の欠片をまた一つ、また一つと取り戻す。
弦十郎との戦いの中でも、彼は多くの欠片を取り戻した。
その度に彼はかつての自分を取り戻し、しかしその過程で触れ合った人達の影響を受け、また違う形に自分の心を組み直していく。
思い出を、心の強さに変えていく。
「……会いたいよ……」
それでも、思わず弱音を口にしてしまう。
まだ立ち上がれない。まだ強くもない。憎悪も弱さも乗り越えられてはいない。
だが、照明に向けて伸ばした手を、ぐっと握った。
弱音を吐き、大きく息を吐き、目を閉じ、開く。
その瞳には、かつての強さが戻りつつある。
その心に憎悪はあれど、もう絶望に呑み込まれてはいなかった。
人間の天敵はノイズ
ノイズの天敵はシンフォギア
ならば絶望の天敵は